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榊原悟 『江戸の絵を愉しむ ― 視覚のトリック』 (岩波新書)

榊原悟 
『江戸の絵を愉しむ
― 視覚のトリック』
 
岩波新書 (新赤版) 843 

岩波書店 
2003年6月20日 第1刷発行
iii 213p 口絵(カラー)4p
新書判 並装 カバー 
定価780円+税



口絵カラー図版5点、本文中モノクロ図版76点。


榊原悟 江戸の絵を愉しむ 01


カバーそで文:

「襖を閉めると飛び出す虎! 江戸時代、絵画の世界はアッと驚く遊び心にあふれていた。視覚のトリック、かたちの意外性、「大きさ」の効果――。絵師たちの好奇心と想像力が生みだした、思いもよらない仕掛けを凝らした作品を浮世絵・戯作絵本から絵巻・掛軸・襖絵にいたるまで紹介し、新しい絵画の愉しみかたを伝える。図版多数。」


目次:

Ⅰ 生活のなかの遊び――動く画面
 日本の絵はどこで見る
 「ひらいて」見る――絵巻「大蛇に化ける女」
 動く壁――襖絵の隠現効果
 紙芝居効果――芦雪の「虎」
 縦に「ひらく」演出
 「大きいこと」への関心――巨人標本図
 「実物大」の驚き

Ⅱ 視点の遊び
 日本の絵の魅力とは?
 意外のかたち
 合成された顔――国芳の「寄せ絵」
 見立(みたて)のおもしろさ――影絵・絵文字
 拡がる視覚――鏡・望遠鏡・顕微鏡
 虫の視点・鳥の視点
 「小口」のかたち

Ⅲ 「かたち」の遊び――猿の図像学
 擬人化された猿
 「猿」と「猴」
 猿猴捉月――長い手の魅力
 江戸の猿猴たち

「眼の極楽」――あとがきにかえて



榊原悟 江戸の絵を愉しむ 02



◆本書より◆


「Ⅱ 視点の遊び」より:

「思えば「鞘絵」が江戸で流行した寛政年間は、その前後――年号でいえば明和・安永・天明から文化・文政あたり――をふくめて、我々の先祖たちの眼(視線)が何に向けられていたか、その視覚の歴史を画期する時代であった。それというのも、先祖たちの眼に、光学的現象や影像に対して本格的な関心が生まれたのが、まさしくこの時期だったと考えられるからである。」
「その意味で十八世紀後半から十九世紀初頭にかけては、我々の先祖たちの視覚がいっきに拡がった時代ということも可能だろう。すでに述べた「鞘絵」「影絵」の流行や、水面に浮かぶ歪んだ「かたち」のおもしろさに気がついたことなど、そうした時代の傾向をあらわしている。
 くわえて、いかにもこの時代らしいのは、それらの光学的現象については、さっそく、見世物小屋に掛けられていることだ。(中略)「大衆化」、これも一種の「拡がる視覚」というべきだろう。」
「こうした鏡の見世物は、(中略)人びとの映像に対する興味を、いやが上にもかき立てたことは疑いない。
 だが大江戸人士の見る力――視覚を高めたというならば、顕微鏡、望遠鏡なども忘れてはなるまい。前述した「七面鏡」や、覗眼鏡(のぞきめがね)(遠近感を誇張した名所風景画(浮絵(うきえ))を覗き見るための器具)もふくめて、すべてこの時代オランダ船が舶載したものだ。それら舶来の珍しい光学機器のレンズの向こうに現れる天体の姿や微小の世界は、通常の視覚ではとらえることができないはずだ。その「かたち」が意外であったことはいうまでもない。」
「その舶来の光学機器「顕微鏡(むしめがね)」について、森島中良(もりしまなかよし)(一七五四~一八〇八)の『紅毛雑話(こうもうざつわ)』(天明四年〈一七八四〉刊)巻三は、

  近比舶来(もちわたる)「ミコラスコーピュム」といふ顕微鏡(むしめがね)あり。形チ図の如し。程々のものをうつし見るに。その微細(みさい)なる事凡慮(ぼんりょ)の外なり(後略)。

という。
 くわえてこの顕微鏡は、見世物にもかけられたようで、(中略)猿猴庵の『金明録」文政三年(一八二〇)四月の条に、

  〇大須門前にて、阿蘭陀目鏡を見せる 小虫の類を大きう見せる虫めがねなり。

とある。(中略)その際、人びとに見せたのは、文字どおり小さな虫たちであった。森島中良がこの目鏡で観察したのも虱(しらみ)であったようで、同じく『紅毛雑話』巻三に、

  (前略)虱の古く成たるが、脇腹(そばはら)やぶれて鰯(いわし)の骨の如き肋骨(あばらぼね)あらはれ、腐爛(くされただれ)たる腸(はらわた)に、茶たて蟲の如き蛆(うじ)たかりたり、目鏡をはづして見ればいさゝか色のかはりたるやうに見ゆれども、肋ぼねも蛆も見えず、誠に希代の珍器なり。蚊の睫(まつげ)に巣をくふ蟭螟(しやうめい)、蝸牛(かたつぶり)の角の上なる蛮氏觸氏(ばんしぞくし)の二国をも、此器をもつてうつさば、明らかに見分つべし。(後略)

とある。」



榊原悟 江戸の絵を愉しむ 03



◆感想◆


本書はウー・ホン『屏風のなかの壺中天』の訳注で中野美代子さんが推奨されていたのでよもうとおもってわすれていたのですが今回よんでみました。
本書の第一章では絵がどのような形態で描かれているか(巻物、襖絵、掛軸等)によって絵の見方が変わる、ということが懇々と説かれています。クリストファー・デ・ハメルの近著『Meetings with Remarkable Manuscripts』(注目すべき写本との出会い)なども「写本」という形態を重視していましたが、そういう物質主義が21世紀の美術評論の一般的な傾向なのでしょうか。
第二部では江戸絵画における「遊び」の要素――影絵や、アルチンボルドを思わせる国芳の「寄せ絵」とか、アナモルフォーズの日本版である「鞘絵」など――を取り上げています。『下界頭会(げかいずえ)』の、真上から見た「臼と杵で米を搗く男の姿」「梨に竹輪の「小口切り」」に見える図などは、ロジャー・プライスのドルードル(droodles)の百年先を行っています。遊びとかトリックアートとか、そういうエンターテインメント性の重視が21世紀美術評論の一般的な傾向なのでしょうか。
第三章はサル(テナガザル)の図像学です。テナガザルはかわいいです。


本書は興味深い本ですが、ちょっと気になったのは、p. 100~101 で、

「だが日本絵画は、基本的には、

  絵に書(かか)ぬ真向きの美女と横仏(よこほとけ) (『誹風柳多留』一五九篇)

というように、人間の肉体を描くのが不得手であった。正面向きの美女と横たわる釈迦(あるいは人間)の肉体。描きにくいものの代表として、この二つを挙げているのも納得できるだろう。」


とあるのですが、この川柳は、正面から見た美女・側面から見た仏を描いた絵は見たことがない(「描けない」のではなくて「描かない」)ということを言っていると思うので、「人間の肉体を描くのが不得手であった」例としてあげるのはどうかと思います。それに「横たわる釈迦」なら「横仏」(よこほとけ)でなく「涅槃仏」(ねはんぶつ)です。
それと、p. 131 掲載の「歪んだ顔(『国芳雑画集』より)」について、「「鞘絵」におそらく触発されたにちがいない図」であるとして、「「鞘絵」が鞘に映したら、ちゃんとした像がえられるというのなら、ちゃんとした「かたち」を鞘に映したら、こんなに歪んでしまった、というわけだ。」とあるのも変です。制作年代の前後を重視したためにそうした記述になったのだと思いますが、発想の順序としてはもちろん逆で、「ちゃんとした「かたち」を鞘に映したら」「歪んでしまった」ので、「鞘に映し」ても「ちゃんとした像がえられる」ようにと工夫されたのが「鞘絵」です。
それと、絵巻を「ひらく」効果はともかくとして、襖絵を「ひらく」効果とか細長い掛軸に描かれた竹の絵を少しずつ「ひらく」ことによる「視覚的効果」を画家が狙っていたとする主張もちょっと首肯しかねます。




















































































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田中優子 『江戸の想像力』 (ちくま学芸文庫)

「源内は江戸を外から語ることのできる江戸のよそ者であるばかりでなく、日本を外から語ることのできる日本のよそ者でもあった。」
(田中優子 『江戸の想像力』 より)


田中優子 
『江戸の想像力
― 18世紀の
メディアと表徴』
 
ちくま学芸文庫 タ-2-1 

筑摩書房 
1992年6月26日 第1刷発行
1992年7月20日 第2刷発行
316p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価880円(本体854円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 菊地信義
カバー装画: 鈴木春信「清水の舞台より飛ぶ美人」より


「本書は一九八六年九月、筑摩書房より刊行された。」



本文中図版(モノクロ)21点。


田中優子 江戸の想像力


カバー裏文:

「近世的なるものとは何だったのか――。平賀源内と上田秋成という同時代の異質な個性を軸にしながら、博物学・浮世絵・世界図・読本といったさまざまなジャンルの地殻変動を織り込んで、江戸18世紀の外国文化受容の屈折したありようとダイナミックな近世の〈運動〉を描いた傑作評論。1986年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞作。」


目次:

はじめに――近世的なるものへ

第一章 金唐革は世界をめぐる――近世を流通するもの
 一 世紀末天明様態
 二 天明元年のかばやき
 三 金唐革は世界をめぐる
 四 紙から見た美術史
 五 本草学は借金錬金術
 六 源内伝説と密貿易

第二章 「連」がつくる江戸十八世紀――行動本草学から落語まで
 一 動く本草学へ
 二 俳諧のネットワーク
 三 作ったものの連・作る場の連
 四 狂歌連と落語
 五 連の生み出したもの――解体新書・東錦絵・銅版画

第三章 説話の変容――中国と日本の小説
 一 宋の説話人
 二 俗文学の流入
 三 呼び起こされる神々
 四 浮世草子『白娘子永鎮雷峰塔』の世界
 五 生命的なるものをめぐって

第四章 世界の国尽し――近世の世界像
 一 はなしと江戸文学
 二 近世世界地図遍歴
 三 マテオ神父の冒険
 四 白石の懐疑
 五 複数の世界像
 六 羅列の形式――尽し・競べ・道行・双六・絵巻

第五章 愚者たちの宇宙――『春雨物語』の世界
 一 列挙が可能にするもの
 二 意味づけからの奔走
 三 境界を生きる者たち――愚者・悪漢・人間もどき
 四 源内と秋成――江戸十八世紀の両極

あとがき
『江戸の想像力』文庫版によせて
解説 創造としての想像力 (松田修)




◆本書より◆


第一章より:

「中世までは定住民と漂流民が判然と区別された。彼らは住む世界も職業も身分も違う人間であった。しかし近世では、ひとりひとりの人間が定住民でもあり漂流民でもある。彼らの意識では、自分はたまたま定住している漂流民にすぎない。」

「我々は、大航海の時代になって、初めて人間の大規模な移動が可能になったかのように考えがちである。しかし実は、移動に関する大航海時代の成果とは、単にスピードとルートの拡大にすぎなかった。なぜなら、地球全体をかけめぐる人間と情報と物の移動は、決して新しい事実ではなかったからである。あたかも血液の流れがとどこおれば生命が途絶えるように、人類が始まって以来、情報(モノを含む)の流れが途絶えたことはなかった。」

「平賀源内は何かをした人、というのではなく、バタバタ駆けずりまわっただけで何もしなかった人である。「洋学から近代科学へ」という図式でいうなら、『解体新書』グループや緒方洪庵や桂川家の人々など、近代に貢献した人はたくさんいる。平賀源内は何も貢献しなかったからこそ、私はここで、ひとつの「台風の目」「空虚な中心」に使うことができるのである。源内を書くのではなく、源内のバタバタを取材して、そこにからみついてくる、十八世紀江戸に渦巻く空気を書きたかったのだ。そこでは、ある個人に焦点を当てて、その内面にまで立ち入ってゆくということがほとんど無意味なのである。」
「たとえば、何かが個人から生まれる、というのが考えにくい。(中略)渦のように人間が集まっていて、様々な動きが別の動きに連動し触れ合い、足を引っぱったりエネルギーを触発したり、ささいなことが別の渦を作ったり、大きな渦から小さな渦が生まれて分離したり、そういう動きの中から物が作られていく。だからジャンル別にものの生成や成立を考えるのも無理なのだ。
 この渦は江戸の内のことだけではなく、思わぬところで様々な地方とつながっている。海の外ともつながっている。海の外というのは中国だけではない。オランダだけでもない。イタリアでもあり、中東でもあり、そして何よりも中国以外のアジア地域に深く通底していた。江戸は鎖国時代の都市だという。それを否定するわけにはいかないが、(中略)現実の鎖国は、流入・流出する情報に選択が働いていた、というだけのことだった。視線を江戸の町人だけでなくあらゆる土地、あらゆる階級に広げるならば、そこには物や情報の激しい流入・流出の歴史と、諸民族との取り引きの歴史が見えるはずである。
 人間たちの渦のような運動の仕方は、単に無秩序な動きでも、単なる空気でもなかった。そこには具体的なシステムがあった。それについては第二章「『連』がつくる江戸十八世紀」で書いた。どうやら、人間関係にまつわる心情や腹芸や「組織」とか「集団」という概念とはまったく違う関係の渦の作り方が、方法として、近世にはあったと考えられる。この関係の方法は、人間の関係だけでなく、現代の言葉で言えば「詩の方法」ともいうべき連句の方法ともつながっているし、散文の方法にも、浮世絵の構成法にも、つながっている。しかしその方法は決して日本にオリジナルなものではない。日本文化の方法について何か言おうとするなら、我々は常に、インド・中国を中心にしたアジア文化圏を視野に入れなければならないはずだ。この問題の小説の例を、第三章に書いた。「列挙」という形で現れる諸分野の連的方法については、第四章と第五章に書いた。
 問題は二つある。一つは、近世には渦のように動きまわり流動し続ける「連」の発想がある、ということだ。これは人間や事柄や言葉の中の「関係の方法」の問題だ。この「関係の方法」は今の我々から見れば、まるで体系がなく、論理がなく、収斂してゆくところがなく、すべてを列挙し羅列しているように見える。
 しかし、これが第二の問題なのだが、その関係の方法は単に羅列の方法なのではなく、「俳諧化」とでもいうべき方法であった。俳諧化とは、絶え間ない相対化のくり返し運動に似ている。たとえば相対化というのは、一つの理念(たとえばB)が別の理念(たとえばA)を否定する、ということではない。否定と排除の関係の中では、もしBのパラダイムにおいてBがAを否定・排除するならば、もはやAには何の存在理由もなくなる。
 しかし相対化の方法というのは、否定の方法ではない。もしBがAを否定したとしても、次の瞬間にはCがBを否定してしまうので、Bには否定の根拠がなくなる、ということなのだ。これが次々と続いてゆくならば、そこには否定も肯定もない。あるいは否定することは同時に肯定することになってしまう。俳諧化とは、このような相対化のくり返し運動の側面をもちつつ、相手を徹底的にほぐし、その顎(おとがい)を解き、あるいは滑稽化することによって批評する方法なのである。つまりは、笑うことによって動き続ける方法なのだ。だから、俳諧化の動きの中では、どんなに確かだと思えるものの見方も、またたく間に不確かになってしまう。俳諧化を生きる人間に安住はない。がそのかわり、彼らはあるひとつの視野や領域に釘づけにされる、ということから、常にまぬがれている。
 また彼らには、あるひとつの価値観に収斂してゆくために他のものを切り捨てる、という行動をとる必要がない。彼らに要求されるのは、いかにして相いれないものの存在を認めるか、ということであって、いかにして否定するか、ではないからだ。近世という時代は、このような俳諧化の方法をもっていた時代であった。
 近代化するとは、これらの発想法をすべて切り捨ててゆくことでもあった。そのこちら側に、私たちの現在がある。」



第二章より:

「「馬鹿孤ならず、必ず隣有り。目の寄る所たまが寄る」――平賀源内は大田南畝(なんぽ)の漢詩集『寝惚(ねぼけ)先生文集』の序で、こんなふうに書いた(原文は漢文)。「徳孤ならず、必ず隣有り」徳ある者は孤立しない、必ず同じ類の有徳の者が出てこれを助ける、と『論語』に語るところのパロディだ。徳ある者もあつまるあろうが、馬鹿もまたあつまる。天明文化は、賢人ならぬ馬鹿が寄りあつまって出来た文化だ、という達見であった。」

「芸術は「自己」の「表現」である――などというのは近代という一時代の願望にしかすぎなかったことを、江戸の人々はとっくりと、身をもって教えてくれる。(中略)文化はゆきがかりで出来るものであった。自分というものが皆無であるからこそ、出来るものだった。ひとりひとりの空っぽの器に、時代の知と技術と様式が満たされ、交わり、また別のものを生み出していくのだった。」

「引札には、宝暦十二年(一七六二)四月十日、湯島の京屋九兵衛方で薬品会を開催する旨が書かれてあった。そしてそのコピー文の内容は、今までの日本の文献本草学への痛烈な批判であり、新しい行動的な本草学の宣言であった。」
「さて、こういう引札で始まった第五回東都薬品会は、結果として千三百種の動植物・鉱物を集めることになった。今まで二百種前後の物を集めて開いていた薬品会とは、その規模において格段の違いが生じたのである。なぜこういうことが起こったのだろうか。(中略)これは源内が選択したシステム――取次所を使った全国ネットワーク――の結果であったのだ。
 しかしこの、取次所を定めて全国に連絡をとりながらことをすすめる、というシステムを、源内はいったいどこから思いついたのだろうか。実は、これは源内が発明したシステムではなかった。このころの日本人が俳諧をするために作りあげ、使っていたシステムだったのである。」

「俳諧は俳句ではない。俳諧は五七五の発句に七七の付句をし、また五七五の第三句をつけて、最後の挙句まで続けてゆく。それは座と呼ばれる場で行われる、一回的な興行(パフォーマンス)であり、しかも複数の人間が相互の関係を即興的に作りながら出来あがってゆく詩である。近代詩の概念にこれほど遠い詩もない。他の作者の作った前の句には、付きすぎも離れすぎもしないよう、細心の注意を払いながら付けてゆかなくてはならない。なぜなら、離れすぎれば「連」ではないただの「別の句」になってしまうし、付きすぎれば、「連」として後へ開かれてゆかない、ただの「同じ句」になってしまうからである。こうしてはじめて、他と同じものではない、だからといって他と別のものでもない個々の存在、というものが生まれ、それが生まれることによってはじめて、それらが「連なってゆく世界」が出来上がる。こうして連なる世界では、時間的には前のものに付けてゆく、という順番をとるのだが、前のものが後のものを生み出す、というだけにはならず、後のものが、前のものの意味を変えてしまう、ということが起こる。」

 「そのまゝにころび落(お)ちたる升落(ますおとし)
  ゆがみて蓋(ふた)のあはぬ半櫃(はんびつ)
 草庵に暫く居ては打(うち)やぶり

 仕掛けられたまま忘れられたのか、人が居なくなってしまったのか、ねずみとり(升落)が土間にごろんところがっている。同じ空間に、蓋のゆがんだ物入れ(半びつ)が見える。これもころがっているのかも知れない。無人の荒れ果てた廃屋と、そこに散乱する廃物どもである。
 しかし次に、後の一句とともに「ゆがみて~」を読むと、この句は極めて抽象的な表現として、まったく別の言葉のように立ち上がってくる。草庵にちょっと居たかと思うと、また飛び出して旅立ってしまう、ひとりの人間がいる。(中略)不安定な、どこに居ても落ちつく場がなく、とどまるということを知らず、旅が生きることであるような在り方が、「ゆがみて蓋のあはぬ半櫃」となって表現される。」
「それはまた、(中略)世間から見た彼の像であるかも知れない。中途半ぱな、ろくでもない人間。ゆがんだ半びつのように役に立たない人間。あるいは、そんな世間からの目で、自分を見ているのかも知れない。」

「無限に連続する倦怠の中で、一瞬、哄笑とともに極端に時空を拡げてしまう仕掛けが、大田南畝を筆頭とする狂歌の勢いのあり方あった。」

「絵が生み出されるときでも本が生み出されるときでも、メディアのハード側の事情が深くからんでいるし、人間側のシステムの習慣も深くかかわっているし、暇とお金の量が、当然、関係しているし、当のジャンルより、他のジャンルや他の国々から受ける影響の方がはるかに強い。そしてそれらは、ジャンルを超えた時代の発想法において生み出されていく。たとえば近世においては、絵の世界にも俳諧化があったのだった。ある表現を芸術や文学としてのみ研究することは、これらすべてを落としていくことになりかねない。」

「蘭学社中という、この時代もっとも新鮮で活動的で、自在感とときめきに溢れた連の空気が、『蘭学事始』という本には満ち満ちているのだ。」
「このように毎回メンバーは集まったが、「各々その志すところ異なり」と玄白はいう。(中略)メンバーがそこに出席する以外のところで何をしていようが、何を考えていようが、互いに関与しない。途中で他の人々が出席したり、今までのメンバーがいなくなっても、機能がそこなわれなければそれでよいし、そこなわれれば他の誰かを補充する。近代日本になってからのように、集団や組織の理念が堅固なあまりその存続と規律がすべてに優先する、という現象は見られない。
 彼らの異なる志とは、どういうものだったのだろう。中川淳庵は物産学をする人であった。だからこの翻訳をやって、海外の物産をも知るようになりたい、と思っていた。桂川甫周はこれといっためあてもない。桂川という蘭学の家柄だから、何となくこのようなことが好きだったという。玄白は解剖の時に大きな衝撃を受け、何とか人体についてはっきりと分かって、医療に役立てたかった。前野良沢は、蘭学こそを生涯の業だと思っている。オランダ語に通じ、西欧のことを知り、どんな本でも読みこなしたかったのだという。この、『蘭学事始』に出てくる前野良沢は、奇妙に面白い人物である。「生まれつき多病だから」と人には言って、外にも出ない。人ともつきあわない。蘭学をすることだけを人生の楽しみとして毎日を送っている。豊前中津侯の医官なのだが、蘭学ばかりやって本業を怠るので、あまり同僚の評判はよくない。(中略)彼を育てた伯父から、「世に廃れようとしている芸能があればそれを覚えて絶えないようにし、人々がしないことがあれば、それをして後々まで残すようにしなければならない」と教えられた。(中略)せっかちで山っけがあって、自己宣伝と金もうけに興味津々の源内とは、正反対の意味での奇人である。この良沢と、奔放で子供のような好奇心をもつ玄白と、エネルギッシュな甫周と、地道な淳庵の組み合わせで、『解体新書』は出来上がったのだった。
 これは「徳孤ならず」のくちなのか、それとも「馬鹿孤ならず」のくちなのかわからない。しかししょせん、源内や狂歌師たちの隣組だったのだ。『蘭学事始』から伝わってくる、嬉々としたはずむようなリズムは何なのか。やっぱり、『解体新書』も、「馬鹿孤ならず」の連の結果ではなかったか。」



第三章より:

「日本の物語は歴史の時間からあえてはぐれ、それ以外の時間とつらなっていこうとしているように見える。文というものが、あるいは文学者という存在が、歴史を動かし、現実世界と関わるものだという中国の文学観と、日本は隣国でありながらはるかに隔たってしまった。(中略)そこで語られるのは、歴史の中の人間の姿勢ではなくて、歴史から捨て去ってきた人間の側面や、歴史に現われない人間のエネルギーである。(中略)日本の物語の内においては歴史の時間ではなく、それ以外の時間の束が、層を成してせり上がってくる。「蛇性の婬」は、この時間の層を、比較的はっきりと見せている。豊雄が動き出すにしたがって、歴史の時間のむこうに埋ずもれた、ありとある時間が現出してくるのだ。(中略)それは歴史に隠された「過去」の跳梁である。過去は「古代」の姿でやってくるが、むろん西暦も年号もない。幻の古代だ。」
「『古事記』では、豊玉姫(ワニ)と交わるのは山幸彦であり、肥長姫(蛇)と交わるのは、山幸彦と同型神話をもつホムチワケである。小栗伝説にも見られるように、蛇と交接する若者は異常な力をもつ神であって、多くは異常な状態で生まれ出る。しかし豊雄の場合の異常さとは、「力をもつ」ことであるどころか、「何ももたない」ことなのだ。いかなる秩序にも属さない、大人でもない、子供でもない、家の中にも社会の中にも居るべき位置がない。すなわち「境界」の人間であることだったのだ。」
「その日は雨が降っていた。今でいえば十一月にもならんとするころあいの、肌寒い雨だった。「くるしくもふりくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」――そんな風情の日であった。ふりしきる雨の向こうに、海と海岸と遠い山々が広がっているだけの寂莫の世界。無色無人の空間には、「くるしくも」(困ったことに)というためいきだけが満ちて、人々を鬱屈させる。
 豊雄は傘をさしていた。傘は豊雄を、異世界へ導きつつある。ふりしきる雨は、それだけで人の気分を内側に閉じてしまうのに、傘はさらに、その内の人間を外界から遮断する。豊雄は新宮・速玉神社からひとりで傘をさしかけて、うす寒い海岸を歩いて来る。速玉神社を背にして阿須賀神社が見えるところまで来ると、ひどいふりになってきて漁師の小屋に入る。その小屋の中にはひとりの老人がいる。翁(おきな)――この世と異界を橋わたしするもの。そしてそこに、背後の熊野の山から、女が現われる。速玉神社→傘の内→阿須賀神社→小屋の内というプロセスによって、豊雄は神のまわりをぐるぐるとめぐりながら、傘の内から小屋の内へ、小屋の内から夢の内へ、夢の内から古代の屋敷の暗闇の内へと、次第に内へ内へと、あるいは底へ底へと、洞穴の暗闇へ降りて行く。そして、翁はその異世界への案内者だ。(中略)こうして、豊雄はこの世ならぬところへ降りて行き、その夜に見る夢は、蔀(しとみ)おろし、簾たれこめた、まさに洞穴の暗闇そのものだ。目がさめてから見る女の家は、夢のくり返しであって、ほんとうに目が覚めているのかどうか、疑わしくさえなる。――「豊雄また夢心してさむるやと思へど、正(まさ)に現(うつつ)なるを却(かへり)て奇(あや)しみゐたる」――ただひとつ夢と現実が違うのは、夢の中では外からしか見なかったこの女の住居の、いまはその内側にいる(取り込められている)ことだ。夢よりもさらに一歩、夢の中にはいりこんでいる。そしてはいりこんだこの洞穴の内部は、(中略)古代の表徴に満たされている。真女子もまた、古代を表徴する遠山ずりの衣に包まれている。女は古代の化身であった。しかし古代といっても、年号も西暦ももたない幻の古代、過去の時間の堆積層なのであった。」
「これは豊雄の出会った異世界か。(中略)それは豊雄の内面ではないのか、と思う。しかもそれは観念の世界ではなくして、豊雄の身体の内奥ではないのか。だとすると、人間の身体の内には神々の世界があるのか。堆積された過去の時間もあるのか。」
「共同体のもっていた幻想は、すでに崩壊していた。それが近世だった。そこで人々が恐怖を感じるとしたら、それはなによりも、人間というものの不可解さに対してであった。」
「蛇性の婬」は人類の内にある二つの対立する側面、「生命」と「文化」に対して向けられた視点であり、たしかに、その比喩となったのだった。」
「ところで、『白娘子永鎮雷峰塔』において「生命」に憑依されるのは若い商人であったが、「蛇性の婬」で「生命」に憑依されるのは、このころ大量発生していた都市の「遊民」のごとき若者であった。」
「江戸も上方も、遊民の居住空間となっていた。生産にたずさわらない人間の大量発生――これは秩序維持の上でも倫理的統一の上でも、変化を余儀なくされる新しい事態だった。彼らはもと武士、もと農民、もと商人、というそれぞれの出自をもっていながらそこから離脱し、もどろうとしない、あるいはもはやもどれない、実際上、階級外の人間たちであった。」
「『雨月物語』はそのような人間たちを書いたものだった。秋成もまたそんな人間たちのひとりだった。彼らはもと武士であったり、もと商人(あるいは先代が商人)であったりはするが、本人は何ものでもなく、身分の上でも、職業や責任の上でも「境界的な人間」であった。ゆえに、「向こう側のエネルギー」(他界のエネルギー)に触れてしまうのだった。無いことになっている、隠れた時間や空間を呼び出し、日常では使わない論理と表現でそれらを結びつけ、現実に生きる人々の表情や生活にくい込ませてしまうのだった。豊雄はそのような巫女的遊民のひとりだ。そしてこれをことばの上に呼び出すのは、読本作者という遊民であった。そして彼らは生命の躍動を、この世に呼び起こそうとした。」



第五章より:

「『春雨物語』の世界をめぐり歩いていると、愚者に行き会い、悪漢にめぐり会い、人間もどきの不思議な生きものたちを目撃する。(中略)愚者と人間もどきを合わせたようなものに、「入定(にゅうじょう)の定助」という不思議なものがある。これはミイラの一種であった。
 山城の山里のある読書人の家で、ある夜、庭の隅からかすかに絶え間なく、音が聞こえてくるのに気付く。朝になってそこを掘りかえしてみると、人間のようでもあり、干した魚のようでもある物体が、手に鉦(かね)をもってそれをたたき続けている。主人は僧が禅定にはいったまま埋められた姿だと気付き、水を与え暖めてやると、ミイラ状態から、次第に人間らしくなってくる。家の者や近隣の者、村中の者たちが、禅定にはいった僧だと聞いて、どんなに偉い坊さんかと注目するが、ろくに口もきかないし、食い意地もはっている。言いつけられた労働はやるが、それ以上かしこそうなところはみじんも無い。その内、夫を亡くした貧しい女のところへ婿にはいる。(中略)荷かつぎをやってやっと辛い世の中を生きのびている。」
「これは言葉を拒絶した姿であり、観念や価値観をもたない者のありようなのだ。知や積極性や構築力や戦闘性というところから見ると、定助はくぼみであり、受動であり、沈黙であり、非生産性である。読む者はこのような定助を通して、定助の周囲に生きる人々の、定助への期待や失望を見る。そしてその期待や失望を通して、人間が日常の中で、宗教や知に求めているものの虚妄性を看て取ることになるのだ。その虚妄性からふたたび定助を見るならば、この普通でない(中略)「愚」が、人間のもうひとつの可能性として見えてきてしまう。」
「もうひとつの人間もどきについて語ろう。これは夜ふけの山の中に現われる。(中略)これを見てしまうのは、都に歌を学びに行こうとする東(あずま)の田舎者の少年であった。(中略)ある位置から見ると「異界」(異質な世界あるいは異常な世界)であるものも、異界の中から見れば少しも別世界ではないのである。少年はこの別世界にはいりこむことによって、自分の考えを変える。しかし考えを変えたことより重要なのは、少年がこの別世界にはいりこむことによって、その異世界の側に立った、ということなのだ。少年が彼らを恐怖することからはじまって、彼らに溶けこみ、彼らと戯れ、最後には山伏のわきにはさまれて、神や動物たちの高らかな哄笑の中で空に飛び立ってゆくプロセスを感じ取るならば、そこには「未知」や「異界」が、実は自分と同質なものとして立ち現われ、限りなくなつかしい、美しい、快楽的な世界として見出だされたことに気付くはずだ。(中略)ただしこの物語の中にはこういう一文がある。「人なれど、妖に交りて魅せられず、人を魅せず」――このなつかしい異界をみずからの世界とする人間には条件があるのだ。それは「真実」の名分のもとにみずからを失わないことと、「真実」の名分のもとに、他者に己れを失わせないことである。少年はまさにそのことを知って、東へ帰って行ったのである。」
「こうして見てくると、『春雨物語』は日常からずれた異常さを書きながら、その異常な人間たち、この世とすれすれの境界に生きる人間たちに、正常な価値観とは異なる生きかたの可能性を見てしまっている。彼らはたいていくぼみ的で受身で愚かでいいかげんなのだが、それは虚妄を信じることによって、積極的でかしこくて生産的であるよりも、はるかに透明に見えるのだ。そして乾いて見えるのだ。これは負の可能性、負のエネルギーというべきか。負に生きる者たちは、正に向かうエネルギーや積極性や攻撃性や野心の嵐を、体をかがめて頭上に回避してしまう。負のエネルギーは日常の価値を相対化してしまう。「真実」がどこにもないことを明らかにしてしまう。(中略)人間の側の意味づけにすぎないのだと思い知らされる。では「自我」はどうなのか。(中略)『春雨物語』において自我とは、人々の意味づけのスクリーンに映る映像の寄せ集めにすぎない。」
「東アジアの片隅にあった日本の近世は、この時、このような「相対化の方法」を手にしていた。相対化の方法の近世的なかたちを、俳諧化という。そして、近世という時代の乾いた明るさは、この俳諧化と無関係ではなかった。」

「動きまわる源内の「動」に対して、秋成は「静」である。「これから」の都市・江戸を拠点とする源内に対して、秋成は衰退し、退廃してゆく都市・京都を選んだ。」
「平賀源内と上田秋成は、十八世紀後半の日本の両極を体現している。(中略)外に向かって走り出そうとするエネルギーと、ゆっくりと内なるものが爛熟してゆく時間。未来へ突き抜けようとする衝動と、過去への止みがたい憧憬。(中略)むやみに前進することと、振り返って廃墟をみつめること。渦を巻き起こしながら動いてゆくことと、じっとひとところにひそんでいること。時代の動きとともに変化してゆくことと、不変不動でいること。移動と定住。批判と無心。論争と静謐。(中略)近世は、それらの両極が共存した時代だった。
 いまだ容易に均質化されることない異質なものどもが躍動し、地球的規模でぶつかり合い、互いに相対化し合い、交わり合い、あるいは排斥し合い、(中略)そしてかろうじて共存したのが、近世という時代だった。そしてその中で、源内も秋成も相対化の方法をつかんだ。」





こちらもご参照ください:

田中優子 『江戸の音』 (河出文庫)
石川淳 『江戸文学掌記』
芳賀徹 『平賀源内』 (朝日選書)
久生十蘭 『平賀源内捕物帳』 (朝日文芸文庫)















































































田中優子 『江戸の音』 (河出文庫)

「サワリというのは「障」ですから、そうした障害装置をつくって、それがあることで逆に自己に限定されないで済む。これは僕はなかなか面白いのではないかと思うんです。」
(武満徹 対論「江戸音曲の広がり」 より)


田中優子 
『江戸の音』
 
河出文庫 た 14-1 

河出書房新社 
1997年8月25日 初版印刷
1997年9月4日 初版発行
205p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価580円(税別)
デザイン/フォーマット: 粟津潔
カバー装幀: 菊地信義
カバー装画: 喜多川歌麿「虫籠と美人」


「本書は一九八八年三月に小社より単行本として刊行されたものです。」



モノクロ図版12点。


田中優子 江戸の音 01


カバー裏文:

「伽羅の香と毛氈の緋色、遊女の踊りと淫なる声、そこに響き渡った三味線の音色が切り拓いたものはなんだったのか……?
アジア、中国、ヨーロッパを見据え、江戸に越境したモダニスムの淵源を、音楽の変容を通し地球規模で探る、近世文化論の傑作。江戸文化の根幹に存在する音曲の問題を自在に展開した名著の待望の文庫化。特別対談=「江戸音曲の広がり」(武満徹)」



目次:

はじめに
第一章 三味線と越境するモダニズム
第二章 歌舞伎または夢の群舞
第三章 《対論=武満徹》江戸音曲の広がり
第四章 伝播と涵養、花開く技法

文庫版に寄せて



田中優子 江戸の音 02



◆本書より◆


第一章より:

「「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」という浄瑠璃もしくは芝居には、最後に陰惨な殺人の場面があります。殺人者が殺そうとする相手を追いかけて追い詰めて、そしてなぶり殺しにするのですが、殺している間の時間がとても長い。その殺している間にバックミュージックがずっとかかっている。ところがそのバックミュージックは、殺人のストーリーにからまったバックミュージックではなくて、それとはまったく無関係に、遠くのほうで鳴っている夏祭の音なのです。そうすると、こっちで殺しをしている、向こうでは夏祭をしているという、この関係とこの距離感、世界の中にまったく無関係な祭と殺人というのが同時にここにある、そしてそれがまったく交わらない、そういうものとして音が使われるのです。」
「説明的な要素がまったくない。象徴であったり、登場人物と同じであったりする。(中略)音そのものが登場人物のひとつになり、主人公になる場合すらある。いわば、音が生命を持ったものになることさえあるということです。」

「さっきサワリについて言いましたけれども、声でサワリを出すのと同じように、三味線やその他の日本の楽器には、まずだいたいの場合にはサワリというものがある。それも、楽器そのものにサワリがついている場合もあるけれども、そのときだけサワリをつけるという方法もテクニックとしていくつかあります。どんな状況で、どこでサワリをつけるかということは、演奏している状況とたぶん切り離せない、そういうことがたくさんあると思うのです。
 三味線にはもともと構造的な意味でのサワリがあって、これは、三本の糸がちゃんと駒の上に載った状態で沖縄から入ってきたのを、駒を削ってしまって、一の糸(いちばん低い音)だけはずしてしまったわけです。だから弾いているときにその糸だけ振動が激しくなって、ビリビリというような音がする。これは技術ではなくて、楽器をつくりかえることによってサワリをつくっているのですから、誰が弾いてもそうなるというサワリです。これが三味線のいちばん大きな雑音。あとは、ズーズーと呼ばれるサワリがあって、これは押さえている左手のほうで弦を擦る音のことをいうらしくて、これは自分でつくることができるわけです。
 それから、シュッというふうにいわれる音がある。これは「あたかも蜻蛉が水面を掠めるように」と説明されているけれども、シュッと掠めるように弦を指で擦る方法です。それからもうひとつ、ビンビンと呼ばれる方法があって、これは左手の人差し指を弦の下に入れて触れさせて、要するに、もっとサワリを強くするということだと思います。こういうふうにサワリを強くするテクニックはいくつかあって、そうやって、楽器の改造ばかりでなくて、その状況に合わせてサワリを強くしたり大きくしたりということができるようなやり方をするのです。
 三味線の場合にはもうひとつ、撥(ばち)の操作による雑音のつくり方があります。普通シタール系統の楽器というのは、爪(中略)をつけて、ギターのようにその爪で一本ずつ弾くのが原則です。ところが、それをしないで、大きな琵琶用に使っていた撥を撥皮にあてて、叩きながら弾く、そういう雑音のつくり方をしていた。そうやって三味線を雑音楽器にしていったのです。」
「考えてみれば、江戸時代によく使われていた他の楽器でも雑音性の強い楽器がある。たとえば尺八なども、普通フルートなどだったら、吹いたときにメロディーが奏でられる状態の澄んだ音がするのだけれども、尺八の場合には、メロディーを連想させるのではなくて、音の合間から洩れてくる風の音のほうが問題で、そっちのほうが重要になってしまっている。だから音そのものはどの音程で吹いていようとあまり気にならない。(中略)あれは風がその竹を通る音、それを聴いているのだと思うのです。」
「尺八も元は中国のものだけれども、中国には日本の尺八のような音はないようですから、たぶんこれも日本に渡ってきてからもっと空気が洩れるような楽器になったはずだと思うのです。(中略)日本人にはいわゆる音楽ではない音感覚、音楽と対立するというか、噪音的な音感覚がかなり根強くあって、入ってきたものをそちら側に寄せてしまうということが起こっているようです。」



第二章より:

「こうやって三味線が、芝居小屋と遊廓とに同時に入ってきた。そしてずうっと江戸時代を通して、三味線は芝居小屋と遊廓のもの、悪所のものなんです。ですから、後に三味線の音は「淫声」といわれるようになる。」
「「淫」という言葉について少し説明をしますと、太宰春台の言っているようなことを聞くと、とにかく淫らで下品で、どうしようもないというふうなニュアンスがある。けれども、もともと「淫」という言葉には、人の心を惑わすというような意味や、秩序を乱すとか、秩序が乱れて交わってしまうといった意味もあるわけです。それとはまた別に、潤っているということや、艶があることとか、それから溢れる、浸すというような意味もあるわけです。
 もちろんこの場合には、淫声という言葉は攻撃するために使われるのですけれども、しかし淫なることであるということ自体には、いままでの秩序にはまらない音であるということや、潤って艶があって、そのためにすごくエロティックな音であるというようなことが入っているのだと思います。ですからエロティックな音であるということは、それだけ人の心をとろかす音なんだけれども、逆にいえば非常に不道徳な音だと見られるようになるわけです。
 それをほかの表現で言った人がいます。それは八文字屋本で有名な江島屋其磧という人なのですが、この人は三味線について、「まことに三味線と蛸は血を狂わすものぞかし」といっている(大田南畝『仮名世設』に報告されている)。蛸が血を狂わすというのは、女性(および性そのもの)が血を狂わすという意味です。三味線も血を狂わすし、蛸も血を狂わす。まさに淫であるということは、エロティックであるというおとなしい意味だけでなくて、もうそれを超えてしまって、もしかしたらほんとうに人を狂わせてしまうかもしれないという破壊的な意味がある。江島屋其磧は攻撃するために言っているわけではなくて、自分でもうほとんど三味線に酔って言っているわけです。」



第三章より:

「田中――(中略)ネットワークとしての「連」というのは、ほかにも「社」とか「座」とか、いろいろ言葉があるから、他の言葉でもいいわけです。ところがこのネットワークは、人が集まるという意味だけでなくて、人が集まることは集まるのだけれども、その集まっている一人一人の人間は、いわゆる集団的な構成をしているわけではないのです。一人一人が全然違うことを考えていたり、違うことをしていたりする。集まるときのモチーフ、動機が狂歌だったり、音楽だったり、いろいろあるわけだけれども、そのときに虚であるとしか言いようのないつながりの糊みたいなもので集合している。」
「実際は一人一人になると、全然違う人格がそこにある。もっと別の面をたくさんもった人格がそこにある。だから集団的につながっているのではなくて、一人一人があって、別々にやっていてつながっているというふうに考えると、たとえば音楽でいえば、それはオーケストラではないわけです。むしろ日本音楽の、たとえば能の鼓と笛と太鼓の関係に近い。あれはオーケストラの関係とは全然違うわけです。三味線連中や社中もそうですが、全然違う。そういうふうな人間関係の基本から違うという気がするんです。」
「それが音楽の質に関係してくる。それは音楽だけではなくて、そういう人間関係のうえでものをつくるという意味では浮世絵もそうであるし、江戸文芸もそうだ。そうすると、「連」というのは人間関係であって、しかも創造の工房であって、しかも出来上がってくるものをみますと、さっき言いましたように、全体がひとつの理念で構成されているのではなくて、ひとつの目的があって、それに向かって一つ一つががっちりと組み合わされているわけではなくて、どこへいくかわからない、どこでどう変わってしまうかわからないというものをいつも抱え込んでいる。
 音楽を例にとりましても、鼓がやっていて笛がさっと横から入ってきたときに――逆でもいいのですが――そこで鼓の音の質が変わっちゃうかもしれないわけです。自分がどこで変わるかわからない。そうすると、そこでは一貫した自己というのは考えられないわけで、ないことを前提に生きているんだとも言えると思うんです。それはいままで否定的に見られてきたわけだけれども、私は、ないことを前提に生きているという社会はとても楽しい社会だという気がしてしょうがないのです。」

武満――日本の音楽で、ことに他の国にない音楽の享受の仕方で、ユニークな態度というのは、爪弾きや口ずさむというのももちろんそうなんですが、それと同じように、遠音(とおね)を楽しむということがあるんです。遠音がいちばん綺麗だという考え方があるわけです。たとえば尺八などはなるべく遠音がいい、遠音を聴く、ということがあるわけです。それから木遣なども遠音がいちばん美しいとされている。
 それでは遠音というのは、実際に物理的にどういうことなのかというと、遠くでやっている音でしょう。すると、近くでやっている音と何が違うのかということなんですが、そこでいちばん面白いのは、遠音の場合には、弱い音とか強い音という、いわゆる西洋音楽にとって非常に大事なダイナミック、フォルテとかピアノとかいうのは、ほとんど意味をなさない。つまり、そこから聞こえてくるのは音色だけなんです。木遣なんかの遠音というのは、集団で歌うわけですから、集団で歌っている木遣を遠くから聴くということではほとんど固有の音楽ではなくなる。遠音になると、他の雑音と混じってしまう。他の雑音とほとんど同じように楽しむという享受の仕方がある。そうした態度が、ある時期、ことに江戸時代に成立したのではないか。表層に出てきているかどうかは別として、江戸音曲をつくった背後にはそうしたことがあるのじゃないか。」
「それから、サワリということについていえば、三味線におけるサワリということは、寛政年間あたりでうるさくいわれたわけですね。ところが能などでも、能管などは、わざわざ一本一本調律を狂わせて吹奏する。雅楽で使われている竜笛に、竹の舌のようなものをいれて、一本一本の笛の調律を狂わせてしまう。それによって、あの気迫のある音をつくりだす。
 それはずいぶん昔から、かなり意図的にそういう仕掛けをつくっていく。サワリというのは「障」ですから、そうした障害装置をつくって、それがあることで逆に自己に限定されないで済む。これは僕はなかなか面白いのではないかと思うんです。

田中――始めと終わりということについても不思議に思うことがよくあるんです。始めと終わりがないんです。

武満――まったくないんです。

田中――あれをどう考えたらいいのか。普通は作品という概念は、始めがあって終わりがあるから作品になるんですが、そうではないから、日常と連続しちゃうのかなという気もします。始めは始まればいいんだから始まれるでしょうが、終わりがないんですね。それは俳諧もそうなのです。しようがないから数であわせるんです、百とか五十とか三十六とか。そして無理やり終わらせるわけです。(中略)続けようと思えば、いくらでも続けられるような構成の仕方でできている。」

武満――(中略)他のアジアの音楽と比べて日本の音楽が顕著に違うところは、これはまったく僕自身の勝手な空想かもしれませんが、音階というものにこだわらないことです。
 つまり中国においては、音階というものと政治形態は常に密接で、政権が変われば音階も変わるほど、厳密であったわけです。インドの場合などは昔から、千以上のラーガ(旋法)があるわけです。しかもそのひとつひとつに固有の意味がある。
 ところが日本では、そうした音階は生まれようもない。もちろん音階はあります。日本の音階はペンタトーニク、五つの音階で、ことに江戸時代には都節(みあyこぶし)の音階とかいろいろあるわけだけれども、日本では、どちらかというと、所属している音階の中の音を、そこから何か別のものにしようというような意図があるのではないかと思うんです。
 実際に学者たちは、民謡にしても、昔からのいろいろなものを採集して、五線譜に採譜したりしているけれども、実際そんなものでは採譜できない音というのがあるんですね。
 それでは、日本の音楽は西洋の音楽に比べて、一般にいわれているような意味で、まったく非合理なものかというと、僕はそうじゃないと思う。「間」ということにしても、西洋的な意味での合理性、あるいは整合性というものとは違うかもしれないけれども、非常に理にかなったものなのではないか、それは解き明かせるものではないか、と思っているんです。音階にしても同じです。これは前にも書いたことだけれど、日本の音は、それが所属する音階を常に拒み続けているように思えてならないんです。」

武満――(中略)僕自身、別に日本的なものにそれほどこだわっているわけではないんです。(中略)たまたまサワリというような日本の音楽を考えるうえでのある考え方はあります。ただこれもサワリというものを生み出した人間がたまたま日本人であるだけであって、ほんとうはそんなに単純にひとつのことで括ることはできない。音楽は非常に多様なあり方であるわけで、その多様さを学んでいくと、ますますそれがひとつことでは括れないことがわかって、それが面白いのです。それによって相互に相対化していくという仕事に興味がある。
 僕は最初は全否定的に日本というものを毛嫌いしていたわけだけれども、いまもカッコ付きの日本なんてものには、実は何の興味もない。そういうことではなくて、たまたま江戸の音曲というものが、世界史的にみても非常に不思議な文化の現れ方をしている。それを媒介にして、それを知ることでヨーロッパを相対化していきたいという気持があるんです。」
「だから純音思考というのではなくて、僕はどちらかというと、雑音思考で、それでものを考えていきたいと思っています。」

田中――(中略)古代からずっと、日本文化というのは、日本文化として自立しているわけではない。だからすごく日本的なものと見える、ある特別な傾向――音楽の面などは特にそうなんですが――があるのは確かなんですけれども、それは日本だからそうなんだということではなくて、私は、人間はこんな側面もあるのだというふうにして見ているんです。」
「そういうふうに見ているから、いま、たとえば政府が日本文化というものをはっきりさせて、外国に宣伝しようとか、学校教育で日の丸を大事にしましょう、というのが始まっていますけれども……。

武満――危険な兆候はずいぶんあるんですね。日本というものをなんとなく狭めていくような……。

田中――そうなんです。それと同時に英会話をやらせるんですね。私は、それを総合すると、要するに、東南アジアに出ていく商社マンになる子供たちというのを連想するんです。そういう人材を育てようとしている。そういう計画をする人たちが何をやりたいか。たとえば私の本がブームになったり、中世ブーム、古代ブームというのがなぜあるかといえば、日本というのはこういう素晴らしい国なんだ、と外国に説明するためなんです。もちろん、外国から見た自分の国に自己満足する、ということもある。でも、私のやろうとしているのはその逆の仕事で、そんな説明は簡単にはできないんだということを言いたい。

武満――それはたいへん嬉しいことで、僕もそう思っています。基本的にそういう視点がなければ、僕らが田中さんの書いたものを読んで感動するわけはないんですから。
 先日、アメリカの作曲家のジョン・ケージと対談をしました。ご存知のように、彼は昔から日本に興味をもっている。もちろん彼にとっては日本も興味の一部分であることは間違いないんだけど、「何に興味があるか」と訊いたら、「連歌の連だ」といった。ニューヨークに住んでいるアメリカ人でもそういうふうに意識しだして、はからずもそういう言葉が出てくる。」

田中――そうですか。そういうものが特別に「日本のものだ」と意識されることなく、どんどん流出し、混じり合い、また返って来て、新しいスタイルが生み出されて行く、なんていうのがいちばん面白い。」



第四章より:

「日本音楽のひとつの特徴は、状況で聴くということがあります。(中略)芸者さんたちが座敷で三味線、唄、太鼓、笛、踊りをやると、これはもう私が思っていた以上に、たいへんに享楽的な世界がつくられます。賑やかというのとは少し違うのですけれども、遊廓などでいえば、居続けになって、うちへ帰らなくなって、破産したり、もうここで死んでもいいという、そういう気持になってしまうのがよくわかった。
 日常世界とはまったく違う空間がつくられる。ただ座敷があるとか、芸者さんがいるというだけではそうはならないのですけれども、そこで三味線が鳴っている空間がつくられると、日常とは違う快楽が生まれる。それは、私たちが近代や現代になってから好むようになった刺激的な快楽とはまったく違う意味での快楽なのだということに気がついたのです。
 それはどういうことかというと、三味線を鳴らしながら小唄を歌っているというのは絶望の表現なのです。人生をなげちゃっている、しかもなげた結果暴れまわるとかそういうことではなくて、まったく違う表現、つまりなげている自分を唄にしてしまう。未来に希望を託すのではなく、今しかない、今だけを見つめる気持そのものが唄になる。絶望という言葉を遣っていいのかどうかわからないけれども、つまりはそういうことなのです。手のうちにしっかり絶望をにぎっている、それそのものが唄になる、それが情感になる。そのものの中にある情感を歌う、そうした表現に適していったんだなということに気がついたのです。」
「絶望とか、矛盾とか、葛藤とか、不快感とか……そうしたことが問題提起されて、討論して、解決しましょうとか、そういった方法ではなくて、そのものを表現してしまう。それはそれとして、そういうものがともかく存在するのだというところで表現してしまう。たぶん近代だったならば、たとえばそういう矛盾とか絶望感というものを、そういうことはさておいて前に進みましょう、もっと前向きに生きましょう、もっといいところをみてこれからの人生を明るく送りましょう、という話になるのだと思うけれども、江戸時代の浄瑠璃や唄はどうもそういうふうにはいかない。人間の明るくないところにも入り込んで行って、それを表現してしまう、それを情感にしてしまう、情感に形式をそこでつくってしまう、ということが行われたのではないかと思うのです。」





こちらもご参照ください:

田中優子 『江戸の想像力』 (ちくま学芸文庫)
「すばる」 石川淳追悼記念号































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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