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ヘンリー・D・ソロー 『ウォールデン』 酒本雅之 訳 (ちくま学芸文庫)

「森の中で迷うことは、いつなんどきでも貴重な経験であるばかりか、記憶に価する驚くべき経験でもある。」
「ぼくらは完全に迷子になり、あるいはくるりと一回転してみれば、――実はこの世界で迷子になるには目を閉じて一回転するだけで充分だ、――それでようやく「自然」の広大さと不思議さがつくづくと分かるようになる。」

(ヘンリー・D・ソロー 『ウォールデン』 より)


ヘンリー・D・ソロー 
『ウォールデン』 
酒本雅之 訳
 
ちくま学芸文庫 ソ-2-1 


筑摩書房
2000年3月8日 第1刷発行
2022年8月20日 第2刷発行 
541p+1p 
文庫判 並装 カバー 
定価(本体価格1,500円+税) 
装幀:安野光雅 
カバーデザイン:神田昇和 


「本書は、「ちくま学芸文庫」のために新たに訳出したものである。」



Henry David Thoreau (1817-1862)
Walden; or, Life in the Woods (1854)

本文中に図版(「ソロー自身によるウォールデン池の測深図、及び断面図」)1点。



ソロー ウォールデン



カバー裏文:

「1845年夏、ヘンリー・ソローはウォールデン池のほとりに自分で家を建て、以後2年2ヵ月におよぶひとり暮らしを始めた。アメリカが経済原理に取りつかれ始めたその時代、彼はそんな社会のあり方に疑問をもち、人間精神の復権を目指して、社会の外側で生きることを実践した。本書『ウォールデン』は、その実証の記録である。そして人間界とはうらはらに、伸びやかで自由な野性世界の、実に魅力的な宝庫でもある。ソローの思想を忠実に訳文に反映させた、古典的名著の新訳決定版。」


目次:

生計
暮らした場所、暮らした目的
読書
さまざまな音
ひとり暮らし
訪問者たち
マメ畑

さまざまな池
ベイカー農場
高尚な法則
動物の隣人たち
暖房のこと
先住者たち、つづいて冬の訪問者たち
冬の動物たち
冬の池

おわりに

ヘンリー・D・ソロー略年譜
人間蘇生の思想――『ウォールデン』を読む (酒本雅之)




◆本書より◆


「生計」より:

「隣人たちが良いと呼んでいるものを、ぼくは大部分、真底(しんそこ)悪いと信じているし、もしもぼくに後悔することがあるとしたら、それはおそらくぼくの良い振舞いだ。ぼくがこんなに良い振舞いをしたとは、いったいどんな悪霊がぼくに取りついたのだろう。」

「ぼくはよく鉄道線路のわきに、長さ六フィート、幅三フィートの大きな箱があるのを見かけた。労働者が夜になると道具をしまいこんでおく箱だ。それを見てぼくはふと、生活に困っている者は誰もがこういうものを一ドルぐらいで手に入れて、それに錐(きり)でわずかに穴をあけ、少なくとも空気ははいるようにしておいて、雨降りのときや日が暮れるとその中にはいり、蓋をおろして留めるようにすれば、自由に好きなことができるし、魂も自由でいられるのではないかと思ったものだ。こうすることがまんざら愚の骨頂ではなく、絶対にくだらない選択とも思えなかった。好きなだけ夜更かしもできるし、いつ起き出しても、宿の亭主や家主などにうるさく宿賃を催促されずに自由に歩きまわれる。こういう箱でも凍死することはよもやあるまいに、もっと大きくて、もっと贅沢な箱の借り賃を払うのに死ぬほど苦労している人が多い。けっして冗談なんかではない。」

「原始の頃は人間の暮らしが単純で飾りけなしだったおかげで、少なくともかえって人間は、幸いにも自然界の単なる寄留者のままでいることができた。食物と眠りによって元気をとりもどしたら、またもや旅に思いを馳せた。いわば彼はこの世界に野営して、渓谷を辿り、平野を進み、あるいは山頂に登ったりしていた。ところが、どうだ、以後人間は道具の道具になりさがった。空腹になったら自由に果実を摘んでいた人間が、いまは農夫になっている。宿りを求めて木陰にたたずんでいたのが、今では一家を構えている。今では夜を過すのにもはや野営することはなく、地上に腰をすえて天を忘れてしまっている。」

「ぼくは世界の中にできるだけ多くの異なった個人が生きていてほしい。だがその一人ひとりには、自分自身の(引用者注:「自分自身の」に傍点)生きかたを見つけて前進して行くようぜひとも心がけてほしい。代用品ではなく、父親のでも、母親のでも、隣人のでもない生きかたをだ。」



「暮らした場所、暮らした目的」より:

「最新のニュースが何だと言うのだ。ついに古びることのなかったものとは何かを知ることのほうが、よほど大切ではないか。」

「もしも実相だけをしっかりと観察し、むざむざ欺かれたりするようなことがなければ、人生は、(中略)お伽話や『アラビアン・ナイト』に似てくるだろう。もしも必然的で、存在する権利のあるものだけをぼくらが尊重すれば、巷(ちまた)には音楽と詩が鳴り響くことになる。(中略)毎日を遊び暮らしている子供は、生活の真の法則や生活を織り成す諸関係を大人よりもはっきりと見てとっている。大人は生活の価値を損わぬように生きることができないくせに、経験のおかげで知恵がついたと考えている。」

「ぼくはもっと深いところから飲んでみたい。川底に星の砂利(じゃり)が敷きつめられた空の小川で釣りがしたい。」



「さまざまな音」より:

「ぼくはぼくの生活に広い余白がぜひとも欲しい。夏の朝に、いつもの水浴をすますと、日の当たる戸口に坐り、マツやヒッコリーやハゼノキに囲まれながら、ひっそりと静まりかえったぼく一人の天地の中に、日の出から真昼までうっとりと夢想していたこともある。ぼくのまわりでは鳥たちが歌い、家の中を音もなく飛び交(か)っていたが、やがて西の窓から日が差しこみ、あるいは遠くの街道でどこかの旅人を運ぶ馬車の音が響いて、ぼくに時間の経過を思い出させてくれたものだ。そういうときには、ぼくは夜のトウモロコシのように成長した。」

「何しろぼくの暮らしぶりはプーリー・インディアンの流儀だ。話によると、「きのう、きょう、あしたを表わす言葉が彼らには一つしかなく、意味の違いを、きのうの場合は後ろ、あしたの場合は前、そして過ぎゆくきょうという日はまうえをそれぞれ指さすことで表現する」そうだ。むろんわが町の同胞諸君には怠惰以外の何ものでもないと考えるにちがいないが、しかしもしも鳥や花がぼくを彼らの基準で吟味してくれたら、ぼくはたぶん落第とはならなかった。生活の動機はおのれ自身の内面に求めねばならぬ、これは真理だ。自然の日々はいとも穏やかで、誰かの怠慢などあまり咎めはしないはずだ。」



「ひとり暮らし」より:

「ほとんどの時間をひとりで過すことは健康的だとぼくは思う。たとい相手が選りぬきの人でも、誰かといっしょにいるとすぐに退屈し、疲れてしまう。ぼくはひとりが大好きだ。孤独ぐらい付き合いやすい友にぼくは出会ったためしがない。(中略)考えたり働いたりしていると、人はどこにいようといつも一人だ。」


「高尚な法則」より:

「「完全な状態に達した昆虫のなかには、食物を摂取する器官はそなえているのに、それを使わないものもいる」というのは、昆虫学者が言明する意味深い事実だ。」
「人間が肉食動物だということは恥辱ではあるまいか。」

「最も実在の名にふさわしい事実は、おそらく人から人へ伝えられたりするものではけっしてない。ぼくの日常生活の正真正銘の収穫物は、朝や夕べの色調に似て触知しがたく名状しがたい何ものかだ。わが手で捕(とら)えた小さな星屑、わが手につかんだ虹の一片だ。」



「動物の隣人たち」より:

「どうして人はこうまで思いわずらうのか。食わざる者は働かずとも良しだ。」


「おわりに」より:

「「君の眼差(まなざし)を内側に向けたまえ、そうすれば君の心の中に
未発見のあまたの領域が、
きっと見つかるはずだ。それらの領域を旅し、
そして君自身の宇宙の形状に精通したまえ」
(訳注:「イギリスの詩人ハビングトン William Habington (一六〇五―五四)の詩“To My Honoured Friend Sir Ed. P. Knight”。」)

「わざわざ世界をひとめぐりしてザンジバルのネコの数をかぞえに行くのも割に合わぬ話だ。だがもっとましな生きかたができるようになるまでは、こんなことでもやっていれば、ついには内側に辿りつくための「シムズの穴」(訳注:「アメリカの軍人シムズ John Cleves Symmes は地球が空洞で両側に穴があいており、内部に居住することが可能だという説を唱え(一八一八年)、著作として発表した(一八二六年)。」)か何かがなんとか見つかるかもしれない。(中略)もしもすべての言語が語れるようになり、すべての民族の風習に順応したいと願うなら、もしもすべての旅行者よりも遠くまで旅をして、すべての風土になじみ、スフィンクスにまっさかさまに石をめがけて身を投げさせたいと願うのなら、いっそ古代の哲学者の教えに従い、「汝自身を探究せよ」、だ。それには眼力(がんりき)と度胸が要求される。(中略)さあ、西方に通じる道の尽きるあたりへ旅立とう。(中略)地球を横目で見ながらどんどん進み、夏も冬も、昼も夜も、日が沈み、月が沈み、そして最後に地球が沈んでも、それでもつづく道を行こう。」

「暮らしを単純化して行けばいくほど、宇宙の法則は以前ほど複雑とは思えなくなり、孤独も孤独ではなく、貧しさも貧しさではなく、弱さも弱さではなくなってくる。たとい楼閣(ろうかく)を空中に築いたとしても、その労作がむだぼね折りだと決めこむには及ばない。むしろ空中こそ楼閣を築くべき場所なのだ。こんどは楼閣の下に基礎を築いてやらねばならぬ。」

「ぼくはどこであれ囲いの外で(引用者注:「の外で」に傍点)語りたい。次第に目ざめて行く人が、これまた目ざめつつある人たちに語りかけるようにだ。」

「誰であれ自分自身の仕事に専念し、本来あるがままの自分であるようにつとめてほしいものだ。」
「もしも仲間と歩調の合わない者がいたら、たぶん彼には別の鼓手の打ち鳴らす太鼓の音が聞こえているのだ。どんな律動だろうと、どんなに遠く遥かな響きだろうと、自分の耳に聞こえる楽音に合わせて歩けばいい。(中略)ぼくらのためにと用意された本来の境遇がまだ到来していないのなら、どんな現実にその代わりをつとめさせてみても何になろう。ぼくらは空しい現実に乗り上げて難破するなどまっぴらだ。」

「町の貧民ほど多くの場合、自立した暮らしをしている者はいないようにぼくには思える。たぶん彼らは平然と受けとることができるのだから、よほど偉い連中なのだ。たいていの人間は、町に養ってもらうなんて自分はまっぴらだと考えているが、不正直な手段で自分を養うことは、そのほうが不名誉なはずなのに、まんざらでもないと思う場合のほうがむしろ多い。庭園栽培の薬草(ハーブ)みたいに、たとえばセージでも育てるように、貧しさをせっせと育てることだ。(中略)たといぼくがくる日もくる日もクモのように屋根裏部屋の片隅に閉じこめられても、内なる思いが健在である限り、世界はぼくには相も変わらず広大なままだ。」

「余分に富をためこんでも余分なものが買えるだけだ。魂の必需品には金銭(かね)がなければ買えないものなど一つもない。」



酒本雅之「人間蘇生の思想――『ウォールデン』を読む」より:

「それにしてもどうしてソローは、一八四五年七月からの二年二ヵ月を、人間社会の外に出て、(中略)ウォールデンの森でひとり暮らしをしなければならなかったのだろう。少なくとも彼の中に、人間社会とは別の(引用者注:「別の」に傍点)原理で生きたいという抑えがたい欲求が働いていたことだけは間違いあるまい。」

「「アルカディア」の所在が人間社会の外にあることは繰り返すまでもないが、それをソローはウォールデンの森という場で探り当てようとする。」
「ソローの「自然」の中の住人たちはどんな格づけからも自由であり、それぞれに内在するいのちを存分に生きている。」

「ソローがすすめるのはこの世界の中で「迷子」になることだ。彼に言わせれば、人間はごくさりげない散歩のときにさえ何かなじみの目じるしを頼りにしがちだ。すでに知りつくしているものを目じるしにすれば、安全ではあっても、きまりきった道しか歩けない。「冒険と危機と発見」に通じる道を歩こうと思えば、まずいっさいの既知の目じるしとは縁を切り、「完全に迷子」になることが必要だ。それでようやく「『自然』の広大さと不思議さがつくづくと分かるようになる」。同じことをソローはこんなふうにも言っている、「ぼくらは迷ってからでないと、つまり世界を失なって(引用者注:「世界を失なって」に傍点)からでないと、自分自身が見えてこないし、……世界の無限の広がりも、かいもく分からぬこととなる」。「迷子になる」とは「踏み慣れた道」に執着せず、大胆に無垢な一歩を踏み出して、原初のままの世界の多様と充実に出会うということだろう。」












こちらもご参照ください:

『方丈記 発心集』 三木紀人 校注 (新潮日本古典集成)








































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多田智満子 『鏡のテオーリア』 (ちくま学芸文庫)

「夜陰に月影を浮かべる泉水は、微光を帯びたその水面を、自然と超自然との、あるいは現実と虚構との、接触面として提示しているのである。」
(多田智満子 『鏡のテオーリア』 「水鏡」 より)


多田智満子 
『鏡のテオーリア』
 
ちくま学芸文庫 タ-8-1 


筑摩書房 
1993年9月7日 第1刷発行
2022年8月20日 第2刷発行
206p+1p 
文庫判 並装 カバー 
定価(本体価格1,000円+税)
装幀:安野光雅


「本書は一九八〇年十月三十日、大和書房より刊行された増補版をもとにしたものである。」



「ちくま学芸文庫版のために」より:

「この小著は私のはじめてのまとまったエッセイで、一九七六年大和書房から刊行された。間もなく増補版、新装版と三度版を重ねたが、そのあとながらく絶版になっていたのを、このたび筑摩書房の好意でこの文庫に入れてもらうこととなった。内容は第二部に「灼きつく影」という短文を挿入し、「水鏡のエロス」に数十行書き加えたほかは、ほとんど増補版のままである。」


「鏡の迷宮」にモノクロ図版(「河口龍夫「鏡と鏡の間」)1点、「世界の鏡」にモノクロ図版(パルミジァニーノ「凸面鏡の自画像」)1点。

本書は出たときに買おうと思ってうっかりして忘れているうちに絶版になってしまったのが復刊されていたので購入してみました。
「増補版」で増補されたのは第二部の「水鏡のエロス」「鏡の墓碑銘」「神仙の鏡」です。澁澤龍彦の文章は初版のカバー裏に掲載されていたものです。



多田智満子 鏡のテオーリア ちくま学芸文庫



カバー裏文:

「天然の水鏡、銅鏡、そしてガラスの鏡――すべてを容れる鏡は、古今東西の人間の心にどのような光と迷宮とをもたらしてきたか。ギリシア、中国、日本では……。仏教では……。レヴィ=ストロース、ボルヘス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルイス・キャロル、李白、釈迢空は……。鏡面の多彩なきらめきを写しとりながら、テオーリア(観照)はつづく。」


目次:

第一部 鏡のテオーリア 
 序
 歩む鏡
 向きあった鏡
 見ることは見られること
 まなざし
 見ることは驚くこと
 鏡の威光
 鏡の迷宮
 水鏡
 大円鏡
 因陀羅網

第二部 鏡をめぐる断章
 眼の月
 アルキメデスの凹面鏡
 バックミラー考
 灼きつく影
 世界の鏡
 水鏡のエロス
 鏡の墓碑銘
 仏の鏡像
 鏡と唐の詩人たち
 影を失った男たち
 神仙の鏡


ちくま学芸文庫版のために
「鏡のテオーリア」に寄す (澁澤龍彦)




◆本書より◆


「鏡の迷宮」より:

「けだし鏡の世界は、もしもそこからの脱出の機会を失うならば、完全な迷宮あるいは地獄と化すほかはあるまい。江戸川乱歩の『鏡地獄』という短篇は、密閉された鏡の世界の恐怖を一途に描いた、いささか単調だが力強い作品である。主人公は、望遠鏡、顕微鏡、潜望鏡、万華鏡等、あらゆる種類の鏡遊びに熱中する偏執狂的な青年で、金にあかせて暗室や鏡張りの実験室をつくり、その中にこもって終日奇怪な映像を楽しむという病的な日々を送る。彼の最高傑作は内面が全部鏡になった球体、つまり全面凹面鏡であるところの球形の小部屋であるが、或る日この中に入りこんだまま、装置の故障で出られなくなり、彼は遂に発狂してしまう。この青年などは、現実から次第に逸脱して、虚像の織りなす幻惑の世界にのめりこみ、あげくの果てに現実への帰路を失って身を滅ぼす破滅型のカガミスト(こんな造語が許されるかどうか?)の典型といえるだろう。
 同じ乱歩の短篇の中に、『鏡地獄』のようなすさまじさはないが、或る意味もっと奇抜な、しかも御伽草子風の味わいをもつ『押絵と旅する男』という秀作がある。この話の冒頭に、魚津の浜で見た蜃気楼の叙景があるが、これは夢幻的世界への巧みな導入部であって、やがて帰りの汽車で乗り合わせた初老の男が大事そうにもっている額におさめた押絵の中の人物がじつはその男の兄である、という珍妙な事実が語られる。その兄なる人は、望遠鏡で見つけた押絵の中の美女に恋して、望遠鏡を用いて自分自身を縮小してみずから押絵の中におさまり、その映像の美女と添いとげたのだという。
 さかさまに持った望遠鏡で覗かれた人間が遥か彼方に後退し縮小して押絵の中の人物におさまってしまう、――これは視覚的にそう見えるもの(引用者注:「そう見えるもの」に傍点)と、実際にそうで在るもの(引用者注:「そうで在るもの」に傍点)とのまことに詩的な混同であって、この物語は構想の面白さと幻想性とにおいて他に類を見ない。」



「因陀羅網」より:

「神々の帝王インドラ(帝釈天)の宮殿を荘厳(しょうごん)している宝網を因陀羅網(indra-jala)という。その網のひとつひとつの結び目ごとに宝珠がはめこまれ、「その珠は無量にして算すべからず」とある。そしてそのひとつひとつの珠が各々他のすべての珠の影を映し、互いに映し合って一珠だに隠れることなく、又、一珠の中に現われる他の一切の珠の映像のひとつひとつが各々他の一切の珠を映し、「乃至是の如く交(こもご)も映じて重々に影現し、隠顕互に顕はれて重々無尽」なのである。」
「すべての存在(諸法)はそれ自身によって存在しているのではなく、他の事物との相関関係(縁起)によって生滅しているにすぎない――これは釈迦牟尼以来の仏教の基本的テーゼだが、避けがたい本性としてこのような空性を備えた「諸法」をあらわすのに、無の有としての鏡の在りようほど、譬喩として似つかわしいものはあるまい。」
「しかも諸法(諸存在)は、単に一つのレベルで等価であるばかりでなく、因陀羅網の一つの珠が一切珠の一切像を含むように、互いに他のすべてを反映することによって、緊密な統一原理のもとに三千大千世界を覆う法界網を形づくっている。この摩尼宝珠の集合が、(中略)近世ヨーロッパの帝王たちの宮殿の鏡の間と共通した発想をもつにしても、それは決して、「映像の大群」をやたらに発生させて実在を虚構に変え、意識を遊戯的に惑乱させるものではない。むしろ、一即多・多即一の弁証法によって、存在が無数の鏡像と化して分散無化するのを防ぎながら、逆に映像に実在の重みを与えていると見るのは誤りだろうか。なぜかといえば、仏教の徹底した唯心論にあっては実在と幻影との差別は一切撤廃され、「三界は一心の作」と観ぜられているからである。般若系の経典がくり返し説くように、私たち人間は、「巧みな魔術師の化作(けさ)した変化人(へんげにん)」――幻影の人――に過ぎない。しかも、この空観が決してニヒリズムに陥らないというのが、仏教思想の不思議な逆説なのである。」




◆感想◆


窓のないモナドとしての二つのミラーボール、内側が鏡になっていて「私」だけしか映し出さない江戸川乱歩「鏡地獄」の球体と、外側が鏡になっていて「私」以外の全てを映し出す「華厳経」の宝珠とが、世界そのものの縮図としてのボルヘスの「アレフ」を間において対峙する、そして本書の目的は「鏡」を「成仏」させること、すなわち「鏡地獄」をそのまま裏返して「蓮華蔵世界」に転ずること、自我に囚われた「カガミスト」をそのままで無私の「幻影の人」へと化することである、ということかもしれないです。










こちらもご参照ください:

多田智満子 『鏡のテオーリア』































『青春の浮世絵師 鈴木春信 ― 江戸のカラリスト登場』 (2002年)

「いずれにせよ鈴木春信は、(中略)杉田玄白によって「非常の人」と称された鬼才の人平賀源内と、意気相投ずることのできるほどの教養と人格の持ち主であったことが知られるのである。」
(小林忠 「青春の画家 鈴木春信」 より)


『青春の浮世絵師 
鈴木春信
― 江戸のカラリスト登場』
 
監修:小林忠


編集・発行:千葉市美術館/山口県立萩美術館・浦上記念館
制作:ニューカラー写真印刷株式会社
2002年
312p 
29×22cm 並装(フランス表紙)
デザイン:下田理恵


[千葉展] 
千葉市美術館:2002年9月14日(土)―10月20日(日)
[山口展]
山口県立萩美術館・浦上記念館:2002年11月2日(土)―12月8日(日)



本書「ごあいさつ」より:

「鈴木春信(1725?-1770)は、錦絵創始期の第一人者として知られる浮世絵師です。明和期(1764-1772)のはじめに錦絵が誕生してより没するまで、人気絵師として活躍したのはわずかな期間でしたが、おそらくは1000図以上を数える優れた浮世絵版画を世に送りだしています。」
「ながく切望されながらも、優れた作品の多くが海外美術館にあることから果たされなかった本格的な春信の展覧会がここに実現されます。国内ばかりでなく海外の美術館に所蔵される265点の選りすぐりの作品により、春信芸術の粋をご堪能ください。」



出品作品図版(カラー)297点。参考図版(カラー42点/モノクロ29点)。

判型が大きいわりには図版は小さめです。265点のうちには同じ作品の摺り違いも多いです。「清水の舞台より飛ぶ美人」が出品されていないのは残念でした。



鈴木春信 01



目次:

あいさつ (主催者)
Foreword (Organizers)

青春の画家 鈴木春信 (小林忠)
春信の色 (ロジャー・キーズ/翻訳:加藤陽介)

図版 (解説:浅野秀剛、鈴木浩平、田辺昌子、藤澤紫、藤村忠範、松村真佐子、吉田洋子)
1 浮世絵界へのデビュー Harunobu's Ukiyo-e Debut
 1 市村亀蔵の瀬川綿ぼうし売り 
 2 坂東彦三郎の半七
 3 「明霞名所渡」 市村亀蔵 瀬川菊之丞 
 4 市川団十郎の高尾山の生不動
 5 瀬川菊之丞の梅が枝
 6 瀬川菊之丞の女虚無僧
 7 市村羽左衛門の梶原源太影季
 8 大谷広次の小野良実
 9 市川団十郎の平親王将門
 10 『壮士故郷錦』
 11 版木 表:「坂東彦三郎の曽我五郎 瀬川菊之丞の傾城玉菊 市村七重郎の禿」/裏:「風流七小町 逢夢」
 12 花売り
 13 官女玉虫
 14 小野道風
 15 とみよしや前
 16 見立鉢の木
 17 鳴戸
 18 朝鮮人行列
 19 風流やつし七小町 通い
 20 風流やつし七小町 清水
 21 風流やつし七小町 逢夢
 22 風流やつし七小町 雨乞
 23 風流やつし七小町 関寺
 24 風流やつし七小町 草紙洗
 25 風流やつし七小町 卒塔婆
 26 風流やつし七小町 雨乞
 27 風流やつし七小町 関寺
 28 風流やつし七小町 関寺
 29 風流やつし七小町 逢夢
 30 子猷訪戴図
 31 松風村雨
 32 源氏夕顔
 33 邯鄲
 34 六歌仙 在原業平
 35 六歌仙 僧正遍昭
 36 むかし男
 37 見立太田道灌
2 絵暦交換会の流行と錦絵の誕生 The Popularity of Gatherings to exchange Egoyomi and the Birth of Nishiki-e
 38 見立富士見西行
 39 見立半託迦尊者
 40 見立玄宗皇帝楊貴妃
 41 見立河内越(左図)
 42 見立河内越(右図)
 43 見立三夕 西行(鴫立つ沢)
 44 見立三夕 定家(浦の苫屋)
 45 見立佐野の渡り
 46 見立佐野の渡り
 47 見立為朝
 48 見立孫康(窓の雪)
 49 見立孫康(窓の雪)
 50 見立孟宗
 51 文読む男女(見立忠臣蔵)
 52 見立恨の介
 53 だるまが手を出す掛幅
 54 だるま相合傘
 55 採蓮美人
 56 矢場の娘
 57 外出の仕度
 58 外出の仕度
 59 夕立
 60 夕立
 61 丑の時参り
 62 水売り
 63 水売り
 64 雪中笠被る女
 65 見立小野道風
 66 見立小野道風
 67 見立王質
 68 坐鋪八景 包紙
 69 坐鋪八景 扇の晴嵐
 70 坐鋪八景 台子の夜雨
 71 坐鋪八景 鏡台の秋月
 72 坐鋪八景 琴路の落雁
 73 坐鋪八景 行燈の夕照
 74 坐鋪八景 手拭掛の帰帆
 75 坐鋪八景 時計の晩鐘
 76 坐鋪八景 塗桶の暮雪
 77 座鋪八景 包紙 目録
 78 座鋪八景 時計の晩鐘
 79 座鋪八景 塗桶の暮雪
 80 座鋪八景 鏡台の秋月
 81 座鋪八景 扇の晴嵐
 82 坐鋪八景 台子の夜雨
 83 座鋪八景 台子の夜雨
 蛍光画像に視る浮世絵版画の色彩 (城野誠治)
3 絵を読む楽しみ The Delight of Understanding the Image
 84 見立官女玉虫
 85 見立那須与一
 86 見立那須与一
 87 見立芦葉達磨
 88 見立夕顔
 89 見立芥川
 90 見立筒井筒
 91 見立太田道灌
 92 見立松浦佐用姫
 93 見立牧童
 94 文掃く美人 見立牧童
 95 いばらき屋店先(見立茨木)
 96 見立茨木
 97 見立深草少将
 98 船遊び男女(見立白楽天)
 99 笛吹く男女(見立玄宗皇帝楊貴妃)
 100 三味線をひく男女(見立玄宗皇帝楊貴妃)
 101 隅田川船遊び
 102 夜の訪れ(見立十二段草子)
 103 廊下の相撲(見立牛若丸と弁慶)
 104 牛若丸と弁慶
 105 見立三夕 西行法師(鴫立つ沢)
 106 見立三夕 寂蓮法師(槇立つ山)
 107 見立三夕 定家(浦の苫屋)
 108 見立錏引
 109 夜の梅
 110 見立高砂
 111 見立紅葉狩
 112 見立羽衣
 113 見立鉢の木
 114 見立黄石公張良
 115 見立かきつばた(見立八橋)
 116 茶挽臼(見立放下僧)
 117 風流うたい八景 絃上の夜雨
 118 風流うたい八景 羽衣の落雁
 119 風流うたい八景 三井寺の晩鐘
 120 風流うたひ八景 高砂の帰帆
 121 風流うたひ八景 えびらの晴嵐
 122 風流うたい八景 松風の秋月
 123 風流うたい八景 紅葉狩の夕照
 124 風流うたい八景 鉢の木の暮雪
 125 風流うたい八景 絃上の夜雨
 126 風流うたい八景 高砂の帰帆
 127 風流うたい八景 松風の秋月
 128 風流うたい見立 羽衣
 129 風流うたい見立 景清
 130 三番叟
 131 布晒舞
 132 今様おどり八景 布晒の帰帆
 133 石橋
4 江戸の雅―古典への憧れ Edo Elegance - a Yearning for the Classics
 134 六玉川 高野の玉川
 135 六玉川 井手の玉川
 136 六玉川 調布の玉川
 137 六玉川 擣衣の玉川
 138 六玉川 萩の玉川
 139 六玉川 千鳥の玉川
 140 六玉川 高野の玉川
 141 六玉川 井手の玉川
 142 六玉川 調布の玉川
 143 六玉川 擣衣の玉川
 144 六玉川 萩の玉川
 145 六玉川 千鳥の玉川
 146 三十六歌仙 藤原元真
 147 三十六歌仙 伊勢
 148 三十六歌仙 坂上是則
 149 三十六歌仙 壬生忠見
 150 三十六歌仙 中務
 151 三十六歌仙 源信明朝臣
 152 三十六歌仙 小野小町
 153 三十六歌仙 藤原清正
 154 三十六歌仙 源公忠朝臣
 155 三十六歌仙 紀友則
 156 三十六歌仙 僧正遍昭
 157 三十六歌仙 源重之
 158 三十六歌仙 藤原仲文
 159 百人一首 持統天皇
 160 百人一首 蝉丸
 161 百人一首 小式部内侍
 162 百人一首 小野小町
 163 官女
 164 詠歌(見立紫式部)
 165 五常 仁
 166 五常 義
 167 五常 禮
 168 五常 智
 169 五常 信
 170 風流六哥仙 文屋康秀
 171 風流六哥仙 在原業平
 172 風流六哥仙 大伴黒主
 173 風流六哥仙 僧正遍昭
 174 風流六哥仙 小野小町
 175 風俗四季哥仙 立春
 176 風俗四季哥仙 二月 水辺梅
 177 風流四季哥仙 二月 水辺梅
 178 風俗四季哥仙 三月
 179 風俗四季哥仙 三月
 180 風俗四季哥仙 弥生
 181 風俗四季哥仙 竹間鶯
 182 風俗四季哥仙 卯月
 183 風俗四季哥仙 卯月 雲外郭公
 184 風俗四季哥仙 五月雨
 185 風俗四季哥仙 五月雨
 186 風俗四季哥仙 水無月
 187 風俗四季哥仙 水無月
 188 風俗四季哥仙 立秋
 189 風俗四季哥仙 仲秋
 190 風俗四季哥仙 神無月
 191 風俗四季哥仙 神無月
 192 風俗四季哥仙 神無月
 193 風俗四季哥仙 庭の雪
 194 風流五色墨 咫尺
 195 風流五色墨 長水
 196 風流五色墨 長水
 170 風流五色墨 宗瑞
 198 林間煖酒焼紅葉
5 青春の浮世絵師 The Ukiyo-e Master of Youth
 199 雪中相合傘
 200 雪中相合傘
 201 雪中相合傘
 202 雪中相合傘
 203 雪中相合傘
 204 蛍狩り
 205 夜の萩
 206 茄子畑
 207 鞠と男女
 208 鶏と恋人たち
 209 縁先物語
 210 吹矢場
 211 吉原大門口
 212 二人虚無僧
 213 二人虚無僧
 214 蚊帳の母子
 215 蚊帳を吊る母と子
 216 椿
 217 一本菊
 218 若殿の外出
 219 ほにほろ
 220 子供の獅子舞
 221 子供の相撲
 222 子供の影絵遊び
 223 大名行列遊び 春駒
 224 白象と唐子
 225 あやとり
 226 めだか掬い
 227 船から下りる芸者
 228 花見の駕籠
 229 桜下の駒
 230 若衆の網打ち
 231 秋の風
 232 そうめん干し
 233 高下駄の雪取り
 234 琴を弾く女
 235 梅の枝折り
 236 かわらけ投げ
 237 機織り
 238 掛軸を見る遊女
 239 海女
 240 『絵本千代松』
6 江戸の人気者 An Edo Idol
 241 団子を持つ笠森お仙
 242 鍵屋お仙
 243 御宝前
 244 永楽屋
 245 お波お初
 246 まねえもん
 247 浮世美人寄花 笠森の婦人 卯花
 248 浮世美人寄花 楊枝屋婦 菫菜
 249 浮世美人寄花 路考娘 瞿麦
 250 浮世美人寄花 路考娘 瞿麦
 251 浮世美人寄花 南山さき屋内 元浦 八重桜
 252 浮世美人寄花 南の方 松坂屋内野風 藤
 253 浮世美人寄花 山城屋内はついと 萩
 254 浮世美人花見立 丁子屋内丁山 花王
 255 丁子屋内丁山と巡礼
 256 『絵本青楼美人合』
 257 『絵本青楼美人合』
 258 『絵本青楼美人合』
 259 風流江戸八景 上野の晩鐘
 260 風流江戸八景 両国橋の夕照
 261 風流江戸八景 日本堤の夜雨
 262 風流江戸八景 浅草の晴嵐
 263 風流江戸八景 角田川の落雁
 264 風流江戸八景 品川の帰帆
 265 風流江戸八景 真乳山の暮雪

春信の色の再現 (立原戌基) 
鈴木春信「坐鋪八景・台子夜雨」と「三十六歌仙 紀友則」に使用された着色料について (下山進)
春信の役者絵―新出狂言絵尽と団扇絵を中心に (浅野秀剛)
「夜の梅」の解釈をめぐって (吉田洋子)
春信版画の紙と色―雅の謎 (田辺昌子)

参考文献
出品作品目録
年表

Suzuki Harunobu - The Master of Youth (Kobayashi Tadashi / Tramslated by Amy Reigle Newland)
Harunobu's Color (Roger S. Keyes)
Colorants employed in Suzuki Harunobu's prints "Evening Rain, The Ceremony Stand" and "Kino Tomonori" - A Report on a Non-destructive Analysis (Shimoyama Susumu / Tramslated by Amy Reigle Newland)
The Actor Prints of Suzuki Harunobu - A Focus on the Newly Published kyogen ezukushi and Fan prints (Asano Shūgō / Tramslated by Amy Reigle Newland)
An Interpretation of Suzuki Harunobu's print "Women admiring Plum Blossoms at Night" (Yoshida Hiroko / Tramslated by Amy Reigle Newland)
The Enigma of Elegance (Tanabe Masako / Tramslated by Amy Reigle Newland)




◆本書より◆



鈴木春信 02


「見立半託迦尊者」

「縁先に座り、水の入った鉢から龍を出す女性を描く。(中略)「半託迦尊者」に関しては、日本の絵画では水鉢から龍を出す図で「半託迦」を示すことが多く、本図もその流れを汲む見立であろう。」



鈴木春信 05


「採蓮美人」



鈴木春信 03


「今様おどり八景 布晒の帰帆」

「No. 131 と同じ布晒舞を主題とするものであるが、白い布の動きを船の帆に見立て、背景の壁紙の模様に帆掛け舟を描き、「瀟湘八景 遠浦帰帆」を暗示する。手にもった白い布はきめ出し技法によって質感を表現している。」



鈴木春信 04


「子供の影絵遊び」

「5人の男の子たちが火鉢を囲んで影絵遊びに興じている。得意げに衝立と思われる波の絵に兎の影を映す若衆髷の子、火鉢に片膝ついて何となく見ている子、行燈の方だけ見ている子、前髪に芥子の蜜柑を食べながら見ている子、芥子坊の後姿の子など、髪型の年齢にあわせたさまざまな子供の仕草がそれとなく表現されている。」



鈴木春信 06


「あやとり」

「姉妹であるのか少女とそれよりやや年上の娘が炬燵の上で頭をつきあわせて、あやとりに興じている。床の間には福寿草の鉢、「風流絵合」と題された本、奥には狩野派風の馬が描かれた屏風が見え、この家の平穏さと裕福さを象徴しているようである。」



鈴木春信 07











こちらもご参照ください:

『ヴァンタン 浮世絵大系 第2巻 春信』 解説: 小林忠 (愛蔵普及版)





































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、土方巽、デレク・ベイリー、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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