ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』  谷昌親 訳

「一度もわたしに起こったことはないし、おそらくこれからもけっして起こることのないこと、それを少なくとも紙の上で生じさせて歓ぶというのは、許されないことだろうか。」
(ミシェル・レリス 『囁音』 より)


ミシェル・レリス 
『ゲームの規則 Ⅳ
囁音』 
谷昌親 訳


平凡社
2018年2月23日 初版第1刷発行
477p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,800円(税別)
装幀: 細野綾子



Michel Leiris "La Règle du jeu IV: Frêle bruit" (1976)
第三巻と第四巻はネットオフにあったので注文しておいたのが届いたのでよんでみました。各2,398円(+代引手数料324円-クーポン割引100円)でした。


レリス ゲームの規則 4


帯文:

「フレール・ブリュイ
詩か革命か、その結び目をもとめて、
些細な出来事の断片を集めるレリス。
落穂拾いの如き彼の耳に響くかそけき物音」



目次:

囁音

訳者あとがき




◆本書より◆


「もし、くるりと輪を描き、そこから出発した虚無に立ち返らなければならないとしたら、人生全体を要約すると零――尾を咬む蛇あるいは環状鉄道――になってしまうのではないか。ただ、円環の内側の白さを黒く塗りつぶす何か、空虚を充実に転換させ、底なしの湖を島にする何かを書き殴る、という問題が残る……。とはいえ、この零は、わたしたちが拠り所とできるものが何もないと示しているのに、いったい何を書き殴ればいいのか。」

「それは、わたしが知らないでいた意味を担って、わたしの人生の一段階などではなく、ある局面をそっくり丸ごと予告していたのではないか。
 まだ年端のゆかないころ、台本は『ヴィルヘルム・マイスター』〔ゲーテの小説〕の一挿話から(かなり間接的ではあるが)着想を得ているオペラ=コミックの『ミニョン』〔一八六六年に初演されたアンブロワーズ・トマの歌劇〕に出てくる「卵の踊り」の場面を、姉が語ってくれたのを聞いて同情してしまったのだが、そのむずかしい踊りが自分に課せられた場合にほぼ匹敵するほどの不安を、わたしは感じていたのだ。その踊りを見せればもらえるいくばくかの金を欲しがったロマ人の団長たちに強制され、かわいそうな少女は、卵があちこちに置かれた狭い空間で、卵をひとつも割らずに動きまわらねばならないはめになり、もし割ろうものなら、ひどい虐待を目にすると怒るような人がその場からひとりもいなくなったとたん、すぐに叩かれてしまうのだ!
 やろうとした芸当をしくじっても、わたしがいかなる体罰も受けることがないのは確かだし、わたし以外の誰もわたしを精神的に鞭打ったり、叩いたりはしない。だがそれでも、眠っているときでさえ、わたしは自分の内的な曲芸を最後までやり遂げられないのではないかという恐れに悩まされるのだ。」

「取るに足らない気がかり(書かねばならない手紙やかけなければいけない電話、やっておくべきちょっとした働きかけ、実行しないといけないわずかな移動)でできた針穴から、不安だらけの世界がわたしのなかに入り込んでくる――それが原因であらゆることが問い直される、といった具合にそのささいな行為がつきまとい、死活問題並みに重要視するはめに陥るかのようにして――のと同様に、それに劣らずごく微細な事柄がきっかけで、不安がそっくりなくなってしまうようにも思えたりするのだが、その微細な事柄というのは、なぜだかよくわからないがわたしの心を打つ場所の眺めとか、束の間の出会いとか、散歩をしている人はそこらあたりのあれやこれやを楽しんでしまうものだが、それと同じで現実的な影響力をあまり持たないような外界の出来事とかだ……。驚くべきは、不安の巨大さとそれを引き寄せたり押しやったりするもののくだらなさのあいだの不釣り合いで、あたかもこうした場合、量的な価値は機能せず、何であれ数量化されるようなものとは関係のないままで、悪い結果や良い結果をもたらす性質だけが問題となるといった具合だ。」

「すべてが無駄で、できたこともできなかったことも意味がなかったと考えてみても悲しみは和らがず、自分の人生で記憶に残る価値のあるようなことはたいしてないと彼は思っていた。至るところで失敗を重ねていて、作家として失敗したが、それは自分に向ける視線を超えた境地に至ることがほとんどできず、詩に到達したのはごく稀にすぎなかったからだし、さらに、絞首刑や狂気、さもなければ永遠に帰ってこられない旅立ちといった宿命を背負った人間の器でないと自分でわかっていたからで、反抗者としても失敗したが、それはブルジョワの快適さをけっして避けなかったからだし、さらに、革命家となる意志を漠然とながらもずっと持ちつづけてはいても、暴力も犠牲も嫌いで、闘士の資質はまったく持ち合わせていないと認めざるをえなかったからで、愛人としても失敗したが、それは彼の人生のなかで恋愛に関する部分はきわめて平凡で、恋の激情はすぐに衰えたからで、旅行家としても失敗で、というのも、母語である唯一の言語に事実上閉じこもり、たとえ自分の国にいても、生物にしろ無生物にしろ何かを前にしてくつろぐのは誰よりもおそらく苦手だったからだ。民族誌学者という職業から彼が引き出したのは、ほんのわずかなことだけで、スーダンの秘儀加入者の言語に関しての、そしてエチオピアの儀礼的憑依に関してのきわめて特異な研究、「黒人芸術」についての間接的な研究と、恭しい意図を抱いてのものではあっても、たいして力を持たない反人種主義的な方向にむけられたその他の研究、そして最後に(これこそが、最も記録しておくに値する自分の業績だと、ひどく陰鬱な気分に襲われたときに彼は考えていたものだが)、民族誌学を、西洋の科学のためではなく、第三世界の人びとに役立つものとするという意思を示した何本かの論文があり、その意思はいかにも素朴なもので、それというのも当事者たちはもっと別のことを心にかけていたからだ……。
 非常にうつろな虚空のなかにあっても、自分を総合的に評価した場合に、いずれにしてもひとつはよいおこないに分類できるものがあったとそれでも考えることが彼にはあったが、それは、子どもを作るというおこないの否定だった。骨の髄まで反抗者であったわけではないが、少なくとも協力はしなかったという点を自慢にして、当時は誇らしく感じることのできた行動回避。」

「その主な――それどころか唯一の――効用は、おそらくは、源泉を見つけたいという望み、そしてその源泉を今度ばかりは霞のなかや幕越しにではなく正面から見据える力をわたしに与えてくれたことだった、とそう言ってもよさそうな複雑さを、あんなにもたくさん経て、単純さに(可能なら、馬鹿みたいな簡単さといったものに)到達しようとすること。そうした自己への回帰を、(以下略)」





Egg-Dance (Oil painting by John Collier)
The New Art Gallery Walsall

ミシェル・レリス 『ゲームの規則 Ⅰ 抹消』 岡谷公二 訳
































































































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ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅲ 縫糸』  千葉文夫 訳

「詩法と生きる作法を同時に完成させる仕事に取り組むよりも、むしろ最大限自分の力を使って、賢者と狂人、あるいは占い師と大道芸人が同居するあの詩人と呼ばれる存在になることこそが重要なのではあるまいか。」
(ミシェル・レリス 『縫糸』 「Ⅳ」 より)


ミシェル・レリス 
『ゲームの規則 Ⅲ 
縫糸』 
千葉文夫 訳


平凡社
2018年2月24日 初版第1刷発行
386p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,600円(税別)
装幀: 細野綾子



Michel Leiris "La Règle du jeu III: Fibrilles" (1966)
第三巻と第四巻はネットオフにあったので注文しておいたのが届いたのでよんでみました。各2,398円(+代引手数料324円-クーポン割引100円)でした。


レリス ゲームの規則 3


帯文:

「フィブリーユ
還暦を間近にひかえた1967年5月末、
自殺未遂事件をひき起こしたレリスは
夢と幻覚のなかで記憶の縫合手術を試みる」



目次:






訳者あとがき




◆本書より◆


「Ⅰ」より:

「だいぶ前から、私はどんな分野でも、少なくとも滑稽な味わいをもたずになしえるものは大したものでありはしないと考えるようになっている。モーツァルトが『ドン・ジョヴァンニ』を「ドランマ・ジオコーゾ」(要するに、陽気な喜劇)と名づけ、ロマン派が独自の「アイロニー」(場合によっては皮肉たっぷりの)を身にまとったのは瑣末なことではない。」

「私という人間は、ごく平凡な日常的ふるまいにおいても、しかるべきやり方で自分を説明する能力に欠けるという思いにほとんど偏執狂的といえるほどしつこく苛まれるのだが(たとえばつまらない表現でも、どんな言い方をすればよいのか、あらかじめ頭のなかで反芻しなければ、買い物のために店に入れないほどであり、結果としてパリ市内を歩いて買い物をするときに、市街の光景を楽しむのではなく、ひとつのフレーズを繰り返し思い浮かべることで散歩の楽しみの大半が失われてしまい、しかも店に入れば入ったであらかじめ考えておいたのとは違った口の利き方をしたりする)、人と話す際には――幸運が左右する場合、それにまた話し相手に信頼感が抱ける稀な場合を除いて――何を言ったらよいのか、私が口にしうる事柄をどんなふうに言うべきか、ということが気がかりで、ぎこちない話し方しかできないし、(以下略)」

「帰宅の翌日から、寝床から起き上がれない状態が続いた。四十度以上の熱が出て、往診に来た医者は、マラリアに罹ったという診断を下した。この医者による丁寧な治療の甲斐もあり、数日間で熱は下がった。ふだんの自分は読むのが遅いし、注意の集中にたいへんな努力が必要となるが、隔離されていたこの時期は一日に一冊の割合で本を読んで過ごした。読んだのは、さまざまな姿に変身する悪漢の冒険が語られるパリを舞台とする冒険小説『ファントマ』の一部である。(中略)熱が引いたあとも、汗が盛んに出て、シーツは完全に濡れ、病気が治っても、私自身は、まずはじっとりと濡れた寝具類という吸取り紙に、その後はまた別の吸取り紙に吸い上げられ、最後は、横になって寝ていた長椅子に接する壁紙の上に大きくひろがる濡れた染みと一体化したのだった。」

「「生きるべきか死ぬべきか」という問いは、自分にとって、歯をへし折る思いでぶつかってゆくものだったわけではない。いるのか、それともそこにいないのか、ここにいるのか、それともよそにいるのか、私にとってみれば、むしろこうしたものこそが白熱した問いであるはずだ。よそにいたいと思うとき、ここをあとにするのが怖い。そしてよそは、そこに到着したとき、少しも休息をもたらさない。相変らずよそであり続け、そこにいる私が行き場を失うか、私があとにしたものを惜しむ気持ちになおもつきまとわれるか、よそがこことなるにはあまりにも頼りなくて大した評価ができないかのどれかである。きわめて軽微なものも、きわめて深刻なものも、ただ単に舞台装置にかかわるものでも、事態の展開にかかわるものでも(中略)、どれをとってみても時計の振り子のこの無益な遊戯、つまりどこに私がいても、私が何をしていても、その正確無比な進行が心に重くのしかかり、そこから逃れるのは難しい。」

「どんなことになるのか先をよく考えずに突進し、コインを投げてその裏表で決めるようなやり方で自分の命をあずけるに似た向こう見ずなふるまいを成し遂げること。睡眠薬を嚥むことで私がなおも求めていたのは(あらゆる批判をかわすためには、一連の愚行の最後の仕上げとして、輪をかけてそれ以上の愚行を付け加えざるをえなかったというかのように)、無に帰すというよりも、ある種の貪欲さの極限に深く落ちてゆくことだった。」

「「一切は文学だ……」として、文学が心の奥底まで私を腐らせ、私という人間がもはやそれ以外のものではなくなっているというだけでなく、通常の三次元のうちの少なくとも一次元を欠いた世界にあって、もはやインクと紙によって作り出されるものを上回る重みのある事柄は私には訪れることがないということもまたその意味に含めながら、私はそう自分に言い聞かせるのだった。」



「Ⅱ」より:

「私の行動は、自分の身を蝕む病の深さを示すばかりではなく、そもそも私のごとき不出来な人間が他人にどのような思いを強いるのか、そのことにあまりにも無頓着でいることを明らかにする結果しかもたらさなかったのである。」

「ヨンキントの作品は、記憶によれば、描き出される平野のひろがりを受けて、水平方向に長く引き伸ばされたような雰囲気をもち、たしか風車があり、小川や運河には船が浮かび、黄色い大地の上にひろがる空には雲が散在し、痩せこけた樹木が見える風景画の数々であったが――正確な中身がいかなるものであれ、美術館の厳粛な壁に人を吃驚させる風穴があいているように思えたのだった。このように優しさと悲しみが混じり合ったどっちつかずの状態は、それよりずっとあとに、意を決してフェノバルビタールによる昏睡状態に身を投じる行為が、言葉の完全な意味において、完結とも破滅とも言いうるかたちで対応しているといえるかもしれないのだが、私はこれらの風景画を前にして、そんな曖昧な状態の予告を遥か昔に感じていたようにも思われるのであり、いまもなお、風景画に関しては、静かに心に染み入る力が何に起因するのかを明らかにしえぬままだ。北国の寒冷な風土に密生する黄水仙もしくはいぐさを思わせるヨンキントなる名をもつこの画家が、淡色の筆触をもって呼び出す場所は、疑いなく現実のどこかにありながら、境界を区切るというよりも消去するように思われる筆触を眺めながら、私は胸が潰れそうになり、自分が外に引きずり出され、さらにまた無限の彼方に退いてゆく地平線に向かって投げ出されたように感じた。悲嘆と高揚感が混じり合った奇妙な感覚は、それ以後、現代の優れた才能が生み出した作品の数々にひそかに流れていると私が思った要素に通じるものであるが――純粋絵画とはまったく別な水準にあって――要は私の琴線に触れるものがそこにあったということなのだ。これに関して選集を編むというほどではないが、幾つか例をあげてみれば、ピカソの道化師およびバレエ『パラード』のための緞帳画、ベージュ色と灰色の積み重ねがイギリス人少女の一団のためのラグタイムのようにシンコペーションを響かせるキュビスム絵画、詩そのものが詩の主題となるマックス・ジャコブおよび何人かの詩人の手になる作品の一節、友人ランブール(ル・アーヴル生まれ)の物語『極地の子供』、サティ(周知のごとくオンフルール生まれ)の奇妙なまでに裸の音楽といったぐあいだ。さらに言葉を選んでいうと、それは知的判断あるいは美的判断の枠の外にあり、たしかに憂鬱であっても、私にはそれ以上に好ましい何かがありえるとは思われない瞬間に、甘美な旋律の単純さをもって、――少なくともこの魅惑が持続するあいだは――わが真実と思われ、翻訳すれば理解不可能となるものを表現するのだ。」



「Ⅲ」より:

「本書には、さまざまな種類の記述、記憶のなかにある人物の肖像、夢および現実の出来事の叙述、精神状態についてのメモ、雑多な話題についての所見を整理されぬままに投げ入れる結果になったが、すべてはこれといった成果をあげぬままに折り重なってバロック的な繁茂の状態を生み出している。」
「いまやこの状態から脱出しなければならない……。」

「あまりにも長々と続くので時間の目印をつけようにもできないでいるこのとりとめのない記述に、歳月の経過とともに生じる変遷と出来事の彼方に、一撃のもとに、私が言い当てようと望む本質を、把握可能な塊として凝縮させるための最終的な努力に先立って、あえて現在時を導入すべきと思われたとき――本はどこまでも勝手にひろがり出し、すでに執筆が終わった部分も溶けて私の背後で輪郭の定まらぬ塊に変わり、目標が見えなくなる――私の足元は覚束ないものになったのだ。結局のところ、私の思考が強固なものとなるどころか稀薄になるように思われるのはあまりにも緩慢だからであり、時間の観念が固定観念と化すまでに私に取り憑くのであり、その一方では時を挫折させるための文章行為に対する狂おしい執着が強まるのだった。それでもなお、いわゆるバロック趣味なるものに誘われて、まっすぐ目標に向かって進むのではなく、装飾模様と脱線話の寄せ集めとなる(あたかもそれらがわが探求の直接の帰結だというかのように)道筋ははっきり見えていて、そこにあるのはすみやかに目的地に達したいという思いを邪魔するやり方なのである。だがそれと同じくらいによく見えているのは、諦めてそうした道に突き進めば、自分独自のものである本来の主題から逸れてしまうことになり、こうしたバロック趣味はすでに美的感性の問題に関する自分の性癖の一要素となっており、(望んでいるかそうでないかは別として)真理といってもあまりにも微妙で感覚的なものであって、美と深いつながりをもつので、現実の生活のなかで私の心を動かしたり、私の心を惹いたりするもの、そしてまた文学面にあっては、抗しがたい魅惑があって否応なく私をゲームのなかに引きずり込むものを通じて追求をおこなうほか手立てはない。」





こちらもご参照ください:

千葉文夫 『ファントマ幻想 ― 30年代パリのメディアと芸術家たち』

ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』  谷昌親 訳









































ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅱ 軍装』  岡谷公二 訳

「守られていたい、庇護されていたいというある種の欲求こそは、たぶんつねに変わらぬ僕の特徴の一つだ。」
(ミシェル・レリス 「スポーツ記録板」 より)


ミシェル・レリス 
『ゲームの規則 Ⅱ 
軍装』 
岡谷公二 訳


平凡社
2017年11月10日 初版第1刷発行
287p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,200円(税別)
装幀: 細野綾子



Michel Leiris "La Règle du jeu II: Fourbis" (1955)
本書はアマゾンマケプレで1,965円(+送料257円)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。


レリス ゲームの規則 2


帯文:

「フルビ
死を飼い馴らし、正しく振る舞い、
おのれの枠を超え出る……
〈生きる/書く〉信条の一件書類」



目次:

死(モルス)
スポーツ記録板
「おや! もう天使が……」

訳者あとがき




◆本書より◆


「死」より:

「夜に対するおびえ。闇に対するおびえ。しかし問題となっているのは、物がはっきり見えないとか、闇の黒い塊しか見えないということではない。一日の時刻の中で眠りが支配する謎めいた部分についての思いがそこにはある。それこそは神秘の世界であり、その異常さは、自分ひとりは目ざめていて、他の人々はもはや限られた生しか生きていないと気づくとき実感される。(中略)夏の夕方、たそがれといわれる時刻(覚醒の世界と眠りの世界の国境地帯であると同時に、昼と夜のはざま)に、四十五年ほど前にはまだかなり田舎だった郊外を散歩するのは、たしかに、僕がいつもそうであったような不安に襲われやすい子供にとっては、あまり安心できることではなかった。まず夕暮という、一日の中で、不安にはお誂えむきの時(大人になってからでさえ、アフリカへの最初の旅から戻ってきて、パリの夕暮に再び馴染むのにある種の苦労をしたとき、僕はそのことを実感した。夕暮というものがほとんど存在しないといっていい熱帯地方に比べ、パリの夕暮はあまりにも長く、物悲しく、耐えがたかった)。それから、町の幼い住人であった僕の目に、たかが郊外にすぎなかったが、見慣れていた都会の外観より様子がずっと鄙びた風景の帯びていたエキゾティシズム。最後に、夜が近づく頃合、ヴィロフレのような村のごく近辺ですらが、両親が住んでいた、当時はとても静かだった界隈にいてさえ、町の通りのある種の賑わいに慣れていた子供にとっては強い印象を与えたほど、寂漠として、ひと気がなかったという事実。」

「他の一切が眠りこんでいる(あるいはそう見える)とき、異様にもひとり目ざめている者。時間を端折る(あるいは否定する)ことができたと信じる者のめまい。地下世界というあの逆さの世界での、閉ざされた空間の広大さへの一瞥。」

「目を背けようとしている――にもかかわらずそこにあることを知っている――この死は、僕の人生をそれが終わる前にもう変質させてしまっているのだから、恐怖を抑え、眼を大きく開け、明晰な精神をもって、迷うことなく、自分を待っている運命を避けようとせず、勝負を賭ける気持で、それが来るのをみつめるという根本条件がみたされないかぎり、この人生をなにか価値あるものにしようとするのは、愚の骨頂ということになろう。だから僕がしなければならない転換は、一切を変革するほど重大なものとなる。その転換とは、先祖代々形成されてきた集団への帰属は死の保証だからといって家族を憎む――一種子供っぽい拒否の念から――かわりに、血統に逆らうことなく、共通の恐怖に同調しないことによって自分を他の遊星の一員にしたいのなら、それとは反対に死を軽蔑しようと努めるといったたぐいのものであろう。」
「僕を捕えないかぎり、死は総じて、遠ざけるべきではなく、むしろ飼い馴らすべき観念だ。」



「スポーツ記録板」より:

「競馬に情熱を燃やしたこの時期を通じて、兄と僕とは、大きくなったら騎手になるといつも考えていた――貧しい界隈の多くの少年たちが自転車競技の選手やボクサーになることを夢見るように。宗教の創始者や偉大な革命家や偉大な征服者と同様、宿命のもとに生まれ、そしてもっとも恵まれない階層の出身であることの多いチャンピオンのめくるめくようなその出世は、梯子を一気に駆け上り、普通の人間が、たとえ生まれつきどれほど恵まれていようと、常識で考えて期待できるものとは桁の違う社会的地位――たしかにいくらか埒外のものではあるが――に達することを許す例外的な幸運――あるいは魔法の力――のしるしのように思われる。ある点で、チャンピオンは魔法使い、とくに一般にアルカイックと呼ばれている社会のシャーマンを思わせる。シャーマンもまた、多くの場合、最初は単なる不遇な人間にすぎなかったのに、他の人々とは違って彼ひとりだけが精霊たちと結ばれているという事実によって、運命に対してめざましい復讐をとげる人物なのだ。」

「レースの大きな楽しみは、競走馬のうちの一頭が他を制しつづけるのを見ることではなく、それが順位を上げて、他の馬を一頭ずつ、時にはやすやすと、時には苦心して抜いてゆくのを見ることにある。長いこと後れをとっていたのに、(中略)すでにレースに勝ったと思われていた相手をゴール寸前で抜き去るとなれば、喜びは頂点に達する。」
「このように急に飛び出してくる馬、有望株(カミングマン)(中略)、若いので身をかばう必要のないこのような人間は、周知のように、真っ向勝負を挑み、そして(頭角をあらわすため、著名な闘牛士になったらもう冒さないような危険を冒す新米(ノヴィレロ)のように)、つねに全力を尽くす。だから、彼の呼び起こす熱狂的な関心には一種の愛情が加わる。それは、(中略)そのやり方にまだ駆引きのない人間に対する共感であり、栄光の座に収まり返っている連中をそこからひきずり下ろしてくれるかもしれない者への期待である。」
「僕が現在、支配階級に対してチャレンジャー(引用者注: 「チャレンジャー」に傍点)の位置に立つ抑圧された階級に共感を抱くとき、また、長年世に認められてきた大天才よりも、数世紀にわたって待機レースをしている――もしかすると、彼が考えさえしなかったかもしれない勝利を知るには、あまりにも早く死んだ――呪われた作家や芸術家を好むとき、まったく違った心の動きに従っているとは思わない。」



「「おや! もう天使が……」」より:

「たぶん、僕が情熱よりもむしろノスタルジーの人間だからだ。それに対する欲求を抱きつづけるためやそれを懐かしむために、物事を遠くに置いておくこと。(中略)つねに幸福感を求め、力や支配は決して求めないこと。欲求する主体や欲求された客体の破壊をひき起こしかねないので、わがものにしようと努めるかわりに、味わい楽しむのに夢想や絶えざる思いの対象とすること。漠たる思いを抱く人間、未開の土地へ向かっていつも飛び立つ(ただしほとんど動くことなく)人間のままでいること。」




ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅲ 縫糸』  千葉文夫 訳





























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。


うまれたときからひとでなし、
なぜならわたしはねこだから。

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