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『瀧口修造の造形的実験』 (2001年)

「私のこころみは、すべての人のこころみることができるもの。それは可能と同時に限界をもつ。それを思い知ったのはこの私の手。しかし何かがこの手を通って、絶えず循環していることを知る。」
(瀧口修造 「手が先き、先きが手」 より)


『瀧口修造の
造形的実験』

Shuzo Takiguchi: Plastic Experiments


編集: 杉野秀樹(富山県立近代美術館)/光田由里(渋谷区立松濤美術館)
翻訳: 小川紀久子/ギャヴィン・フルー
デザイン: 桑畑吉伸
制作: コギト
発行: 富山県立近代美術館/渋谷区立松濤美術館 
2001年
233p 
24.5×20cm 
並装(フランス表紙) 
グラシン紙カバー


富山県立近代美術館
2001年7月19日―9月24日
渋谷区立松濤美術館
2001年12月4日―2002年1月27日



本書「あいさつ」より:

「瀧口修造は1903年に富山県で生まれ、上京後の1920年代後半から、詩作、当時の最新の芸術動向であったシュルレアリスムの紹介、美術評論など、多面的な文筆活動を始めます。戦前の詩作は、戦後の1967年に『瀧口修造の詩的実験 1927―1937』と題して刊行されました。」
「一方で瀧口は、1959年頃から「ジャーナリスティックな評論を書くことに障害を覚えはじめ」て、エクリチュールの原点を模索しデッサンに着手、これに没頭し始めます。その後、短期間のうちにバーント・ドローイング(焼き焦がし)や戦前にも試作していたデカルコマニー(転写技法)、ロトデッサン(器械の回転運動で円を幾重にも描く)といったさまざまな表現手段を用い、1960年代前半を中心に倦むことなく造形の実験を重ねました。」
「瀧口が後半生に心を注いだ、言葉によらない表現行為は、今まで断片的に紹介されていたに過ぎません。しかし、故綾子夫人が最期まで身近に留めおかれた遺品の中に、未発表の瀧口の制作物が数多く残されていました。
 本展では、これらを中心に調査した成果を技法別に7つに区分して展覧し、瀧口修造の知られざる作り手としての実像を紹介することで、彼の造形的な実験に秘められた意味を再考する機会を作ろうとするものです。」



作品図版338点、資料図版63点、瀧口修造ポートレート他図版9点。



瀧口修造の造形的実験 01



内容:

Foreword (The Organizers)
あいさつ (主催者)
謝辞

瀧口修造 テキスト再録
 私も描く
 手が先き、先きが手
瀧口修造からの、もうひとつの贈り物 (杉野秀樹)
瀧口修造 造形的実験の軌跡 (光田由里)
瀧口さんと「眼に見えないもの」について (恩蔵昇)

図版/Plates
 1950年代
 Ⅰ エクリチュールのイニシエーション
 Ⅱ デッサン、水彩
 Ⅲ 飛沫ノ遊ビ
 Ⅳ バーント・ドローイング
 Ⅴ デカルコマニー
 Ⅵ 手作り本、オブジェ

年譜 (土渕信彦 編)
展覧会歴 (土渕信彦 編)
参考文献 (土渕信彦 編)
作品リスト

I also Draw (1961) (Shuzo Takiguchi/Translated by Gavin Frew)
Another Present from Shuzo Takiguchi [Summary] (Hideki Sugino/Translated by Kikuko Ogawa)
Plastic Experiments by Shuzo Takiguchi [Summary] (Yuri Mitsuda/Translated by Kikuko Ogawa)




◆本書より◆


「私も描く」(瀧口修造)より:

「文字ではない、しかし何かの形を表わそうというのでもない線、この同じ万年筆を動かしながら、ともかくも線をひきはじめた。最初はただの棒線であった。それから、どこか震えるような線、戸惑う線、くるしげにくびれ、はじける線、海岸線のように境界をつくろうとする線、つつぱしる線、甘えるような線、あてのない、いやはや他愛のない線、そんなものが幾冊かの帳面を埋めた。」
「線、線、線。こうして線を書いているうちに、奇妙なひと筆描きのような、自動的な線が突然現われはじめた。それはうねうねとくねりながら、空中にロープをまわすような具合に、上から下へと急降下する。このスピード遊びは私にスリルを感じさせる。それがどんな遊びなのかわからないが、そこにできるくびれた曲線の形が妙にエロティックな誘惑をもつ。そればかりではない、それはときに頭と胴体をもつた人間のような格好を帯びたりする。」
「こんな線形態が、私のどこにひそんでいたのかわからない。」
「私はどこまでも動機を尊重したい。というよりも、私のデッサンにすこしでも取柄があるとすれば、動機だけだといえるようになりたいのである。デッサンの衝動が現われるとき、それを直接にとらえることが私には重要なのである。しかも私はそうした行動にできるだけ自由をあたえたい。(中略)私もすべての人間のようにデッサンする手をもつているという単純な事実をまず率直に確認したいと思う。」
「臆せず手を動かそう。前進しよう。行動の自由。ごく小さな行動でも「自由」が必要である。」



「手が先き、先きが手」(瀧口修造)より:

「文字でない、何かの記号、といっても実はその源泉や所在の定かでないもの。はたから見れば苦しげな手の所業であろうが、眺められる手には、習性のかげに、ふと見慣れぬ姿態を垣間見ることがある。
 何かを体験しつつある手の横顔、または手の知らない手つきを。」
「奇妙なことだが、最初は絵のことなど、まったく念頭になかったのに、スケッチブックを何十冊とかさねるうちに、デッサンのABCというものに否応なく、どこかで触れているな、と意識する。しかし画法の基本とか基礎とか言われる概念とは、思いがけずまったく別のところで。――絵画はどこから始まる? と考えること自体、改めておもしろいと思う。」

「やがて持続のあいだに、どこからか自分のオートマティックな線が、或る速度につれて現われだすのに気がつく。われながら、忌々しいことだが。しかし手癖というには、見慣れない手の動きが繰り出される。おそらく、速度の自動選択とともに。」

「ふと、絵画の小窓のひとつを叩いているのか、裏口の敷居をまたいでいるのか……と思うことがある。だが引返す。動機がそこにはなかったから。」

「手を失った人にも、見えない手、おそらくよりよい手とその運命があろう。
 私のこころみは、すべての人のこころみることができるもの。それは可能と同時に限界をもつ。それを思い知ったのはこの私の手。しかし何かがこの手を通って、絶えず循環していることを知る。」




瀧口修造の造形的実験 02



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こちらもご参照ください:

瀧口修造 『瀧口修造の詩的実験 1927―1937』 (縮刷版)
Derek Bailey 『Improvisation』 (revised edition)








































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Derek Bailey 『Improvisation』 (revised edition)

「In all its roles and appearances, improvisation can be considered as the celebration of the moment.」
(Derek Bailey 『Improvisation』 より)


Derek Bailey 
『Improvisation:
Its Nature
and Practice
in Music』



Da Capo Press, 1993
xiii, 148pp, paperback

Originally published: Ashbourne, England: Moorland Pub. in association with Incus Records, c1980



デレク・ベイリーによる即興演奏(インプロヴィゼーション)理論書の改訂増補版です。さまざまなジャンルのミュージシャンへのインタビューが中心になっています。旧版の邦訳は『インプロヴィゼーション――即興演奏の彼方へ』として1981年に工作舎より刊行されています。基本的な部分は同じで、新しいインタビューが追加されています。

ホドロフスキーのタロット入門書をよんでいたら、タロットは他人の未来を占うためのものではなく、現在を、そしてなによりも(世界全体との関わりにおいて)自分自身を知るための道具である、そしてその本質は世界をヒーリング(治癒)することにあり、タロット・リーディングの結果からどのような行動を起こすかは当人の自由意志に任されている、というようなことがたぶん書かれていた(ような気がした)ので、それはまさにフリー・インプロヴィゼーションの精神ではあるまいか、という気がしたので、本書を久しぶりに再読してみました。



derek bailey - improvisation 01



derek bailey - improvisation 02



Contents:

Introduction
Introduction to revised edition

PART ONE
Indian music (1)
Indian music (2)
flamenco
PART TWO
Baroque (1)
Baroque (2)
Organ (1)
Organ (2)
PART THREE
Rock
Audience
Jazz (1)
Jazz (2)
PART FOUR
The composer
The composer and the mon-improvisor
The composer - in practice (1)
The composer - in practice (2)
The composer - in question
PART FIVE
Free
Joseph Holbrooke
The Music Improvisation Company
The MIC - the instrument
The MIC - recording
Solo
PART SIX
Objections
Classroom improvisation
PART SEVEN
The long distance improvisor
Company
Limits and freedom

Bibliography
Index




derek bailey - improvisation 03



◆本書より◆


「Introduction」より:

「I have used the terms 'idiomatic' and 'non-idiomatic' to describe the two main forms of improvisation. Idiomatic improvisation, much the most widely used, is mainly concerned with the expression of an idiom - such as jazz, flamenco or baroque - and takes its identity and motivation from that idiom. Non-idiomatic improvisation has other concerns and is most usually found in so-called 'free' improvisation and, while it can be highly stylised, is not usually tied to representing an idiomatic identity.」

(インプロヴィゼーション(即興演奏)の主要な二つの形式を説明するのに「イディオム(慣習)的」「非イディオム的」という術語を使用した。イディオム的インプロヴィゼーションは、最も広く用いられているもので、あるイディオム――ジャズとか、フラメンコ、バロックなど――の表現、たとえばジャズならジャズをいかにもジャズらしく演奏すること、を念頭においている。非イディオム的インプロヴィゼーションの関心は別のところにあって、いわゆる「フリー」なインプロヴィゼーションの形を取ることが多いが、甚だしく様式化されることはあっても、イディオムらしさの表現にとらわれることはない。)


「Audience」より:

「Viram Jasani: *I personally feel that with a lot of Indian musicians it's actually at the time that they practice that their best creative powers come out, because they are really free - they're not worried about an audience sitting there and this is a time when they're really let themselves go - a musician obviously will try to put on his best performance before an audience, but he feels restricted. He's very careful.」

(ヴィラム・ジャサニ(シタール、タブラ奏者。レッド・ツェッペリン「ブラック・マウンテン・サイド」でタブラを演奏している人): インド人ミュージシャンの多くは練習時にいちばんクリエイティヴになれるような気がする、というのは練習時には観客にわずらわされることなしに本当にフリーに自分を表現できるからです。観客を前にするとミュージシャンはいい演奏をしようと努力しますが、慎重になりすぎて自分を制限してしまうのです。)

「Paco Peña: *If you have a large audience, you know, it's somehow - somehow it doesn't seem to give it a chance to be what it really is. Playing before an audience is always a compromise.」

(パコ・ペーニャ(フラメンコ・ギタリスト): 大観衆の前では「ほんとうの」演奏はできない。観客を前に演奏するのは妥協することなのです。)

「Ernst Fischer wrote: 'It is essential to distinguish between music the sole purpose of which is to produce a uniform and deliberate effect, thus stimulating a collective action of an intended kind, and music whose meaning is, in itself, expressing feelings, ideas, sensations, or experiences, and which, far from welding people into a homogeneous mass with identical reactions, allows free play to individual subjective associations.'」

(エルンスト・フィッシャー(1899―1972、オーストリアの作家): 「大衆の行動を扇動するような、画一的で計画通りの効果を上げることのみを目的とするような音楽と、感情や概念や感覚あるいは経験を表現すること自体に意味があるような音楽――人々を同一な反応を引き出せるような同質的な統一体にまとめ上げるような音楽とは懸け離れた音楽――個性的で主観的な共生をゆるすような音楽とを区別することが必要である」)


「Free」より:

「Historically, it pre-dates any other music - mankind's first musical performance couldn't have been anything other than a free improvisation - and I think that it is a reasonable speculation that at most times since then there will have been some music-making most aptly described as free improvisation. Its accessibility to the performer is, in fact, something which appears to offend both its supporters and detractors. Free improvisation, in addition to being a highly skilled musical craft, is open to use by almost anyone - beginners, children and non-musicians. The skill and intellect required is whatever is available. It can be an activity of enormous complexity and sophistication, or the simplest and most direct expression: a lifetime's study and work or a casual dilettante activity. It can appeal to and serve the musical purposes of all kinds of people and perhaps the type of person offended by the thought that 'anyone can do it' will find some reassurance in learning that Albert Einstein looked upon improvisation as an emotional and intellectual necessity.」

(歴史的にみれば、インプロヴィゼーションは他の音楽すべてに先立つものであって、人類最初の音楽演奏はフリー・インプロヴィゼーション以外の何物でもありえなかった。そしてそれ以来、ほとんどの時代においてフリー・インプロヴィゼーションと形容するのがふさわしい音楽が作られ続けていくと考えるのが妥当である。誰にでも演奏できるという点が、それを支持する者にとっても反感を抱く者にとっても気に食わないようであるが、フリー・インプロヴィゼーションは高度な熟練を必要とする音楽技法である一方、初心者や子供や素人をも拒まない。必要とされる技術や知識はすべて利用可能である。生涯をかけて習得すべき、とてつもなく複雑で洗練された活動にもなれば、気ままな愛好家による最も単純で最も直接的な表現行為にもなりうる。どのような人の音楽的目的にもアピールし役立つものであって、「誰にでもできる」という考え方が気に食わないインテリたちも、アインシュタインがインプロヴィゼーションを感情的にも知的にも不可欠なものと見なしていたと知れば少しは納得するであろう。)


「Objections」より:

「The whole point of a jazz player's improvisation is that he works within a clearly accepted and circumscribed idiom. And he accepts these boundaries, in fact revels in them, because they define his music. Now I would have though that one of the main things free improvisation provides is the opportunity to avoid just that situation.」

(ジャズ演奏家がインプロヴィゼーションにおいて重視するのは、公認された狭いイディオムの内部で作業することであって、そうした限界を認め、むしろ喜んでそれに従うのは、自分の音楽をあらかじめ限定しているからである。ところが私見によればフリー・インプロヴィゼーションこそまさにそうした状況を免れるための契機を与えてくれるはずのものであるのだ。)


「Classroom Improvisation」より:

「The people Han and Micha teach are either graduates or in their last year at the conservatory, and in addition to being composers and teachers all possess a fairly high level of instrumental ability.
 *Many of them improvise anyway, you see. Some play the blues or something. Always a borrowed music. Narrow. We try and introduce a broader scale of improvising - as broad as daily life. We are teaching them to make music out of their own background, not someone else's background. Learning what you are. In my eyes that's all you can do. Let people find out what they are and where they are and where their musical influence and preferences come from. Teach them to explore their own background.*」


(ハン・ベニンクとミシャ・メンゲルベルクが音楽学校で教えているのは極めて高い演奏技術を持った人々である。
ハン「そういう人たちもインプロヴィゼーションをするにはするけど、ブルースだとか何だとか借り物の限られた音楽ばかりだ。日常生活そのもののように広いスケールの即興演奏を導入したい。他の誰のでもない彼ら自身のバックグラウンドから音楽を作ること、自分とは何なのかを学ぶこと、自分自身の固有性を見つけ出すために自分自身のバックグラウンドを検討することを僕たちは教えている」)


「Limits and Freedom」より:

「Improvisation is a basic instinct, an essential force in sustaining life. Without it nothing survives. As sources of creativity they are hardly comparable.」

(インプロヴィゼーションは基本的本能であり、生命を維持する上で欠かすことのできない力で、それなしでは何ものも生き延びられない。創造力の源泉としてこれに匹敵するものはないだろう。)

「In all its roles and appearances, improvisation can be considered as the celebration of the moment.」

(その役割と現われにおいて、インプロヴィゼーションは現在という瞬間の称揚であるとみなすことができる。)








































































Alejandro Jodorowsky and Marianne Costa 『The Way of Tarot』 (Translated by Jon E. Graham)

「An art that does not heal is not an art.」
(Alejandro Jodorowsky and Marianne Costa 『The Way of Tarot』 より)


Alejandro Jodorowsky
and Marianne Costa 
『The Way of Tarot:
The Spiritual Teacher
in the Cards』 
Translated by Jon E. Graham



Destiny Books, 2009
viii, 536pp, 8pp of color plates, 22.8x15.2cm, paperback
Originally published in French under the title *La Voie du Tarot* by Éditions Albin Michel, 2004



本書はマルセイユ・タロットの入門書で、著者とタロットの出会いを語る序文、タロット概論(第一部)、個々のカード(アルカナ)の意味(第二部 大アルカナ、第三部 小アルカナ)、二枚の大アルカナの組み合わせの意味(第四部)、具体的なリーディングの方法(第五部)、から成っています。
著者のアレハンドロ・ホドロフスキーはあの伝説的カルト・ムービー「ホーリー・マウンテン」「エル・トポ」の監督ではないですか。
本書は『タロットの宇宙』として邦訳も出ていますが、英訳が安かったのでそっちでよんでみました(原文はフランス語)。別丁カモワン・タロット図版(カラー)8頁、本文中カモワン・タロット図版(モノクロ)多数。



jodorowsky - the way of tarot 01



ところで一口にマルセイユ・タロットといってもいろいろな系統がありまして、本書に掲載されているタロットは著者ホドロフスキーとタロット印刷業者フィリップ・カモワンによって「復元」されたマルセイユ・タロット(ニコラ・コンヴェル版)の古形、いわゆる「カモワン・タロット」で、図柄の細部や色彩などが他のマルセイユ・タロットと異なる部分も多いです(細部や色彩のシンボリズムも詳細に検討されています)。リーディングもそれに拠っていますが、特徴的なのは「塔」や「悪魔」、「死」(本書では「名前のないアルカナ」(The Nameless Arcanum/L'Arcane sans Nom)と呼ばれています)など、マイナスイメージの強いカードのリーディングで、「塔」(本書では「神/家」(La Maison Dieu)と呼ばれています)は開放、出現、「悪魔」は無意識の力、情熱、創造性、「名前のないアルカナ=死」は変容、変革など、積極的・肯定的な意味付けがなされていることで、これは本書の主旨である個々のカード(あるいはその細部)を全体との関連で見ることの重要性(「The Tarot is a union of the Arcana」)そしてヒーリング的意義の重視(「You should acquire only the power of helping others. An art that does not heal is not an art.」)によるものであろうと思われます。



jodorowsky - the way of tarot 03



Contents:

Preface by Marianne Costa
Introduction by Alejandro Jodorowsky

PART ONE: Structure and Numerology of the Tarot
Opening: The Tarot Is a Complete Entity
To Begin
Composition and Rules of Orientation
The Numerology of the Tarot
The Ten Stages for Constructing the Mandala
The Eleven-Color Scale

PART TWO: The Major Arcana
Opening: An Architecture of the Soul
To Begin
Le Mat/The Fool
I Le Bateleur/The Magician
II La Papesse/The High Priestess
III L'Impératrice/The Empress
IIII L'Empereur/The Emperor
V Le Pape/The Pope
VI L'Amoureux/The Lover
VII Le Chariot/The Chariot
VIII L'Hermite/The Hermit
X La Roue de Fortune/The Wheel of Fortune
XI La Force/Strength
XII Le Pendu/The Hanged Man
XIII L'Arcane sans Nom/The Nameless Arcanum
XIIII Tempérance/Temperance
XV Le Diable/The Devil
XVI La Maison Dieu/The Tower
XVII L'Étoile/The Star
XVIII La Lune/The Moon
XVIIII Le Soleil/The Sun
XX Le Jugement/Judgment
XXI Le Monde/The World

PART THREE: The Minor Arcana
Opening: The Humble Guardians of the Secret
To Begin
The Degrees of the Numerology
 The Aces
 The Twos
 The Threes
 The Fours
 The Fives
 The Sixes
 The Sevens
 The Eights
 The Nines
 The Tens
 The Numerological Degrees by Suit
  Swords ● Cups ● Wands ● Pentacles
The Honors or Court Cards
 The Pages
 The Queens
 The Kings
 The Knights
 A Summary of Meaning by Suit
  Swords ● Cups ● Wands ● Pentacles

PART FOUR: The Tarot Two by Two
Opening: Consciousness as a Joint Work
To Begin
The Duets of the Two Decimal Series
 I The Magician - XI Strength
 II The High Priestess - XII The Hanged Man
 III The Empress - XIII The Nameless Arcanum
 IIII The Emperor - XIIII Temperance
 V The Pope - XV The Devil
 VI The Lover - XVI The Tower
 VII The Chariot - XVII The Star
 VIII Justice - XVIII The Moon
 VIIII The Hermit - XVIIII The Sun
 X The Wheel of Fortune - XX Judgment
The Couples of the Tarot
 The Fool - The World
 The Magician - Strength
 The High Priestess - The Pope
 The Empress - The Emperor
 The Chariot - The Star
 Justice - The Hermit
 The Moon - The Sun
The Pairs That Add Up to 21
Numerical Succession and Transfer

PART FIVE: The Reading of the Tarot
Opening: How to Become a Mirror
To Begin
First Steps to Reading the Tarot
 With One Arcanum
 With Two Arcana
 With One, Two, Then Several Arcana
 With One Partner
Reading Three Cards
Reading Four and More Cards
Reading Ten and More Cards

Conclusion: The Tarotic Philosophy
Notes




jodorowsky - the way of tarot 02



◆本書より◆


「Introduction」より:

「During the course of one of my journeys to Mexico as Marceau's assistant, I made the acquaintance of Leonora Carrington, a surrealist poet and painter who had had a love affair with Max Ernst during the Spanish Civil War. When Ernst was imprisoned, Leonora went mad, with all the horrors that implies but also with all the doors that this malady opens in the prison of the rational mind. Inviting me to eat a skull made from sugar with my name carved on its forehead, she told me: "Love transforms death into sweetness. The bones of the skeleton of the Thirteenth Arcanum are made of sugar." When I realized that Leonora used the symbols of the Tarot in her work, I begged her to initiate me. She answered: "Take these twenty-two cards. Examine them one by one and then tell me what you feel is the meaning of what you see." Overcoming my shyness, I obeyed her. She rapidly wrote down everything I said to her. When I finished, with my description of The World, I was soaked in sweat. With a mysterious smile on her lips the painter whispered to me: "What you just dictated to me is the secret. As each Arcana is a mirror and not a truth in itself, become what you see in it. The Tarot is a chameleon."」

(マルセル・マルソーの助手としてメキシコに行ったとき、シュルレアリスムの詩人・画家レオノーラ・カリントンと知り合いになった。スペイン戦争中に恋愛関係にあったマックス・エルンストが投獄されて、レオノーラは精神に異常を来たし、それによって理性という牢獄から解放されたのだった。額に私の名前が彫られた砂糖製のスカルでもてなしてくれて、「愛が死を甘美なものにする。タロットのアルカナ13番のガイコツは砂糖でできているのよ」と教えてくれた。タロットの手ほどきをお願いしたら、「大アルカナ22枚を一枚ずつよく見て、それが何を意味しているか感じたことを教えて」というのでその通りにすると、レオノーラは私が言ったことを全て書き留めて、ミステリアスな笑みを浮かべてささやいた。「これがタロットの秘密です。アルカナはそれ自体が真理なのではなくて、鏡のように、あなたがそこに見るものになる。タロットはカメレオンのように変幻自在なの」)

「In 1993 I received a postcard in which Philippe Camoin, direct descendent of the Marseilles family that had been printing Nicolas Conver's Tarot since 1760, told me about the auto accident in which his father, Denys Camoin, had died. ( . . . ) He could not get past his mourning and following futile attempts to rejoin society, Philippe Camoin became a hermit. He spent ten years shut up in his father's house in the small town of Forcalquier with no other communication with the world except that provided by a satellite antenna that allowed him to receive more than one hundred different channels on his television. This was how he was able to learn the basics of a dozen languages.」
「He had difficulties expressing himself. Long silences interrupted every word that fell from his mouth. ( . . . ) He wanted to attend my Tarot classes. The other students wondered if Philippe was mute. He had immense difficulty establishing relations with human beings. It was easier for him to communicate with beings from other worlds.」
「If the death of his father had broken the bonds connecting his son to the world, it would be necessary to reconnect Philippe to the family tradition in order to restore them. To do this, I suggested we together restore the Tarot of Marseille.」


(1993年に、マルセイユ・タロットの印刷者の一族の直系であるフィリップ・カモワンから葉書が来た。父親が事故死した悲しみから実家に引きこもって、十年のあいだ衛星放送だけを相手に暮しているうちに十数か国語の基礎を学んだという。自己表現が困難で、口ごもりがちで、私のタロット教室に参加したものの、人間関係を築くのに甚だしい困難があった。父親の死が世界との絆を断ち切ったのであれば、絆を修復するには一族の伝統に再び繋げる必要がある。そのためにも一緒にマルセイユ・タロットの原型を復元しようとフィリップに持ち掛けた。)


「PART ONE」「Opening」より:

「The majority of authors of Tarot books are content to describe and analyze the cards one by one without imagining the entire deck as a whole. However, the true study of each Arcanum begins with the consistent order of the entire Tarot; every detail, tiny as it may be, stand these myriad symbols, one needs to have seen the final symbol they all form together: a mandala.」

(タロット入門書のほとんどは個別のカードの説明に終始していて、タロットデッキを一つの統一体として思い描くことがない。しかしながらそれぞれのアルカナを真に学ぶためにはまずタロット全体の一貫した秩序、多様なシンボルとしての細部すべてが集まって形作る最終的なシンボルであるマンダラを見なければならない。)

「I should acknowledge, though, that the Arcana can be oerganized into one whole in countless ways. As the Tarot is essentially a projective instrument, there is no definitive, unique, perfect form within it.」
「Our study of the Tarot begins with the understanding of this mandala. It is not possible to analyze the parts without understanding the whole. ( . . . ) The Tarot is a union of the Arcana.」


(とはいえアルカナを統一体として組織するやり方は無数にあって、タロットは本質的に自分を投影する道具なので、それ自体のうちにあらかじめ定められた唯一完全な方式などはない。
タロットを学ぶことはマンダラを理解することから始まる。全体を理解することなく細部を分析することはできない。タロットはアルカナの結合体である。)


「Le Mat/The Fool」より:

「AND IF THE FOOL SPOKE」
「"Did you know that transformation of consciousness is possible at any moment, that you can suddenly change the perception you have of yourself? People sometimes imagine that taking action means triumphing over the Other. What a mistake! If you wish to act in the world, you must explode that perception of the ego that has been imposed and embedded since childhood, and which refuses to change. Expand your boundaries endlessly and without cease.
 "Go into a trance. Let yourself be possessed by a more powerful mind than your own, an impersonal energy. It is not a question of losing consciousness but of allowing the original sacred madness, already within you, to speak.」
「"Do not be afraid of freeing the instinct, no matter how primitive. Going beyond the rational does not mean denying the mental force: be open to the poetry of intuition, to flashes of telepathy, to voices that do not belong to you, to words that come to you from another dimention. ( . . . ) The actions of an individual in a trance are not motivtated by what he has learned, but by what is."」


(もし「愚者」のカードがしゃべったら:
「意識のあり方を変えることはいつだって可能だし、自分自身についての認識を瞬時に変えることもできる。人は他人に勝つために行動するが、それは間違いだ。世界のなかで行動したいのなら、子どもの頃から押し付けられ植え付けられ固定化してしまった「自我」を打ち砕かねばならない。絶え間なくどこまでも境界を押し広げるのだ。
我を忘れて没頭せよ。自分の心よりも強い心、非人格的なエネルギーに突き動かされるがよい。それは自分を見失うことではなくて、元々自分の内にある、根源的な聖なる狂気に発言権を認めることだ。
原初的な本能を解き放つことを怖れてはならない。道理を踏み越えることは精神の力の否定ではない。直観や精神感応、自己の外からの声、異なる次元からの言葉に心を開くこと。没我状態における個人の行動は後天的に学んだことによってではなく、個人の固有性そのものによって動機付けられているのだ」)




























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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