野溝七生子 『暖炉 野溝七生子短篇全集』 小出昌洋 編
「猫になりたいなと、時々、思ふ。」
(野溝七生子 「猫きち」 より)
野溝七生子
『暖炉
野溝七生子短篇全集』
小出昌洋 編
展望社
平成14年2月19日 初版第1刷発行
453p
20.6×15.4cm 丸背紙装上製本 カバー
定価:本体5,200円+税
本書「編集後記」より:
「本書は、野溝七生子の既刊三冊の短編集(「南天屋敷」「月影」「ヌマ叔母さん」)、および未刊行作品六篇を以て編集し、排列は、既刊書については発行所収順として、未刊述作はその執筆順とした。なほ「ヌマ叔母さん」に再録される、「月影」「灰色の扉」の二篇は、先行する単行書所収とした。底本は各単行書所収本文に依拠し、未刊述作については、掲載各紙誌を底本とした。但し著者手訂の雑誌原稿の存するものについては、その稿を底本とした。
表記については、漢字は新字体、かな遣は底本のままとし、明らかな誤植・誤字・脱字と思はれるものはこれを正した。また「など呼びさます春の風」の一は、雑誌編集部において新かな遣に改められて掲載されるものであるが、今回は旧に復した。さらにルビについては、(中略)概ね底本に従ひ、まま補ふところもあった。」
「単行書「南天屋敷」は、昭和二十一年三月十日、角川書店から出版された。」
「単行書「月影」は、昭和二十三年六月十五日、青磁社から出版された。」
「単行書「ヌマ叔母さん」は、昭和五十五年四月二十日、深夜叢書社から出版された。」
「「暖炉」は、「信濃毎日新聞」大正十四年四月三十日から五月十二日に亙つて連載された。
「中つ子のヌマ」は、雑誌「銀冠」昭和六年六月発行号に掲載された。」
「「ペルのしつぽ」は、雑誌「文芸通信」昭和十一年六月発行号に掲載された。
「など呼びさます春の風」は、雑誌「婦人文庫」昭和二十三年一、二、四月発行号に掲載された。
「沙羅」は、雑誌「芸苑」昭和二十三年十一月発行号に掲載された。
「在天の鳰子に」は、雑誌「文学城」昭和五十三年十二月発行号に掲載された。」

帯文:
「デビューから半年後、新聞連載された「暖炉」のほか、「中つ子のヌマ」など未刊6篇をも収録した、野溝七生子の全短篇集」
帯背:
「野溝七生子
の短篇世界」
目次:
Ⅰ 南天屋敷
南天屋敷
猫きち
奈良の幻
秋妖
藤と霧
神聖受胎
山寺尋春
灰色の扉
Ⅱ 月影
別荘の客
寒い家
往来
黄昏の花
『船の夫人』
SONATINE
Genie und Geschlecht 第一課
連翹
紫衣の挽歌
月影
Ⅲ ヌマ叔母さん
ヌマ叔母さん
沙子死す
曼珠沙華の
緑年
星の記録
Ⅳ 未刊行作品
暖炉
中つ子のヌマ
ペルのしつぽ
など呼びさます春の風
沙羅
在天の鳰子に
編集後記 (小出昌洋)
◆本書より◆
「奈良の幻」より:
「何故、このやうなことを、彼女は平然と云つてのけられるのか。
「だつて、私はさう感じて、そして私は見たのです。」
クノは、扉の中に消えた。
「Petite femme de lettres!」
クノよ、お前は見、また感じ、そして話すのだ。そして、どんなに多くお前は詩人だらう。私はもはやお前のために何故、心配しなければならないかが解らない。お前は、お前の信仰する空想の威力を以つて、このひん曲つた人生からさへ、なほ百倍の美や幸福を猟り出すことができるのだ。」
「灰色の扉」より:
「「クノや、どうぞ、私が今帰つて行くのをごめんしてちやうだいよ。だけどね、私は人間の生活を見るのは、もう、厭なのよ。人間の生活を見るのは、どうしてもどうしても、私は厭なんだからね。」」
「「誰が、私を愛することができるのでせう。誰を、私が愛することができるのですか。私は、ほんとに憎らしい子なのです。」」
「クノよ。今日の美しいたそがれを見たか。
私は、先刻まで、戸外を歩いてゐた。私は和かい夕靄が、だんだんと、次第に刺すやうな透徹した夜気に変つて行つてしまつたまで、永い散歩を続けてゐた。私は、非常に疲れて帰つて来た。私はすぐ、そこに、一瞬間前まで、私以外の何者かが、ゐたらしかつたことに気がついた。先刻、私は、暫く横になりたい気持がしたから、となりの寝室に行つたのだ。見ると、仄暗い中に、私の寝台の上が高まつてゐた。確かに、人が寝てゐた。私は、見なくても、それが誰であるかが解る。私なのだ。そこで、私は書斎に引き返して来て、肘かけ椅子の中で暫く眠つた。」
「クノよ。人生のことが、どう変つて行くか私には、決して見当がつかない。結局、私は運命の恣ままに任して来た。そして、私がどうにか私の意志どほり曲げ得たと思つた運命が、やつぱり、運命自身の仕事だつたといふことを知つたのだ。これが、私の Doppelgängerin に、ほかならない。人生のことは、むつかしい。非常にむつかしいのだね。」
「Doppelgänger(in) 屢々往来する人;幽霊;お化; Tobari Deutsch=Japanisches Wörterbuch より」
「往来」より:
「私達は窓を開き、夕暮が殆んど夜の暗黒に変つて行かうとする有様を眺めた。細い雨の形はやうやく見えなくなり、時々、光る針束を解くやうに、窓をきつて燈明(あかり)の前を斜めに地に落ちてゆくものの姿があつた。逢魔が時といふ暗鬱極まる、どうしても有毒なものであるとしか思はれない、さういふ時刻の、神秘な大気――或る一種の瘴気かも知れない――はひしひしと私どもを押し包んだ。旅子は残らずの神経を前額に集めた暗い硬ばつた顔を両の掌に押しつけて、臂を膝の上に立ててゐた。一方の足は絶えず爪先で以て小刻みに足踏をしてゐるのだつた。
「厭な時刻。」
と低い声で話しかけたが、ふと身の毛がよだつと云ふ風に、うすい肩をそくりとゆすつた。とは云へ、旅子の気持は、何か語りたいやうにほぐれて来たのらしく、すぐ次のやうにつけ加へた。
「彼の世との交通が始まる。こんな時ね、突然一人の子供が、見えなくなつてしまふといふことが、有り得るなんて、そんな考へを持つことはないの。」
私はためらつて、そして何と云つたのかときき返へした。
「通り魔よ。子供をね、この世からあの世へすいと連れて行つてしまふ。」
さう云つた旅子の顔は、急に蒼ざめたやうに見えた。」
「「するとね、突然、私の小さいお友達が、わあつて泣き出したのです。人が居るつていふの。『人が居るからいやだ。人が居るからいやだ。わあ、わあ、わあ。』つて。子供の眼からは涙が、とめどなく流れ出ました。(中略)可哀さうな小さいお友達さん。『人が居るからいやだ。』なんて、この純潔な幼い心臓は、この世に出て来て、まだいくらも経つてゐないのに、もう沢山の傷を背負つたもののやうに、人を厭ふことを知つてゐるのだらうか。この大きいお友達の心臓は、傷だらけです。ほら、傷だらけです。私の心は云ひ難い憂鬱で、重苦しくなつてしまつたの。何かぐんぐんと、凡ゆるものが私の中に、甦つて来るのを感じたのです。ああ厭人(ミザントロープ)、厭人(ミザントロープ)。いつも激しいさういふ状態に悩んでゐる私の、その時の気持といふものは、しかし、もつといつそう激しい自己嫌悪に陥つてゐたのです。」」
「「この小さい子供は五歳(いつつ)でした。この世に現はれて来てたつた五年にしかならない、ほんのつい此間まで、前の世の神秘と不可思議との中に住んで、遊離してゐた霊魂だつたのでせう。が、十五年、二十年と経つて、この世に醜い執着ができ、私達大人の心には、このやうにして前の世の記憶は、消え果ててしまふでせう。子供には、まだ前の世のたのしかつた記憶が、その心に生きて残つてゐるのかもしれない。そのやうにして子供の生命が、何か不可思議極まるこの世ならぬものの意味を、私の心に想像させるのでした。この子供はほんとにこの世よりも、まだ前の世が恋しいのかも知れないのだ、と。この世に執着ができない間に、早く、前の好い世に、あと戻りをしたがつてゐるのだらう、子供の眼は大人に見ることのならない神秘をも見とほしその耳は、あの世の声をもきくのでせう。」」
「黄昏の花」より:
「クノよ。お前が知つてゐるとほり、私は今も実に、一日のうちで最も黄昏を愛する。それは次第に夜が来ようとする予兆であるからだ。それに、ことに、逢魔が時といふ奇怪な時刻であるではないか。(中略)かういふ時、多くの心はしばしば思ひ出や瞑想の中に沈滞してしまふのだ。」
「月影」より:
「どうしても、どのやうな意味でか、ヌマは少しく気が狂つてゐたのには相異はないのだ。」
「由来、さもさも重荷を背負つてゐるかのやうに、ヌマはしばしば、激しい厭人や厭世の念を極めて抽象的な言葉でもつて、日頃私に向つて洩らしてゐた。ヌマにとつて、生は、唯、実に「懶さ」にほかならないものであるかのやうに見えるのだ。」
「どのやうにしてか、早晩、ヌマは自殺するであらう。
「あなたは、私にはなかなか入用なのだから、死んぢやいや。」
と、私は云つた。ヌマの和らかい声が私を送つた。
「おやすみなさい。」
蕭条とする。秋の、何と近いこと。
私は、幻影を見たと云つた。だが、事実、幻影ではなかつたのだ。現実のヌマが、あの見るがやうな裸身で月光を浴びながら、夜ごとに妖嫋としてさまよつてゐるのだ。
ヌマは、気が狂つてゐるのに相異ない。ヌマは、それがまさしく一種の Narzismus に陥つてゐることには少しも気づかず、彼女の心状が、なほ、常態を保ち得てゐるものと、彼女自身に信じて疑はないで、彼女は少しも常人とちがはない心的状態に、自分があるのだと慢じてゐるのであらう。
私は、私自身であるごとくヌマの上を、あげつらひ得るのだ。何故ならば、ヌマとは、また、私自身であるのかも知れないではないか。
昼間は、甲や掌に掛かるほども、きつちりと、細い袖口に纏つてさへゐるヌマが――私は、深夜にヌマの人格が分裂するのであるとは思はない。すでに、気がちがつてゐるのだ――月光は人を狂気せしめるといふことを、私は、ギリシアのむかしからの伝説にきいてゐた。」
「ヌマ叔母さん」より:
「ヌマにはさういふ言葉で語られる世間話といふのが少しも理解できなかつた。それで、大樟の木の下に立つてぼんやり空を見上げたり、御手流(みたらし)の水に躍る葉洩れの光を一心に見つめたりしてゐた。その方がヌマには興味があつた。」
「曼珠沙華の」より:
「この人が自分で私に“私は気ちがひだ”つて云つたんだ。
「私、気がちがふまで落ちつかなかつたんです、気がちがつたらやつと安心した」
と、この人は云ふのだ。」
「人間が、自分の中にある変な壁を衝き破つたり、着てゐる着物を脱ぎたくなつたりすると気ちがひになるらしい。」
「唯、気ちがひだけ、気ちがひだけが、この天の至福を享けるんです。私を気ちがひだと云つてる人々が、私の幸福を羨んでゐないと誰が云ひます。気ちがひは、常人から何を減じたら、気ちがひになるんですか。現実の感情ですか。そんなもの、何の役に立つんです。みんな、振り棄てたい振り棄てたいと思つてるんぢやありませんか。常人は、五つの世界を持つとします。気ちがひは、抑圧された穢いものを少しも持ちません。だから、その上にもう一つの世界を加へることになります。気ちがひの世界では、願望と行動が同時なのです。赤い巾(きれ)を髪に結(いは)へたい。だから結へてゐる。格子を破つて出て行きたい、と思ふか思はない間に、もう出て居るんです。(中略)赤いものをきれいだと思ふのは常識なんでせう。それを髪に結へたら気ちがひになると思ふのは、何ですか、俗なのですか。私には解らない、解る筈がない。私は気ちがひだもの。」
「緑年」より:
「世間の義理を最高のモラルだと思つてゐる人間には私のいふことは解らない。もう帰らう、猫のゐる私の家へ。」
「など呼びさます春の風」より:
「そんな有様で、初めは私が気がちがつてゐるのかと思ひましたが、後には、どうやら気ちがひは他にあつて、この巨大な気ちがひ病院の中での、僅かに少数の真人間の一人であると自分を信じるやうになりました。ところが、後にはまたそれが、気の狂つてゐる証拠かと思ひ始めてもゐるのでした。さうして、他人(ひと)と同じやうに二本の脚をかはるがはる前に出して平気で歩いてゐる自分に、ひどく気がひけて、殆んどひつきりなしに、倒立ちして人中を両手で歩きたい衝動に駆られるのでした。」
「私は戦争の当初に“大和魂は奴隷の忠誠に他ならない”と申しました。奴隷には、意志は奪はれてゐても、少くも、まだ理性は残されて居ります。が、すでに大和魂は“狂気”のほかの何物でもなくなつて居りました。」
「兄上、人類の叡智が人類の幸福に役立つよりも、より多く人類の不幸に転用せられる限り、戦争はあとを断たない。かつて智慧の火を盗めるプロメテの子孫への責罰はまだ終らないのでせうか。縦横無尽に造物主の稜威を犯す人類に、神は御手を下し給はない、だが、人類は自らの叡智によつて、自らを裁き自らを罰してゐるのです。日本人がゲエテのいふごとく“皆、賢くまたよくあらばこの世は概ね天国ならん、されど今は地獄”なのでした。私達、戦争をした日本人が、本質に於いても習性に於いても、今日、少しも変つてゐないとすれば、軍備並びに権力の正常な意味を行使することは不可能でせう。(中略)私達は聡明でもなければ善良でもない。私達の生きてある限り、寧ろ軍備を全廃してしまふことです。それより他には日本を戦争から防遏する手段はありません。」
こちらもご参照ください:
『野溝七生子作品集』
矢川澄子 『野溝七生子というひと』
『定本 久生十蘭全集 6』
『斎藤磯雄著作集Ⅰ 文学研究 他』
(野溝七生子 「猫きち」 より)
野溝七生子
『暖炉
野溝七生子短篇全集』
小出昌洋 編
展望社
平成14年2月19日 初版第1刷発行
453p
20.6×15.4cm 丸背紙装上製本 カバー
定価:本体5,200円+税
本書「編集後記」より:
「本書は、野溝七生子の既刊三冊の短編集(「南天屋敷」「月影」「ヌマ叔母さん」)、および未刊行作品六篇を以て編集し、排列は、既刊書については発行所収順として、未刊述作はその執筆順とした。なほ「ヌマ叔母さん」に再録される、「月影」「灰色の扉」の二篇は、先行する単行書所収とした。底本は各単行書所収本文に依拠し、未刊述作については、掲載各紙誌を底本とした。但し著者手訂の雑誌原稿の存するものについては、その稿を底本とした。
表記については、漢字は新字体、かな遣は底本のままとし、明らかな誤植・誤字・脱字と思はれるものはこれを正した。また「など呼びさます春の風」の一は、雑誌編集部において新かな遣に改められて掲載されるものであるが、今回は旧に復した。さらにルビについては、(中略)概ね底本に従ひ、まま補ふところもあった。」
「単行書「南天屋敷」は、昭和二十一年三月十日、角川書店から出版された。」
「単行書「月影」は、昭和二十三年六月十五日、青磁社から出版された。」
「単行書「ヌマ叔母さん」は、昭和五十五年四月二十日、深夜叢書社から出版された。」
「「暖炉」は、「信濃毎日新聞」大正十四年四月三十日から五月十二日に亙つて連載された。
「中つ子のヌマ」は、雑誌「銀冠」昭和六年六月発行号に掲載された。」
「「ペルのしつぽ」は、雑誌「文芸通信」昭和十一年六月発行号に掲載された。
「など呼びさます春の風」は、雑誌「婦人文庫」昭和二十三年一、二、四月発行号に掲載された。
「沙羅」は、雑誌「芸苑」昭和二十三年十一月発行号に掲載された。
「在天の鳰子に」は、雑誌「文学城」昭和五十三年十二月発行号に掲載された。」

帯文:
「デビューから半年後、新聞連載された「暖炉」のほか、「中つ子のヌマ」など未刊6篇をも収録した、野溝七生子の全短篇集」
帯背:
「野溝七生子
の短篇世界」
目次:
Ⅰ 南天屋敷
南天屋敷
猫きち
奈良の幻
秋妖
藤と霧
神聖受胎
山寺尋春
灰色の扉
Ⅱ 月影
別荘の客
寒い家
往来
黄昏の花
『船の夫人』
SONATINE
Genie und Geschlecht 第一課
連翹
紫衣の挽歌
月影
Ⅲ ヌマ叔母さん
ヌマ叔母さん
沙子死す
曼珠沙華の
緑年
星の記録
Ⅳ 未刊行作品
暖炉
中つ子のヌマ
ペルのしつぽ
など呼びさます春の風
沙羅
在天の鳰子に
編集後記 (小出昌洋)
◆本書より◆
「奈良の幻」より:
「何故、このやうなことを、彼女は平然と云つてのけられるのか。
「だつて、私はさう感じて、そして私は見たのです。」
クノは、扉の中に消えた。
「Petite femme de lettres!」
クノよ、お前は見、また感じ、そして話すのだ。そして、どんなに多くお前は詩人だらう。私はもはやお前のために何故、心配しなければならないかが解らない。お前は、お前の信仰する空想の威力を以つて、このひん曲つた人生からさへ、なほ百倍の美や幸福を猟り出すことができるのだ。」
「灰色の扉」より:
「「クノや、どうぞ、私が今帰つて行くのをごめんしてちやうだいよ。だけどね、私は人間の生活を見るのは、もう、厭なのよ。人間の生活を見るのは、どうしてもどうしても、私は厭なんだからね。」」
「「誰が、私を愛することができるのでせう。誰を、私が愛することができるのですか。私は、ほんとに憎らしい子なのです。」」
「クノよ。今日の美しいたそがれを見たか。
私は、先刻まで、戸外を歩いてゐた。私は和かい夕靄が、だんだんと、次第に刺すやうな透徹した夜気に変つて行つてしまつたまで、永い散歩を続けてゐた。私は、非常に疲れて帰つて来た。私はすぐ、そこに、一瞬間前まで、私以外の何者かが、ゐたらしかつたことに気がついた。先刻、私は、暫く横になりたい気持がしたから、となりの寝室に行つたのだ。見ると、仄暗い中に、私の寝台の上が高まつてゐた。確かに、人が寝てゐた。私は、見なくても、それが誰であるかが解る。私なのだ。そこで、私は書斎に引き返して来て、肘かけ椅子の中で暫く眠つた。」
「クノよ。人生のことが、どう変つて行くか私には、決して見当がつかない。結局、私は運命の恣ままに任して来た。そして、私がどうにか私の意志どほり曲げ得たと思つた運命が、やつぱり、運命自身の仕事だつたといふことを知つたのだ。これが、私の Doppelgängerin に、ほかならない。人生のことは、むつかしい。非常にむつかしいのだね。」
「Doppelgänger(in) 屢々往来する人;幽霊;お化; Tobari Deutsch=Japanisches Wörterbuch より」
「往来」より:
「私達は窓を開き、夕暮が殆んど夜の暗黒に変つて行かうとする有様を眺めた。細い雨の形はやうやく見えなくなり、時々、光る針束を解くやうに、窓をきつて燈明(あかり)の前を斜めに地に落ちてゆくものの姿があつた。逢魔が時といふ暗鬱極まる、どうしても有毒なものであるとしか思はれない、さういふ時刻の、神秘な大気――或る一種の瘴気かも知れない――はひしひしと私どもを押し包んだ。旅子は残らずの神経を前額に集めた暗い硬ばつた顔を両の掌に押しつけて、臂を膝の上に立ててゐた。一方の足は絶えず爪先で以て小刻みに足踏をしてゐるのだつた。
「厭な時刻。」
と低い声で話しかけたが、ふと身の毛がよだつと云ふ風に、うすい肩をそくりとゆすつた。とは云へ、旅子の気持は、何か語りたいやうにほぐれて来たのらしく、すぐ次のやうにつけ加へた。
「彼の世との交通が始まる。こんな時ね、突然一人の子供が、見えなくなつてしまふといふことが、有り得るなんて、そんな考へを持つことはないの。」
私はためらつて、そして何と云つたのかときき返へした。
「通り魔よ。子供をね、この世からあの世へすいと連れて行つてしまふ。」
さう云つた旅子の顔は、急に蒼ざめたやうに見えた。」
「「するとね、突然、私の小さいお友達が、わあつて泣き出したのです。人が居るつていふの。『人が居るからいやだ。人が居るからいやだ。わあ、わあ、わあ。』つて。子供の眼からは涙が、とめどなく流れ出ました。(中略)可哀さうな小さいお友達さん。『人が居るからいやだ。』なんて、この純潔な幼い心臓は、この世に出て来て、まだいくらも経つてゐないのに、もう沢山の傷を背負つたもののやうに、人を厭ふことを知つてゐるのだらうか。この大きいお友達の心臓は、傷だらけです。ほら、傷だらけです。私の心は云ひ難い憂鬱で、重苦しくなつてしまつたの。何かぐんぐんと、凡ゆるものが私の中に、甦つて来るのを感じたのです。ああ厭人(ミザントロープ)、厭人(ミザントロープ)。いつも激しいさういふ状態に悩んでゐる私の、その時の気持といふものは、しかし、もつといつそう激しい自己嫌悪に陥つてゐたのです。」」
「「この小さい子供は五歳(いつつ)でした。この世に現はれて来てたつた五年にしかならない、ほんのつい此間まで、前の世の神秘と不可思議との中に住んで、遊離してゐた霊魂だつたのでせう。が、十五年、二十年と経つて、この世に醜い執着ができ、私達大人の心には、このやうにして前の世の記憶は、消え果ててしまふでせう。子供には、まだ前の世のたのしかつた記憶が、その心に生きて残つてゐるのかもしれない。そのやうにして子供の生命が、何か不可思議極まるこの世ならぬものの意味を、私の心に想像させるのでした。この子供はほんとにこの世よりも、まだ前の世が恋しいのかも知れないのだ、と。この世に執着ができない間に、早く、前の好い世に、あと戻りをしたがつてゐるのだらう、子供の眼は大人に見ることのならない神秘をも見とほしその耳は、あの世の声をもきくのでせう。」」
「黄昏の花」より:
「クノよ。お前が知つてゐるとほり、私は今も実に、一日のうちで最も黄昏を愛する。それは次第に夜が来ようとする予兆であるからだ。それに、ことに、逢魔が時といふ奇怪な時刻であるではないか。(中略)かういふ時、多くの心はしばしば思ひ出や瞑想の中に沈滞してしまふのだ。」
「月影」より:
「どうしても、どのやうな意味でか、ヌマは少しく気が狂つてゐたのには相異はないのだ。」
「由来、さもさも重荷を背負つてゐるかのやうに、ヌマはしばしば、激しい厭人や厭世の念を極めて抽象的な言葉でもつて、日頃私に向つて洩らしてゐた。ヌマにとつて、生は、唯、実に「懶さ」にほかならないものであるかのやうに見えるのだ。」
「どのやうにしてか、早晩、ヌマは自殺するであらう。
「あなたは、私にはなかなか入用なのだから、死んぢやいや。」
と、私は云つた。ヌマの和らかい声が私を送つた。
「おやすみなさい。」
蕭条とする。秋の、何と近いこと。
私は、幻影を見たと云つた。だが、事実、幻影ではなかつたのだ。現実のヌマが、あの見るがやうな裸身で月光を浴びながら、夜ごとに妖嫋としてさまよつてゐるのだ。
ヌマは、気が狂つてゐるのに相異ない。ヌマは、それがまさしく一種の Narzismus に陥つてゐることには少しも気づかず、彼女の心状が、なほ、常態を保ち得てゐるものと、彼女自身に信じて疑はないで、彼女は少しも常人とちがはない心的状態に、自分があるのだと慢じてゐるのであらう。
私は、私自身であるごとくヌマの上を、あげつらひ得るのだ。何故ならば、ヌマとは、また、私自身であるのかも知れないではないか。
昼間は、甲や掌に掛かるほども、きつちりと、細い袖口に纏つてさへゐるヌマが――私は、深夜にヌマの人格が分裂するのであるとは思はない。すでに、気がちがつてゐるのだ――月光は人を狂気せしめるといふことを、私は、ギリシアのむかしからの伝説にきいてゐた。」
「ヌマ叔母さん」より:
「ヌマにはさういふ言葉で語られる世間話といふのが少しも理解できなかつた。それで、大樟の木の下に立つてぼんやり空を見上げたり、御手流(みたらし)の水に躍る葉洩れの光を一心に見つめたりしてゐた。その方がヌマには興味があつた。」
「曼珠沙華の」より:
「この人が自分で私に“私は気ちがひだ”つて云つたんだ。
「私、気がちがふまで落ちつかなかつたんです、気がちがつたらやつと安心した」
と、この人は云ふのだ。」
「人間が、自分の中にある変な壁を衝き破つたり、着てゐる着物を脱ぎたくなつたりすると気ちがひになるらしい。」
「唯、気ちがひだけ、気ちがひだけが、この天の至福を享けるんです。私を気ちがひだと云つてる人々が、私の幸福を羨んでゐないと誰が云ひます。気ちがひは、常人から何を減じたら、気ちがひになるんですか。現実の感情ですか。そんなもの、何の役に立つんです。みんな、振り棄てたい振り棄てたいと思つてるんぢやありませんか。常人は、五つの世界を持つとします。気ちがひは、抑圧された穢いものを少しも持ちません。だから、その上にもう一つの世界を加へることになります。気ちがひの世界では、願望と行動が同時なのです。赤い巾(きれ)を髪に結(いは)へたい。だから結へてゐる。格子を破つて出て行きたい、と思ふか思はない間に、もう出て居るんです。(中略)赤いものをきれいだと思ふのは常識なんでせう。それを髪に結へたら気ちがひになると思ふのは、何ですか、俗なのですか。私には解らない、解る筈がない。私は気ちがひだもの。」
「緑年」より:
「世間の義理を最高のモラルだと思つてゐる人間には私のいふことは解らない。もう帰らう、猫のゐる私の家へ。」
「など呼びさます春の風」より:
「そんな有様で、初めは私が気がちがつてゐるのかと思ひましたが、後には、どうやら気ちがひは他にあつて、この巨大な気ちがひ病院の中での、僅かに少数の真人間の一人であると自分を信じるやうになりました。ところが、後にはまたそれが、気の狂つてゐる証拠かと思ひ始めてもゐるのでした。さうして、他人(ひと)と同じやうに二本の脚をかはるがはる前に出して平気で歩いてゐる自分に、ひどく気がひけて、殆んどひつきりなしに、倒立ちして人中を両手で歩きたい衝動に駆られるのでした。」
「私は戦争の当初に“大和魂は奴隷の忠誠に他ならない”と申しました。奴隷には、意志は奪はれてゐても、少くも、まだ理性は残されて居ります。が、すでに大和魂は“狂気”のほかの何物でもなくなつて居りました。」
「兄上、人類の叡智が人類の幸福に役立つよりも、より多く人類の不幸に転用せられる限り、戦争はあとを断たない。かつて智慧の火を盗めるプロメテの子孫への責罰はまだ終らないのでせうか。縦横無尽に造物主の稜威を犯す人類に、神は御手を下し給はない、だが、人類は自らの叡智によつて、自らを裁き自らを罰してゐるのです。日本人がゲエテのいふごとく“皆、賢くまたよくあらばこの世は概ね天国ならん、されど今は地獄”なのでした。私達、戦争をした日本人が、本質に於いても習性に於いても、今日、少しも変つてゐないとすれば、軍備並びに権力の正常な意味を行使することは不可能でせう。(中略)私達は聡明でもなければ善良でもない。私達の生きてある限り、寧ろ軍備を全廃してしまふことです。それより他には日本を戦争から防遏する手段はありません。」
こちらもご参照ください:
『野溝七生子作品集』
矢川澄子 『野溝七生子というひと』
『定本 久生十蘭全集 6』
『斎藤磯雄著作集Ⅰ 文学研究 他』
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