『アンドリュー・ワイエス展』 (国立近代美術館 1974年)

「私は今に至るまでの人生の大半をひとりぼっちで過ごしてきました。それが気に入ってもいるのです。」
「非常に危険なことです――顔の描き方、もみの木の描き方を心得てしまうということは。自然は断じて一定の方式におさまるものではない。(中略)私にはすべての物体にはおのおのそれ自体の構造があるような気がするのです。」

(アンドリュー・ワイエス)


『アンドリュー・ワイエス展』
編集: アンドリュー・ワイエス展カタログ編集委員会
翻訳: 松岡和子

日本経済新聞社 1974
136p 24×25cm 並装
制作: 美術出版デザインセンター
表紙デザイン: 原弘

東京展
1974年4月6日―5月19日
東京国立近代美術館
京都展
1974年5月25日―7月7日
京都国立近代美術館



巻頭にワイエス近影(モノクロ)1点、解説中図版(モノクロ)1点。


ワイエス展 01


目次:

あいさつ
Acknowledgements
アンドリュー・ワイエスの世界 (本間正義)
アンドリュー・ワイエス (ペリー・T・ラスボーン)
アンドリュー・ワイエス――インタヴュー (リチャード・メリマン)

図版
 カラー図版
  海からの風 Wind from the Sea 1947
  遙か彼方に Faraway 1952
  ブラウン・スイス牛の牧場 Brown Swiss 1957
  川の入江 River Cove 1958
  冬の蜂の巣 Winter Bees 1959
  遠雷 Distant Thunder 1961
  マガの娘 Maga's Daughter 1966
  泉からのひき水 Spring Fed 1967
  霜がれたりんご Frosted Apples 1967
  アルヴァロとクリスティーナの家 Alvaro and Christina 1968
  黒人 The Black 1969
  ちん入者 The Intruder 1971
 モノクロ図版
  黒がも撃ち The Coot Hunter 1941
  春の花 Spring Beauty 1943
  マザー アーチーの教会 Mother Archie's Church 1945
  1946年の冬 Winter 1946 1946
  「からすが飛んでいった」 A Crow Flew By 1949―50
  ドーヴァーを下って Below Dover 1950
  北の岬 Northern Point 1950
  踏みつけられた草 The Trodden Weed 1951
  雪まじりの風 Snow Flurries 1953
  からすの群れ Flock of Crows 1953
  人里離れて The Corner 1953
  貝がら Sea Shells 1953
  月曜日の朝 Monday Morning 1955
  ニコラス Nicholas 1955
  白くさらされたかに Bleached Crab 1955
  アラン(「焼き栗」のための習作) Alan (Pre-study for Roasted Chestnuts) 1955
  焼き栗 Roasted Chestnuts 1956
  トム・クラーク Tom Clark 1956
  ベッド The Bed 1956
  ロープと鎖(「ブラウン・スイス牛の牧場」のための習作) Rope and Chains (Pre-study for Brown Swiss) 1956
  船曳き場 The Slip 1958
  粉ひき小屋 The Mill 1959
  卵のはかり Egg Scale 1959
  トムと娘 Tom and His Daughter 1959
  ゼラニウム Geraniums 1960
  仔牛 Young Bull 1960
  牛乳かん Milk Cans 1960
  五月の日 May Day 1960
  堰(せき) The Dam 1960
  眠り Sleep 1961
  野いちごをつむ人 Berry Picker 1961
  永遠の心尽くし Perpetual Care 1961
  穀物倉 The Granary 1961
  洗濯もの Light Wash 1961
  こけもも Blueberries 1961
  チェスター郡の人 Chester Country 1962
  屋根裏部屋 Garret Room 1962
  まきストーヴ The Wood Stove 1962
  彼女の部屋 Her Room 1963
  祭りの日 Day of the Fair 1963
  毛皮の帽子 Fur Hat 1963
  しまりすジョージの住み家 George's Place 1963
  バケツ Wash Bucket 1963
  シダー酒用のりんご Cider Apples 1963
  流れ者 The Drifter 1964
  風下 Weather Side 1963
  納屋のつばめ(「風下」のための習作) Barn Swallows (Pre-study for Weather Side) 1965
  ひとりごと Monologue 1965
  海の嵐 Storm at Sea 1965
  へぎ板の灰かご Split Ash Basket 1965
  遙かなるニードハム Far from Needham 1966
  ガニング・ロックスの思い出 Gunning Rocks 1966
  流域 River Valley 1966
  フランス風のまき髪 French Twist 1967
  エプロン The Apron 1967
  歩哨のように Outpost 1968
  浮氷 Ice Floe 1968
  ウィラードの上着 Willard's Coat 1968
  私の姉 My Sister 1968
  薄氷 Thin Ice 1969
  おとめ(部分) The Virgin (Part) 1969
  凍りかけた池  Ice Pool 1969
  ケルナー牧場の夕暮れ Evening at Kuerners 1970
  森かげで Under Cover 1970
  田舎の婚礼 Country Wedding 1970
  もみの森 Spruce Grove 1970
  アンナ・ケルナー Anna Kuerner 1971
  老船員 Sea Dog 1971
  氷雨あらし Ice Storm 1971
  ケルナー夫妻 The Kuerners 1971
  ウィル Will 1971
  からすの巣 Crow's Nest 1971
  ひき臼 Grist Stones 1972
  鷹の木 The Hawk Tree 1973
  悪夢 Nightmare 1973
  鯨の骨 Whale Bone 1973

出品目録
年譜
文献



「眠り」「野いちごをつむ人」「こけもも」は「遠雷」の習作です。
「おとめ」が「(部分)」になっているのは、掲載図版が上半身だけだからです。なぜ上半身だけかというのは当時の大人の事情です。


ワイエス展 02



◆本書より◆


「アンドリュー・ワイエス――インタヴュー」より:

「今日の美術界では、私は非常に保守的なのでかえってラディカルです。大方の画家たちは私のことなどかまわない。私は彼らにとって一風変わった存在です。実のところ、私は自分を普通の意味での芸術家だとは思っていません。」
「多くの人々は、私がリアリズムをよみがえらせたと言い、イーキンズやウィンスロー・ホーマーと私を関連づけようとします。私の考えでは、それは間違っている。正直私は自分を抽象画家(アブストラクショニスト)だと思っているのです。イーキンズの描く人物は額縁の中で本当に息づいている。私が描く人びとや物はそれとは別の仕方で息をしているのです。別の核がある――明らかに抽象的な、気持の高まりという核。そうなんだ、何かの中に本当に目を向け始める、何か単純な物でいい、するとその物の深い意味が分かってくる――」
「私は事物に対してそういう強烈なロマンティックな空想をめぐらす――私が描くのはそれなのだが、リアリズムを通ってそこに至るのです。」
「一度、トム・クラークという名の黒人を描いていた時(中略)万聖節前夜(ハロウィーン)になったことがあります。私は自分の髪をすっかり剃り、頭をつるつるにしてしまいました。それからアリザリン・クリムゾンを頭から顔まで全体に塗り、次に茶色のインクをごく薄くすり込むと、地塗りの赤が浮いてきた。眼じりにはテープをはり鼻孔を少しひろげると、私はまさしくトム・クラークそっくりになりました。ほんとうに自分の絵の一部になっていくようでした。あなた方は私の絵、『クリスティーナの世界』『愛国者』『ミス・オルスン』などを見る。そこには魔法と隠れた意味があるのです。万聖節前夜(ハロウィーン)とかそういったものすべてが奇妙な具合にそれらの絵の中に結びついて行く。私にとって絵というものは、小鬼や妖精やほうきにまたがってやって来る魔法使いたちの妖気ただようフィーリング――じめじめと腐って行く枯葉と湿り気――扮装化粧のにおい――子供のころの、ろうそくをともしたかぼちゃの内側のにおい――月夜の道を歩いて行く時の、顔にかぶった仮面の感触――などを持っているものなのです。私はそういったすべてが大好きだが、そのわけは、そういう時にはもうこの私という存在が無くなるからです。私にとってそれはほとんど、私の猟犬のラトラーの中に入りこみ、彼の眼を通して物を見ながらあたりを歩きまわることだと言って良い。」
「実際雪は私を酔わせる。ぞくっとするほど感動してしまいます――あの静謐。信じられないくらいだ。メイン州の砂礫の浅瀬に落ちている白くなったムール貝も私にとっては感動的なものです。あれは海そのものだから――あれを浜まで運んだカモメ、もみの木の森のそばでそれを白くさらした雨と太陽。ほとんどの画家は或る対象をただながめる。(中略)私は抽象的なきらめきを捕えておこうとして悪戦苦闘するのです――目のはしにちらっと入る何かみたいに。だが絵の中ではそれを直視することができる。それは実に捉えどころのないものです。(中略)絵が完成に近づくにつれてますます、その物の根底にあるあの瞬間的なバランスの崩れた要素を掴まざるを得なくなる。そのために、私は自制心というものを完全に捨てなくてはなりません。(中略)私はいろいろ気違いじみたことをする――ひとが見たら私が変り者で絵を台無しにしていると思うでしょう。(中略)制作過程がただ単に平穏無事なものだったりしたら、そんなものは消えてなくなった方が良い。出来上がるのはまともで標準どおりの絵でしょうから。」
「人びとは、私の絵にはメランコリックな雰囲気があると私に話します。今私は、時は過ぎ行くものだという気持、何かを掴みたいという切々たる思い、をたしかに持っていますが、多分それが見る人を打ち、哀しいと感じさせるのでしょう。(中略)正確に言えば〈メランコリック〉ではなく〈思索的〉なのだと思います。私は過去の事ども未来の事どもについてしょっ中思いをめぐらし、夢見ている――たとえば岩や丘が持っている時を超えた永遠性やそこに存在してきたすべての人びと――。私は冬と秋が好きですが、その季節にはいわば風景の骨格とでも言えるようなものが感じられる――そしてその寂しさ、冬の何もかもが死に絶えた感じ、なども。だが何かがその下で待っている――物語の全貌はまだ姿を現わさない。私は、そういった一切のもの――瞑想的でしんとしていて、人がひとりぼっちであることを示すようなものを、いつも人びとは哀しいと感じるのだと思います。それは私たちがひとりきりでいる術(すべ)を無くしてしまったからでしょうか?」
「実を言うと私は一個人としてはきわめて嘘の多い人間です。私の作品もそうです。だからこそ、人びとは私が絵にした場所を見てはしょっ中失望するのです。私の作品は、特にこの地方だけを描写したものではない。人びとが私をエドワード・ホッパーのような、アメリカの情景を描くアメリカの画家に仕立て上げたがっていることは私も知っています。本当は私は自分だけの小世界、私の望むもの、を現に創造してきただけです。」
「私は今に至るまでの人生の大半をひとりぼっちで過ごしてきました。それが気に入ってもいるのです。(中略)私はいわば家族の〈はずれ〉で少年期を過ごし無意識のうちにもあまりあれこれやかましく言われることはありませんでした。私にもひとりだけ黒人の少年の友だちがありましたが、おおかたの時間はこのあたりの丘陵地帯、まぎれもないこの小さな領分をただ歩き廻ってはいろいろなものをながめたりしていたのです。芸術のことなど特に考えることもなかった――全然なかった。完全に自分だけのために生きていて、大抵いつもひとりぼっちでした。」
「非常に危険なことです――顔の描き方、もみの木の描き方を心得てしまうということは。自然は断じて一定の方式におさまるものではない。(中略)私にはすべての物体にはおのおのそれ自体の構造があるような気がするのです。」
「できることなら私は自分の存在を消してしまって絵を描きたい――あるのは私の手だけ、という具合です。できることなら猟犬のラトラーになって、森を歩きまわり、陽に照らされた枝を見上げ、木の葉が体に舞い降りて来るのを見ていたい。私は森の中や野原で独りきりでいると、自分のことはすっかり忘れてしまいます。私はいない。何ひとつ身につけずに歩きまわりたくなってしまう。
だがもし突然自分のことを思い出すと、つまり、私が私だということに気づいてしまうと――何もかも粉ごなになってしまいます。だからこそ私は描きまくるのです――年がら年中だ――そうしていれば自分の手を意識したり、絵筆を握っているという事実を意識したりせずにすみますからね。」
「もし私の作品が生きているとしたら、それは人びとから妙に離れている感じがするせいかもしれません――一種の孤立感です。」
「人は是非とも自分自身を護らねばならないものだし、われわれがなすことはすべて奪うか与えるかのいずれかなのです。ロバート・フロストの生き方がその良い例です。彼の晩年の詩は重要なものではない。それまで彼を培ってきた生き方を彼がやめてしまったからです。成功の大きな危険がそれだし、私があちこちへ行かない理由もそれです。もし私がディナー・ジャケットを着て正装しなくてはいけないのだろうか、とかあるいは、やれやれ、シカゴへ行くために航空券を買わなくては、などと気をもみはじめたら――ふう、その手のことで私は完全にへたばってしまうでしょう。
いいですか、旅をする前とあとでは人は変わる――前よりも博学になり、知識も増える。私は私の仕事に欠かすことのできない大切なもの、多分純真さを失うかもしれない。それにどっちみち、あのヨーロッパ帰りの間抜けな連中ときたら、やっていることの一体どこに深みとやらがでたというのかさっぱり分からない。私には前よりも薄っぺらになっているとしか思えない。」
「いろいろな人から私は偏狭すぎると批判されてきました。「アンドリュー、外国旅行は君の仕事のプラスになるだろう――君は視野を広げなくてはいけないよ――戻って来た時には新鮮な眼でものが見られる。」私が真底腹を立てたくなるものがあるとすれば、それはひとりの芸術家の中に創造的なアメリカを具現できるという信念が今日欠如しているその事実です。私は実際イーキンズやホーマーのような人々が好きだし、現存する画家の中で誰よりもエドワード・ホッパーを崇拝しています――彼の仕事のせいだけでなく、私が知る限り彼は、アメリカが自分の足で立てると現に感じている唯一の人間だからなのです。」
「私が言っているのは主題のことではなく、非常にアメリカ的な特質、つまりもって生まれた固有のもののことなのです。抽象画家ではありますが、フランツ・クラインにはこれが強烈にあったと思う。それは昔の風見(かざみ)や扉のヒンジがもっているものです。」
「なぜアメリカの風景を描くのかと、人びとに言われることがあります。ちっとも深みがないじゃないか――何か深みのあるものを掴むにはまずヨーロッパへ行かなくてはならない。こんな言い草は私にとっては愚にもつかない。何か深いものを求めるなら、アメリカの田舎はまさに絶好の場です。たとえばニューヨーク市に行ってごらんなさい。あれやこれやをちょっとばかりかじった人びとがわんさといるし、水で薄められたような人間ばかりだ。ところがラルフ・クラインはどうだ。彼は人生の大半をこのメイン州で過ごしてきた。(中略)ひとつの真髄がひとりの人間の中に純然とあることが分かるでしょう。別の種類のりんごと交配させたことのない純粋のマッキントッシュ種のりんごにはいわく言い難い何かがあるものです。」
「風の強い秋の日にとうもろこし畑の中でただじっとして、かさかさいう乾いた音に耳を傾ける、これほど胸が高鳴ることはないと思います。そして、風に吹かれているとうもろこしの列の間を歩く時、私はいつも、軍旗をたなびかせ馬にまたがった騎士の長い列の間を歩いた王様もこんなふうに感じたにちがいない、などと思ってしまうのです。私はとうもろこしの茎の根もとに生えているいろいろなものを調べるのが好きで、それらをスタジオに持ち帰ってはまじまじと色を調べたりします。自然の真の色を捉えることができさえしたら――そう考えるだけで私は夢中になってしまう。」



ワイエス展 04


ワイエス展 05


ワイエス展 06

























































































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副島輝人 『日本フリージャズ史』

「ジャズをやるってことは、何かヤバイ暗い地下への階段を降りるみたいな感じだった。だけど、俺はあえてそれを降りて、飛び込んでしまったんだ」
(坂田明)


副島輝人
『日本フリージャズ史』


青土社 
2002年4月30日 第1刷発行 
400p 索引・文献・資料 xxii
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,800円(税別)
装幀: 松田行正



本文中図版(モノクロ)多数。
ちなみにわたしが尊敬する日本のフリージャズの人は吉沢元治です。


副島輝人 日本フリージャズ史 01


帯文:

「一撃で世界を覆す〈音〉が
夜ごと放たれていた…………

60年代末、擾乱の時代の旗頭として登場した日本のフリージャズは、
世界を先取りする屹立した表現を生み出してきた。
揺籃期から今日までミュージシャンと共闘して
シーンを切り拓いてきた著者が証す、渾身の書き下ろし。」



帯背:

「叛音楽史覚書」


目次:

第1章 自立への鳴動
 新世紀音楽研究所の運動
 フライデー・ジャズ・コーナーの実験的演奏
 日本のジャズ自立への意識
 ジャズ・ギャラリー8の開店
 日本初のフリージャズ・グループ、富樫雅彦カルテット
 渡辺貞夫の帰国と、世界のフリージャズ情況

第2章 日本フリージャズの確立と展開
 ジャズは銀座から新宿に移る
 新宿ピットイン
 初期の山下洋輔グループ
 ニュー・クリティシズムの台頭
 吉沢元治トリオ
 富樫雅彦の活動
 初期の佐藤允彦トリオ
 ESSGというグループ
 形相のジャズ・山下洋輔トリオ
 ジャズ界組織化への幻想
 日本初のフリージャズ・コンサート
 山下洋輔のコンセプト
 富樫雅彦のコンセプト
 高柳昌行の主張と佐藤允彦のメソッド
 フリージャズの意味と方法
 高柳昌行ニュー・ディレクション
 フリージャズにおける空間の概念

第3章 突出した前衛として
 ニュージャズ・ホールの創設と富樫の事故
 映画『連続射殺魔』とレコード『アイソレーション』
 高柳昌行のニュージャズ・ホール離脱
 阿部薫という男
 阿部薫の生と死
 ナウ・ミュージック・アンサンブルの出現と、その時代背景
 ナウ・ミュージック・アンサンブル――過激から狂気へ
 ナウ・ミュージック・アンサンブル――聴衆への挑発
 六〇年代イヴェントの突出度
 タージ・マハル旅行団
 ニュージャズ・シンジケート
 現代詩との共演
 アンダーグラウンド映画との提携
 沖至のイメージするもの
 高木元輝と豊住芳三郎の抽象的対話
 がらん堂
 コンポーザーズ・オーケストラ
 ニュージャズ、地方に進出
 ニュージャズ・ホールの閉幕

第4章 栄光の時代
 プルチネラ・ライヴの発足
 プルチネラを襲った低気圧と高気圧
 坂田明の登場
 梅津和時、片山広明、近藤等則等の出現
 ミクスド・メディアのイヴェント『グローバル・アート・ヴィジョン♯71』
 暗黒舞踏『四季のための二十七晩』への参加
 第一回フリージャズ大祭『インスピレーション&パワー14』
 豊住・高木の外遊と、沖のフランス移住
 山下洋輔トリオのヨーロッパ大遠征
 『スピリチュアル・ネイチャー』
 『四月は残酷な月だ』
 『インスピレーション&パワー Vol.Ⅱ』
 佐藤允彦ソロ・ピアノ三部作
 金井英人とキングス・ロアー
 中村達也の創造的オリジナル楽器

第5章 ポップ・アヴァンギャルドの創出
 明田川荘之の『アケタの店』と、八王子『アローン』の梅津和時
 井上敬三の登場
 半夏舎と間章の死
 近藤等則の脱日本的あり方
 日本発ポップ・アヴァンギャルド
 坂田明の場合
 『どくとる梅津バンド』
 フリージャズ第一世代の動向
 『藤川義明&イースタシア・オーケストラ』
 フリージャズ vs 現代音楽――『パンムジーク・フェスティバル16東京』
 海外フリージャズ・ミュージシャンの招聘
 『メールス・ジャズ祭』への進出
 世界的視野から見たポップ・アヴァンギャルド
 ミュージシャンと批評家の関係の一例
 『スタジオ200』での『月例インスピレーション&パワー』

第6章 越境と変貌
 〈無国籍/無境界〉音楽
 価値紊乱者、ジョン・ゾーン
 邦楽との遺伝子交換
 富樫雅彦と映画『千年刻みの日時計』
 アジアからの風、姜泰煥
 高瀬アキと橋本一子
 新しい俊英たち
 “熱さ”について
 高柳昌行のアクション・ダイレクトという方法
 逝ける人々

第7章 今日から更なる明日に向けて
 九〇年代俯瞰
 大友良英の新しい音への挑戦
 不破大輔『渋さ知らズ』の疾走

あとがき
参考文献・資料
人名・グループ名索引



副島輝人 日本フリージャズ史 02



◆本書より◆


「普段でも阿部(引用者注: 阿部薫)の意識は、彼の演奏のように日常的世界から飛んでいたようだ。しばらく姿を見せないことがあった後、人に聞かれると「ヨーロッパを巡っていた」とか「アルゼンチンに行って戦争に参加していた」と答える。それを冗談とも思えないクールな真面目さで云うのだ。(中略)幡ヶ谷のジャズ・スポット『騒(がや)』に、少女のメイクをしてランドセルを背負い、ニコリともしないで現れたのは有名な話だ。」

「阿部自身が語ったり書きつけたりしたものから、二、三選び出してみる。

 ――七四年八月十六日の軍楽隊のコンサートについてですけど、軍楽隊を組織した目的みたいなものは何ですか。
  阿部 それは人間の敵というか、生命の敵に突撃する為に創ったんです。生きるという事が、かなりコントロールされているし、感受性なんかも本当は自分のものを持っていても、他から持ってこられた感受性である場合が非常に多いんじゃないかと思うんです。それは目に見えないものなんだけれども、やっぱりある種の生きて行く上での敵というものがあると思うし、それに向って突っ込んでいくみたいな事で、僕は創ったんです。別に政治的意図なんていうのはありません。」
「――演奏している時は、どんな感じなんですか。
  阿部 どんな感じって……音を出すという事に徹している。よく愛だの平和だの言うけど、僕の場合は、それがない訳ね。憎悪の感ていうのが、ものすごくあって、それがあればある程、僕は良い音が出せると思うし。(月刊『音楽』誌七四年八月号)」
「判断の停止をもたらす音。消えない音。あらゆるイメージからすりぬける音。死と生誕の両方からくる音。死ぬ音。そこにある音。永遠の禁断症状の音。私有できない音。発狂する音。宇宙にあふれる音。音の音……。(『スイングジャーナル』誌七〇年四月号)」

「吉沢元治も、九八年九月十二日に世を去った。彼もまた肝臓を病んで、長い闘病の日々を送った後のことだった。ジャズ・ミュージシャンは、例え肉体がボロボロになっていてもステージに立ち、観客に裸の心を晒して表現行為を行うのだから、ライヴを見ていても痛々しい。しかし、それが人間の生きざまとして、人々を感動させる。
 三十年近くも昔、若い元気な吉沢が言った言葉が思い出される。
 「ジャズを分ろうと思ったら、まずジャズマンってものを分ってもらわなくっちゃ」
 その通りだと思う。とりわけ吉沢の場合は、自分の心の赴くままに、自由な風のように生きていた人だったし、彼の心は極めてストレートに音楽となっていた。
 彼jは七〇年代に入った後は、自分のグループを作ることはもとより、特定のバンドのメンバーにさえ絶対に加わろうとはしなかった。風のような一匹狼だった。」
「彼の旅も生き方も、即興的なのである。私は、ふと捨聖と呼ばれた一遍上人を思い出す。来りては、また去って行く。説法の代りに、心おもむくままのベースを弾いて。何に執着する訳でもない。」
「吉沢が最後に見出した究極の共演者は、知的障害を持つ僧のグループ『ギャーテーズ』だった。吉沢は彼等の中に飛び込んで演奏した。死の一年くらい前だったか、電話で話した時に吉沢は
 「彼等はいいよ。お経を合わせて唱えることも難しい連中なんだけど、その代り一人一人が全く純粋な心で声を出すんだ。これが本当のインプロヴァイジング・ミュージックだな」
と嬉しそうだった。」

































































































『藤枝静男作品集』

「私は妻の云うとおりの人間かも知れないと思う。私はいつも、私の死んだ父にも兄にも、肉親の誰れにも、一度だって人間らしい自然な態度で接し、やさしく親愛の情を示したことがない。」
(藤枝静男 「空気頭」 より)


『藤枝静男作品集』

筑摩書房
昭和49年2月10日 第1刷発行
377p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 貼函
定価3,900円
装幀: 利根山光人

付録 (8p):
作品集『犬の血』のこと(平野謙)/藤枝さんの近作(川村二郎)/小説の主役(高井有一)/藤枝さんのこと(中野孝次)/旅の思い出(江藤淳)



本書「あとがき」より:

「比較的長い「凶徒津田三蔵」「或る年の冬 或る年の夏」「欣求浄土」の三作と他に無価値で捨てた二短篇を除けば、これが私の全小説である。」
「私の場合などモティーフははじめから一つきりで、それを繰り返してきたようなものである。むしろ自分でもよくわからない自分のモティーフを、自分にわからせるために色んな形を試みてみたようなもので、全く単色であろう。」
「「一家団欒」と「欣求浄土」は、これを書いた後でその間に饅頭の餡をつめないと駄目だと思ったので、もう五篇書いてから一つの長い「欣求浄土」にまとめて出版した。だからその切れ端にあたるものである。」



二段組。


藤枝静男作品集 01


目次:


イペリット眼
文平と卓と僕
痩我慢の説
犬の血
雄飛号来る
掌中果
阿井さん
明かるい場所
春の水
ヤゴの分際
鷹のいる村
わが先生のひとり
壜の中の水
魁生老人
硝酸銀
一家団欒
冬の虹
空気頭
欣求浄土

あとがき
年譜



藤枝静男作品集 03



◆本書より◆


「鷹のいる村」より:

「いずれにせよ、彼女は或る日母親の家に寄って、鰻丼を食べている途中悪寒に襲われ、専門医に連れて行かれた結果、すべてを明らかにされた。そして翌朝入院し、次の日には死児を自然に分娩したのである。
 当日の午後、彼女は手術のための最初の皮下注射を受けた。一時間ほどして二回目の注射をしてもらった直後、急に気分がわるくなり、洗面所に駈けこんで吐こうとした。そして胃のあたりに力を入れたとたん、胎児はすべるように彼女の両脚の下に落ちたのである。彼女は中腰のまま洗面台の縁につかまって
 「何か出たあ」
 と叫び、駈けつけた看護婦に
 「イカみたいなものが出たあ」
 と悲鳴をあげた。
 彼女の形容はもっともであった。水膨れで表面のヌルヌルになった、灰色の、いわゆる浸軟児は、魚屋の桶に浸けられた生烏賊そのままだったからである。」



「一家団欒」より:

「ああ、これだ、と彼は思った。これが俺の後悔と不幸のはじまりだったのだ。こういう無邪気で単純なものが、いったん俺の身体のなかに入りこむと、羞恥と罪に満ちた陰気で汚い塊に変化してしまったのだ。濁った池の水面と底との中間にブヨブヨと固まって浮いている原油のように、いつも搖れて、そのくせ沈殿もせず浮きあがりもせず、一生のあいだ俺を刺戟しつづけ、苦しめつづけて来た。
 こまかい雨が降りだしていた。章の立っている堂のまわり縁の外側に、黄色い小粒の花を、細枝いっぱいにつけた数本の連翹の木が、重そうに頭を傾けてならんでいた。花のひとつひとつが霧雨にまぶされたまま、裏側から射す祭提灯の淡い逆光にうつし出されて輝いて見えた。
 もういい。もう済んでしまった、と章は思った。」



藤枝静男作品集 02




こちらもご参照ください:

藤枝静男 『田紳有楽』
藤枝静男 『凶徒津田三蔵』 (講談社文庫)
































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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