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フリードリヒ・グラウザー  『老魔法使い』 種村季弘 訳

「「人間はどこでも同じです」、とシュトゥーダーはため息をついた。」
(フリードリヒ・グラウザー 「シュルンプ・エルヴィンの殺人事件――シュトゥーダー刑事」 より)


フリードリヒ・グラウザー 
『老魔法使い
― 種村季弘
遺稿翻訳集』 
種村季弘 訳



国書刊行会 
2008年6月10日 初版第1刷印刷
2008年6月18日 初版第1刷発行
546p 
A5判 角背紙装上製本 カバー 
定価3,800円+税
装幀・コラージュ: 間村俊一



「BOOK」データベースより:

「犯人探しや謎解きの背後に人間存在の深淵を垣間見させ、“スイスのシムノン”との絶賛を浴びたドイツ語ミステリの先駆シュトゥーダー刑事シリーズ。青髭農夫による四人の女房の死の真相を暴く表題作をはじめ、短篇12編と長篇2編を収録。異色のアウトサイダー作家として大きな注目を集めるグラウザーの傑作小説集成、全編本邦初訳。」



グラウザー 老魔法使い 01



「カバー図版
「出現」(2008)
コラージュ=間村俊一」



帯文:

「最後のタネムラ・ラビリントス

怪物、人形、奇人、温泉、錬金術、幻想文学――
驚異的な博識のもとに万華鏡のごとき多彩な作品を
遺して逝った種村季弘の遺稿翻訳集成。
怪人タネラムネラの最後の迷宮世界。」



目次:

シュトゥーダー初期の諸事件
 老魔法使い
 尋問
 犯罪学
 はぐれた恋人たち
 不運
 砂糖のキング
 死者の訴え
 ギシギシ鳴る靴
 世界没落
 千里眼伍長
 黒人の死
 殺人――外人部隊のある物語

シュルンプ・エルヴィンの殺人事件――シュトゥーダー刑事

シナ人

解説 種村季弘と翻訳 (池田香代子)




◆本書より◆


「シュルンプ・エルヴィンの殺人事件」より:

「「狂ってる、バカな、気ちがいじみている!」予審判事はささやき声で言い、上着の袖がほとんど肘までずれ込むほど、ぐいと腕を伸ばして両手を空中でふりまわした。「これはその……あなたのご意見はいかがです、シュトゥーダーさん?……」
 「ロカール、つまりあのリヨンのロカール博士ですが、ご存じでしょうな、予審判事殿、そのロカール博士が彼の本の一つのなかでこう書いています――(わたしの友人のマドラン警視正はこの箴言を引くのがお得意なのですがね)――正常な人間が存在する、と思うのはまちがいだ。すべての人間はすくなくとも半分は気ちがいだ。この事実をいかなる捜査においても忘れてはならない……あなたもたぶんあのオーストリアの歯科技工の事件はおぼえておいでですよね。あの男は丸太の上に自分の足をのせ、かろうじて肉の一片しか残らぬまでそれを斧で細工しました――莫大な額に上る事故保険をわがものにするためだけに……当時、大訴訟になりましたね……」
 「そう、そう」、と予審判事は言った。「オーストリアでね! しかしわれわれがいまいるところはスイスですぞ!」
 「人間はどこでも同じです」、とシュトゥーダーはため息をついた。」



「シナ人」より:

「「養父はぼくを家に置きたがらず、それで母はぼくをオールドミス二人の田舎の親類にあずけたんです。オールドミスのマルタとエリカは二人とも救世軍に入っていて、ぼくは日曜日になると一緒に集会に行かなければなりませんでした。でもやがてエリカは病気になりました。ご存じかどうか知りませんが、それは肉体の病気ではなかったのです。エリカはもう口をききたがらなくなり、黙って家の中を徘徊していました。あるとき何人かの女の人がエリカを連れにきました。その女の人たちの言うには、エリカは森で首を吊ろうとしたのだそうです。そこで母はぼくをこれ以上マルタの家に置いておきたがらず、ぼくはさる農夫の家に小僧奉公(ヴェルディングブーブ)に出されました……山羊の番、厩の掃除。日曜日になると農夫は居酒屋に行き、帰ってくると自分の子供がいないものですからぼくを鞭打つんです。それがどうも」、ルートヴィヒの口元にうっすらと微笑が浮かび、「農夫のつもりでは女房に鞭をくれてやりたいんだけど、女房のほうが腕力が強いんです。それでぼくを追っかけまわした。シュトゥーダーさん、日曜日ごとに、だけではなくて週日にも鞭をくわされ、一年中たのしいことが何もなくて、クリスマスにさえ母は会いにきてくれない。ひどいものでした。そのうち十二歳になりました。ぼくは腹ペコでした。ときにはチーズを一切れ、またときには肉を一切れ盗み食いしました――ひたすら空腹だったからです。ぼくは、農夫は文句を言わないだろう――鞭をくわせられる人間がいさえすればうれしがっているんだ、と思ったんです。だけど女房のほうがぼくを市町村長に告訴したんです。彼女の吝嗇(りんしょく)がそうさせて、ぼくは鑑別所入りになりました。これまたひどいものでした、シュトゥーダーさん、ほんとうですよ。大人になって新聞をよく読むことがあって、あるときぼくらの施設の写真が出ている絵入り新聞を見つけたことがあります。絵入り新聞のなかのぼくらは美しく写ってました。でもその施設でぼくらは正しいことばかり学んだわけじゃありません。先生方も院長も、みんな、ぼくが白痴(ばか)だとおっしゃいましたが、でも実際にはぼくは特別の白痴というわけじゃありませんよ、シュトゥーダーさん……ぼくが字を書きまちがえるのはわかってます。でも、結局のところ、字を書きまちがえたからといって、なにも罪じゃありませんよね? そういうわけでぼくは農業経営を手伝わされました。これは気に入りました。動物が好きなんです、牛とか山羊とか馬とか。そのうち施設はとうとうぼくを釈放してくれたので、ぼくは仕事を探しました。おわかりでしょう、シュトゥーダーさん、ぼくはあんまり外へ出たくなかったんです。賃金と労働があれば、ほかは何も要らない。でもそれから病気になり――あるとき冬場に――、肺をやられたんです。喀血して、しょっちゅうだるくて、夜中に発汗して――そこで医者が療養所に送ってくれました。二年間も! そして戻ってくると仕事をすっかり忘れてました。ある農家で働こうとしましたが、二日後には追い出されました。てんで役立たずだったんです!
 そこで政府がプリュンディスベルクの救貧院送りにしたわけです。ねえ、よく思ったものですよ、これは監獄より悪いって。院長、というより家父――あの人は特に講演をされる、その貧(パウ)……貧(パウ)……」
 「貧困問題(パウペリスムス)」、とシュトゥーダーがさえぎった。
 「それ、それです! 貧困問題! それでいてここで覚えることはただ一つ、安焼酎を飲(や)ることだけ……」
 この単純な語り方にはなにか人をつらくさせるものがあった。シュトゥーダーはやわらかい心の持ち主だった。彼は頰に汗の粒の流れるのを感じ、それを暖炉の過熱のせいにした。それは一瞬のことにすぎなくて――やがて自分の顔を汗ばませたのはルートヴィヒの物語だとわかった。「まだ先が長いのかね?」彼はしゃがれた声でたずねた。
 「つまり、おまえの話のことだよ。」
 「いいえ、シュトゥーダーさん……」――それにしてもこの若者は、なんというおだやかな声をしていることだろう!――「でもまだバルバーラの話を聞いていただきたいんです。バルバーラは跛(びっこ)でした。それ以外の点ではあのフルディーにそっくりでした。顔もあんなふうに大きいし、ねえそうでしょう、顔色もあんなふうに蒼いし、あんな長い弁髪をしてるんです。バルバーラも救貧院にいました。ぼくは日曜日にだけ彼女と遭って一緒に森を散歩しました。バルバーラは自分の家のことを話してくれました。彼女の家もひどいものでした。ある日曜日の晩、女看守に連れられて施設に帰る途中でぼくたちはたまたま出遭いました。するとバルバーラが、もう施設には戻りたくないと言うのです。ぼくと一緒に出かけるものだからみんなに冷やかされるって。ぼくは彼女をなぐさめようとしましたが無駄でした……ご存じでしょうけど、こんな諺があります。自分で蒔いた種子(たね)は自分で刈り取らねばならぬ。バルバーラがもう施設に戻りたくないとわかって、ぼくたちはいっしょに逃げました。晩の六時。六月三日のことでした。ぼくはいまだにあれがよくわかりません。だって家父の自動車に出くわしたんです。ところが向こうはぼくたちに気がつかずに前を通りすぎていったんです。ぼくたちは歩きに歩きました。バルバーラは走れないので、ときにはぼくが背負ってやった……ぼくたちはユーラ州[スイス北西部の州]に、つまりロマン語系の州にたどり着きました。あそこの農民はほかよりましだった。ぼくは仕事を見つけました。というのもあそこの山地では干草刈りがやっと七月半ばになってからはじまるんです。ぼくはいつもまずひとりで行って自己紹介し、一日働いて、それから妻もいっしょだと話すんです。すると農民たちは大概、連れてきたらいい、家事の手伝いをしてもらうからと言ってくれました……バルバーラは仕事熱心な娘で、ぼくたちは八日間も同じところにいたことがよくありました……でも、ぼくたちにはパスポートがありません。パスポートがなければこの世では売りものになりません。世間は人間を見て、使いものになるか正直かを決めるわけじゃありません。スタンプと署名のある、写真付きの茶色の小冊子を持っているかどうかを世間は見るんです…… 秋がきました――山地は秋がくるのが早いんです。するとぼくたちはこんなふうにしました。柳の枝が刈り頃になるとそれを集めてきて、バルバーラとぼくの二人で籠を編み、それを村々に売り歩くんです。ふつうはぼく(引用者注:「ぼく」に傍点)が行きました。だってバルバーラは足早に歩けませんからね。彼女は家で留守番です……家で! そう、森の真ん中の木樵小屋……夏中せっせと倹約して薬鑵(やかん)と毛布を冬に備えて手に入れました。薪はたっぷりありました。小屋のすぐ近くには小川が流れていました。小屋はいつも清潔で、ぼくたちは、シュトゥーダーさん、アダムとイヴみたいに生きていました。
 でもホルンでバルバーラが病気になってしまいました――その病気のことなら知ってました。彼女は夜中に汗をかいて、咳をして、血啖を吐きました。ぼくはできるかぎりの看病をしました。ぼくたちは樅(もみ)の柴をベッド代わりにして寝ました。けれども何をやっても無駄でした。それから四月の終りに彼女は死にました。」」




グラウザー 老魔法使い 02



「表紙図版
「朝の椿事」(2008)
コラージュ=間村俊一」











こちらもご参照ください:

フリードリヒ・グラウザー 『外人部隊』 種村季弘 訳



















































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『日本随筆大成 新装版 〈第一期〉 8 半日閑話』

「○神奈川の鯨  此頃鯨の片身なるが神奈川海より上る。肉爛れて臭気甚し。見分に参候者皆熱を煩ひしとかや。」
(大田南畝 『半日閑話』 「巻十二」 より)


『日本随筆大成 
新装版 
〈第一期〉 8 
半日閑話』



吉川弘文館 
昭和50年8月10日 新版第1刷発行
平成5年9月1日 新装版第1刷発行
4p+580p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,900円(本体2,816円)
装幀: 三谷靱彦



本書「解題」より:

「半日閑話 二十五巻 大田南畝 著/後人 追補
 本書は、著者の見聞手録で明和五年から文政五年に至る迄の記録である。南畝二十歳の時から七十四歳に至る間の市井の雑事を記したもので、二十二冊、「街談録」と名づけられていた。南畝のこの種の随筆の中では『一話一言』に次ぐ大著である。南畝は文政六年四月六日に脳溢血で七十五歳の長寿で歿するが、歿後誰人かが『街談録』以外の南畝の文を増補し、更に全然他人の文をも添えて、「半日閑話」なる題号をつけて二十五巻本にしたのが本書である。『半日閑話』はかくして文政十二年や、天保元年などの記事も見える事となって、南畝著としての純粋さは失われたとしても、南畝自筆の『街談録』の所在が不明とされている今日、やはり『半日閑話』に拠って其の内容を知るのが一番容易である。(中略)『半日閑話』は写本としては、国会図書館、内閣文庫を初として、案外諸所の図書館に蔵されている。未だ完全なる写本は知られていないようである。本書再刊に当っては国会図書館蔵写本、内閣文庫蔵写本及び無窮会文庫蔵の写本等を閲して、校合を試みたが、無窮会文庫本も十七巻至ニ十巻までよりなく、二十一巻以後は旧刊の誤植訂正をする程度に止めるのやむなきに至った。(中略)なお今度、内閣文庫写本により、「朝鮮人漂着」の一項を加えた。」



本文中に図65点。巻末に「日本随筆大成」書目一覧7p。



大田南畝 半日閑話 01



内容:

解題 (丸山季夫)
目次
凡例

半日閑話
 半日閑話 目次
 巻一~巻二十五




◆本書より◆


「巻一」より:

「○坊主白仙  近頃〔割註〕天明寛政ノ頃。」白仙といへる者年六拾に近き坊主也き。出羽国秋田に猫の宮あり、願の事有て猫と虎とを画て筆を持て、都下をうかれありき猫書ふ/\と云しなり。呼入れて画しむれば、わづかの価をとりて画く。其猫は鼠を避しと云。上野山下の茶屋の壁に虎を画したり。人も能知れり。近頃はみえず。」


「巻二」より:

「○天狗かくし  近年麻布井上志摩守家来の仕ひし仲間、何月幾日に暇を取り賜るべしと云。何方へ行ぞと問へば日本橋辺なりと云。あやしみて其日人を付て見せしむるに、日本橋辺にて見失ひしといふ。三年を経て書簡を送れり。恙なく居るゆへ案じ給ふべからず。帰る事は成難しといへり。天狗にてもあるべきやなど人々怪しみおもへり。〔割註〕文化四五年なり。」」


「巻五」より:

「○上槇町珍事  上槇町儀兵衛申上候。先月廿九日私地面に漆喰のかたまり候様に相見へ候者有之候に付、召仕民三郎儀まき割にて打候得共、われ不申候間、げんのうにて強く打候得ば割れ候て、右の石の中より手鞠ほども有之候鼠色にて肌至て宜敷石出候由にて、民三郎持帰、私妻むらへ申聞候処、見馴不申石に付仕廻置、翌朔日夕方取出し見候へば、色替り茶色に成申候。右之儀近所にて追々見物に参り候間此段御届申上候。
 大さ壱尺二寸三分廻り竪横同断、正月廿九日歟
  寛政四子年壬二月十二日写(瀬貞蔵)
  多紀安元云、是鮓礜也。蛮語ヘイサラバサラ。」



「巻六」より:

「○天女降て男に戯るゝ事  松平陸奥守忠宗の家来番味孫右衛門と云者、おのれが宅にて、座席に昼寝して居る処へ、天女天降りて孫右衛門が口を吸と見て、其儘辺りを見れども人気もなし、去迚は思ひも寄らぬ夢を見る物哉と思ひ、人に語らんもいと恥敷てぞ居けるが、其後よりして彼孫右衛門が物をいふ度に、口中異香薫じける程に、側に居ける人々是を不審に思へり。其身も不思議に思ふ処に、心安き傍輩の申様には、足下には怠ず深き嗜み哉、いつ迚も口中香しき事、唯々匂の玉を含るが如し、是奇特千万なりといへば、其時孫右衛門さりし時の有増事を語り、夫よりして如此といへば、彼友も奇異の思ひをなしけるとなん。扨孫右衛門美男といふにもあらず、又は何のしほらしき事もなき男振なるに、いか成思ひ入有てか、天女はかゝる情をかけつらん、其源計難し。去れば其香一生身終る迄消ずしてかほりけるとなん。是田村隠岐守宗良の家来佐藤助右衛門重友が語る処如此。」


「巻十」より:

「○大河の心中  文化元子年五月六日の夜、拾六七の小娘、廿年余の男子と大河に身を投て死す。みな桔梗島の浴衣を着たり。緋縮緬の帯にて足と足をくゝり付たりと云。七日の日船にて見し人多し。小梅村の名主の娘、男は百姓也とも云。又は八丁堀辺の者共云。或人の咄し、高輪引手茶屋鈴木といへる者の娘なり。男は近所のかんな台やの息子也。妻子持にて妻臨月也と云。高輪しがらきと云茶屋に書置有之よし、四五日過て、元船の船頭力を合て検使をうけ、霊巌寺へ葬りしと、其雑費金弐拾両余懸しといふ。」

「○ヨイ/\病  世俗にヨイ/\と云病有。俄に中風の様になるを云。是も蘭書に有。東方百年来有奇病、ペリ/\と云由、玄厚の説、〔割註〕内科選余痱病部。」

「○婢髪切  文化七庚午年四月廿日の朝、下谷小島氏〔割註〕富五郎。」家の婢〔割註〕小女なり。」朝起て、玄関の戸を開んとせしに、頻りに頭重く成様に覚しが、忽然として髪落たり。外々の髪切れたるはねばりけあり、臭気有ものなれども、左にはあらずと云。〔割註〕去年小日向七軒屋敷間宮氏の婢切られしは、宵よりしきりにねむけ有て切られしと云。」」

「○神田藍染川の怪犬  同年四月廿三日の朝、神田藍染川に犬有て一つの箱を喰ひ破れり。中に藁人形有。蛇をまとひ、蛇の頭より大なる針を打付たり。あやしければ、公聴に訴しとなん。〔割註〕室町雪の屋にて其夜所聞なり。」」

「○屋根に溺死人落つ  浅草堀田原堀筑後守屋敷に怪異の事あり。庚申四月七日の昼の事成りしが、屋根の上に物を投し音あり。あやしみて見せしむれば、日を経たる溺死人にて、臭気甚し、漸々に取て寺に葬しとなん。屋敷にても至て秘して人に語られずといふ。火車と云ものゝ取てすてしにや、支体糜爛して分知難しと云。〔割註〕四月廿二日府中にて小嶋に聞けり。」奥方の居間の屋根なりとも云。」

「○上野山下両士刃傷  文化七庚午年五月四日朝、上野山下にて両士刃傷に及び、一人の左の腕を切て落す。未だ近辺の屋敷も戸をさしたれば、亀屋といふ茶飯売る者の家にて、豆腐を買に出んとて戸を明しを幸に、内に入て倒れぬ。連の者は向ひの水茶屋に至り、呼で来れと云に、驚きて亀屋の人水茶屋に至り見れば、此士自分咽喉を突んとして、誤て腮を切苦しむ体を見て、おそれて帰りて告、彼士是を聞て刀を持出て、右の手にて片手打に其首を打落し、自分も倒れて死す。其日の夕暮に親類の者にや来りて、双方共に死がいをおさむ。双方共に死しものなれば事ゆへなく、遊所よりの帰りと見へたり。いづれも衣服相応にて袴を着たり。いか成耻しめを請てかゝる事をせしにや。〔割註〕或説に水道橋内松平壱岐守殿家来なりといふ。」」

「○中万字屋の幽霊  文化七庚午年旦畝(タンホ)印 中万字屋妓を葬る。
十月末の事なり。此妓病気にて引込居たりしを、遣り手仮初なりとて、折檻を加へしに、ある日小鍋に食を入て煮て喰んとせしを見咎め、其鍋を首にかけさせ、柱に縛り付て置しかば終に死しけり。其幽霊首に小鍋をかけて廊下に出るよし沙汰あり。」



「巻十二」より:

「○新吉原焼失並火竜骨  明和五年四月五日夜丑三刻、新吉原五丁町より出火して、廓中残らず焼る。火元は四つ目やとかや。焼灰の中よりあやしき骨出たり。火竜といふ。」

「○髪切  四五月の間髪切り流行。〔割註〕人々の髪自然と脱落す。是を髪切といふ。」



「巻十五」より:

「○小日向辺の怪異  此頃弓の稽古場の咄しにて承り候処、去年十二月(文化十一戌年)の事とよ。小日向辺の御旗本其頃小普請なり。一両年已前養子に来り当時家督なり。或日ふと近所へ夜話に罷越候処、一体彼仁少々は酒を呑候処、此頃は禁酒童謡に有之、其夜は殊の外酒を飲て深更に及び、帰る道にて跡より其名を呼掛候者有之、依て振返り見候得ば、縞の衣服を着したる色青ざめたる坊主にておそろしき様体なり。依て当人は顔をにらめ早足に歩む処、此度は又先へ廻り跡ずさり下り来るゆへ、甚だ恐怖の思をなし、早々に帰り入口へ入らんと思ひしに、其者も倶に入る様子なり。夫より風と当人狂乱と相成、養父の前へ出て養父の已前の悪を速にしやべるゆへ、家内も肝を消し、是は乱心にやとて、早々に休ませ夜着をかけ男共押へ居候得共、夫をはねのけ高らかに色々の事をしやべりしゆへ、叱り/\に漸々押付候処、暁過より追々鎮まりすや/\休みけり。其翌日は平生の体にて何も替り候事も無之。依之て養父余りの不審に遠くより物を申かくるに何の替りし事も無之、昨夜の始末を尋しに不存由答へけり。然るに彼実母実家より此頃泊りに参り候ゆへ相尋ければ、其時当人答には、誰へも咄し申間敷候得共、右様御尋なれば無拠とて咄しけるは、昨夜の途中の奇事、夫より門を入るに一向騒ぎ悪口の始末不覚すや/\休し頃、又彼坊主枕元へ参り申聞候は、今夜家内中を其方に切せ度思ひしが力に不及、斯成上は我命日十二月二日なり。依之一向問ひ吊ひ今になさゞるゆへ、品々此事を取行呉候へ、又我名げんじんといふ迚、かき消すやうに失ける由申ゆへ、実母此事を養父に咄す処一々承知之、已前其父むごく取計遂に出奔に及びしなり。彼出奔の日を命日と致すといへども、一向尋も不致石碑も不立、勿論法事を不致、夫なりに捨置しゆへ、右の人やと養父おどろきける。殊に其名乗をうち返し見れば申聞る名なりとて、早々法事致し吊ひけり。此近年毎歳十二月の月に至れば、兎角奇事止事なき所当年より其事止む。其年に至り当人大御番へ御番入致すと云々、咄す人甚密して名を不語とかや。乍去此説実説にて同道人も此由語る後も名を知らず。」

「○信州浅間嶽下奇談  九月頃承りしに、夏頃信州浅間ケ嶽辺にて郷家の百姓井戸を掘りしに、二丈余も深く掘けれども水不出、さん瓦を二三枚掘出しけるゆへ、かゝる深き所に瓦あるべき様なしとて、又々掘ければ、屋根を掘当けるゆへ、其屋根を崩し見れば、奥居間暗く物の目不知、去れ共洞穴の如く内に人間のやうなる者居る様子ゆへ、松明を以て段々見れば、年の頃五六十の人二人有之、依之此者に一々問ひければ彼者申やうは、夫より幾年か知れざれども、先年浅間焼の節土蔵に住居なし、六人今度に山崩れ出る事不出来、依之四人は種々に横へ穴を明などしけれども、中々不及して遂に歿す。私二人は蔵に積置し米三千俵、酒三千樽を飲ほし、其上にて天命をまたんと欲せしに、今日各々へ面会する事生涯の大慶なりと云けるゆへ、段々数へ見れば、三十三年に当るゆへ、其節の者を呼合ければ、是は久し振り哉、何屋の誰が蘇生しけるとて、直に代官所へ訴へ上へ上んと言けれども、数年地の内にて暮しける故、直に上へあがらば、風に中り死ん事をいとひ、段々に天を見、そろり/\と上らんと言けるゆへ、先穴を大きく致し日の照る如くに致し、食物を当がへ置し由、専らの汰沙なり。此二人先年は余程の豪家にてありしとなり。其咄し承りしゆへ御代官を聞合せけれ共不知、私領などや、又は巷説哉も不知。」

「○盗賊の奇談  此頃の事にや。御先手の加役に松下河内守といふ人あり。其手先にて此頃捕り候盗賊穢多なりしよし、与力吟味に及びし時、彼盗賊申は、私は元穢多なりしが、たま/\に世に生れ出ながら、人の交りも出来ぬといふは甚以残念なり。依之五十年の寿譬三十年に縮るとも、人間の交り致さばやとぞんじ、風と金銀衣服を盗取家出致し、夫より所々え盗人に入、色々盗取しゆへ、最早栄花を尽せし上おもひ置事あらず、夫のみならず、磔柱の御料は最早ありしゆへ、速に被仰付可被下と、明白に言上せしかば、与力をはじめ加役の者も責るに力なく、扨々すさまじき者なりと云ひしとかや。程経て御仕置極りしが、其前夜以前捕はれし時の与力に逢申は、私もそなた様の御手にて捕れ、最早罪極りし上はおもひ残す事も無之、何卒御慈悲の為に忌日には線香一本御立可被下候よし、与力え歎きしゆへ、与力も愛心増して承知せしかば、其上にて右の御恩によき盗人を御手に捕らせ申さんと言しかば、与力申は夫は不入事、聞に不及と申せしとかや。其翌日御仕置に相成しが、其夜与力の夢に盗人申は、明日本所辺何所へ御出可有、能盗人御手に入らんと申せしゆへ、翌日夢覚て後余りの事におもひ、同心を召連れ彼おしへし所へ参りしかば、はたして詮議致し居りし盗人に出合、忽召盗りしよし、余り珍事と与力に語りしが(引用者注:「与力語りしが」カ)、以前彼の盗人を捕し節、同心も参けれども、同心には夢は扨置何も申さゞりしゆへ、同心思ひけるは、与力は(引用者注:「与力には」カ)色々願望を申、其時能盗人もおしへ申に、我等に教へざりしは我等には深き恨み残るらんと思ひける夜より、ふるへ付おこりと成し由、松下聞て其同心を呼寄大に叱り、気の弱き人物と言しが、漸々此頃は平癒せしとぞ。誠に珍敷事なりと、松下坊主衆に直物語なり。」

「○敵討  此頃の事かとよ。相州藤川共いふ。又は江戸内共いふ。鍛冶屋の息子年十三歳、或時其父とおなじくでば庖丁を拵候処、むすこ申様、此庖丁は切れ可申哉之由申候得ば、親父申すは随分是にては首も切可申と申候へば、むすこ右の庖丁を取立上り親父の首を切落し候由、依之家内大騒に相成、早々名主へ訴へ申候処、名主も驚き罷越候共、息子少しも騒がず、私事は親殺しに相違無之間、早々奉行所へ訴へ親殺の罪に被仰付可被下候由申候に付、早々奉行所へ訴へければ、捕手参り召連行き子細尋申候処、前書之次第有の儘に申ゆへ、与力牢へ下げ候へば、付居候者に申様、何卒与力衆へ今一応申上度段申聞候に付、早速与力え訴へければ、与力呼寄及面談候処、一体親を殺候子細は外之儀にても無之、私三歳の時当時の親父私母と密通致し実父を殺し候由、去年私叔父舎家に有之、去る年迄一向舎家に叔父有之事を不存候処、母申候は舎家の御叔父様大病之由申来る間、見舞に参り可申旨申聞候ゆへ参り候処、末期に及び、実父を当時の親殺し候事を委敷物語致候ゆへ、右之訳を以て此度敵と存じ相殺候由申、乍去当時の親父も私幼年より世話にも相成養育にも預りし事ゆへ、罪は私遁れ難く候。いづれにも親殺の罪に行はれ候様申候由、依之与力も詮方なく直に母を呼出し、或は近辺の老人を呼、子細を糺し可申旨申候由、是等実説に候はゞ御咎はいかゞ哉相知兼申候。」



「巻十六」より:

「○青山の男女お琴  七月中旬の頃の事とかや。青山千駄谷辺に、男女のよしにてお琴と呼金主あり。平生女の形にて往来致し、専ら金の口入を致し、右にて勝手よく住居も殊の外立派にて、世間の人目を驚したるが、大御番矢藤源左衛門の娘となれ染、貰ひ請んと申込みしに、矢藤も甚当惑して、叔父の方へ右娘を預けし処、又候叔父の方え男女参り、是非に貰ひ請んと強く申ゆへ、叔父如何なる故にや左様にもらひ度といへば、只今男の形になり参り候はゞ遣し可申段申候処、直に宿に帰り長髪をそり野郎となり参りしゆへ、無余義遣すとかや。然るに此男女唯今迄女となり、大名の大奥え立入寝泊り迄も致せし事、右のさわぎにて露顕いたし、此頃捕はれ牢舎致せしよし沙汰有之。」

「○小女変死  六月十四日、山王夜宮の節、さる御旗本右祭礼に娘を連れ見物せんと、むすめに衣服を着かへさせ置、自分も着替て出んとせし処、右娘一向に不見ゆへ、所々を尋けれども一向に不見。夫よりして大さわぎと相成、人をたのみ迷ひ子を尋るやうに探しけれども、更に不見ゆへ、大かた神隠しにてもやとて、実母の歎き大方ならず、狂乱の如くにて有之とぞ。然れども詮方なければ段々あきらめ居る処、七月二日に至り、隣家は明屋敷にて草芒々と茂りしを、草刈り参り苅取る処、新しき子供の雪駄片々有之、草かり不思議に思ひ帰り掛に持帰り、今日草を刈る処、一向に子供など不参処に、此雪駄捨ありしは甚不思議と咄せし処、隣の亭主申様、夫は此頃御隣の娘子不見よし沙汰ありしが、若や右の娘のせきだにては無之哉、明日にも参られなば為見べしと申ゆへ、翌日草刈の序に隣に持行見せければ、まがふ方なき娘の雪駄なるよし申。夫より右草芒々と致せし所へ参り、段々草を刈せし処、古井有之、若哉此内へ這入はせじやとて、井戸掘を俄に呼に遣り探させければ、其内より死がい上り、袂にほうづき五つ六つ入ありしとぞ。是は察する処、右古井の脇にほうづきありしを取らん迚参り、過て落しものなるべし。草茂り居りしゆへ炎天と申せども、形も其儘にてかんざしなども指し髪も結ひありしとぞ。誠に無惨といふも愚か也。是を見るより又々母親狂乱と相成しとぞ。其上此母親此頃少々恨みしは、当春まで遣ひし侍なり。此侍に右娘殊の外なじみ町などへ出る時は抱き参り、至て子ぼんのふなりければ、若哉此侍たぶらかしつれ出売しやと、此頃中恨み居し処、右一条ゆへ人を疑しとて猶更悔みしとかや。」

「○下谷小児喰殺
同年其頃、下谷辺にても武家屋敷にて四歳に相成候子供と隣の赤子、二階にて昼寐致候を、腹を喰破り臓腑をたべ候由、右の母下に洗たく致居処、赤子泣候ゆへ直に参り見候処、右の始末の由。」

「○一つ木の蛇
一つ木にても此頃三四才の子を蛇呑候ゆへ、其父跡を追参り候処、程近に相成候と悪風を吹かけ、目塞り夫切りに致し候よしの風聞有之。」




「巻二十一」より:

「○大なる歌
太閤秀吉公或時紹巴を召て天下無上の大なる歌を詠吟なされ、是より上の歌ありやと仰せて、
   須弥山に腰打かけて大空をぐつと呑めども咽にさわらず
いかに/\と仰せられければ、紹巴言下に、
   須弥山に腰打かけてのむ人をまつげの先きでつきこかしけり」

「○秀吉の難題、紹巴の即吟
秀吉公紹巴を召て歌一首を詠ぜり、下の句を続けよとて歌に、
   奥山に紅葉ふみわけなく螢
紹巴言下に、
   しかとは見へぬひかりなりけり
と申上ければ御感なされけり。」



「巻二十五」より:

「○尾州奇人  尾州殿内渡辺飛騨守百姓愛知郡米之木村内鳶がす(名古屋ヨリ一里余東北ノ方)と申所、八右衛門むすめやよ事、当午年(寛政十年)廿二歳に成し、当二月上旬より男すがたになり、鍬かたげて田打に参り、力つよく候得ば、人並よりはよけいに仕事をしてかへりし、八右衛門ふしぎに存じ、となり友達にありしむすめをひそかにまねき、やよしんていをたづねさせ候処に、右やよ申候様は、只今迄は友達に候へども、私事は今よりは男になり申候へば、それよりとなりのむすめ、まへをまくりてあらため候へば、只今迄の女の物ふさがり、人なみより大なる男のものはへ申候。それより私共仲間倉地定助(飛騨守部屋)なる者あらためておもてへ達し候。水野御役所(代官所)よりは御国方(御勘定奉行ノコト)へ御達し御座候。名を久八とあらためやろうになり、若イ者入いたし候。あまり/\めづらしき事に候へば、あら/\申上候。
 右温故堂書生喜左衛門方へ尾州知音のものより申来る写し也。」




大田南畝 半日閑話 02


























































橋口侯之介 『続 和本入門』

「今では古書に書き込みがあるといやがられるが、江戸時代までは逆だった。むしろ書き入れをすることで、より成長した書物になる。」
(橋口侯之介 『続 和本入門』 より)


橋口侯之介 
『続 和本入門
― 江戸の本屋と
本づくり』



平凡社 
2007年10月15日 初版第1刷発行
269p 
四六判 紙装上製本(薄表紙) カバー 
定価2,200円+税
装訂: 杉本直子



本書「まえがき」より:

「前著『和本入門 千年生きる書物の世界』では、和本をもっと身近に接してもらえるように、その成り立ちや見かたを概説した。(中略)だが、どうしても形態、装訂など、本をいわばもの(引用者注:「もの」に傍点)として見たときの解説に重点を置かざるをえなかった。」
「本の世界は奥が深い。いったん和本道の門に入ると、そこに迷路のように入り組んだ光景があることに圧倒されるのである。たとえば前著の後半では、江戸時代版本の奥付の書きかたが特殊で、そのまま読んでも正しく出版年代を把握できないことなどを解説した。なぜそうなるのだろうか?
 実際に和本を見ていると、さまざまな発見がある一方、このような「なぜ?」という疑問が多数芽生えるのである。続編としての本書は、正編である前著とは趣を変えて、和本をもう少し内側から眺めることで、その「なぜ」を解明していこうと思う。」
「和本から生じたさまざまな疑問を解くには、フィジカルな形にとらわれずに、メンタルな側面から書物をながめることが必要ではないかと思った。本にかかわる人たちの「行為」に目を向けてみるのである。そこで、本書では江戸時代に焦点をあてて、書物に携わる人の面から考えてみた。書物を形態で分けたり、内容で分類するのでなく、書き手(編著者=作者)による文章なり絵(これをテクストということにする)で成立した原作が、作り手(製作者)によって本というもの(引用者注:「もの」に傍点)になり、本屋などの流通網を経て、読み解く人(読者)に伝わる過程を「人の行為」として見るのである。」



本文中図版(モノクロ)・図表多数。
本書は2011年に平凡社ライブラリー版(『江戸の本屋と本づくり 【続】和本入門』)として再刊されています。



橋口侯之介 続和本入門 01



帯文:

「日本人の書物観を問う
江戸期の書物事情を
〈つくる〉〈売る〉〈読む〉の視点から探索する
『和本入門 千年生きる書物の世界』に続く
和本専門古書店主による書物考」



帯背:

「つくる・売る・読む」


目次:

まえがき
 古本屋の仕事から芽生えたものは
 日本人の書物観を問う
 本とは「人の行為」である

第一章 和本はめぐる――復元、江戸の古本屋
 「古本売買」本屋の店先
 本屋と客の応対
 古書をいくらで買いとったか
 古本として再流通した本はすぐわかる
 古本は市場で売買する
 古本市場の歴史がわかってきた
 現代と同じ市場の手数料
 フリ市という方法
 古本屋の用語で解く

第二章 本を「つくる」心情――私家版の世界から
 江戸時代の書物像
 和本とは幅の広い概念である
 私家版とは何か
 『北越雪譜』の出版経緯
 三分の一は私家版だった
 どんな本が私家版か
 私家版はどのようにつくるのか
 国学や洋学に見る私家版事情
 本屋と私家版の関係
 私家版か町版かの見分けかた
 活字印刷の私家版

第三章 本ができるまで――原価の秘密にせまる
 本の値段を知るための基礎知識
 江戸時代書物の平均価格
 安かった大衆本の値段
 本づくりの工程
 板木職人の仕事
 製作原価の基礎は板木代
 高かった紙代
 仕立屋へ払う製本代
 製作諸雑費と稿料
 発行前の本屋の判断
 江戸時代の原価計算
 原価負担を軽くする工夫
 ここに秘密、板木の売買で利益
 本に命を吹き込むおまじない

第四章 本屋は仲間で売る――本を広めた原動力
 和本を見る眼
 本屋を知るための基本文献
 本屋は仲間をつくる
 享保改革と本屋仲間の発足
 草紙屋の仲間結成
 本屋仲間の仕組み
 本屋仲間の解散と再興
 重板と再板は大違い――本屋の用語
 行事は忙しい
 類板とは何か――吉野屋為八の事例
 板木の譲渡と板株の移動
 板木の持ち合い=相板

第五章 写本も売り物だった――手書きでも大きな影響力
 現代に残る写本の多さ
 国書のデータベースを調査してみたら
 写本を処分した中国
 ヨーロッパの写本事情
 日本における写本の終焉
 写本の豊かな広がり
 写本をつくる専門の書本屋
 学者の写本も売り物だった
 新井白石に見る写本
 写本の影響力は大きかった
 貸本屋は写本も貸した
 写本づくりの流儀
 写本の調べかた

第六章 書物は読者が育てる――本を読むことの意味
 書物は原作者と読者を結ぶ
 身分差をなくした読者の集団
 本屋が蔵書家を支える
 句読点のない原典
 さまざまな句読点
 書物は書き入れで成長する
 注を入れることで本を育てる
 書き入れは第二の本づくり

第七章 統計で見る江戸時代の和本――書物はどう広がったのか
 和本を調べるデータベース
 統計をとるための問題点
 ミクロで見た和本の統計
 ミクロの目、享保十五年
 ミクロの目、文化九年
 ミクロの目、嘉永七年
 江戸時代の書物を統計的に推測する

あとがき
参考文献
用語索引




◆本書より◆


「第二章 本を「つくる」心情」より:

「江戸時代も、今日の出版社にあたる本屋が出す本だけがすべてではなかった。本屋の出す本を「町版(まちはん)」といい、それが江戸時代の出版史の中心をなしていたことは否定できないが、どうしても商業的に採算の取れる本が主になる。幕府の意向にも沿わなければならない。それに対して、俳諧や漢詩など自費で刊行する個人の作品集、各藩や学者の私塾で門弟に向けて出す本、寺院などがつくる布教のための庶民向けの読みやすい本など、本屋では出しにくい本もたくさんできていた。このような本屋がかかわらないで出版された本を私刻本・私版本などともいうが、混乱を避けるため『日本古典籍書誌学辞典』(平成十一年、岩波書店)にしたがって「私家版(しかばん)」といういいかたで統一しておく。ただし、これは現代の学術用語であって、江戸時代のことばではない。江戸時代には、素人(しろうと)のつくった「素人蔵板(ぞうはん)」といった使いかたで史料によく出てくる。これは「玄人」である本屋の側からみた用語である。」
「今日歴史的に重要とされている本には、私家版が多い。町版にない個性や奥の深さがあるのだ。」

「三都のような大都会だけでなく、全国各地に文を書いた人はたくさんいた。俳諧、和歌にいたってはもっと多い。その作品の大半は手書きの草稿のままで終わり、せいぜい同好の士の間で筆写されて読まれるだけだった。その中で、少々蓄えのある人は自費で出版をして、もう少し広く読者を得たいと思った。それが私家版を「出す」人たちの動機である。」

「江戸時代の書物史研究は盛んだが、ほとんどが町版のことに費やされている。大半が町版だったと思い込んでいないだろうか。後で述べるように、写本も多かった。控えめに見ても江戸時代に成立した書物の半分近くは写本だったとわたしは考えている。残りの版本のうち三分の一が私家版となると、町版というのは全体の三、四割程度しかないと考えられるのである。」

「私家版は当時の書物世界では、町版や官刻本が中心をなしていたのに対して、その外周に位置することになる。だが、本というのは、周縁にいくにしたがって、不思議な魅力を持つようになる。それが社会を活性化する源泉になりうる。どの本が私家版で出たのか、それをよく確かめることの意味はそこにあるといってもよい。」



「第六章 書物は読者が育てる」より:

「今では古書に書き込みがあるといやがられるが、江戸時代までは逆だった。むしろ書き入れをすることで、より成長した書物になる。」

「書き入れは、江戸時代に限らず、もっと古い時代からの伝統である。版本のない時代には写本にも書き入れをした。
 加点や書き入れの材料は、墨の場合もあるが、おもに朱を用いる。書き入れであることを目立たせるためである。ほかに胡粉(ごふん)や藍や茶などもあった。胡粉は白色の顔料なので、書き入れのほかに、抹消するときにも使う。今のホワイトである。最近注目されているのが角筆(かくひつ)で、木や竹の先の尖った道具で紙面を凹ませる透明な書き入れもある。
 和本では、加点するのは原作者でなく、読者の側の仕事である。句読点にかぎらず、訓点もさまざまな点類も同様である。そこには書物を私物化する意図がなく、むしろ次世代に伝えることを意識している。だから中世以降、書き入れは自己流の方法でなく、標準化された。」
「しかるべき著名な人物による書入本は、誰々某手沢本などといって珍重されてきた。しかし、ほとんどの書き入れには記名がなく、癖のない楷書体で書く習慣であることともあいまって、人物を特定できない。なかには、とるにたりないものもあるだろう。(中略)頭から信ずることはできないが、逆に無名なのに内容的にはかなり高度な注釈や批評であることも少なくない。
 この書き入れをする読者を便宜的に先行読者としておこう。目的は後発の読者に見せることにあった。たんに、自分が正確にテクストを読むためだけでなく、それをどのように読んだかを他人に示すという意味で、先行読者は第二の作者でもあるのだ。(中略)和本はこうして成長する。」




橋口侯之介 続和本入門 02









こちらもご参照ください:

橋口侯之介 『和本入門』
寿岳文章 『和紙落葉抄』
















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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