多田智満子 『長い川のある國』

「なんと恩知らずな 思いあがった人間たち!」
(多田智満子 『長い川のある國』 より)


多田智満子 
『長い川のある國』


書肆山田 
2000年8月31日 初版第1刷 
108p 「多田智満子」2p
21.6×15.2cm
装幀: 吉野史門

 

生前最後の詩集。


多田智満子 長い川のある国 01


帯文:

「砂と灼光と風の大地を往くナイル
人間の日々の喜びと骨折り、さかしらと滑稽が流れる。
五千年の彼方から、王たちの声とかわいた虫の足音を運ぶ。
読売文学賞受賞」



多田智満子 長い川のある国 02


署名入りでした。


目次:










































 


多田智満子 長い川のある国 03



◆感想◆


「砂は砂につづく
水は水につづく
時は時に
永遠は永遠に」



このような四行を冒頭に置いて、本詩集は、


「過去・現在・末来を
つらぬく棒の如き川」



と、歌いだされますが、これは高浜虚子の句「去年今年貫く棒の如きもの」の本歌取りです。


「この大河の源はどこか
見ようとして旅立った者は遂に帰らなかった

かれを探しに出かけた者は数年の後
おぼろげな消息をたずさえてもどってきた

――かれは遡って遡って銀河までたどりつき
あの微細な星のひとつになった

信じようと信じまいと
夜になれば川は満身に星を鏤(ちりば)める

水が原郷を恋うているのだ と
感傷的な人たちは語り合う」



「ナイル、砂漠、ピラミッド……じつにエジプトはその悠久の歴史とともに風土そのものが《永遠》を感じさせる国である。私は若いときから遠いところを眺めたがる性癖があって、空の星とか、あるいはぐっと古い時代のことに関心があった。まなざしを長くのばして、古代へ古代へと遡ることは、人間の心の源へと近づいてゆく行為でもある。ナイルの水源を探しに行って多分小さな星になったらしいこの作中の男とちがって、私はこの歳になるまで微塵の如き星にもなれず地上をうろうろしている。」
(『犬隠しの庭』(平凡社、2002年)所収「天井川それとも天上川」より)


しかし、「長い川のある国」を、エジプトに限定しなくてもよいです。古代はどこにでもあったし、川も至るところにありました。


「漢武帝の時に張騫といへる人を召して、天の河のみなかみ尋ねて参れとつかはしければ、うき木にのりて河のみなかみ尋ね行きければ、見も知らぬ所に行きてみれば、常に見る人にはあらぬ様したる人の機をあまた立てて布を織りけり。また知らぬ翁ありて牛をひかへて立てり。是は天の河といふ所なり。この人々は、たなばた・彦星といへる人々なり。さては我はいかなる人と問いければ、「みづからは張騫といへる人なり、宣旨ありて河のみなかみ尋ねてきたるなり」と答ふれば、「これこそ河のみなかみよ」といひて、「今は帰りね」といひければ、帰りにけり。(中略)まことにや、張騫帰り参らざるさきに、天文の者参りて、七月七日に今日天の河のほとりにしらぬ星いできたりと奏しければ、あやしびおぼしけるに、この事をきこしめしてこそ、まことに尋ねいきたりけれと思召しけり。」
(源俊頼『俊頼髄脳』より。ただし、中野美代子『ひょうたん漫遊録』所収「銀漢渺茫――黄河源流は銀河なりしこと」より孫引、表記を一部改めた)


「あまりに空が虚ろなので
わたしはカバンを置き忘れた
たぶん四千年昔の神殿の裏手に
パスポートを紛失したが
かまうものか
帰るべき国はとっくに忘れてしまっている」



「なつめ椰子
砂漠にあってもっともみごとな
もっとも賞むべき樹」
「――この木一本あれば、ひと家族が飢えないですむのです」



「なつめ椰子という植物になじみのない読者には、熱帯の椰子(やし)(ココやし)を想像していただけばよい。枝のない幹が三十メートル近くまっすぐにのび、樹冠に巨大な羽根のような葉がかたまって生えている。遠くからでも目立つ木で、昔はパレスチナにたくさん生え、森になっていたところもあったらしい。(中略)この木の果実は、今も昔も北アフリカやアラビアなど、地中海の東岸から南岸の地域ではきわめて重要な食糧で、(中略)きくところによれば、庭にニ、三本のなつめ椰子があれば一家族が年中食物に困らないそうである。」
(『森の世界爺』(人文書院、1997年)所収「いちじく桑に登った男」より)


しかし、


「川には万年先まで予約が入っていた
歳ごとの増水 氾濫の予約
河神はきちんと約束を守って
デルタに豊饒をもたらした
それなのに(あろうことか)さかしらぶった人間たちは
その予約を破棄したのだ
はんらんはもうけっこう
水量はわたしたちが調節します
なんと恩知らずな 思いあがった人間たち!
五十年もたたぬのに
(万年に比べれば一刻の間だ)
麦は塩を噴きはじめ
大地は苦りきっている」



このように歌わねばならぬのは、詩人にとって不幸なことですが、それが詩人の義務であり、詩人以外にこうしたことを言える人間はないです。
そして詩人という種族もまた、地を払って消滅しつつあります。


「死者の住む西岸と
生者の住む東岸

そのあわいを行く
この船

流れのなかに片脚だけ残して
石の神はどこへ去ったか

一抱えもあるその足首に
ともづなかけてもやいする船

びっこの神はどこをさすらっているか
船長(ふなおさ)たちは神々の行方など気にもとめない」



ところで、種村季弘は生前最後のエッセイ集『畸形の神――あるいは魔術的跛者』(青土社、2004年)に、次のように記しています。


「見よ、そのときわたしは
お前を苦しめていたすべての者を滅ぼす
わたしは足の萎えていた者を救い
追いやられていた者を集め
彼らが恥を受けていたすべての国で
彼らに誉を与え、その名をあげさせる。
(ゼファニャ書3-19)
 
追いやられた者や足萎えはかならずやまた帰ってくる、と予言はいうのである。」





















































































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多田智満子 『川のほとりに』

「ふりむけば 墓原に
片足で立ちあがる虹」

(多田智満子 「桃源再訪」 より)


多田智満子 
『川のほとりに』


書肆山田 
1998年4月25日 初版第1刷
125p 初出一覧ほか4p 
菊判 角背紙装上製本 カバー 
定価2,800円+税
装幀: 吉野史門



第16回「花椿賞」受賞。
カバーは模様と背文字がうすく印刷されたトレーシングペーパーのような半透明の紙で、本体表紙が透けてみえています。


多田智満子 川のほとりに 01


帯文:

「詩人は王である。死者である。うすい翅で広大な午後の重みを量る蜻蛉である。迷宮の奥で、全身に眼帯をほどこされてメスを待つからだである。そして、長い脚註の杖をついたひとつの死語である――」


帯背:

「新詩集」


目次:

お誘い
*
方陣
骨折の次第について
木枯らし
蝶のかたち
迷宮
さびしい土地
栽培
薤露歌
川のほとりに
*
種播かれた龍の歯から
王たちの遺書
王の死あるいは旱魃
旅の窓から
桃源再訪
秋の谷
玄牝あるいは羊の谷
*
新月の夜の物語

ユーカリの葉を噛みながら

初出一覧
多田智満子(ただちまこ)



多田智満子 川のほとりに 02



◆感想◆


「死ぬのもなかなかいいものだよ」

(「お誘い――《えてるにたす》の翁に」)


「《えてるにたす》の翁」は西脇順三郎のこと。「永遠の旅人 西脇順三郎展」のために書かれた詩です。なお、「没後二十年 西脇順三郎展」図録の「西脇順三郎へのオマージュ」に掲載されている多田智満子の句「翁遊ぶよ/Ω(オメガ)の亀を/裏返し」は、この詩の「八十八歳 つまりは八十八秒/でもそれだけの時があれば/濁り水もひとりでに澄んでくる/平面がしずかに光る/虎杖(いたどり)の杖の先で裏返してみたよ/Ω(オメガ)の形した亀を」によるのでありましょう。

「骨折の次第について」では、現代医学が骨の「ひびわれの形によって吉凶を占う」古代占術と重ね合わされ、骨折した詩人は「片足で 地上と冥界の間をさすらう」神と同一化されます。片足の神については詩集『長い川のある國』もご参照下さい。


「蝉がボロボロと木から落ちると
はやくも木枯らしである
虚空から死者の裏声が近づいてくる」

「季節の循環論法のなかで
わたしもまた一つの引用句にすぎない」

「長い脚註の杖をついて
このわたし ひとつの死語となりつつある」


(「木枯らし」より)


「どこからか わたしは見ている
体重のない人たちが
この岸からあの岸へ
一度かぎり運ばれていくのを」

「へさきにとまった蜻蛉が うすい翅で
広大な午後の重みを量っている」


(「川のほとりに」より)


「蛇たちはみな地の下に還った
一山紅葉(いっさんこうよう)の盛儀のなか
蒼ざめる秋の帝(みかど)」

「帰るべきところは想い出せない
岩蔭にひとり痩せた膝をかかえ
前世のにおいを嗅ぎながら
苦い草の根を煮る」


(「秋の谷」より)


最後の三篇「新月の夜の物語」「川」「ユーカリの葉を噛みながら」は、ボルヘスあるいはカルヴィーノを連想させる散文詩です。

「新月の夜の物語」は、王の「夢師」の話。「夢師は一種の歴史家ともいえた。その夢はことごとく史実とみなされたからである。」

「川」では、詩人は汽車に乗って時間を遡ります。

「ユーカリの葉を噛みながら」で、詩人は樹上に生活の拠点を移します。


「見おろせば私たちがヴェランダから幹にたてかけて登った梯子は、まだ倒れもせず半ば落葉に埋もれて立っているけれど、その後、木が信じられないほど大きくなったので、もうあの家にもどることは到底不可能になった。(中略)家は今やマッチ箱ほどに小さく、しかも一階は落葉に完全に埋もれ、落葉を葺いたような二階の屋根しか見えない。犬小屋はむろん跡かたもない。それでいいのだ。もう二度とあそこへもどる気はないのだから。
 ただひとつだけ気がかりなことがある。アサが毎晩遠吠えするようになったのだ。犬はのどをそらせ、鼻を天に向けて、月に吠えるように遠吠えするのがふつうなのに、アサは首を低くうつむけ、地上に向かって遠吠えする。(中略)その物悲しげな声を聞いていると、成層圏的なユーカリの芳香を全身の細胞に吸収して、樹上からいよいよ天上への移住さえも夢ではないと信じているこの私まで、つい地上への郷愁をそそられてしまうのである。」
















































































多田智満子 『古寺の甍』

「今でもこの山の行者は、よく「物怪(もののけ)」に出逢うという。深夜、岩上に坐禅していると、獣でも鳥でもない、風の音でもない、強いていうなら地から這い出た小人共がわいわいがやがや騒いでいるような声が身近にきこえる。真暗な崖際を白衣の老婆が通りすぎることもある。あるいは小さな青い火が山林の間を漂うのが見える。」
(多田智満子 『古寺の甍』 より)


多田智満子 
『古寺の甍』


河出書房新社 
昭和52年5月15日 初版印刷
昭和52年5月25日 初版発行
264p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価1,200円
装幀: 桜井昭治
本文写真: 小山保



詩人・多田智満子の古寺巡礼エッセイ。雑誌「オール関西」に「古寺の甍」として連載、「オール関西」休刊後は雑誌「日本美術工芸」に「古刹歴遊」と題を改めて連載されました。

本文中写真図版(モノクロ)30点。


多田智満子 古寺の甍 01


帯文:

「瑞瑞しい思索溢れる古寺巡礼
「聖なるもの」を体験した人々が心をこめて造った古寺の甍、廻廊、柱、階段……に触れた詩人の内奥から溢れ奔ばしる生き生きとした思索――
近畿の十七の寺々を経廻った、瑞々しい古寺巡礼」



帯背:

古寺での思索」


帯裏:

「仏教に関心がないではなかった。仏教哲学をほんの少し垣間見て、その想像を絶する深さと壮大さに驚嘆し、これだけの哲理の上に成立つ信仰――あるいはむしろ、これほどの哲学を成立させる信仰――に心を惹かれていたのはたしかである。それに、昔から古い寺の雰囲気は好きであった。おびただしい歳月に朽ち毀たれた蒼古たる寺院には、往時の盛観とは全く質を異にした「古さの美学」があって、それがどうやら多分に感傷的な私の感性にうったえるのである。
「あとがき」より」



目次:

歴史の交叉点 神護寺
塔の祈り 室生寺
栂尾の上人 高山寺
天狗の本拠 鞍馬寺
聖と俗との混淆 紀三井寺
みやびの寺 仁和寺
懸崖の寺 峰定寺
蟹の変幻 蟹満寺
聚沙(しゅうしゃ)の戯縁(ぎえん) 常照皇寺
双樹変相 鶴林寺
隠口の地母神 長谷寺
他界への門 当麻寺
雷神不動 志明院
烏とまれびと 青岸渡寺Ⅰ
此岸と彼岸 青岸渡寺Ⅱ
飛鉢の仙人 一乗寺
遣送と来迎 浄瑠璃寺
みかえり如来 禅林寺

あとがき




◆本書より◆


「高山寺」より:

「私は華厳学にはもとより不案内であるものの、数年前に華厳経を読んでそのあまりに雄大華麗な宇宙観に度胆を抜かれて以来、華厳哲学には素人らしい好奇心をもちつづけてきた。明恵上人への関心も、もとはといえば、華厳学者としての上人への敬意からであったが、その人となりを知るにつけ、私の敬意はほとんど愛着といってもよいほどの敬愛、敬慕に変わっていったのである。
 さて、われらのお上人は、平重国を父とし、湯浅宗重の女(むすめ)を母として、紀州有田郡石垣庄というところで生まれたが、母は彼を懐妊したときから、ゆくすえはわが子を神護寺の薬師如来に捧げようと決めていて、名も薬師丸とつけた。
 ところが四歳の頃、父がたわむれに烏帽子を着せてみると、たいそう愛らしく、凛々しく、よく似合った。「形美麗なり。男になして御所に参らせん」。父のことばを耳にした薬師丸は、美しいために僧になれないなら、片端者になればよいと考えて、縁側からころげ落ちてみる。が、別に怪我もしないので、今度は焼火箸を顔に当てようとするが、おそろしくなって、こわごわ左の腕を焼いたところが、あまりの痛さに泣き出してしまった。
 以上は、高弁の弟子たち(中略)の書残した『明恵上人伝記』の伝える上人幼時の一挿話であるが、ここには後の名僧たるべき人の性向が幼にしてすでに顕著に示されている。すなわち、大願成就のさまたげとなるなら、われとわが肉体を傷つけてもよしとする熱烈な求道心がそれである。
 もちろん、いくら賢いとはいっても、四歳の童児に、それほどの自覚があったかどうか、疑問の余地はあろうけれども、しかし、自分がひとたびこうと思いこんだことを徹底してやり遂げるおそろしいまでに純一な精神の香気は、すでにしてこの栴檀の幼木に人々の注意を惹きつけたことであろう。
 果して後年、高弁は、自分の美貌が女難を招くのを憂えて、みずから片耳を削ぎ落すという常人離れしたわざをやってのけた。幼時からのひたむきな性情の首尾一貫性(コンシスタンシィ)はまことに驚くべきものである。」



「紀三井寺」より:

「私などは、お寺へ行ったとき、よくある例で国宝の仏様が秘仏になっているのを知るとがっかりしたりするけれども、これはやはり信仰を欠いているせいであろう。なまじい仏像を「鑑賞」する態度があるために、目に見える姿に固執してしまい、心の眼で仏の光を感じることができないのである。」
「目に見えず手で触れえぬものの存在を確信すること、これがおそらく信仰の第一条件なのであって、厨子の奥ふかく、肉眼の視線を拒否した秘仏の存在は宗教というものの在りようをきわめて率直に象徴している。要するに、聖なるものは覆われてあらねばならぬのである。
 この意味からすれば、五〇年に一度の開扉ですら、いわば妥協の行為にすぎない。聖性に徹しようとするならば、かつて法隆寺夢殿の救世(くぜ)観世音がそうであったように、絶対に視線を拒み通さねばならぬ。聖徳太子の寺のこの有名な仏像は、明治に至ってフェノロサが無理やりに覆いをとるまで、数百年間、厨子の中に完全に密封されてあったのである。古美術研究のためこの秘仏を開扉してほしいというフェノロサの要求に対して、寺僧はそのような冒涜を敢えてすれば仏罰立ちどころに至って、大地は震(な)い堂塔崩壊するであろうと答えた。彼はおそらくその言伝えを心から信じていたものであろう。長いねばり強い交渉の末、説き伏せられた寺僧がしぶしぶ鍵を出してきて錆びた錠前にさし入れ、ようやく厨子が開かれた。秘仏は、しかしすぐにはその姿を現わさなかった。その丈高い細長い尊像には百五十丈もの白布がミイラのように一面に巻きつけてあったのである。
 「しかし遂に最後の覆いがとれた」とフェノロサは記している。「そしてこの驚嘆すべき、世界に無類の彫像が何世紀ぶりかではじめて人の眼にふれた。」
 そして大地震は起らなかったし、もちろん堂塔崩れ落ちることもなかった。だが、と私は考えるのだ、本当は、このとき天地崩壊したのではなかったか、と。」



「長谷寺」より:

「私は以前から「こもりく」という言葉が気になっていた。山にこもったような地形というだけでは、何となく説明不足のような気がするのである。漢字では、大抵「隠口」かあるいは「隠国」と表記されるが、こもりくの く は何処(いずく)の処(く)の意であるという。隠れた処、暗い処、それは多少とも詩的、あるいは神話的連想に慣れた人間ならば、洞窟のイメージと共に、大地の母胎、そして墓穴のイメージを喚起させるであろう。」
「こもりく は単に奥まった山容を示すだけではなく、大地の母胎の意を含蓄し、さらに万葉の昔、「小泊瀬山(おはつせやま)の岩城(いわき)」としてここが葬送の地であったからには、洞窟=墓穴の連想を伴わずにはいなかったであろう。」

「昼間、世俗的な雑念に支配されている意識は、夜、眠りと共に、意識下の根源的な世界に降りてゆく。肉体が聖域としてのはつせにこもるのと並行して、意識もサブ・コンシャスの暗い「隠り処」にこもるのである。

  仏はつねに居ませども
  うつつならぬぞあはれなる
  人の音せぬ暁に
  ほのかに夢に見へ給ふ
                    (『梁塵秘抄』)
 強烈な霊夢待望の願いのうちに、仏は多くの場合眠りのさめかける夜明け方、暗示的な夢の中に姿をあらわす。これを自己暗示と呼ぶのは現代人の浅知恵にすぎないであろう。我々は人工の照明に慣れて夜を失いつつあるのと同様、合理主義的思考に慣れて、聖なるもの神秘なるものを見失いつつあるようだ。霊夢や奇瑞に無縁になったことほど、現代人の楽園喪失を示す現象は他にないといえるかもしれない。」



「志明院」より:

「昔から人里離れた山で修行した人たちは、大自然の霊気を膚で感じ、言葉ではとても表せぬ畏敬の念を抱いたにちがいない。今でもこの山の行者は、よく「物怪(もののけ)」に出逢うという。深夜、岩上に坐禅していると、獣でも鳥でもない、風の音でもない、強いていうなら地から這い出た小人共がわいわいがやがや騒いでいるような声が身近にきこえる。真暗な崖際を白衣の老婆が通りすぎることもある。あるいは小さな青い火が山林の間を漂うのが見える。いわゆる人だまのような、ぼうっと大きなものではなく、もっと小さく光が強く、土地の人は竜火(りゅうび)と呼んでいる。」


「青岸渡寺Ⅱ」より:

「仏国土というユートピアは、在ると観念すれば在り、無いと観念すれば無いものである。これは信仰という純粋な主観的観念論の中にのみ出現する世界であって、これを消滅せしめるには一瞬の懐疑心だけで充分であろう。『今昔物語』の語ったあの単純な男、阿弥陀仏の名を呼びながら西へ西へと走って行き、力尽きて斃れるとその口から蓮の花が咲き出たというあの男のように、ひたむきに信ずれば必ず極楽往生を遂げられる。渡海上人が果たして補陀落山に到着したかどうかは、ひとえに彼等がそのことを信じたか否かにかかっていたであろう。」


「浄瑠璃寺」より:

「私は、さきほど未来仏、過去仏ということばを記した。しかしこの場合、未来あるいは過去の概念は歴史的な時間の流れの中では捉えられない。阿弥陀が未来仏という意味は、かの弥勒仏が未来仏という意味とは全くちがうのである。
 弥勒はたとえ五十六億七千万年後と、気の遠くなるような先の話ではあっても、とにかく釈迦と同様歴史的な時間の中に出現してこの世を救う仏である。これに対して阿弥陀は何億年、何万劫待ってもこの世に出現することはありえない。阿弥陀は永遠に未来の仏である。すなわち、永遠の未来に常住する仏である。
 同様に、薬師が過去仏であるというのは、迦葉仏や釈迦仏――いわゆる過去七仏と称せられる仏たち――が過去仏であるというのとは全く異なる。釈迦はむろん歴史的存在であるが、迦葉仏にしても、すでに世に現れすでに過ぎ去ったとされる仏である。一方、薬師如来は永遠の過去の中に常住している。この文脈において、弥勒や釈迦や迦葉はいずれも現在仏の範疇に属し、薬師は永遠の過去仏、阿弥陀は永遠の未来仏なのである。」









































多田智満子 『鏡のテオーリア』

「眼はもとより感受し判別するための感覚器官なのだが、このように、親和力と反撥力、すなわち引力と斥力とを有する一個の独立性をもった存在とも考えられる。」
(多田智満子 『鏡のテオーリア』 より)


多田智満子 
『鏡のテオーリア』


大和書房 
1977年2月20日 初版発行
158p 別丁図版8p 
四六判 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー 
定価1,600円
装幀・装画: 山本美智代



モノクロ別丁図版は山本美智代作品。本文中モノクロ図版2点(河口龍夫「鏡と鏡の間」/パルミジァニーノ「凸面鏡の自画像」)。
本書は1980年に増補版が出、1993年にはさらに増補して「ちくま学芸文庫」として刊行されています。


多田智満子 鏡のテオーリア 01


帯文:

「鏡の国の迷宮へ 鏡の秘義とは
澁澤龍彦氏――レヴィ=ストロースから唐詩まで、ボルヘスから南方熊楠まで、レオナルド・ダ・ヴィンチから華厳経まで、ルイス・キャロルから江戸川乱歩まで、――私たちは、このアリアドネーに似た閨秀詩人の手引きによって、鏡の国の迷宮をさまよい、その無際限の乱反射に目を奪われ、最後に、鏡の秘義に参入することを得るだろう。鏡の秘義とは? そのテオーリアには終りがないということだ。」



多田智満子 鏡のテオーリア 02


カバー裏には澁澤龍彦による推薦文「「鏡のテオーリア」に寄す」が掲載されています。

「ギリシア語のテオーリアという言葉を智満子さんは昔から好み、今度のエッセーの表題にも使っているようだが、まさしく観照こそ、(中略)彼女の精神にふさわしい言葉であろう。それにしても、鏡とは、いかにも智満子さんの観照にぴったりのテーマだと思わざることを得ない。(中略)私たちは、このアリアドネーに似た閨秀詩人の手引きによって、鏡の国の迷宮をさまよい、その無際限の乱反射に目を奪われ、最後に、鏡の秘義に参入することを得るだろう。」


多田智満子 鏡のテオーリア 03


目次:

第一部 鏡のテオーリア
 序
 歩む鏡
 向きあった鏡
 見ることは見られること
 まなざし
 見ることは驚くこと
 鏡の威光
 鏡の迷宮
 水鏡
 大円鏡
 因陀羅網

第二部 鏡をめぐる断章
 眼の月
 アルキメデスの凹面鏡
 バックミラー考
 影を失った男たち
 鏡と唐の詩人たち
 仏の鏡像
 世界の鏡




多田智満子 鏡のテオーリア 04



◆本書より◆


「序」より:

「天然の水鏡から銅鏡へ、銅鏡からガラスの鏡へと、文明の階梯に対応した進化を遂げながら、鏡は古来様々な象徴に用いられることに耐えてきた。映すというそのいささか危険な機能の他に、輝くというさらに眩惑的な性質を備えたこの器具は、日常的な身辺の道具である以上に、本来の意味での「道具」即ち「成道の具」ともなり、あるいは逆に、自意識を増長せしめる破滅の具ともなった。
 鏡が古今の人間の心に、どのような方向への視野を開き、どのような禍福を招来したか、どのような光と迷宮とをもたらしたか――
 もとよりこのテーマは非力な私如きが取組むにはあまりに巨大に過ぎよう。鏡はすべてを容れる。森羅万象を映し、森羅万象を映す心を映す。鏡をめぐるトポスは無際限であり、鏡の観照(テオーリア)には終りがない。以下の文章は折にふれて鏡面のきらめきを写しとった小さなメモの集積にすぎない。」



「見ることは驚くこと」より:

「江戸時代の半ば過ぎに、橘南谿という医師が『東西遊記』と題して、好奇心に満ちた見聞記を書いている。「東遊記」と「西遊記」とにわかれ、あわせて東西遊記というわけだが、その西遊記の終りに「奇器」という章があって、「人の身より火をとる道具なりといふ」エレキテイルなどという器械と共に、オランダ渡りの奇器として顕微鏡が紹介されている。
 「又蟲眼鏡のいたりて細微なるは、わずか一滴の水を針の先に附て見るに、清浄水の中に種々異形異類の蟲ありて、いまだ世界に見ざる処の生類(しやうるゐ)遊行したり」
 だからきれいに漉した水でも、気味わるくて飲む気がしなくなる、と語ったあとで、「是らの蟲眼鏡は佛の天眼にもかへつべし」と、極微の存在を見透す仏の天眼にたとえている。そして一滴の水のなかにもこれほど種々の生物がいるのだから、顕微鏡の力も及ばぬ微細な所に、世界をなして住むものがあるやもしれない。「されば細密なる事にはいかばかりといふかぎりもあらず。此理を押せば、また大なることにも限あるべからず。此人の住る一天地、一滴の水の如くにして、斯る天地幾万億重なり居て、又その外より蟲眼鏡を以てみるもの有べからずともいひがたし」
 この無限大と無限小の認識、人間存在の相対性の認識は、全く以てパスカル的である。というよりはむしろ華厳経的な無限宇宙観に近いというべきだろうか。」



「鏡の迷宮」より:

「複数の平面鏡は映像をかぎりなく増殖させ、或る種の人々に眩惑的な愉悦あるいは恐怖を与えてきた。これに対して、望遠鏡という特殊な鏡は、プリニウスの言うところの「映像の大群」を生み出すかわりに、「宇宙の大群」をもたらしたといってよいであろう。かつて宇宙の中心であった地球はおろか、この太陽系を含む大銀河系宇宙でさえも、無数の宇宙の一つにすぎない。われわれの住む大地が唯一つの世界であり、肉眼で見える星たちがそれをうやうやしく取巻いて回転していた昔の安らかな古典的宇宙にひきかえて、何という気の落ちつかぬ、途方もない視界を、望遠鏡という器械は開いてしまったことだろう。」
「たとえばアメリカのパロマ山天文台の口径二百インチの大反射望遠鏡は二十億光年の彼方の星をとらえることができる。そのすばらしい大凹面鏡は、可視的世界を驚異的に拡大する、というよりはむしろ不可視の領域を可視の世界に強引にひきずりこみ、不可視の星――しかも気の遠くなるような遙かな過去の星の姿を、今ここに現前せしめることによって二十億光年の距離と二十億年の歳月とを同時に無限小に還元してしまう。従ってこれは空間概念だけでなく、時間概念をも破壊する装置であって、その性能が優れていればいるほど「不可視な映像の空間」が異常に拡大するばかりか、その視像の織りなす迷宮は「宇宙の大群」を発生させながらますます錯綜して収拾のつかぬものになっていくほかはないのである。」



「因陀羅網」より:

「神々の帝王インドラ(帝釈天)の宮殿を荘厳(しょうごん)している宝網を因陀羅網(indra-jala)という。その網のひとつひとつの結び目ごとに宝珠がはめこまれ、「その珠は無量にして算すべからず」とある。そしてそのひとつひとつの珠が各々他のすべての珠の影を映し、互いに映し合って一珠だに隠れることなく、又、一珠の中に現われる他の一切の珠の映像のひとつひとつが各々他の一切の珠を映し、「乃至是の如く交(こもご)も映じて重々に影現し、隠顕互に顕はれて重々無尽」なのである。(業鏡が火珠とも呼ばれたように、珠は完全無欠な鏡の性質を帯びる。因陀羅網の宝珠は別名鏡灯とも呼ばれているのである。)」

「すべての存在(諸法)はそれ自身によって存在しているのではなく、他の事物との相関関係(縁起)によって生滅しているにすぎない――これは釈迦牟尼以来の仏教の基本的テーゼだが、避けがたい本性としてこのような空性を備えた「諸法」をあらわすのに、無の有としての鏡の在りようほど、譬喩として似つかわしいものはあるまい。」



「影を失った男たち」より:

「ホフマンに『映像を売った男』という短篇がある。美しい魔性の女に魅せられながら、やはり妻子のもとに帰ろうとしたとき、「鏡を見ればいつでもお姿が見られるように、あなたの映像を残して行ってください」という甘いささやきにのせられて、女に自分の映像を与えてしまう。
 この哀れな男エラスムス・シュピークヘルは、(中略)映像を失ったばっかりに、人間扱いをしてもらえなくなり、影を求めてさすらいの旅に出るというのが話の結末である。まことに、妻のことば通り、「鏡に姿が映らなかったら、世間の人の物笑いになり、円満なほんとの家長にもなれず、妻や子供にも尊敬されないということ」を十分に思い知ったわけだ。
 ホフマンはこの作品を書くにあたって、シャミッソーの『影を失くした男』を念頭に置いていた。(中略)ペーター・シュレミールが失ったのは、鏡の映像ではなく、自分の足もとにできる黒いいわゆる影の方であるが、悪魔の誘惑に負けた彼は、無限に金貨をつかみ出せる「フォルトゥナートゥスの幸福の袋」なるものと自分の影とを取り替えてしまったのだった。そして大富豪になっても、影がないために恋人を失うばかりか、魔性の者と見なされて、人間社会に容れられず、放浪の旅に出る。」
「影とは、要するに、あろうとなかろうと少しも差支えないはずのものであるのに、それなしでは人間とはみなされない、そういう特殊な価値をもつものである。」
「ところで、東洋にも、影を失った男がいる。清の楽鈞著わすところの『耳食録』という本に出てくる鄧無影がその人だ。」
「鄧乙という男、三十になっても独り身で、なんの身寄りたよりもない貧しい暮しをしていた。(中略)ある夜、孤独に耐えかねて彼は壁にうつる自分の影にことばをかけた。
 「わたしとお前とはいつも一緒にいるのだ。少しわたしを慰めてくれたらどうだね。」
 すると隙間風にかたむく灯影につれて、大きくゆらゆらと揺らいだと見る間に、影はたちまち壁を離れ、彼の前に手をついて、「はい、何なりとお言いつけください」と言う。」
「そのうち、昼日中でも、その身から影が離れて、鄧乙の相手をするようになった。但し、他人には見えない。見えない影を相手に、話をしたり抱きついたり、さながら狂人のふるまいである。しかし誰が何と言おうと、とにかく彼は幸せであった。
 その後しばらくこのような暮しがつづいたが、何年かたった或る日、影があらたまって鄧乙に暇乞いをした。(中略)鄧乙は泣いて門まで見送って別れた。そしてその日から彼に影がなくなった。
 人は彼を鄧無影と呼んだ。
 シャミッソーやホフマンの主人公たちは、影を、いわば悪魔に質入れしたのだが、鄧乙の場合にはメフィスト的な誘惑者は出てこない。三人に共通している条件は欲求不満と孤独であるが、鄧乙の場合には純粋かつ極端な形でその条件が示される。夜の灯影のもとの独居の寂寥が、影という準実在の可能性を具えた一つの視像を、一個の独立した実在にまで育てあげる。しかし、彼の狂気がさめ、想像上の伴侶が去って行ったあとでは、彼は、影すらもたぬ男となり果てたのである。
 楽鈞という人は病身で、才名をうたわれながら性傲岸かつ狷介のため、不遇のうちに死んだといわれる。原文わずか三百五十余字のこの簡素な物語には、人間の孤独を透視した人の、醒めた寓話性のようなものがあって、西洋ロマン派作家たちの十分に描き尽くした絢爛たる力作よりも、余白の多い墨画のように、読み手の想像力をよくかきたててくれる。」



「跋」より:

「ドッペルゲンガーの彷徨する鏡の中の風景は、すでに久しい間、私の心の奥に一つの気がかりな遠景として存在してきた。
 実用のために鏡を用いる時間の長さに反比例して、鏡を観照する時間が長くなったように思われる。
 観念された鏡とは、つまるところ、増殖と反覆とを基本原理とする一個の宇宙であって、この世界に正確に対応する言語はおそらく果しない類語反覆(トートロジー)に他ならないであろう。鏡は一個の閉じられた無限宇宙なのだ。
 具象的で抽象的なこの世界は或る種の頭脳にとっては構造的にきわめて近親な相を帯びているのである。」




こちらもご参照下さい:

宮川淳 『鏡・空間・イマージュ』
川崎寿彦 『鏡のマニエリスム』 (研究社選書)
由水常雄 『鏡の魔術』 (中公文庫)
谷川渥 『鏡と皮膚 ― 芸術のミュトロギア』

















































現代詩文庫50 『多田智満子詩集』

「わたしの瞳に魚が沈む
わたしはおもむろに悟りはじめる
わたしがしあわせな白痴であることを」

(多田智満子 「葉が枯れて落ちるように」 より)


現代詩文庫 50 
『多田智満子詩集』


思潮社 
1972年11月25日 第1刷発行
1973年9月1日 第2刷発行
152p 
18.6×12.4cm 
並装 ビニールカバー 
定価420円
装幀: 国東照幸



本文二段組。


多田智満子詩集 01


目次:

詩集 〈花火〉 から
 花火
 フーガの技法
 黎明
 古代の恋
 カイロスの唄
 城
 波
 崩壊
 挽歌
 失業
 疲れ
 この島
 夜の雪
 行人
 嵐のあと
 ひとつのレンズ
 パンタ・レイ
 ドン・ジョヴァンニのレシタティヴォ
 EPITAPH
 朝の夢
 告別
 星の戯れ
 韜晦
 ヴェーガの尖塔
 わたし
 食卓
 五月の朝
 微風
 風
 ひぐらし
 露草
 晩夏
 収斂
 秋
 枯野
 氷河期
 冬の殺人

詩集 〈闘技場〉 から
 闘技場Ⅰ
 闘技場Ⅱ
 闘技場Ⅲ
 日曜日
 映像Ⅰ
 映像Ⅱ
 映像Ⅲ
 死刑執行
 朝の花火
 葉が枯れて落ちるように
 雪の伝説
 船のことば
 ふたたび船のことば
 遠い国の女から
 或るREFLUXのために
 矮人物語

詩集 〈薔薇宇宙〉 から
 発端
 虹
 死んだ太陽
 歌
 夏のはじめとおわりの唄
 べつべつにうたわれる朝の唄
 太陽がいっぱい
 闇
 薔薇
 夜の管のなかに
 薔薇宇宙

詩集 〈鏡の町あるいは眼の森〉 全篇
 眠りの町
 道たち
 鏡
 鏡の町あるいは眼の森

詩集 〈贋の年代記〉 から
 アリアドネ
 オルペウス
 オデュッセイア
 ヒヤシンスの墓
 夏の魚
 穀霊
 エクピローシス以後
 鏡の港
 海へ
 うたごよみ
 春
 朝あるいは海
 秋の思想
 フランスでわたしは
 風が風を
 降誕節のプロローグ
 皇帝のいない国
 井戸
 煙
 最後の晩餐
 神話学
 子供の領分
 陰翳
 きのうの蛇
 暮念観世音

評論
 ヴェラスケスの鏡

自伝
 薔薇宇宙の発生

作品論
 クロノスと戯れ (鷲巣繁男)
詩人論
 詩人を訪う (高橋睦郎)



多田智満子詩集 02


カバー裏推薦文:

「「書かれたものとしての作品」ということの意味を、そこから湧出する愉しさも恐ろしさもともどもに、本当に骨身に沁みて体得している人は、いわゆる詩人や詩論家の中にも(奇怪なことではあるが)ほんの数人しかいないようだ。そういう数少い詩人の一人、重畳する詩の逆説に足をとられずに《作品》の真の意味を見据えて歩むことのできる貴重な詩人の一人が、多田智満子だ。その作品には往々《知的》という評言が与えられるが、それは彼女の作品が十分に《本質的》であることについての、きわめて迂遠な印象を述べる言葉に過ぎぬ。
入沢康夫」




◆本書より◆


「花火」:

「永劫を嘲ける
かん高い朱と金のアルペジオ
羊歯類は落魄に飢え
一夜熾んなヒステリア」



※参考 吉田一穂「鰊」より:

「色なす鰊の群(むれ)を追うてゆく鴎。
透き冴える岩礁に波は激して咽び、
眩暈(めくるめ)く熾んな碧水の比私天里亞。」


「夜の雪」:

「冬ごもりの獣のように
身をまるめ まなことじれば
大屋根小屋根に雪がふりつむ
かけているふとんのうえに雪がふりつむ
まぶたのうえに雪がふりつむ

夜のうえに夜がふりつむ」



※参考 三好達治「雪」より:

「太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。」


「きのうの蛇」:

「きのう夢のなかで美しい蛇を見た。
 じつは夢ではなくたしかに庭で蛇を見たのだが。雨のしとしとふる夕ぐれの庭の奥の そこだけまだ白い石崖の下で。

 でもきょうは晴れであるし、濡れた黄昏の蛇は二度と現われない。
 完璧のうろこに身をつつみ、鋭敏な冷淡さしか見せなかった、あの白と灰色の大きな縞蛇。彼は私の凝視に堪えて身じろぎもしなかった。
 (私の背後で谷川がざあざあと深い音をたてていた)

 私は昏れていく大地に向って一吹き口笛を鳴らした。とたんに蛇が舌を出した――というより、眼にもとまらぬ速さで舌を出し入れした。
 淡い朱色の とがった顫音(トレモロ)……

 舌をひっこめるとこんどはゆっくり進みはじめた。たいそうゆっくり――しかしやはり一秒に何十回という速さで全身のうろこがふるえ、ふるえながらなめらかに体が前へずれていく……
 頭から尾まで三つうねった波型を少しも変えず、尾の端を消滅させ同時に頭を先へ先へと生起させながら。
 (そのすばやい生滅を進行と人は呼ぶのだろうか)

 蛇は松の根方の濃いくさむらにすべりこみ、私は傘を手にしたまま雨の中にとり残された。ぐらりと傾いた丈高い茸のように。

 そう、あれはやはり夢であったにちがいない。波うちながら生起し消滅した細長い夢。
 (あの全身のうろこの、白と灰色の華麗なヴィブラート!)

 この庭そのものも、きのうのあの庭ではない。くまなくかわいて翳りがなくて、谷川の音も浅くなった。
 たしかに私は暗い幻の雨のなかで眼をみひらいていたにちがいない。
 そして私自身、あのとき、庭の隅の一本の茸であったにちがいない。」



高橋睦郎「詩人を訪う」より:

「詩人は庭のはずれにある径(こみち)を伝って崖下に降り、私は従った。崖下にくだる小径は涼やかな音につつまれる。音は崖下の斜(なぞ)えを落ちたぎつ山川の川瀬で、径は川瀬沿いにもういちど庭へのぼる。庭にのぼったその場所で突然、異形のものを目に入れて、声を挙げて私は跳びしさった。詩人はふり返って、私の驚愕の原因をつきとめ、そのもののそばにしゃがみこんで、私のほうを見た。蛇ね。」
「詩人に言われて、あらためて詩人のすぐ前、私のいる地点からはおおよそ二メートル先に蜷局(とぐろ)を巻いているそのものを確めて、私はもういちど驚いた。穢い灰いろの小さなその渦巻は、稚い頃から教えられ教えられした私の記憶では、まぎれもなく蝮だったからである。
 蝮ですよ! と、その地点から一歩も近づこうとはせず、私は叫んだ。しかし、詩人はあらそおおと言ったまま、その小さな毒虫を覗きこんだ顔を上げようともしない。そのうち、蜷局はするすると解け、蛇身は見る見る短くなって、遂には失われた。詩人はようやく立ちあがって、こちらを見て微笑(わら)った。どうやら、お昼寝の邪魔をしたようね。
 その、おそらくはまだ成長期にある毒虫は、生得のつめたい血液を暖めるべく、日あたりのいいそこで仮眠していたのだろう。偶(たまた)まそれを見つけて私が跳びあがったことも、そのあと詩人がしゃがみこんだことも、蛇にとってはもちろん望んだことではなく、むしろ迷惑だったであろう。彼の迷惑の表情は、蜷巻を解いて身をかくしたそのことに直接的に現われていた。
 お昼寝のすぐ下に穴があってね、そこに入っちゃったらしいの、と、私のそばまで来て詩人が言った。詩人の覗きこんでいた場所に行ってみると、庭のすみのセメントを張った一トところがひわれて、なるほど昏い穴の入口が覗かれた。覗きこみながら、獰猛な首が迫(せ)りあがるのではないかと、私は怕かった。それにしても、何という大胆な女人であろう。」























































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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