多田智満子 『長い川のある國』
「なんと恩知らずな 思いあがった人間たち!」
(多田智満子 『長い川のある國』 より)
多田智満子
『長い川のある國』
書肆山田
2000年8月31日 初版第1刷
108p 「多田智満子」2p
21.6×15.2cm
装幀: 吉野史門
生前最後の詩集。

帯文:
「砂と灼光と風の大地を往くナイル
人間の日々の喜びと骨折り、さかしらと滑稽が流れる。
五千年の彼方から、王たちの声とかわいた虫の足音を運ぶ。
読売文学賞受賞」

署名入りでした。
目次:
川
源
時
砂
流
扇
系
岸
船
冥
像
跡
封
棺
埋
鳥
風
血
氾
遊
宴
顎
主
甕
針
空
曙
日
又
魂
樹
刻
字
回
井
踏
塩
停
紗
豆
食
泡

◆感想◆
「砂は砂につづく
水は水につづく
時は時に
永遠は永遠に」
このような四行を冒頭に置いて、本詩集は、
「過去・現在・末来を
つらぬく棒の如き川」
と、歌いだされますが、これは高浜虚子の句「去年今年貫く棒の如きもの」の本歌取りです。
「この大河の源はどこか
見ようとして旅立った者は遂に帰らなかった
かれを探しに出かけた者は数年の後
おぼろげな消息をたずさえてもどってきた
――かれは遡って遡って銀河までたどりつき
あの微細な星のひとつになった
信じようと信じまいと
夜になれば川は満身に星を鏤(ちりば)める
水が原郷を恋うているのだ と
感傷的な人たちは語り合う」
「ナイル、砂漠、ピラミッド……じつにエジプトはその悠久の歴史とともに風土そのものが《永遠》を感じさせる国である。私は若いときから遠いところを眺めたがる性癖があって、空の星とか、あるいはぐっと古い時代のことに関心があった。まなざしを長くのばして、古代へ古代へと遡ることは、人間の心の源へと近づいてゆく行為でもある。ナイルの水源を探しに行って多分小さな星になったらしいこの作中の男とちがって、私はこの歳になるまで微塵の如き星にもなれず地上をうろうろしている。」
(『犬隠しの庭』(平凡社、2002年)所収「天井川それとも天上川」より)
しかし、「長い川のある国」を、エジプトに限定しなくてもよいです。古代はどこにでもあったし、川も至るところにありました。
「漢武帝の時に張騫といへる人を召して、天の河のみなかみ尋ねて参れとつかはしければ、うき木にのりて河のみなかみ尋ね行きければ、見も知らぬ所に行きてみれば、常に見る人にはあらぬ様したる人の機をあまた立てて布を織りけり。また知らぬ翁ありて牛をひかへて立てり。是は天の河といふ所なり。この人々は、たなばた・彦星といへる人々なり。さては我はいかなる人と問いければ、「みづからは張騫といへる人なり、宣旨ありて河のみなかみ尋ねてきたるなり」と答ふれば、「これこそ河のみなかみよ」といひて、「今は帰りね」といひければ、帰りにけり。(中略)まことにや、張騫帰り参らざるさきに、天文の者参りて、七月七日に今日天の河のほとりにしらぬ星いできたりと奏しければ、あやしびおぼしけるに、この事をきこしめしてこそ、まことに尋ねいきたりけれと思召しけり。」
(源俊頼『俊頼髄脳』より。ただし、中野美代子『ひょうたん漫遊録』所収「銀漢渺茫――黄河源流は銀河なりしこと」より孫引、表記を一部改めた)
「あまりに空が虚ろなので
わたしはカバンを置き忘れた
たぶん四千年昔の神殿の裏手に
パスポートを紛失したが
かまうものか
帰るべき国はとっくに忘れてしまっている」
「なつめ椰子
砂漠にあってもっともみごとな
もっとも賞むべき樹」
「――この木一本あれば、ひと家族が飢えないですむのです」
「なつめ椰子という植物になじみのない読者には、熱帯の椰子(やし)(ココやし)を想像していただけばよい。枝のない幹が三十メートル近くまっすぐにのび、樹冠に巨大な羽根のような葉がかたまって生えている。遠くからでも目立つ木で、昔はパレスチナにたくさん生え、森になっていたところもあったらしい。(中略)この木の果実は、今も昔も北アフリカやアラビアなど、地中海の東岸から南岸の地域ではきわめて重要な食糧で、(中略)きくところによれば、庭にニ、三本のなつめ椰子があれば一家族が年中食物に困らないそうである。」
(『森の世界爺』(人文書院、1997年)所収「いちじく桑に登った男」より)
しかし、
「川には万年先まで予約が入っていた
歳ごとの増水 氾濫の予約
河神はきちんと約束を守って
デルタに豊饒をもたらした
それなのに(あろうことか)さかしらぶった人間たちは
その予約を破棄したのだ
はんらんはもうけっこう
水量はわたしたちが調節します
なんと恩知らずな 思いあがった人間たち!
五十年もたたぬのに
(万年に比べれば一刻の間だ)
麦は塩を噴きはじめ
大地は苦りきっている」
このように歌わねばならぬのは、詩人にとって不幸なことですが、それが詩人の義務であり、詩人以外にこうしたことを言える人間はないです。
そして詩人という種族もまた、地を払って消滅しつつあります。
「死者の住む西岸と
生者の住む東岸
そのあわいを行く
この船
流れのなかに片脚だけ残して
石の神はどこへ去ったか
一抱えもあるその足首に
ともづなかけてもやいする船
びっこの神はどこをさすらっているか
船長(ふなおさ)たちは神々の行方など気にもとめない」
ところで、種村季弘は生前最後のエッセイ集『畸形の神――あるいは魔術的跛者』(青土社、2004年)に、次のように記しています。
「見よ、そのときわたしは
お前を苦しめていたすべての者を滅ぼす
わたしは足の萎えていた者を救い
追いやられていた者を集め
彼らが恥を受けていたすべての国で
彼らに誉を与え、その名をあげさせる。
(ゼファニャ書3-19)
追いやられた者や足萎えはかならずやまた帰ってくる、と予言はいうのである。」
(多田智満子 『長い川のある國』 より)
多田智満子
『長い川のある國』
書肆山田
2000年8月31日 初版第1刷
108p 「多田智満子」2p
21.6×15.2cm
装幀: 吉野史門
生前最後の詩集。

帯文:
「砂と灼光と風の大地を往くナイル
人間の日々の喜びと骨折り、さかしらと滑稽が流れる。
五千年の彼方から、王たちの声とかわいた虫の足音を運ぶ。
読売文学賞受賞」

署名入りでした。
目次:
川
源
時
砂
流
扇
系
岸
船
冥
像
跡
封
棺
埋
鳥
風
血
氾
遊
宴
顎
主
甕
針
空
曙
日
又
魂
樹
刻
字
回
井
踏
塩
停
紗
豆
食
泡

◆感想◆
「砂は砂につづく
水は水につづく
時は時に
永遠は永遠に」
このような四行を冒頭に置いて、本詩集は、
「過去・現在・末来を
つらぬく棒の如き川」
と、歌いだされますが、これは高浜虚子の句「去年今年貫く棒の如きもの」の本歌取りです。
「この大河の源はどこか
見ようとして旅立った者は遂に帰らなかった
かれを探しに出かけた者は数年の後
おぼろげな消息をたずさえてもどってきた
――かれは遡って遡って銀河までたどりつき
あの微細な星のひとつになった
信じようと信じまいと
夜になれば川は満身に星を鏤(ちりば)める
水が原郷を恋うているのだ と
感傷的な人たちは語り合う」
「ナイル、砂漠、ピラミッド……じつにエジプトはその悠久の歴史とともに風土そのものが《永遠》を感じさせる国である。私は若いときから遠いところを眺めたがる性癖があって、空の星とか、あるいはぐっと古い時代のことに関心があった。まなざしを長くのばして、古代へ古代へと遡ることは、人間の心の源へと近づいてゆく行為でもある。ナイルの水源を探しに行って多分小さな星になったらしいこの作中の男とちがって、私はこの歳になるまで微塵の如き星にもなれず地上をうろうろしている。」
(『犬隠しの庭』(平凡社、2002年)所収「天井川それとも天上川」より)
しかし、「長い川のある国」を、エジプトに限定しなくてもよいです。古代はどこにでもあったし、川も至るところにありました。
「漢武帝の時に張騫といへる人を召して、天の河のみなかみ尋ねて参れとつかはしければ、うき木にのりて河のみなかみ尋ね行きければ、見も知らぬ所に行きてみれば、常に見る人にはあらぬ様したる人の機をあまた立てて布を織りけり。また知らぬ翁ありて牛をひかへて立てり。是は天の河といふ所なり。この人々は、たなばた・彦星といへる人々なり。さては我はいかなる人と問いければ、「みづからは張騫といへる人なり、宣旨ありて河のみなかみ尋ねてきたるなり」と答ふれば、「これこそ河のみなかみよ」といひて、「今は帰りね」といひければ、帰りにけり。(中略)まことにや、張騫帰り参らざるさきに、天文の者参りて、七月七日に今日天の河のほとりにしらぬ星いできたりと奏しければ、あやしびおぼしけるに、この事をきこしめしてこそ、まことに尋ねいきたりけれと思召しけり。」
(源俊頼『俊頼髄脳』より。ただし、中野美代子『ひょうたん漫遊録』所収「銀漢渺茫――黄河源流は銀河なりしこと」より孫引、表記を一部改めた)
「あまりに空が虚ろなので
わたしはカバンを置き忘れた
たぶん四千年昔の神殿の裏手に
パスポートを紛失したが
かまうものか
帰るべき国はとっくに忘れてしまっている」
「なつめ椰子
砂漠にあってもっともみごとな
もっとも賞むべき樹」
「――この木一本あれば、ひと家族が飢えないですむのです」
「なつめ椰子という植物になじみのない読者には、熱帯の椰子(やし)(ココやし)を想像していただけばよい。枝のない幹が三十メートル近くまっすぐにのび、樹冠に巨大な羽根のような葉がかたまって生えている。遠くからでも目立つ木で、昔はパレスチナにたくさん生え、森になっていたところもあったらしい。(中略)この木の果実は、今も昔も北アフリカやアラビアなど、地中海の東岸から南岸の地域ではきわめて重要な食糧で、(中略)きくところによれば、庭にニ、三本のなつめ椰子があれば一家族が年中食物に困らないそうである。」
(『森の世界爺』(人文書院、1997年)所収「いちじく桑に登った男」より)
しかし、
「川には万年先まで予約が入っていた
歳ごとの増水 氾濫の予約
河神はきちんと約束を守って
デルタに豊饒をもたらした
それなのに(あろうことか)さかしらぶった人間たちは
その予約を破棄したのだ
はんらんはもうけっこう
水量はわたしたちが調節します
なんと恩知らずな 思いあがった人間たち!
五十年もたたぬのに
(万年に比べれば一刻の間だ)
麦は塩を噴きはじめ
大地は苦りきっている」
このように歌わねばならぬのは、詩人にとって不幸なことですが、それが詩人の義務であり、詩人以外にこうしたことを言える人間はないです。
そして詩人という種族もまた、地を払って消滅しつつあります。
「死者の住む西岸と
生者の住む東岸
そのあわいを行く
この船
流れのなかに片脚だけ残して
石の神はどこへ去ったか
一抱えもあるその足首に
ともづなかけてもやいする船
びっこの神はどこをさすらっているか
船長(ふなおさ)たちは神々の行方など気にもとめない」
ところで、種村季弘は生前最後のエッセイ集『畸形の神――あるいは魔術的跛者』(青土社、2004年)に、次のように記しています。
「見よ、そのときわたしは
お前を苦しめていたすべての者を滅ぼす
わたしは足の萎えていた者を救い
追いやられていた者を集め
彼らが恥を受けていたすべての国で
彼らに誉を与え、その名をあげさせる。
(ゼファニャ書3-19)
追いやられた者や足萎えはかならずやまた帰ってくる、と予言はいうのである。」
スポンサーサイト