稲葉京子 『鑑賞・現代短歌 二 葛原妙子』

「たれかいま眸を洗へる 夜の更に をとめごの黒き眸流れたり」
(葛原妙子)


稲葉京子 
『鑑賞・現代短歌 二 
葛原妙子』


本阿弥書店 
1992年4月20日 初版
1993年3月20日 再版
248p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,800円(本体1,748円)
装幀: 山岸義明



葛原妙子百首鑑賞。
著者は1933年生、歌人。


稲葉京子 葛原妙子


帯文:

「特異な感受で
現世より翻然と羽搏く
幻視の歌人・葛原妙子。
その透徹の眼差の
奥行に触れる。
(第四回配本)」



帯裏:

「鑑賞・現代短歌――全十二巻
一 前川佐美雄 (伊藤一彦)
二 葛原妙子 (稲葉京子)
三 斎藤史 (河野裕子)
四 佐藤佐太郎 (秋葉四郎)
五 宮柊二 (高野公彦)
六 近藤芳美 (小高賢)
七 塚本邦雄 (坂井修一)
八 上田三四二 (玉井清弘)
九 前登志夫 (藤井常世)
十 岡井隆 (小池光)
十一 馬場あき子 (今野寿美)
十二 寺山修司 (春日井建)」



目次:
 
I 秀歌百首鑑賞
  『橙黄』
 アンデルセンその薄ら氷に似し童話抱きつつひと夜ねむりに落ちむとす
 南瓜の種煎りて与ふる夜長なりさびしきいくさのことは銘せよ
 竹煮ぐさしらしら白き日を翻す異変といふはかくしづけきか
 十月の地軸しづかに枝撓む露の柘榴の実を牽きてあり
 灰色のけぶれる猫よまなこ青みしづかにきたる春の燈のもと
 サラブレッド種嘶きたかくふるはする大気の冷えのむらさきを感ず
 奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり
 わがうたにわれの紋章のいまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる
 橙黄色の花筒仄明かる君子蘭昏れながき微光を背後に持てり
 青銅の小さき時計が時刻む怖れよ胡桃は濃き闇に垂れ
  『縄文』
 医家の庭掘りゐるときのシャベル音異形のものにつきあたりたり
 床に散るキング、スペイド山屋にしのび入りトランプを切りし一人あり
 狂熱のごとき孤独は兆さむか山の孤屋にこがらし聞けば
 徴兵とふ一語ひびくに敏き者敏からぬ者ラジオを聞けり
 卓上に置かれしいづれも白くして秋の手紙の嵩うすきなり
 ヴィヴィアン・リーと鈴ふるごとき名をもてる手弱女の髪のなびくかたをしらず
 縄の文父にはなきやまはだかに立ちてあゆめるこどもになきや
  『飛行』
 長き髪ひきずるごとく貨車ゆきぬ渡橋をくぐりなほもゆくべし
 夫がかたへにものを食しをるしばしなりつめたき指に箸をあやつり
 しづかなる奔足は起るあかつきに一病棟の森閑の中
 糸杉がめらめらと宙に攀づる絵をさびしくこころあへぐ日に見き
 マリヤの胸にくれなゐの乳頭を点じたるかなしみふかき絵を去りかねつ
 落としきし手套の片手うす暗き画廊の床に踏まれあるべし
 おほき薔薇の花弁の縁捲きそめぬかさなれる瞼とリルケは言はむ
 謝罪すべきいくばくの生活とめつむれりしかあり、やがて更に瞠き
 ふしあはせなるいくつの貌を蔽さんに夜空にかざしし黒きかうもり
 恋の工吹きしならむよボヘミヤの玻璃は滴のごとく脆かり
 椿の花の赤き管よりのぞくとき釘深し磔刑のふたつたなひら
 うはしろみさくら咲きをり曇る日のさくらに銀の在処おもほゆ
  『薔薇窓』
 薄暑ある幻燈の中かすかなるゑまひたもちしわれのあらはる
 寺院シャルトルの薔薇窓をみて死にたきはこころ虔しきためにはあらず
 愛されず 人を愛さず 夕凍みの硝子に未踏の遠雪野みゆ
  『原牛』
 あくがれてきつるにあらね ゆきずりの小さき御堂に人充ちてをり
 あやまちて切りしロザリオ転がりし玉のひとつひとつ皆薔薇
 死神はてのひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり
 胡桃ほどの脳髄をともしまひるまわが白猫に瞑想ありき
 青き木の実の憂愁匂ふうつくしき壮年にしてめとらざりにき
 わが服の水玉のなべて飛び去り暗き木の間にいなづま立てり
 薄命ならざるわれ遠くきて荒海の微光をうつすコムパクト
 原牛の如き海あり束の間 卵白となる太陽の下
 黒峠とふ峠ありにし あるひは日本の地図にはあらぬ
 築城はあなさびし もえ上る焔のかたちをえらびぬ
 拡大鏡ふとあてしかば蝗の顎ありし 蝗の顎は深淵
 星と星かち合ふこがらし ああ日本はするどき深夜
 かの黒き翼掩ひしひろしまに触れ得ずひろしまを犠として生きしなれば
 墓石はなにの中心 雪はだらなるひるにおもへる
  『葡萄木立』
 水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき
 美しき雲散らばりしゆふつかた帝王のごと機関車ゆけり
 たれかいま眸を洗へる 夜の更に をとめごの黒き眸流れたり
 青虫の目鼻かすけき切創に似つつうすらに繭吐くあはれ
 うすらなる空気の中に実りゐる葡萄の重さはかりがたしも
 口中に一粒の葡萄を潰したりすなはちわが目ふと暗きかも
 いまわれはうつくしきところをよぎるべし星の斑のある鰈を下げて
 おほいなる雪山いま全盲 かがやくそらのもとにめしひたり
 美しき把手ひとつつけよ扉にしづか夜死者のため生者のため
 晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて
 鴨は胸をかきむしる鳥 あかるき銃声にますぐに落つる鳥
 明るき昼のしじまにたれもゐず ふとしも玻璃の壺流涕す
 みどりふかし母体ねむれるそのひまに胎児はひとりめさめをらむか
 美しき信濃の秋なりし いくさ敗れ黒きかうもり差して行きしは
 胎児は勾玉なせる形して風吹く秋の日発眼せり
  『朱霊』
 西湖畔西冷印社の朱泥を購うときまさに西のそら冷えゐたり
 わがめがねひだりの玉の脱け落ちてしづくのごときは垂りしとおもふ
 肉親の汝が目間近かに瞬くをあな美しき旅情をかんず
 あな遠く市街の中空にくるま流れ玉虫ほどのひかりとなりゐき
 楽想に似たらずやかのマンモスが黄色の和毛もちてゐしこと
 書を移すひと日ありけり書のあひにをとめなりにしわが声ひそむ
 疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ
 ゆふぐれにおもへる鶴のくちばしはあなかすかなる芹のにほひす
 かくおもたき母の睡りをいづかたに運ばむとわが子の姉妹ささやく
 ひえびえとかひこの毒を感ぜしむ絹の衣ながく纏へる汝は
 子供はつくづくとみる 己が手のふかしぎにみ入るときながきかも
 他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水
 ちゃんねるX点ずる夜更わが部屋に仄けく白き穴あきにけり
 雁を食せばかりかりと雁のこゑ毀れる雁はきこえるものを
 水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾酪黴びたり
 わが右手はたらきながらひだり手の停りて知る除夜の静寂
 剥製となりし磯鴫いつはりのちひさなる火をひとみに点ず
  『鷹の井戸』
 みゆるごとしみえざるごとし床を這ふあさがほの手の千の収奪
 薄ぐらき谷の星空金銀交換所とぞおもひねむりし
 いかなる意味あるならねども肘つきしわがもろ手もてかほを掩ひぬ
 みゆるごとあらはれながらとこしへにみえざるものを音といふべき
 げに麦はおんがくを聴くことありて麦生戦ぐといふにあらずや
 めぐすりを差したるのちの瞑目に破船のしづくしたたりにけり
 しみじみと聞きてしあればあなさびし暗しもよあな万歳の声
 犬憂へ曳かれたりけりアルプスの斑おほいぬ市街を曳かる
 不可思議のちからとせよ祖母がなんぢのかうべに置きたる片手
 大き鷹井戸出でしときイエーツよ鷹の羽は古き井戸を蔽ひしや
 雲の氾濫はげしき昼に眸うごくモナ・リザ・ダ・ジョコンダの像
 嵐、とわれは呟く濃緑の大甕にながれゐる釉薬
 わがおもてことざまなりや童女いふ「死ぐときも口紅つけてる?」
 枇杷は人の病呻吟に育つとふおそろしき説なしとせなくに
  『をがたま』
 わがこゑのカセットより流れいでわが生前の声となりゐつ
 月光は受話器をつたひはじめたり越前岬の水仙匂ふ
 わがねむる木の間の臥床にとほからず老いたる星の大集団
 菫低し汝がかたはらにわが靴はたがひちがひにあゆみぞいづる
 しづかなる大和の寺を覗きみぬ聖娼婦百済観音の足
 老妹は死者に侍らふ いふべくは死者を付さん者と侍らふ
 ハム薄く切りつつぞをりちひさなる豚の瞼のごときも切りたり
 なみだ流れ ながれやまずも ここにして 目光れる少年を見ず

II 秀歌三百首選

葛原妙子略年譜 (林市江 編)
あとがき



◆本書より◆


「たれかいま眸を洗へる 夜の更に をとめごの黒き眸流れたり

 この夜更けに、誰かが眸を洗っている。その水音が作者の耳にしきりに聞えて来る。
 眸を洗っているのは乙女子であるという。
 「をとめごの黒き眸流れたり」の下句を読んで読者ははっとする。いって見れば度肝を抜かれる。意表をつかれる表現といえよう。
 けれども、静かな夜更の出来事をうたうこの妖しい歌は、不思議に澄んでおり、あるべくもないことが、この澄んだ気配の中で起こり得るような気がしてしまう。どこかで納得させられてしまうような気がする。
 作者には崩壊感覚、流出感覚などが原不安として心底にあるとされており、いつしか洗っている眼球は静かに闇の中に流れ出てしまうのであろうか。
 しかし逆に言えば、眸さえ流れ出すように思われる感覚は、常識の、或る境界や掟を破っており、その分だけ自由なのだと言うことが出来る。作者の作品に妖しく美しいイメージが展開され、しきりにその魅力が読者をいざなうのも、その境界を越えたところにある。
 聞くところによると、実際に流れたものはコンタクトレンズであったのだという。
 コンタクトレンズが流れた一瞬を「をとめごの黒き眸流れたり」とイメージする作者の発想の自在さはここにある。そして現実の説明など一切不要な美しさをもって、歌は見事に屹立しているのである。」




































スポンサーサイト

『現代歌人文庫 6 葛原妙子歌集』

他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水
(葛原妙子)


『現代歌人文庫 6 
葛原妙子歌集』


国文社 
1986年4月30日 初版発行
1995年2月20日 初版第2刷
216p 口絵i 
四六判 並装 ビニールカバー 
定価1,236円(本体1,200円)
装幀: 粟津潔



中井英夫選。本文二段組。


葛原妙子歌集 現代歌人文庫 01


目次:

『葡萄木立』 (完本)

歌集抄
 『橙黄』
 『縄文』
 『飛行』
 『薔薇窓』
 『原牛』
 『朱霊』
 『鷹の井戸』

選のあとに (中井英夫)

歌論
 再び女人の歌を閉塞するもの (「短歌」昭和三十年三月号)
 ゆうぐれの水 (『わが歌の秘密』昭和五十四年不識書院刊)
 薔薇玉――歌う日々 (『孤宴』昭和五十六年小沢書店刊)

プライベート・ルーム
 信濃、わが亡命の旅 (執筆年不明、『孤宴』所収)
 歌人日乗 (昭和五十四年、『孤宴』所収)

歌人論
 幻視の女王――葛原妙子 (塚本邦雄) (講談社『昭和萬葉集』別巻、昭和五十五年十二月所収)
 現代短歌論のための葛原妙子 (菱川善夫) (「日本文学」昭和四十六年五月)

解説
 球体の幻視者(中井英夫)



葛原妙子歌集 現代歌人文庫 02



◆本書より◆


中井英夫「選のあとに」より:

「このたびの選集は『葡萄木立』を完本で収めるということなので、それを除いた『葛原妙子歌集』二五〇二首、『鷹の井戸』が七二一首、併せて三二二三首から三五〇首ほど選んでくれというのが最初の注文であった。
 もともと作者自身が選に当られる筈だったものが、さまざまなゆくたてがあって未刊のままになっているのを気にしてはいたが、八五年九月四日の永訣の刻を迎えてみると、追悼のためにもぜひとも刊行を急いでもらいたいと思うようになり、こちらから働きかけてのことだから、選という大任を引き受けざるを得ない。しかし実際に取りかかってみるとこれは容易なことではなかった。
 なにしろ昭和二十五年のデビュー作二編はこの手で受け取ったもので、晴れがましさと不安とをこもごもに誌上に飾ったのも私である。歌集『飛行』は編集を依頼され、小見出しもすべて私がつけた。一首一首の背後にある事実と心情も詳しく説明され、相談を受けもした。ことに『橙黄』前半の戦時中の山住まいの話は感銘深く、のちに私の小説にもずいぶん多く写させてもらった。
 それから三十余年を、このたぐい稀れな幻視者からどれほどのことを教えられたか、ここには到底記しきれない。それだけに最初の粗選をして六〇〇首を得、さらに七〇首ほどを削ったが、なおまだ大幅に超過しており、また初めから番号をふって四二〇首にしたときは、もうこれ以上はどうあっても減らすことが出来ないと感じた。作者が読んで、なぜあの歌が入っていないのかという思いだけは持たないようにというのが、私の念じた基本である。
 何度か胸騒ぎに襲われながら、ついに病室を訪ねることなく別れの日は来た。洗礼名マリア・フランシスカの魂を送った東京カテドラル聖マリア大聖堂ならぬ幻の祭壇に、いま謹んでこの一冊を捧げる次第である。」



中井英夫「球体の幻視者」より:

「その作品がひとつのピークを形づくったのは昭和三十四年の『原牛』においてであった。このとき人はようやく葛原妙子という幻視者の存在を知り、この地上には退屈無残な現実ばかりではなく、美と危機とが断崖の際どい境で互(かた)みに支え合うもう一つの世界があることを教えられたのである。一見、ただ流麗なだけと見過されがちな作品にも、作者の渾身の絶望を読み取りさえするならば。」


葛原妙子歌集 現代歌人文庫 03


「ゆふぐれの水」より:

「他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

 歌のヒミツなどとは読者には魅力ある課題であろう。だが当の作者としては、故意の隠し立ては別として、これこれと筋を立てて自分の歌の出来た経路を説明出来ることは先ずあり得ないのが実情ではないだろうか。人によっては過ぎた「うた」とはきのう見た夢のカケラのようなものであって、そのよってきたる所を探れば探るほど怪しくなる場合が多い。だがたまたま異例もあって遥かな昔の歌ですら成立の経路が奇妙にはっきりしている場合もあるのである。ときに右の「的となるべき」歌は比較的近作であって歌の出来た当時の印象は鮮やかである。だが私が特に好んでいる歌ではないのである。
 処で作歌以前の問題だが私はどちらかと云うと歌うべき素材が少ない方がよい。元来素材が少ないことはたのしいからである。歌うべき何かをみつけようとする飢えに似た感情を先ず愛するからである。次に、有り勝ちな人生的事件や、またかの野晒しの旅ならぬ常なる旅によっていやおうなく先方から歌う素材を貰ってしまっている時よりもむしろこちらから出かけて素材を求めにゆくことは遥かに自由であるということが出来るからでもある。
 さて、「的となるべき」の歌が出来たのは数年前の雨季、六月の台所であった。これから夕方の調理にかかろうという時で、その時の私には締切を明日に控えて一首の歌が足りなかったのである。
 大きなフライパンが一個。小さいのが一個。それぞれ油がなじんでいて黒光りのする骨董品であった。必要なのは大きい方だったが生憎と大小二つが一つの釘に重ねて掛けてあった都合上、小さい方を一先ず外し、私は何ということもなくそのフライパンをそばの硝子窓に透かしたのであった。といってそのフライパンに小さな穴を発見する積もりだったというのでもない。人間には実にしばしばこのようにムイミな動作をすることがあるものである。
 だが歌うべきことはそこにあった。フライパンの底をとおしてぽっかりと遠い水がみえたからである。おそらくはこのフライパンの底の丸みが的水となるのにふさわしい手頃の大きさであったのかもしれぬ。
 「的となるべき」の歌が出来るキッカケ、つまり素材の発見は、実に、この様な他愛ない場所にあってそこにはヒミツのカケラすらなかったのである。重ねて云えば歌を求めていた時に偶然フライパンを取り上げたこと、それとそれを覗いたときにそこにはからずも遠い丸い水があったというにとどまる。
 こうして右の一首は私には珍しく台所に立った姿勢のままで紙に記すことなく頭の中で誕生した。ただ「的」という言葉が唇にのぼった時、ちょっとためらったのはこの際果してこの使い慣れない言葉がこの一首に納まるだろうかという不安の念であった。だが私は結局自分の感じに強引に従うことにした。」
「人間の真実とは求めて行くならば実に片々たる素材からも探り出せるのではなかろうか。一例を云えば先のフライパンの様な愚にもつかないものが、考えてみればふと、私にとって逃れがたい空おそろしいものを見せてくれた様にも思うからである。
 従ってこの「的」の歌はどこか私にはうす気味がわるい。信じがたい他界のわれがいて下界の一点をみつめている、という感じに尽きるからである。だが歌とは作ると同時に歩き廻るからこの歌に別の感じ方があってもよい。例えば「しづかなる的」などと云いながら或る人には少しばかり悪魔の声もきこえるかも知れない。或いは死者とか天使などがあらぬ所から白っぽい目で現世を垣間みているというふうもあろう。この感じ方は私自身の感じる所に近いがさりとて瓜二つではない。この歌には最早、死者や天使をそこに置くという演出はないからである。ずばりと他界にいるのは他ならぬ「われ」である。
 ところでこの歌が私に好ましくない理由は以上のこととは一応別である。おかしい言い方だが初句の「他界より」の詩歌に於ける特殊常套語である。ここはひとつ何とかならないものか。私は実はこの一首を作る前に家鳩の啼く声を聞き、それを青い襤褸(ぼろ)が慄えているように感じた。だがそれは歌になったものの出来のわるい歌であった。後に苦労の末、大分ましな歌になったのである。だがこの「他界より」を私らしい言葉に直すことは今もって出来ないでいる。つまりこの歌は私には依然として不完全であり、不完全は作歌技倆の無器用として余りあるのである。
 だが私は無器用ということをそれ程わるいとは思っていない。ただこの歌に限って無器用はわるいのである。一句が借物じみているのを感じると私のやや病的な完全癖が頭を擡げる。だが完全。思えば人間としてこれ程の傲慢はあり得ず、私の不完全はこの歌だけである筈はないのである。また完全自体はそれ程良質なものであり得ようか。完全癖の退治に私は今後の生涯をかけたいとさえ思う。」









































葛原妙子 随筆集 『孤宴(ひとりうたげ)』

葛原妙子 
随筆集 『孤宴』


小沢書店 
昭和56年1月20日 第1刷発行
235p 
四六判 角背布装上製本 貼函 
定価1,800円



葛原妙子 孤宴 01


帯文:

「疎開の地、浅間の自然は、ひとりの歌びとに新しい歌と人生を与えた。妖しくも自在な心象風景。『朱霊』『鷹の井戸』の歌人が、戦後三十五年の時の流れの中でめぐり逢った師友のこと、歌のこと、旅と生活など折にふれて綴られた味わい深い初の随筆集。」


帯背:

「歌を生きる――歌人日乗」


目次:

薔薇玉
 手巾
 白い朝顔
 月光
 舞踏する百合
 二つのS
 薔薇玉
 友禅
 日光浴
 海の家
 黄金週間前後
 繭
 ねむりの位置
 魂の自由

歌人日乗
 若き仏陀
 萱の火
 竹似草往還
 埋めざりしや
 国内亡命者
 怪水の記
 黄金狐
 雉
 斉藤茂吉の演出
 珍の墓
 写真
 歌人日乗
 つくつくぼうし
 毳
 報いざるの記

木の間道
 木犀と太陽
 虹別川水源付近
 桂の木
 冬至に近く
 聖母像妄語
 雨季
 ゴヤ
 伊佐の娘
 花の聖母寺
 矢車
 相模の丘陵
 木の間道
 ひとりうたげ
 鹿
 対面
 さくらの木の猫

あとがき



葛原妙子 孤宴 02


「あとがき」より:

「散文を書こうとして、詩歌のごときものの介入に苦しむときと、むしろそれをやすやすとゆるしてしまうときとあった。
 いわば私は生得の歌作り以外の何者でもありえないので、そのような矛盾が起り、ときには自分として書くべきではない散文、と嘆いたりもした。
 しかしながら求められるときはやはり書いた。ありありと生地を露出してさえ書いてしまうのである。」
「内容は昭和三十六年から五十四年に及ぶ年月の文章から拾い上げた四十五篇である。
 久しぶりでこちらへ折りかえして歩いてくる文章に出逢ったりした。」



内容摘要(括弧内は本書よりの引用です):

・手巾 (昭和36年)
「中国産の純白な麻のハンカチは手にのせてみてあの烏瓜のレース様の花よりもかるいように思われた。
 こころみに薬秤を出してはかると四グラム弱。この軽さは、人の身につけたとたんにかきうせるたぐいのものでなければならない。」


・白い朝顔 (昭和50年)
「ある種の人はひとりで眠ることが出来る。
 召命によって、或いは不幸によって――
 アルベール・カミュは、かつて彼の文章の中で右のように書いた。(略)思えばカミュはこの文章の中で、召命者、即ち神に仕えるために特に選ばれた者を除いて、人はひとりで眠るべからず、と言っているかに思われる。(中略)ときにほかならぬ私はここ数十年一人きりの夜を過し一人で眠っている。こうしたことは本来は不自然であり不幸というべきなのだろうが、不幸であるべきこの夜が私にとってつねにほのぼのと幸福なのはなぜか。(中略)おそらくそれは(中略)私が生来一人の歌つくりであるという素質のいたす不幸であり、言い替えれば、幸福なのではないのか。それでこのような素質に従うかぎり、当然、私は世にいう不幸は甘受するがよろしいのである」
「宿無し朝顔とでもいうべきやくざな朝顔があらわれて、いつの間にか食堂の硝子戸に這いあがり、点々と白い花を咲かせたことがある。
 やがてある朝ついに、この朝顔のために私の透明な一枚の硝子の視野はめくらになった。断じて蒔いた覚えのない朝顔はかくして私を制したのである。
 またある時、粧うべきものとしての一本の口紅は、少しずつ我が身の食べてしまうものとして感じられた。たしかに私は生涯にすでに数十本の口紅を食べているのである」
「以上のような不可思議な光景や、ありうべき経験や、現象の不可解を、短歌という信ずべき日本古来の詩の形とするのが私の夜の時間であり役目なのである。」
「私のもっとも好ましい歌のあり方を述べるならば、私は歌うことで訴える相手をもたないということである。故に歌は帰するところ私の独語に過ぎない。(中略)こうして私は、歌とは独語の形をとるときにもっとも美しいと信じている一人である。」
「歌を感情のやりとりの具として返事を待つ期待や遊びはよいとして、完全に返事無用の歌、天涯にまた心中に、孤独を完うする歌があってよいのである。」

 
・月光 (昭和36年)
「とざせる月の夜の白き冷蔵庫うちらに鯨の鮮血あるを」
「かくして貯蔵癖のない家庭の冷蔵庫のなかは当然がらんとしていた。埋蔵量の少い冷蔵庫がゆくりなく唸りはじめたのを折として、家婦は近づいてゆき、扉に手をかけた。
 内部の棚には思いがけない大量の肉塊があって一、二滴の凝血が白い庫内に垂れていた。
 肉はどこともしれない大洋の産、長須鯨の断片であった。」

 
・舞踏する百合 (昭和36年)
「山百合の花弁に花粉が乱れた。
 花は毎日少しづつ衰えて厚みをうしない、やがては薄荷のように透きとおった。
 
  夏風邪にわれは咳きつつころぶせり薄き毛布のなかの暗黒
 
 梅雨に入り、晩秋の冷えをおもわせる日があって、一人の男は大量のたわわな百合をこの居間にかつぎ込んだのであった。
 百合はおおきな白い花びらの反りかえったあの山百合であった。匂いが満ちると頭が痛んだ。
 山百合はさねさし相模、つまりいまの神奈川県の県花だが、むかしこの県の丘という丘は百合の根のうろこにみちみちていて、月の夜には踊りくるうほどの花が咲いたのだった。
 
 テーブルの上に透きとおった水がある。
 清水を湛えたコップが一つ置いてあるからだが、コップの中には夕方の赤い雲がひとひら沈んでいた。」

 
・翅 (昭和36年)
「キリストは十字架の上で酢を含んだという。
 キリストにかかわる記述の中でもっとも凄惨であるべきこのひとくだりを思うと、なぜか霧の流れこむあけがたの山家はものがなしい甘さにみたされた。
 
  あかつきに翅透く虫ら草葉よりうすきみどりの色を盗みぬ
 
 山々は霧のむこうで白みがかり、縁先の草むらだけがふしぎに明るかった。」

 
・二つのS (昭和38年)
カミュの小説「ヨナ」の主人公の画家への共感。「二つのS」とは、主人公ヨナがカンヴァスに書き残した、Solitaire (孤独)とも Solidaire (連帯)とも読める文字のこと。
「才能は養うものだと信じる以上、ときには目が痛くなるほど本をよむ必要があったし、あるときは後頭部がおかしくなるほど考えにふけることがあったりして、そういう時はヨナならずともひとりの部屋を欲することがあったからである。」
 
・薔薇玉――歌う日々 (昭和54年)
「あやまちて切りしロザリオ転りし玉のひとつひとつ皆薔薇
 あやまちて切りし、というが、必ずしも自分が切った、と限定しなくともよい。ことにこの部分は一首の重要なモメントではないからだ。作者がここで表現しようと試みたのは「変容」ということである。(中略)これらの薔薇玉は作者にとってことごとく人間の罪過の「変容」の姿なのであった。以下、この歌について当時の作歌ノートから発見したメモ類をすこし――
 不信心者私はいまかたわらにいる常なる告解者、つまり ざんげびと を眺めている。その人はまずロザリオの玉のひとつを指先でしっかりと押え、確かめ、祈り、それに自らの罪を転化する。更に同様のことをくり返しながら、ひとつひとつの玉を過去へと送る。かくして一連五十九個のロザリオの玉は、過ぎた己の罪過の消滅の役目を果して呉れる ざんげ玉 といって差支えはない。故にこそロザリオを切ってはならぬ。ロザリオの念珠は持主の永久の罪過の担い手としてお互いを緊縛し合わねばならないからだ。――ロザリオを切るな!」
「楽想に似たらずやかのマンモスが黄色(くゎうしょく)の和毛(にこげ)垂りてゐしこと(『朱霊』)
 十数年前にヨーロッパ旅行の際、或る博物館でマンモスの腹毛をちょっぴりカットしたものを展示していたように思う。(略)この古代の巨象の、生前のゆたかな全身のブロンドの縮れ毛や、山なす肉体の起伏を想定して歌われた。」
「草食はさびしきかな 窓なる月明りみるにひとしく(『朱霊』)
 草食獣のさびしさと、四角い窓の月明のさびしさを等質のものとして感知するところから、歌は始まっている。二句に一、三句に一、四句に二。合計一首に四字の欠字、つまり字つまりがある。ギシギシと意味ある言葉の充填でもりあがった歌の卑しさを避けて、この一首の内なる沈んだ情緒さながらに萎え、かつは明視ある うた が欲しかったからだ。」
「飲食(おんじき)ののちに立つなる空壜のしばしばは遠き泪のごとし(『葡萄木立』)
 空壜の林立ばかりの山家に独居。かくして立つ者、立って動かぬ者のみを「存在」と思いつめて暮した秋であった。暗い台所の硝子戸に透けて、そこにも木の幹の下半身が立っていた。」
「雁を食せばかりかりと雁のこゑ毀れる雁はきこえるものを(『朱霊』)
 雲の見えるレストランに行って食事をすることになる。(中略)やがて雁料理とワインが出る。脚や手羽をポキポキと折りとる。きのうは遠い高い空を飛んでいた奴。(中略)そこで雁を食べるとカリカリと雁が啼いた。他ならずそれはわたし自身が口の中で毀れている音でもあった。」

 
・友禅 (執筆年不明)
「さむき夜寒き鈴ひとつ鳴りしかば展(の)べし友禅を高貴となせり
 或る日若い女の絵かきさんがやってきて早速みぎのうたについて話をはじめた。彼女の意見ではこの歌の「さむき夜寒き鈴ひとつ」という同じ言葉の重ねかたは、絵でいえば同色の濃淡の絵具を重ねる手法に相当するというのであった。(中略)私はこの人の言うことに感心してしまい、実は私はこのところ、一つ言葉の繰返し、つまり絵でいえば一つ色の塗りかさねによって歌の単純化を図り、同時に一首を強くあざやかにしようと試みていることを思った。
 冬の真夜中にたった一度だけ鳴った鈴、それは塀の上をひそかに歩いてゆく近所の飼猫の鈴音であったのだが、私には「猫の鈴」と断わる必要はなかったのだ。寒い空気のなかで、コロン、と鳴って消えうせた一瞬の何の鈴でもよかったのである。」

 
・日光浴 (昭和45年)
「クロトンの黄なる落葉消えうせて硝子室なほ閃光に充つ
 クロトンはマレー原産の灌木である。(中略)私はこれ迄に幾鉢のクロトンを手に入れたかは忘れたが、少くとも大、小十鉢には上るであろう。
 そしてそれらをことごとく枯らした。従ってクロトンの亡霊にとりつかれる資格は充分にあるのである。」

 
・海の家 (昭和30年)
「歪みのない硝子が二枚南側の海に面して嵌っていた。窓硝子を水平線がかっきりと切っていて室内からみえるものとてはそれだけである。
 海は外でみたときよりも濃くせりあがっていた。部屋は二階の南の外れにあって半年程前まではここに肉親の一人が起き伏ししていたのであった。」

 
・黄金週間前後 (昭和47年)
散歩道について。
「あたりにはいちめんに青葉が茂っている。そのようなとき、青葉のあわいから鯉のぼりの大きな片目が覗くことがある。それは青葉時の憂鬱などというよりもあのオディロン・ルドンえがくところの「眼球」の怪異とでもいおうか。」
室生犀星の思い出。薔薇作りのこと。花木のこと。
「私にわが庭の数ならぬ花の木の、また草の花の新しい落花を拾いあつめるたのしみがあって、五月も末のある日、曲水(きょくすい)の宴ならぬ花水(かすい)の宴を張る。
 卓子の上にとくべつに口の広い大ぶりな硝子器ややきものの皿を出し(中略)それらになみなみと水を張り、落花の数々を泛べるのである。」

 
・繭 (昭和33年)
「繭の一部は、透明な硝子の内側の、タテの桟にぴったりとくっつき、蚕の繭よりは少し大きい俵形であった。ためしに指ではじいてみると強い弾力があった。
 繭ぜんたいがこまかい網の目になっていてなかが透いて見えた。なかにも月の光があって紫ずんだ蛹が一匹いた。蛹はすみれの精のように可憐に見えた。
 蛹は、このあたりでしらがだゆう――白髪太夫――という、長さ十センチほどもある巨大な毛虫、というよりも芋虫に近い虫の化けたものであった。」

 
・ねむりの位置 (昭和33年)
「月はねむろうとするあたまの上で、とつぜん一本の光の矢になった。月の光が自分に集中している。」
「夏のおわりから秋へかけてのこの十数年、この家のこの位置に、わたしはねむる。はじめは暗く、のちに明るく。夜中に寝がえりをうちながら海のような月光に気付くこともある。
 そのようなとき、内と外のけじめも自分のいる場所もあやしくなっている。」
「或るピラミッドのどこかに五十五センチ四方の窓があいていることを想像してご覧。その窓を差しつらぬいて、十七年目毎に、三日間だけ、あの天狼星シリウスの光が横たわっているファラオの顔を照らすのです。」

 
・魂の自由――詩人の死 (昭和37年)
室生犀星追悼。
「最初の訪問の時、私は身分証明書のような積りでその頃に出した自歌集『飛行』を置いて辞去したのだが、翌日、室生さんから一枚のハガキを受けとった。
 「けわい立ったひとりの女人がやって来て自分を脅した。あなたが帰られてから頂いた御本を読んだ。けさも読んだ。御歌はわが意に添い申候」と結んであった。」

 
・若き仏陀 (昭和45年)
オディロン・ルドン「若き仏陀」について。
「ついでながらルドンは今も一部の人に宝石の様に敬愛されている瞑想の画家である。」
 
・萱の火 (執筆年不明)
終戦直後の日の回想。
 
・竹似草往還 (執筆年不明)
「古い祠があって中に一体の石地蔵がいた。(中略)ふと目が行った地蔵のうす暗い足もとに、蟠まったり、散らばったりしている異様なものに気付いた私は度肝を抜かれたのである。
 一掴みに束ねてばっさりともとどりから切った女の髪や、無数のかもじの類がとぐろを巻いていたからであり、(中略)欠櫛や塗の剥げたかんざしなどとともにあった。」

 
・埋めざりしや (執筆年不明)
「さびしもよわれはもみゆる山川に眩しき金(きん)を埋めざりしや
 頭がふつうではなくなったニーチェが或る時妹にむかい、「わたしは立派な本を書かなかっただろうか」と問うたという、それとは違い、私はいまたしかな頭でこの山家を去ろうとして「この山川に眩しい金を埋めなかっただろうか」とみずからに呟いているのである。
 それはある小春日和に、あたりの山川のあるところに埋めた金塊であった。清潔な火山礫土の間にとどまっている筈の金塊のたしかさは、私に今、この山を去りやすくしている。(中略)この山川のどこかに、ああ彼処に、とおもい、私はふたたびみたび、のびあがって金塊のありかを確認するのであった。」


・国内亡命者 (執筆年不明)
「ときに八月六日、午後八時十五分のひろしまを感知することはなかったか。
 神ならぬ身のそれは一切なかった。その頃私は殆ど毎日、食糧難のために北信濃の佐久の野を歩いていたのであったが「たちつくす真昼真日中いづこにか大き隕石落ちたるけはひ」と(略)詠んだのは偶然であった。」
「信濃の火山浅間山麓はわれわれの隠れ里ともいうべきであって、そこは木の葉同様の国内亡命者達の吹き溜りであり、一切の生命威嚇の介入のない真空地帯であったのである。想像を絶する酷寒と不毛に耐えることが出来るならば命を奪うものはなかったのだ。」


・怪水の記 (昭和45年)
「十五年ほども前の真夏の夜、(中略)私の耳に、家のどこかでしきりに漏水しているらしい気配があった。(中略)東京の街中に土地を求め、病院を建ててわれわれはその片隅に住むこと二十数年、その存在すら知らなかった古井戸が忽然と怨恨の目をみひらいていた。(中略)井戸の呼吸を塞いでいたコンクリートは滅裂のありさまであった。(中略)後にこの井戸は、近所の古老によって昔近隣に聞えた名井であることが知れた。」

・黄金狐 (昭和50年)
「青めける月夜野にして狐たちよりあへばその身黄金色せり (阿部静枝)
 雪の降る東北が生国だった阿部静枝さんは病を得てのちこのように妖しい夢幻に遊ばれた。
 遠目には月明に輝くひとかたまりの金毛だが、些細に見れば一つならぬ狐の親和が放つ閃光である。美しさは官能的にまで強いけれどもこれはどうも生きた人間のいる側の風景ではなさそうである。(中略)「不幸な者の話は聞く。だが幸福な者は話を遠慮してほしい」と、或る日にべもなく言われたということは、最早伝説となったが、この言葉は自らの一生を不幸の側にのみ引きつけざるを得なかった一女歌人の生涯を暗示する。のみならず最晩年の阿部さんの筆は遂に自らを自らの手で敗残者の位置にまで引き下してしまわれたのであった。いたましいことと言わねばならぬ。」


・雉 (昭和33年)
「尊かりけりこのよの暁に雉子(きぎす)ひといきに悔しみ啼けり (斎藤茂吉)」

・斎藤茂吉の演出 (昭和43年)

・珍(うづ)の巻 (昭和33年)
斎藤茂吉の墓。
「わが目より涙ながれて居たりけり鶴のあたまは悲しきものを (歌集『赤光』所収)
 「茂吉をこっちへ取ってしまおう!」
 余り遠くない昔、森岡貞香と茂吉を論じた末、噴き出したいような熱っぽさで話し合った覚えがある。
 「この歌をいわゆる写実の歌人の何人が理解するだろう」その様な暴言をさえ、そのときのわれわれは吐いた。」


・写真 (昭和54年)
五島美代子追悼。

・歌人日乗 (昭和期54年)
日記。
「自分の中におりおりレバーのようにねっとりとした怠け心があって、これは歌うべきことの一つだと思うが、なかなかうまくゆかない。
 明るすぎること、清潔すぎることについても思っている。どうも以上の両方とも歌作り、というよりも人間の思考生理にとって必ずしもよい条件でも環境でもないらしいということだ。なによりもよくないのは混沌(カオス)の欠除であろう。」
「昔、この階下にだだっ広い非能率的な台所があったが、あのころ油ジミの飛んだ硝子窓の中ではふしぎにも随分歌えたものだった。
 そこには紙屑が散らかり、空壜や空缶は秋の光る存在として立ち続け、無人の台所の外には立木の根もとが盛りあがり、見知らぬ鳥が徘徊したりした。
 その後の改造で隅々まで明るく多くを置かなくなった台所は、内も外も陰影をうしない、実にくだらない風景になり果ててしまった。
 改造してよかったのは部分的に二階をつけたことである。特に夜中がいい。遠い木の間には落ちた星がしずんでいる。集団でしずんでいるのだ。」


・つくつくぼうし (昭和46年)
「「薔薇色の西日といひて何せむに」相生垣瓜人さんの右の句を私はいたく愛していて、この句から暑熱の午後のなやましさと華麗を同時におもうのであった。」

・毳 (昭和51年)
隣家の「靴下猫」と野生化したセキセイインコ。
「鳥達のいなくなったあと、靴下猫はのっそりと庭を横ぎっていたが、彼のみどり色の目玉の中にはインコの無数の羽が毳立って飛散していた。」

・報いざるの記 (昭和51年)
師・四賀光子追悼。

・木犀と太陽 (昭和44年)
太陽光線に割られたガラスのあるサンルームを描いた絵、ガラスの破片の先端には太陽が赤く焼き付いている。
夜中に酩酊状態の友人から押し付けられた大きな木犀の枝を引きずりながら帰っていく老人。

・虹別川水源付近 (昭和41年)
「鮭や鱒の孵化は別虹川の湧水を引いた素朴な建物の中で行われていた。びっしりと魚卵を詰めた蒸籠(せいろう)様の孵化きが限りなく並列し、その内側を定温の湧水が絶えず流れていた。
 所長さんは孵化器からピンセットで一粒の赤い魚卵をつまみ出して示されたが、それはあのやわらかい筋子やイクラの感触ではなくて、弾むばかりに堅い血紅の生命のボールであった。発眼した黒い魚体は卵の中でボーフラのようにくるりくるりとうごいた。(中略)放流された稚魚は海で成長したのち、四年後に生まれ故郷虹別川の河床に産卵するためにふたたびこの川を遡るのである。
 そこでまた聞くところではこの放流の際、何かの事情で海に行けず陸の水、つまり淡水に閉じこめられた魚を陸封魚(りくほうぎょ)といい、これらの魚には、変身の現象が起る由である。
 たとえば紅鮭が姫鮭となり、サクラ鱒が山女(やまめ)になるといったたぐいだという。」


・桂の木 (昭和43年)
「あのまぶしい桂の葉がいっせいに散りかかったらどうなるか、たぶん大やけどをするにちがいない。」

・冬至に近く (昭和48年)
「雉と山鳥の剥製が来た。」

・聖母像妄語 (昭和39年)
黒聖母の木像――ディジョン、ノートルダム教会の「善き望みの母」。
「上膊の欠けたる聖母みどりごをいだかず星の夜をいただかず」
「ミケランジェロが最晩年に彫った(略)ロンダニーニの「ピエタ」は青い炎のように精神的である。
 目鼻もさだかとはいいにくく立てるマリヤ、死んだキリストの背後に立っている未完のマリヤこそ降りしきるみぞれのような「悲傷(ピエタ)」そのものでなければならない。」


・雨季 (昭和49年)
「家もただがらんと広いのはなにか物の怪(け)じみている。」
「梅雨の夜が明け白むのを待つと、硝子戸越しに一本の枇杷の樹の幹が立っている。生えている空き地の広さには不相応な大樹である。近頃、そのかげになっている樋が腐り始めたが、この枇杷の落ち葉がぎっしりと詰まっているためである。
 そこにまたびしょびしょと雨が降る。
 余り晴れがましい眺めとは言いにくいが、私はこの枇杷の樹の見える薄暗い部屋をおもいの外に愛していて、ときおりは一日の大半をここで過ごす。そして身の廻りに実にいろいろのものを散らかす。決定的に多いのは紙きれだが、他、種々の本なども散らばるのである。」

来日中の画家フォートリエを見かけた思い出。
「やや猫背ぎみにのべつまくなしに煙草をふかす初老の伊達男であった。」

・ゴヤ――スペイン雑記 (昭和44年)
「あなたの画に慰められたことは一度もありません。ただ、あなたの画はたいへん怖しいのではるばるとやって来ました」
「魔女の魔宴さわめきてをりマドリード・プラド美術館の北の壁
人のみか牛馬さへや周章の刻ありてそらに巨人立ちゐき」


・伊佐の娘 (昭和37年)
足摺岬の椿。
「おおよその人はねむり、月夜のどこもかしこも椿だらけであった。」
燈台の最上階にのぼる。

・花の聖母寺 (昭和44年)
フィレンツェ紀行。

・矢車 (昭和46年)
鯉のぼりの矢車の音が聞える町。
「とうに桜の散った京都の町中でかたわらの小流れを走る赤い水をみた。」
「無感動といえば、この無感動の怖ろしさはこの頃の私をしばしば憂鬱にするものであった。
 ことに詩歌は感動の産物であるとながらく信じ込まされてきた者にとっては、無感動に自らの詩精神の衰弱をみるような錯覚があったのである。
  遊びをせむとや生れけむ
  たはむれせむとや生れけむ
 今様ではない。白拍子のこえでもない。
 それはいつぞや岸田今日子という女優が出てきて、かるいもすそでふわりとなにかを飛びこえながら歌ったテレヴィ・コマーシャルの一齣であったのだ。これはよい。いま彼女のこえをおもい出したのは抜群であった。私はよみがえった。つまらない考えごとからはぬけ出すに限る。」


・相模の丘陵(昭和38年)
「おさない時から柿の木を黒いとおもっていた私は、昨年初冬に相模の柿の村をさまよって以来、その考えをいよいよたしかにした。柿の幹はひび割れて怪異のように黒いのである。」

・ひとりうたげ (昭和52年)
「さて、これから初める話は、ちいさい子供も大きい子供もいなくなった私がことしもまた、三月の雛節句の前の晩にやる「ひとりうたげ」のことである。うたげ、とはあの「春高楼の花の宴」で知られている「宴」、つまりは宴会のことであるが、ただ私の場合は、その名のとおりひとりでやる宴会なので一組の雛がいるほか、人間の列席者はいない。
まず一対の紙雛の前にワイングラスを置き、その中に白酒を少し注ぐ。」
「ものを買うのに不如意という世の中ではなくなったけれども、私の「ひとりうたげ」にはそうたくさんのものはいらない。
 その代り桃の花だけは豪勢に挿す。むろ咲きの紅白をとりまぜてちくちくと挿してゆくと、あり合わせの大甕の水はあふれそうになる。花もあふれる。
 そこでひとやすみ。
 見回すと点々と桃の蕾がころがっている。ちっちゃな赤い首、白い首の様に。これはたぶん、花店や生花渡世の人たちも味わうかなしみのひとつではなかろうか。」
「さてここで、忘れていた今日の雛のためのごちそうをとり出す。昼のうちにハコベを刻み込んで焼いて置いたうす焼き玉子であった。」
「紙雛の白く平たい顔はいよいよひらたく、わたしは桃の花の蔭に座布団を敷き、その上にぺたりとすわってたばこを吸う。茫々と何本も吸う。その時灰色の髪の毛の私もまた桃の花の色のスェーターを着ている。
 私のひとりうたげとはこの様なものである。」


・鹿 (昭和50年)
鹿皮の手袋。
「これはいつ、どこで撃たれたさびしい鹿の皮なのか」

・対面 (昭和54年)
戦時中に預けておいた雛人形と四十年ぶりの対面。
「女雛の丹紅(たんこう)の唇がちいさく開いていて、その隙間に針の先ほどの舌があった。(中略)ああ雛に舌あることのエロティシズム。私は嘆息した。」

・さくらの木の猫 (昭和52年)
「桜の木にときならぬざわめきがして、みあげたところにあの美しい野良猫がのぼっていた。満開の桜の枝は揺れながらにとまり、とまったところにあの猫がいた。
 猫のからだはすっぽりと桜の花びらに埋っていて顔だけがこちらをみていたが、ちょうどその口にさくらの一枝を銜えているようなかたちにみえた。」



























































































砂子屋書房版 『葛原妙子全歌集』 

森岡貞香 監修 『葛原妙子全歌集』
砂子屋書房 2002年10月8日発行 
701p 口絵肖像
菊判 布装 函 定価9,500円+税 
装本: 倉本修 

 
 
葛原妙子全歌集1
 
帯文:
 
「戦後短歌史に燦然と輝く孤高の歌人、
葛原妙子の豪奢にして玄妙、
華麗にして破格な文体、
大胆な歌柄の中に内面の飛躍と
感覚の明滅を持った作品、
約四九〇〇首を収録。」

 
 
葛原妙子全歌集2
 
 
葛原妙子全歌集5
 
 
葛原妙子全歌集3
 
口絵肖像写真「自宅、庭先にて」
 
 
葛原妙子全歌集4
 
 
葛原妙子全歌集6
 
栞。27頁。執筆は太田絢子/高橋睦郎/馬場あき子/佐佐木幸綱/岡井隆/水原紫苑/河野裕子/松平盟子
 
 
「凡例」より:
 
「本書は、『橙黄』『縄文』『飛行』『薔薇窓』『原牛』『葡萄木立』『朱霊』『鷹の井戸』及び一九八七年(昭和六十二年)出版された『葛原妙子全歌集』に収録した『をがたま』、それに本書ではじめて収録する『をがたま』補遺八九首をあわせた計四五二〇首と、一九七四年(昭和四十九年)九月に出版された『葛原妙子歌集』に収録された『橙黄』四四六首を異本『橙黄』として加えた総歌数四九六六首からなる葛原妙子の全短歌作品集である」
 
 
森岡貞香による「後書」より引用:
 
「葛原妙子のその生は短歌に全力を投入して斃れたといつてよいのである。「歌はうつくしくあらねばならぬ」という妙子の言葉は、残された歌によつて新しく見えてくる。このたび、全歌集に索引を附し『葛原妙子全歌集』が砂子屋書房の田村雅之氏により刊行されることになつた。年譜は、生前に妙子が自らの年譜として作成したところの、生年から昭和五十七年まで、はそのままの記載とし、以後を今回新しく加えた」
 
 
目次:
 
歌集
 『橙黄』
 『縄文』
 『飛行(ひぎゃう)』
 『薔薇窓』
 『原牛』
 『葡萄木立』
 『朱霊』
 『鷹の井戸』
 『をがたま』
 『をがたま』補遺
 異本『橙黄』
 
葛原妙子年譜
解説(森岡貞香)
索引
後書

 
 
 
 
 
 
 
 
  

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

  
 

  

 
 
 
  

葛原妙子 未刊歌集 『をがたま』 および補遺

漆黒の幼獣をりてしのびかに雨降るなかを歩みて濡れず
(葛原妙子)


葛原妙子 
未刊歌集 『をがたま』



森岡貞香 編。
短歌新聞社版『葛原妙子全歌集』(1987年)に収録。のち、砂子屋書房版『葛原妙子全歌集』(2002年)に「補遺」とともに再録。


森岡貞香「歌集『をがたま』について」より:

「本集は葛原妙子の最終歌集である。第八歌集『鷹の井戸』につづく昭和五十三年夏より昭和五十八年秋までの六年間に、角川「短歌」、「短歌現代」、「短歌研究」、「潮音」、及び季刊誌「をがたま」に発表された短歌作品を収録して一巻とした。もし他に発表された短歌があるとしたら本集には収録されていない。歌集名となった「をがたま」は葛原妙子が昭和五十六年五月に創刊主宰した短歌季刊誌「をがたま」によっている。(中略)葛原妙子最晩年に心を深くかたむけた歌誌「をがたま」の名を集名として残すことにした」


砂子屋書房版『葛原妙子全歌集』所収『をがたま』より:

高窓にま白きもみぢ朱鷺色のもみぢさわぐと目覚めせしかな

さねさし相模の台地山百合の一花(くゎ)狂ひて万の花狂ふ

宵の星古墳の上にあらはれて一ひらの骨ありと示しき

灰色のひと日はとほくうすらにぞかつはおもたく移りゆきたれ

月光は受話器をつたひはじめたり越前岬の水仙匂ふ

水仙城といはばいふべき城ありて亡びにけりな さんたまりや

蹠のやはらかき者立ちどまる風ならざるも猫ならざるも

洗ひたる髪をたばねて切らむとす髪ことごとく影なりしかな

天童のをみなきたりて置きゆきし紅花(こうくゎ)乾きて紙の音する

さきの世のさらにさきの世われはゐてうつくしきかな冬の浴(ゆあみ)す

おそろしき古事(ふるごと)の書(ふみ)「二つの目走りぬけて死せたまひき」と

使徒ヨハネ瀕死のマリアのふところにひとひらの雪置きて去りにき

猫の耳ちかづきたればひらきたる猫の耳のなかを覗きぬ

浴室に水音を立ててゐる者を草木とおもふまでに更けにき

すみれ火のごとくにちろちろと燃えわがはらからが脳髄ほろぶ

墓祭異形(いぎゃう)を交へ催せり幽魂らふそくのひかりにあそぶ

漆黒の幼獣をりてしのびかに雨降るなかを歩みて濡れず

短日の午後はきたりぬ瓜のごと熟(う)れし時間のありてねむりき

大いなる鳥籠ありてしばしばも鳥から餌を貰ふ人間

うちつれて吻黒き猫ひるがへり空の青みのなかにぞ入りぬ

白松(しろまつ)といふなるまぶしき針葉樹 うつし身吊らむとするにはあらず

雨雲はおほきかりにき暗かりき硝子の裡に人ねむりゐき

いでてゆくしづけさありて入りきたるしづけさありぬ ここはゆふぐれ

ハム薄く切りつつぞをりちひさなる豚の瞼のごときも切りたり

いづかたにたれあらはれむ耳朶に翅うすき一匹の蝉をとまらせ

古代中国死にたる口に含ませし 白玉(はくぎょく)の蝉 青玉(せいぎょく)の蝉

夢違観音夢にあらはれて手首の継目を示したまへり

人形の霊などのゐる土蔵にてうまいなせしか二時間がほど

路地奥に猫出でてゐる蝕(しょく)の夜や一尾にあらず二、三尾ならず

鍵束を膝に鳴らしてどこへでもゆけるわたくしどこにもゆかず

エジプトの死王起きあがることありてあなまぼろしの飲食(おんじき)をせり

雅びたるキリンの首のごときものわが昼餐の皿をのぞきぬ

猫と犬ちひさき池のほとりにて出あへる星の夜をあやしまず
 


砂子屋書房版『葛原妙子全歌集』収録「『をがたま』補遺」より:

もの云はぬことのよきかも振り返る猫をりて何もみつめてをらず

あをぞらに夏木さわぎて透(すき)硝子くづるるごとき擾乱ありき

単辨のバラあふれつつ赤かりしかの中世の暗黒を恋ふ

飛べ飛べと念ずるときにあをぞらに顔ほそく泛き汝は飛びにき

恐るべし椅子にねむりしわれはみるわが身剥製となりたる夢を

われらみな絶えたるのちにあなかすかかすかにゑまふたれびとかある



アンソール 自画像


ジェームズ・アンソール「花帽子の自画像」


花帽子冠りし老画家アンソールほの暗き日蝕の街をよぎりぬ (『をがたま』より)

ふかしぎの羽飾など生えてゐる帽子を吾のかぶりをらざりしや (『鷹の井戸』より)



招霊(おがたま)「オガタマノキ」ウィキペディア


























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本