内田百閒 作/金井田英津子 画 『冥途』

「皿鉢小鉢てんりしんり、慌(あわ)ててはいけません。私がいいようにして上げますから落ちついているといいわ」
(内田百閒 「尽頭子」 より)


作: 内田百閒
画: 金井田英津子 
『冥途』


パロル舎
2002年3月25日 第1刷発行
94p
A5判 角背紙装上製本 カバー
定価2,300円+税
造本: 金井田英津子


「本書の底本には、『冥途』(福武文庫一九九四年一月刊)を用いた。」



本書は内田百閒の短篇集『冥途』から六篇を選んで絵本化したもので、「文学絵草紙」シリーズの一冊であります。


内田百閒 冥途 01


「近代文学の名作物語を新感覚の絵と色彩で表現
文学絵草紙
画家の視点が再構築する幻想と不思議の異世界」



目次:

花火
尽頭子(じんとうし)

件(くだん)
柳藻
冥途



内田百閒 冥途 02


内田百閒 冥途 03




こちらもご参照ください:

萩原朔太郎 作/金井田英津子 画 『猫町』
内田百間 作/谷中安規 画 『王様の背中』 (複刻版)
































































































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内田百閒 『百鬼園座談』 全二冊

「病気はつまり人生の愛嬌だね。」
(内田百閒 「薬剤金融椿論」 より)


内田百閒 
『百鬼園座談』


論創社
1980年6月25日 1刷発行
1980年9月25日 2刷発行
iii 314p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,600円
装丁: 田村義也



内田百閒 
『続・百鬼園座談』


論創社
1980年8月10日 初版印刷
1980年8月25日 初版発行
iv 335p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,800円
装丁: 田村義也



ヤフオクで百鬼園座談(正続)・百鬼園戦後日記(上下)計四冊が1,588円(送料無料)で出品されていたので落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


内田百閒 百鬼園座談 01


『百鬼園座談』帯文:

「多士済済、稀代の雅人粋人を同座同舟に迎え詩・琴・酒を論じて色即如何に及び、悲喜交歓迂路を盡くす捧腹絶倒の談論三昧境。百鬼園座談十四篇初の集成!」


『続・百鬼園座談』帯文:

「猫にマタタビ、百鬼園先生に御酒と琴と汽車とやら、好尚の赴くところ喋喋喃喃の応酬。恩師夏目漱石回想を首尾に据えた、哄笑渦巻く愉しき座談の世界。」


『百鬼園座談』目次:

貧乏ばなし 昭和二十一年
 中村武羅夫 長谷川仁 内田百閒
ユーモアコンクール 昭和二十二年
 徳川夢声 高田保 内田百閒
琴・漱石・ノーベル賞 昭和二十二年
 辰野隆 河盛好蔵 内田百閒
人間喜劇 昭和二十二年
 辰野隆 高田保 坂西志保 徳永直 内田百閒
春宵世相放談(ちかごろのうきよばなし) 昭和二十三年
 徳川夢声 高田保 内田百閒
酒仙放談 昭和二十三年
 井伏鱒二 三木鶏郎 内田百閒
金の借り方つくり方 昭和二十四年
 獅子文六 森脇将光 内田百閒
ほろ酔い炉辺鼎談 昭和二十五年
 難波久太郎 井上友一郎 内田百閒
逢坂閑談(おうさかかんだん) 昭和二十五年
 三淵忠彦 宮川曼魚 内田百閒
駅長と検校 昭和二十五年
 宮城道雄 加藤源蔵 内田百閒
大博士呆談 昭和二十五年
 辰野隆 藤原咲平 内田百閒
雅俗併存 昭和二十五年
 前田晁 井上慶吉 内田百閒
薬剤金融椿論(やくざいきんゆうちんろん) 昭和二十五年
 神鞭常泰 久米正雄 内田百閒
旧師の敬い方の研究 昭和二十五年
 北村孟徳 中野勝義 内田百閒

編者あとがき (平山三郎)



『続・百鬼園座談』目次:

漱石をめぐって 昭和二十六年
 安倍能成 小宮豊隆 和辻哲郎 内田百閒
問答有用 昭和二十七年
 徳川夢声 内田百閒
金銭有情 昭和二十七年
 一万田尚登 内田百閒
私は日銀と取引がある 昭和二十七年
 辰野隆 徳川夢声 林髞 内田百閒
汽車の旅 昭和二十七年
 戸塚文子 堀内敬三 内田百閒
鉄道今昔ばなし 昭和二十七年
 木村毅 青木槐三 内田百閒
一日だけの駅長 昭和二十七年
 阿部真之助 小汀利得 内田百閒
ぶた小屋の法政大学 昭和二十七年
 多田基 奥脇要一 内田百閒
倫敦(ロンドン)塔を撫でる 昭和二十八年
 宮城道雄 内田百閒
西小磯雨話 昭和三十一年
 吉田茂 徳川夢声 内田百閒
深夜の初会 昭和三十一年
 古今亭志ん生 内田百閒
一人一話 昭和三十二年
 徳川夢声 辰野隆 林髞 内田百閒
虎の髭 昭和三十五年
 古賀忠道 内田百閒
新涼談義 昭和四十年
 戸板康二 内田百閒
歯は無用の長物 昭和四十一年
 高橋義孝 内田百閒
漱石先生四方山話 昭和四十一年
 高橋義孝 内田百閒

編者あとがき (平山三郎)



内田百閒 百鬼園座談 02



◆本書より◆


『百鬼園座談』より:


「貧乏ばなし」より:

「―― 長谷川さん、日本の画家はあまり貧乏していないんじゃないですか、文壇と比較すると……。
長谷川 やはり貧乏しておりましょうナ。むしろ洋画家などは絵が売れなくて貧乏になれてるんですから貧乏はあまり問題にしない。その代表が熊谷守一みたいな人でしようね。湯沢三千男さんが熊谷びいきで、今年の正月一緒に行こうというのででかけましたが、帰りが非常などしゃ降りのなかを熊谷君はコウモリもささずミノカサで池袋の方の駅まで送ってきました。モンペをはき朴歯(ほおば)の下駄で歩いている、腰には折たたみの犬の皮をはった腰かけを下げている、いま長崎の千早町におりますがね、アトリエなんてものはなく、田舎家の一室を板張りにして戸はやはりガラス窓にはしていますが、日本のダ・ヴィンチみたいな生活をしています、いろいろな道具をもっている、金具をいろいろ拾ってきて、これは震災のとき拾った、これはこんどの戦争の空襲で拾ったとかいってます。自分でパイプを作ったり、ライターを作ってみたり、やすりを沢山集めたりしてね。
百閒 私の友人に谷中安規(たになかあんき)という版画家がおりました。もう亡くなりましたがね。これは貧乏なんて特別の状態を貧乏となづく、というようなことをいうと谷中画伯がおかしく思うような徹底した貧乏人でしたね。この間九月九日に亡くなったがやはりたべ物がなくて亡くなったらしいですね、風船画伯というんです。
長谷川 熊井守一という人は昔から絵を描かない、描けばみんな喜んで貰うんですが、いついってみても日向ぼっこばかりしている、大変気楽なんですね、大きな五十号か百号くらいのを頼まれたといってキャンバスは張ってあるが、いつ行っても白くなっている。(笑)手をつけようとしない。
 それでいて当人は決して怠けてるんじゃない。気楽な人なんですね、儲けようと思ったり、金がいるというのであればいくらでも入るんです。絵を描けばなかなか人気はあるんです。
百閒 そうでしょうね、楽しむというより気にならないんですね、不自由が。貧乏というのは一握りのご飯の問題じゃありませんな、一升の酒だって一ダースのビールだって同じことで不如意が貧乏なんですよ。不如意にはお金があっても同じことですから、そうでなくてもっといわゆる生活程度の低い人で晏如(あんじょ)として不自由を感じない人もあるんですからね、だからそういう貧乏文士とか貧乏画かきというものをほかの気持の人がみて気の毒がっても或は清貧に甘んじているというので尊敬しても、見当ちがいだろうと思うな、僕は。」



『続・百鬼園座談』より:


「漱石をめぐって」より:

小宮 先生はうちの者から変人だとか変り者だとか、始終言われていたらしい。それで先生の方でも、自分は世の中と調子を合わせて生きて行くことのできない人間である。職業を選ぶ以上は、世の中が必要とするもの、世の中が向うから調子を合せて来るような職業を選ばなければ、自分は生きて行かれないだろうと考えたのだそうだ。その時分になんでも佐々木東洋とかいう医者がおった。それが大変な変り者で、お世辞も何も言わず、誰にでも遠慮会釈なく勝手放題のことを言う。然し当人はなかなかの名医なもので、患者はどんどんやって来る。そういう例がちゃんとあるので、先生は考えたのだそうだ。自分は医者は嫌いである。医者にはなりたくない。やるとすれば何か趣味のあるもので、世の中が自分を必要とし、且つ自分の方へ調子を合せてくるような職業がやりたい。それには建築がよかろうというので建築をやる気になったんだそうだ。
安倍 別に建築に興味があったというわけではなかったのだね。
小宮 そうじゃないらしい。
安倍 しかし建築家として或る程度まで成功する素質は、あったろうね。
小宮 それはあったろうと思う。先生は高等学校時代は数学が大変よくできたのだそうだ。」



「問答有用」より:

百閒 (中略)……野鳥を鳥かごにいれることは、動物愛護会あたりからは目にかど立てて怒られますけどね、むかし農商務省で調べたところでは、野鳥の寿命は三、四年ですってね。ところがぼくが飼ってたメジロは、十二、三年、その後のも六、七年ですよ。あとのほうは、市ヶ谷と四谷のあいだの土手に落ちてるのを、近所の子供がひろって持ってきたんです。空襲のはげしい時に、そでかごという小さなかごにいれて、抱いて逃げましたよ。ときどき鳥かごのそとへ出ることもあったけれども、人の音なんかすると、ビックリしてかごへ入っちゃう。つまり、かごのなかが一番安全な場所なんです。人なんかあすこへ入れませんからね。(笑)
 小鳥っていうのはね、夢声さん、あんまり人になじんでもいけないし、敵意を持ってもいけないんですよ。せいぜい鳥と人間とは、横むいてつきあっていなきゃならない。ウグイスなんか、かごのなかのとまり木ととまり木のあいだを飛ぶ時のスピードは、音がするくらいです。人間をこわがっているのでもないし、人間に見せようとするのでもない。適当にウグイスは人間を警戒するし、人間はウグイスを大事にしていればいいわけです。」



「虎の髭」より:

百閒 古賀さん、僕は東京の動物園はごぶさたしていますが、大阪の動物園は近年行ったんですよ。行って見たが大阪の動物園は置き方が楽しくないですね。虎なんかも案外狭い中にいたり、それから何という猿だったか、おりの中を行ったり帰ったりばかりしている。おりに入れられてしかたがないかもしれないけれど、見物する人間の方で気になるような動き方なんです。なんだ、こんな中に入っていいことしてやがるなと人間がうらやましがるようにしなければいけない。つまりこの格子さえあれば人間その他に迫害されないという安心で、動物があの中にいるようでなければいけない。」
「この格子があるから人間が入ってこないという安心を動物に与えなければ駄目だ。」
「ところで夜は上野の諸君もみんなどっかへ入ってねるんですか。おかしいね。彼らは夜の方が起きているんじゃありませんか。
古賀 普通は夜は寝部屋の中に入れるんですよ。大体オスとメスと一緒に入れています。野生のときはおもに昼間ねるんでしょうけど、動物園では昼も夜もねてるんですよ。
百閒 つまり彼らはものをたべるときと交尾するときのほかはねているのが普通でしょう。人間がその隙をねらって起きているからいろいろ事がめんどうになる。ねるくらい他に害を及ぼさなくていいことはない。
古賀 今のおはなしのように、動物はねているのが本態だという説がありますよ。それに何か刺激があると起きる。だから全体的にみて、動物は起きているのが本態か、ねているのが本態か、それはねているのが本態だという。
百閒 ねているのが本態で、起きている人間が見にくる。」

百閒 しかし、大は象、河馬から小はハミング・バードまでずいぶんお骨折りですね。もっとも動物の方もほめなければ……。
古賀 動物をほめる……まったく。僕は大体人間なんてろくなやついないと思う。ほんとうに利口ならそういうことをやらんかもしれないけれども、いわゆる利口になればなるほどへんなことをやる。」



「新涼談義」より:

百閒 (中略)泥棒の話をしよう。つい二、三日前の新聞で見たのだが、野菜泥棒が一句よみました。「魔がさして取るや夜明けのなす、きゅうり」……いい句だね。夜明けのなす、きゅうり――冷たくて露をおびたやつを取ったところをつかまったのかな。」




こちらもご参照ください:

『谷中安規 モダンとデカダン』 瀬尾典昭 他 編
熊谷守一 『蒼蠅 増補改訂版』









































































内田百閒 『百鬼園戦後日記』 全二冊

「十一月十九日 土 二十九夜」
「夕小林博士來診、明日の定日を今日に繰り上げて貰ひたる也。BD一七〇―一一〇、ヸタミン注射を受く。こひもホルモンの注射を受けたり。」
「十二月四日 日 十五夜」
「夕小林博士來診、BD一七〇―一〇五、ヸタミン注射を受く、こひもヸタミン注射を受けたり。」
「十二月十八日 日 二十九夜」
「夕近く小林博士來診、BD一七五―一一〇、ヸタミン注射を受く、こひもホルモン注射を受けたり。」

(内田百閒 『百鬼園戰後日記 下』 より)


内田百閒 
『百鬼園戰後日記 上』


小澤書店
昭和57年3月20日 初版
昭和57年7月20日 再版
360p
四六判 丸背布装上製本 貼函
定価2,600円



内田百閒 
『百鬼園戰後日記 下』


小澤書店
昭和57年4月15日 印刷
昭和57年4月20日 発行
367p
四六判 丸背布装上製本 貼函
定価2,600円



正字・正かな。
ヤフオクで百鬼園座談(正続)・百鬼園戦後日記(上下)計四冊が1,588円(送料無料)で出品されていたので落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


内田百閒 百鬼園戦後日記 01


帯文:

「稀代の文章家、百鬼園内田百閒。神韻漂渺たる香氣をはなつ百鬼園文學の精髓はここにある。搖れ動く戰後の世相を背景に、孤高の文人の、詩文を愛し酒としたしむ生活をつたへる讀者待望の未發表日記。」


上巻 目次:

昭和二十年(八月二十二日~十二月三十一日)
昭和二十一年(一月一日~十二月三十一日)
昭和二十二年(一月一日~五月三十一日)

百鬼園戰後日記 おぼえ書 (平山三郎)



下巻 目次:

昭和二十二年(六月一日~十二月三十一日)
昭和二十三年(一月一日~十月三十一日)
昭和二十四年(一月一日~五月三十一日)

百鬼園戰後日記 おぼえ書 (平山三郎)



内田百閒 百鬼園戦後日記 02



◆本書より◆


上巻より:


「八月二十四日 金 十六夜
 朝來頻りに通り雨降る。時時遠雷。雨は午後になつて降らなくなつたが濕氣ありて梅雨の如し。」
「燒けて無くなつた物の内で貴重な物を思ひ出すと愛惜の念を禁じ難い樣であるが、無くなつた爲に切實に困るのは寧ろ何でもない極く手近かの有りふれた物である。さう云ふ物の補充は却つてつきにくい。こひのあれを燒いたこれも無くなつたと云ふ愚痴は大分下火になつたが、もう大分前にそんな話の間でふと皮文庫の事を思ひ出した。いつも二階の押入れにあつて二尺餘りに一尺五寸位、深さは五六寸のかぶせ蓋のついた全體が黑色の皮で出來てゐる文庫である。(中略)中には昔の子供の時分の原稿、中學二三年時分からの文章や俳句や、岡山の山陽新報中國民報等に投書して掲載せられた文章の切抜きなどが一ぱいに詰まつてゐた。續百鬼園隨筆に收録した筐底穉稿よりもつと前の原稿である。燒けて無くなればそれ迄の事で仕方もないし大した事でもないが、若し世の中が變つて自分の全集でも出せると云ふ樣な事になれば、最も初期の文章として採録する事の出來るのも有つたかも知れない。子供の時から隨分文章の勉強したものだと云ふ證據が無くなり、筐底穉稿を初めだとするといきなり相當に纏まつた文章を綴つた樣な事になる。その皮文庫の事は五月二十五日の當夜は些とも思ひ出さず小屋に落ちついてからも長い間思ひ浮かばなかつた。いつであつたかふとその事に氣がついたが、ただ思ひ出して見ただけの事で何の意味もない。」

「八月二十七日 月 十九夜」
「八月二十四日欄記入の皮文庫の事につきもう一つ思ひ出した事がある。昔昔小石川の高田老松町にゐた當時、近所にゐた津田靑楓氏から聞いた話に、昔の有名な畫家は大概一生の内に一つは春畫を描いてゐる。さうしてそれは皆傑作である。そんな話をした後で自分も描いたと云つたのか描いてゐると云つたのか前後は忘れたが、その内に卷物にした長い續き繪の春畫を見せて貰つた事がある。(中略)その話に影響されたのだらうと思ふけれど、自分も猥文を一篇書いて置かうと思ひ立ち多分早稻田ホテルにゐた時分の事と思ふけれど、或はもう少し後であつたかも知れないが凡そ五六十枚の物を書き上げた。色色讀んだ事のある猥褻本の文體にならひ又は離れる樣に心掛け、大體寫生文體に綴つたと云ふ記憶がある。良い出來であつたか否か疑問であるがその一篇を皮文庫の中に藏つておいた。(中略)今度燒けて仕舞つたので惜しいとも思はないが後腐れもなくなつた。」



下巻より:


「六月一日 日 十三夜
 曇。四五日來小屋のまはりの椎の木のむだ花が晝も夜も雨の樣に落ちる。風が無くても降つてゐるが風が動くと雨脚の繁くなつた通り雨の樣な音を立ててトタン屋根を敲き曇つてゐる時や暗くなつた後では何度も本當の雨かと迷つた。今朝から椎の枝のしげみの中で葦切が鳴き出した。こひは昨日の夕方からその聲を聞いたと云つた。合羽坂から五番町へ連れて引越した昔の葦切を思ひ出した。しかし葦切が椎の樣な大木の枝にとまつて鳴いてゐるのは不思議な樣な氣もする。午後靑木來、上がり口にて御飯を食べて桐生へ歸つた。夕美野來、いつぞやの約束にて入れ齒の代七百圓を八百圓にして與ふ。今日は無酒也。ホツトヰスキー少少飲んですませた。」



内田百閒 百鬼園戦後日記 03

















































内田百間 作/谷中安規 画 『王様の背中』 (複刻版)

「この本(ほん)のお話(はなし)には、教訓(けうくん)はなんにも含(ふく)まれて居(を)りませんから、皆(みな)さんは安心(あんしん)して讀(よ)んで下(くだ)さい。
どのお話(はなし)も、ただ讀(よ)んだ通(とほ)りに受(う)け取(と)つて下(くだ)さればよろしいのです。
それがまた文章(ぶんしやう)の正(ただ)しい讀(よ)み方(かた)なのです。」
(内田百間 「『王樣の背中』序」 より)


内田百間 作/谷中安規 画
『王様の背中』 (複刻版)

名著複刻 日本児童文学館 第二集 24

ほるぷ出版 
昭和51年4月
頁数表記なし(76p) 
菊判 丸背紙装上製本 貼函



内田百閒の童話集『王様の背中』(普及版 楽浪書院 昭和九年九月十日印刷/昭和九年九月十五日発行)の復刻本。文字は朱色印刷。谷中安規による挿絵・カット多数(うちカラー3点)。カラー図版のうち2点は別紙貼付。


内田百間 王様の背中 復刻 01

函。


内田百間 王様の背中 復刻 02

本体表紙。


内田百間 王様の背中 復刻 03

本体裏表紙。


内田百間 王様の背中 復刻 04


「「王樣(わうさま)の背中(せなか)」序(はしがき)」:

「この本(ほん)には、九(ここの)つのお伽噺(とぎばなし)が載(の)つて居(を)ります。
一(いち)ばん初(はじ)めのお話(はなし)の題(だい)を取(と)つて、本(ほん)の名前(なまへ)に致(いた)しました。
散(ち)らばつてゐた原稿(げんかう)をあつめるために、樂浪書院(らくらうしよゐん)の篠田太郎先生(しのだたらうせんせい)が、圖書館(としよくわん)までお出(で)かけ下(くだ)さいました。
谷中安規先生(たになかやすのりせんせい)が、美(うつく)しい版畫(はんぐわ)を、こんなに澤山(たくさん)彫(ほ)つて下(くだ)さいました。
お蔭(かげ)で立派(りつぱ)な本(ほん)が出來(でき)ました。
この本(ほん)のお話(はなし)には、教訓(けうくん)はなんにも含(ふく)まれて居(を)りませんから、皆(みな)さんは安心(あんしん)して讀(よ)んで下(くだ)さい。
どのお話(はなし)も、ただ讀(よ)んだ通(とほ)りに受(う)け取(と)つて下(くだ)さればよろしいのです。
それがまた文章(ぶんしやう)の正(ただ)しい讀(よ)み方(かた)なのです。
昭和九年三月七日
内田百間識(うちだひやくけんしるす)」



内田百間 王様の背中 復刻 05


目次:

王樣(わうさま)の背中(せなか)
影法師(かげぼふし)
狸(たぬき)の勘違(かんちが)ひ
お爺(ぢい)さんの玩具(おもちや)
桃太郎(ももたらう)
かくれんぼ
三本足(さんぼんあし)の獸(けだもの)
狼(おほかみ)の魂(たましひ)
お婆(ばあ)さんの引越(ひつこし)



内田百間 王様の背中 復刻 06


「王様の背中」:

「     一
 王樣(わうさま)の背中(せなか)が、急(きふ)に痒(かゆ)くなりました。
 王樣(わうさま)は急(いそ)いで笏(しやく)を下(した)に置(お)きましたけれど、何(なん)だか間(ま)に合(あ)はないやうな氣(き)がしました。
 初(はじ)めは頸筋くびすぢ)から手(て)を入(い)れて掻(か)きましたが、痒(かゆ)いのは、手(て)のとどくところより、もつと下(した)のやうでした。
 今度(こんど)は袖(そで)から手(て)を引込(ひつこ)めて、背中(せなか)を掻(か)きまはしましたけれど、掻(か)くところは痒(かゆ)くなくて、手(て)のとどかないところが、むづむづするらしいのです。
 王樣(わうさま)は膝(ひざ)をついて、背中(でなか)をうねくね動(うご)かしました。
 さうすれば、いくらか我慢(がまん)が出來(でき)るやうに思(おも)つたのです。しかし、背中(せなか)の痒(かゆ)みは段段(だんだん)ひどくなるばかりでした。王樣(わうさま)はぢりぢりして、膝頭(ひざがしら)で地團太(ぢだんだ)を踏(ふ)みながら、あたりを見廻(みまは)しました。
 家來達(けらいたち)は先程(さきほど)から、何事(なにごと)が起(お)こつたのだらうと案(あん)じながら、恐(おそ)る恐(おそ)る王樣(わうさま)の方(ほう)を見上(みあ)げて居(を)りました。
 王樣(わうさま)はいきなり怖(こは)い目(め)をして、家來(けらい)の一人(ひとり)を睨(にら)みつけました。
 その家來(けらい)はびつくりして、そのまま、その場(ば)にひれ伏(ふ)してしまひました。
王樣(わうさま)はまたその次(つぎ)の家來(けらい)を睨(にら)みつけました。その家來(けらい)もびつくりして、すぐに頭(あたま)を下(さ)げてしまひました。
 王樣(わうさま)は、あんまり背中(せなか)が痒(かゆ)いので、口(くち)を利(き)くことも出來(でき)なかつたのです。
 三人目(さんにんめ)の家來(けらい)が睨(にら)みつけられた時(とき)、やつと王樣(わうさま)の氣持(きもち)が通(つう)じました。
 『ははつ』と云(い)つて、王樣(わうさま)の後(うしろ)に廻(まは)つた家來(けらい)に、王樣(わうさま)は
 『もつとひどく、そこではない。解(わか)らんか』と云(い)ひました。さう云(い)ひながら、王樣(わうさま)は、からだをくねくねと、うねらしました。
 家來(けらい)は、はらはらするばかりで、どうしていいのだか解(わか)りませんでした。
 王樣(わうさま)は、その家來(けらい)を叱(しか)り飛(と)ばしておいて、また邊(あた)りを見廻(みまは)しました。何(なに)か手頃(てごろ)の棒切(ぼうき)れを見(み)つけて、それで背中(せなか)を掻(か)き廻(まは)したいと思(おも)つたのです。
 しかし生憎(あいにく)そんなものは、手近(てぢか)になんにも見當(みあ)たりませんでした。
 王樣(わうさま)は、あんまりいらいらするので、目(め)の色(いろ)が變(かは)つて居(を)りました。
 その内(うち)に、王樣(わうさま)はやつと、さつきそこに置(お)いたばかりの笏(しやく)に氣(き)がつきました。王樣(わうさま)は半分夢中(はんぶんむちゆう)になつて居(を)りますし、家來達(けらいたち)はまた、王樣(わうさま)が何(なに)を探(さが)してゐるのだか見當(けんたう)もつかなかつたのです。笏(しやく)ならさつきから王樣(わうさま)のすぐ傍(そば)にあつたのでした。
 王樣(わうさま)は恐(おそ)ろしい見幕(けんまく)で笏(しやく)を掴(つか)みました。さうして、それでもつて、御自分(ごじぶん)の背中(せなか)をどんどんと毆(なぐ)りつけました。
 ところが、そんな事(こと)をした爲(ため)に、背中(せなか)が前(まへ)よりも一層(いつそう)かゆくなつたらしいのです。
 王樣(わうさま)は目(め)を釣(つ)り上(あ)げて、笏(しやく)の棒(ぼう)を頸筋(くびすぢ)から背中(せなか)に突込(つつこ)みました。笏(しやく)の尖(さき)で背中(せなか)ぢゆうをがりがりと掻(か)き廻(まは)しました。ところが、今度(こんど)こそは大丈夫(だいぢやうぶ)だらうと思(おも)つたのに、笏(しやく)のさはつてゐるところは、ちつとも痒(かゆ)くなくて、その尖(さき)から、一寸(ちよつと)外(はづ)れたところが、益(ますます)痒(かゆ)くなるばかりなのです。
 王樣(わうさま)は、いきなり起(た)ち上(あ)がりました。笏(しやく)を背中(せなか)から抜(ぬ)き出(だ)して、恐(おそ)ろしい勢(いきほ)ひで投(な)げつけると同時(どうじ)に、二三度(にさんど)きりきり舞(ま)ひをしたかと思(おも)ふと、そのまま一人(ひとり)で御殿(ごてん)の外(そと)に馳(か)け出(だ)してしまひました。

     二
 王樣(わうさま)は背中(せなか)をくねらせながら、走(はし)つて行(ゆ)きました。
 道端(みちばた)に、きたない黑犬(くろいぬ)がゐて、後足(あとあし)で横腹(よこつぱら)を一生懸命(いつしやうけんめい)に掻(か)いて居(を)りました。自分(じぶん)の足(あし)で、自分(じぶん)のおなかを蹴飛(けと)ばすやうな勢(いきほ)ひで、掻(か)いて居(を)りました。
 王樣(わうさま)はそれを見(み)て、犬(いぬ)がうらやましくなりました。
 暫(しば)らく行(ゆ)くと、今度(こんど)は道端(みちばた)の樹(き)の枝(えだ)に鴉(からす)がとまつて、大(おほ)きな嘴(くちばし)で自分(じぶん)の胸(むね)を掻(か)いて居(を)りました。からだぢゆうの羽根(はね)をゆるめて、いかにもいい氣持(きもち)らしく、時時(ときどき)咽喉(のど)の奧(おく)でころころと鳴(な)きながら、一生懸命(いつしやうけんめい)に掻(か)いて居(を)りました。王樣(わうさま)はそれを横目(よこめ)に見(み)ながら走(はし)つて居(ゐ)るうちに、ふと、鴉(からす)の背中(せなか)が痒(かゆ)くなつたら、どうするだらうと思(おも)つたら、今度(こんど)はそれが少(すこ)し氣(き)がかりになりました。
 急(きふ)に御自分(ごじぶん)の背中(せなか)の痒(かゆ)いところが、さつきよりも堪(たま)らなくなつたやうでした。
 又(また)暫(しばら)く行(ゆ)くと、今度(こんど)は道端(みちばた)の小川(をがは)に、大(おほ)きな鮒(ふな)が一匹(いつぴき)浮(う)いて居(を)りました。水(みづ)の日向(ひなた)になつたところを、淺(あさ)くおよいでゐるのです。しきりに尻尾(しつぽ)を右左(みぎひだり)に曲(ま)げてゐる樣子(やうす)が、どこか痒(かゆ)いのではないかと、王樣(わうさま)には思(おも)はれました。
 『もし魚(さかな)の背中(せなか)が痒(かゆ)くなつたら、どうするのだらう」
 さう思(おも)つたら、王樣(わうさま)は、背中(せなか)だけでなく、からだぢゆう、どこもかしこも、痒(かゆ)くて堪(たま)らないやうな、へんな氣持(きもち)になつて、そこで又(また)二三度(にさんど)きりきり舞(ま)ひをした揚句(あげく)、今度(こんど)は飛(と)ぶやうな勢(いきほ)ひで馳(か)け出(だ)しました。

     三
 王樣(わうさま)は夢中(むちゆう)になつて、森(もり)の中(なか)に馳(か)け込(こ)みました。さうして樹(き)の瘤(こぶ)や、岩(いは)の角(かど)に背中(せなか)をすりつけて、はね廻(まは)りました。こすればこする程(ほど)、背中(せなか)は益(ますます)かゆくなるばかりでした。しかし止(や)めれば猶(なほ)の事(こと)方方(はうばう)が痒(かゆ)くなつて、一寸(ちよつと)もぢつとしてゐられませんでした。その内(うち)に、氣(き)がついてみると、王樣(わうさま)のまはりに色色(いろいろ)の獸(けもの)が列(なら)んで居(を)りました。猪(いのしし)や狸(たぬき)や兎(うさぎ)などが、一心(いつしん)に王樣(わうさま)のする事(こと)を見(み)てゐる樣子(やうす)でした。さうして、時時(ときどき)自分達(じぶんたち)も後足(あとあし)をあげて、めいめいの横腹(よこつぱら)を蹴(け)りました。
 それから又(また)氣(き)がついて見(み)ると、王樣(わうさま)の頭(あたま)の上(うへ)の樹(き)の枝(えだ)には、色色(いろいろ)の鳥(とり)が列(なら)んでとまつて居(を)りました。雉(きじ)や山鳩(やまばと)や懸巣(かけす)などが、ぢつと王樣(わうさま)のする事(こと)を見(み)てゐるらしいのです。さうして、時時(ときどき)自分達(じぶんたち)も頸(くび)を曲(ま)げて、めいめいの胸(むね)を嘴(くちばし)で掻(か)いて居(を)りました。
 向(むか)うの暗(くら)い池(いけ)の中(なか)からは、鯉(こひ)や鯰(なまづ)や鮒(ふな)などが時時(ときどき)首(くび)をのぞけて、王樣(わうさま)のする事(こと)を見(み)ました。さうして自分達(じぶんたち)も水(みづ)の中(なか)で尻尾(しつぽ)を曲(ま)げて、何(なん)となく痒(かゆ)さうな風(ふう)をしました。
 王樣(わうさま)は、獸(けもの)や鳥(とり)や魚(さかな)のする事(こと)を、ちらりちらり横目(よこめ)で見(み)るだけで、御自分(ごじぶん)は一寸(ちよつと)もからだを休(やす)ませませんでした。樹(き)の瘤(こぶ)が千切(ちぎ)れて、岩(いは)の角(かど)が凹(へこ)む程(ほど)の勢(いきほ)ひで、王樣(わうさま)は背中(せなか)をすりつけました。
 しまひに、池(いけ)の中(なか)から龜(かめ)が一匹(いつぴき)這(は)ひ出(だ)して來(き)て、王樣(わうさま)のする事(こと)を眺(なが)めました。さうして、自分(じぶん)も短(みじか)い足(あし)を動(うご)かし出(だ)しました。しかし龜(かめ)の足(あし)はからだのどこにも屆(とど)きませんでした。ただそこいらの砂(すな)を掻(か)いて、ぢたばたするばかりです。
 王樣(わうさま)はそれを見(み)ると、夢中(むちゆう)になつて、御自分(ごじぶん)のからだをもだえました。獸(けもの)や鳥(とり)や、水(みづ)の中(なか)の魚(さかな)までも、それにつれて、蹴(け)つたり、つつ突(つ)いたり、うねつたりして身(み)もだえしました。
 龜(かめ)がまたそれにつれて、短(みじか)い足(あし)で砂(すな)を掻(か)き散(ち)らしました。」



内田百間 王様の背中 復刻 07


内田百間 王様の背中 復刻 08


「桃太郎(ももたらう)」:

「むかし、むかし、そのまた昔(むかし)の大昔(おほむかし)、ある所(ところ)に、お爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんとがありました。お爺(ぢい)さんは山(やま)へ柴刈(しばか)りに、お婆(ばあ)さんは川(かは)へ洗濯(せんたく)に行(ゆ)きました。
 するとお婆(ばあ)さんが洗濯(せんたく)してゐる川(かは)の上手(かみて)の方(はう)から、大(おほ)きな大(おほ)きな、おいしさうな桃(もも)が一(ひと)つ流(なが)れて來(き)ました。
 お婆(ばあ)さんはさつそくその桃(もも)を拾(ひろ)つて、おうちに持(も)つて歸(かへ)つて、山(やま)から歸(かへ)つたお爺(ぢい)さんと二人(ふたり)で一緒(いつしよ)にたべようとしますと、桃(もも)がひとりでにわれて、中(なか)から桃太郎(ももたらう)が生(うま)れました。お爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんは、びつくりしたはずみに、桃太郎(ももたらう)が生(うま)れた後(あと)の桃(もも)の實(み)をたべる事(こと)など、すつかり忘(わす)れてしまひました。
 さうしてお爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんが、あんまりうれしくて、二人(ふたり)で大(おほ)きな聲(こゑ)を出(だ)したものですから、裏(うら)の森(もり)の中(なか)でひるねをしてゐた猪(ゐのしし)が目(め)をさましました。
 猪(ゐのしし)は、大(おほ)きな欠伸(あくび)をしながら、起(た)ち上(あ)がりました。いつも靜(しづ)かなお婆(ばあ)さんとお爺(ぢい)さんのおうちが、大(たい)へん騷(さわ)がしいので、不思議(ふしぎ)に思(おも)つて、裏口(うらぐち)からそつと覗(のぞ)いて見(み)ますと、おうちの中(なか)には、可愛(かはい)らしい赤(あか)ん坊(ばう)が、元氣(げんき)な顏(かほ)をして、手足(てあし)をぴんぴんはねてをりました。お爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんは二人(ふたり)で交(かは)りばんこに赤(あか)ん坊(ばう)をだつこしては、よろこんでばかりをります。その傍(そば)に、それはそれはおいしさうな桃(もも)の實(み)が、眞中(まんなか)から二(ふた)つに割(わ)れたまま、ころがつてゐるのを、二人(ふたり)ともすつかり忘(わす)れてゐる樣子(やうす)でありました。猪(ゐのしし)はその桃(もも)を見(み)て、長(なが)い鼻(はな)をひくひく動(うご)かしながら、お爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんが赤(あか)ん坊(ばう)に氣(き)を取(と)られてゐる隙(すき)に、先(ま)づその半分(はんぶん)の方(はう)を大急(おほいそ)ぎで食(た)べてしまひました。後(あと)の半分(はんぶん)は口(くち)にくはへたまま、どんどん森(もり)の中(なか)に逃(に)げて歸(かへ)りました。
 お爺(ぢい)さんもお婆(ばあ)さんもそんな事(こと)にはまるで氣(き)がつきませんでした。後(あと)になつてからも、もうそれつきり、桃太郎(ももたらう)の生(うま)れた桃(もも)の實(み)の事(こと)など、思(おも)ひ出(だ)した事(こと)はありませんでした。 さて、森(もり)の中(なか)の猪(ゐのしし)は、くはへて歸(かへ)つた半分(はんぶん)の桃(もも)の實(み)を、森(もり)の樹(き)の根(ね)もとにおいて暫(しば)らく眺(なが)めてをりました。
 あんまり大(おほ)きな桃(もも)なので、さつきたべた半分(はんぶん)だけで、おなかが一(いつ)ぱいになつて、後(あと)の半分(はんぶん)は今(いま)すぐにたべたくありませんでした。そのうちに猪(ゐのしし)はまた眠(ねむ)くなつて、長(なが)い鼻(はな)の奧(おく)でぐうぐうと、きたない音(おと)をさせながら鼾(いびき)をかいて寝入(ねい)つてしまひました。暫(しば)らくして、猪(ゐのしし)が目(め)をさまして見(み)ますと、さつき枕(まくら)もとにおいて寝(ね)た桃(もも)の實(み)に、小(ちひ)さな蟻(あり)が一(いつ)ぱいたかつてをりました。
 猪(ゐのしし)は、その桃(もも)の實(み)の殘(のこ)りを、蟻(あり)ごと食(た)べてしまひました。めでたし、めでたし。」



内田百間 王様の背中 復刻 09


内田百間 王様の背中 復刻 10


「三本足(さんぼんあし)の獣(けだもの)」:

「王樣(わうさま)の御病氣(ごびやうき)が、いつ迄(まで)たつてもなほらないので、國(くに)ぢゆうの人(ひと)がみんな心配(しんぱい)しました。方方(はうばう)からいろいろのお藥(くすり)を差上(さしあ)げましたけれど、ちつとも利(き)き目(め)がありませんでした。
 そのうちに、一人(ひとり)の易者(えきしや)が來(き)て、王樣(わうさま)の御病氣(ごびやうき)を占(うらな)ひました。易者(えきしや)は顎(あご)の鬚(ひげ)を引(ひ)つ張(ぱ)りながら、『これは三本足(さんぼんあし)の獸(けだもの)の祟(たた)りで御座(ござ)います』と云(い)つて歸(かへ)りました。
 しかし、三本足(さんぼんあし)の獸(けだもの)なんかゐるわけはありません。家來達(けらいたち)がみんなで、幾日(いくか)も幾日(いくか)も評議(ひやうぎ)をしましたけれど、易者(えきしや)の云(い)つたことはわかりませんでした。その間(あひだ)にも、王樣(わうさま)の御病氣(ごびやうき)はわるくなる一方(いつぱう)でした。
 ある日(ひ)、一人(ひとり)の家來(けらい)が、お庭(には)の掃除(さうぢ)をしてゐましたら、隅(すみ)の方(はう)の笹(ささ)の葉(は)のしげつた陰(かげ)から、石(いし)を刻(きざ)んで造(つく)つた大(おほ)きな鼠(ねづみ)が出(で)て來(き)ました。その鼠(ねづみ)は猫(ねこ)ぐらゐの大(おほ)きさでした。さうして、からだ一面(いちめん)に苔(こけ)がついて、丸(まる)で毛(け)が生(は)えてゐるやうでした。その鼠(ねづみ)の足(あし)が一本(いつぽん)折(を)れてゐて、三本足(さんぼんあし)でした。
又(また)家來達(けらいたち)が評議(ひやうぎ)をして、易者(えきしや)の云(い)つたのはこれに違(ちが)ひないと云(い)ふ事(こと)になりました。
 しかし、さうだとしても、この鼠(ねづみ)の祟(たた)りを去(さ)るには、どうしたらいいか、それがわかりませんでした。生(い)き物(もの)でないから、殺(ころ)すことも出來(でき)ませんでした。
 それで鼠(ねづみ)の背中(せなか)を割(わ)つて、その割(わ)れ目(め)に鉛(なまり)の煮立(にた)つたのを流(なが)し込(こ)むことにしました。すると、その熱(あつ)い鉛(なまり)が石(いし)の鼠(ねづみ)の背中(せなか)に、一寸(ちよつと)かかるか、かからないかに、御殿(ごてん)の奧(おく)で寢(ね)てゐた王樣(わうさま)が『あつ』と云(い)ひました。
庭(には)で鼠(ねづみ)の背中(せなか)に鉛(なまり)を入(い)れた家來達(けらいたち)が、急(いそ)いで驅(か)けつけた時(とき)には、王樣(わうさま)は死(し)んでをりました。」



内田百間 王様の背中 復刻 11


内田百間 王様の背中 復刻 12


内田百間 王様の背中 復刻 13


内田百間 王様の背中 復刻


































内田百間 『王様の背中』 (旺文社文庫)

「暫(しば)らくして、猪(ゐのしし)が目(め)をさまして見(み)ますと、さつき枕(まくら)もとにおいて寝(ね)た桃(もも)の実(み)に、小(ちひ)さな蟻(あり)が一(いつ)ぱいたかつてをりました。
 猪(ゐのしし)は、その桃(もも)の実(み)の残(のこ)りを、蟻(あり)ごと食(た)べてしまひました。めでたし。めでたし。」

(内田百閒 「桃太郎」 より)


内田百閒 作
谷中安規 画 
『王様の背中』

旺文社文庫 121-36

1984年3月15日 初版印刷
1984年3月24日 初版発行
217p 
文庫判 並装 カバー
定価340円
カバー装丁: 田村義也



編集部註記:

「かなづかいは原文のままとした。漢字は正字体を新字体・略字体にあらためた。ただし、人名・地名をはじめ、一部を正字体とした。」


本書は、昭和九年、楽浪書院から刊行された絵本『王様の背中』と、昭和十三年小山書店「少年少女世界文庫」の一冊として刊行された『狐の裁判』の二冊の子供向け本のカップリング文庫化で、いずれも風船画伯こと谷中安規の挿絵が全点収録されています。
『王様の背中』は創作童話集ですが、併載の『狐の裁判』はゲーテによる紹介(「Reineke Fuchs 狐ライネケ」)で有名になった中世動物叙事詩を翻案したものです。ゲーテ版の原典となった15世紀ドイツの叙事詩「ラインケ・デ・フォス Reinke de vos」の日本語訳には、伊東勉による岩波文庫版『ラインケ狐』(1952年)があり、また、フランス語版「ル・ロマン・ド・ルナール Le Roman de Renart」の日本語訳には、福本直之ほかによる『狐物語』(これは原典の三分の一ほどを抄訳したものです)が、やはり岩波文庫から出ています(2002年)。嫌われ者の狐が動物たちによって裁判にかけられ絞首刑を言い渡されるものの、智慧によって死刑をまぬがれ、のみならず王様の信用を得て出世するというピカレスク・ロマン(悪漢物語)、あるいはトリックスター譚です。
講談社版『内田百閒全集』の解題(平山三郎)では、「狐の裁判」はフランス文学者の大井征による代作であるとされていましたが(「狐の裁判」は講談社版全集には未収録)、本書解説(平山三郎)では大井征への言及はなく、「後年、「百閒著作目録」を作るとき、「狐の裁判」は翻譯であるという理由から先生自身が「著作」から除いた。また、その原書は何だったかということも不明である。」と書かれていて、食い違いがあります。


内田百間 王様の背中 01


カバー裏文:

「「この本(ほん)のお話(はなし)には、教訓(けうくん)はなんにも含(ふく)まれて居(を)りませんから、皆(みな)さんは安心(あんしん)して読(よ)んで下(くだ)さい。
どのお話(はなし)も、ただ読(よ)んだ通(とほ)りに受(う)け取(と)つて下(くだ)さればよろしいのです。それがまた文章(ぶんしやう)の正(ただ)しい読(よ)み方(かた)なのです。」
    「王様(わうさま)の背中(せなか)」序(はしがき)より
百鬼園先生唯一の絵入御伽噺集ついに百閒文庫に登場。傑作翻案寓話「狐の裁判」を併載。



目次:

王様の背中
 王様の背中
 影法師
 狸の勘違ひ
 お爺さんの玩具
 桃太郎
 かくれんぼ
 三本足の獣
 狼の魂
 お婆さんの引越

狐の裁判

「王様の背中」雑記 (平山三郎)



内田百間 王様の背中 02



◆本書より◆


「狼(おほかみ)の魂(たましひ)」:

「鯰(なまづ)が藻(も)の陰(かげ)で居眠(ゐねむ)りをしてゐますと、何(なん)だか髭(ひげ)の尖(さき)にさはつたものがあるので、目(め)をさましました。真黒(まつくろ)い毛(け)の生(は)えた、小(ちひ)さな毬(まり)のやうなものが、その傍(そば)を、ふかりふかりと流(なが)れてをりました。
 『お前(まへ)は何(なん)だ』と鯰(なまづ)が腹(はら)を立(た)てて、聞(き)きました。
 『己(おれ)は狼(おほかみ)の魂(たましひ)だ』とその変(へん)なものが、答(こた)へました。
 その川上(かはかみ)の山(やま)にゐた狼(おほかみ)が、寝(ね)てゐる間に咽喉(のど)がかわいて、目(め)をさましたのです。水(みづ)を飲(の)みたいと思(おも)ひましたけれど、あんまり眠(ねむ)いので、そのまま又(また)眠(ねむ)りつづけました。すると狼(おほかみ)の魂(たましひ)が咽喉(のど)からころがり出(で)て、山瀬(やませ)の水(みづ)を飲(の)みに行(ゆ)きました。その留守(るす)に一人(ひとり)の猟師(れふし)が来(き)て、寝(ね)てゐる狼(おほかみ)を打(う)ち殺(ころ)しました。狼(おほかみ)は、いつもなら直(す)ぐに猟師(れふし)の足音(あしおと)に気(き)がつくのですが、その時(とき)は魂(たましひ)が外(そと)に出(で)てゐたため、うつかりして殺(ころ)されてしまつたのです。
 山瀬(やませ)の水(みづ)を飲(の)んでゐた狼(おほかみ)の魂(たましひ)は、帰(かへ)つて行(ゆ)くところがなくなりました。それで仕方(しかた)がないから、ふかりふかりと、水(みづ)の中(なか)を浮(う)いたり沈(しづ)んだりしながら、流(なが)れて来(き)て鯰(なまづ)の髭(ひげ)に触(さは)つて怒(おこ)られたのでした。
 鯰(なまづ)はいつも水(みづ)の中(なか)にばかりゐるものですから、狼(おほかみ)のことなど知(し)りませんでした。それに丁度(ちやうど)その時(とき)は、随分(ずゐぶん)おなかがへつてゐたので、いきなり大(おほ)きな口(くち)を開(あ)けて、狼(おほかみ)の魂(たましひ)を呑(の)み込(こ)んでしまひました。
 狼(おほかみ)の魂(たましひ)をのんだ鯰(なまづ)は、俄(にはか)に元気(げんき)になつて、そこいらを暴(あば)れ廻(まは)りました。咽喉(のど)の奥(おく)から、大(おほ)きなあぶくが幾(いく)つも幾(いく)つも出(で)て来(き)ました。そのあぶくが水(みづ)の上(うへ)に浮(う)いて潰(つぶ)れると、みんな恐(おそ)ろしい声(こゑ)になつて、辺(あたり)に響(ひび)きました。
 その声(こゑ)を聞(き)いて、遠(とほ)くの方(はう)から犬(いぬ)が吠(ほ)えました。近(ちか)くにゐた兎(うさぎ)は穴(あな)の中(なか)に逃(に)げ込(こ)みました。水(みづ)の中(なか)の魚達(さかなたち)は一層(いつそう)驚(おどろ)いて、どこかへかくれてしまひ、その辺(あたり)には、一匹(いつぴき)もゐなくなりました。
 そのうちに、鯰(なまづ)は水(みづ)の中(なか)にゐるのが、いやになつて来(き)ましたので、ぬるぬるしたからだを鯱子張(しやちこば)らして、勢(いきほ)ひよく岸(きし)の草(くさ)の上(うへ)に跳(と)び上(あ)がりました。
 草(くさ)の上(うへ)には、日(ひ)がかんかん照(て)りつけてゐましたから、鯰(なまづ)は間(ま)もなく乾(かは)き出(だ)しました。日(ひ)の温(ぬくも)りが段段(だんだん)鯰(なまづ)のからだの中(なか)まで廻(まは)るにつれて、狼(おほかみ)の魂(たましひ)も次第(しだい)にふやけて来(き)ました。さうして、しまひには、すつかりとろけて、解(わか)らなくなつてしまひました。」



内田百間 王様の背中 03

「狐の裁判」挿絵。


内田百間 王様の背中 04


内田百間 王様の背中 05


内田百間 王様の背中 07


旺文社文庫 内田百間全作品集フェア チラシ:

内田百間 旺文社文庫 01


内田百間 旺文社文庫 02



こちらもご参照ください:

内田百間 作/谷中安規 画 『王樣の背中』 (複刻版)




















































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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