内田百間 作/谷中安規 画 『王様の背中』 (複刻版)

「この本(ほん)のお話(はなし)には、教訓(けうくん)はなんにも含(ふく)まれて居(を)りませんから、皆(みな)さんは安心(あんしん)して讀(よ)んで下(くだ)さい。
どのお話(はなし)も、ただ讀(よ)んだ通(とほ)りに受(う)け取(と)つて下(くだ)さればよろしいのです。
それがまた文章(ぶんしやう)の正(ただ)しい讀(よ)み方(かた)なのです。」
(内田百間 「『王樣の背中』序」 より)


内田百間 作/谷中安規 画
『王様の背中』 (複刻版)

名著複刻 日本児童文学館 第二集 24

ほるぷ出版 
昭和51年4月
頁数表記なし(76p) 
菊判 丸背紙装上製本 貼函



内田百閒の童話集『王様の背中』(普及版 楽浪書院 昭和九年九月十日印刷/昭和九年九月十五日発行)の復刻本。文字は朱色印刷。谷中安規による挿絵・カット多数(うちカラー3点)。カラー図版のうち2点は別紙貼付。


内田百間 王様の背中 復刻 01

函。


内田百間 王様の背中 復刻 02

本体表紙。


内田百間 王様の背中 復刻 03

本体裏表紙。


内田百間 王様の背中 復刻 04


「「王樣(わうさま)の背中(せなか)」序(はしがき)」:

「この本(ほん)には、九(ここの)つのお伽噺(とぎばなし)が載(の)つて居(を)ります。
一(いち)ばん初(はじ)めのお話(はなし)の題(だい)を取(と)つて、本(ほん)の名前(なまへ)に致(いた)しました。
散(ち)らばつてゐた原稿(げんかう)をあつめるために、樂浪書院(らくらうしよゐん)の篠田太郎先生(しのだたらうせんせい)が、圖書館(としよくわん)までお出(で)かけ下(くだ)さいました。
谷中安規先生(たになかやすのりせんせい)が、美(うつく)しい版畫(はんぐわ)を、こんなに澤山(たくさん)彫(ほ)つて下(くだ)さいました。
お蔭(かげ)で立派(りつぱ)な本(ほん)が出來(でき)ました。
この本(ほん)のお話(はなし)には、教訓(けうくん)はなんにも含(ふく)まれて居(を)りませんから、皆(みな)さんは安心(あんしん)して讀(よ)んで下(くだ)さい。
どのお話(はなし)も、ただ讀(よ)んだ通(とほ)りに受(う)け取(と)つて下(くだ)さればよろしいのです。
それがまた文章(ぶんしやう)の正(ただ)しい讀(よ)み方(かた)なのです。
昭和九年三月七日
内田百間識(うちだひやくけんしるす)」



内田百間 王様の背中 復刻 05


目次:

王樣(わうさま)の背中(せなか)
影法師(かげぼふし)
狸(たぬき)の勘違(かんちが)ひ
お爺(ぢい)さんの玩具(おもちや)
桃太郎(ももたらう)
かくれんぼ
三本足(さんぼんあし)の獸(けだもの)
狼(おほかみ)の魂(たましひ)
お婆(ばあ)さんの引越(ひつこし)



内田百間 王様の背中 復刻 06


「王様の背中」:

「     一
 王樣(わうさま)の背中(せなか)が、急(きふ)に痒(かゆ)くなりました。
 王樣(わうさま)は急(いそ)いで笏(しやく)を下(した)に置(お)きましたけれど、何(なん)だか間(ま)に合(あ)はないやうな氣(き)がしました。
 初(はじ)めは頸筋くびすぢ)から手(て)を入(い)れて掻(か)きましたが、痒(かゆ)いのは、手(て)のとどくところより、もつと下(した)のやうでした。
 今度(こんど)は袖(そで)から手(て)を引込(ひつこ)めて、背中(せなか)を掻(か)きまはしましたけれど、掻(か)くところは痒(かゆ)くなくて、手(て)のとどかないところが、むづむづするらしいのです。
 王樣(わうさま)は膝(ひざ)をついて、背中(でなか)をうねくね動(うご)かしました。
 さうすれば、いくらか我慢(がまん)が出來(でき)るやうに思(おも)つたのです。しかし、背中(せなか)の痒(かゆ)みは段段(だんだん)ひどくなるばかりでした。王樣(わうさま)はぢりぢりして、膝頭(ひざがしら)で地團太(ぢだんだ)を踏(ふ)みながら、あたりを見廻(みまは)しました。
 家來達(けらいたち)は先程(さきほど)から、何事(なにごと)が起(お)こつたのだらうと案(あん)じながら、恐(おそ)る恐(おそ)る王樣(わうさま)の方(ほう)を見上(みあ)げて居(を)りました。
 王樣(わうさま)はいきなり怖(こは)い目(め)をして、家來(けらい)の一人(ひとり)を睨(にら)みつけました。
 その家來(けらい)はびつくりして、そのまま、その場(ば)にひれ伏(ふ)してしまひました。
王樣(わうさま)はまたその次(つぎ)の家來(けらい)を睨(にら)みつけました。その家來(けらい)もびつくりして、すぐに頭(あたま)を下(さ)げてしまひました。
 王樣(わうさま)は、あんまり背中(せなか)が痒(かゆ)いので、口(くち)を利(き)くことも出來(でき)なかつたのです。
 三人目(さんにんめ)の家來(けらい)が睨(にら)みつけられた時(とき)、やつと王樣(わうさま)の氣持(きもち)が通(つう)じました。
 『ははつ』と云(い)つて、王樣(わうさま)の後(うしろ)に廻(まは)つた家來(けらい)に、王樣(わうさま)は
 『もつとひどく、そこではない。解(わか)らんか』と云(い)ひました。さう云(い)ひながら、王樣(わうさま)は、からだをくねくねと、うねらしました。
 家來(けらい)は、はらはらするばかりで、どうしていいのだか解(わか)りませんでした。
 王樣(わうさま)は、その家來(けらい)を叱(しか)り飛(と)ばしておいて、また邊(あた)りを見廻(みまは)しました。何(なに)か手頃(てごろ)の棒切(ぼうき)れを見(み)つけて、それで背中(せなか)を掻(か)き廻(まは)したいと思(おも)つたのです。
 しかし生憎(あいにく)そんなものは、手近(てぢか)になんにも見當(みあ)たりませんでした。
 王樣(わうさま)は、あんまりいらいらするので、目(め)の色(いろ)が變(かは)つて居(を)りました。
 その内(うち)に、王樣(わうさま)はやつと、さつきそこに置(お)いたばかりの笏(しやく)に氣(き)がつきました。王樣(わうさま)は半分夢中(はんぶんむちゆう)になつて居(を)りますし、家來達(けらいたち)はまた、王樣(わうさま)が何(なに)を探(さが)してゐるのだか見當(けんたう)もつかなかつたのです。笏(しやく)ならさつきから王樣(わうさま)のすぐ傍(そば)にあつたのでした。
 王樣(わうさま)は恐(おそ)ろしい見幕(けんまく)で笏(しやく)を掴(つか)みました。さうして、それでもつて、御自分(ごじぶん)の背中(せなか)をどんどんと毆(なぐ)りつけました。
 ところが、そんな事(こと)をした爲(ため)に、背中(せなか)が前(まへ)よりも一層(いつそう)かゆくなつたらしいのです。
 王樣(わうさま)は目(め)を釣(つ)り上(あ)げて、笏(しやく)の棒(ぼう)を頸筋(くびすぢ)から背中(せなか)に突込(つつこ)みました。笏(しやく)の尖(さき)で背中(せなか)ぢゆうをがりがりと掻(か)き廻(まは)しました。ところが、今度(こんど)こそは大丈夫(だいぢやうぶ)だらうと思(おも)つたのに、笏(しやく)のさはつてゐるところは、ちつとも痒(かゆ)くなくて、その尖(さき)から、一寸(ちよつと)外(はづ)れたところが、益(ますます)痒(かゆ)くなるばかりなのです。
 王樣(わうさま)は、いきなり起(た)ち上(あ)がりました。笏(しやく)を背中(せなか)から抜(ぬ)き出(だ)して、恐(おそ)ろしい勢(いきほ)ひで投(な)げつけると同時(どうじ)に、二三度(にさんど)きりきり舞(ま)ひをしたかと思(おも)ふと、そのまま一人(ひとり)で御殿(ごてん)の外(そと)に馳(か)け出(だ)してしまひました。

     二
 王樣(わうさま)は背中(せなか)をくねらせながら、走(はし)つて行(ゆ)きました。
 道端(みちばた)に、きたない黑犬(くろいぬ)がゐて、後足(あとあし)で横腹(よこつぱら)を一生懸命(いつしやうけんめい)に掻(か)いて居(を)りました。自分(じぶん)の足(あし)で、自分(じぶん)のおなかを蹴飛(けと)ばすやうな勢(いきほ)ひで、掻(か)いて居(を)りました。
 王樣(わうさま)はそれを見(み)て、犬(いぬ)がうらやましくなりました。
 暫(しば)らく行(ゆ)くと、今度(こんど)は道端(みちばた)の樹(き)の枝(えだ)に鴉(からす)がとまつて、大(おほ)きな嘴(くちばし)で自分(じぶん)の胸(むね)を掻(か)いて居(を)りました。からだぢゆうの羽根(はね)をゆるめて、いかにもいい氣持(きもち)らしく、時時(ときどき)咽喉(のど)の奧(おく)でころころと鳴(な)きながら、一生懸命(いつしやうけんめい)に掻(か)いて居(を)りました。王樣(わうさま)はそれを横目(よこめ)に見(み)ながら走(はし)つて居(ゐ)るうちに、ふと、鴉(からす)の背中(せなか)が痒(かゆ)くなつたら、どうするだらうと思(おも)つたら、今度(こんど)はそれが少(すこ)し氣(き)がかりになりました。
 急(きふ)に御自分(ごじぶん)の背中(せなか)の痒(かゆ)いところが、さつきよりも堪(たま)らなくなつたやうでした。
 又(また)暫(しばら)く行(ゆ)くと、今度(こんど)は道端(みちばた)の小川(をがは)に、大(おほ)きな鮒(ふな)が一匹(いつぴき)浮(う)いて居(を)りました。水(みづ)の日向(ひなた)になつたところを、淺(あさ)くおよいでゐるのです。しきりに尻尾(しつぽ)を右左(みぎひだり)に曲(ま)げてゐる樣子(やうす)が、どこか痒(かゆ)いのではないかと、王樣(わうさま)には思(おも)はれました。
 『もし魚(さかな)の背中(せなか)が痒(かゆ)くなつたら、どうするのだらう」
 さう思(おも)つたら、王樣(わうさま)は、背中(せなか)だけでなく、からだぢゆう、どこもかしこも、痒(かゆ)くて堪(たま)らないやうな、へんな氣持(きもち)になつて、そこで又(また)二三度(にさんど)きりきり舞(ま)ひをした揚句(あげく)、今度(こんど)は飛(と)ぶやうな勢(いきほ)ひで馳(か)け出(だ)しました。

     三
 王樣(わうさま)は夢中(むちゆう)になつて、森(もり)の中(なか)に馳(か)け込(こ)みました。さうして樹(き)の瘤(こぶ)や、岩(いは)の角(かど)に背中(せなか)をすりつけて、はね廻(まは)りました。こすればこする程(ほど)、背中(せなか)は益(ますます)かゆくなるばかりでした。しかし止(や)めれば猶(なほ)の事(こと)方方(はうばう)が痒(かゆ)くなつて、一寸(ちよつと)もぢつとしてゐられませんでした。その内(うち)に、氣(き)がついてみると、王樣(わうさま)のまはりに色色(いろいろ)の獸(けもの)が列(なら)んで居(を)りました。猪(いのしし)や狸(たぬき)や兎(うさぎ)などが、一心(いつしん)に王樣(わうさま)のする事(こと)を見(み)てゐる樣子(やうす)でした。さうして、時時(ときどき)自分達(じぶんたち)も後足(あとあし)をあげて、めいめいの横腹(よこつぱら)を蹴(け)りました。
 それから又(また)氣(き)がついて見(み)ると、王樣(わうさま)の頭(あたま)の上(うへ)の樹(き)の枝(えだ)には、色色(いろいろ)の鳥(とり)が列(なら)んでとまつて居(を)りました。雉(きじ)や山鳩(やまばと)や懸巣(かけす)などが、ぢつと王樣(わうさま)のする事(こと)を見(み)てゐるらしいのです。さうして、時時(ときどき)自分達(じぶんたち)も頸(くび)を曲(ま)げて、めいめいの胸(むね)を嘴(くちばし)で掻(か)いて居(を)りました。
 向(むか)うの暗(くら)い池(いけ)の中(なか)からは、鯉(こひ)や鯰(なまづ)や鮒(ふな)などが時時(ときどき)首(くび)をのぞけて、王樣(わうさま)のする事(こと)を見(み)ました。さうして自分達(じぶんたち)も水(みづ)の中(なか)で尻尾(しつぽ)を曲(ま)げて、何(なん)となく痒(かゆ)さうな風(ふう)をしました。
 王樣(わうさま)は、獸(けもの)や鳥(とり)や魚(さかな)のする事(こと)を、ちらりちらり横目(よこめ)で見(み)るだけで、御自分(ごじぶん)は一寸(ちよつと)もからだを休(やす)ませませんでした。樹(き)の瘤(こぶ)が千切(ちぎ)れて、岩(いは)の角(かど)が凹(へこ)む程(ほど)の勢(いきほ)ひで、王樣(わうさま)は背中(せなか)をすりつけました。
 しまひに、池(いけ)の中(なか)から龜(かめ)が一匹(いつぴき)這(は)ひ出(だ)して來(き)て、王樣(わうさま)のする事(こと)を眺(なが)めました。さうして、自分(じぶん)も短(みじか)い足(あし)を動(うご)かし出(だ)しました。しかし龜(かめ)の足(あし)はからだのどこにも屆(とど)きませんでした。ただそこいらの砂(すな)を掻(か)いて、ぢたばたするばかりです。
 王樣(わうさま)はそれを見(み)ると、夢中(むちゆう)になつて、御自分(ごじぶん)のからだをもだえました。獸(けもの)や鳥(とり)や、水(みづ)の中(なか)の魚(さかな)までも、それにつれて、蹴(け)つたり、つつ突(つ)いたり、うねつたりして身(み)もだえしました。
 龜(かめ)がまたそれにつれて、短(みじか)い足(あし)で砂(すな)を掻(か)き散(ち)らしました。」



内田百間 王様の背中 復刻 07


内田百間 王様の背中 復刻 08


「桃太郎(ももたらう)」:

「むかし、むかし、そのまた昔(むかし)の大昔(おほむかし)、ある所(ところ)に、お爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんとがありました。お爺(ぢい)さんは山(やま)へ柴刈(しばか)りに、お婆(ばあ)さんは川(かは)へ洗濯(せんたく)に行(ゆ)きました。
 するとお婆(ばあ)さんが洗濯(せんたく)してゐる川(かは)の上手(かみて)の方(はう)から、大(おほ)きな大(おほ)きな、おいしさうな桃(もも)が一(ひと)つ流(なが)れて來(き)ました。
 お婆(ばあ)さんはさつそくその桃(もも)を拾(ひろ)つて、おうちに持(も)つて歸(かへ)つて、山(やま)から歸(かへ)つたお爺(ぢい)さんと二人(ふたり)で一緒(いつしよ)にたべようとしますと、桃(もも)がひとりでにわれて、中(なか)から桃太郎(ももたらう)が生(うま)れました。お爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんは、びつくりしたはずみに、桃太郎(ももたらう)が生(うま)れた後(あと)の桃(もも)の實(み)をたべる事(こと)など、すつかり忘(わす)れてしまひました。
 さうしてお爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんが、あんまりうれしくて、二人(ふたり)で大(おほ)きな聲(こゑ)を出(だ)したものですから、裏(うら)の森(もり)の中(なか)でひるねをしてゐた猪(ゐのしし)が目(め)をさましました。
 猪(ゐのしし)は、大(おほ)きな欠伸(あくび)をしながら、起(た)ち上(あ)がりました。いつも靜(しづ)かなお婆(ばあ)さんとお爺(ぢい)さんのおうちが、大(たい)へん騷(さわ)がしいので、不思議(ふしぎ)に思(おも)つて、裏口(うらぐち)からそつと覗(のぞ)いて見(み)ますと、おうちの中(なか)には、可愛(かはい)らしい赤(あか)ん坊(ばう)が、元氣(げんき)な顏(かほ)をして、手足(てあし)をぴんぴんはねてをりました。お爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんは二人(ふたり)で交(かは)りばんこに赤(あか)ん坊(ばう)をだつこしては、よろこんでばかりをります。その傍(そば)に、それはそれはおいしさうな桃(もも)の實(み)が、眞中(まんなか)から二(ふた)つに割(わ)れたまま、ころがつてゐるのを、二人(ふたり)ともすつかり忘(わす)れてゐる樣子(やうす)でありました。猪(ゐのしし)はその桃(もも)を見(み)て、長(なが)い鼻(はな)をひくひく動(うご)かしながら、お爺(ぢい)さんとお婆(ばあ)さんが赤(あか)ん坊(ばう)に氣(き)を取(と)られてゐる隙(すき)に、先(ま)づその半分(はんぶん)の方(はう)を大急(おほいそ)ぎで食(た)べてしまひました。後(あと)の半分(はんぶん)は口(くち)にくはへたまま、どんどん森(もり)の中(なか)に逃(に)げて歸(かへ)りました。
 お爺(ぢい)さんもお婆(ばあ)さんもそんな事(こと)にはまるで氣(き)がつきませんでした。後(あと)になつてからも、もうそれつきり、桃太郎(ももたらう)の生(うま)れた桃(もも)の實(み)の事(こと)など、思(おも)ひ出(だ)した事(こと)はありませんでした。 さて、森(もり)の中(なか)の猪(ゐのしし)は、くはへて歸(かへ)つた半分(はんぶん)の桃(もも)の實(み)を、森(もり)の樹(き)の根(ね)もとにおいて暫(しば)らく眺(なが)めてをりました。
 あんまり大(おほ)きな桃(もも)なので、さつきたべた半分(はんぶん)だけで、おなかが一(いつ)ぱいになつて、後(あと)の半分(はんぶん)は今(いま)すぐにたべたくありませんでした。そのうちに猪(ゐのしし)はまた眠(ねむ)くなつて、長(なが)い鼻(はな)の奧(おく)でぐうぐうと、きたない音(おと)をさせながら鼾(いびき)をかいて寝入(ねい)つてしまひました。暫(しば)らくして、猪(ゐのしし)が目(め)をさまして見(み)ますと、さつき枕(まくら)もとにおいて寝(ね)た桃(もも)の實(み)に、小(ちひ)さな蟻(あり)が一(いつ)ぱいたかつてをりました。
 猪(ゐのしし)は、その桃(もも)の實(み)の殘(のこ)りを、蟻(あり)ごと食(た)べてしまひました。めでたし、めでたし。」



内田百間 王様の背中 復刻 09


内田百間 王様の背中 復刻 10


「三本足(さんぼんあし)の獣(けだもの)」:

「王樣(わうさま)の御病氣(ごびやうき)が、いつ迄(まで)たつてもなほらないので、國(くに)ぢゆうの人(ひと)がみんな心配(しんぱい)しました。方方(はうばう)からいろいろのお藥(くすり)を差上(さしあ)げましたけれど、ちつとも利(き)き目(め)がありませんでした。
 そのうちに、一人(ひとり)の易者(えきしや)が來(き)て、王樣(わうさま)の御病氣(ごびやうき)を占(うらな)ひました。易者(えきしや)は顎(あご)の鬚(ひげ)を引(ひ)つ張(ぱ)りながら、『これは三本足(さんぼんあし)の獸(けだもの)の祟(たた)りで御座(ござ)います』と云(い)つて歸(かへ)りました。
 しかし、三本足(さんぼんあし)の獸(けだもの)なんかゐるわけはありません。家來達(けらいたち)がみんなで、幾日(いくか)も幾日(いくか)も評議(ひやうぎ)をしましたけれど、易者(えきしや)の云(い)つたことはわかりませんでした。その間(あひだ)にも、王樣(わうさま)の御病氣(ごびやうき)はわるくなる一方(いつぱう)でした。
 ある日(ひ)、一人(ひとり)の家來(けらい)が、お庭(には)の掃除(さうぢ)をしてゐましたら、隅(すみ)の方(はう)の笹(ささ)の葉(は)のしげつた陰(かげ)から、石(いし)を刻(きざ)んで造(つく)つた大(おほ)きな鼠(ねづみ)が出(で)て來(き)ました。その鼠(ねづみ)は猫(ねこ)ぐらゐの大(おほ)きさでした。さうして、からだ一面(いちめん)に苔(こけ)がついて、丸(まる)で毛(け)が生(は)えてゐるやうでした。その鼠(ねづみ)の足(あし)が一本(いつぽん)折(を)れてゐて、三本足(さんぼんあし)でした。
又(また)家來達(けらいたち)が評議(ひやうぎ)をして、易者(えきしや)の云(い)つたのはこれに違(ちが)ひないと云(い)ふ事(こと)になりました。
 しかし、さうだとしても、この鼠(ねづみ)の祟(たた)りを去(さ)るには、どうしたらいいか、それがわかりませんでした。生(い)き物(もの)でないから、殺(ころ)すことも出來(でき)ませんでした。
 それで鼠(ねづみ)の背中(せなか)を割(わ)つて、その割(わ)れ目(め)に鉛(なまり)の煮立(にた)つたのを流(なが)し込(こ)むことにしました。すると、その熱(あつ)い鉛(なまり)が石(いし)の鼠(ねづみ)の背中(せなか)に、一寸(ちよつと)かかるか、かからないかに、御殿(ごてん)の奧(おく)で寢(ね)てゐた王樣(わうさま)が『あつ』と云(い)ひました。
庭(には)で鼠(ねづみ)の背中(せなか)に鉛(なまり)を入(い)れた家來達(けらいたち)が、急(いそ)いで驅(か)けつけた時(とき)には、王樣(わうさま)は死(し)んでをりました。」



内田百間 王様の背中 復刻 11


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内田百間 王様の背中 復刻


































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内田百間 『王様の背中』 (旺文社文庫)

「暫(しば)らくして、猪(ゐのしし)が目(め)をさまして見(み)ますと、さつき枕(まくら)もとにおいて寝(ね)た桃(もも)の実(み)に、小(ちひ)さな蟻(あり)が一(いつ)ぱいたかつてをりました。
 猪(ゐのしし)は、その桃(もも)の実(み)の残(のこ)りを、蟻(あり)ごと食(た)べてしまひました。めでたし。めでたし。」

(内田百閒 「桃太郎」 より)


内田百閒 作
谷中安規 画 
『王様の背中』

旺文社文庫 121-36

1984年3月15日 初版印刷
1984年3月24日 初版発行
217p 
文庫判 並装 カバー
定価340円
カバー装丁: 田村義也



編集部註記:

「かなづかいは原文のままとした。漢字は正字体を新字体・略字体にあらためた。ただし、人名・地名をはじめ、一部を正字体とした。」


本書は、昭和九年、楽浪書院から刊行された絵本『王様の背中』と、昭和十三年小山書店「少年少女世界文庫」の一冊として刊行された『狐の裁判』の二冊の子供向け本のカップリング文庫化で、いずれも風船画伯こと谷中安規の挿絵が全点収録されています。
『王様の背中』は創作童話集ですが、併載の『狐の裁判』はゲーテによる紹介(「Reineke Fuchs 狐ライネケ」)で有名になった中世動物叙事詩を翻案したものです。ゲーテ版の原典となった15世紀ドイツの叙事詩「ラインケ・デ・フォス Reinke de vos」の日本語訳には、伊東勉による岩波文庫版『ラインケ狐』(1952年)があり、また、フランス語版「ル・ロマン・ド・ルナール Le Roman de Renart」の日本語訳には、福本直之ほかによる『狐物語』(これは原典の三分の一ほどを抄訳したものです)が、やはり岩波文庫から出ています(2002年)。嫌われ者の狐が動物たちによって裁判にかけられ絞首刑を言い渡されるものの、智慧によって死刑をまぬがれ、のみならず王様の信用を得て出世するというピカレスク・ロマン(悪漢物語)、あるいはトリックスター譚です。
講談社版『内田百閒全集』の解題(平山三郎)では、「狐の裁判」はフランス文学者の大井征による代作であるとされていましたが(「狐の裁判」は講談社版全集には未収録)、本書解説(平山三郎)では大井征への言及はなく、「後年、「百閒著作目録」を作るとき、「狐の裁判」は翻譯であるという理由から先生自身が「著作」から除いた。また、その原書は何だったかということも不明である。」と書かれていて、食い違いがあります。


内田百間 王様の背中 01


カバー裏文:

「「この本(ほん)のお話(はなし)には、教訓(けうくん)はなんにも含(ふく)まれて居(を)りませんから、皆(みな)さんは安心(あんしん)して読(よ)んで下(くだ)さい。
どのお話(はなし)も、ただ読(よ)んだ通(とほ)りに受(う)け取(と)つて下(くだ)さればよろしいのです。それがまた文章(ぶんしやう)の正(ただ)しい読(よ)み方(かた)なのです。」
    「王様(わうさま)の背中(せなか)」序(はしがき)より
百鬼園先生唯一の絵入御伽噺集ついに百閒文庫に登場。傑作翻案寓話「狐の裁判」を併載。



目次:

王様の背中
 王様の背中
 影法師
 狸の勘違ひ
 お爺さんの玩具
 桃太郎
 かくれんぼ
 三本足の獣
 狼の魂
 お婆さんの引越

狐の裁判

「王様の背中」雑記 (平山三郎)



内田百間 王様の背中 02



◆本書より◆


「狼(おほかみ)の魂(たましひ)」:

「鯰(なまづ)が藻(も)の陰(かげ)で居眠(ゐねむ)りをしてゐますと、何(なん)だか髭(ひげ)の尖(さき)にさはつたものがあるので、目(め)をさましました。真黒(まつくろ)い毛(け)の生(は)えた、小(ちひ)さな毬(まり)のやうなものが、その傍(そば)を、ふかりふかりと流(なが)れてをりました。
 『お前(まへ)は何(なん)だ』と鯰(なまづ)が腹(はら)を立(た)てて、聞(き)きました。
 『己(おれ)は狼(おほかみ)の魂(たましひ)だ』とその変(へん)なものが、答(こた)へました。
 その川上(かはかみ)の山(やま)にゐた狼(おほかみ)が、寝(ね)てゐる間に咽喉(のど)がかわいて、目(め)をさましたのです。水(みづ)を飲(の)みたいと思(おも)ひましたけれど、あんまり眠(ねむ)いので、そのまま又(また)眠(ねむ)りつづけました。すると狼(おほかみ)の魂(たましひ)が咽喉(のど)からころがり出(で)て、山瀬(やませ)の水(みづ)を飲(の)みに行(ゆ)きました。その留守(るす)に一人(ひとり)の猟師(れふし)が来(き)て、寝(ね)てゐる狼(おほかみ)を打(う)ち殺(ころ)しました。狼(おほかみ)は、いつもなら直(す)ぐに猟師(れふし)の足音(あしおと)に気(き)がつくのですが、その時(とき)は魂(たましひ)が外(そと)に出(で)てゐたため、うつかりして殺(ころ)されてしまつたのです。
 山瀬(やませ)の水(みづ)を飲(の)んでゐた狼(おほかみ)の魂(たましひ)は、帰(かへ)つて行(ゆ)くところがなくなりました。それで仕方(しかた)がないから、ふかりふかりと、水(みづ)の中(なか)を浮(う)いたり沈(しづ)んだりしながら、流(なが)れて来(き)て鯰(なまづ)の髭(ひげ)に触(さは)つて怒(おこ)られたのでした。
 鯰(なまづ)はいつも水(みづ)の中(なか)にばかりゐるものですから、狼(おほかみ)のことなど知(し)りませんでした。それに丁度(ちやうど)その時(とき)は、随分(ずゐぶん)おなかがへつてゐたので、いきなり大(おほ)きな口(くち)を開(あ)けて、狼(おほかみ)の魂(たましひ)を呑(の)み込(こ)んでしまひました。
 狼(おほかみ)の魂(たましひ)をのんだ鯰(なまづ)は、俄(にはか)に元気(げんき)になつて、そこいらを暴(あば)れ廻(まは)りました。咽喉(のど)の奥(おく)から、大(おほ)きなあぶくが幾(いく)つも幾(いく)つも出(で)て来(き)ました。そのあぶくが水(みづ)の上(うへ)に浮(う)いて潰(つぶ)れると、みんな恐(おそ)ろしい声(こゑ)になつて、辺(あたり)に響(ひび)きました。
 その声(こゑ)を聞(き)いて、遠(とほ)くの方(はう)から犬(いぬ)が吠(ほ)えました。近(ちか)くにゐた兎(うさぎ)は穴(あな)の中(なか)に逃(に)げ込(こ)みました。水(みづ)の中(なか)の魚達(さかなたち)は一層(いつそう)驚(おどろ)いて、どこかへかくれてしまひ、その辺(あたり)には、一匹(いつぴき)もゐなくなりました。
 そのうちに、鯰(なまづ)は水(みづ)の中(なか)にゐるのが、いやになつて来(き)ましたので、ぬるぬるしたからだを鯱子張(しやちこば)らして、勢(いきほ)ひよく岸(きし)の草(くさ)の上(うへ)に跳(と)び上(あ)がりました。
 草(くさ)の上(うへ)には、日(ひ)がかんかん照(て)りつけてゐましたから、鯰(なまづ)は間(ま)もなく乾(かは)き出(だ)しました。日(ひ)の温(ぬくも)りが段段(だんだん)鯰(なまづ)のからだの中(なか)まで廻(まは)るにつれて、狼(おほかみ)の魂(たましひ)も次第(しだい)にふやけて来(き)ました。さうして、しまひには、すつかりとろけて、解(わか)らなくなつてしまひました。」



内田百間 王様の背中 03

「狐の裁判」挿絵。


内田百間 王様の背中 04


内田百間 王様の背中 05


内田百間 王様の背中 07


旺文社文庫 内田百間全作品集フェア チラシ:

内田百間 旺文社文庫 01


内田百間 旺文社文庫 02



こちらもご参照ください:

内田百間 作/谷中安規 画 『王樣の背中』 (複刻版)




















































































































『内田百閒全集 第十卷』 (全十冊 講談社版)

「川沿ひの片側町を歩いてゐる内に家竝みが盡きて、伸びた草の葉が足もとになびく土手の道に出る。その淋しさ。
 土手は淋しい。」

(内田百間 「土手」 より)


『内田百閒全集 第十卷』
麗らかや・夜明けの稻妻・殘夢三昧・日沒閉門/書簡 年譜 參考文獻

講談社 昭和48年4月20日第1刷発行/昭和48年9月10日第2刷発行
625p 口絵(モノクロ)1葉
A5判 丸背布装上製本 貼函
定価3,300円
編纂委員: 川端康成/高橋義孝/福永武彦
編輯校訂: 平山三郎
装釘意匠: 講談社ブックデザイン部
本文二段組/「解題」三段組
正字・正かな

月報 10 (8p):
等身大(福永武彦)/「イヤダカラ、イヤダ」(多田基)/三畳御殿の先生(宮城喜代子)/余滴(平山三郎)/全巻書目/図版(モノクロ)5点



内田百間全集 第十巻


帯文:

「稲妻の露に残れる夜明けかな――辞世にも似た百鬼園先生晩年の心懐は、遂に帰ることのなかった故郷を遠い砧の音に偲んで清澄無限。詩酒琴を愛して日没閉門、嶮しい文章道に徹した文集四冊に加え、知られざる真骨頂〈書簡〉890通と年譜・参考文献を収録、以て本全集をここに完結する。」


帯背:

「名琴を奏でて神韻
高雅な格調と郷愁
随筆文学の最高峰」



帯裏:

「痛みに酔う 山口瞳
 私は内田百閒先生の文章を読むと、大変に勇気づけられる。私は、いつでもこう思う。「こんなもの、俺にだって書ける」。ところが、いざ書く段になって、とてもこんなふうには書けないことを思い知らされる。打ちのめされ、叩きつけられる。
 百閒先生の文学は、絶えず、読者に、文章とは何かという問いをつきつけてくる。私は、文章とは、結局は、人間全体を代表する何物かであって、とうてい及ばぬことを悟らされ、そこでも快い痛みに酔うことになるのである。」



目次:

麗らかや (昭和43年1月 三笠書房刊)
 ヌ公
 この子のお子が
 ヌ公續く
 庵を結びて
 土手
 大風一過
 亂れ輪舌FOT
 向ケ丘彌生町一番地
 漱石生誕百年の御慶第十五年
 ノミに小丸
 類猿人
 漱石遺毛その後
 ワレ關知セズ
 薤露蒿里の歌
 大坂越え
 ハーレー彗星あと二十年
 やらやら目出度や
 麗らかや

夜明けの稻妻 (昭和44年3月 三笠書房刊)
 柵の外
 松笠鳥
 花のない祝宴
 カメレオン・ボナパルテ
 「失敬申候へ共」
 逆(さか)らつきよう
 偶像破壞(アイコノクラスム)
 雲のびんづら
 仇敵慶應ボイ
 身邊と秋筍
 暗所恐怖
 黄色い狸――お詫び状一束
 風かをる
 赤曼荼羅
 病牀通信
 未だ沈まずや
 海峽の浪
  *
 夜明けの稲妻
 正月の鹿鍋

殘夢三昧 (昭和44年11月 三笠書房刊)
 日本男兒全學連
 天王寺の妖靈星
 見ゆる限りは
 アビシニア國女王
 殺さば殺せ
 山寺の和尚さん
 晝火事晝花火晝行燈
 鹿ノミナラズ
 その一夜
 車窓の稻光
 うつつにぞ見る
 ピールカマンチヤン
 フロツシユ教官
 ランドセル
 樂天居主人
 牛カツ豚カツ豆腐
 物を貰ふ
 殘夢三昧
 殘夢三昧殘録
 新殘夢三昧
 舞臺の幽靈――新續殘夢三昧
  *
 新涼談義――戸板康二君との對談
 齒は無用の長物――高橋義孝君との對談

日沒閉門 (昭和46年4月 新潮社刊)
 日沒閉門
 目出度目出度の
 枝も榮えて
 葉が落ちる
 雨が降つたり
 二本松――劔かたばみ終話
 また出た月が
 阿房列車の車輪の音
 逆撫での阿房列車
 左り馬
 白日の夜襲
 第二十年御慶ノ會
 みよし野の
 藪を賣る
 「ノラや」
 ノコりノコらず
 四靈會
 陸海軍隊萬萬歳
 猫が口を利いた

書簡 842通

年譜・參考文獻
解題 (平山三郎)



内田百間全集



◆本書より◆


「土手」より:

「川沿ひの片側町を歩いてゐる内に家竝みが盡きて、伸びた草の葉が足もとになびく土手の道に出る。その淋しさ。
 土手は淋しい。」
「若い時の作品を讀んでくれた親しい友人が、君の書いた物には土手ばかりが出て來る、君の文學は土手の憂愁、土手の悲哀だねと云つた。」

「私の舊作「冥途」にはあちらこちらに土手が出て來る。土手は淋しく悲しい。そのつもりで書いたのではないが、後から思へば若い時の感傷を土手に託した事は疑ひない。
 土手のある自然の下に育ち、土手に思ひ出があり馴染みがあるが、生れ故郷を離れて知らない所へ行つても、土手に出會ふと何となく自分の過去につながる樣な感懷に囚はれる。」

「左側の窓から見えるのは、いつ迄行つても同じ草の色で、それがすぐ車窓のそばに迫つてゐる。初めの内はわからなかつたが、恐ろしく長い土手が續いてゐるので、輕便鐵道はその土手の腹に、すれすれに沿つて走つてゐるのであつた。」
「その土手は續いて、續いて、いくら行つても切れ目がない。土手の向う側は北上川の水位の高い洋洋たる水が流れてゐるのだから、切れ目がある筈がなく、どこか切れてゐたら大變だらう。
 もう少し行くと、狹い車窓から見上げる土手の上の向うの空に、大きな帆柱が立つてゐるのが見えた。動いてゐるのか停まつてゐるのかわからなかつたが、大きな船がゐるらしい。
 漸く石ノ卷に著いた。道がかさかさに乾いてゐる。當てどもなく歩いて行く路面に、大きな石がごろごろ轉がつてゐた。」



「亂れ輪舌FOT」より:

「それが私の子供で、長男で、高等部在學中に夭折した。
 少し變な所があつた子供で、それはおやぢの子だから當り前かも知れないが、自分の蟇口(がまぐち)を開けて見て、中が氣に入らない。お金が足りないのではなく、自分が考へてゐるきちんとした數より多過ぎて、半端が餘計で邪魔になる。五錢の白銅を一つ摘み出せば何とか我慢出來る。傍にゐた妹や弟に五錢やらうかと云つたけれど、だれもいらないと云つてことわつたので、その白銅を庭へ投げて捨ててしまつた。」
「病氣になつて、亡くなる一日二日前、私の顔を見ると、お父さん、メロンが食べたいと云つた。
 そんなに容態が惡いとは思はなかつたから、贅澤を云ふな、夏蜜柑でいいよと云つて、メロンの願ひは取り上げなかつた。」
「今から三十年前の事になるが、それ以後私は一切メロンを食べない事にしてゐる。宴會などでデザアトに出ても手をつけない。遣ひ物として人から屆けられても、折角の好意に申し譯ないけれど、そのまま他へ廻したり、遠慮のいらない相手にはその場で返して外の物と取り替へて貰ふ。
 メロンなど食べなくてもいい。それにつれて、あの時買つて食べさせればよかつたなど繰り言みたいな事を思つても考へても意味はない。
 ただこの事だけは歳月の流れにまかせて見ても一向に消えないし、薄らぎもしない。だから矢張りそれもこの儘にしておけばいい。」



「山寺の和尚さん」より:

「怪しからん事に、數年後進駐軍の占領下にあつた當時、名前は忘れたが原子爆彈を投下した米國の操縱士がノメノメ日本へやつて來て、見物して歸つて行つた。
 生かして返す可きではなかつた。日本には神も佛もなくなつたのか。しかし、神樣や佛樣はお留守であらうとも、まだどこかに狐や狸や川うそのたぐひはゐる筈である。明治の文明開化の餘計なおせつかひで迷信打破が唱へられ、そのあふりを喰らつて彼等は身の置き所もなく、影が薄くなつた。
 しかしながら、骨ばかりの骸骨になつた廣島の産業會館が陰をひたす太田川の川隈(かはくま)には、川うそがゐるだらう。何をしてゐるのか。その操縱士に取りつき、産業會館の玄關前の石段に殘つてゐる消えた人の黒い影に彼を抱きつかせてやれ。」



多田基「「イヤダカラ、イヤダ」」(月報記事)より:

「昭和四十二年十二月――奇数の日に会いたいと百閒先生が云われた。」
「先生の話された用事の第一は、芸術院会員の辞退の件であった。
 ――この度芸術院会員候補に推薦されたとのことだが、自分の記憶では、二十八九年頃は任命形式で、その時分から自分が話題に上ったことを聞いている。その後、候補者の決定は、投票によるようになっているらしいが、自分は辞退する考えを持ち続けている。会員になれば、貧乏な自分には六十万円の年金は有難いが、自分の気持を大切にしたいので、どんな組織にでも入るのは嫌だから辞退する。」
「そして、私を紹介する名刺と辞退の口上メモを手渡され、理由を訊ねられたらメモ通りに答えてくれと云われる。(中略)お慶びを申上げて、御祝いをどうしようかと考えていた矢先だから、冷水を浴びたように面喰ってしまった。」
「メモには次のように書かれていた。
 十二月一日 多田様 栄造
 ○格別ノ御計ラヒ誠ニ難有御座イマス
 ○皆サンノ投票ニ依ル御選定ノ由ニテ特ニ忝ク存ジマス
  サレドモ
 ○御辞退申シタイ
  ナゼカ
 ○芸術院ト云フ会ニ這入ルノガ
  イヤナノデス
  ナゼイヤカ
 ○気ガ進マナイカラ
  ナゼ気ガ進マナイカ
 ○イヤダカラ
 右ノ範囲内ノ繰リ返シダケデオスマセ下サイ」

































































































『内田百閒全集 第九卷』 (全十冊 講談社版)

「無聲映畫の前の幻燈は一層遠い話になる。今でも思ひ出すのは郡司大尉の千島探險、占守島(しむしゆたう)の景色である。洋燈(ランプ)の明かりで映し出すのだから、旅順入城式の寫眞よりはもつと暗く、ぼんやりしてゐて曖昧で、何が何だかわからなかつた。その文目(あやめ)もわかぬ朦朧とした畫面が、その故に却つてありありと瞼の裏に殘り、何十年經つても、ぼんやりした儘で消え去らない。」
(内田百間 「たましひ抜けて」 より)


『内田百閒全集 第九卷』
けぶりか浪か・クルやお前か・波のうねうね・馬は丸顔

講談社 昭和48年2月20日第1刷発行/昭和48年9月10日第2刷発行
531p 口絵(モノクロ)1葉
A5判 丸背布装上製本 貼函
定価3,300円
編纂委員: 川端康成/高橋義孝/福永武彦
編輯校訂: 平山三郎
装釘意匠: 講談社ブックデザイン部
本文二段組/「解題」三段組
正字・正かな

月報 9 (8p):
百鬼園先生と二山博士(出隆)/『百鬼園随筆』外伝(竹内道之助)/百閒先生の川柳(村山古郷)/百閒先生に叱られた話(栗村盛孝)/余滴(平山三郎)/全巻書目/図版(モノクロ)4点



本文中図版(モノクロ)2点。


内田百間全集 第九巻


帯文:

「晩年の百鬼園文章は文字通り煙霞の如く飄飄、流水に似て淡淡、如意自在の裡に人生行路の悲喜哀歓を尽して間然する処がない。日本語の達人と云われる所以である。明治の郷愁〔けぶりか浪か〕ネコロマンチシズム〔クルやお前か〕おからでシャムパン〔波のうねうね〕仰げば尊し〔馬は丸顔〕を収録。」


帯背:

「名琴を奏でて神韻
高雅な格調と郷愁
随筆文学の最高峰」



帯裏:

「不思議な魔力 村野四郎
 内田百閒先生の、言葉における腕力は無双である。大体言霊(ことだま)の強大な人を文章家とよぶが、その意味で先生は、われわれが過去にもった最大の文章家の一人である。
 現実に対する認識の透徹さは、俗世におけるユーモアや諧謔や郷愁となる。それらが反映する世界の不思議な魔力はどうだろう。
 人々は、これによって思う存分、百閒先生の絢爛たる言語力(思想)に眩惑されるがよい。」



目次:

けぶりか浪か (昭和37年7月 新潮社刊)
 夜の杉
 一粒一滴
 壁隣り
 かしは鍋
 空中分解
 御慶十年
 裏川
 卒業前後
 いたちと喇叭
 未だか十二年
 散らかす
 沙美の苔岩
 山むらさきに
 峻峯四十八座
 御慶十一年
 何のその
 「けらまなこ」再考
 「猫の墓」序
 夢獅山散章
  *
 新田丸問答

クルやお前か (昭和38年7月 東都書房刊)
 クルやお前か
 カーテル・クルツ補遺
 ネコロマンチシズム
  *
 肩ぐるま
 坐り込む
 暹羅(シヤム)の鬪魚
 虎を描いて
 狗に類する
 しつぽり濡るる
 皮膚虎列剌(コレラ)
 摩阿陀十三年
 ひよどり會
 八十八夜は曇り
 年の始めの
 ヤマハ
 キンタイチ
 片山敏彦君

波のうねうね (昭和39年8月 新潮社刊)
 實益アリ
 おからでシヤムパン
 聯想繊維
 夏どろ新景
 六區を散らかす
 夕闇の人影
 まなじりを決す
 クルの通ひ路
 花野暮れる――無免許掏摸大仕事綺譚
 渭城の朝雨――摩阿陀會十四年
 その玉の緒を――御慶十三年
 俄かに天狗風
 お濠の赤い水波――滄桑の變
 跡かたもなし
 鶴の舞
 うぐひす
 瓢箪八つ
 垣隣り
 第一囘海の記念日
 狐が戸を敲く
 文選女工
 泣き蟲
 煙歴七十年
 忘却論
 アヂンコート
 たましひ抜けて
 ヒマラヤ水系
 靑葉しげれる
 事の新古とハレー彗星
 にがいか甘いか
 電氣屋の葛原さん

馬は丸顔 (昭和40年10月 朝日新聞社刊)
 馬は丸顔
 仰げばたふとし
 狐は臭い
 白映えの烏城
 遍照金剛
 巨松の炎
 輪舞する病魔
 禿げか白髪か
 海老茶式部
  上 龜島町偕樂園
  下 麻布龍土軒
 永當永當――御慶十四年
 その前夜――摩阿陀十五年
 靑空倶樂部
 雷
 近情を報じて舊情に及ぶ
 摺りばん
 鬼園雜纂
  上 濛タリ兮漠タリ兮 吾ガ几邊
  下 第六囘ひよどり會
 十六羅漢――摩阿陀十六年
 心明堂
 雀の子
  *
 前著「波のうねうね」迄の私の本
 宮城道雄著「あすの別れ」序
 宮城會演奏プログラム口上一束

附録
 推薦文 四篇
  〔私の文章道の恩人〕 昭和九年版岩波書店「芥川龍之介全集」
  〔漱石全集は日本人の經典である〕 昭和十年版岩波書店「漱石全集」
  〔人としての難有さ〕 昭和十一年版岩波書店「寺田寅彦全集」
  〔日本人の教科書〕 昭和二十五年創元社版「夏目漱石作品集」
 逸文 四篇
  創作の態度其の他 
  梶井基次郎全集の編纂方法
  萌え出づる若葉
  十三年鷄糞のにほひ

解題 (平山三郎)



内田百間全集



◆本書より◆


「夜の杉」より:

「私の家の隣りは綿屋である。
 綿屋の隣りは空き地で脊の高い雜草が生えてゐる。もとは豆腐屋であつたが、取り毀した跡がいつ迄もその儘になつてゐて、家が建たない。豆腐屋のをばさんの顔をかすかに覺えてゐる。そのをばさんが死んで、後家(ごけ)さんだつたので、跡が絶えたのだらう。
 その内に私共の町の裏に、新らしく第六高等學校が建つ事になつた。その地形(ぢぎやう)を造る爲に、をろちが住んでゐると云はれた奧市(おくいち)の土を掘つて運んだり、塔の山の岩を切り碎いたりした。塔の山は團子の樣な小さな山だが、墓山であつて、石塔が一ぱい立つてゐる。
 その山の端の所の岩を割つたら、その響きでお墓が崩れて、埋まつてゐたお棺が出て來た。
 蓋を開けると、すつかり屍蝋(しらふ)になつた豆腐屋のをばさんが棺の中に坐つてゐたと云ふ。豆腐屋は宗旨が神道だつたので、死んでも頭を剃らないし、火葬にもしない。丸髷に結つた頭で坐棺にちんと坐つてゐたのだらう。屍蝋と云ふものは見た事はないが、見た人が話してゐるのを聞くと、丸で生きてゐた時の儘の姿でゐたさうである。」



「夢獅山散章」より:

「自刻自刷(じこくじずり)の版畫の鬼才と云はれた谷中安規が、駒込の燒け跡のかぼちや畑の中で、自分の組み立てた掘つ立て小屋に横たはつた儘死んでしまつたのは昭和二十一年九月九日である。」
「谷中安規は駒込のかぼちや畑の中で餓死したのである。實に殘念なことをしたと思ひ、今でもしよつちゆう思ひ出す。」
「元來が飄飄(へうへう)とした風來坊で、身なりはお話にならない。頭の髪は伸び放題、どうかすると表をはだしで歩く。しかし禮節は正しく、乞食の樣な恰好をしてゐながら人柄にちやんとした氣品があつた。」



「カーテル・クルツ補遺」より:

「一體私は猫好きと云ふのではないだらう。さう云ふ仲間に入れて貰ふ資格はなささうである。ただ、ゐなくなつたノラ、病死したクル、この二匹が、ゐてもゐなくても、可愛くて堪らないと云ふだけの事である。」
































































































































『内田百閒全集 第八卷』 (全十冊 講談社版)

「私には私の文法がある。人から押しつけられた無理強ひに從つて自分の文法を變へたり捨てたりする事は出來ない。」
(内田百間 「驛の歩廊の見える窓」 より)


『内田百閒全集 第八卷』
いささ村竹・鬼苑漫筆・ノラや・東海道刈谷驛・つはぶきの花

講談社 昭和47年12月20日第1刷発行/昭和48年9月10日第2刷発行
574p 口絵(モノクロ)1葉
A5判 丸背布装上製本 貼函
定価3,300円
編纂委員: 川端康成/高橋義孝/福永武彦
編輯校訂: 平山三郎
装釘意匠: 講談社ブックデザイン部
本文二段組/「解題」三段組
正字・正かな

月報 8 (8p):
稲門堂と砂利場(浅見淵)/百閒先生の思い出(本多顕彰)/百鬼園先生町内古地図(江国滋)/「千丁の柳」と小石清(小林博)/余滴 由比の浜風(永田博)/余滴(平山三郎)/全巻書目/図版(モノクロ)6点



本文中図版(モノクロ)2点。


内田百間全集 第八巻


帯文:

「莫逆の友、撿校宮城道雄を〔東海道刈谷駅〕に失い、家猫〔ノラや〕の失踪に身も世もなく嘆き悲しむ。待つとし聞かば今帰り来む、ノラやノラや。百閒文章の痛心と哀感はここに極まる。――彫心の身辺雑記に明治大正を懐旧する〔いささ村竹〕〔つはぶきの花〕〔鬼苑漫筆〕と名文集を収めた。」


帯背:

「名琴を奏でて神韻
高雅な格調と郷愁
随筆文学の最高峰」



帯裏:

「高士の書 河盛好蔵
 文句なしに楽しい本、舌鼓を打ちながらおいしく読める本が実に少なくなった。たいていの本は何かを教えてやろう、名論卓説を聞かせてやろうといった顔をしている。でなければ、どうだ面白いだろうと、著者ひとりが勝手に面白がっている。その根性の卑しさではどちらも共通している。しかし百閒先生の本は全く類を異にしている。これはまさしく高士の書であって、その天衣無縫な内容と文章は、私たちをしてしばし仙境に遊ぶ思いをさせてくれる。不老長寿の霊泉というべきである。」



目次:

いささ村竹
 十年の身邊
 いささ村竹
 吉右衞門
 勝チ負ケハ兵家ノ常勢ナリ
 八ツ橋
 横須賀の暗闇の宴
 帝國讀本卷ノ一
 お池の龜と緋鯉
 出て來い池の鯉
 消えた旋律
 蟲のこゑごゑ
 岡山のなが袖
 水中花
 古寫眞の十三人
 高知鳴門旅日記
 雙厄覺え書
 不連續線
 彼ハ猫デアル
 御慶五年
 黑い緋鯉
 寶の入船
 墓木拱ならず

鬼苑漫筆
 鬼園漫筆前書
 第一章 丁子茄子
  晝狐
  およばれ
  雨のホーム
  正門から
  降臨用梯子段
  北山時雨
  ちやうじなす
  段段御馳走樣
 第二章 うまや橋
  路地のどぶ
  兩造
  お前さん
  愛讀者
 第三章 第三債務者
  第三債務者
  襖越し
  金一封
  河岸の魚
 第四章 燒け棒杙
  教授室の午飯
  燒け棒杙
 第五章 山葉オルガン
  第五囘内國勸業博覽會
  天地無用
  蘆屋の涙
 第六章 六高土手
  六高土手
  井戸側
  寶珠の玉
  牛窓の五圓金貨
  豹に喰はれる
 第七章 煙塵
  白い炎
  煙塵
 第八章 斷章七篇
  連載に就いて
  創立記念祭
  餘波の蒲燒
  漱石先生と器樂
  提琴競爭曲
  竹に雀
  聽診器
 第九章 斷章六篇
  災害辯士
  二時だよ
  休載
  僞物の新橋驛
  黑リボン
  大朝顔
 第十章 九州のゆかり
  立春の御慶
  門司港の夜風
  博多の柳
  櫻島
  赤女ケ池の松濱軒
  八代の黑田節
  豐後竹田の砂ほこり
  九州大水害
  長崎のどぶ泥
  「春雨」の宵の秋雨
  九州への道筋
  小倉から宮崎へ
 第十一章 又寢
  又寢
  座邊の片づけ
  儉約論
  三更の晩食
  眞夜中の蒲燒
  未明の書見
  お前ではなし
 第十二章 お話し中
  かんぶつ箱
  お話し中
  酒くさい
  無線電話
  物騷な音波
 第十三章 目
  他人の目で見る
  目の屆く範圍
 第十四章 齒   
  賴朝公の御像
  髭の歸省
  ビルの齒科醫
  口腔外科
  食卓鋏
 第十五章 御閑所
  裏へ行く
  階下の少年
  御閑所

ノラや
 ノラや
 ノラやノラや
 ノラに降る村しぐれ
 ノラ來簡集前書 目次
 ノラ來簡集
  *
 朝雨
 門の夕闇
 田樂の涙
 草平さんの幽靈
 一本七勺
 列車食堂の爲に辯ず
 放送初舞臺
 鯉の子
 第七囘摩阿陀會
 御慶六年
 八代紀行
 千丁の柳

東海道刈谷驛
 神樂坂の虎
 猫の耳の秋風 けらまなこ
 支離滅裂の章
 浦づたひ
 彼岸櫻
  ノラ未だ歸らず
  御慶七年
  紙上放送「螢の光」
 三會覺え書
  九日會
  四番町にて
  御慶八年
 君ケ代のたんま
 皇太子の初幟
 お膳の我儘
 つもりの遣り繰り
 す
 我が酒歴
 晝はひねもす
 驛の歩廊の見える窓
  *
 臨時停車
 東海道刈谷驛

つはぶきの花
 つはぶきの花
  阿里山の霧雨
  比良の虹
  「上だけ」
  怒髪上衝冠
  獵虎の襟卷
  大鳴門關
  實益がない
  心耳を洗ふ
  質屋の暖簾
  餓ゑ死に
  普天の下
  殘り鬼
  羽筆の水
  くりくり坊主
   *
 三谷の金剛樣
 山屋敷の消滅
 早春の結滯
 面影橋
 羽田空港最初の離陸
 沿線の廣告
 晝夜顚倒
 小さんと式多津
 菊坂の湯呑
 しみ抜き
 とくさの草むら
 四谷左門町
 文藝家協會に入會しようか
  *
 動詞の不變化語尾

解題 (平山三郎)



内田百間全集



◆本書より◆


「ノラに降る村しぐれ」より:

「今日はどうしたのか一日ぢゆう、午後も宵も未明四時に寢るまでノラの事が繰り返し繰り返し思はれて涙止まらず、本當にノラはどうしたのだらう。どこにゐるのか。それともどこにもゐないのか。」


「けらまなこ」より:

「「僕はしかし、若い時さう思つたね、狸でも狐でも構はない、正體(しやうたい)は何でもいいから、非常に美しい女が出て來て僕を化かしてくれないかつて」
 「そんなのは困ります、用心しなくちや」
 「いや、こちらが化かされたいのだ。化かされてしまへば、狸だつて人間だつて同じ事ぢやないか」
 「さうは行きません。後後の事がありますから」
 「大丈夫だよ、相手が狸や狐なら民事訴訟は起こらないから。昔、僕の家の近所に駄菓子屋の卯之助(うのすけ)さんと云ふ兄さんがゐてね、それが饅頭岩(まんぢゆういは)の饅頭狐に化かされたのだ」
 「饅頭を食はされたのですか」
 「さうぢやない。片方に墓山があつて、その下に水車小屋があつて、その間の晝でも薄暗い道に眞ん圓い大きな岩が乘り出してゐるのだ。それが饅頭岩で、そこへ出て來る狐が饅頭狐さ。卯之さんは饅頭狐にたぶらかされて、三日三晩家へ歸つて來なかつた」
 「どこにゐたのです」
 「それは知らないが、その間ぢゆう卯之さんは綺麗な女にかしづかれて實にいい目を見て來たのださうだ。はたから見れば狐に鼻毛を讀まれて馬鹿な話だが、本人はうつつを抜かして恍惚としてゐる。羨ましいね。さう云ふ目に會ひたいとは思ひませんか」
 「いやですよ。僕だつたら、すぐ正體を見破つてやります」
 「正體と云ふ事になると、相手の正體よりも、こつちの、自分の正體が怪しくならないかな」」



「晝はひねもす」より:

「私の生れ故郷備前岡山の町の眞中に鐘つき堂があつて、大きな釣鐘が二階だつたか三階だつたかに釣るしてあつた。小判、つまり黄金が澤山鑄潰(いつぶ)して入れてあると云ふ事で、その爲に鐘の響きがよく、ごうん、ごうんと深みのある音がして遠音(とほね)が利いた。大火事、大水の時は「早鐘をつく」と云つて續けざまに撞き鳴らす。その響きが方方の半鐘の音とからみ合ひ、物凄い感じを人人に起こさせた。
 しかしそれは非常の時の事で、ふだんはゆつくりと時の數を撞いて時を報ずる。但し初めに「捨て鐘」を三つ撞く事になつてゐた。だから一時の時は四つ、十二時なら十五鳴るわけである。なぜ「捨て鐘」を撞くかと云ふに、昔から鐘樓に住んでゐる古狐を、いきなり鐘の音で驚かせると狐が腹を立てて、あだをする。鐘を撞いてゐて、それ迄に幾つ鳴らしたかわからなくなつてしまふさうで、狐のその仕返しを避ける爲に、初めに先づ大きな聲で「撞きまアす」と豫告し、ついで捨て鐘を鳴らした上で時の鐘を撞く。昔の岡山には午砲はなくサイレンなぞ勿論ある筈はないので、鐘つき堂の大鐘の音が唯一(ゆゐいつ)の時報であつた。」



「驛の歩廊の見える窓」より:

「新聞等で假名遣ひの扱いが窮屈になつたので大變困る。そつちできめた方針に從ひ、人の書いた物を勝手に直さうとする。横暴とも彈壓とも言ひ樣のない處置で、その新聞が掲げてゐる言論の自由だとか民主主義だとか云ふものの後味の苦(にが)さを十分に味ははされる。
 向うはさうするだけの理窟があるらしいが、こちらはその理窟を納得しない。しかし納得してもしなくても、人の書いた物をなほすのに容赦はしない。なほされるのがいやなら、寄稿しないより外はない。だから私はさう云ふ新聞には決して書かない事にしてゐる。」

「私には私の文法がある。人から押しつけられた無理強ひに從つて自分の文法を變へたり捨てたりする事は出來ない。」



「つはぶきの花」より:

「宮城さんが亡くなつてから、私はまだ一度もその遺宅へ行かない。お悔みも、お通夜も、お葬ひもみな失禮してしまつた。宮城さんの琴の演奏を、レコードやテープで聞くのも困る。聞いてゐる内に駄目になつてしまふ。御本人の彼の演奏でなく、その作曲をお弟子が彈くのでも、うまく上手に行つてゐると矢張り途中から聞いてゐられなくなる。
 亡くなつた後間もなく、お家の人に賴んで、私の見覺えのあるいい寫眞を屆けて貰つた。額縁に這入つてゐて、すぐ掲げられる樣になつてゐる。それも包み紙に包み込んだ儘、出して見る氣になれない。」
「しかし人には思ひ切りと云ふ事が肝心である。少しは宮城に見習つたらよからうとも思ふ。宮城さんは御自分が盲目であると云ふ人生の不幸を自分から切り離して、丸でひと事の樣な事を云つた。」
「めくら滅法、闇鐵砲なぞ、普通は遠慮して盲人に向かつては使はない言葉を、宮城さんは平氣で向うから使つて澄ましてゐた。
 近年テレビが普及し始めた頃、彼は私の所にテレビはあるかと尋ねた。
 私があんなちらちら、うるさい物はいらないと云ふと、さうではない、大變面白いから是非取れとすすめた。
 人にすすめるのはいいが、御自分は見えもしない癖にどうしてゐるのかと思つたら、宮城さんは他人の目を自分の用にあてて、それで事を濟ましてゐる。家の人達がテレビを見てゐる中に御自分も坐り込み、みんながああだ、かうだと云ふのを聞いて、自分で畫面の景色を作り上げて樂しむ。こなひだの世界一周のテレビなど非常に面白かつた。是非お取りなさい、と盲人が目あきに勸告した。
 テレビが出來る前の話に、近い内テレビが見られる樣になると云ふのが宮城さんの氣に掛かり、從來のラヂオでは盲人も目あきもその前に坐れば同資格であつたが、テレビと云ふ物が出來ると、盲人はまた一歩後へ下がらなければならない。そんな物は無い方がいい、と宮城さんは自分の文章の中でさう云つてゐたが、いよいよ出來てしまへば矢張りその物に順應して樂しむ。人の目で間に合はせて、それで用を辨じて事を缺かない。」



「餓ゑ死に」より:

「田舎の私の生家の裏隣りに、昔から續いた舊家の紺屋があつたが、時勢の浪に洗はれて段段に家運が傾き、一家離散と云ふ樣な事になつて、お年寄りの、私なども子供の時から知つてゐる脊の高いおぢいさんが一人、人氣(ひとけ)のない家に殘つてゐた。
 或る日近所の人が行つて見ると、そのおぢいさんが死んでゐた。食べる物が無くなつて餓ゑ死にしたらしいのである。ところが家の中にはまだいろんな道具や品物があつて、それを質に入れるなり、賣るなりすればお金になるものをおぢいさんはさう云ふ事をしなかつた。(中略)金目の物を殘した儘、お金が無くなり、食べる物が買へなくなつて餓死した。」



「山屋敷の消滅」より:

「をばさんとをぢさんが私に話して聞かせた。あすこの土手の下の百姓の畑に狸がゐたから、家の人がたたき殺したら、忽ちそこのをばさんに乘り移つた。變な落ちつかない目をして起つたり坐つたり、そはそはして朝から晩まで同じ事を口走る。
  蟻が來たら
     どうせうか
  犬が來たら
     どうせうか
 その話が子供心に沁み込み、蟻が來たら、どうせうかと云ふ口癖がいつ迄も殘つて、今でもその節(ふし)の儘口にのぼつて來る。」



「小さんと式多津」より:

「漱石先生の「三四郎」の中で、與次郎が小さん論をやる。小さんの如き天才は滅多に出ない。彼と時代を共にするのは我我の幸運である。」
「年代の記憶は不確かであるが、多分昭和になつてからだと思ふ。小さんが高座に出るのが段段に少くなり、たまに出ても、もう昔の樣ではないと云ふ噂であつた。
 その内に小さんは引退する事になつた樣で、その一世一代の引退興行を帝國劇場ですると云ふ。」
「後で聞くと、舞臺に上がつた小さんはすでに大分ぼやけてゐて、一つの話が纏まりがつかなかつたり、同じ所を何度も行つたり戻つたりして、聞いてゐるのが氣の毒になつたと云ふ事であつた。」
「その後の小さんの消息が新聞に出た事がある。毎日の樣に表へ出て、道ばたの子供の相手になつて遊んでゐる。遊んでやるのでなく、自分も一緒になつて子供と遊ぶのだと云ふ。耄碌して氣の毒だと云ふよりは、いかにも老後の小さんらしいと思つた。
 それが段段嵩(かう)じて、道ばたのよその子供と遊びほうけて、家へ歸らない事もあると云ふ。」



「菊坂の湯呑」より:

「物事に几帳面(きちやうめん)なのは惡い事ではないだらう。しかし私の場合は常軌を逸してゐたかも知れない。私は「朝日」の新らしい袋を開ける場合、糊附けの所を破る樣な事をせず、丁寧に剥がして折り目をその儘に殘し、袋の姿が崩れない樣に一本づつ引き出して吸ふ。吸ひ盡くして空つぽになつた袋は、揉んで潰してくちやくちやに丸めるなど、そんな事はしない。きちんと角の立つたもとの形の通りにして積んでおく。
 煙草の空袋を大事に積み立てて、何にするかと云ふ目的も用途もない。」










































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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