海野弘 『世紀末の街角』 (中公新書)

海野弘 
『世紀末の街角』
 
中公新書 620 

中央公論社 
昭和56年8月15日 印刷
昭和56年8月25日 発行
203p 目次4p 「初出掲載誌」1p 
新書判 並装 ビニールカバー
定価420円
装幀: 白井晟一



本書「あとがき」より:

「Ⅰの「パリ」では、「私」が一九〇〇年のパリ万国博を見物してまわるという設定にした。Ⅱの「ロンドン」を書く時、初めの「私」を押し通すかどうか迷った。(中略)全部「私」にすべきだろうか。いや、全体をひとつの人称にそろえるより、むしろ各章をそれぞれちがう人称にしてしまって、その多様なカレイドスコープのような視点の集合のうちに世紀末の都市を浮かびあがらせたらどうだろうか。いろんな人の目で、世紀末の街角を見ていくのだ。」
「新書という啓蒙的な場で、フィクションとノンフィクションの境い目にたわむれるこのような実験を、試みていいのかどうか迷ったのであるが、思いきって(中略)自由に書いてみることにした。」



本文中図版(モノクロ)多数。


海野弘 世紀末の街角 01


帯文:

「アールヌーヴォーの花咲く古き良き時代の七つの都市への旅」


帯裏文:

「今日、西欧世紀末のデザインは、ファッション、室内装飾、工芸品などに目覚しい影響を与えている。アールヌーヴォーの芸術は美術館や画廊のなかの美術ではなく、ポスターから地下鉄の飾り金具にいたる街の芸術であった。この視点から一九〇〇年のパリ、ロンドン、グラスゴー、ウィーン、ミュンヘン、ミラノ、ペテルブルグ、七都市へのタイムトラベルを試みて、読者をアールヌーヴォーの夢に包まれた都市空間へいざなう架空旅行記。」


目次:

Ⅰ パリ
  パリ万国博覧会への招待
  地下のパリ、夜のパリ
  都市ゲリラのパリ

Ⅱ ロンドン
  ピカデリー・サーカスの夜
  シャーロック・ホームズの都市空間
  ビアズリーの街、モリスの街
 郊外への旅――レッド・ハウス訪問
  喜びにあふれた装飾の館
  幻の乙女たち

Ⅲ グラスゴー
  ミス・クランストンの喫茶店
  丘の上の家
  グラスゴー美術学校

Ⅳ ウィーン
  ブラームスの子守唄
  オットー・ワグナーの都市改造
  聖なる春
  知られざるクリムト
  標題音楽と絶対音楽
 音楽への旅――マーラーと世紀末
  ベートーヴェンの部屋
  トリスタンのイメージ
  楽譜と文様

Ⅴ ミュンヘン
  アール・ヌーヴォーの影
  ミュンヘンの街角から
  男の都市、女の都市
 郊外への旅――白樺 春 メルヒェン
  ヴォルプスヴェーデの白樺
  春の乙女たち
  メルヒェンの別れ

Ⅵ ミラノ
  ミラノ・ラプソディ
  リバティ・スタイル
  アール・ヌーヴォーから未来派へ

Ⅶ ペテルブルグ
  影の都市
  劇場の都市
  さらばペテルブルグ

あとがき



海野弘 世紀末の街角 02



◆本書より◆


「パリ」より:

「博覧会には芝居や踊りもたくさん出演している。ビネ門を入ってすぐの、グラン・パレやプチ・パレとセーヌ河にはさまれた、いわゆるクール・ラ・レン(王妃の散歩道)には芝居小屋が出ている。そのなかでいちばん風変わりなのがロイ・フラーの劇場だ。そこをのぞいて見ることにしよう。ロイ・フラーぐらいこの博覧会にふさわしいダンサーはいないだろう。彼女は電気の光の魔術によって生まれたダンサーなのだ。彼女は長い布をひるがえして踊り、それに電気照明を投射して幻影的な効果をつくりだし、世紀末の人々を魅惑した。
 ロイ・フラーがいかにも世紀末的であるのは、芸術的神秘と科学の進歩が、少しの疑いもなく一致していることだ。一八九八年にキュリー夫妻が闇のなかで光る放射性物質ラジウムを発見した時、ロイ・フラーはすぐにこれを自分の踊りに利用しようと思いついた。彼女はキュリー夫人に手紙を書き、ラジウム・ドレスをつくってくれと頼んだ。それを着て踊れば、闇のなかで不思議な光の軌跡が描けるだろうと思ったのである。キュリー夫人はそれが無理だという丁重な返事を書いたそうであるが、このロイ・フラーはなんとも積極的な女性ではないか。こんな大胆な女性がでてくるのも、やっぱり〈世紀末〉なのかもしれない、と私は思った。」

「パリの世紀末はベルエポックだっただけでなく、ボンブ・エポック(爆弾の季節)でもあったことを忘れてはならないだろう。クリシーのあたりはアナーキストの巣窟であった。世紀末には、パリにはおびただしいアナーキストのグループがあった。ル・ドラポー・ノワール(黒旗団)、ラ・ジュネス・アンチパトリオティク・ド・ベルヴィル(ベルヴィルの若き反愛国主義者)、ラ・レボルト・デ・トラヴァユール(労働者の反抗)、ラ・ダイナマイト、レ・クール・ド・シェーネ(犬の心臓)などであった。」
「一八九〇年代に西ヨーロッパではテロリズムの嵐が吹き荒れ、パリのあちこちで爆弾が破裂した。都市ゲリラが跳梁するもう一つのパリ、地下のパリがあることをそれは語っていた。」
「一八九三年にはオーギュスト・ヴァイヤンの事件があった。彼はアルジェリアで働いていた貧しい労働者で、この社会に激しいうらみを抱いていた。彼はコンコルド橋を左岸に渡ったところにある議会を悪政の象徴として選び、釘をつめた爆弾を投げこんだ。けが人がでたが、死者はなかった。自分も負傷して入院し、そこで自白したヴァイヤンは、騒がせるのが目的で、殺す気はなかった、と述べた。しかし、見せしめのために、彼は死刑になった。「ブルジョア社会に死を、アナーキーよ永遠に!」と彼は叫んで処刑された。」



「ミュンヘン」より:

「世紀末は平面の表現が、三次元であるかに見せようとするだまし絵であることをやめて、平面であることの面白さ、独自さを発見した時代であった。世紀末はグラフィックの時代、つまり平面と線の時代であった。線というのは反自然的なものだ。三次元の自然には輪郭線はない。だから線による表現は自然から写されたものではないのだ。線は見えないものを平面において見えるものとするのだ。」



Loie Fuller (1902)
Directed by Segundo de Chomón


























































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宮下健三 『ミュンヘンの世紀末』 (中公新書)

宮下健三 
『ミュンヘンの世紀末
― 現代芸術運動の源流』
 
中公新書 758 

中央公論社
昭和60年3月15日印刷
昭和60年3月25日発行
202p 目次4p
新書判 並装 ビニールカバー
定価520円
装幀: 白井晟一



本書「はじめに」より:

「ミュンヘンの世紀末をいろどる芸術は、「ユーゲントシュティール」(「青春(ユーゲント)」の様式)と呼ばれた広汎な芸術運動である。」
「本書の最終章でも触れるように、第一次世界大戦は、せっかく開花した芸術の花を無残に散らし、ミュンヘンの芸術運動を四散させてしまった。そして大戦直後のミュンヘンは、レーテと国防軍や右翼との内戦の場となり、この混乱のなかから、ヒトラーに率いられるナチスが登場する。今日から回顧すると、世紀転換期のベル・エポックのミュンヘンは、「ただ一度しかない、二度と帰らぬ」二〇世紀ドイツ文化の青春だったのかもしれないように思われる。」



本文中図版(モノクロ)多数。


宮下健三 ミュンヘンの世紀末 01


帯文:

「ただ一度だけ華麗に花咲いたドイツ文化の青春の芸術を探る」


帯裏文:

「一九世紀末から今世紀の初頭にかけてバイエルンの都ミュンヘンには、数多くの若き才能が群れ集い、豪華な文芸誌インゼル、諷刺漫画誌ジンプリチシスム、モード雑誌ユーンゲントなどが一斉に刊行された。ドイツの世紀末芸術ユーゲントシュティールは、文字通り「青春の様式」だった。そして、ここには浮世絵や貞奴の影響も見逃せない。ナチの独裁と二つの世界大戦を経た今日、今世紀ただ一度だけ花咲いたドイツ文化の青春を描く。」


目次:

はじめに

Ⅰ 世紀末ミュンヘンの散歩
 バイエルンの州都ミュンヘン
 ミュンヘン中央駅に降りたつ
 ミュンヘンの中心街
 中世以来の商業の中心、マリーエン広場
 ボヘミアンの溜り場、シュヴァービング
 オペラ劇場、そしてビアホール
 都市ミュンヘンの魅力

Ⅱ シュヴァービングの世紀末
 マックス・ハルベ邸の大晦日
 大学裏のカフェと酒房
 ミュンヘン詩人群と「クロコディール」
 フランチスカ・ツー・レヴェントロフ伯爵夫人
 世紀末の女性モード

Ⅲ 世紀末ミュンヘンの建築
 ダルムシュタット郊外のベーレンス館
 オルプリヒの『祝婚の塔』とルートヴィヒ館
 リーマーシュミットのシャウシュピールハウス内装
 ミュンヘン新市庁舎とバイエルン州立博物館
 壮大なドイツ博物館
 ヴィラ・シュトゥックとフォトアトリエ・エルヴィラ

Ⅳ ユーゲントシュティールの絵画
 シュトゥックとベックリン
 ユーゲントシュティールの画家たちの特徴
 シュトラットマン、カンディンスキー、クレー
 フォーナ
 ウンディーネ
 踊る女性
 エロスとタナトス

Ⅴ ユーゲントシュティールの雑誌
 『パーン』誌の創刊
 『インゼル』誌の登場
 イラスト雑誌『ユーゲント』の刊行
 『インゼル』と『ユーゲント』のジャポニスム
 諷刺雑誌『ジンプリチシムス』
 ウィーンの雑誌『ヴェル・サクルム』

Ⅵ ドイツ文学の青春
 リルケとフォーゲラー
 若きホーフマンスタール
 詩人兼編集者ビーアバウム
 トーマス・マンの青春
 ヴェーデキントとイプセン

Ⅶ ベル・エポックの終焉
 第一次世界大戦の意味
 ドイツの青春の四散
 第一次世界大戦の過程
 詩と絵に見る戦争の惨禍
 ミュンヘン・レーテの時代
 ナチズムの台頭
 二〇世紀ドイツ文化の束の間の夢

あとがき

地図
 ミュンヘン中心部
 ドイツ中央部主要幹線
主要参考文献



宮下健三 ミュンヘンの世紀末 02



◆本書より◆


「世紀末ミュンヘンに忘れることができないのは、シュヴァービングの美女レヴェントロフ伯爵夫人(一八七一~一九一八)だ。このレヴェントロフ伯爵夫人は、北ドイツのフーズムの典型的なプロシアの州長官の貴族の家に生まれ、プロイセン貴族特有の厳格な教育を受けたが、どうしても画家になりたくて、ミュンヘンへやってくる。(中略)男性優位の社会因習に反した生き方を貫いた彼女は、生涯その息子ロルフの父親を隠しぬいて、ただ母親の子としてしか認めなかった。保守的だった当時の上流社会にセンセーションを惹き起こしたのは当然である。
 やがて、彼女は、シュヴァービングの「翔んでる女性」として、文学者や芸術家の人気の的となった。同時代人の伯爵夫人像を引用してみると、「彼女はデンマーク人のタイプで、小さく華奢で、しなやかで、お化粧はせず、口紅をつけたほんとうのパリ女よりもずっとパリ的で、少々生意気で、たいへん機智があり、少し感傷的だった」(ヴァルター・オルデン)、ルートヴィヒ・クラーゲス(一八七二~一九五六)は「この魅惑的な女神」を「異教的な聖女」と呼んだ。」
「少女時代にニーチェの『ツァラツストラ』にかぶれ、フーズムの町で少年少女たちのイプセン・クラブに属し、自由な生き方に憧れた彼女は、その主人公エレンに託して自己を表現している。「彼女は自分の生活が満たされている時だけ、自分が正常で、存在する権利があると感じていた。」彼女の作品によく出てくる「人生を享受する(ジッヒ・アウスレーベン)」というスローガンで、一八九〇年代の人びとは、「個人的な行為のアナーキズム」を特色づけたが、このスローガンは当時のほかの小説にもよく出てくる。彼女のこうした人生の評価には、明らかにニーチェと恋人クラーゲスの影響が見られる。この二人は、ディオニソス的陶酔に満たされた人生を、生の最高の高揚の形式と見なしていた。」




Fanny zu Reventlow
From Wikipedia, the free encyclopedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Fanny_zu_Reventlow



◆今日の一曲◆


そういうわけで、今日の一曲は1931年のドイツ映画『会議は踊る』より「唯一度だけ(Das gibt's nur einmal)」であります。





自分などは1980年代なスキゾキッズなので、加藤登紀子ヴァージョン(「唯ひとたびの」)で愛聴したであります。
加藤登紀子さんといえば紅の豚もよいですが昭和初期ジャズソングカバーアルバム『夢の人魚』(1983年)がいかにも80年代な名盤なのできくとよいです。80年代といえばルー・リードやトム・ウェイツやダグマー・クラウゼらによるオムニバスアルバム『クルト・ワイルの世界~星空に迷い込んだ男』(1985年)もいかにも80年代なのできくとよいです。80年代のレトロブームについておおいにレトロに語りたいところでありますが、語らないであります。






















































S・ワイントラウブ 『ビアズリー伝』 (高儀進 訳/中公文庫)

「彼は、どこで描こうと、外部の何物にも心を乱されずに、細心なまでに注意を集中して仕事をした。」
(ワイントラウブ 『ビアズリー伝』 より)


S・ワイントラウブ 
『ビアズリー伝』 
高儀進 訳

中公文庫  M 419

中央公論社
1989年5月25日 印刷
1989年6月10日 発行
504p 口絵32p(うちカラー8p)
定価820円(本体796円)
カバー画: ビアズリー「イゾルデ」(部分)

「本書は『ビアズリー』(一九六九年六月 美術出版社刊)に、原書の増補改訂版(一九七六年)によって加筆し、改題したものです。」



本書「訳者あとがき」より:

「本書『ビアズリー伝』(原題『オーブリー・ビアズリー――天邪鬼(あまのじゃく)』)の著者スタンリー・ワイントラウブは、一九二九年にアメリカのフィラデルフィアに生まれた文学研究家で、(中略)特に英国の世紀末文学とバーナード・ショーの研究に優れた業績を挙げている。
 本書『ビアズリー伝』は、一九六七年に出版された、同じ著者による『ビアズリー』の増補改訂版である。」
「その後十年ほどの間に、ビアズリーの新しい手紙が発見されたり、活字になったビアズリーの手紙で伏字のあったものが「無削除」の形で読めるようになったりしただけでなく、これまで発表されなかったビアズリーと同時代の人間の回想録も、いくつか世に出た。そこで著者は、これらの新資料を丹念に検討し、七十数箇所にわたって補筆訂正した新版『ビアズリー伝』を一九七六年に上梓したのである。」



本文中図版(モノクロ)多数。


ワイントラウブ ビアズリー伝 01


カバー裏文:

「夭逝した世紀末の鬼才は、ピカソを始め、竹久夢二や芥川龍之介らにも影響を与えた……。「サロメ」「アーサー王の死」などの名作を遺し、初期アール・ヌーヴォーの創出者となった、ビアズリーの劇的なる生涯を、世紀末を背景に、ワイルドら多彩な人物をもからめ、膨大な資料をもとに活写する。ビアズリー伝の決定版。」


ワイントラウブ ビアズリー伝 02


目次:


1 始まり 一八七二―一八八八年
2 高い椅子 一八八八―一八九一年
3 旅慣れた紙挟み 一八九二―一八九三年
4 オーブリーとオスカー 一八九三―一八九五年
5 ビアズリー・ブーム 一八九三―一八九四年
6 黄色(イエロー)の流行 一八九四―一八九五年
7 忘却の淵のビアズリー 一八九五年
8 上昇する『サヴォイ』 一八九六年
9 臨終の『サヴォイ』 一八九六年
10 退却 一八九六―一八九七年
11 離郷 一八九七年
12 マントン 一八九八年
13 長い影

ビアズリー氏の『五十葉の素描集』 (マックス・ビアボーム)


訳者あとがき
索引



ワイントラウブ ビアズリー伝 03



◆本書より◆


「1 始まり」より:

「本は常にオーブリーの生活の一部だったように思われる。それは、子供の頃孤独であった彼が、無性に本を必要としたからであろう。」


「2 高い椅子」より:

「ビアズリー自身のスタイルが成熟するにつれ、バーン=ジョーンズの影響とともに、ホイッスラーと浮世絵のそれが現れてきた。」


「3 旅慣れた紙挟み」より:

「ビアズリーにとって浮世絵は一つの啓示だった。」


「4 オーブリーとオスカー」より:

「ワイルドの劇は、ビアズリーの絵がホイッスラー的手法による日本的なものだったという意味で、フローベール的手法によるビザンチン的なものだった。もちろん両者とも、自分たちの師を越えたと思っていた。」


「5 ビアズリー・ブーム」より:

「一八九三年も終りに近い頃、眼鏡を掛けた一人の青年画家がビアズリーの部屋で『アーサー王の死』の挿絵を見ていた。青年画家は、ビアズリーがパリで知り合ったウィル・ローセンスタインだった。」
「ローセンスタインはパリで一冊の日本の画集を見つけたが、あとになって分ったことには、そのあからさまな絵は「とてもひどいもので、持っていると具合が悪いもの」だった。そこで彼は、ビアズリーがその秘画本に惚れ込んだように思われたので譲ってしまった。ローセンスタインが次にケンブリッジ街を訪れたとき、ビアズリーはその画集から最もいかがわしい版画を切り取って寝室に飾っていた。「彼が母と姉と一緒に暮していることを考えると」とローセンスタインはのちに書いている。「私は大変びっくりした。しかし彼は極端な犬儒派を気取っていた。時には驚くほどだった。彼は、いろいろと途轍もないことを口にした……」。ローセンスタインから貰った画集が切っ掛けで、のちに彼は大規模に浮世絵を蒐集するようになったと考えられる。その後彼を訪れたある者は、こう言っている。「ビアズリーはロンドンではほかでお目にかかることができないような美しい日本の木版画を持っていた。どれも非常に精緻なエロチシズムが横溢していた。それらは簡素な額に収められ、微妙な色調の壁紙の上に懸っていた――いずれも鄙猥であり、歌麿の最も放縦なヴィジョンを現していた。しかし離れて見ると、非常に典雅で、清澄で、無害なものに見えた」
 ローセンスタインは大学の名士の肖像を描くためにオックスフォードに行く前に、ロンドにいる間はケンブリッジ街の自分の仕事部屋を使ってもよいというビアズリーの申し出に従った。彼らは大きな机に向い合って坐って仕事をしたが、ビアズリーは熱心に絵を描きながら絶えず話しつづけた。彼は鉛筆で初めにざっとデッサンしたが、それは、頭の中にある複雑な形を暗示しているだけのものだった。その後で、ローセンスタインが見ぬふりをしていると、ビアズリーはその上にペンで絵を描いたり、時には複雑な網目模様を描いたりした。」



「6 黄色の流行」より:

「ジョン・レインはビアズリーを高く買っていて、友人に、ウィンダミアのセント・メアリー寺院でクリスマスを一緒に過そうと誘われ、その際何人か友達も連れてくるように言われたとき、意外なことに、ビアズリーとビアボームと三流詩人ウィリアム・ウォトソンとを招待したという話が伝えられている。「私の次には」とレインは、その後よく言ったものだった。「一行のうちでオーブリーが一番行儀が良かった。彼はきちんと、かつ心を籠めて礼拝式に出席したので、牧師は生涯にわたって、“あの信心深い若者”は誰だったのかと尋ねた」。牧師は、その「信心深い若者」が世間で「気味悪いへぼ絵描き(ウィアズリー・ドーバリー)」とか「恐ろしく奇妙な男(オーフリー・ウィアドリー)」とか呼ばれていた男と同一人物だとは知る由もなかったであろう。「僕は批評家に何と言われても平気ですよ」とビアズリーは、ある訪問記者に答えた。」


「8 上昇する『サヴォイ』」より:

「ホイッスラーの芸術上の好き嫌いには、しばしば個人的なもの――それは客観的批評とほとんど関係のないものだった――が影響していたのであるが、ビアズリーに対する場合、この「個人的なもの」は、ビアズリーが僅かの間『サロメ』を通してオスカーと関係があったということだけにではなく、この成上り者の若い画家が、ホイッスラーとホイッスラー夫人の戯画を描いたということにも由来していた。だがある夜、ホイッスラーがペネル夫妻を訪れたとき(夫妻で書いた『マクニール・ホイッスラー伝』によると)、例によって紙挟みを持ったビアズリーがやって来た。そして、巨匠の面前でも恥ずかしがる様子もなく紙挟みを開け、最近描いた『髪盗み』の挿絵を皆に見せはじめると、「ホイッスラーは最初気がなさそうに見ていたが、次第に関心を示しはじめ、ついには非常に喜んだ。そして、ゆっくりと、こう言った。『オーブリー、私は大変な間違いをしていたよ――君は非常に立派な芸術家だ』。それを聞いた若い画家は、わっと泣き出した。そのときホイッスラーがともかくも言えたのは、『本当だよ――本当だよ――本当だよ』という言葉だけであった」」

「彼は、どこで描こうと、外部の何物にも心を乱されずに、細心なまでに注意を集中して仕事をした。」























































































ハンス・H・ホーフシュテッター 『ユーゲントシュティール絵画史』 (種村季弘・池田香代子 訳)

ハンス・H・ホーフシュテッター 
『ユーゲントシュティール絵画史
― ヨーロッパのアール・ヌーヴォー』 
種村季弘・池田香代子 訳


河出書房新社
1990年9月1日 初版印刷
1990年9月10日 初版発行
294p 索引・文献xxiii 年表(折込)1葉
別丁図版(モノクロ)40p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,900円(本体3,786円)
装幀: 中島かほる



本書「訳者あとがき」より:

「本書の原著は、Hans H. Hofstätter, Geschichte der europäischen Jugendstilmalerei, Verlag M. DuMont, Schauberg, 1969 である。」


別丁図版51点、本文中図版48点、カット(ヴィニェットと縁飾り)14点。


ホーフシュテッター ユーゲントシュティール絵画史 01


本書「訳者あとがき」(種村季弘)より:

「ところで、世紀末はもっぱらデカダンスなのだろうか。衰弱であり、芸術のための芸術なのだろうか。そうであるとしても、そうであってまた同時に、過剰なエネルギーの表現であり、生への意志だったのではあるまいか。一口にいって、これが前世紀の世紀末を語る本訳書に底流するモティーフである。「終末にして発端」「アルファにしてオメガ」(ニーチェ)であるようなトポスとして世紀末文化を位置づけること。あるいはむしろ、所与の状態としての世紀末が、世紀末文化ないし世紀末芸術のエラン・ヴィタールによってたえず超出されるところにしか、世紀末の全体像は出現しないというパラドックス。
 世紀末芸術としてのユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)は、ロココ様式以後、唯一の統一的様式たらんとした芸術運動・傾向であった。全体としての、まるごととしての様式。したがってそれは、絵画だけをさしあたっての眼目とするだけでなく、建築、インテリア、家具調度デザインから衣服のファッションにいたるまでの生の全体としての様式を構想し、のみならずそれを生きることが問題だった。」
「しかしながら、ユーゲントシュティールという統一的な様式は、あらかじめ不可能を宣告されている。バロックやロココのように、反宗教改革なり絶対王政なりの現実的背後関係がうしなわれたところから様式をもとめるので、無からはじめて砂上楼閣を築くほかない。諸価値の偶発的な、あるいは投機的な動向に依存する資本主義社会は、それがそのようなものであるかぎりは、一つの統一的様式に到達することはない。様式は不可能であり、そこには様式をもとめる、たえざるアプローチがあるだけである。したがってたえず未完のままに終わるアプローチが課題を後代にのこすので、ユーゲントシュティールが提起した課題は今日にいたるまで解かれていない。
 ということは、ユーゲントシュティールには、歴史的過去になった部分と、歴史的過去にならずに現在完了形で持続している部分があるということである。とすれば、私たちがせいぜい時代おくれの擬似様式とみなして顧みないでいるもののなかに、現在が息づいているのではあるまいか。早すぎた埋葬さながらの、このはやまった生き埋めから「当時」を救出する作業が、本書の一つのモティーフといえよう。
 もう一つは、発火点がイギリス、フランスであったにもせよ、生の全体性をもとめる意志の波及範囲は、またたくまに汎ヨーロッパ的な版図にひろがったということである。(中略)北欧、ロシア、東欧、南欧の国々にまで波及して、それぞれの文化圏に固有の反応を惹起せしめた。本書のもう一つのモティーフがその点にあるのは、スカンディナヴィア、ロシア、東欧、イタリア、スペインにまで及ぶユーゲントシュティールの各国別変種を博捜した目次を一覧するだけでも一目瞭然であろう。」
「本書より後に書かれた姉妹篇の『象徴主義と世紀末芸術』(美術出版社刊)とくらべてみると、以上の消息はいっそう明らかになる。フランス象徴主義絵画からユーゲントシュティールにいたる流れにほぼ枠組をかぎった後者では、より気楽に、はなやかに、象徴とイメージの宇宙博物誌的世界に遊んでいる。それが心置きなくできるのは、本書の概括的展望と理論的基礎が前提にあって、はじめて可能だったわけである。」



目次:

序言
    *
第一章 問題設定としての全体芸術
 1 実証主義と泡沫会社時代精神
 2 ヨーロッパ的伝統の回顧
 3 新しいサロン芸術
 4 全体芸術作品としての書物
第二章 共通体験
 1 実証主義の信仰告白
 2 リヒャルト・ヴァーグナーとアルトゥール・ショーペンハウアー
 3 ネオ・イデアリズム
 4 メルヘン体験
第三章 絵画における新しい様式の成立
第四章 フランスのユーゲントシュティール
 1 アトリエ・コルモンとエコール・デュ・プティ・ブールヴァール
 2 日本の色彩版画
 3 モノクロームの情緒絵画
 4 ヴァン・ゴッホとエミール・ベルナール
 5 ポール・ゴーガンと新しい様式
 6 初期表現主義の諸問題
 7 ポン=タヴェンならびにプールデュの芸術家グループ
 8 アルマン・セガン(一八六九~一九〇三)
 9 ルイ・アンクタン
 10 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
 11 ナビ派
 12 ルヴュ・ブランシュとアンブロワーズ・ヴォラール
 13 モーリス・ドニ(一八七〇~一九四三)
 14 ポール・セリュジエ(一八六三~一九二七)
 15 ポール・ランソン(一八六二~一九〇九)
 16 ピエール・ボナール(一八六七~一九四七)とエドゥアール・ヴュイヤール(一八六八~一九四〇)
 17 アリスティード・マイヨール(一八六一~一九四四)
 18 フェリックス・ヴァロットン(一八六五~一九二五)
 19 フランスにおける新しい様式の普及 
第五章 スイスのユーゲントシュティール絵画
 1 フェルディナント・ホードラー(一八五三~一九一八)
 2 クーノ・アミエト(一八六八~一九六一)
 3 エルンスト・クライドルフ(一八六三年生)
 4 ジョヴァンニ・セガンティーニ(一八五八~一八九九)
第六章 イギリス、ユーゲントシュティールの第二の勢力
 1 諸前提
 2 ラファエル前派のユーゲントシュティール
 3 書物芸術の意義
 4 チャールズ・リケッツ(一八六六~一九三一)とチャールズ・シャノン(一八六五~一九三七)
 5 オーブリー・ビアズリー(一八七二~一八九八)
 6 イギリスとフランスの関係
 7 スコットランドのユーゲントシュティール
 8 イギリスの童話の本
 9 ユーゲントシュティールにおけるイギリスの伝統の完成
第七章 オランダとベルギーにおけるユーゲントシュティール
 1 アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ(一八六三~一九五七)
 2 オランダとベルギーのユーゲントシュティールにおける文学的象徴主義
第八章 スカンディナヴィア諸国のユーゲントシュティール
 1 ノルウェイ人エドヴァルド・ムンク(一八六三~一九四四)
 2 フィンランドのアクセリ・ガレン=カレラ(一八六五~一九三一)
第九章 ドイツのユーゲントシュティール
 1 皇帝時代と泡沫会社時代
 2 ベルリンのユーゲントシュティール
 3 マックス・クリンガー(一八五七~一九二〇)
 4 ヴァルター・ライスティコウ(一八六五~一九〇八)
 5 ルートヴィヒ・フォン・ホーフマン(一八六一~一九四五)
 6 ベルリンの挿絵ユーゲントシュティール
 7 ミュンヘンのユーゲントシュティール絵画
 8 フーゴ・フライヘル・フォン・ハーバーマン(一八四九~一九二九)
 9 フランツ・フォン・シュトゥック(一八六三~一九二八)
 10 カール・シュトラートマン(一八六六~一九四九)
 11 大地派
 12 ミュンヘン・ユーゲントシュティールの歴史主義
 13 抽象への転回
 14 ミュンヘンのユーゲントシュティール-挿絵
 15 ダッハウのグループ
 16 ヴォルプスヴェーデ
 17 ダルムシュタット
第十章 ウィーンのユーゲントシュティール
 1 精神風土
 2 グスタフ・クリムト(一八六二~一九一八)
 3 ルドルフ・イェットマー(一八六九~一九三九)
 4 ウィーン・ユーゲントシュティールのグラフィック
第十一章 東ヨーロッパ諸国のユーゲントシュティール
第十二章 ロシアのユーゲントシュティール
 1 ペテルブルク
 2 モスクワ
 3 ヴァシリー・カンディンスキー
第十三章 南ヨーロッパ諸国のユーゲントシュティール
 1 イタリア
 2 スペイン
 3 パブロ・ピカソ(一八八一~一九七三)
第十四章 美術史におけるユーゲントシュティール絵画の位置
    *
原註
訳者あとがき (種村季弘)
    *
図版資料
ヴィニェットと縁飾り一覧
参考文献
人名索引・事項索引

ユーゲントシュティールおよびその前後の世代の画家年表 (巻末折込)



ホーフシュテッター ユーゲントシュティール絵画史 02



◆本書より◆


「第一章 問題設定としての全体芸術」より:

「芸術をもっぱら相互関連のうちに創造し、造形のあらゆる可能性を一つの作品のなかにまとめ上げようというユーゲントシュティールの意志は、インテリア造形とならんで書物造形にもっとも完璧に示される。書物造形においてもまた全体芸術作品について語ることができるのであり、おそらくユーゲントシュティール本来の異論の余地のない業績は書物芸術にこそあるだろう。」
「すでにモリスが模範的に造形していた書物装丁は新しい芸術工芸にすこぶる多様な可能性を提供し、また書物宣伝の手段として――本屋の店頭に並べられたときすでに、購買者にくだんの本についてなにごとかを教えるために――芸術的造形をほどこしたカヴァーが作られた。これはしかしトゥールーズ=ロートレック以来の新しいポスター様式の展開を、とりわけ絵と文字の結合を前提にしているこの時代正嫡の新生児なのである。今日でこそカヴァー装は常識であって、芸術的に造形したカヴァーをこしらえた最初の出版人たちが攻撃にさらされたといっても、私たちにはなんのことやらほとんどわけが分からない。見返し紙も、それまでは純粋に書物技術的な装置にすぎなかったが、くだんの書物の意味と内容とに結びつけられる。つまり書物の外側から内側への移行、本の表紙と内容の間の橋を形作って、装飾的見地においても――それは装飾的見地においてその本の挿絵のモティーフを取り上げて変奏させる――、とりわけしかし色彩の気分に関しても、くだんの書物本来の性格に緊密に関係づけられるのである。」
「さらに本のタイトルと――また部分的には見返し紙とも――関係してくるのが、古くからおなじみの、けれどもユーゲントシュティールにおいて復活を嘉(よみ)した、あのエクス・リブリス(蔵書票)である。これはしばしば本の表紙裏の見返し紙に、所有者が自分の名前を書きこみさえすればいいように、つくりつけに一緒に造形されていたか、もしくは貼りつけのための余白をあけておいてあった。(中略)エクス・リブリス造形は、この時代最高の芸術家たちが干戈を交えた課題であり、その復活という事実そのものがすでに、人びとがどれほど書物を自分の個人的全体文化の構成要素と感じていたかを物語る。
 ユーゲントシュティール本の全体芸術作品に対する決定的な業績はしかし、書物の文字と書物挿絵の革新であった。」



「第九章 ドイツのユーゲントシュティール」より:

「リルケの友人ハインリヒ・フォーゲラーはもっとも純粋にユーゲントシュティールを代表した。一八九三年に彼はヴォルプスヴェーデにやってきてひとまずマッケンゼンの弟子となり、農家を一軒買い入れて、若い妻とともに世間から隔絶してくらした。ヴォルプスヴェーデの気分は彼の絵に凝縮して、いたるところに秘密として珍奇なものや奇蹟を予感するメルヘンの気分と化している。パウラ・ベッカー=モーダーゾーンはフォーゲラーについて次のように日記に記す。「……魅力的な若者、幸運児。彼はマッケンゼンのように現実の人間ではない。自分だけの世界にひきこもって生きている。彼は、ポケットにヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデと『少年の魔法の角笛』をしのばせて持ちあるいている。ほとんど毎日それに読みふけっている。毎日それを読みながら夢見ている。どんな著作もとても熱心に、ことばの意味を夢見ながら読むので、彼は世界そのもののほうは忘れてしまうほどだ。だからおびただしく本を読んでいながら一篇の詩もそらんじていない、ということになる。アトリエの隅にギターがある。そのギターでほれぼれするような古い旋律を奏でる。そんなとき彼はとてもすてきに見えるし、その大きな眼で音楽を夢見ているのだ……フォルムはとてもがっしりしている、硬直したようにかっしりしている。彼の春の絵、白樺、木蔭に春を夢見ている一人の少女のいる、やわらかな、若い白樺。彼女はえらく硬直していて、ほとんどみにくい。それでいてこの若者がそのつき上げてくる春の夢をこうした控え目な形に装わせたことが、私にはなにか感動的なことに思える。その少女のきびしいプロフィルは、もの思うように一羽の小鳥のほうを見やっている。少女はほとんど男性の感覚の持ち主だ、これほど節度のある態度、夢見る姿勢がなかったら、彼女はほとんど一人の男性だろう。これがちいさなフォーゲラーだ。彼が魅力的ではないだろうか?」
 リルケはフォーゲラーについて書いている。「ひともとの花に、一本の木の枝に、一本の白樺に、あるいは一人の憧れにみちている少女に、春をまるごと、その日々と夜々のあくなき充実と過剰ごとさずける芸術――この芸術をだれもフォーゲラーができたようになしとげたものはいない。」
 これらの解釈からもつとに看て取れるように、フォーゲラーはとりわけその、ときにインゼル出版社のために下絵を描いた書物芸術において、イギリスのユーゲントシュティールから、なかんずくラファエル前派から多くを取りこんだ。しかし彼はそれらの諸要素をドイツ・ロマン主義の表象世界と結びつけて、それを受容すべくまさに運命づけられていたヴォルプスヴェーデの風景のなかに移しかえるのである。」



「ウィーンのユーゲントシュティール」より:

「これらの作家のなかでひときわ擢んでて、挿絵が独立した芸術作品であることをいちじるしく主張さえしているのが、プラハ出身で一九〇二年からはウィーンに住み、のちにエックマンの後継者としてベルリンに移ったエミール・オルリーク(一八七〇~一九三二)である。彼は日本の芸術を現地で研究し、鮮明なコントラストをもつ鋭利でアクセントのきいた様式化の方法を身につけた、数すくない人びとの一人である。コントラスト効果は、彼の後年の木版画においては表現主義に近づきさえしている。ドイツでは彼はとくに世紀転回期の日本趣味のなかで重要な役割を演じ、日本という国のポピュラーなイメージをはじめて普及させることになるラフカディオ・ハーンの日本関係の著作選集のために描いた挿絵で有名である。ちなみに、この選集にはフーゴ・フォン・ホーフマンスタールが序文を寄せている。」


ホーフシュテッター ユーゲントシュティール絵画史 03





























































Graham Ovenden (ed.) 『Pre-Raphaelite Photography』

『Pre-Raphaelite Photography』
Edited by Graham Ovenden


Academy Editions, London/St. Martin's Press, New York, 1984
84pp, 16x16cm, paperback
Printed and bound in Great Britain
(First edition 1972)

 

グラハム・オヴェンデン編「ラファエル前派の写真」。
ラファエル前派の画家たちとその家族、ポーズをとるモデル、ジュリア・マーガレット・キャメロンやルイス・キャロルらラファエル前派周辺の写真家による作品など、ラファエル前派関連の写真図版(モノクロ)64点、絵画作品図版(モノクロ)13点を収録した小型本。
初版は1972年刊行、本書はそのペーパーバック版。10年以上前に近所の古本屋で300円で買いました。
 
 
pre-raphaelite photography 01


裏表紙文:

「The Pre-Raphaelites were the first group of painters to encounter - and successfully assimilate - the comparatively new invention of photography. Although no school of Pre-Raphaelite photography can be said to exist in the same way as in painting, certain artists and photographers working during the mid-Victorian period are clearly linked by shared assumptions, attitudes and sentiments typical of the Pre-Raphaelite Brotherhood. The work of Crawshay, Hughes, Dodgson, Cameron and others reveals a common sensibility, and a strikingly similar range of visual themes. Indeed, Jane Morris posed for Rossetti in a remarkable series of photographs which were the direct basis for some of his most celebrated paintings.
 This collection of Pre-Raphaelite photographs, edited by Graham Ovenden, contains some of the best-loved and most beautiful photographs ever produced. When originally published in 1972, this book was one of the first to document the work of the period and to establish the interdependence of art and photography. The many direct and profound links between the two are shown in the comparison of the profound with specific Pre-Raphaelite paintings. This book, now available in paperback for the first time, reproduces over 70 photographs which in style, mood and content faithfully reflect the shared imaginative and aesthetic ethos of Pre-Raphaelitism.」



pre-raphaelite photography 02

ジェーン・モリス、1865年。


pre-raphaelite photography 03

ジェーン・モリス、1865年。


pre-raphaelite photography 04

ジェーン・モリス、1865年。


pre-raphaelite photography 05

ジュリア・マーガレット・キャメロン撮影。
左: 1869年/右: 1870年頃。


pre-raphaelite photography 06

ヴァージニア・ウルフの母親ジュリア・ジャクソン(当時ハーバート・ダックワース夫人。のちレズリー・スティーヴンと再婚)。ジュリア・マーガレット・キャメロン撮影。1868年。


pre-raphaelite photography 07

アリス・リデル。
左: C・L・ドジソン(ルイス・キャロル)撮影、1859年頃。
右: ジュリア・マーガレット・キャメロン撮影、1872年。



こちらもご参照下さい:

Virginia Woolf / Edward Gorey 『Freshwater』
Helmut Gernsheim 『Lewis Carroll : Photographer』















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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