『夜想 9 特集: 暗黒舞踏』

「どうしようもない過失を背負って生きている
ありがとう ごめんなさい」

(大野一雄 「私のお母さん」 より)


『夜想 9 
特集: 暗黒舞踏』

Yaso #9 - Dance Review 1920-80 Japan

ペヨトル工房 
1983年7月20日 発行
224p 
A5判 並装 
定価1,200円
編集発行人: 今野裕一
AD: ミルキィ・イソベ



夜想 暗黒舞踏 01



夜想 暗黒舞踏 02


「くらやみからひかり」


目次:

プロローグ
エピローグ

石井漠
 私的評伝石井漠 (長谷川六)
 石井漠と舞踊詩 (石井漠海外公演評)
ラ・アルヘンチーナ
高田雅夫・せい子
崔承喜
イサドラ・ダンカン
アンナ・パヴロヴァ
ノイエタンツ
クロイツベルク
 
舞踏年譜 1920―53
舞踏年譜 1956―83

大野一雄
 インタヴュウ
 カメラ・オブスキュラ
 資料
土方巽
 「伸びる」と「屈む」と (郡司正勝)
 闇の命脈 (深瀬昌久)
 暗黒舞踏への鎮魂歌
 舞姫・芦川羊子
笠井叡
 笠井叡・新潟 (小川隆之)
 見えない天使
田中泯
 インタヴュウ
 地を這う前衛 (木幡和枝)
 開放された肉体と感性――パフォーマンスの現在
山海塾
 インタヴュウ
中西夏之 《舞踏の足の裏》

舞踏アンケート



夜想 暗黒舞踏 03


ラ・アルヘンチーナ。



◆本書より◆


大野一雄インタヴュウより:

「それからおぜんが出てきた。かつて一九八〇年ヨーロッパでやった時に、「おぜんまたは胎児の夢」という作品を一時間半踊ったんだけど、そういうことがあっておぜんを使った。
 子供が電車にひかれた。
 ぱっと電気が消えると、まもなくふっとつくと首をおぜんに載せて……つんのめるようにして……赤い衣裳を着て……「六段」の演奏が流れる……そして蛾の踊りになる……何故蛾のお吸いものを飲まなくてはならないかということについては理解のないままに先だってやった。ただ蛾は宇宙的な文様があり、けだものの様な虎の様な姿をしているから……異常なお吸いものということで飲んだんだけど何故、異常なお吸いものを母親が飲まなくちゃならなかったかということになると、その時は解らなかった。
 十人の子供を育てるためには、まともな飲みものでは育てられない。宇宙のエッセンスをまず母親が吸収しておっぱいとして与えるという関係でなくては……自分の芸術心を育てなくてはならない……だから蛾のお吸いものを宇宙のエッセンスとして飲む。そうして育んだ子供が電車にひかれた。もう一人横浜で死んだ。母親の気持と私の気持は違うかもしれないが同じように痛むわけですよ。母親が痛むときに私も無意識に痛むのです。
 函館市に初めて電車が通ったその日に、花電車にひかれたんです。私はそこに居なかったけれど見ているわけです。女中が危ないと叫んでもどってくるところをひかれたんです。
 女中さんが走ってもどってきて、おくさんと言った時、母親はぴしっとおきているんです。広い台所で食器を整理しながら、母親は仏さんの行列を見ておった。それが同時に起っている。電車の事件がきっかけで母親は信仰の世界に入っていった。――そんな様なことを思いながら、おぜんを想う時……母親にだいじにされたこと、生きるための最大の儀式としてのおぜん……が浮かびあがってくる。
 そう想い続けるなかで踊りが変貌してくる。衣裳にしても宇宙をはおるものだと思うようになってきた。」

「母親の遺言として踊ったカレイのダンスもね、――平になって泳いで、ぱっと大地をもちあげるようにする……これは母親が死んだ時に体から湯気がもうもうと上がりカレイや蝶が舞いあがったのと同じような踊りだけれども――何処でやったのかと後になって思う。確かにそれは劇場でやったんだけれど、私にとって踊りの場処は、母親の胎内でなければならない。それぞれの人も生きていくなかで、自分の踊る場処を設定しなければならない。私にとってはそれが母親の胎内なのです。」

「人形というのはもともと「死の天使」なのかもしれない。(中略)飾り場処のない人形……死の天使……死というものは人間が生きる上できわめて大切なものです。最期に死が来たというものではなく、常に生と死が一緒になっている。死は生きている上で大事に、大事にしなくてはならないものだ。大事にされなくてはならないものは、場処もはっきりと与えられないのではないか。大事なものほどはじのほうで、ほっといきづいている。そういうことを毎日考えながらヨーロッパを踊ってきました。」

「踊りは最終的には幽霊でなくてはならない。魂の形のような、びっしりつまった存在感、それととっくまなくてはならない。」

「例えばとまどってどうしても解らなくなって立ち尽す……叫びのようなもの……それが踊りにはつきまとう。立ち尽すというようなものが踊りにとって重要なことがらで……相手をひとりぶつけるという可能性は、立ち尽すというようなものの中からしか出てこない。すすすす――とするものからは出てこない。立ち尽すということがあって、共感することの可能性がでてくる。」

「むしろ研究生がとまどいながらやっているほうがいい。集団的にまとまって見せるなんていうことを次々にやっても全然興味ないですね。」



夜想 暗黒舞踏 04


大野一雄。


夜想 暗黒舞踏 05


笠井叡。


























































































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『土方巽全集Ⅱ』 (普及版 全二冊)

「なぜ髪の毛を長くしているのか、と聞かれるでしょう。私は死んだ姉を私の中で飼っているんです。」
(土方巽 「暗闇の奥へ遠のく聖地をみつめよ」 より)


『土方巽全集Ⅱ』 
[普及版]

編集委員: 種村季弘・鶴岡善久・元藤燁子

1998年1月21日 初版発行
2005年8月20日 普及版初版印刷
2005年8月30日 普及版初版発行
403p 口絵i  
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,800円+税
装画: 中西夏之
装丁: 渋川育由



本書「解題」より:

「本冊には、「対談・インタビュー・講演」、「舞踏譜」(三種、未発表)、「未発表草稿」、「補遺」(一篇)を収録した。」


本文中図版79頁。


土方巽全集Ⅱ 01


帯文:

「アンダーグラウンドのバイブル

舞踏の創始者=土方巽の肉声がわれわれに語りかけるものとはなにか……
インタヴュー、対談、講演録のほか、舞踏譜、未発表草稿、最新の年譜を収録。
魂を揺さぶる、待望の普及決定版、ここに完結!」



帯背:

「暗闇の奥へ
遠のく聖地へ」



土方巽全集


帯裏:

「アンダーグラウンドなどがすべて風化していくのも、外部のせいじゃなく、
やってる人間たちの問題なんじゃないかと思うんですね。
すぐ自分の外側に砂漠を設定して、水もないなどと言う。
そんなことを言う前に、
自分の肉体の中の井戸の水を一度飲んでみたらどうだろうか、
自分のからだにはしご段をかけておりていったらどうだろうか。
自分の肉体の闇をむしって食ってみろと思うのです。
ところが、みんな外側へ外側へと自分を解消してしまう……

「肉体の闇をむしる……」より」


土方巽全集Ⅱ 02


目次:

対談・インタヴィュー・講演
 肉体の闇をむしる…… (聞き手: 澁澤龍彦)
 暗黒の舞台を踊る魔神 (聞き手: 佐藤健)
 暗闇の奥へ遠のく聖地をみつめよ (対談: 宇野亜喜良)
 光と闇を駆け抜ける (対談: 唐十郎)
 「おおー」と風だるまが座敷に…東北人の訪問 (対談: 吉行淳之介)
 森羅万象を感じとる極意 (対談: 白石かずこ)
 白いテーブルクロスがふれて (対談: 中西夏之)
 風だるま (講演)
 東北から裸体まで――土方巽の遺言 (聞き手: 山口猛)
 舞踏行脚 (講演)

舞踏譜
 舞踏に関する覚え書き
 舞踏のための資料
 「なだれ飴」のためのスクラップ・ブック (全一冊)
 舞踏のためのスクラップ・ブック集より

未発表草稿

[補遺] 或る場所にある卵ほどさびしいものはない

年譜 (構成: 土方巽アーカイヴ 森下隆)
解題 (鶴岡善久)



土方巽全集Ⅱ 03

「舞台「肉体の叛乱」より」(撮影: 中谷忠雄)



◆本書より◆


「暗黒の舞台を踊る魔神」より:

「何万年もの歴史の中で、人間ははぐれてしまった。子供というのは、欲望がいっぱいあるし、感情だけをささえに生きているために、できるだけはぐれたものにであおうとする。ところが大きくなるにしたがって、自分のはぐれているものをおろそかにして、他人との約束ごとに自分を順応させる。それではぐれていない、と過信してしまう。飼いならされてしまうわけですね。」

「ヒマさえあれば押入れにはいっていましたね。実にねやすいところなんですね。人間というのは腹の中からでてきたとたんに、自分の身長だとか体重だとかをはかるすべを失ってしまうんですね。だから身の高さをはかれない。何センチということではなくですよ。もちろん空の高さもはかれない。(中略)押入れの中ではゴツンゴツンと頭をぶつけて、なんとなくはかれる場所のような気がするんですよ。」



「暗闇の奥へ遠のく聖地をみつめよ」より:

「かいつまんでいいますと、私は劇団という形が嫌なんですよ。集約的な人間関係が性に合わなくて、やはりふとんの中へもぐって好き勝手なことをしていたいわけです。私のコミュニケートの方法は、人間関係を外側に求めないで、一個の体の中でいつもはぐれている自分と出くわす、自主的にその人に出くわさせるようにするのです。」

「ですから私は誰にでも踊りはできるし、教わるなんて、何しに来たのか、っていうんです。」



「風だるま」より:

「昔、坊さんの景戒(きょうがい)って人が、『日本霊異記』を書いたんですが、その著者が自身のことを夢に見た。延暦七年戊辰の春、三月十七日の夜見た夢であります。
 景戒は、夢の中で自分が死んだ時に薪を積んで、死んだ自分の身を焼いた。景戒の魂が自分の身が焼けるそばに立って見ていますと、思うように身体が焼けない。それで自分で小枝を折ったり取って来たりして、焼かれる自分の身を突き刺して、串刺しにしてひっくり返すようにして焼いた。同じように焼いてる他人にも教えて私のようによく焼きなさい、と言いました。それで自分の身の足や膝や関節の骨、腕(かいな)、頭部、みんな焼かれて切れ落ちました。そこで景戒の魂は声を出して、大声を出して叫ぶんです。ところがそばにいる人の耳には聞こえないらしい。そこでその人の耳のそばに口をつけて遺言を言おうとしてがんばるんだけど、その人は聞こえないのか、答えません。それで景戒「ははあ、死んだ人の魂は声がないから、私の叫ぶ声の音が聞こえないのだろうな。」と思ったと書いてあるわけです。
 ところがちょっと待てよ、それはちょっとおかしいぞ? この景戒の書いてる文章がね、夢を見てる最中の話じゃなくて、夢から覚めて字にしたもので、こんなにさっさと書けるわけがない。私の風だるまは風に吹かれてこういうふうな坊さんの書いた、自分の骨の焼けてゆく思いを考えながら畷を歩いてくるわけです。
 片一方は火葬ですよね、ところがその風だるまは自分の体を風葬してる、魂を。風葬と火葬だ、それがいっしょくたになって何とかして叫ぼうと思うけれども、その声は風の哭き声と混ざっちゃうんですね。風だるまが叫んでるんだか、風が哭いてるのか混ざっちゃって、ムクムクと大きくなっちゃって、やっと私の家の玄関にたどりついたのです。どんな思いでたどり着いたのか? 今喋った坊さんの話と風だるまが合体して、そこに非常に妖しい風だるまの有様がひそんでいるのです。風だるまは座敷にあがって来ても、余り物を喋らない。囲炉裏端にペタッと座っている。そうすると家の者が炭を、これもまた何も聞かないで、長いこと継いでいるんですね、私は子供の時にそういう人を見て、何と不思議なんだろう、何となく薄気味悪いけど親しみが持てないわけでもないし、一体何が起ったんだろうかと思いました。」

「しかしよく雨が降ってるんですよ。それで私も縁側に座ってキャベツ畑にジャージャーっと降る雨を見てるわけですね、その縁側が重要ですよ。すると雨ってのはどこから始まってどこで終るのか、始まりも終りもないような雨が持っている時間の中に、まわりの空間も混っちゃって時間も空間も見さかいがない。そうしてキャベツが腐るように、私も芯から腐ってしまうんじゃないだろうか。そこでは、日本舞踊でよく言う「間」がありますね、その「間」も腐っちゃう。「間腐れ」って言うんですよ。間腐れになっちゃう、ああ、これは大変だ。そこで押入れの中へとっとっとっとっと逃げてゆくとかね。これは外から見たらわからないでしょう。ところが私は必死にそういうことと格闘していたわけだ。」



土方巽全集Ⅱ 04



















































































































『土方巽全集Ⅰ』 (普及版 全二冊)

「ところがわたしを笑う人が居るのよ。えぇ。だからそれは死骸だって、ねえッ、それも家のなかでわたしのことを笑う奴なんかみんな死骸だってね、わたしそういってやったの。えぇ。なんていって、わたしなんか、なに、生れたときからね、ぶっこわれて生れて来てるんだからね。ええ。そんなことちゃんと判ってるよ。いわれなくったって判ってるんね。」
(土方巽 「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」 より)


『土方巽全集Ⅰ』 
[普及版]

編集委員: 種村季弘・鶴岡善久・元藤燁子

1998年1月21日 初版発行
2005年8月20日 普及版初版印刷
2005年8月30日 普及版初版発行
404p 口絵i  
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,800円+税
装画: 中西夏之
装丁: 渋川育由



函入りの土方巽全集を買おうとおもってうっかり忘れていたら値段の安い普及版が出ているのを神保町でみかけたので夢うつつのうちに一割引で購入しましたが、それももう十年前であります。まるで昨日買ってきたかのようによむであります。


土方巽全集Ⅰ 01


帯文:

「舞踏のすべてが
ここにある。

世紀を越えて今再びよみがえる舞踏の創始者=土方巽の全著作を網羅した全集、
待望の普及決定版第1巻。自伝的幻想譚の傑作「病める舞姫」のほか、
奇想に満ちあふれた評論集「美貌の青空」などを収録!」



帯背:

「今よみがえる
舞踏神の全貌」



土方巽全集


帯裏:

「くるりと去年のはなれ技
あちらこちらと生きのびて
何も喰わずに生きのびて
いまぱっくりと鯉の口
暗くてはっきりわからぬが
詳しくはっきりわからぬが
ぼけたサナギの一生を
誓願ここにささげたり
何千年、何万年の生き残り
眠りをしぼってこねあげて
そこに朝日もしのばせて
尿のにごりで鳥描いた
いま描いた鳥は染まるだけ
いまその鳥は染まるだけ

「病める舞姫」より」



土方巽全集Ⅰ 02


目次:

病める舞姫 (白水社 1983年3月10日)

美貌の青空 (筑摩書房 1987年1月21日)
 Ⅰ 
  犬の静脈に嫉妬することから
 Ⅱ 
  静かなヒト
  中の素材/素材
  暗黒舞踊
  刑務所へ
  他人の作品
  演劇のゲーム性
  アジアの空と舞踏体験
  猫の死骸よりも美しいものがある
  肉体に眺められた肉体学
  人を泣かせるようなからだの入れ換えが、私達の先祖から伝わっている。
  遊びのレトリック
  静かな家
  包まれている病芯
  匂いの抜けた花から
  甘えたがっていた
 Ⅲ 
  アルトーのスリッパ
  貧者の夏――西脇順三郎
  線が線に似てくるとき――瀧口修造
  言葉の輝く卵―吉岡実
  内蔵の人――三好豊一郎
  剛直な哀愁詩人――田村隆一
  闇の中の電流――澁澤龍彦
  結晶好きな赤子の顔――澁澤龍彦
  突っ立ってる人――加藤郁乎
  細江英公と私
  祝杯――池田満寿夫
  いろいろな顔がくるぶしの住処にかくれている――唐十郎
  彼女の髪の空洞――篠原佳尾
  原さんの影像展覧会――原栄三郎
  夢の果実――金井美恵子
  助けてもらった絵――田中岑
  生まれてくる人形――土井典
  均衡の一瞬
 Ⅳ
  鼻血――DANCE AVANT-GARDE
  広告――元藤燁子
  ブルース――藤井邦彦
  森田真弘の作品
  剥製の後頭部を持つ舞踏家に寄せる――笠井叡
  ムッシュウ・オイカワと私――及川広信
  天才論――石井満隆
  神聖な柳腰――笠井叡
  アスベスト館の妖精――芦川羊子
  片原饅頭をメサッと割った時――高井富子
  親愛なるシビレットC――大野一雄
  爪の孤独――大野慶人
  種無桃のマイム役者――ピエール・ビラン
  舞踏家の婚礼によせて――大野一雄
  天龍製機の足踏み脱穀機にまたがって――玉野黄市
  暗黒舞踏の登場感覚――芦川羊子
  北方舞踏派に七面鳥を贈る――ビショップ山田
  木乃伊の舞踏――室伏鴻
  同志の舞踏――中嶋夏
  異形の変容――白虎社
  世界一幸福な男――Butoh Festival '85 

慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる (書肆山田 1992年1月21日)

解題 (鶴岡善久)
『土方巽全集』 あとがき (種村季弘)



土方巽全集Ⅰ 03

「稽古場にて」 (撮影: 吉野章郎) 



◆本書より◆


「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」より:

「お前何処行くんだと。何処行くったってね、ま、町内会じゃあるめいしね、塀板によっかかるんじゃあないよ。ねえ。おいシャケ缶持って来い。なんていってね。いま折詰って、折詰なんか俺、最近食べません。子供の時よく食べましたよ。ねぇ。くしゃくしゃのハイライト? 何だって? そんなもの。(中略)そんなこといってあんた働かないの? 働かないの。ええ、働いたって働かなくったってねぇ、そんなものなんかねぇ、あるわけがないんだから。ないんだからね、絶対に。あるわけがないですよ。ないったら、ないんですよ。ええ、うん。綿(わた)だとか、くもの巣、なに云ってんだい。電球だい。そんなものないない。まァないもなぁないよ。ないったらないんだから。でも、こんな夜中にお前どこへ行ってきたんだいって、そんなものもないよ。みんななくなったんだよ。」

「だって夏じゃないか。夏が来て坐ってるんじゃないか、おれのそばで、ね。」












































































『土方巽舞踏大鑑 ― かさぶたとキャラメル』

「あと、衰弱してきたからじゃないかと言うけれども、私は五七歳で、五〇とれば七歳ですよ。精子が長い廊下を歩いていたという実感があって、これを稲垣足穂に話したら共鳴してくれたんですが、七歳のままストップしているというのはあるね、私の場合は。精子が七歳生き延びたんだから、もうそうとう長生きはしてるんですがね。」
(土方巽)


『土方巽舞踏大鑑
― かさぶたとキャラメル』

編集委員: 種村季弘・鶴岡善久・元藤燁子

悠思社 
1993年11月20日 初版第1刷
167p 
29.5×22.5cm 並装 カバー 
定価4,800円
アート・ディレクション: 勝井三雄
デザイン: 石橋昌子[勝井デザイン事務所]
編集: 宮澤壯佳
英文翻訳: 木幡和枝・Arturo Silva・Stanley N. Anderson



本書パンフレット「『土方巽舞踏大鑑』の刊行にあたって」より:

「1960年代に土方巽はさまざまなジャンルの芸術家を「暗黒舞踏」という「風ぐるま」に巻き込んだ。それはあたかも1910―1920年代のロシアにおいてディアギレフがバクスト、ピカソ、マティス、マリー・ローランサン等を創造の「るつぼ」に巻き込んだあの「黄金時代」を思い起こさせる。
土方巽の舞踏は、創造行為の核心をつくものとして舞踊界のみならず多くの芸術家に強烈なインパクトをあたえた。それは「運動(ムーヴメント)」に縁遠い日本の芸術界で実現した、きわめて貴重な革新的な契機であった。そして土方巽の登場とその意味は、三島由紀夫、澁澤龍彦、瀧口修造、埴谷雄高、大岡信、加納光於ら多くの芸術家・評論家によって論証されながら、その後、海外においてもオクタビオ・パス、ジョン・ケイジ、スーザン・ソンタグらによって高く評価され「舞踏(Butoh)」の名を世界にひろめたばかりではない。若い世代に多大な影響をあたえたことで、その先駆的偉業がいま混迷の時代に改めて見直されていることに注目したい。
本書は日本が誇り得る土方巽の伝説的イメージを辿りながら、その展開・継承の道程を明らかにするとともに、舞台と日常を同じ磁場に変えた土方巽のさまざまな場面を紹介し、明日の芸術に向けて強烈な示唆を照射する。
また土方巽記念資料館アスベスト館の全面的な協力と種村季弘、鶴岡善久、元藤燁子を編集委員に迎えることによって本格的な「土方巽像」が鮮やかに浮彫りにされる。」



本書には、布装函入り、ブロンズ製「土方巽の足」を添付した定価650,000円の20部限定版もあるようです。


土方巽舞踏大鑑 01

表紙写真: 
「骨餓身峠死人葛」より、1970年。


土方巽舞踏大鑑 02

裏表紙写真: 
「土方巽の足」、鋳造: 吉江庄蔵 ブロンズ、1993年。


土方巽舞踏大鑑 03

扉題字: 永田耕衣。


土方巽舞踏大鑑 04


目次:

細江英公 「「鎌鼬の里」にて/土方巽と写真」

[土方巽語録] (鶴岡善久 編)
舞踏とは命がけで突っ立った死体である

種村季弘 「土方巽私観」
合田成男 「二つの座標――土方巽と大野一雄と舞踏の現在」
酒井忠康 「先駆者の翼の影」
元藤燁子 「暗黒舞踏の原点へ――土方巽と秋田のことなど」

[土方巽へのオマージュ]
三島由紀夫 「危機の舞踊」
埴谷雄高 「胎内瞑想について」
澁澤龍彦 「現代の不安を踊る」
瀧口修造 「私記・土方巽」
ドナルド・リチー 「土方巽」
吉岡実 「青い柱はどこにあるか?――土方巽の秘儀によせて」

[土方巽舞踏コレクション]
暗黒舞踏の「風ぐるま」に
詩人や画家を巻き込んで

[公演ポスター]
「禁色」から「燔犠大踏鑑」へ

土方巽年譜
土方巽主要文献 [執筆年表・参考文献]



土方巽舞踏大鑑 05



◆本書より◆


「土方巽語録」より:

「汚れたものほど美しいものを創るというのはね、あの、あらゆる、あの、民俗舞踊の中にね、眠ってあるんです、実際に。だから、言語、美術品、建築、王位継承、ね、宗教、そういうものが全部根こそぎ奪っても、やはり踊りの種だけはこぼしていってるね。ダッタン人でもね、それから、フン族でもね、それは種ですよ、種。こぎたない種がね、美しいものを創るんですよ。これは人間だけのことではないですよ。だからいつでも汚い種をまいているんです。」

「俺は流しにある柄杓をね、畑のなかへこっそり置いてきたことがあるぞと、ね。水屋ってのは陽が当たらないから、柄杓がかわいそうだと思ってね、外の景色を見せてやろうと庭へね、そうっと置いてきたことがある、畑の中に。そういう器物愛。それから自分の体の中の腕が自分のものでないように感じとる。ここにね、重要な秘密が隠されているんです。舞踏の根幹が秘められている。
 そうするとね、こういうことも考えますよ。なあに、俺は空っ箱だい。うん。すると隣近所からもね、俺も空っ箱だい、なんて奴が出てきてね、クスクスクスクス笑っていると。なかにはね、まるで骨壺みたいだね俺達、なんて言ってね。なんとなくそのコミュニケーションがでてくる。わたしはふいごになったり柳行李になって、内臓を一切合切表へ追っぱらっちゃってね、そして遊んでたことがあります。ついでにね、この、とまっている馬を見ると鋸でひきたくなってきたりね、それから川をね、切ってくるとか、こおらせればいいわけですからね、川を切って持って来いとか、そしてどんどんどんどんそういうふうに体が拡張されていくんですね。
 空だってそうですよ。あれだって一枚の皿だと思えば叩き割ることだってできるわけです。」



土方巽舞踏大鑑 08


土方巽舞踏大鑑 09


本書パンフレット「土方巽 バイオグラフィー」より:

「1928年3月9日秋田県に生まれ、1986年1月21日東京で没する。享年57歳。本名は元藤九日生(くにお)。世界的なブームを呼んでいる「舞踏」の創始者で、「暗黒舞踏」という新しい表現形式を確立した。
秋田工業学校を卒業後、増村克子(江口隆哉門下)についてドイツ流のノイエ・タンツを習い、24歳で上京、その後安藤三子舞踊研究所に入門、モダン・ダンサーとしてデビューした。そのころ、大野一雄の舞台に出会ったことと、赤貧のなかでジャン・ジュネの作品を耽読した経験は、青年土方巽に強い影響を与えた。
1959年に「禁色」を発表、題名を借用したことから三島由紀夫と知り合い、さらに澁澤龍彦、瀧口修造らとの交流が始まった。「あんま」「バラ色ダンス」など、60年代の作品は、男性舞踏手による倒錯的エロティシズムと、挑発的な暴力を感じさせる作風で、既成の舞踊概念にとらわれない新しい肉体表現の生成に努めた。
しかし、1968年の「肉体の叛乱」の舞台を境に大きく変化し、70年代は厳寒の風土が育む日本人の肉体に舞踏の基盤を見出し「燔犠大踏鑑」と冠した一連の作品を作った。「四季のための二十七晩」「静かな家」の公演は、特に「東北歌舞伎」とも呼ばれ、重心を低くとりガニまたで踊る独特の様式を完成させた。
1974年以降は演出・振付に専念し、自らは舞台に立つことはなかった。「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」など多くの名言を残し、社会の裏面史や日常の背後に埋もれた身振りや記憶を作舞することに「暗黒」の意味をこめた。
これまでの西洋舞踊の多くが、肉体を発展的にとらえ、力のダイナミズムで踊りを構成するのに対して、土方巽は解体され衰弱に向かう肉体の一生に美しさを見出した。これは画期的な視点というべきもので、文学、美術、哲学、演劇、音楽、など、他ジャンルの人びとにも衝撃を与えた。」



土方巽舞踏大鑑 07


土方巽舞踏大鑑 06























































































土方巽 『病める舞姫』

「寝たり起きたりの病弱な人が、家の中の暗いところでいつも唸っていた。畳にからだを魚のように放してやるような習慣は、この病弱な舞姫のレッスンから習い覚えたものと言えるだろう。」
(土方巽 『病める舞姫』 より)


土方巽 
『病める舞姫』


白水社 
1983年3月10日 第1刷発行
1986年11月10日 第2刷発行
232p 口絵i 
A5判 仮フランス装 貼函 
定価3,400円
装幀: 吉岡実



初出は雑誌「新劇」(白水社)1977年4月号~12月号。雑誌連載時には「原稿が出来るたびに、三好豊一郎に通読を求めて、最小限に手を入れて貰っていたそうだ」(吉岡実『土方巽頌』)。
「単行本として刊行されるに際しては、土方巽の要請によって、鶴岡善久が「新劇」の文章に手を入れた。土方巽からはすべてを任せるから不必要な部分はカットし、残す文章にも大幅に手を入れてほしいという指示があった」(『土方巽全集Ⅰ』鶴岡善久による解題)。

本書は白水Uブックス版も出ています。


土方巽 病める舞姫 01

函。


土方巽 病める舞姫 02

表紙。


土方巽 病める舞姫 03


内容:

病める舞姫
 一~十四

土方巽について (澁澤龍彦)



土方巽 病める舞姫 04



◆本書より◆


「子供は誰でも、都合よく機会を逃したいという期待に綿々たる恋慕をもち、それにそった息遣いで生きているものだ。」

「どこの家へ行ってもズタズタに引き裂かれた神様の一人や二人はいたし、どこの家の中にも魂の激情をもう抑えきれない人が坐っていて、あの懐かしい金切声を出して叫んでいた。腑抜けになる寸前のありったけの精密さを味わっているこれらの人々を、私は理解できるような気がして、眺めていたのだろう。」

「寝たり起きたりの病弱な人が、家の中の暗いところでいつも唸っていた。畳にからだを魚のように放してやるような習慣は、この病弱な舞姫のレッスンから習い覚えたものと言えるだろう。」

「魔力が足りないものにはかまっていられない。」

「じっと息をころしていると、溶ろけていく私のからだは、変に蘇えったような姿になって現われてくるのだった。私がわからなくなっても、わかってくれているようなものが、からだの内側から現われてくるのだった。私のからだの着換えが始まっていた。」

「身を持ち崩そうが、気が狂おうが、それに似合ったお日様も照っていて、人々は着物は着ているが裸になって歩いていたのだった。(中略)そんな表の景色を覗き見しながら、私は泥鰌の口をした侍のように喘いで、からだがなくなれば随分楽になるだろうと思い、水に濡れた檜の板の香に息をひそめていたりした。」

「姉とは、突然に家のなかからいなくなるものだ、と私は思っていた。黴のなかから幽霊を育ててきたような私のからだには、その黴(かび)に抱かれてミイラのように干涸らびて育ってきたようなところがある。」

「あんこ玉が喰いたい一念だったのか、私のからだのなかに慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくることもあった。」

「私は骸骨で生まれたのだ。だから途中から肉がつき、その肉がどんなに熟れていっても、そんな肉にひっついた考え事が満足なものに熟れていく筈がないではないか。」

「みんな行方不明になりたがっていた。」

「家のなかには誰もいなくなっていた。靴を逆さまにして振っていた無口な人もいつの間にか掻き消えていった。蚯蚓が沈んでいるだけだ。見慣れない透けた胃袋の形をつけて大股に歩いていった死体の人を見たような気がする。細長い胃袋の形をした死体がその細い胃を締めたりして、やや未練たらしく消えていくのも見たことがあるような気がする。この明かるい秋の空の下で一匹の蛔虫が天に昇っていった。家のなかでは大きな牡丹餅を喉のなかに沈めて、じっと坐っている人もいた。」

「この冬場に身籠った鳥のように、妖しい虹を眼に流している男が、まわりの人に嫌われながら現われてくることがあった。「まるで物事にかじりつくことをしない。何でも打ち明ければいいのに。」人に指をさされるようなそんなだめな男が現われてくるのだった。「あんな男に近づいていけば、お前もあのような片端者になってしまうぞ。あんなに心持ちが流れてしまえばひっ掴まえて揺さぶったってどうにもなるものではない。」その男が誰であったかは朧(おぼろ)であるが、ときどき家の者に手を握られて、相当強くその手を揺さぶられていることもあった。その男がそばに来ると、まるで陽当たりが悪くなったように邪険に指で突き返されていたように思う。だがいま私はその男に不用意に近づきたいと思っているのだ。むやみやたらに襲いかかることでなしに仲よくなりたい。」

「「私はなにも悪いことはしなかった。」寝呆け狂った鴉のように、急に黒マントの女がそう言って、遠くから届いた包み物に耳をあてて聞き入るような形になった。そうしてなかば歌うような口調で、へんてこりんなことを口にしていた。「雨が墨の字書くことを私に教えたって、誰に咎められる筋合いがあるものか。それに私は、涼しいお月様を飲んだことがあるもの。」そう言って、いきなりいきり立ったように「私は濁った鳥じゃないからな。」と言った。」

「黒マントと白マントの仲は、はたの想像以上に仲よくなって、お互いの眼の玉もいらなくなった。うれしくなってついついからだを置き忘れた黒マントに、白マントは、ちょっと病気のふりをしなければそこに植わっている柳がかわいそうだよ、と話しかけたりするのだった。」

「白マントの女は、顎をはずしたビッコの縄飛びをしはじめた。迷い子よけの匂いを嗅ぎにいっていたような鼻が戻ってきて、その縄飛びの顔にひっついた。すると顔の皺や、うっすらと生えた産毛が一緒によじれ、よじれて飛んでいる縄と一つのものになった。
そのおどりがあまりに見事だったので、黒マントの女が立ち上がって、「私、豚の鳴き声を出してみる。」と言ってきゅうっと叫びだしたので、白マントの女はひれを拡げて弱った鯉のようにゆらゆらっとよろめいた振りをしてみせた。それがあまりうまくいったので、黒マントの女はなんだか額のあたりがむず痒く、どうしたらいいかわからないまま、雪の上に四つん這いに這い出して、這い這い幽霊のようになった。犬の頭を下げてその場から逃げていった白マントが、惚れぼれとそんな黒マントを見ていたが、「身の上話や打ちあけ話など人にくれてやればいい。だってみんな自分のことだもの。だがね、暗い耳の穴を覗くようにさ、昏れかかるようで昏れかからない生半可でやるおどりも捨てたものではないがね。これぞという時にはな、あばら骨から崖が飛んでいってもいいという気持ちになって、やらにゃあ駄目なんだよ。」といたわって、「外見にはだまされるな。」と注意した。「こうしてしゃべっている間だって、まわりには薄い包丁が飛んでいるし、家の薄氷も逃げるように動いているんだからなあ。家のなかでだってあなたはそうやればいい。なあに、おたくのあの人、ありゃ古い葉っぱだよ。」」




こちらもご参照下さい:

郡司正勝 『童子考』






































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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