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生島遼一 『鏡花万華鏡』 (筑摩叢書)

「作者鏡花は頑固な人であると私は思っている。非常に妥協的でなく、芯が堅くて、絶対に譲歩しない。作品にもそういうところが見られる。」
(生島遼一 「異才鏡花」 より)


生島遼一 
『鏡花万華鏡』
 
筑摩叢書 365 


筑摩書房 
1992年6月30日 初版第1刷発行
252p 初出一覧2p 
四六判 並装 カバー
定価1,800円(本体1,748円)
カバー装画: 奥村厚一



本書解説(杉本秀太郎)より:

「かねて生島さんには、鏡花論だけを取りまとめて一冊にしたいご意向があり、目次もお作りになっていた。本書には、『蜃気楼』(岩波書店)『春夏秋冬』(冬樹社)『鴨涯日日』(岩波書店)『芍薬の歌』(同じく)『鴨涯雑記』(筑摩書房)の五冊の著書に散らばって収録されているもののほか、雑誌「ちくま」その他に掲載されたままのものを併合し、お書きになった限りの鏡花論すべてを収めた。」


本書はもったいない本舗さんで370円(送料込)でうられていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



生島遼一 鏡花万華鏡



カバー裏文:

「金沢に生れた鏡花は、母や町内の娘から草双紙の絵解きや口碑伝説を聞いて育ち、十歳で母を失った。その作品では、郷里の自然は他界に変容し、女性は超自然的な美の理想、深い中心に昇華している。鏡花は犬と雷をこわがり、怪異や幽霊の存在を信じていた。この世ならぬものは作中、不気味に、また清艶に、夢の中や逢魔が時、ときには日常の白昼に、幻覚のように現われる。鏡花はネルヴァルと同じく、シュールな作家なのだ。著者は特に晩年、鏡花を熟読し、その面白さを折にふれて書き伝えた。単行本未収録、遺稿を含む、そのすべてを収める。」


目次 (初出):

鏡花のこと 一 (『鏡花全集』 第十三巻月報、昭和49年11月、岩波書店)
鏡花のこと 二 (「ちくま」 昭和52年3月号)
「薄紅梅」 (同上、同年4月号)
人と作品 (同上、同年8月号)
母恋し夕山桜峰の松(鏡花) (同上、昭和53年7月号)
「夫人利生記」と「釈迦八相倭文庫」 (『春夏秋冬』 昭和54年5月、冬樹社)
鏡花耽読 (「図書」 昭和54年9月号)
鏡花余滴 (同上、昭和55年8月号)
芍薬の歌 (「海燕」 昭和57年9月号)
『番町夜講』――鏡花の短篇小説 (「文学」 昭和58年6月号)
鏡花と能楽 (同上、同年7月号)
冬夏有雪 (「新潮」 昭和59年6月号)
鏡花の河童 (「ちくま」 昭和60年9月号)
「白鷺」 (同上、昭和61年10月号)
「星女郎」 (同上、同年12月号)
「小春の狐」 (「文学」 昭和63年1月号)
鏡花とメリメ (「新潮」 同年3月号)
鏡花・万華鏡 (「ちくま」 同年4月号、5月号)
鏡花掌篇 (同上、昭和64年1月号)
鏡花と弁天さま (同上、同年2月号)
鏡花の「談話」 (同上、同年6月号)
   *
鏡花の本 一 (「ちくま」 昭和53年6月号)
鏡花の本 二 (「海燕」 昭和58年4月号)
阿修羅と美女 (「ちくま」 昭和59年12月号)
   *
鏡花雑談――一フランス文学者の見た鏡花 (「鏡花研究」(四) 昭和54年3月、石川近代文学館)
異才鏡花 (遺稿)

父と鏡花と (生島香苗)
晩年の生島さん――解説に代えて (杉本秀太郎)




◆本書より◆


「鏡花のこと 一」より:

「鏡花のことを考えるとき、一番はっきりと思うのは、明治以来、ずっと写実主義小説が主流であった日本で、ああいう幻想的・詩的な作品の世界をよくまもりとおしてきたその情熱としん(引用者注:「しん」に傍点)の強さのことだ。あんなに尊敬していた師の紅葉でも根は写実派の作家であると私は思うのである。フランスなどでは、もっぱら写実主義が主流だった十九世紀にも詩人的・幻想的作家が幾人かは存在した。ネルヴァルなどがそれを代表している。日本近代文学では、鏡花はほとんど孤立したユニークな存在だろう。
 鏡花は雷がきらい、犬がきらいだったそうだ。こうした子供っぽい恐れ(引用者注:「恐れ」に傍点)、これがこのひとの作品の基調となっている童心の詩と無縁でないような気がする。芸者とか大学教授とか芸人とかおとな(引用者注:「おとな」に傍点)を描いても、みんな子供っぽい感受性から見て書いている。古風な義理人情の支配する世界を書いたように思うのは、有名になった芝居からくる錯覚であって、鏡花の文学の本質はそういうものではないと、私は考えている。もっと非常識な童心の詩である。」



「鏡花のこと 二」より:

「前の感想にも記したが、鏡花の本質は《童心の詩》だと私は考えるし、描かれている芸者、おいらん、奥さま、令嬢、亡き母、みんな妖精のような存在である。現実の美人も幽霊の美人もたいして変らぬ。プルーストがギュスターヴ・モローの絵を批評しつつ、「古代神話の人物がわれわれの日常生活のまっただなかをごく自然な足どりで歩いている」と言ったことを思い出す。」


「人と作品」より:

「作家は、えらい作家は、決して事実そのものを書かない、というのが私の信条だ。材料にした事実や自己体験をどのように変形(引用者注:「変形」に傍点)したか、その mutasion, transmutation (1)のしかた(引用者注:「しかた」に傍点)、ここにこそ文学の根本的な問題がある、私には常にそう思われる。
 (1) 変質させること、後の方のフランス語は錬金術の用語である。」



「母恋し夕山桜峰の松」より:

「その作品内容を軽々に同一視するのでないが、同時代人に深く理解されず、むしろ現世紀現代に新しい理解が始まり、何か現代人の感覚につよく訴える――こういう点でフランス十九世紀の詩人ネルヴァルの宿命に似た感じもする。程度の深浅は別として、どちらにもドイツ・ロマンチーク文学の影響らしきものが見られる点でも。」
「主流たる写実派に対し、しばしば明治のロマン主義者と呼ばれ、そういうあいまい(引用者注:「あいまい」に傍点)な呼称の下に、軽く扱われてきた感がつよい。シュールレアリスムなどと新しい用語で処理することが最良とも思わないが、漠然とロマンチックと呼んでいるより、二十世紀に生まれた超現実派の芸術、この一派の詩人や画家と相通ずる感覚(引用者注:「感覚」に傍点)のようなものが鏡花には認められる。シュールレアリスト達は《明白な意識と夢、つまり意識下の現実を区別しない。われわれの精神は常にこの両側のあいだを動揺している》と主張した。鏡花のいわゆる《お化け》、幻想的物象は、多くこのような状況で現われる。人物の明白な意識のさなかで、きわめて自然に(引用者注:「自然に」に傍点)、顕現する。シュールレアリスム絵画で、写実的な風景の一角にぽっかりと非日常的な幻覚やオブジェが描かれているのと、よく似ている。」



「鏡花耽読」より:

「「日本橋」は新派当り狂言の一つだが、このいわば芝居臭い作品中に、私は芝居では俳優の好演技があってもぜったいに味わえぬ《詩》をみいだして感心している。
 さびれてしまった置屋の二階で、ひとり寝ている狂気したお孝が、舞扇を千鳥(引用者注:「千鳥」に傍点)のかたちに何度も天井に投げている様子が、下を通りかかった清葉の目にとまる――
 《仰向いて見上げた二階の、天井裏へ、飜然(ひらり)と飛ぶのは、一面、銀の舞扇……晃乎(きらり)と光ると、扇は沈んで影は消えた。……が、又飜(ひるがへ)つて颯(さつ)と揚羽。輝く胡蝶の翼一尺、閃く風に柳を誘つて、白い光も青澄むまで塵を払つた表二階。露地も温室のやうな春の中に、其処に一人月の如き美人や病む。》
 文章の技巧といえばそれまでだが、このような新鮮な《詩》が各処に光っていてこそ、笠原伸夫さんが説くように(2)、鏡花は風俗小説的な材料を書きながら《風俗を超える》のだ。私がよく推奨する「註文帳」でも同じである。情死しぞこねたおいらんの霊が雪の夜にさまよう因果ばなし、寄席で聞く人情噺を思わせるような主題――それがこの作者によって語られていくうちに、剃刀と鏡の二つの objets のうごきに変化して行って、如月十九日の雪の夜の冷たさと白さのうちに読者の脳裡に風俗を超えた(引用者注:「風俗を超えた」に傍点)超現実派芸術風の詩を作ってしまう、みごとなナレーション技術。
 推薦文のなかで、私はこの作家の《童心の詩》を強調した。鏡花の感受性の中心にはおとなになっても成熟をとげない少年的な感性がいつまでも残り、この弱味のようなものがかえって逆利用されて、彼の創作の源泉としていつまでも続いていたのだと思う。」
「(2) 笠原伸夫『泉鏡花(美とエロスの構造)』(風俗小説の枠)の章。笠原さんは風俗性を削ぎ落とす、という表現を用いている。」



「鏡花余滴」より:

「「霊象」という作品がある(中略)。落ちぶれた夫と合意で服毒心中を意図した人妻が、自分ひとり死におくれて獄におくられる。三年の刑期を終って、その妻たる人物美波子は刑務所から釈放されて出てくる。」
「美波子は望まれてこの町の豪商山名家に嫁いだ。山名家は没落し、彼女は一旦実家に引取られたが、夫の藤次は自分の隠れ住んでいる郊外山中の一軒家へ妻を誘い、二人でともに毒を入れた薄茶を思い出にのんで情死することを相談し、《美波は謹んで同意した》。
 さて、その夜の出来事を、一人の刑事が別件の捜査でこの山中にきていて、たまたま傍観する――という体裁で、語られていく。」
「なぜ、飲まなかったのか。(中略)美波子には夫を裏切る気持はこれっぱかしもなかった。ただ、その瞬間、つまり夫が先きに茶碗をとって飲んだ直後、入口のところに誰か人が立ったような気がした(引用者注:「気がした」に傍点)。そして、美波子はついフラフラと戸口に行き、誰もおらぬのを見て、座にもどる。藤次はすでに毒がまわって、死んでいた……美波子はそのまま死期を失してしまった。
 法廷での陳述をこのあたり少し引いてみよう。」
「裁判長に「心が変ったか」と追及され、彼女は、ここで思いがけぬ返答をする。
 (心変りがいたしましたのではございません。少し時が延ばしたかつたのでございます。)」
「(誰か門口に来ていらつしやるやうに存じましたものですから。)(主人(あるじ)は最(も)う其の時は飲みましたあとでございました。それに、今死なうと申します時に、たとひ何でございましても、他所(よそ)の男の方に、最う一度逢ふまで待つて欲しいとは、申憎うございました。)
 そのよそ(引用者注:「よそ」に傍点)の男とは? 美波はやや沈黙してから、(唯私の心だけ。……)とつよくことわりつつ、(其の……志乃さんでございます)と明言する。このあと、もし昔の恋人の志乃吉(中略)がそこにいて、「死を思いとまれ」といったら、どうしたかと裁判長に問われ、美波子ははっきり(思ひ留ります)と答えた。」
「志乃吉というのは、美波子の実家に出入りの者の息子で、その後東京へ出て画の修業をし、今度郷里の学校の教師としてもどってきた。少年のときから彼女を慕っていた。」
「たいへん興味をそそるのは、美波子の心の奥に秘めた一途の恋もそうだが、それ以上に、夫とともに毒をのむ約束をした、すでに実行直前の美波の心理の微妙なうごきの作者の書きかたである。明瞭のごとく、しかもあいまいで、女は常に明瞭な意識をもって行動しているようで、しかも戸口に行ったり、ひきかえしたり、そのあいだの心理のうごきにも常識でとらええない心の明暗がそのまま記述されていて、真実を感じさせるから。」
「こういう心理の明暗の書きかたは、明治ごろの小説としては、ずいぶん変っているのではあるまいか。
 私たちは、当然フランソワ・モーリアックの「テレーズ・デスケルー」を連想する。愛しておらぬ夫の常備薬に、これもはっきり自覚せず少しずつ砒素の投入量を多くして、結局、夫殺し未遂行為ということで裁かれる話だ。古い型の小説だと動機と行動がもっとはっきりし、心と行為がはっきりとつながっているのが常例だが、モーリアックの小説は心理の不明瞭な部分をそのままに残して書くことで、われわれに新しさを感じさせた。」
「「霊象」の終局のところは、これまたメールヘン的というか、変った趣向で、読者をおどろかせる。法廷の決定した罪名はとにかく、世間では《夫殺し》ということで、この不倫不埒(ふらち)な女性を出獄と同時にとらまえて、どこかの宗教団体のようなところへ収容し、教化善導しようというので、そういうたちの団体の人達が待ちかまえていた。
 と、時刻がきて美波子の姿が外にあらわれるとみるや、横合いからさっと出てきた大きな象に乗ったインド人風の服装をした人物(志乃吉)が、美波子を手ぎわよくさらって、象にのせ、そのまま町を去り、山の方に姿を消してしまうのである。」



「芍薬の歌」より:

「鏡花小説の現代ばなれした波瀾のこしらえを草双紙スタイルと見られる場合も多い。人間模様的葛藤も無視できないけれど、人間より《物》のうごきが中心となっていると見ていい佳作もある。よく知られた名作「註文帳」も遊廓の一角におこる人情話のようであって、真実は一丁の剃刀が人から人へ転々としてあんな波瀾を生んでいくではないか。これを古風とうけとるのも自由だが、objet 芸術的新鮮さをそこに感じることもできる。「芍薬の歌」も翡翠玉のうごきを軸にしたそういう作風の一つと私は見た。」


「『番町夜講』」より:

「マルセル・プルーストが「失われた時を求めて」の一節で、対話のかたちでだが、一流芸術家は(文士も)生涯かならず一つのテーマを追求するもので、種々の作品が多様に見えても、この根本的なテーマを発見することが大切だ、と言っている。たまたま吉田精一さんが鏡花についてほとんど同様のことを言っているのを最近読んで興味深く思い、同感した。」
「鏡花の有力な支持者だった久保田万太郎は「先生がお化けの出る小説を書かれないともっといいのですが」と言い、鏡花が不審な顔で「それではどんな作がいいのですか」とたずね、万太郎が「女客」「祝杯」「玄武朱雀」などを挙げたが、鏡花はスケッチ風の「女客」などがなぜそんなにいいのかわからぬ顔だったという逸話もよく知られている。
 私自身は万太郎さんに反対で、お化け(引用者注:「お化け」に傍点)の出る小説のほうが好きで、ここに鏡花の本質があるとさえ考えている一人だ。「予の態度」という談話のなかで「お化けは私の感情だ。私の感情の表現だ」と言っているのをそのままに私は信じている。この『番町夜講』のなかの一篇で(中略)「光籃(こうらん)」(大正十三年九月)というのがある。原名は「鰌(どぜう)すくひ」であった。安来節の一行が田舎で興行して成功をおさめ、打ち上げ日の夜、一行は舟で月見に出かける。その途中、小川で何かすくっている小娘を見かけ、てっきり鰌すくいの真似をしているのだと思い、きくと、答えは意外、「わたしは月の光をすくっています」という。座主は阿呆(引用者注:「阿呆」に傍点)だと思うが器量よしだから利用できると考えて一行に加えてつれて行く。舟に乗って出る途中で雨になって真暗になる。一行はあわてて陸に上ってみすぼらしい茶屋に入るがここも真暗。そのとき、さっきの娘が走って舟から笊(ざる)をとってきてそれを暗い壁に向けると、煌々と昼間のように明るくなった。そして娘は髪に挿していた(中略)斧の形をした簪(かんざし)を抜きとってその大きな光を四方八方に断ち切るしぐさをする。と、光の破片があたり一面に散りこぼれて、不思議な輝く世界を現出した。
 鏡花の多くの作品を一篇ずつ見るとき、私は、この月の光をすくう小娘の斧のかたちのかんざしでここあそこに切りきざまれた光の破片を見るような気がしてならない。」



「異才鏡花」より:

「《何でも信じたら信じきる人》という定評がある。(中略)超自然現象の存在を信じている。それを観音力と鬼神力の闘いと見る。

 度々言われるように、登場する男も女もどれも同じで、深い心理追求などとは縁が遠い。そのかわり、人物の生きている場所はこの現世だけでなく他界とも結ばれているので、不思議な生命と結びついていることが多い。単純に見えてそうでない。二重性。

 作者鏡花は頑固な人であると私は思っている。非常に妥協的でなく、芯が堅くて、絶対に譲歩しない。作品にもそういうところが見られる。」







◆感想◆


著者は1904年生まれのフランス文学者ですが、1970年代から本格的に鏡花をよみはじめて、最初は「それほど好かぬものや読んでいないもの、読んでも忘れたものがたくさんある。」「私はそんなに狂信的な礼讃者ではないらしい。」(「鏡花のこと 一」)という状態だったのが、全作品を耽読するようになり、日夏耿之介の「鏡花の場合、成功していない長篇や凡作駄作中にも、《河原の中の砂金のように光っているものがある……》。」という指摘(『明治浪曼文学史』)に共感するようになる(「鏡花・万華鏡」)、その過程が窺われて興味深いです。フランス文学者ゆえにネルヴァルやプルーストといったフランス作家と鏡花との資質的な共通性(あるいは鏡花が愛読したというメリメと鏡花との異質性)も論じられていて説得力があります。ただ残念なのは、著者のシュールレアリスム理解はやや皮相な気がするのと、鏡花は草双紙一本槍ではなく森田思軒らの翻訳物で外国文学にも親しんでいたであろうとしつつも、たとえばジュール・ヴェルヌのような通俗小説への目配りが欠けていることで、というのは、「外科室」の続編ともいうべき、「正義」(世間)と「恋路」(心)の二元論的対立と反社会的恋人たちの「妖怪」への生成変化を描いた短篇「霊象」で、なぜ唐突に象がでてくるのかというと、私見ではそれは『八十日間世界一周』でインド象に乗った主人公フィリアス・フォッグとパスパルトゥー青年がインド人の女の人をインドの「社会悪」であるサティー(寡婦殉死)から救う場面の「引用」だからです。












































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寺田透 『泉鏡花』

「筆者にはこの作品は隅々まで頽廃を宿しているように感ぜられる。冷く磨かれた頽廃と言った趣きで、頽廃でありながら崩れることがなく、落ちこんで行く不安さもない存在様態。」
(寺田透 『泉鏡花』 「伝奇三」 より)


寺田透 
『泉鏡花』
 


筑摩書房 
1991年11月25日 初版第1刷発行
224p 目次2p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,700円(本体3,592円)



鏡花論集。『鏡花小説・戯曲選』(岩波書店)の解説として書かれた文章が中心になっています。
「泉鏡花奥書き」は新字・旧かな(本文は新字・新かな)。


寺田透 泉鏡花


帯文:

「言葉の幻術。怪奇譚好み。ロマン主義。歌舞伎美学。友禅的色彩。新派のドル箱。反時代的骨法。しかし争われぬ時代性。
こういうことすべての根柢は何か。根無し草ではなかった鏡花の、帰属していた風土はどこなのか。」



帯背:

「怪異/伝奇」


帯裏:

「鏡花の、非現実的時間を作出す力は凄いものです。この世ならぬ世界に読者を拉し去るという段ではない。現実の時間が停止し、その暗黒の中に濃密な別種の時間が湧き出し、読者はいつの間にかその中に牽き込まれていることに気づくのです。――稀有の才能という他ありません。」


目次:

怪異一 龍潭譚・淸心庵・第二菎蒻本・高野聖・註文帳・女仙前記・きぬ〲川 (1981年6月)
怪異二 春晝・春晝後刻・陽炎座・炎さばき・草迷宮・沼夫人・朱日記・眉かくしの靈・第二菎蒻本 (1981年7月)
伝奇一 冠彌左衞門・亂菊・黑百合・再び龍潭譚 (1981年9月)
伝奇二 風流線・續風流線 (1981年10月)

鏡花から選ぶ (「文藝」 1981年12月)

戯曲 愛火・戀女房・夜叉ヶ池・海神別莊つけたり小説、錦帶記・飛劍幻なり・伯爵の釵 (1982年1月)
伝奇三 芍藥の歌・藥草取 (1982年2月)
伝奇四 榲桲に目鼻のつく話・貝の穴に河童の居る事・伯爵の釵・山海評判記・由縁の女 (1982年3月)

対話・鏡花と泡鳴、その前に小林秀雄 (「文學」 1983年6月)

『鏡花全集』再刊ときいて (1973年)
『鏡花小説・戯曲選』 (1981年)

泉鏡花奥書き




◆本書より◆


「怪異一」より:

「これに対して『高野聖』の二十三回に次のようにあるのは、この制作における鏡花の目の届く先が、風俗よりもっと遠いところにあったことを端的に示す。結末の「ちら〱と雪の降るなかを次第に高く坂道を上(のぼ)る聖の姿、恰も雲に駕して行くやう」だったという一句とともに。
 「むさゝびか知らぬがきツ〱といつて屋の棟へ、軈(やが)て凡(およ)そ小山ほどあらうと気取られるのが胸を圧(お)すほどに近(ちかづ)いて来て、牛が鳴いた、遠くの彼方(かなた)からひた〱と小刻(こきざみ)に駈けて来るのは、二本足に草鞋(わらぢ)を穿(は)いた獣(けもの)と思はれた、いやさま〲にむら〱と家(うち)のぐるりを取巻いたやうで、二十三十のものの鼻息、羽音、中には囁(さゝや)いて居るのがある。恰も何よ、それ畜生道の地獄の絵を、月夜に映したやうな怪しの姿が板戸一重、魑魅魍魎(ちみまうりやう)といふのであらうか、ざわ〱と木(こ)の葉が戦(そよ)ぐ気色だつた。
 息を凝すと、納戸で、
 (うむ、)といつて長く呼吸(いき)を引いて一声(ひとこゑ)、魘(うなさ)れたのは婦人(をんな)ぢや。」
 そうしてこのあと、この一軒家のあるじと言っていいか、女房と言っていいか、女が言う、「(今夜はお客様があるよ。)」は、すでに村松氏も全集の解題で言っている通り、九ツ谺の谷の女が男の子の抱き寐に夜の床で言った言葉の繰返しである。
 鏡花の空想には、このように同じ主題が繰返し用いられるねちっこさ、一貫性があり、これはもう非関東的なものというほかない。
 そういうものを例の十八番と冷笑するより、そこに宿業のようなものを感じて、物悲しくさえなるというのが僕の感じ方である。
 同じことは今その女の亭主となっている、医療のあやまちから、智能の発達がとまり、満足に口もきけない、わがからだを持ち扱っている男のような存在についても見られ、そういう存在が鏡花にとって運命的な素材だったらしいことが、これもすでにその名を挙げた『幻の繪馬』の物置きに住む異様な男に出会うと推察される。
 鏡花には、勇ましい青年士官に対する憧れと表裏をなすこのような存在が、自分でも普段は気づかぬ自分自身の本当の姿かも知れぬと疑われる瞬間があったのではないか、と僕には想像される。
 被差別民を作中にときどき取上げ、それに古い、あるいはあり来りの権威や秩序に対する反抗を托した鏡花の自意識の構造をそういうところに見ていいのではなかろうか。」

「世外のものからする通常社会への復讐が、この『註文帳』という作品の真の意味である。」



「怪異二」より:

「しかしこの物語の舞台でもあれば、作者の転地療養先だった湘南逗子の生活は、その自筆略伝によると次のようだった。
 「明治三十九年二月、祖母を喪ふ。年八十七。七月、ます〱健康を害ひ、静養のため、逗子、田越に借家。一夏の假すまひ、やがて四年越の長きに亘れり。殆ど、粥と、じやが薯を食するのみ。十一月、「春晝」新小説に出づ。うたゝねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき。雨は屋を漏り、梟軒に鳴き、風は欅の枝を折りて、楝(あふち)の杮葺(こけらふき)を貫き、破衾(やれぶすま)の天井を刺さむとす。蘆の穂は霜寒き枕に散り、さゝ蟹は、むれつゝ畳を走りぬ。「春晝後刻」を草せり。蝶か、夢か、殆ど恍惚の間にあり。李長吉は、其の頃嗜みよみたるもの。」
 この記述を信ずれば、『春晝』正続篇に行きわたる靉靆たる春光は属目のものではなく、想像裡に作り出されたものである。というのはこの年、七月以降の逗子しか鏡花は見ていなかった筈なのに、作品の季は春に属するからである。四年前の転地療養でも、逗子滞在は盛夏初秋の候のことであった。生活そのものも窮乏をきわめた茅屋暮しと形容するにふさわしいもののようにここには書かれており、その中でこれら二篇が作られたことを考えると、鏡花の現実に対する精神の強靭をいやでも思わせられる。
 右の自筆略歴に引かれた古今和歌六帖所掲の小野小町の歌は読者もすでに見た通り『春晝』そのものの主題旋律だが、その歌に語られている心的機能と心象への信頼、希求がこの時期の作者の生活と精神を支えていたと想像すべきである。」
「作者もまたその夢を信じ、現実生活よりもっと強力なものとなったその夢によって、一面の黄の菜の花が畑土をかくすように現実の生活の貧しさみじめさが覆われ、その上に輝やかしい別現実の織り成されることを願ったに違いない。
 あえて言えばそれがこの藝術家小説と言うべき作品の思想的意味の一つである。」

「瞬時という名の最短時間のあいだに、何が出現し消滅するか、もし全人類が同時に瞬いて目をつぶったら、そのとき世界に何が現れ、何をするか知れたものではないだろう。
 古屋敷の壁や唐紙の雨漏りのあとと見えるものも、何か生命あるものがそこにいるしるしであって、ひとが目をつぶった瞬間そこから出て来て、動き、また引っこむものがあるかも知れないのだ。
 幻覚が実在の知覚の一種でないとどうして言えるか。
 誰も存否について教えてくれないものは、実は存在すると考えるべきではないのか。
 自分のこうして考えているとき、どうして、自分の心の眼に見えているものが、手には触れなくても、非在だときめられるか。
 こういう自問自答の果てに待伏せる息づまるような恐怖と愉楽の恍惚の中で、鏡花は落想の花を咲かせた、のではなかろうか。」

「さて『朱日記』(中略)。――この怪異談は尋常である。そればかりか、どこか北陸らしい地方都市の小学校の職員室の叙述には啄木を思い出させるある懐しささえあると言えよう。
 不思議なのは火事を豫言して九歳の(中略)浪吉少年に火難除けの茱萸の実をくれた若い女が言ってきかせた言葉である。
 「(先生のお言(ことば)に嘘はありません。けれども私の言ふ事は真個(ほんとう)です……今度の火事も私の気で何(ど)うにも成る。――私があるものに身を任せれば、火は燃えません。其のものが、思(おもひ)の叶はない仇に、(中略)沢山の家も、人も、なくなるやうに面当てにしますんだから。(下略)
 女の操と云ふものは(下略)
 人にも家にも代へられない、と浪ちやん忘れないでおいでなさい。」
 操を守るという古めかしい言い方で、ここの鏡花は、反公衆道徳の赤旗を掲げたと言えるだろう。」



「鏡花から選ぶ」より:

「名作『春晝』(中略)を解説した中で、結局海にはまって死ぬ片恋の男が、死の思いにとりつかれるきっかけとなった、逗子の谷戸のやぐらを楽屋に借りたような宵闇の村芝居の舞台の上に思わずも見出したかれ自身のドッペルゲンガーは、ゲルマン系の幻想小説のどこかに縁の糸をたどって行けそうな気もするが、より確かな、いやもっとも確かなところでは、和泉式部が貴船に詣でて詠み、明神がそれに返しをつけたという、「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」が直接の推力だったと見るのが真を得ていよう。
 その推進がなければ、かたがた漱石の『草枕』の匂いもするあの作品は生れなかったのではないか。
 『春晝』の続篇『春晝後刻』(中略)に書きこまれている和歌「君とまたみるめおひせばよもの海の底の限りはかづきみてまし」も他でもなく和泉式部の作であり、ひとを思う魂がわが身から脱け出て、わが目に見えるものになり、それが自分の運命をきめて行くという思想(引用者注:「思想」に傍点)は、『春晝』正篇の物語中物語の主人公のそれであるとともに式部のものだからである。
 そしてここでは、捨て身の、すなわち死を賭けた恋するひととの巡合いに生の意味を見出す思想(引用者注:「思想」に傍点)が歌われている。」

「鏡花はその小説を書くために、新しく材料をしいれようなどとは恐らく一度もしなかったのではなかろうか。足で書くとか調べた小説とかは縁のない作家だったということで、記憶の底から甦って来る、深く自我に根づき培われたものだけがかれの素材たりえたのだ。」



「伝奇四」より:

「鏡花というひとは、これだけ解説を重ねて来るとよく分るが、元来全人格的成熟などからは縁遠いひとで、かれに老熟の訪れたところなど想像するだにお門違いという他なく、終始幼稚さを方々にのぞかせつづけた作家だと言わねばならない。(中略)最大の長篇『風流線』の結末を童話的としか言いようのない情景でつけたのも、その一つの現れである。」




こちらもご参照ください:

村松定孝 『あぢさゐ供養頌 ― わが泉鏡花』
鷲巣繁男 『クロノスの深み』























































































東郷克美 編 『日本文学研究資料新集 12 泉鏡花 ― 美と幻想』 

「この少年にももちろんそういう怨念が潜在意識的に取り憑いていたわけで、だからこの少年における鳥獣との感応は、橋の向う側のまともな(つもりの)人間どもから徹底的に疎外され痛めつけられた者の感性に裏打ちされていたのであった。
 このような例でも分かるように、鏡花の作品における木精棲む老木は、まともぶった人間から何らかの形で異界と見られている区域の、その境界に立っていた。」

(亀井秀雄 「鏡花における木精とわらべ唄」 より)


東郷克美 編 
『日本文学研究
資料新集 12 
泉鏡花
― 美と幻想』


有精堂 
1991年1月7日 初版発行
266p 
A5判 丸背紙装上製本 機械函
定価3,650円(本体3,544円)



本書「解説」より:

「今回はまだ著書にまとめられていない中堅若手の論文を中心に編んでみた。(中略)同時代評は明治期のもので、これまで文献目録等に採録されていないものや、研究史の上でふれられることの少なかったものから拾った。蔵書目録と「『鏡花全集』作品人名索引」は(中略)旧岩波版全集月報からとった。」


国文学者による論文と資料。二段組。「「南地心中」の成立過程」に図版1点、「泉鏡花と草双紙」に図版5点。


東郷克美 編 泉鏡花 美と幻想


目次:

鏡花文学の基本構造 (松村友視/「文学」 1987年3月号)
鏡花における木精とわらべ唄 (亀井秀雄/「文学」 1983年6月号)
泉鏡花・差別と禁忌の空間 (東郷克美/「日本文学」 1984年1月号/一部補訂)
死者の棲む山――鏡花のファミリー・ロマンス (脇明子/「文学」 1983年3、10月号)
   ◇
『冠彌左衛門』考――泉鏡花の出発 (秋山稔/「国語と国文学」 1983年4月号)
『予備兵』の素材など――観念小説への道 (弦巻克二/「光華女子大学研究紀要」第21集 1983年12月発行)
「鶯花径」論――鏡花世界における否定の作用 (種田和加子/「日本近代文学」第39集 1988年10月発行)
〈女仙〉の生まれる時 (山田有策/「文学」 1987年3月号)
『風流線』の構造――名詮自性を軸にして (越野格/「文学」 1983年6月号)
『草迷宮』論――鏡花的想像力の特質をめぐって (高桑法子/「日本文学」 1983年10月号)
泉鏡花『朱日記』論序説――〈城下を焼きに参るのぢや〉をめぐって (藤澤秀幸/「国語と国文学」 1988年6月号)
「南地心中」の成立過程――泉鏡花と大阪 (田中励儀/「日本近代文学」第35集 1986年10月発行/付記 '90・10・24)
「山海評判記」成立の背景――フォークロアの美学 (小林輝冶/「福井大学国語国文学」第21号 1979年2月発行)
鏡花と江戸芸文――講談を中心に (延広真治/「国文学」 1985年6月号/追記)
泉鏡花と草双紙――「釈迦八相倭文庫」を中心として (吉田昌志/「文学」 1987年3月号/再録にあたっての付記 平成2年9月9日)
泉鏡花と中国文学――その出典を中心に (須田千里/「国語国文」第55巻第11号 1986年11月発行/補記)
   ◇
〈資料 1〉 同時代評
 泉鏡花の『海城発電』 (八面楼主人/「国民之友」第280号 1896年1月発行)
 鏡花と眉山を論ず (緒方流水/「活文壇」第1、2号 1899年11、12月発行)
 鏡花に与ふ (XYY/「帝国文学」第6巻第7号 1900年7月発行)
 風葉と鏡花 (久保天随/『文学評論 塵中放言』〈鐘美堂刊〉 1901年10月発行)
 泉鏡花と怪談 (時文子/「文庫」第29巻第5号 1905年9月発行)
〈資料 2〉 目録・索引
 泉鏡花蔵書目録 (長谷川覺/『泉鏡花全集』第3巻「月報」第14号 1941年12月発行)
 鏡花先生の「草双紙」目録 (長谷川覺/『泉鏡花全集』第16巻「月報」第19号 1942年4月発行)
 『鏡花全集』作品人名索引 (長谷川覺/『泉鏡花全集』第28巻「月報」第28号 1942年11月発行/補訂)
   ◇
解説――鏡花研究の現在 (東郷克美)
参考文献 (東郷克美)
   ◇
執筆者一覧




◆本書より◆


「鏡花における木精とわらべ唄」(亀井秀雄)より:

「わらべ唄が木精(こだま)と喚び合い、その魔性へ人を誘い込む。時には子供に取り憑いたものの怪(引用者注: 「ものの怪」に傍点)そのものの呼び声であって、それが大人を追いつめたり、気を狂わせてしまう。」
「『蛇くひ』という作品に、「応」と呼ばれる奇怪な乞食の集団が出てくる。たぶん富山市の郊外に、郷屋敷田畝という土地があり、築山の傍に一本の榎の大樹が生えていた。」
「つまりこの「応」と呼ばれる者たちは、まるで榎の唸き声に応ずるごとく何処からともなく現われ、続々と市街へ繰り込んで食物を乞う。もしそれを拒む家があれば、袂から蛇をつかみ出して「引断(ひきちぎ)りては舌鼓(したうち)して咀嚼(そしやく)し、畳(たゝみ)とも言(い)はず、敷居(しきゐ)ともいはず、吐出(はきいだ)して」狼藉を働く。しかも不思議なのは、ある日その榎の下に集まって、一人が「お月様(つきさま)幾(いく)つ」と叫ぶや、ほかの者は一斉に「お十三七(じふさんなゝ)つ」と応えて、忽然と姿を消してしまうのである。」
「この「応」は多分、その生業を蔑視され疎外された人たちを木精的にイメージしたものであろう。(中略)ただし鏡花は、けっして「応」的な貧民の狼藉をただ恐れたわけではない。むしろ情念の深いところでは強烈な共感があり、だからこそみずから怖れざるをえなかった。」
「しかし、(中略)作中に使われたわらべ唄それ自体は少しも兇々しいものではなかった。「応」が姿を消す合図が「お月様(つきさま)幾(いく)つ」という無邪気な唄だったというあたりには、一種のおかし味さえある。その点から考えてみれば、この「応」の狼藉は十五夜の祭りにおける子供たちの行動を極端化したイメージだったと推定できる。というのは、その夜、それぞれの家で月にお供えした物は、子供たちが勝手に盗ることを許されているからである。」
「『草迷宮』の青年のモチーフは、『化鳥』に描かれたような母と子との濃密な共生感を回復することであった。そして、私がこの『化鳥』に注目するもう一つの理由は、その主人公の子供自身がある意味で木精だったことである。この子供と母親は、郊外の橋の袂の時雨榎(しぐれえのき)と呼ばれる榎の下の小屋に住んで、橋を渡る人から橋銭を取って暮らしている。そのこと自体が、すでに木精的な状況だった。というのは、その橋の、二人の小屋がある側は、日傭取りや大道芸人など、その日暮らしの貧民たちが住む「場末(ばすえ)の穢(きたな)い町(まち)」であって、だから橋の向う側の人々からみるならば、あまり足を踏み入れたくない区域の目印である榎に棲みついた母子だったからである。だが、それだけではない。
 この子供は雀や犬などの動物と交感できる感受性を持ち、「犬(いぬ)も猫(ねこ)も人間(にんげん)もおんなじだ」と信じているため、学校の先生が人間と動物の区別を教えることに、ことごとく反撥してしまう。人間中心の差別意識を受け容れることができないのである。一見これは幼児の未熟な心性のあらわれでしかないようにみえる。しかし、実際はむしろその反対で、「人(ひと)に踏(ふ)まれたり、蹴(け)られたり、後足(あとあし)で砂(すな)をかけられたり、苛(いぢ)められて責(さいな)まれて、煮湯(にえゆ)を飲(の)ませられて、砂(すな)を浴(あび)せられて、鞭(むち)うたれて、朝(あさ)から晩(ばん)まで泣通(なきとほ)しで、咽喉(のど)がかれて、血(ち)を吐(は)いて、消(き)えてしまひさうになつてゐる処(ところ)を、人(ひと)に高見(たかみ)で見物(けんぶつ)されて、おもしろがられて、笑(わら)はれて、慰(なぐさみ)にされて、嬉(うれ)しがられて、眼(め)が血走(ちばし)つて、髪(かみ)が動(うご)いて、唇(くちびる)が破(やぶ)れた処(ところ)で、口惜(くや)しい、口惜(くや)しい、口惜(くや)しい、口惜(くや)しい、畜生(ちくしやう)め、獣(けだもの)めと始終(しじう)さう思(おも)つて、五年(ねん)も八年(ねん)も経(た)たなければ、真個(ほんたう)に分(わか)ることではない」という、このすさまじい怨念を通して摑んだ人間の正体を教えられていたためであった。この粘っこく執拗な呪詛の言葉は、母親が語って聞かせた時の口調そのままであったはずで、むろんそれはかれら母子が橋の向う側から追われて来た事情にふれた言葉でなければならない。しかも、それと同時にこの言葉は、例えば「あゝ、奥様(おくさま)、私(わたくし)は獣(けだもの)になりたうございます。あいつら(見物人たち)、皆(みな)畜生(ちくしやう)で、この猿(さる)めが夥間(なかま)でござりませう」と訴えた猿廻しの爺さんのように、橋のこちら側に追い込まれてしまった人の誰れもが抱いている想いでもあった。いわば「応(おう)」と響き合う相手を持った情念の唸きだったわけである。
 この少年にももちろんそういう怨念が潜在意識的に取り憑いていたわけで、だからこの少年における鳥獣との感応は、橋の向う側のまともな(つもりの)人間どもから徹底的に疎外され痛めつけられた者の感性に裏打ちされていたのであった。
 このような例でも分かるように、鏡花の作品における木精棲む老木は、まともぶった人間から何らかの形で異界と見られている区域の、その境界に立っていた。」
「『龍潭譚』は、(中略)『高野聖』の原型という点でも注目すべき作品であるが、いわば橋の向う側に属する少年の体験という構成を取っていた。その主人公の少年は、「危(あぶ)ないぞ〱」という大人の制止を無視して、一人で丘へ遊びにゆく。(中略)ふと気がつくとこれまで来たこともない道へ踏み込んでいた。家への帰り道が分からず、途方にくれていたところ、「もういゝよ、もういゝよ」というわらべ唄めいた声が聞えてきた。「こはいとけなき我(わ)がなかまの隠(かく)れ遊(あそ)びといふものするあひ図(づ)なることを認(みと)め」て、ほっとして近づいてゆくと、知らぬ子供たちであった。「児(こ)どもが親達(おやたち)の家(いへ)富(と)みたるも好(よ)き衣(きぬ)着(き)たるはあらず、大抵(たいてい)跣足(はだし)なり。三味線(さみせん)弾(ひ)きて折(おり)々わが門(かど)に来(き)たるもの、溝川(みぞかは)に鰌(どじやう)を捕(とら)ふるもの、附木(つけぎ)、草履(ぞうり)など鬻(ひさ)ぎに来(く)るものだちは、皆(みな)この児(こ)どもが母(はゝ)なり、父(ちゝ)なり、祖母(そぼ)などなり。さるものとはともに遊(あそ)ぶな、とわが友(とも)は常(つね)に戒(いまし)めつ」。
 つまりわらべ唄の木霊に誘われて、大人たちの設けた境界を越えてしまったわけだが、この少年はそんなことにこだわらず一緒に遊ぶ。だが、かくれんぼ遊びの鬼となって、あちこちと捜すのだが、もう子供たちは誰れも何処にもいない。姿を消してしまったのである。「かすかに、『もう可(い)いよ、もう可(い)いよ』と呼(よ)ぶ声(こゑ)、谺(こだま)に響(ひゞ)けり。眼(め)をあくればあたり静(しづ)まり返(かへ)りて、たそがれの色(いろ)また一際(ひときわ)襲(おそ)ひ来(きた)れり。大(おほい)なる樹(き)のすく〱とならべるが朦朧(もうろう)としてうすぐらきなかに隠(かく)れむとす」。そうしてかれは、木精めいた美しい女から声をかけられ、稲荷の社(やしろ)の裏へ連れてゆかれ、そこにまた置き去りにされてしまった。
 かくれんぼ遊びをしているうちに、本当に神隠しに合ってしまう。これは全国どこにでもみられる怪異譚であるが、鏡花における神隠しはわらべ唄に誘われて世間の境界を越えてしまうことに始まり、一たん越えてしまえば、その子供自身も変わってしまうのである。「涙(なみだ)ぐみて彳(たゝず)む時(とき)、ふと見(み)る銀杏(いてふ)の木(き)のくらき夜(よる)の空(そら)に、大(おほい)なる円(まる)き影(かげ)して茂(しげ)れる下(した)に、女(をんな)の後姿(うしろすがた)ありてわが眼(まなこ)を遮(さへぎ)りたり」。たしかにそれは自分を探しに来た姉の姿だと思うのだが、あるいは自分を置き去りにした怪しい女かもしれない、と考えて怖しくて声をかけることもできない。そしてこちらを振り返った、その本当の姉のほうも、自分の顔を見るや「あれ!」と叫んで逃げ去ってしまう。自分までが木精化してしまったのであろう。
 結局かれは家へ帰ることができたのだが、叔父からは「つまゝれめ、何処をほツつく」と叱られ、これまでの友達からも「狐(きつね)つき」呼ばわりされて疎外される。この場合の「つまむ」とは、「魅(つま)む」のことであろう。つまり鏡花におけるわらべ唄は、その生業によって蔑視されてしまった人たちの声、またはそれに魅入られてしまった人の唄であり、その意味では『義血侠血』や『辰巳巷談』などの伝奇小説も、魔(エテ)に魅(つま)まれた青年の物語だったわけである。
 当時かれは、そのような人たちが「応」と喚び合って一斉に蜂起する幻想を抱いていたらしい。」
「だが、やがてその幻想は消え、木精的イメージの女は『三尺角』のお柳のように東京で衰え果てるか、もしそうでないならば、『高野聖』の女のように人跡稀な深山に追われ(樹木の世界に帰され)る。わらべ唄に惹かれる子供は声を失い、つまり窮民一揆的な叛秩序を祝祭する感性を消失し、畸型児化されてその女に庇護される位置しか与えられなくなってしまうのである。見方を変えるならば、それは鏡花自身が、『蛇くひ』のような幻想が同時代の読者に木霊的な反響をもたらすだろう確信を失って、その幻想性を自分一個の特異な感性として再把握せざるをえなかったということにほかならない。」





こちらもご参照ください:

「国文学 解釈と教材の研究」 特集: 泉鏡花 魔界の精神史
『新潮日本文学アルバム 22 泉鏡花』 編集・評伝: 野口武彦
谷沢永一/渡辺一考 編 『鏡花論集成』
村松定孝 『あぢさゐ供養頌 ― わが泉鏡花』
泉名月 『羽つき・手がら・鼓の緒』
種村季弘 『晴浴雨浴日記・辰口温泉篇 ― 泉鏡花「海の鳴る時」の宿』












































「国文学 解釈と教材の研究」 特集: 泉鏡花 魔界の精神史 (60年6月号)

「ところが鏡花はそれと同じ道をたどらなかった。女々しさに固執して、年上の女とか、少年が甘える甘い母親の幻想を深山幽谷に求めて、都市から逃げようと……。近代は今や未来に向かって、清国を打倒し、露助をたたきつぶさなくちゃならないときに、深山幽谷ばかり見ているような、そういう方向を辿っていたように見えるけれども、しかし想像力の源泉を枯渇させない方向はやはり鏡花のほうにあった。」
(山口昌男 「対談: 境界線上の文学――鏡花世界の原郷」 より)


「國文學 
解釈と教材の研究」 
特集: 泉鏡花 
魔界の精神史

60年6月号 第30巻7号

學燈社
昭和60年6月20日 発行
190p
22×15.2cm 並装 
定価790円
表紙: 新宮晋
扉: 三嶋典東



「国文学」鏡花特集号、1985年。



国文学 泉鏡花 魔界の精神史



目次:

特集: 泉鏡花――魔界の精神史
 対談 境界線上の文学――鏡花世界の原郷 (前田愛・山口昌男)
 Ⅰ *** 泉鏡花
  幻想の文法学 (野口武彦)
  鏡花、言語空間の呪術――文体と語りの構造 (山田有策)
  鏡花の劇空間 (郡司正勝)
 Ⅱ 新しい評価軸を求めて
  泉鏡花の記号的世界 (宇波彰)
  鏡花とプロテスタンティズム (若桑みどり)
  鏡花と妖怪――フォークロアの視点から (宮田登)
  鏡花と江戸芸文――講談を中心に (延広真治)
 鏡花本の装画 (村松定孝)
 Ⅲ 慶応義塾図書館所蔵 未発表資料翻刻・解題
  未発表資料: 泉鏡花自筆原稿『朝霧』 (檜谷昭彦)
 Ⅳ 作品の検証
  風流線――その閉じられたもの (越野格)
  歌行燈――深層への階梯 (松村友視)
  天守物語――幻想の渇き (種田和加子)
  山海評判記――井戸覗きが意味するもの (高桑法子)
 泉鏡花研究の現在――主要参考文献を紹介しながら (東郷克美)

連載
 『吾輩は猫である』と『漾虚集』と 2 『断片』から『猫』「一」へ (竹盛天雄)
 物語の系譜――八人の作家 第十九回 円地文子(Ⅶ) (中上健次)
名篇の新しい評釈
 花ぞ昔の香ににほひける 古今和歌集評釈 29 (小町谷照彦)
 人の心の花に馴れにし年月を 徒然草評釈 70 (久保田淳)
本のさんぽ 154
 二葉亭没後の翻訳本二冊 『血笑記』と『片恋 外六篇』 (紅野敏郎)
 民俗文学の道しるべ 21 フォークロア七十年(Ⅳ) (臼田甚五郎)
学界時評・上代 (西宮一民)
学界時評・近世 (高田衛)
海外文学事情 27 (由良君美 他)
ブックエンド 27 (栗坪良樹)
映画回廊 14 (川本三郎)
音楽回廊 18 (相倉久人)
演劇回廊 19 (大笹吉雄)
国語教育界展望 202 (大平浩哉)
回想・この一冊 171 坂口安吾著『堕落論』 (大河内昭爾)
書評
 稲岡耕二著『万葉集の作品と方法――口誦から記載へ』 (渡瀬昌忠)
 藤沢全著『日系文学の研究』 (剣持武彦)
学界教育界の動向




◆本書より◆


「対談 境界線上の文学――鏡花世界の原郷」(前田愛・山口昌男)より:

山口 神隠し的な要素というのは、(中略)江戸時代の知的な世界の底を流れた一種の(中略)桃源郷的な世界の問題があるということも言える。鏡花そのものの作品の中――たとえば「照葉狂言」の貢だって、一種の神隠しにあって帰ってきたような形で登場する。神隠し的なものは鏡花の小説の仕掛けとしてずいぶんあるんですよ。」
「境遇の変転というものを神隠しによってかなり説明できるというか、明治の変換期に対する想像力の論理は、神隠しという仕掛けによって生かされたという感じがあるんじゃないかと思うのですね。
前田 そこのところは鏡花は飛躍があるわけですね。たとえば鏡花は、初めて東京へ出てきて紅葉のところに弟子入りを許されるまでには、だいぶ東京じゅうをあちこち放浪するわけですね。それは「売色鴨南蛮」に書いているけれども、あの小説ではスラム街をうろうろしているんですね。」
「ところが、その過程がわからない間に、とつぜん立身出世の糸口をつかむでしょう。そこのところに非常に飛躍がある。
山口 だけどそこで得たものは、鏡花の作品の中にいろんな形ではめ込まれている感じでしょう。鏡花はあの時代の作家にしては珍しく遊民の世界に通じている。鏡花のものを読んでいると、添田啞蟬坊の「浅草放浪記」にちょっと通ずるところがあるでしょう。」
「なにかああいうふうな要素がすでに前提として鏡花の身についていたというところがある。鏡花の作品が持つ天空から地の底まで行くような広がりというのは、彼の体験がそうであるけれども、上京後のある時期、大塚の木賃宿みたいな所にくすぶっていたときの体験がかなり生かされているところがあるのですね。
前田 (中略)「貧民倶楽部」もまさにスラム街の話で、一方の極には鹿鳴館の世界がちゃんとある。あれは六六館ですか。
山口 六六館に焼討ちをかける。暴力による交流ですね。」

山口 まあ話は金沢に始まって、深山幽谷めぐりをしていたわけですけれども、もう一つの問題は都市小説として、江戸から明治を同じ位相のもとに鏡花が描いた作品がけっこう多いんじゃないかと思うのです。遊廓小説をはじめとしてね。「隅田の橋姫」だってそうですよね。だから鏡花はまったく新しい東京を贔屓してたかというと、たとえば、(中略)「森の紫陽花」というエッセーですね。
  千駄木の森の夏ぞ昼も暗き。此処の森敢て深しといふにはあらねど、おしまはし、周囲を樹林にて取巻きたれば、不動坂、団子坂、巣鴨などに縦横に通ずる蜘蛛手の路は、恰も黄昏に樹深き山路を辿るが如し。尤も小石川白山の上、追分のあたりより、一円の高台なれども、射る日の光薄ければ小雨のあとも路は乾かず。
というふうな形で、矢来町から茗荷谷付近までちょっと行くとすぐ暗がりになる所を描いている。それから「神楽坂七不思議」とか、「妖怪年代記」とか、「怪談女の輪」というふうな作品で、東京にもいくらでも異空間があるということを描きながら、しかし同時に「葛飾砂子」を見たら、本所深川というのが江戸と下総葛飾郡との移行期である、本来葛飾郡に属したというふうな、その時間、空間の狭間みたいなものをちゃんと捉えて作品にしている。
 たとえば「政談十二社」でも、新宿に近い十二社の中で茶屋の姥が語るのだけれども、小山という判事が散策している――散策小説が多いですね。旅も多いけど――。(中略)これも十二社の付近の持っている妖しげな雰囲気を感じ取っているところがありますね。いま唐十郎があそこでテント小屋をつくって芝居をやりたくなるような、そういうふうなところがある。
 そういう意味で、鏡花は東京というものを一方の核としては異界へ通じる道として探ると同時に、(中略)新風景ですよね。ビアホール、新橋、プラットホームというふうなものも捉えている。非常にモダンな感覚で都市を捉えるという方向も示している。
 風俗的にいえば、「青切符」という作品では、新宿から品川に向かう汽車の二等車に乗り込んできた海老茶色の袴をはいた女学生たちが高慢ちきに周りを見下してしゃべっている、その風俗を活写している。都市の持っている新妖怪みたいなものを描く。金沢みたいに自然はいいけど人間はだめだということじゃなくて、どういうわけか東京に対しては人間についても、江戸の伝法肌の娘とか、いなせな若者とかをどんどん登場させているでしょう。東京に対しては違和感というか、ストレンジャーとしての感覚を持つ。東京は広い社会だから、そこでは分化させることができる。士族の流れについては先ほど言った「貧民倶楽部」ですね。」
前田 鏡花が描いた東京といえば、ふつう連想されるのは「婦系図」や「日本橋」ですが、いま例に引かれた小さな作品をモンタージュして、鏡花の東京のイメージを再構成して行く作業は、たいへん大事だと思うのだけれど、まだ誰も手をつけていない。ただ、鏡花の場合、東京より金沢を舞台にえらんだ作品のほうが、町全体の構造をうまくとらえているのではないかと思います。
 鏡花は逗子と縁があって、「草迷宮」などの作品は逗子の生活と切り離せないわけですけれども、広い意味で言って東京の郊外ですね、そういう所で非常に明るい世界の中に暗い穴がぽっかりあくとか、それがまた他界への入り口であるとか、東京の近郊でそういう差異というものを非常によく見ていた、そのほうが僕は面白いな。」
「ただ基本的にトポスということで言えば、鏡花という人はそういう籠もった世界への執着が強かった人だったという感じは、今でも持ち続けてますね。
山口 角川の鑑賞日本現代文学では、野口武彦さんが前田さんの論文を引いて、「高野聖」の自我の切り落としみたいなものは母胎につながるのではないか、これは鏡花のほんとの核であるというね。そこを通らなければ鏡花の作品に対する視角は拡散する感じはあるかもしれない。鏡花を考える場合にこうした視点を落とすことはできないと思いますね。」



「鏡花とプロテスタンティズム」(若桑みどり)より:

「私はまた「外科室」の末尾の一句をきわめてプロテスタント的なものと受けとる(これは彼がプロテスタントであったとか、直接にその流れにあったことは何ら意味しない)。」
「この世では夫ある者を恋する、夫ある身で人を恋するは「罪」であろうが、死んでまことをつらぬく二人の愛を、「神」はよしとするであろう。プロテスタントにとって、神が何を罰し、何を許すかは、この世のロジックにはあてはまらない。
 「神よ、いと自らをいやしめる罪人(つみびと)と、心おごれる善人と、いずれが天に迎えらるるや?」と叫んだのは、魂の救済について思い悩み、宗教改革に心惹かれたミケランジェロであった。カソリックは、この世の掟にしたがえば天国に行くのであったが、プロテスタントは、ただ神を愛する心ふかく、信ずること熱きもののみが、救済されうるのである。その場合、心がまっすぐで、雑念なく、ひたむきなものが、たとえ人を殺すほどのこの世の罪を犯しても、なお、いっそう神に近いのである。「霊象」もまた、“富豪”の夫の命令で死のうとする女が、心に秘めた初恋の男に、“死ぬ前に一目会いたい”とふと思い、ためらった故に、心中から転じて“夫殺し”となり、両者共に滅亡にいたるという語りである。大富豪に嫁し、はじめから人生をあきらめていたこの女の、生涯を通じてのただ一つの、もっとも真実の叫びが、互いに愛をたしかめてもいない初恋の男に“もう一目会いたい”といういまわのきわの思いだったのである。だが、この一瞬のおくれ(引用者注: 「おくれ」に傍点)が、裁判官をしてかの女を殺人者と断ぜしめた原因であった。ここには、「この世の裁(さば)き」と「あの世の(真の)裁き」の対立が、言外に示されており、これがこの小説の主眼である。
 アーノルト・ハウザーが、“もっともプロテスタント的な小説”と呼んだトルストーイの、聖人に祈りを教えてもらう無知な老人(この場合、祈りを教えてもらおうとして老人は海の上を歩いてくる(引用者注: 「海の上を歩いてくる」に傍点)のである)や、ドストイエフスキーの娼婦ソーニャや、そして何よりも、アナトール・フランスの娼婦タイスのように、卑しく、この世でおとしめられ、傲慢から遠く、心にあわれみあり、苦しむものが、この世では滅びるが、あの世では、“救われる”のである。
 「祇園物語」のにせ僧は、芸妓のお岸に「おまえの骨は野ざらしにはならぬ。玉になる」と断言する。つまり、キリスト教的にいいかえれば、それは救済されるということである。」
「鏡花の場合、まごころをたて通すのは女である。男は「世間」なり「体制」なり、「職分」なりの「外部」に対して心をゆりうごかす。しかし、男の本心は二つに割れている。そして結局のところ、身をほろぼすのは女と同じである。だが、そのプロセスがまるでちがう。そこのところの二重の心理の対位法が鏡花の作品のライト・モティーフになっている。
 なぜ鏡花は、女に情をたて通させたのか。それは、女がもともと体制にくみこまれていず、権力のどのような段階にも入りこむことがない存在、全階級的にネイティヴなアウトローだからである。相対的に男は体制的であり、国家であり、権力であり、富である。鏡花の主人公は片手を「女」につかまれ片手を、出世とか権力とか富の形をした一方の「手」につかまれている。
 「滝の白糸」となった「義血侠血」も、主人公の男は、「検事」という体制側の人間としてあらわれ、女は卑しい芸人であり、殺人犯という罪人としてあらわれる。
 伊藤整はこれを「正義による愛情の破滅」ととらえているが、これはまさにおどろきである。これは私論のコンテクストでは「法律」にうち克つ「愛」の勝利としてうけとられねばならない。つまり、この男にとっては、死ぬことで最終的にこの世で得た一切のものを投げ出し、「女」と合体したからである。このことにかぎらず総じて私のおどろいたことは、評論家と呼ばれる人々の鏡花の読みちがえである。」

「吉田精一は、“「文学界」同人の多くは一たんは教会に籍を置き、霊の問題に思念をこらしたことがあって、宗教とは無縁ではなかった。”といい、“プロテスタンティズムは彼らに「個の尊厳」の信念を身につけさせた。”またそれは“立身出世を目標に、功利にあくせくする活動や人々を他人ごとに見、現世逃避的、隠遁的趣味を高しとする身分(リード)にも共感を感ぜしめ”、“中世的・東洋的なクイエティズムへの沈潜”と“唯美主義に傾斜せしめた”といっているが、私はこの表現はほとんどそのまま鏡花にあてはまると思う。
 もはや紙面がつきたが、終りにまた評論家のことばを引用しよう。
 それは伊藤整の件の評論の末語「泉鏡花という作家の小説は、その設定やその筋を確かめて読むべきでなく、歌舞伎や文楽のように、その場面の一つ一つを味い楽しむべきものと思う」である。私にいわせれば、まさしくこのような〈読み方〉が今日まで鏡花の真価を甚しくそこなってきたのである。これこそ新派的な鏡花の歪曲であり、絵草紙と江戸の中にむりやり鏡花をおしもどし、その中にこめられた痛烈にして哀切なる(哀切というのは、この時代とその後の時代の日本の社会を思えばそういわざるをえないからである)社会告発のメッセージをおおいかくしてしまったものなのである。」





こちらもご参照ください:

東郷克美 編 『日本文学研究資料新集 12 泉鏡花 ― 美と幻想』
『夜想 10 特集: 怪物・畸型』


















































































































村松定孝 『あぢさゐ供養頌 ― わが泉鏡花』

「ここには、あきらかに魔界にこそ、いや、俗世間界に訣別した存在にこそ、真心の宿りがあるという作者の人間解放の理念が打ち出されている。」
(村松定孝 『あぢさゐ供養頌』 より)


村松定孝 
『あぢさゐ供養頌
― わが泉鏡花』
 


新潮社 
昭和63年6月5日 発行
昭和63年7月15日 2刷
187p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,200円
装画: 百瀬寿


「昭和六十二年九月号「新潮」掲載に増補加筆。」



村松定孝 あじさゐ供養頌


帯文:

「鏡花との出会いに心をうたれ、その研究に生涯をかけた著者の、自らの道程を、鏡花の人と文学の軌跡に重ねて、怨念と魔界の美学の根源に迫る、畢生の評伝!」


目次:

序章 麹町下六番町訪問
第一章 『捐館記事』前後
第二章 初恋の茂への手紙
第三章 好敵手樋口一葉の死
第四章 青春の血と慵斎山房
第五章 寺木ドクトル昔語り
第六章 柳暗花明への招待
第七章 芥川龍之介を哭す
第八章 晩年の鏡花とその周辺
第九章 清方・雪岱との親交
第十章 怨念と魔界の美学
終章 紫陽花は母の香り




◆本書より◆


「序章 麹町下六番町訪問」より:

「書斎兼客間の八畳、紫檀の文机わきの桐の火鉢を前に、煙管(きせる)を、はたきながら、快くむかえられて、床の間を背に座布団をいただく。」
「「西洋の小説では誰のをおたしなみで?」
 「メリメが好きです」
 「これは、うれしい。こちらもプロスペル・メリメだ」
 ついと座を立つと、そそくさと小走りに、隣室へ。朝顔の花弁を散らした図柄の押入の引戸を開けると、なかは上下二段とも、ぎっしり書籍の山。その山積みから、目的の一冊をみつけるのに、さして手間どらなかった。
 取り出してこられたのは、まさしく明治のフランス文学者・石川剛の訳書『シャルル十一世の幻想』であった。
 ぱらぱらと頁を繰って、ラストの一節を小声で朗読された。
 「ねえ、この亡霊が眼前から消えうせたあとに、〈ただシャルルの上履(うわばき)に一点の血痕をとどめた〉なんてとこは、巧(うも)うがすな。なかなか、こうは書けませんや。こう、こなくっちゃあ……」」
「やがて、はやくも陽がかげり、手摺に面した障子に黄昏の色がみえ初めた頃、話題は、いつか江戸期の戯作の作風に及んで、――自分は西鶴のてんごう(引用者注: 「てんごう」に傍点)書きより、上田秋成の手口の妙味を愛する――と推賞されてから、『雨月物語』の一篇『青頭巾』を挙げられた。
 「ご存じでしょう。快庵禅師が青頭巾を杖で打ちすえる、あの仕上げは、とても並みの作者の知恵や量見で、たちうちできるもんじゃない。
 ――そもさん、何の所為ぞ、と一喝して他(かれ)が頭を撃給へば、忽ち氷の朝日にあふがごとくきえうせて、かの青頭巾と骨のみぞ草葉にとどまりける。かの青頭巾と骨のみぞ草葉にとどまりける」
 その末尾の一節を繰り返し、感嘆久しくされた。
 やがて、『雨月物語』から、さらに転じて、井原西鶴の『好色二代男』巻二の『百物語に恨が出る』というコントの批評に入った。
 それは、こんな筋である。
 ある夜、ひまな遊女たちが集って、百物語を始めたが、話がすんでも物の怪(け)が出てこない。そこで、今夜は、めいめいが客を騙したときのことを語り合い、我と我心の鬼の物すごさに身をふるわせていると、にわかに屏風や襖が鳴動し、四方の隅から青雲が湧き、遊興の果てに落ちぶれ見るかげもなくなった男達の幻(まぼろし)があらわれた。皆、生きた心地もなく、ふるえおののくうち、ひとりの物賢い遊女が、「各々揚屋の算用(揚げ代)の残りは」と声高に叫ぶと、うつつにも借銭ほど好かぬものはないとみえ、さすがの亡霊もぱっと消え失せたというのである。
 「ねえ、そんなことくらいで消える幽霊なんて、何処にいるものですか。西鶴には幽霊は解らない。だから計算ずくで幽霊をあつかったりするんです。うつくしく読ませようという気配りがありませんな。尤も、ちかごろのもの(引用者注: 「もの」に傍点)書きにも、ひどいのが居ますがね。こないだ誰かの小説を読んでたら、――たちはだかって――なんて言葉を平気で遣っている。しかも、それが女の描写です。はだかる(引用者注: 「はだかる」に傍点)といえば当然、その音律から裸を連想します。裾をまくったり、着物を脱いだ女になってしまう。(中略)たやすいことをいう場合も、朝飯前という、ちゃんとした言い方があるのに、赤児の腕をねじるも同然と書く人がいますが、それではいたいけな子供がねじられて、ひいひい泣いてるようでよくありません。玉石混淆ならいいが、味噌も糞もでは聞くだけで、胸が悪くなりませんか。(中略)西鶴は、テンポの早い名人で、紅葉先生なども感心されてましたが、どうも親しめません。あんな幽霊を書くようじゃ、仕様ありませんよ」
 まさに、それは元禄の西鶴のリアリズムに対する明治の鏡花のロマンティシズムの激しい挑戦の一瞬であった。」



「第十章 怨念と魔界の美学」より:

「寺木氏(引用者注: 寺木定芳)の語ったところによると、芝の松本楼で、『金色夜叉』の連載を記念して、読売が紅葉の揮毫会の催しを明治三十三、四年頃、愛読者相手に開いたことがあったらしい。その頃は既に鏡花も有名になりかけていたが、鏡花は先生よりも早く会場へ出向いて、他の門下生らと大広間に緋毛氈(ひもうせん)を敷きつめたり、大きな硯の墨をすったり、色紙の用意をしたりしていた。会場には揮毫を求める客は、まだちらほらだったが、そこへひとり田舎じみた客の一人が近づいてきて、「尾崎先生がお見えになるまえに、泉先生にも何かお書きねがえんでしょうか」と、せがまれた。そういう機会は弱輩の鏡花には初めてのことで、とても色紙に文字を書く自信もなかったが、しきりに懇望されると、悪い気持では無く、自作の俳句かなんぞを、つい一枚書きかけた。そのとき、紅葉先生到着の報せで、他の弟子や読売の係の人たちは、さっと玄関口に出迎えに立って行ったが、鏡花はおり悪しく揮毫の最中だったので、書き上げてから立つつもりで、気をあせらせながらも、つい出迎えに加わらなかった。そこへ、いきなり、どかどかと紅葉が乗りこんできて、大喝一声、雷がおちた。「泉、きさま、そこでえらそうに何をしている。今日は誰の揮毫会だ。ひとの使う色紙を横どりして、きさまごときが出る幕か。巾着切の真似などしやがって」と、さんざんな剣幕に、鏡花に揮毫を頼んだ客も、おろおろするばかり。鏡花は言葉もなく、早々にその場を退散したのだという。
 よほど、その日は紅葉の虫の居所がわるかったのであろうが、ひとつには当時『辰巳巷談』が上演されたりしたことで、仲間の嫉妬から鏡花が近頃大家ぶってると紅葉に中傷する者がいたらしかった。また月評家の宮崎湖処子などは、「紅葉は想が枯れて、鏡花に代作させている」などとの噂を立てたりした。それに、宿痾の胃病もわざわいして、紅葉は相当いらだっていたのかもしれない。
 そんな次第で、その日は鏡花にとっては、さんざんな不首尾だった。紅葉のほうでは、その日のことなど、二、三日すれば、けろりと忘れていたかもしれないが、先生に巾着切呼ばわりされたのは、さすがに身にこたえたことだったろう。一般世間の常識では、若いときは、なにごとも辛抱して、先輩に従ってさえいれば、やがて芽のふくこともあるというのが哲理になっている。ところが文学の世界は日々の怨みつらみ、喜怒哀楽がそのまま創作の要素につながるわけで、いやなことをあっさり忘れたのでは筆勢がわくものではない。(中略)己の傷のふかさをみずから手をさし入れて量るような悲愴な念いこそ、小説家の持って生まれた宿命であり、芸の根源なのである。
 鏡花の場合は、それがひと一倍激しかったし、貧苦に耐えた時間も永かったから巾着切呼ばわりされたり、或いは売婦(ばいた)とできたと罵られれば、それだけ、苦界に身を沈めざるをえなかった相手の境涯と一体となって、世を呪わずにおくものかの情念が燃えさかったのであったろう。これが私小説的に、じかに出れば『婦系図』だが、その期を過ぎて、大正期になると、『夜叉ヶ池』『海神別荘』『天守物語』のような妖精の横行する幻想の世界へと作風に変化を見せ始める。」
「『海神別荘』の竜神の妻となる人身御供の美女も、『夜叉ヶ池』の白雪姫も、『天守物語』の富姫も、この世に怨みを残して死んだ女たちの化身に他ならない。『海神別荘』の美女の霊魂は竜神に輿入れして、真の愛に生き、『夜叉ヶ池』の白雪は、権勢と迫害の犠牲となって山ふかき池に身を沈め、その池の妖精たちの女王と化して、わが恋のため村里に洪水をもたらす。また『天守物語』の富姫は戦さにやぶれた国の上臈が落人となって逃れるとき、好色なる姫路城主に手籠めにされようとし、舌嚙みきって果てた怨みが精霊と化して、城の天守に棲みつき、人間界を嘲笑するという設定が暗示されている。
 このように、この世で生き完(おお)せなかった女たちの怨念を象徴し、魔界の存在化するところに鏡花の美学が成立したのだと私の思考は進んで行った。
 たとえば『夜叉ヶ池』の白雪姫は「恋には我身の生命も要らぬ。……義理や掟は人間の勝手づく、我と我が身をいましめの縄よ。……鬼、畜生、夜叉、悪鬼、毒蛇と言はるゝ私が身に、袖とて、褄とて、恋路を塞いで、遮る雲の一重もない!」と絶叫するし、『天守物語』の富姫は主君に命令で鷹をさがしに天守に昇ってきた若き鷹匠の図書之助に、「天守は私のものだよ。鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝風夕風の爽かな空があります。決して人間の持ちものではありません。諸侯なんどと云ふものが、思上つた行過ぎな、あの、鷹を、唯一人じめに自分のものと、つけ上りがして居ます。世間へなど、もうお帰りなさいますな。……私の生命を上げませう」と、魔界の虜にしてしまうのである。
 ここには、あきらかに魔界にこそ、いや、俗世間界に訣別した存在にこそ、真心の宿りがあるという作者の人間解放の理念が打ち出されている。実はこうした思考は大正期の妖精劇からにわかに始まるのではなく、既に明治三十年四月に「新著月刊」に寄せた『化鳥』に、そのいち早き兆しがうかがわれうると考えてもよいだろう。作中の母子は橋の袂に番小屋を建て、通行人から橋銭を取って細々と暮している。雨の日、外へ遊びにいけない幼児は窓の外を通る人を眺めているとそれが蕈(きのこ)や猪にしか見えない。反対に小鳥の鳴く声が話し声として、ちゃんと聞える。それを学校の先生に話しても理解して貰えない。そんなことから、周囲では番小屋の媽々(かか)もこの子も何うかしてると嘲るばかり。ある日、幼児は川へ落ち、溺れかけたのを誰かに救われる。母に聞くと、それは五色の翼の生えた美しい姉さんだと教えられ、その姉さんをさがしに山へ入って行く。いつか幼児は唇がさけて翼が生えて鳥になっている。その幻想からさめたとき、美しい姉さんは母さんだったのだと気づくというのが一篇の筋である。(中略)人間を獣あつかいにして、動物の心がわかる神通力。これを母子が修得した所以について幼児は次のような語りを読者につたえている。
  「こんないゝことを知つてるのは、母様(おつかさん)と私ばかりで、何うして、みいちやんだの、吉公だの、それから学校の女の先生なんぞに教へたつて分るものか。人に踏まれたり、蹴られたり、後足で砂をかけられたり、苛められて責(さいな)まれて、煮湯を飲ませられて、砂を浴せられて、鞭うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉がかれて、血を吐いて、消えてしまひさうになつてる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑はれて、慰にされて、嬉しがられて、眼が血走つて、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、畜生め、獣めと始終さう思つて、五年も八年も経たなければ、真個(ほんたう)に分ることではない、覚えられることではないんださうで、お亡(なくな)んなすつた、父様(おとつさん)とこの母様(おつかさん)とが聞いても身震がするやうな、さういふ酷いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷なめに逢つて、さうしてやうやうお分りになつたのを、すつかり、私に教へて下すつたので。(中略)其をば覚えて分つてから、何でも、鳥だの、獣だの、草だの、木だの、虫だの、蕈(きのこ)だのに人が見えるのだから、こんなおもしろい、結構なことはない。しかし、私にかういふいゝことを教へて下すつた母様(おつかさん)は、とさう思ふ時は鬱ぎました。これはちつともおもしろくなくつて悲しかつた、勿体ない、とさう思つた。」
 これは、どう考えても、単なる童話ではない。幼児の声を借りて、俗界への憤りを告発しているかにみえる。」
「要するに『化鳥』の母親の延長線上に、『夜叉ヶ池』の白雪姫も、『天守物語』の富姫も結実したという見方も成立する。」





こちらもご参照ください:

日夏耿之介 『鏡花文学』
「国文学 解釈と教材の研究」 特集: 泉鏡花 魔界の精神史










































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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