「國文學 解釈と教材の研究」 特集: 泉鏡花 魔界の精神史


「國文學 解釈と教材の研究」 
特集: 泉鏡花 魔界の精神史

60年6月号 第30巻7号

學燈社
昭和60年6月20日発行
190p
22×15.2cm 並装 
定価790円
表紙: 新宮晋
扉: 三嶋典東



泉鏡花 国文学 01


目次:

特集: 泉鏡花――魔界の精神史
 対談 境界線上の文学――鏡花世界の原郷 (前田愛・山口昌男)
 I *** 泉鏡花
  幻想の文法学 (野口武彦)
  鏡花、言語空間の呪術――文体と語りの構造 (山田有策)
  鏡花の劇空間 (郡司正勝)
 II 新しい評価軸を求めて
  泉鏡花の記号的世界 (宇波彰)
  鏡花とプロテスタンティズム (若桑みどり)
  鏡花と妖怪――フォークロアの視点から (宮田登)
  鏡花と江戸芸文――講談を中心に (延広真治)
 鏡花本の装画 (村松定孝)
 III 慶応義塾図書館所蔵 未発表資料翻刻・解題
  未発表資料: 泉鏡花自筆原稿『朝霧』 (檜谷昭彦)
 IV 作品の検証
  風流線――その閉じられたもの (越野格)
  歌行燈――深層への階梯 (松村友視)
  天守物語――幻想の渇き (種田和加子)
  山海評判記――井戸覗きが意味するもの (高桑法子)
 泉鏡花研究の現在――主要参考文献を紹介しながら (東郷克美)

連載
 『吾輩は猫である』と『漾虚集』と 2 『断片』から『猫』「一」へ (竹盛天雄)
 物語の系譜――八人の作家 第十九回 円地文子(VII) (中上健次)
名篇の新しい評釈
 花ぞ昔の香ににほひける 古今和歌集評釈 29 (小町谷照彦)
 人の心の花に馴れにし年月を 徒然草評釈 70 (久保田淳)
本のさんぽ 154
 二葉亭没後の翻訳本二冊 『血笑記』と『片恋 外六篇』 (紅野敏郎)
 民俗文学の道しるべ 21 フォークロア七十年(IV) (臼田甚五郎)
学界時評・上代 (西宮一民)
学界時評・近世 (高田衛)
海外文学事情 27 (由良君美 他)
ブックエンド 27 (栗坪良樹)
映画回廊 14 (川本三郎)
音楽回廊 18 (相倉久人)
演劇回廊 19 (大笹吉雄)
国語教育界展望 202 (大平浩哉)
回想・この一冊 171 坂口安吾著『堕落論』 (大河内昭爾)
書評
 稲岡耕二著『万葉集の作品と方法――口誦から記載へ』 (渡瀬昌忠)
 藤沢全著『日系文学の研究』 (剣持武彦)
学界教育界の動向



泉鏡花 国文学 02



◆本書より◆


「鏡花とプロテスタンティズム」(若桑みどり)より:

「私はまた「外科室」の末尾の一句をきわめてプロテスタント的なものと受けとる(これは彼がプロテスタントであったとか、直接にその流れにあったことは何ら意味しない)。」
「この世では夫ある者を恋する、夫ある身で人を恋するは「罪」であろうが、死んでまことをつらぬく二人の愛を、「神」はよしとするであろう。プロテスタントにとって、神が何を罰し、何を許すかは、この世のロジックにはあてはまらない。
 「神よ、いと自らをいやしめる罪人(つみびと)と、心おごれる善人と、いずれが天に迎えらるるや?」と叫んだのは、魂の救済について思い悩み、宗教改革に心惹かれたミケランジェロであった。カソリックは、この世の掟にしたがえば天国に行くのであったが、プロテスタントは、ただ神を愛する心ふかく、信ずること熱きもののみが、救済されうるのである。その場合、心がまっすぐで、雑念なく、ひたむきなものが、たとえ人を殺すほどのこの世の罪を犯しても、なお、いっそう神に近いのである。「霊象」もまた、“富豪”の夫の命令で死のうとする女が、心に秘めた初恋の男に、“死ぬ前に一目会いたい”とふと思い、ためらった故に、心中から転じて“夫殺し”となり、両者共に滅亡にいたるという語りである。大富豪に嫁し、はじめから人生をあきらめていたこの女の、生涯を通じてのただ一つの、もっとも真実の叫びが、互いに愛をたしかめてもいない初恋の男に“もう一目会いたい”といういまわのきわの思いだったのである。だが、この一瞬のおくれが、裁判官をしてかの女を殺人者と断ぜしめた原因であった。ここには、「この世の裁(さば)き」と「あの世の(真の)裁き」の対立が、言外に示されており、これがこの小説の主眼である。
 アーノルト・ハウザーが、“もっともプロテスタント的な小説”と呼んだトルストーイの、聖人に祈りを教えてもらう無知な老人(この場合、祈りを教えてもらおうとして老人は海の上を歩いてくるのである)や、ドストイエフスキーの娼婦ソーニャや、そして何よりも、アナトール・フランスの娼婦タイスのように、卑しく、この世でおとしめられ、傲慢から遠く、心にあわれみあり、苦しむものが、この世では滅びるが、あの世では、“救われる”のである。
 「祇園物語」のにせ僧は、芸妓のお岸に「おまえの骨は野ざらしにはならぬ。玉になる」と断言する。つまり、キリスト教的にいいかえれば、それは救済されるということである。」
「鏡花の場合、まごころをたて通すのは女である。男は「世間」なり「体制」なり、「職分」なりの「外部」に対して心をゆりうごかす。しかし、男の本心は二つに割れている。そして結局のところ、身をほろぼすのは女と同じである。だが、そのプロセスがまるでちがう。そこのところの二重の心理の対位法が鏡花の作品のライト・モティーフになっている。
 なぜ鏡花は、女に情をたて通させたのか。それは、女がもともと体制にくみこまれていず、権力のどのような段階にも入りこむことがない存在、全階級的にネイティヴなアウトローだからである。相対的に男は体制的であり、国家であり、権力であり、富である。鏡花の主人公は片手を「女」につかまれ片手を、出世とか権力とか富の形をした一方の「手」につかまれている。
 「滝の白糸」となった「義血侠血」も、主人公の男は、「検事」という体制側の人間としてあらわれ、女は卑しい芸人であり、殺人犯という罪人としてあらわれる。
 伊藤整はこれを「正義による愛情の破滅」ととらえているが、これはまさにおどろきである。これは私論のコンテクストでは「法律」にうち克つ「愛」の勝利としてうけとられねばならない。つまり、この男にとっては、死ぬことで最終的にこの世で得た一切のものを投げ出し、「女」と合体したからである。このことにかぎらず総じて私のおどろいたことは、評論家と呼ばれる人々の鏡花の読みちがえである。」

「吉田精一は、“「文学界」同人の多くは一たんは教会に籍を置き、霊の問題に思念をこらしたことがあって、宗教とは無縁ではなかった。”といい、“プロテスタンティズムは彼らに「個の尊厳」の信念を身につけさせた。”またそれは“立身出世を目標に、功利にあくせくする活動や人々を他人ごとに見、現世逃避的、隠遁的趣味を高しとする身分(リード)にも共感を感ぜしめ”、“中世的・東洋的なクイエティズムへの沈潜”と“唯美主義に傾斜せしめた”といっているが、私はこの表現はほとんどそのまま鏡花にあてはまると思う。
 もはや紙面がつきたが、終りにまた評論家のことばを引用しよう。
 それは伊藤整の件の評論の末語「泉鏡花という作家の小説は、その設定やその筋を確かめて読むべきでなく、歌舞伎や文楽のように、その場面の一つ一つを味い楽しむべきものと思う」である。私にいわせれば、まさしくこのような〈読み方〉が今日まで鏡花の真価を甚しくそこなってきたのである。これこそ新派的な鏡花の歪曲であり、絵草紙と江戸の中にむりやり鏡花をおしもどし、その中にこめられた痛烈にして哀切なる(哀切というのは、この時代とその後の時代の日本の社会を思えばそういわざるをえないからである)社会告発のメッセージをおおいかくしてしまったものなのである。」

























































































































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『鏡花論集成』 谷沢永一/渡辺一考 編

「日本の近代文学で、われわれを他界へ連れていってくれる文学というのはほかにない。文学ってそれにしか意味はないんじゃないですか。」
(三島由紀夫 「鏡花の魅力」 より)


『鏡花論集成』
谷沢永一/渡辺一考 編

立風書房 
昭和58年8月20日 第1刷発行
平成元年9月30日 第3刷発行
437p 口絵21p(うちカラー4p) 
四六判 丸背布装上製本 貼函 
定価5,800円(本体5,631円)
装画・題字型染: 松原邦秀 
装釘: 前川直



本書解題より:

「第一部は主に鏡花の人となりについて、第二部は主に作品論を、第三部は付録として昭和十五年三月に岩波書店より発行された「鏡花全集目録」を組み入れた。」
「収録作品の仮名遣いは原典を踏襲したが、たとえ初出が歴史的仮名遣いであっても、後日著者が新仮名遣いに訂正しているような場合は新仮名遣いを採った。(中略)一部の著者名を別に、漢字は(中略)新字体を用い、ルビは最少限必要と思われるものにのみ振った。」



鏡花論集成1


帯文:

「明治から現在までに書かれた鏡花の人となりと作品の魅力を伝える文章を集大成。他に谷沢永一氏書下ろしの「鏡花頌史」と鏡花本書影を収録。」


目次:

鏡花本書影 (口絵)
鏡花頌史 (谷沢永一)
 
第一部
鏡花礼讃(短歌二十三首) (吉井勇)
露寒の記 (久保田万太郎)
水色情緒 (長谷川時雨)
番町にも一人 (岡田八千代)
鏡花先生病み給ふ (成瀬正勝)
初めて鏡花先生に御目にかゝつた時 (小村雪岱)
文字と先生 (濱野英二)
泉君の手紙 (笹川臨風)
鏡花先生追慕片々 (佐藤春夫)
鏡花風土記抄 (神西清)
鏡花の一日 (寺木定芳)
泉鏡花 (小林勇)
泉鏡花の憶ひ出 (志賀直哉)
鏡花追憶 (徳田秋聲)
鏡花の人となり (登張竹風)
二人の作家 (里見弴)
泉鏡花 (長田幹彦)
「文壇昔ばなし」より (谷崎潤一郎)
鏡花と住まい (泉名月)

第二部
なにがし (上田敏)
化鳥 (田岡嶺雲)
鏡花の近業 (田岡嶺雲)
「牛門の二秀才 泉鏡花と小栗風葉」より (小島烏水)
「近作短評」より (夏目漱石)
劇となりたる鏡花氏の小説 (小山内薫)
泉鏡花の「風流線」 (登張竹風)
泉鏡花とロマンチク (斎等野の人)
泉鏡花氏の小説を論ず (生田長江)
「里の今昔」より (永井荷風)
「泉鏡花先生と里見弴さん」より (水上瀧太郎)
「鏡花全集」の記 (水上瀧太郎)
「鏡花全集」に就いて (芥川龍之介)
這箇鏡花観 (柳田國男)
泉鏡花氏の「櫛笥集」など (川端康成)
「現代作家の文章」より (川端康成)
鏡花礼讃 (辻潤)
鏡花氏寸描 (新居格)
「二三の作品に就いて」より (堀辰雄)
鏡花の死其他 (小林秀雄)
鏡花論 (成瀬正勝)
泉鏡花と近代怪異小説 (竹友藻風)
名人鏡花芸 (日夏耿之介)
鏡花の異神像 (勝本清一郎)
現代文豪名作全集 15 「泉鏡花集」解説 (村松定孝)
「日本の方法」より (伊藤整)
鏡花のロマンチシズム (中河與一)
湯島詣と葛飾砂子 (奥野信太郎)
「日本橋」解説 (佐藤春夫)
鏡花本の装釘 (鏑木清方)
「参宮日記」と「日本橋」のこと (小村雪岱)
「紙人形」より (柴田宵曲)
「煉瓦塔」より (柴田宵曲)
泉鏡花の「縁結び」 (森銑三)
「りんだうとなでしこ」の三葉子 (蒲生欣一郎)
藤村の凉子、鏡花のお夏 (増田五良)
鏡花本 (増田五良)
日本の文学 4 「尾崎紅葉・泉鏡花」 解説より (三島由紀夫)
鏡花の魅力(対談) (三島由紀夫・澁澤龍彦)
日本語の魔術師 (市原豊太)
「春昼」・「春昼後刻」について (島田謹二)
「薄紅梅」 (生島遼一)
懐しい鏡花 (福永武彦)
記憶の中の泉鏡花 (森茉莉)
五層の天守閣 (澁澤龍彦)
鏡花再演 (種村季弘)
鏡花における超自然 (由良君美)
離人症について (吉村博任)

〈付録〉 岩波書店版 「鏡花全集」 目録より
紹介 (水上瀧太郎)
刊行の辞 (佐藤春夫)
文章 (志賀直哉)
一つの奇峯 (室生犀星)
奇絶清絶 (笹川臨風)
泉さんの世界 (小宮豊隆)
先生の全集 (岡田八千代)
うまさ (小林秀雄)
幽寂境 (長谷川時雨)
天才泉鏡花 (徳田秋聲)

鏡花論集成解題 (渡辺一考)



※昭和63年の増刷時に「鏡花論集成解題」末尾に「第二刷付記」が追加されています。


鏡花論集成2



◆本書より◆


長田幹彦「泉鏡花」より:

「アメリカのナイアガラ市に住むフラウ・ロルフエスといふ夫人が日本へ訪ねてきたことがあつた。それはもう中年の、ドイツ系の人で、有名な銀行家の奥さんださうであつた。(中略)今度日本へやつてきた目的は、しかるべき日本作家の短篇を十二三篇選定してもらつて、それを英訳してあちらで出版したいといふのであつた。」

「「おい、長田君、レコは日本語は分らないんだらうね。そんならいふが、あんな女におれの「高野聖」がわかつてたまるもんか。翻訳なんて一切お断はりだ。お前のペラペラで、ひとつ深入りしないうちに、断つておくれよ。たのむよ。日本の泉は、西洋人なんかによませるために、小説はかいてゐねえんだから、しひて読みたきや、日本語勉強して、日本語でよんでもらひたいね。」」



三島由紀夫/澁澤龍彦「鏡花の魅力」より:

三島 僕は今度、この全集を編纂するんで「縷紅新草」を読み返してみて、本当に心をうたれた。あんな無意味な美しい透明な詩をこの世に残して死んでいった鏡花と、癌の日記を残して死んだ高見順さんと比べると、作家というもののなんたる違い! もう「縷紅新草」は神仙の作品だと感じてもいいくらいの傑作だと思う。どんなリアリズムも、どんな心理主義も完全に足下に踏みにじっている。言葉だけが浮遊して、その言葉が空中楼閣を作っているんだけれども、その空中楼閣が完全に透明で、すばらしい作品、天使的作品! 作家というものはああいうところへいきたいもんだね。江戸文学なんかのドロドロしたものから出発しているんだけどね。
澁澤 随分気持悪いのもありますからね。
三島 それでいて、妙に新しい。サイケデリックみたいでしょう。」

三島 澁澤さん、鏡花の芝居は嫌いですか。「天守物語」なんか。
澁澤 あれは最高傑作ですね。
三島 一度新派かどこかでやりたいと思っている芝居が一つあるんです。不思議な芝居で、ある奥さんが、亭主が嫌いになって逃げて行くんです。その奥さんは自分の若い時の恋人と会いたいんですよ。そこにだけ自分の生涯の幸福があると思っている。そして田舎へ逃げて行くと、たまたま彼女を追って、その恋人が追っかけてくるんです。そうしたらその話は幸福に終りそうなもんですが、田舎に変な汚ない爺さんがいて……。
澁澤 「山吹」ですね。あれはすばらしい。汚ない爺さんは、人形使いで彼女に鞭で打たれるんですね。
三島 すごい作品でしょう。彼女はその爺さんに愛着をおぼえて、別の世界へ連れていってくれそうな男はこれだと思う。過去の恋人は、ただの地上の恋愛にしか連れていってくれないけれどもね。(中略)今アングラなんかで、あれだけの芝居できませんよ。あの時代に書いたというのは、たいしたものです。
澁澤 あれなら簡単に上演できるでしょう。
三島 できると思います。鏡花は、あの当時の作家全般から比べると絵空事を書いているようでいて、なにか人間の真相を知っていた人だ、という気がしてしょうがない。」

三島 日本の近代文学で、われわれを他界へ連れていってくれる文学というのはほかにない。文学ってそれにしか意味はないんじゃないですか。」

三島 鏡花の人間主義というのは実にアイロニカルで、最終的にはお化けにしか人間主義がないことになっちゃうんだ。
澁澤 だから人間主義じゃないんですね。
三島 人間主義じゃないんだけれども、鏡花は人間主義に毒されているところがちょっとあるんだ。鏡花の欠点をあげつらえば、最終理念というか、どん詰まりで信じたものは、人間主義みたいなものに毒されていた。もうひとつ通り越していたら、もっと凄くなったろうと思うな。
澁澤 本当のお化けになっていただろうな。
三島 お化けが一番人間的というところで、相対性の世界に生きていた。だから転換すれば同じになっちゃう。
澁澤 純粋観念だとはいいながら、ポーなんかの世界とは全く違うでしょう。
三島 ポーはやっぱりネクロフィリー(屍姦症)の世界で、生きている人間を好きでないね。
澁澤 冷たいですね。鏡花はホフマンに近いですか。ホフマンもああいうようなスタイルですね。
三島 ホフマンに近いでしょうね。ロマンティケルというのは、どこか快活ですね。僕はあれが好きなんです。鏡花は快活な作家で、死ぬまで快活だったと思いますね。スプリーンというもの、世紀末的な憂欝というものは鏡花にはありそうでない。
澁澤 僕はたとえばノヴァーリスなんかもそういう点で好きですね。
三島 ブレンターノも、アイヒェンドルフなんかも快活ですね。それがロマンティケルの一つの要素だな。
澁澤 病気になっていても快活なんですね。肺病で快活だなんていいですね。」










































































『新潮日本文学アルバム 22 泉鏡花』 (編集・評伝: 野口武彦)

「現代、という人間の力を過信している時代のなかで、泉鏡花もまだまだ、少数派の変人なのだ。」
(津島佑子 「魔性の世界」 より)


『新潮日本文学アルバム 22 
泉鏡花』


新潮社 1985年10月20日印刷/同25日発行
111p 目次1p 折込口絵(カラー)1葉
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価980円
編集・評伝: 野口武彦
エッセイ: 津島佑子
編集協力: 日本近代文学館



本文アート紙。本文中図版(カラー/モノクロ)多数。


泉鏡花 新潮日本文学アルバム1


帯文:

「写真で実証する作家の劇的な生涯と作品創造の秘密!
新潮日本文学アルバム
母を亡くした10歳の鏡花の眼前に、「来よ」と胸くつろげた摩耶夫人(ぶにん)――釈迦如来生母の像。生涯を貫く夫人(ぶにん)憧憬のエロスがつむいだ美と幻想の恍惚、流麗な詩情の秘密。今日なお新鮮な永遠の浪漫派、鏡花66年の生涯」



目次:

評伝 (野口武彦)
 「水」のイソメリズム(明治6年・出生~明治23年)
 硯友社徒弟時代(明治24年~明治31年)
 「俺を棄てるか、婦を棄てるか」(明治32年~明治42年)
 麹町下六番町(明治43年~大正15年)
 エロスの原形質(昭和元年~昭和14年・死)

カラー・ページ
 金沢・生地浅野川界隈(父・清次彫金下絵、摩耶夫人像、他)
 原稿(初期小説・戯曲)、ノート
 『高野聖』・『春昼』・『眉かくしの霊』
 初版本・口絵
 金沢・作品世界(白山、夜叉ヶ池、能登海岸、他)
 書(色紙・短冊)、他
 生活・遺品I、II

エッセイ
 一枚の写真――魔性の世界 (津島佑子)

略年譜 (高桑法子)
主要参考文献 (高桑法子)
主要著作目録 (高桑法子)



泉鏡花 新潮日本文学アルバム2


口絵: 「『義血侠血』決定稿」


泉鏡花 新潮日本文学アルバム4



◆本書より◆


野口武彦による評伝より:

「もちろん、いくら自然主義文学全盛期だからといって、鏡花のそうした才質に注目する具眼の士がいないわけではなかった。たとえば『白鷺』(明治四十二年)のために(中略)朝日新聞の紙面を提供した夏目漱石。『三味線堀』(同四十三年)に「三田文学」のページを割いた永井荷風。鏡花はこの間ずっと、文壇の主流から外れて傍系に押しやられていた。しかしみごとに持ちこたえたのである。それが可能だったのは何よりもまず、鏡花が自分自身の才能以外の何ものも信じなかったからである。ほんものの才能は、それ自体のうちに一種特別な羅針盤を装置している。たとえ諸般の事情で周囲の視界が混濁するころがあるにもせよ、その装置は本能的に、指示すべき磁極の方角をあやまたないであろう。」

「吉村博任氏の論文『菖蒲(あやめ)幻想』(昭和五十五年)によれば、「鏡花は食物恐怖のために腐敗ほど恐いものはなかった。そのために『豆腐』はその肉(にくづき)をとって、『豆府』で通したことはすでに有名である」といわれる。これを神経症的といわないで、他にどんな呼び名があるだろうか。しかし不思議なことには、というよりむしろ健全なことには、そのためにかえって、鏡花は大正期の時代的シンドロームとしての「神経病」をいっさい共有しなかった。(中略)たとえば芥川龍之介をじりじり自殺にまで追いつめていったあの「漠然たる不安」という時代病とはついに無縁だったのである。」

「鏡花にとってオバケは、民俗伝承などというものではなかった。それはいつでも眼の前に出現し、あの世にわれをさしまねき、想像力を刺激してやまぬ現実の存在だったのである。」



津島佑子「魔性の世界」より:

「鏡花は妖怪、幽霊の類いを本当に信じていた、と聞いたことがある。それはそうだろう、と私も思う。ただ、妙な気がするのは、わざわざそのように言いたてるのは、よほどそれは特殊なこと、異常なこと、とみなしているからか、ということだ。(中略)しかし、どんな人でも(中略)なにかわけの分からぬものを、なんらかの形で信じているのではないか。」
「学校の生徒として私は、明治以降の小説とは秀れた知力の産物であり、秀れた知力とは、幻・迷信の類いを寄せつけず、冷静沈着に、科学の精神で、現実を見きわめるものである、と教わっていた。(中略)結果として、泉鏡花も、自分の感性で見事な小説を書き上げた岡本かの子にしても、日の当たらぬところに押しやられていた。泉鏡花や岡本かの子と出会うには、自分で探し当てなければならなかったのだ。」
「ところで大分、世は変わったが、(中略)小説家はインテリ、インテリは現実客観主義、という構図は今でも根強く残っているのではないだろうか。妖怪変化を本気で信じる「作家」なるものは、どこか矛盾していると、今でも受け取られている。現代、という人間の力を過信している時代のなかで、泉鏡花もまだまだ、少数派の変人なのだ。泉鏡花がもっと多くの人に、身近に読まれるような時代に変わっていけばいいのに、と思うが、これからどんな時代に変わっていくのやら、私には、さっぱり分からない。」



泉鏡花 新潮日本文学アルバム3


「兎の収集品で「御自慢拝見」(昭和7年5月29日「東京日日」)欄に出た鏡花。」





















































































泉鏡花 『鏡花全集 巻廿六』

「公子: 人間に其(それ)が分るか。
博士: 心ないものには知れますまい。詩人、畫家(ぐわか)が、しかし認めますでございませう。」

(泉鏡花 「海神別莊」 より)


泉鏡花 『鏡花全集 巻廿六』

岩波書店 昭和17年10月15日第1刷発行
/昭和50年12月2日第2刷発行
782p 目次2p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,600円
正字・正かな/本文総ルビ

月報26(16p):
「山海評判記」再讀(下)(福永武彦)/泉鏡花と原抱一庵(手塚昌行)/鏡花自筆原稿解析1(鈴木勇)/お千世の額(花柳章太郎、昭和17年8月『鏡花全集巻二十五』月報より再録)/鏡花小説校異考(二十五)(村松定孝)/編集室より/図版2点(「山海評判記」時事新報、小村雪岱画/昭和11年4月明治座の舞台稽古にて)



巻二十五、二十六は戯曲を収録しています。


目次:

紅玉 (大正2年7月)
海神別莊 (大正2年12月)
戀女房 (大正2年12月)
湯島の境内 (大正3年10月)
錦染瀧白糸 (大正5年2月)
日本橋 (大正6年5月)
天守物語 (大正6年9月)
山吹 (大正12年6月)
戰國茶漬 (大正15年1月)
多神教 (昭和2年3月)
お忍び (昭和11年1月)
かきぬき




◆本書より◆


「海神別莊」より:

「美女: だつて、貴方、人に知られないで活(い)きて居るのは、活きて居るのぢやないんですもの。
公子: (色はじめて鬱す)むゝ。
美女: (微醉の瞼花やかに)誰も知らない命は、生命(いのち)ではありません。此の寶玉(はうぎよく)も、此の指環(ゆびわ)も、人が見ないでは、些(ちつ)とも價値(ねうち)がないのです。
公子: それは不可(いか)ん。(卓子(テエブル)を輕く打つて立つ)貴女(あなた)は榮耀(ええう)が見せびらかしたいんだな。そりや不可(いか)ん。人は自己、自分で滿足をせねばならん。人に價値(ねうち)をつけさせて、其に從ふべきものぢやない。(近寄る)人は自分で活(い)きれば可(い)い、生命(いのち)を保てば可(い)い。然(しか)も愛するものとともに活(い)きれば、少しも不足はなからうと思ふ。寶玉とても其の通り、手箱に此を藏すれば、寶玉其(そ)のものだけの價値(かち)を保つ。人に與(あた)ふる時、十倍の光を放つ。唯、人に見せびらかす時、其の艷(つや)は黑く成り、其の質は醜く成る。」

「公子: (中略)こゝに來た、貴女は最(も)う人間ではない。
美女: えゝ。(驚く。)
公子: 蛇身(じやしん)に成つた、美しい蛇に成つたんだ。」
「公子: 一枚も鱗はない、無論何處も蛇には成らない。貴女は美しい女です。けれども、人間の眼(まなこ)だ。人の見る目だ。故郷に姿を顯(あらは)す時、貴女の父、貴女の友、貴女の村、浦、貴女の全國の、貴女を見る目は、誰も殘らず大蛇と見る。」



「山吹」より:

「夫人: (吻(ほつ)と息して)私、何(ど)うしたんでございませう、人間界にあるまじき、淺ましい事をお目に掛けて、私何(ど)うしたら可(い)いでせうねえ。」

「夫人: (中略)えゝ、こんなぢや。
 激しく跣足(はだし)に成り、片褄(かたづま)を引上ぐ、」
「夫人: 世間へ、よろしく。……然(さ)やうなら、……」












































泉鏡花 『鏡花全集 巻廿五』

「深沙大王、深沙大王。(中略)手並(てなみ)を見せずやツ!」
(泉鏡花 「深沙大王」 より)


泉鏡花 『鏡花全集 巻廿五』

岩波書店 昭和17年8月31日第1刷発行
/昭和50年11月4日第2刷発行
709p 目次1p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,400円
正字・正かな/本文総ルビ

月報25(16p):
「山海評判記」再讀(中)(福永武彦)/異郷の鏡花ゼミ(武田勝彦)/鏡花自筆原稿目録について(檜谷昭彦)/同時代の批評・紹介(長谷川天溪/佐藤春夫)/編集室より/図版2点(「愛火」表紙/「愛火」口絵、鰭崎英朋画)



巻一~二十四までが小説で、巻二十五、二十六は戯曲を収録しています。


目次:

深沙大王 (明治37年10月)
隅田の橋姫 (明治37年10月)
愛火 (明治39年12月)
沈鐘 (明治40年5月)
かきぬき (明治43年5月)
稽古扇 (大正元年9月)
夜叉ケ池 (大正2年3月)
鳥笛 (大正2年4月)
公孫樹下 (大正2年4月)




◆本書より◆


「深沙大王」より:

老母: (中略)が、日の暮れます時分まで、長居は遊ばさぬが宜(よ)うござりますでな。
小山田: 何故さ。
老母: えゝ、松林の奧に貴客(あなた)、深沙大王(しんじやだいわう)樣と申します、お社(やしろ)がござりまして、物凄い、恐しい、荒神(あらがみ)でおいでなさります。
小山田: 深沙大王、其の社が恐しいか。一體(いつたい)何の神を祭つたのかね。
老母: えゝ、蛇體(じやたい)、大(おほき)な蛇で、おいでなさると申しまする。」

「小山田: 深沙大王、深沙大王。深沙の社の兀佛(はげぼとけ)、手並(てなみ)を見せずやツ!
 と呼(よば)はると、宇宙に數百(すうひやく)の人聲(ひとごゑ)一齊(いつせい)に、
 「おう!!!」
 風の如く、水の如く、波の如く、物凄く陰に籠つて四方(あたり)にひゞく。
 トタンに傳助(でんすけ)、足を爪立て、衝(つ)と退(すさ)り、眼(まなこ)を据ゑて、
傳助: 水だ、洪水(みづ)だ。」



「夜叉ケ池」より:

「晃: こゝに傳説(でんせつ)がある。昔、人と水と戰つて、此の里の滅びようとした時、越(ゑつ)の大德(だいとく)泰澄(たいちよう)が行力(ぎやうりき)で、龍神を其の夜叉ケ池に封込んだ。龍神の言ふには、人の溺れ、地の沈むを救ふために、自由を奪はるゝは、是非に及ばん。其のかはりに鐘を鑄(い)て、麓に掛けて、晝夜(ちうや)に三度づゝ撞鳴らして、我を驚かし、其の約束を思出させよ。……我が性は自由を想ふ。自在を欲する。氣まゝを望む。ともすれば、誓(ちかひ)を忘れて、狹(せま)き池の水をして北陸七道に漲らさうとする。我が自由のためには、世の人畜の生命など、ものの數ともするのでない。が、約束は違えぬ、誓は破らん――但し其の約束、其の誓を忘れさせまい。思出させようとするために、鐘を撞く事を怠るな。」

「白雪: (中略)……姥(うば)、私は參(まゐ)るよ。(中略)私の行(ゆ)くのは劍ケ峰だよ。」
「姥: お忘れはなさりますまい。山ながら、川ながら、御前樣が、お座をお移しなさりますれば、幾萬、何千の生類の生命(いのち)を絶たねば成りませぬ。劍ケ峰千蛇(せんじや)ケ池の、あの御方樣とても同じ事、此(こゝ)へお運びとなりますと、白山溪(はくさんだに)は湖に成りますゆゑ、其のために彼方(かなた)からも御越(おこし)の儀は叶ひませぬ。」
「白雪: そんな、理窟を云つて……姥、お前は人間の味方かい。
姥: へゝ、(嘲笑(あざわら)ひ)尾のない猿ども、誰がかばひだていたしませう。……憎ければとて、淺ましければとて、氣障(きざ)なればとて、たとひ仇敵(かたき)なればと申して、約束はかへられませぬ、誓を破つては相(あひ)成りませぬ。
白雪: 誓盟(ちかひ)は、誰がしたえ。
姥: 御先祖代々、近くは、兩、親御樣まで、第一お前樣に御遺言ではございませぬか。
白雪: 知つて居ます。(とつんとひぞる。)
姥: もし、お前樣、其の淺ましい人間でさへ、約束を堅く守つて、五百年、七百年、盟約(ちかひ)を忘れぬではござりませぬか。盟約を忘れませねばこそ、朝六つ暮六つ丑滿(うしみ)つ、と三度の鐘を絶(たや)しませぬ。此の鐘の鳴りますうちは、村里を水の底には沈められぬのでござります。
白雪: えゝ、怨めしい……此の鐘さへなかつたら、」」

「晃: 望む處だ。……鐘を守るとも守るまいとも、勝手にしろと言はるゝから、俺には約束がある……義に依(よつ)て守つて居たんだ。鳴らすなと言ふに、誰がすき好んで鐘を撞くか。勿論、即時に此處を去る。」

「晃: 波だ。」
「白雪: 姥、嬉しいな。
一同: お姫樣。(と諸聲(もろごゑ)凄し。)
白雪: 人間は?
姥: 皆(みな)、魚(うを)に。早(は)や泳いで居ります。田螺(たにし)、鰌(どぢやう)も見えまする。
一同: (哄(どつ)と笑ふ)はゝゝゝはゝゝ。」


















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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