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中沢新一 『古代から来た未来人 折口信夫』 (ちくまプリマー新書)

「折口は神観念のおおもとにあるのは、共同体の「外」からやってきて、共同体になにか強烈(きょうれつ)に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない、と考えたのである。柳田国男が共同体に同質な一体感をもたらす霊を求めていたのにたいして、折口信夫は共同体に異質な体験を持ち込(こ)む精霊を、探し出そうとしていた。そこから折口の「まれびと」の思想は、生まれたのだった。」
(中沢新一 『古代から来た未来人 折口信夫』 より)


中沢新一 
『古代から来た未来人 
折口信夫』
 
ちくまプリマー新書 082 

筑摩書房
2008年5月10日 初版第1刷発行
143p
新書判 並装 カバー
定価700円+税
装幀: クラフト・エヴィング商會



本書「あとがき」より:

「この本のはじめから第四章までは、NHKで二〇〇六年に放映された『私のこだわり人物伝 折口信夫〉のためのテキスト用に書かれた文章をもとにしている。そのほかの部分は、第五章が中央公論新社『折口信夫全集 第二十巻』折り込み月報のために書かれた文章をもとにしているが、第六章はこの本のために新しく書き下ろした。」


本文中図版(モノクロ)22点、図・地図6点。


中沢新一 古代から来た未来人 折口信夫


カバー裏文:

「古代を実感することを通して、
日本人の心の奥底を開示した稀有な思想家折口信夫。
若い頃から彼の文章に惹かれてきた著者が、
その未来的な思想を鮮やかに描き出す。」



目次:

序文 奇跡のような学問

第一章 「古代人」の心を知る
 「いま」を生きられない人
 「古代」の広がりと深さ
 文字の奥を見通す眼
 姿を変化する「タマ」
 精霊ふゆる「ふゆ」
 文学も宗教も突き抜けた思考

第二章 「まれびと」の発見
 折口と柳田――「神」をめぐる視点
 「まれびと」論の原点
 「南洋」へのノスタルジー
 「あの世=生命の根源」への憬れ

第三章 芸能史という宝物庫
 芸能史を再構成した二人
 芸能者への奇妙な共感
 苛酷な旅からつかんだもの
 芸能とは「不穏」なものである
 不穏だからこそ「芸能」を愛す

〈コラム〉 大阪人折口信夫

第四章 未来で待つ人
 とびきりの新しさ
 死霊は踊る
 「あの世」への扉が開かれるとき
 高野山と二上山とを結ぶ線
 「日本」を超え「人類」を見る眼

第五章 大いなる転回
 キリスト教との対話
 未成立の宗教
 「神道の宗教化」という主題
 超宗教としての神道へ

第六章 心の未来のための設計図
 神道の新しい方向
 ムスビの神
 三位一体の構造
 折口のヴィジョン

あとがき

折口信夫 略年譜




◆本書より◆


第一章より:

「いつの時代にも、自分がほんとうに生きるべきなのは今の時代ではなく、今よりもずっと古い時代なのではないか、と考えつづける人たちがいる。今の人たちが考えたり語り合ったりしていることに対しては、どうしてかあまり共感をいだくことができないのに、ずっと昔の人たちの思考やことばのなかには、たいした予備知識もないのにすっと入り込んでいくことができ、(中略)しかも心が打ち震(ふる)えるほど深い共感をおぼえる、というタイプの人たちである。古い時代の記憶(きおく)が、遠く時間を隔(へだ)てた今の人の心に、間歇泉(かんけつせん)のようによみがえってくるのだ。」
「折口信夫は、自分にあたえられたこの性向を宿命と感じて、この不思議な心的メカニズムを、全人生をかけて一種の巨大(きょだい)な学問にまで成長させた。(中略)彼自身がひとりの「古代人」であったればこそ、奇跡のような学問がつくれたのである。」

「折口信夫は人間の思考能力を、「別化性能」と「類化性能」のふたつに分けて考えている。ものごとの違いを見抜く能力が「別化性能」であり、一見するとまるで違っているように見えるもののあいだに類似性や共通性を発見するのが「類化性能」であり、折口自身は自分は「類化性能」がとても発達していると語っていた。この言い方をとおして、彼は「古代人」の思考の特徴(とくちょう)をしめそうとしていた。近代人は「別化性能」を異常に発達させた。(中略)ところが、「古代人」たちの精神生活は、「類化性能」を存分に生かしながらかたちづくられていた。「類化性能」とは、いまの言い方をすれば「アナロジー」のことであり、詩のことばなどが活用する「比喩(ひゆ)」の能力が、それにあたる。ひとつのものごとを別のものと重ね合わすことによって、意味を発生させるやりかたである。この能力が発揮されると、音や形や意味やイメージのあいだにある「類似=どこか似ている」という感覚をもとにして、ふつうなら離(はな)れたところに分離(ぶんり)されてあるようなものごと同士が、ひとつに結びあわされて、新しいイメージをつくりだしていくようになる。」
「折口信夫の考える「古代人」はこのようなアナロジーの思考法を駆使して、神羅万象を「象徴の森」で覆(おお)いつくそうとしたのである。」

「同時代の西欧(せいおう)で進められていた先端的(せんたんてき)な人類学や宗教学や考古学の研究についても、折口信夫はとてもゆたかな知識を持っていたので、日本人が「タマ」と呼んでいた霊力が、ポリネシアの人たちが森に住む精霊のもつ力をあらわす「マナ」という霊力や、アメリカ先住民が真冬の祭りをとおして増殖(ぞうしょく)させることができると考えていた霊力などとも、同じ「古代人」の考えをしめすものであることに、早くから気がついていた。」

「冬の期間に「古代人」は、狭(せま)い室(むろ)のような場所にお籠(こ)もりをして、霊をふやすための儀礼をおこなっていた、だからその季節の名称(めいしょう)は「ふゆ」なのである。人々がお籠もりをしている場所に、さまざまなかたちをした精霊がつぎつぎに出現してくる。このとき、精霊は「鬼(おに)」のすがたをとることが多かった。その精霊のあらわれを、折口信夫は長野と愛知と静岡(しずおか)の県境地帯の村々で、「花祭」や「冬祭」「霜月祭」などの名称ではなやかに続けられていた祭りのなかに、はっきりと見いだしたのである。」



第二章より:

「折口は神観念のおおもとにあるのは、共同体の「外」からやってきて、共同体になにか強烈(きょうれつ)に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない、と考えたのである。柳田国男が共同体に同質な一体感をもたらす霊を求めていたのにたいして、折口信夫は共同体に異質な体験を持ち込(こ)む精霊を、探し出そうとしていた。そこから折口の「まれびと」の思想は、生まれたのだった。
 神についての折口のこういう考え方は、彼(かれ)が研究を展開したすべての領域のおとにおよんでいる。折口の考えでは、文学も宗教も、みんなが同質なことを考え体験しているような共同体の「内」からは、けっして生まれないのである。人の心が共同体の「外」からやってくる、どこか異質な体験に触(ふ)れたとき、はじめて文学や芸能や宗教が発生してくるというのである。」
「折口信夫が、人間の心の奥で働いている「類化性能」というものを、文学や宗教の発生を考える場合にとても重要なものだと考えていたことは、前章でお話ししたとおりである。」
「異質なものを重ね合わせると、新鮮(しんせん)なイメージが発生できる。」

「近年南九州で、きわめて初期の縄文土器がつぎつぎと発見されている。高度な新石器型文化をもった人々が、島づたいの航海をして、この列島にたどりついた。一万数千年前のことである。その頃は、いまのインドネシア海域の島々は、スンダランドという巨大(きょだい)な大陸の一部だった。その大陸は氷河期のあと、大部分が海中に没(ぼっ)してしまったが、そのスンダランドを中心として、南方世界に高度な新石器文化が栄えていた。その地域から、フィリピン諸島と台湾を伝って、いくつものグループが日本列島に渡ってきて、縄文文化の基礎(きそ)を築いたということが知られている。つまり、折口信夫の言う「古代人」は、南方の海洋世界を自分たちの「魂のふるさと」としているのだ。
 折口信夫の考えでは、このような民族的な集合記憶が、なんらかの手段をつうじて、現代のわたしたち日本人の「魂」のうちに貯蔵され、長い休眠(きゅうみん)期間に入っていたのだが、それがふとしたきっかけで、間歇泉(かんけつせん)のように、折口信夫という近代人の心にほとばしり出たのである。しかもそれは「妣が国」と呼ばれているように、母親の系統をつうじて伝えられる、一種の遺伝情報である。(中略)母親の系統は無意識の記憶のなかに貯蔵されて、文化よりもはるかに遠い時代までも、自分を伝えていくことができる。
 「妣が国」はその意味では、「失われた時」の別名でもある。折口信夫は「まれびと」の思想を着想しながら、この「失われた時」を必死で取り戻(もど)そうとしていたのではないか。」



「第三章」より:

「彼には少年時代から独特の「貴種流離(きしゅりゅうり)」の感覚が強かったという。いまの世ではすっかり落ちぶれてしまっているが、じつはその昔は貴い系譜(けいふ)につながっている人々が、地方を流浪(るろう)していくという物語などに語られた、奇妙な感覚である。後年折口信夫はそこで言われている「貴い」ということばを、古代の精霊と深い交わりをもっていた「古代人」の末裔(まつえい)たちの生き方考え方、という意味で理解しようとした。そして、自分自身もまた、いまの世ではすっかり落ちぶれた「古代人」の一人として、精霊との交わりを保ちながら、どことなく異邦人(いほうじん)のような感受性をもって、近代の日本で生きてやろうと考えていたのである。
 じっさい、芸人や職人たち自身が、自分たちのことを「貴種流離」的な存在だと見なそうとしていた。遠い昔は皇族や貴族の一員であった者が、政争に敗れたり病に冒(おか)されたりして、都を追われて遠い鄙(ひな)に流浪して、その地で芸能や技芸をもって生計を立て、その子孫がじつは自分たちなのである、という内容を書き記した文書を、多くの芸人や職人たちが所持していた。いまの世では零落(れいらく)しているが、本当は自分たちこそがもっとも神聖な領域に近いといころに生きている人なのであるという主張が、そこにはこめられている。」

「「この世」の現実とはまったく違う構造をした「あの世」の時空との間に、つかの間の通路を開いて、そこからなにものかが出現し、また去っていき、通路は再び閉ざされる。その瞬間(しゅんかん)の出来事を表現したものが「翁」である。「古代人」は自分たちが健やかに生きていけるためには、ときどきこのような通路が開かれ、そこを伝って霊力が「この世」に流れ込んでこなければならないと、考えていた。」
「芸人はそのような精霊を演じているわけだから、とうぜん一瞬開かれた通路から流れ込んでくる「あの世」からの息吹に、触れていることになる。「あの世」には恐(おそ)るべき力がみなぎっている。現実の世界ではかろうじて抑(おさ)えられていた力が、死によって解放されると、その力は「あの世」に戻(もど)っていく。だから、(中略)ニライカナイという「あの世」には、死者の霊が戻っていこうとするばかりではなく、未来に生まれてくるはずの未発の生命力が蓄(たくわ)えられている、という考えも生まれる。芸能者は、このように死と生命とに直(じか)に触れながら、ふたつの領域を行ったり来たりできる存在なのである。」
「だから、彼らはふつうの人たちとは違う、聖なる徴(しるし)を負っている人々として、共同体の「外」からやってくる、「まれびと」としての性質を持つことになったのだ。」

「世の中がしだいに合理化されていくと、芸能がよってたっているような「野生の思考」は、どんどん理解されなくなってくるだろう。芸能は生と死を一体のものとして考える「古代人」の思考そのままに生きようとしてきた。芸能者は、病気や死や血や腐敗(ふはい)の領域に触れながらそれを若々しい生命に転換する奇跡(きせき)をおこそうとする芸能というものに、われとわが身を捧(ささ)げてきた。
 芸能史を研究するとは、こういう人々の生き方と感性を、自分の身に引き受けようとする行為(こうい)にほかならない、と折口は感じていたのである。彼は近代の社会のなかで、自らすすんで没落(ぼつらく)していくものと同化しようとしていた、と言えるかも知れない。折口信夫が切り開いた芸能史という新しい学問には、このようにどこか不穏なものがはらまれている。」
「「ごろつき」や「無頼漢(ぶらいかん)」などということばにも、折口信夫は敏感(びんかん)な反応(はんのう)をしめしている。いまの社会では、とかく負のイメージを負わされている「ごろつき」たちに、彼は共感にみちた眼差(まなざ)しを注ぐのである。(中略)折口によれば彼らは古代的な「まれびと」の思考を生き続けていた、寺社の神人や童子と呼ばれる下級宗教者の末裔として、広い意味での「貴種」に属する人々なのだ。
 彼らはもともと共同体の生き方を好まない。共同体は人々の間に同質性を求める。それによって、共同体の内と外を見分け、微妙(びみょう)なやり方で異質なものを外に押し出してしまおうとしている。しかし、「まれびと」の思想は、そういう共同体に「外」から異質なものを結びつけ、共同体の人間だけでできた世界に、動物や植物や非人間的なものを導き入れようとしてきたのである。神人や童子のような宗教者は、人間と人間ならざるものとの境界を生きようとする人々として、自分自身が異質な力の集合体になってしまおうという、共同体から見たらまことに不穏な生き方を選ぶことが多かった。
 こういう人々は、精霊の息吹に直に触れているからこそ、「ごろつき」のような生き方、「無頼漢」としての生き方をすることになったのだ。」

「あらゆる芸能が、本質においてはみな怪物(かいぶつ)(モンスター)なのである。折口信夫は怪物としての芸能を誉(ほ)めたたえ、怪物だからこそ好きだと語り続けた。折口の学問の精神をよみがえらせることによって、わたしは日本の芸能をふたたび怪物として生まれ変わらせたいと、願っている。」





こちらもご参照ください:

中沢新一 『精霊の王』
『パラレル・ヴィジョン ― 20世紀美術とアウトサイダー・アート』






























































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「現代詩手帖」 臨時増刊 折口信夫・釋迢空

「迢空の芸術はヨーロッパの芸術論からみても正にロマン主義のすぐれた芸術であって、その美の要素としては「ぶきみさ」と「恐怖」と「奇異なるもの」と「グロテスク」とが重大なものであった。」
(西脇順三郎 「釈迢空」 より)


「現代詩手帖」 臨時増刊 
折口信夫・釋迢空

第16巻第6号 6月臨時増刊

思潮社 
1973年6月30日発行
389p 
22×14.8cm 並装 
定価850円
編集・発行人: 小田久郎
表紙・裏表紙絵: 折口信夫
表紙・目次構成: 田辺輝男
扉写真: 浜谷浩



本文中図版(モノクロ)多数。


折口信夫 現代詩手帖 01


折口信夫 現代詩手帖 02


裏表紙文:

「戦後のある期間、折口先生はよく絵筆をとっておられた。――絵が上手に描けたら、どんなにいいだろうか、とかいうような歎息をよく洩らしておられた。
その前後に描かれた絵で、どちらが表ともなく裏ともなく、薄手のボール紙の両面に、一面に「願人房主」(坊主を房主と表記するのが先生であった)、一面に「鷺娘」を、水彩絵の具で描かれたものだ。」
「「願人房主」は、わたし(池田)をモデルにしたと、からかって言われた。(中略)この一葉表裏に描かれた絵がわたしの手もとにあるのは、モデルなんだからと言って、先生の黙認を得て、持って来たのであった。
(池田弥三郎)」



折口信夫 現代詩手帖 03


目次:

●折口学研究
「信太妻の話」の成立 (池田彌三郎)
「砂けぶり」前後 (加藤守雄)
「月しろの旗」論 (岡野弘彦)
折口名彙というべきもの (西村亨)
「まれびと」のふるさと (井口樹生)
折口信夫・文学における根源力 (佐々木重治郎)
既存者 (奈良橋善司)

●情況としての折口学
折口信夫の南島観 (谷川健一)
二つの民俗学 (伊藤幹治)
鉄鐸メルヒェン (田中基)
うたの発生・一面 (藤井貞和)
呪性の美的構造 (笠原伸夫)
異同考 (鈴村和成)
折口信夫の原風景 (武田太郎)

●座談会 
「折口学」をめぐって (池田彌三郎・岡野弘彦・川村二郎)

●詩人・折口信夫
釋迢空 (西脇順三郎)
悲傷のミュステリオン (鷲巣繁男)
貴種流離をめぐって (高橋睦郎)
遥かなる神々の詞章 (太田代志朗)
「死者の書」について (川村二郎)
遠世の旅人・折口信夫覚書 (安水稔和)

●作品論
迢空歌との邂逅 (宮柊二)
折口信夫の美意識 (村上一郎)
「倭をぐな」論 (前登志夫)
遠東暁の書 (山中智恵子)
「海やまのあひだ」論 (高野公彦)
西から来た双面神(フタホガミ) (田井安曇)
短歌的発想の詩のゆくえ (岩田正)

●年譜・資料
釋迢空=折口信夫年譜抄 (長谷川政春)
釋迢空=折口信夫研究資料文献目録 (長谷川政春)



折口信夫 現代詩手帖 04



◆本書より◆


「「折口学」をめぐって」(池田彌三郎・岡野弘彦・川村二郎)より:

川村 古い方ではなんといっても鏡花だと思いますけども。(中略)散文というものの機能として、描写以外の働き、一つのイメージを喚起するといっても、エモーションを喚起するといってもいいけど、そういう喚起する働きっていうものを散文の機能のうちに取り込もうっていうことが最近の小説家に見られる。名前を挙げれば古井由吉君などがその方向でやっていると思うんで僕は注目しているんですけども、そういう系列っていうものを一つ考えて、その中で『死者の書』が非常に大きな成果だというふうな見方ができないかと思っているんですけどね。」

川村 なるほど。しかし円朝の『牡丹燈籠』は最後に底が割れてしまうでしょう、『死者の書』はないまぜになって最後はわからなくなってしまう……。
池田 それは白昼夢になっちゃうんだから。
川村 わからなくなっちゃうところが凄いと思うんだな。円朝はどこまでいったって通俗文学の域を越えないわけですね。」

川村 柳田、折口と考えると、ハンガリーの古代学者にケレーニイという人がいて、かなり偉い人ですけど、柳田、折口ほど偉くはないと思うんですが、今度『迷宮と神話』という翻訳が出てその中にヘルメスというギリシャの神様の研究があります。ヘルメスというのは通俗的には泥棒の神、商業の神ということになっていますけど、本来旅の神だというわけですね、一番古い形では道祖神、塞(さい)の神ということでしょうが、ヘルメスとそれからギリシャの最高の神ゼウス、ケレーニイはヘルメスとゼウスを対比させて、人間の生き方の根本的な対立がその対比に表われているというわけです。つまりどちらの神も旅をするんですけど、旅の仕方にも二通りあって、一方は生活全体が旅であるような存在のあり方、つまりどこにいても自分の存在というのが旅の途上だという形、もう一方は行った先ざきを自分の家にしちゃうというか、どこにいても自分のいる世界を生活の場というふうにする、その前者のあり方、すべての生活の一点一点が旅の途上にあるという存在のあり方を示す神がヘルメスで、その一点一点が常に旅先であっても恒常的な生活の場になる、その神がゼウスであるというふうにいっているんです。思いつきめきますが、これにひっかけると、どうも折口の方がヘルメス型で、柳田がゼウス型じゃないかという感じがするんですけどね。柳田の場合には生活っていうものの非常な厚み、広がり、大きさ、その動かないひろがりが感じられる。どっちが好きというと、常に旅の途上であるようなほうが結局僕は好きなんだな。つまり「まれびと」ですが、「まれびと」だからこそ普通の生活人に対して、普通の生活人のことがよくわかるし、助言もできるしっていうことじゃないんでしょうか。」



折口信夫 現代詩手帖 07

『死者の書』自筆原稿(ノート)表紙素描。


折口信夫 現代詩手帖 05

下北半島恐山 (武田太郎氏撮影)。


折口信夫 現代詩手帖 06

考案中の『古代感愛集』に素描された「国文学の発生」の挿画。











































『折口信夫全集 第三巻 古代研究(民俗學篇2)』 (中公文庫)

「今日傳はつてゐる解釋は、畢竟誰かゞ、いゝ加減な所で、合理的に解釋して出來たのではあるまいか、と思ふ。
とにかく、古い言葉を仔細に研究して見ると、今までの傳統の解釋は、殆ど唯、碁盤の上の捨て石の樣な見當定めの役の外、何にもなつてゐない事が多い。隨つて、そんなものを深く信じ、基準にして、昔の文章を解く事は出來ないと思ふ。」
「古典研究者の資料鑑別眼が、幾ら進んでも、心理的觀入の缺けた研究態度を以て、科學とする間は駄目だ、と思ふ。」

(折口信夫 「神道に現れた民族論理」 より)


『折口信夫全集 第三巻 
古代研究(民俗學篇2)』
 
編纂: 折口博士記念古代研究所
中公文庫 Z1-3/S4-3

中央公論社 1975年11月10日初版/1990年1月30日4版
518p あとがき1p 目次3p 口絵6p
文庫判 並装 カバー
定価700円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修
正字・正かな



本書「あとがき」より:

「第三巻は、既刊『古代研究』民俗學篇第二冊(昭和五年大岡山書店版)をそのまま輯録した。」

本文中図版(モノクロ)多数。


折口信夫全集3-1


目次:

口絵
 海にむかへる神の木
 北設樂の村
 同
 師の房 
 壹岐の住宅の型
 對島の「やぼさ」
 大人彌五郎
 壬生念佛の古面

古代研究(民俗學篇2)
 
 鬼の話
 はちまきの話
 ごろつきの話
 雛祭りの話
 桃の傳説
 まじなひの一方面
 狐の田舎わたらひ
 棧敷の古い形
 稻むらの蔭にて
 方言
 雪の島
 三郷巷談
 折口といふ名字
 神道に現れた民族論理
 大嘗祭の本義
 能樂における「わき」の意義(「翁の發生」の終篇)
 咒詞及び祝詞
 靈魂の話
 たなばたと盆祭りと
 河童の話
 偶人信仰の民俗化竝びに傳説化せる道
 組踊り以前
 田遊び祭りの概念
 古代人の思考の基礎
 古代に於ける言語傳承の推移
 小栗判官論の計畫(「餓鬼阿彌蘇生譚」終篇)
 漂著石神論計畫
 雪まつりの面
 「琉球の宗教」の中の一つの正誤
 追ひ書き

あとがき (折口博士記念古代研究所)



折口信夫全集3-2



◆本書より◆


「ごろつきの話」より:

「無賴漢(ゴロツキ)などゝいへば、社會の瘤のやうなものとしか考へて居られぬ。だが、嘗て、日本では此無賴漢が、社會の大なる要素をなした時代がある。のみならず、藝術の上の運動には、殊に大きな力を致したと見られるのである。」
「先、彼等は、どんな動き方をして現れて來たかを述べよう。
日本には、古く「うかれ人」の團體があつた事を、私は他の機會に述べてゐる。異郷の信仰と、異風の藝術(歌舞と偶人劇)とを持つて、各地を浮浪した團體で、後には、海路・陸路の喉頸の地に定住する樣にもなり、女人は、其等の藝能と賣色とを表商賣とするやうになつたのであつたが、いつか彼等の間に  ほかひゞと  の混同を見るやうになつた。大和朝廷の統一事業と共に、失職した村の神人たち、或は、租税を恐れて、自ら亡命したものなどがあつて、山林に逃げ込み、地方を巡遊したりしたものがあつたからだ。
一方、うかれ人の方も、漸次生活が變化して行つたが、何と言つても、彼等は奴隷としての待遇しか受けることが出來なかつた。
かうして、此二者は早くから歩み寄つてゐたのであつたが、更に、平安朝の末に至ると、愈其等のものが混同し、同化するやうになつた。行基門徒の乞食・陰陽師・唱門師・修驗者など、さうした巡遊者が續出したからであるが、尚、それの一つの大きな原因は、貴族の勢力が失墜すると同時に、社寺の勢力も亦衰頽を來した爲、其等の社寺に隷屬してゐた奴隷たちが、自由解放を行うた事である。其等の社寺には、神人(ジンニン)・童子などゝ稱し、社の祭事・寺の法會などに各種の演藝を行つたものが居つたが、彼等は生活の不安を感じ出した事によつて、其等の社寺を離れ、各自屬した處の社寺の信仰と、社寺在來の藝能とを持つて、果なき流浪の旅に上る樣なことになつた。彼等は、山伏し・唱門師の態をとつて巡遊したのであつた。在來の浮浪團體に混同したのは、當然のことである。
更に、此頃になつて目立つて來た、まう一つの浮浪者があつた。諸方の豪族の家々の子弟のうち、總領の土地を貰ふことの出來なかつたもの、乃至は、戰爭に負けて土地を奪はれたものなどが、諸國に新しい土地を求めようとして、彷徨した。此が又、前の浮浪團體に混同した。道中の便宜を得る爲に、彼等の群に投じたといふやうなことがあつたのだ。後世の「武士」は、實は宛て字である。「ぶし」の語原はこれらの野ぶし山ぶしにあるらしい。」

「昔から、宗教の方面には、政治の手が屆かなかつた。其には理由があるので、言はず語らずの掟があつて、彼等は全く政治家の權力以外を行つた。江戸時代になつてからも、寺社奉行などはあつたが、山伏しの取締りには、隨分幕府も困つた樣である。駈落者・無宿者・亡命の徒などが彼等の中へ飛び込めば、政治家も、其をどうする事も出來なかつた。」

「彼等はさうした法力を示してゐたが、山伏しの爲事は、其だけではなかつた。常には、舞ひや踊りや歌をやつた。」

「京の街では、早くから、祗園祭に異風の行列が流行つた。これのはつきりして來たのは、室町からであつたが、既に、其以前、平安朝に於ても、其風はあつたのだ。さうして、これの愈發達して來たものが、風流(フリウ)であり、六法である。彼等は、假裝をして、盛んに暴れ廻つた。當時としては、其がはいからであり、さうして人目を驚かすことに、社會一般の興味があつたのだと思ふ。彼等は、好んで外國渡來の品などを身に著けた。かうした、異風・亂暴は、其がまた、性欲的でもあつたのだ。」

「風流は、後には、飾りものの名の樣になつて了うたが、元來は、異つた扮裝をする事を言うたのである。異つた扮裝をして、祭禮などに練つて歩いた。此が多少の變化を來して、動作が主になつたものが、六法であり、それの分派がかぶきであり、それから「奴」が出來、德川中期には「寛濶」などゝ言ふものも出來たのだが、もともと此等の藝は、風流系統のものである。」

「大體、今日一般が考へてゐる道德なるものは、歴史的に見て、此がどれだけの價値を持つてゐるか、一考を要すべき點があらうと思ふ。」
「武士道は、此を歴史的に眺めるのには、二つに分けて考へねばならぬ。素行(引用者注: 山鹿素行)以後のものは、士道であつて、其以前のものは、前にも言うた野ぶし山ぶしに系統を持つ、ごろつきの道德である。即、變幻極まりなきもの、不安にして、美しく、きらびやかなるものを愛するのが、彼等の道德であつたのである。だから、彼等の道德には、今日の道德感を以て考へては、訣らないやうなものもある。」

「日本の文學は、王朝時代に於ける女房の文學に始まり、次で隱者の文學が起り、此にごろつきの文學が提携し、此等のものゝ洗禮を受けて生れたのが、即、江戸時代の町人文學である。(中略)茲には無賴の徒の藝術として、歌舞妓芝居の發生を述べた。」



「神道に現れた民族論理」より:

「そこで、考へに上るのは、古い時代の后妃には、水神の女子が多い事である。私は近頃、水神及び水神の巫女なる「水の女」の事を考へてゐるが、不思議にも、天孫降臨の最初のお后このはなのさくや媛だけは、おほやまつみの娘であるけれど、其以後の后妃は、垂仁帝あたりまで、大抵、水神の娘である。さうして、さくや媛すら「水の女」の要素を十分に持つてゐられた事が窺へるのである。要するに、出雲系の神は皆「水の神」又は「水の女」で、試みに、すさのをおほくにぬしの系統を辿つて行くと、大抵水神であることを發見する。」

みこともちをする人が、其言葉を唱へると、最初に其みことを發した神と同格になる、と云ふ事を前に云つたが、更に又、其詞を唱へると、時間に於て、最初其が唱へられた時とおなじ「時」となり、空間に於て、最初其が唱へられた處とおなじ「場處」となるのである。」

「尚又、其に關聯して起るのは、地名が轉移する事である。全國の地名には、平凡に近い程までに、同名が多くある。が尠くとも、其第一原因は、皆祝詞がさうさせたのである。藤原・飛鳥などは、その顯著な一例であらう。その外、葦原ノ中國は九州にもあり、其他、方々にあるが、此は葦原ノ中國の祝詞を唱へれば、即そこが、葦原ノ中國になるのであるから、少しも不思議はない。察する所、昔はもつと自由に、地名が移動したのであつて、譬へば、天孫降臨を傳へる叙事詩を諷へば、直ちに其處が、日向の地になつたであらうと思ふ。此は、昔の人の思考の法則から見て、極めて自然な事である。だから、時間なんかは勿論、いつでも超越してゐた。譬へば、神武天皇も、崇神天皇も、共に「肇國(ハツクニ)しろす天皇」である。(中略)此も肇國の唱へ言があつて、その祝詞を唱へられたお方は、皆肇國しろす天皇なのであつた。」



「靈魂の話」より:

たまは抽象的なもので、時あつて姿を現すものと考へたのが、古い信仰の樣である。其が神となり、更に其下に、ものと稱するものが考へられる樣にもなつた。即、たまに善惡の二方面があると考へるやうになつて、人間から見ての、善い部分が「神」になり、邪惡な方面が「もの」として考へられるやうになつたのであるが、猶、習慣としては、たまといふ語も殘つたのである。」

かひは、もなかの皮の樣に、ものを包んで居るものを言うたので、此から、蛤貝・蜆貝などの貝も考へられる樣になつたのであるが、此かひは、密閉して居て、穴のあいて居ないのがよかつた。其穴のあいて居ない容れ物の中に、どこからか這入つて來るものがある、と昔の人は考へた。其這入つて來るものが、たまである。そして、此中で或期間を過すと、其かひを破つて出現する。即、あるの状態を示すので、かひの中に這入つて來るのが、なるである。」
「かやうに日本人は、ものゝの發生する姿には、原則として三段の順序があると考へた。外からやつて來るものがあつて、其が或期間ものゝ中に這入つて居り、やがて出現して此世の形をとる。此三段の順序を考へたのである。」
「竹とり物語のかぐや姫は、此なるの、適切な例と見られる。」
「類型の話は、猶幾つかある。桃太郎の話が、やはり其一つである。」
「朝鮮には、卵から生れた英雄の話がたくさんある。」
「更にかうした話は、もつと異つた形でも殘つて居る。聖德太子に仕へ、中世以後の日本の民俗藝術の祖と謂はれて居る、秦ノ河勝には、壺の中に這入つて三輪川を流れて來た、との傳説が附隨して居る。此壺には、蓋があつた。」
「日本の神々の話には、中には大きな神の出現する話もないではないが、其よりも小さい神の出現に就いて、説かれたものゝ方が多い。此らの神々は、大抵ものゝ中に這入つて來る。其容れ物がうつぼ舟である。ひさごのやうに、人工的に つめ をしたものでなく、中が うつろ になつたものである。此に蓋があると考へたのは、後世の事である。書物で見られるもので、此代表的な神は、すくなひこなである。此神は、適切にたまと言ふものを思はす。即、おほくにぬしの外來魂の名が、此すくなひこなの形で示されたのだとも見られる。
此神は、かゞみの舟に乘つて來た。さゝぎの皮衣を著て來たともあり、ひとり蟲の衣を著て來たともあり、鵝或は蛾の字が宛てられて居る。(中略)とにかく、中のうつろなものに乘つて來たのであらう。」
「かやうに昔の人は、他界から來て此世の姿になるまでの間は、何ものかの中に這入つてゐなければならぬと考へた。そして其容れ物に、うつぼ舟・たまごひさごなどを考へたのである。」
「何故かうしてものゝ中に這入らねばならぬのであつたか。其理由は、我々には訣らぬ。或は、姿をなさない他界のものであるから、姿をなすまでの期間が必要だ、と考へたのであつたかも知れない。併し、まう一つ、ものがなる爲には、ぢつとして居なければならぬ時期があるとの考へもあつた樣だ。えびかにが固い殻に包まれてぢつとしてゐるのも、蛇が冬眠するのも、昔の人には、餘程不思議な事に思はれたに相違ない。光線もあたらない、暗黑の中に、ぢつとして居たものが、やがて時がくれば、其皮を脱いで、立派な形となつて現れる。古代人は、そこに内容の充實を考へたのであらう。
此話は、日本の神道で最大切な事に考へて居た、ものいみと關聯がある。」
に籠ると言ふことは、蒲團の樣なものを被つてぢつとして居る事であつた。大嘗祭の眞床覆衾が其である。さうして居ると、魂が這入つて來て、次の形を完成すると考へた。其時は、蒲團がものを包んでゐるので、即かひである。さうして外氣にあたらなければ、中味が變化を起すと考へた。完成したときがみあれである。此は昔の人が、生物の樣態を見て居て考へたことであつたかも知れない。」
「古い言葉に、此はうつぼにも關係があると思ふが、うつと言ふ語がある。空・虚・或は全の字をあてる。(中略)うつは全で、完全にものに包まれて居る事らしい。このはなさくや姫のうつむろは、戸なき八尋殿を、更に土もて塗り塞いだとあるから、すつかりものに包まれた、窓のない室の意で、空の室を言つたのではないと思ふ。たゞ其が、空であつた場合もあるのである。」

「日本には、古くから石成長の話がある。また漂著神(ヨリガミ)の信仰がある。此もたま成長の信仰と關係があつて出來たものだと思ふ。たまが成長をするのに、何物かの中に這入つて、或期間を過すと考へた事から、其容れ物として、うつぼ舟・ひさごを考へ、また衣類・蒲團の樣なものにくるまる事を考へたのであるが、更に此たまは、石の中にも這入ると考へた。どうして石の樣なものゝ中に這入ると考へたか、とにかく、日本の古代にはさうした信仰があつた。」
「此石が、神の乘り物・容れ物と考へられた例が、段々ある。石がぢつとして居ないで、よそからやつて來る場合がある。石にたまが這入ると言ふ信仰には、たまがよそからやつて來て這入るのと、既に這入つたものが、他界からやつて來る、と考へたのと、此二つがあつた樣だ。後者は、海岸に殊に多い。古くからあつた像石(カタイシ)信仰が其である。大洗の磯崎神社の像石は、此有名な一つで、一夜の中に、海中から出現した神だ、といはれて居る。」

おほなむちすくなひこなとが一つのものに考へられたには、理由がある。すくなひこなが他界から來た神である事は前に述べたが、おほくにぬしの命が、此すくなひこなを失うて、海岸に立つて愁へて居ると、海原を光(テラ)して、依り來る神があつた。「何者だ」と問ふと、「俺はお前だ。お前の荒魂(アラミタマ)・和魂(ニギミタマ)・奇魂(クシミタマ)だ」と答へたとある。大和の三輪山に祀つた  おほものぬしの  命であるが、此三つの魂が、おほなむちについて居たのである。たまには、形はないが、少くとも此話では、光りをもつて居た事が考へられる。
日本の神々に、いろいろな名があるのは、一つの體に、いろいろな魂が這入ると考へたからで、(中略)元は體はたまの容れ物だと考へた。」



「河童の話」より:

「最初に結論から言はう。咒術者に役(エキ)せられる精靈は、常に隙を覗うてゐる。遂に役者(エキシヤ)の油斷を見て、自由な野・山・川・海に還るのである。」

「夏祓へに、人間の邪惡を負はせて流した人形(ヒトガタ)が、水界に生(シヤウ)を受けて居るとの考へ」



「偶人信仰の民俗化竝びに傳説化せる道」より:

「つまり、日本の信仰には、流される神が幾らもある。其が漂著して、祀られる。更に遠い處から訪れて來る、小さな神がある。」

「神を迎へるのと、祓除をするのとは、形は違ふけれども、惡氣を避ける爲と言ふ事では、一つであつた。つまり、迎へた神を送る爲の、神の形代流しと、祓除の穢禍を背負うた形代流しとが、結びついて出來たのが、雛祭りである。さうして、一家の模型を意味したひゝなの家を作つて、それに穢れを移して流したのが、古い形であつたのだが、いつかこの雛に、金をかける樣になつて、流さぬ樣になつたのだと思ふ。」



「小栗判官論の計畫」より:

「人の姿を、動物その他に變形する術と、異形身と。」

「蛇身の女と契ることは、水の女の故事にも關係がある。」

「月讀命の大食津媛を殺したのも、月はまれびとだからだ。」

「來世を見て來た人の信仰。」

「來世話をする異形の病人。」



「追ひ書き」より:

「この書物、第一巻の校正が、やがてあがる今になつて、ぽつくりと、大阪の長兄が、亡くなつて行つた。さうして今晩は、その通夜である。私は、かんかんとあかるい、而もしめやかな座敷をはづして、ひつそりと、此後づけの文を綴つてゐるのである。」
「かうして、死んで了うた後になつて考へると、兄の生涯は、あんまりあぢきなかつた。ある點から見れば、その一半は、私ども五人の兄弟たちの爲に、空費して了うた形さへある。
昔から、私の爲事には、理會のある方ではなかつた。次兄の助言がなかつたら、意志の弱い私は、やつぱり、家職の醫學に向けられて居たに違ひない。或は今頃は、腰の低い町醫者として、物思ひもない日々を送つてゐるかも知れなかつた。懷德堂の歴史を讀んで、思はず、ため息をついた事がある。百年も前の大阪町人、その二・三男の文才・學才ある者のなり行きを考へさせられたものである。秋成はかう言ふ、境(ミ)にあはぬ教養を受けた てあひ の末路を、はりつけもの だと罵つた。そんな あくたい をついた人自身、やはり何ともつかぬ、迷ひ犬の樣な生涯を了へたではないか。でも、さう言ふ道を見つけることがあつたら、まだよい。恐らくは、何だか、其暮し方の物足らなさに、無聊な一生を、過すことであつたらうに。養子にやられては戻され、嫁を持たされては、そりのあはぬ家庭に飽く。こんな事ばかりくり返して老い衰へ、兄のかゝりうどになつて、日を送る事だらう。部屋住みのまゝに白髪になつて、かひ性なしの をつさん、と家のをひ・めひには、謗られることであつたらう。
これは、空想ではなかつた。まのあたり、先例がある。私の祖父は、大和飛鳥の「元伊勢」と謂はれた神主の家から、迎へられた人である。其前に、家つきの息子がゐた。その名の岡本屋彦次郎を、お家流を脱した、可なりな手で書いたのを見て、幾度か、考へさせられた。四書や、唐詩選・蒙求の類も、僅かながら、此人の稽古本として殘つてゐる。家業がいやで、家に居れば、屋根裏部屋――大阪風の二階――に籠りつきり、ふつと氣が向くと、二日も三日も家をあけて、歸りにはきつと、つけうま を引いて、戻つて來たと言ふ。繼母の鋭い目を避けて、幾日でも、二階から降りて來なかつた。其間の所在なさに、書きなぐつた往來文や、法帖の臨書などが、いまだに木津の家の藏には殘つてゐる。果ては、久離きられた身となつて、其頃の大阪人には、考へるも恐しい、僻地となつてゐた熊野の奧へ、縁あつて、落ちて行つたさうである。其處で、寺子屋の師匠として、わびしい月日を送つて、やがて、死んで行つた事も、聞えて來たと聞く。夢の樣な、家の昔語りの、幼い耳の印象が、年を經るに從うて、強く意味を持つて響いて來る。
かうした、ほうとした一生を暮した人も、一時代前までは、多かつたのである。文學や學問を暮しのたつきとする遊民の生活が、保證せられる樣になつた世間を、私は人一倍、身に沁みて感じてゐる。彦次郎さんよりも、もつと役立たずの私であることは、よく知つてゐる。だから私は、學者であり、私學の先生である事に、毫も誇りを感じない。そんな氣になつてゐるには、あやにくに、まだ古い町人の血が、をどん でゐる。祖父も、曾祖父も、其以前の祖(オヤ)たちも、苦しんで生きた。もつとよい生活を、謙遜しながら送つてゐた、と思ふと、先輩や友人の樣に、氣輕に、學究風の體面を整へる氣になれない。これは、人を嗤ふのでも、自ら尊しとするのでもない。私の心に寓つた、彦次郎さんらのため息が、さうさせるのである。
獨り身を守り遂げて、我々をこれまでにしあげてくれた、叔母えい子刀自も、もうとる年である。せめて一度は、年よりらしい、有頂天の喜びを催さしてあげたいと思ふけれど、私に、其望みを繋けてゐてくれる學位論文なども、書く氣にもなれない。亡い兄も、數年前まで、歸省する毎にくり返したのは、其事であつた。でも、私の根本の憂鬱には、觸れるよしもない叔母・兄も、近年すつかり、私に、そんな激勵や要求はせなくなつた。」
「私は、家びとの望みを卻けて、國學院に入り、又、そこを出てから二十年、長い扶養を、家から受け續けた。兄も段々あきらめて、私の遊び半分の樣な爲事の成長を、待ち娯む氣になつて居たらしい。「世間的に、役にたゝぬ あれ の事だから、一生は、私が見てやります。」こんな事を親しい隣人たちには、時々、言ふ事もあつた樣で、せんもない 私の爲事を、無言の柔和な眦で瞻(ミ)つめて居てくれた。世間から見れば、まことに、未練・無知な ひいき に過ぎなかつたのである。私の一生を、後見るつもりでゐた兄の心が、今では却つて、はかないものになつて了うた。」
「けれども、兄ひとりが、寂しかつたのではない。私とても、一族を思ひ、身一己を思ふと、洞然とした虚しい心に、すうすうと、冷い風の通ふ様な氣がしてならぬ。私の學問は、それ程、同情者を豫期する事の出來さうもない處まで、蹈みこんで了うてゐる。しんみ になつて教へた、數百人の學生の中に、一人だつて、眞の追隨者が出來たか。私の假説は、いつまでも、假説として殘るであらう。私の誤つた論理を正し、よい方に育てゝくれる學徒が、何時になつたら、出てくれるか。今まで十年の講座生活は、遂に、私の獨り合點として、終りさうな氣がする。唯珍らし相な主題、傳襲を守るを屑しとせぬ態度、私の講義は、かうした意義で、若い人氣を、倖に占め得た事もあるに過ぎない。」

「比較研究は、事象・物品を一つ位置に据ゑて、見比べる事だけではない。其幾種の事物の間の關係を、正しく通觀する心の活動がなければならぬ。此比較能力の程度が、人々の、學究的價値を定めるものである。」
「比較能力にも、類化性能と、別化性能とがある。類似點を直觀する傾向と、突嗟に差異點を感ずるものとである。この二性能が、完全に融合してゐる事が理想だが、さうはゆくものではない。
私には、この別化性能に、不足がある樣である。類似は、すばやく認めるが、差異は、かつきり胸に來ない。事象を同視し易い傾きがある。これが、私の推論の上に、誤謬を交へて居ないかと時々氣になる。」

「私の研究は、空想に客觀の衣裝を被せたものは、わりに尠い。民俗を見聞しながら、又は、本を讀みながらの實感が、記憶の印象を、喚び起す事から、論理の絲口を得た事が多い。其論理を追求してゐる間に、自らたぐり寄せられて來る知識を綜合する。唯、其方法は誤らない樣に、常に用心はしてゐる。」

「時として、私の叙述が、年代を疎かにしてゐる樣に見える事がある。これ亦、民俗學と歴史との違ひである。民間傳承においては、土地と時間とを超越した事象が、屡見られる。殊に、全體としては、百年・千年前に亡びたものが、一地方には保持せられてゐることが、稀ではない。かうした傳承が、古代生活の説明に役立つ。文學や、藝能の發生展開の過程も、地方と時代とに相應することもあるが、其影響を離れて、個々の特殊の形に殘る事がとりわけ多い。此等の遺存を綜合しながらの叙述である爲、勢、時代・年月の印象が薄くなる事もある。」




































































































『折口信夫全集 第二巻 古代研究(民俗學篇1)』 (中公文庫)

「「合理」は竟に知識の遊びである。」
「合理といふ語が、此頃、好ましい用語例を持つて來た樣に思ひます。私は、理窟に合せる、と言ふ若干の不自然を、根本的に持つた語として使つて居る。此にも、今後も其意味のほか、用ゐない考へである。」

(折口信夫 「神道の史的價値」 より)


『折口信夫全集 第二巻 
古代研究(民俗學篇1)』

編纂: 折口博士記念古代研究所 
中公文庫 Z1-2

中央公論社 昭和50年10月10日初版/昭和62年10月30日4版
493p あとがき2p 目次5p 献辞1p 口絵6p
文庫判 並装 カバー
定価680円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修
正字・正かな



本書「あとがき」より:

「「古代研究」民俗學篇第一は、昭和四年四月十日、麻布本村町大岡山書店から刊行された。」

本文中、「髯籠の話」に図1点、「だいがくの研究」に図2点、「翁の發生」に図版(モノクロ)1点、「花の話」に図版(モノクロ)3点。


目次:

口絵
 邊土名のろ
 國頭村邊戸の神人
 久高島久高のろ
 同右
 摩文仁のろ
 八重山大阿母
 だいがく
 あかたび 
 ひらたび
 めたび
 丘のたぶ
 たぶと椿との社

古代研究(民俗學篇1)
 妣が國へ・常世へ(異郷意識の起伏)
 古代生活の研究(常世の國)
  一 生活の古典
  二 ふる年の夢・新年の夢
  三 夜牀の穢れ
  四 蚤の淨土
  五 祖先の來る夜
  六 根の國・底の國
  七 樂土自ら昇天すること
  八 まれびとのおとづれ
  九 常世の國
  一〇 とこよの意識
  一一 死の島
 琉球の宗教
  一 はしがき
  二 遙拜所――おとほし
  三 靈魂
  四 樂土
  五 神々
  六 神地
  七 神祭りの處と靈代と
  八 色々の巫女
  九 祖先の扱ひ方の問題
  一〇 神と人との間
 水の女 
  一 古代詞章の上の用語例の問題
  二 みぬまと言ふ語
  三 出雲びとのみぬは
  四 筑紫の水沼氏
  五 丹生と壬生部
  六 比治山がひぬま山であること
  七 禊ぎを助ける神女
  八 とりあげの神女
  九 兄媛・弟媛 
  一〇 ふじはらを名とする聖職
  一一 天の羽衣
  一二 たなばたつめ傍線
  一三 筬もつ女
  一四 たなと言ふ語
  一五 夏の祭り
 若水の話
 貴種誕生と産湯の信仰と
 最古日本の女性生活の根柢
  一 萬葉びと――琉球人
  二 君主――巫女
  三 女軍
  四 結婚――女の名
  五 女の家
 神道の史的價値
 高御座
 鷄鳴と神樂と
 髯籠の話
 幣束から旗さし物へ
 まといの話
  一 のぼりといふもの
  二 まといの意義
  三 まといばれん
 だいがくの研究
 盆踊りと祭屋臺と
  一 盂蘭盆と魂祭りと
  二 標山
  三 祭禮の練りもの
  四 だいがくひげこ
  五 田樂と盆踊りと
  六 精靈の誘致
 盆踊りの話
  信太妻の話
 愛護若
  鸚鵡小町
 餓鬼阿彌蘇生譚
  一 餓鬼
  二 ぬさと米と
  三 餓鬼つき
 小栗外傳(餓鬼阿彌蘇生譚の二)
  一 餓鬼身を解脱すること
  二 魂の行きふり
  三 土車
 翁の發生
  一 おきなと翁舞ひと
  二 祭りに臨む老體
  三 沖繩の翁
  四 尉と姥
  五 山びと
  六 山づと
  七 山姥
  八 山のことほぎ
  九 山伏し
  一〇 翁の語り
  一一 ある言ひ立て
  一二 春のまれびと
  一三 雪の鬼
  一四 菩薩練道
  一五 翁の宣命
  一六 松ばやし
  一七 もどきの所作
  一八 翁のもどき
  一九 もどき猿樂狂言
 ほうとする話(祭りの發生 その一)
 村々の祭り(祭りの發生 その二)
  一 今宮の自慢話
  二 夏祓へから生れた祭り
  三 まつりの語原
  四 夏祭り
  五 秋祭りと新嘗祭りと
  六 海の神・山の神
  七 神嘗祭り
  八 冬祭り・春祭り
 山のことぶれ
  一 山を訪れる人々
  二 常世神迎へ
 花の話

あとがき (折口博士記念古代研究所)




◆本書より◆


「妣が國へ・常世へ」より:

「われわれの祖(オヤ)たちが、まだ、靑雲のふる郷を夢みて居た昔から、此話ははじまる。而も、とんぼう髷を頂に据ゑた祖父(ヂゞ)・曾祖父(ヒヂゞ)の代まで、萌えては朽ち、絶えては蘖えして、思へば、長い年月を、民族の心の波の畦(ウネ)りに連れて、起伏して來た感情である。開化の光りは、わたつみの胸を、一擧にあさましい干潟とした。」
「心身共に、あらゆる制約で縛られて居る人間の、せめて一歩でも寛ぎたい、一あがきのゆとりでも開きたい、と言ふ解脱に對する惝怳が、藝術の動機の一つだとすれば、異國・異郷に焦るゝ心持ちと似すぎる程に似て居る。」
「十年前、熊野に旅して、光り充つ眞晝の海に突き出た大王个崎の盡端に立つた時、遙かな波路の果に、わが魂のふるさとのある樣な氣がしてならなかつた。此をはかない詩人氣どりの感傷と卑下する氣には、今以てなれない。此は是、曾ては祖々の胸を煽り立てた懷郷心(のすたるぢい)の、間歇遺傳(あたゐずむ)として、現れたものではなからうか。」
「飛鳥・藤原の萬葉(マンネフ)びとの心に、まづ具體的になつたのは、佛道よりも陰陽五行説である。幻術者(マボロシ)の信仰である。常世と、長壽と結びついたのは、實は此頃である。記・紀・萬葉に、老人・長壽・永久性など言ふ意義分化を見せて居るのも、やはり、其物語の固定が、此間にあつたことを示すのである。浦島ノ子も、雄略朝などのつがもない昔人でなく、實はやはり、初期萬葉びとの空想が、此迄にあつたわたつみの國の物語に、はなやかな衣を著せたのであらう。「春の日の霞める時に、澄ノ江ノ岸に出で居て、釣り舟のとをらふ見れば」と言ふ、語部の口うつしの樣な、のどかな韻律を持つたあの歌が纏り、民謠として行はれ始めたものと思ふ。燃ゆる火を袋に裹(ツゝ)む幻術者(マボロシ)どものしひ語りには、不老・不死の國土の夢語りが、必、主な題目になつて居たであらう。」



「水の女」より:

「私は古代皇妃の出自が、水界に在つて、水神の女である事、竝びに、其聖職が、天子即位甦生を意味する禊ぎの奉仕にあつた事を中心として、此長論を完了しようとしてゐるのである。」


「若水の話」より:

「ほうっとする程長い白濱の先は、また目も届かぬ海が搖れてゐる。其波の靑色の末が、自(オノ)づと伸(ノ)し上る樣になつて、頭の上まで擴がつて來てゐる空だ。其が又ふり顧(カヘ)ると、地平をくぎる山の外線の、立ち塞つてゐる處まで續いてゐる。四顧俯仰して目に入るものは、此だけである。日が照る程風の吹くほど、寂しい天地であつた。さうした無聊な目を睜らせる物は、忘れた時分にひよつくりと、波と空との間から生れて來る――誇張なしに――鳥と紛れさうな刳(ク)り舟の姿である。遠目には磯の岩かと思はれる家の屋根が、ひとかたまりづゝ、ぽっつりと置き忘れられてゐる。琉球の島々には、行つても行つても、こんな島ばかりが多かつた。
我々の血の本筋になつた先祖は、多分かうした島の生活を經て來たものと思はれる。だから、此國土の上の生活が始つても、まだ萬葉びとまでは、生の空虚を叫ばなかつた。「つれづれ」「さうざうしさ」其が全内容になつてゐた、祖先の生活であつたのだ。こんなのが、人間の一生だと思ひつめて疑はなかつた。又さうした考へで、ちよつと見當の立たない程長い國家以前の、先祖の邑落の生活が續けられて來たのには、大きに謂はれがある。去年も今年も、又來年も、恐らくは死ぬる日まで繰り返される生活が、此だと考へ出した日には、たまるまい。
郵便船さへ月に一度來ぬ勝ちであり、島の木精がまだ一度も、巡査のさあべるの音を口まねた樣な事のない處、巫女(ノロ)や郷巫(ツカサ)などが依然、女君(ヂヨクン)の權力を持つてゐる離(ハナレ)島では、どうかすればまだ、さうした古代が遺つてゐる。稀には、那覇の都にゐた爲、生き詮(カヒ)なさを知つて、靑い顔して戻つて來る若者なども、波と空と沙原との故郷に、寢返りを打つて居ると、いつか屈托など言ふ贅澤な語は、けろりと忘れてしまふ。我々の祖先の村住ひも、正に其とほりであつた。村には歴史がなかつた。過去を考へぬ人たちが、來年・再來年を豫想した筈はない。」

「ある種の動物にはすでると言ふ生れ方がある。蛇や鳥の樣に、死んだ樣な靜止を續けた物の中から、又新しい生命の強い活動が始まる事である。生れ出た後を見ると、卵があり、殻がある。だから、かうした生れ方を、母胎から出る「生れる」と區別して、琉球語ではすでると言うたのである。」
すでるは母胎を經ない誕生であつたのだ。或は死からの誕生(復活)とも言へるであらう。又は、ある容れ物からの出現とも言はれよう。」
すでると言ふ語には、前提としてある期間の休息を伴うてゐる。植物で言ふと枯死の冬の後、春の枝葉がさし、花が咲いて、皆去年より太く、大きく、豐かにさへなつて來る。此週期的の死は、更に大きな生の爲にあつた。」
「古代信仰では死は穢れではなかつた。死は死でなく、生の爲の靜止期間であつた。」



「最古日本の女性生活の根柢」より:

「外族の村どうしの結婚の末、始終圓滿に行かず、何人か子を産んで後、つひに出されて戻つた妻もあつた。さうなると、子は父の手に殘り、母は異郷にある訣である。子から見れば、さうした母の居る外族の村は、言はう樣なく懷しかつたであらう。夢の樣な憧れをよせた國の俤は、だんだん空想せられて行つた。結婚法が變つた世になつても、此空想だけは殘つて居て「妣(ハゝ)が國」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。」


「盆踊りの話」より:

「盆の祭り(中略)は、世間では、死んだ聖靈を迎へて祭るものであると言うて居るが、古代に於て、死靈・生魂に區別がない日本では、盆の祭りは、謂はゞ魂を切り替へる時期であつた。即、生魂・死靈の區別なく取扱うて、魂の入れ替へをしたのであつた。」


「村々の祭り」より:

「春祭りに來るまれびとは神と考へられもするが、目に見えぬ靈の樣にも考へられてゐる。祖先の靈と考へるのもあり、唯の老人夫婦だとおもうてゐるのもある。又多く鬼・天狗と考へ、怪物とも考へてゐる。春祭りの行事に鬼の出る事の多いのは、此爲であるが、後世流に解釋して、追儺の鬼同樣に逐ふ作法を加へるやうになつたが、實は鬼自身が守り主なのである。田樂に鬼・天狗の交渉のあるのも、此爲である。」





















































































『折口信夫全集 第一巻 古代研究(國文學篇)』 (中公文庫)

「枕詞から序歌が出来たと考へる人が多い。併し、一考を要する。単純から複雑になるのではなくて、世界の理法では、複雑が単純化せられて行くのが、ほんとうである。」
(折口信夫 「日本文章の発想法の起り」 より)


『折口信夫全集 第一巻 
古代研究(國文學篇)』

編纂: 折口博士記念古代研究所 
中公文庫 Z-1

中央公論社 昭和50年9月10日初版/昭和58年6月10日4版
531p あとがき2p 目次6p 口絵4p 別丁口絵1葉
定価680円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修
正字・正かな



本書「あとがき」より:

「『折口信夫全集』第一巻は、『古代研究』國文學篇を收めた。原版は昭和四年四月の上梓で、從來、國文學に關して雜誌その他に發表し、或は草稿として篋底に存した論稿を、折口博士が自ら編輯したものである。大岡山書店の發行、菊判七〇六頁、(中略)口繪七枚を添へた、當時としては頗る豪華版で、定價は六圓五十錢であつた。」


折口信夫全集1-1


目次:

別丁口絵 (昭和二十六年春)

口絵
 八百比丘尼
 久高島外間のろ
 同右
 漂著神を祀つたたぶの杜
 岬のたぶ
 さいの神
 さいの神

古代研究(國文學篇)

 國文學の發生(第三稿)――まれびとの意義
   一 まれびと
   二 門入り
   三 簑笠の信仰
   四 初春のまれびと
   五 遠處の精靈 
   六 祖靈の群行
   七 生きみ靈
   八 ことほぎそしり
   九 あるじの原義
   一〇 神來訪の時期
   一一 精靈の誓約
   一二 まれびとの遠來と群行の思想
   一三 まつり
   一四 とこよ

 國文學の發生(第一稿)――呪言と叙事詩と

 國文學の發生(第二稿)
  咒言の展開
   一 神の嫁
   二 まれびと
   三 ほかひ
   四 よごと
   五 天つ祝詞
   六 まじなひ
  巡遊伶人の生活
   一 祝言職
   二 「乞食者詠」の一つの註釋
   三 當てぶりの舞
   四 ほかひゞとの遺物
   五 ほかひの淪落
   六 叙事詩の撒布
  叙事詩の撒布
   一 うかれびと
   二 くゞつ以前の個人劇
   三 新しいほかひの詞
 
 國文學の發生(第四稿)――唱導的方面を中心として
  咒言から壽詞へ
   一 咒言の神
    二 常世國と咒言との關係
    三 奏詞の發達
    四 奉仕の本縁を説く壽詞
   叙事詩の成立と其展開と
    一 咒言から叙事詩・宮廷詩へ
    二 物語と祝言と
    三 語部とほかひゞと
    四 いはひ詞の勢力
    五 物語と歌との關係竝びに詞章の新作
    六 天語と卜部祭文との繋り
   語部の歴史
    一 中臣女の傳承
    二 祝言團の歴史
    三 系圖と名代部と
   賤民の文學
    一 海語部藝術の風化
    二 くゞつの民
    三 社寺奴婢の藝術
    四 唱門師の運動
    五 他界を語る熊野唱導及び念佛藝
    六 説教と淨瑠璃と
   戲曲・舞踊詞曲の見渡し

 短歌本質成立の時代――萬葉集以後の歌風の見わたし
  一 短歌の創作まで
  二 奈良朝の短歌
  三 平安初期の大歌
  四 六歌仙の歌
  五 古今集の歌風
  六 短歌改新に與つた人々
  七 實生活を詠んだ歌
  八 新古今の歌風
  九 幽玄體
  一〇 家集と撰集と
  一一 新葉集

 女房文學から隱者文學へ――後期王朝文學史
  一 女房歌合せ
  二 隱者の文藝
  三 至尊歌風と師範家と
  四 歌枕及び幽玄態の意義變化
  五 儒者の國文學に與へた痕
  六 前代文學の融合と新古今集と
  七 遠島抄の價値 一部抄出

 萬葉びとの生活
  其理想の生活
  嫉みを受ける人として
  倭成す神の殘虐
  神々のよみがへり
  智慧の美德
  仁の意味
  村々の神主

 萬葉集の解題

 萬葉集のなり立ち
  一 奈良の宮の御代
  二 大伴家持
  三 平城天皇の性格
  四 雅樂寮と大歌所と
  五 東歌

 萬葉集研究
  一 萬葉詞章と蹈歌章曲と
  二 萬葉集の大歌
  三 ふり くにぶり うた
  四 うたの時代
  五 相聞
  六 東歌
  七 律文における漢文學素地
  八 代作詩
  九 創作態度
  一〇 萬葉學に一等資料のないこと
  一一 萬葉びとの生活 
   君 皇子尊 
   女君 中皇命
   巫女としての女性
   妹の魂結び
   魂はやす行事
   靈の放ち鳥
   すめみま
   をとめ・をとこ
   大臣・庶民

 敍景詩の發生

 古代生活に見えた戀愛

 古代民謠の研究――その外輪に沿うて
  生ひば生ふるかに
  おもしろき野をば
  古草に新草まじり
  田あそび
  男になつたしるし
  雨づゝみ・長雨齋み
  世に經るながめ
  天つ罪

 日本書と日本紀と
  一 紀といふことばの意義
  二 日本書
  三 日本紀の成立

 相聞の發達

 日本文章の發想法の起り

 お伽草子の一考察

あとがき (折口博士記念古代研究所)



折口信夫全集1-2



◆本書より◆


「國文學の發生(第三稿)」より:

まれびとは古くは、神を斥(サ)す語であつて、とこよから時を定めて來り訪ふことがあると思はれて居たことを説かうとするのである。」
「てつとりばやく、私の考へるまれびとの原の姿を言へば、神であつた。第一義に於ては古代の村々に、海のあなたから時あつて來り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還る靈物を意味して居た。」

「簑笠は、後世農人の常用品と專ら考へられて居るが、古代人にとつては、一つの變相服裝でもある。笠を頂き簑を纏ふ事が、人格を離れて神格に入る手段であつたと見るべき痕跡がある。」



「國文學の發生(第二稿)」より:

「村々の高級巫女たちは、獨身を原則とした。其は神の嫁として、進められたものであつたからだ。神祭りの際、群衆の男女が、恍惚の状態になつて、雜婚に陷る根本の考へは、一人々々の男を通じて、神が出現してゐるのである。」

「人形を恐れる地方は、今もある。畏敬と觸穢と兩方から來る感情が、まだ邊鄙には殘つて居るのである。文樂座などの、人形を舞はす藝人が、人形に對して生き物の樣な感觸のあるものと感じて居るのは事實である。沖縄本島に念佛者(ニンブチヤア)と言ふ、平民以下に見られてゐる人々が居る。春は胸に懸けた小さな箱(中略)の中で、人形を舞はしながら、京太郎(チヤンダラ)と言ふ日本(ヤマト)人に關した物語を謠うて、島中を廻つたものである。其人形は久しく使はぬ爲に、四肢のわかれも知れぬ程になつたが、非常にとり扱ひに怖ぢてゐた。此人形に不思議な事が度々あつたと言ふ。」



「國文學の發生(第四稿)」より:

「たゞ今、文學の信仰起原説を最、頑なに把つて居るのは、恐らくは私であらう。性の牽引や、咄嗟の感激から出發したとする學説などゝは、當分折りあへない其等の假説の缺點を見てゐる。さうした常識の範圍を脱しない合理論は、一等大切な唯の一點をすら考へ洩して居るのである。」

「山彦即木靈は、人の聲をまねる處から、怖ぢられた。山の鳥や狸などにも、根負けしてかけあひを止めると、災ひを受けると言ふ傳へが多い。呪言の效果が相殺してゐる場合、一つ先に止めると、相手の呪言の禍を蒙らねばならないのだ。」

「死後一年位は、生死を判定することの出來なかつたのが、古代の生命觀であつた。さうした期間に亙つて、生魂(イキミタマ)を身に固著(フラ)しめようと、試みをくり返した。此期間が、漢風習合以前の日本式の喪(モ)であつたのである。 
こふ(戀ふ)と云ふ語の第一義は、實は、しぬぶとは遠いものであつた。魂を欲すると言へば、はまりさうな内容を持つて居たらしい。魂の還るを乞ふにも、魂の我が身に來りつく事を願ふ義にも用ゐられて居る。」

「此山ぶし野ぶしと言ふ、平安朝中期から見える語には、後世の武士の語原が窺はれるのである。「武士(ブシ)」は實は宛て字で、山・野と云ふ修飾語を省いた迄である。此者共の仲間には、本領を失うたり、郷家をあぶれ出たりした人々も交つて來た。黨を組んで、戰國の諸豪族を訪れ、行法と武力とを以て、庸兵となり、或は臣下となつて住み込む事もあつた。そして、山伏しの行力自負の濫行が、江戸の治世になつても續いた。諸侯の領内の治外法權地に據り、百姓・町人を劫かすばかりか、領主の命をも聽かなかつた。其爲、山伏し殺戮が屡行はれてゐる。」
「今も榮えてゐる地方の豪族の中には、山伏しから轉じて陰陽師となり、其資格で神職となつたのが多い。かういふ風に變化自在であつた。」

「口前うまく行人をだます者、旅行器具に特徴のあつたあぶれもの、或は文學・艷道の顧問(幇間の前型)と言つた形で名家に出入りする者、或はおしこみ專門の流民團など、色々ある樣でも、結局は大抵、社寺の奴隷團體を基礎としたものであつた。かう言ふ仲間に、念佛聖の藝と、今一つ後の演劇の芽生えとなつた傳承が、急に育つて來た。其は、荒事(アラゴト)趣味である。室町末から、大坂へかけての間を、此流行期と見なしてよい。實は古代から、一時的には常に行はれた事の、時世粧として現れて來たのである。」

「日本文學の一つの癖は、改作を重ねると言ふ事である。私は源氏物語さへも「紫の物語」と言つた、巫女などの唱導らしいものゝ、書き替へから始まつたのだと考へてゐる。」

「所屬する主家のない流民は、皆、社寺の奴隷に數へられた。此徒には、海の神人の後なるくゞつと、山人の流派から出たほかひゞととが混り合つてゐた。それが海人がほかひゞとになり、山人がくゞつになりして、互に相交つて了うた。此等が唱門師の中心であつた。舞の本流は、此仲間に傳へられたのである。」



「短歌本質成立の時代」より:

「業平の歌の背景なる伊勢其他の傳説がすつかり消えても、歌だけで、傳ふる事の出來た人である。彼の歌は、家持のや黑人のと違うて、自然の前に朧ろに光る孤影を見入つてゐた心、其を更に外へ出して、他人の心の上に落ちる自分の姿を瞻つて、こゝにも亦、寂しく通り過ぎる影しかないことを、はかなんでゐる樣な心境である。」


「萬葉びとの生活」より:

「飛鳥の都以後、奈良朝以前の、感情生活の記録が、萬葉集である。萬葉びとと呼ぶのは、此間に、此國土の上に現れて、樣々な生活を遂げた人の總べてを斥す。(中略)此時代は實は、我々の國の内外(ウチト)の生活が、粗野から優雅に蹈み込みかけ、さうして略、其輪廓だけは完成した時代であつた。此間に生きて、我々の文化生活の第一歩を闢いてくれた祖先の全體、其を主に、感情の側から視ようとするのである。」


「萬葉集研究」より:

「鳥殊に水鳥は、靈魂の具象した姿だと信じた事もある。又、其運搬者だとも考へられた。而も魂の一の寓りとも思うて居た。事代主神がしてゐたと言ふ「鳥之遨游(トリノアソビ)」も、ほむちわけの鵠(クゞヒ)の聲を聞いて、物言はうとしたのも、皆、水鳥を以て、鎭魂の呪術に使うた信仰の印象である。やまとたけるの白鳥――又は、八尋白千鳥に化したと言ふのも靈魂の姿と考へた爲であつた。鵠(クゞヒ)・鶴・雁・鷺など、古代から近代に亙つて、靈の鳥の種類は多い。殊に鵠と雁とは、壽福の樂土なる常世國の鳥として著れてゐた。」


「日本文章の發想法の起り」より:

「枕詞から序歌が出來たと考へる人が多い。併し、一考を要する。單純から複雜になるのではなくて、世界の理法では、複雜が單純化せられて行くのが、ほんとうである。わりに自由な、かなりの長さの序歌から整うて來たのが、枕詞なのだ。」


折口信夫全集1-3

























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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