「現代詩手帖」 臨時増刊 折口信夫・釋迢空

「迢空の芸術はヨーロッパの芸術論からみても正にロマン主義のすぐれた芸術であって、その美の要素としては「ぶきみさ」と「恐怖」と「奇異なるもの」と「グロテスク」とが重大なものであった。」
(西脇順三郎 「釈迢空」 より)


「現代詩手帖」 臨時増刊 
折口信夫・釋迢空

第16巻第6号 6月臨時増刊

思潮社 
1973年6月30日発行
389p 
22×14.8cm 並装 
定価850円
編集・発行人: 小田久郎
表紙・裏表紙絵: 折口信夫
表紙・目次構成: 田辺輝男
扉写真: 浜谷浩



本文中図版(モノクロ)多数。


折口信夫 現代詩手帖 01


折口信夫 現代詩手帖 02


裏表紙文:

「戦後のある期間、折口先生はよく絵筆をとっておられた。――絵が上手に描けたら、どんなにいいだろうか、とかいうような歎息をよく洩らしておられた。
その前後に描かれた絵で、どちらが表ともなく裏ともなく、薄手のボール紙の両面に、一面に「願人房主」(坊主を房主と表記するのが先生であった)、一面に「鷺娘」を、水彩絵の具で描かれたものだ。」
「「願人房主」は、わたし(池田)をモデルにしたと、からかって言われた。(中略)この一葉表裏に描かれた絵がわたしの手もとにあるのは、モデルなんだからと言って、先生の黙認を得て、持って来たのであった。
(池田弥三郎)」



折口信夫 現代詩手帖 03


目次:

●折口学研究
「信太妻の話」の成立 (池田彌三郎)
「砂けぶり」前後 (加藤守雄)
「月しろの旗」論 (岡野弘彦)
折口名彙というべきもの (西村亨)
「まれびと」のふるさと (井口樹生)
折口信夫・文学における根源力 (佐々木重治郎)
既存者 (奈良橋善司)

●情況としての折口学
折口信夫の南島観 (谷川健一)
二つの民俗学 (伊藤幹治)
鉄鐸メルヒェン (田中基)
うたの発生・一面 (藤井貞和)
呪性の美的構造 (笠原伸夫)
異同考 (鈴村和成)
折口信夫の原風景 (武田太郎)

●座談会 
「折口学」をめぐって (池田彌三郎・岡野弘彦・川村二郎)

●詩人・折口信夫
釋迢空 (西脇順三郎)
悲傷のミュステリオン (鷲巣繁男)
貴種流離をめぐって (高橋睦郎)
遥かなる神々の詞章 (太田代志朗)
「死者の書」について (川村二郎)
遠世の旅人・折口信夫覚書 (安水稔和)

●作品論
迢空歌との邂逅 (宮柊二)
折口信夫の美意識 (村上一郎)
「倭をぐな」論 (前登志夫)
遠東暁の書 (山中智恵子)
「海やまのあひだ」論 (高野公彦)
西から来た双面神(フタホガミ) (田井安曇)
短歌的発想の詩のゆくえ (岩田正)

●年譜・資料
釋迢空=折口信夫年譜抄 (長谷川政春)
釋迢空=折口信夫研究資料文献目録 (長谷川政春)



折口信夫 現代詩手帖 04



◆本書より◆


「「折口学」をめぐって」(池田彌三郎・岡野弘彦・川村二郎)より:

川村 古い方ではなんといっても鏡花だと思いますけども。(中略)散文というものの機能として、描写以外の働き、一つのイメージを喚起するといっても、エモーションを喚起するといってもいいけど、そういう喚起する働きっていうものを散文の機能のうちに取り込もうっていうことが最近の小説家に見られる。名前を挙げれば古井由吉君などがその方向でやっていると思うんで僕は注目しているんですけども、そういう系列っていうものを一つ考えて、その中で『死者の書』が非常に大きな成果だというふうな見方ができないかと思っているんですけどね。」

川村 なるほど。しかし円朝の『牡丹燈籠』は最後に底が割れてしまうでしょう、『死者の書』はないまぜになって最後はわからなくなってしまう……。
池田 それは白昼夢になっちゃうんだから。
川村 わからなくなっちゃうところが凄いと思うんだな。円朝はどこまでいったって通俗文学の域を越えないわけですね。」

川村 柳田、折口と考えると、ハンガリーの古代学者にケレーニイという人がいて、かなり偉い人ですけど、柳田、折口ほど偉くはないと思うんですが、今度『迷宮と神話』という翻訳が出てその中にヘルメスというギリシャの神様の研究があります。ヘルメスというのは通俗的には泥棒の神、商業の神ということになっていますけど、本来旅の神だというわけですね、一番古い形では道祖神、塞(さい)の神ということでしょうが、ヘルメスとそれからギリシャの最高の神ゼウス、ケレーニイはヘルメスとゼウスを対比させて、人間の生き方の根本的な対立がその対比に表われているというわけです。つまりどちらの神も旅をするんですけど、旅の仕方にも二通りあって、一方は生活全体が旅であるような存在のあり方、つまりどこにいても自分の存在というのが旅の途上だという形、もう一方は行った先ざきを自分の家にしちゃうというか、どこにいても自分のいる世界を生活の場というふうにする、その前者のあり方、すべての生活の一点一点が旅の途上にあるという存在のあり方を示す神がヘルメスで、その一点一点が常に旅先であっても恒常的な生活の場になる、その神がゼウスであるというふうにいっているんです。思いつきめきますが、これにひっかけると、どうも折口の方がヘルメス型で、柳田がゼウス型じゃないかという感じがするんですけどね。柳田の場合には生活っていうものの非常な厚み、広がり、大きさ、その動かないひろがりが感じられる。どっちが好きというと、常に旅の途上であるようなほうが結局僕は好きなんだな。つまり「まれびと」ですが、「まれびと」だからこそ普通の生活人に対して、普通の生活人のことがよくわかるし、助言もできるしっていうことじゃないんでしょうか。」



折口信夫 現代詩手帖 07

『死者の書』自筆原稿(ノート)表紙素描。


折口信夫 現代詩手帖 05

下北半島恐山 (武田太郎氏撮影)。


折口信夫 現代詩手帖 06

考案中の『古代感愛集』に素描された「国文学の発生」の挿画。











































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『折口信夫全集 第三巻 古代研究(民俗學篇2)』 (中公文庫)

「今日傳はつてゐる解釋は、畢竟誰かゞ、いゝ加減な所で、合理的に解釋して出來たのではあるまいか、と思ふ。
とにかく、古い言葉を仔細に研究して見ると、今までの傳統の解釋は、殆ど唯、碁盤の上の捨て石の樣な見當定めの役の外、何にもなつてゐない事が多い。隨つて、そんなものを深く信じ、基準にして、昔の文章を解く事は出來ないと思ふ。」
「古典研究者の資料鑑別眼が、幾ら進んでも、心理的觀入の缺けた研究態度を以て、科學とする間は駄目だ、と思ふ。」

(折口信夫 「神道に現れた民族論理」 より)


『折口信夫全集 第三巻 
古代研究(民俗學篇2)』
 
編纂: 折口博士記念古代研究所
中公文庫 Z1-3/S4-3

中央公論社 1975年11月10日初版/1990年1月30日4版
518p あとがき1p 目次3p 口絵6p
文庫判 並装 カバー
定価700円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修
正字・正かな



本書「あとがき」より:

「第三巻は、既刊『古代研究』民俗學篇第二冊(昭和五年大岡山書店版)をそのまま輯録した。」

本文中図版(モノクロ)多数。


折口信夫全集3-1


目次:

口絵
 海にむかへる神の木
 北設樂の村
 同
 師の房 
 壹岐の住宅の型
 對島の「やぼさ」
 大人彌五郎
 壬生念佛の古面

古代研究(民俗學篇2)
 
 鬼の話
 はちまきの話
 ごろつきの話
 雛祭りの話
 桃の傳説
 まじなひの一方面
 狐の田舎わたらひ
 棧敷の古い形
 稻むらの蔭にて
 方言
 雪の島
 三郷巷談
 折口といふ名字
 神道に現れた民族論理
 大嘗祭の本義
 能樂における「わき」の意義(「翁の發生」の終篇)
 咒詞及び祝詞
 靈魂の話
 たなばたと盆祭りと
 河童の話
 偶人信仰の民俗化竝びに傳説化せる道
 組踊り以前
 田遊び祭りの概念
 古代人の思考の基礎
 古代に於ける言語傳承の推移
 小栗判官論の計畫(「餓鬼阿彌蘇生譚」終篇)
 漂著石神論計畫
 雪まつりの面
 「琉球の宗教」の中の一つの正誤
 追ひ書き

あとがき (折口博士記念古代研究所)



折口信夫全集3-2



◆本書より◆


「ごろつきの話」より:

「無賴漢(ゴロツキ)などゝいへば、社會の瘤のやうなものとしか考へて居られぬ。だが、嘗て、日本では此無賴漢が、社會の大なる要素をなした時代がある。のみならず、藝術の上の運動には、殊に大きな力を致したと見られるのである。」
「先、彼等は、どんな動き方をして現れて來たかを述べよう。
日本には、古く「うかれ人」の團體があつた事を、私は他の機會に述べてゐる。異郷の信仰と、異風の藝術(歌舞と偶人劇)とを持つて、各地を浮浪した團體で、後には、海路・陸路の喉頸の地に定住する樣にもなり、女人は、其等の藝能と賣色とを表商賣とするやうになつたのであつたが、いつか彼等の間に  ほかひゞと  の混同を見るやうになつた。大和朝廷の統一事業と共に、失職した村の神人たち、或は、租税を恐れて、自ら亡命したものなどがあつて、山林に逃げ込み、地方を巡遊したりしたものがあつたからだ。
一方、うかれ人の方も、漸次生活が變化して行つたが、何と言つても、彼等は奴隷としての待遇しか受けることが出來なかつた。
かうして、此二者は早くから歩み寄つてゐたのであつたが、更に、平安朝の末に至ると、愈其等のものが混同し、同化するやうになつた。行基門徒の乞食・陰陽師・唱門師・修驗者など、さうした巡遊者が續出したからであるが、尚、それの一つの大きな原因は、貴族の勢力が失墜すると同時に、社寺の勢力も亦衰頽を來した爲、其等の社寺に隷屬してゐた奴隷たちが、自由解放を行うた事である。其等の社寺には、神人(ジンニン)・童子などゝ稱し、社の祭事・寺の法會などに各種の演藝を行つたものが居つたが、彼等は生活の不安を感じ出した事によつて、其等の社寺を離れ、各自屬した處の社寺の信仰と、社寺在來の藝能とを持つて、果なき流浪の旅に上る樣なことになつた。彼等は、山伏し・唱門師の態をとつて巡遊したのであつた。在來の浮浪團體に混同したのは、當然のことである。
更に、此頃になつて目立つて來た、まう一つの浮浪者があつた。諸方の豪族の家々の子弟のうち、總領の土地を貰ふことの出來なかつたもの、乃至は、戰爭に負けて土地を奪はれたものなどが、諸國に新しい土地を求めようとして、彷徨した。此が又、前の浮浪團體に混同した。道中の便宜を得る爲に、彼等の群に投じたといふやうなことがあつたのだ。後世の「武士」は、實は宛て字である。「ぶし」の語原はこれらの野ぶし山ぶしにあるらしい。」

「昔から、宗教の方面には、政治の手が屆かなかつた。其には理由があるので、言はず語らずの掟があつて、彼等は全く政治家の權力以外を行つた。江戸時代になつてからも、寺社奉行などはあつたが、山伏しの取締りには、隨分幕府も困つた樣である。駈落者・無宿者・亡命の徒などが彼等の中へ飛び込めば、政治家も、其をどうする事も出來なかつた。」

「彼等はさうした法力を示してゐたが、山伏しの爲事は、其だけではなかつた。常には、舞ひや踊りや歌をやつた。」

「京の街では、早くから、祗園祭に異風の行列が流行つた。これのはつきりして來たのは、室町からであつたが、既に、其以前、平安朝に於ても、其風はあつたのだ。さうして、これの愈發達して來たものが、風流(フリウ)であり、六法である。彼等は、假裝をして、盛んに暴れ廻つた。當時としては、其がはいからであり、さうして人目を驚かすことに、社會一般の興味があつたのだと思ふ。彼等は、好んで外國渡來の品などを身に著けた。かうした、異風・亂暴は、其がまた、性欲的でもあつたのだ。」

「風流は、後には、飾りものの名の樣になつて了うたが、元來は、異つた扮裝をする事を言うたのである。異つた扮裝をして、祭禮などに練つて歩いた。此が多少の變化を來して、動作が主になつたものが、六法であり、それの分派がかぶきであり、それから「奴」が出來、德川中期には「寛濶」などゝ言ふものも出來たのだが、もともと此等の藝は、風流系統のものである。」

「大體、今日一般が考へてゐる道德なるものは、歴史的に見て、此がどれだけの價値を持つてゐるか、一考を要すべき點があらうと思ふ。」
「武士道は、此を歴史的に眺めるのには、二つに分けて考へねばならぬ。素行(引用者注: 山鹿素行)以後のものは、士道であつて、其以前のものは、前にも言うた野ぶし山ぶしに系統を持つ、ごろつきの道德である。即、變幻極まりなきもの、不安にして、美しく、きらびやかなるものを愛するのが、彼等の道德であつたのである。だから、彼等の道德には、今日の道德感を以て考へては、訣らないやうなものもある。」

「日本の文學は、王朝時代に於ける女房の文學に始まり、次で隱者の文學が起り、此にごろつきの文學が提携し、此等のものゝ洗禮を受けて生れたのが、即、江戸時代の町人文學である。(中略)茲には無賴の徒の藝術として、歌舞妓芝居の發生を述べた。」



「神道に現れた民族論理」より:

「そこで、考へに上るのは、古い時代の后妃には、水神の女子が多い事である。私は近頃、水神及び水神の巫女なる「水の女」の事を考へてゐるが、不思議にも、天孫降臨の最初のお后このはなのさくや媛だけは、おほやまつみの娘であるけれど、其以後の后妃は、垂仁帝あたりまで、大抵、水神の娘である。さうして、さくや媛すら「水の女」の要素を十分に持つてゐられた事が窺へるのである。要するに、出雲系の神は皆「水の神」又は「水の女」で、試みに、すさのをおほくにぬしの系統を辿つて行くと、大抵水神であることを發見する。」

みこともちをする人が、其言葉を唱へると、最初に其みことを發した神と同格になる、と云ふ事を前に云つたが、更に又、其詞を唱へると、時間に於て、最初其が唱へられた時とおなじ「時」となり、空間に於て、最初其が唱へられた處とおなじ「場處」となるのである。」

「尚又、其に關聯して起るのは、地名が轉移する事である。全國の地名には、平凡に近い程までに、同名が多くある。が尠くとも、其第一原因は、皆祝詞がさうさせたのである。藤原・飛鳥などは、その顯著な一例であらう。その外、葦原ノ中國は九州にもあり、其他、方々にあるが、此は葦原ノ中國の祝詞を唱へれば、即そこが、葦原ノ中國になるのであるから、少しも不思議はない。察する所、昔はもつと自由に、地名が移動したのであつて、譬へば、天孫降臨を傳へる叙事詩を諷へば、直ちに其處が、日向の地になつたであらうと思ふ。此は、昔の人の思考の法則から見て、極めて自然な事である。だから、時間なんかは勿論、いつでも超越してゐた。譬へば、神武天皇も、崇神天皇も、共に「肇國(ハツクニ)しろす天皇」である。(中略)此も肇國の唱へ言があつて、その祝詞を唱へられたお方は、皆肇國しろす天皇なのであつた。」



「靈魂の話」より:

たまは抽象的なもので、時あつて姿を現すものと考へたのが、古い信仰の樣である。其が神となり、更に其下に、ものと稱するものが考へられる樣にもなつた。即、たまに善惡の二方面があると考へるやうになつて、人間から見ての、善い部分が「神」になり、邪惡な方面が「もの」として考へられるやうになつたのであるが、猶、習慣としては、たまといふ語も殘つたのである。」

かひは、もなかの皮の樣に、ものを包んで居るものを言うたので、此から、蛤貝・蜆貝などの貝も考へられる樣になつたのであるが、此かひは、密閉して居て、穴のあいて居ないのがよかつた。其穴のあいて居ない容れ物の中に、どこからか這入つて來るものがある、と昔の人は考へた。其這入つて來るものが、たまである。そして、此中で或期間を過すと、其かひを破つて出現する。即、あるの状態を示すので、かひの中に這入つて來るのが、なるである。」
「かやうに日本人は、ものゝの發生する姿には、原則として三段の順序があると考へた。外からやつて來るものがあつて、其が或期間ものゝ中に這入つて居り、やがて出現して此世の形をとる。此三段の順序を考へたのである。」
「竹とり物語のかぐや姫は、此なるの、適切な例と見られる。」
「類型の話は、猶幾つかある。桃太郎の話が、やはり其一つである。」
「朝鮮には、卵から生れた英雄の話がたくさんある。」
「更にかうした話は、もつと異つた形でも殘つて居る。聖德太子に仕へ、中世以後の日本の民俗藝術の祖と謂はれて居る、秦ノ河勝には、壺の中に這入つて三輪川を流れて來た、との傳説が附隨して居る。此壺には、蓋があつた。」
「日本の神々の話には、中には大きな神の出現する話もないではないが、其よりも小さい神の出現に就いて、説かれたものゝ方が多い。此らの神々は、大抵ものゝ中に這入つて來る。其容れ物がうつぼ舟である。ひさごのやうに、人工的に つめ をしたものでなく、中が うつろ になつたものである。此に蓋があると考へたのは、後世の事である。書物で見られるもので、此代表的な神は、すくなひこなである。此神は、適切にたまと言ふものを思はす。即、おほくにぬしの外來魂の名が、此すくなひこなの形で示されたのだとも見られる。
此神は、かゞみの舟に乘つて來た。さゝぎの皮衣を著て來たともあり、ひとり蟲の衣を著て來たともあり、鵝或は蛾の字が宛てられて居る。(中略)とにかく、中のうつろなものに乘つて來たのであらう。」
「かやうに昔の人は、他界から來て此世の姿になるまでの間は、何ものかの中に這入つてゐなければならぬと考へた。そして其容れ物に、うつぼ舟・たまごひさごなどを考へたのである。」
「何故かうしてものゝ中に這入らねばならぬのであつたか。其理由は、我々には訣らぬ。或は、姿をなさない他界のものであるから、姿をなすまでの期間が必要だ、と考へたのであつたかも知れない。併し、まう一つ、ものがなる爲には、ぢつとして居なければならぬ時期があるとの考へもあつた樣だ。えびかにが固い殻に包まれてぢつとしてゐるのも、蛇が冬眠するのも、昔の人には、餘程不思議な事に思はれたに相違ない。光線もあたらない、暗黑の中に、ぢつとして居たものが、やがて時がくれば、其皮を脱いで、立派な形となつて現れる。古代人は、そこに内容の充實を考へたのであらう。
此話は、日本の神道で最大切な事に考へて居た、ものいみと關聯がある。」
に籠ると言ふことは、蒲團の樣なものを被つてぢつとして居る事であつた。大嘗祭の眞床覆衾が其である。さうして居ると、魂が這入つて來て、次の形を完成すると考へた。其時は、蒲團がものを包んでゐるので、即かひである。さうして外氣にあたらなければ、中味が變化を起すと考へた。完成したときがみあれである。此は昔の人が、生物の樣態を見て居て考へたことであつたかも知れない。」
「古い言葉に、此はうつぼにも關係があると思ふが、うつと言ふ語がある。空・虚・或は全の字をあてる。(中略)うつは全で、完全にものに包まれて居る事らしい。このはなさくや姫のうつむろは、戸なき八尋殿を、更に土もて塗り塞いだとあるから、すつかりものに包まれた、窓のない室の意で、空の室を言つたのではないと思ふ。たゞ其が、空であつた場合もあるのである。」

「日本には、古くから石成長の話がある。また漂著神(ヨリガミ)の信仰がある。此もたま成長の信仰と關係があつて出來たものだと思ふ。たまが成長をするのに、何物かの中に這入つて、或期間を過すと考へた事から、其容れ物として、うつぼ舟・ひさごを考へ、また衣類・蒲團の樣なものにくるまる事を考へたのであるが、更に此たまは、石の中にも這入ると考へた。どうして石の樣なものゝ中に這入ると考へたか、とにかく、日本の古代にはさうした信仰があつた。」
「此石が、神の乘り物・容れ物と考へられた例が、段々ある。石がぢつとして居ないで、よそからやつて來る場合がある。石にたまが這入ると言ふ信仰には、たまがよそからやつて來て這入るのと、既に這入つたものが、他界からやつて來る、と考へたのと、此二つがあつた樣だ。後者は、海岸に殊に多い。古くからあつた像石(カタイシ)信仰が其である。大洗の磯崎神社の像石は、此有名な一つで、一夜の中に、海中から出現した神だ、といはれて居る。」

おほなむちすくなひこなとが一つのものに考へられたには、理由がある。すくなひこなが他界から來た神である事は前に述べたが、おほくにぬしの命が、此すくなひこなを失うて、海岸に立つて愁へて居ると、海原を光(テラ)して、依り來る神があつた。「何者だ」と問ふと、「俺はお前だ。お前の荒魂(アラミタマ)・和魂(ニギミタマ)・奇魂(クシミタマ)だ」と答へたとある。大和の三輪山に祀つた  おほものぬしの  命であるが、此三つの魂が、おほなむちについて居たのである。たまには、形はないが、少くとも此話では、光りをもつて居た事が考へられる。
日本の神々に、いろいろな名があるのは、一つの體に、いろいろな魂が這入ると考へたからで、(中略)元は體はたまの容れ物だと考へた。」



「河童の話」より:

「最初に結論から言はう。咒術者に役(エキ)せられる精靈は、常に隙を覗うてゐる。遂に役者(エキシヤ)の油斷を見て、自由な野・山・川・海に還るのである。」

「夏祓へに、人間の邪惡を負はせて流した人形(ヒトガタ)が、水界に生(シヤウ)を受けて居るとの考へ」



「偶人信仰の民俗化竝びに傳説化せる道」より:

「つまり、日本の信仰には、流される神が幾らもある。其が漂著して、祀られる。更に遠い處から訪れて來る、小さな神がある。」

「神を迎へるのと、祓除をするのとは、形は違ふけれども、惡氣を避ける爲と言ふ事では、一つであつた。つまり、迎へた神を送る爲の、神の形代流しと、祓除の穢禍を背負うた形代流しとが、結びついて出來たのが、雛祭りである。さうして、一家の模型を意味したひゝなの家を作つて、それに穢れを移して流したのが、古い形であつたのだが、いつかこの雛に、金をかける樣になつて、流さぬ樣になつたのだと思ふ。」



「小栗判官論の計畫」より:

「人の姿を、動物その他に變形する術と、異形身と。」

「蛇身の女と契ることは、水の女の故事にも關係がある。」

「月讀命の大食津媛を殺したのも、月はまれびとだからだ。」

「來世を見て來た人の信仰。」

「來世話をする異形の病人。」



「追ひ書き」より:

「この書物、第一巻の校正が、やがてあがる今になつて、ぽつくりと、大阪の長兄が、亡くなつて行つた。さうして今晩は、その通夜である。私は、かんかんとあかるい、而もしめやかな座敷をはづして、ひつそりと、此後づけの文を綴つてゐるのである。」
「かうして、死んで了うた後になつて考へると、兄の生涯は、あんまりあぢきなかつた。ある點から見れば、その一半は、私ども五人の兄弟たちの爲に、空費して了うた形さへある。
昔から、私の爲事には、理會のある方ではなかつた。次兄の助言がなかつたら、意志の弱い私は、やつぱり、家職の醫學に向けられて居たに違ひない。或は今頃は、腰の低い町醫者として、物思ひもない日々を送つてゐるかも知れなかつた。懷德堂の歴史を讀んで、思はず、ため息をついた事がある。百年も前の大阪町人、その二・三男の文才・學才ある者のなり行きを考へさせられたものである。秋成はかう言ふ、境(ミ)にあはぬ教養を受けた てあひ の末路を、はりつけもの だと罵つた。そんな あくたい をついた人自身、やはり何ともつかぬ、迷ひ犬の樣な生涯を了へたではないか。でも、さう言ふ道を見つけることがあつたら、まだよい。恐らくは、何だか、其暮し方の物足らなさに、無聊な一生を、過すことであつたらうに。養子にやられては戻され、嫁を持たされては、そりのあはぬ家庭に飽く。こんな事ばかりくり返して老い衰へ、兄のかゝりうどになつて、日を送る事だらう。部屋住みのまゝに白髪になつて、かひ性なしの をつさん、と家のをひ・めひには、謗られることであつたらう。
これは、空想ではなかつた。まのあたり、先例がある。私の祖父は、大和飛鳥の「元伊勢」と謂はれた神主の家から、迎へられた人である。其前に、家つきの息子がゐた。その名の岡本屋彦次郎を、お家流を脱した、可なりな手で書いたのを見て、幾度か、考へさせられた。四書や、唐詩選・蒙求の類も、僅かながら、此人の稽古本として殘つてゐる。家業がいやで、家に居れば、屋根裏部屋――大阪風の二階――に籠りつきり、ふつと氣が向くと、二日も三日も家をあけて、歸りにはきつと、つけうま を引いて、戻つて來たと言ふ。繼母の鋭い目を避けて、幾日でも、二階から降りて來なかつた。其間の所在なさに、書きなぐつた往來文や、法帖の臨書などが、いまだに木津の家の藏には殘つてゐる。果ては、久離きられた身となつて、其頃の大阪人には、考へるも恐しい、僻地となつてゐた熊野の奧へ、縁あつて、落ちて行つたさうである。其處で、寺子屋の師匠として、わびしい月日を送つて、やがて、死んで行つた事も、聞えて來たと聞く。夢の樣な、家の昔語りの、幼い耳の印象が、年を經るに從うて、強く意味を持つて響いて來る。
かうした、ほうとした一生を暮した人も、一時代前までは、多かつたのである。文學や學問を暮しのたつきとする遊民の生活が、保證せられる樣になつた世間を、私は人一倍、身に沁みて感じてゐる。彦次郎さんよりも、もつと役立たずの私であることは、よく知つてゐる。だから私は、學者であり、私學の先生である事に、毫も誇りを感じない。そんな氣になつてゐるには、あやにくに、まだ古い町人の血が、をどん でゐる。祖父も、曾祖父も、其以前の祖(オヤ)たちも、苦しんで生きた。もつとよい生活を、謙遜しながら送つてゐた、と思ふと、先輩や友人の樣に、氣輕に、學究風の體面を整へる氣になれない。これは、人を嗤ふのでも、自ら尊しとするのでもない。私の心に寓つた、彦次郎さんらのため息が、さうさせるのである。
獨り身を守り遂げて、我々をこれまでにしあげてくれた、叔母えい子刀自も、もうとる年である。せめて一度は、年よりらしい、有頂天の喜びを催さしてあげたいと思ふけれど、私に、其望みを繋けてゐてくれる學位論文なども、書く氣にもなれない。亡い兄も、數年前まで、歸省する毎にくり返したのは、其事であつた。でも、私の根本の憂鬱には、觸れるよしもない叔母・兄も、近年すつかり、私に、そんな激勵や要求はせなくなつた。」
「私は、家びとの望みを卻けて、國學院に入り、又、そこを出てから二十年、長い扶養を、家から受け續けた。兄も段々あきらめて、私の遊び半分の樣な爲事の成長を、待ち娯む氣になつて居たらしい。「世間的に、役にたゝぬ あれ の事だから、一生は、私が見てやります。」こんな事を親しい隣人たちには、時々、言ふ事もあつた樣で、せんもない 私の爲事を、無言の柔和な眦で瞻(ミ)つめて居てくれた。世間から見れば、まことに、未練・無知な ひいき に過ぎなかつたのである。私の一生を、後見るつもりでゐた兄の心が、今では却つて、はかないものになつて了うた。」
「けれども、兄ひとりが、寂しかつたのではない。私とても、一族を思ひ、身一己を思ふと、洞然とした虚しい心に、すうすうと、冷い風の通ふ様な氣がしてならぬ。私の學問は、それ程、同情者を豫期する事の出來さうもない處まで、蹈みこんで了うてゐる。しんみ になつて教へた、數百人の學生の中に、一人だつて、眞の追隨者が出來たか。私の假説は、いつまでも、假説として殘るであらう。私の誤つた論理を正し、よい方に育てゝくれる學徒が、何時になつたら、出てくれるか。今まで十年の講座生活は、遂に、私の獨り合點として、終りさうな氣がする。唯珍らし相な主題、傳襲を守るを屑しとせぬ態度、私の講義は、かうした意義で、若い人氣を、倖に占め得た事もあるに過ぎない。」

「比較研究は、事象・物品を一つ位置に据ゑて、見比べる事だけではない。其幾種の事物の間の關係を、正しく通觀する心の活動がなければならぬ。此比較能力の程度が、人々の、學究的價値を定めるものである。」
「比較能力にも、類化性能と、別化性能とがある。類似點を直觀する傾向と、突嗟に差異點を感ずるものとである。この二性能が、完全に融合してゐる事が理想だが、さうはゆくものではない。
私には、この別化性能に、不足がある樣である。類似は、すばやく認めるが、差異は、かつきり胸に來ない。事象を同視し易い傾きがある。これが、私の推論の上に、誤謬を交へて居ないかと時々氣になる。」

「私の研究は、空想に客觀の衣裝を被せたものは、わりに尠い。民俗を見聞しながら、又は、本を讀みながらの實感が、記憶の印象を、喚び起す事から、論理の絲口を得た事が多い。其論理を追求してゐる間に、自らたぐり寄せられて來る知識を綜合する。唯、其方法は誤らない樣に、常に用心はしてゐる。」

「時として、私の叙述が、年代を疎かにしてゐる樣に見える事がある。これ亦、民俗學と歴史との違ひである。民間傳承においては、土地と時間とを超越した事象が、屡見られる。殊に、全體としては、百年・千年前に亡びたものが、一地方には保持せられてゐることが、稀ではない。かうした傳承が、古代生活の説明に役立つ。文學や、藝能の發生展開の過程も、地方と時代とに相應することもあるが、其影響を離れて、個々の特殊の形に殘る事がとりわけ多い。此等の遺存を綜合しながらの叙述である爲、勢、時代・年月の印象が薄くなる事もある。」




































































































『折口信夫全集 第一巻 古代研究(國文學篇)』 (中公文庫)

「枕詞から序歌が出来たと考へる人が多い。併し、一考を要する。単純から複雑になるのではなくて、世界の理法では、複雑が単純化せられて行くのが、ほんとうである。」
(折口信夫 「日本文章の発想法の起り」 より)


『折口信夫全集 第一巻 
古代研究(國文學篇)』

編纂: 折口博士記念古代研究所 
中公文庫 Z-1

中央公論社 昭和50年9月10日初版/昭和58年6月10日4版
531p あとがき2p 目次6p 口絵4p 別丁口絵1葉
定価680円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修
正字・正かな



本書「あとがき」より:

「『折口信夫全集』第一巻は、『古代研究』國文學篇を收めた。原版は昭和四年四月の上梓で、從來、國文學に關して雜誌その他に發表し、或は草稿として篋底に存した論稿を、折口博士が自ら編輯したものである。大岡山書店の發行、菊判七〇六頁、(中略)口繪七枚を添へた、當時としては頗る豪華版で、定價は六圓五十錢であつた。」


折口信夫全集1-1


目次:

別丁口絵 (昭和二十六年春)

口絵
 八百比丘尼
 久高島外間のろ
 同右
 漂著神を祀つたたぶの杜
 岬のたぶ
 さいの神
 さいの神

古代研究(國文學篇)

 國文學の發生(第三稿)――まれびとの意義
   一 まれびと
   二 門入り
   三 簑笠の信仰
   四 初春のまれびと
   五 遠處の精靈 
   六 祖靈の群行
   七 生きみ靈
   八 ことほぎそしり
   九 あるじの原義
   一〇 神來訪の時期
   一一 精靈の誓約
   一二 まれびとの遠來と群行の思想
   一三 まつり
   一四 とこよ

 國文學の發生(第一稿)――呪言と叙事詩と

 國文學の發生(第二稿)
  咒言の展開
   一 神の嫁
   二 まれびと
   三 ほかひ
   四 よごと
   五 天つ祝詞
   六 まじなひ
  巡遊伶人の生活
   一 祝言職
   二 「乞食者詠」の一つの註釋
   三 當てぶりの舞
   四 ほかひゞとの遺物
   五 ほかひの淪落
   六 叙事詩の撒布
  叙事詩の撒布
   一 うかれびと
   二 くゞつ以前の個人劇
   三 新しいほかひの詞
 
 國文學の發生(第四稿)――唱導的方面を中心として
  咒言から壽詞へ
   一 咒言の神
    二 常世國と咒言との關係
    三 奏詞の發達
    四 奉仕の本縁を説く壽詞
   叙事詩の成立と其展開と
    一 咒言から叙事詩・宮廷詩へ
    二 物語と祝言と
    三 語部とほかひゞと
    四 いはひ詞の勢力
    五 物語と歌との關係竝びに詞章の新作
    六 天語と卜部祭文との繋り
   語部の歴史
    一 中臣女の傳承
    二 祝言團の歴史
    三 系圖と名代部と
   賤民の文學
    一 海語部藝術の風化
    二 くゞつの民
    三 社寺奴婢の藝術
    四 唱門師の運動
    五 他界を語る熊野唱導及び念佛藝
    六 説教と淨瑠璃と
   戲曲・舞踊詞曲の見渡し

 短歌本質成立の時代――萬葉集以後の歌風の見わたし
  一 短歌の創作まで
  二 奈良朝の短歌
  三 平安初期の大歌
  四 六歌仙の歌
  五 古今集の歌風
  六 短歌改新に與つた人々
  七 實生活を詠んだ歌
  八 新古今の歌風
  九 幽玄體
  一〇 家集と撰集と
  一一 新葉集

 女房文學から隱者文學へ――後期王朝文學史
  一 女房歌合せ
  二 隱者の文藝
  三 至尊歌風と師範家と
  四 歌枕及び幽玄態の意義變化
  五 儒者の國文學に與へた痕
  六 前代文學の融合と新古今集と
  七 遠島抄の價値 一部抄出

 萬葉びとの生活
  其理想の生活
  嫉みを受ける人として
  倭成す神の殘虐
  神々のよみがへり
  智慧の美德
  仁の意味
  村々の神主

 萬葉集の解題

 萬葉集のなり立ち
  一 奈良の宮の御代
  二 大伴家持
  三 平城天皇の性格
  四 雅樂寮と大歌所と
  五 東歌

 萬葉集研究
  一 萬葉詞章と蹈歌章曲と
  二 萬葉集の大歌
  三 ふり くにぶり うた
  四 うたの時代
  五 相聞
  六 東歌
  七 律文における漢文學素地
  八 代作詩
  九 創作態度
  一〇 萬葉學に一等資料のないこと
  一一 萬葉びとの生活 
   君 皇子尊 
   女君 中皇命
   巫女としての女性
   妹の魂結び
   魂はやす行事
   靈の放ち鳥
   すめみま
   をとめ・をとこ
   大臣・庶民

 敍景詩の發生

 古代生活に見えた戀愛

 古代民謠の研究――その外輪に沿うて
  生ひば生ふるかに
  おもしろき野をば
  古草に新草まじり
  田あそび
  男になつたしるし
  雨づゝみ・長雨齋み
  世に經るながめ
  天つ罪

 日本書と日本紀と
  一 紀といふことばの意義
  二 日本書
  三 日本紀の成立

 相聞の發達

 日本文章の發想法の起り

 お伽草子の一考察

あとがき (折口博士記念古代研究所)



折口信夫全集1-2



◆本書より◆


「國文學の發生(第三稿)」より:

まれびとは古くは、神を斥(サ)す語であつて、とこよから時を定めて來り訪ふことがあると思はれて居たことを説かうとするのである。」
「てつとりばやく、私の考へるまれびとの原の姿を言へば、神であつた。第一義に於ては古代の村々に、海のあなたから時あつて來り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還る靈物を意味して居た。」

「簑笠は、後世農人の常用品と專ら考へられて居るが、古代人にとつては、一つの變相服裝でもある。笠を頂き簑を纏ふ事が、人格を離れて神格に入る手段であつたと見るべき痕跡がある。」



「國文學の發生(第二稿)」より:

「村々の高級巫女たちは、獨身を原則とした。其は神の嫁として、進められたものであつたからだ。神祭りの際、群衆の男女が、恍惚の状態になつて、雜婚に陷る根本の考へは、一人々々の男を通じて、神が出現してゐるのである。」

「人形を恐れる地方は、今もある。畏敬と觸穢と兩方から來る感情が、まだ邊鄙には殘つて居るのである。文樂座などの、人形を舞はす藝人が、人形に對して生き物の樣な感觸のあるものと感じて居るのは事實である。沖縄本島に念佛者(ニンブチヤア)と言ふ、平民以下に見られてゐる人々が居る。春は胸に懸けた小さな箱(中略)の中で、人形を舞はしながら、京太郎(チヤンダラ)と言ふ日本(ヤマト)人に關した物語を謠うて、島中を廻つたものである。其人形は久しく使はぬ爲に、四肢のわかれも知れぬ程になつたが、非常にとり扱ひに怖ぢてゐた。此人形に不思議な事が度々あつたと言ふ。」



「國文學の發生(第四稿)」より:

「たゞ今、文學の信仰起原説を最、頑なに把つて居るのは、恐らくは私であらう。性の牽引や、咄嗟の感激から出發したとする學説などゝは、當分折りあへない其等の假説の缺點を見てゐる。さうした常識の範圍を脱しない合理論は、一等大切な唯の一點をすら考へ洩して居るのである。」

「山彦即木靈は、人の聲をまねる處から、怖ぢられた。山の鳥や狸などにも、根負けしてかけあひを止めると、災ひを受けると言ふ傳へが多い。呪言の效果が相殺してゐる場合、一つ先に止めると、相手の呪言の禍を蒙らねばならないのだ。」

「死後一年位は、生死を判定することの出來なかつたのが、古代の生命觀であつた。さうした期間に亙つて、生魂(イキミタマ)を身に固著(フラ)しめようと、試みをくり返した。此期間が、漢風習合以前の日本式の喪(モ)であつたのである。 
こふ(戀ふ)と云ふ語の第一義は、實は、しぬぶとは遠いものであつた。魂を欲すると言へば、はまりさうな内容を持つて居たらしい。魂の還るを乞ふにも、魂の我が身に來りつく事を願ふ義にも用ゐられて居る。」

「此山ぶし野ぶしと言ふ、平安朝中期から見える語には、後世の武士の語原が窺はれるのである。「武士(ブシ)」は實は宛て字で、山・野と云ふ修飾語を省いた迄である。此者共の仲間には、本領を失うたり、郷家をあぶれ出たりした人々も交つて來た。黨を組んで、戰國の諸豪族を訪れ、行法と武力とを以て、庸兵となり、或は臣下となつて住み込む事もあつた。そして、山伏しの行力自負の濫行が、江戸の治世になつても續いた。諸侯の領内の治外法權地に據り、百姓・町人を劫かすばかりか、領主の命をも聽かなかつた。其爲、山伏し殺戮が屡行はれてゐる。」
「今も榮えてゐる地方の豪族の中には、山伏しから轉じて陰陽師となり、其資格で神職となつたのが多い。かういふ風に變化自在であつた。」

「口前うまく行人をだます者、旅行器具に特徴のあつたあぶれもの、或は文學・艷道の顧問(幇間の前型)と言つた形で名家に出入りする者、或はおしこみ專門の流民團など、色々ある樣でも、結局は大抵、社寺の奴隷團體を基礎としたものであつた。かう言ふ仲間に、念佛聖の藝と、今一つ後の演劇の芽生えとなつた傳承が、急に育つて來た。其は、荒事(アラゴト)趣味である。室町末から、大坂へかけての間を、此流行期と見なしてよい。實は古代から、一時的には常に行はれた事の、時世粧として現れて來たのである。」

「日本文學の一つの癖は、改作を重ねると言ふ事である。私は源氏物語さへも「紫の物語」と言つた、巫女などの唱導らしいものゝ、書き替へから始まつたのだと考へてゐる。」

「所屬する主家のない流民は、皆、社寺の奴隷に數へられた。此徒には、海の神人の後なるくゞつと、山人の流派から出たほかひゞととが混り合つてゐた。それが海人がほかひゞとになり、山人がくゞつになりして、互に相交つて了うた。此等が唱門師の中心であつた。舞の本流は、此仲間に傳へられたのである。」



「短歌本質成立の時代」より:

「業平の歌の背景なる伊勢其他の傳説がすつかり消えても、歌だけで、傳ふる事の出來た人である。彼の歌は、家持のや黑人のと違うて、自然の前に朧ろに光る孤影を見入つてゐた心、其を更に外へ出して、他人の心の上に落ちる自分の姿を瞻つて、こゝにも亦、寂しく通り過ぎる影しかないことを、はかなんでゐる樣な心境である。」


「萬葉びとの生活」より:

「飛鳥の都以後、奈良朝以前の、感情生活の記録が、萬葉集である。萬葉びとと呼ぶのは、此間に、此國土の上に現れて、樣々な生活を遂げた人の總べてを斥す。(中略)此時代は實は、我々の國の内外(ウチト)の生活が、粗野から優雅に蹈み込みかけ、さうして略、其輪廓だけは完成した時代であつた。此間に生きて、我々の文化生活の第一歩を闢いてくれた祖先の全體、其を主に、感情の側から視ようとするのである。」


「萬葉集研究」より:

「鳥殊に水鳥は、靈魂の具象した姿だと信じた事もある。又、其運搬者だとも考へられた。而も魂の一の寓りとも思うて居た。事代主神がしてゐたと言ふ「鳥之遨游(トリノアソビ)」も、ほむちわけの鵠(クゞヒ)の聲を聞いて、物言はうとしたのも、皆、水鳥を以て、鎭魂の呪術に使うた信仰の印象である。やまとたけるの白鳥――又は、八尋白千鳥に化したと言ふのも靈魂の姿と考へた爲であつた。鵠(クゞヒ)・鶴・雁・鷺など、古代から近代に亙つて、靈の鳥の種類は多い。殊に鵠と雁とは、壽福の樂土なる常世國の鳥として著れてゐた。」


「日本文章の發想法の起り」より:

「枕詞から序歌が出來たと考へる人が多い。併し、一考を要する。單純から複雜になるのではなくて、世界の理法では、複雜が單純化せられて行くのが、ほんとうである。わりに自由な、かなりの長さの序歌から整うて來たのが、枕詞なのだ。」


折口信夫全集1-3

























































































『折口信夫全集 第十六巻 民俗學篇 2』 (中公文庫)

「他界に安住して生きるものは、元は人間であつても、常の姿は人ではない。異類・動物の姿に変じてゐるものと考へられてゐた。」
(折口信夫 「民族史観における他界観念」 より)


『折口信夫全集 第十六巻 
民俗學篇 2』
 
編纂: 折口博士記念古代研究所
中公文庫 Z 1-16

中央公論社 昭和51年11月10日初版/昭和63年1月10日3版
529p あとがき3p 目次5p 
文庫判 並装 カバー 
定価680円
表紙・扉: 白井晟一
正字・正かな



「沖縄採訪記」「沖縄採訪手帖」中に著者による挿図多数、「道の神 境の神」に写真図版34点。


折口信夫全集16-1


本書「あとがき」より:

「全集の第十六巻は「民俗學篇」の第二とし、前巻に續いて著者の民俗學に關する諸稿を收録した。」


折口信夫全集16-2


目次:

沖縄に存する我が古代信仰の殘孽
 一 巫女中心の思想
 二 顯神觀念
 三 氏神
 四 祖先崇拝
 五 神山
 六 國家の神
 七 誦文類
 八 神話
 九 神主と祖神と
 十 神幸
 十一 訣れのみ櫛、及び求婚・避婚
 十二 祓除
琉球國王の出自――佐敷尚氏・伊平屋尚氏の關係の推測――
女の香爐
沖縄採訪記
沖縄採訪手帖

大倭宮廷の刱業期
 語部
 足一騰ノ宮
 兄彦・弟媛
 母の木
 常世・妣が國
 熊野の袁延
 八咫烏
 天ノ壓神
 天ノ香具山
 鳥見彦・長髓彦
 來目歌
 橿原ノ宮
宮廷儀禮の民俗學的考察――采女を中心として――
新嘗と東歌
常世浪
久米部の話
民族史觀における他界觀念
 永遠の信仰
 完成した靈魂
 未完成の靈魂
 祖先聖靈と 祀られぬ魂魄
 護國の鬼
 私心の怨靈
 荒ぶるみ靈
 念佛踊り
 成年式の他界に絡んだ意義
 奴隷のある觀察
 他界と地境と
 前『古代』における日本
 海彼の猛獸
 宮廷神道と眞實性と
 近代民俗の反省
 大空の他界
 他界の生物
 ぜうすと らあ
地下國
 他界の竝行
 とてみずむ  起原の一面
 沖縄式とてみずむ
 動物神話
 植物神話
「ほ」・「うら」から「ほがひ」へ

日本の年中行事――その入り立ち――
餅搗かぬ家
春來る鬼――秋田にのこる奇習
年中行事に見えた古代生活――雛祭りを中心に――
鷽替へ神事と山姥

河童の神樣
三社縁起
道の神 境の神
富士山と女性神の俤と
龍の傳説
花物語
蜑のさゝやき

東北文學と民俗學との交渉
生活の古典としての民俗
民俗學學習の基礎
民俗研究の意義
新國學としての民俗學
先生の學問

採訪の栞

あとがき (折口博士記念古代研究所)



折口信夫全集16-4



◆本書より◆


「民族史觀における他界觀念」より:

「佛説の賽ノ河原も、必しも嚴密に娑婆と冥途の地境とも、地獄極樂の境目とも言はぬが、一つの境界線にある所とは考へられて來た。(中略)中間にどちらから來ても、ふみ越えねばならぬ地帶があり、此が空虚――想像の上にばかりあつたことも多い――な所である。坂といふ語は、此に關聯してゐる。坂を間において二つの土地の關係を考へる時に、さかふといふ語を思ふやうになつた。其觀念的な語から具體的な地域に表して考へた時、さかひと言ふ語が使はれるやうになつた。」
「賽河原のさいさいの神(さへの神――道祖神)のさいであつた。」
「當方から常設の防禦者を立てゝ、邪惡な性質を持つてゐる――だらうと思はれる他郷異郷の生類の來入を瞻(マモ)つて居させる段になると、その防禦は、我々の爲に、碍(サ)へ・障(サヤ)りの威力を發揮することが豫期せられねばならぬ。其は人を置くか、神・精靈をおくか、此問題は容易でないとして、靈性の者を防ぐからには、やはり神又はものと言ふべきものを考へたであらう。此がさへの神であるが、時としては當方自ら手を燒くと言つた恐れもないではない。多少の邪惡性を持つた靈魂或は神である。(中略)部落の内部から出たものか、外からとつて來たものか、斷言出來るまでになつてゐない。」
さへの神一類の神は、(中略)善良な神ではない。(中略)氣のゆるされぬ神であつた。(中略)相當『前日本』的な性質を持つた靈性である。
近代における道祖神の傳承を見れば、正月のさいの神祭りを行ふ者は、村の少年たちであつて、(中略)此等の少年の行動の中から抽象して、其に神の存在を考へるとすれば、其神は少年に深い縁故を持つてゐる。近世的に、素朴に思へば、少年が特異な神を持ち、其を祀つてゐることになる。併し更に少年と神との關係を考へれば、少年の完成せぬ魂の靈化したものが、村を離れることの出來ない爲、村に殘り留つてゐる。其が少年の祀る神の本源だとすれば、理會の出來る所もある。未完成なる故に、成人の墓地に入ることが出來ないとせられてゐた理由を説明することも出來る。」

「古代人は、表現に、豐富な手段を持たなかつた。感謝も畏怖と繋つてゐた。讚美も驚愕の中から捲き起されて來るのである。冥府への途のやうな賽河原に、他界への通路としての輝きを感じたこともあるのであらう。來迎の神の道筋は、啻に賽の河原に限らなかつた。最古くから考へ傳へたと思はれる海彼岸・海底・山上の空・山岳――さう言ふ風に、數限りなく分化して、浄土は、古代人の期待の向ふ所にあつた。歡びに裂けさうな來訪人を迎へる期待も、獰猛な獸に接する驚きに似てゐた。樂土は同時に地獄であり、浄罪所は、とりも直さず煉獄そのものであつた訣である。」
「海の彼岸から來るものは、病ひと謂へども、――病気として偉力あるだけに――一往は讚め迎へ、快く送り出す習しになつてゐたのである。流行病の神も亦、常に他界から來るものと思うてゐる爲にする作法であり、神を褒めると共に、災淺く退散してくれることを祈るのである。(中略)古代日本以來、他界の訪客に對す態度は、いつもかうした重複した心理に基いてゐた。」
「他界に安住して生きるものは、元は人間であつても、常の姿は人ではない。異類・動物の姿に變じてゐるものと考へられてゐた。(中略)さうした豫期に恰も應へるやうに、珍奇な動物があつた訣である。(中略)かの「常世(トコヨ)の國」なる理想國が存在し、そこに美しく優なる人間や鳥・果實などのあることを思うてゐた。其間にも、生活を損ふ常世物(トコヨモノ)も存在することを知つて居た。(中略)恐らくさうした流行力の逞しい蟲をすらも、常世神と呼んだ。此は中世より前のことである。」

「高天原信仰は清澄な感じを與へる。だが、海のあなた、又その底の世界又は洋上遙かな島、何とも知れぬ闇い阪の下――かう言ふ地に他界を考へ、神の世界や、將又冥府・奈落を想像した事は事實である。其を皆他界と言つても、さし支へはない。だが、天を神の在り所とすることが、如何にも適切な氣のする所から、其でもまだ、天空の信仰衰へて後の變化だと思ふ者もあるが、容易に贊成することは出來ない。」

「餘程のべる風に語られた物なら昔話・傳説の中に、人間の住んでゐる他界の噂を語つてゐるが、多くのろまんちつくな味で、人に忘られない説話は、洋中の島や、山深い隈に動物の生を營む社會がある。その身に運あつて(中略)さう言ふ處に漂ひ著き、迷ひ込んだりする。非常な優遇を受けて人間界に送られて還る人もあるが、時には何とも彼とも言はれぬ怖しい目に逢つて、此世へ逃げ戻つて來る。」
「猫たちが、人家のある村の外の草蔭によりあつて、よくない相談をし、彌三郎婆の顔出しが遅いなどゝ言つて、――その日のある時間に、そこをよぎることによつて、僅かに交渉を生ぜむとしてゐる人間に危害を加へようとしたなど言ふ、人獸同居の世界に、稀に別々の條件で、遭遇する人間の物語==それすら實は、世界を別にした人間が、獸類ばかりの棲む他界に足を蹈み入れた場合を根柢に想像してゐる。他界に行つた人間の話に、違つた情趣を多く加へて表現したまでゞある==に出て來る敵愾心を持つた家畜・野獸の話は、あるにはある。併し其も大抵よく考へて見れば、二通りの別々の生き物が、おなじ宙有に呼吸を合せて棲んでゐるなどゝは考へたくなかつたらしいのである。
ひらき直つて、神話・傳説の類の上に見る人間と似ない神・靈物は、結局其が他界の生類であることを示す手段として、違つた姿形(ナリ)が考へつかれたのである。此等の聖物・邪惡のゐる所は、(中略)少くとも、人間界とは、やゝ遠くして境界を隔てゝ居たことを傳へてゐることは確かである。」
えうろつぱえぢぷとの神話の上に出て來る偉大な神及びでもん・精靈の類が、禽獸の姿で出現するもの非常に多く、殊にえぢぷとにおいて、頭部が鳥や獣で、胴體が人間と同樣なのが、とりわけ重要な神の場合であるのは、他界生類が他界身を現じた時を以て最偉大を發揮するものと信じて來たからである。幾樣にも變身を持つのは、歐洲の主要神に限らない。佛典の上にも、如來菩薩はじめ諸天の上にもあることであり、又變身の多くあることを、從來その神變力によつて、さうなのだと説いてゐるのは、其は其として、其前に源由があつたのである。變身術は邪神すら最屡行ふ所で、――何故さうした威力を考へたのだらう。
元々、他界の存在に具つてゐるもので、其らの他界身をわれわれの世界とひき放して考へる所から出てゐる。其が逆に、他界の所屬だと言ふことを見せる變身だと考へられて來たのである。此が人間界に顯れては、他界身を現じて不思議を爲す最偉力ある所以を示すものだから、遂には、此世界の生物も、その行動が、善意思であり、又は惡意思であるに限らず、力を發揮する條件として變身を持つことになつた。ぜうすが人界の女人れだと遇ひ、卵形の子をなさしめたのは、白鳥の姿になつてゞである。言ふまでもなく白鳥は、世界中に渉つて、靈その物の化したもの、或は靈魂を搬ぶ鳥と信じられて來た。他界に集り駐る浄き靈の化したものが、白鳥なのである。普通死者の靈だと言はれるのと違つたことを示し又、極めて容易に他界なる靈魂が我々が神と考へるものに近いことを教へてゐるのである。」
「白鳥處女譚は言はゞ、他界信仰の一分岐であつて、(中略)白鳥はあのやうに、羽衣を脱ぐことによつて、人となり、著ると即鳥――神となると言ふ根本思想を持つてゐる。他界身は白鳥であつて、現世身は處女である――此考へ方に整理して、我々はこの物語の裏に古代の他界身信仰を見て居る。」

「我々の周圍にもとてむ崇拝と同じものを持つた人々があつて、日本民族の一部となつてゐる。あいぬ  の熊・梟・蛙・狐・鮭などに對して抱いてゐる觀念と所作は、他の種族・部族に行はれてゐるとてむと肩を竝べるもので、別殊なものとは思はれぬ。沖縄の同胞も同樣なものを持つてゐる。」
「日本人の持つ訪れ人が、他界身と人界身とを持つに對して唯一つの「人外身」を以て、彼等に應接する。白鳥と處女との兩身を現ずることがなく白鳥ばかりでゐる樣に、海豚・儒艮の他界身を示すばかりのものも、稀に或は週期に人界を訪れる。この世における彼は、人間身を持つ我等であり、往いて他界にある自分の身はたとへば儒艮身であらうも知れぬ――さう言ふ空想すら起るほどに、深い感情交渉を互に持つ。唯、彼らは人間身を以て我等の前に現れることの出來ないばかりが、常世人・訪れ人と違ふ所である。
とてむを持つ人たちが、さう考へる理由は、靈魂信仰から來る。海獸の中なる靈魂は、われわれと共通の要素を持つてゐる。さうして人間身は現ずることをせぬが、變ずることなき他界身の中に、共通のものを持つてゐる。」
「其を無生物の上におしひろめると、植物・鑛物のとてむ觀が生じる。一面から言へば、此觀念はらいふ・いんでくすの信仰の根元となつてゐる。遠處にある動物・植物・鑛物が、人の靈魂を保有してゐる。其人を左右するには、現身に手を加へることは無意味である。そのらいふ・いんでくすなる獸・鳥・石・木などに内在する靈魂を自由にする外はない。此外存物と靈魂と、人間現身との關繋が、生命指標の信仰ととてむとを繋いでゐると言はねばならぬ。」










































































『折口信夫全集 第十五巻 民俗學篇 1』 (中公文庫)

「一体、道徳を失つた学問は、学問ではないのである。しかし我々は、今の道徳を擁護する為に学問をしてゐるのではなく、その健全なものを要求する為に働いてゐるのであつて、同時にその為に、学問をしてゐるといふ事は、間違ひではないだらう。」
「道徳に矛盾する人は、それも道徳に生きる一員ではある。つまり、新しいもらるせんすによつて、新しい道徳を打ち建てようといふ慾望をもつた人だからである。」

(折口信夫 「道徳の民俗学的考察」 より)


『折口信夫全集 第十五巻 
民俗學篇 1』
 
編纂: 折口博士記念古代研究所
中公文庫 Z 1-15

中央公論社 昭和51年11月10日初版/昭和61年12月25日4版
503p あとがき2p 目次5p 
文庫判 並装 カバー 
定価680円
表紙・扉: 白井晟一
正字・正かな



本文中、「さへの神祭りを中心に」に図版3点、「木地屋のはなし」に図版2点、地図1点。


折口信夫全集15-1


本書「あとがき」より:

「全集の第十五巻は「民俗學篇」の第一とし、民俗學に關する諸稿の中、從來、單行本に收録されなかつたものを收めた。」
「なほ、本巻の差別問題にかかはる採訪記述は削除した。」



折口信夫全集15-2


目次:

民俗學
 民俗學と國文學と
 日本文學の發生
 文學と民俗と
 日本に於ける民俗學
 週期傳承
 階級傳承
 職人の文藝
 造形傳承
 行動傳承
 言語傳承
 諺
 民謠
 傳説――神話・民譚・説話
 物語
地方に居て試みた民俗研究の方法
年中行事(民間行事傳承の研究)
 一 行事の起り
 二 神迎へ同じく神送り
 三 ほかひゞと
 四 農事祝ひ
 五 禁忌
 六 成年式
 七 女性の秘事
 八 祓除
 九 祭禮の分化
 十 犒ぎ祭り
 十一 祭式舞踊及びその藝術化
 十二 魂祭り
 十三 假作正月
 十四 壓服行事
 十五 異郷人の咒力
 十六 夜の行事
 十七 追補
春來る鬼
 まれびと
 なもみたくり
 けた
 遠來の神
 神のおとづれ
春立つ鬼
民俗學上よりみた五月の節供
 序
 一 印地打ちと成男戒
 二 あやめ鬘
 三 藥獵り
 四 結論
峯の雪
七夕祭りの話
 歐羅巴と日本の説話の類似
 中將姫と二上山
 物語りの根元と運搬
 海の神人から山の神人へ
 「たな」と機織御前
 「たなばたつめ」から山姥へ
たなばた供養
霜及び霜月
水の木火の木
 御薪
 直日の神
 丹生木
 山人と丹生木
 門松のこと
石に出で入るもの
座敷小僧の話
 おくない樣と座敷わらし
 くらぼつこ・座敷童子・座敷坊主
 あかしやぐま・きぢむん
 があたろ
 解放を欲する役靈
さへの神祭りを中心に
祭りの話
木地屋のはなし
山のはなし
古風の婚禮
 山遊び
 あめつゝ
 はなかづら
 つまどひ
 父及び母
 はらへつもの
道德の民俗學的考察
道德の發生
 一 道德名辭
 二 誓約のことば
 三 まこと
 四 種族倫理から民俗道德へ
 五 天つ罪
 六 國つ罪
 七 祓へと禊ぎと
 八 戒律(タブウ)
 九 善と惡と
仇討ちのふおくろあ
田圃と畑
三郷巷談
町家の一例
壹岐の水
 があたろ
 ふなだま
 えびす・りようえびす竝びに、其に絡んだこと
壹岐民間傳承採訪記
 生き島
 あまんしやぐ
 鎭懷石
 百合若大臣
 殿川屋敷
 夜の家々
 神體飛去
 百合畑
 やぼさ神
 山の神
 牛神
 淡島樣
 うんめ
 海の不思議
 洗濯日
 唐人神
 さやん神
 田の神
 袖とり川(ゴオ)・何とり神
 鰯を嫌ふ神
 士分
 町方制度・町人
 職人
 八幡蜑
 島へ來て階級を解放せられた人々
 流人
 師のん房(ボ)
 いちじよお
 おたつちよ
 とまり宿
 はなつみ袋
 班田
 しめぶし
 靈の稻蟲
 實盛人形
 草と木と
 狸
 猫
 鼠
 牛
 鳩
 狐
 釜祓ひ
 棟上げ
 幸木・年木
 疫病よけ
 斬罪人
 行きだふれ
 目と耳と
 よりねきねん
 憑き物
 ぼたあし
 田と畑と
 舟
 名言はず島
 渡良三島
 山伏塚
 風の名
 物ぐひのよい人
 耶蘇教の今昔
 海の棺
民間傳承採集事業説明書
民間傳承蒐集事項目安

あとがき (折口博士記念古代研究所)



折口信夫全集15-3



◆本書より◆


「地方に居て試みた民俗研究の方法」より:

「又今におき、水死人を見付けると、浦方の村人の喜びは尋常でない。これを「漁(レフ)えびす」と言つて祀る。私の目に、一番先についたのは、郷野浦から印通寺(インドウジ)へ行く途中で、「道福惠比須」と書いた、唯の角石の、臺石の上にすらのつて居ぬ墓石であつた。何年何月何日と言ふやうに近頃の埋めた日すら刻んであつた。今では警察の目を憚つて、秘密に祀つてゐるものが多い樣だ。おきやく樣をこつそり水からあげて來ては、祀るのである。
又壹岐全體に信じられてゐて、稍、衰へかけて居り、さうして島の端々などにまだ現にある樣に信じられてゐるのは、「寄り神」の信仰であつた。(中略)石が海岸にうち寄せて來て、つきやつてもつきやつても、幾度でもよつて來る。さうして取りあげて祀つた「寄り神」の社もあり、また今におき常によつて來ると言ふ處もある。(中略)此漂著する神の思想の這入つてゐると思はれるのが、訪問して來るまれびと神、色々なより神の以前の形と推定されるものがあつた。」



「春立つ鬼」より:

「厄落しといふことは、昔からいろんな方法で行はれたのだが、節分の日には盛にしたものだ。(中略)淺草觀音の境内なぞには、女の湯具が捨てゝあつたりしたものだ。節分の晩には、道端に穢れたものを捨てる風習があるのだ。道端で拾つた犬張子の中に、櫛と湯文字とが這入つてゐたといふ記事が、一書に見えてゐる。これは今の犬張子か、昔の這子(ハウコ)を意味したのか訣らない。唯今のだと中は開かないが、昔の這子ならば開いたのである。犬張子は始終人の寝起きする側に在つて、身の穢れを吸取つたのである。その中に古い櫛、湯文字を入れて道に捨てたなどゝはありさうなことである。身に附けたいろんなものを捨てたのだが、その物を捨てるだけではなく、節分の晩に捨てる形式を取り行つたのである。」
「節分の晩は、ちようど生活が新しくなる境目と考へられ、その故に、穢れを捨てたのである。だから節分の實感は、夜でないと無い訣で、いろんな行事も夜になつて行はれた。私どもの記憶では、子供の頃、節分の晩になると、他の家の軒へ惡い癖を賣りに行つたものである。主に女の子で、齒軋りをやるとか、枕を外すとかいふ癖が多かつた。他所の軒下で、早口に小さい聲で「齒切(ハキ)りいりませんか」とつぶやくと、中で返事をする。すると、「賣つた」と言つて逃げて來るのである。自分の身體に附いてゐる惡いものを捨てる時、別に受取人が無くてもよさゝうなものだが、誰かゞ受け取つたことにしないと、どうも安心出來なかつたのである。が此には、此夜門に立つて、咒を行ふ威力のある者のあつた記憶がまじつてゐるのだ。後には、受取人が段々はつきりして來るやうになつた。わざわざ乞食の前へ、紙に豆や錢を包んで落し、拾ふのを見て、安心したのである。」
「豆は何のために撒くのか。鬼を打つためであると解釋してゐる。或はさうかも知れぬが、外にも解釋出來るのである。(中略)豆は、宮廷などでも、小豆を以て手を洗ふ水の代りに、古くから用ゐられた。此は、洗ふといふよりは、小豆に穢れを移すことになるのだ。節分の豆は、小豆を用ゐなくなつてゐるが、其で身を撫でゝ、舊冬の穢れを持つて行かせようとした意義が、更に移動して鬼の食物、鬼打ち豆といふ考へを生じたのではないか。」
ぐろてすくな異人が、門々を訪れるといふことは、家に居る精靈を押へて、家の生活がよくなるやうにと約束させに來るのである。(中略)素性の訣らぬ怖い者なぞ、ほんたうに來る氣遣ひはないから、村でその役を勤める者が假裝して、誰だか訣らぬやうにして、やつて來たのである。それに對する村人の理會の程度にも段々あつた。村の若い者でなく、村に所屬してゐる部落の者、或は隔離して住んでゐる者がやるやうになつて來る。それも(中略)次第に職業化して來た。これが祝言職の起りである。彼等は初春に多くやつて來たが、それを乞士(ホカヒビト)と言つた。中でも厄拂ひは殊に職業化した。」
「その厄拂ひに對して、家々では報酬を與へるのである。ぐろてすくなお化である間は、家の穢れを持つて行つて貰ふと考へてゐたが、それが人間らしくなつて來ると、報酬を貰ふためにやつて來るものと考へられるやうになり、報酬に依つて、職の價値が決つて來るやうになつた。それが乞食(ホイト)である。」
「貰ふ報酬は、元々要らない穢物を持つて行くことであつた。(中略)元それを棄てることであつたのが、それを呉れてやると思ふやうになり、元それを持つて行つてやることであつたのが、それを貰つて歸ることになつたのである。古く世間と交渉點の尠かつた部落の人達に對する、我々近代のおもしろからぬ考へ方も、穢れものを自分の物として持つて歸ることから來てゐるのだ。」



「石に出で入るもの」より:

「常陸國大洗・磯前の社の由來は、暴風雨の一夜の中に、忽然として、海岸に石が現れた。その石は、おほなむちすくなひこなとの姿をしてゐるので、人々不思議に思ひ、それを國司から京都に申し上げることになつたのだ、といふ實録でありますが、何處にもある神像石(カムカタイシ)の信仰の古い一つの形です。此は、海の彼方の常世の國から出て來たのであつて、神がこの世に出て來る一つの形です。その形式には、光る物となつたり、小さな人間となつたり、或は石となつたり、色々あります。すくなひこなは、おほくにぬしに發見される記事から考へて見ても、小さい神であつて、始中終、常世の國と關聯して考へられ、何時も不思議なものが出て來る、と考へられてゐます。處が、常陸國では岩となつて現れて來てゐます。(中略)この、石が現れて來るといふ事は、現實の世界で考へると、常は注意して居らず、何時も見てゐて、氣附かずに、忘れてゐる物を、或時だけふつと氣附くので、總ての藝術の源なのです。忽然として出て來ると言うても、前から其處に在つたもので、殊に、暴風雨の翌朝などはすべてのものが皆、目新しく感じられるものですから、氣が附くので、此事は、我々の祖先の時から考へられてゐたので、昔から、暴風雨の翌朝、玉を拾ふといふ樣な事も皆同じなのです。その石が、昔の神に似てゐると言うても、それは程度の問題で、別に似てゐなくとも、變な恰好をして居れば、さう感じるので、巫祝の徒は、我々が感じる以上に、其處に、その石なら石を通して、これは大國主の形、これは少彦名の形と見るのです。つまり、石の形を通じて神を見てゐるのです。(中略)さういふ人たちは、石を透して、石の中に潜む物を見分ける能力を持つてゐるからです。實際、海の底に在つても、暴風雨があると、貝殻などの小さい物は、海岸に出て來ます。昔の人は、此を玉と言うて居ます。(中略)結局、玉といふものは、外見ばかりのものではなく、それに内在してゐるものが問題になると思ひます。見分ける人が、玉と言へば、石でも、人の骨でも、何でも玉です。(中略)この玉が、次第々々に、我々が今考へる、寶石の樣なものに思はれて來る。此事は既に書きもしたが、此處では、只、玉に内在するものゝ話をして行きたいと思ひます。つまり、すべて、素質の違つたものが、玉といふ語で引つくるめられる原因を言えばよいわけです。玉・石・骨・貝などには、共通の原因があります。それは、神或は人間のたまといふものと同じ、といふ所から來てゐます。人間の體に内在してゐるものがたまで、それがはたらき出すとたましひです。(中略)それで、此考へ方によると、たまといふ名前のつくのは、物質の外形には依らないわけです。併し、だんだん或物質に限り、玉と感じる樣になつて來ます。それは、始中終、たまの内在して來る物が定まつてゐるので、玉と言ふと、或物質を限り考へるやうになるのです。
それで、常世から來るものゝ、物質は違つて來ても、結局同じものでもある事が訣ります。」

うつぼ舟は、中が中空になつてゐるものです。同じことばで、うつぼ柱といふものがあります。全(マル)物である樣に見えて、中が空になつてゐる。此が、つまり、うつぼです。(中略)うつは、尠くも、空つぽといふ意味であることが訣ります。而も、此ことばは、今一つ前の意味は、全體に行き亙つてゐる、といふ事です。御存じの通り、うつ室といふものがあつて、此は空つぽの室、と考へられて居ます。木花開耶姫が、御子をお産みになる爲に其處に這入つて居られた。空つぽが内側全體に行き亙つたものです。つまり、ごつそり中を刳り取つた樣になつてゐて、完全無缺なもの、完全に出來てゐる室、といふ事になります。」

うつぼは、神靈の宿る所、といふ事になります。」

うつかひまゆは、平凡に言ふと、魂の籠り場所とも言へます。」
かひの中に籠つてゐるものがかひこで、かひは母胎、即、容れ物で、その中から出て來るのがかひこです。」




こちらも御参照下さい:
フィオナ・マクラウド 『ケルト民話集』 (ちくま文庫)







































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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