石川淳 『狂風記』 (全二冊)

「さしあたつて必要なものは無法のろくでなしどもの手である。乘りかかつた事件のねらひは、仕上げをきれいにすることではなく、醜怪をいやらしいままにそつくりさらけ出すことにあつた。(中略)考へうるすべての惡辣な手はこれをさらにエスカレートしてゆくところに靈的な意味があつた。といふのは、靈の顯現は人間といふ生餌を食ひやぶつて燃えあがるものと、ヒメは堅く信じてゐたからである。」
(石川淳 『狂風記』 より)


石川淳 
『狂風記 (上)』


集英社
1980年10月10日 第1刷発行
452p 口絵(モノクロ)i 
菊判 丸背布装上製本 貼函
定価2,000円
装幀: 栃折久美子



正字・正かな。


石川淳 狂風記上 01


上巻帯文:

「執筆10年、
1440枚の大作
ここに刊行!

怨霊舞い、権謀術数渦巻く
波乱万丈の物語…
アナーキーな風が、
卑俗な現実を笑いとばす!」



上巻帯背:

「比類なく華麗な
小説世界を展開」



上巻帯裏:

「覚悟といふカテドラル
丸谷才一

 『狂風記』は石川淳の文学の集大成とも言ふべき大伽藍である。ここにはこの偉大な文学者のすべてがある。この豪勢な建築は、中国の伝奇の悪夢にSFの宇宙論を加へ、西欧十八世紀小説の論理学を彩るに落語のレトリックをもつてし、そして歌舞伎の社会学の柱としてゴシック・ロマンスの幻想をすゑるといふ方法で作られた。
 しかもこのカテドラルの中心には二巻の巻子本(かんすほん)があつて、謎めいた古文書から発する力が末世のてんやわんやをあやつることになるのだが、このとき作者は、記紀の伝承から幕末の艶話を経てつひに今日の東京のニュース・ストーリーに及ぶといふかたちで、一篇の長篇小説のなかに日本史全体を封じこめたのだらうか。いや、違ふだらう。ここにあるのは民族の歴史などといふちつぽけなものではない。彼は普遍的な人間の運命を叙して、乱世に生きる覚悟を花やかに表明したのである。」



石川淳 狂風記


石川淳 
『狂風記 (下)』


集英社
1980年10月10日 第1刷発行
460p 
菊判 丸背布装上製本 貼函
定価2,000円
装幀: 栃折久美子


「「昴」連載 一九七一年二月―一九八〇年四月」



石川淳 狂風記下 01


下巻帯文:

「現代日本文学に
屹立する
記念碑的作品

卓抜な想像力と
豊饒なパロディ…
華麗な小説言語の世界が、
いま、現代文学を痛撃する!」



下巻帯背:

「現代文学の
記念碑的大作!」



下巻帯裏:

「巨匠、未来を語る
大江健三郎

 戦後乱世の風がなお吹きあれた時分、ハイティーンの僕を支えたのは、ドスのようにポケットにおさめた、石川淳の小説であった。そこに描かれた、えたいのしれぬ生命力のかたまり、しかも美しい娘と若者の肖像は、燃えるような励ましを、ポケットの主につたえたのだ。かれらは同時代の荒野にあって、決然と未来にひとみをさだめていた。
 三十年たって、いま新作に示された、石川淳の宇宙モデルは、その究極の全体像をあらわしている。古代のしるしから、現代のありとある出来事まで、ふくみこんで山なす瓦礫、その裾野を掘るヒメとマゴ。僕はこの娘と若者の肖像に、かつての熱狂をよみがえらせる。古代へさかのぼり、地底へもぐりこむ、石川淳宇宙の奥行きは、かつてのどの作品より深く、現代の混沌と、よくあいわたる広さだが、ヒメとマゴはその総体をおおいつつ、断じて未来をめざすのだ。」



内容:

上巻: 一~二十九
下巻: 三十~五十六


石川淳 狂風記上 02



◆本書より◆


上巻より:

「その奥ふかくなにがひそむとも知れず、まだ發しない震動のけはひが地の底からつたはつて來て、裾野は塵一つあまさず吸ひよせる磁場のやうであつた。むせかへる塵にまじつて、マゴの身柄は今この場の片隅に廢品の中の居候として住みこんでゐる。」

「「オバケを見るやうな目つきで、あたしを見ることはないよ。あたしはちやんと生きてゐる。これからもずつとね。おまへをここに呼び出したのはげんに生きてゐるあたしのカンのはたらきではあるけれど、それもつまりは靈のみちびきだよ。」
 「うむ。それはおれも不思議におもつてるんだ。どうしてここに來るやうなことになつちまつたんだか。」
 「靈から見れば自然の成行だらうね。靈はあたしひとりぼつちぢやない。長野氏代代の靈、それよりもまたはるかに遠い先祖の靈までふくめて、今はみんないつしよにこのあたしの身一つにかたまつてるんだからね。あの位牌に書いてある七つの文字は、未來にかけて、あたしの系圖の全部だよ。」
 「系圖。ふーむ。そんな古くさいものをどうしてここに……」
 「バカだね、おまへは。未來にかけてといつたのが耳にはひらないのかい。現在から未來にむかつてものをいふのが系圖だよ。いいえ、それにものをいはせてやるのが今の代の當主であるあたしのつとめだよ。たとへば、あたしが系圖の中から先祖の靈をぎゆつとつかんで取出して來ると、それが今から生きはじめて、あたしの身に於てあたらしく行動をおこすといふやうなものだね。」
 「ものすごい系圖だな。そんなの、あるかい。」
 「あたりまへだよ。過去にさかのぼつてどこまでも突きつめてゆけば、どうしたつて未來のはうに出ちまふほかないもん。系圖はその道しるべの手がかりだよ。」

「ヒメにとつて、ふりかへつて見ると、過去は遠くまでいちめんに灰がふつてゐた。今日の商賣は葬儀屋として、日常に死者の灰をあたまからかぶつてゐるのも、抜きさしならぬ因縁か。當人はすすんでその因縁の中に飛びこんで、そこよりほかに生きどころはないと、つよい決意をひそめたやうであつた。死者の灰に生きる。これはおそらく先祖代代臍の緒に書きつがれて來た約束なのだらう。ただそれをわが身のことにして必至に來歴の意味をさとるためには、おふくろが死ぬといふ事件……いや、おふくろはどうしてもむざんに殺されなくてはならぬといふ必然があつた。三年前、ヒメがちようど滿はたちになつた日の寒いあけがたに、おふくろは短刀で刺されて、寢てゐた蒲團の中から家の外にまでころがり出て、血まみれのすがたを氷つた道の上に派手にさらしてくれた。(中略)短刀でとどめを刺されるまで地上をのた打ちまはつたその生活の相は死後の今でも消えない。ヒメが世の中に信ずることのできるものは、たつた一つ、さきにおふくろの體内に、今はおのれの體内に流れつづけてゐるところの、代代の血の歴史であつた。
 おふくろのおふくろの、そのまた何代前になるのか、京の三條大橋に生きながらサラシモノにされた女がゐて、ヒメにとつて家の系圖といふものはそれからはじまつた。このイキザラシ一件はおそらく系圖の花として代代傳承されて來たらしく、ヒメのおふくろは橋にくくりつけられた遠い先祖がそのころ麗容をもつてうたはれたことを美人系の證據のやうにそそつかしく取りちがへて、せめてもの自慢のたねに、ヒメの幼時から耳にタコが入るほどくりかへして語つてきかせた。このタコはをさない耳におそろしく、また晴れがましく、戰慄すべき女の榮光を吹きこんだ。イキザラシ。ほとんど神話の世界の出來事であつた。罪の汚辱にも崩れない美貌が水のほとりにつるされたすがたは、あやしいまでに秘密にみちて、たしかに此世ならぬものにちがひない。もしこのすがたを畫にかいたとすれば……いや、少女の想像の中ではすでにそれが畫になつてゐて、空はるかなあこがれの像、現在のヒメとしては、ますます身にしみてふりあふぐべきイコンにひとしかつた。」

「「地下にうづもれた黑い木みたいなもの。うもれ木と見えるもの。それはほんとに木の性で腐つちまふやつもあるだらうし、石になつて冷えこんぢやふやつもあるだらうけど、そんなのばかりぢやないよ。木と見えて燃える石。火を吹く岩。さういふぴりつとしたのもあらあね。その火の性のうもれ木のうちとして、世の中には穴ぼこといふものがあるんだよ。」」

「「うちの紋のことだがね。先祖の長野主膳は表むきにはなにかほかの紋をつけてゐたやうだけれど、じつをいふと、長野家の紋は九曜なんだよ。むかしはそれを家の秘密として、もしやひとに見つかつたらきつとわるいことがおこるみたいに、大切にかくしてゐたらしいね。九曜は星が九つ。そのうち七曜はだれでも知つてゐる。あとの二つの星はだれも知らない。むつかしい名はついてゐても、どういふ星だかわからない。それはあたしにも不思議な謎だよ。ただ天のずつと遠い高いところ、目がくらくらするほど冴えわたつた丸天井の隅のはうに、ほかの星からは仲間はづれに、黑光りに光つた小さい星が二つある。どこの天文臺でも、どんな精密なレンズでも、見つかりつこない星二つ。それがてつきり九曜の中の二曜だらうよ。あたしにはそれが見える。とりわけてよく見えるんだよ。だつて、それこそうちの先祖の靈が宿つてゐる星にちがひないもん。ふたりともひどい最期をとげた先祖の男と女の靈。未來永劫うらみに燃える世界ぢゆうの靈は、凝りに凝つて、むかしからこの男星女星にあつまつてゐるのぢやないかね。靈のみちびきはこの星が下界にむかつてはなつ光のたよりだよ。」」

「運動の場は死者と生者とがぶつかりあふ境である。そもそも生きたやつの仕打として、死んだやつを僞善的に土の下に埋めてしまふことをおもひついたのは、よつぽどずるい著想にちがひない。たましひはそこに鎭められたのではなくて、ていよく土の牢に閉ぢこめられたことになる。死者にものをいはせるな。過去が息を吹きかへして來て、現在の秩序にひびを入らせることは許さない。一分の隙なく土をかぶせた上にも念を押して、鍬でぺたぺたぶつたたいて、おもい石を置くわけである。しかし、屈伏することを知らないたましひにとつて、過去現在といふ仕切があるだらうか。千年むかしのたましひでも、ものをいふところは今よりほかない。今の秩序を破れ。」



下巻より:

「そのとき、マヤが聲をかけた。
 「先生、それは住む世界がちがふといふおはなしね。さういへば、わたくし、みようなことがあるの。いつどこでも、どんな場所、どんな環境に身を置いても、どうもほかのひとたちとは居どころがちがつてるみたいな氣がするのよ。つまり、對象の受けとめ方がちがふといふわけ。げんにこの場でも、おなじものを見ながら、みんなとおなじやうには見ちやゐない。かう見えるといはれても、さうは見えない。よく不感性だと笑はれるけど、こつちから逆にいへば、みんなはわたくしとおなじやうには感じないらしいわ。これきつと生理的なものね。おまへをかしいぞといはれれば、そつちこそをかしいぞといふことになるわよ。わたくしの感覺の器官には羽衣のやうなうすい膜がかかつてるのね。ほかのひとたちにはさういふ膜がないみたい。どつちがまともか寸たらずか、そんなこと氣にしちやゐない。ただいくぶん世界がちがふとはいへさうね。わたくしにしてみれば、わるいけど、こつちのはうがちつとばかり優越的なきもちよ。」」

「亡靈。千年にあまる歴史の闇をやぶつて、荒ぶる神の形相はあからさまに宵の空にうつり出た。ことばは陰陰と重く、巷の燈火はひたと色をうしなつて地に沈んだかと見えたをりに、はなやぐ娘の聲が歌ふやうにあどけなくさけんだ。
 「遠いまぼろしは今の世のうつつにあらはれたよ。みゆきの道には血の花を。國王オシハノミコのお通りだよ。」」























































































































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「すばる」 石川淳追悼記念号


「すばる」 
石川淳追悼記念号

1988年4月臨時増刊

集英社 
1988年4月25日発行
466p(うち別丁口絵40p) 
A5判 並装
特別定価980円
本文カット: 若林奮 
表紙写真: 小沢忠恭



昭和62年12月29日に逝去した石川淳の追悼記念号。石川淳は「すばる」に『狂風記』『六道遊行』『天門』『蛇の歌』(絶筆)と、精力的に長篇小説を発表していました。
集英社からは本誌とほぼ同時に二冊の没後刊行単行本(『蛇の歌』『夷齋風雅』)が刊行されています。


口絵はカラー8p、モノクロ32p。本文中図版(モノクロ)多数。


石川淳追悼号 すばる 01

表紙。
 
 
石川淳追悼号 すばる 02

昭和55年11月、南青山の自宅付近にて。撮影・小沢忠恭。


目次:
 
石川淳アルバム――貌

絶筆 三一五枚
石川淳 「蛇の歌」
井澤義雄 「絶筆「蛇の歌」に寄せて」

発掘 二十代初期作品集
石川淳 「銀瓶」「拳」「瓜喰ひの僧正」
鈴木貞美 「石川淳の軌跡 習作時代から戦中までのメモランダム」
 

大岡信 「火の霊がうたふ 石川淳氏に捧ぐ」

弔辞
安部公房・加藤周一・武満徹・中村真一郎・丸谷才一
 
野口武彦 「ものいう死者の思想――『狂風記』、あるいは地底の千年王国」
篠田一士 「石川淳の小説言語」
川西政明 「魔神へ 昭和十年代、二十年代の作品」
奥野健男 「無頼派(リベルタン)と前衛派(アヴァンギャルド)の切点 石川淳論のうち」
菅野昭正 「石川淳論ノート 昭和小説家の発想法について」
 
石川淳の世界――作家と作品

古井由吉 「五千年の涯」
三枝和子 「女性像・『修羅』の「姫」」
金井美恵子 「感想」
森崎和江 「舞台の灯」
逢坂剛 「石川教の裔」
武市好古 「石川淳はぼくの生涯のアイドルだったのに」

小田切秀雄 「石川さんの底力の一つ」
谷川徹三 「とりとめなく」
高橋英夫 「「型」と無限」
秋山駿 「単純なものと豊富なもの」
新庄嘉章 「石川淳氏とフランス文学」
松山巌 「永遠の捨て子がみる夢」
東野芳明 「石川淳述「マルセル・デュシャン論」、ガ与エラレタトセヨ」
 
夷齋 石川淳と私

埴谷雄高 「石川淳の全的読者」
開高健 「隠者として、風として」
瀬戸内晴美 「菊富士ホテルからかの子へ」
河盛好蔵 「思い出一つ」
宗左近 「冬の鎮魂」
杉本秀太郎 「天地玄黄」

千田是也 「石川先生を悼む」
大塚道子 「『一目見て憎め』のこと」
辻義一 「先生、ありがとうございました」
安引宏 「狂風は地を捲いて」
谷田昌平 「三十年、折々のこと」
田中優子 「救いとしての石川淳」
W・J・タイラー 「花と塵にて笑う精神」
辻邦生 「夷齋先生――ささやかな portrait」
野坂昭如 「一枚の葉書」
宇田健 「「焼跡のイエス」のフランス語訳」
水城顯 「晩年点描」
 
《文庫解説》集成
神西清 「焼跡のイエス」 (新潮文庫 1949年1月刊)
神西清 「処女懐胎」 (新潮文庫 1950年6月刊)
窪田啓作 「黄金伝説」 (河出文庫 1954年6月刊)
佐々木基一 「鷹・珊瑚」 (講談社ミリオン・ブックス 1955年6月刊)
加藤周一 「文学大概」 (角川文庫 1955年10月刊)
窪田啓作 「普賢」 (角川文庫 1956年2月刊)
福永武彦 「紫苑物語」 (新潮文庫 1957年5月刊)
佐々木基一 「焼跡のイエス・処女懐胎」 (新潮文庫 1970年5月刊)
古井由吉 「鷹」 (講談社現代文学秀作シリーズ 1971年7月刊)
中村幸彦 「諸国畸人伝」 (中公文庫 1976年1月刊)
丸谷才一 「文学大概」 (中公文庫 1976年12月刊)
佐々木基一 「普賢」 (集英社文庫 1977年5月刊)
丸谷才一 「おとしばなし集」 (集英社文庫 1977年8月刊)
安部公房 「夷齋筆談」 (冨山房百科文庫 1978年1月刊)
佐々木基一 「白描」 (集英社文庫 1978年4月刊)
竹盛天雄 「森鴎外」 (岩波文庫 1978年7月刊)
澁澤龍彦 「至福千年」 (岩波文庫 1983年8月刊)
高橋源一郎 「狂風記」 (集英社文庫 1985年1月刊)
 
石川淳年譜 (鈴木貞美 編)

鼎談
 佐々木基一・中村真一郎・丸谷才一 「石川淳の文学と位置」



石川淳追悼号 すばる 03



◆本書より◆

 
武満徹「弔辞」より:

「世界はさまざまの異なった考え方によって成り立ち、そして、思想は他者を自覚することなしには生まれようもない。
 という先生のことばは、(中略)実に重く、意味深いものでした。
 江戸音曲について、それを批判的に考察すること。先生はまた、同じ太棹三味線にあっても、野沢喜左衛門と竹沢彌七の芸の違いを識ることで、その世界が、私が高を括っていたほど単純なものではないことを知らしてくださいました。だがそれによって、私はむしろ、困難な道を歩むことになったのですが、そうしたことを識らずに済ました自分を想像すると、先生の示唆に深い感謝の念を覚えずにはいられません。」



辻邦生「夷齋先生――ささやかな portrait」より:

「いつだったか、夷齋先生はひどく酔っておられ、挑発的な、評価するような顔で言った。
 「江戸の春画で一番いい絵描きは誰だと思いますか」」
「「北斎もいいが、本当にいいのは英泉です。英泉がどうしていいか分りますか」
 私は黙って首を振った。
 「それはね、英泉は春画の持つただ一つの目的のために描いているからです。春画の目的は何だと思います? 人間の劣情を刺戟することです。英泉はほかのことは何も考えなかった。ただ劣情をいかに刺戟するか、そのことだけを考え、それを見事に実現している。だから英泉の描く春画が一番立派なのです」」



石川淳追悼号 すばる 04

















































































『增補 石川淳全集 第十四巻』

「はたらけ、はたらけなんぞといふ悪人の掛声にだまされるな。(中略)それよりはおとなしく空巣でもねらつたはうがましだよ。」
(石川淳 「靴みがきの一日」 より)


『增補 石川淳全集 第十四巻』

筑摩書房 昭和50年3月20日第1刷発行
617p 口絵(モノクロ)i 21×16cm 
丸背布装上製本 貼函 定価3,800円



著者生前に刊行された全集。解説・解題等はありません。
現代ものと時代ものがほぼ交互に配置されたアナーキズム短篇小説集『天馬賦』、文集『夷齋小識』、文芸時評『文林通言』の三冊を収録。

権力にもいろいろあって、見える権力や見えない権力、いずれにしても権力とのたたかいには武器は不要です。おもちゃ片手にぶつかっていって、首尾よく負けおおせたら、あとは幽霊になるのも逃げるのも引きこもるのも自由自在です。
そしてそのくりかえしです。


石川淳全集14-1


第十四巻目録:

靴みがきの一日 (「世界」 昭和39年7月号)
鸚鵡石 (「新潮」 昭和41年1月号)
無明 (「新潮」 昭和41年5月号)
鏡の中 (「新潮」 昭和42年1月号)
一露 (「新潮」 昭和44年1月号)
若菜 (「中央公論」 昭和44年2月号)
虎の國 (「文藝」 昭和44年4月号)
天馬賦 (「海」 昭和44年7月~9月号)
武運 (「海」 昭和45年1月号)

夷齋小識
 わが万太郎 (「新潮」 昭和38年8月号)
 不幸でなさすぎる (「中央公論」 昭和39年1月号)
 京劇雜感 (「読売新聞」夕刊 昭和39年1月13日)
 二十七歳の達觀 (俳優座公演「有福詩人」パンフレット 昭和39年2月)
 三好達治
  その一 (「新潮」 昭和39年6月号)
  その二 (中央公論社版『日本の詩歌』「三好達治」解説 昭和42年12月)
 宗達雜感 (筑摩書房刊『日本文化史』5附録 昭和40年5月)
 ドナルド・キーン著「能」(英文)序 (講談社インターナショナル刊 昭和41年1月)
 倫敦塔その他 (岩波書店刊「夏目漱石全集」第二巻月報 昭和41年1月)
 大みそかの夕 (「東京新聞」夕刊 昭和42年1月7日)
 坂口三千代著「クラクラ日記」序 (文藝春秋社刊 昭和42年2月)
 ゼロツクス (「図書」 昭和42年5月号)
 革命家の夢 (「朝日新聞」夕刊 昭和42年11月11日)
 讀み癖 (「きょうと」 昭和43年1月号)
 佛界魔界 (「太陽」 昭和43年1月号)
 めぐりめぐつて (「東京新聞」夕刊 昭和43年1月8日)
 無法書話 (筑摩書房刊〈講座中国〉 昭和43年1月)
 「中國の孝道」を讀む (「図書」 昭和43年2月号)
 ダダについて (「朝日新聞」夕刊 昭和43年7月1日)
 吉備路 (「朝日新聞」夕刊 昭和44念1月6日)
 千田是也の手 (俳優座公演「アルトゥロ・ウイ」パンフレット 昭和44年2月)
 文學談斷片 (「海」 昭和44年6月発刊記念号)
 タケノコの説 (安部公房作並に演出「棒になった男」公演パンフレット 昭和44年11月)
 無害は有害といふこと (「朝日新聞」夕刊 昭和44年12月3日)
 本居宣長 (中央公論社版『日本の名著』「本居宣長」解説 昭和45年5月)
 高志高興 (筑摩書房刊 「吉川幸次郎全集」二十巻月報 昭和45年12月)
 舌を結ぶ (「海」 昭和46年1月号)
 
文林通言 (朝日新聞文藝時評)
 昭和四十四年
  十二月
 昭和四十五年
  一月
  二月
  三月
  四月
  五月
  六月
  七月
  八月
  九月
  十月
  十一月
  十二月
 昭和四十六年
  一月
  二月
  三月
  四月
  五月
  六月
  七月
  八月
  九月
  十月
  十一月
 人名索引



石川淳全集14-2


口絵: 「昭和五十年二月筆」



◆本書より◆


「靴みがきの一日」より:

「靴みがきの腰掛が世界の中心に据ゑられると、巷のけしきがとたんに安定したようであつた。安定は手のつけられない混雜と騒音と惡臭との渦の底にたしかめられた。低い腰掛は地球の部分である道に吸ひついて、そこに根をおろしてがたりともしない。いいあんばいに、そのところだけ鋪道が崩れてただちに土になつてゐる。比良吉はしぜん腰を低くかまへて兩足を踏ん張つた。目のまへに、車がひつきりなしに排氣ガスを吹きちらしてけたたましく驅けちがふ。屋根裏のネズミよりも猛烈なさわぎで、中にはまぬけな車どうしぶつかつてころがるやつもある。それがなにほどのことか。」
「もともと車に乘つて通りすぎるやつは、みがく必要のある靴をはいてはゐても、靴みがきとなんの關係もない。すなはち、さういふものは人間でないにひとしい。人間でないやつらのごたごたは、ほんのふたり三人死んだぐらゐの輕少なものでも、手のあいてゐる靴みがきにとつてはひまつぶしの見世物でしかない。」

「はたらけ、はたらけなんぞといふ惡人の掛聲にだまされるな。はたらきたがるやつが車のぶつけつこをすることになるんだ。こつちの知つたことぢやないがね。それよりはおとなしく空巣でもねらつたはうがましだよ。」

「さう、人間には二種類あつて、一は靴みがき、一は靴をみがかせるやつ、他は人間ではありえず、そして靴をみがかせるやつは例外なく惡人といふのが比良吉の人間觀の根本であつた。
そもそも土の道に砂利だのセメントだので作つたカサブタをかぶせたといふことが惡のはじまりであつた。雨がふると土の道はどろんこになる。あたりまへではないか。土に咎はない。問題は雨のはうにある。雨をほどほどにふらせるやうに、土にほどほどのしめりけをあたへるやうに、すなはち靴みがきの生活權をはなはだしく侵害しないために、あるひはのべつに泥靴を發生させてこの商賣を繁昌させるために、なにか妙手を打つのが人間の智慧といふものではないか。自然と人工がシノギを削るといふのはこの呼吸だらう。それがカサブタとはなにごとか。上から落ちて來る雨におじぎをしたやつが足の下の土をぶんなぐつて押しつける。惡役人の手口そつくりである。くさいものにフタといふのがくさい思想であるのと同樣に、どろんこにフタはどろんこ思想にほかならない。文明はそれを自慢しても、靴みがきはそれをガマンしない。土にできたカサブタがひろがつてからこのかた、人間は二本の足でのんびり道をあるくといふ自由をうばはれた。道に飛ぶのは泥ではなくて血のしぶきである。その血を吹いたカサブタの上を車で突つぱしるやつらは、靴みがきから見れば、ぷつつり足が無い。もし足があるなら一度この臺に靴を突き出してみろ。エナメルを剥いで正體を見やぶつてやる。」



「無明」より:

「おぬしがいらざるじやまだてをしたばかりに、おれは一世一代の死にどころをうしなつたぞ。かくては世に生きてひとに合せる顔なし。おれはこの場からすぐに世を捨て、ひとも捨て、この太刀も……と、かの佩刀を松並木の下にあるこやしの桶の中にぶちこんで、さつさとあるき去つた。」


「鏡の中」より:

「むかし知つてたやつに出逢つたとき、わかつてはゐても、おいそれとおもひ出してやりたがらない癖がおれにある。かつて知つてたといふことに抵抗したいやうなきもちだな。むかしといへば過去だ。過去のある人間。いやだねえ。どうせろくなものぢやない。おれの過去だつてろくなものぢやなかつた。過去といふやつはおれはきらひだ。中學生のとき、歴史といふ課目はどうも好きになれなかつた。だれかの遠い先祖が九州の片田舎から大和くんだりまで這ひのぼつて來てドえらい出世をしたとかいふ日が何月の何日であらうとなからうとおれの知つたことぢやない。てんで無意味ぢやないか。なにがおもしろくて無いも同然の過去をバカ丁寧にねちねちほじりだすのか。」


「天馬賦」より:

「さう、その義足のことである。事件がおこつた十年前のある土曜日の午後五時といふ時間は義足に定着してゐて、それが完全に過ぎ去つた日とならうことは一生ありえない。その日、大岳は市中のホールにみづから講演會を催して、午後二時から四時五十分ごろまで、たつしやな足で壇上に立ちつづけた。當時はちやうど國會總選擧のさわぎのさいちゆうであつた。しかし、大岳の講演は政治にはつよくふれたものの、選擧にはまつたく關係しなかつた。いや、選擧の愚劣をたたき、すべての票をつぶすべきことを説いて、デモクラシイと稱する議會制度そのものの否定のはうにみちびいてゆくところに、講演の内容が繋つてゐた。支配力を核としてもつやうなすべての組織は、それが革命をうたふ黨の組織であつても、自由にとつては敵にほかならない。自由は他のなにものの宰領も受けつけないもの、まして上から下にといふ命令の仕掛のごときはみとめないものである。絶對自由。大岳はそれについてまづ歴史から説きおこして、十六世紀のはじめごろ中部ヨーロッパにきざした宗教思想であるアナバプティズムの運動を事例にあげた。「二度目の洗禮」といふ。すなはち、人間が幼兒のときに受けた最初の洗禮は無效としてしりぞけられて、長じて後あらためて受けた洗禮こど意義あるものとされる。靈肉とものふたたび水にぶちこみ直さなくてはならない。その水に洗はれた目は、最初の神を見おくつたあとに、いかなる神を見直すことになるか。それは神と呼ばれるものかどうか。ただこの「二度目の洗禮」の教理はあきらかにローマ教會の仕掛に反對するものであつた。さらにすすんで、その教會を支へる世の中の仕掛一般に叛逆する羽目にまで、アナバプティズムの運動は必然にぶつかつて行つた。それは小さいながらに後世にいふ革命運動に似た。すでにして事は社會にまた政治にかかはる。アナバプティストの生活はしたがつて俗に入らざることをえない。その末流に至つては、あるひは俗情のにくむところとなるやうな汚濁の飛沫をあげたのはやむをえぬことだらう。あらたに興つたこの使徒のむれは、清濁をあはせて、みな福音書の世界を去つて默示録の世界に移つたやうであつた。運動も生活も、ともに渾沌。この渾沌の中に信仰ではなくて絶對自由の精神の種子を見つけたのは後世の著眼である。このとき、生活上の律法は天からふつて來るのでもなく、つよいやつらから押しつけられるのでもなく、一囘的にしか生きることのできない自己に於てぎりぎりに發明するほかない。おれはかうすることができる。だからおれはかうしなくてはならない。これまた後世の智慧が發したことばである。この自己のことばは天の聲、掟の威よりもきびしい。據るべき德目はこれ一つとなつて、後世の革命エネルギーの運動は……その後世からさらに下つて現在までのあひだ、絶對自由の精神がどこにあらはれ、どこに消えたか、いかにたたかひ、いかにやぶれたか、いくたびやぶれてもつひに亡びることを知らない所以のものを、大岳は東西諸國に起伏した運動の波に照らして、事こまかに、理あきらかに、論じて盡きるときなしと見えたが、會場の時刻せまつて、講演はやうやくをはつた。大岳は數人の靑年にまもられてホールを出た。その身のまはりには警戒の必要があつた。すなはち、げんに總選擧の興行をぶつてゐる政府側からも、謂ふところの左翼右翼の雙方からも、敵としてねらはれる理由があつた。ホールのまへは廣い大通。そこに車が待つてゐる。ときに午後五時。その車のはうに踏み出した靴のさきに、横から驅けて來た男の子ひとり、ランドセルをしよつたのが、いそいで驅けぬけようとして、つまづいてころんだ。大岳はみづからこどもを抱きおこした。なんのこともない。こどもはすぐ驅け去つた。その一瞬の隙に、警戒がゆるんだ。たちまち、通行人にまぎれて、だつとぶつかつて來たやつがあつた。こどもがつまづいた大岳の片あしを、ゑぐるまでに深く、ナイフが刺しとほした。」
「こどもは傷ついたのではない。ひとりで起きもするだらう。大岳はこれを踏み越えて、目もくれずに、さつと車に乘ることができた。いや、さうしなくてはならぬ状況にあつた。こどもを抱きおこしたのはほとんど失策である。すくなくとも、態度としてあまかつた。それがただちにヒユーマニストのしぐさだともいへまい。しかし、このあまい態度ではとてもヒユーマニズムを切ることはできまい。ヒユーマニズムを切つて默示録の世界に入れ。これこそ大岳が早くから説きつづけて來た主張ではないか。その日の講演の趣旨もまたそこにあつた。みづから發したことばである。そのことばは當人の身に於て、義足にかけて、今なほ生きることをやめてはゐない。おもへば、絶對自由のための運動の歴史の中でも、たたかふ個人についていへば、謂ふところの挫折の例はいくつもかぞへられた。それには脱落とか、錯誤とか、裏切とか、他の思想への乘換とか、目に見えて卑俗なものもまじつてはゐるが、別に個人の内部にあつて、その善意にも係らず、精神のさまたげとなるやうなものがひそんでゐて、おもはぬやぶれを招くといふこともまたありえた。けだし、切つたつもりでも切れのこつたヒユーマンな心情の所爲にちがひない。ヒユーマンとはなにか。さだめて人間どうしの心情上の交渉に於て、かなしみ、よろこび、愛、にくしみなんぞの性格をさしていふことだらう。絶對自由の精神の目から見れば、これすべて意味おぼろげな雜念のみ。この雜念は啓蒙思想の獻立をつくる調味料ぐらゐにはあしらひうるとしても、默示録といふ非情の世界に乘りこむには腹のたしどころか、ときに有毒なキノコになるだらう。絶對自由はきびしい條件をもち、精神の運動は苛烈な作用をする。個人は自己にも他人にも心情上殘酷であることのはうにかたむくほかない。(中略)ところで、殘酷を德目として説いた大岳の生活では、實際にはこの殘酷といふものの價値はしをれた花よりもあはれに落ちてゐた。といふのは、この當人が他人に親切といふ因果な習性をもつてゐたからである。ころんだこどもを抱きおこすやうなことはほんの瑣末な一例にすぎない。他人をいたはり、やさしくする。他人の苦境を救ふために手を貸さうとする。傲慢な惡癖。いや、運動の側からいへば、卑怯な逃避にひとしかつた。この習性をたたき直すやうにみづから強制しえなかつたことは、それだけ自己をあまやかして來たといふことになるだらう。破滅はつひに足をおそつた。車椅子に居すわつた今となつて、大岳はやうやく他人を拒否する姿勢をとることができた。じつは他人から見捨てられたといふべきである。うごけない老人のそばにちかづいて來るやうなまぬけなやつはゐない。」

「アナバプティズムの運動には、この地上にかならず實現すべき世界が待つてゐた。すなはち、人間がそこから堕ちる以前のエデンの園である。この使徒にとつて、エデンの園は過ぎ去つた昨日の夢ではなくて、明日に招く國であつた。(中略)今日ただちに、一氣にそこに突入する。とても理想とかユートピヤとかいふやうなのんびりした未來の靑冩眞ではなかつた。かくあるべき世界を今からすぐに手でつかまなくてはならない。信仰はいきほひ急である。ここに千年王國といふ啓示はこれを今日に生きなくてはならぬ約束となつた。「今いまし昔いまし後きたり給ふ主」といふ。昔あつたものは後に來る。それが來る後といふのは今にほかならない。今がすなはちその場である。(中略)絶對自由の精神はこの瀬戸ぎはにめざめたやうであつた。そのめざめたところが現在とすれば、これはどうしても現在に負はされてゐるものに、その仕掛に、またその政治にぶつかつて、これとたたかはずにはすまされない。たたかひは歴史を踏みわたつて、性質はちがひ樣相はちがつても、後世までつづいて來た。ところで、後世の絶對自由の精神がきびしく神を追放したときよりもさきに、そもそも默示録には「主」がゐたのだらうか。かの「二度目の洗禮」は最初の主を捨てたにひとしい。主に一度目と二度目の別があるのだらうか。もし別がありえたとすれば、そこに主と見えたものは魔であつたやうに見える。すくなくとも、大岳は默示録を魔の書として讀んだ。」

「「ムラキ、おまへは鬪爭につよい。だが、どうも心棒がぐらついてるやうだな。」
「心棒て、なんだ。」
「ふらふらぢや主體性がしつかりしてるとはいへまい。
「主體性だつて。つまり、理論によわいといふのかい。そりやまあさうだな。おれは本なんぞろくに讀まないし、なにか書いたり論じたりといふことになると、てんでいけない。ベンキョーはにが手だよ。(中略)うちのおやぢは運送會社をやつてる。試驗ベンキョーなんぞほつたらかして、會社のトラツクの運轉手になつて、おもい荷物を積みこんで、がーつとぶつ飛ばしたくなつた。(中略)もし欲するなら、ダンプカーぐるみどこかの壁にぶつつけて、どかんとぶつこ抜くことだつて、考へられないことぢやない。(中略)大學のことでいへば、今度はダンプカーでなくておれの生きたからだだ。敵は制度といふ硬い壁だね。制度がわるいからあらためろ。おれの主張はたつたそれだけだよ。こんな簡單な主張を表現するために生きたからだをぶつつけなくちや通じないといふのは、おもしろい世の中だな。このたた鬪爭には勝負の觀念はない。ダンプカーだらうと生きたからだだらうと、さつきいつたとほり、そこがおれの生活の場だよ。ぶつかつてゆけば、粉みぢんにもなるだらう。こつちがさ。つまり、死ぬといふことだな。おれの死だ。おれの主體性といへば、まあそのへんにあるのぢやないかな。」
「死ぬものときめてかかつてゆくのは、どうも敗北主義みたいな發想だ。」
「おまへ、はじめてバカなことをいつた。敗北主義。それは敗北させようとする側のやつら、勝たうといふ料簡のやつらが考へ出したことばぢやないか。そいつら、たぶんおまへみたいな本ずきベンキョーずき理窟ずきの秀才だらうよ。できさうに見えることがいろいろちらついてるだらうから、負けることなんぞ考へられまい。ところで、世の中には、ほかのことは知らないが、死ぬことはできるといふ人間だつてゐるだらう。さういふ人間に勝負の結果なんぞを考へてるひまがあるもんか。」

「その日の夕方、瓦大岳は車椅子の上から壁にはめこみのテレビを見てゐた。このうごかない位置からのぞくことのできる外の世界のうごくけしきといへば、わづかに壁にうつるニユースの影しかなかつた。今テレビがつたへてゐるのは、けふの午後にかの研究室の封鎖をめぐつておこつたあらそひの實況である。ちかごろではめづらしくないゲバ棒が揉みあふ祭の花の影を、そこにおそらく參加してゐるだらうイヅミのすがたをさがしもとめるやうに、大岳は目で追ひつづけた。そして、當人がむかしそこから飛び出した建物、今はむなしいその扉に堅い封印をつけて、イヅミをふくめてたたかふ學生のむれの中に、おのれの靑春の時間をたしかめ直したやうにおもつた。攻撃側と守備側と、畫面のかぎりではごたごたして、どう鳧がついたとも見わけにくかつたが、つひに封鎖はやぶれず、小ぜりあひをくりかへしたのち、攻撃側は散つたとアナウンスは告げた。ただ門の外にまたさわぎがおこつて、正規の武裝たけだけしい一隊がそこに待ちかまへて、網にかかつた學生を荒れくるふ棒の下に……そのシーンはみじかく切れて、テレビはあつけらかんと他の人さらひかなにかのニユースに移つた。」
「壁の影が消えたあと、かなしみが大岳の身に湧きひろがつた。げんに棒の下に打ちひしがれる靑年のむれと、遠くたたかひの季節を切り抜けて來たおのれの靑春のすがたと、今は一つにかさなつて目のまへの現實となつた。流血の中の歴史。廣く人間の歴史から見れば、似たやうなことのくりかへしもあるだらう。(中略)そこに進歩を見ないにしても、ただこのくりかへしに於て人間の、すくなくとも個人の經驗の意味がたしかめられる。」
「「大學もひどいことになりましたわね。」
「ひどいめに逢つたのは、たたかれたガキどものはうだ。」
「學問のはうはどうなりませう。」
「今は學問の筋をつたへるやうな公卿も坊主もゐない。(中略)今後もし學問をやらうといふとぼけたやつが出て來るとしたら、それはかならず今あばれてゐるガキどもの中からだ。」」

「イヅミは服は泥まみれでも、ケガはなく、ピクニツクのかへりのやうにこころよい疲れにゆすぶられてゐた。ただ友だちを一人つれてこの書齋にあらはれたのは意外であつた。今までにさういふ例は一度もない。それになま若いやつはめづらしくもある。大岳はわるい顔はしなかつた。
「このひとムラキといふの。運送屋さんよ。わたくしがあやふく棒でやられさうになつたのを助けてくれたのよ。」
「運送屋。そのとほりだよ。なにしろイヅミといふお荷物を往復ともに運搬しちやつたんだからな。」」
「「わたくしは逃げるといふことは考へもしなかつた。ただこつちに打ちかへす力、すすんで勝つ力、あべこべに殺してやる武力がなかつたもんだから、つまり武器で負けたもんだから、よんどころなく逃げたことになつちやつたけれど。」
「ふーむ。よくそんなふうに考へられるもんだな。おれはいつもいつてるとほり、負けるか負けないかといへば、負けるにきまつてる、おれが死ぬにきまつてると、たつたそれだけで、ぶちあひの現場に出ても、考はちつともそのさきに進行しないんだ。勝つとか殺してやるとかいふのはムダな考のやうにおもふよ。ひとを殺すことがいけないことだから殺さないんぢやない。殺すことができないから殺せないんだ。おれはどうしてもテロリストにはなれさうもないよ。たださう簡單には死ねないもんだから、現場となると、逃げの一手だよ。一目散に逃げまはる。全然いさましくなれないな。(中略)おれは逃げまはつてるはうがたのしいな。敵を殺して敵の血で自分をうつくしくする。これはどうしたつて女のセツクスが編み出した化粧法ぢやないか。博覽會にでも出したいやうなもんだが、おれは關係ない。」
「さういふムラキだつて、いよいよ敵の手にかかつて死ぬといふまぎはには、殺すつもりはなくても、襲つて來た敵の一箇ぐらゐはつい殺しちやふことになるんぢやない。そのときでも殺すことができないなんぞとセリフをいつてられるかしら。」
「おれの死の作用に依つて死ぬやつがあつたところで、それはおれの手で殺すことができたといふことになるだらうか。電線をつかんだやつが電氣に打たれて死ぬやうなものだな。そんなこと電氣の知つたことぢやないだらう。そいつらに……けふのことでいへば、あの武裝したやつらに聞いてみたらどうだ。あいつらは月給もらつてる合法的なコロシ屋だから、自分が殺されたときの哲學みたいなものを、せめて月給の分ぐらゐ、ちつとは自分で考へてみてもいい義理があるね。ひとが考へることをおれが考へるわけにいかない。もともと考へるといふことはおれヘタクソだもんな。」
「わたくしの主觀でいへば、けふのあいつらはわたくしばかりねらつてたやうよ。わたくしを殺すつもりだつたのかしら。どういふ料簡でせうね。むかしにもあの手のものがあつたといふけれど、今も似たやうなものかしら。どう、おぢいさま。」
意見をもとめられたといふよりも、やうやく發言を許されたといふかたちになつた。大岳は口おもくぽつりといつた。
「めづらしくもない。統治といふものの傳統的な手段だな。どこの國の政府でも、むかしから似たり寄つたりの手を使ふ。それつきりだ。」
まつたくそれつきりで、ほとんどそつぽを向いたのを、イヅミは追ひつめて、
「それで……それつきりなの。ほつきりしないわ、おぢいさま。」
「どこの政府でも好んで使ふ支配の手段はテロリズムだといふことだよ。新選組はいつどこにでもあつた。ナチだらうとロシヤだらうと、その他もろもろ、下つては今日のなんとか隊に至るまで、みな忠實に傳統にしたがつたやつらだな。政府みづからテロはいかんと口癖のやうにいつてをるくらゐだから、これはよつぽどわるい仕掛に相違ない。したがつて……」
そこでまた切れて、尻切とんぼかと見るまもなく、大岳はあとをつづけた。
「このわるい仕掛を根本的にほろぼすためには、そもそも政府といふものにこの地上から消えてもらふほかないといふことになつても、ふだんの口癖のてまへ、政府はよもや文句はあるまいて。政府といへば、もとより權力をもつた組織だな。その下つぱのヘルメツトでも、權力の灰で塗つてある。それにイヅミのいふ武器だ。新選組のむかしには、コロシ屋にもまだ個性があつた。刀の個性だよ。そのかぎりでは、すこしは買ひかぶつて、刺客といふもののおちぶれたすがたともいへるだらう。しかし、今日のヘルメツトにはすでに個は無い。あるものは集團だ。そこには個はおろか人間すら無い。機械の集團。ひとを殺傷することができる機械のな。もし刀からガス銃までを武裝人間の文明的進化とすれば、もう一段すすんで、人間は不要、武裝だけあればよいことになるだらう。ロボツトだよ。ぼたん一つ押せば、ロボツトがぞろぞろつながつてうごく。司令はぼたんの思想だ。これは核兵器のぼたんに直通するものだな。すでに核兵器は權力の手中にある。そして、武裝人間は今日はやくもロボツトにひとしい。統治の手段としてのテロは今や機械だ。これこそ暴力そのものではないか。しかも、正當化された暴力。人間と機械との關係でいへば、ハナシアヒなんぞといふ微笑にみちた場はそこにありえない。ロボツトにむかつて禮樂を説くことができるか。説得はただちに破壊。いや、制度を説得するためには、核兵器をふくめて武裝人間のすべての武裝を解除することからはじめるほかない。」

「ちやうどテレビのニュースがはじまる時刻であつた。(中略)アナウンスはまず「暗殺」といふ刺戟的なことばを使つてその未遂事件がおこつたことを告げた。事の次第はかうである。けふの五時ごろ、さるところの料亭と呼ばれる建物の門前で大型の外車が一つ火を發した。黑こげになつたその冩眞が出る。車にはさる官衙のナンバーが附いてゐて、乘つてゐたのはその官衙の長のAといふつらつきのよくない男であつた。Aの冩眞が出る。車が料亭の門前にとまつたとき、をりしも籠を載せてはしつて來た自轉車がまともにぶつかつた。自轉車がたふれ、乘つてゐた靑年がたふれ、籠からは鷄の大きいのが二羽、小さいのが三羽飛び出して、ばたばた大さわぎ。鷄の冩眞が出る。鷄にはきのどくであつた。そこの門前に番卒らしいのが立つてゐたが、これはまづ鷄をおさへるのにいそがしかつた。番卒はそのときおそらく腹がすいてゐたために靑年よりも鷄のはうに食慾をそそられたのだらう。そのひまに、靑年は起きあがつて、籠の中にかくしてあつた火炎びんを取つて、車めがけて三本まで投げつけた。車が火を吹くよりもさきに、運轉手はすばやく飛びおりて無事。Aはとりみだしてころげ落ち、それを支へようとしてもう一人、護衞もいつしよにころげて出た。Aは這ひながら料亭の中に逃げこむ。護衞はピストルをもつて靑年に立ちむかふ。靑年もまたピストルをかまへてうごかず、むしろすすんで打ちかかるかと見えた。護衞はあわてて發射した。靑年は即死。あとで靑年のピストルをしらべてみると、これはおもちやであつた。そのおもちやのピストルの冩眞が出る。あつぱれといふ印象がないこともない。テレビは未遂にしても「暗殺」ときめつけたが、そこには靑年の血のほかには鷄一羽の血すらながれなかつた。官の損害は燃えた車一つ。逆に殺人といふ犯罪をおこなつたのは事實として官のはうであつた。(中略)最後に靑年の身許が知れた。(中略)名はオギといふ。オギの顔冩眞が出た。」

「イヅミがあつまりを見わたして、席の中ほどにすすみ出た。
「オギはいつはりをいはなかつた。具體案をもつて來ると約束したわね。絶對にまちがへなく、確實なものをぶつつけて來たわ。(中略)案といへばかならず實行。オギの消えたことろに事ははたされた。オギはここにゐる。これよりたしかな出席の仕方はありつこない。やぶれ去つた刺客第一號のために、花を。」
イヅミの手から、しぶき立つものがぱつと散つた。薔薇である。薔薇はいくつも、つづいてまたいくつも、テープを張りわたすやうに投げられて、にほひは室にみちあふれ、花が落ちたあとまでも、花は無限に舞ひ散るやうであつた。」」
「「オギが自轉車をぶつつけたとき、もしその場に一人でも協力者がゐたとしたなら、きつとうまく行つたらうにな。車からころげ落ちたやつをみすみす逃がしちまふことはなかつたのに。」
イヅミはうなづかなかつた。
「さう考へることは無意味のやうよ。肝腎なことはオギがそこで破裂したことぢやない。それだけで體制に大きくゆさぶりをかけたわ。學内の體制にまでね。ころげ落ちたやつは勝手にどこまでもころがつて行つて首の骨でも折ればいいことよね。」
「それぢや、ねらつた目的をはづしたつていいといふのかい。」
「オギは目的をはづさなかつたわ。あとは成功とか失敗とかいふ俗論ぢやない。」」
「イヅミはためらひなくいつた。
「わたくしは受諾する。第一號が碎け散つたあとには第二號が出る番ね。受諾したといふのは、わたくしがその第二號といふことよ。わたくしの具體案はやつぱり實行でお目にかけるわ。」」

「「死んだか。」
ムラキはまぢかに立つて、
「死んだのとはちがひますね。」
トラツクの上では、ワクがカヴァーを刎ねて、寝てゐるものが見えるやうにした。毛布を深くかぶつて、あたまだけ外に。はらはらと落ちかかる雪の下にも、そのあたまをそつくり包んだ布がしらじらと光つた。大岳はぢつとそれを見つめてゐたが、やがてそのままの姿勢でいつた。
「死んだのとちがふとは……」
「イヅミはうまれかはつたんです。今までとは別のものにね。若い女の顔に、はすかひの切傷とは。ひどい、むごい。目もあてられないきもちだつたけれど、さつき手當のあひだに、まともにその顔を見てゐるうちに、ぼくはいきなり目をひつぱたかれたやうにおもつた。なんといふバカな、からつぽの目だ。これが見えなかつたとは。これがね。變相。そんな百面相みたいなもんぢやない。この、この崇高なもの……いけないな。ぼくが知つてる程度の表現ぢや追つつかない。」
ムラキはいつのまにか「ぼく」にあらたまつてゐた。
「神話についてのぼくの漫畫的知識をフルに使つていふとしたら、これは傷つけるケンタロスかな。どうもをかしい。きどつてるみたいで、ズレがあるな。やつぱり漫畫ぢやないか。なに、そんなことはない。別別に見るからをかしいんだ。兩方いつしよに見たら……さうだ。傷つけるケンタロスは人間の少年だ。カワイイ少年だ。じつに今のイヅミにぴつたりぢやないか。ぼくは今まで男でも女でもカワイイとおもふやうな人間には一度もぶつかつたことがなかつたけれど、この傷つけるイヅミはしんそこカワイイな。ぼくのカワイイ少年の友だち。この少年の友だちとならいつしよに行ける。どこにでも行ける。」
「どこへ行くつもりだ。」
ムラキは笑つた。元のムラキに刎ねかへつたやうであつた。
「まかしといて。おれ運送屋だもんな。なにしろ、おれイヅミと約束しちやつたんだ。まちがつても逮捕はさせられないよ。おたくにおいちやだめだ。ガサをくつたら一囘のをはりだよ。まづトラツクで吹つとばす。車のきかないところにぶつかつたら、船もあるし飛行機もあら。商賣がら、どつちにも連絡がつくよ。密航だつて、できない相談ぢやないもん。さあ、まごまごしちやゐられない。行かう。」」
「ムラキが運轉のはうに乘りこむと、ついそこの道にワクが立つてゐた。」
「「なんといつたらいいか、おれのテレビでしこんだガクでいふと、おまへはもしかしたらさまよへるユダヤ人といふやつぢやないかな。永遠のな。」
「それもきらくな旅らしいや。」
「きらくにしたつて、おまへ行つたさきでどうして食ふつもりだ。」
「氣にしない。靴みがきでもなんでもやるさ。」」



「武運」より:

「道存のもとに出入するものがこの佐渡の申條をつたへれば、道存いふには、分別者めがさかしげにほざいたぞ。世にいふ名刀は茶器とおなじく泰平のもてあそびよ。されば、本阿彌なんぞは目ききの商法、よい刀と見れば正宗と極めをつけをる。戰場に出ては名刀なにほどのものぞ。水もたまらぬといつても、よく金(かな)かぶとを斷ち割つて、鎧武者をいくたり斬れるか。おれの手にあつて益なきものだ。細川の武道はいつも旗色よき方に附きたがるゆゑ、亂軍のこころえは知らぬさうな。陣やぶれたとき、正宗も貞宗もあつたものか。かの福嶋口のいくさに、おれは手なれの槍をぶち折つたあとは、落ち散つた槍刀を見さかひなくつかみ取つて、つひには木を投げ石を投げてまでたたかつた。しりぞくときにはただ泥まみれに逃げるだけのことよ。武者振なんぞをかまふひまもない。武邊には名刀無用だといひきる。客、さりとて無刀ではいくさはできまいといへば、なに鋤鍬でもいくさはできるぞとうそぶくのに、鋤鍬とは異なことを申されると、客はけげんな顔つきをした。」


「三好達治」より:

「三好の詩はうはべには苦澀の色をあらはさない。また當人みづから苦心談をぶつてみせるやうな御息災なやつではなかつた。それとはすこし事情はちがふが、三好の苦澀の顔を一度見たことがある。小學校の校歌を作ることを賴まれたといふはなしが出たときであつた。校歌はどうもこまる。小學校のこどもがうたふ歌だからね。その歌を作つたのがどんな人間かといふことになると、おれはこまるんだ。醉拂つてうつかりへんなこともできない。三好はさういつた。さういふ人間であつた。しかも、醉拂つてもおそらくへんなことはしまいとおもはれるやうな人間であつた。そのときの校歌の依賴はことわつたらしい。小學生のための歌はあへて作らうとしなかつた三好はバカなおとなのためのはやり唄はどうか。これは作らうにも作れなかつたにきまつてゐる。」


「倫敦塔その他」より:

「「倫敦塔」。これはすげえものだと、わたしは一も二もなく感服した。(中略)漱石先生のものといふと、わたしはいまだに「倫敦塔」からかぞへる癖がついてゐる。」
「「倫敦塔」の主人公は塔の門に入つたとき「余は此時既に常態を失つて居る」といふ。わたしが氣に入つたのはおそらくそこである。常態といふやつはむかしからどうもおもしろくなかつた。たとへば歴史の本にしても、天下大いにみだれてまさに中原に事あらうとするくだりは讀むのに張合が出たが、學問藝術がおめでたく榮えるやうな間のびした時勢になつて來たところはがつかりしたものである。「倫敦塔」は、あとから見ると、謂ふところの自然主義にかたむきかけた文學の世界に事あらしむべき運動のきざしであつた。」



「革命家の夢」より:

「未來にむかつて實現すべき世界の模型を過去にさかのぼつて求めるといふのは、をかしいやうには見えるものの、めづらしいことではない。西洋でも古くは革命家の夢は過去に係る傾向があつた。中世このかたの革命思想がどこかで深くクリスチアニスムとちながつてゐる所以である。この消息をうかがふためには、すでにノーマン・コーンの「ミレニヤムの探究」(Norman Cohn: The pursuit of the millennium.)があり、ちかごろではジェイムズ・ジョルの「ザ・アナーキスト」(James Joll: The anarchists.)がある。二書とも英文としてはやさしくてたれにでも讀めるだらう。わたしも一度お目にかかつたことのあるジョルさんは、中世に異端と見られたところの一群の運動について、かう書いてゐる。
「このたぐひの運動はその社會變革への要望の根據をどこに置いたかといへば、ミレニヤムはただちに可能だといふ信仰からこれを發した。つぎに來るものと、堕落以前のエデンの園の黄金時代への復歸との結合。」」



「ダダについて」より:

「しかし、人間の生活はすべての哲學概念から自由である。いや、他からあたへられ課せられたものの一切は、制度でも律法でも道德でも美學でも、自由にとつてはじやまな仕掛である。自由につける條件はない。このはしにも棒にもかからぬもの。それは根本に於て絶對なるべきものである。絶對自由の精神は古今ダダをつらぬいて折れない。そのかぎりでは、ダダは舊に依つてアナーキズムと縁がある。」


「文學談斷片」より:

「文學の仕事でも、書き出してゆかなくてはさきがどうなるかわからない。ついさきが見とほせるやうなものは仕事といふに値しない。行手は未知の雲のやうではあるが、それは一囘的にしか生きない人間のエネルギーが充實すべき世界である。このとき、未來といふ觀念はどこに入りこむ隙があるのか。未來像なんぞといふ俗惡な設計はコドモの、いや、オトナのおもちやにあてがつておいて、文學は左樣ないやらしい心配はいたさぬものである。ただ今日にあたへられたものの中にくるまつて決して雛にはかへりさうもないヴィジョンとかいふ流行語をあたためてゐるよりは、可能な現實のはうにハダシでぢりぢり入りこんでゆくところに、文學の今日性がある。ひとをしてあるひは無をさとらしめうるやうなものを、その實物を、文學のはうではレアリテといふ。
可能な現實のはうにむかつてゆかうとしても、今日の壁があまりに堅すぎるときは、そこに衝突といふ物理現象、いや、政治現象がおこる。堅くてつよいやつといへば權力にきまつてゐる。文學はハダシで手ぶらなのだから、もともと無力である。むかしから今日まで無力でなかつたやうな文學といふものがあるだらうか。それが權力とぶつかつたとなると、この勝負は易の表にも裏にもはつきり負と出てゐる。そのとき、理性はどちらの側に附くか。こいつは元來つよいやつの家に飼育されてふとつたネズミなのだから、さつそく本性をあらはして、當然權力の側に飛びつく。負けるにきまつたやつが勝つにきまつたやつにぶつかつて勝たうといふのは合理的でない。それがおそらく一點の非の打ちどころもない理性の論理である。文學のはうにはあいにく家といふ觀念がない。したがつて、理性の相手にぴつたり釣合ふやうなネズミもブタも觀念的にすら飼つてゐない。ときに、ちかごろよく聞くことに、學生の暴力といふのがある。けしからんと型のごとく理性がいふ。この古風なおいぼれネズミには今日の暴力の意味がさとれぬらしい。學生の暴力とはもはやたたかひの手段なんぞではなくて、負けるにきまつた無力なやつが必死の場に見つけたところの、たつた一つの政治上の主張の論理ではないか。これはよそながら文學の無力を痛感させるやうな、いぢらしいまでに可憐な、すつきりした發言ときこえる。」



「文林通言」より:

稻垣足穂「宇治桃山はわたしの里」について:

「イナガキ君は興福寺の阿修羅を他人のことのやうに引合に出してゐる。知らぬがホトケといふことだらう。わたしは理想化された人間は男女の別なく美少年の形容を取るものと信じてゐるから、現在のものとしては、その美少年像の祖型を興福寺の阿修羅に見つけてゐる。出身が外道だらうと、性別が女だらうと、すでに佛法に歸依したといふことは理想化されたといふことにひとしい。そして阿修羅の運動するところは教義上のたたかひの場とすれば、つぎの驛はさだめて地獄の一丁目である。」
「わたしはイナガキ君をこそ、ちかごろの冩眞に出るづんぐりむつくりの入道樣式にも係らず、興福寺系の變種の一と見る。タルホ少年いまだに御息災といふ所以である。」


島尾敏雄「那覇に感ず」について:

「じつは、この「自分のうちがわ」といふところに島尾君の思考の本質がひそんでゐるのではないかと、わたしはおもふ。おそらく、ことばに發することではなくて、逆にことばを噛み殺すことに依つて、みづからくるしく「うちがわ」に沈みこんでゆきながら、思考の筋をさぐるといふたちの人物のやうである。それにしても、「あかるい太陽のもと」にして、このひとをもつとも手ひどく「うちのめし」たのは、ある日地元の新聞に見たといふ記事のために相違ない。
戰中に、沖縄のトカシキ島に敵軍が上陸したとき、そこに駐屯してゐた日本陸軍部隊の指揮官であつた陸軍大尉某は住民に集團自決を命令したといふ。かりに命令の件は責任者が後日にごまかすことをあへてしうるにしても、三百餘人の非戰鬪員の自決者が出たといふ事實はうごかすことができない。しかるに、この住民おほぜいの死について直接に責任のある元陸軍大尉某は、二十五年後の今日に生きのびてゐて、トカシキ島の慰靈祭に參列するためと稱して、のめのめと那覇に舞ひこんで來た。地元の新聞はこの記事を掲げて、某に對して告發、抗議、詰問するどく、論はやがて沖縄戰の性格、沖縄の立場にまでおよんださうである。人民の番人が殺した人民の慰靈とはなにごとか。島尾元海軍大尉のゐた島にはさいはひにこの慘事はおこらなかつた。しかし、かの某の鐵面皮に反して、島尾君は「想像」も「理解」もつかぬ某の愚行をただちにわが身のことに受け取り、この状況のみにくさまで「うちがわ」に取りこんで、錯亂したかと見えるほど、絶望的に恥ぢ、なげき、くるしんでゐる。その心身をなげうつところはただ苦患の海。他人が酒色におぼれるやうに、このひとは他人の分までふくめて苦患におぼれる。島尾君の文學のスゴミはさだめてここから出るものか。かくのごとき人物を、わたしは他に知らない。」


吉田健一「ヨオロッパの世紀末」について:

「ただこのがたんと相場がさがつた十九世紀の「複雜」に對して、フランス革命以前の十八世紀文明は、いかに巨視的に見たにしても、ちとの異物もまぜずによく單純に「優雅」でありえたといへるものかどうか。文明といふものはすべて代代の惡人が奸智を滿足させるために作りあげた不透明な仕掛のやうに、またそれは優雅と非優雅一般とをもつてかならず複雜であるやうに、わたしはおもふ。」

鈴木信太郎「虚の焦點」について:

「鈴木さんみづから生涯をかへりみて、かういふ。「人生とはこんなに速く過ぎ去るものであらうか。まだ遊び足りないし、爲殘してゐる仕事もある。」あそびたりないとは、よく立派なことをいひのこしてくれた。至言である。」

今西錦司・藤澤令夫「自然・文明・学問」について:

「ここにロゴスといふものが出て來る。藤澤さんはいふ。「秩序を秩序としてはっきりとらえるのが合理性じゃないですか。秩序がなかったら、合理が成り立たない。(中略)合理性という言葉が狭く解釈されている。合理の理は、ギリシアの言葉でいうと、ロゴスで、これは必ずしも狭い意味での原因、結果だけに限られないので、それこそ自然全体のもっている一つのことわりがロゴスなんです。それに徹することが合理性なんです。」またいふ。「理性の立場というでしょう。理性というのはなぜあんなに出てきたかというと、非合理的なもの、非理性的なものがいっぱいあって、やりきれなくて、やむにやまれずに理性が出てきたというところがある。」この發言を受けて、「それはいいね、適応というのはそういうものです」と、今西さんはいつてゐる。
秩序のはうがぐらついてゐるとき、すなはちロゴスの「理」をうしなはせるやうな仕掛の上に見かけの秩序が作られてゐるとき、この「適応」はすらすらゆくまい。今西さんは「ロゴス中心主義を合理主義とすりかえてるところに現代のまちがいがある」と見る。「合理主義と非合理主義といえば角が立つけどね、この二つのものはもともと、人間のなかに昔も今も存在してるはずなんや」である。合理主義の專制に對して「反逆」がおこるのは當然だらう。人間の正氣はかならず合理的なワクの中にあるとでもいふやうな理窟がまかり通れば、「狂気の復権」といふ聲があがるのは必至である。「狂気」の側にしてみれば「やりきれなくて、やむにやまれずに」といふにちがひない。ここに、今西さんはつぎのみごとな見識を示してゐる。
「私はね、人類死滅の時期について、これ以上長生きしてもむだだから、ここらで死滅しましょうというのは、哲学の役だと思う。(中略)まだ科学で説明できていないものはいくらでもあるから、これもやらにゃならん。それをやってくれてもええが、それからもう一つ先の話で、さあ死滅しましょういうのは哲学だ。その問題を投げかけておきたい。」
哲學のはうのことは知らないが、この「問題」はそつくり文學の場にいただける。文學といふものは元來理窟とか筋とかいふのを呑みたがらないものである。早くいへば、ものわかりがよくない。それどころか、ものわかりがよいといふことは文學に於てなにもわかつちやゐないといふことにひとしい。建前は無筋なのだから、とても長生の術はおぼつかないが、さあ死にませうといふ相談ならすぐに乘る。といふのは、基本に死滅の觀念を配置してゐないやうなものはおそらく文學ではないからである。つづけてもう一つ、今西さんの發言をいただく。紙幅が切れさうだから、すこし無理だが、前後を飛ばして引用する。
「人類の歴史からいうたら、言葉をつくったり、道具をつくったというても、いままでの歴史の九九パーセントまでは原始生活をしておった。時間的にいえば最後の一パーセントで、パッとものすごい新しい試みをやってるのですね。(中略)いつまでもせちがらい、おもしろうない世の中では困るわね。(中略)いずれにしても、もういっぺん生物のような安定した生活に帰らにゃいかん。(中略)人間といえども生物でね、いろんなことをやってみたけど、やっぱり生物なみだいうのやったらええんだということやな。(中略)いろんな付焼刃で変ったようにみえるけど、人間は地球上の生物のなれの果てですぜ。(中略)ギリシアがあれだけの文明をつくり出したのがぽしゃったでしょう。ローマもそうですね。(中略)だから民族が文明をつくり出すいうけど、いっぺんつくったら、その役目を果してぽしゃるんじゃないか……」
文明の手に侵された今日の人間といへども、まだ幸運にして地球上の生物のナレノハテださうである。すなはち、そのナレノハテの肉體の中には、まだいくぶんはナマの生物が踏みとどまつてゐるらしい。ナマの自然にかへるのではなく、このナマの生物である殘存の部分から、そこを極として、人工的環境にむかつて、精神は運動をおこし、文學は仕事に取りつくほかない。仕事といつても、根元には「死滅」がつれそつてゐるから、ナガモチなんぞと無意味なことを考へるわけがない。わたしの流儀では破裂といふことばを使ふが、さう角を立てないで、ここでは今西さんの「ぽしゃる」といふイキなことばを借りる。仕事はじつに「ぽしゃる」ためにある。文學の世界はミクロ的な偏見にみちてゐるとしても、この「ぽしゃり」の效果に依つて、すべての偏見はロゴスの「理」に……さあ、これがおとなしくつながるものかどうか。むしろつながつてゆかないところに、偏見は「反逆」に生きるやうである。」














































































『增補 石川淳全集 第十三巻』

「いや、人間の苦痛のさけびは、不思議にも他人の耳には入らぬものらしい。それどころか、住む世界を異にしては、おほきに酒のさかなともなる仕儀ぢや。」
(石川淳 「夢應の鯉魚」 より)


『增補 石川淳全集 第十三巻』

筑摩書房 昭和50年2月20日第1刷発行
454p 口絵(モノクロ)i 21×16cm 
丸背布装上製本 貼函 定価3,800円



著者生前に刊行された全集。解説・解題等はありません。
「新釋雨月物語」「新釋古事記」および紀行文「西游日録」を収録。


石川淳全集13-1


第十三巻目録:

新釋雨月物語 (昭和28~29年)
 白峯
 菊花の約
 淺茅が宿
 夢應の鯉魚
 佛法僧
 吉備津の釜
 蛇性の婬
 靑頭巾
 貧福論

新釋古事記 (昭和35年3月)
 上巻
 中巻
 下巻

西游日録 (「展望」 昭和40年3月~8月)



石川淳全集13-2


口絵: 「昭和四十三年十二月 鞍馬寺奧ノ院にて (金井塚一男撮影)」



◆本書より◆


「夢應の鯉魚」より:

「「されば、その魚がすなはち拙僧ぢや。」
興義、事の仔細をくはしくものがたれば、ひとびと、いよいよ奇異の感をふかくして、しばらくはことばも無かつた。助は膝をうつて、
「さういへば、かの魚、いくたびか口をうごかすとは見たが、聲には立たなかつた。魚のことばは、人間の耳にはきこえぬものか。かかること、まのあたりに見たのは、何とも不思議ぢや。」
興義、術なげに首をふつて、
「いや、人間の苦痛のさけびは、不思議にも他人の耳には入らぬものらしい。それどころか、住む世界を異にしては、おほきに酒のさかなともなる仕儀ぢや。」
助はただちに從者を館にはしらせて、殘つた鱠を湖に捨てさせた。興義、これより病いえて、はるかのちまで天壽をまつたうした。その臨終に、ゑがくところの鯉魚の圖何枚かをとつて、今は別れと、これを湖に散らせば、ゑがける魚、紙をはなれ絹をはなれて水にあそんだ。このゆゑに、興義の繪は世につたはらない。」



「新釋古事記」より:

「しかるに、ここにスサノヲひとり、こころみだれて、たのしまない。どこに身を置いても、やすらぎといふものを知らない。いつも、耳もとに、呼ぶ聲がきこえる。遠くからわが名を呼ぶ聲であつた。
「スサノヲ。」
海に行けば、潮のひびきにまぎれて、その聲がきこえた。
「スサノヲ。」
川に行けば、水のせせらぎにまぎれて、おなじ聲がきこえた。
「スサノヲ。」
その聲は地の底から呼びかけて來た。地の底は根之堅洲國(ネノカタスクニ)、あるひは根ノ國、すなはち黄泉國(ヨモツクニ)である。そこは母のゐる國。聲は母の呼ぶ聲。母を見たことはなくても、聲はそれとききわけられた。スサノヲは立つて行かうとした。しかし、どこへ。根ノ國は地の底ふかく、つい行けるやうなところではない。(中略)それでも、いざなふ聲は消えるときがない。スサノヲはそのいざなひに堪へられなかつた。そして足ずりして大いに泣いた。」
「スサノヲが泣けば、海の波もまたとどろいた。スサノヲがわめけば、山の風もまた荒れた。風波はスサノヲとともに荒れくるひ、その龍巻の中に、スサノヲはさらに猛りくるつた。」
「スサノヲ、答へていふには、
「母神がわたくしをお呼びなされる。わたくしは母神の國に行かなくてはなりませぬ。」
「母神とはなにものぢや。」
「根ノ國におはす大神。」
イザナギ、いきどほつて、
「なんぢ、この國をすてて、きたなき異類の國に行かうといふか。ならぬ。」
「まゐりまする。」
双方とも神のことだから、いひ出したことばはひるがへさない。
「なんぢごときもの、この國には住むな。ここには置かぬ。逐ひはらふ。行け。」」



「西游日録」より:

「一九六四年八月二十七日(木)。晴。午前十一時三十分、横濱よりオルジョニキーゼ號にて出發。安部公房、江川卓、木村浩、わたしとかぞへて同行四人。これはソヴィエト・ライターズ・ユニオンの招待を受けて立つた旅である。木村君と江川君とはロシヤ語に堪能のひとだから、道中ことばの苦勞はない。行程はまづロシヤで三週間、それから東獨とチェコとをめぐつて何日か、あとはパリに飛んでわたしひとりすくなくとも十月末まではかへらないつもりでゐた。十月末はすなはち東京オリンピックのおはつたのちである。オリンピックの東京といふ逆上ぶりを見ないですませるためには、ちやうどわたりに船であつた。」

「薄暮やうやく城にのぼる。プラハで城といへばすぐそれと知れる。ここもカフカの幻想と縁がふかい。城は丘の上に立つ。町中の川のほとりから、かなたにそのゴティック建築を望むことができる。のぼつて城に至れば、まづ禮拝堂。これは十四世紀後半の造營に係るといふ。堂の外壁には高く怪獸の像がいくつも見える。パリのノートルダムは世にきこえてゐるが、當伽藍はそれよりも奇巧に富むと知るべし。堂のうしろにほそい道あり。片側におもちやのやうな小家が靑塗赤塗とりどりにずらりと軒をならべてゐる。時刻がおそいためすでに扉がしまつてゐたが、これはむかしの錬金術師の小屋である。むかし王樣はかの不思議な化學者どもを當所に一まとめにしてささやかな居宅をあたへた。保護に似て、じつは監禁か。しかも、錬金の術もし巧成つたあかつきには、王樣はその利をひとりじめにするコンタンであつたらしい。」

「日本と聞いても、郷愁といふものはわたしに於て完全に無い。」

「あるいてシャンゼリゼの通に出て、テラスに休む。ひまつぶしにはコニャックとたばこと、なにか讀む本があればよい。(中略)一般に消費面は花ざかりなのだから、共産圏から抜け出してパリに來た旅行者はさだめてほつとするだらう。わたしも半分ぐらゐはほつとした。半分ぐらゐといふのは、わたしは共産圏にゐてもさほど窮屈なおもひはしなかつたからである。わたしとして、もつとも解放されない状態はといへば、東京にゐるときだとおもふ。どうしてかうだらう。はつきりいふが、東京ほどいやなところはない。」

「のんびりして町をあるきに出る。(中略)どこに行くといふこともない。しぜんにポン・サン・ミシェルと出た。河岸の古本屋である。とたんに、古本をあさるのではなくて、河岸をあるくことにきめた。」
「うはさにたがはず、河岸は古本拂底と見えた。さがしてみても、ろくなものは見つからないだらう。古本さがしは根氣と運である。滯在のみじかい旅行者のすることでない。神田の古本屋でも、ちかごろは棚の荒れやうがひどい。(中略)ただ神田のことにして、本が見つからなければ、ついかへるだけである。うかうかあるいてゐては、車にでもぶつかるのがおちだらう。ほど近いお茶の水、九段の淵の逍遥はむかしばなしである。當地は模樣がちがふ。本はどうであらうと、いそいでかへるにはおよばない。そこにセーヌ河があり、マロニエの並木がある。うかうかあるき、ぼんやりたたずむことができる。都市として、これは非常の相違ではないか。」




こちらもご参照下さい:
石川淳 『新釈雨月物語 新釈春雨物語』/石川淳 訳 『癇癖談』 (ちくま文庫)






















































『增補 石川淳全集 第十二巻』

「かういふ馬の骨と仲よく附合つて、母屋も軒下もなく、ともに画中にあそび、ともに神仙に化けてしまふやうなやつは、でくのぼうの大雅にきまつてゐる。おもへば、かの大雅といふでくのぼう、どこの天からすべり落ちた神仙であつたか。」
(石川淳 「南畫大體」 より)


『增補 石川淳全集 第十二巻』

筑摩書房 昭和50年1月20日第1刷発行
623p 口絵(モノクロ)i 21×16cm 
丸背布装上製本 貼函 定価3,800円



その昔、「世界の缶詰」というのを考えた人がいました。それはどういうのかというと、缶の外側にではなく内側に「世界」と書かれたラベルが貼ってあるわけです。
Anywhere out of the world.
ところで、うちには「凶器収納箱」はありませんが、「狂気収納箱」ならあります。『ドグラマグラ』や『虚無への供物』やアンリ・ミショー全集やヘンリー・ダーガー画集やアウトサイダーアートの本なんかが入れてあって、箱の内側に「狂気収納箱」と書いてあります。残念なことに、私は箱のなかには入れません。しかしネコははいれます。
そういうわけで、どうも、私です。今回は前に戻って旧版石川淳全集の紹介を続けたく存じます。本巻には「夷齋饒舌」「夷齋遊戲」の二冊の文集が収録されています。


石川淳全集12-1


第十二巻目録:

夷齋饒舌
 戰中遺文 
  善隣の文化に就いて (「新潮」 昭和17年11月号)
  歴史小説について (「新潮」 昭和19年8月号)
 太宰治昇天 (「新潮」 昭和23年7月号)
 雜談 (「近代文學」 昭和24年11月号)
 ニセモノ記 (「作品」 昭和25年第5号)
 石濤 (「草月」 昭和27年第3号)
 首尾 (「群像」 昭和27年3月号)
 歌仙 (「群像」 昭和27年6、7月号)
 だから、いはないことぢやない――社會時評とは何か―― (文藝春秋」 昭和29年2月号)
  キキヂョコ
  ウナギ
  おほやけはら
  問題はどこにおこるか
  理想のなげき
 坂口安吾との往復書簡 (「新潮」 昭和29年10月号)
 安吾のゐる風景 (「文學界」 昭和31年6月号)
 ホテル氣質 (「文藝春秋」 昭和30年6月号)
 安部公房著「壁」序 (昭和26年5月)
 安部公房君鐫印 (安部公房作「どれい狩り」俳優座公演プログラム 昭和30年6月)
 すだれ越し (「新潮」 昭和30年8月号)
 一虚一盈 (「東京新聞」 昭和30年9月12、19、26日、10月3、10、17日)
  ウソツキ
  外國文學觀光
  祿といふ字は……
  山東京傳の畫幅
  イメーヂと圖式
  自然のふたごころ
 人生ノート (「サンデー毎日」 昭和31年4月22、29日、5月6、13日)
  人心さだめなし
   ピンタを今に……
   一本の棒の觀念
   閉鎖されたあたま
  中國の服装について
   靑い綿衣
   直はどこにあるか
  キチガヒ小型版
   ひとは何に醉ふか
   今日の野蠻とは……
   複雜につけるくすり
  すこしは氣がちがつても……
   バケモノ女房
   男のばたばた
   女の幻術
 墓とホテルと…… (「新潮」 昭和31年7月号)
 京傳頓死 (「新潮」 昭和32年6月号)
 古畫評判 烏鷺覺贋奧儀(うろおぼえにせのおくのて) (「藝術新潮」 昭和32年11月号)
 日本語と漢語 (「東京新聞」 昭和33年4月10、11、12日)
 家寶拝見 文化燒底割釜(ぶんかやきそこはわれがま) (「藝術新潮」 昭和33年11月号)
 蜀山斷片 (岩波書店版「日本古典文學大系」第57巻附録 昭和33年12月)
 六世歌右衞門 (講談社版『六世中村歌右衞門』収録 昭和33年12月執筆)
 敗荷落日 (「新潮」 昭和34年7月号)
 獨立の精神について (「東京新聞」 昭和34年7月23、24、25日)
  がんばれ、ポーランド
  くたばれ、ミュージカルス
  底抜けニッポン
 秋成私論 (「文學」 昭和34年8月号)
 樊噲下の部分について (筑摩書房版「古典日本文學全集」第28巻 昭和35年6月)
 初芝居三ツ物 (三島由紀夫作「熱帶樹」文學座公演プログラム 昭和35年1月)
 自由について (「東京新聞」 昭和35年2月10、11、12日)
  めしを食ふなら自腹を切れ
  地圖ほどおもしろい本はない
  敵はどこにゐる
 五十音圖について (筑摩書房版「古典日本文學全集」第34巻附録 昭和35年2月)
 蕪村風雅 (「俳句」 昭和35年3月号)
 遠くから見たアルベール・カミュ (「中央公論」 昭和35年4月号)

夷齋遊戲
 南畫大體 (昭和34年2月新潮社刊「日本文化研究」第二巻ノ内一冊)
 雜
  政治についての架空演舌 (「新潮」 昭和35年9月号)
  ことばに手を出すな (「新潮」 昭和36年7月号)
  寄酒祝 (吉川幸次郎著「知非集」附録)
  自轉車とカボチヤと (中野重治全集第十巻月報)
  横綱の辯 (「酒」 昭和36年1月号)
  京都ぶらぶら (「きようと」 昭和36年秋号)
  一冊の本 (朝日新聞昭和36年6月18日号)
  わが小説 (朝日新聞昭和36年11月4日号)
 夷齋遊戲 (「文學界」 昭和36年10月号~37年9月号)
  芝居 
  宇野浩二
  十日の旅 
  畫譚鷄肋について 
  細香女史 
  ドガと鳥鍋と
  即興 
  讀まれそこなひの本
  武林無想庵 
  スカパン
  小といふ字のつくもの
  文學賞
 レス・ノン・ヴェルバ (「世界」 昭和37年5~10月号)
  車
  禪
  道具
  居所
  型
  アメリカ村



石川淳全集12-2


口絵: 「昭和四十三年十二月 大德寺眞珠菴にて (金井塚一男撮影)」



◆本書より◆

「雜談」より:

「軍記物では何十萬なんて大軍がたちまち現はれる。「太平記」なんかには八十萬といふ大軍が出て來る。實際にはそんなにゐるはずがない。あの時代にそんな大軍を動かすことは糧食だけからいつても出來やしない。大體十分の一以下だらうね。しかし、その數字の滅茶なところが面白い。あれがなかつたら軍記物はつまらんね。勝ち敗けがはつきりする。あれは軍記物作者の發明だね。
それと、軍記物で面白いのは、作者が誰かにヒイキしてゐることだね。「平家物語」でもさうだし……「太平記」をよむとなんとなく正成ビイキをしてゐる。それで面白味が出て來る。公平無私はつまらんね。」



「坂口安吾との往復書簡」より:

「ところで、書くことはいろいろあるはずなのに、これもまたあいにくなことに、ぼくは今輕い病氣にかかつてゐる。失語症といふやつだよ。ぼくはときどきこいつに見舞はれる。(中略)書くこと一般がどうもめんだうだね。」


「安吾のゐる風景」より:

「「人間の過去はいつでも晴天らしいや。」
安吾はさういつてゐた。いくさのあひだ雜草まで食はされたやうな日のことでも、あとでおもひだすと、その日は奇妙にうららかであつた。人間はくらがりの中に痩せおとろへてゐたくせに、後日につよくのこるものは太陽の光にほかならない。だまされるとは知りながら、おもひでの暦を繰つてみると、そこにはいつも風雨は消されてしまつてゐる。そして、そのウソのやうな太陽の光は、安吾といふ人間に於て、みぢんも感傷といふウソの影をのこさなかつた。」

「わたしはどうも人間の死體といふものを見ることを好まない。(中略)したがつて、わたしは今までに人間の死顔はデスマスクのほかには見たことがない。さういつても、なにかの縁のあるひとが死んだときけば、通夜の席につらなることはある。すると、たれかが棺をあけて死顔を見せようとしてくれる。そのとき、好まないといふ挨拶もいたしかねるので、儀禮上、わたしは見たふりをする。見て見ないふりとは反對の、見ないで見たふりである。儀禮だから、それでもよろしからう。わたしは安吾の通夜におもむいたときも、例のごとくにした。
すなはち、わたしは安吾の死顔を見てゐない。もし死體を見とどけることが死亡を確認したといふことならば、わたしは安吾の死んだことを自分の目では確認してゐない。それゆゑに、わたしは安吾がまだ生きてゐて、どこか遠くのはうに勝手にすたこら驅けつづけてゐるものと考へる權利がある。わたしはわたしの欲するとき、はなはだ印度的であつた友だちの顔を遠くに見たり近くに見たりするたのしみのために、任意にこの權利を行使したり、しなかつたりするだらう。」



「底抜けニッポン」より:

「たとへば、日本とアメリカと、たがひにむつまじく附合ふといふことには、原則的にはまあ反對意見は無いだらう。對等に附合ふといふ。對等。よろしいとおもふだらう。またいつしよになにか事をくはだてるときには、事前協議するといふ。これも妥當とおもふだらう。そして、そのことを條約に……
しかし、そのいつしよにくはだてる事といふのが、核兵器のもちこみとか海外派兵のやうな犯罪事業であつたときには、對等もしくは事前協議といふことばの意味はどうなるか。アメリカは日本の内部に何百といふ基地をもつてゐる國である。力の關係からいつて、アメリカを十とすれば、日本はひいき目に買ひかぶつても一以上ではありえない。この十對一の關係をもつて、犯罪につき對等といふのは、責任は仲よく半分づつといふことになるだらう。アメリカが首を斬られるときは、日本も平常のよしみに首を斬られなくてはならない。また事前協議といつても、十對一で強引に、あるひはすらすらと押し切られるだけのことだらう。かりに拒否權がみとめられたとしても、いかなる正當な權利をも踏みつぶしてしまふのが力といふものではないか。このとき、對等とか事前協議とかいつただけ深く、日本がすすんで犯罪に入りこんだ結果になる。」



「南畫大體」より:

「わたしが大雅の畫からはじめてつよい感動を受けたのは、たしか昭和十年ごろか、上野表慶館の屏風展觀に於て、山水樓閣圖六曲一双を見たときであつた。」
「さしあたり、美學なんぞに用は無い。ただ見る、金地六曲一双の空間に、線のはしるところ、色のにほふところ、山あり、木はかがやき、水あり、波は鳴る。山には樓閣うごかず、水には唐船、さざなみをうつてゆらぎ出る。その船にも、また陸にも、人間がひよこひよこ顔を出して、この顔がただものでない。(中略)詩酒管絃すべて出そろつて、遨遊は四季のわかちなく、夜をもつて日に繼ぎ、その夜もあけて、今ここに照つてゐる光は朝か晝かと見まがふときは、すなはちわれわれもまたいつのまにかこの場に招待されてゐることに氣がついたときである。」
「實在の世界に對して、畫中の天地は貧棒ゆるぎもしない。これ達觀のしわざか、畫法の神妙か。その畫中より抜け出して、ふたたび外からこれを見れば、そこにはただ線あり色あるのみ。このとき、わたしは一瞬にして大雅といふものが完全に判つたやうな錯覺をもつた。じつをいへば、今日でもなほ、この錯覺よりほかに、わたしは大雅を語り南畫を論ずる據りどころをもたない。」
「ただ屏風六曲一双に現前してゐるのは大雅みづからの胸中山水にほかならない。自然はまさにかくあるべし。ゑがかれた自然は逆に現實の自然の見方を規定してゐるやうである。畫中の山水はいふまでもなく線と色とに依つて表現をあたへられてゐるのだから、ひとは畫のまへに立つて、それがいかなる線であり色であるかを見とどければよい。さういつても、この山水の間にあそぶために、大雅の畫はさらに線と色とを越えて、もつと内部のはうに、おのづからひとをいざなつて行くやうな氣合をひそめてゐる。高山流水、またこれ人間の往來するところ。げんに、この樓閣山水には、そこにぶらぶらする人間のすがたがゑがかれてゐて、ひとは招待されてそのむれに入る。效果を論ずれば、けだし幸福への招待である。生活はまさにかくあるべし。ひとは大雅の胸中山水に適應するやうな生活樣式に目をひらかなくてはならない。そして、大雅の世界觀から幸福感といふみやげをもらふことになる。ところで、このあたたかいみやげの折詰はただではもらへない。」
「南畫には南畫の約束がある。線と色だけに附合ふつもりでかかつても、もしそれが畫としてすぐれたものならば、ついそこに餘計なものの道具だてが陰に陽にならんでゐて、さういふ道具だてをちらほらさせるやうな世界觀にぶつかつてしまふ羽目になるのは、鑑賞上必然のいきほひのやうである。(中略)およそ畫中の山水には、生活上の可能が賭けてある。この賭はまた精神上の強制でもある。鑑賞はそこから目をそらすことができない。生活はかくあるべしと見るのは、けだし達觀か。この達觀の中にはいかなる思想があるのだらう。わたしの鼻では、どうも老荘のにほひがする。(中略)さて、可能とか達觀とか幸福感とか、ずらりと無用のことばをならべ立てて、そこからなにが出るか。じつに、虚妄といふほかに、なにも無い。繪空事とは、このことである。ただこの虚妄は實在の世界につよく對決をせまる力をそなへてゐる。その力の在りどころはどこか。これを畫についていへば、依然として線と色といふ實物である。これを生活についていへば、畫人みづから選擇した實踐課目である。口をすつぱくしてくりかへすが、萬巻の書を讀み千里の道を行く。この文句には、曖昧なところはみじんも無い。(中略)歴史と地理とを踏みわたつて行くさきに、畫といふ世界があつた。達觀はどうしても線と色とに於て顯前せざることをえない。(中略)畫と達觀と、二者もろとも、目は一撃をもつてこれを突き抜かなくてはならない。げんに、すぐれた畫人の筆はいちはやくこの電光の操作をしとげてゐる。このとき、南畫は南畫特殊に徹することに於て、ひろびろと畫一般に通ずるものとなる。」

















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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