『高柳重信全集 Ⅲ』 (全三巻)

「だから、俳句作家であることは、永久にやり損うことなのだ。だから、俳句作家には当たり籤のない賭けに身をまかせる山師の自覚が必要なのだ。」
(高柳重信 「続偽前衛派」 より)


『高柳重信全集 Ⅲ』
編集委員: 飯田龍太・大岡信・中村苑子・三橋敏雄・吉岡実

立風書房 
昭和60年7月20日 印刷
昭和60年8月8日 発行
412p 口絵(モノクロ)1葉 
菊判 丸背布装上製本 貼函 
定価9,500円
装幀: 吉岡実 
限定600部

栞 (8p): 
月の雁(吉岡実)/山川蝉夫が越えた絶顚(馬場あき子)/重信一夕話(加藤郁乎)/独りの古武士(高屋窓秋)/高柳重信語録③



全三巻。


高柳重信全集


帯文:

「新興俳句の正当な位置づけを終生の悲願として闘ったが、近代以後の俳句界全体に対する見渡しの能力は抜群だったと思う。彼にはなによりもまず、俳句形式そのものに対する不屈の愛があった。(大岡信)」


帯背:

「俳句論/時評/詩歌論/講演・座談会」


目次:
 
〈俳句論〉
俳句形式における前衛と正統
子規・虚子・碧悟桐のころ
新興俳句運動概観
新興俳句運動の軌跡
戦後俳句の眺望
*
敗北の詩――新興俳句生活派・社会派へ
偽前衛派――或いは亜流について
バベルの塔――或いは俳句と人間性について
掌篇俗論集
密書ごっこ
大宮伯爵の俳句即生活
続偽前衛派
藤田源五郎への手紙
身をそらす虹の絶巓 処刑台
俳壇迷信論
写生への疑問
暗喩について
酒場にて――前衛俳句に関する大宮伯爵の演説
前衛俳句をめぐる諸問題――山口誓子と金子兜太について
前衛俳句の総決算
「書き」つつ「見る」行為
私にとって俳句とは
自作ノート
*
前略十年
『蕗子』への道
『蕗子』の周辺
蕗子誕生
わが「日本海軍」の草創
新しい歌枕
 
〈時評〉
俳壇八つ当り
「正義」について
矜恃について
盗賊と乞食について
偽前衛派について
橋石句集『風景』
大政奉還の説・再説
定本・赤黄男句集その他
俳句の廃墟
「破産」の積み上げ
詩型とは何かに肉薄――金子兜太著『定型の詩法』
俳句史の問題など
言葉の導くままに――大岡信著『子規・虚子』
見事な才気煥発ぶり――加藤郁乎著『夢一筋』
富安風生翁の気迫
風格ある戦後派俳人――飯田龍太著『思い浮かぶこと』
“歪んだ密告” ウ呑み
戦後俳壇とある“通過儀礼”
危険な批評の論旨
批評精神の摩滅

〈詩歌論〉
詩壇遠望
幻の長歌
吉岡実と俳句形式
『旅』の中の絶景
切実に歌わざるを得ない心――鷲巣繁男歌集『蝦夷のわかれ』
生きながら鬼に――斎藤史歌集『ひたくれなゐ』
はじめに月と――山中智恵子小論

〈講演・座談会〉
関西の前衛俳句について (講演)
現代俳句を語る (高柳重信・飯田龍太・大岡信・吉岡実)

解題 (坪内稔典)
高柳重信年譜・主要著作目録 (川名大 編)



高柳重信全集 03



◆本書より◆


「敗北の詩」より:

「僕は、俳句形式の発生そのものに、この敗北主義をひしひしと感じる。もちろん、現代の敗北主義は、当時の敗北主義の如く、封建制下の外部的・強制的な抑圧によって他動的に無理やりに生まれたものではなく、より内面的な不安定な人間そのものの崩壊から生まれる深刻なものであろう。誰の眼にも等しく見える抑圧ではなく、感じることの出来る者にのみ感じる抑圧が、そして、それを感じることによって次第に始まる内面崩壊が、その敗北主義を誘発する。それ故に、そこからの単純な退隠は許されない。普通に考えられる意味での風流であることも許されない。そういう状況の中で、どうして自然を愛する余裕などがあり得ようか。自分を愛すること、その偏愛以外にすべてを失なったとき、また、それすら失なわんとしたとき、風流はあり得ない。そこに虚無的な何ものかが生まれて来るのではなかろうか。それは、年齢にかかわりなく訪れる晩年の意識の芽生えと、どこかで繋がっている。
 僕は、だから、俳句を選択した動機の中に含まれている半ば無意識に似た敗北主義こそ、逆にさかのぼって俳句の性格を決定する重要な要素であり、そこから無意識に引き出される虚無主義の妖花こそ、今後の俳句の当然の課題ではなかろうかと考える。
 それは、しかし、形式の安易さから、気軽に無自覚に投じて来る大衆の詩であることを、必然的に拒否し、俳句を最も孤独なものに置きかえてしまうだろう。僕は、それも当然のことと思う。」

「だから、いちばん重大な問題は、時代の流行に逆行する俳句文学そのものの、いわば反社会性、ならびに、敢えてそのジャンルを選択した俳句作家の反社会性を、如何に明確に、正直に自覚するかにかかっていると思う。僕は、そうした多分に反社会的な、あるいは超越的な立場を明らかにすることによって、人間の進歩を信仰する合理的な評論家たちに、大きく開き直りながら、ここに一つの特殊で偏屈なジャンルを主張したいと思う。」

「俳句だけに限らず、何ごとにおいても、その廃滅の寸前にはたいてい爛熟しきった頽廃的な美しい灯をまもるための、ごく少数の人たちが存在するものだ。そして、その頽廃こそ、新しい芽生えの準備なのだ。だから、その担当者には、はじめから虚無的な敗北的な動機により、この俳句形式を進んで選択した少数の孤独な魂の持ち主が、もっともふさわしいと思われる。」



「大宮伯爵の俳句即生活」より:

「まったく、大宮伯爵の言うごとく、俳句と堕罪の意識とは、完全に不離のものであったと、私にも思われる。(中略)思えば、嘗つて俳句は、一度だって明日への進軍ラッパであったことはなかったし、また、今日の直接の心の糧であったこともなかった。たとえば、俳句はいつも昨日の挽歌であった。「俳句というジャンルは、生まれると同時に、既に過去のものだったんだよ、あんた」という大宮伯爵の言葉を、私はどうしても忘れることは出来ない。」
「「あんたは、ヴェルテルになって短銃で頭を射ち抜くかわりに、俳句を書くことになるだろう」その時が、たしかに私にやって来たのである。しかし、私は、もう一つの大宮伯爵の言葉を思い出す。そのとき大宮伯爵は皮肉な顔つきで、こんなことを私の耳にささやいたものだ。「この頃、しきりに俳句即生活なんて言葉をきくがね、あんたは知っているかい。それはね、自活するくらいなら自殺するぞということなんだよ。本当は」。」



「私にとって俳句とは」より:

「いわゆる人間の言葉を、まだ一つも知らなかったころ、暗闇の中で理由のない恐怖におびえながら、ただ必死に泣き声をあげていた嬰児時代の、しんそこ切ない真実を忘れてしまってから、どれくらいの歳月が経ったというのであろうか。「お母さん、こわいよう」などという言葉を覚えて、その便利さになれはじめたときから、もう僕たちは急速に眠りこけ、さびついていったのかもしれない。僕にとっての俳句形式は、その昏睡から時おり、覚めるための気付け薬であった。」


「『蕗子』の周辺」より:

「率直に言えば、私にとって富沢赤黄男は既成俳句の終点であった。また、いっさいの既成俳句に訣れを告げようと決意する私にとって、その終点こそは新しい出発点となるべきところであった。そして、それが終点であり出発点であるために、まず私は富沢赤黄男について知り尽くさなければならなかった。しかし、たとえ富沢赤黄男について知り尽くしたとしても、その後、どうしたらよいのか、具体的には何のあてもなく、まったく見当もつかない状態であった。当然のことながら、あらかじめ考えられる方法などというものは、まさに皆無であった。その頃、俳壇でも、前衛とか可能性とかいう言葉で威勢のいい言挙げが行なわれることが多くなっていたが、そういう安易な風潮に組するつもりは毛頭なかった。俳句形式は、そういうような観念とは無縁な精神によって選ばれなければならないと、私は信じていたのである。したがって、そのときの私の行動の原理は、可能なかぎり徹底して既成の道を避けて通るということだけであった。それは、行きどまりばかりの迷路を一つ一つ丹念に進むのと同じであった。どこへ行っても、たいていは行きどまりの袋小路ばかりであった。それは実に根気のいる試行であり、辛抱づよさだけが有効な武器であった。先輩の俳人や同時代・同世代の俳人の誰とも似ていない存在になりたいと、そのことだけを私は執拗に思いつづけていたのである。
 当時の私は、富沢赤黄男を以て現代俳句は終焉し、いわゆる可能性の俳句も、そこで完了したと思っていた。それは創作としての俳句形式の死を意味するものであった。したがって、そのとき私が目指していたのは、いわば俳句そのものではなく、俳句の死を祀る儀式であったと思う。その昔、中学二年生の私が、わがことのごとく痛感した故事になぞらえて言うならば、それは南朝の没落以後、なお吉野の山奥に立てこもった人々と似ていたようである。すなわち後南朝の心情そのものであった。」



「偽前衛派について」より:

「つい一週間ほど前、僕の近隣に住み、長く気狂い扱いをされていた男が死んだ。この男は軍隊を怖れること並々でなく、街道に軍隊の行進が見られた時など、家を戸閉にして中から釘を打って震えていたと聴いたが、彼の死後、その書斎を見て僕は一驚した。書斎には蔵書を収めた大きな木箱が十一個、本棚はもちろん箪笥の中から押入、戸棚に到るまでぎっしりと本がつまっていて、おそらく三千冊は下らなかったろう。見ると、哲学書、妖怪研究書、冒険探険の書、好色本、草花栽培・淡水魚養殖研究、少年漫画の類に大別された。彼は畑に堀をめぐらして金魚を飼い、畑の中に三層の櫓を組み、その上に温室をしつらえて花を栽培し、遂に孤立したまま誰とも会うことを好まず、そのまま一人で死んでしまったわけだが、僕には果して彼がまことの狂人であったかどうか、急に疑問に思われてきた。僕の想像では、或いは、軍隊に召集されることを忌避した必死きわまりない佯狂ではなかったかと思われるのだが、もしそうであったとすると、彼は、その必死の抵抗を貫いた後、その代価を二十余年の孤絶した、すなわち想像力だけの生活で支払ったことになる。彼の自治領に立ちながら何か鬼気せまる思いで、僕は強く感動した。おそらく断乎たる行動には、その後更に断乎たる行動が要求されるのであろう。そして、人類の前進というものが、もしあったとしたら、先ず、こうした断乎たる行動の存在を必要としたにちがいないと思う。そして、まことの前衛とは、そうしたものであろう。」






























































































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『高柳重信全集 Ⅱ』 (全三巻)

「こういう人たちは、非常にすぐれた呪力をもち、きわめて危険な存在だということになろうが、僕の思うに、いまや、この程度の呪力なくしては、俳句表現など、とうてい実現の見込みはなさそうである。」
(高柳重信 「妖説・永田耕衣」 より)


『高柳重信全集 Ⅱ』
編集委員: 飯田龍太・大岡信・中村苑子・三橋敏雄・吉岡実

立風書房 
昭和60年6月20日 印刷
昭和60年7月8日 発行
369p 口絵(モノクロ)1葉 
菊判 丸背布装上製本 貼函 
定価9,500円
装幀: 吉岡実 
限定600部

栞 (8p): 
乱世にして晴れわたる(山中智恵子)/船長と鬼(鈴木六林男)/途切れ途切れの思ひ出(神田秀夫)/栄光と不幸と(飯田龍太)/高柳重信語録②



全三巻。


高柳重信全集


帯文:

「歯に衣を着せない直言の士として、俳壇にとって格別大事なひとであった。作風志向を異にするとはいえ、氏の志操には不屈の潔さがあった。作品評価の眼力に、秀れた洞察が秘められていた(飯田龍太)」


帯背:

「作家論/俳句鑑賞/エッセイ」


目次:
 
〈作家論〉
放哉と山頭火
飯田蛇笏の世界
日野草城とエロチシズム
病人の言葉
阿波野青畝小論
松本たかし小論
富安風生先生の俳句
明喩と暗喩――中村草田男小論
高屋窓秋の『白い夏野』
渡辺白泉と石田波郷
三橋鷹女覚書
妖説・永田耕衣
赤尾兜子の文体
いまは亡き――三谷昭
『女身』の桂信子
三橋敏雄句集『まぼろしの鱶』紹介
鈴木六林男の三句
佐藤鬼房の俳句
神田秀夫戯論
*
富沢赤黄男ノート
富沢赤黄男――孤独な魂の嘆きを詠う
富沢赤黄男の場合
富沢赤黄男論――その孤立の歴史
富沢赤黄男の日記から
『魚の骨』と富沢赤黄男
『天の狼』の富沢赤黄男
*
西東三鬼の『旗』
戦後の西東三鬼
西東三鬼と平畑靜塔
 
〈俳句鑑賞〉
現代俳句鑑賞 Ⅰ
現代俳句鑑賞 Ⅱ
戦争と平和
雑の俳句
三橋鷹女
 
〈エッセイ〉
大塚仲町
ダルマサンガコロンダ
スイライ・カンチョウ
密書ごっこ
テンモンドウ

模糊たる来し方
健げなる者
わが友――加藤郁乎・鷲巣繁男・飯田龍太
若き日に――大岡信
*
宇都宮雑記
 
解題 (和田悟朗)



高柳重信全集 02



◆本書より◆


「放哉と山頭火」より:

「そう言えば、はじめて僕が山頭火の俳句に接したのは、敗戦直後の混乱期であった。当時、しばらく僕の家の食客となっていた同年齢の放浪青年がいて、彼の強い奨めに従って読んだのである。その頃の僕は、いわば寝たきりの重病人で、戸外へ出ることも叶わぬくらいであったから、無限の空を仰いで放浪することなど、まったく思いもよらなかった。あるいは、そんなわけで、山頭火に対する感受性を欠いていたのかもしれないが、その青年が眼を輝やかせて語る山頭火の放浪生活に、格別の刺戟を受けた記憶はない。ただ、その青年の表情の不思議なやさしさだけが、きわめて印象的であった。
 その頃の僕の日常は、文字どおり俳句だけに明け暮れていた。ふりかぶさってくる眠む気をゆるめると死んでしまうのではないかと懸命に気を張りながら、しきりと僕が思いを凝らしていた俳句は、その一句を形成している言葉のみによって、一句のリアリティが完全に支えられているような作品であった。(中略)俳句形式に対する僕の態度は、その後も変わっていないが、その意味からも、山頭火の俳句の構造は、あまりにも脆弱であった。
 そして、ここが、同じ自由律の俳人でも、山頭火と放哉の句とが、まったく違う点であろう。」

「しかし、放哉には、放哉的な生き方というようなものが、どこを探してみても、なぜか浮かびあがって来ないのである。放哉の生涯を通じて、いちばん印象的に浮かびあがってくるのは、むしろ、放哉的な死に方とでも言うべきものである。放哉も、また、気の進まぬものから遠ざかろうとして、懸命にもがいていたのは確かなことであるが、そこには、かなり積極的な拒絶の意志が感じられる。放哉は、その生涯をかけて、非常に熱烈に放哉自身にしがみついていた。この世に生まれて来たことが、すでに大きな手違いであったように、放哉は、放哉自身とだけ連れ立って、ひっそりと生命の終るのを待つことが、唯一の理想であった。青年期を過ぎたあとの放哉が生きた歳月は、放哉自身になりきってゆくために必要であったにすぎない。それと、もう一つ、ふさわしい死に場所に出会うための漂泊は、山頭火のそれとはちがって、はじめは漠としていたとしても、次第にはっきりとしてきた一つの目的に添って、きわめて静謐に貫徹されたと言っていい。したがって、遂にふさわしい死に場所と思うものを見つけたあとの放哉は、たちまちに生命を終えてしまうのである。山頭火が徹底して無方法に終始したのに対し、放哉ははるかに方法的であった。(中略)何よりも、放哉は、待つことを知っていた。」
「放哉は、新興俳句運動どころか、四Sの揺籃期ともいうべき大正十五年に、世を去ってしまったが、それから十年を経て、そのあまりに繊細な感受性のために、熱烈な人間好きから激しい人間嫌いに一変した渡辺白泉が、その生まれかわりのように、新興俳句運動の中から出現する。」



「阿波野青畝小論」より:

「だいたい、俳句表現は、誰の作品にしても、その作者が、はじめから終りまで、十七字のすべてを、みずからの力のみで書き終えるということは、まず、ないのである。おそらく、その五割から六割ぐらいまでは、俳句形式それ自体の力が、作者の手を添えて書きあげている。」


「三橋鷹女覚書」より:

「三橋鷹女は、僕にとって格別に親しい俳人の一人であった。」
「おそらく僕にとっての鷹女は、親しいという言葉が普通に持っている意味以上の何かであったに違いない。」
「これと同じように格別な親しみを僕に感じさせた俳人として、もう一人、富沢赤黄男がいた。」
「昭和三十七年三月七日に、赤黄男は満六十歳を目前にしながら永眠した。」
「昭和四十七年四月七日の早朝、遂に鷹女も世を去った。」
「いま僕が密かに信じつつあるのは、はじめから終りまで俳句形式にかかわる緊密な三位一体、たとえばエジプトに伝えられたオシリスとイシスとホルスのごとき、きわめて呪術的な父と母と子の関係であった。
 僕が鷹女について書いてゆけば、当然、この不思議な三位一体に触れることを回避できないであろう。それは、やがて、昭和三十七年三月七日に赤黄男が没し、昭和四十七年四月七日に鷹女が没し、そして昭和五十七年五月七日に僕が没するという、このめでたい俳句的恩寵の三位一体の成就について、おのずから書き進むことになろう。生まれつき極度に迷信ぶかい僕は、ふだん口に出して言ったこと、文字にして書いたことが、しばしば実現してしまうという体験を重ねて来たために、その予感に半ば恍惚となりながらも、また一方で、少なからず恐れを抱くのであった。」



「妖説・永田耕衣」より:

「なぜなら、その行為が、まがりなりにも一つの俳句表現を実現するためには、その行為のどこかで、かならず何かを見とどけることが必要である。しかも、それは、単に、何ものかを見つめるだけでなく、あらゆる自然のなかから、次々と価値ある類似を発見し、あらゆる人間のなにがしかの運命に、その類似が及ぼそうとする力を明らかにしていった、あの古代や中世の見霊者たちのように、いつも何ごとかを見とおすことであった。それは、ある場合には、自然のなかに、超自然の精霊の姿をかいまみることであり、時にはまた、現実に精霊の声を聴くことでもあった。しかし、現在、俳句にかかわりをもつ人々の大多数は、そのような精神の極度の集中と、それがもたらす不思議な感応の力を、ほとんど信じようとはしないし、じじつ、彼等は、その能力をまったく欠いているといってよいであろう。」
「したがって、いま、俳句形式が喪い、多くの俳人の心が失ってしまったものは、単に、その背景としての自然の環境だけではなく、人間精神のなかの自然の心でもあったのである。だから、いま書かれている、いわゆる俳句作品の多くが喚起しようとしているものはそこに選ばれて並んでいる言葉が、平板に指ししめしているところの、せいぜい日常次元の事実や、それに付随するささやかな感懐だけである。そして、それが辛うじて誘い出すことが出来るのは、きわめて振幅の小さい類似の感情にすぎない。(中略)たぶん、彼等にとって、多くの精霊が存在し、それが信じられていたような、たとえば古代のような人間の精神は、未開で無知の典型として、一顧の価値もないにちがいない。しかし、僕の見るところでは、その古代は、あるいは未開ではあったかもしれないが、決して無知ではなかった。むしろ、現在の多くの人々のほうが、たとえば、一定の形式のなかの言葉について考えるようなとき、はるかに無知なのではあるまいか。
 ただ、ときおり、僕は、その古代の名残りのようなものを、どこか心のなかにもった人たちに、偶然に出会うことがある。(中略)富沢赤黄男や西東三鬼や三橋鷹女などが、それにあたるようである。これらの人たちが書いた俳句作品のいくつかには、あの古代呪術のもつ洞察力が、言葉というものに賭けた切実な人間の思いと、それが時にもたらした妖しい呪文の力に似て、なぜか不思議な精神の世界が閉じこめられており、僕の心のなかに、さまざまな無限の類似を喚起するのである。(中略)そして、この古代の名残りを思わせる人たちのなかで、特にそれが顕著であり、逸することの出来ないのは、いうまでもなく永田耕衣である。
 いま、ふと気がついたのであるが、以上に列挙した作者たちの作品で、僕がいつも心を惹かれるものは、(中略)そのいずれも、やや難解とされているようである。もちろん、その難解とは、あの作品解釈という俳壇流の簡便な作法に、なかなか乗りにくいという意味にすぎないが、これは、むしろ当然であって、これらの作品が喚起するものは、主として人間心理の暗黒であった。もともと俳壇というところは、(中略)常に指導的な俳人たちの、いわば浅薄な啓蒙主義や合理主義の支配が強かったのであるが、これらの作家たちの作風は、期せずして、それに対する反抗という点で、奇妙に一致している。(中略)これらの作家たちが、その体質的な欲求から、この人間心理の暗黒にわずかに触れたとき、俳句における人間の復権は、はじめて、辛うじて緒についたのであった。浅薄な啓蒙主義や合理主義の支配下で、人間心理の皮相をなでまわしている人たちにとって、それは、当然、難解でなければならなかったのである。」
「こういう人たちは、非常にすぐれた呪力をもち、きわめて危険な存在だということになろうが、僕の思うに、いまや、この程度の呪力なくしては、俳句表現など、とうてい実現の見込みはなさそうである。」



「富沢赤黄男論」より:

「思えば、富沢赤黄男は、常に孤立した存在であった。」


「蝉」より:

「そう言えば、私は、この弟の声や片言すらも、まったく記憶していない。この二つ違いの弟は、私に幼い記憶が始まって以来、いつも私にとりすがるようにまつわりついていた。」
「ともあれ、これは、この兄弟にとって、打ち揃って過ごした最後の夏であった。次の年の四月の初め、ほんの一週間ほど病んだきりで、この無口な弟は死んでしまった。まだ八歳の私には、そのとき病名も知らされず、いまに至るまで、どこをどう病んで死んだのか知らないままになっている。死んでしまった弟が病院から戻ってきた花曇りの午後、私は泣きもせず、口もきかず、ぽかんとして家の門を出たり入ったりしていたような気がする。門の外には昨日と変わらぬ子供たちの元気な日常があり、門の内には死んだ弟が横たわっていた。そのどちらともつかぬところで、私はさまよっていたのである。」
「その夏のある一日、私は群馬県の母の実家にいた。そこは真言宗の小さな寺で、明確には区切られていない境内の周囲に木立や桑畑などが展がっており、いたるところに凄まじいばかりの蝉の声があった。
 とつぜん、眼前の鐘楼の柱に蝉が飛んできて、私の眉の高さほどのところにとりつくと、人もなげに大きな声をあげ始めた。ふと笑いがこみあげて、いたずら心を刺戟された私は、たまたま手にしていた草刈り鎌を近づけると、その蝉は他愛もなく刃先に貫かれてしまった。そのあっけない死にざまに驚きながら、一方で私は悔恨にも揺すぶられていた。そのつたない運命への同情は高まり、偶然の一匹だけが死なねばならぬ不幸と不公平を解消するために、このあたりに鳴く蝉は、すべて同じように生き同じように死ぬべしと、しきりに思うのであった。
 そのつもりになって眼をこらすと、八歳の少年の手のとどく高さにも、実に多くの蝉の姿があった。草刈り鎌を発止と打つと、いとも簡単に、次から次へと蝉は死んでいった。「お前ばかりを死なせはしないぞ」と声に出して言いながら、私の殺戮はつづいた。そして、いつのまにか、この春に死んでしまった弟の墓の前まで来ていた。
 いま、私は、山川蝉夫という別の筆名を持っている。すでに俳句形式が知りつくしている幾つかの技術を組み合わせただけで、即刻に吐き出すような作品を、必要あって発表するとき、もっぱら、この筆名が使用される。

  六つで死んでいまも押入に泣く弟  山川 蝉夫」





































































































『高柳重信全集 Ⅰ』 (全三巻)

「我すでに跡形もなき秋の暮」
(高柳重信)


『高柳重信全集 Ⅰ』
編集委員: 飯田龍太・大岡信・中村苑子・三橋敏雄・吉岡実

立風書房 
昭和60年6月20日 印刷
昭和60年7月8日 発行
409p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背布装上製本 貼函 
定価9,500円
装幀: 吉岡実 
限定600部

栞 (8p): 
虚実を貫く真実(島田修二)/童心即高柳重信(永田耕衣)/高柳さんのこと(草間時彦)/気持のきれいなひと(大岡信)/高柳重信語録①



全三巻。


高柳重信全集 01 01


帯文:

「独自の多行形式を駆使し、また時には分身山川蝉夫に変じ、あり得べき未踏の最後の一句を求めてやまなかった俳句形式の殉教者高柳重信鏤骨の全作品を収録・初版句集の他に異本も併載。解題=三橋敏雄」


帯背:
 
「俳句作品」


帯裏:

「第一巻(俳句作品)
『前略十年』より『山川蝉夫句集』に至る全句集の完全収録。他に「日本海軍・補遺」「山川蝉夫句集以後」の句集未収録作品、〈参考〉として『黒彌撒』版『蕗子』『伯爵領』を併載。解題=三橋敏雄
 
第二巻(作家論/俳句鑑賞/エッセイ)
放哉と山頭火・病人の言葉・阿波野青畝小論・富澤赤黄男ノート・戦後の西東三鬼・現代俳句鑑賞・ダルマサンガコロンダ・わが友・蝉など44篇。解題=和田悟朗
 
第三巻(俳句論/時評/詩歌論/講演・座談会)
俳句形式における前衛と正統・新興俳句運動概説・敗北の詩・バベルの塔・「書き」つつ「見る」行為・『蕗子』の周辺・吉岡実と俳句形式など58篇。年譜 解題=坪内稔典」



高柳重信全集 01 02


目次:

前略十年
 作品 I
 作品 II
 作品 III
 作品 IIII
 作品 V
 あとがき

蕗子
 序にかへて (富澤赤黄男)
 逃竄の歌
 盗汗の歌
 なげき節
 子守歌
 廢嫡の歌
 跋

伯爵領
 序 (菱山修三)
 花火の谷間より
  蒙塵や
  厚き苔敷く
  吹き沈む
  遂に谷間に
  汽車が虹が
 碑銘の丘より
  花茨
  灰が降る
  馬車は越えゆく
 むらさき山脈より
  山脈の
  めざし雲
 寢墓の森より
  森の夜更けの
  その黑斑
  風下の
  森の奧の
 金の燈臺より
  燈臺の白い律呂に
  燈臺の靑き喘ぎの
 虎の斑の岬より
  虎の斑の
  靑絹の
 黑い孤島より
  孤島にて浪の呪ひの
  孤島にて不眠の鴉
 泯びの河口より
  海へ夜へ
  海押しよせる
 汚名の濕地より
  老いて狂ひし
 領内古謠より
  森や谷まも
  さよなら
  蜘蛛の圍の
  かの孔雀
  降る雪の
  指切りの
  明日は胸に咲く
  ●●○●
 あとがき (大宮伯爵)

罪囚植民地
 晴
 曇
 雨
 風
 雪
 覺書 (著者)

蒙塵
 搖れるばかり
 喪服の時間
 愛撫の晩年
 二十六字歌
 足輕集
 水滸傳
 爬蟲の族
 髪
 三十一字歌
遠耳父母
 望遠集
 耳の五月
 父の沖
 母系
 高柳重信全句集・覺書

山海集
 飛騨
 坂東
 葦原ノ中國
 倭國
 日本軍歌集
 不思議な川
 後記

日本海軍
 松島
 橋立
 嚴島
 鎭遠
 富士
 八島
 敷島
 朝日
 初瀨
 三笠
 八雲
 吾妻
 淺間
 常磐
 出雲
 磐手
 春日
 日進
 壹岐
 丹後
 相模
 周防
 肥前
 石見
 香取
 鹿島
 筑波
 生駒
 鞍馬
 伊吹
 薩摩
 安藝
 河内
 攝津
 金剛
 比叡
 榛名
 霧島
 扶桑
 山城
 伊勢
 日向
 長門
 陸奧
 加賀
 土佐
 紀伊
 尾張
 近江
 駿河
 天城
 赤城
 高雄
 愛宕
 加古
 古鷹
 靑葉
 衣笠
 妙高
 那智
 足柄
 羽黑
 摩耶
 鳥海
 最上
 三隈
 鈴谷
 熊野
 利根
 筑摩
 大和
 武藏
 信濃
 高千穗
 富士
 *
 富士と高千穗
 あとがき
 作品目次

日本海軍・補遺
 峯風
 澤風
 島風
 灘風
 汐風
 秋風
 夕風
 春風
 松風
 谷風
 睦月
 如月
 彌生
 卯月
 皐月
 水無月
 文月
 長月
 菊月
 霜月
 吹雪
 初雪
 東雲
 薄雲
 磯波
 敷波
 朝霧
 夕霧
 有明
 夕暮

山川蝉夫句集
 春・三六句
 夏・三六句
 秋・三六句
 冬・三六句
 雑・八四句
 あとがき

山川蝉夫句集以後

〈参考篇〉
 蕗子(『黒彌撒』版)
 伯爵領(『黒彌撒』版)
 山川蝉夫句抄
  あとがき
  パトスのかなかな (塚本邦雄)

解題 三橋敏雄



高柳重信全集 01 03


高柳重信全集 01 04



◆本書より◆


「前略十年」より:

「山に來て蛇を恐れぬ少女なりき」

「まくなぎや人の怒を得て歸る」

「北風や此處までくるとみな背き」

「双頭の一つ刎ねられ死にゆく蛇」



「蕗子」より:

「「月光」旅館
開けても開けてもドアがある」

「月下の宿帳
先客の名はリラダン伯爵」

「過失致死罪
わが身に犯し
さあさはじまる
華麗な服罪」

「船燒き捨てし
船長は

泳ぐかな」

「孤島にて
不眠の鴉
白くなる」



「伯爵領」より:

「吹き沈む
野分の
    谷の
耳さとき蛇」

「その黑斑
うとまれ撃たる
寢墓の森の
黑斑鳥」



「罪囚植民地」より:

「なまぐさき
眠りの
蛇を
雪降りつつみ」

「降る雪の
野の
深井戸の
谺かな」



「蒙塵」より:

「墓原や
ひつそりと
なつかしく
あたたかし」

まなこ荒れ
たちまち
朝の
終りかな」

あまりのどかで
生かして置けぬ

鳶の輪ひとつ」

「胎内や

爪に火ともす
人差し指」

「影の木に
影の
蛇卷く
秋は來にけり」



「遠耳父母」より:

「親殺し

蛇泳ぎして
行方も知れず」

「沈丁花

殺されてきて
母が佇つ闇」

「妹と
影を植ゑ
妹と
よぢれあふかな」



「山川蝉夫句集」より:

「ずるずると春の沼より引き出す繩」

「足生えて足が疲れる秋の幽霊」

「みちのくも幽霊も秋闌けにけり」

「凩のあとはしづかな人枯らし」

「雪のこゑ添寝童子がまたも来る」

「まぼろしの白き船ゆく牡丹雪」

「乱世にして晴れわたる人の木よ」

「六つで死んでいまも押入で泣く弟」

「泣きじやくる不思議なものをふところに」

「淋しい幽霊いくつも壁を抜けるなり」

「友よ我は片腕すでに鬼となりぬ」



「山川蝉夫句集以後」より:

「我すでに跡形もなき秋の暮」

「人喰人種も喰はれて滅び人の秋」

「幽霊も鬱なるか傘さして立つ」

「煙となりて我を出で立つ鬼ひとつ」



「蕗子(『黑彌撒』版)より:

「森の奧では
しすしすしす
ひとめをしのぶ
蛇性の散歩」



高柳重信全集 01 05


高柳重信全集 01 06




































































『花神コレクション 〔俳句〕 中村苑子』

「人の名を聞いて忘れて僧涼し」
(中村苑子)


『花神コレクション 〔俳句〕 
中村苑子』

藤田湘子 監修

花神社 
平成6年9月25日 初版第1刷
143p 
19×13.4cm 並装 カバー 
定価1,500円(本体1,456円)
装釘: 熊谷博人



花神(かしん)社より刊行された俳句シリーズの第28巻。


中村苑子


帯文:

「現代俳句の華やぎと豊饒
その成果と魅力を網羅した
待望のコレクション
第一句集完全収録に加え、初句索引・季題別索引付」



帯背:

「現代俳句の果実 28」


内容:

第一句集 『水妖詞館』 (昭和50年 俳句評論社) (全)
 序 (高屋窓秋)
 遠景
 回帰
 父母の景
 山河
 挽歌
 覚書 (中村苑子)

中村苑子自選七〇〇句
 「初期句篇」 (『現代女流俳句全集』 第四巻所収 昭和56年 講談社) (抄)
 第二句集 『花狩』 (昭和51年 コーベブックス) (全)
 第三句集 「四季物語」 (『中村苑子句集』所収 昭和54年 立風書房) (全)
 第四句集 『吟遊』 (平成5年 角川書店) (全)

■人と作品
 馬場あき子 「時間の累積の中で――『水妖詞館』の世界」 (「俳句」 昭和50年12月号より)
 高橋睦郎 「戦慄の句集――『水妖詞館』寸観」 (「俳句」 昭和50年8月号より)

中村苑子略年譜 (中村苑子)
初句索引
季題別索引




◆本書より◆


「水妖詞館」より:

喪をかかげいま生み落とす竜のおとし子

跫音や水底は鐘鳴りひびき

貌が棲む芒の中の捨て鏡

鈴が鳴るいつも日暮れの水の中

母の忌や母来て白い葱を裂く

いつよりか遠見の父が佇つ水際

消えやすき少年少女影踏み合ふ

羊歯の中うつらうつらと青菩薩

墓山に琴鳴るはわが生霊(いきすだま)



「初期句篇」より:

女よく笑ふ電話やつばくらめ

ゆふべ死んで炎天を来る黒い傘

跫音を柩の中で聞いてゐる



「花狩」より:

人の気配する雛の間を覗きけり

暮れてより花散らす雨つのりけり

鉛筆を噛めば木の香や梅雨ながし

薊もて打つ男あり輝けり

野分して眠りの中の白き蛇

夕ざくら家並みを走る物の怪よ

ひとりふたりと死ぬ間や生姜きざまるる

誕生日樹にゐて花を降らすのみ

川下でみんな死んでるえごの花



「四季物語」より:

野ざらしや異形なるもの掻い抱き

鷹を放ちて鷹となりたる男かな



「吟遊」より:

麗かや野に死に真似の遊びして

春の鳥ただならぬもの咥へをり

遠つ世へゆきたし睡し藤の昼

人の世は跫音ばかり韮の花

亡き人の来る夜来ぬ夜の白はちす

楝散る暗(くら)がりに母下がりをり

人の名を聞いて忘れて僧涼し

























































中村苑子 編著 『高柳重信の世界』 (昭和俳句文学アルバム 18)

「北風や此処までくるとみな背き」
(高柳重信)


中村苑子 編著 
『高柳重信の世界』

昭和俳句文学アルバム 18

梅里書房 1991年6月5日発行
109p 編著者略歴ほか1p
四六判 角背紙装上製本 カバー 定価1,700円(本体1,650円)
装幀: 巌谷純介



高柳重信読本。俳句作品二百句の抄出を中心に、伴侶であった中村苑子による評伝、娘・高柳蕗子による回想文、夏石番矢による作家論、著作目録・略年譜を収録。図版(モノクロ)多数。


高柳重信の世界1


帯文:

「豊富な
写真資料でつづる
俳句文芸の
昭和史・全33巻

昭和を代表する物故俳人33氏の
作品と人間像を、総合的に、ヴィジュアルに紹介し、
世界で最も短い詩型をもつ文芸ジャンルを通して
「昭和」とはいかなる時代であったかを
再検証する画期的シリーズ」



帯背:

「第18回配本
中村苑子=編著」



高柳重信の世界2


目次:

評伝・高柳重信 (中村苑子)
父と私 (高柳蕗子)
高柳重信作品二百句抄 (抄出: 中村苑子)
つねに生誕するロゴス (夏石番矢)
高柳重信著作目録 (中村苑子)
高柳重信略年譜 (川名大)
執筆者・資料協力者等一覧



高柳重信の世界3


「評伝・高柳重信」(中村苑子)より:

「当時の重信は、夕食がすむと二階の自室に引きこもり、父の書棚から持ち出した『北原白秋全集』や『石川啄木全集』『俳句文学全集』その他、『千夜一夜物語』から神話・伝説の類まで手当たりしだいに読み漁り、かたわら、自己流の詩や短歌、感想文などをノートにびっしりと書き綴って飽きなかった。これら少年期の、初期以前ともいうべき創作ノートはその後の空襲や水害によってすべて消失してしまい、重信自身は「さいわいなことに……」と述懐していたが、残念なことであった。
重信にしてみれば、少年期から青年期にかけて、彼がいちばん影響を受けたのは、辰野隆、鈴木信太郎、渡辺一夫などの訳を中心とした十九世紀のフランス文学であったから、その体験以前の模糊とした少年時代の自分の来し方とは決別したかったのであろうし、意識的に、自分の言語体験の道筋を一貫して反映するものだけを残しておきたかったのであろう。私より年若い彼が所蔵していた『ヴァレリー全集』や『リラダン全集』は、戦時下のこととて途中で発行不能になったりしたから、私の書棚から第一書房や白水社発行の古い単行本をよく持っていった。これらの本は、彼の許に移っていったきり戻ってこなかったが、やがて年経て私の書棚に彼の蔵書が一緒に並ぶようになってから見ると、煙草の烟(けむり)で古色蒼然とした姿に変わり果て、彼の所蔵本にふさわしい状態で収まっていた。彼の読書の方法は、たとえばリラダンを読むにしても、同じものを斎藤磯雄と渡辺一夫の訳とで読みくらべ、こうして読むと、訳の違いによって見えてくるものが微妙に違ってくるので、なまじっか原語でおぼつかなく読むよりも数等味わいがある、と言っていた。」



「父と私」(高柳蕗子)より:

「私は幸せな子供であり、パパはその幸せの一つだった。
あの頃は「パパは正義の味方なんだよ」と言うのを素直に信じていた。まもなく離婚した母に連れられ、父と離れて暮らすことになったため、父が「ナントカ仮面」でなく、俳人をやっていることを知るのは、数年先の四年生のある日、父に再会してから後のことだ。」



高柳重信の世界4


◆高柳重信句抄◆


「前略十年」より:

「北風や此処までくるとみな背き
双頭の一つ刎ねられ死にゆく蛇」



「蕗子」より:

「身をそらす虹の
絶巓

   処刑台」

「「月光」旅館
開けても開けてもドアがある」

「過失致死罪
わが身に犯し
さあさはじまる
華麗な服罪」

「船焼き捨てし
船長は

泳ぐかな」

「孤島にて
不眠の鴉
白くなる」



「伯爵領」より:

「蒙塵や
重い水車の
  谷間の
   石臼」

「吹き沈む
野分の
   谷の
耳さとき蛇」



「罪囚植民地」より:

「杭のごとく

たちならび
打ちこまれ」



「蒙塵」より:

「吊るされて
一と夜
二た夜と
揺れるばかり」

「まなこ荒れ
たちまち
朝の
終りかな」

「あまりのどかで
生かして置けぬ

鳶の輪ひとつ」



「遠耳父母」より:

「沈丁花

殺されてきて
母が佇つ闇」



「山海集」より:

「琴抱いて
無名の
神が
漂着せり」

「鬼国と言へり
年経て
神の
栖むところ」

「わが骨
朽ちたり
野末の石と
いふ言葉も」



「山川蝉夫句集」より:

「凩のあとはしづかな人枯らし
乱世にして晴れわたる人の木よ
六つで死んでいまも押入で泣く弟
友よ我は片腕すでに鬼となりぬ
我すでに跡形もなき秋の暮
煙となりて我を出で立つ鬼ひとつ」









































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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