アナトール・ル=ブラース 『ブルターニュ 死の伝承』 後平澪子 訳

「お日さまが出ているうちこそ、この世は生者のものだが、ひとたび夜になれば、死者のものになる。」
(アナトール・ル=ブラース 『ブルターニュ 死の伝承』 より)


アナトール・ル=ブラース 
『ブルターニュ 死の伝承』 
後平澪子 訳


藤原書店 
2009年5月30日 初版第1刷発行
766p 口絵(モノクロ)16p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価8,800円+税



本書「凡例」より:

「本書は、La Légende de la mort chez les Bretons armoricains, par Anatole Le Braz, Paris, Librairie Ancienne Honoré Champion, Éditeur, 1923. の全訳である。」



本書「訳者あとがき」より:

「ル=ブラースが初めて『死の伝承』を発表したのは一八九三年で、(中略)著者はその後も、新たに採取した話を挿入するなどして、手を入れ続けた。一九〇二年には、(中略)二巻本を出している。」
「本書は、作者自身が「決定版」とした、(中略)一九二三年版の全訳である。」
「いま全訳と記したが、厳密に言えば、そうではない。「一九二三年版序文」、マリリエの初版の序文を冒頭に掲げない理由を説明した「序文」第一部、巻末の付録として掲載されているマリリエの初版序文、さらに注の解説、索引については、(中略)訳本では削除した。注については、文献を引用しているのみのものを除き、なるべく忠実に掲載した。」
「カバー絵、十六ページにわたる口絵、章ごとの挿絵は、原書にはない。」



口絵モノクロ図版38点、地図2点、章扉図版(モノクロ)23点。


ルブラース ブルターニュ 死の伝承 01


帯文:

「フランス版「遠野物語」 ブルトン語で聞書きした第一級の作品=資料の全訳!
生者よ、驕るなかれ。死を思え。
「死者」と共に生きる
ブルターニュの人々
神秘的なケルト民族のなかでも、最も「死」に魅せられたブルターニュの人々。
「死」を隠蔽する現代社会が喪失した、豊穣な世界。」



カバー裏文:

「「ケルト人の習俗のうち、ローマ人にもっとも強い印象を与えたもの。それは、ケルト人が来世についてはっきりとした考えを抱いていたことだ。ケルト人は自殺に心を惹かれ、あの世での暮らしのために借金をし、契約書にサインする。それよりずっと気楽な性格の地中海人は、実際にケルト人が未来を予見し、死の秘密を知っているからこそ、来世を確信しているのだと思い、この神秘的な民族に対して恐れを抱いていた」(ルナン)
 どのケルト民族も、死の問題について、古来より旺盛な好奇心を示してきた。だが、死に対するそうした関心を、いまだ最も完全なかたちで保っているのは、ブルトン人であろう。
 土地の地理的条件も、こうした精神をはぐくむのに一役買っている。浜辺の岩や木の幹は、それ自体すでにへんてこな形をしているのに、ぼんやりした光と濃霧のせいで、いっそうおかしな動きをしているように見え、そのシルエットはまるで怪物のようだ。海の咆哮は絶えず調子を変え、海岸線が滑らかであることはない。ブルトン人が生まれつき幻想的なものや超自然的なものに想像を逞しくするのは、こうした風土が後押ししているからなのだ。
 ケルト人の意識のなかで大切にされてきた死の信仰は、ブルトン人の魂の中で奇妙なまでに生き生きと息づき、しっかと根を下ろしている。キリスト教もこれを打ち壊すことはできず、むしろ逆にいっそう堅固にしたくらいだ。こうしたわけで、死者によって、また死者とともに生きる種族の、時代錯誤と言ってもいいような伝統は、今日まで変わらず続いている。ブルトン人は内心恐れながらも死者と付き合い、死者たちのしぐさ、働きかけ、歓び、悲しみ、後悔、あるいは欲望を常に念頭に置くだけではなく、そこから不朽の伝承を紡いだのである。」



目次:

関連地図
 物語の舞台、バス・ブルターニュ地方
 バス・ブルターニュ地方

序文
 死後の世界を知る神秘的な民族
 キリスト教改宗後にも残ったケルト的伝統
 ケルト民族の中で最も死に関心を示すブルトン人
 死者と共に生きるブルトン人
 本書はいかにつくられたか

第1章 死の前ぶれ
 1話 一人の死に、前ぶれが八つも起こった話
 2話 「牛」の前ぶれ
 3話 エンドウ豆のダンス
 4話 「ピン」の前ぶれ
 5話 扉の上の手
 6話 「揺り籠」の前ぶれ
 7話 「屍」の前ぶれ
 8話 「生首」の前ぶれ
 9話 「水に映った影」の前ぶれ
 10話 「オール」の前ぶれ
 11話 「池」の前ぶれ
 12話 ジョゾン・ブリアンの「パイプ一服」
 13話 「葬式」の前ぶれ
 14話 「墓選び」の前ぶれ
 15話 「結婚指輪」の前ぶれ
第2章 人が死ぬ前
 16話 死者の宝物
 17話 潮の満ち干と命
 18話 ジャン・カリウーの話
 19話 死んだ司祭から臨終の聖体を授かった病人
 20話 二匹の犬と女
第3章 死の執行人、アンクー
 21話 死者の荷車
 22話 ギャブ・リュカスの体験
 23話 ピエール・ル=リュンの見たもの
 24話 鍛冶屋の話
 25話 アンヌ女公と塩税
 26話 ペストを肩車した男
 27話 死が食事に招かれた話
 28話 アンクーの通り道
 29話 塞がれた道
 30話 新築の家を訪れたアンクー
 31話 アンクーのバラード
第4章 死んだふり
 32話 死んだふりをしてはいけない
 33話 死を冗談の種にした者は、報いを受ける
第5章 人を死に至らしめる方法
 34話 ベッドの下の小鉢
 35話 蹄鉄づくりの話
 36話 銃の話
 37話 巡礼の報復
 38話 魔女の船
第6章 霊魂の旅立ち
 39話 開いた窓
 40話 魂が白ネズミになった話
 41話 木の上の死者
 42話 死んだ女の秘密
 43話 魂が小蝿の姿になった話
 44話 肉体と霊魂の別離
第7章 人が亡くなったあと
 45話 ネヴェズの寺男の話
 46話 傷んだ干し草の話
 47話 神父さまのお通夜
 48話 ロンのお通夜
 49話 開いた扉
第8章 埋葬
 50話 空っぽの家
 51話 知りたがり屋のイウエニック・ボローハ
 52話 納骨所で一夜を明かした娘
 53話 屍衣を縫った娘
 54話 死んだ娘のコワフ
 55話 マリー=ジャンヌの屍衣
 56話 船長の指輪
 57話 血だらけの手
 58話 墓堀り人の話
第9章 霊魂の運命
 59話 アグリッパは必ず家に戻ってくる
 60話 プルギュッファンの司祭の話
 61話 軽はずみな若い司祭の話
 62話 タディク・コスの話
 63話 ひどい母親
第10章 溺れ死んだ者たち
 64話 身投げした娘の話
 65話 死者の頭蓋骨
 66話 イアニック・アン・オド
 67話 ジャン・ディグーの運
 68話 入り江の五人の死者
 69話 ゲルトラス(サン・ジルダ島)の海難事故
 70話 「かわいいマチルド号」の話
第11章 海に呑み込まれた町
 71話 イスの町
 72話 マリー・モルガン
 73話 ケー・イスの庭
 74話 ケー・イスの商人(あきんど)
 75話 ケー・イスの老婆
第12章 人殺しと吊るし首
 76話 死者のペン・バス
 77話 首を吊った男
第13章 死者の霊魂、アナオン
 78話 二人の友
 79話 コアトニザンの野うさぎ
 80話 母さん豚と七匹の黒子豚の話
 81話 二本の老木
 82話 石塚の下の霊魂
第14章 霊魂の祭り
 83話 死者たちのミサ
 84話 真夜中の洗礼式
第15章 霊魂の巡礼
 85話 マリー・シゴレルの参詣
第16章 アナオンのために泣きすぎてはいけない
 86話 コレーの娘の話
 87話 溺死者の叱責
 88話 息子を想って泣きすぎた母親
第17章 幽霊
 89話 死んだ母親の話
 90話 農夫とおかみさん
 91話 鍬(くわ)を担いだ男
 92話 マリー=ジョブ・ケルゲヌーの話
 93話 救いの石
 94話 トゥルクの「おじいちゃん」の話
 95話 糸紡ぎのおじいさん
 96話 波が運んできた鏡
 97話 止まった時計
第18章 冒険物語に登場する幽霊
 98話 ジャン・カレの冒険
第19章 悪意ある死者
 99話 死者の婚約者(いいなづけ)
 100話 最初の夫の恨み
 101話 夜叫ぶ者
 102話 灯台の幽霊
 103話 死者の悪口を言ってはいけない
 104話 夜の洗濯女
 105話 三人の女
 106話 炎の鞭
第20章 悪霊祓い
 107話 トロガデックの悪霊祓い
 108話 赤姫さま
 109話 ポン・レズ侯爵の話
 110話 タディク・コスのお祓い
 111話 赤い服の娘
 112話 マリオン・デュ・ファウーエトの話
第21章 地獄
 113話 トレギエの教会と悪魔
 114話 グラウド・アー=スカンヴの話
 115話 悪魔の馬
 116話 悪魔の馬(別バージョン)
 117話 「金好きジャン」の話
 118話 領収書を取りに行った男
 119話 悪魔の花嫁
 120話 地獄の舞踏
第22章 天国
 121話 二人の酔っ払い
 122話 イアニックの旅
 123話 びっこの少年と天使の義兄(あに)

訳注
原注
参考文献
通貨単位について
アナトール・ル=ブラース関連年譜
訳者あとがき



ルブラース ブルターニュ 死の伝承 02



◆本書より◆


「序文」より:

「大方の場合、幽霊はあの世でも、生前この世でしていたことと同じことを行なうと考えられている。これは、ブルトン人の言い伝えと古代ケルト人の伝承との間に認められるすべての類似点のなかでも、おそらく最も注目すべき事柄の一つであろう。死者は、人間としての条件を何一つ変えていない。使者は新しい居住地へと「旅立った」が、そこで営まれる暮らしは、以前とまったく変わらない。叙事詩の時代のケルト人が、海の対岸で自分の馬具と武具をふたたび手に取れると信じて疑わなかったように、現代のブルトン人も、自分たちがいつも使っている道具と習慣を「あの世」で取り戻せる、と信じている。水底に沈んだはずのイスの町では、商人は布を、八百屋は野菜を客に売り続ける。あるいはまた、農夫の幽霊が鋤(すき)を押す姿が目撃され、死んだ糸紡ぎの老人が回す糸車の音が聞こえる。これら、あの世の住人は、おしなべてアン・アナオン、つまり「霊魂」と呼ばれる。霊魂が肉体をともなわずに現われることは、まずない、と言っていい。故人はもとの姿かたちをそっくりそのまま保ち、いつも着ていた服を身につけている。生前と同じ仕事着、同じつば広のフェルト帽。感情、嗜好、頭を占める考えも、生きていたころとまったく変わらない。この点について言えば、原始時代の古い信仰は、キリスト教の教えによって損なわれはしなかったのだ。」

「実際、死者の暮らしは生者のそれと入り混じっている。死者は、地上のしかじかの土地にいるわけでもなければ、海の小島にいるわけでもない。死者はどこにでもいる。ブルターニュという地域が続くかぎり、どこにでも。だから、ブルトン人の住む土地全体が、文字通り「死者の国」なのである。このことは、伝承にも顕著にあらわれている。昼間、霊魂はどこかに隠れているわけではなく、人間の目に見えないだけだ。それが、日が暮れたとたん、畑を、荒地を、道を占領し、黙って仕事に精を出す。その数は「野原の草の茎ほども、あるいは砂浜の砂粒ほども」いる。そして、葉のそよぐ音や風の囁きの中で、互いにひそひそおしゃべりをする。家のまわりをうろつき、中にしのびこみ、一番鶏が夜明けを告げるまで腰を据える。ブルターニュでは長いこと、夜、死者が来るかもしれないからといって、扉に鍵をかけない習慣があった。いまでもまだ人々は、寝る前に炉の中の熾き火に灰をかぶせておく。そうすれば、死者はいつでも火にあたることができるからだ。特定の祝日、テーブルの上に食べ物を出しっぱなしにしておくのも、同じような心遣いからだ。暗黙の了解によって、この地上は昼間は生者のものだが、夜になれば死者のもの、と合意ができているのだ。」

「そういうわけで、死者によって、また死者とともに生きる種族の、時代錯誤と言ってもいいような伝統は、今日まで変わらず続いている。」



「第6章 霊魂の旅立ち」より:

「魂は、花のかたちになって現われることもある。大きな白い花だ。人が近づけば近づくほど、花はますます美しくなる。でもこれを摘もうとすると、花は遠ざかってしまう。」


「第9章 霊魂の運命」より:

「夜、星空を見上げると、この世がこの世になってから、いったいどれだけの人間が死んだかがわかる。
 明るくきらきら輝く星は、永遠の栄光に包まれ、喜び溢れる霊魂だ。か細い光しか出していない星は、まだ煉獄での試練を終えていない霊魂だ。そして、悲しげに燃え、くすんでいる星は、地獄に堕ちた魂だ。
 たくさんの星の集団は、同じ家族の死者たちが寄り集まっているのだ。
(フランスワーズ・ベルトゥ談/カンペルレ地方にて)」



「第11章 海に呑み込まれた町」より:

「イスの町は、ドゥアルヌネからポール・ブランのあいだに広がっていた。七つが島(セッティル)は、その廃墟だ。イスでいちばん美しい教会は、いまトリアゴスの岩礁があるあたりに立っていた。この岩礁をトレウ・ゲールというのは、その名残だ(トレウ・ゲールはトリアゴスのブルトン語名。下町という意味)。
 空が明るく穏やかな晩には、サン・ジルダの岩場から人魚の歌声が聞こえてくる。その人魚とは、グラロン王の娘、アエスにほかならない。
 ときどき、入り江で鐘の音が鳴り響くことがある。これほど美しいメロディーのカリヨンは、どこに行っても聞けやしない。それは、イスの鐘楼のカリヨンだ。

 イスの町には、レクゾビーと呼ばれる地区があった。町には聖堂が百も建っていて、それぞれの聖堂では司教がミサの司式をした。
 イスの町が海に呑み込まれたとき、人々はいつもどおりの生活をしていた。住民はいまでも、そのときと同じことをやり続けている。糸を紡いでいたお婆(ばあ)さんは糸を紡ぎ続け、布売りの男は、同じ客に同じ布を売り続ける。それは町がふたたび蘇り、住人が呪縛から解放されるまで続く。
(クルアルン談/カラックにて)」

「あたしの母さんは、イスの町が波間から姿を現したのを見たことがあるんだそうです。町にあるのは、お城と塔ばかりでね、壁には何千もの窓がついていたんですって。屋根はまるでクリスタルでできているみたいに、ぴかぴか光っていたそうです。母さんには、教会の鐘の音と、人々が道でがやがや話す声がはっきり聞こえたという話です。
(語り手、ジャンヌ=マリー・ベナール/ポール・ブランにて)」

「ある日、プルムール・ポドゥに住む一人の女が、ご飯の煮炊きに使おうと思って、潮汲みをしに砂浜に下りていきました。すると突然、目の前に巨大な門が出現しました。
 女が門をくぐると、そこには、目も眩みそうなほど華やかな都がありました。道の両側には、イリュミネーションで飾られた店が立ち並んでいます。店先には、とびきり上等の布が広げてありました。女は、見るもの聞くもの、すべてが素晴らしいので、あっけにとられて口をぽかんと開けたまま、にぎやかな通りの真ん中を、ふらふら歩いて行きました。
 店先には、商人たちがずらりと並んでいました。
 そして女が近くを通るたびに、大きな声でこう呼ぶのでした。
 「いらっしゃいませ、何かお買い求めください! ぜひ何かお買い求めを!」
 耳を聾(ろう)せんばかりの叫び声に、女はすっかり慌てふためきました。
 とうとうやっとのことで、そのうちの一人にこう言ったんです。
 「どうやって買えというのさ、一リアールだって持ってないのに」
 「さようですか! それは残念至極ですな」と、商人(あきんど)は言いました。「一スーのものでもいいから、とにかく何か買ってもらえれば、ここの全員が解放されたのに」
 そう言ったとたん、町は消えうせてしまいました。
 気がついてみると、女はたった一人で砂浜に立っているのでした。」
「(語り手、リズ・ベレック/ポール・ブランにて)」



「第12章 人殺しと吊るし首」より:

「不慮の死を遂げた者がいて、その原因が不明であるとき、死者のために弔鐘を鳴らす鐘つき男は、鐘の音を聞いて、事故がもとか、それとも殺されたのかがわかるそうだ。」


「第13章 死者の霊魂、アナオン」より:

「お日さまが出ているうちこそ、この世は生者のものだが、ひとたび夜になれば、死者のものになる。だから賢い人は、霊が出歩く時間には、家の扉を全部閉めてから眠りにつく。日暮れ過ぎ、用もないのに外出するのは、絶対に控えなくてはならない。なかでも夜の十時から朝の二時のあいだは、いちばん不吉な時間だ。」

「ハリエニシダの生えた土手の斜面を越えるときは、事前にわざと、何か音をたてるようにしなければならない。例えば、咳(せき)払いをするなどして。それは、そこで霊が悔悛の行をしているかもしれないから、その霊にどいてもらうためだ。また、麦畑の刈り入れを始める前には、「もしアナオンがそこにおいでならば、その魂に平安あれ!」と言わなくてはならない。」



「原注」より:

「ウェールズでは、夢を見ているあいだ、霊魂は身体から離脱していると信じられている。ある日、刈入をしていたお百姓が畑で居眠りをした。すると、口からまっ黒な小人が出てくるのが目撃された。小人は畑を一回りしたあと小川のほとりまで行き、ふたたび口の中に戻った。じきに目が覚めたお百姓は、畑を回り、小川まで歩いて行く夢を見た、と話した。したがって、夢を見ている人(つまり、霊魂が外を歩き回っている状態にある人)を途中で起こすのは危険である。その人は気が狂うか、下手をすると死んでしまう。ときどき、霊魂は黒い蜥蜴(とかげ)の姿をしていることがある。」

「アイルランドでは、海難事故が起きたり、人が死にそうになったりすると、優しい楽の音と、それに唱和する嘆き声とが聞こえる。それは、死者を引き渡すように求める妖精の声だ。悪運が成就しないようにするには、船で音楽を奏で、歌を歌わなければならない。そうすると妖精たちは、その音楽に夢中で耳を傾けるから、決定的瞬間をむざむざ逃してしまう。」





こちらもご参照下さい:

植田祐次 訳編 『フランス幻想民話集』 (現代教養文庫)
『ラヴクラフト全集 2』 宇野利泰 訳 (創元推理文庫)
ラフカディオ・ハーン 『日本の面影』 田代三千稔 訳 (角川文庫)
谷川健一 『常世論』 (平凡社選書)





















































































































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T・G・E・パウエル 『ケルト人の世界』 (笹田公明 訳)

T・G・E・パウエル
『ケルト人の世界』 
笹田公明 訳


東京書籍 1990年7月11日第1刷発行
297p 口絵(カラー)8p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,500円(本体2,427円)
装幀: 東京書籍AD



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、T・G・E・パウエルによる “The Celts”(Thames & Hudson, 1980 New Edition)の日本語訳である。(中略)原著は最初、テームズ&ハドソン社から一九五八年に出された「古代の人々と土地」シリーズ(全六巻)のうちの一つとして出版されたが、改訂版として単独で同社から一九八〇年に復刊された。本書はこの改訂新版を全訳したものである。」

スチュアート・ピゴットによる「新版へのまえがき」より:

「一九五八年に出版されたT・G・E・パウエルの「ケルト人」は、この古代のヨーロッパ人に関する初めての博識かつ学術的な論文であった。それは、考古学上の証拠と文学上の証拠を結びつけたものであり、分かりやすく書かれているうえに、図解も豊富に入れられている。本書は学者および一般の人々の間で熱烈に支持されており、ケルト人研究に多くの進展があったものの、二十年後の今日も本書に取って代わるものは出ていない。著者自身による改訂は、その死により不可能になったので、一九五八年版のものをそのまま「古代の人々と土地」シリーズの新しい体裁に合わせて(ただし図版を増やした)再出版することが決められた。」

口絵図版(カラー)12点、本文中写真(モノクロ)97点、図38点。


ケルト人の世界1


帯文:

「Barbarian Europe
未開のヨーロッパにたくましく生きた
「幻の民」の実像に迫る!」



帯背:

「ヨーロッパ先住民の
生活・芸術・宗教」



帯裏:

「本書は、歴史学、考古学、言語学のさまざまな証拠を駆使して、東のバルカン半島からフランス、スペイン、そして西のイギリス、アイルランドにいたるまで「未開のヨーロッパ」に生きたケルト人の生活、芸術、宗教全般を鮮やかに描いている。従来、「幻の民」と呼ばれてきたケルト人を、その起源から最後の軌跡まで、初めて総合的に解説した記念碑的名著である。カラー口絵はじめ160点に及ぶ写真・図版を掲載。」


ケルト人の世界2


目次:

はじめに
新版へのまえがき (スチュアート・ピゴット)
主要年史表 (考古学上)/(歴史上)

第一章 ケルト人を求めて
 情報源と定義
 古代史の中のケルト人
 ガリア人
 ガラテア人
 ベルガエ族
 ブリテンとアイルランド
 ヨーロッパ先史時代の背景
 新石器時代の移住民
 牧農民の出現
 原始時代の金属使用
 「戦斧」とその背景
 馬
 インド=ヨーロッパ人
 「ビーカー」とその背景
 青銅器時代における人間集団の融合と連続性
 北方山岳文化圏
 「骨壺葬」文化の先駆者
 問題多き時代
 乗馬者と首領
 紀元前六世紀における民族としてのケルト人
 ブリテンへの移住
 アイルランドのケルト人

第二章 ケルト人の生活
 ケルト人の肉体的特徴
 服装
 装飾品
 ケルト人気質
 社会制度
 アイルランドの社会制度
 ガリアにおける社会制度
 農業経済
 居住地の対照
 ラングドック
 ブリテン
 アイルランド
 畑および農耕
 家屋
 砦と「町」
 穀物の貯蔵
 手工業と交易
 ワイン交易の文化的重要性
 「ラ・テーヌ」美術工芸
 ケルトの貨幣と現物交換
 価値の単位
 戦闘
 武勇
 戦闘方法
 裸のゲサタイ
 首狩り
 乗馬者
 英国諸島の武力闘争
 ケルト人の宴会

第三章 ケルト人の神霊
 ケルト人の原始的宗教
 年間行事
 部族神と自然神
 三組神
 神霊界
 ガロ=ローマ時代の記念物
 ローマ時代のブリテン
 その土地本来の神の具象化法
 聖なる円柱と木
 聖なる区域
 ケルトの社
 ローマ=ケルトの神殿
 雄牛と猪の彫像
 供物の堆積
 供犠
 魔術師と聖人
 口述学習

第四章 ケルト人の軌跡
 キンブリー族とチュートン族
 「ゲルマン人」
 古代チュートン人
 デンマークでのケルト出土物
 チュートン人のケルト人からの借用
 ローマ後のケルト的伝統
 ローマのブリテン
 カレドニア人とピクト人
 スコットランド人
 ブルターニュ人の起源
 「ゲール人」の起源
 連続性の糸

訳者あとがき

写真類の補遺説明
参考文献
索引



ケルト人の世界3



本書より:

「古代アイルランドの言語と文献の体系的な研究は、ここ数百年のことにすぎないし、ある点ではほんの予備研究が完成したにすぎない。法律的な論文、叙事詩的で神話的な物語のいくつかの内容は、先史時代からつづくアイルランド人の生活を照らし出し、大陸のケルト人に関する多くの古典的な言説に解明の光を与えている。また、それは言語学の分野に劣らず、インド=ヨーロッパ人の慣習と神話学のもっと広範な分野に、重要な比較のための資料を提供している。アイルランドのケルト人は、インド北部のアーリア人がインド=ヨーロッパ人の東洋の要塞でありつづけたように、インド=ヨーロッパ伝統の西縁部の要塞でありつづけた。地理的には中間にあるその共通の親が消えたにもかかわらず、これらは長い間生き残った。」

「ケルト人は、今日ではキリストに先立つ千年間のうち前半の方の数百年間に、アルプスの北の地域に姿を現した結合のゆるい未開民族として論述されている。
社会制度や言語における共通の要素をはじめ、物質文化と農業経済における共通の要素は、すべてはもっと昔の地域的な共同体と、少なくとも部分的には侵略的な骨壺葬文化の人々との混交に由来するものであるが、それらの共通の要素は、主としてハルシュタットの墳墓とラ・テーヌ文化に代表される王朝の興隆とともに、相互に結合しあったものと思われる。紀元前五世紀と四世紀にケルト人は最も栄え、ヨーロッパの全域に広がった。彼らは最終的にはカエサルの手で死命を制せられたのであるが、そうなったことについては特別の原因はなく、自然に衰退しつつ事実上大陸では忘れられる運命をたどった。そしてケルト人という名称ではなく、その土地土地の呼称の下にケルト的遺産を保持していた人間集団が、中世に入っても生き残ったのは、ブリテンと最後にはアイルランドにおいてのみであった。」

「ケルトの女神たちは土地とか領地に結びついているのであって、その土地が占領されれば女神も同じ運命をたどって、懐柔されたり、征服されたり、はたまた奴隷化されたりもしたのである。女神たちは豊饒と破壊的側面の両方を表しており、太陽と月はもとより、動物形象や地形学でも象徴化され得るものであろう。
その当時、女神たちはサァオイン祭で嘆願されるべき神霊の力であったが、その前日の夜こそが、この世界が魔術の力によって蹂躙されると考えられた一年の内の大変な時であった。不思議な軍勢が洞穴や塚から発進し、個々の人間はこれらの王国に受入れられたのであろう。一方、王家の砦に向かっては怪物たちによる炎と毒の攻撃がなされた。」



ここでいったん本書よりの引用を中断しますが、これは「ハロウィン」の起源とおぼしいケルトの祭儀について述べている文章ですが、「個々の人間はこれらの王国に受入れられたのであろう」という訳文の意味がよく分りません。ネットでさくさくっと検索してみたところ、原文が見つかりました。

「......the night of its eve was the great occasion in the year when the temporal world was thought to be overrun by the forces of magic. Magical troops issued from caves and mounds, individual men might even be received into these realms; whilst against the royal strongholds, assaults by flame and poizon were attempted by monsters.」

訳文の無味乾燥にひきかえ、これはうっとりするような名文ではありませんか。「magical」「mounds」「men might」 etc. の「m」音と、「received」「realms」「royal」 etc. の「r」音が、「s」音の火花を散らしつつ交錯し、掉尾の「monsters」に向って収斂していきます。リア充人間たちの常識という傲岸な砦を打ち砕くべく魔物の群れが「時は今」とばかりに攻撃をしかける。じつにわくわくするではありませんか。がんばれモンスター。くたばれ人類。
失礼しました。
「the temporal world」「royal strongholds」は人間たちの領域である現世・世俗世界、「these realms」「caves and mounds」は魔物たち「Magical troops」の世界、従って、「これらの(魔物の)領域に迎え入れられる人間もいたかもしれない」のようになるかと思います。

本書よりの引用を続けます。


「男性神でも女性神でもケルト人の神々のもう一つの特徴は、三組神(トライアッド)になっていることである。(中略)三組神というのは、三つで一つの神になっていることと考えがちだが、そうではなく、また三つの別々の神が結合しているという考えのものでもない。実際のところそれは、個々の神の途方もない力を表現したものである。それは「三というものが持つ力」になぞらえることができよう。三という数字は、インドでも同様に、ケルト人の世界を越えてはるかに神聖で縁起のよいものであった。」

「魔術師の力が主にいかなる能力にあると考えられたのか。それは、見えないものを見る能力、人より先に知識を得る能力であった。
アイルランド語の言語研究が示しているように、知識は「見る」ということであった。そしてこれは、恍惚状態、精神錯乱、あるいはある種の鼓舞された霊感を通して達成されたのである。
恍惚状態の最も興味ある実例の一つは、タラで新しい王を選んだ時の物語の中の一頭の牛が殺されドルイドがその肉を貪り食う、というものである。その後ドルイドは恍惚状態に陥り、その間彼の上で呪文が唱えられた。正気に戻ると彼は、正当な権利の主張者のうち誰がタラに登位するかを予言することができた。この儀式はターブフェイス、すなわち「牛の夢」として知られている。熱狂、恍惚、自分の姿を意のままに変えること、呼称はどうあれこれらはすべて、ケルトの魔術師とユーラシア北方地帯のシャーマンとの間に、ある種の関係が存在することを示している。」






























































鶴岡真弓 『ケルト/装飾的思考』 

「だが内部のデモーニッシュな光景を操る〈装飾〉は、世界の根源にある闇を限りなく増殖しつづける。とすれば〈装飾〉とは、つねに反ロゴス的な世界にあって、人に悪夢を見せつづけさせる負の定理(テオレーム)であるのかも知れない。」
(鶴岡真弓 『ケルト/装飾的思考』 より)


鶴岡真弓 
『ケルト/装飾的思考』


筑摩書房 
1989年8月25日 初版第1刷発行 
1991年3月15日 初版第6刷発行
322p 註18p iv 口絵(カラー)4p
A5判 角背紙装上製本 カバー 
定価3,910円(本体3,796円)



本文中図版(モノクロ)多数。
のちに「ちくま学芸文庫」版が刊行(1993年9月)されています。

1980年に若桑みどりの『マニエリスム芸術論』、1989年に本書、1980年代の初めと終わりに、二人の女性美術史家による、思想史上たいへん重要な二冊の本が刊行されているのは興味深いです。そしてその間にはドゥルーズ/ガタリや中沢新一の本が洛陽の紙価を高からしめ、ゴジラ(海底で眠っていたモンスターが目覚めて現代文明を破壊する)の再ブームがあり、「校内暴力」問題(大人しく管理教育されていた子供たちが目覚めて学校を破壊する)があり、インディーズ・ブームがあり、戸川純さんがテレビで大活躍、そういう時代でした。


鶴岡真弓 ケルト装飾的思考 01


帯文:

「装飾
の王国へ

謎の民族ケルトが
残したものはなにか?
ヨーロッパ文化の
隠された基層、
ケルト的想像力の核心へ。
聖書写本をはじめとする
装飾の森へ分け入って迫る
俊英の画期的論考。

ケルト
の国へ」



目次:

はじめに――ケルトの国へ

序章 西のトポス――アイルランド修道院文化
 1 スケリグ・ヴィヒール島へ
 2 エグザイルの精神――聖コルンバーヌスの放浪
 3 学芸の島
 4 ケルト写本

第一章 装飾の系譜――写本芸術の伝統
 1 挿絵と装飾
 2 装飾の理念
 3 文様の蠢き――カーペット頁
 4 視られる文字――装飾頭文字
 5 顛倒の論理

第二章 ケルトの想像力――変形から幻想へ
 1 ゲール語と『アラン島』
 2 異貌のケルト人
 3 幻の版図
 4 歪んだ神像
 5 負の人体
 6 ケルトの貨幣

第三章 渦巻文様の神秘学
 1 『ダロウの書』渦巻の頁
 2 ラ・テーヌ様式
 3 切られた首
 4 神秘思想
 5 拮抗の精神

第四章 北方動物の変容主義
 1 ヨハネ福音書の扉
 2 ケルトの神々と動物
 3 航海譚の怪物
 4 怪獣文字
 5 北方動物文様
 6 ダロウ・アニマル――二つの脅威
 7 動物の変容

第五章 組紐空間の呪縛
 1 ケルトの十字架
 2 十字架と組紐文様 
 3 『ダロウの書』のトリック
 4 「結び目」の欲動
 5 イスラームの組紐文様
 6 レオナルドの組紐
 7 文様の侵食
 8 磔刑の組紐
 9 組紐のシンボリズム
 10 緊縛された身体
 11 組紐人間

第六章 世界文様
 1 モナスターボイスの十字架――図像と文様
 2 文様的世界像
 3 ケルト美術の遺産――カロリング朝・フランコ=サクソン派
 4 ロマネスクへ――魔性の装飾

第七章 ケルト復興
 1 ケルトと世紀末
 2 絵画におけるケルト的モチーフ――バートンとマックリス
 3 ピートリと《タラ・ブローチ》
 4 ケルティック・デザインの展開
 5 アール・ヌーヴォーへ

あとがき



鶴岡真弓 ケルト装飾的思考 02



◆本書より◆


「それは日本の古層である縄文が、明治時代に一外国人によってその固有の造形が発見され命名されるまで当の日本人によってほとんど日本文化論の対象となりえず、その世界像がじゅうぶんに認識されてこなかった状況にも似て、ヨーロッパ自身が地中海の古典文化に傾けた関心に較べ、〈ケルト〉なるヨーロッパのもうひとつの基底文化に対する関心は、遥かに乏しいものであったといわねばならないだろう。」
「しかし、その暗澹とした不可視の古層たる〈ケルト〉に埋蔵されていた遺産が、近年さまざまな分野で掘り起されつつある。」
「本書が語ろうとするケルト美術もその重要な項目のひとつである。」
「その美の原理は、われわれが教えられてきた模範的な〈ヨーロッパ〉の造形美術から逸脱しているようにみえるかも知れない。(中略)ケルト美術はその不可解性、異形性によってわれわれを戸惑わせそしてひきつける。」

「ケルトの想念が視覚化されるとき、それは〈文様〉という象(かたどり)となった。その文様とは渦巻であり組紐であり動物である。それらは決して単一パターンで表現されることはなく、つねに相互連動している。(中略)渦巻が旋回しながら他者を巻き込み、組紐がうねりながら一方を絡めとり、動物が互いに噛み合い闘争している。蠢きは永遠に続くようにみえる。」
「造形の抽象作用を伝統とするケルトが福音書の頁を文様で覆い尽くそうとしたことは、むしろ自然なことであったかも知れない。テクスト的意味がいっさい拒否され文様だけで埋めた「カーペット頁」なる装飾頁はその意味でケルト装飾術の最大質量(マキシマム)を実現した空間である。」
「『ダロウの書』に始められるこうしたカーペット頁は、のちの『リンディスファーン福音書』や『リッチフィールド福音書』から『ケルズの書』にまで受け継がれる。とくに『リッチフィールド福音書』のそれは、文様に侵された十字架を表わしていることにおいて最も注目に値する作例だ。ここでは十字架は単なる影に過ぎない。幻想的な鳥が組紐のように絡まり合いながら空間を隈なく埋めているなかに、十字架はか細い線の輪郭だけによってかろうじてその存在を主張している。われわれの眼に映るのは圧倒的な文様の有機的組織なのである。」

「頭部に直接胴体がついたもの、頭部のみのもの、また棒に三つの人頭だけを刻んだものなど、素朴だが無気味なそれらの神像は、ギリシア・ローマ人が追求した(理想的な)現世的人体にほど遠く、古典美に照らせばまことに醜い、非自然主義的な「負の人体」とでもいえるものである。」
「こうした人像表現や頭部の表現を通してわれわれは、つねに人体なりの〈自然〉を歪めにかかり、解体し、造形に視覚的な不安を増幅させるというケルト美術のシステムと向き合わされるのである。」
「ケルトの手にかかった〈自然〉は解体と歪曲の渦中に放り込まれ反転を繰り返すうちに、いつしかひとつの最もケルト的な形象に絡め取られていく。その形象とは〈文様〉にほかならない。ケルト美術のファンタズムは〈文様〉という小宇宙のなかに展開する。」

「雷文はミノア=ミュケナイ文明に先行する「古ヨーロッパ」(前六五〇〇―三五〇〇年のドナウ河流域とバルカン半島を中心とする新石器時代文化)の神像に早くも現われていた。これは生命の本源たる「宇宙水」の形象として土器や女神像の身体や仮面に線刻されたものであった。ミュケナイの蛇女神像の原型が古ヨーロッパにあることからも、ギリシア美術の雷文が古ヨーロッパの「宇宙水のシンボリズム」を継承したと考えられている。「古ヨーロッパ」の概念を初めて与えたリトアニア出身の女性考古学者M・ギンブタスの解釈では、ギリシアの螺旋舞踏「鶴(ゲラノス)の踊り」が、蛇女神と一対で生命賦与の役割を果たす鳥女神崇拝に源をもち、(水)鳥女神―生命賦与―水―雷文の象徴的連関が古ヨーロッパからギリシアに引き継がれているという。迷路的な文様が「迷宮の女王」の棲家であるとする文字が、パルマーが解読したクノッソスの線文字B(Gg. 702)にみとめられるが、古ヨーロッパのこうしたシンボリズムを考えるならば、ここでいう「迷宮」とは「水」を意味していた可能性もなしとしない。「女神」すなわち生命を与える大女神は、古ヨーロッパで「水の女王」としての変容型をもち、実際に水を表わす雷文の底に女神の顔が表わされた土器の祭壇も存在するからである。ルーマニア南西部のヴァダストラで発見された神殿模型の本体は鳥女神の身体に見立てられており、その表面が雷文で覆われているなど、古ヨーロッパには女神と水としての雷文の表現が実に豊富だ。古ヨーロッパの大女神像表現は三五〇〇年以降のインド=ヨーロッパ語族の侵入で薄らいでいき、やがてギリシア神話の男神優位の構造に取って代わられるが、ミノア=ミュケナイに蛇女神としての大女神のシンボリズムが残ったように、生命賦与と水の観念は雷文という文様に留められたのではないか。」

「もとよりケルト渦巻からは地上に安座する建築としての迷宮像を想い描くことは難しいだろう。それは宇宙をさまよう星雲のごとく、何処か隔絶したトポスに浮遊しているようにみえる。地上的なものへ向けて開かれた招きの入口はない。いわば遥かな彼岸を指して私から遠ざかっていく何者かである。固定された空間に繋ぎ止められた構築物にはほど遠く、そこには旋回する螺旋形のゆらぎだけがある。」
「ケルト渦巻は、(中略)〈中心〉をもたない。つねに蠢くものである限り、定められた中心はないのである。あえていえば移動する中心ということだろう。(中略)中心が「ここ」から「ここではない何処か」へ一瞬のうちに移りうる世界。」

「トランペット・パターンによって一種無限の運動を約束されたケルトの渦巻は、原子のスケールから大宇宙のスケールまでを一挙に同じ明澄さでみさせる有機的な文様の集合となっている。その集合はユークリッド幾何学では解析されない、あのフラクタル図形にどこか似ていないだろうか。(中略)この種の図形は、次々に細部を拡大して、どんなに小さな部分を取り出しにかかっても、無限に相同図形を現わすという構造をもっている。自然界には脳の皺や樹木、雲や稲妻など、この構造をもつ図形が少なくない。自己相同的なかたちを限りなく現出させる、つまり決して整数の次元をもたず微分不可能なこの図形を、われわれ現代人はコンピュータ・グラフィクスのお陰で超微のスケールにおいて眺めることができるようになった。百万倍に拡大された図形に、「マンデルブロート集合」と名づけられたいくつもの渦巻が、気の遠くなるような果てしない次元に次から次へと現われ出ている。
 こうしたフラクタル図形とケルト写本の渦巻を描いた装飾頁を並べて見ると、最大次元・最小次元までの構造が、渦巻形象の連動で示されるという点で両者がきわめて似かよっていることに少なからず驚かされる。(中略)原子的なスケールと大宇宙のスケールを同時に見、この二つの次元の合一を信じたケルトの神秘思想があったとすれば、ケルト渦巻文様以上にこの想念を視覚化し得る造形美術はなかったのではなかろうか。」

「現実の形態の模倣を恐れ、幾何学的図式化も恐れるという態度は、同じひとつの精神の二つの局面である。それは自然の存在に二項のどちらでもない両義的な形姿を与えておくことであり、二つの領域を自由に行き来する可能性を与えておくことである。こうしたケルトの方法は、文様となった動物におのずから幻想的な姿を与える。写実主義にも極端な抽象主義にも拘束されないケルトの動物たちには変容主義(トランスフォーミズム)が解放される。ケルトにおける自然とは「この幻想的な宇宙のすべての部分が、交換可能であり、突然その形態を変え、互いが互いを呑み込む。一旦完璧な首尾一貫性をもっていたり単独に完結されたものも、自然のなかの他の存在、あるいは生命のない形態とさえ融合することができる」(Henry, F., Irish Art Im p.206)可能性をつねに秘めたものでなくてはならない。」

















































フロリス・ドラットル 『妖精の世界』 (井村君江 訳)

フロリス・ドラットル 『妖精の世界』 
井村君江 訳


研究社 1977年1月10日印刷/同15日発行
378p 口絵(カラー)i 図版(モノクロ)6p
四六判 丸背紙装上製本 カバー 定価2,000円



本書「訳者あとがき」より:

「本書の原題は Floris Delattre, English Fairy Poetry, from the origin to the seventeenth century (London, Henry Frowde, 1912) で、そのまま訳せば「イギリス妖精詩――起源より十七世紀まで」となろう。イギリスに古代から存在したと想像されていたさまざまな種類の妖精を、その発生から十七世紀まで、主として「チュートン神話のエルフ」「ケルト伝説のフェアリー」「アーサー王伝説のフェ」の三点に集約しつつ、口碑や信仰の形で、あるいは歌謡(バラード)や物語など伝承の形で民間に伝わるものと、純文学作品のなかに摂り入れられたものとを、時代思潮のなかに浮かしつつその変遷を辿ったもので、これはいわばイギリスにおける妖精の誕生とその運命の研究と見られよう。だが、主として取り扱われている『ベーオウルフ』やチョーサー、ミルトン、スペンサーやシェイクスピア、ドレイトン、ヘリックなど、イギリスの主だった詩人たちの作品を「妖精詩(フェアリー・ポエトリー)」という名称で包括して呼ぶことはわが国ではまだ不慣れである。さらに各々妖精についてできるだけ解説をするなど紹介に努めたので、本書を総括的に『妖精の世界』と名づけた。」

序論として比較文学の島田謹二による著者評伝、訳者による妖精論と妖精小辞典、訳者の選択による別刷図版(美術作品を主とする)が収録されている。
(図版のうち、バーン=ジョーンズ「マーリンの惑わし(Beguiling of Merlin)」の作者名とタイトルが、誤ってウィリアム・モリス「王妃グイネヴィアとマーリン」と表記されている。)


妖精の世界1


帯文:

「ヨーロッパの神話・伝承等と深く結びつきながら、イギリス文学に豊かに息づく これら超自然的生きものたち! チョーサー、シェイクスピア、ベン・ジョンソン、ヘリックらの詩に、またバラードや民話の中に その誕生を運命を辿った 稀なる妖精の研究
付――「妖精小辞典」 各種の妖精、幻獣、悪魔等を収録。」



帯背:

「詩の中に生きる
フェアリーたち!」



帯裏:

「……イギリスの妖精は、イギリス人の人柄を、小さな微妙な尺度に縮めてそっくりそのまま伝えてくれる。イギリス文学の大家たちはたえずその詩の国の中に妖精たちを出没させている。妖精こそ彼らの魂のそこはかとない感動を代わって伝える存在なのである。微妙な想像力の夢という夢、とこしえにはっきりつかまえられない限りない憧れ、全てこの世のものならぬありとしもなきものへの情熱――総じてケルト的と言われるものの趣が、そこに浮かんでいるではないか。…… 
(「序論――ドラットル教授とその学風」 島田謹二)」



妖精の世界2


目次:

序論――ドラットル教授とその学風 (島田謹二)

まえがき
第一章 エルフ、フェアリー、フェ
第二章 初期のフェアリー詩
第三章 エリザベス朝のフェアリーたち
第四章 『夏の夜の夢』
第五章 シェイクスピア後のフェアリーたち
第六章 ドレイトンからヘリックへ
結論

英国妖精流離譚 (井村君江)

訳者あとがき
引用文出典および訳注
妖精小辞典
参考文献
索引



妖精の世界3



本書より:

「この小論は――同じ著者によるロバート・ヘリック研究の補足として見ていただきたいのだが――イギリス諸島におけるフェアリー神話(ミソロジー)を、イギリスの詩との関係において、またイギリスの詩に及ぼした影響といった面から考察することを目的としており、それ以上のねらいはない。最初期の民間信仰(フォーク・ビリーフ)のなかで、まだ粗野で漠然とした形をとっていた頃に始まって、十七世紀の巧緻きわまる作品群に至り、そこで事実上の終焉をむかえるまでのフェアリー詩の発展の各段階をあとづけてみたい、というのが著者の意図である。本書では、フェアリーという題材の形成と変化と凋落とを批評的に概観すること――言いかえれば、民間伝承(フォークロア)が芸術的な詩になってゆく歴史的経緯の一歩一歩を明らかにすることに重きがおかれている。」

「エルフたちは明確に分類できる二つの集団を形づくっている。一つは「明るい(ライト)」エルフで、「太陽よりも輝かしい」光と空のエルフであり、もう一つは「暗い(ダーク)」エルフで「瀝青より黒く」、森や山の洞穴に住んでいる。「明るいエルフ」は色白くか弱く微妙で、あるものはまばゆいばかりに美しく、月の光をあびて時おり長い金色の髪の毛を梳(くしけず)っていたりする。「暗いエルフ」は奇形で、その外観はほとんど一寸法師のようであり、頭は不恰好で猫背なので、言うまでもなくひじょうに醜い。「明るいエルフ」も「暗いエルフ」もどちらも多くの仲間と群れをなして暮らしている。真夜中の草原で楽しく歌ったり踊ったりすることを好む。(中略)エルフたちと人間との交渉は、いつもうまくいくとは限らない。彼らは知恵をしぼって人間をからかったり、困らせたりすることが好きである。姿を消すこともできるので、いろいろな手を使って人間に悪戯をしかける。(中略)こうした悪戯好きのところが徹底していって、しばしば極端な悪意におちこむことがないわけではない。「良い人たち」とか「良い隣人たち」とか人びとは彼らをなだめるように呼ぶのだが、時には、(中略)娘をさらっていったり、まだ洗礼を受けていない赤ん坊を揺りかごから盗み、代わりに醜い奇形児を置いていったり、また人間や動物を急に病気にしたりする。だが多くの場合、そんなに根性の悪いことはしない。田舎の人びとと平和に暮らして、彼らはできるだけその家族の仕事、とくに家事の手伝いをする。」

「この「明るい(ライト)」エルフと「暗い(ダーク)」エルフには類似点がある。(中略)こうしたエルフたちはみな、悪意をもっているにせよ、ややいたずら好きであるにせよ、人間を恐れている。(中略)エルフが人間たちに対して示す気持は、善と悪、親切と欺瞞、といったものが奇妙に入り混った感情であり、これらは敵意ある恥じらいとでもいうようなもので、そこに何か異教的な感情が含まれているので、キリスト教徒たちと彼らたちの率直なつきあいはむずかしくなっている。エルフたちはチュートン神話の主な特性である悲しくて暗い人生観を同じように持っている。悪意ある悪魔たちと親類ではないにせよ、この見るからに気味の悪い超自然の生きものたちは自分たちの置かれた低い状態をひどくひがんでいるので、エルフ教義(クリード)の全体を通して、沈鬱な真面目さや、自分の運命をにがにがしく思う感情がその底には流れている。」

「『詩人(ライマー)トマス』の場合のように、同一の主題が時おり、歌謡(バラード)と中世騎士物語(ロマンス)の両方に現われることがある。(中略)この二つはともにトマス・オヴ・アーセルドゥーンのフェアリー国(ランド)への旅を物語っている。彼は、十四世紀の初めに歌謡作者(ライマー)、すなわち詩人(ポエット)および予言者(プロフェット)としてよく知られた男である。

 誠実なトマスは不思議なものを見た、
 ハントリーの堤に身を横たえているときに、
 輝くばかりに美しいひとが、
 エルドンの木のあたりまで、
 馬に乗ってやってくるのを。
 
 そのシャツは草のような緑の絹、
 そのマントは美しいビロード、
 その馬の立て髪の先からは、
 五十九の銀の鈴が下がっていた。
 彼女はトマスに勇気を出して口づけをするようにと言う。

 「さあ、わたしといっしょにゆくのです、
 誠実なトマスよ、いっしょにゆくのです。
 どんなことが起こっても、
 良かれ悪しかれ七年のあいだは、
 わたしに仕えなければなりません。」

彼女は乳白色の馬のうしろに誠実なトマスを乗せ、エルフの国を指して走り去った。(中略)彼はそこに七年のあいだ、ひき留めておかれた。そこで歌謡(バラード)は終わりになる。中世騎士物語(ロマンス)のほうでは、情け深いフェアリーの女王はトマスを危険から守らんとして、地獄の邪悪な悪魔(フェンド)が、七年ごとに女王が治めている人びとのところに、フェアリーの国の人たちが支払うことになっている報酬「十分の一税(ティーンド(ケーン))」を取りにやって来る前に、急いで彼をこの世に送り返すという次第が語られる。エルフの女王はトマスに、危険に満ちた恋の思い出として、予言の才能を授ける。
さまざまな要素がこの伝説的な物語のなかに認められるはずである。人間が黄泉の国(ネザー・ワールド)に旅するという伝説は、民間信仰においてはありふれたものであるが、このことはユリシーズが冥府(ハーデス)を訪れたこと、あるいはアエネーイスが冥土(インフェルヌス)を訪れたことと正確に対応している。」
「トマスがフェアリーの女王に目をかけられ、彼女にその不思議な国に連れて行かれたことは、〈モルガン・ル・フェ〉がデーン人オジアを連れ去り、彼には二十年と思われた二百年間をアヴァロンでともに暮らしたという、アーサー王伝説のもう一つの翻案である。」
























































バーナード・ミーハン 『ケルズの書』 (鶴岡真弓 訳)

バーナード・ミーハン 
『ケルズの書』
鶴岡真弓 訳


創元社 
2002年4月10日 第1版第1刷発行
102p 
25.5×19.5cm 
角背紙装上製本 カバー 
定価3,200円+税



本書「『ケルズの書』とケルト芸術」(鶴岡真弓)より:

「『ケルズの書』は、いまからおよそ1200年前、スコットランドとアイルランドのケルト系修道院の連携で完成された「福音書」の写本である。華麗な装飾や挿絵に彩られたページが、ウルガタ版ラテン語訳の本文(テキスト)ページに挿入されている。典礼に用いられただろうその大型の書物は、装飾の緻密さ、文様表現の伝統、色彩の豊かさ、書体の美しさなどから、「装飾写本芸術」の最高峰と称えられている。(中略)ケルズの修道院に伝来し、その後17世紀以来今日までアイルランド共和国の首都にあるダブリン大学トリニティー・カレッジ図書館に保存されてきたのである。
本書は、(中略)同カレッジの写本管理者にして研究者バーナード・ミーハンによる入門書 The Book of Kells, An Illustrated Introduction to the Manuscript in Trinity College Dublin, thames and Hudson Ltd, London, 1996(初版1994)の全訳である。」



横組。図版117点(カラー109点/モノクロ8点)。


ケルズの書 01


帯文:

「ケルト美術の最高傑作である聖書写本の
装飾の神秘を読み解く、わが国初の手引。
細部の信じがたい精緻さと奇想をカラー図版でたどる―螺旋文様、
組紐文様、人間と動物のモティーフ、
この上ない厳粛さとユーモアの結合。」



帯背:

「ケルト文化の象徴」


ケルズの書 02


目次:

『ケルズの書』とその背景
装飾の表現――影響と類似
装飾ページの構成
装飾の目的
装飾のテーマ
 聖書と十字架
 天使たち
 福音書記者とその象徴(シンボル)
 聖体のシンボル
 キリストとそのシンボル:魚、蛇、獅子(ライオン)
 孔雀と鳩
 テキストと装飾絵図
 人間像とその動作
 小さな「動物」装飾
写字生と芸術家
制作の期間
羊皮紙(ヴェラム)
筆記具と顔料
結び 神秘の芸術

歴史: 中世から近代へ
 1 『ケルズの書』とケルト系修道院
 2 失われたページと余白の書き込み

注に引用された文献

主な装飾ページの構成

『ケルズの書』とケルト芸術 (鶴岡真弓)

『ケルズの書』に関する邦文文献
凡例



ケルズの書 03



◆本書より◆


「『ケルズの書』とケルト芸術」(鶴岡真弓)より:

「一目見ればだれにもわかるとおり、『ケルズの書』はどの細部も「ケルト文様」に覆われている。それは『ケルズの書』の審美的血統をあらわにした毛細血管となって、この写本の体内を駆け巡っている。文字も聖像も「渦巻文様」や「組紐文様」や「動物文様」に絡め取られることなくしてページは進まない。」
「しかし『ケルズの書』は文様に覆われているだけではない。装飾文様の森の中には、新しく棲みついた動植物の図像や抽象的な形態のシンボルが多数表われており、それらはキリスト教的な解釈によって意味付けられる可能性を豊かにもっている。まさに著者ミーハンが本書で試みるのが、それらを聖書的釈義やキリスト教思想に則って解読することである。」



ところで、本書の訳文、

「『リンディスファーン福音書』などの写本の多くには子宮の皮や生れて間もない子牛が使用されていて、」(p. 86)
「生後間もない子牛や子宮から採られた皮のみが見開き一枚分に使われ、」(p. 87)

で、「子宮の皮」「子宮から採られた皮」とあるのは、たぶん「uterine vellum」だと思いますが、それは生まれる前に子宮から取り出された子牛の皮のことです。


























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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