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萩原葉子 『父・萩原朔太郎』 (中公文庫)

「灰ほどきれいなものはないのだよ、おっかさん」
(萩原葉子 『父・萩原朔太郎』 より)


萩原葉子 
『父・萩原朔太郎』
 
中公文庫 A 109-2


中央公論社 
昭和54年2月25日 印刷
昭和54年3月10日 発行
265p
文庫判 並装 カバー
定価320円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 舟越保武



「文庫版あとがき」より:

「「父・萩原朔太郎」が本になったのは、昭和三十四年(筑摩書房)のことであった。後、角川文庫に入り、五十二年再び筑摩書房より新装版が出た。今度(五十四年)中公文庫に入るに当り、初版以来初めて文章の加筆・推敲を試みることに踏み切った。」
「初版後に書いた「父の遺品」八篇を今度一緒に収録し、これで完結定本とすることができたことを、うれしく思っている。」



本書は筑摩書房の新装版をもっていたのですがどこかへ行ってしまったので、あらためて中公文庫版をアマゾンマケプレで注文しておいたのが届いたのでよんでみました。定価より高い420円(送料込)でした。



萩原葉子 父・萩原朔太郎



カバー裏文:

「不世出の詩人を父に持つ著者が、詩人の家族、交友、日常を、若き日の記憶の糸をたぐりつつ克明に描き、その全人像を再現した著者の第一作。文庫化にあたり初めて全篇に加筆推敲を加え、初版後に執筆の八篇をも収録した増補完結定本。」


目次:

晩年の父
 晩酌
 手品
 ある時
 表札のことなど
 訪客
 おむすび
 放送の時
 タバコと帽子のこと
 ある夜のこと
 父のくせ
 父の枕元
 父と迷信
 祖母のこと
幼いころの日々
 馬込村のころ
 北曲輪町にて
父の再婚
再会
父の遺品
 二重回し
 父の遺品
 父の手紙
 電車の中
 父と写真
 たばこと声
 女学生のころ
 手紙
折にふれての思い出(一)
 室生犀星さんと三好達治さんのこと
 北原白秋のこと
 佐藤惣之助のこと
折にふれての思い出(二)

初版あとがき (室生犀星)
文庫版あとがき




◆本書より◆


「晩年の父」より:

「父はとても正直で、嘘や、その場の取り繕いということのまったくできないたちだった。
 私も父に嘘を言われたことは、一度もなかったし、祖母も「朔太郎は馬鹿正直で困ってしまう」と、言っていた。」

「私は、学校の友達が遊びに来ると、決まって、「あの表札、誰が書いたの?」と聞かれるので嫌だった。そして父だとわかると、たいていびっくりするのである。
 父の字は、ちょっと見ると、まるで子供のような字だからだ。家の前を通る中学生なども「なんだ、これ子供が書いたんだね」と、言ったり、塀に石を投げて行くことがあった。」

「「着物は、いつものでいいんだろうね? 朔太郎、朔太郎! おや? まさか今の間に、もう出て行きゃしないだろうね?」と、気がついてあわててあちこち家中を探しはじめる。
 が、どこにも父の姿のないことが分ると、祖母は、
 「あきれたねえ! あんな恰好で、ハンカチやちり紙も持たずに行ったんだろうか?」と、大急ぎに納戸から、羽織、ハンカチ、ちり紙を取り出し、きかぬ気性を、まる出しにして、足早に玄関に行くと、
 「おや? 下駄がないじゃないかね」と、大声で女中を叱る。
 「でもたしかに、今まで庭下駄が出ておりました」と、おどおどした女中の声を後に祖母は、勢いよく格子戸を開けて出て行った。
 しばらくして帰って来た祖母は、息をはあはあさせながら、さもくやしそうに、
 「赤い鼻緒の下駄を、ちゃんと履いている朔太郎をそこの曲り角でたしかに見たので、大急ぎで追いかけたけど、とうとう見えなくなってしまったよ」と、握ったものを力なく畳に落す。
 「じゃ、あの赤い女物の下駄を、旦那さまが……」
 まだ来たばかりの女中は、びっくりして言葉もない。
 「出してあれば何だって、おかまいなしさ、だから旦那さまのは、すぐ目につく所に、いつも置いておかなくちゃいけないよ」と、不機嫌に言ってきかす。
 「旦那さまって、ずいぶん変っていらっしゃるんですね」と、おそるおそる言ったかと思うと、急に女中は下を向いて笑い出した。」

「父には、妙なくせがたくさんあったが、なかでもとてもおかしいくせは、右の細長い人さし指と中指の先で、ひょい、ひょいと、通りがかりにかならず、決った場所にさわってみるくせだった。
 無意識のようでいて、とても神経質に念入りにさわり、酔うとますますひどくなってくるので、見ていても気になりおかしかった。それに鼻のあたりをくんくんいわせるくせも、酔うとひどくて、冬の夜など、遅く酔って帰って、寒そうに咳をしたり、くんくんいって帽子掛の壁を、ひょい、ひょいとさわり、ついでにお手洗の壁までわざわざさわりに行く。それから中廊下を歩くのだが、茶の間の前はちっともさわらないで、階段の曲り角の居間の最後の襖まで来ると何回でも激しくていねいにさわるのだった。
 そして階段をちょっと上ったところで、また右側の壁を瞬間的にひょい、ひょいとさわってからでないと、けっして二階に行かないのである。眠ったような顔で寒い寒いと口ぐせに言いながら、ふわふわと、階段の上の方まで行くと、またせかせかとひき返してきて、今さわった所をもう一度全部の指先で、さあっとそうざらいするように、さすりつけたり、ひょいと指先でふれてみるだけで、気がすんだように上って行くのだった。が、しつこく何度でもわざわざ降りてきては、さわり直しをする時など、いつまでたっても二階に上って行けなかった。」

「父はまた、御飯をぽろぽろこぼすくせがあった。酔うといっそうひどくなるので、お膳の上や畳のまわりは、御飯粒やおかずで散らかって大変なのだった。(中略)それにふだんとても無口な父なのに、飲むと同じことばかり、ひとりごとのように幾度も言うので、とても滑稽だった。祖母が、
 「もうわかったよ、さっきから百ぺんも聞いているよ」と言うが、父はいっこうおかまいなしに、同じことばかり駄々っ子のように言うので、誰も相手にしなかった。そして合の手に、うしろの茶箪笥に、ひょい、ひょいと指先でさわるのである。」

「父はとても臆病で、自分の書いたものを悪口など言われるとかなり気にして、幾日も家にこもったきりでそのたびに、疲れが目立つのだった。こんなに父をいじめる人はずいぶんひどいと、私は思わずにいられなかった。
 家にぜんぜん知らない方が見える時など、父はかなりの怯えかたをするが、わかってしまえば、とてもあけすけに明かるく応対した。
 父は話をする時、早口で言葉がもつれたりして、ちょっと舌足らずの感じで話すが、飲むとすこしゆっくりになってくる。そしていつも伏目で相手の顔を見ないが、何かの拍子に不意に顔をあげて、おどろくほど大きな目で一瞬相手を見て、すぐまた目をそらしてしまうのが父のくせだった。」

「父の枕元にあるもののうち、一番印象にあるのは、立体写真であった。父は二十代のころから、写真に凝って自分で焼つけ、現像などしていたというが、私の幼時のころの記憶では、もう立体写真に凝っていたようだった。
 細いボール紙の板に同じ二枚の写真を貼り、それを眼鏡に入れて見ると、浮き出して見えるのである。」
「ある日、私は父にお茶を持ってゆくと、いつものようにタバコの煙が部屋いっぱいに漂った中に、父は腹這いになって見覚えのある立体写真に見入っていた。が私を見るとあわてて写真から顔を離してこちらを向き、まるで悪いことでもしていたようにおどおどしているのだった。」
「書斎にいる時もそうだが、いつも父は一人でいる時に、誰かに入られることをとても嫌がった。だが「うるさい」などとは、けっして言わず、逆に自分が気がひけて逃げ出すような素振りに、小さくなってしまう。
 私は急いで部屋を出たが、それからは書斎で仕事の合間にも、父はよく立体写真を見ていることがあった。」
「ある時、(中略)私はいつものようにお茶を持って二階に行くと、父の姿はどこにもなく、寝室を開けて見ると蒲団はもぬけの空だった。」
「私は父に悪いと思いながら、立体写真をひき寄せそっと眼鏡をのぞいてみた。」
「すると、どうしたことだろう! つまらない写真だと思っていたのに、過去の時間が再現されて生き生きと浮き出して来た。(中略)幻想的な四次元の世界が展開していたのだった。父が、この立体写真を眺めるのは孤独だからだという思いがすると、私は父の冷んやりした固い蒲団の上に、坐ったまま悲しくなった。」

「きれい好きの祖母が、一番いやがるのは、埃(ほこり)だった。(中略)そそっかしい父は、お燗の湯を火鉢にじゅっといわせて、ひっくり返すことがよくあった。灰はたちまちお膳の上に広がり祖母は顔を真赤にして、「このひどい灰をどうしよう? 雑巾を誰か早く! まったく朔太郎にはあきれてものも言えやしない」と、繰り返し叫び続け、両手を振って一心に灰を払おうとするのだった。しかし父は「灰ほどきれいなものはないのだよ、おっかさん」と言う。祖母はあっけにとられて「朔太郎はまったく、きみょう(引用者注:「きみょう」に傍点)なことばかり言うよ」と言うのだった。」



「幼いころの日々」より:

「このころ「君恋し」「アラビヤの唄」「私の青空」などの流行歌がはやって、頽廃的なけだるい気分がただよっていた。」
「近所の人たちは、急に洋装になった母を見ると、珍しそうにしげしげと眺め「あれ、モダンガールですね」とか「あの足をごらんなさい」などと立ち止って笑ったりした。教室でも、母が洋装で来ると、あっち、こっちで笑い声が起こり、しまいには授業ができなくなるのだった。
 「モダンガールがきたわよ。あれは萩原さんのお母さんよ」と、母と私を比べて言うので、恥ずかしさで胸も塞がれる思いがするのだった。」

「もうダンスに集まる人々もなく、来客もなかった。鴨居に頭がつかえるほど背の高い青年が、よく来るようになったのはこのころだった。まだ少年の面影のある若い青年Wは、いつも学生服を着ていた。前髪を深く下げた、愁(うれ)わしいようすで柱に寄り掛かると、せつなく、けだるい黒目がちの瞳で、「えんじの紅帯ゆるむも侘びしや……」と、いくらか投げやりな調子で「君恋し」のメロディーを低い声でくちずさんだ。すると、母も悩ましそうに、青年と並んで坐り、調子外ずれな声で唄いはじめるのだった。」

「もうかなり暗くなりかけたころだった。ふと気がつくと、父が細い畑の道を、寝巻のようなよれよれの着物を身体に捲きつけるように着て、すいすいと歩いている。ちびた下駄は、今にも二つに割れそうに貧弱で、まるで乞食のように哀れっぽく見えた。うしろから私は、「お父さまあ!」と呼ぶと、びっくりしたようにふり返り、「ああ、葉子か、こんな所で遊んでいたのか」と、茶のソフトの奥で、苦悩の中からわき出たような笑い顔を残し、すぐにまたせかせかと行ってしまうのだった。私はその時の、父の痩せてみすぼらしいうしろ姿がとても気になって、家に帰ると、母に、
 「お父さまの着物、もっといいの着せてあげてよ。乞食とまちがえられたら困るじゃないの」と、言った。
 「つながり乞食」「乞食山にいる大勢の乞食」等、――盲目の奥さんを綱でひっぱって歩く、夫婦のつながり乞食や、とうかん森に大勢集まっているので、乞食山といわれる山に、たむろしている乞食やルンペンが、たくさんいる時代だった。」

「北曲輪町は、昔、城下町だったそうだが、近くの町には、芝居小屋や映画館が並んで、夜になると町は人出で賑わい、三味線の音は二階家の家々から流れていた。(中略)また見世物小屋にも父に連れられて行った。ドギツイ看板の絵を見ると、不思議な動物や人間がいきいきと想像されて、期待と恐怖で恐る恐る父の手を握って中に入った。ろくろっ首という、真白い首の長い女が三味線を弾いたり、ものを食べたりして坐っていたり、片端(かたわ)の子供や蛇がいて、もやもやした、何だか為体(えたい)の知れないじめじめした空気だった。そして看板の絵のようなものは何もなかった。」

「妹の薄弱は学校でもしだいにめだって、
 「この家には、ばかがいるよ」と、門に石を投げられるようになった。私は、今までよりもっと友達がいなくなって、皆が楽しく遊ぶ休み時間には、校庭の隅にかくれて、始業のベルの鳴るのを待った。」



「父の再婚」より:

「いよいよM子さんが家に来ると思うと、私は祖母のことがしきりに気になりはじめた。はたして祖母とうまくゆくだろうか。祖母は非常にわがままであったし、それに他人を愛するということのまったくないに等しい人だった。」

「だが、祖母のいない時の晩酌は、時間におかまいなしにゆっくり飲んだあと、ふだん祖母のいる居間でタバコを喫むと、いつもの眠ったような目で、M子さんの小さい白い足の指を、まるで無意識のようにひょいとさわったりするのである。そうした時の父は母親に甘える赤ん坊のようであった。M子さんがくすぐったそうに笑いながら、
 「葉子さんが見ているじゃありませんか」と、いうのだが父はいっこうに無頓着で、まるで猫の仔でもなでるような手つきで、細い指先でひょい、ひょいとさわったり、掌の中にM子さんの桜貝のような足の指を包んだりするのである。
 M子さんはもうがまんができないように、きまりわるそうに足をひっこめてしまうと、父は眠ったような目をちょっとあけて、こんどはM子さんの指先を、ひょいひょいとさわるのである。M子さんは細い目尻をいっそうあげて笑うと、
 「先生はだだっ子みたいですね」と、指先を任せたまま感心するのだった。」



「父の遺品」より:

「父の二重回しは、もう十年前のもので、酒の染みやタバコの焼跡がたくさんある。冬は和服の上に着てどこへでも出掛けて行き、酔ってふらふら歩いている時など、みすぼらしいため、不審尋問されることは珍しくなかった。薄くなっている故か深夜酔って帰って来る時など、寒い、寒いと言う。
 そんな二重回しでも、一度気に入ってしまうと、新しいのを作るのを嫌がり、祖母がいくら勧めても要らないと取り合わないのである。「困ったねえ、あんなものを着て歩かれちゃ、世間体が悪くてしょうがない」と、言うのが祖母の口癖だった。」

「足早の父は、先の尖った靴でどこでもかまわず一直線に歩いた。石ころをよけて歩いたり、水たまりを避けたりはしないのである。」



「折にふれての思い出(二)」より:

「少女のころとなった私は、(中略)内気で友達も出来ない性格だった。その上に小学校を三度も変り、何よりいやなのは遊び時間と遠足と運動会だった。(中略)家では皆から「母なし子」と邪魔者扱いにされ、毎朝登校前は祖母や叔母たちに拗ね、学校へ行きたくないと泣いててこずらせた。」
「父はあまり家にはいず、毎晩お酒を酔いつぶれるほど飲んでいたようだった。」

「私は銭湯が何よりもきらいで、叔母が入る間中いつも暑い外で待っていたのだが、ある時、父と一緒に男湯に入った。父と一緒に入ることなど珍しいので、うれしくて私はそこら中をかけまわって喜び、父が困って止めても止まらず、あげくの果に小桶の上にのって、はしゃいで底を抜いてしまったのである。」

「父は、時々早合点をする癖があり、それに一度そうと信じてしまうと、別のことを分ろうとしないのである。」
「さすがの祖母も、これには閉口して、「朔太郎のとんちんかんにはまったく骨が折れる」とこぼした。」

「少女のころの私は、お客さまに挨拶することがひどく恥ずかしくて嫌いだった。だから父のお客さまにはよくよくの時でない限り出てゆかなかった。」

「父の若い時にも馬込村の畑を、身なりもかまわずソフトをあみだにかぶって歩いている姿を見て、近所の人達から、バスター・キートンに似ていると言われたそうである。そんな時の父は、誰に会ってもまるで気がつかないで、知人に挨拶されると、ひどくあわてて、ひょいとソフトを取っておじぎをする。その時のおかしいほどのまじめさが似ているのだと思う。
 私も道で父と会っても、大抵はぜんぜん気がつかないですれ違ってしまう。
 「お父さま……」と、呼ぶとぎくっとあわて、ひょいとソフトを取って、私に挨拶をする身がまえになるのだった。」

「妹は、二歳下だが、幼時に高熱がつづいて知能が遅れ、入学を一年遅らせたので、私が女学校四年になる時に、小学校を卒業した。卒業といってもまったくのお情けで実力は一年生よりもなかった。ポケットに石ころを拾って通る人にぶつけたり、ばかやろうと怒鳴ったりするので、目が離せなかった。」
「父は、妹を式場隆三郎氏に診てもらったり、ジェームス坂の斎藤病院に連れて行って相談したり、少しでも癒るものならといろいろ手を尽してみたが、やっぱり打開の道はなかった。」
「滝野川にある精薄児収容の施設に妹を送って行った日は、一日中煙のような雨が降っていた。」
「立派な礼拝堂のある広いT学園には、男子は畑や家畜の世話など、知能に応じての仕事の場所もあるらしかった。女子の仕事は、べったり廊下の隅にうずくまっているだけの子供の世話や、手足が不自由で排便の始末のできない子供の面倒をみることだった。
 先生の話によると良い家庭の子が多くても、外聞をさけるために面会にも来ない親が多いということであった。」

「父は指が細長くて、器用そうに見えるが実際はとても不器用で、本や小包みなどを父の荷造りで送ると、たいてい向こうへ着くころはぐさぐさになり、中身が半分出てしまったり、ひどい時は何にも無くなっていたということもよくあった。だからギターなども困難な技術のいる曲などは上手とは言えなかったが、その代り曲の味をつかむことが得意だった。感情を思いきり出してしまい、曲の中にすっかり入り込んでしまっているのだった。
 そしてしだいに感情が高ぶってくると、指先は乱れ、楽器に指を打ちつけているような弾きかたとなり、不思議に曲の感じが出てくるのだった。」

「祖母は「朔太郎はよごすからよい着物は着せられない」と、いつも言ったが、父は寝巻のままでも飲みに行ってしまうのに、新しく着物を作るという時には、かなり気むずかしくてやたらのものでは気に入らないのだった。」
「その代りひとたび気に入ってしまうと、もうそればかり着てしまうのでこんどは脱いでもらうのにまた祖母は苦心するのだった。」

「父の洋服は、もう十年ぐらいも新しいものを作らなかった。それも全部で二着きりない。」



「初版あとがき」(室生犀星)より:

「私はよく萩原を訪ねた。そして何時も茶の間から出て来た葉子は、突立ったままにこりともしないで、何しに来たとでもいうよう大きい眼一杯に私を見て、お父さんはいるかねと聞くと、肯(うな)ずいて見せて、いるわといってハシゴ段の下の段から顔を上に向けて言った。
 「お父さん、むろうさんが入らっしったわよ」
 「あ、上れといってくれ」
 その返事が私にも聞えたので、葉子がアゴをしゃくっている間に、ハシゴ段を上って行った。そして私が後架に行く為に階下に降りると、葉子はまだ茶の間をうろうろしていて、私の顔を見ても矢張りにこりともしなかった。
 何時行ってもこの子は茶の間に立って、うろうろしている変な子だ、何処かまともに言葉がいえないオシのようなものがあって、この様子だと学課の方もよくはあるまいと思った。」






こちらもご参照ください:

『続 幻影の人 西脇順三郎を語る』
堀口大学 『水かがみ』
富士川英郎 『萩原朔太郎雑志』
泉名月 『羽つき・手がら・鼓の緒』
塚本靑史 『わが父塚本邦雄』























































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萩原朔太郎 作/金井田英津子 画 『猫町』

「私は夢を見ているような気がした。それが現実の町ではなくって、幻燈(げんとう)の幕に映った、影絵の町のように思われた。」
(萩原朔太郎 「猫町」 より)


作: 萩原朔太郎
画: 金井田英津子 
『猫町』


パロル舎
1997年9月20日 第1刷発行
2002年3月15日 第4刷発行
88p
A5判 角背紙装上製本 カバー
定価2,300円+税
画・装丁・デザイン: 金井田英津子



本書は萩原朔太郎の短篇「猫町」を絵本化したもので、「文学絵草紙」シリーズの一冊です。


猫町 01


カバーそで文:

「猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかり。
いつもの角を曲がったら、そこは夢現・無限のめまい町。
ノスタルジックでモダーンなイラスト紀行。」




◆本書より◆


「久しい以前から、私は私自身の独特な方法による、不思議な旅行ばかりを続けていた。その私の旅行というのは、人が時空と因果の外に飛翔し得る唯一の瞬間、すなわちあの夢と現実との境界線を巧(たく)みに利用し、主観の構成する自由な世界に遊ぶのである。と言ってしまえば、もはやこの上、私の秘密について多く語る必要はないであろう。ただ私の場合は、用具や設備に面倒な手数がかかり、かつ日本で入手の困難な阿片の代りに、簡単な注射や服用ですむモルヒネ、コカインの類を多く用いたということだけを附記(ふき)しておこう。そうした麻酔によるエクスタシイの夢の中で、私の旅行した国々のことについては、ここに詳(くわ)しく述べる余裕がない。
だがたいていの場合、私は蛙どもの群がってる沼沢(しょうたく)地方や、極地に近く、ペンギン鳥の居る沿海地方などを彷徊(ほうかい)した。それらの夢の景色の中では、すべての色彩が鮮(あざ)やかな原色をして、海も、空も、硝子のように透明な真青だった。醒めての後にも、私はそのヴィジョンを記憶しており、しばしば現実の世界の中で、異様の錯覚を起したりした。
 薬物によるこうした旅行は、だが私の健康をひどく害した。私は日々に憔悴(しょうすい)し、血色が悪くなり、皮膚が老衰に澱(よど)んでしまった。私は自分の養生に注意し始めた。そして運動のための散歩の途上で、ある日偶然、私の風変りな旅行癖(へき)を満足させ得る、一つの新しい方法を発見した。」



猫町 02


猫町 05


猫町 04




こちらもご参照ください:

夏目漱石 作/金井田英津子 画 『夢十夜』
萩原朔太郎 『猫町 他十七篇』 (岩波文庫)






























































萩原朔太郎 『詩の原理』 (新潮文庫)

「詩的精神の第一義感的なるものは、何よりも宗教情操の本質と一致している。その宗教情操の本質とは、時空を通じて永遠に実在するところの、或るメタフィジカルのものに対する渇仰で、霊魂の故郷に向える のすたるじや、思慕の止(や)みがたい訴えである。」
(萩原朔太郎 『詩の原理』 より)


萩原朔太郎 
『詩の原理』
 
新潮文庫 710/草 197 C

新潮社
昭和29年10月30日 発行
昭和47年3月10日 20刷改版
昭和56年7月30日 34刷
254p 「文字づかいについて」1p
文庫判 並装 カバー
定価240円



新字・新かな。
昭和三年に刊行された長編詩論です。とはいうものの、ほんとうのところ「詩」とか「詩人」とか「文壇」とかいうのは何か別のものの比喩であって、本書はむしろ著者にとって切実な人生の困りごとについての本なのではないでしょうか。


萩原朔太郎 詩の原理


カバー裏文:

「孤独な魂を抱いて、感覚世界を彷徨する詩人、萩原朔太郎。鋭角的なリリシズム、幻視幻覚のもたらす逆説的美のイメージ――本書は日本の近代詩に新時代を画した彼が、十年の苦心琢磨(たくま)の末、概論、内容論、形式論、結論の四部に分け、詩の本質と詩精神を論究した名著である。「自分の頭脳を往来した種々の疑問の総譜表」と自ら言うように、その詩論は幾多の実作から導かれている。」


目次:


新版の序
読者のために

概論
 詩とは何ぞや

内容論
 第一章 主観と客観
 第二章 音楽と美術
 第三章 浪漫主義と現実主義
 第四章 抽象観念と具象観念
 第五章 生活のための芸術・芸術のための芸術
 第六章 表現と観照
 第七章 観照に於ける主観と客観
 第八章 感情の意味と知性の意味
 第九章 詩の本質
 第十章 人生に於ける詩の概観
 第十一章 芸術に於ける詩の概観
 第十二章 特殊なる日本の文学
 第十三章 詩人と芸術家
 第十四章 詩と小説
 第十五章 詩と民衆

形式論
 第一章 韻文と散文
 第二章 詩と非詩との識域
 第三章 描写と情象
 第四章 叙事詩と抒情詩
 第五章 象徴
 第六章 形式主義と自由主義
 第七章 情緒と権力感情
 第八章 浪漫派から高蹈派へ
 第九章 象徴派から最近詩派へ
 第十章 詩に於ける主観派と客観派
 第十一章 詩に於ける逆説精神
 第十二章 日本詩歌の特色
 第十三章 日本詩壇の現状

結論
 島国日本か? 世界日本か?
 『詩の原理』の出版に際して

解説 (伊藤信吉)




◆本書より◆


「序」より:

「日本に於ては、実に永い時日の間、詩が文壇から迫害されていた。それは恐らく、我が国に於ける切支丹(キリシタン)の迫害史が、世界に類なきものであったように、全く外国に珍らしい歴史であった。(確かに吾人(ごじん)は詩という言語の響の中に、日本の文壇思潮と相容れない、切支丹的邪宗門の匂(にお)いを感ずる。)単に詩壇が詩壇として軽蔑(けいべつ)されているのではない。何よりも本質的なる、詩的精神そのものが冒瀆(ぼうとく)され、一切の意味で「詩」という言葉が、不潔に唾(つばき)かけられているのである。我々は単に、空想、情熱、主観等の語を言うだけでも、その詩的の故(ゆえ)に嘲笑(ちょうしょう)され、文壇的人非人(にんぴにん)として擯斥(ひんせき)された。
 こうした事態の下に於て、いかに詩人が圧屈され、卑怯(ひきょう)なおどおどした人物にまで、ねじけて成長せねばならないだろうか。丁度あの切支丹等が、彼等のマリア観音を壁に隠して、秘密に信仰をつづけたように、我々の虐(しい)たげられた詩人たちも、同じくその芸術を守るために、秘密な信仰をつづけねばならなかった。そして詩的精神は隠蔽(いんぺい)され、感情は押しつぶされ、詩は全く健全な発育を見ることができなかった。「こうした暗澹(あんたん)たる事態の下に」自分は幾度か懐疑した。「詩は正(まさ)に亡(ほろ)びつつあるのでないか?」と。それほど一般の現状が、ひどく絶望的なものに見えた。」
「実に自分は長い間、日本の文壇を仇敵視(きゅうてきし)し、それの憎悪(ぞうお)によって一貫して来た。あらゆる詩人的な文学者は――小説家でも思想家でも――日本に於ては不遇であった。のみならず彼等の多くは、自殺や狂気にさえ導かれた。――正義は復讐(ふくしゅう)されねばならない。」



「浪漫主義と現実主義」より:

「文学上に於ける主観派と客観派との対立は、常に浪漫派と自然派、もしくは人道派と写実派等の名で呼ばれている。先(ま)ず客観派に属する文学、即ち自然主義や写実主義の言うところを聞いてみよう。
   ● 感情に溺(おぼ)れる勿(なか)れ。
   ● 主観を排せよ。
   ● 現実に根ざせ。
   ● あるがままの自然を描け!
 これに対して主観派に属する文学、即ち浪漫主義や人道主義の言うところはこうである。
   ● 情熱を以て書け!
   ● 主観を高調せよ。
   ● 現実を超越すべし。
   ● 汝(なんじ)の理念を高く掲げよ!」
「そもそも何故(なにゆえ)に二つの主張は、かくも反対な正面衝突をするのだろうか。けだしこの異議の別れる所以(ゆえん)は、両者の人生に対する哲学――人生観そのもの――が、根本に於てちがっているからである。」
「この二つの異った思想に於て、読者は直(ただち)に希臘(ギリシャ)哲学の二つの範疇、即ちプラトンとアリストテレスを聯想(れんそう)するであろう。実にプラトンの哲学は、それ自ら芸術上の主観主義を代表し、アリストテレスは客観主義を代表している。即ちプラトンの思想によれば、実在は現実の世界になくして、形而上(けいじじょう)の観念界(イデヤ)に存するのである。故に哲学の思慕は、このイデヤに向ってあこがれ、羽ばたき、情熱を駆り立て、郷愁の横笛を吹き鳴らすにある。これに反してアリストテレスは、実在を現実の世界に認識した。彼はプラトンの説を駁(ばく)して真理を「天上」から「下界」におろし、「観念」から「実体」に現実させた。彼は実にレアリズムの創始者で、プラトンの詩的ロマンチシズムと相対の極を代表している。そしてこの二者の思想は、古来から今日に至るまで、尚(なお)一貫した哲学上の両分派で、おそらくはずっと未来にまで、哲学の歴史を貫通する論争の対陣だと言われている。」

「ところでこの「主観を捨てよ」は、自然派その他の客観主義の文学が、常に第一のモットオとして掲げるところであるけれども、一方主観主義の文学に取ってみれば、主観がそれ自ら実在(レアール)であって、生活の目標たる観念である故に、主観を捨てることは自殺であり、全宇宙の破滅である。彼等の側から言ってみれば、この「あるがままの現実世界」は、邪悪と欠陥とに充ちた煉獄(れんごく)であり、存在としての誤謬(ごびゅう)であって、認識上に肯定されない虚妄(きょもう)である。何となれば、彼等にとって、実に「有り(レアール)」と言われるものはイデヤのみ。他は虚妄の虚妄、影の影にすぎないからだ。
 然るに、客観主義の方では、この影の影たる虚妄の世界が真に「有る(レアール)」ところのもの――この非実在とされる虚妄の世界が、レアールの名で「現実」と呼ばれてる。(中略)故に両方の思想は反対であり、同じレアールという言語が、逆に食いちがって使用されてる。」



「詩人と芸術家」より:

「詩人とは何だろうか? 言うまでもなく詩人とは詩的精神を高調している人物である。では詩的精神とは何だろうか? それについては前に述べた。即ち主観主義的なる、すべての精神を指すのである。故に「詩人」の定義は、一言にして言えば「主観主義者」である。詳しく言えば、詩人とはイデアリストで、生活の幻想を追い、不断に夢を持つところの人間夢想家(ヒューマンドリーマア)。常に感じ易(やす)く情熱的なる人間浪漫家(ヒューマンロマンチスト)を指すのである。」


























































































萩原朔太郎 『猫町 他十七篇』 (岩波文庫)

「ひとが猫のやうに見える。」
(萩原朔太郎 「Omega の瞳」 より)


萩原朔太郎 
『猫町 他十七篇』 
清岡卓行 編

岩波文庫 緑 31-062-3 

岩波書店 
1995年5月16日 第1刷発行
163p 
文庫判 並装 カバー 
定価410円
カバーカット: 『猫町』初版表紙
挿絵: 川上澄生



本書は小説(第Ⅰ部)、エッセイ(第Ⅲ部)に関しては新字・新かな、散文詩(第Ⅱ部)に関しては新字・旧かなで表記されています。
岩波文庫は、旧かなで書かれた作品は、原則的に現代仮名づかいに改められていますが、「原文が文語文であるときは旧仮名づかいのままとする」というただし書きがあります。しかしながら「文語文」とはなんなのか、いわゆる〈口語体〉に対する〈文語体〉というのであれば、本書に収録されている「散文詩」は、ほかの小説やエッセイと同じ文体(口語体)で書かれています。「詩」はすべて「文語文」とみなすということなのでしょうか。謎です。

「猫町」もよいですが、「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」がたいへんすばらしいです。
川上澄生による挿絵1点収録です。


萩原朔太郎 猫町 01


カバー文:

「東京から北越の温泉に出かけた「私」は、ふとしたことから「繁華な美しい町」に足を踏みいれる。すると、そこに突如人間の姿をした猫の大集団が……。詩集『青猫』の感覚と詩情をもって書かれたこの「猫町」(1935)をはじめ、幻想風の短篇、散文詩、随筆18篇を収録。前衛詩人としての朔太郎(1886―1942)の面目が遺憾なく発揮された小品集。」


目次:


猫町
ウォーソン夫人の黒猫
日清戦争異聞(原田重吉の夢)


田舎の時計

郵便局

自殺の恐ろしさ
群衆の中に居て
詩人の死ぬや悲し

虚無の歌
貸家札
この手に限るよ

大井町


秋と漫歩
老年と人生

解説 (清岡卓行)



萩原朔太郎 猫町 02



◆本書より◆


「猫町」より:

「或る日私は、軽便鉄道を途中で下車し、徒歩でU町の方へ歩いて行った。それは見晴しの好(よ)い峠の山道を、ひとりでゆっくり歩きたかったからであった。道は軌道(レール)に沿いながら、林の中の不規則な小径を通った。所々に秋草の花が咲き、赫土(あかつち)の肌(はだ)が光り、伐(き)られた樹木が横たわっていた。私は空に浮んだ雲を見ながら、この地方の山中に伝説している、古い口碑(こうひ)のことを考えていた。(中略)彼らの語るところによれば、或る部落の住民は犬神に憑(つ)かれており、或る部落の住民は猫神に憑かれている。犬神に憑かれたものは肉ばかりを食い、猫神に憑かれたものは魚ばかり食って生活している。
 そうした特異な部落を称して、この辺の人々は「憑き村」と呼び、一切の交際を避けて忌(い)み嫌(きら)った。「憑き村」の人々は、年に一度、月のない闇夜(やみよ)を選んで祭礼をする。その祭の様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えない。稀(ま)れに見て来た人があっても、なぜか口をつぐんで話をしない。彼らは特殊の魔力を有し、所因の解らぬ莫大(ばくだい)の財産を隠している。等々。」
「日本の諸国にあるこの種の部落的タブーは、おそらく風俗習慣を異にした外国の移住民や帰化人やを、先祖の氏神にもつ者の子孫であろう。あるいは多分、もっと確実な推測として、切支丹(キリシタン)宗徒の隠れた集合的部落であったのだろう。しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。(中略)理智は何事をも知りはしない。理智はすべてを常識化し、神話に通俗の解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だからすべての哲学者は、彼らの窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜(かぶと)を脱いでる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。
 こうした思惟(しい)に耽(ふけ)りながら、私はひとり秋の山道を歩いていた。その細い山道は、径路に沿うて林の奥へ消えて行った。目的地への道標として、私が唯一のたよりにしていた汽車の軌道(レール)は、もはや何所にも見えなくなった。私は道をなくしたのだ。
 「迷い子!」
 瞑想から醒めた時に、私の心に浮んだのは、この心細い言葉であった。」

「私が始めて気付いたことは、こうした町全体のアトモスフィアが、非常に繊細な注意によって、人為的に構成されていることだった。単に建物ばかりでなく、町の気分を構成するところの全神経が、或る重要な美学的意匠にのみ集中されていた。空気のいささかな動揺にも、対比、均斉(きんせい)、調和、平衡等の美的方則を破らないよう、注意が隅々(すみずみ)まで行き渡っていた。しかもその美的方則の構成には、非常に複雑な微分数的計算を要するので、あらゆる町の神経が、異常に緊張して戦(おのの)いていた。例(たと)えばちょっとした調子はずれの高い言葉も、調和を破るために禁じられる。道を歩く時にも、手を一つ動かす時にも、物を飲食する時にも、考えごとをする時にも、着物の柄を選ぶ時にも、常に町の空気と調和し、周囲との対比や均斉を失わないよう、デリケートな注意をせねばならない。町全体が一つの薄い玻璃(はり)で構成されてる、危険な毀(こわ)れやすい建物みたいであった、ちょっとしたバランスを失っても、家全体が崩壊して、硝子が粉々に砕けてしまう。それの安定を保つためには、微妙な数理によって組み建てられた、支柱の一つ一つが必要であり、それの対比と均斉とで、辛(かろ)うじて支(ささ)えているのであった。しかも恐ろしいことには、それがこの町の構造されてる、真の現実的な事実であった。一つの不注意な失策も、彼らの崩壊と死滅を意味する。町全体の神経は、そのことの危懼(きく)と恐怖で張りきっていた。美学的に見えた町の意匠は、単なる趣味のための意匠でなく、もっと恐ろしい切実の問題を隠していたのだ。
 始めてこのことに気が付いてから、私は急に不安になり、周囲の充電した空気の中で、神経の張りきってる苦痛を感じた。町の特殊な美しさも、静かな夢のような閑寂さも、かえってひっそりと気味が悪く、何かの恐ろしい秘密の中で、暗号を交(かわ)しているように感じられた。何事かわからない、或る漠然(ばくぜん)とした一つの予感が、青ざめた恐怖の色で、忙がしく私の心の中を馳(か)け廻った。すべての感覚が解放され、物の微細な色、匂(にお)い、音、味、意味までが、すっかり確実に知覚された。あたりの空気には、死屍(しし)のような臭気が充満して、気圧が刻々に嵩(たか)まって行った。此所(ここ)に現象しているものは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何事かの非常が起る! 起るにちがいない! 
 町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑閙して、静かに音もなく、典雅な人々が歩いていた。どこかで遠く、胡弓(こきゅう)をこするような低い音が、悲しく連続して聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこかで一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であった。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体が混乱の中に陥入(おちい)ってしまう。
 私は悪夢の中で夢を意識し、目ざめようとして努力しながら、必死に踠(もが)いている人のように、おそろしい予感の中で焦燥した。空は透明に青く澄んで、充電した空気の密度は、いよいよ刻々に嵩まって来た。建物は不安に歪(ゆが)んで、病気のように瘠(や)せ細って来た。所々に塔のような物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、瘠せた鶏の脚(あし)みたいに、へんに骨ばって畸形(きけい)に見えた。
 「今だ!」」



「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」より:

「或る麗(うら)らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、彼は支那人と賭博(ばくち)をしていた。支那人はみんな兵隊だった。どれも辮髪を背中にたれ、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、長い煙管(キセル)を口にくわえて、悲しそうな顔をしながら、地上に円(まる)くうずくまっていた。戦争の気配もないのに、大砲の音が遠くで聴(きこ)え、城壁の周囲(まわり)に立てた支那の旗が、青や赤の総(ふさ)をびらびらさせて、青竜刀の列と一所に、無限に沢山連なっていた。どこからともなく、空の日影がさして来て、宇宙が恐ろしくひっそりしていた。
 長い、長い時間の間、重吉は支那兵と賭博をしていた。黙って、何も言わず、無言に地べたに坐りこんで……。それからまた、ずっと長い時間がたった……。目が醒(さ)めた時、重吉はまだベンチにいた。そして朦朧(もうろう)とした頭脳(あたま)の中で、過去の記憶を探そうとし、一生懸命に努めて見た。だが老いて既に耄碌(もうろく)し、その上酒精(アルコール)中毒にかかった頭脳は、もはや記憶への把持(はじ)を失い、やつれたルンペンの肩の上で、空(むな)しく漂泊(さまよ)うばかりであった。遠い昔に、自分は日清戦争に行き、何かのちょっとした、ほんの詰らない手柄をした――と彼は思った。だがその手柄が何であったか、戦場がどこであったか、いくら考えても思い出せず、記憶がついそこまで来ながら、朦朧として消えてしまう。
 「あア!」
 と彼は力なく欠伸(あくび)をした。そして悲しく、投げ出すように呟(つぶや)いた。
 「そんな昔のことなんか、どうだって好(い)いや!」
 それからまた眠りに落ち、公園のベンチの上でそのまま永久に死んでしまった。」



「秋と漫歩」より:

「私の故郷の町にいた竹という乞食(こじき)は、実家が相当な暮しをしている農家の一人息子(ひとりむすこ)でありながら、家を飛び出して乞食をしている。巡査が捕えて田舎(いなか)の家に送り帰すと、すぐまた逃げて町へ帰り、終日賑やかな往来を歩いているのである。」




こちらもご参照下さい:

清岡卓行 『萩原朔太郎『猫町』私論』
『定本 柳田國男集 第二十二卷 野草雜記 野鳥雜記 他』 (新裝版)


柳田國男「猫の島」より:

「多くの家畜の中では猫ばかり、毎々主人に背いて自分等の社會を作つて住むといふことが、第一には昔話の昔からの話題であつた。九州では阿蘇郡の猫嶽を始とし、東北は南部鹿角郡の猫山の話まで、いゝぐあひに散布して全國に行はれて居るのは、旅人が道に迷うて猫の國に入り込み、怖ろしい目に遭うて還つて來たといふ奇譚であつた。猫嶽では猫が人間の女のやうな姿をして、大勢聚つて大きな屋敷に住み、あべこべに人を風呂の中に入れて猫にする。」
「中國方面で折々採集せられる例では、この猫の國の澤山の女たちの中に、一人だけ片眼の潰れた女が居た。それが夜中にそつと入つて來て、私は以前御宅に居たトラといふ猫です。爰に居ると命があぶないから、早くお遁げなさいと教へてくれる。(中略)つまりは猫が必ずしも人類の節度に服せず、ともすれば逸脱して獨自の社會を作らうとするものだといふことを、稍〃アニミスチックに解釋して居た名殘とも認められるのである。」























































































































清岡卓行 『萩原朔太郎『猫町』私論』

清岡卓行 
『萩原朔太郎『猫町』私論』


文藝春秋 
昭和49年10月15日 第1刷
235p 口絵ii 
四六判 丸背布装上製本 貼函 
定価1,500円
装幀: 岩阪恵子


「一九七三年八月号より一九七四年五月号まで「文学界」に連載
一九七四年四月から五月にかけて加筆」



清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 01


帯文:

「萩原朔太郎の
詩と小説の接点に
挑み
彼が描いた
猫のおびただしい
イメージを
分析し
彼における
〈幻想の近代〉の
崩壊を
浮き彫りにする
画期的な
力作長篇評論!」



帯裏文:

「今月心を惹かれたのは十回にわたる連載を完了した清岡卓行氏の「萩原朔太郎『猫町』私論」(文学界)である。
これは詩人萩原朔太郎が昭和十年に書いた短い幻想小説「猫町」を愛読し、かつそこに詩人の余技という以上に、幻想的な猫のイメージを通じてにじみでてくる詩的な魂の表現と、幻想的な近代の崩壊を読みとる清岡氏が、その柔軟な感性のすべてをあげてこの作品の秘密を多面的に探ったものである。
批評家の評論ではこのように優雅に説得されることは先ず考えられない。ここまで心をこめて読まれれば朔太郎も以て瞑すべしと言ってよい評論の傑作である。
高橋英夫 (共同通信配信「文芸時評」より)」



清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 03


口絵「『猫町』(萩原朔太郎著・1935年11月版画荘刊)」


清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 04


口絵「萩原朔太郎(自宅の応接間で『猫町』表紙画を背に――1935年頃)」


清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 02



◆本書より◆


「私はここで、自分のささやかな個人的経験をはさませてもらうが、アルフレッド・ヒッチコックの映画『鳥』を見たあとの奇妙な感覚を忘れることができないのである。あの非現実的な幻想のフィルムにおいて、烏や鴎の集団は、くりかえし執念深く、一人あるいは少人数の人間を襲い、傷つけたり、殺したりする。」
「その傑作のフィルムを見た帰りに、私は国電のある駅のプラットフォームに立っていた。(中略)そこには電車を待っている人が沢山いた。そのとき私は、まったく不意に、プラットフォームの上の群衆に恐怖を感じたのである。先ほど見た映画の中の鳥の大群のように、ここにいる人人が、私に襲いかかってきて、私を苛めたり殺したりしはしないだろうかという、荒唐無稽な恐怖を覚えたのである。」




◆感想◆


本書で著者は、「猫の群衆という幻覚がかたどる人間の集団とは、具体的にはいったい何であるのか?」という問を立て、第一は戦争期に「全体主義に染めあげられようとしている大衆」、第二は「社会的現実において抑圧されている詩人、または、そのような一部の大衆」であると、二つの解釈をあげていますが、結論は保留しています。
本書の二十年後に著者が編集した岩波文庫版『猫町 他十七篇』の解説でも、この二つの解釈を、こんどは順序を変えて挙げていますが、そこでは「全体主義」説の方に力点がおかれています。
なお、岩波文庫版『猫町』解説では、かねてから江戸川乱歩によって「猫町」との類似を指摘されていた、ブラックウッドの短篇「古き魔術(Ancient Sorceries)」について頁を割いて説明していますが、本書ではポー「黒猫」への言及はあるものの、ブラックウッドについては触れられていません。
そういう意味でも、また本書で言及されている朔太郎散文作品の多くが収録されているという点でも、文庫版『猫町』は本書への補遺であるといってよいです。
残念なのは、清岡さんがいっていることはどうもわたしにはしっくりこないというか、ノレないという点であります。そういえばわたしは清岡さんの詩も「アカシヤの大連」も「手の変幻」もよんでないです。本書は装幀がイカスので購入しました。

























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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