萩原朔太郎 『詩の原理』 (新潮文庫)

「詩的精神の第一義感的なるものは、何よりも宗教情操の本質と一致している。その宗教情操の本質とは、時空を通じて永遠に実在するところの、或るメタフィジカルのものに対する渇仰で、霊魂の故郷に向える のすたるじや、思慕の止(や)みがたい訴えである。」
(萩原朔太郎 『詩の原理』 より)


萩原朔太郎 
『詩の原理』
 
新潮文庫 710/草 197 C

新潮社
昭和29年10月30日 発行
昭和47年3月10日 20刷改版
昭和56年7月30日 34刷
254p 「文字づかいについて」1p
文庫判 並装 カバー
定価240円



新字・新かな。
昭和三年に刊行された長編詩論です。とはいうものの、ほんとうのところ「詩」とか「詩人」とか「文壇」とかいうのは何か別のものの比喩であって、本書はむしろ著者にとって切実な人生の困りごとについての本なのではないでしょうか。


萩原朔太郎 詩の原理


カバー裏文:

「孤独な魂を抱いて、感覚世界を彷徨する詩人、萩原朔太郎。鋭角的なリリシズム、幻視幻覚のもたらす逆説的美のイメージ――本書は日本の近代詩に新時代を画した彼が、十年の苦心琢磨(たくま)の末、概論、内容論、形式論、結論の四部に分け、詩の本質と詩精神を論究した名著である。「自分の頭脳を往来した種々の疑問の総譜表」と自ら言うように、その詩論は幾多の実作から導かれている。」


目次:


新版の序
読者のために

概論
 詩とは何ぞや

内容論
 第一章 主観と客観
 第二章 音楽と美術
 第三章 浪漫主義と現実主義
 第四章 抽象観念と具象観念
 第五章 生活のための芸術・芸術のための芸術
 第六章 表現と観照
 第七章 観照に於ける主観と客観
 第八章 感情の意味と知性の意味
 第九章 詩の本質
 第十章 人生に於ける詩の概観
 第十一章 芸術に於ける詩の概観
 第十二章 特殊なる日本の文学
 第十三章 詩人と芸術家
 第十四章 詩と小説
 第十五章 詩と民衆

形式論
 第一章 韻文と散文
 第二章 詩と非詩との識域
 第三章 描写と情象
 第四章 叙事詩と抒情詩
 第五章 象徴
 第六章 形式主義と自由主義
 第七章 情緒と権力感情
 第八章 浪漫派から高蹈派へ
 第九章 象徴派から最近詩派へ
 第十章 詩に於ける主観派と客観派
 第十一章 詩に於ける逆説精神
 第十二章 日本詩歌の特色
 第十三章 日本詩壇の現状

結論
 島国日本か? 世界日本か?
 『詩の原理』の出版に際して

解説 (伊藤信吉)




◆本書より◆


「序」より:

「日本に於ては、実に永い時日の間、詩が文壇から迫害されていた。それは恐らく、我が国に於ける切支丹(キリシタン)の迫害史が、世界に類なきものであったように、全く外国に珍らしい歴史であった。(確かに吾人(ごじん)は詩という言語の響の中に、日本の文壇思潮と相容れない、切支丹的邪宗門の匂(にお)いを感ずる。)単に詩壇が詩壇として軽蔑(けいべつ)されているのではない。何よりも本質的なる、詩的精神そのものが冒瀆(ぼうとく)され、一切の意味で「詩」という言葉が、不潔に唾(つばき)かけられているのである。我々は単に、空想、情熱、主観等の語を言うだけでも、その詩的の故(ゆえ)に嘲笑(ちょうしょう)され、文壇的人非人(にんぴにん)として擯斥(ひんせき)された。
 こうした事態の下に於て、いかに詩人が圧屈され、卑怯(ひきょう)なおどおどした人物にまで、ねじけて成長せねばならないだろうか。丁度あの切支丹等が、彼等のマリア観音を壁に隠して、秘密に信仰をつづけたように、我々の虐(しい)たげられた詩人たちも、同じくその芸術を守るために、秘密な信仰をつづけねばならなかった。そして詩的精神は隠蔽(いんぺい)され、感情は押しつぶされ、詩は全く健全な発育を見ることができなかった。「こうした暗澹(あんたん)たる事態の下に」自分は幾度か懐疑した。「詩は正(まさ)に亡(ほろ)びつつあるのでないか?」と。それほど一般の現状が、ひどく絶望的なものに見えた。」
「実に自分は長い間、日本の文壇を仇敵視(きゅうてきし)し、それの憎悪(ぞうお)によって一貫して来た。あらゆる詩人的な文学者は――小説家でも思想家でも――日本に於ては不遇であった。のみならず彼等の多くは、自殺や狂気にさえ導かれた。――正義は復讐(ふくしゅう)されねばならない。」



「浪漫主義と現実主義」より:

「文学上に於ける主観派と客観派との対立は、常に浪漫派と自然派、もしくは人道派と写実派等の名で呼ばれている。先(ま)ず客観派に属する文学、即ち自然主義や写実主義の言うところを聞いてみよう。
   ● 感情に溺(おぼ)れる勿(なか)れ。
   ● 主観を排せよ。
   ● 現実に根ざせ。
   ● あるがままの自然を描け!
 これに対して主観派に属する文学、即ち浪漫主義や人道主義の言うところはこうである。
   ● 情熱を以て書け!
   ● 主観を高調せよ。
   ● 現実を超越すべし。
   ● 汝(なんじ)の理念を高く掲げよ!」
「そもそも何故(なにゆえ)に二つの主張は、かくも反対な正面衝突をするのだろうか。けだしこの異議の別れる所以(ゆえん)は、両者の人生に対する哲学――人生観そのもの――が、根本に於てちがっているからである。」
「この二つの異った思想に於て、読者は直(ただち)に希臘(ギリシャ)哲学の二つの範疇、即ちプラトンとアリストテレスを聯想(れんそう)するであろう。実にプラトンの哲学は、それ自ら芸術上の主観主義を代表し、アリストテレスは客観主義を代表している。即ちプラトンの思想によれば、実在は現実の世界になくして、形而上(けいじじょう)の観念界(イデヤ)に存するのである。故に哲学の思慕は、このイデヤに向ってあこがれ、羽ばたき、情熱を駆り立て、郷愁の横笛を吹き鳴らすにある。これに反してアリストテレスは、実在を現実の世界に認識した。彼はプラトンの説を駁(ばく)して真理を「天上」から「下界」におろし、「観念」から「実体」に現実させた。彼は実にレアリズムの創始者で、プラトンの詩的ロマンチシズムと相対の極を代表している。そしてこの二者の思想は、古来から今日に至るまで、尚(なお)一貫した哲学上の両分派で、おそらくはずっと未来にまで、哲学の歴史を貫通する論争の対陣だと言われている。」

「ところでこの「主観を捨てよ」は、自然派その他の客観主義の文学が、常に第一のモットオとして掲げるところであるけれども、一方主観主義の文学に取ってみれば、主観がそれ自ら実在(レアール)であって、生活の目標たる観念である故に、主観を捨てることは自殺であり、全宇宙の破滅である。彼等の側から言ってみれば、この「あるがままの現実世界」は、邪悪と欠陥とに充ちた煉獄(れんごく)であり、存在としての誤謬(ごびゅう)であって、認識上に肯定されない虚妄(きょもう)である。何となれば、彼等にとって、実に「有り(レアール)」と言われるものはイデヤのみ。他は虚妄の虚妄、影の影にすぎないからだ。
 然るに、客観主義の方では、この影の影たる虚妄の世界が真に「有る(レアール)」ところのもの――この非実在とされる虚妄の世界が、レアールの名で「現実」と呼ばれてる。(中略)故に両方の思想は反対であり、同じレアールという言語が、逆に食いちがって使用されてる。」



「詩人と芸術家」より:

「詩人とは何だろうか? 言うまでもなく詩人とは詩的精神を高調している人物である。では詩的精神とは何だろうか? それについては前に述べた。即ち主観主義的なる、すべての精神を指すのである。故に「詩人」の定義は、一言にして言えば「主観主義者」である。詳しく言えば、詩人とはイデアリストで、生活の幻想を追い、不断に夢を持つところの人間夢想家(ヒューマンドリーマア)。常に感じ易(やす)く情熱的なる人間浪漫家(ヒューマンロマンチスト)を指すのである。」


























































































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萩原朔太郎 『猫町 他十七篇』 (岩波文庫)

「ひとが猫のやうに見える。」
(萩原朔太郎 「Omega の瞳」 より)


萩原朔太郎 
『猫町 他十七篇』 
清岡卓行 編

岩波文庫 緑 31-062-3 

岩波書店 
1995年5月16日 第1刷発行
163p 
文庫判 並装 カバー 
定価410円
カバーカット: 『猫町』初版表紙
挿絵: 川上澄生



本書は小説(第Ⅰ部)、エッセイ(第Ⅲ部)に関しては新字・新かな、散文詩(第Ⅱ部)に関しては新字・旧かなで表記されています。
岩波文庫は、旧かなで書かれた作品は、原則的に現代仮名づかいに改められていますが、「原文が文語文であるときは旧仮名づかいのままとする」というただし書きがあります。しかしながら「文語文」とはなんなのか、いわゆる〈口語体〉に対する〈文語体〉というのであれば、本書に収録されている「散文詩」は、ほかの小説やエッセイと同じ文体(口語体)で書かれています。「詩」はすべて「文語文」とみなすということなのでしょうか。謎です。

「猫町」もよいですが、「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」がたいへんすばらしいです。
川上澄生による挿絵1点収録です。


萩原朔太郎 猫町 01


カバー文:

「東京から北越の温泉に出かけた「私」は、ふとしたことから「繁華な美しい町」に足を踏みいれる。すると、そこに突如人間の姿をした猫の大集団が……。詩集『青猫』の感覚と詩情をもって書かれたこの「猫町」(1935)をはじめ、幻想風の短篇、散文詩、随筆18篇を収録。前衛詩人としての朔太郎(1886―1942)の面目が遺憾なく発揮された小品集。」


目次:


猫町
ウォーソン夫人の黒猫
日清戦争異聞(原田重吉の夢)


田舎の時計

郵便局

自殺の恐ろしさ
群衆の中に居て
詩人の死ぬや悲し

虚無の歌
貸家札
この手に限るよ

大井町


秋と漫歩
老年と人生

解説 (清岡卓行)



萩原朔太郎 猫町 02



◆本書より◆


「猫町」より:

「或る日私は、軽便鉄道を途中で下車し、徒歩でU町の方へ歩いて行った。それは見晴しの好(よ)い峠の山道を、ひとりでゆっくり歩きたかったからであった。道は軌道(レール)に沿いながら、林の中の不規則な小径を通った。所々に秋草の花が咲き、赫土(あかつち)の肌(はだ)が光り、伐(き)られた樹木が横たわっていた。私は空に浮んだ雲を見ながら、この地方の山中に伝説している、古い口碑(こうひ)のことを考えていた。(中略)彼らの語るところによれば、或る部落の住民は犬神に憑(つ)かれており、或る部落の住民は猫神に憑かれている。犬神に憑かれたものは肉ばかりを食い、猫神に憑かれたものは魚ばかり食って生活している。
 そうした特異な部落を称して、この辺の人々は「憑き村」と呼び、一切の交際を避けて忌(い)み嫌(きら)った。「憑き村」の人々は、年に一度、月のない闇夜(やみよ)を選んで祭礼をする。その祭の様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えない。稀(ま)れに見て来た人があっても、なぜか口をつぐんで話をしない。彼らは特殊の魔力を有し、所因の解らぬ莫大(ばくだい)の財産を隠している。等々。」
「日本の諸国にあるこの種の部落的タブーは、おそらく風俗習慣を異にした外国の移住民や帰化人やを、先祖の氏神にもつ者の子孫であろう。あるいは多分、もっと確実な推測として、切支丹(キリシタン)宗徒の隠れた集合的部落であったのだろう。しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。(中略)理智は何事をも知りはしない。理智はすべてを常識化し、神話に通俗の解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だからすべての哲学者は、彼らの窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜(かぶと)を脱いでる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。
 こうした思惟(しい)に耽(ふけ)りながら、私はひとり秋の山道を歩いていた。その細い山道は、径路に沿うて林の奥へ消えて行った。目的地への道標として、私が唯一のたよりにしていた汽車の軌道(レール)は、もはや何所にも見えなくなった。私は道をなくしたのだ。
 「迷い子!」
 瞑想から醒めた時に、私の心に浮んだのは、この心細い言葉であった。」

「私が始めて気付いたことは、こうした町全体のアトモスフィアが、非常に繊細な注意によって、人為的に構成されていることだった。単に建物ばかりでなく、町の気分を構成するところの全神経が、或る重要な美学的意匠にのみ集中されていた。空気のいささかな動揺にも、対比、均斉(きんせい)、調和、平衡等の美的方則を破らないよう、注意が隅々(すみずみ)まで行き渡っていた。しかもその美的方則の構成には、非常に複雑な微分数的計算を要するので、あらゆる町の神経が、異常に緊張して戦(おのの)いていた。例(たと)えばちょっとした調子はずれの高い言葉も、調和を破るために禁じられる。道を歩く時にも、手を一つ動かす時にも、物を飲食する時にも、考えごとをする時にも、着物の柄を選ぶ時にも、常に町の空気と調和し、周囲との対比や均斉を失わないよう、デリケートな注意をせねばならない。町全体が一つの薄い玻璃(はり)で構成されてる、危険な毀(こわ)れやすい建物みたいであった、ちょっとしたバランスを失っても、家全体が崩壊して、硝子が粉々に砕けてしまう。それの安定を保つためには、微妙な数理によって組み建てられた、支柱の一つ一つが必要であり、それの対比と均斉とで、辛(かろ)うじて支(ささ)えているのであった。しかも恐ろしいことには、それがこの町の構造されてる、真の現実的な事実であった。一つの不注意な失策も、彼らの崩壊と死滅を意味する。町全体の神経は、そのことの危懼(きく)と恐怖で張りきっていた。美学的に見えた町の意匠は、単なる趣味のための意匠でなく、もっと恐ろしい切実の問題を隠していたのだ。
 始めてこのことに気が付いてから、私は急に不安になり、周囲の充電した空気の中で、神経の張りきってる苦痛を感じた。町の特殊な美しさも、静かな夢のような閑寂さも、かえってひっそりと気味が悪く、何かの恐ろしい秘密の中で、暗号を交(かわ)しているように感じられた。何事かわからない、或る漠然(ばくぜん)とした一つの予感が、青ざめた恐怖の色で、忙がしく私の心の中を馳(か)け廻った。すべての感覚が解放され、物の微細な色、匂(にお)い、音、味、意味までが、すっかり確実に知覚された。あたりの空気には、死屍(しし)のような臭気が充満して、気圧が刻々に嵩(たか)まって行った。此所(ここ)に現象しているものは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何事かの非常が起る! 起るにちがいない! 
 町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑閙して、静かに音もなく、典雅な人々が歩いていた。どこかで遠く、胡弓(こきゅう)をこするような低い音が、悲しく連続して聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこかで一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であった。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体が混乱の中に陥入(おちい)ってしまう。
 私は悪夢の中で夢を意識し、目ざめようとして努力しながら、必死に踠(もが)いている人のように、おそろしい予感の中で焦燥した。空は透明に青く澄んで、充電した空気の密度は、いよいよ刻々に嵩まって来た。建物は不安に歪(ゆが)んで、病気のように瘠(や)せ細って来た。所々に塔のような物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、瘠せた鶏の脚(あし)みたいに、へんに骨ばって畸形(きけい)に見えた。
 「今だ!」」



「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」より:

「或る麗(うら)らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、彼は支那人と賭博(ばくち)をしていた。支那人はみんな兵隊だった。どれも辮髪を背中にたれ、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、長い煙管(キセル)を口にくわえて、悲しそうな顔をしながら、地上に円(まる)くうずくまっていた。戦争の気配もないのに、大砲の音が遠くで聴(きこ)え、城壁の周囲(まわり)に立てた支那の旗が、青や赤の総(ふさ)をびらびらさせて、青竜刀の列と一所に、無限に沢山連なっていた。どこからともなく、空の日影がさして来て、宇宙が恐ろしくひっそりしていた。
 長い、長い時間の間、重吉は支那兵と賭博をしていた。黙って、何も言わず、無言に地べたに坐りこんで……。それからまた、ずっと長い時間がたった……。目が醒(さ)めた時、重吉はまだベンチにいた。そして朦朧(もうろう)とした頭脳(あたま)の中で、過去の記憶を探そうとし、一生懸命に努めて見た。だが老いて既に耄碌(もうろく)し、その上酒精(アルコール)中毒にかかった頭脳は、もはや記憶への把持(はじ)を失い、やつれたルンペンの肩の上で、空(むな)しく漂泊(さまよ)うばかりであった。遠い昔に、自分は日清戦争に行き、何かのちょっとした、ほんの詰らない手柄をした――と彼は思った。だがその手柄が何であったか、戦場がどこであったか、いくら考えても思い出せず、記憶がついそこまで来ながら、朦朧として消えてしまう。
 「あア!」
 と彼は力なく欠伸(あくび)をした。そして悲しく、投げ出すように呟(つぶや)いた。
 「そんな昔のことなんか、どうだって好(い)いや!」
 それからまた眠りに落ち、公園のベンチの上でそのまま永久に死んでしまった。」



「秋と漫歩」より:

「私の故郷の町にいた竹という乞食(こじき)は、実家が相当な暮しをしている農家の一人息子(ひとりむすこ)でありながら、家を飛び出して乞食をしている。巡査が捕えて田舎(いなか)の家に送り帰すと、すぐまた逃げて町へ帰り、終日賑やかな往来を歩いているのである。」




こちらもご参照下さい:

清岡卓行 『萩原朔太郎『猫町』私論』
『定本 柳田國男集 第二十二卷 野草雜記 野鳥雜記 他』 (新裝版)


柳田國男「猫の島」より:

「多くの家畜の中では猫ばかり、毎々主人に背いて自分等の社會を作つて住むといふことが、第一には昔話の昔からの話題であつた。九州では阿蘇郡の猫嶽を始とし、東北は南部鹿角郡の猫山の話まで、いゝぐあひに散布して全國に行はれて居るのは、旅人が道に迷うて猫の國に入り込み、怖ろしい目に遭うて還つて來たといふ奇譚であつた。猫嶽では猫が人間の女のやうな姿をして、大勢聚つて大きな屋敷に住み、あべこべに人を風呂の中に入れて猫にする。」
「中國方面で折々採集せられる例では、この猫の國の澤山の女たちの中に、一人だけ片眼の潰れた女が居た。それが夜中にそつと入つて來て、私は以前御宅に居たトラといふ猫です。爰に居ると命があぶないから、早くお遁げなさいと教へてくれる。(中略)つまりは猫が必ずしも人類の節度に服せず、ともすれば逸脱して獨自の社會を作らうとするものだといふことを、稍〃アニミスチックに解釋して居た名殘とも認められるのである。」























































































































清岡卓行 『萩原朔太郎『猫町』私論』

清岡卓行 
『萩原朔太郎『猫町』私論』


文藝春秋 
昭和49年10月15日 第1刷
235p 口絵ii 
四六判 丸背布装上製本 貼函 
定価1,500円
装幀: 岩阪恵子


「一九七三年八月号より一九七四年五月号まで「文学界」に連載
一九七四年四月から五月にかけて加筆」



清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 01


帯文:

「萩原朔太郎の
詩と小説の接点に
挑み
彼が描いた
猫のおびただしい
イメージを
分析し
彼における
〈幻想の近代〉の
崩壊を
浮き彫りにする
画期的な
力作長篇評論!」



帯裏文:

「今月心を惹かれたのは十回にわたる連載を完了した清岡卓行氏の「萩原朔太郎『猫町』私論」(文学界)である。
これは詩人萩原朔太郎が昭和十年に書いた短い幻想小説「猫町」を愛読し、かつそこに詩人の余技という以上に、幻想的な猫のイメージを通じてにじみでてくる詩的な魂の表現と、幻想的な近代の崩壊を読みとる清岡氏が、その柔軟な感性のすべてをあげてこの作品の秘密を多面的に探ったものである。
批評家の評論ではこのように優雅に説得されることは先ず考えられない。ここまで心をこめて読まれれば朔太郎も以て瞑すべしと言ってよい評論の傑作である。
高橋英夫 (共同通信配信「文芸時評」より)」



清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 03


口絵「『猫町』(萩原朔太郎著・1935年11月版画荘刊)」


清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 04


口絵「萩原朔太郎(自宅の応接間で『猫町』表紙画を背に――1935年頃)」


清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 02



◆本書より◆


「私はここで、自分のささやかな個人的経験をはさませてもらうが、アルフレッド・ヒッチコックの映画『鳥』を見たあとの奇妙な感覚を忘れることができないのである。あの非現実的な幻想のフィルムにおいて、烏や鴎の集団は、くりかえし執念深く、一人あるいは少人数の人間を襲い、傷つけたり、殺したりする。」
「その傑作のフィルムを見た帰りに、私は国電のある駅のプラットフォームに立っていた。(中略)そこには電車を待っている人が沢山いた。そのとき私は、まったく不意に、プラットフォームの上の群衆に恐怖を感じたのである。先ほど見た映画の中の鳥の大群のように、ここにいる人人が、私に襲いかかってきて、私を苛めたり殺したりしはしないだろうかという、荒唐無稽な恐怖を覚えたのである。」




◆感想◆


本書で著者は、「猫の群衆という幻覚がかたどる人間の集団とは、具体的にはいったい何であるのか?」という問を立て、第一は戦争期に「全体主義に染めあげられようとしている大衆」、第二は「社会的現実において抑圧されている詩人、または、そのような一部の大衆」であると、二つの解釈をあげていますが、結論は保留しています。
本書の二十年後に著者が編集した岩波文庫版『猫町 他十七篇』の解説でも、この二つの解釈を、こんどは順序を変えて挙げていますが、そこでは「全体主義」説の方に力点がおかれています。
なお、岩波文庫版『猫町』解説では、かねてから江戸川乱歩によって「猫町」との類似を指摘されていた、ブラックウッドの短篇「古き魔術(Ancient Sorceries)」について頁を割いて説明していますが、本書ではポー「黒猫」への言及はあるものの、ブラックウッドについては触れられていません。
そういう意味でも、また本書で言及されている朔太郎散文作品の多くが収録されているという点でも、文庫版『猫町』は本書への補遺であるといってよいです。
残念なのは、清岡さんがいっていることはどうもわたしにはしっくりこないというか、ノレないという点であります。そういえばわたしは清岡さんの詩も「アカシヤの大連」も「手の変幻」もよんでないです。本書は装幀がイカスので購入しました。

























































萩原朔太郎 『月に吠える』 複刻版

「おれはぜつたいぜつめいだ、
おれは病氣の風船のりみたいに、
いつも憔悴した方角で、
ふらふらふらふらあるいてゐるのだ。」

(萩原朔太郎 「危險な散歩」 より)


萩原朔太郎 
『月に吠える』 複刻

大正六年 感情詩社版

近代文学館 名著複刻全集
昭和44年4月
序12p+12p 詩集例言4p
本文198p 附録16p 目次10p
口絵1葉 図版12葉
20.2×14cm
角背紙装上製本 カバー



萩原朔太郎詩集『月に吠える』復刻版。ページはアンカットでしたが切ってしまいました。


萩原朔太郎 月に吠える 01


初版:

感情詩社
大正六年二月十日印刷
大正六年二月十五日發行
定價九十錢



萩原朔太郎 月に吠える 02


目次:

序 (北原白秋)
序 (萩原朔太郎)
詩集例言

竹とその哀傷
 地面の底の病氣の顏
 草の莖
 竹
 竹
 すえたる菊
 龜
 笛
 冬
 天上縊死
 卵
雲雀料理
 感傷の手
 山居
 苗
 殺人事件
 盆景
 雲雀料理
 掌上の種
 天景
 焦心
悲しい月夜
 かなしい遠景
 悲しい月夜
 死
 危險な散歩
 酒精中毒者の死
 干からびた犯罪
 蛙の死
くさつた蛤
 内部に居る人が畸形な病人に見える理由
 椅子
 春夜
 ばくてりやの世界
 およぐひと
 ありあけ
 猫
 貝
 麥畑の一隅にて
 陽春
 くさつた蛤
 春の實體
 贈物にそへて
さびしい情慾
 愛憐
 戀を戀する人
 五月の貴公子
 白い月
 肖像
 さびしい人格
見知らぬ犬
 見知らぬ犬
 靑樹の梢をあふぎて
 蛙よ
 山に登る
 海水旅舘
 孤獨
 白い共同椅子
 田舎を恐る
長詩二篇
 雲雀の巣
 笛



挿畫目次:

田中恭吉遺作十一種
 1 畫稿より (口絵)
 2 室にさくエーテルの花 (中扉)
 3 冬の夕
 4 畫稿より I
 5 畫稿より II
 6 畫稿より III
 7 こもるみのむし(假りに題して)
 8 懈怠
 9 死人とあとにのこれるもの
 10 悔恨
 11 夜の花 (包紙として)
恩地孝四郎版畫三種及圖一種
 1 抒情(よろこびあふれ)
 2 抒情(よろこびすみ)
 3 抒情(ひとりすめば)
 4 われひらく (表紙に用ひて)



萩原朔太郎 月に吠える 03



◆本書より◆


「序」より:

「過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦燥と無爲と惱める心肉との不吉な惡夢であつた。
 月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は靑白い幽靈のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
 私は私自身の陰欝な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。
 影が、永久に私のあとを追つて來ないやうに。」



「悲しい月夜」:

「ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰氣くさい聲をして、
黄いろい娘たちが合唄してゐる、
合唄してゐる、
波止場のくらい石垣で。

いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
靑白いふしあはせの犬よ。」



萩原朔太郎 月に吠える 04


萩原朔太郎 月に吠える 05


萩原朔太郎 月に吠える 07






































































































萩原朔太郎 『青猫』 複刻版

「思慕のはるかな海の方から
ひとつの幻像がしだいにちかづいてくるやうだ。」

(萩原朔太郎 「綠色の笛」 より)


萩原朔太郎 
『靑猫』 複刻

大正十二年 新潮社版

刊行: 日本近代文学館
製作: ほるぷ出版
昭和48年8月20日 印刷
昭和48年9月1日 発行
(第9刷)
序10p 凡例5p 目次12p
本文220p 附録49p 図版4葉
24×14cm 角背バクラム装上製本 
機械函 外函



萩原朔太郎詩集『青猫』復刻版。ページはアンカット(袋とじ状態)でした。


萩原朔太郎 青猫 01

函。


萩原朔太郎 青猫 03

表紙。


萩原朔太郎 青猫 02


初版:

新潮社
大正十二年一月廿一日印刷
大正十二年一月廿六日發行
(定價貮圓)



萩原朔太郎 青猫 04


目次:


凡例

幻の寢臺 詩十二篇
 薄暮の部屋
 寢臺を求む
 沖を眺望する
 強い腕に抱かる
 群集の中を求めて歩く
 その手は菓子である
 靑猫
 月夜
 春の感情
 野原に寢る
 蠅の唱歌
 恐ろしく憂鬱なる
憂鬱なる櫻 詩六篇
 憂鬱なる花見
 夢に見る空家の庭の秘密
 黑い風琴
 憂鬱の川邊
 佛の見たる幻想の世界
 鷄
さびしい靑猫 詩十五篇
 みじめな街燈
 恐ろしい山
 題のない歌
 艷めかしい墓場
 くづれる肉體
 鴉毛の婦人
 綠色の笛
 寄生蟹のうた
 かなしい囚人
 猫柳
 憂鬱なる風景
 野鼠
 五月の死びと
 輪廻と轉生
 さびしい來暦
閑雅な食慾 詩七篇
 怠惰の暦
 閑雅な食慾
 馬車の中で
 靑空
 最も原始的な情緒
 天候と思想
 笛の音のする里へ行かうよ
意志と無明 詩九篇
 蒼ざめた馬
 思想は一つの意匠であるか
 厭やらしい景物
 囀鳥
 惡い季節
 遺傅
 顏
 白い牡鷄
 自然の背後に隱れて居る
艷めける靈魂 詩五篇
 艷めける靈魂
 花やかなる情緒
 片戀
 夢
 春宵
    ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
 軍隊

挿畫
 靑猫之圖
 西洋之圖
 海岸通之圖
 古風ナル艦隊

附録
 自由詩のリズムに就て



萩原朔太郎 青猫 06



◆本書より◆


「最も原始的な情緒」:

「この密林の奥ふかくに
おほきな護謨(ごむ)葉樹のしげれるさまは
ふしぎな象の耳のやうだ。

薄闇の濕地にかげをひいて
ぞくぞくと這へる羊齒(しだ)植物 爬蟲類
蛇 とかげ ゐもり 蛙 さんしようをの類。

白晝(まひる)のかなしい思慕から
なにを あだむ が追憶したか
原始の情緒は雲のやうで
むげんにいとしい愛のやうで
はるかな記憶の彼岸にうかんで
とらへどころもありはしない。」



萩原朔太郎 青猫 05

靑猫之圖。


萩原朔太郎 青猫 07

海岸通之圖。
























































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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