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小海永二 訳 『アンリ・ミショー全集』 (全四巻) 内容見本

小海永二 訳 
『アンリ・ミショー全集』 
内容見本


青土社 昭和61年



ミショー全集内容見本


四巻本アンリ・ミショー全集内容見本より:


「決定版 アンリ・ミショー全集 全4巻 
小海永二 個人完訳 限定八〇〇部・予約出版 青土社

異常な幻想の世界や 暗黒の夢魔を描いて
われわれの内部と われわれの現実を告発する
今世紀フランス最大の詩人アンリ・ミショーの全業績を網羅した
ミショー研究第一人者の個人完訳による決定版」


「刊行のことば

 アンリ・ミショーは二十世紀最大の幻想派の詩人である。東洋の神秘と西欧的個我との融合の場に創造の根を下ろして、前人未踏の詩的領域を次々と切り開いてきたこの詩人の八十五年にわたる詩業は、真に想像力の異形、その勝利と称揚されるにふさわしい。
 小社は、ミショー研究者の第一人者小海永二氏の協力を得て、この詩人の全集全三巻を八年前に刊行し、ミショーに関心を寄せる日本の選ばれた読者に好評をもって迎えられたが、この度さらに旧全集に未収録のテキスト九冊を加えて、新しく全四巻に編集し直した決定版全集の刊行を企画した。この新全集は訳者がミショーに直接会って、出版の了承を得ていたものであり、八四年の詩人急逝の結果、はからずも詩人の没後に発行される世界最初の全集となった。
 小社は訳者ともども、今は亡き詩人への追悼の意味をこめて、この決定版全集を世に送り出す。願わくは、幸いにしてこの企てを諒とされる質高き新たな読者を数多く得られんことを。
昭和六十一年十月 青土社」


「*アンリ・ミショー頌

●アンドレ・ジイド
ミショーの卓越した資質は、誠実に、しかも絶え間なく、彼をして、因襲化した習慣や、一つ覚えに覚えこんだ知識の外へと急がせる。彼は、ただ、彼を導いて行く詩的霊感に身を任せ、彼自身どこに向かうかを知らず、彼の全存在をそれに譲り渡す。この状況は、ニーチェの<われわれは夢の中においてしか、完全に誠実ではあり得ない>という言葉を、われわれに思い起こさせる。

●クロード・ロワ
ミショーは、単に驚くべき詩人であるばかりでなく、この時代の最良の証人である。プリュームは、『モダン・タイムズ』のチャーリー同様に、現代の日付をもった主人公なのだ。

●ル・クレジオ
ミショーは、ロートレアモンと同様に、趣味によってなった詩人ではなく、いわば止むなくしてなった詩人である。ミショーの作品の、苦悩にみちたあらゆる豊かさの源泉ともいえる孤独は、社会に対する一つの態度であり行動であるばかりでなく、一つの真理、一つの体系、人間に至るための手段なのである。

●レオン・グロス
われわれがミショーに拒むことのできない尊敬の念は、われわれが憎むべきこの時代に対して抱かざるを得ない関心と、同じ性質を持つものなのだ。ミショーの怪物たちは、ピカソの怪物たちと同様に、運命へのわれわれの受容の具体的なしるしなのである。

●アラン・ジュフロワ
ミショーにとって、完成は存在しない。完成可能も存在しない。存在は、いかなるものでも、出現し始めるや否や、忽ち使い尽くされ呑みこまれてしまう。生命の未だかつて達したことのないほどの尊厳さに憧れる生きた死者として……。

●ルネ・ベルトレ
ミショーは定位置を取らない詩人、位置づけられない詩人である。
羅針盤も地図も松葉杖も持たずに、手ぶらで、脱出したいという熱烈な欲求と、ただひとりでおのれの道を見出そうという稀なる決意とに燃えながら、冒険に出発したひとりの詩人――それがミショーなのだ。

●オクタビオ・パス
ミショーの作品は――詩篇も現実の旅も架空の旅も絵画も――、もう一つの無限を限りなく探し求めて、われわれの無限のうちのいくつかと――最も秘密の、最も恐るべき、また最も嘲弄的なそれらへと――向かってゆく。一つの長い曲りくねった探検に他ならない。

●レイモン・ベルール
ミショーの作品で心打つこと……それは、わが身の限界を明らかにするという唯一の計画に専念している彼が、あのように様々に異なる、あんなにも変化に富むイメージを、人間の現存に与えることができる、ということだ。

●アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ
ミショーの攻撃精神の背後に、われわれは、最も偉大な神秘家たちの他には多分その例を見ないような、一つの愛の流れを認める。この愛は、人間を通り抜けて、自然の全体へと広がっている。それは普遍的なものなのである。

●ミシェル・ビュトール
ミショーの作品は、SF文学の中で栄えているいくつかのテーマを、優美な濃縮された形式の下に、われわれに差し出す。それは、空想の民俗学であり、そこには魔法の力がある。


●体裁――菊判/特漉和紙つなぎクロス装/箱入平均850頁
●定価――各7800円
●第1回配本――詩Ⅱ 12月5日発売 以後毎月刊」


「推薦のことば

大岡信/この恐怖の世界をみよ
小海永二がミショーの詩の紹介者として果してきた役割の偉大さについては今さら言う必要もない。ミショーは小海永二によって日本語圏に招かれ、招かれた瞬間からして、すでにしてこの地の異様な、存在感にみちた住人であった。ミショーの強靭な想像力が描く世界は、夢魔的でありながら同時にわれわれの世界そのものである。この恐怖の世界を見よ、と彼はいう。この世界はきみの内側を新聞紙のように拡げたものだ、と。
 
澁澤龍彦/旅行家ミショー
ミショーは私に、世界の果てに棲むさまざまな怪物や畸型人間に関する報告を書いた、あの中世の旅行家の再来を思わせる。事実、彼は現実界と想像界を股にかけた旅行家で、二つの世界の精密な報告を私たちに送ってくれる、ちょっと毛色の変った詩人なのだ。

辻邦生/新しい冒険への誘い
アンリ・ミショーの試みは、ときに現代の人口楽園への逃亡と見え、ときに新しい人間感覚の可能性への挑戦と見える。いずれにせよ、認識による人間疎外の状況のなかで、〈もの〉との一体感を痛切な媒体として、一挙に、この不毛な精神体系を越えようとする方法は、われわれに残された数少ない〈永遠〉への通路と言える。ミショーのなかにあるのは、果しない<至福>と<自由>への渇望である。それは決して恣意的なものへ眠りこもうとする神秘主義ではない。方法的とも見える彼の錯乱への意志が、まずそのことを語っている。ミショーの全著作を通して、新しい冒険に乗り出せるのは、われわれにとって何よりの幸運な機会と言わなければならない。

阿部良雄/悪魔祓いすなわち行動
アンリ・ミショーの詩とは、われわれの存在を脅かす邪悪なもろもろの力に対して試みられる〈悪魔祓い〉の儀礼、すなわち行動だ。〈ほとんど絶望〉を原動力として試みられるこの営為が、どれほどわれわれを解放することか、量り知れない。大詩人の仕事を親しいものにしてくれる小海永二のたゆまぬ努力に、喝采を送ろうではないか。

菅野昭正/ミショーを発見しよう
「ミショーを発見しよう」。その昔、アンドレ・ジッドのこの呼びかけに誘われて、はじめてミショーに近づいたときのことを、私はよく覚えている。果てしない宇宙のなかにどこまでも進み、幻覚、幻想の淵に沈みながら、無限、驚異、神秘に醒めた視線を放ちつづける旅行者ミショーの魅力。小海氏がミショーと出会ったのも、たぶん私と同じ時期である。小海氏は、以来ずっとミショーと旅の経験を共にしてきたことになるが、譬えていえば、それは光年単位で測るような旅であったにちがいない。その長い長いたびの結実である『全集』に導かれて、私はミショーを再発見しよう。そして、若い読者に呼びかけることにしよう、「ミショーを発見しよう」……。

東野芳明/明澄な錯乱
ミショーには一度だけ会いに行ったことがある。もう三十年も前の話だ。たしか、故伊達得夫さんからたのまれて、訳詩集出版の用向きをかかえていったのだと思う。当時のアンフォルメル美術の一作家としても、ミショーのメスカリンによるデッサンや絵が論じられていて、そんな話もした憶えがあるが、剃刀のような鋭い目付きが脅迫的だった。
ミショーの詩はその後、あまり読まなくなったが、デッサンや絵は日本でも、かねこアート・ギャラリーなどでよく見られるようになった。その度に、発生状態の線や点や前イメージが、ある明澄な錯乱を感じさせ、言語という他者との共有物を通した詩との関係、あるいは乖離がどうなっているのか、気にしつづけてきた。今回の決定版全集出版を機に、そんなことをつきつめてみたいと思っている。

清水邦夫/内部を切り裂くことば
ミショーのことばは、それに触れたとたん激しく突きあげるものがって、つい声に出して読んでみたくなる。そして声に出して読んでいくにつれて、自分の内部がみごと切り裂かれ、同時にある種の浮力がわが身にそなわったことを自覚する。そうなれば間もなく、ほかの誰からも与えられなかったふしぎな自由な空間へ旅立つことができるのだ。これはもう新しい演劇である。だからぼくは新しい表現者を目ざす若者に、ミショーのことばをひたむきに声にすることをすすめている。
 
塚本邦雄/霊感と起爆剤の巣窟
昭和三十年の歳末、ある霙の夜、私は初めてアンリ・ミショーの詩に邂逅した。書肆ユリイカ刊『現代フランス詩人集』の第一巻、それも小海永二訳によって、眼を開き、同時に蒙を啓かれた。詩人論がまた、抜群に明晰であり、魅力に溢れていた。詩作品抜粋中では、『プリューム――遠き内部』の無惨な幻像を愛した。だが私を真に震撼させたのは、その翌年々末、「ユリイカ」十二月号に掲載された、同じく小海永二訳による「日本旅行記」であった。その痙攣的・威嚇的・挑発的な毒舌は、日本の忌まわしい症候群をぴたりと指し、その病巣にメスを刺しこんでいた。あまりの苛烈さに、怒髪天を衝いたのはほんの暫く、やがて私は嗜虐感に舌鼓を打つまでに、この文章に惚れこんだ。今でも、日本人悉皆必読の書と信じている。私は後日、毎日新聞に連載中の「けさひらく言葉」に二度引用した。昭和五七年一月二二日と六〇年七月五日のそれである。後者は、「黄色人種の魂は、泥を引きずって歩かない唯一の魂である」。右はほんの一例、ミショーの詩も論説も、負けず、劣らず、驚畏に価する霊感と起爆剤の巣窟である。

岡本太郎/無垢の詩人
一九三〇年代のパリで、私は抽象芸術運動に加わっていたが、交友にはシュールレアリストの連中も多かった。エルンスト、ツァラ、ジャコメッティ、マン・レイなど。
アンリ・ミショー、このもの静かな詩人ともそういう仲間たちと同様に、ごく自然に親しく付きあった。
彼の詩的表現は言葉一つ一つが深い神秘の淵から拾いあげられ、純粋に生じている。
やがて彼は絵も描きだした。その詩と相通ずる無垢、自由感があった。
戦後も偶然モンパルナッスで再会し、喜びあった。お互いに若い時代の思い出がふきあがる。」
 
 
「全巻内容
 
第一巻 詩Ⅰ
内部の夢魔に憑かれた詩人ミショーが、その苦悩と狂気の中で、詩的想像力を極限まで駆使して構築した夢と夢幻の領域。初期の傑作詩集『わが領土』以下、『夜動く』『プリュームという男』『遠き内部』『試練・悪魔祓い』『襞の中の人生』まで、詩人前半生の主要詩集を収録。他に、火事による火傷のために死んだ妻マリー・ルイーズへの鎮魂の思いを綴った異色の詩集『われら今も二人』、および訳者によるミショー論を合わせ収める。
 
第二巻 詩Ⅱ・エッセー
詩人円熟期の代表詩集『閂に向きあって』から没後刊行の『移動と除去』に至る七冊の著書を収め、詩人後半生の詩業の全貌を伝える。詩人は、自身の夢の体験とそれへの考察を記した詩的エッセー『夢の見方・眼覚め方』を始めとして、『様々の瞬間』『逃れゆくものに向きあって』『角の杭』『求められた道・失われた道・違反』『移動と除去』などの作品集で、詩篇・物語・対話・箴言・エッセー等、多様な形式を用いておのれの詩的世界を自在に展開し、そこにこの詩人独特の鋭い詩的思考のきらめきをのぞかせる。『様々の瞬間』以下の五冊は本全集によって日本で初めて紹介されるものである。

第三巻 紀行・芸術論
詩人ミショーは大旅行家としても知られる。脱出の欲望は、詩人を地の涯てへと向かわせ、また異次元の超現実大陸へと旅立たせた。二冊のユニークな紀行『エクアドル』『アジアにおける一野蛮人』と、それらに対応する架空旅行記三部作『グランド・ガラバーニュの旅』『魔法の国にて』『ここ・ポドマ』とを主軸に、発想と着眼に非凡な詩人の視線をうかがわせる芸術論集『パッサージュ』と、ルネ・マグリットの絵画をめぐって書かれた『謎の絵画から夢見ながら』(本邦初訳)との二著を加えて、本巻は構成される。なお『アジアにおける一野蛮人』は、詩人生前の意向に従い一九六七年刊の改訂版に拠った新訳で、集中の一章〈日本における野蛮人〉には、ミショー自身の日本人読者にあてた序文(遺稿の一つ)が付されている。

第四巻 メスカリンの記録
麻薬メスカリンを試飲して意識の極限状況を探求した四冊の詩的ドキュメント『みじめな奇蹟』『荒れ騒ぐ無限』『砕け散るものの中の平和』『深淵による認識』を時代順に収め、麻薬文学史上つとに有名なミショーの壮大なメスカリン実験の記録を一巻にまとめた。メスカリンの試飲はミショーの画業にも大きな影響を与えており、またこの時期以後のミショーの詩業に色濃い影を落している。特に本邦初訳の『深淵による認識』は、質量ともに本巻中の圧巻である。他に「年譜・書誌」を収める。」



ミショー全集内容見本 01

表。


ミショー全集内容見本 02

裏。






















































































小海永二 『アンリ・ミショー評伝』

「ミショーは、アルトーが《世界の終末の疲労》と呼んでいたものに到達しているように思われた。彼の存在にわたしが感じたのは、彼もまた氷の時代からやって来た人間なのだと思われたほどの、熱の欠如だった。」
(アナイス・ニン 『日記』 第六巻)


小海永二 
『アンリ・ミショー評伝』


国文社 
1998年7月30日 初版発行
409p 索引12p 口絵(モノクロ)16p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価4,500円+税



本書「後書き」より:

「ミショーの評伝を書くことは、わたしが自分自身に与えた宿題だった。彼の日本語訳の全集を出し(それはまだ完璧な全集とは言えないが、とにかく全集と銘打ってもおかしくないだけの内容と分量ではあった)、彼の作品について文章を書き継いでくれば、残る主要な仕事は、評伝であろう。自分のミショーに関する仕事に区切りをつけるために、この評伝を書くことが不可欠だった。」


口絵図版35点。


小海永二 アンリミショー評伝 01


本書より:

「澁澤龍彦は、お互いに若かった頃、彼がサドを手がけ始めた当時の翻訳集、河出書房版『マルキ・ド・サド選集』全三巻(一九五六~五七年)をわたしの『アンリ・ミショオ詩集』と交換しないかと、書肆ユリイカの伊達得夫を通して、わたしに申し出た。その交換はすぐに実現された。」


小海訳『アンリ・ミショオ詩集』は1955年、書肆ユリイカ刊です。


目次:
 
第一章 家系と幼少年期
第二章 水夫体験と「ディスク・ヴェール」誌
第三章 ミショー、シュペルヴィエル、ポーラン
第四章 『かつての私』から『アジアにおける一野蛮人』
第五章 外部と内部への旅――一九三二年~一九三六年
第六章 戦争まで――一九三六年~一九三九年
第七章 第二次世界大戦下のミショー
第八章 結婚と定住、妻の死
第九章 探求への道程
第十章 メスカリンの実験
第十一章 画家ミショー
第十二章 晩年と死
終章 日本におけるアンリ・ミショーの発見
 
アンリ・ミショー年譜
参考書目一覧
後書き
人名索引




◆本書より◆


「第一章 家系と幼少年期」より:

「ミショーは写真嫌いで有名だった。(中略)ブルターニュのグエン=アエル・ボローレの家で一九五〇年に撮影されたミショーの写真が一枚残っているが、ボローレによれば、写真を撮られた時、ミショーは怒って《おれの魂を盗みやがった!》と言ったという。ある時期からは、ミショーは外出時には黒眼鏡をかけマスクをして、自分を見分けられないように顔をかくしていた。
 それでもジゼル・フルンドやブラッサイのような写真家たちには自分の写真を撮らせており、今日では、数は必ずしも多くはないが、ミショーの容貌を知る手がかりとなる彼の顔写真も残されている。」
「ミショーは大勢の人々に顔や名前を知られて有名になることを、少なくとも自分からは望んでおらず、おのれの未知性を守りたいと願っていた。彼の写真嫌いには、しかし、その他に、彼が自分の両親や縁者にそっくりの自分の顔を嫌っていたという理由があったことも、多分間違いはないだろう。」

「ミショーは、ルネ・ベルトレに対してこう語っている。
 〈一度だって望みのかなったことのない幼少年期でした。〉
 〈わたしは、幼少年期に戻れば戻るほど、自分が両親のもとで一人の異邦人だったという印象を、強く思い出すのです……わたしはすぐに口をききましたが、それは、自分が棄子だと言うためでした……六か月目からは、わたしは何もかも拒否していました。何も食べたいとは思わず、後には、話をしたいとも思いませんでした……わたしは一切のものの要求をはねつけました。わたしは人生を前にして歯を喰いしばっていたのです。〉」

「一九〇一年八月、彼の両親は、子供たちを連れてブリュッセル市郊外のドゥファックス通り六十九番地 69, rue Defacqz の家に引っ越す。」
「この家には庭がついていて、子供のミショーはそこで植物や昆虫を観察して長い時間を過ごした。人間を拒否し、動物や植物と化すことをこの子供は望んでいた。後年彼は〈彼は蟻の中に自分を置き忘れた。木の葉の中に自分を置き忘れた〉(「タアヴィ」)と書き、〈八歳の時、わたしはまだ植物として認められることを夢見ていた〉(「知識の薄片」)と書く。動植物へのミショーの熱烈な関心はこの幼少年期に始まり、死ぬまで続いた。」



「第二章 水夫体験と「ディスク・ヴェール」誌」より:

「ミショーはロートレアモンの『マルドロールの歌』を読んだ。彼は〈驚愕に飛び上が〉(「自筆年譜」)り、〈それはやがて彼の中で、長い間忘れられていた、物を書きたいという欲求を始動させる〉(同上)。」
「〈わたしが物を書いたのは彼のおかげです。その時までわたしはあまり書きたいとは思わず、あえて書こうとはしませんでした。わたしが『マルドロールの歌』を読み、自分の中にある真に異常なものを人は書き発表することができるのだと知った時、わたしは自分のための場所があると考えたのです。
 それは二十三歳の時でした。〉(ブレション「ミショーとの対話」)」



「第六章 戦争まで」より:

「ミショーは、ジャン・ポーランと「ムジュール」誌とが必ずしも評価しないジャック・プレヴェールの作品を支持して、彼を擁護する。詩風の対極に位置するかに見えるプレヴェールへのミショーの支持は、一見、奇異に思われるかもしれないが、ミショーはプレヴェールの作品に、文学の画一主義(コンフォルミスム)に反対する〈書くことの自由〉と独自性(オリジナリテ)とを見出して、それらを評価したのだった。」


「第十二章 晩年と死」より:

「ミショーは若い頃から神秘思想に惹かれ、多くの聖人伝を読みふけった。そして一九三一―三二年のアジア旅行でインドの神秘思想に直接ふれ、東洋の霊力に目を開かれた時から、ずっとそれへの関心を抱き続けてきた。晩年に至って(中略)、この傾向が顕著に強まっていることが、その詩や散文の中でのマンダラやタントラへの言及によって知れる。」

「デュビュッフェはミショーの肖像画(ポルトレ)を描いた。デュビュッフェの他にも、ルネ・マグリット、ハンス・ベルメールが、それぞれの流儀でミショーの肖像画を描いている。(中略)外国人の画家では特にイギリス人のフランシス・ベーコンがミショーを高く評価して、ミショーの絵を購入したり、ミショーの個展に一文を書いたりしている。」





























































































































アンリ・ミショー 『みじめな奇蹟』 (小海永二 訳)

「突然、一本のナイフが、突然千のナイフが、稲妻を嵌めこみ光線を閃めかせた千の大鎌、いくつかの森を一気に全部刈りとれるほどに巨大な大鎌が、恐ろしい勢いで、驚くべきスピードで、空間を上から下まで切断しに飛びこんでくる。」
(アンリ・ミショー 『みじめな奇蹟』 より)


アンリ・ミショー 
『みじめな奇蹟』
小海永二 訳


国文社 
1969年5月20日 初版第1刷
1976年3月15日 第3刷
242p 
A5判 角背クロス装上製本 貼函 
定価1,600円
装幀: 蛭間重夫



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Henri Michaux 『Misérable Miracle』(Edition du Rocher, Monaco, 1956)の全訳であり、ミショーのメスカリンの記録の最初の日本語訳である。」
 

本文中図版(ミショーによるデッサン)49点。


ミショー みじめな奇蹟 01


目次:

第一章 序文
第二章 メスカリンとともに
第三章 メスカリンの諸特徴
第四章 インド大麻(たいま)――二つの幻覚因子間の比較に役立たせるためのノート
第五章 精神分裂病の実験
反省的考察
後記

訳者あとがき



ミショー みじめな奇蹟 02



◆本書より◆


「第二章 メスカリンとともに」より:

「突然、だが、先駆者としての一つのことば、伝令としての一つのことば、人間に先んじて地震を感じる猿のように、行為に先んじて警報を受けとるわたしの言語中枢から、発せられた一つのことば、《眩しく目をくらませる》ということばにすぐ続いて、突然、一本のナイフが、突然千のナイフが、稲妻を嵌めこみ光線を閃めかせた千の大鎌、いくつかの森を一気に全部刈りとれるほどに巨大な大鎌が、恐ろしい勢いで、驚くべきスピードで、空間を上から下まで切断しに飛びこんでくる。わたしは内心ひそかに苦悩しながら、それらのナイフや大鎌と同じ速度の耐え難いスピードに自分を合わせ、益々激しくバラバラに裂け、解体し、狂気へと陥ってゆきながら、ある時はそれらナイフや大鎌と同じく途方もない高さにまで、それから忽ち、すぐ次の瞬間には、それらと同じく深海の深さにまで、ついてゆくことを強いられる……それにしても、一体これはいつ終わりになるのだろうか……それがいつかは終わりになるとして?
 終わった。遂に終わった。」

「それから《白色》が出現する。完全な白色だ。あらゆる白さという白さを超えた白色。白色の出現の何という白さ。白以外の色とは全く妥協の余地のない、白以外の色をいっさい排除し、完全に根こぎにした白色。興奮し、激昂し、白さで絶叫している白色だ。熱狂的で、猛り狂い、網膜を突き刺して、無数の穴をあける白色。残忍で、執念深く、人殺しの、電流のように素早い白色。白色の疾風のような白色。《白色》の神。否、神なんかじゃない。わめき立てる猿だ。(わたしの細胞が破壊せずにすめばよいのだが。)
 白色が停止する。わたしは、白色というものはわたしにとっては何かしら過激なものだという印象を、長いこと持ち続けるだろうと感じる。」



ミショー みじめな奇蹟 03




















































































アンリ・ミショー 『荒れ騒ぐ無限』 (小海永二 訳)

「時々、空中にぶら下がった、幻想的な凝結状態にある沈殿物のような黒い点々が、幾百万と落ちてくる。互に身をすり寄せ合う黒い殻粒のように、絶え間なく、人を驚かせて、順序よくあらゆる光を遮蔽しながら。」
(アンリ・ミショー 『荒れ騒ぐ無限』 より)


アンリ・ミショー 
『荒れ騒ぐ無限』
小海永二 訳


青土社 
1980年1月30日 印刷
1980年2月15日 発行
226p 別丁図版(モノクロ)8p 
A5判 丸背クロス装上製本 カバー 
定価2,200円
装画: 津高和一



本書「あとがき」より:

「アンリ・ミショーのほぼ十年間に及んだメスカリン実験の報告記録は、一九五六年刊の『みじめな奇蹟』から一九六六年刊の『精神の大いなる試練』に至るまで、全部で五冊を数える。ここに訳出した『荒れ騒ぐ無限』(L'Infini turbulent)は、『みじめな奇蹟』に次ぐ二冊目の実験報告であって、『みじめな奇蹟』刊行の翌一九五七年に、メルキュール・ド・フランス社から出版された。この書物は、その後一九六四年に同社から増補新版が出されており、訳出のテキストにはこの増補新版の方を使用した。」


ミショーによるデッサン11点。


ミショー 荒れ騒ぐ無限 01

 
帯文:

「今世紀最大の幻想派詩人ミショーが、自己解体への強烈な誘惑にかられ、意識の極地をもとめて、メスカリン、LSDを服用し、イメージの荒れ狂う海を彷徨する、深層のドキュメント。」


目次:
 
第一部 メスカリンの効果
第二部 八つの実験
 第一の実験 黒いヴィジョン
 第二の実験
 第三の実験
 第四の実験
 第五の実験
 第六の実験
 第七の実験
 第八の実験
第三部 メスカリン領域と隣接領域
 L・S・D・25

幻覚剤におけるエロスの問題 (一九六四年)
 
訳者あとがき



ミショー 荒れ騒ぐ無限 02



◆本書より◆


「第一の実験 黒いヴィジョン」より:

「突然、わたしは恐怖を感じる。たった今、わたしは黒いイメージを見たばかりだ。そして、もしもわたしが、これからはもはや黒色にしか出会い得ないようになろうとしているのだとしたら? もしもわたしが、これからは、内部におけるのと同様外部においても、永久に黒色の中に居ようとしているのだとしたら?
 わたしはその時まで、何やらよく知らぬ視覚論に従って、人間は真に黒色の内的ヴィジョンを持つことはできないと信じていたのだが、今やわたしはその黒いヴィジョンの中にあり、そして恐らく、わたしの憎むべき好奇心のために自分の視力を破局的に犠牲にするべく定められているのである。」
「わたしの観察しうる限り遠くまで、黒い点々がそこには作られ、接近し合い、接近し合って、遂に接合し、ほとんど連続した、ほとんど一塊となった、果てしない母岩を形成し始める。すると、その危機的な瞬間に、空間そのものが消える。そして別の空間が浮かび出る。そこにも同様の黒い点々があるが、今度は甲虫のようで、狂ったようにいらいらし、歩き出し、あらゆる方向からやってくる、まるで、互に混じり合い、癒着し合おうとするかのように。と、すでに、それらは互に癒着し合って、ほとんどただ一つの塊のようになる。するとその時、ふたたび空間がぱっと消える。その間に、新しい空間が位置を占める。小さいのや、大きいのや、だがどっちにせよ必ず、黒い点々は、すぐに、威嚇しに、襲いかかりに、侵入しに出かける、ロケットのように飛びながら、最初は小さくとも、到着した時にはいつも巨大な大きさになって。
 時々、空中にぶら下がった、幻想的な凝結状態にある沈殿物のような黒い点々が、幾百万と落ちてくる。互に身をすり寄せ合う黒い殻粒のように、絶え間なく、人を驚かせて、順序よくあらゆる光を遮蔽しながら。
 絶えず新しく変る何かよくわからぬものの奥底から、黒い肉体がわたしの方に向かって進んでくる、内部のヴィジョンの場に、ごく小さな裂け目だけをそのまま残しながら。その裂け目だけが、完全な暗黒からわたしを救ってくれる。けれども、すでに広がった黒色の上に、時々、新しい黒色、純黒の黒色、(中略)壊疽の黒色が置かれ、それらがそのヴィジョンの場を蔽うだけでは満足せず、全速力で裂け目を征服しようとし始める。そして、裂け目は、不可避的に、口を塞がれようとする。その時、ドラマの新しい局面が現われる。威嚇的な黒色がやってくるのは、今ではもはや、四方の端からヴィジョンの中心をめざしてではない。そうではなくて、幾百万もの黒い小さな水滴がぼんやりと湧き出し始め、溢れ、噴出し、間歇泉のようになり始めるのは、眼そのものの中心、その奥底からなのだ。」




























































































アンリ・ミショー 『精神の大試煉』 (渡辺広士 訳/審美叢書)

「われわれの一人々々が奇妙な天体だった。」
(アンリ・ミショー 『精神の大試煉』 より)


アンリ・ミショー 
『精神の大試煉』
渡辺広士 訳

審美叢書 11 

審美社  
1976年3月12日 印刷
1976年3月16日 発行
235p 
四六判 丸背クロス装上製本 カバー 
定価1,300円

Henri Michaux : Les grandes epreuves de l'esprit, 1966



本書『精神の大試煉』は、『荒れ騒ぐ無限』『みじめな奇蹟』とならぶミショーの主著でありますが、小海永二訳『アンリ・ミショー全集』(青土社)には収録されていません。そのへんは、本書に「ユニ・エージェンシーとの契約により本書の日本語版権は審美社に属す」と記されている事情によるのだと思います。


ミショー 精神の大試煉


カバー裏文:

「アンリ・ミショーはここで「自我とは何か?」という問いに前人未踏の角度から踏みこんでいる。ヴァレリー、ジョイス、プルースト、サルトルらが企てた試みを、ミショーはそれらの誰とも違った仕方で進めている。自己の目に見えない心的現象を、電子顕微鏡の下で見る極微の世界のように見る方法を、彼は発明した。メスカリン等の薬を飲む実験だが、そこに彼は意識の麻痺をでなく、意識の加速状態を発見し、異常な緊張の持続によって、それを凝視する。僕らが〈自己〉というものについて持っている常識を打ち壊す、一つの内的な驚くべき世界がそこに展開する。」


目次:
 
I ノーマルなことの不思議さ
 A、方位喪失
 B、われに返るとは、どういうことか
II 困難に臨んで、だが困難はどこにあるか
III
 A、内密な、間断ない錯乱
 B、さらに他の錯乱した過程
IV そこにあるはずのないものの現れ
V 空間による剥奪
VI 荒された自我意識
VII 詰めこみ複雑化しようとする欲求
VIII 実験的錯乱
 A、
 B、膨大なる説明不可能な事
IX 四つの世界
 
訳者あとがき




◆本書より◆


「確かに、ぼくはこれまで空を見ていなかったのだ。本当には見えていなかったのだ。空を見ることに抵抗して、別の側から、地上的なもの、凝固したもの、対立したものの側から空を見つめていたのだ。

 今度は、土手がくずれて、ぼくは突入した。目まいを覚えながら、ぼくは高みへ突入した。

 空、そこにぼくはいた。ついにわれわれは関係を持った。
 そしてぼくはそれを見つめ続けた。《まなざし》という語は、投げこまれるともはや、まったく逃れえない深淵のことを言うのではないのか、と考えながら。

 星を散りばめた一箇の空の単一さが、突然に消えて、空の果てのない深さをあらわにした。空は絶えず深まり続けた。
 時どき目をそらしながら、ぼくは《それに対抗して》自己集中を試みた。自己喪失としてぼくが引受けることのできるものの、ぎりぎりの限界に身を置きながら。そのように、ある仕方で自分を取戻しながら、ぼくはもう一度それを見つめ、するとたちまちそれはぼくをつかまえなおして、全速力で《ぼくの上にやって》くる。表現不可能の侵攻。突然、あちこちの大地に侵入する高潮。だがそれは空、有無を言わせず入りこんでくる巨大な空だ。
 ぼくは空を受け容れ、空はぼくを受け容れた。
 同時に、ぼくは異常な膨脹の中にあった。空間がぼくを空間化した。
 ほかにもいろんな仕方で、それはぼくにやってきた。空間はいたるところにあった。」

























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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