小島俊明 訳編 『アンリ・ミショー詩集』 (現代の芸術双書)

「屋根の上には、常にメードザンがいる。岬には、常にメードザンたちがいる。
 彼らは地上にとどまれないのだ。地上がどうしても気に入らないのだ。」

(アンリ・ミショー 「メードザンたちの肖像」 より)


小島俊明 訳編 
『アンリ・ミショー詩集』

現代の芸術双書 26 
Henri Michaux: Choix de poemes

思潮社 
1968年2月1日 第1刷発行
185p 口絵i 図版4p 
19×13cm 仮フランス装 ビニールカバー
定価600円



本書「訳者あとがき」より:

「詩篇の選択にあたっては、すでに邦訳があるなしにかかわらず(半数近くが初訳である)、フランスでアンソロジーに選ばれたり、批評家たちによって問題にされた代表作を中心にした。(中略)また諸般の事情から、近年の詩集からは選ぶことができなかった。けれどもその分を数葉ではあるが図版によって補い、すこしでもミショーの全貌を伝えたいと意図した。解説にかえて諸家のことばを抜粋紹介したのも、そのためである。」


口絵(アンリ・ミショー近影)1点、別丁図版(モノクロ)4点、本文中図版2点。


ミショオ詩集 01


本文での表記は「ミショー」ですが、表紙(背表紙・裏表紙)と巻末の「現代の芸術双書」リストでは「ミショオ」と表記されています。


ミショオ詩集 02


目次:
 
昔のおれ (一九二七) 
 謎
 疲労
 天啓をうけた人びとの時代
 おれは休むことができない
エクアドル (一九二九)
 アンデス山脈
 嘔吐あるいはやってくるのは死か
 おれは穴をあけられて生れた
わが領地 (一九二九)
 わが領地
 投影
 干渉
 叫ぶ
 つれ去っておくれ
夜は動く (一九三五)
 怠惰
 おれの王さま
 反対!……
 氷山
 わが人生
 註釈つきのデッサン
 安穏をもとめて
プリューム (一九三八)
 不幸のなかの休息
 死への途上で
 夜のなかで
 死の歌
 井戸のなかの石のように
 おとなしい男
 レストランのプリューム
 プリュームは旅する
 魔法
 「遠い国からお便りします」
 老年
 いったいおまえはいつ来るのか
 風景よ
魔法の国にて (一九四一)
 魔法の国にて
試練、悪魔祓い (一九四五)
 ラザロ おまえは眠っているのか
 剣の平和
 アルファベット
 声
 ぼくは見た
 手紙
 手紙はさらに云う……
 スフィンクス
 妖怪どもにまじって
 はてしのない一本の竿を
 大空のなかへ
 階段の妖怪
 二重の頭
 二重の生
 海
妖怪変化 (一九四六)
 わが肉体のなかをめぐりながら
 乳房の海
 妖怪変化
 未完成のものたち
 空間を切り裂くマント
 天と地のあいだ
 彼が反抗に安らがんことを
 タアヴィ
メードザンたちの肖像 (一九四八)
 ことに、あらゆる雌のメードザンと同様に……
 そして、彼女を見つめているうちに……
 メードザンたちの魂のなかで
 もつれあった三十四本の槍が……
 彼らは夢を見るために……
 メードザンたちの極端な柔軟性……
 電気の痙攣的なふるえが……
 氷のなかに、彼の神経叢は……
 彼らが伸縮自在に……
 まるい尻、まるい胸、まるい頭……
 屋根の上には……
可能にするための詩 (一九四九)
 おれは艪を漕ぐ

アンリ・ミショーの詩集
アンリ・ミショーについて
 幻を見る勤勉な詩人 (J・シュペルヴィエル)
 自己との折れ合いの悪さ (マルセル・アルラン)
 人間的な奇妙さ (アンドレ・ジイド)
 あるいは非人間的? (モーリス・ブランショ)
 健全なモラル (ルネ・エチアンブル)
 自然と超自然 (アンドレ・ルーソー)
 [無題] (モーリス・サイエ)
 霊的な観光旅行(ツーリスム) (マックス・ベンゼ)
 詩人ミショーと画家ミショーとの関係 (ミシェル・タピエ)
 画家ミショーの進展 (アラン・ボスケ)
アンリ・ミショーの略年譜
訳者あとがき



ミショオ詩集 04



◆本書より◆


「おれは休むことができない」:

「おれは休むことができない。おれの人生は不眠症にかかっていて、おれは仕事もせず、眠りもせず、ひたすら目をさましている。よこに寝た肉体のうえに魂が立っているかと思えば、立っている肉体のうえに魂が寝たりするけれども、おれは一睡もせず、背骨はほの暗い灯をともしつづけ、それを消すことができない。おれをそのように眠らせてくれないのは、慎重さというものではなかろう。というのは、探し、探しあぐねているとき、まったくふいに自分の探しているものが見つかることがあるからだ。自分が探しているものが何であるかわからないためである。」


「おれは穴をあけられて生れた」より:

「恐ろしい風が吹いている。
それはおれの胸にあいた小さな穴にすぎない。
けれどもそこには恐ろしい風が吹いている。」



「つれ去っておくれ」:

「つれ去っておくれ
古いやさしいキャラベル船のなかへ
船首のなかへ お望みなら泡のなかへ
つれ去っておくれ 遠くへ 遠くへ。

昔の繋駕のなかへ
雪のようなビロードのなかへ
つながれた犬たちの吐息のなかへ
枯葉の憔忰した群のなかへ。

つれ去っておくれ ぼくを壊さずに抱擁のなかへ
盛りあがって息づく乳房のなかへ
掌の絨毯とその微笑の上へ
長い骨と関節の回廊のなかへ。

つれ去っておくれ それともむしろ埋めておくれ。」



「おとなしい男」:

「ベッドから手をのばしても壁に触れないので、プリュームは驚いた。《おや蟻どもが喰っちまったのだな……》と彼は考え、また眠った。
 すこしたつと、彼の妻が彼を叩きおこす。ご覧なさい。怠け者! あなたが眠っているうちにわたしたちの家が盗まれてしまったのよと妻はいう。実際、真新しい空が四方にひろがっている。《やれやれ! しょうがねえ》と彼は考える。
 すこしたつと、物音が聞こえた。列車がかれらのところに全速力で到着したのだ。《あんな急ぎようでは、われわれよりも先に着くだろう》と彼は考え、また眠ってしまった。
 それから、寒さを覚えて彼は目をさました。全身が血まみれだ。彼の妻の二、三の断片がすぐそばにあった。《血とともに、いつも不愉快なことが続出する。もしあの列車が通らなかったら、おれは至極しあわせだったのに。だが、列車がすでに通過したのだから……》と彼は考え、また眠ってしまった。
 「おい」と裁判官がいった「おまえの妻が傷つき、八つの断片になってみつかったのをどう釈明するのか。傍らにいたおまえがそれを防ぐためになにもせず、気がつきさえしなかったとは。これは不思議だ。事件の鍵はそこにある」
 「あの道の上では、彼女を助けることはできない」とプリュームは考え、また眠ってしまった。
 「処刑は明日だ。囚人よ、なにか言い足すことがあるか」
 「お許しください。ぼくがやったのではないのです」そういって彼はまた眠ってしまった。」



「天と地のあいだ」:

「二つの苦しみの期間のはざまで苦しまないでいるとき、ぼくはまるで生きていないかのように生きていた。ぼくは自分を、骨や筋肉や肉や器官や記憶や意志を持っている一個人と見なすよりも、生命感が稀薄で不確定であるかぎり、天と地のあいだの無限の空間に糸で吊るされ、未だ定かならず、風のまにまに漂っている極微の単細胞動物であるとすすんで見なしたい。」


『試練、悪魔祓い』「序文」:

「年ごとに継起する幾千もの事件から、ひとつの完全な調和がえられるなら、それはきわめて異常なことだといえよう。それらの事件のなかには、過ぎ去ってしまわないで人びとのなかにとどまり、人びとを傷つけるものが常にある。
 なすべきことのひとつは、「悪魔祓い」だ。
 どんな状況も隷属である。幾百という隷属である。その隷属的状況から完全な満足がえられたり、ひとりの人間が、たといどんな活動家にまれ、現実にそれらとたたかって効果をあげうるなどということは、とても考えられない。
 なすべきことのひとつは、悪魔祓いだ。
 悪魔祓い、すなわち力による反撃、鉄槌ふりかざしての反撃は、囚われ人の真の詩だ。
 苦悩と妄念そのもののなかへ、かかる昂奮とかかる尊大な暴力とをことばの槌でうちこめば、苦痛はだんだん解消して、ひとつの軽快な魔神的な球となる――これはなんというすばらしい状態だろう!
 多くの現代詩は解放のための詩であり、悪魔祓いの、それも策略による悪魔祓いの効果を持っている。適切な想像力を念入りに働かせて身を護る意識下の本性の策略、つまり「夢」による悪魔祓いの効果。最高の適応点をもとめて模索する慎重な策略、つまり「眼ざめた夢」による悪魔祓いの効果を持っている。
 単に夢とかぎらず無数の想念は、「そこから脱出するため」のものであり、まったく別ものだと信じられてきた数々の哲学大系でさえも、とりわけ悪魔祓いの効果をもっていたのだ。
 しかし、そのような解放の効果は、まったく異った性質のものである。
 そこには、悪魔祓いの、猛烈な超人間的な、あの矢のような躍動はいささかもみられない。電流のようにすばやく送りかえされてきた撃退すべきものが、魔術的にうちのめされるその瞬間に形成される、あの砲塔のごとき爆発は、そこにはいささかもみられない。
 この垂直な爆発の噴出は、実存の大いなる瞬間のひとつである。不本意ながらも不幸な隷属に甘んじている人たちに向って、悪魔祓いの演習をするよういくら忠告してもしすぎることはないだろう。だが、モーターを動かし始めることは困難である。ほとんど絶望的な思いだけが迫ってくる。
 以上のことを理解された読者は、この詩集冒頭の数篇の詩が、明らかにこれこれしかじかの憎悪によってではなく、威圧的なものから自己を解放するために書かれたものであることを納得されるであろう。
 それらにつづく大部分の作品は、いわば策略による悪魔祓いである。それらの存在理由――それは敵意ある世界がわれわれを支配する力を無力にしてしまうことにある」



ミショオ詩集 03


こちらもご参照下さい:

郡司正勝 『童子考』















































































スポンサーサイト

小海永二 訳  『アンリ・ミショー全集 Ⅰ』 (全四巻)

「一頭の豚が屠殺人を切り刻んでいた。」
(アンリ・ミショー 「奇妙な諸場面」 より)


小海永二 訳 
『アンリ・ミショー全集 Ⅰ』


青土社 
昭和62年1月20日 印刷
昭和62年1月30日 発行
931p 
菊判 丸背布装(背バクラム)上製本 貼函 
定価7,800円
装幀: 高麗隆彦
限定八〇〇部



本書「解説」より:

「本巻には、一九四九年までに刊行されたアンリ・ミショーの主要詩集と戯曲とを収め、それらを、訳出の底本として使用したテクストの発行年代順にしたがって配列した。」


小海永二個人訳『アンリ・ミショー全集』の新版(旧版は全三巻)。巻末に訳者によるミショー論集成。


ミショー全集Ⅰ 01


目次:

わが領土
 犬の生活
  犬の生活
  ぼろ屑
  おれの仕事
  単純
  迫害
  眠る
  怠惰
  コンクリートのように固くなって
  幸福
  内部の小心者
  慎重な男
  怒り
  救われない人間
  わが領土
  呪い
  またしても変らなけりゃならんのか
  寝台で
  突堤
  叫ぶ
  病人たちへの忠告
  呪われて
  魔法
  聖者
  病人の気晴らし
  意志の力
  またしても不幸な男が
  投影
  干渉
 自然科学
  動物学ノート
  パルピュ
  ダルレッツ
  昆虫類
  霊柩台
  エマングロン
  新観察記
  ユルド属
  植物学ノート
  眼
 詩篇
  小さい
  つながれた鎖
  仲間たち
  彼ら
  実際
  わたしを連れ去ってくれ
  いっそう貧血した毎日
  愛する者たち
  助言
  おれは銅鑼だ
  文学者
  死ぬほどに
  わが神
  未来
 あとがき

夜動く
 夜動く
 おれの王
 寝台の中のスポーツマン
 点、それがすべてだ
 呼吸しているうちに
 結婚式の夜
 松に関する忠告
 海に関する忠告
 オペラ座通りの自動車
 精子の天国
 湖
 風
 それぞれの小さな心配のたね
 デッサン註釈
 段階
 愚かな幸福
 平穏の方へ
 勢威失墜
 恐怖のしつこい前照燈に照らされて
 狂人たちの村
 王者の蜘蛛の生活
 エンムと彼の寄生動物
 エンムと老医者
 神人時代
 砦
 エーテル
 反対だ!
 このおれたち
 わたしが君らを見る通りに
 要求の書
 わが人生
 氷山
 平穏の方へ

プリュームという男
 プリュームという男
  I おとなしい男
  II レストランのプリューム
  III プリュームは旅行する
  IV 女王の謁見の間で
  V ブルガリア人の夜
  VI プリュームの幻像
  VII プリュームは指に痛みを覚えた
  VIII 首の引き抜き
  IX 九人の子持ち!
  X プリューム、喧嘩を売られる
  XI カサブランカのプリューム
  XII ブレン・クラブの名誉会長
  XIII 天井のプリューム
  XIV プリュームと躄人

遠き内部
 中心と不在の間で
  魔法
  頭が壁から出て来る
  わが生命止まる
  とても小さな一頭の馬
  幻覚
  錠前を食べる動物
  説教する
  帰る
  人がわたしの名前を盗みたがっている
  オートバイが地平線に帰る時
  ひとりの女がわたしに意見を求める
  自然、人間に忠実なもの
  樫
  死刑執行人
  モールの夢
  中心と不在の間で
 緩慢な女
 幻想動物
 服従しない男
 《わたしは遠い国からあなたに書く》
 詩篇
  不幸の中の休息
  わが血
  ブダペストの若い娘
  「死」への路上で
  平等な平和
  思想
  老年
  大きなヴァイオリン
  夜の中で
  ダカールからの電報
  一体お前は、お前はいつやって来るのか?
  井戸の中の石のように
  未来
 困難(一九三〇年)
  「A」の肖像
  障害物の夜
  消滅の夜
  誕生
  死の歌
  運命
  内部の生命の運動
 鎖(一幕の戯曲)
 建設者たちのドラマ(ただの一幕)
 あとがき

試練・悪魔祓い
 序文
 涯てしない声
 ラザロよ、お前は眠っているのか?
 呪われた年
 お前の弱さという隼よ、威力をふるえ!
 奇妙な均衡
 軋る音
 空虚の仮面
 剣の平和
 台地
 糸人間
 アルファベット
 わが収容所では
 声
 わたしのところにやって来た人たち
 わたしは見た
 大きな部屋の中で
 この人を見よ
 手紙
 手紙はさらに言う……
 スフィンクス
 迷路
 世界
 冷静
 年代記
 トンネルの中の歩み
 わが彫像
 おれはおれの人生の中に一本の深い運河を掘った
 わたしの死んだ後で
 怪物たちの群の中で
 怪物の脳葉
 一本の果てしない竿を
 空の真中を
 床の上に
 階段の中の怪物
 胴体人間
 二重の頭
 定まった形を持たぬ大きな手
 老いたる禿鷹
 病院にて
 彼は書く
 二重の生
 海

われら今も二人
 われら今も二人

襞の中の人生
 Ⅰ 行動の自由
  袋の催し
  満たされた欲望
  ソーセージ用穴倉
  投人器
  焼き串に
  勧められる手段、アパルトマンの雷鳴
  平手打ち用機関銃
  行動の自由
  若夫婦への忠告
  殺人による哲学
  石膏の中に
  海のように
  山への攻撃
  くたばれ成功
  なすべき行為
  助言と、助言の依頼への答え
  中央市場のそばで
  収容所の監視人
  爆弾人間
 Ⅱ 幻像たち
  刺し傷の星座
  消える鳥
  わが肉体の中を回りながら
  決して想像をするな
  波うつサーベルの襲撃
  腹部切開器
  思考結合の危険
  荷を積みすぎた馬
  ポンプの音
  乳房の海
  彫像とわたし
  後戻りすることの困難さについて
  解体工場
  自分の足に気をつけろ
  開頭手術を受けた人
  シシュフォスの仕事
  幻像
  光り輝く後光の中で
  外貌
  未完成のものたち
  行進している
  期待の中で
  眼
  奇妙な諸場面
  断層
  護送隊
  呑みこまれる王国
  切り落とされた両手
  外部の微候
  空間を押し分けて進むマント
  町の城門で
  場面
  天と地の間で
  何という工場!
  タアヴィ
  彼が反抗の中で憩わんことを
  そしてそれは常に
  節約した書き方
 Ⅲ メードザンたちの肖像
 Ⅳ 名状し難い場所
 Ⅴ ポラゴラスの老年

解説

アンリ・ミショー――人と作品
 呪われた詩人
 「文学」の外に出る詩人
 現代芸術の一方向
 アンリ・ミショーの詩画集
 アンリ・ミショーの悪魔祓い
 アンリ・ミショーの絵画
 アンリ・ミショーに会う
 あばよ、ミショー――ミショー追悼
 非日常の亀裂へ
 ミショーの遺著『山の娘』
 付記



ミショー全集Ⅰ 02



◆本書より◆


「ぼろ屑」より:

「わたしのような人間は、隠者として生きねばならぬ。その方がましなのだ。」


「怠惰」より:

「魂は、泳ぎが大好きだ。
 泳ごうとして、人はうつ伏せになって身をのばす。魂は関節から外れ、逃れ出る。魂は泳ぎながら、逃れ出る。」
「人はしばしば魂の飛行について語る。そうではないのだ。魂は泳ぎをするのだ。魂は、蛇のように、またうなぎのように泳ぐ。別なふうに泳ぐことは決してない。」
「怠惰には、傲慢にはないいくつかの根拠がある。
 けれども、人々は怠け者を執拗に攻撃する。
 彼らが寝ているあいだに、人々は彼らを襲い、頭から冷水をぶっかける。彼らは急いで自分の魂を連れ戻さなければならない。その時彼らは、人々のよく知っている、とりわけ子供たちに見受けられるあの憎悪の眼差しで、諸君を見つめる。」



「慎重な男」より:

「生きて行くには、何と大変な慎重さが要ることか!」


「わが領土」より:

「これらの領土は、わたしの唯一の領土なのだ。そこに子供の頃から住んでいる。で、わたしは言うことができる、たいていの人はこれよりましな領土を持っている、と。」
「そうして、もしもわたしがこの領土で、あく迄頑張り続けるとしても、それは馬鹿げたことではない。
 なぜなら、わたしは、この領土で生きることを余儀なくされ、この領土から何かを作り上げなければならないのだから。」

「わが領土がかつてはどんなふうだったか、わたしは正確に思い出そうとやってみる。
 それらは渦巻のようなものであり、巨大なポケット、軽やかに光り輝く袋に似ていた。その実体は、ごく稠密でありながら触知し難いものだった。」



「またしても変らなけりゃならんのか」より:

「動物にも、植物にも、鉱物にも、実に沢山の種類がある。わたしはすでに、あらゆるものに、幾度となく、なったことがある。だが、それらの経験は、わたしには何の役にも立たないのだ。三十二回もくり返しアンモニウムの水塩化物になったことがありながら、砒素のように振舞う傾向をわたしは未だに持っている。犬にも何度もなったけれども、わたしの夜鳥の流儀がいつも出てくる。」


「呪われて」より:

「わたしをこの世に送り出した連中は、その償いをするだろうと、わたしはかつて考えていた。今日まで、彼らはまだその償いをしていない。」

「九年前、母はわたしにこう言った。《あたしの気持じゃ、お前は生まれなかった方がよかったのさ》と。」



「魔法」より:

「各人がそれぞれ自分の方法を持たなければならない。」


「聖者」より:

「なるほど確かに、生きる可能性はわたしにもあったろう!」


「昆虫類」より:

「さらに西の方へと遠く進むと、わたしは見た、鬼目鑢(やすり)に似た巨大な眼と、炭鉱夫用ランプのように金網を張った胴体とを持つ、九つの体節から成る昆虫を。他のある昆虫は、さわさわと音立てる触角を持っていた。こっちにいる昆虫は、留金の方にずっとよく似た二十対ほどの脚を持っており、黒い漆と螺鈿とでできたあっちにいる昆虫は、貝殻のような脚の下で、カリカリと音立てて何かを食べていた。まためくらぐものように長い脚の上に乗った背の高い昆虫は、白子の二十日鼠の眼のように赤くて幹の上によじ登った本当のおこり火といった恰好の、ピンのような小さな眼を持っており、言語に絶する恐怖の表情を示していた。また、象牙の頭を持った昆虫は、人に突然兄弟のような親愛感を、非常に身近な感じを抱かせる、驚くべき禿頭ぶりを見せ、空中にジグザグを描く押し棒のようにその脚を前方へ突き出していた。
 最後に、頭のあちこちに毛の生えた、透明な昆虫がいた。その昆虫は、クリスタル・ガラスのように見え、幾千となく進んでいたが、それは光と太陽の陳列といった感じで、それが通りすぎた後では、いっさいのものが灰か、真黒な夜の産物であるかのように、見えてしまうのであった。」



「小さい」より:

「諸君がぼくを見ることになる時、
ほんとに、
それはぼくじゃない。

砂粒の中、
穀物の粒の中、
空気の眼に見えない粉末の中、
血のように自らを養う大いなる空虚の中、
ぼくが生きているのはそこなのだ。」



「つながれた鎖」より:

「一言で言えば廃墟、廃墟。」


「わたしを連れ去ってくれ」より:

「わたしを連れ去ってくれ、さもなくばむしろ、わたしを埋めてしまってくれ。」


「おれは銅鑼だ」より:

「おれの中には一つの憎しみがある、激しい 古い日付の憎しみが、」


『わが領土』「あとがき」より:

「多分、健康法として、わたしは『わが領土』を書いたのだ、自分の健康のために。」
「さて、全くエゴイズムに由来するように見えるこの書物、この実験を、わたしは、社会的なものだとまで極言しよう。それほどに、そこには、すべての人々が享受でき、弱者、病人、病身の者、子供、あらゆる種類の被抑圧者と適応不能者たちにとって、極めて有益であるに違いないと思われる一つの働きが、存在している。
 これらの不本意な、不断の、苦悩に満ちた想像世界を、わたしはそんなふうにして、少なくとも彼らにとって有益だったということにしたいのだ。
 誰でも『わが領土』を書くことができる。」



「寝台の中のスポーツマン」より:

「甲虫の巨大な鞘翅(さやばね)と、キラキラ輝く緑色の交叉した何本かの巨大な昆虫の脚とが、わたしの部屋の壁の上に現われた、何とも奇妙な具足のようだ。
 それらキラキラ光る緑色、体節、切れ端、そして様々の手や足は、肉体の形のようにつながっていなかった。それらは、数に敗れた一匹の高貴な昆虫の、尊敬される遺体のように、そこに残った。」



「平穏の方へ」より:

「この世界を受け入れない者はこの世界に家を建てない。」

「彼は渇いてないのに水を飲む、彼は岩の中にもぐりこむ 気絶もせずに。
荷馬車の下で、脚を折っても、彼はいつもの態度を保ち、平和について考える、平和について、ひどく手に入れにくい、ひどく保ちにくい平和について、平和について。」

「このように他人(ひと)から離れて、集合地ではいつもただひとり、(中略)彼は、心に釣針を呑んで、平和について考える、刺すような呪われた平和、彼の平和について、そしてまたその平和の上にあると人の言う平和について。」



「おとなしい男」:

「両手を寝台(ベッド)の外にのばして、プリュームは壁に触れないのに驚いた。《おやおや》と彼は思った、《蟻めが壁を食べてしまったんだな……》そして彼はまた眠ってしまった。
 程なく、妻が彼をひっつかんで揺り起こす。《見てごらん》と彼女は言う、《怠け者! あんたが眠り呆けている間に、誰かに家を盗まれたんだよ。》本当に、見渡すかぎり、きれいな空が拡がっていた。《まあいいさ! 出来ちまったことは仕方がない。》と彼は思った。
 程なく、物音が聞こえた。列車だった。全速力で彼らの方に向かってくる。《あの急ぎの様子では》と彼は思った、《きっとわれわれより先に着くだろう。》そしてまた眠ってしまった。
 次には、冷たいものを感じて眼がさめた。身体中が血でぐっしょりと濡れていた。妻の身体の切れはしが、いくつか傍に転がっていた。《血を見ると》と彼は思った。《いつもひどく嫌な気分になるもんだ。もしあの列車が通らなかったら、わたしはとても幸せだったのに。だが、列車はもう行ってしまったんだから……》そしてまた眠ってしまった。
 ――さあ、と裁判官が言っていた、お前はどう説明するんだね。お前の妻は八つの切れはしにちぎれて見つかった。妻がこんなにひどく傷つけられたのに、お前は傍にいながら妻を守るため指一本動かすことができなかった。気がつきさえもしなかった。ふしぎなことだ。事件の鍵はそこにある。
 ――この件に関しては、わたしは何も手助けできない。とプリュームは思った。そしてまた眠ってしまった。
 ――死刑は明日執行だ。被告人よ、まだ何か言っておきたいことはないかね?
 ――申しわけありませんが、と彼は言う、わたしには事の次第がよくのみこめないんです。そう言うと、彼はまた眠りに戻ってしまった。」



「ブルガリア人の夜」より:

「死人と一緒に旅するのなど、いつだって好ましいものではない。とりわけ、それがピストルの弾丸の犠牲者だった場合には。というのは、流れ出た血が、死人の顔をひどい悪相に変えてしまうものだから。」


「天井のプリューム」より:

「ある時、ついぼんやりしていて、愚かにもプリュームは天井に足を降ろした、地面に足をつけておかずに。
 ああ、彼がそれに気づいた時には、もう手おくれだった。」



「幻想動物」より:

「幻想動物たちは、苦悩と強迫観念とから簡単に出現し、外へ向かって部屋の壁の上へと投げ出されるが、そこでは、彼らを創り出した者の他は、誰も彼らに気づかない。
 病気は、比類を絶した動物たちを根気よく発明しては、送り出す。」



「服従しない男」より:

「けれども彼は自問する、どうすればあの失われた楽園に戻ることができるだろうかと。(それが時として地獄であろうと構いはしない)。」

「彼にはどんな手段でもよい。阿片は必要でない。向う側で生きようとして選ぶ者にとっては、すべてのものが薬物なのだ。」



「「A」の肖像」より:

「他人は間違っている。それは確かだ。だが、彼は、彼はいかに生きるべきなのか?」

「全体として見れば、書物が彼の体験だった。」



「メードザンたちの肖像」より:

「呼び鈴に揺すぶられ、打たれ、また打たれ、呼ばれ、また呼ばれる間じゅう、彼は、日曜日に、まだ一度もやってきたことのない真の日曜日に、あこがれる。」


小海永二「非日常の亀裂へ」より:

「ミショー自身も語っている。
 〈わたしは自分に言い続けてきた、多分わたしは、人の言うところの落伍者なのだと。だが、やはり、どんなにつまらぬことであっても、もっと才能ある人たちが気づくことのできないことがあり、それについて語るのがわたしの役目なのである。そしてそのあることは、少しばかりわたしと同じように作られたある人たちの心を動かし、その人たちを助けることさえできるだろう。(他の人たちはどうでもいい。その人たちは、わたしの書くものなど読んでくれなければいいんだ!)〉(「ロベール・ブレションとの対話」)。」




こちらもご参照下さい:

郡司正勝 『童子考』





















































































































小海永二 訳  『アンリ・ミショー全集 Ⅱ』 (全四巻)

「われわれはまた、人間狩りにも出かけて行った。人間、この退化した種族!」
(アンリ・ミショー 「昆虫の国での数日間のわが生活」 より)


小海永二 訳 
『アンリ・ミショー全集 Ⅱ』


青土社 
昭和61年12月10日 印刷
昭和61年12月20日 発行
1013p 
菊判 丸背布装(背バクラム)上製本 貼函 
定価7,800円
装幀: 高麗隆彦
限定八〇〇部



本書「解説」より:

「本巻には、アンリ・ミショー後半生の主要な詩集および詩的エッセー集(一九五四~一九八五)を収め、それらを刊行年順に配列した。」


小海永二個人訳『アンリ・ミショー全集』の新版(旧版は全三巻)。


ミショー全集Ⅱ


目次:

閂に向きあって
 I ムーヴマン
 II 力のための詩 
  おれは漕ぐ
  海と砂漠を横切って
  行動するのだ、わたしは来る
 III 知識の薄片
 IV 政治情勢の秘密
 V 見知らぬ人が語る
 VI 昆虫の国での数日間のわが生活
 VII 未知の人からの便り
 VIII 個人的なこと
 IX 雑報記事
 X ……だろう
 XI 亡霊たちの空間
 XII ある領地の最期
  アニマアルアの別れ
  ある領地の最期
  明日はまだ来ない……
  事故の後で
  彼女はこのような女なのだ
  いつももがいて
  死んだモロン女
  不可能な帰国
  若い女魔術師の破壊力のある輪の中で

夢の見方・眼覚め方
 I
 夢のカーテン
 夜の気質
 いくつかの夢 いくつかの備考
  I 水面下の歩行
  II オペラ座のそばの湖
  III ユグルタの新たな戦争
  IV シナでの試験
  V 檻の中のライオン
  VI 眠る大豹
  VII ヴェニスの溺死者
  VIII 部屋の中の山
 変形
  (a) 落ちた歯
  (b) 飛翔
  (c) 二度目の飛翔
  (d) 相変らず同じ計画
  (e) 犯罪?(犯罪の、また有罪性の、観念の形成)
  (f) 刺されるのを避けなければならない蜜蜂たち
  (g) 拡がってゆく居住区域
  (h) 裏切り(裏切りの夢の原因の一つ)
  (i) 満員のバスの中で
  (j) 獄中で
 考察
 II
 眼覚めて見る夢

様々の瞬間
 I The thin man (痩せた人間)(マッタの版画の上に投げた視線)
 II 解放された直線たち(マッタの版画の上に投げた視線)
 III 永遠としての影
 IV 線たち
 V 出現と消滅
 VI イニジ
 VII 完全性に向かって(差押えと剥奪)
 VIII 様々の場所、様々の瞬間、「時間」の横断
 IX 日、日々、日々の終わり(パウル・ツェランの最期に関する瞑想)
 X ヤントラ

逃れゆくものに向きあって
 折れた腕
 幻像たちとの関係
 反響の変化する水の中で
 熟視の到来
 アリカンテへの到着
 死なんとしている者

角の杭
 角の杭

求められた道・失われた道・違反
 I 気のふれた人たち
 II 打ち返し
 III 人間への旅の途中で
 IV ブルンジの猿少年
 V 先にやって来た女の使者
 VI 屋根が落ちる時
 VII 沈黙の日々
  上の空で叩かれて、リズムたちが
  地滑り
  沈黙の日々
  波
  意識
  超脱
  屍体発掘
  解放されて
  清澄なもの
  現実的なものがその信頼性を失った時
  ただ一隻の船がすべてのものに答えるだろう
 VIII 選ばれた手

移動と除去
 闇の中から出てくる群衆
 人を寄せつけない旅
 混乱した音楽
 頭をどこに置こう?
  怠惰
  人の飛ぶ平原
  上半身状態
  頭をどこに置こう?
  書き取り
  (襞もなく……)
  (遠くから……)
  (あらゆる方角に……)
  (何年かが……)
  (生まれるのに……)
  (彼らは比較する……)
  舳の上に
 子供たちの試み・子供たちのデッサン
 不意に
 熱狂的な庭
 姿勢
  特権的な姿勢
  姿勢Ⅱ
  姿勢Ⅲ
  姿勢Ⅳ

解説




◆本書より◆


「知識の薄片」より:

「わたしは、《自分は何よりも冬籠りをしたい》と言う生者だった。」

「八歳の時、わたしはまだ植物として認められることを夢見ていた。」



「昆虫の国での数日間のわが生活」より:

「われわれはまた、人間狩りにも出かけて行った。人間、この退化した種族!
 ぼくは、四枚羽の一匹の空飛ぶ毛虫の前胸部にまたがり、連中は、空を飛びながら、人間どもの頭をもぎ取ってみせるのだった、人間どもが、彼ら自身のものである、偽善の匂いのするあの歩き方、辛抱強く規則正しいあの滑稽な歩き方で、歩いている時に。」



「亡霊たちの空間」より:

「……地上よりもずっとひどく、ここでは、弱者たちが苦しんでいます……

 彼らが恐怖心を持つのはどんなに当然のことだったでしょう、その恐怖は不合理で根拠のないもののように見え、人々はその恐怖について彼らに尋ね、彼らを分析し、まるでその恐怖の起源が、原因が、核心が、「過去」の中に、子供時代のみじめな思い出の痙攣的な巣の中にあるかのように、彼らに他のいくつかの恐怖の中を通り抜けさせはしたのですけれど、実は、その恐怖の核心は、「未来」の中に、遠い未来の中にあって、正しい洞察力が彼らにそれを予感させていたのであり、それは、要するに最後のとっておきのものとして彼らを待っている恐ろしいもの、何とも言いようのない不快なものであったのです!」



「事故の後で」より:

「夜の問題はまだ手つかずのままだ。夜の中をどのように通り抜ければよいのだろう、毎回、夜の中をそっくり全部通り抜けるのには?」
「あらゆるものから遠く、見えるものは何もない、けれどもフィルターを通してざわめきのようなものが……」



「夜の気質」より:

「部屋のイメージは、引退者、秘め事、避難所、研究と瞑想の場所などをより良いものと感じる人間、《孤独な》という言葉の方が《相互の》という言葉よりも、また《家族の》という言葉よりもずっと多くを語っていると考える人間、内部の改造ということが何事かを語りかけ、外的な野心などは大して重要でないとする人間、そのような人間の中に示される。そのことは、直接的なコミュニケーションの方を特に向いてはいない人物、ちょっとでも外出するや否や、すべての仲間づき合いから(たとえそれが最良のものであっても)離れておのれを取戻し、立ち直ることが必要な、特に開かれた場所や集会やグループによる宣言などの外にいることが必要な人物に、あてはまる。
 従って、わたしはそこに、一種の有罪性を、《閉じこもってひとりで》生きることが心貧しく不完全なことであるかのようにわたしに示すために作られた一種のしるし(シーニュ)を、見るどころか、むしろわたしは、わたしがそこで安心していると主張する人間の言うことを信じるだろう。」

「多分、夜の暗黒の中で、わたしを腐らせた一日の後で、それは《安心していい、お前にはまだ一つの部屋があるんだ》と言っているのだ。」



「折れた腕」より:

「忘れてはならなかった。愚かにもそれを訓練して、第二の右腕にしようと試みることもまた、してはいけないことだった。特に、左手を右手の模造品にすることは。」
「わたしは左手の右手との違いを維持することを熱望していた。その個性をもっと十分に発揮させ、確立させなければならなかった。左手のダンス。左手のパントマイム。左手の様式(スタイル)。何と楽しいことだろう! 左手が自己表現をできるように、自分自身であるように、純粋の左、もっぱら《左》であるように、してやることは、何という勝利だろう。

 たとえ左手が今はまだどんなに能力に乏しくとも、それの進歩は無価値なことではなかった。だが、それをひとりの名人に仕上げることが問題になっていたわけではなかった。

 左手の役割は別なのだ。もしも左手が輝かしいものになれば、それは自らの存在(エートル)を失うだろう、そしてその存在(エートル)の方がずっと重要なのであり、左手はその存在(エートル)によってひそかにわたしと関係づけられているのである。わたしは確かに左手の存在(エートル)を必要としている。あまりにも活動的で、あまりにも有能な右手には(そしてその右手に関わる脳髄の地帯(ゾーン)には)感じ取れない現実の特殊な局面とも調和してゆくために、誰でも左手の存在(エートル)が必要なのである。

 人間は多分、目立たず、活動的でなく、ある不思議なやり方で控え目に感じ取り、遠くにいて、積極的に加わろうとせず、植物的なものやひそかなものや裏側やの近くにいようとする左手の性向を、必要としているのである。

 全く関心を持たず、干渉せず、深く入りこんでゆくもの。神秘的なものへの準備。潜在意識の中への滑りゆく下降。

 多分、左手は、あまりにも存在しすぎあまりにも直接的であまりにも力に味方しすぎる右手の、その効果を弱めるのを助け、また、征服と干渉と野心という価値への要求と夢想とを、収縮させるのに協力しているに違いない。」

「左側の諸性向は重要である。(中略)左側に忠実なままでいなければならない。」



「反響の変化する水の中で」より:

「アフリカに、人々が小屋の中で、あるいは小屋の外ででも誰にも迷惑をかけず誰の心をも捕えることなく、自分ひとりのためだけに演奏する、やっと聞こえるか聞こえないかぐらいの、ある楽器が存在する。村の鍛冶屋の手で、見たところ無造作に、思いのままに作られた、初歩的で古風なサンザス(それがこの楽器の名前だ)、他のものと同じものは一つとしてないこの楽器は、どんなメロディーでも多かれ少なかれ長く続くものには適せず、どんな音階にも支配されない。
 アナーキーな、つぶやきの音楽。競争用の音楽や構成された音楽とは正反対の音楽。夢見るようにうっとりと、世界中のすべての騒がしさから自分の気を静めるための、楽器。
 個人で聞く楽器。その楽器ならわたしの気に入るに違いなかった……」



「子供たちの試み・子供たちのデッサン」より:

「あらゆる種類の子供たちの中で、最も開かれ方の少ない子供たちがいる、そしてまさに彼らのデッサンは――運命の皮肉――他の子供たちの場合よりもずっと、彼らのかくされた内部を明らかにするだろう。」

「拒否。参加への、食べることへの、話すことへの、歩行への、遊びに対してすら、それへのノン。
 人々が思っているよりも強く、子供は、立ち止まりたいという気持ちを、人々が彼を導く発展への道の上に、果てしない努力へ、常により複雑な修業へと、連れて行かれるままにはもうなりたくないという気持ちを、知っている。彼は続けるのだろうか? それとも立ち止まろうとしているのだろうか?

 彼らが何の事件も起らない世界の中にいた時から、ほんの数十か月しか経っていない。そこでは、何の問題もなく、探求も、努力も不要だった。食べるために咀嚼用の筋肉を動かす必要もなかった。今では、昇り、降り、跳び、ふり返るために、あれこれのために、またぐために、運動の不断の調整を学ばなければならず、それを常にくり返し、完全なものにして行かなければならない。
 前には、何もせずとも、彼は常に、母なる島に、泉に、普遍的なものに、達していた。

 嫌悪。反発。肉体の何らかの漠然とした欠陥が、彼を当惑させ、彼をつかまえる。彼にはいくつかの故障がある。彼はそれらをさらにつけ加える。彼はそれらを選択する。拒否。抵抗。無言。」

「黙って彼は大人たちに、また彼と同年齢の屈服した少年たちと少女たちに、別れを告げた。
 彼にはもう仲間はいない、仲間たちは《成人社会に》加入するために行ってしまった。
 出発点への帰還、袋小路になった隠れ家。それは苦行でもある。それをそのように呼ぶことができる。ひとりの子供の不幸な苦行。そしてそれは何と長く続くのだろう! それが彼を今閉じこめられた状態にしている。」

「しかしながら、脳の活動はその全体が動かぬままでいることはできないので、こっそりと局部的な過剰活動に熱中した知恵おくれの子供が、ある日、誰もが驚くことに、中世の、あるいはプトレマイオス王朝期のエジプトの、ある一日から今日までに経過した時間のある巨大な数値を、求めに応じて、驚くべき早さで心の中で計算することのできる、並外れた計算家であることを、示してみせたりすることがある。彼は、全く別の空しい算術的壮挙にも成功する。
 全体的な無関心状態(アパシー)の下に、一つの局部的な動員がかくされていたのである。それは、沈黙のうちに維持され、発展し、彼が長い夜を過ごすのを助けていたのだった。
 孤立した、不十分な技量、だが、他の人々がそれに気づいた時、それでもやはり一つの旗が、彼の旗が、そこに、高くかかげられていたのである。」








































































































小海永二 訳  『アンリ・ミショー全集 Ⅲ』 (全四巻)

「わたしはよりしばしば不幸について語るけれども、また沢山のささやかな楽しみをも持っている。」
(アンリ・ミショー 「エクアドル」 より)


小海永二 訳 
『アンリ・ミショー全集 Ⅲ』


青土社 
昭和62年2月20日 印刷
昭和62年2月25日 発行
852p 
菊判 丸背布装(背バクラム)上製本 貼函 
定価7,800円
装幀: 高麗隆彦
限定八〇〇部



本書「解説」より:

「本巻には、アンリ・ミショーの二冊の紀行とそれらに対応・関連する架空旅行記の三部作、および二冊の芸術論集を収め、それらを発行年代順に従って配列した。」


小海永二個人訳『アンリ・ミショー全集』の新版(旧版は全三巻)。
二冊の紀行(「エクアドル」「アジアにおける一野蛮人」)のみ本文二段組です。


ミショー全集Ⅲ


目次:

エクアドル――旅行日誌
 序文
 キートへの到着
 アンデス山脈
 あるインディアンの町の蜃気楼
 大きさの危機
 パシフィコ・チリボガの館と公園
 ガダルペの農場への到着
 ガダルペの農場への帰還
 キートへの帰還
 アメリカ女性へのセレナーデ
 ある鳥の死
 おれは生まれた、穴あけられて
 嘔吐 あるいはやってくるのは死か?
 サン・パブロの湖
 ある馬の死
 太平洋岸まで拡がる熱帯樹林がそこから始まる
 四五三六メートルのアタカッチョ山の火口の中で
 プエンボにて
 思い出
 アマゾン河畔の港、ペルーのイキトス
 アマゾン河は二十世紀以前には見られるに値しなかった
 いくつかの思い出への序文
 アンデス山脈中のインディアンの小屋
 入墨
 丸木舟
 アンデス山脈
 歓待

アジアにおける一野蛮人
 序文
 新版序文
 インドにおける一野蛮人
 ヒマラヤ鉄道
 南部インド
 セイロンにおける一野蛮人
 博物誌
 シナにおける一野蛮人
 日本における一野蛮人
 マレー人の国に来た一野蛮人
 おわりに

グランド・ガラバーニュの旅
 アク族の国にて
 エマングロン族
 アラヴィの部族
 オモビュル族
 エパリュ族
 オルビュ族
 ランジュディーンにて
 オマンヴュ族
 エコラヴェット
 ロコディ族とニジュデ族
 アルナディ族
 ガリナヴェ族
 ボルデット族
 ミルン族
 マザニット族とユラビュール族
 オソペ族
 ボーラール族
 パラン族
 ヴィブル族
 マスタダール族
 アルペードル族
 カラキエ族
 ガベードル
 ナン族
 アスーリン半島にて
 グーラール族
 エカリット族
 エトルディ族
 ウールグーイーユ族
 アララ族
 コルドーブ族
 ゴール族
 ミュルヌ族とエグランブ族
 ノネ族とオリアベール族
 イヴィニジキ族
 グランド・ガラバーニュの皇帝、ドヴォーボ

魔法の国にて

ここ、ポドマ
 ポドマ=アマ
 ポドマ=ナラ

パッサージュ――芸術論集
 抜け道の思想
 自然
 子供たち
 若い娘らの顔たち
 詩人たちは旅をする
 空間との闘い
 首尾よく眼覚める
 描く
 絵画現象について考えながら
 読み方
 第一印象
 観察
 呪いに関するノート
 右に左に
 線の冒険
 音楽と呼ばれるある現象
 時間の経過を描く
 力
 わたしは出現する
 行為の代りのノート
 燭台…
 ライン河の妖精たち

謎の絵画から夢見ながら
 謎の絵画から夢見ながら

解説




◆本書より◆


「エクアドル――旅行日誌」より:

「低く、低声(こごえ)で、わたしは今日、自分に向かって言ったのだった、《お前が見たものを、お前はさらに色彩でも描くことができるだろう》と。
 だが、わたしの自我(モワ)は望まなかった、そしてカンバスの上には、わたしの忠実な怨霊と幻像(ファントーム)とが現われた、どこにも存在せず、エクアドルのことなど何も知らず、人にされるままになることのない彼らがだ。
 さあどうだ、まだ全部が負けてしまったわけではなかった。」

「周知の愚か者とされる人々についても同様に、わたしは彼らを愚か者と判断しないように十分に気をつける。
 博識の人々、学者らは、受け入れることをした人々であって、愚か者とか無知文盲の人々というのは、受け入れることをしなかった人々なのである。
 宗教だけではなく、すべての科学がパスカルの賭の対象なのである。」
「わたしは、中学校での勉強の中で、しばしば気づいた、《愚かな》生徒たちが、提示された理論の危っかしいところや純理的なところやその要点などで極めて確実につまずくことに。
 彼らはその点について先生に質問を出し、先生は彼らに問題をくり返し説明した。けれども彼らは、低俗な優等生たちの冷笑や嘲笑を浴びながら、夢想家のままにとどまっていた。
 後になってからわたしは、後継者の学者たちによって引っくり返されたそれらの理論が、まさしくあの十五歳の愚か者の見抜いたその箇処で引っくり返されたのであることに気づいた。
 学級(クラス)の劣等生たちには、ただ別の文化が、ある天才的な文化が、必要なだけなのだろう。
 彼らのうちの多くは、彼らが人生を最も単純なものによって、最も根底的なもの、また最も確実なものによって理解したように、そんなふうに作られていたのである。」

「狂人たちを信用することはほとんど一つの知的伝統なのである。だが、わたしは特に、愚かな者たちが持つ多くの富のことを考える。」

「互いに愛し合えというこの言葉も、もしも人間同士の間だけのことならば、何と偏狭なことだろう。わたしがかつて知りたいと望んだように、犬に話しかけて、彼の考えていることの一切を、また様々の印象を、ちょっとたずねてみるなんて、何とすばらしいことだろう、そしてもしもその犬が、われわれに彼の腸の中に出来るものについて語りでもしたら、あらゆることがわれわれの興味を引くことだろう。」

「人間は、裏切者の友達であることができる!
 そのこと、それがわたしの鍵なのだ、裏切者というのが! 諸君は今、裏切者を持っているのだ。」

「人は結局、どんなつづれ織りの壁掛でもいい、四十八時間見つめ続けることで、おのれの真実を見つけることができるだろう。」

「真暗な中で、われわれはほとんど無防備の状態だ。われわれは王蛇(ボア)の危険にさらされていた。ボアは水の上に立ち上り、パマカリのトンネルの中にはいってきて(その中でわれわれは、ぎっしりと積み重ねられて石のように固い米袋の上で眠ろうと努めていた)、ボアははいってきて、餌をつかまえ、転がして、いっしょに水の中へと戻っていく。」
「さらにはまた、山猫(ティグリリヨ)や虎や蛇や、特にチュチュピまむしなどのうようよしている森の中に、投げ出される危険にもさらされていた。このチュチュピまむしは夜しか出てこないのだが、最も恐ろしい奴で、腕のように太く、雌鶏のようにくゎっくゎっと鳴き、昼間は自分のために作った穴の中にもぐりこんでいるのだが、夜明けまでに自分の穴を作る暇がなかったりすると、その時は翌日もそこにとどまり、そこで、とぐろを幾重にも巻き重ねて、眠っている。われわれはまたさらに、最も有毒の生物である、薄皮の昆虫、チュチョラ・マチャクの危険にもさらされていた。この昆虫は河馬の頭部のような形をしており――それは身の毛がよだつようだ――、(そして黒い無表情な小さな眼は完全に後方についているので)半ば盲目であって、刃針(ランセット)を前方に飛ばし、それを底まで打ちこんで、手ごたえのある場所に来ると、そこに刃針をさしこみ、何人をも容赦しない毒液を注入するのだ。」

「わたしはうまく自分の意見をのべることがなかなかできない。わたしはよりしばしば不幸について語るけれども、また沢山のささやかな楽しみをも持っている。」

「子供が知る必要のあること、それは一般に人は節度をもってすれば成功することができるとか、あるいは適度にやればとか、勇気をもってすればとか、ということではない。それは、何が彼にとって適切か、ということだ。(中略)そんなわけで今度の旅行に関しても、わたしに与えられた忠告は数知れず、そしてそれらは互いに矛盾し合っていた。だが今ではわたしは、わたしにとって何が適切かということを知っている。わたしはそれを言わないだろう、だがわたしはそれを知っている。」

「一つのものが欠けているということは、必然的に、他のあるものを持っているということなのだ。」

「単調さの中には、十分に真価の認められていない美徳がある。一つのことの繰り返しは、物事のどのような変化にも相当する。それは、非常に特殊な、そして恐らく、言葉ではなかなか説明できず目で見ても理解することのできないものから来る、ある偉大さを持っている。」



「アジアにおける一野蛮人」より:

「また戦争が起こるのだろうか? 自分の姿を見つめるのだ、ヨーロッパ人たちよ、自分の姿を見つめるがいい。
 君たちの表情の中には、おだやかなものが何もない。
 そこではすべてが戦いであり、欲望であり、貪欲さだ。
 平和でさえも、君たちは荒々しく欲している。」

「世界中いたるところで、匈奴とか、タタール人とか、蒙古人とか、ノルマン、とかの様々な人種の侵入がさかんに行なわれ、また、新石器時代の宗教とか、トーテム信仰とか、太陽信仰とか、アニミズムとか、シュメールの宗教とか、アッシリアの宗教とか、ドルイド教とか、ローマの宗教とか、回教とか、仏教とか、景教とか、キリスト教とか、様々の宗教の流入がひんぱんに行なわれてきたので、誰ひとり純粋な人間などはおらず、誰もが言語に尽くし難いほどの、もつれにもつれた雑種人間なのである。
 そうしたわけだから、人がおのれの内部に引きこもる時、(中略)人はようやく、一つの平和へと、それもまた《超自然的なもの》ではないかどうかと自らに問いうるほどに前代未聞の一局面へと、到達することができるのである。」

「文明とは何だろうか。それは一つの袋小路だ。」
「民族は歴史を持っていることを恥じなければならないだろう。」

「さて、「仏陀」は彼の弟子たちにこう言った、まさに死のうという時に。
《これからは、お前たちが、お前たち自身の光に、お前たち自身の避難所になりなさい。
他の避難所を求めてはいけない。
お前たち自身の傍ら以外に、避難所を求めに行ってはいけない。》
………………………………
《他人の物の考え方を気にしてはいけない。
お前たち自身の島の中に居なさい。
瞑想の中にとっぷり浸(つ)かって》。」



「グランド・ガラバーニュの旅」より:

「要するに、エマングロン人はヨッフェ族の一員だ。エマングロン人たちがヨッフェ族の間にまじっている時は、オーケーなのだ。けれども、他の人種の間にいると、彼らに欠けているもののすべてが一目瞭然になる。そして、彼らには非常に多くのものが欠けている。
 その時、人々は、彼らが様々の文明に対して、あるいはもしそう言いうるとするならば、他の諸民族の影響に対して、ユニークなやり方で抵抗することができたということが、どんなに驚くべきことであったかを考える。
 それは、多くのささやかな天然物と同様に、彼らが彼らの弱さそのものによって、そのささやかな習慣や奇癖に、忠実であるという以上に執着を持っているからなのである。」



「魔法の国にて」より:

「夕暮、しばしば、野に火が見える。それらの火は、火ではないのだ。少しも燃えてはいないのだ。辛うじて、そしてやはりそれは恐ろしく燃えている火の一つであるには違いないのだが、その中心を通過するか細い蜘蛛の糸が、辛うじて燃えきれるくらいのものなのだ。
 実際、それらの火には熱がない。
 だが、それらの火は、自然の中には匹敵するもののない輝きを持っている。(中略)
 これらの大火は、人を魅惑し、恐れさせるが、にも拘らず何の危険もない。そして火は、現われた時と同じく、突然、燃えるのを止める。」

「「魔法使いたち」は暗がりを好む。初心者には暗がりが絶対に必要だ。彼らは、長持の中、衣裳戸棚の中、下着用箪笥の中、金庫の中、地下室の中、屋根裏部屋の中、階段の取付け部屋の中で、言ってみれば、骨(こつ)をおぼえる。
 わたしの家では、何か異様なものが押入れから出て来ない日は、一日としてなかった。ひき蛙であったり、鼠であったりした。だが、自分の不器用さに気がついて、逃げ出すこともできずにその場で消えてしまうのだった。」

「突然、人は自分が何かに触られたのを感じる。けれども、自分のそばにはっきりと目に見えるものは何もない、とりわけそれが、もう完全に明るい昼間ではなく、午後も終りの頃合だとすると(それが彼らの出て来る時刻だ)。
 何となく気分が悪い。扉と窓を閉めに行く。その時、水の中にいながら同時に水でできているくらげのように、確かに空気中にいながら透明で、重い、弾力のある、ある生き物が、人の押すのに逆っている窓を通り抜けようと、試みているように思われる。空気のくらげが入って来た!
 彼は無論、事態を理解しようと試みる。だが、耐え難い感動が恐ろしいほどに増大し、彼は《ミャー!》と叫びながら外へ出て、走りながら通りに身を投げる。」



「ここ、ポドマ」より:

「アリドマには、他に類のない長所として、質素ではあるが音楽を奏でるすばらしい家々の、与えてくれる慰安がある。
 それぞれの家は、一種の容器のような深くて狭い岩穴の中に設けられている。一日が終ると、彼らは、計算された場所にそのための穴を開(あ)けられている天井の真中から、一滴また一滴と、続けてさらに次の一滴をというように、水滴を際限なく落下させるのだ、天井の穴を除けば完全に密封されている、独立した小さな部屋の中に。
 このようにして落ちる水滴は、空気の圧縮や他の何らかの原因によって、清澄な天上の音楽を作り出す。
 この魅惑的なフリュートは――わたしはその閉ざされた部屋のことを、また隣りの部屋のことを、またさらに抑制された不思議な振動音のはいりこむその家全体のことを言っているのだが――、人の心を揺り動かし、彼を音の酩酊の中にたっぷりつからせて、漂流させる。
 この絶え間ない、だが高低のないわけではない音は、(強弱については)葦の間を吹く風の忍び音に似た囁きから、半ば海中にある洞窟の中に突然入りこみそこに不規則にぶつかる、水撃作用による波の恐ろしい唸りにまで及び、そして、極小のあるいは巨大な、だが常に天上の清澄な音楽を奏でるこの音の塊り、この喜びに輝くただ一つの音の中で――だが人々は、千の音を聞いていると信じている――、家中が眠りにつくのである。
 この音楽がアリドマ人たちにとっていかなるものであるかについては、言葉では言い尽くせない。彼らはこの音楽を薬として飲む。それは彼らの父であり母であり、彼らのゆりかごなのである。」



「抜け道の思想」より:

「鼠は日の照りつける中に二時間もいると衰弱してしまう。太陽癌にかかろうとしているのだ。それを見た後では、鼠が光線よりも自分を元気づける庇の影の方を好むのを、誰が許さずにいるだろうか。


「子供たち」より:

「大人よりもずっと大人である子供。」

「まだ知らないことばかりで満たされた、広がりと沙漠とで満たされた、無知で大きくふくらんだ、流れる大河のような、極めて特殊な、子供時代の視線(大人は、物のありかをつきとめようとして広がりを売ってしまった)、また何かに結びつけられていない視線、目の前から逃れゆくすべてのもので濃密な、まだ判読されていないものをたっぷり詰めこまれた視線。異邦人の視線、というのは、子供は異邦人として自分の肉体の仲に到着するからだ。」
「そして子供はまた、われわれの文明の中にも、地上にも、異邦人として到着する。」

「成人――完成された――死。これらはある同じ状態の異なる色合い(ニュアンス)にすぎない。」










































































小海永二 訳 『アンリ・ミショー全集 Ⅳ』 (全四巻)

「さらば(アデュー)、人間たちよ」
(アンリ・ミショー 「深淵による認識」 より)


小海永二 訳 
『アンリ・ミショー全集 Ⅳ』


青土社 
昭和62年3月20日 印刷
昭和62年3月25日 発行
803p 
菊判 丸背布装(背バクラム)上製本 貼函 
定価7,800円
装幀: 高麗隆彦
限定八〇〇部



本書「解説」より:

「本巻には、アンリ・ミショーによるメスカリンの記録四冊を合わせて収め、それらを刊行の年代順に従って配列した。」


小海永二個人訳『アンリ・ミショー全集』の新版(旧版は全三巻)。
「全集」とはいうものの、本来なら本書に収められていてしかるべき『精神の大試煉』(小海氏の表記だと『精神の大いなる試練』)が、大人の事情で翻訳収録されなかったのはたいへん残念です。

本文中図版(モノクロ)61頁。


ミショー全集Ⅳ


目次:

みじめな奇蹟
 Ⅰ 序文
 Ⅱ メスカリンとともに
 Ⅲ メスカリンの諸特徴
 Ⅳ インド大麻
 Ⅴ 精神錯乱の実験
 反省的考察
 後記

荒れ騒ぐ無限
 第一部 メスカリンの効果
 第二部 八つの実験
  第一の実験 黒いヴィジョン
  第二の実験
  第三の実験
  第四の実験
  第五の実験
  第六の実験
  第七の実験
  第八の実験
 第三部 メスカリン領域と隣接領域
  L・S・D25
 幻覚剤におけるエロスの問題(一九六四年)

砕け散るものの中の平和
 デッサン
 デッサンの意味
 「砕け散るものの中の平和」について
 砕け散るものの中の平和

深淵による認識
 Ⅰ 麻薬はどのように効くか?
 Ⅱ サイロシビン(実験と自己批評)
  第一の実験
  第二の実験
 Ⅲ メスカリンと音楽
 Ⅳ インド大麻(カンナビス・インディカ)
  序章
  1 動いているベルト・コンベア
  2 言葉の背後に(いくつかの続き場面の分析の試み)
  3 ある時は大麻によって導かれ ある時は大麻を自分と一緒に連れて行き
  報告A 水入らずの集い
  報告B ヴォツェック
  報告C 巨人たち
  報告D 木霊、どの方向にも行なわれる交換
  報告E
  報告F 顔たちを解読する
  報告G ハシッシュの効力の下での読書
 Ⅴ 深淵状況
  精神病者が出会う様々の困難と諸問題
  1 不思議な未知の現象。その印象を作り出すもの。その延長。
  2 混沌。強烈さの悲劇。内部のヴィジョン。幻覚性のヴィジョン。
  3 内部の聴覚。様々の幻聴。声の問題。
  4 味覚の、嗅覚の、全感覚の幻覚。様々の感覚のバベルの塔。
  5 わかったという印象の増大。明白さの感覚。霊感のひらめきによる知識。
  6 彼が自分の思考のことで困惑するあれこれのこと。解散された急進主義者たち。消滅する思考たち。周期的に来る抹消たち。溶解させられる思考たち。揺れ動く思考たち。ゼノパティー性の思考たち。視野暗点症にかかった思考たち。精神の蝕たち。
  7 「無限」との交流。《形而上的人間》。宗教狂。
  8 精神病者たちが出会う困難と罠。ブレーキのきかぬ人間。精神的熱病。すさまじい狂気。
  9 速度の喪失。動揺。抑え難い誘導。観念たちの逃走。偏執狂。
  10 至上権妄想。最高妄想。誇大妄想狂。
  11 停止の精神病。緊張症。精神分裂病。人格分裂。
  12 拡張する宇宙との出会い。拡大。制限する力の喪失。浸透の犠牲者たち。
 Ⅵ 人格分裂と第二の意識とについて(ヒステリー、虚言症)

解説
年譜・書誌
訳者あとがき




◆本書より◆


「みじめな奇蹟」より:

「熱帯の海の岸べ、目に見えぬ月の銀色に輝く光の、無数のまばゆい閃きの中、絶え間なく変化しながら、揺れ動く波のうねりの中に……
 沈黙のうちに砕け散る波、閃く水面のかすかな震動の中に、光の斑点に苦しめられながら往復する急速な運動の中に、輝く輪と弓と線とによって引き裂かれる中に、かくれたり、ふたたび現われたりするものの中に、変形したり、ふたたび形をとったり、結合し合ったりしながら、わたしの前で、わたしとともに、わたしの中で、沈みかかった自分をふたたび立て直そうと拡がりながら、踊り続ける光の爆発の中に、耐え難い感情のいらだちの中に、わたしの冷静さが、振動する無限世界の言語によって千度も冒され、無数のひだを持つ巨大な流動状の線の群によって正弦曲線状に浸蝕される中に、わたしはいた、そしてわたしはいなかった。わたしはとらえられ、われを失い、最大の遍在状態(ユビキテ)の中にいた。幾千もの微かなざわめきが、わたしを無数の断片に切り刻んでいた。」



「深淵による認識」より:

「何世紀も前から、何千年も前から、どこででも、どの国ででも、精神病者は嘆いてきた。彼は、自分が自分の肉体のそばにいると言う。自分の肉体が別のところにあると言う。誰かが彼の肉体を彼から奪い取ったと言う。自分は屍体を身につけていると言う。自分の肉体が空洞だと言う。誰かが彼の肉体を変えてしまったと言う。自分は生きた死人だと言う。(中略)彼は言う、自分にはもはや重さがない、自分はひとりの天使だ、自分はもはや一個の風船もしくはボールにすぎない、と。さらにより適切に(彼が感じている質量と不透明さとの欠如の、見事な置き換え)、自分は透明だ、自分はガラスでできている! と。そして彼は壊れるのを恐れる……。彼はこうも言う、自分はからっぽだ、人形に変えられた、自分にはもう諸器官も、腸も、胃もない、だから自分はもう物を食べてはいけないのだ、自分は人工的なものだ、模造品だ、他人が自分の肉体を占めている……等々というわけだ。
 彼は、真実を認めることのできない人々に、本当のこと以上に本当のことを言う。彼はその人たちに自分を理解させようと空しく試みる。周知のように、金持ちほど他人の話に耳を傾けようとしない者はない。どの分野ででも、窮乏は裕福な者たちに実感させるのが最も難しいものだ。その上、彼は、彼の悲惨な状態が彼を立ち戻らせた基本言語としての、詩的な文体を使用する。ところが、その詩的な文体を、他人は理解することができず、例外的にしか、また単に《特殊性》としてしか、許容することができない。」

「彼はもはや親しい人々を見分けられない。彼は自分をよそ者だと感じる。彼は、自分の両親、自分の知人たちを《見知らぬ人々》だと感じる。彼にとって、彼らは別人になってしまった。不思議なことだが本当なのだ。あり得ないことだが確かなのだ。」

「不幸なことだが、精神病者の問題は、彼がいつでも、巨大で並外れた、ある突飛な事件に直面しているということだ。」

「自分自身から疎外された人間。周囲の人たちからも疎外された人間。」
「自分という存在の城をもはや全く識別できないということはまた、様々な事物をもはや以前のようには識別できないということでもある。(中略)自分自身から疎外された彼は、事物たちから疎外され、事物たちは彼から疎外されている。彼はもはやそれらを当てにすることはできない。(中略)事物の疎外が、事物の価値喪失、機能退化のようなものが、始まった。彼は、彼の体験するあの誰からも見捨てられた恐ろしい状態の時にでも、自分が非常に必要としている強固な世界への信頼のために、事物たちを、それらの物質(マチエール)を、当てにすることができない。」




こちらもご参照下さい:

アンリ・ミショー 『みじめな奇蹟』 (小海永二 訳)
アンリ・ミショー 『荒れ騒ぐ無限』 (小海永二 訳)
アントナン・アルトー 『神の裁きと訣別するため』 (宇野邦一 訳)






































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本