G・ド・ネルヴァル 『東方の旅 下』 篠田知和基 訳 (世界幻想文学大系)

「その話にすっかり興味をそそられてゆくうちに、私は名高きハーキムの生涯を知りたいと思うようになった。歴史家は彼のことを、ネロとヘリオガバリスを足して二で割った狂暴な狂人として描いている。しかし、ドルーズ族の目から見れば、彼の行動もまったくちがったふうに説明されるだろう。」
(ネルヴァル 『東方の旅』 より)


G・ド・ネルヴァル 
『東方の旅 下』 
篠田知和基 訳
 
世界幻想文学大系 31 B 

国書刊行会 
昭和59年2月25日 印刷
昭和59年2月29日 初版第1刷発行
431p 口絵(折込)1葉
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価3,200円
造本: 杉浦康平+鈴木一誌
挿画: 渡辺冨士雄

月報 41:
ネルヴァルとフリー・メーソン(大浜甫)/夢にはどのような縁(へり)があるか――ネルヴァルの場合(天澤退二郎)/幻想文学の冒険⑤幻想小説の変貌(森茂太郎)/次回配本/図版1点



本書「あとがき」より:

「これはジェラール・ド・ネルヴァル(一八〇八年―一八五五年)畢生の大作『東方の旅』(一八五一)の全訳である。」
「なお、思うところがあって解説的な注は付さなかった。」



全二冊です。
本来は函にカバーが付いていて、いろいろ文字が書いてあるのですが、紛失しました。


ネルヴァル 東方の旅 下 02


目次:

ドルーズ族とマロ族
 第一部 レバノン山の王侯
  I 山岳地帯
  II 混成部落
  III 城館
  IV 狩り
  V ケスルーアン
  VI 戦闘
 第二部 囚われ人
  I 朝と夕暮
  II フランス人学校訪問
  III アッカレ
  IV ドルーズのシャイフ
 第三部 カリフ・ハーキムの物語
  I ハシッシュ
  II 飢饉
  III 王宮の貴女
  IV モリスタン牢
  V カイロの大火
  VI 二人のカリフ
  VII 出発
 第四部 アッカル――アンチ=レバノン
  I 客船
  II ギリシャ人司祭夫妻
  III アッカの昼食
  IV マルセイユ人の冒険
  V パシャの晩餐
  VI 手紙(断片)
 第五部 エピローグ
  I
  II
  III

ラマダンの夜
 第一部 スタンブールとペラ
  I バリク=バザール
  II スルタン
  III 死者たちの大苑
  IV サン=ディミトリ村
  V 故宮の冒険
  VI ギリシャ人村
  VII 四人の美女
 第二部 芝居と祭り
  I イルディス=ハーン
  II ペラ見物
  III カラグーズ
  IV 水鑑定人
  V スクタリのパシャ
  VI デルヴィシ
 第三部 講釈師
  カフェの講釈
  朝の女王と精霊の王ソリマンの物語
   I アドニラム
   II バルキス
   III 神殿
   IV メロ
   V 青銅の海
   VI 幻
   VII 地下世界
   VIII シロアの洗い場
   IX 三人の職人
   X 会見
   XI 王の夜宴
   XII マクベナク
 第四部 バイラム
  I アジアの水郷
  II 大祭の前夜
  III 後宮の祭り
  IV アトメイダン

あとがき (篠田知和基)



ネルヴァル 東方の旅 下 03



◆本書より◆


「ドルーズ族とマロ族」より:

「女優とか、女王とか、女流詩人とかに対して抱く恋心についてはまじめな人々が軽口を叩くことが多い。心よりも想像力をかきたてるものだというわけだ。しかしそういった狂恋は、しばしば錯乱や死に至ることもあるのだし、少なくとも、時間と財産と知性とを大いに犠牲にすることだけは確かなのだ。なるほど恋をしているつもり、病気になったつもり、ただそれだけだと言うかもしれない。しかし、私においては、つもりということは事実そのものなのだ!」


同第三部「カリフ・ハーキムの物語」より:

「ハシッシュは神にひとしくしてくれる」と見知らぬ男は深い声でゆっくりと言った。
「そのとおり」とユースーフは勢いこんで言った。「水しか呑まない連中には、物事の大雑把で物質的な上べしか見えないものだ。酔いは肉体の目を曇らせるかわりに、魂の目を開けてくれる。精神は、肉体という重たい拘束から解き放たれて飛びたってゆく。牢番が鍵をかけ忘れて眠っちまったすきに逃げだす囚人みたいにね。あとは空と光の中を、楽しく自由に飛び回る。精霊(ジェニー)と親しく話し、突然の魅力的な啓示を受けて目が眩む。言いようもない幸福感に浸されて軽々と飛んでゆき、実際はほんのわずかのあいだが、永遠に続くような気がする。それほど、いろいろな感覚がすばやくひき続いてゆく。おれの場合、いつも、繰り返し現われる夢がある。同じでいながら、その都度、ちょっとずつちがっている。すばらしい幻にふらつきながら川舟に戻って、目をとじると、風信子石、柘榴石、エメラルド、ルビーといったものが絶え間なく流れてゆくのが見え、それを背景にしてハシッシュのすばらしい幻が浮かびあがってくる……、無限のかなたからやってくるように、神々しい姿が見える。詩人が描いたどんな女よりも美しい。胸に沁み入るような優しさで微笑んで天から降りてきてくれる。天使なのか妖精なのか分らない。その女が小舟の中のおれの横に腰を下ろすと、つまらない舟の木の板が螺鈿に変わり、銀の川に浮かんで、香りのいい風に吹かれて走りだす」
「不思議な、いい夢だ!」と見知らぬ者は頭を揺らしながら呟いた。
「それだけじゃない」とユースーフは続けた。「ある晩のことだ。いつもより少し量を減らしていた。酔いから醒めてみると、舟はロッダ島の鼻の先を通っている。夢の中そっくりの女がおれのほうを覗きこんでいる。その目は、人間にしちゃあまりにも神々しく輝いていた。ヴェールがちょっとめくれて、宝石ずくめの胴衣が月の光できらきら光った。おれの手が、女の手にさわった。柔らかくて、しっとりして、花びらみたいにみずみずしい手だ。指輪の金細工が手に触れたんで、間違いなく現実だってことが分かった」」

「モリスタンは、今日ではカラウームのモスクに隣接しているが、かつては広大な牢獄で、その一部が狂暴な狂人にあてられていた。オリエント人がいかに狂人を敬うといっても、危害を加える恐れのあるものまで自由にしておくわけではなかった。翌日、暗い独房の中で目を覚ましたハーキムは、農民の着物を着ている以上どんなに猛り狂っても、どんなにカリフだと言い張っても無駄なことをただちに了解した。それに牢内には、すでに五人のカリフと、相当な数の神がいたのである。神という肩書も、もうひとつと同じく、いささかもいい結果をもたらすものではなかった。それにハーキムは、夕べ鎖を引きちぎろうとしてさんざん骨折ったあげく、彼の神性も、かよわい肉体に捉われている以上、インドのブッダやその他のおおくの至高存在の化身同様、あらゆる人間の悪意と物質的な力の法則に従うことを余儀なくされていることを悟っていた。」

「狂人の一人は、さまざまのかけらを集めて、ガラス片をちりばめた法王冠のようなものを作りあげていた。彼は、きらきら光る刺繍をつけた法衣をはおっていたが、それは自分で、金ぴかの切れ端で作ったのだ。
「おれは〈カイマルゼマン〉(世紀の首領)だ。いまこそ時が来たのだ」と言うのである。
「嘘だ」とほかの男が言う。「おまえは本物じゃない。おまえは〈下級神〉に属していて、おれたちを騙そうとしているんだ」
「それじゃおまえの考えでは、おれさまはいったい何なんだ?」と先の男が問い返す。
「反逆霊の最後の王のタムラートだ! セレンディップ島でおまえを打ち破ったもののことを覚えていないのかね、つまりアダム、かく言うおれのことだ。おまえの槍と楯は、戦利品として今でもおれの墓にかかげられている」
「おまえの墓とは!」と一方は笑いとばした。「場所さえどこかも分らんじゃないか。もう少しそいつを話してもらおうかね」
「おれが墓のことを言うのは、それなりの資格があってのことよ。人間たちのあいだに六回も生まれ、定められていたとおり六回死んだからな。そのたびに見事な墓を作ってもらったよ。それよりおまえのほうこそ、墓を見つけるのはむずかしいだろうに、何たっておまえたち死霊は、死神の中でしか生きられないんだからな!」
その言葉で引きおこされた一同の嘲罵の声は、気の毒な精霊の皇帝に向けられた。彼は怒り狂って立ちあがったが、その冠を、自称アダムが手の甲で払い落とした。彼は相手にとびかかり、かくして五千年を経たのち(彼らの計算ではそうなる)、二人の讐敵の戦いが今にも繰り返されようとしたところへ看守がやってきて、牛の神経の鞭で二人を引き離した。」
「これらの狂人たちの会話に、ハーキムがあきらかに興味をもって、聞き耳をたて、二こと三こと声をかけてあおりまでしたのはなぜだったろうか。それら知性の迷い出してしまったものたちのなかにあって、ただ一人理性をしっかり保っていた彼はまた静かに思い出の世界に戻っていた。狂人たちは、彼の厳かな態度がかもし出す奇妙な効果に気圧されるのか、誰一人彼のほうに目をあげなかったが、それでも、なぜかそのまわりに寄り集まってくるのだった。それは、夜が明けそめるころ、まだ現われ出ない光のほうに向きを変える植物にも似ていた。
突然自分が予言者であるとか、神であると感じたりするものの魂の中においていかなることが起こっているかは、ただの人間に知りようがないとしても、少なくとも神話や物語は、それら神的存在の知性が肉体の束の間の絆を脱しようとする不安定な時期に、どれほどの苦悶や迷いを覚えるものかを想像させてくれる。時としてハーキムもオリーブ山上の人の子キリストのように自分自身について疑うことがあった。とりわけ彼の想念を茫然とさせたことは、神性の観念がはじめて与えられたのがハシッシュの陶酔の中だということだった。「ということは」と彼は自問するのだった。「すべてであるものよりも強いものが存在するということなのだろうか、そして、そのような威力を引き起こしうるものが、ただの野の草であっていいものだろうか? 確かに、一匹の虫がソロモンより強いことは証明された、この精霊の王が倚りかかっていた杖に穴をあけて、真ん中から折ってしまったのだから。だが、もしも私が本当に〈アルバール〉(永遠)であるなら、私にくらべればソロモンなどなんだろう?」」

「王女はヴェールをかけていたが、ハーキムはその声に気がついた。そして彼女の傍で宰相のアルジェヴァンがにこやかに、落ち着き払って案内をしているのを見ると、憤激を抑えることができなくなった。
「ここには、さまざまな迷妄にとりつかれたものがおります。あるものは精霊の王だと名のり、あるものはアダムそのものだと言い張っております。しかしながら一番の野心家は、こちらにごらんになられます、お兄君さまと驚くほど似かよった狂人でございます」
「まあ本当に不思議なこと」とセタルムルクは言った。
「そうです! ところで、この似ているということが不幸のもとでして、カリフに生き写しだと言われておりますうちに、自分でもカリフだと思いこんでしまったまではいいのですが、そのうちそれではあきたりなくなって、今度は神だと言いだす始末です。みじめな農夫にすぎないのですが、ほかのもの同様、幻覚剤の乱用で頭がおかしくなっているもので……ですが、カリフおんみずからの前へ出たときこのものが何と言うか、これは興味のあるところでございましょう……」
「悪党め!」とハーキムは叫んだ。「きさまはわしに似た傀儡を作りだして、わしの身がわりをさせているんだな?」」



「朝の女王と精霊の王ソリマンの物語」より:

「しかしアドニラムの故郷がどこなのか、それは誰も知らなかった。どこから来たのか、それも謎だった。これほど実際的で、しかも深く広範な知識の数々をどこで究めたのか、知るものはなかった。彼はすべてを作り出し、すべてを見通し、すべてをやり遂げるように見えた。生まれはどこなのか、どんな種族に属しているのか、それは誰にも窺い知ることのできない秘密だった。(中略)人間嫌いの彼はアダムの子孫たちの只中にあっても、異邦の民のように孤独だった。(中略)彼は人間を超えていた。そこには光明の精霊と闇の鬼神とに通ずるところがあった。」

「「精霊よ、あなたはいったいどなたですか?」
「そなたの父祖のそのまた父の霊じゃ。働くもの、苦しむものの祖先じゃ、さあ来るがよい。わしの手がそなたの額をなでれば、もはや火の中でも息ができよう。今まで弱気など見せなかったおまえだ、恐れずに来るがよい……」
アドニラムは突然、沁みとおるような熱に包まれるのを感じた。身を焼かずに元気づけてくれる熱だ。(中略)神秘的な道連れがすでにその中へ姿を消した火の中へ、見えない手が導いてくれた。
「ここはどこです? お名前はなんとおっしゃるのです? どこへ連れていって下さるのですか?」と彼は低くたずねた。
「地球の只中……人の世の魂の中、そこにはわれらが父エノクの、地下の宮居が建っている。エジプトではヘルメスと呼ばれ、アラビアではエドリスの名のもとに崇められるお方の」
「不滅の力よ! おお主よ! それでは本当なのですか? あなたは……」
「そなたの祖先、人にして……芸術の徒、そなたの師にして、守護者、私はかつてのトバル=カインだ」
沈黙と闇の世界により深く潜ってゆくにつれて、アドニラムはますます、我とわが目を疑った。それでも次第に我を忘れて、未知の魅惑にひたっていった。」
「突然彼は身震いした。トバル=カインが話していた。「そなたの足が踏んでいるエメラルドの岩塊は、カフ山の根であり軸でもある。そなたの父祖の住まいの近くに来たのだ。ここは、ひとりカインの系列のもののみが、治める地だ。この花崗岩の城砦の下、近寄りがたい洞穴の只中に、われわれはようやく自由を見出したのだ。アドナイの妬み深き専制は、ここまでは達しない。ここでは、滅びることなしに『知恵の木』の実を食べることができる」
アドニラムはほーっと静かな溜息をついた。今までずっとのしかかっていた重荷が、はじめてとり除かれたような気がした。」
「アドニラムは、彼には何を目的としているのか了解のできない仕事にいそしんでいる群衆のあいだを通っていった。大地の母胎の中のこの明るさ、この空のような天蓋は彼を驚かせた。彼が立ちどまると、トバル=カインが話した。「ここは火の聖域だ。地球の熱はここから生まれる。われわれがいなければ、地球は寒さで滅びてしまうだろう。われわれはさまざまな金属も作っている。その蒸気を液化して、この天体の中の血管に送りこんでいるのだ。」」
「「アドナイ神というのは、巧みではあっても力弱き神だ、寛大であるよりは、妬み深い神なのだ! 彼は火の霊を無視して、泥で人間をこしらえた。そのあとで、自らの作品と、そのみじめな被造物に対する火の霊たちの同情に怖れをなし、彼らの涙を一顧だにせず人間に死ぬべき運命(さだめ)を与えたのだ。そこがわれわれと根本的に異なるところだ。火から作られた地上の生命は、すべて中心に存在する火によって引きよせられる。われわれはその償いとして、中心火が外縁に引きよせられ、外に放散されるように欲した。その両原則の交換が、果てしない生命だった。
諸世界の外周をおさめているアドナイは、大地を塗りこめて、この外側への放射力を遮断した。その結果、大地も、その住民たちと同じように死ぬことになった。(中略)太陽でさえ光を弱めた。五、六千年のうちには、太陽はまさしく死滅することになろう。」」
「「わが子よ、眠りと死がそなたとともにあらんことを。勤勉でありながら迫害されるものよ、そなたが苦しむのは私のせいなのだ。エバが私の母だった。光の天使エブリスが、エバの腹に火花をしのびこませた。それが私をつき動かし、私の種族を再生させてゆく。泥土をもって捏ねられ、囚われの魂を入れられたアダムが、私を養ってくれた。エロヒムの子である私は、このアドナイの作った試作物を愛した。(中略)私は、この善い親の老後の日々をみてやり、幼な子アベルを守り育てた。それを彼らは私の弟と呼んだ。おお! おお!
私は地上に殺害を教える前に、心を堕落させる苦渋と不正と忘恩を思い知らされた。絶え間なく働きつづけ、貪欲な土地から食べ物をむしりとり、人間たちの幸福のために大地に実りを結ばしめる鋤を発明し、彼らのために、万物の満ちあふれるエデンの園を作ってやった。それを彼らは失ってしまった! 私は一生を無駄にしたのだ。しかも不公平のきわみとしてアダムは私を愛してくれなかった! エバは、私をこの世に生みだしたがために楽園を逐われたことを、忘れはしなかった。彼女の利に盲いた心は、アベルにのみふりむけられた。アベルは甘やかされ高慢になって、私をあらゆるものの召使いのように扱った。アドナイも彼の側についた。それ以上に何があったろう。(中略)私が不平を訴えると、両親は、神は公平だと言った。われわれは神に犠牲を捧げた。ところが、私が実らせた麦の夏の初穂の束は侮蔑をもって投げ捨てられた……。妬み深い神はそうやってつねに創意に富んだ豊饒な才能を押しのけ、つまらない精神に、力と迫害の権利とを与えたのだ。そのあとのことは知っていよう。しかし、そなたの知らないことがある。それは、私の種を断とうとしたアドナイが、劫罰として、私を愛していたわれらの妹アクリニアを若いアベルに花嫁として与えたということだ。そこからジン、すなわち火の元素から発したエロヒムの子と、泥土から生まれたアドナイの子らのあいだの最初の戦いがおきたのだ。
私はアベルの命の火を消した……」」

「「わが父の尊顔を拝したであろう」と彼はアドニラムに言った。「父上が髪をなでておられるのは、アダの子たちだ。ジャベルは天幕を建て、駱駝の皮を縫うことを教えた。わが兄弟ジュバルは、シノールやハープに絃を張って、そこから音をひきだすことをはじめた」
「ラメクとセラの子よ」と、それを受けてジュバルが、夕べの風のように心地よい声で言った。「あなたは、われら兄弟よりはるかに偉大で、祖先たちまで治めている。戦さと平和の技芸がおこったのは、あなたからだ。
あなたは金属を治め、最初の鍛治をおこした。あなたは人間たちに金、銀、銅、鉄を与え、それをもって知恵の木のかわりとした。金と鉄が、彼らを力の絶頂へ押しあげた。アドナイに対するわれらの仇を討つにあたって、それは恐るべきものになるだろう。トバル=カインに讃えあれ!」
その叫びに和して、四方八方から地霊の群れの恐ろしい喚声があがった。地霊たちはふたたび、いっそうの熱意をこめて仕事に戻り、永遠の工房の天蓋に、鎚音が響きわたった。アドニラムは自ら職人として、この職人こそが王である世界で、心の軽さと、深い誇りを覚えた。
「エロヒムの種族の子よ」とトバル=カインは言った。「勇気をとり戻せ。そなたの栄光は隷従のうちにある。そなたの祖先は、人間の技を恐るべきものにした。そのために、われわれの種族は断罪されているのだ。わが種族は、二千年のあいだ戦った。それでもわれわれを滅ぼすことはできなかった。なぜなら、われわれは不死の要素からできているからだ。」」



ネルヴァル 東方の旅 下 01



こちらもご参照下さい:

G・ド・ネルヴァル 『東方の旅 上』 篠田知和基 訳 (世界幻想文学大系)
種村季弘 『畸形の神 ― あるいは魔術的跛者』
ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教』 秋山さと子/入江良平 訳
荒井献 『トマスによる福音書』 (講談社学術文庫)



































































































































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G・ド・ネルヴァル 『東方の旅 上』 篠田知和基 訳 (世界幻想文学大系)

「それより興味深い光景は、平地に無数に散らばった動物の墓の内部だ。猫の墓もある。鰐や朱鷺の墓もあった。砂や埃を吸いこみながらその中へ入ってゆくのは、きわめて困難だった。時には、膝まづかなければ通れないような通路で難渋することもあった。そのあとは広々とした地下室に出る。そこには、エジプト人がご苦労にも防腐処置を施して人間と同じように埋葬した動物たちがきちんと整理されて、無数に積み重ねられている。猫のミイラはそれぞれ数オーヌの包帯で巻かれ、端から端まで象形文字が書きこまれている。おそらくはその動物の生涯と美徳が書いてあるのだろう。鰐についても同じである………。朱鷺のほうはテーベの素焼きの壷に入れられ、どこまで続くかわからないくらい遠くまで並べられている。まるで田舎家の納戸に置かれたジャムの瓶のように。」
(ネルヴァル 『東方の旅』 より)


G・ド・ネルヴァル 
『東方の旅 上』 
篠田知和基 訳
 
世界幻想文学大系 31 A 

国書刊行会 
昭和59年1月25日 印刷
昭和59年1月30日 初版第1刷発行
400p 口絵(折込)1葉
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価3,200円
造本: 杉浦康平+鈴木一誌
挿画: 渡辺冨士雄

月報 40:
旅の書物、書物の旅(有田忠郎)/サバの女王と二人の求婚者(藤田衆)/幻想文学の冒険④差異と幻想の旅立ち――サミュエル・ディレーニィ『アインシュタイン交点』(巽孝之)/次回配本/図版4点



下巻「あとがき」より:

「これはジェラール・ド・ネルヴァル(一八〇八年―一八五五年)畢生の大作『東方の旅』(一八五一)の全訳である。」
「なお、思うところがあって解説的な注は付さなかった。」



全二冊です。
本来は函にカバーが付いていて、いろいろ文字が書いてあるのですが、紛失しました。


ネルヴァル 東方の旅 上 01


目次:

ある友への序章――東方へ
  I ジュネーヴ街道
  II 駆けだし外交官
  III スイス風景
  IV コンスタンツ湖
  V ミュンヘンの一日
  VI ウィーンの恋
  VII 日記(つづき)
  VIII 日記(つづき)
  IX 日記(つづき)
  X 日記(つづき)
  XI アドリア海
  XII 多島海
  XIII ウェヌスのミサ
  XIV ポリフィルスの夢
  XV サン=ニコロ港
  XVI アプルノリ
  XVII パレオカストロ
  XVIII 三格のウェヌス
  XIX キクラデス諸島
  XX 聖ゲオルギス教会
  XXI シラの風車

カイロの女
 第一部 コプト式結婚
  I 仮面とヴェール
  II 松明と婚礼
  III 通訳アブダラ
  IV 独身者の問題
  V ムースキー
  VI ベセスタインの冒険
  VII 危険な家
  VIII 媒酌人
  IX ロゼッタの園
 第二部 女奴隷たち
  I 日の出
  II ムッシュー・ジャン
  III ホワール
  IV ハヌーム
  V フランス領事訪問
  VI デルヴィシュ
  VII 煩わしき家事
  VIII ジェラブの奴隷宿
  IX カイロの劇場
  X 理髪師の店
  XI メッカ帰りの隊商
  XII アブド=エル=ケリム
  XIII ジャワ娘
 第三部 ハーレム
  I 過去と未来
  II ハムシーンの季節の日々
  III 世帯の苦労
  IV アラブ語事始め
  V 美しい通訳
  VI ロッダ島
  VII 副王のハーレム
  VIII ハーレムの謎
  IX フランス語のレッスン
  X シューブラ
  XI 魔神
 第四部 ピラミッド
  I 登攀
  II 展望台
  III 試練
 第五部 川舟
  I 舟旅の準備
  II 家族の祝宴
  III 割礼者
  IV シラフェ
  V 石の森
  VI 隔離食
 第六部 サンタ=バルバラ号
  I 道づれ
  II マンジラー湖
  III ボンバルド船
  IV 海行かば
  V 牧歌
  VI 航海日誌
  VII 事件
  VIII 脅迫
  IX パレスチナの岸辺
  X 検疫隔離
 第七部 山並み
  I プランシェ神父
  II 昼寝(キエフ)
  III 午餐
  IV パシャの宮殿
  V バザールと港
  VI サントンの墓



ネルヴァル 東方の旅 上 02



◆本書より◆


「カイロの女」より:

「かなり不満のまま探検から戻ってきたあとは、入口の大理石の洞穴のところでひと休みしなければならなかった。――そこで、一体全体、あの深淵で隔てられた二本の大理石のレールだとか、その先の底を見ることさえできなかった不思議な井戸がある四つ辻だとか、要するに、出てきたばかりの地下道にはいったいどんな意味があるのかたずねあった。
プロシャ士官は思い出を整理しながら、この建造物の用途について、かなり論理的な説明を与えてくれた。ドイツ人以上に古代の神秘に強いものはいない。彼の説によれば、われわれがあれほど苦労して下りていってまた登ってきたレールの敷かれた地下道の用途は、つぎのとおりだ。まず、入門秘儀の試練を受けようとするものをトロッコに乗せる。トロッコは下り坂の急な傾斜にしたがって下ってゆく。ピラミッドの中央に着くと、入門者は下級祭司によって迎えられる。祭司は彼に井戸を示して、そこへ飛び込むように言う。
新参者は当然のことながらためらうが、それは慎重さの表われとして評価される。すると、火のついたランプを載せた兜のようなものが持ってこられる。入門者はその道具を身につけて、慎重に井戸の中へ入っていかなければならない。その中にはあちこち鉄の枝が出ていて、足を乗せるようになっている。
入門者は、頭上のランプのかすかな明りを頼りに、どこまでも下りてゆく。百段ばかり下りたところで、地下道の入口に出る。そこには格子がはまっているが、すぐ目の前で開く。そして、犬神アヌビスの顔を模したブロンズのマスクをつけた三人の男が現われる。しかしその脅迫に怯まず、彼らを地面に投げ倒して進んでいかなければならない。次いで一里(リュウ)ほど行くと、暗く密生した森がかなりの面積にわたって広がっているように見えるところに出る。
そこを貫通する路に足を踏み入れるやいなや、すべてのものが燃えあがり、大火事のような効果を生ぜしめる。だがそれは人工的な演出であり、鉄の枝にかけたタール質のものが燃えるだけなのだ。新参者は、多少の火傷を負っても森を突っきらねばならない。これは大抵うまくゆく。
その先には川があって、泳いで渡らなければならない。中ほどまで泳いでゆくと、ふたつの巨大な水車をかき回しているところにぶつかり、水の渦に押し戻される。まさにそこで力が尽きようとするとき、鉄の梯子が目の前に現われて、水に溺れる危険から救ってくれる。これが三番目の試練である。入門者が梯子の段に足をかけると、今まで乗っていた段がはずれて水に落ちる。かかる厳しい状況のもと、さらに苛酷なことには恐ろしい風が吹いてきて、梯子もろとも受験者の身体を揺する。全身の力がもうなくなってしまうというときになって、目の前に二つの鉄の輪が下がってくるから、精神力をふるいおこしてそれを掴まえなければならない。その輪に腕だけでぶらさがって待っていると、やがて扉が開くのが見えるから、そこまで全力を尽くしてたどりつく。
それが四つの基本試練の最後である。入門者は神殿にたどりつき、イーシス像のまわりを回って祭司たちに迎えられ、祝福される。

われわれはそんな思い出で、あたりの威圧的な孤独感を払いのけようとしていた。まわりのアラブ人たちは、夕暮れの微風が大気を冷やすまで大理石の洞穴の中にとどまるつもりなのか、ふたたび眠りこんでいる。われわれは、現実に確認された古代からの言い伝えに、さまざまな憶測をつけ加えた。この奇妙な入門式は、それが繰り広げられるのを見たギリシャの作家たちによって何度も描かれているが、その物語が現場の様子と完全に一致しているのを見ると、われわれの興味もいやがうえにもかきたてられた。」

「「その地下の道は、メンフィスの市内のところにある神殿まで通じていたのです。その神殿のあとが展望台から見えましたね。試練が済むと、入門者は昼の光をまた拝むのですが、イーシスの神像は彼に対してはなお覆われたままなのです。というのは、今度はまったく精神的な試練を経なければならないからなのです。それについては一切予告はされませんし、その目的も隠されています。祭司たちは彼を、あたかも彼らの一員になったかのように胴あげし、合唱や奏楽でその勝利を祝いはしたものの、実は、オシーリスの未亡人である大いなる〈女神〉を眺めることができるようになるには、まだ四十一日間の断食で身を浄めなければなりません。日没とともにこの断食を中断して、何オンスかのパンとナイルの水一杯とで力を回復することは許されてはいました。その長い苦行のあいだも、きめられた時間には、一生を地下の街ですごす祭司や女祭司と話を交わすこともできます。彼には祭司に質問したり、あるいは、この、外世界を捨てた神秘的な人々の生活ぶりを観察する権利があるのです。これは、〈無敵の女王セミラミス〉を、その厖大な数で驚かせた地下の種族です。彼女は、エジプトのバビロニア(カイロ)に礎石をすえさせたときに、彼ら生ける死者たちによって住まわれた地下都市の天井が一ヵ所抜け落ちるのを目撃したのです」
「それで四十一日たつと、入門者はどうなるのです?」
「そのあとまた四十八日間引き籠って、完全な沈黙を守らなければなりません。許されているのは読むことと書くことだけです。それまでの生涯の全行為の検討と批判の試験を受けさせられます。それがさらに十二日間。そのあとイーシス像の後ろで九日間寝かされますが、その前に、女神に向かって、夢の中に現われて知恵を授けてくれるように、祈っておくのです。そしておよそ三ヵ月後、試練が終ります。女神への新参者の渇望は、読書や、学習や、断食によって、極度の熱狂状態に導かれ、やがて目の前で、女神の聖なる覆いが落ちるのを見るにふさわしい境地にまで達します。そのとき、突然、その冷たい彫像は、彼がもっとも愛していた女、あるいはもっとも完全な美しさをもとに思い描いていた理想の女の似姿をとって動きだします。それを見て彼の驚きは頂点に達するのです。
ですが、それをとらえようとして腕をさしのべると、彼女は一抹の香煙のように消えてなくなります。祭司たちが盛大に入ってきて、入門者は神に等しいものと宣告されます。ついで彼は「賢者」たちの宴に列なり、そういう祭りに欠かすことのできない世にも甘美な食物を味わい、地上の神酒に酔うことが許されるのです。ただひとつだけ心残りなのは、彼に微笑んでくれた神々しい幻が、ほんの一瞬しか姿を見せてくれなかったことです……。しかし夢がまたその姿を返してくれます。おそらく宴の席で、彼の盃に蓮の霊液がしぼり落とされるのでしょう、彼は眠りに落ち、その間に祭司たちは、彼をメンフィスから数里離れた、今でもカルーン(渡し守カロン)の名をとどめる名高い湖のほとりまで運びます。彼は相変わらず眠ったまま、川舟に乗せられ、今なお薔薇の国である甘美なオアシス、ファユームの州に運ばれます。そこには深い谷があって、片側は山で囲まれ、片側は人間の手で穿たれた深淵によってほかの土地から隔たっています。そこには祭司たちの手によって、自然の中にちらばっている富が集められています。インドやイエーメンの木々の豊かな茂みや不思議な花も、エジプロの地の色とりどりの植物と妍を競います。
目もあやなその舞台装置には、飼いならされた動物たちが賑わいをそえています。寝たまま芝生の上に下ろされた入門者が目を覚ますと、あたりは、地上の自然の中にそれ以上完璧なものはない世界です。彼は起きあがって朝のさわやかな空気を吸い、久しく拝まなかった太陽の光を浴びて生き返るような心地がします。鳥たちのリズミカルな歌声が聞こえ、香りのよい花が目を楽しませてくれます。パピルスに囲まれた静かな水面には紅蓮(べにはす)が点々と咲いており、そのあいだにフラミンゴや朱鷺が優美な姿で佇んでいます。しかしこの孤独な世界に生気を与えるには、まだ何かが不足しています。そう、女です、朝の清純な夢から脱けでたかのような、若々しく汚れない処女です。そのあまりの美しさに近寄ってよく見れば、雲の切れ目に垣間見たイーシスの美しい顔と同じであることがわかります。それこそ伴侶となるべき聖なる女性であり、勝利を克ち得た入門者への報酬なのです」
そこまで聞いた私は、ベルリンの学者の空想にひとこと言っておこうと思った。
「あなたがお話しになっているのは、アダムとイブの物語じゃありませんか」
「だいたいそのとおりです」と彼は答えた。」



ネルヴァル 東方の旅 上 03



こちらもご参照下さい:

G・ド・ネルヴァル 『東方の旅 下』 篠田知和基 訳 (世界幻想文学大系)
アプレイウス 『黄金のろば』 呉茂一・国原吉之助 訳 (岩波文庫) 全二冊
ユルギス・バルトルシャイティス 『イシス探求』 有田忠郎 訳 (バルトルシャイティス著作集 3)
根井浄 『観音浄土に船出した人びと ― 熊野と補陀落渡海』 (歴史文化ライブラリー)










































































































ラフカデイオ・ヘルン 『東西文學評論』 十一谷義三郎・三宅幾三郎 譯 (岩波文庫)

「これらのボヘミヤンは、藝術を愛する靑年達で、どうせ彼等の理想によつて生きる事が出來ないのを知つて、(中略)働いて多少安樂な生活をするよりも、何もしないで、悲慘な飢餓に苦しむことに甘んじた。」
(ラフカデイオ・ヘルン 「ボヘミヤン生活(ライフ)の回顧」 より)


ラフカデイオ・ヘルン 
『東西文學評論』

十一谷義三郎・三宅幾三郎 譯 
岩波文庫 786-788

岩波書店
昭和6年11月25日 印刷
昭和6年11月30日 発行
昭和14年10月30日 第8刷発行
312p 
16×10.4cm 並装
定価60銭(★★★)



ネルヴァル論を含むラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の文芸論集。


ヘルン 東西文学評論


本書「緒言」(アルバート・モーデル、1922年12月)より:

「ラフカデイオ・ヘルンは一八八二年の初から一八八七年の初夏まで New Orleans Times-democrat (ニウ オーリアンズ タイムズ デモクラツト)紙に勤めた。彼の仕事は主として佛文の英譯と廣く文學上の問題に關する社説とを執筆する事であつた。」
「本書に載つてゐる社説は一八八三年と一八八七年の間に書かれたもので、即ちヘルンが三十三歳から三十七歳までの間に書いたものである。」
「私が此處に選んだ社説は、たゞ文學に關するものゝみである。ごらんの通り、その多くはフランス文學を論じてゐる。(中略)彼は特に、有名なフランスの客觀的短篇作家モーパッサンと描冩でゆく主觀的小説家のロティとの崇拜者であつた。(中略)彼はゾラの科學的な文學觀と自然主義と粗野とを嫌つた。然しその天分と力量とは認めてゐた。
 ヘルンの理想主義に對する辯護と、文學に於ける科學的精神への攻撃と、文學上の美に對する確かな見解と藝術の高尚な方面に對する執着とは此の社説に現れてゐる。」
「われ等は此處に又、後年彼を一層有名なものにした佛教文學及び日本の詩を論じた彼の初期の論文をも收めた。」
「此等のエツセイが本になつて現れるのは此が最初である。今日に至るまで、ヘルンの愛讀家達には知られてもゐず、又手に入れることも出來なかつたものである。」



本書「譯者小言」(十一谷義三郎)より:

「一、此飜譯は第一編と第二編とを三宅君が擔當し、序文と第三編第四編を私が受持つた。」
「一、本書の譯出に就ては、秋骨戸川先生を通じてヘルン先生未亡人の好意ある御諒解を得た。茲に記して御二人への感謝の微意を表する。」



目次:

緒言 (アルバート・モーデル)

第一編 文藝上の諸問題
 理想主義の將來
 理想主義と自然主義
 冩實主義と理想主義
 文學進化の教訓
 科學と文學
 頽廢の藝術
 雜誌文學に於ける包含主義

第二編 フランス文學雜感
 狂へる浪漫主義者(ヂエラール・ド・ネルヴアル)
 奇人の偶像(ボードレール)
 フローベルの友人
 考古學的小説(サランボ)
 大散文家(モーパツサン)
 文學上の厭世主義(ベラミ)
 孤獨(モーパツサン)
 厭世主義の武器(モーパツサン)
 女劍客
 ゾラの『百貨店』
 『制作』(ゾラ)
 新しき浪漫主義者(ロテイ)
 最も獨創的なる現代作家(ロテイ)
 現代小説に於ける構想(ロテイ)
 ネイシヨン紙のロテイ論
 苦惱の宗教(ブールヂエの「戀の罪」)
 ゴンクール兄弟の日記
 死の恐怖(フランス文學に於ける)
 ボヘミヤン生活の回顧(ミユールヂエの「ボヘミヤン生活」)
 「文人不遇」

第三編 ロシヤ、イギリス、ドイツ及イタリヤ文學の研究
 外國に於けるロシヤ文學
 恐ろしい小説(「罪と罰」)
 トルストイの求道心
 アーノオド二人(マシウとエドヰン)
 その國に容れられず(エドヰン・アーノオド)
 エドヰン・アーノオドの新著(死の秘密)
 定本ロウゼツテイ全集
 人性の弱點(ロウゼツテイ)
 テニスンの「ロツクスリー・ホール」
 ハインリツヒ・ハイネの妻
 ハイネ 續
 メルシエ博士のダンテ論

第四編 東洋文學
 佛教とは何ぞや
 最近の佛教文學(亞細亞の光 新版その他)
 マハーバーラタの英譯
 バガヴアド・ギータの英譯
 印度の女流詩人
 「列王紀詩」(ツイムメルン女史の意譯)
 支那の敬神思想
 日本の詩瞥見

譯者小言 (十一谷義三郎)




◆本書より◆


「狂へる浪漫主義者」より:

「「ヂエラール・ド・ネルヴアル」の名は、浪漫主義運動に參加した人名中では、最早掻き消すことの出來ないものとなつてゐるが、もともと一つの筆名に過ぎなかつた。ヂエラールの本名はラブリユニーンと云つた。」
「彼の書いたものから受ける印象は、他の浪漫主義作家のものから受ける印象とは、まるで違つてゐる。しかし、その本質的な特異さを説明することは容易でない。それは、彼の書くものゝ精神的な微妙さや、彼に靈感を與へた題目の性質のみによるとは云へない。尤も、或る程度迄それら二つの理由によることは明かだが。エドガ・ポウと同樣、彼は夢の中の感情や空想を書き表す非常な手腕を持つてゐる、しかし又、ポウとは違つて、彼のさうした表現の中には、讀者に迫つて來る、靜かな歡びと、ものうい憂欝とがある。彼の思想の持つ睡いやうな美しさと、彼の文體の持つ無意識的な魅力とは、一種の睡藥のやうに、讀者の空想を呼び起す。尚其上に何物かゞある、――この世のものではない何物かゞ。ポウの「リゲイア」、「エリアノーラ」、「アシア家」、或は「モノスとダイモノス」等をはじめて讀む人も、そこに描かれてゐるのは幻影と惡夢とに過ぎないといふことをさとる。(中略)しかし、ド・ネルヴアルの描く女には、つい迷はされ、魅せられてしまふ。それらの女達は、人間の愛か憎しみかによつて、身に危難が振りかゝつて來る迄は、靈界のものであることを現さない傅説中の妖精のやうに、本性をかくしてゐる。吾々は、彼等が此世のものでないことを見抜く爲には、リユジニヤン伯爵がメリユジーヌの一擧一動に注意した以上の目で、彼等を監視しなければならない。彼等は寔に愛らしく、目にも實在するかのやうに映る。しかし、よく見れば夢の女のやうに正體はないものであることが分る。彼等は、はつきりとした影を落さない。彼等は、ド・ネルヴアル自身が Les Filles du Feu (火の娘)の中で云つたやうに、霞から出來たものであり、風か火の産んだものである。實際、吾々はよく氣をつけてゐなければ、彼等が變化(ヘンゲ)のものであることを發見するのが困難である。狂人が不思議な繪を描いて、それが狂人の仕業であることが、最初は、餘程の鑑識眼のある人でないと分らなかつた。ヂエラールは言葉の繪師の中のさうした繪師だつた。彼は氣が狂つてゐた。時々は立歸る正氣も、果して何れ位續いたかは、疑問とされてゐる。」
「彼の作品の今一つの特質は馬鹿々々しいやうでゐて、又變に心を牽く支離滅裂さであつて、(中略)彼は非常に面白い話をしてゐるかと思ふと、時々變な合の手を入れたり、飛んでもない外のことを云ひ出したりする。」
「彼が「フアウスト」の一部、二部を譯した時は、疑ひもなく狂人であつた。而も、原著者ゲーテは、彼の譯を讀んで、「今日迄、これ程余を理解したるものなし」と叫んだのである。彼が、傅説と好古趣味と、空想的な叙述とを綯ひ交ぜた美しい混成詩ともいふべき La Bohème Galante (色漁り)を書いた時もやはり氣がふれてゐた。この作品はいろいろのものを含んでゐるが、中にも、十六世紀フランス歌謠によつた、美しい數章と、La Monstre Vert (靑き怪物)及び「魔法にかゝつた手」と題された二つの怪しき物語とがある。第一の方は、不思議に短いものであるが、それを讀む者は何人も、あの兵士の出會はした、或る葡萄酒の罎が落ちて碎けると、それが鮮血の中に横はる金髪の裸婦に變るといふ、酒倉の怪の條を、忘れることは出來ないであらう。後の方の話は、相當に長くホフマンの書いたどの作よりもすぐれたもので、(中略)あの魔法にかゝつた手が、罪人のからだから切り落されると、それが蟹のやうに、狹い街を走り抜け、或る奇怪な家の壁を蜘蛛のやうにするすると上つて、つひに魔法使が待つてゐる窓のところへ行つてしまふといふ、處刑の場など、氣味惡い迄に生々と書かれてゐる。」
「ヂエラールの輕い精神異状は、時々ひどくなつて、友人達を心痛さした。そして或時などは、彼を精神病院に入れなければならなかつた。ヂエラールはその時の經驗を、非常に變つた著述によつて、生かしてゐる。彼は自らの狂氣を自覺せる狂人の一人であつたから。Aurélia; ou, Le Rêve et la Vie (オーレリア、即ち、夢と生)といふ物語は、精神異状の現象を科學的に、狂人が論じた稀有の著述である。彼の「東方紀行」の第二部の中にある L'histoire du Calife Hakem (ハケム王の物語)にも、同樣の病的な、夢幻状態の研究が見えてゐる。この二部からなる東方旅行記によつて、ド・ネルヴアルの名は最も知られてゐるのであるが、彼がそれを書くやうになつたのは、彼の生涯に於ける最大の事件であつたエヂプト漂泊によるのである。」
「恐らく、狂人にして、はじめてさうした旅行を遂行し得たのであらう。何故なれば、東方人は、西歐人や基督教徒を深く忌み嫌ふけれども、狂人に對しては、迷信的な寛容と、親切とをさへも示すからである。ヂエラールは、隊商の宿營で眠つたり、料亭で水煙管(ナーギラー)を吸つたり、彼にはその言葉も分らない話家が、イスラムの傅説を物語るのを聽いたり、結婚の宴席や、いろいろの回教の儀式に列席したりすることを許された。恐らく、神聖な回教寺院に這入ることさへも許されたのであらう。といふのは、彼は、繪を見るやうな生活をしてゐる人達と立交つて行く爲めに、彼等の衣服を身にまとふことを忘れなかつたからである。彼の書いた Femmes de Caire (カイロの女)の中に述べられてゐる何の事件も、みんな事實なのである。又、彼の結婚の話も、疑ひの餘地無きものである。何處かの奴隷市で、彼は「黄金のやうに黄な」アビシニヤの娘を購つた。そして、カイロの或る裏町にアラビヤ風の家を借りて、東方振りの生活をはじめた。その同棲生活は、うまくいかなかつた。ヂエラールの東方憧憬の心にも一つの變化が來た。彼のアフリカ人の細君は、まだ若く、熱情的で、その上怒りつぽく、到底、幾時間も默つて、エヂプトの錬金術の神樣のことを考えたり、ヘブライの接神學の神秘を思つたりしてゐるやうな、夢想家の妻には向かなかつた。彼女には、現世のものこそ望ましかつたのである。」
「ド・ネルヴアルが、彼の東方に於ける經驗を叙したこの珍奇な本の中で、精神異状の特徴とも見るべきものがたゞ一つある。それは Story of Balkis, Queen of the Morning (朝の女王バルキスの物語)の中に見られる。やはり、狂氣で死んだヂヨン・マルチンの驚嘆すべき繪にも、同一の特徴が見られるのであつて、即ち意想の絶大さがそれである。(中略)そこには、默示録からでも來るやうな、光りと聲とがあり、アラビヤの空想も及ばないやうな絶大の誇張がある。……しかし、その並外れたところにこそ魅力があるのであつて、それらの物語を讀む人は、誰しも、地球以外のもつと大きな惑星に住む人が書いたものからでも受けるやうな、驚異を感じるのである。」
「東方から歸つて來たヂエラールは、前よりも尚ひどい狂人だつた。そして、エヂプトの廢墟が、アダム以前の諸王の宮廷の遺物であること、ピラミツドが、ヂアイアン・ベン・ヂアイアンの不思議な手楯を鍛へた鐵砧であること、ソロモンが本當に、ギンやアフリツトの軍勢を閲る爲めに、ピラミツドの上に坐つたことなどを、本氣で信じてゐた。殘つてゐた財産なども、すぐ變つたことに消費してしまつた。(中略)或る時彼は、その中に、或る女王が眠つたといふ大きな寢臺を買つた。彼は彼が人知れず、打明けぬ戀をしてゐたといふ女優が、何時かはその中に睡るといふことを空想してゐたのである。その寢臺は隨分大きかつたので、それを置く爲めに、わざわざ高い間代を拂つて、部屋を借りなければならなかつた。そして、だんだん困つて彼はそれを屋根裏の部屋に迄運ばせた。この費用のかゝる場所塞ぎの代物を手離すことに對する、殆んど迷信的といつていゝ彼の恐怖も、或意味に於て彼の爲めになつた。それは彼に一つの安靜の場所を與へたことだつた。彼は間代だけの金が得られ、或は借りられる限り、その寢臺に執着してゐた。しかし、とうとうそれも、他の珍奇な品物と同じく、賣拂はれなければならなかつた。ヂエラールの頭は、もう餘程狂つてゐて、更に新しく文學的成功を收め得る望みはなかつた。彼はテオフイール・ゴーチエその他の、彼の破滅した思想の美しさと、この上もない心の善良さとを愛する人々の情けにすがつて行くことになつた。しかし、さうした生活は、彼の如く、現實を僞りと考へ、空想を眞實と見做す人間にとつては、非常な苦痛であつたに違ひない。彼は、時には飢餓を訴へんよりは、飢ゑに甘んじ、時には、友達に迷惑と費用とをかけまいとして、嘘をついた。彼は亡靈のやうに、冬のパリの凍るやうな夜の街を、空しく不可能事を夢みながら歩き廻つた。彼は又、きつと、彼の見て來た東方を、巨大な熱帶の太陽を、曾て雨降ることなき綠の空を、遠く響く隊商の鈴の音を、カイロの夢のやうな街を、回教僧の美しい歌を、麝香と乳香とのにほひをこめた衣服をまとひ、薄絹をかぶつた女達を、ソロモンの帳のやうに黑く美しかつた彼の花嫁を夢みてゐたのであらう。或る凍るやうな朝(それは一八五五年一月二十七日のことだつた)彼はヴイエイユ・ランテルヌ街の或る鐵格子にかゝる縊死體となつて發見された。かくしてこの世の味氣ない現實に倦み疲れた、美しい夢を夢みる人は、自ら進んで、善き夢も惡しき夢も知らない永遠の眠りを求めて行つたのであつた。」














































































































































入沢康夫 『ネルヴァル覚書』

「夢と狂気。赤い星。東方(オリエント)に対する欲求。」
「夢が実現する。」
「人びとがぼくを苦しめた。ぼくの頭が休まる風土。とある墓の中に残された愛。」

(ネルヴァル)


入沢康夫 
『ネルヴァル覚書』


花神社 
1984年10月25日 初版1刷
291p 口絵(モノクロ)i 
四六判 丸背紙装上製本 
本体カバー 函 
定価2,400円
装幀: 吉岡実



本書「あとがき」より:

「この覚書は、「詩学」一九八一年九月号から八三年八月号まで(途中二回ほどの休載をはさんで)、約二年にわたって連載されたもので、内容は、若干の字句を訂正したほかはほぼそのまま、本書における章分けも、連載時の回数に対応している。」


本文中図版2点(「聖女ロザリア画像」「デュメニル草稿」)。口絵はネルヴァル肖像。


入沢康夫 ネルヴァル覚書 01


帯文:

「夢と狂気と幻想と神秘の詩人――ネルヴァルにとって、重要な転回点となった1842年を中心に、彼の「狂気」と「詩」の関係を新たな視点で見つめ、その本質を明らかにしてゆく、注目の書。」


帯背:

「ネルヴァル研究
三十年の果実」



目次:

序詩 銅の海辺で

序章 マケイシュバラの笛
1 東方への旅
2 「狂気」と「旅」のはざまで
3 よみがえった死者*
4 よみがえった死者**
5 よみがえった死者***
6 ナポリの一夜*
7 ナポリの一夜**
8 ナポリの一夜***
9 菫色の薔薇・深淵の聖女*
10 菫色の薔薇・深淵の聖女**
11 菫色の薔薇・深淵の聖女***
12 涜聖への叱責
13 一枚の草稿の謎*
14 一枚の草稿の謎**
15 一枚の草稿の謎***
16 愛神の島にて
17 小説『阿呆大王』はいつ書かれたか
18 古い土地・古い歌*
19 古い土地・古い歌**
20 詩の領土

あとがき
ネルヴァル略年譜
ネルヴァル関係邦文文献抄
主要人名原綴一覧




◆本書より◆


「異なる女たちのなかに同じ顔立ちを追い求めること。
永遠の一典型を愛する男。
宿命。」

(ネルヴァル「東方紀行覚書手帖」より、稲生永訳)

「《複数の女性が、実はただ一人の女性である》というテーマ」

「十三番目の女が帰ってくる……それはまた、最初の女だ。
いつも同じ女だ、――同じ束の間だ。」

(ネルヴァル「アルテミス」より)

「わたしはマリアその人であり、そなたの母その人であり、また、あらゆる姿の下に常にそなたが愛したその人です。そなたの試練の一つ一つの度ごとに、わたしは面(おもて)を蔽っている仮面の一つを脱ぎ棄てて来た。そなたはやがて在るがままのわたしの姿を見るであろう……。」
(ネルヴァル『オーレリア』より)

「ところで、古代の姿を「若がえらせる」こと、これはネルヴァルの晩年の主要作品が持つ、公分母的テーマの一つだ。ノスタルジーの詩人ネルヴァルと、よく言われるが、ネルヴァルのノスタルジーは、単なる個人的過去の追憶に止まるものではなく、家族の起源、種族の起源、そして人類の起源を求めて、太古、創世の過去にまでさかのぼろうとする点に大きな特質がある。(中略)一八四三年の長旅の理由は、単なるエキゾチスムの追求とか、文壇への健在の誇示の必要とかに止まらぬ、強烈な内的要求――文明と宗教の発祥の地に親しく赴いて、その風物に接し、その秘密に参入したいという希望――に求めるべきであろう。」

「このホフマンの作品に、ドイツ語の読めたネルヴァルは、翻訳をまたずに原文で接し得たであろうし、また、実際、その一部を自ら訳してみてもいる。物語の大略は次のようなものである。禁を犯して「悪魔の美酒(霊液)」と呼ばれる薬を飲んだ修道士メダルドゥスは、聖ロザリアの画像と瓜二つの処女、アウレーリエ(フランス語に映せば、オーレリー)を激しく恋しながらも、自己の悪の分身と先祖伝来の奇怪な因縁とに翻弄されて、数々の悪行を重ねてしまう。その苦難のあげくに、自分の犯した罪を悔いて贖罪の生活に入るが、たまたま同じ頃、アウレーリエはその名もロザリアという法名で修道女として一生を神に仕えることになる。彼女の献身の儀式の当日が来て、メダルドゥスも、いまなお内心に燃えている情熱に耐えつつ、その場の一隅に列席する。そして、永遠に神に身を捧げるアウレーリエの姿に我を忘れて制止の声を挙げようとする折も折、突然出現した彼の分身(ドッペルゲンゲル)は、凶器をふるってアウレーリエを刺す。彼女の死後、メダルドゥスは、ひたすら浄罪の苦業に身をゆだねる一方、自己の過去の行状の一切を書きつづり、やがてこの惨劇のちょうど一年後に、僧院の一室で、救いを確信しつつ命を終るのである。
 この物語の中でも、特にヒロインのアウレーリエと聖ロザリアの相似、一体化を語る(中略)諸節を読むと、それはそのまま、ネルヴァルの晩年の作品の絵解きであるかのようにさえ思われてくる。」


「絶望の幻想のうちにキリストとともに地獄に出現してメダルドゥスを力づけ、さらにおのれの死に当って彼に「救い」の確信を得させたアウレーリエ=聖ロザリアが、主へのとりなし役、贖罪の介添人としての恋人のイメージの下絵をネルヴァルに与えたことは、(中略)ほとんど否定し難いのである。さらに、(中略)この作品と、ネルヴァルの後半生の思念や諸作品をつらぬいている「過失」「贖罪」「試練」「救済」といったテーマとの、異様なまでの関連性を思い合わせるなら、このことは、なおさら確実なものに見えてくる。」

「ここで、かなり古くから指摘されているネルヴァルに対する十五世紀末の奇書『ポリフィルの夢(ポリフィルス狂恋夢)』の影響について一言しておくべきかもしれない。」

「様々な顔立ちの下に隠された唯一の女性を追い求めるのは心が変りやすいのではなく、実は忠実であることなのだという、あのジェラールには親しい観念」
(P・オーディア)

「ネルヴァルが『ポリフィルの夢』から「夢による神秘的な恋の成就」のテーマのみならず、「相似者」「背誓」のテーマをも汲んでいるという見方」

「一八三〇年代末から四〇年代初めにかけての作者の「創作意識」の急激な深化とでも言うべきものの実態」

「ギリシア神話のカサンドラは、周知のごとくトロイの王女の一人であり、アポロンから予言の能力と、その予言が決して他人からとりあってもらえないという宿命を与えられた。これは、入院以来、自分の言葉をなかなか本気で受取ってもらえない、ネルヴァルの嘆きと通ずるところのあるテーマに間違いないが、この問題についても(中略)、今後の研究の深まりにまちたいところである。」


「いわゆる「ヴァロアもの」の作品、「回想」と「懐旧」の作品とされるものが、じつはヴァロワにまつわる幼時の思い出そのものの提示・定着を最大の目的としていないとすれば、ではこれらの「図柄」を媒介にしてネルヴァルが真に狙ったものは、何であったのか。それはまさに「彼にとっての詩性(ポエジー)」とでも言うよりほかに、うまい表現のみつからない、あるもの(引用者注: 「あるもの」に傍点、以下同)である。その「あるもの」の探究と定着のために、ネルヴァルは一生を費やしたのだった。最晩年の作品のあれこれに描かれたヴァロワは、もはや、しかじかの時代の、フランスの一地方ではなく、作品を書くという行為を通じて辛うじて望見できる、ネルヴァルにとっての「詩の領土」の寓喩に他ならないのである。」

「……我々は自分の放浪の生涯の中で、少なくとも、七つの城を持つ。――そして青春時代に夢見た、その名も高い煉瓦と石の城にたどりつけるものは我々のうちにもほとんどない。――そこでは髪長き美わしの女が、ただ一つの開いた窓から、愛に満ちた微笑を送る。その時、格子のついた窓ガラスには、夕べの荘厳が照り映えている。」
(ネルヴァル『ボヘミアの小さな城』より)

「いま、一八四一~四二年にネルヴァルの書き遺したものを通して、私たちは次のことを断言してもいいところまで来ているのではないだろうか。ネルヴァルの狂気との出会いは、はなはだ逆説的ではあるが、意識的な「詩」の追究の開始と不可分に重なり合っている、と。以後十三年の彼の「生」は、その追究、その着実なプログラムの一歩一歩を証しすることになる、と。」



◆その他◆


序詩「銅の海辺で」(なんども生まれかわりを繰り返してきた「カイン」の裔としての詩人「ネルヴァル」が意気沮喪しているときに、一つ目の巨人(鍛冶神)が「立って、そなたの宿命を成就せよ。」「数知れぬあまたの時と数知れぬあまたの生を/一句の中に、一語の中に、/ひしめき合はせよ。」と呼びかける)は、入沢氏が本書収録エッセイ連載中に上梓した連作長篇詩『死者たちの群がる風景』(1982年)に収録されていますが、本書「あとがき」には次のようにあります:

「発表場所が詩誌であって、仏文学の研究誌ではないという点は、たしかにあるにしても、それを考慮に入れても、この覚書における、私のネルヴァルへの対し方は、研究者のそれではなかった。自分の眼鏡でとらえた対象しか語れなかったのはあえて言うまでもないが、その眼鏡も、研究者や批評家のそれではなく、詩の実作者のそれであった。実作者は、ある意味で(いや、あらゆる意味でかもしれない)自分勝手なものであり、また、自分勝手でなければならないという「宿命」さえも背負っている。」
「あの連作長篇詩の成立に対しては、この覚書の連載は、直接・間接に影響を及ぼしている。その逆もまた言えるはずで、たとえば、この覚書でネルヴァルとヴァロワの関係を云々するのがいちばん後まわしになったのは、上記詩篇の終りの二章を書いてしまったが故の、奇妙な論じにくさに由来していたことを、正直に告白しておこう。」



「討議 ネルヴァルと日本文学」(「カイエ」ネルヴァル特集号)より:

入沢 また違う話をしますとね、ヘンリー・ミラーが、愛読書のなかにネルヴァルもあげてますけど、ライダー・ハガードをあげてるでしょう。ハガードは『ソロモン王の宝窟』でしょう、それからイシスの女神に仕える巫女をヒロインにした『洞窟の女王』、ぼくは子供のころにあれを非常に愛読したものでしてね。案外すべてはそこから始まったのではないかという気さえする。「不死の人間」とか、「魂の転生」とか、「死による救済」とか、ソロモン王、シバの女王とか、ネルヴァルと共通するたくさんのディテールがある。だからヘンリー・ミラーがハガードに入れ揚げているのをみると、なるほどそうかと、ちょっとわが意を得たような気もしたわけです。」







































































































ジェラール・ド・ネルヴァル 『ローレライ』 (篠田知和基 訳)

「マドレーヌ街には長い行列がつづいていて、その中央に、色を塗り、ニスと金泥を塗った巨大な聖母がかつがれていた。聖母の足と台は花束の山で埋もれていた。――商店が閉められた上で、窓や羽目板に菩提樹の枝が飾られている。それがルーヴァンの市門まで続くのだ。」
(ジェラール・ド・ネルヴァル 「オランダの祭り」 より)


ジェラール・ド・ネルヴァル 
『ローレライ』 
篠田知和基 訳


思潮社 1994年8月1日初版第1版
312p 口絵2p
21.6×14.6cm 丸背紙装上製本 カバー
定価3,800円(本体3,689円)



本書「あとがき」より:

「『ローレライ』は、一八五二年、ジロー=ダニョー社から出版された。前年の『東方の旅』に続くものであり、『幻視者たち』に先だつものである。その後『ボヘミヤの小さな城』(一八五三)、『火の娘たち』(一八五四)が出て、ネルヴァル生前の主要作が出そろうことになる。
 作者がこれを編纂するにあたっては、古く一八三八年のドイツ旅行直後の印象記以後、五二年のオランダ旅行の報告文まで、各所に発表された文章が集められ、手を加えられ、取捨選択されていった。第三部『ドイツ生活風景』に収められた戯曲「レオ・ブルクハルト」については後記にもあるが、はじめデュマとの合作で書きはじめられ、その後、上演のために書き直され、さらに、『ローレライ』に入れるにあたって手を加えられたものである。」



ネルヴァル ローレライ1


帯文:

「狂気と漂泊/幻視者が描く魔術の地誌
フランスから閉め出されたネルヴァルは、国境を越える。ドイツには彼を暖かく迎えてくれるところがあるか。水の妖精の危険な誘いにのって、幻視者は“ライン紀行”を試みる。現実の中を、現実には触れずに漂いながら、過去や前世、遠い記憶や未来の記憶を呼び起こしてゆく。」



帯背:

「〈水の妖精〉ローレライ
時を超えた永遠の物語」



ネルヴァル ローレライ2


目次:

ジュール・ジャナンに ケルン、六月二十一日

ラインからマインへ 感激派旅行者の印象
 I ストラスブール
 II 黒森
 III 徒歩旅行
 IV 談話クラブ
 V リヒテンタール
 VI フランクフルト
 VII マンハイムとハイデルベルグ

チューリンゲンの思い出 アレクサンドル・デュマに
 I フランクフルトのオペラ『ファウスト』
 II ゲーテの彫像
 III アイゼナハ
 IV ワイマールの祭り、プロメテウス
 V ローエングリン
 VI ゲーテの家
 VII シラー、ヴィーラント、宮殿

ドイツ生活場景 レオ・ブルクハルト
 第一日 フランクフルトのとあるサロン
 第二日 華やかな外見の、ホテルのホール
 第三日 日没ごろ、大公居城の底
 第四日 レオ・ブルクハルトの執務室
 第五日 ヴィルツブルクの城
 第六日 レオ・ブルクハルトの家

ラインとフランドル
 I ライン
 II ケルンからリエージュ
 III リエージュ
 IV ブリュッセル
 V 劇場と宮殿

オランダの祭り
 I ブリュッセルへの戻り道
 II アントワルペンからロッテルダムへ
 III ハーグのケルメス祭
 IV アムステルダムとザアルダム

付記
ドイツ生活場景について

あとがき (篠田知和基)



ネルヴァル ローレライ3



◆本書より◆


「ジュール・ジャナンに」より:

「友よ、あのラインの妖精――ロールリー、あるいはローレライのことなら、私同様、よくご存知だろう。コプレンツの近くのパッカラの濡れた岩に、滑りもせずに身を支えているそのバラ色の足――身を傾けながら、しなやかな首と頭をのばしたその姿は見たことがあるにちがいない。彼女の金の布の裏打ちをした真紅のビロードの被りものは、遠くからでも、エデンの園の老いた龍の血まみれのとさかのようにきらめいている。」

「そうだ、友よ、この霧の中に光り輝く妖精、ハインリヒ・ハイネ歌う北方のニックスの例に洩れずに恐るべき水の精が、私につねに合図を送りつづけ、ふたたび私を引きよせるのだ!
 しかし彼女の見せかけの美しさには警戒をしなければなるまい。――なにしろその名前自体が、魅惑と嘘(ルアーとライ)とを同時に表わしているのだ。それに私はすでに一度、希望と愛を打ちくだかれて岸辺に打ちあげられ、永遠に続くはずだった幸せな夢から悲しく目覚めたことがあるのだ。
 私はその難船で死んだものとみなされた。友情ある人々ははじめは同情して、顔を赤らめずには思いだすことのできない弔辞を早々と送ってくれた。しかしそれも、いずれ私にふさわしいと思えるときが来るかもしれない。
 以下に掲げるのは、あなたが今からおよそ十年前に書いてくれたものだ。それは、今、ここに公表しようとしている作品の一部と浅からぬ関係がある。そこで、この先取りされた伝記の一部を引用することをお許し願いたい。」

「彼を知っていたものならだれしも、この現代の傑出した精神の一人に数えられる人間の、優しい心の美しく純真であったことを必要とあれば証言するだろう。彼は三十になったばかりでありながら、いやますばかりの確実で立派な名声をすでにしてひそかにつちかっていた。すなわち、『詩』という言葉の、もっとも本来的な意味においての詩人であり、夢想家であり、(中略)悪意もなければ野心もなく、欲望もない人間の一人だった。彼が頭をもたげ、口もとに微笑を浮かべて、想像力を働かせながらも、目は半ば閉じて通るのを見ると、賢い人間、つまり賢いと呼ばれる人間たちは、こう思ったものだ。「自分があんな風じゃなくて何てよかったのだろう!」と。
 彼は神の懐ろからこぼれ落ちる青春のすばらしい時間のひとつひとつを感謝と愛情をもって受けいれて、その日その日を送っていた。いっときは豊かだったこともあったが、趣味のためか、情熱のためか、本能のせいか、最低の文無しの暮らしをやめたことはなかった。ただ、何にもまして、気まぐれや、移り気や、すばらしい放浪癖に従うばかりに、彼を知らないものに悪く言われるのだ。彼は地上の金をもって土地や家を買ったり、税金を払ったり、義務や権利や気苦労や苦痛や、隣りの選挙民たちの敬意をかちえたりするかわりに、色のついた布切れだの、腐った木切れだの、ありとあらゆる昔の遺品だの、上から下まで彫刻の施された樫材のダブルベッドなどを買ってしまうのだった。しかし、ベッドを買って払ったのはいいのだが、寝具を買うだけの金はなかったので、ベッドの上ではなく、その横にマットレスを借りて寝たという具合だ。そのあとは、それらすべての財産も、彼の精神が弁舌言語の妙に散らかるようにちりぢりになってしまった。しかしそういった駄弁も冗句も無邪気至極な罪のないもので、だれを傷つけるものでもなかった。彼は、鳥が目をさますとただちに歌いだすように、目をさませば朝からしゃべりだして、それが夜まで続くのだ。」
「こんな子供のような人間が、と言うのも、どこから見ても子供でしかないからだが、その彼が行きあたりばったり、雨降りの日や、一人っきりの冬の日の炉ばたなどで学ぶ以外に何も勉強をしていないのに実にあらゆることを知っているのには驚かされる。なかんずく文芸学に関する造詣はたいしたものだ。古代はいわば直感で理解してしまった。古きオリュンポスの昔の神々に対して暴言を吐くことはたえてなかった。それどころか、機会さえあればあらゆるおりにそれらをほめたたえ、真の神々として高らかに認めて、自らの異端的詩について罪の告白をするのだった。」



「ラインとフランドル」より:

「私はもつれた糸玉のようにからみあった町の古い通りをほどきにかかった。旅行者にとってこれ以上面白い楽しみはない。見どころを人に案内してもらわなければならない人たちは実に気の毒なものだ。どんな町でも三つの重要な地点は市庁舎と大聖堂と劇場である。それらの場所はふつう特有の性格を持っている。しかし古い町では、まず市場のある場所をさがさなくてはならない。それが中心であり、各時代の集積するところであり、特徴的な住民相の見られるところである。」


「オランダの祭り」より:

「「レンブラントはけちで放蕩(シュラープ・ツークティッヒ)だったと言われております」とシェルテマ氏は言った。レンブラントが下層の人々とつきあっていたことを、氏はあまり否定しすぎるきらいがあるかもしれない。国立図書館に行くと、画家が下層社会に少しは入りこんでいなかったらとうてい描けなかったろうと思われるような版画が集められている。上流階級の人々はレンブラントのころもさぞ美しかったであろうが、画家にとってはぼろをまとった人々も馬鹿にするわけにはいかなかったのだ。詩人や芸術家をして、一分の隙もない小心な「ゼントルマン」にしようとしてはなるまい。」
















































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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