島尾伸三 『中国茶読本』 (コロナ・ブックス)

「中国二大淡水湖の一つである洞庭湖に君山という島があります。君山は昔は洞庭山と呼ばれていました。洞庭山は仙人や仙女が住む島で、大きな不思議な宮殿があり、そこでは仙女の奏でる音楽が一年中響いていて、ときどき外にもその音がこぼれて聞こえたのだそうです。
 ここで採れる美味しいお茶が「君山銀針」です。」

(島尾伸三 『中国茶読本』 より)


島尾伸三 
『中国茶読本』
 
コロナブックス 10

平凡社
1996年5月20日 初版第1刷発行
126p
B5変形判(16.6×21.7cm)
並装 カバー
定価1,553円(税別)
装丁・レイアウト 桜井久+鈴木香代子+和田光弘
表紙イラスト: 瀬戸照
写真: 島尾伸三・潮田登久子/平凡社写真部



著者のお父さんは作家の島尾敏雄であります。
本文中図版(カラー/モノクロ)多数であります。


島尾伸三 中国茶読本 01


目次:

お茶との出会い

飲茶清談

六大分類
 茶葉のいろいろ
 お茶の名前は、謎解きゲーム
 茶摘みと季節

烏龍茶
 贅沢な烏龍茶
 風流な待ち時間
 烏龍茶は青茶といいます
 烏龍茶のいろいろ
 鉄観音
 鉄観音の名前の由来
 お茶道楽は、一に暇、二にお金
 スワトーへ
 工夫茶
 工夫茶をいれてみる

緑茶
 中国緑茶
 中国人も緑茶を飲んでる
 茅山青峰――静岡新茶のように
 葉巻の香りの流溪茶
 桂峰81――とっておきのお茶
 四絶――四つの絶品
 緑茶の楽しみ方
 ふた付きのカップで飲む
 粗茶は茶壷で飲む
 ふたのない桃の急須
 ガラスコップで茶を愛でる

白茶・黄茶
 うぶ毛の生えたお茶
 二人だけで飲んでいます
 三つの白茶
 仙人の住む島で採れる君山銀針
 蒙頂茶――若返りのお茶

紅茶
 英国式と中国式
 腐った烏龍茶
 中国アメリカ茶貿易
 英徳紅茶
 工夫紅茶
 煙でいぶしたお茶
 父のロシアン・ティー
 ペニンシュラで紅茶を

黒茶
 普洱茶は奥が深い
 緊圧茶と散茶
 丸くて固い緊圧茶
 黒茶のいろいろ
 ワインのように寝かせて
 普洱茶は痩せる?
 エスニックな酥油茶
 香りと味の謎
 醇――ちょうどいい

花茶・薬茶
 花の香りを楽しむお茶
 花と美人とジャスミン
 むせぶジャスミンの香り
 虎丘名物ジャスミン茶
 薬茶
 減肥茶――みるみる痩せるお茶
 五花茶――五つの花のお茶
 凉茶――熱くなりやすい人に
 花茶・薬茶のいろいろ

茶具
 茶具文物館
 私の集めたお宝茶具

茶楼
 飲茶物語
 香港の茶楼は家族のたまり場
 点心何でも
 点心のいろいろ
 茶楼はチンピラの館
 アヘンを吸うな
 茶博士
 仙人茶館
 茶楼の石になったおとうさん

飲茶雑話
 お茶にまつわる13の小話
 神農
 お茶とお酒の関係
 お茶自慢
 よい香りのするお寺
 茶宴でお茶に酔う
 羽が生えて空を飛べる?
 地獄のお茶
 詩に讃えられたお茶の効用
 婚礼とお茶
 黒社会の茶碗陣
 お茶を食べる人たち
 烤茶
 天下第一の水
 九龍城からの眺め
 中国茶を買いにいく
 中国茶分類表
 中国茶の歴史
 参考文献



島尾伸三 中国茶読本 04



◆本書より◆


「風流な待ち時間」より:

「昔のお茶は磚茶の状態で運搬、販売されていましたので、買ってきたお茶を砕くことから始めます。
 七輪に火をおこし、お湯を沸かしている間に、お茶の固まりを碼船(薬研(やげん))で砕き、茶臼で粉にしてから、茶具を席に並べ、おもむろにお茶をたて始めるのです。
 電気ポットはもちろん、魔法瓶も無かった、私の子供の頃の奄美大島では、お祖母さんに連れられて親戚の家を訪問すると、お茶を出すのに、薪や炭に火をおこすところから始めるのです。」
「その間、お客は、じっと待っているのですが、家に伯母さんが一人しかいなかったりすると、台所のほうから火をおこす様子や、井戸水を汲み上げる様子が音となって聞こえて来るのです。」
「あの、のんびりした時間の使い方は、定職も無くブラブラしている今の自分の暮らしから比べても、とても贅沢だったなアと、羨ましく思い出すのです。
 今の私たちは、そんなに手間をかけてお茶をいれる暮らしの流れの中にはいませんが、とっておきの烏龍茶をいれる時、あの、風流な待ち時間の、待ち遠しさの心持ちが、フッとよみがえるような気がします。」



コラム「壁の悪霊」:

「中国ではお茶のお湯は、壁ぎわで沸かすのがマナーのようにいわれていますが、多少腑に落ちないところがあります。それは、壁の中には、悪霊や悪い鬼が蠢いていると、迷信深い人々には信じられているからです。部屋の中でも、外を歩く時でも、壁にもたれ掛かったり触って歩くと、壁の中の悪霊にとりつかれるというのです。壁ぎわでお湯を沸かすと、そこに鬼が飛び込んで来るのではないかと私は心配するのです。しかし、火をおこすと、成仏できぬ霊や、鬼や、動物の下等霊が集まってきて、煙を食べ、お腹いっぱいになると、どこかへ消えて行くので悪霊払いになってかえってよいということでした。また、お茶のような芳しい香りの立ち昇るところには、仙人や神仏が集まって来るのだそうで、私の心配は間違っていたことになります。」


「父のロシアン・ティー」より:

「東欧やソ連の文学が好きだった私の父は、紅茶にいちごジャムを入れて、甘ったるくして飲むロシア式が好きでした。大粒のいちごがそのまま入っていたブルガリア産のいちごジャムを入れると、カップの底に残ったいちごは、甘さが抜けて、小さな小さな種をかみつぶすのが楽しみでした。
 来日する度に夕食に誘ってくれる亡き父のガールフレンド、イリーナさんは、蜂蜜をこってりと入れた紅茶を、美味しそうに飲むのです。(中略)イリーナさんの話によると、昔のようにアルコールを燃料にしたサモワールで、ゆっくり沸かしたお湯で飲む紅茶はとても美味しいのだそうです。」



島尾伸三 中国茶読本 02


島尾伸三 中国茶読本 03



























































































































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島尾敏雄 『新編・琉球弧の視点から』 (朝日文庫)

「私が言いたいのは、日本の広さということをもう一度考えてみたいということです。それぞれの地方には、それぞれの歴史もあるし、それぞれの文化や考え方もあるということ。そうした広さをもう一度胸の中にたたみ込む必要があるのではないかという気がするのです。」
(島尾敏雄 「明治百年と奄美」 より)


島尾敏雄 
『新編・琉球弧の視点から』
 
朝日文庫 し 8-1

朝日新聞社
1992年7月15日 第1刷印刷
1992年8月1日 第1刷発行
385p
文庫判 並装 カバー
定価690円(本体670円)
カバー写真: オノデラユキ
地図製作: 石井啓之
カバー装幀: 笹川寿一
表紙・扉: 伊藤鑛治


「本書は、「島尾敏雄全集」(全十七巻・晶文社)のなかから、南島に関するエッセイを新たに編んだものである。」



巻頭に地図1点。


島尾敏雄 琉球弧の視点から


カバー裏文:

「琉球弧は先史の時代から、本土への文化的、政治的な影響を飛び石伝いに運びこむ海上の道であった。日本の国の歴史的な曲りかどにはかならずこの道すじからの歴史的契機の信号によって、国の命運の方向を設定してきたにもかかわらず、本土はこの島々の役割を見ぬき評価することができなかった。」


目次:

一部 ヤポネシアと琉球弧
 ヤポネシアと琉球弧
 琉球弧の吸引的魅力
      *
 加計呂麻島呑之浦
 軍政官府下にあった名瀬市
 琉球弧の感受
      *
 回帰の想念・ヤポネシア

二部 奄美と沖縄と 1955~78
 加計呂麻島
 奄美大島から
 南西の列島の事など
 久慈紀行
 アマミと呼ばれる島々
 沖縄らしさ
 悲しき南島地帯
 島の中と外
 奄美体験の途上で
 九年目の島の春
      *
 請島の結婚式
 奄美の妹たち
 奄美大島の食生活
 庭植えのパパイヤ
      *
 沖縄・先島の旅
 奄美・沖縄・本土
 沖縄紀行
 私の中の琉球弧
 明治百年と奄美
 沖縄島の城跡
 那覇に感ず
 「琉球弧」、改めて検討を
 那覇からの便り
      *
 名瀬だより(抄)
  一 名瀬の町、その最初の印象と町のすがたのあらまし
  三 町の人々と背後の歴史
  六 市民生活など
  七 災厄――台風とハブと癩と
  八 名瀬のことば
 那覇日記

巻末エッセイ “ヤポネシア”概要 (川村湊)




◆本書より◆


「ヤポネシアと琉球弧」より:

「ヤポネシアということばは、今までおそらく誰も使わなかったはずです。というのは、わたしはそれをどこかから借りてきたのではなくて、自分で組み合わせてこしらえたのですから。ヤポネシアと言うと、おそらく、ポリネシアだとかインドネシア、あるいはミクロネシア、メラネシアなどという名前が頭に浮かぶんじゃないか思いますが、つまり、それと似たような意味でわたしはヤポネシアということばを使いたいのです。太平洋の地図を見る時、たいていわたしたちは、アジア大陸がまん中になった地図をみるわけですが、それをずらして、太平洋をまん中にしてみますと、まず、当初は何もみえないほどですが、よくみると、ポリネシアなどはもちろんですが、もう一つ似たような島の群があり、それに「日本」という名前がついているのです。わたしはいっそのことそれにヤポネシアという名前をつけてみたらどうだろうかというのが、そもそもこの発想のはじまりなのです。
 日本という名前がついているのに、どうしてヤポネシアで呼びたいのかと言いますと、わたしは、「もう一つの日本」というようなことを考えたいからです。」
「この日本という国の、今までの歴史をふり返ってみますと、どうしても大陸の方にばかり向いていたのではないかという気がするのです。」
「それには何かこう固い画一性があるような気がしてなりません。みんな一色に塗りつぶされてしまうという息づまるような何かがあって、わたしはそこからどうしても抜け出したいという気持がおさえられないのです。」
「この抜け出せない日本からどうしても抜け出そうとするなら、日本の中にいながら日本の多様性というものを見つけていくより仕方がないんではないか。その日本の多様性というのは、ちょっと片寄った考え方かもしれませんが、(中略)もう一つの日本、つまりヤポネシアの発想の中で日本の多様性を見つけるということです。そういう気持でみますと、日本というところもかなり多様性を持っている国ではないか。(中略)たとえば方言一つとってみても、日本というところはたいへん多様性を持った国だということに気づくはずです。」
「ところで多様性を持ったいろいろな地方の中でもことに強く独自性を持った地方が琉球弧であり東北ではないかというのがわたしの考えですが、(中略)どうも琉球弧と東北というところは、一般的な日本のイメージの中に素直に入らないのではないかという気持がでてきたのです。」
「まず東北という地方について少し考えてみますと、あそこは国はじめの時から征伐ばかりされてきた地方です。たびたびの蝦夷征伐、それに「前九年の役」、「後三年の役」。それから、平泉の藤原氏が何か中央をまねした文化をこしらえかけたところ、それも亡ぼされてしまうし、伊達政宗が出かかってもうまくいかずに挫折してしまい、明治維新をむかえるのですが、新政府ができる後先に見舞われたあの「戊辰の役」にしてもやはり一種の東北征伐と見ることができるでしょう。」
「それともう一つ、この琉球弧が、やはり一種の異端の立場に立たされていると思えるのです。これまで中央の本流に流れこんだことはないし、本土からも何となくちがう場所だという待遇を受け、そういう考えられ方をし続けてきています。いわばまん中の日本をはさんで、はじっこの東北と、それから琉球弧が、全体の日本の中で、そういう位置を持っているということは、わたしにはなかなか興味深いのです。そのつもりで見ると、この両地域はいろいろな点で似ているところがあるような気がしてくるのも面白いことです。」
「何かまだ解明されない関係があって、北と南とが、ある近似を持っているのじゃないかという気がしてなりません。現実のアイヌは北海道にいるのですが、わたしは日本人の中にとけこんだ幻のアイヌがいて、東北と琉球弧により濃く入りこんでしまったのではないか、これはまったく学問的な根拠のない話かもしれませんが、そういうことさえ考えたくなるのです。というのも、両方の地方が、日本の歴史の中で果した役割みたいなものが、非常に似ている気がして仕方がないからです。」



「琉球弧の感受」より:

「実を言うと、本土で僕はコンプレックスのかたまりみたいなところがあったんです。生まれは横浜で、神戸で育ったり、九州の学校へ行ったりしたんですが、両親は東北ですから、どうも東北の血のせいか、「俺は友達とはいろんなことが違うな」という劣等感に襲われていたんです。特に神戸と九州の時にその思いが強くありました。その当時は自分が性格的に優柔、或いは内向的なんだろうと自分を責めるふうにばかりはたらいていたのが、奄美で生活するようになって、何となく自分のような性格でも許容されているという気がしたんです。遠い先祖の地に行ったように感じたということは、前にもちょっと言いましたけれど、それはここのところとつながっていたのかもしれません。つまり奄美の人たちが、自分たちは日本人だろうかという疑問も持っているという姿勢が、僕にはぴったりと心に感応するところがあったんです。」
「たまたまオセアニアの地図を見て、ふと或る考えが浮かんだんです。オセアニアは地図をごらんになるとわかりますが、その真ん中は太平洋です。もちろんポリネシアとか、ミクロネシア、メラネシア、オーストラリアが主体ですから、そういう地域が中心になるように按配すると、真ん中の大部分は太平洋になってしまうんです。そしておもしろいことに、日本列島の中の小笠原諸島と琉球弧がちらっと左上のはじっこに顔を出しているんです。あとさき考え合わせ、「あっ、われわれの列島は海洋性の強いところのはずだぞ」と思ったんです。日本人はいつも大陸のほうにばかり目を向けてきた。(中略)それにしてもいわば太平洋の中の島嶼群であることは事実なのだから、われわれの祖先は、海と密接なかかわりを持った生活をしていたにちがいない。そうすれば、ポリネシアとか、メラネシアという言い方があるのですから、(中略)われわれの島嶼群はヤポニアのネシア、つまり「ヤポネシア」じゃないか、と思ったわけです。その手がかりは、琉球弧でした。そこからの視点が持てたので、そのように写ってきたんです。」

「日本歴史を倭のにおいの強い目つきで見ると、琉球弧はどうも様子がちがった所になってしまうし、東北は、(中略)何となく異和の残る地域ということになるでしょう。時に風変わりな思想家が出てきたりするわけですから。しかしそういうさまざまな個性のある地域をヤポネシアという視点で見ると、その総体こそが日本であって、倭的な伝統ばかりが日本ではなくなり、そして今まで見えなかった事物が見えてくるんじゃないか、と考えているわけです。」



「加計呂麻島」より:

「一字姓のその起りは島津藩に強制されたものだが、結果として島びとの選んだ文字の素晴らしさに私は眼をみはる。その多くは、たとえば和(ニギ)、太(フトリ)、盛、基、祝、計(ハカリ)、禱(イノリ)、喜(キ)、与(アタイ)などはなはだ観念的な文字を選び、その文字をつきつけられるたびに、うかつなヤマトッチュを思わずどきりとさせる何かがあるではないか。
 それから私は彼らの古い名付け方を羨望する。それも今は次第に本土風に平板化されつつある。稲祥喜(イナショキ)、実祥喜(サネショキ)、赤坊果(アハボッカ)、佐栄百玖(サエモク)、伊能国(イノクニ)、前峰(マエミネ)、坊金(ボウガネ)などをいまの小学生徒の中に見つけることは困難であろう。私は島びとのそれらの名前にでくわしたときにはちょうど「古事記」を読んでいて、その中の耳ざわりのいい古代人の名付けをうらやんでいたが、それがその痕跡を眼前に見せつけられたのだ。いや痕跡などと遺物のようないいかたはよくあるまい。その感受性の豊かな独自の表現に驚いたのだ。
 また前 前広(マエ・マエヒロ)、福 福島(フク・フクシマ)、里 里禎(サト・サトテイ)などと苗字と名前とを重複させたユーモラスな方法にも眼を開かれたのに。しかしそれらも次第になくなってしまうだろう。それはなぜか私の心を寂しくさせる。」



「名瀬のことば」より:

「女生徒の「名瀬普通語」はいうまでもなく、男生徒の島ことばにしても、年よりたちのつかうことばよりずっとくずれたかたちになっているのはいたしかたなかろう。敬語などにもあまり頓着しなくなっているようだ。
 「おい。ときちゃん、帰らん?」「えー。帰りますが。まったい。帰っといっていいが。ごめん」「なんでえ」――これは女子高校生の会話だ。東京のあたりでなら、たぶん「ねえ、ときちゃん、帰らない?」「ええ、帰るわ。あ、だめ! 先に帰っててよ。ごめんなさい」「あら、どうして」――とでもいうところだろう。女生徒どうしの呼びかけは(小中学生も)すべて「おい」だ。「あたし」は「わし」という。「おい」も「わし」も少してあらいが、(中略)ききなれると、むしろ、さわやかなひびきもある。「先生、来(コ)んのは、なんでえ、あれなんか、もう裏山にのっとるよ。早くこんばあ」、これも職員室に教師を迎えにきた女子生徒のことばだ。先生どうしていらっしゃらないのですか、みんなはもう裏山にのぼっていますよ、早くおいで下さい、といえばいうところだ。敬語はほとんど考慮のなかにはいっていないだけでなく、少しこまかい表現になると標準語としての語彙がでてこず、またテニヲハがうまくつけられない。「あのひとのおこりー、おもしろいね」、これは「あのひと、怒ってるわ、おもしろいね」のことだし、「わしなんか、こっちから、帰ったんばよ」は「あたしここから帰ったのよ」の「名瀬普通語」的な言い廻しだ。」









































































































島尾敏雄 『夢のかげを求めて 東欧紀行』

「私は計画のうつろな世間知らず。」
(島尾敏雄 『夢のかげを求めて』 より)


島尾敏雄 
『夢のかげを求めて 
東欧紀行』


河出書房新社
1975年3月25日 初版発行
1975年5月25日 再版発行
552p 「発表誌」1p
別丁図版(モノクロ)4p
折込「東欧紀行旅程」1葉
四六判 丸背クロス装上製本 貼函
定価1,900円
装幀: 駒井哲郎
本文写真: 著者
旅程図: 浜田洋子

「■発表誌
東欧への旅 (「文藝」 一九六八年三月号~一九七四年一月号 断続連載)」



島尾敏雄 夢のかげを求めて 01


帯文:

「空気がきしり音をたてて刻々と夜を凍結させる冬のモスクワ。旅先でのそれぞれの朝に、揺れ動くためらいを鎮めてくれる、例えばひときれのパン、例えば熱いお茶――。
日本に置いてきた〈日常〉との濃密なモノローグをたずさえて、白い寒気の国々、ポーランド、チェコ、ハンガリー……を経巡り、新たな紀行文学の塑像を樹てる、著者初の長篇紀行。」



帯裏:

「■紀行文学の一傑作!
(「朝日新聞」書評)
 五百五十ページあまりの大冊は、多くの出来事を次々を語りながら、それらの出来事の克明な叙述が均一な全体を形づくっているために、読みはじめたら最後まで一気に読み通さずにはいられない気持にさせられる。(中略)
 ことばのほとんど通じない国で、雲をつかむようなたよりなさ、不審さの中に宙づりにされながら、見たまま、感じたままを逐一語って行くという著者の一貫した態度は、かえってこの旅行記に底知れぬ奥行きと厚みを与えていて、紀行文学の一傑作と呼ぶべきものが、ここに実現している。」



目次:

ワルシャワまで
ワルシャワにて
墓地のにぎわい
ワルシャワの町歩き
ワルシャワでの日々

クラクフへ
クラクフにて
カメドゥウフ修道院まで
カメドゥウフ修道院にて
ヴィェリチカまで
ヴィェリチカにて

ふたたびワルシャワへ
スターレ・ミアスト界隈
ニェポカラヌフへ
ニェポカラヌフにて

またワルシャワへ
イェジョルナ散策
トゥウシチへ
トゥウシチにて
トゥウシチから

二人のスタニスワフ
チェンストホーヴァへ
チェンストホーヴァにて
オシヴィェンチムへ
オシヴィェンチムまで
ブジェジンカにて
さらばワルシャワ!

プラハまで
プラハにて

マジャールを越えて
ベオグラードのホテルにて
ベオグラード市街瞥見
人形劇場
カレメグダン城址
ラコヴィツァ往復

ふたたびモスクワへ
ふたたびモスクワにて
モスクワの凍え
コロミンスコエ村へ
さらば! モスクワ



島尾敏雄 夢のかげを求めて 02



◆本書より◆


「ワルシャワまで」より:

「どんな魔がさしたか、東欧に行ってみたい気になっていた。東欧と言っていいかどうか、私の言いたいのは、ロシヤ人とドイツ人にはさまれた地帯のこと。たとえばそこには、ポーランドとか、チェコスロヴァキヤ、そしてハンガリー、ルーマニヤ、ブルガリヤ、ユーゴスラヴィア、アルバニアなどの国々がある。そこは私のヨーロッパ理解の中で、うまく消化できずにわきにどけて置いた場所のようにも思う。もっとも二年ほどまえ、ポーランドを十日ばかりのぞいてきた。それがあるいは誘いになったかもしれず、またスラヴの人たちにひきつけられるかたむきを私は持っているから、知らず識らず、そのあたりに思いが駈けるのか。ナホトカ航路のあとハバロフスクからモスクワを通る道を選び、そして帰りも同じ道をもどってくることを考えていたから、そのほとんどを、スラヴの人たちのあいだを縫うことになるようであった。」

「私は計画のうつろな世間知らず。」

「鍵でドアをあけ自分の部屋にはいってしまえば、もう外に出たくなくなるのがふしぎだ。じっとあれこれと心配の種を反芻するだけで時間はどんどん過ぎ、ラジオ(きくことのできるネットはひとつだけに固定されていたが)のスイッチをひねれば、音楽か人間の声がきこえ、それを耳にしているだけで時はおもしろいほど刻まれて行った。部屋の中だけが、自分の城郭、一歩足をドアの外にふみだせば、もうその廊下の絨毯のところから特別な緊張を強いられると感じた。服装を崩してみても正しても、身にそぐわぬ根拠、などと思ってしまう。でもどこかの時点では、意を決して自分を外に押しださねばならない。」

「ラジオの箱から出てくる声も、個性的なものとしてより、この国の受苦の果てのそれとしか私は受けとりようがない。私には私の環境から受けた累積があり、そのかぎりで私のかたちがあらわされているが、なぜ異質のものに、折々に心を奪われることが起こるのだろう。でも私はその思考を放棄しよう。思いつめるとへんに意識がむずがゆくなり、その揚句にそれが剥がれでもすれば厄介なことだ。」



「ワルシャワにて」より:

「そして私はかつて落ちた感受の中にふたたび落ちたことに気づく。モチロンということばが彼女の口から出されると、ふだん使われる意味とどことなく少しずれていることがわかるのだが、それがまるきりまちがっているのではなく、かえってそのことばの意味の広がりか、または開拓された可能性のようにきこえてくることがおかしかった。もしかしたらポーランド語のふだんのことばに「モチロン」と感応しやすいそれがあって、彼女はそのことばをかさねながらモチロンを使っているのではないか。」


「墓地のにぎわい」より:

「この国の度かさなる国境の移動は、まるで自分の場所を見つけるための作業にそっくりだと考えたのであったか。ときにその領域を広げすぎたかと思うと全く居場所を失ったかの如くそのかげを失い、錯誤をかさねて二枚あわせのガラスの領域図を右にずらせ左に移ししているうち、現在の立場にようやく焦点が合った様子なのだが、それがこのまま動かずにすむとも思えない。もともと自分はなにものなのかと、遡行を試みてもその確かなみなもとなどわかるはずもないが、しかし私が私以外のなにものでもないことは、それらの作業のあいだにいよいよ色濃くわき立ってくるようなのだ。しかし自分の中に含みもつ混沌の地下道はどこにつづいているのか定かでないことがむしろ私の日々を支えている、というようなことなのか。」


「ワルシャワでの日々」より:

「ワジェンキは公園につけられた名まえだが、十八世紀のころは当時の王様の夏の別荘であった。ワジェンキのもとの意味についてアンナはなんとか言ったが、よくわからず、Kがいろいろききだした結果、風呂場ということばに落ちついた。Kと私が微笑すると、「デモ、イマ、ワ、デントーテキ、ナ、ナマエ、ダケデス」と彼女は言っていた。「デスガ、コノ、キューデン、ノ、ソバ、ニ、タクサン、ノ、ドーゾー、ガ、アリマス」。彼女はスタニスワフにくらべると、文脈も筋が通り、語彙も豊富だけれど、その言いまわしは私にはふしぎなことばとしてきこえた。彼女が母語をはなすときと、声の調子が別に変わるわけもないと思えるが、日本語のときの彼女のそれには或る甘さが感じられたのはなぜだろう。それはクリスティーナにもあったし、ことばの使い方には共通のくせがあり、それは日本語のひとつの方言として私の耳は受けたのだった。小鳥も草花もそしてにんげんもおなじ動詞の活用のなかで生かされ、むしろ日本語のあたらしい表現を装っているかのようにきこえた。「タトエバ、コノ、キューデン、ノ、ヨーシキ、コテン、ノ、ヨーシキ、デス。コノ、タテモーノ、ノ、ナマエ、ワ、ミカン、デス。ナカ、ニ、アツイ、クーキ、デシタ。デスガ、イマ、ワ、レモント、ダケ、デス。ザンネンデス」。それはどうしてもひとつの奇妙な空間とでもいえるもののかたちが誘いだされ、ミカンやレモンがでてくると私は果実のにおいにむせ、その意味をわかろうとする努力を捨てていたようなのだが、Kは日本語とポーランド語を使いわけて彼女の言おうとする単純なことがらをあきらかにすることをやめようとしない。宮殿につけられた名まえを日本語に直せば蜜柑だったか或るいは未完のことだったか。レモントはポーランド語で修復のことのようで、修理中で施設は休んでいるらしかった。ソビエトでもそうだったが、日本語では宮殿としか訳せない名まえの施設がいたるところにあって、私に現実と童話の境界をあいまいにさせる作用が与えられた。キューデンがミカンやレモンで、中はアツイクーキだという場所を見たいと思ったのは、スタニスワフが言った塩でできた地下の教会にうごいたこころとかわらない。でもそれはこころがうごいただけで、それを実際に見たいとも思わせぬほど、数少ないことばのなかで私の想像をゆたかにしてくれた。」

「たとえ、この国での食堂での晩餐に不文律ながら守った方がいい習慣があったとしても、それを私が知るはずもないし、きき知ったところで手なれた実行に移せるものではない。あたりまえのことだけれど、私は私のやり方をすすめるより仕方がなく、それにはどうしてもためらいもともなうが、ためらいつつも手さぐりでよその国の習慣の中にはいって行くことには、軽い冒険のたのしみもないわけではない。どういうわけか、ステージのまえのあたりの食卓はすべて空席になっていたのだが、足がまずそちらの方に向いてしまっていたから、引きかえすことはあきらめ、いっそのことまともに向かう一番まえの食卓の、ステージと対面した椅子をえらんで坐ったのだ。」



「クラクフへ」より:

「なにやら自分もワルシャワ市民のひとりになったつもりのやすらぎがあった。つと異様な服装が入口のあたりから私の視野にはいりこみ、それが広がり近づきふたりの少女とわかっただけでなくしかもまっすぐ私たちのテーブルに向かって来たことが確かめられたときは、咄嗟にはその状況が理解できなかった。少女たちは時代おくれな裾長のひだの多いスカートをまとい、肩かけなどもしていて全体に装飾の多すぎる感じを与えていたのだから、もしなにかのじょうだんでなければ、ポーランドの国以外のひとかも知れぬと考えたとき、私の頭のなかではインドの観光客か留学生かもしれぬと思っていたのだった。皮膚があさぐろく目もとのくろずんだ肉のうすい容貌もそう思わせるだけの似通いがあったのに、なぜ彼女たちは店にはいるとすぐ、ほかの客には目もくれずに私たちのテーブルにやってきたのか。そしてそばにつっ立ったままで、となえごとのようなひとりごとを年かさの方の少女が言いはじめたのだ。臆せずにじっと見つめてくる目には、ここと定めた場所はどんなことがあっても動かない決意が光っていて、むしろ憎しみをぶつけてくるぐあいに受けとれた。彼女の手にはトランプがにぎられ、にぶい動作でそれをいじっているのが目についた。ジプシーの娘だと気づいたのは、そのトランプを見たときだったかもしれぬ。Kははじめからわかっていたはずだけれど、私は彼には注意を向けずに少女たちの異様さに押されていたので、彼から教えられるすきがなかった。私がどうしてよいかに迷ったのは、少女たちの冷たい目つきとかたくなに固守しているその固有の服装にばかりではない。「どうしよう」と、ついKに相談をかけたけれど、Kはだまっていた。もし反対に私がKからそう言われても、おそらく返事などできなかったろう。少女たちの目的がトランプ占いにあるのではないことぐらい、私にも見当がつき、つまり私は硬貨を彼女の手ににぎらせるかどうかを問われていたのだった。「やらない方がいいなら、こっちも頑張ってみようか」と言ってみても、私はもう十ズウォーティの硬貨をポケットの中でにぎっていた。「日本人がよくねらわれるよ。彼女たちのいいお得意さんらしい」とKはうつむいて言って菓子を食べていた、「だからまっすぐこっちにやってきただろう」。少女は物乞いのことばをとぎらせずに言いつづけていたから、店のなかの客や従業員がみな私たちの方に視線を向けている痛い気配が感じとれた。「このひとたちに、ぼくはよわい。だめなんだな」そう言って、Kにわからぬようにつかんだ硬貨を少女の手のひらにおしつけてやったとたん、彼女はそれまでのおしゃべりをぷつりとやめたかと思うと、くるりとくびすをかえし、そのままほかの客には見向きもせずに外に出て行ってしまったのだ。私はそこでなにをしたことになったのだったか。なぜだかのこりの食べものもそこそこにして、ふたりはその店を出たが、すくなくとも私は、さきの少女たちが人々から背中に受けた視線は、私の背中にも射こまれたような気持になっていたのだった。しかし彼女たちはその視線をはねかえす無関心ですきまもなくこころをよろっていたけれど、私のそれはどんな防具もないように思えたのだった。」


「ヴィェリチカにて」より:

「つい吸いこまれるように一行のあとにつづき私はくらい地の底への入口を越えていたが、へんなことに、死刑の宣告を受けた者が刑場に引かれるときもきっとこんなだ、などと考えていたのだ。この塩鉱のかたちについてははじめからはぐらかされ通しでまるきり予想のつかなくなっていた私は、心構えようもない中腰のままの手さぐりでしか進めず、気持を処理した上で、というふうではなく、改札口を買い求めた切符を手渡しつつ通りすぎるや否や、地の底へ開いた小さな穴を底深く降りて行く螺旋なりの木の階段に足をかけさせられていた。それでもなおまだバスが用意されたところに出るつもりでいたのだから、ここのところを早くすませて、ぐらいにしか思っていなかった。階段は二つ三ついっしょにとび越えるようにし、ものごとの途中はよく噛まずに呑みこんで、と言わぬばかり、目的のところに早く到達したいあせりに噛みつかれ、先にあるものの見きわめもつかぬまま、私だけでなくみんなが駈け足でとびおりて行った。」
「改札口を通りぬけるや有無を言わされず、地の底へなだれるように落ちこんだ最初のいきおいの速度を誰も変えようとしなかったのは、ここのところはほんのわずか、すぐにも目のまえに別の状況の展開があらわれると期待したからだ。(中略)しかしその見当はすっかりはずれた。当初私たちをおそったはしゃぎは、急に日常のつくろいを崩され解放を感じたからだ。(中略)すぐ行きつくと思った場所はどこまでも下に逃げ、まるで底無しの下降をつづけなければならぬ気分になってきた。私に追いせまり追い越して行く者のいるあいだはそれでもよかったが、やがて前の者と後の者の距離がしだいに開いてきて、ふと立ちどまっても、しばらくは次の者の姿があとにあらわれてこなくなった。足もとにばかり気をとられていたせいか、ふみ板の方は汚損や危険な箇所まで見えていたのに、まわりがどうなっていたかはいっこうに思いだせない。ただ早く前の者に追いすがらないと、どこに行ったか見当がつかなくなり、後から来る人たちにも迷惑をかけることになりはしないかなど、あせりぎみになっていた。でも果たして誰かが先導してくれているのか。そうではなく、ただやみくもに憑かれたように前の者を追って走り下りているだけではないのか。それは不安ごっこのように私の頭脳をよぎり、Kともはぐれ何人かに追い越された自分はどのあたりを歩いているかもわからない。(中略)すると、危険に追われた私が地底深い坑道に逃げこんだ状況がかさなってしまい、自分は体力ぎりぎりのところで難渋しているのに、かれらは、ふざけて音をあげ、さわぎ声を出してみせたりしながらも、その実取るべき処置はすばやく取り終え、悠々としているのではないかと思われてきたのだ。そのときなぜか私は残酷な仕組みのなかに取りのこされたと思った。それは長い長いあいだの度かさなる体験のあとで身につけたかれらの活力のなかに、無謀にもまぎれこんだあわれな生きもののように自分が見え、どこかをまちがえてこんなことになってしまった、とふと正体のはっきりしない恐怖がちらと通りすぎて行った気になった。」



「オシヴィェンチムまで」より:

「そして広い畑の中の道をゆるいカーヴを描きながら進んだそのつきあたりのところに、行手をはばむような建物が横たわっているのが見えてくる。煉瓦造りの一階建て。だが横に長くてまるで城壁のようだ。中央にひときわ丈高く鎌首をもちあげたぐあいの塔は望楼にちがいあるまい。拒むことのできぬ吸引力がその建物全体からもやもやとたちのぼり、私たちの方にのびてきて有無を言わさず包みくるみ、その建物の中に引っぱりこんで行きそうな気がしてきた。その中はどんな光景になっているのか。タクシーの運転手は待つことをにべもなくことわって田園の中の道を引きかえしてしまう。まるでここまで送りとどけられたものの帰途は絶たれて無気味な建物の門前に投げだされたぐあいだ。天はいっそうかげりを濃くしてきた。ここにつれてこられた以上は帰りの心配など末の末のことだ。一種の恍惚とした感動が身うちをかけまわり、吸いこまれるように私は望楼の下の門に近づいた。押しかぶさるような天井と両わきの煉瓦の壁からひたひたと冷たい気配がにじみ出てくる、上部をアーチなりにくりぬいた空間がその向こうの世界を収斂している。そこをくぐりぬけなければならぬ私の皮膚は誰何される鋭い声を期待しつつ死に急いでいるかのようだ。


島尾敏雄 夢のかげを求めて 03


島尾敏雄 夢のかげを求めて 04





















































































島尾敏雄 『夢の中での日常』

「「一寸(ちょっと)」
 女がびっくりしてつまったような声を出した。「あなた頭どうかしたの。へんなもの、一ぱい」」

(島尾敏雄 「夢の中での日常」 より)


島尾敏雄 
『夢の中での日常』


沖積舎 
1992年7月22日 発行
308p 
四六判 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー 
定価3,000円(本体2,913円)
装釘: 鹿窪政文



本書「あとがき」(島尾ミホ)より:

「此の度沖積舎から出版して戴くこの『夢の中での日常』には十八篇の短篇が収められております。終戦後間もない昭和二十一年四月から二十九年十月までに発表されたこれ等初期作品群について島尾は〔自分の表現を見つけようとして塁々たる死骸を築いた〕と書いたことがありますが、ともあれ爾後の夢に関わりを持つ作品への嚆矢ともなったのではないでしょうか。
 今秋は亡夫の七回忌を迎えますが、その節目の年に初期の作品群『夢の中での日常』と『記夢志』の二著が沖積舎より再刊行の運びとなりますことは、島尾と私への此の上ない恵贈と喜びに堪えません。」



島尾敏雄 夢の中での日常


帯文:

「世界一の超現実主義小説
日本の、いや世界の文学の中でもっともすぐれた超現実主義小説である。目に見えるものと目に見えないものとが等価に感じられる島尾は夢に左右される少年であったが、震洋特攻隊長としての極限状況から見るこの世のネガ画の姿も大きな意味を持っていただろう。レプラに罹った小学校の級友に本心を見透かされて少女を犠牲にして逃げるところから悪夢の世界に入って行くのが自然で、西洋人の子供を産んだ母、頭がカルシウム煎べいのようになりかゆく、胃に核が出来、それを引上げているうちに足袋が裏返しになるようにイカみたいになって小川につかっている。この臓器感覚はまことに自然で、悪夢のようである。「孤島夢」「摩天楼」「兆」など一連の夢の小説は、幻想文学の核といってよいだろう。(奥野健男)」



目次:

孤島夢
摩天楼
石像歩き出す
夢の中での日常
勾配のあるラビリンス
鎮魂記
アスファルトと蜘蛛の子ら
宿定め

亀甲の裂け目
月暈
大鋏
死人の訪れ
坂道の途上で
鬼剥げ
むかで
川流れ
肝の小さいままに

あとがき――著者に代わって (島尾ミホ)




◆本書より◆


「摩天楼」より:

「それは何処の国の何と言う細工か知らないが、そして又そんなものを実際に見たことがあったのかさえあやふやなのだが、私は眼をつぶるだけで、というより寧ろつぶった気持になるだけで、私の眼の前に微細な細工を組立てることが出来る。小さなものでは白く晒された骸骨に刻明に刻み込まれた死んだ母の或る時の表情から、大きなものになっては、私の想像の中丈に確かに存在している冠詞のついた私の市街のようなものを迄立ち所に建設したり崩したりしてみせることが出来る。骸骨細工のその特定の人の表情はあまりにまざまざしていて、そんなものを空間に刻むすさびを知っているようなことは何か神秘とか運命とかいう言葉をさえ使いたくなる程に神経の疲れた時に、その効果は覿面のようだ。私の市街の方については、その色々の場所の街の表情にあまりに馴染みになっていて、実際そんな所に私は住んでいたのではないかとあやしくなる。その大かたは、夢の中で学びとったものだと思っている。一回の夢でその市街の全貌を見ることはないのだが、度々の夢で見た市街の一部が、つぎはぎされ重なり合ってそして結局はみんなつなぎ合うことの出来る、一つの性格を持った市街を構成しているのだ。その市街の中には、崩れ落ちた所もあり、殷賑な地区もあるかと思うと、野原さえ無くもない。又山岳都市のような様相の見える角度もある。市街を流れる川は嘗って氾濫したこともあり、或る時は私はその市街の高層建築の立ち並んだビルディングの谷底を、脱獄した凶悪な殺人犯人にしぶとくつけ廻されて足が立ちすくんで歩けなくなった記憶も持っている。その市街にある電気椅子の死刑台で私は死刑に処せられたこともあった。」


「石像歩き出す」より:

「私はその石像の立っていた街角を知っていた。その石像は私にサカノウエタムラマロという「韻律」で耳を通して知られていた。おや、サカノウエタムラマロがどうして歩き出したのだろう。私は小走りに石像の前に出て、年を歴て雨風にさらされたためにのっぺらぼうに近い石像の顔を見上げた。太い口髭のへんに特徴があって、ゆったりゆったり歩いていた。
 「一体どうしたというのです」
 私は問いを発していた。しかしそれは、ちょっと変った仕方で相手に通じた。私はその問いを声に出していったのではない。サカノウエタムラマロの顔を見上げて横歩きしながら、そうちらと心で思うとその思いがはっきりサカノウエタムラマロに通じていた。彼は大儀そうにちょっと首をふり向けて腰の辺に眼差しを落した。私は急いでそこに眼をやると何やら昔の年号が彫ってあった。その年号こそは、たれも知ることの出来なかった重大な秘密の鍵の符号ではないか。私はそう思った。すると、私の眼の前に「つろ」という物質と「おま」という物質がすっと現われてすっと消えた。「つろ」も「おま」も、どんなものであったかは、ちょっと説明が出来ないが、そのときに私は、その前後して出て来た二つの物質の名前が「つろ」と「おま」」であることを了解した。私は追いかぶせるように、
 「もう一字足りまへんで」
 と彼の顔を見上げて言った。サカノウエタムラマロは、ちょっとあわてたような身振りをしたが、その返事はすぐに与えられた。私の鼻はぷんとさすようなにおいに襲われた。それは「す」のにおいであった。
 私は、彼の意思の表現の仕方を理解すると、はっはっと声を出して笑った。ははは「つろおます」か。だが、彼はちっともつらそうではない。相変らず、のん気に、しかも何か明るそうに歩いていく。」























































































島尾敏雄 『硝子障子のシルエット』

「街にこんなに犬が殖えて来てああ厭なことだ。どうしてこんなにたくさんの犬がうろうろ歩き回っていることなのか。(中略)これらの夥しい犬はどこに棲息していることなのか。」
(島尾敏雄 「街なかは荒野!」 より)


島尾敏雄 
『硝子障子のシルエット 
葉篇小説集』


創樹社 
1972年2月25日 第1刷
214p 
四六判 丸背布装上製本 貼函 
定価800円
装幀・装画: 司修



本書「あとがき」より:

「創樹社を創設した竹内達さんと玉井五一さんのところから書物を出してもらうことになって、林檎箱の中をさがしたら、ごく短い小説十二篇があらたに出てきた。それは昭和二十七年から二十九年にかけた約三年のあいだに大阪のABC放送から放送してもらった台本の大部分だった。当時友人の庄野潤三がその放送局のプロデューサーをしていて、彼の企画で引受けたいくつかの仕事の中のそれは「掌小説」として書いたものであった。それらの日々、私は父のもとをはなれ東京に出て、妻と子供二人の、四人水いらずの生活を送っていたが、ABCでの折々の仕事が生活の支えに役立った。今度それらを読みかえし、思いきってまとめて置こうと思ったのは、たぶん歳月の癒しがはたらいてのことだろう。同時にてごろな短さの小説のつもりで書いたとも言えるほかのものをも、この際収集してみたが(その多くは十年ほどまえのエッセイ集の中に収めた)、その二十八篇中十七篇までは、ABC放送の「掌小説」として書いたものだ。
 三区分に配置したのは、I に夢と現のさだかでないもの、II に幼少年時や戦中戦後に素材を求めたもの、そして III になかんずく東京都江戸川区小岩町での三年間の生活にだぶらせてその渦中で書いたものを、それぞれ区別したかったからだ。
 これらを名づけて「葉篇」と呼ぶその用字は、李昇潤さんの私宛のてがみの中で発見した。彼が私のごく短い小説を指して呼んだその「葉篇小説」という言い方を、この書物の副題にしても彼はおそらくは許してくれるだろう。」



島尾敏雄 硝子障子のシルエット 01


目次:

I
街なかは荒野!

夢にて
体験

II
三つの記憶
松田君の場合
笛の音
草珊瑚

III
硝子障子のシルエット
鶏飼い
終電車
鶏の死
妻の職業
きみよちゃんの事
金魚
子供
突つき順
おちび
ニャンコ
居坐り猫
マヤ
玉の死
ある猫の死のあとさき
つゆのはれ間
二軒の古本屋
運動会
拾った猫
地蔵のぬくみ

あとがき

跋 (埴谷雄高)



島尾敏雄 硝子障子のシルエット 02



◆本書より◆


「夢にて」より:

「その日。白い雲がもくもくと湾口の岬の方の空に出ているのを行く手に見ながら、両側に低い家並のつづいた道を歩いて勤め先に足を運んでいた。もう夏は過ぎてしまったのにまだあんな雲の出ることがあるのだなと思ったとたんに、その裂け目から朱にぬられた物体がつと首を前に出すように現われて、胸壁を削ぐような不安な音が、故障箇所の直った拡声器みたいにいきなり耳にかぶさってきた。」


「体験」より:

「げんかんのまえに小川がながれ、それをまたいでその幼稚園にはいることができたが、小川の底にはかどのとれた丸石がいっぱいしずんでいた。そしてそのなかからまいにちみっつずつとりのぞかれる。とりのぞかれた石は、ちいさいものじゅんにならべられ、それがあいずになって幼稚園のこどもがさんにん溶かされてしまう。とけてなくなってこの世から消されるのだ。なんということか、このへんな殺人のしごとをうけもっているのが、ぼくのむかしのクラスメイトだとは。小学校のときのか、それとも予備学生のそれだったかはっきりおもいだせないのだが、かつておなじなかまという、うすまくにへだてられた誤解にもとづくあの親密なけはいがかれとのあいだにあって、ぼくはかれのひとがらをみわけることができない。めのふちがずずぐろくくまどっているのはかれのしごとのせいだとおもう。そんなことはやめてはどうかとすすめたが、宿命だからやめるわけにはいかないといっていた。それいじょうあえてことばをかさねるのはおそろしい。」


島尾敏雄 硝子障子のシルエット 03




































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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