塚本靑史 『わが父塚本邦雄』

「この頃から、邦雄は私に対して敬語を使うようになった。不思議に思って聞き質す。
 「僕が誰か判ってるんやろな?」
 「私の、兄上とお見かけいたします」
 「何で兄の方が若いねん?」
 「それが唯一、不思議でした」
 あまり笑えない掛け合い漫才である。」

(塚本靑史 『わが父塚本邦雄』 より)


塚本靑史 
『わが父塚本邦雄』


白水社 
2014年12月5日 印刷
2014年12月25日 発行
285p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,600円+税
装幀: 間村俊一
カバー・表紙写真: 小方悟



本書「後記」より:

「今回、塚本邦雄の生涯を息子の目から書くという作業に挑戦してみた。したがって、学者が詳細に作品を検討した塚本邦雄論とは、明らかに趣を異にしよう。」
「私の邦雄についての話は、記憶から時系列的に出してきたものだ。無論、裏付けできるものは確認を取っている。
 もともと父親の日常など、息子は問題にしていない。しかし、同じ空間で日常生活してきたことから、不断は公にしていない卑近なことを見聞きしている。無論、他人に語るべきではないこともあろうが、私しか書けず伝えなければならないこともある。」
「文学史に名を留めるということは、只の個人ではない。そのための情報公開は、作品(資料や遺品を含めて)を守ることにもなり、今回の文章となった次第だ。」



はっ (`・ω・´)ゞ
自分は子どものころから塚本邦雄さんの本を集めて愛読している者でありますが
じつは塚本さんがどういう人なのかよく知らないので
本書をよんでみたであります (`・ω・´)ゞ
本書をよむと塚本邦雄さんについてもそこそこわかるでありますが
著者の塚本靑史さんについてもわかるので一石二鳥であります (`・ω・´)ゞ
そういえば著者の小説『霍去病』は
東方朔がでてくるので自分も買ってよんだであります (`・ω・´)ゞ
本書によると中井英夫さんは
酔っぱらって電話してきてからむので塚本さんから嫌われていたらしく、
寺山修司さん宛書簡では「あんなやつと一緒に書籍を作るぐらいなら、大山デブ子と子供でも作る方がましだ」
さんざんないわれようであります (`・ω・´)ゞ
あと著者が塚本邦雄さんに山上たつひこさんのまんがを贈ったら
「ファーブル新婚記」を激賞していたというのは耳寄りでありました (`・ω・´)ゞ
あと本書の奥付裏ページには「白水社の本」として
『わが父 波郷』 『父 荷風』 『父 水上勉』
の広告が掲載されているであります (`・ω・´)ゞ
ちなみに自分がすきな父ものは
『父・萩原朔太郎』と『月の家族』であります (`・ω・´)ゞ

本文中図版(モノクロ)多数であります (`・ω・´)ゞ


塚本青史 わが父塚本邦雄 01


塚本青史 わが父塚本邦雄 02


目次:

第一章 生誕 ― 敗戦まで (一九二〇~一九四五)年
第二章 青年 ― 結婚と闘病 (一九四五~一九五四)年
第三章 壮年Ⅰ ― 社会復帰と「極」 (一九五五~一九六五)年
第四章 壮年Ⅱ ― 寺山修司と百合若 (一九六六~一九七五)年
第五章 壮年Ⅲ ― 執筆専業と政田岑生 (一九七六~一九八四)年
第六章 初老 ― 玲瓏と賞(章) (一九八五~一九九五)年
第七章 晩年 ― 全集 (一九九五~二〇〇五)年

付記
後記
塚本邦雄略年譜
塚本邦雄著作一覧



塚本青史 わが父塚本邦雄 03



◆本書より◆


「第二章」より:

「この頃、飼い犬(ノエル)は成長して、もう成犬の風格を示していた。そういえば今と違って、当時は放し飼いのような状態で、四歳児になった私と母(慶子)が出かけようとしたとき、ノエルは鴻池新田の駅まで付いてきて、もう少しで片町線の電車にまで乗り込むところだった。
 慶子が追い出すと、なんとか家まで帰っていた。飼い方にも問題はあったろうが、大して芸も覚えず、あまり賢い犬とは言いがたかった。
 一度は、調教しようとした私の顔に噛みついた程だった。それには、さすがに両親も怒っていた。もっとも、私も薪を持って命令を素直に肯かないノエルを叩いたので、犬もよほど嫌がったのだ。

  わが飼へる犬が卑しき耳垂れて眠りをり誰からも愛さるるな  『裝飾樂句(カデンツァ)』
 
 邦雄もこの犬が、それほど好きではなかった。ノエルには悪いが、それは右の歌に表れている。」

「ノエルが野犬捕獲人の罠にかかった。目撃者によると、野良犬が入れられている檻付きの車を追っていったからだという。
 針金の輪で深く絞められていたので、もう助からないとのことだった。」
「実は、ノエルの捕獲は、これで二度目だった。前回は捕獲の針金の締め具合が軽かったので一命を取り留めた。そこで、母が数百円払って解放して貰ったのだった。それでも、今回再度捕まったのなら、さっぱり学習能力がない無能犬と、自ら証明したようなものだ。五歳児がノエルを最後に目にしたのは、前日の夕食時だった。それは、実に呆気ない別れであった。

  死の自由われにもありて翳のごと初夏(はつなつ)の町ゆく犬殺し  『日本人靈歌』」



「第四章」より:

「その後、寺山修司と邦雄の間で、次のような会話が交わされた。
 「塚本さん、犬を飼うの初めて?」
 「いや、昔ィ、ノエルっていう阿呆な犬を飼うたら、息子の顔を咬みよってな」
 「へえ、それじゃ、随分叱(しか)られたろうね?」
 「いや、堪(こた)えんやつやったわァ。格子の付いた野犬捕獲の車に付いていって御用になったくらいやから、犬としては相当ォ鈍かったんやろな」
 「それは違うよ」
 「なにが?」
 「それはさあ、そのノエルが靑史君の顔を咬んで以来、塚本家の、犬に対する態度ががらりと変わって、犬に辛く当たるようになったんだよ」
 「いや、そんなことはない」
 「きっとそうだよ。それでさあ、犬は世を儚(はかな)んで、犬捕りの後を追って自殺したんだ」
 寺山修司の即興小説は傑作だった。そう言えば、野球を全く知らない邦雄に、どういうゲームか解説したという。
 「投手と捕手という恋人同士がいてさあ。彼らはボールを投げることによって初めて意思を伝え合えるんだ。それを、バッターっていう横恋慕男が邪魔をしてボールを打つんだ。でも二人には、内野と外野と呼ばれる七人の味方がいて、ボールを取って返してくれる。野球ってそんなゲームなんだよ」
 寺山修司からこのように説明されて、邦雄は解ったというから恐ろしい。」



「第五章」より:

「邦雄が、東洋工業株式会社(現マツダ株式会社)PRのために広島へ行ったのは、一九七六年(昭和五十一年)の二月である。」
「マツダの車種を織り込んだ邦雄の歌が、月刊誌のグラビア印刷広告頁を飾ったのは、それから二ヶ月後となる。

  柹若葉(かきわかば)匂ふ夜の街縦横の光の澪(みを)にきらめく「川鱒(ルーチェ)」

  わが愛の眞紅(しんく)の「コスモ」春眞晝二つの夢の境を越すも

  草の上の晝餉(ひるげ)終りて背合せにはらから眠る靑き「ファミリア」

  しなやかに罌粟(けし)の花群(はなむら)分けて過ぐ羅馬皇帝(カエサル)も知らざりし「牝山羊(カペラ)」よ

                右四首 月刊『文藝春秋』76年5月号 (歌集未収録)

 一見、塚本邦雄と何の関係があるのかと思われるような仕事を、この後にも邦雄は幾つか手を付けている。
 例えば『北畠親房公歌集』(北畠親房公顯彰會)の解題鑑賞がある。
 これは、読んで字のごとき仕事をしたものだ。しかし、なぜ、北畠親房なのかと誰でも思おう。」



「第七章」より:

「翌二〇〇二年(平成十四年)一月二十二日(火)だったと記憶する。雨がしとしと降る夜明け前に、病院からの電話が鳴った。
 「お父様が、骨折で入院されました」
 何のことか判らなかった。
 「父親は、二階で寝ていますが」
 応えながら、寝床へ行ってみた。だが、蛻(もぬけ)の殻(から)だった。
 邦雄は自宅から二百メートルばかり北西の溝で倒れ、右腕を骨折したらしい。通りかかった新聞配達の青年が通報してくれ、救急車で運ばれたのだ。
 雨の未明に、邦雄は読んでいた本(陣内秀信著『ヴェネツィア――水上の迷宮都市』)を持って家を出た。推し量ってみるに、ある頁に重要な何かを見つけ出し、近くのコンビニへコピーを取りに行こうとしたらしい。
 だが、暗かったので道に迷い、おまけに蹴躓(けつまず)いて溝へ倒れたのだろう。その際、打ちどころが悪く右腕を折ったのだ。
 本は泥だらけにしながらも、しっかり握っていたという。」



塚本青史 わが父塚本邦雄 04



こちらもご参照下さい:

塚本邦雄 『麒麟騎手 ― 寺山修司論』 (新装版)
寺山修司 『黄金時代』 (河出文庫)
本多正一 『プラネタリウムにて ― 中井英夫に』
陣内秀信 『ヴェネツィア ― 水上の迷宮都市』 (講談社現代新書)































































































































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塚本邦雄 『百花遊歴』

塚本邦雄 
『百花遊歴』


文藝春秋
1979年3月5日 第1刷
326p
四六判 丸背布装上製本 貼函
定価2,700円
装幀: 川島萬里
本文割附: 政田岑生
写真: 伊藤隆夫/大橋治三/川島敏生
カット: 加藤敏彦



本書「詞苑馥郁」より:

「私の愛する花花に關して克明なデータを殘しておかうと思ついたのは既に十數年も前のことだつた。すべての植物を、たとへば歳時記風に分類して、俳句のみならず、詩歌全般に亙つて作品例を擧げる試みは、既に幾つかの書が公刊されてゐる。通覽したところ、やむを得ぬことながら、そこに羅列してある歌や句は、怖るべき偏りがあり、その上秀吟絶唱に乏しい。どうやら實際に肉眼でその植物を視て歌ひ吟じたと思はれる、狹義の冩實作品のみを採用の對象とするつもりだつたらしい。二十一代集の四季に現れる和歌は九割九分まで、戰後短歌の主流は八割八分方、失格となるのは火を睹るよりも明らかである。
 できることなら、これらの書の一切を私の手で補正改變すべきであつた。だが、それは個人の能力を超えた一種の重勞働であらう。せめて、私一人の執著する一部のみでもと思ひつつ、花の名を選び始めてゐた頃、「小原流插花」(中略)から連載の依賴を受けた。私撰「詞華植物園」は、「百花遊歴」のタイトルで、昭和五十一年四月から二十四囘、月月に、趣向を凝らした鮮烈な冩眞を配して掲載される。一花一花、私の幼時から青春、壯年にかけての、魂の遍歴に、かけがへのない精彩を添へてくれた。二十四科、各科平均四、五種の草木を含み、眞に秀作と呼ばるべきものを飾つた。」



正字・正かな。


塚本邦雄 百花遊歴 01


帯文:

「繚亂たる詞華植物園
古今東西にわたる詩・歌・句の膨大な詞華の饗宴に盛られた『花』の眞髓を、十數年の歳月と薀蓄とを傾けて渉獵し、著者獨自の深耕を施しつつ色彩も匂ひやかな夢の花圃に培つた本邦初刊の言語美術庭園」



塚本邦雄 百花遊歴 02


帯背:

「本邦初刊の
詞華植物園」



帯裏:

「――花は歌人を象徴する。たとへば晶子・白秋・茂吉・牧水の四人を擧げてみても、その特徴は歴然としてゐる。晶子の蓮や牡丹、茂吉の苧環に通草、牧水の櫻、そして白秋のまさに植物園的多彩性、いづれも、それぞれの意味で目を瞠らせる。詩歌は花花によつて綴られ、花花は詩歌人の人生を反映し、代代の歌人は一莖一花におのが魂を託して來た。ここに設けた詩歌植物園の二十四の花圃は、有り得べき、壮大な言語美術庭園のささやかな縮圖に過ぎない。志ある朋達は、一人また一人、みづからの手で、ここに缺落した花花の領分を補つてほしい。
(著者『跋』より)」



塚本邦雄 百花遊歴 03


塚本邦雄 百花遊歴 04


目次:

《序》開花の詞

登場植物一覽

馬醉木  花馬醉木(はなあしび)風にかわきてうつしみは編目弛びし悲しみの籠
椿  一人(いちにん)の刺客(しかく)を措(お)きてえらぶべき愛なくば 水の底の椿
菫  すみれ咲く或る日の展墓(てんぼ)死はわれを未だ花婿のごとく拒まむ
罌粟  罌粟播きてその赤き繪を標(しめ)とせりはるけきわざはひを待つ家族
薔薇  薔薇、胎兒、慾望その他幽閉しことごとく夜の塀そびえたつ
勿忘草  少年の戀、かさねあふてのひらに光る忘れな草の種子など
茴香  靑春は一瞬にして髭けむるくちびるの端(は)の茴香(うゐきやう)の oui!
百合  ダマスクス生れの火夫がひと夜ねてかへる港の百合科植物
ジギタリス  赤い旗のひるがへる野に根をおろし下から上へ咲くジギタリス
泰山木  泰山木雪白の花ふふみたり靑年を棄てて何を愛する
燕子花  かきつばたこの夜男ら亂鬪に破れたる衣(きぬ)胸に飾らむ
海芋  花屋には海芋(かいう)蒸(む)れつつクー・デタァこころ戀ふわが皮膚呼吸(ペルスピラチオ)
梔子  くちなしの實煮る妹よ鏖殺(あうさつ)ののちに來む世のはつなつのため
紫陽花  人は幼き日より老いつつあぢさゐに晝たまゆらの靑とどまらず
ダリア  買手きまらぬ庭園の隅 贅肉のごとき白ダリアを放置せり
朝鮮朝顏  棄てたる愛否や朝鮮朝顏のあたり明るむ七月の闇
晝顏  不惑とてなに惑はざるひるがほのゆふべ咲きのこれる一つ花
木槿  別離燦爛たるこの刻よ靑年の肘(ひぢ)白妙の木槿(むくげ)にふれて
合歡  ひる眠る水夫のために少年がそのまくらべにかざる花合歡(はなねむ)
蓮  わが修羅のかなた曇れる水のうへに紅(あか)き頭韻の花ひらく蓮
曼珠沙華  いたみもて世界の外に佇(た)つわれと紅(あか)き逆睫毛(さかまつげ)のの曼珠沙華
鳥兜  愛を病むものらなべてに鳥兜咲けり慄然たる濃(こ)むらさき
桔梗  桔梗苦しこのにがみもて滿たしめむ男の世界全(また)く昏れたり

《跋》詞苑馥郁



塚本邦雄 百花遊歴 05



◆本書より◆


「馬醉木」より:

「元來、躑躅類は皆多少とも毒を含有するが、蓮華躑躅、それも黄花種は、馬醉木と同じアンドロメドトキシン C31H50O10 が抽出されてゐる。中毒症状も馬醉木に等しい。たとへば今一種、これを食った羊は毒にあたり、足掻いて苦しむゆゑに羊躑躅(やうてきちよく)なる漢名があるといふ、中國産の唐(たう)蓮華躑躅 Rhododendron molle G. Don. に鑑みても、この類の毒性は信ずべきか。思へば、使ひ馴れた漢名「躑躅」も、もとを尋ねればこの「羊躑躅」、共に「足摺りして行き惱む」の意、中毒症状が花の名とは、世にも奇怪な、まさに知らぬが佛の事實ではあるまいか。」


「椿」より:

「椿落ちて昨日の雨をこぼしけり 與謝蕪村」

「落ちざまに水こぼしけり花椿 松尾芭蕉」



「罌粟」より:

「大らかで單純でそのくせ妖艷な阿片罌粟にせよ、華奢(きやしや)で鮮麗でヒステリックな雛罌粟にせよ、私は花の始めから終りまで觀察して飽きることがない。開花前日の蕾がまづ見ものだ。鎌首をもたげた子蝮(こまむし)、あるひは切斷して笞の先に刺した龜の頭、いづれをも聯想させるあのエロティックな小惡魔は、剛毛密生した雛罌粟の方がなほさら面白い。翌朝日の輝き初める頃、苞がはらりとほぐれ、壓縮された、箔状一つまみの花瓣が、ふるふるふるつと顫へつつ擴がつてゆく樣は、視てゐても胸騒ぎを覺える。完全開花まで約三分。鮮黄の睫毛の雄蘂は刻刻に葯の花粉を浮上らせ始める。苦い香が冷やかな空氣を穢す。まさに「穢す」としか言ひ樣のない不吉な異臭であり、これに匹敵する「匂=臭」は、女郎花、否、纈草(かのこさう)、否、私の知る限りでは時計草くらゐだ。そして私は告白するが、この苦い香を殊の他愛してゐる。花瓣の千筋縦横の皺はほぼ一時間で悉く消え、甲斐絹(かひき)状の光を帶びる。花は三日ばかりで散り、一週間内外で雌蘂の子房は膨れ上り、諧謔味と潔さとをこもごもに持つ罌粟子(あうぞくし)が生れる。漢字名も粟(あは)の罌(かめ)に他ならぬ。」


「薔薇」より:

「私は庭にも鉢にも薔薇を植ゑない。あの驕慢で繊細な木は、片手間仕事の栽培ではろくな花をつけない。曲りなりにも華麗な花を咲かすと葉が汚れたり蝕まれたりする。旱(ひでり)も霖雨(ながあめ)も嫌ひ、肥料は存分に吸ひたいくせに、施し方がいささか狂ふと、途端に葉ばかり茂り出す。剪定しないと藪、しすぎると先祖還りして野茨の花をつける。薔薇の主たる品種一通り植ゑるなら、すべてを廢してひたすらこの女王に仕へ奉る園丁とならねば、結果は知れてゐるのだ。だから私は薔薇を植ゑない。そして週に一度花店を訪れて一抱へほど買つて來る。鮭紅(サーモン・レッド)に檸檬黄(レモン・イエロウ)、純白に臙脂。靑を除けばどんな色でも手に入る。專門の薔薇栽培人(ばらつくり)が營利のために飼ひ馴らした、無慙に美しい薔薇をさかさに提げて家へ歸る。一週間客間の壷に插した上で、これらはすべて書齋の天井から吊す。逆磔(さかさはりつけ)の薔薇を時時仰ぎながら、私はそれに肖た絢爛たる慘劇を孜孜(しし)として綴る。夏は一週間で乾き上り、薔薇の木乃伊(ミイラ)は微風に擦れ合つて儚い音を立てる。
 私は去年の晩秋、大和の斑鳩(いかるが)に近い縁戚を訪ねた歸途、ふと思ひ立つて秋篠の舊い知人の家へ無沙汰を詫びに廻つた。二十年振だつた。何となく疎遠になつて賀状のみのつきあひが續きそれも近年は絶えた。その昔は五十坪ばかりの庭に薔薇が百株以上ひしめき、園丁代りの近所の若者が三日に上げず通つてゐたやうに記憶する。五月の晴天にでもこの薔薇館へ伺候すると、その光彩陸離たる眺めに、しばし眩暈を覺えて立ちつくしたものだつた。園主はその頃ローザ・シネンシス・ビリディフローラの栽培に熱中してゐた。綠の薔薇である。マクレディやコルデスの靑薔薇は、言はば不可能への挑戰であるが、綠薔薇は決して不可能ではない。花瓣を悉く萼に變へてしまふのだ。幅が萼なみの狹いはなびらは尖端が靑銅色、中ほどから下端は雲母引(きららび)きの綠靑(ろくしやう)、これが何十枚となく、ぎつしり重なり合ふ。不吉な感じである。神の御心に逆ふ業(わざ)と人は言はう。花は日を經ると次第に赤銅色(しやくどういろ)に移ろふ。これも亦慄然たるものあり、ゆゑにこそ今一つの學名を「ローザ・モンストローザ」すなはち妖怪薔薇と言ふのだらう。神に背く妖怪薔薇(モンストローザ)の飼育人は、しかし、私に向つてひややかに言つたものだ。
 「靑薔薇も綠薔薇も神に背くといふ點では同じながら、罪はいたつて輕いものです。重罪犯人はむしろ八重咲を創つた人でせう。雄蘂を全部花瓣に變へて實らぬ薔薇を咲かせ始めた人こそ地獄に墜ちねばなりますまい。薔薇に限つたことはありません。實らぬ園藝種の多瓣花卉はみな惡の花です。そしてそれだから美しい」
 私はあの乾いた笑ひ聲がもう一度聽きたくて呼鈴(よびりん)を押してみた。出て來たのは白髪の老女と化した夫人で、主人は旅行中と呟く。私の顏も辛うじて覺えてゐる程度、何用なと問ひ訊す口吻もいかにも煩はしさうだ。行く先はいづこか知らね、さきくませと祈りつつ引上げた。丈を越す矢來牆(フェンス)越しに薔薇園を覗くと、一目でそれと知れる荒れやう。徒長した枝枝が騒がしく絡み合ひ、秋咲きの品種はしどけなく開き崩れてゐる。それを遮るかに立竝ぶ外側の枝には、錆朱色の實が風に搖れる。三つ四つ、否遙か向うまで見渡すと百以上の薔薇の果實が、折からの夕映に輝いてゐた。その後さる筋から傳へ聞いたところでは、薔薇園主の旅先は、堺のある精神病院であつた。」



「曼珠沙華」より:

「曼珠沙華の花梗は九月上旬の或日、突然何もなかつた地上へすつくと頭を出す。薄綠の、苞を冠つた蕾は一日に五糎以上も伸びるのか、五、六日の間に三、四十糎に達し、秋彼岸の入(いり)前後に、一齊に開花する。」
「花は九月一杯咲き盛る。そして十月中旬には鏖殺(あうさつ)の後さながらの血の海も、すべて掃き消され、莖も溶け腐つて土に歸する。そして、それを待ちかねてゐたかに、暗綠色の葉が簇簇(ぞくぞく)と伸び上つて來る。血の海の後に濃い綠の細葉の藪が生れた頃、霜月となる。この葉群は翌年晩春になると次第に枯れ、溶けて腐り、夏三箇月は、どこに曼珠沙華があつたかも判らぬ土に變る。晩夏何氣なく突き刺したショヴェルが、ぐさつと球根を割(さ)き、愕然とすることもある。不意打めいた眞紅の痙攣、葉の缺如、しかも全く香(かをり)を持たぬこと、更に有毒であること等、この植物はもともと日本人に忌み嫌はれるやうにできてゐる。あの躊躇も含羞もかなぐり捨てて居直つた美しさも亦反感を呼ばう。私はそれが好きだ。同科のアマリリスの中途半端な濃艷さより、どれほど潔いことか。」



塚本邦雄 百花遊歴 06














































































































「國文學 解釈と教材の研究」 特集: 美の狩人 塚本邦雄と寺山修司



「國文學 解釈と教材の研究」 
特集: 美の狩人
塚本邦雄と寺山修司

51年1月号 第21巻1号

學燈社 
昭和51年1月20日発行
204p 
A5判 並装 
定価580円
表紙: 「女夫人形・男童(人形玩具文化の会コレクション)」
撮影: 大森忠



塚本邦雄と寺山修司 国文学 01


目次:

特集: 美の狩人――塚本邦雄と寺山修司
 双頭の鷲――塚本邦雄と寺山修司 (松田修)
 対談 
   言語と非言語 (塚本邦雄・寺山修司)
   意味からの離乳
   記憶の迷路
   黄金詩型への回帰
   言語の彼方へ
 塚本・寺山の原質
  沼の底の悲鳴 塚本邦雄・寺山修司の原点 (中井英夫)
  故郷の二律背反 (磯田光一)
  塚本邦雄における時間と空間 (岡井隆)
  寺山修司、ヴィルドゥングスロマンとして (菱川善夫)
 塚本邦雄の世界
  復讐の父さがし (寺山修司)
  言語的虚構の極北――無用の美学のイロニー (饗庭孝男)
  倒立腐卵の地獄 (佐佐木幸綱)
  古典の意味 (桜井好朗)
 寺山修司の世界
  逃亡幻譚 (松永伍一)
  陽光一滴――詐術としての言語 (塚本邦雄)
  スキャンダリズムの効用 (扇田昭彦)
  停止する時間 (山野浩一)
 ’76現時点における塚本・寺山
  抒情の算術家 (清水哲男)
  現代芸術への異化作用 (福島泰樹)
  共鏡――トリックスターと同伴者たち (北嶋廣敏)
 作品論・塚本邦雄
  歌集 「緑色研究」 (神谷忠孝)
  歌集 「されど遊星」 (笠原芳光)
  小説 「紺青のわかれ」 (長谷川泉)
  評論集 「夕暮の諧調」 (中野美代子)
  評論集 「藤原俊成・藤原良経」 (有吉保)
 作品論・寺山修司
  歌集 「血と麦」 (冨士田元彦)
  詩集 「地獄篇」 (分銅惇作)
  演劇 「ガリガリ博士の犯罪」 (斎藤正治)
  映画 「田園に死す」 (針生一郎)
  評論集 「地平線のパロール」 (栗坪良樹)
 付・塚本邦雄年譜 (政田岑生)
 付・寺山修司年譜 (岸田理生)

万葉集評釈 171 泉川ゆく瀬の水の (久松潜一)
謎の死・大庭柯公――『柯公追悼文集』 (紅野敏郎)
民俗文学へのいざなひ 10 烏声余滴 (臼田甚五郎)
学界時評・中古 (木村正中)
学界時評・国語 (山口明穂)
文学界展望 78 (助川徳是)
国語教育界展望 90 (瀬戸仁)
回想・この一冊 68 次田潤著『万葉集新講』 (金子武雄)
保田与重郎小論 (奥出健)
書評
 守屋省吾著『蜻蛉日記形成論』 (伊井春樹)
 境忠一著『近代詩と反近代』 (飛高隆夫)
海外だより (武田勝彦)
学界教育界の動向



塚本邦雄と寺山修司 国文学 02



◆本書より◆


対談「言語と非言語」より:

寺山 ぼくは言葉がだんだん信じられなくなってきたわけですが、その場合の言葉というのは、エクリチュール(表記言語)のことであり、それも、文学的修辞のことなのです。天文学用語や物理学の記号などについてはますます関心があります。つまり、始源的な意味での「言葉」と、今書物の上に記述されている文学的修辞の「言葉」との間で世界が引き裂かれていると言えば大袈裟になりますが、大体がそんなところです。塚本さんは、ますます文学的修辞の「言葉」の毒の醸造に熱中し、エクリチュールのボルジア家にたてこもったわけですが、ぼくの場合、いつも「言葉離れ」と言うか「文学離れ」――別の言い方をすれば、意味からの離乳ということに関心が向いてきた、ということになります。このところ、何本かの実験映画には台本も台詞もなく、演劇でも「ものを話す」ことを「金槌で釘を打つ行為」に換喩したりしているわけですが、根底には「文字で詩など書けるものか」といったいささかの思い上がりがあったこともたしかです。
 ところが、演劇でも映画でも作ってゆくと必ず最後の過程で、言葉によって映画をこわしたり、劇をこわしたりするようなかたちでしか作品が終わらない。つまり言語の解体のとどめを刺すのは、いつも言語自体であるということがあって、その辺の二律背反が今問題なんですね。
 そこでお聞きしたいのは、塚本さんの、ある意味で研ぎ澄まされて完成された言語世界というのは、その言語の対立物を何の中に求めていらっしゃるのかということです。塚本さんの世界というのは、言語の対立物もまた言語でつくってゆくというかたちで、円環的なある「閉じられた一つの世界」というか、そういう感じがするのです。ボルヘスの「アレフ」という小説、――頭蓋大の球体に全宇宙が映ってしまうというものがある。塚本邦雄の言語世界というのはいわば「アレフ」のような、一つの球体の中に全宇宙の映ってしまう世界なのだろうな、と思うのだけども……。ぼくはそういう意味で、磨けど磨けどなかなか宇宙が半分も映らない球体を持っているので、あとの半分を映すものが言語表現の世界では見つからなく、それで外へ出歩くということなのだと思うのですね。
塚本 ぼくも、言葉を信じたいとは思うけれども、そうすらっとゆくものじゃない。ただ、信じられるのは自分の言葉だけだというような気がするんです。対立物というよりもっと現象的な面で、いわゆる現代語、たとえばいちばん端的な例で新聞、テレビ、ラジオに出てくる言葉には時々殺意に近いような憎しみを感じることがありますね、このごろ。もし、たとえば、言葉がコミュニケーションだけに必要で、このまま最悪の状態になってゆくなら勝手になってゆけばいいと思う。しかし一方、それならばこそ、かつてはこんなに美しい言葉、日本語があったということを、ぼくの文章の中でだけでも残しておきたい。とにかく、朝六時にNHKの放送が始まるとして、それから聞かないでおこうと思い、読まないでおこうと決めておきながら、聞いたり見たりする新聞、テレビが、十の言葉のうち三つくらいは我慢できないのが混るんです。ほんの一例だが、NHKのたいして若くもないアナウンサーが「一番最初」や「後から後悔」、「明日は恐らく晴れるでしょう」や「社長さん」、「言うなれば」に「ありましたれば」などの誤用を犯すこと枚挙にいとまなし。ドラマの中では主人公が父母に向って、弟妹のために「してあげて」を連発するし、明治の人が巻紙に毛筆で現代仮名遣いの文を書く。それから今じゃ常識になっているけど、時代劇の登場人物が、衣裳だけはいやらしいほど忠実にその当時を再現しながら、言葉となると「です」調。
 喋っている本人を刺し殺してみても始まらないが、ともかくむかむかする。そのうちに、逆に今日はどんなおろかしい間違いを聞かせてくれるか期待するようになってしまう。早くバベルの塔の、完全なディスコミュニケーションの時代がくればいいというふうにね。
寺山 塚本さんのおもしろいところは、テレビやラジオや週刊誌というものを、実にけしからんと思いながら、シャワーでも浴びるようにそういうものにいつも浸ってて、それがある意味で健康法になっているところでね。ぼくなど、非常に卑俗的なことが好きだ、好きだと言っていながら、実際考えてみるとテレビを持っていないのですね。それから、ラジオもまったく聞かない。塚本さんは憎悪の対象をいつも身近に培養している。――昔、塚本さんにはじめて会いに行ったとき、その先入観によるイメージというのは、端倪すべからざる人物であって、下世話な話をしたらすぐ口をつぐんでしまう、ペダントリーと反俗的な高邁な精神の持ち主で、おかえみたいに「美空ひばりがどうした」という話は通じないのではないか、と友人に言われましてね。本質が実体に先行していたわけですよ。ところが実際は週刊誌的な話題とか、テレビのクイズ番組のクイズ、新聞の三面記事なんてものは、ぼくより塚本邦雄のほうがはるかに精通していて、それは非常におもしろい発見だった。つまり塚本邦雄は自己の反対語としての別の言葉をいつも必要としていて、書いているときの自分と日常現実の自分と、二つの自分というものをいわば分離させることによって表現の衛生法を身につけていたのだと了解したわけです。
塚本 もう一つの自分というものをどこかへ隠しておいて、それで新しい――あるいは古いのかもしれないけれども――そういう部分で懸命に書いているのです。マスコミュニケーーションから流れてくる言葉どもを、徹底的に軽蔑している。しかも、あれしか通じなくなる時代がくるし、現に今もそういう世界があると思うと怖い、ぞっとするね。」

寺山 塚本邦雄がだんだん人間嫌いになってゆくときに、人間の「記憶」をどういうふうに考えているかということも非常に興味がある。ぼくは一時、人間の個人の記憶というものに対する、ある種の嫌悪感みたいなものがあって、記憶を自在に自分が編集したり管理できたりするようになったときに、はじめて人間は自由になるのではないか。要するに、歴史によって人間を解放するというのはまったく錯誤であって、その根源では記憶から人間を解放するということが、ある意味での自由への道ではないかと思っていたわけです。
 このあいだ、マルグリット・デュラスと話をしていたら、デュラスは、「人間の記憶というのは全部共通なのだ。だから、編集したり、入れ替えたりする必要がなくて、記憶というのはそういう時間を持ったものではなくて、もっと全体的なものなのではないか」と言うのですね。ぼくは、記憶がまったく全部同じだった場合には、忘れるということ、忘却するということに個人差があって、その忘却の差異からディスコミュニケーションが出たり、人間の愛憎が生まれるのではないか、と言った。つまり原初の記憶と忘却の社会学とでもいったことですね。
 そういう話になったのだけれども、塚本さんなどは、ある意味で「個の記憶」ということを問題にしてゆくときに、自分がその記憶によって逆にがんじがらめになってゆくということはないですか。
塚本 ぼくは記憶を創作することがある。
寺山 当然そうです。記憶を創作して、そのことによって自分をある一つの錯誤状態に投げこむことによって、自己確認をする。そのための、いわゆる記憶操作儀式みたいなものが方法として、何かありますか。就眠儀式があるみたいに。
塚本 そう。克明に日記をつけながら、その日記すら創作していますね、ぼくは。
寺山 日記つけているのか!
塚本 二十年以上つけています。メモ式に。でもそれすら、果して本当のことを書いているかどうか判ったもんじゃない。創作できない部分は、自分でしか読めない、レオナルドよりもっと不思議な暗号を使って記入しておくんです。だれもチェックできやしない。見せるための日記じゃないけど、いつの日か覗こうとする奴に陥穽を作っておくのは楽しみの一つですからね。
寺山 「日記にうそを書く男」というのは、塚本邦雄論を書くときの非常に重要なポイントになるね。」

寺山 書きたいことというのは、影踏みしているようなもので、自分が影に跳ねてこれで踏んだと思うとひょいとまた次の影ができているというようなものだから、それは二百年生きたってなくならないでしょう。
 ただそれは、書くことの快楽によって、現実の快楽的行為の欠落を埋め合わせて、書く世界、書かれた世界ということの中でしか充足しなくなってしまうという現実離れはないですか?
塚本 確かにありますね。
 それは、一日のうち五分の四ぐらい書斎で過ごしているから、一年間のうち約三百日はそこに自己幽閉していることになる。密室の中へね。おそらく密室の中でしかなんにもできないようになっているんです。今のぼくは。東京へ出てくるということなど、一大決意を要する事業みたい。気軽にちょっとフランスへなんて想像を絶することですね。(笑)
 以前、勤めを持っているときに、きみに「どうしてそんなばかな勤めで貴重な時間を浪費しているか。ペン一本で生きてゆけばいいのに。いくらでも書くことはあるだろう」と言われて――。確かにそのとおりだったけど、二足のわらじを一足に履き替えたら今のような状態になってしまった。あのばかな生活の部分、ぼくの過去の二分の一は必要悪だったんじゃないだろうか。人生を二度生きる一つの方法だったかも……。空しいことをどうしてやっていたのだろうか、と思う一方そう考えることもある。
寺山 でも、あの頃ぼくがいくらそう言っても、塚本さんはなかなか会社をやめないんで、ぼくはてっきり一つのマゾヒスティックな快楽で――毎日テレビを見て腹をたてる快楽と同じように――満員電車で汗をふきながら、ラッシュで押されながら歩くことがたまらない快楽で、それに対する怨みつらみで文学が成り立っているのかな、と思っていたけれども、それがなくなってもやっぱり怨みの毒が薄れていないとすると、あれはやっぱり必要なかったものだ、ということが証明されたわけです。
塚本 そういうことですね。
寺山 同じようにテレビや週刊誌がなくてもいいことになる。(笑)
塚本 またほかに何かを見つける、多分。でも、それも創作の記憶の一つで、あの当時の汗をふきながらという、その場景を思い浮かべるだけでも、自分を刺し殺したくなるほど憎々しいんです。どうしてあんなむだな時間を、――通勤時間だけ考えてみても、何十年分かを空費したことになるものね。空しいことにこのばかが、単に習慣を変えるのが怖ろしいだけだったんだ。あのとき、きみの言うことをきいてやめてさえおけば……と思うことがある。だから、その後れた分を今取り返そうと思っているのです、一所懸命に。」

寺山 塚本さんの最近の歌は形式的に完成してくると同時に、逆に、初期の歌にあった一首一首のピカレスク・ロマン的な不思議な構造を捨てはじめた。つまり読者と共有のパズルによって成り立つ、言ってみればダレルの「アレクサンドリア・カルテット」のように、荒唐無稽でしかし壮大という感じの三十一文字長編小説性が最近では姿を潜めてきた……。
塚本 そのとおりです。それね、小説を書くことによって短歌の中にあった、ある要素を全部――。
寺山 そういう感じですね。小説を書きはじめたことで、短歌をより完成した純粋なものに近づけているとするか、あるいは、そういう要素を短歌から排除してしまったために、入れ物だけが残った、と考えるか――という二様の受け取り方がある。もちろん、入れ物だけが残ったというのは粗雑な言い方だけど。しかし、非常に空しく完成してしまったなあ、というふうに思う人もいるでしょうね。ぼくはべつにそう思わないけれども。
塚本 そこまで、まだ顕著にはあらわれていない。ぼくもちゃんと計算してつくっているから。入れ物だけ見事に残ったと感じさせるならそれも名作だ。――たとえば花生けが一つある。なまじっか花を生けるよりも、その入れ物だけ残しておくほうがずっと美しい。そういう入れ物のあり方、形式の置き方もあり得る。そういう意味でぼくは形式を愛してもいるんです。昔も今も一〇〇枚の小説よりもこの一首のほうがずっとおもしろいではないかという歌を、意識してつくることがある。だから、A然らずんばBというふうな決定的なつくり方はしていないから、従って結論的な批評も現われる余地がないのじゃないかしら? いや、われながら自由自在になってきましたね。どんな歌でもつくれます、それが必要なら純「私」短歌だってね。だから、『水葬物語』的な歌を今一度創作しろと言えば即座に百首でもお目にかけられる。これ昭和二十六年の作品です、という歌だってできるわけです。
寺山 それは、『水葬物語以前』なんていう歌集が出るそうだから……。
塚本 あれは創作じゃない。
寺山 ぼくはどっちでもいいと思うんだ。文学史家的に、「いつ書いたものか」と推理することは、ほんとは重要なことじゃないから。むしろ、今つくって、「高校時代の作品」として発表して発掘された未発表作品、という話題を作るのだって一つのフィクションですからね。
塚本 このあいだ、似たようなことで、例の「紅旗征戎非吾事」という藤原定家の十九歳のときの日記の記事は、五十いくつになってからそこへ書き加えたものである、という説が発表されましたね。ぼくは実におもしろいと思う。
寺山 それはおもしろいです。
 事実にばっかり眼を配ろうとすると真実を見落とすことになるからね。われわれはやっぱり「事実である」ということにちっとも神経を使う必要はないので、「事実をつくる」という立場からはそれはそれでかまわないのではないでしょうか。」

寺山 ぼくは医学とか、造船の高等技術の改良なんかはできないから、せめて言葉の周辺のことだけでも興味のあるもの全部やってみたいと思ってる。
 大体、ぼくは、世の中に悪い作品がないと思うようになったのです。だから、この小説つまらないなと思ったときに、この小説をおもしろく補完しながら読めなかった読者としての想像力のなさを恥じるべきなんだ。(笑)
塚本 謙虚になったねえ……。
寺山 いや、やっぱり傲慢になったのですよ。いまや、どういうものでもおもしろい、退屈したとしたらそれは自分がくたびれてるということだ。そうすると、つまらない短歌なんかないのですね。「ダンスもし麻雀将棋囲碁するにやはりわれには短歌が似合う」という短歌をぼくは、ばかな短歌の例としてさんざん引用してきたけれども、読み方をちょっと変えるとあれもなかなかすばらしいということができます。(笑)
塚本 やはり、それは逆説じゃないんですか。
寺山 正説なんていうのは、世の中にないでしょう……。このあいだツーロンで、マルグリット・デュラスと反対語をあげるゲームをやっていて、「鏡の反対語は何だと思うか?」「やっぱり鏡だろうね」なんて話をしていたんだけど、逆説の反対語というのも、やっぱり逆説じゃないの? それは、さっきのギリシャ人の迷路は直線のことだというのと同じで、ふつうに、まともに物を言うということが、いちばん逆説的に聞えるような時代感情の中でしか書く行為というのは成立しない。書くということ自体が逆説でしかないわけだから、それはもう、しょうがないことなのです。」




こちらもご参照下さい:

塚本邦雄・寺山修司 『火と水の対話』























































塚本邦雄 『味覚歳時記』 (角川選書)

「美しい金魚鉢をつい買ってしまったので、仕方なく金魚を飼い始めたなどという話はよくある。結果と原因が逆順に訪れる皮肉なめぐりあわせは、人生では意外に多く起るものだ。私が向日葵(ひまわり)の実を、まぢかに、手に取ってしげしげと見、あまつさえ、その実を炒って食べたのも、実は昭和三十年代の終りである。そして、それより遥かに早く、「道化師と道化師の妻向日葵の鉄漿(かね)色の果(み)をへだてて眠る」と、見て来たような嘘の歌を作って、来年こそは庭に向日葵を植え、立派な実をみのらせてみせようと考えてはいたのだ。」
(塚本邦雄 「向日葵」 より)


塚本邦雄 
『味覚歳時記
― 木の実・草の実篇』

角川選書 149 

角川書店
昭和59年8月25日初版発行
213p 
四六判 並装 カバー 
定価880円
装幀: 杉浦康平 
本文イラスト: 加藤俊彦



本書「跋」より:

「珍果・奇果・美果もさることながら、本来の木通の味わい、すなわち、古き佳き日の、野や山に、あるいは庶民の庭や畑に生えていた、ありふれた木草の実を、今一度クローズアップしてみようと、ここにとりあえず三十六種を選んで、ささやかな回想譜を添えてみた。想い出を共有する世代のみならず、全く時代を異にした今日の若人達にも語りかけたつもりである。この中、第一部の十二種については、昭和五十五年一月から十二月にわたって「ミセス」に連載した。(中略)他は、その時書き余したあまたの事項を選び上げて補足した。」


木の実・草の実をテーマにした各エッセイのそれぞれ冒頭に植物名漢字表記、学名、所属科名、短歌一首。テーマにそった詩歌の紹介や薀蓄の披露にとどまらず、毎回、御近所さんや通りすがりの人、会社の上司や少年時の友人などの登場人物があり、小説的展開もみせます。イラストの加藤俊彦氏は『うつつゆめもどき 毒舌いろは加留多』(創元社、1986年)や『詩歌博物誌 其之壱』(彌生書房、1992年)、『詩歌博物誌 其之弐』(彌生書房、1998年)の装画も担当されています。

新字・新かな。


塚本邦雄 味覚歳時記01


目次:

序 百果繚乱

第一部
木莓(きいちご)
郁李(にわうめ)
梅桃(ゆすらうめ)
帚木(ほうきぎ)
楊梅(やまもも)
胡頽子(ぐみ)
桑(くわ)
蔓茘枝(つるれいし)
蓮(はす)
郁子(むべ)
棗(なつめ)
榠櫨(かりん)

第二部
金柑(きんかん)
玫瑰(はまなす)
銀杏(ぎんなん)
無花果(いちじく)
石榴(ざくろ)
茘枝(れいし)
ピスタシオ
枸杞(くこ)
松(まつ)
椎(しい)
櫨子(しどみ)
山椒(さんしょう)

第三部
梔子(くちなし)
木通(あけび)
唐橘(からたち)
時計草(とけいそう)
青紫蘇(あおじそ)
麻(あさ)
酸漿(ほおずき)
岩梨(いわなし)
罌粟(けし)
零余子(むかご)
菱(ひし)
向日葵(ひまわり)

跋 実を尽してや恋いわたるべき



塚本邦雄 味覚歳時記03



◆本書より◆


「石榴」より:

「庭のある家を持つようになったら、植えたいと思っていた眷恋(けんれん)の植物は十指に余る。その中で最たるものは石榴(ざくろ)だった。そのくせ、曲りなりにも猫の額ほどの庭に、あまたの草木を植えさせていながら、いまだに、石榴は不在である。(中略)遠くから眺めて満たされるものが、この木にはあるのだろうか。」
「石榴のラテン名はプニカ・グラナトゥムと呼ばれる。プニカとはカルタゴの意、グラナトゥムは顆粒を表わす。原産地と形状を反映した面白い学名だ。その種名グラナトゥムからグレナディン・シロップに見る英名も発生するし、それに何よりも、スペイン語の「グラナダ」となる。アンダルシアの都グラナダはいわば「石榴市」であった。現在もこの市の紋章は石榴の実三つの意匠化で、フィレンツェが花中の花百合の市紋を持つことと、よき対照をなしている。さすがに石榴の都、晩春初夏の候に行けば到るところで血紅の花の火を見、晩夏初秋の頃は艶やかに実った姿と残り咲きの花と幼果がこもごも楽しめる。名だたるアルハンブラ宮殿の外苑も、ヘネラリッフェの庭も、石榴は処々に植えられている。カルタゴから来たと言われる石榴が、アルハンブラになお栄えている姿は、まさに歴史を目のあたりにすることでもあった。」
「「ざくろ」を「石榴」と表記するのは、紀元前二世紀、前漢の外交官張騫(ちょうけん)が、西域以西の国々からもたらした諸物中、安石国から到来の木で瘤(こぶ)のような実を結ぶものであったゆえに「安石榴」と名づけたことによる。従って「柘榴」は錯記と考えねばなるまい。後日、日本から椿(つばき)が唐に入った時、海の彼方から到来した石榴に似た美花という意味で「海石榴」と呼ぶ。それが逆輸入されて、万葉集に見る「海石榴市(つばいち)」となる。木扁に春をつばきとするのは国訓であって、中国では旃檀(せんだん)科の香木を指す。つばきの漢名は「山茶」、それも南部の産で、唐代、長安や洛陽ではこの花が見られなかった。文物百般、すべて唐渡りであった時代に、輸出は稀な例と思われる。それにしても、西方は砂漠伝いに、東方は海を越えて来た二つの植物の合体を「海石榴」が現しているとは。漢字表現というものは、まことにゆかしく、かつ恐ろしいものではある。」



塚本邦雄 味覚歳時記02


アマゾンマケプレで770円(送料込)でした。
「蓮よ石榴よけしのみよ 印: 塚」














































































































































塚本邦雄 『異国美味帖』

「イタリアやフランスを旅すると、到るところに、ピンポン球大の林檎が生っていて、試みに口にすると、日本の銘品よりさっぱりしていおいしい。夏の旅の楽しみの一つである。」
(塚本邦雄 「林檎(りんご)」 より)


塚本邦雄 
『異国美味帖』


幻戯書房 
2013年7月31日第1刷発行
182p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価2,400円+税
装幀: 間村俊一
装画: 「桃の籠とぶどう」(ジャン・シメオン・シャルダン)



塚本靑史氏による「跋」より:

「『異国美味帖』は、月刊誌『味覚春秋』(味覚春秋モンド)に「ほろにが菜時記」として、一九八五年四月号から二〇〇〇年七月号まで連載されていたものの抜粋である。
 二〇一〇年にも、『ほろにが菜時記』(株式会社ウェッジ)の、季節に主眼を置いた抜粋版が、ウェッジ選書39として刊行されている。無論のこと、こちらとの内容に、重複は一切ない。」



没後刊行本。新字・新かな。
『ほろにが菜時記』もそうでしたが、各篇の発表年月の記載がないのは残念です。


塚本邦雄 異国美味帖01


帯文:

「フランス朝市の泥つきルバーブ、木苺に桜桃、
アルベロベッロの杏仁水にシチリアのアイスクリーム、
バスク地方のアスパラガス。
西欧の土地と
食をめぐる40篇。
馥郁たる味と香、
豊饒なる知――
極上の食随筆。」



帯背:

「極上の食随筆」


帯裏:

「トマトとアイスクリームは、イタリアのものが世界一だと、イタリア人は固く信じているようだ。自信を通り越して、これは信仰に近い。そして、たしかにイタリアのトマトはうまい。殊にローマ以南の各地のトマト、トマトに唐芥子、ピーマンに茄子を含む茄子科植物のうまさは印象的で、かつて、バーリ、アルベロベッロ、マテーラ等に旅して、一流とは言えぬ料理店で食べた、これらの野菜の味が、今も忘れられない。
(本文より)」



塚本邦雄 異国美味帖02


目次:

アーティチョーク
ルバーブ
クレッソン
キャベツ
アスパラガス
ヨーグルト
柑橘(かんきつ)
林檎(りんご)
葡萄(ぶどう)
木苺(きいちご)
桜桃(さくらんぼ)
杏仁(きょうにん)
黒慈姑(くろぐわい)
トマト
萵苣(ちしゃ)
シャーベット
アイスクリーム
ジャスミン茶
ヒース蜂蜜
ミルテ
サフラン
オクラ
西瓜(すいか)
唐芥子(とうがらし)
南瓜(かぼちゃ)
馬鈴薯(ばれいしょ)
玉葱(たまねぎ)
アロエ
大豆(だいず)
胡麻(ごま)
菜食主義者
銀杏(ぎんなん)
棗(なつめ)

珈琲
紅茶
砂糖
バナナ
パイナップル
パッションフルーツ

跋 爽快ソフト甘味記 (塚本靑史)



塚本邦雄 異国美味帖03



◆本書より◆


「西瓜(すいか)」より:

「西瓜が嫌いである。大嫌いで、隣々々席から漂って来る匂い(臭い)にも、食欲を喪失する。ものごころのついた頃から、かたくなにこれを拒み、五人の家族から一人だけ離れて、西瓜の饗宴の席では真桑瓜などあてがわれていた。親族に一人、母の弟にあたる人物が、ほとんど同程度の西瓜嫌悪症だったお蔭で、よその家庭よりは、かなり大っぴらに異論を主張できた。彼はおそるべき名筆であった。顔真卿(がんしんけい)をまなんでいたと記憶するが、私はその字にあこがれた。今日、妻が、私に遠慮して西瓜を食べているらしいことが、冷蔵庫にその気配を残していて、ふとあわれを催すこともあり、年に一度は昔の叔父を回想する。」


「水」より:

「水がほろ苦かったり、酸っぱかったりするのは下の下ではあるが、正直、大阪の水道の水は、朝一番にはカルキのにおいがするし、日によっては真昼でも何となくなまぐさい。自衛手段として、種々の浄化器具を水道蛇口附近にとりつける方法が流行しているが、効果が疑わしくて実行する気になれない。
 下戸である代りに、煎茶・珈琲を人並以上に愛し、殊に前者については異常なくらいその味に執念をこめるので、いきおい水にも神経過敏になる。それで、かつては水槽に汲みおいて一夜を経た水を使うことにしていた。友人は金魚じゃあるまいしと嘲笑するし、ふとした油断の隙に、蓋の間からごきぶりが墜落、すべて汚染というハプニングも勃(おこ)る。」











































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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