塚本邦雄 『新装版 ことば遊び悦覧記』

塚本邦雄 
『新装版 
ことば遊び悦覽記』


河出書房新社 
1990年8月20日 初版印刷
1990年8月30日 初版発行
190p 
A5判 
丸背紙装上製本 カバー 
定価2,500円
装幀: 政田岑生



正字・正かな。
本書は、河出書房新社より1980年3月に刊行された『ことば遊び悦覽記』の新装版です。内容は旧版と同じだと思います。


塚本邦雄 ことば遊び悦覧記 01


帯文:

「遊びをせんとや生れけん……言葉の魔術師・現代短歌の鬼才塚本邦雄が、古今東西のさまざまなことば遊びを渉猟し、それらの「作品」を解讀味讀しつつ、遊びの樂しさとその文学的價値を論じたユニークな知的悦樂の書」


帯背:

「言語宇宙へ
の知的遊行」



塚本邦雄 ことば遊び悦覧記 02


目次:

遊樂の序
一 古代詩歌
二 十世紀のアラベスク和歌
三 いろは歌今昔
四 回文
五 折句七變化
六 続・折句七變化
七 野馬臺詩
八 形象詩と詞繪
九 幾何学形詩
十 続・幾何學形詩
十一 輪状詩・循環詩
十二 補遺餘滴

跋――「鬼來(おにく)とも勝つ」



塚本邦雄 ことば遊び悦覧記 04


「遊樂の序」より:

「詩歌も「ことばあそび」の最たるものである、などと言ひ切ると、途端に嚴粛で禁慾的な諸賢の、猛烈な反駁に遭ふかも知れない。だが、その駁論執筆者の大部分が「あそび」なる行為に重大な偏見を抱いてゐるのも、言ひ切る前から見え透いてゐる。俳諧は一先づ措いて、和歌は「歌道」であり、帝王學の一として聖別され、また古今傳授なる權威づけが行はれて以來、ますますかたくなに「あそび」を拒み續けて來た。」
「「遊び」とは、美的快樂創造・享受の志である。「志」とそれほど言ひたければ、さう定義するがよい。そしていつの時代にも、いづれの國でも「美」の包含する意味は恐るべく多岐多樣廣範圍である。たとへば述志リゴリズムの典型と目される人麻呂が、漢字表記による美的効果を極限まで追求し、その眩惑的なまでの絢爛性に、陶酔耽溺してゐたに違ひないことに、「遊び」拒否論者は一度も思ひ及んだことがないのだらうか。六歌仙時代から新古今時代へ、泡だち、たぎちつつ奔る歌の流れが、亡びの寸前に得たものは「物語・繪畫」あるいは「歌謠・呪文」等、述志ストイシズムの堰を破り、溢れた異次元憧憬要素であり、まさしく幻想としての遊びの、完璧な言語化であつた。
 事は單に「和歌」の上のことに限るものではない。すべての言語藝術が、常に最も喪ひやすいのは「遊び」の要素であり、悦樂への志向に他ならぬ。古今東西、悲劇に対する信仰は抜きがたく、事實は虚構を驅逐し、苦行は讌遊を蔑視する。簡素淡泊な正述心緒文學が、草食人種の孤島日本の守り本尊となり、歌道など忘れ去られた後も、私小説信仰道となつて生きながらへるのは至極當然の成行だつたかも知れない。」
「私は詩歌これ遊戲(いうげ)といふ一種の極論的詩論は一應措いて、記紀以來の詩歌の中の、殊に智慧の力もて創り上げられたとおぼしい巧緻な作ばかりを、記憶の海から採り出して、今一度みづからのためにも整理紹介を試みぬばならぬ。詞華集は勿論、民間傳承の口傳形式のものも多からう。時代を前後し、遡り下りつつ、人がかくまで、言語の華の開花に、好奇心を唆られ、飽くなく愉しんだ歴史を眺めて行きたい。禁慾派の狹義正述心緒作稱揚が、卻つて異端であり間道であることが、その結果ありありと指されることを希はう。」



「いろは歌今昔」より:

「「色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ 有爲の奧山今日越えて 淺き夢みし醉ひもせず」、七五調四句、この今樣風歌謠はそのまま涅槃經の四句の偈(げ)「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」の巧妙な和讃體となつてをり、四十七文字の假名すべてを一回限り用ゐた四十七音から成つてゐる。易きに似てこれくらゐの難事も稀であらう。言葉遊びの中でも殊に非凡な技術を要求され、古來幾多のパロディが現れて鎬を削り、今日なほマニヤは跡を絶たない。だが、決して嚆矢と目されるこの「いろは」を越えるものは生れてゐない。
 作者は一應「不詳」と見做すのが定説となつてゐるやうだが、通説は樣樣で、萬葉時代にまで遡る俗言まで罷り通つてゐるとか。何しろ「いろは歌」の研究、注釋書だけでも、(中略)今日に傳はるものだけでも二十を越える。」
「これらの著の多くは作者を空海に擬してゐる。論證が絶對性を缺く憾みはあるが、これほどの超絶技巧を驅使できる天才が、他に想定不能といふのも理由の一部だらう。また、弘法大師と、彼の同時代知識護命僧正の合作説も、かなり信じられてゐる。冒頭の七五が護命作、殘部が弘法作とするが、これまた證據を缺く。なほまた、空海四十一歳當時、すなはち八一四年成立の勅撰漢詩集『凌雲集』に、從五位内膳正仲雄王の作として、彼が弘法大師に謁した詩が採られてをり、詩句の中に「字母弘三乘眞言演四句」なる件(くだり)が見える。勿論「いろは歌」へのオマージュであり、この當時既に錯誤傳承があつたとは到底考へられない。空海作の有力な傍證の一つであらう。
 超絶技巧云云から空海作を類推する別のデータとして「咎無くて死す」の隱文字謎(かくれアナグラム)が舉げられる。すなはち、

  いろはにほへと
  ちりぬるをわか
  よたれそつねな
  らむうゐのおく
  やまけふこえて
  あさきゆめみし
  ゑひもせす

と七音六行五音一行計七行に分ち書きし、その脚音を右から左へ拾ふと無辜刑死の主題が浮んで來るといふ論法で、これは近世までにほぼ常識化してゐたやうだ。竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作「假名手本忠臣藏」など、その常識を前提としてのタイトルであり、四十七士と四十七字のダブル・イメージを浄瑠璃もしくは歌舞伎の聽衆觀衆も樂しんだと考へてよからう。この無辜死罪暗示をのみ材料として、萬葉時代に作者を求め、かつ附會する輕率な自稱研究家もゐるやうだが、(中略)上右角・上左角・下左角を一字づつ綴ると「いゑす」が現れ、最上段を右から左へたどると「いちよら・やあゑ」、ヘブライ語の「エホヴァ(ヤーヴェ)燔祭に赴きたまふ」が歴然と示されるといふ事實を如何に解するか、これは問題であらう。
 キリスト教が入唐(につたう)したのは七世紀半ばと推定される。衆知の通り四二八年コンスタンチノープルの大主教であつたネストリウスの一派で、教義は波斯・印度を經て滔滔と支那に流れ入り、約一世紀を經てこの新奇な宗教は、唐の人士を魅了し、長安の都には景教寺院が壯麗な伽藍を誇示した。いはゆる景教流行中國碑が建てられたのは七八一年、これが發見されたのは九世紀の後一六二五年のことであるが、その隆盛の樣を十二分に裏書するものと言はれる。「景」は「宏大」を意味し、この命名自體、當時の唐人の歎稱、憧憬の念が推察される。
 唐に於ける景教風靡の樣をつぶさに視、かつ敏感に反應し得たのは、本朝遣唐使、隨行者、入唐僧侶の中の誰であらう。六三〇年の第一回遣唐使犬上御田鍬は景教渡來以前だ。八三九年最後の遣唐使藤原常嗣まで十數度、その一人一人を按ずる時、才智、學識、情熱等、空海に匹敵する人物はあるまい。彼の入唐は八〇五年、その時壯年三十一歳、二年間の在唐期間中、景教に興味を持たなかつたはずがない。(中略)あの空海ならば、あるいは「いちよら・やあゑ」「いゑすとがなくてしす」の默示を案出するのに、さほどの背伸びも必要としなかつたらう。
 作者空海説が退引(のつぴき)ならぬ根據を浮び上らせるのは、この邊のミステリアスな背景である。そして、更に慄然とするのは、表に大般涅槃經(だいはつねはんぎやう)を誦(ず)しつつ、裏にイエスの「エリエリラマサバクタニ」を代理呪詛し、かつ舊約エホヴァの業(わざ)まで暗示するといふ、まさに魔術的文字謎驅使法の冱えである。キリスト教的默示の部分が後世の好事家の牽強附會とする説も行はれてゐるやうだ。單なる偶然に過ぎぬとの否定論だ。それもよからう。ただ、全く意識することなく、これほどの主題を隱し得るとしたら、その作者は數世紀に一人の智慧者であらう。(中略)この壘を摩する技巧が操り得たか。四十七乃至八文字を用ゐて、かつがつコンテキストを成すやうに整へるのが精一杯、二重の謎など高嶺の花どころか異次元の寶玉ではなかつたか。」



「回文」より:

「江戸狂歌の鼻祖と稱される石田未得は、慶安二年(一六四九)上梓の家集『吾吟我集』七百首の中に回文歌を含め、また廻文俳諧百韻を興行した。

 和歌
  白雪(しらゆき)は今朝(けさ)野良草(のらくさ)の葉(は)にもつも庭(には)の櫻(さくら)の咲(さ)けば消(き)ゆらし  春
  湊川(みなとがは)とま覗(のぞ)きつつ廻(まは)りけり濱(はま)つづきその窓(まど)は門(かど)なみ  雜
  白髪(しろかみ)は毎日(まいにち)見(み)るぞ憂(う)かるなるかうそる道(みち)に今(いま)は身輕(みかろ)し  述懷
  また飛(と)びぬ女(め)と男(を)とあはれ主知(ぬしし)らじ死(し)ぬれば跡(あと)をとめぬ人魂(ひとだま)  哀傷
  冬(ふゆ)らしき景色(けしき)おもしろ岩(いは)の木(き)の葉色(はいろ)霜(しも)おき繁(しげ)き白木綿(しらゆふ)」

「十三世紀迄の試作から見れば超絶技巧に類する。殊に哀傷歌の「人魂」なぞ、嚴しい制約を擦り抜けて、まさに中有に遊ぶ感あり、感歎に値する。」





















































































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塚本邦雄 『句風颯爽 ― 俳句への扉Ⅲ』

塚本邦雄 
『句風颯爽
― 俳句への扉Ⅲ』


毎日新聞社 
昭和57年9月25日 印刷
昭和57年10月10日 発行
325p 
四六判 
丸背紙装上製本 貼函 
定価3,000円
装幀: 政田岑生



くふうさつさう(くふうさっそう)。塚本邦雄歳時記全三冊の最終巻。今回は「星曜詞珠」と題して古今東西の書物からの引用と鑑賞が付されています。正字・正かな。


塚本邦雄 俳句への扉 03 01


帯文:

「四季折々の森羅萬象が鮮やかに浮出る
碩学の著者が、季節の移ろひの中から拾ひ出した秀句と詞珠――。それは、あたかも寶石凾から取出した、玉であり光である。心豐かな日日を送るために缺かせない座右の一冊。」



帯背:

「「俳句の扉」
全三冊完結」



目次:
 
睦月
如月
彌生
卯月
五月
水無月
文月
葉月
長月
神無月
霜月
師走

跋 夜ひらく朝顏
掲載俳人名索引




◆本書より◆


「跋」より:
 
「全面的に信賴してゐる「歳時記」の解説中にも(中略)過不足や缺落が無數にひそんでゐるのではあるまいか。植物學者が記述監修する專門書すら、必ずしも完全ではないのだから、事、森羅萬象、人文科學百般に及ばうとする歳時記に萬全を求めるのは、筆者・編者が超人であることを期待するに等しいが、それが無理なら、たとへささやかなことでも、機を得ては、みづから試み、確認してみるに及くはない。缺落(あら)探しの奨めではない。一人一人が、みづからの歳時記を編むのは樂しいことではあるまいか。たとへば俳句の引用にせよ、あの作品例で、果して滿足する人がゐるだらうか。各自が、意中の作を、あれに書き加へることからでも、この「わが歳時記」の再編纂は可能であらう。
 「サンデー毎日」連載の『俳句への扉』は、この第三冊に収録の五十回分を以て一應完結する。昭和五十六年八月十三日號〈101〉に始まる五十囘分には、「忌日暦」「誕生暦」に続いて、「星曜詞珠」と題する、言はば「言葉の寶石凾」を掲げた。同年七月一日から、毎日新聞に連載中の「けさひらく言葉」の兄弟版であり、引用文も解説鑑賞文も、數倍に及ぶ豐かな内容であると自負してゐる。」



「彌生」より:

「春は曙、秋は夕暮と「枕草子」に謳(うた)ひ、後鳥羽院はそれに異を稱へて「夕べは秋と何思ひけむ」と記しとどめたが、晝間の醍醐味は春・秋のいづれにあるかをあげつらつた例は聞き及んでゐない。
 私は晝は秋、それも木犀の咲き匂ふ頃を最高と思ひ、春は次位、早春、沈丁花の綻び初める三月上旬のみを尊しと、勝手に決めてゐる。もつとも、詩歌では朱夏・玄冬の白晝の、強烈・酷薄な印象の方がむしろ作品となり易いこともあらう。
  春晝やひとり聲出す魔法壜  鷹羽狩行
  春晝やきのふの位置の貨物船  不破博
  春晝やけものに五分の隙見せて  岡建五
  春晝や蓮如も越えし大峠  宇佐美魚目
  春晝や一水の光神の扉(と)に  磯崎實
  春晝や川波ひかる産卵場  畑村春子
  春晝や藍の繪皿のスペイン料理  瀧春一
  春晝や死ぬこと杳とゆるされて 仁藤さくら
  春晝の弔旗に指輪はずしいる  赤澤敬子
  春晝の赤毛の中に紛れこむ  橋本たみか
  春晝の生家つらぬく太柱  野見山ひふみ
  春晝の骨片榾(ほだ)のごとはさむ  沖山智惠子
  春晝の波音沖に逃げてなし  上村占魚
  春晝の白を遠ざけねむるかな  加藤朱
  春晝の指とどまれば琴も止む  野澤節子
  春晝の幹を出でても微連の帆  迫田白庭子
  春晝の伎藝天見る手が重し  菖蒲あや
  春晝を猫の反り身や一訃音  住素蛾
  春晝の位牌怖ろしひとり立ち  原田喬
  喪服まだ鏡中を出ず春の晝  小笠原靖和
  生身なる故の春晝恐ろしき  橋本隆正
  空轉のエスカレーター春の晝  里見宜愁
  老娼婦聖母なす繪も春の晝  馬場駿吉」



「神無月」より:

「  星曜詞珠

   このほかにも、まっ暗な獨房だとか、ひっぱたいたりガス・バーナーで皮膚や眼を燒いたり、爪を剥いだりするためカポ(收容所における勞働監督と拷問係。犯罪者上りをよく使った)が使った木製の拷問臺だとか、鞭、ゴム管、ブラック・ジャック、棍棒……といったようなものを見せられた。棟のそとには銃殺のときにたたせた煉瓦壁や絞首臺などがあった。
  親衞隊士官の勤務室。
  机と椅子と書類タンスのほかはなにもない。机のうえには電話器が一つ。むきだしの壁にハッタと睨んでほえたてているヒットラーの小さな寫眞が一枚かかっている。一枚のスローガンがあって、「國家は一つ、民族は一つ、總統は一人」
  ほかにはなにもない。
          開高健・小田實「世界カタコト辭典」

 ポーランドでアウシュヴィッツの所在を質(ただ)すと、不快げに、そんな所は知らぬと答へる人もゐるさうだ。オシュビエンチムなら知つてゐるが、ナチス訛など耳の汚れといふことらしい。親衞隊士官勤務室の「遺跡」は、ヒットラーの寫眞とスローガン以外は何もなく、板張りの床と裸の壁と窓があるつきりだといふ。「無をもって無をつくっただけなのだ」と著者は吐き出すやうに言ふ。
 それはさうと、このスローガン、とあるTVのコマーシャル・メッセージを思ひ出す。否酷似してゐると言つた方が正直だらう。否否、あのCMの方がもつと薄氣味惡いと思ふ人がゐるかも知れない。世界は千差萬別、人類は互に赤の他人……なのにと。」



塚本邦雄 俳句への扉




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塚本邦雄 『句句凜凜 ― 俳句への扉Ⅰ』
塚本邦雄 『華句麗句 ― 俳句への扉Ⅱ』






















































































塚本邦雄 『華句麗句 ― 俳句への扉Ⅱ』

塚本邦雄 
『華句麗句
― 俳句への扉Ⅱ』


毎日新聞社 
昭和56年12月25日 印刷
昭和57年1月10日 発行
330p 
四六判 
丸背紙装上製本 貼函 
定価3,000円
装幀: 政田岑生



くわくれいく(かく・れいく)。塚本邦雄歳時記全三冊の二。「誕生暦」篇。正字・正かな。


塚本邦雄 俳句への扉 02 01


目次:

睦月
如月
彌生
卯月
五月
水無月
文月
葉月
長月
神無月
霜月
師走

跋 白夜も優曇華も
掲載俳人名索引



塚本邦雄 俳句への扉 02 02



◆本書より◆


「跋」より:
 
「初空・初暦・初釜・凍瀧・綿蟲・凧・雪吊・寒牡丹・都鳥・三椏・凍蝶・千鳥等等等、新年以來の季語を、拾つた順に改めて眺め廻し、(中略)誠に忸怩たるものがあり、また激しい羞恥を覺える。(中略)どれもこれも身に遠いものばかりで、もし私が狹義のリアリズム信奉者だつたら、歳時記に載つてゐる季題季語の七十五パーセントは、制作不能になるだらう。」
「翻つて、私の歌帖にも、憚りながら歳時記には收め切れないほどの、季感溢れる言葉があり、季節の移り變りは鮮かに把握してゐるつもりだが、實際に見物したものは、中の二十五パーセントを超えないだらう。すべて、古典と同樣題詠であり、創作であり、延いては創造であると言つておかう。(中略)「俳句への扉」、題して今年は『華句麗句』も、一に、繁忙な現代人に、居ながらにして、歳時・森羅萬象を味はつてもらふための、ささやかな捧げ物である。人は「白夜」を知るために、わざわざオスローまで足をのばす要はなく、優曇華を知るために草蜉蝣を飼育することもあるまい。人間には、涯も限りもなく、またあつてはならぬ「想像力」といふ超能力を具へてゐる。この一冊は、それを刺戟するための一服の昂奮剤である。」
「今回は、「サンデー毎日」連載の昭和五十五年八月三十一日號より、翌年八月十六日號まで、「俳句への扉」51より100を以て一卷とした。忌日暦が誕生暦に變り、内容も精彩を加へたかと考へてゐる。」



「卯月」より:

「春愁とは美しい言葉である。デューラーの名畫、惱める有翼天使も、一枝の薔薇でも持たせると、この題がぴつたりだ。もつとも、心を病む人人にとつては、この春季が、最も危險な時とも聞く。」
「  春愁やわらうてゐたるひとのまへ  道山草太郎
  春愁や人(ひと)、人形と美しう  磯部尺山子
  春愁やふれあふ皿の音にさへ  鈴木萩月
  春愁やニヒルの顏の夫(つま)歸る  牧野寥々
  春愁や主婦にまつはる厨の香  宍戸富美子
  春愁や忌日の酒に少し醉ひ  古賀まり子
  春愁や琴の絲替ふ女のおもて  神田南畝
  春愁や祖廟(そべう)に移す妻の骨  船平晩紅
  春愁やかなめはづれし舞扇  鷲谷七菜子
  春愁の唇厚く菜を洗ふ  飯倉八重子
  春愁の墨の淡さに逝く人も  三浦秋葉
  春愁もなし梳く髪のみじかければ  桂信子
  春愁の殺到しくる赤き反射  野見山朱鳥
  少女の感傷こばみ春晝の計算機  仁村美津夫
  春愁のとどまりて眉濃かりけり  成瀨正とし
  春愁を忘れんための旅衣  高木晴子
  春愁を彌勒菩薩の指しなやか  鈴木鶉衣
  車内ふと春愁に充つ搖られつつ  不破博
  辭書割つて春愁ずれる蟲眼鏡  大中祥生
  繪草紙の春愁の眼をながく見て  田中ただし
  觀世音とて春愁の一女人  藤井亘」



「神無月」より:

「十一月一日生れの朔太郎に「晩秋」の詩がある。「巷に秋の夕日散り/鋪道に車馬は行き交へども/わが人生は有りや無しや。/煤煙(ばいえん)くもる裏街の/貧しき家の窓にさへ/斑黄蜀(むらさきあふひ)の花は咲きたり。」と、後半の部分に、作者の悲しみが漂ふ美しい作品だ。
  10月26日 木下夕爾誕生 1914
     27日 パガニーニ誕生 1782
         A・プレジャン誕生 1898
     28日 エラスムス誕生 1466
     29日 黑岩涙香誕生 1862
         J・ジロードゥー誕生 1882
         キーツ誕生 1795
         篠原鳳作誕生 1905
     30日 C・ルルーシュ誕生 1937
         L・マル誕生 1932
         P・ボナール誕生 1867
         ブールデル誕生 1861
         E・パウンド誕生 1885
         スウィフト誕生 1667
         P・ヴァレリー誕生 1871
     31日 M・ローランサン誕生 1885
         フェルメール誕生 1632
  11月1日 E・ブランデン誕生 1896
         H・ブロッホ誕生 1886
         土御門天皇誕生 1195
         萩原朔太郎誕生 1886
         オイゲン・ヨッフム誕生 1901
         ベルリーニ誕生 1801
         ロスアンヘレス誕生 1923」



塚本邦雄 俳句への扉




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塚本邦雄 『句句凜凜 ― 俳句への扉Ⅰ』
塚本邦雄 『句風颯爽 ― 俳句への扉Ⅲ』






















































































塚本邦雄 『句句凜凜 ― 俳句への扉Ⅰ』

塚本邦雄 
『句句凜凜
― 俳句への扉Ⅰ』


毎日新聞社 
昭和56年2月10日 印刷
昭和56年2月25日 発行
285p 
四六判 
丸背紙装上製本 貼函 
定価2,800円
装幀: 政田岑生



くくりんりん。塚本邦雄歳時記全三冊の一。「忌日暦」篇。正字・正かな。


塚本邦雄 俳句への扉 01 01


帯文:

「目利きが選んだ秀作で飾る諷詠12ケ月
古今東西の年中行事や花鳥禽獸暦の間に選りすぐつた名作を鏤め、一読百卷の書のエッセンスを盛りこむ。露風忌とリルケ忌が肩を竝べるなど、全く新しい万國歳時記が誕生した。」



帯背:

「開かれた歳時記
新しい俳句入門」



目次:

睦月
如月
彌生
卯月
五月
水無月
文月
葉月
長月
神無月
霜月
師走

跋 カフカ忌は水無月三日
掲載俳人名索引



塚本邦雄 俳句への扉 01 02



◆本書より◆


「跋」より:

「藝術家を中心とした、万國忌日暦を編んでみた。」
「『句句凜凜』は、「サンデー毎日」一九七九年九月号から連載中の「俳句への扉=句々琳々」を、とりあへず五十回分、標題・構成等にやや手を加へて、一冊に纏めたものである。」
「いつの日か「萬國詩歌歳時記」と銘打つて、古今東西の年中行事や花鳥禽獸暦、それに即した名作を、選りすぐつて鏤め、一讀百卷の書のエッセンスを味はうやうな書物を作つてみたい。この本は、その幻影の一部分を垣間見るための、言はば試作品である。」



「彌生」より:

「三月五日は二十四節氣の啓蟄(けいちつ)。「蟄蟲(ちつちゆう)戸を啓(ひら)く」で、穴籠りしてゐた昆蟲・爬蟲のたぐひが、ぞろぞろ出て來る季節を示す。だが、まだとてもとても、そんな氣の早い蟲はゐまい。薩摩以南の話だらう。藁塚の底や山懷の洞穴に、蛇や蜥蜴(とかげ)や蛙やその他のぎつしり固まつて眠つてゐる樣を想像し、次に「啓蟄」と聞くと、樂しくもあり、氣味惡くもなる。
  啓蟄や雲を指すなる佛の手  加藤楸邨
  啓蟄や幼弱(えうじやく)の掛く近視鏡  秋元不死男
  啓蟄や洗へば白き土不踏  白岩三郎
  啓蟄や爺婆たちもひた駈くる  瀧春一
  啓蟄や胎兒しづかに下降して  後藤昌治
  啓蟄や鍛冶の水と火地にまろび  鷹羽狩行
  啓蟄や人棲む裏戸いつも濡れ  小原渉
  啓蟄や翅(はね)よりあおき窓の數  澁谷道
  啓蟄や湯氣ほのぼのと實母散(じつぼさん)  岩村蓬
  啓蟄の晝を灯(とも)して稿(かう)急ぐ  久保田月鈴子
  啓蟄の森の奧より水流る  高桑冬陽
  啓蟄の鳥語(てうご)すずろに美しく  後藤夜生
  啓蟄の握り拳(こぶし)をふところに  櫻井博道
  地蟲出づふさぎの蟲に後れつつ  相生垣瓜人
  蟻かなし穴出づる日も土を咥(くは)へ  上村占魚」



「葉月」より:

「  8月31日 ボードレール忌 1867(47)
  9月1日 夢二忌 1934(51)
       ティボー忌 1953(74)
       太陽王ルイ14世忌 1715(78)
       モーリアック忌 1970(86)
       ルソー(畫家)忌 1910(67)
    4日 グリーク忌 1907(65)
    7日 鏡花忌 1939(67)
    9日 マラルメ忌 1898(57)
       ロートレック忌 1901(38)
 目も眩(まばゆ)いと言ふのも變だが、ともあれ「萬國歳時記」が生れたら、ここらあたり、豪華キャストの映畫さながら、名前の羅列だけで、味と陰翳たつぷりの連歌的世界が出現する。さうだ連歌もいづれ、そこまで擴がり、かつ華やぐことだらう。」



塚本邦雄 俳句への扉




こちらもご参照下さい:

塚本邦雄 『華句麗句 ― 俳句への扉Ⅱ』












































































塚本邦雄 第7歌集 『星餐図』

「鬱病のはてのくちなし月暈(つきかさ)の色われは恢復を冀(ねが)はず」
(塚本邦雄 『星餐圖』 より)


塚本邦雄 
第七歌集 
『星餐圖』


人文書院 
昭和48年12月25日 発行
292p 跋・著作目録4p 
22.4×14.4cm(菊判変型)
丸背布装上製本 カバー 
貼函 函プラカバー
定価2,800円
編輯・装釘: 政田岑生



正字・正かな。一頁一首組。各歌の歌番号が橙色ローマ数字印刷で添えられています。
「星餐図」とはたいへん美しいタイトルでありますが、裏を返せば「凄惨図」であります。


塚本邦雄 星餐図 01


帯文:

「みづからの言語空間の新領域に旅立ち、目覺しい轉身を圖る塚本邦雄が、全歌集以後の最新作を善美を盡した意匠にこめて世に問う第七歌集。訣別した知音のため、星宿天蠍座と人馬座に獻じた鬱然たる悲調250首」


塚本邦雄 星餐図 03


帯裏:

「繭ありて地は明るみみづからにゆゆしき死にをこひねがふかも
天にソドム地に汗にほふテキサスの靴もて燐寸擦る男らよ
百合はみのることあらざるを火のごときたそがれにして汝が心見ゆ
(本歌集より)」



塚本邦雄 星餐図 02


本体表紙(カバーを外した状態)。


塚本邦雄 星餐図 04


見返し。
函、本体カバー、見返し、扉の図版はギュスターヴ・ドレによるダンテ『神曲』挿絵より。章扉はフリーメーソンの集会(「The Ceremonies of Religion and Custom」より)およびホガースの銅版画「南海泡沫事件」から車刑の図。


塚本邦雄 星餐図 05


目次:

Ⅰ 星想觀
 漾へ
  音樂は歇みたり
  天睡りたれ
 わが汨羅
  傷寒論
  風騷
 星學
  桔梗に寄す
  他界ににほふ
 苦艾變相曲
  ダヴィデ同牀
  月光滄溟曲

Ⅱ 茘枝篇
 墮天使領
  蒼彌撒
  殺靑
 反世界への反歌
  わが夏への扉
  陽轉
 古典
  亂調
  窈窕篇
 橙源境
  弑歌
  誘惑

跋――星餐の辭
塚本邦雄著作目録



塚本邦雄 星餐図 06



◆本書より◆


「Ⅰ 星想觀」より:
 
翅炎ゆる蜻蛉(あきつ)水の上(へ)さしぐみてみづからに晩熟をゆるす

韻律の夏にただよひ眼藥の一しづくあやまちて額(ぬか)に享く

夏至の夜の孔雀瞑(つむ)れる孔雀園くれなゐの音樂は歇(や)みたり

純白の葉書一ひら黄楊(つげ)に花咲くとつたへて斷ちたりこころ

花ちりてたちまち冥き百合樹(ゆりのき)の伐られつつあはれみを甘受す

みひらきて死ぬ薮雉子(やぶきぎす)他界には陽より眩しきもの耀りわたる

夏引の繭たえだえに薄明の他界をのぞみおく寢棺あり

鬱病のはてのくちなし月暈(つきかさ)の色われは恢復を冀(ねが)はず

愛戀を絶つは水斷つより淡きくるしみかその夜より快晴

項(うなじ)搏つ寒雷のそのしろがねに死におくれつつ生きおくれたり

自轉車になびく長髪熾天使(してんし)らここ過ぎて煉獄の秋を指す

にくしみの境おぼろに四季周るこの星の名を苦艾(にがよもぎ)てふ

掌(てのひら)の釘の孔もてみづからをイエスは支ふ 風の雁來紅(かまつか)



「Ⅱ 茘枝篇」より:
 
男色はさはれ薄暮(はくぼ)と黄昏(くわうこん)のけじめもの憂く枇杷熟るるなり

渇きこそ榮華の一つ齒に觸れて男の果實みづみづしけれ

耳にさやりて香る風花またの日も恥おほくこの修羅に遊ばむ

こころざし否慾望に仕ふべし蓬髪(ほうはつ)ぞにがきよもぎの香曳き

星菫(せいきん)月李(げつり)つめたししかもたましひの死地へ初陣をいそぐ 男は

死なばまたかへらむ修羅に韻文は芍藥の香のごとくひびけよ

罌粟に疾風(しっぷう)しかも死ぬまで獨身(ひとりみ)のシャーロック・ホームズを朋とし



「跋 星餐の辭」より:

「第六歌集「感幻樂」刊行後約二年閒の作品から二百五十首を選び、恣意に排列構成して一卷とし「星餐圖(せいさんづ)」と題した。本書に採用した一頁一首一行組は私の歌集としては始めての試みであり、また年來の希望であつた。度度企てつつも短歌表記上のあるひは出版に關はる種種の制限による不如意から、容易には叶へられなかつた懸案がこの書でやうやく實現したものである。
 意圖は一頁のすなはち無限の空白にみづからの一首を垂直に置き、それが嚴然と處を得る相を見極めることにあつたが、ことさらに設へた虚無の空閒に果してよく耐へ得たか否か。また短歌はすべからく朗朗吟誦されるべきものであるといふ、抜きがたい原初的な要請をあへて措き、活版印刷技術等による美的效果に心を盡すことに如何ほどの意義を認めるか、おそらく多多疑問反論の生ずるところであらう。
 然しながら一卷の歌集とは、少くとも私にとつては、單なる記録、傳達の目的などをはるかに超えた次元で、一首一首の内包する美を選び抜いた印刷もしくは手書文字によつて可能な限り顯示し、しかもそれを綜合網羅して完璧な裝ひの中に封ずる、ある意味では美術品たるべきであつた。反面の眞理を徹底するならば作品の發表には記述、印刷等一切廢し、ことごとく口移しに傳承されるのが至當であらう。兩面兩極の曖昧な折衷案など採るところではない。私が正字歴史假名遣ひを固執するのも、ひとへに基本的態度の一端に過ぎぬ。その意味においては過去の幾つかの集にも今なほ慊焉たるものがある。そしてまた文字による作品表現の高貴な典型として、私は久しく「高野切」や「西本願寺三十六人集」等を憧憬し、あるひはまたアポリネールの「カリグラム」に讃嘆の言葉を吝まない。

 「星餐圖」収録作品制作期閒中に、詳しくは昭和四十五年の朱夏と晩秋に、一人の盟友と一人の先達が突如私の視界から姿を消した。いづれも私の生涯にはふたたび得がたい稀なる知音であつた。彼方への遁走の眞意が那邊にあつたか今日も未だ私の理會は及ばないが、それゆゑになほ痛恨は筆舌に盡しがたく、死者へのまして生者への服喪の憶ひ沈寥たるものがある。私にはかけがへのない複數の鐘子期らのうち、主要な二人と訣れた今彈琴の興もしきりに歇み、しかも斷絃の決意はさらさらない。はるかにひびく「歸去來(かえりなんいざ)」の詞に誘はれ心茫茫たる一年であつた。今日その一人の終の栖を天涯の蠍座(スコルピオ)に擬し、また一人の今生の塒を地の果ての人馬座(サジタリウス)にたぐへ、一顆の茘枝一把の苦艾を餐卓に供し、この一卷を心からなる贐詩、誄歌として獻じよう。歸去來、この詞が如何に清清しからうと遺された私に歸るべきところは何處にもない。そして彼らが語り殘し歌ひ剩した言葉を代つて盡すまで、私は何處にも決して歸るべきではあるまい。」




塚本邦雄 星餐図 08





















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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