ホフマン/フロイト 『砂男/無気味なもの』 (種村季弘 訳/河出文庫)

「だが、フロイト流の父親像のみが救済の契機として有効かどうかという問題は、依然として懸案にとどまるだろう。もしかするとそれはヨーロッパ思想の限界なのかもしれない。すなわち、無気味な機械人形オリンピアそのものが救済の契機たりうるかもしれないという観点は、そこからは出てきにくいのである。」
(種村季弘 「ホフマンとフロイト」 より)


E・T・A・ホフマン/S・フロイト 
『砂男/無気味なもの』
種村季弘 訳

河出文庫 ホ-3-1

河出書房新社 
1995年2月25日 初版印刷
1995年3月3日 初版発行
196p 
文庫判 並装 カバー 
定価400円(本体388円)
デザイン/フォーマット: 粟津潔
カバーデザイン: 中島かほる
カバー画: ホルスト・ヤンセン 「E・T・A・ホフマンの肖像」



本書「ホフマンとフロイト」より:

「ホフマン『砂男』のテクストは、『集英社世界文学全集18 砂男 他』に訳出した際に Reclam 版を底本に用いた訳稿に、さらに Winkler 版全集を参照して改訳した。」


ホフマン 砂男


カバー裏文:

「自動人形、二重人格などをテーマにしたホフマンの「砂男」は、怪奇幻想小説の傑作として有名であるが、後年フロイトによってとりあげられ、恐怖の源泉としての「無気味なもの」が作品ともども詳細に分析された。本書はその「砂男」とフロイトの論文を併せて収録し、訳者の明快な解説を付したもので、古典を古典的論文で読解するという新しい試みを意図したものである。」


目次:

砂男 (E・T・A・ホフマン)
 後記・訳註

無気味なもの (S・フロイト)
 原註
 訳註

ホフマンとフロイト (種村季弘)




◆本書より◆


ホフマン「砂男」より:

「あらゆるものが、人生の全体が、ナタナエルには夢と化し、予感と化していた。言うことはいつもきまっていた。人間は誰しも、自分の意志でやっているのだと称しながらじつは暗黒の力の残酷な戯れに操られているのであり、その力にどう抗(あらが)ってみても無駄なのだし、運命が定めた道に柔順にしたがわぬわけにはいかない、そう言うのだ。あまっさえ勢いあまって、芸術にしたって学問にしたって、自分の意志のままに創造していると考えるのはおよそ愚の骨頂だとまで言い募った。つまり彼に言わせるなら、精神の熱狂のなかでこそ人は創造に携わることができるのだが、その精神の熱狂は当事者の内部からやってくるのではなく、私たち自身の外部にある何か高次の原理に感応して起るからなのだ。
 かしこいクララにはこうした神秘的熱狂がどうにも鼻持ちならなかった。しかし反論したところで無駄なように思われた。」

「ジークムントは、(中略)次のように言い足した、「だけど変じゃないか、ぼくらの仲間内じゃかなりの連中がオリンピアについてはほぼ意見が一致しているんだぜ。彼女は(中略)何だか妙に強張って魂がないみたいな感じがするんだ。(中略)歩き方は奇妙にぎくしゃくしてるし、動作だっていちいちゼンマイ仕掛で動かされてるみたいだ。(中略)ぼくらにはあのオリンピアが薄気味悪くて仕方がなくなってきたんだよ。あの娘とは関り合いになりたくない。何だか生きた人間のふりをしてるだけで、それも特別な事情があるんじゃないかって気がするんだ」ジークムントがそう言うのを聞いてナタナエルは苦々しい気分になりかけたが、(中略)ただひどく生真面目にこう言った、「そりゃあ、きみたちみたいに冷たい散文的な人間にはオリンピアは無気味に思えるかもしれないさ。しかし詩的な心情の持主には自分と同じ出来具合の組織が見えるんだ。(中略)ぼくが失われた自分に出会うのは彼女の愛のなかでだけだ。たしかにきみたちには、彼女がそんじょそこらの浅薄な連中みたいに愚にもつかないおしゃべりにうつつを抜かさぬのが不都合に見えるかもしれないね。彼女はほとんど物を言わない。それは本当だ。だけどそのわずかに口にする言葉が、ぼくには、永遠の彼岸を見つめている精神生活の高度の認識と愛とに充実した内的世界のまじり気のない象形文字(ヒエログリフ)のように思えるんだ。だってきみたちにはそういうものに対するセンスがまるでないじゃないか。だから何を言っても迷い言というわけだ」」



フロイト「無気味なもの」より:

「ドイツ語の「無気味な(unheimlich)」という語は明らかに、heimlich(ひそかな)、heimisch(その土地の)、vertraut(なじみのある)の対立語であって、何かあるものは、それが既知のものではなく、親しみがないから怖いのだ、という結論がただちに出てきそうである。」
「われわれとしては、無気味な(unheimlich)=なじみのない(nicht vertraut)という方程式から離れてみたいと思う。」
「われわれが特におもしろいと思うのは、heimlich という語がその語に幾重にもわたるニュアンスをふくみながら、unheimlich なる反対語と符合する意味をも示すという点である。してみれば、heimlich なものが unheimlich なものになるわけだ。(中略) heimlich という語は一義的ではなく、一方では親しみのあるもの、快適なもの、他方では隠れたもの、隠されたままにされているものという、相互に対立しないままおたがいにまるで無関係であるような二つの表象圏に属しており、この点を特に銘記しておく必要がある。」
「heimlich は、両面価値感情(アンビーヴァレンツ)によってその意味を展開し、しまいには反対語の unheimlich と重なり合ってしまった語なのである。」
「E・イェンチュはえり抜きの例として、「見かけは生きているように見える存在(もの)にじつは生命がないのではないかという嫌疑、あるいは逆に、生命のない物体がなんだか生きていそうな疑い」を強調しながら、蝋人形だの、精巧に細工を施した人形だの、自動人形だのを引き合いに出す。」

「ある暑い真夏の午後、私はイタリアのさる小都市の、勝手知らない、人気のない街路をぶらついていた。私はたまたま、いかがわしい性格がすぐにピンとくる界隈に入り込んでいた。小さな家々の窓には厚化粧の女たちが鈴生りになっているのが見えた。私は足を速め、そのせまい小路を通りぬけて次の角を曲った。ところがしばらくやみくもにうろついてからふと気がつくと、前と同じ小路に出ているのである。そろそろ人目がこちらを見とがめはじめる。私はそそくさと立ち去ったが、結果は何のことはない、またまた新たな回り道をして三度目にそこへはまり込んでしまったのだ。すると私は無気味としかいいようのない感情に捉えられた。」
「これとは別種の一連の体験によく見られるのに、こんなのがある。意図せざる再帰のモメントがふだんはどうということのないものを無気味に思わせたり、ふつうなら「偶然」としかいいようのない場合になにやら致命的なもの、逃れられない運命という観念を押しつけてくるのだ。たとえばクロークに預けた衣服の預り証がかくかくしかじかのナンバー――かりに62としておこう――だったり、割り当てられた船室のルームナンバーがまたその数字だと知れたりする。たしかにどうということのない経験にはちがいない。ところが62という数字に同じ日に何度もお目に掛かり、それ自体としては無関係な二つの出来事が双方から接近してきて、しかもアドレス、ホテルのルームナンバー、鉄道車輌等々、数字表記のつくものすべてに、すくなくとも構成要素の一部にくり返し同一の数字が再帰してくるとなると、どうということのない経験という印象は一変してしまう。「無気味」と思うのだ。迷信の誘惑になしくずしに参ってしまう人間だと、えてして、この同一数字のしぶとい再帰には背後になにか隠された意味があると思うのである。」

「言語慣用が「なつかしいもの(das Heimliche)」をその反対語たる「無気味なもの(das Unheimliche)」に寝返らせるのもむべなるかな、と納得されることだ。なぜなら無気味なものは、じつは新奇なものでもなければ見知らぬものでもなくて、心的生活に古くからなじみのあるなにものかであり、それが抑圧の過程を通じて精神生活から疎外されてしまったものだからだ。この抑圧との関係からしてようやく、無気味なものとは「隠されたままでいなければならないはずなのに、それが表に出てきてしまったもの」というシェリングの定義の意味も明らかになる。」

「神経症の男性たちはよく、「女性の性器(ジェニタル)が無気味なものに見えます」と告白したりする。この無気味なものはしかし人間の子たるもののなつかしい故郷への、つまりだれしもがかつて最初にいた場所への入口である。「愛は郷愁である」という戯言(ざれごと)がある。夢のなかである場所もしくは風景を見て、「ここは知っているぞ、むかしいたころがあるものな」と夢の当事者が考えるとしたら、当の場所の正体はまず女性性器もしくは母胎と解釈して差し支えない。無気味なものはしたがってこの場合にも、むかしは故郷だったもの、古なじみのものなのだ。この unheimlich という語の前綴り「un」こそは、抑圧の着けている仮面なのである。」



種村季弘「ホフマンとフロイト」より:

「自然、故郷、家庭、身体、あるいはもっと小さい規模でなら女性性器。この「最初にいた場所」から疎外されること。第一次ナルシシズムの発顕を思うさま叶えてくれたアト・ホームな、つまりは heimlich な場所の喪失という「第一次ナルシシズムの抑圧」が、ひるがえって unheimlich な感情を生む。これが、フロイトの『無気味なもの』に一貫するモティーフである。」
「しかし「最初にいた」インティメートな場所の喪失による自動人形化という点では、ホフマン、フロイト両者にこの悪運を遺贈したデカルトその人が、当の宿痾をつとに身をもって体験している。(中略)その自動人形化した彼自身を隔離せんとして、二元論による身体疎外、身体幽閉を試みたのであるまいか。
 しかし幽閉された身体は監禁状態の孤独のためにさらに硬直して、同病の、すくなくとも同じ程度に早期離乳を強いられたホフマンやフロイトによって暴露され、白日のもとにさらされる。」
「デカルトが提起し、ホフマンが暴露した、身体の牢獄もしくは牢獄と化した身体をめぐる問題は、フロイトの分析後も、「あらかじめうしなわれた(ないしはあらかじめ奪われた)身体」をめぐるアルトーやフーコーのテクストによって、くり返し取り上げられた。といって、むろんはかばかしい解決策はおいそれと見当たりはしない。というよりも目下も治療中とでもいうほかない。」
「だが、フロイト流の父親像のみが救済の契機として有効かどうかという問題は、依然として懸案にとどまるだろう。もしかするとそれはヨーロッパ思想の限界なのかもしれない。すなわち、無気味な機械人形オリンピアそのものが救済の契機たりうるかもしれないという観点は、そこからは出てきにくいのである。
 一方、私たちはむしろ女性の救済力になじんでいる。(中略)泉鏡花の『照葉狂言』では、たとえばリューマチのために機械人形のように硬直した女芸人が、「姉の力」、「妹の力」の体現者として登場してくる。オリンピア(中略)の呪いが、むしろ母親像との関連において、ひるがえって救済の契機となることも、ないではないらしいのだ。」




こちらもご参照下さい:

ホフマン 『黄金宝壺』 (石川道雄 訳)











































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E・T・A・ホフマン 『ブランビラ王女』 (種村季弘 訳/ちくま文庫)

「私たちは人生のなかでしばしば突如として不思議な魔法の国の開け放された戸口の前に佇(たたず)んでいることがあり、その息吹きがまことに奇妙な予感となって私たちの身の回りに謎めいた気配を吹き掛けてくるかの巨大な霊のもっともひそやかな営みを垣間見ることがあるのである。」
(ホフマン 『ブランビラ王女』 より)


E・T・A・ホフマン 
『ブランビラ王女』 
種村季弘 訳

ちくま文庫 ほ-2-1

筑摩書房 
1987年5月27日 第1刷発行
256p 
文庫判 並装 カバー 
定価380円
装幀: 安野光雅
カバー装画: Jacques Callot

「この作品は一九七九年六月二五日、集英社より刊行された『世界文学全集』第18巻に収録された。」



本書「訳者あとがき」より:

「『ブランビラ王女』 Prinzessin Brambilla の翻訳は、E.T.A. Hoffmann : Gesammelte Werke in Einzelausgaben. Munchen, Winkler 1960-65 を底本とし、註作成に関しては、それぞれの Reclam 版の該当する箇所を参照した。本訳書の初出は集英社世界文学全集18 『ホフマン 砂男他』(一九七九年)中の旧訳であり、文庫版化に際していくつか旧稿の不備を匡した。カロの挿絵は、現在レクラム文庫などに用いられている模写に替えて、ガレリア・グラフィカ所蔵のカロ原画を掲載させて頂いた。」


本文中図版(モノクロ)8点。


ホフマン ブランビラ王女 01


カバー裏文:

「「ブランビラ王女は素敵な美人だ。その驚異のせいで彼女によって頭にめまいが起らないような人には、頭というものがまるでないのだ」(ハイネ)
場所はローマ、時はまさに謝肉祭(カーニバル)。仮面の道化たちが跳梁する街中で、恋人同志の二枚目役者とお針子が、大道香具師の魔術によって、それぞれアッシリアの王子やエチオピアの王女に恋をした……。奇想天外なストーリー展開とリズミカルな文体で、現実と幻想のあわいを往き来する、ホフマン後期の代表的ファンタジー。」



目次:

前口上

第1章
一着の豪奢(ごうしゃ)なドレスが若いお針娘(はりこ)を魔法のように魅惑する――二枚目役が披露(ひろう)する俳優の定義――イタリア娘たちのお澄まし顔(スモルフィア)――いかめしそうな小男がチューリップの花のなかに坐って勉学に没頭し、優美な貴婦人たちは騾馬(らば)の耳の間でレースを編む――大道香具師(やし)チェリオナティとアッシリアの王子の歯――空の青と薔薇(ばら)色――パンタローネと奇妙なものが入っている酒壜(さかびん)。

第2章
尖った石につまずいて足に怪我をするやら、貴人に挨拶するのをないがしろにするやら、閉っている門に走っていって頭ごとぶつけるやら、何ともかとも奇妙な状態に陥ってしまったことについて。――恋と狂熱に及ぼすマカロニ料理の影響。――俳優地獄のおそろしい苦悩とアルレッキーノ。――ジーリオが意中の少女が見つからず、仕立屋たちに取り押えられて、刺絡(しらく)を処されてしまった事の顛末(てんまつ)。――お菓子の箱のなかの王子と行方不明の恋人。――背中から旗が生えてしまったので、ジーリオがブランビラ王女の騎士になろうと思った次第。

第3章
勇ましくもプルチネラなどは退屈かつ悪趣味なりと思う金髪(ブロンド)頭の諸君のこと――ドイツ式冗談とイタリア式冗談――いかにしてチェリオナティは《カフェ・グレコ》の店先に坐って、しかも自分は《カフェ・グレコ》にいるのではなくてガンジス河のほとりでパリ風嗅(か)ぎ煙草を製造しているのだと言い張ったか――かのウルダルの園をしろしめすオフィオッホ王とリリス女王の奇妙な物語――コフェトゥア王が乞食娘と結婚し、やんごとない王女さまが大根役者の後を追い、ジーリオが木剣を着帯するが、やがてコルソ広場に夥(おびただ)しい仮面の人物が走り回り、ジーリオの自我が踊り出したために、ついにジーリオがその場に立ちつくしてしまった事の顛末。

第4章
睡眠と夢の有用な発明のこと、並びにサンチョ・パンザがこの問題について考えること。――ヴェルテンベルクのさる役人が階段を転げ落ち、ジーリオが自分の自我を透視することができなかったことの次第。修辞学的な暖炉衝立(ついたて)、二重の大法螺(おおぼら)、並びに白い黒ン坊。――老侯爵バスティアネッロ・ディ・ピストーヤがコルソにオレンジの実をまき、仮面道化どもを庇護したこと。醜い娘の好日(ボー・ジュール)。――リボンを結ぶ高名なる黒魔術師キルケー、並びに花咲けるアルカディアに生える可愛らしい蛇草に関する報告。――ジーリオが純潔なる絶望のあまり短刀自殺を遂げ、そのすぐ後に食卓について遠慮なく手を伸ばすが、やがて王女におやすみなさいを言ったこと。

第5章
人間精神のすっかり干上ってしまう時刻にジーリオがさる聡明なる決断に達し、幸運の女神(フォルトゥナトゥス)の財布をまんまとわれとわが物にして、世の仕立屋中もっともへり下った男に傲慢不遜(ごうまんふそん)な目差しを投げかけること。――ピストーヤ宮殿とその奇蹟。――チューリップの賢者の講義。――精霊の王者たるソロモン王とミュースティリス王女。――老魔術師が部屋着を羽織り、黒貂の毛皮帽を被って、髯ぼうぼうのまま、支離滅裂たる韻文で予言を語って聞かせたこと。――黄色い嘴(くちばし)をした鳥の不吉な運命。――ジーリオが見知らぬ美女と踊りながらそれからどういうことに相成ったか、その事の顛末は親愛なる読者にこの章では打ち明けられないこと。

第6章
一人の男が踊りながら王子になり、失神して大道香具師(やし)の腕のなかに崩れ落ち、それから夕食の席でお抱え料理人の腕前に首をかしげたこと。――鎮痛薬(リクォ-ル・アノディヌス)、並びに原因不明の大音響。――愛と憂愁に沈める二人の友の、騎士道に則った決闘、並びにその悲劇的結末。――嗅ぎ煙草の害と見苦しさのこと。――ある女性のフリーメーソン、並びに新発明の飛行機。――ベアトリーチェ婆さんが眼鏡を掛け、それからまた鼻の上から外したこと。

第7章
若い身なりのいい一人の男が《カフェ・グレコ》で気に染まぬ話を持ちかけられ、座元は悔悛の情を感じ、キアーリ修道院長の悲劇がもとでさる役者の張りぼて人形が死んでしまったこと。――慢性二元論、並びにたがい違いにものを考える二重の王子。――眼が悪いためにあべこべにものが見えると、自分の国を失くして散歩ができないこと。――いさかいと喧嘩と訣別。

第8章
コルネリオ・キアッペリ王子は怏々(おうおう)として心慰むすべを知らず、ブランビラ王女の繻子(しゅす)の靴にキスをするけれども、やがて二人とも網細工のなかに囚われてしまったこと。――ピストーヤ宮殿の新しい奇蹟。――駝鳥に乗った二人の魔術師がウルダルの湖のなかを通りすぎ、蓮の花のなかに腰を掛けたこと。――ミュースティリス女王。――おなじみの人物たちの再登場、『ブランビラ王女』と申すカプリッチョは目出度く大団円のこと。

注解
訳者あとがき (種村季弘)



ホフマン ブランビラ王女 02



◆本書より◆


「私たちは人生のなかでしばしば突如として不思議な魔法の国の開け放された戸口の前に佇(たたず)んでいることがあり、その息吹きがまことに奇妙な予感となって私たちの身の回りに謎めいた気配を吹き掛けてくるかの巨大な霊のもっともひそやかな営みを垣間見ることがあるのである。」

「「ああ――私たちはさみしいよそよそしい異国(とっくに)で重苦しい夢を見ていたのに、いまはめざめて故郷(ふるさと)にいる――いまは自分自身のなかに自分を見つけているのだから、もう見捨てられた孤児(みなしご)ではないのだ!」」

「太陽圏といえども私たちの内面をくまなく囲い込むことはできず、その見えざる宝庫は眼に見える創造物の無尽蔵の富をはるかに上回るのだ! かりに世界霊が私たちにあの内面の不滅のダイヤモンド鉱を授けてくれていなかったならば、私たちの生は死も同然、乞食のように貧しく、土竜(もぐら)のように盲目であることだろう。まことに内面のダイヤモンド鉱からこそ、あの私たちのものとなった驚くべき富は金色燦然と輝き出るのだ!」

「全員一斉に物珍しげにその外国人の方を見た。そして、たしかにその人の顔の、その他の点では才気溢れる面差しのなかには、危険な病気を思わせる、何か曖昧糢糊(あいまいもこ)とした、錯乱の影のようなものがあり、病気は結局潜伏性の狂気に原因があるようだ、と異口同音に評議一決したのである。「どうやら」とラインホルトが言った、「思うに、チェリオナティ師、あなたのご意見では、仰言るところの慢性二元論病とは、固有の自我が自分自身と真二つに分裂し、そのために自己の人格がもはやつなぎとめられなくなる、あの痴愚の謂(いい)に外ならぬようですね」
 「当らずといえども遠からず」と山師は答えて、「まあそんなとこかな、ラインホルト君、もっとも、どんぴしゃりではない。(中略)ある王女が、その国におられた、というよりは只ならぬ状態になられた。つまり子種を身籠ったのじゃ。民衆は王子が生れることをひた望んだ。ところが王女は民衆の希望を凌(しの)いで二倍にして叶えた。世にも可愛らしい王子を二人も生んでしまわれたからじゃ。双生児、それも単生児と言った方がよさそうな双生児だった。というのも二人は腰のところが癒着(ゆちゃく)して合生していたからだ。宮廷詩人の主張するところによれば、未来の王位継承者が担うべき徳目のすべてを容れるには一つの人体では物足りない、と自然が見た結果がこれであるということだし、大臣たちは二重の祝福にいささか当惑した皇族たちを慰めて、手が四本あれば王笏も王剣も日本よりずっと力強く握れるし、政権のソナタは四手弾奏(ア・カトル・マン)でこそ常ならず完璧な華麗な音色を奏でましょう、とは取りなしたものの――いやはや――、とはいうものの、事態はいろいろと無理からぬ遅疑逡巡(しゅんじゅん)を惹き起すのに充分であった。(中略)しかし何よりも困ったのは感覚が完全にちぐはぐなことで、日を追うにつれてこれがますます顕著(けんちょ)になってきた。一方の王子がふさいでいると、もう一人ははしゃいでいる。一人が坐ろうとすると、もう一人は走ろうとした。まあそんなわけで――二人の欲望はいっかな一つにまとまらなかったのだ。それでいて、片方はこんな、もう一方はあんな、という風に気質が特定しているとは断じて申せなかった。永遠にあべこべに交替しながら、これからあれへと性質が移ろうのだ。どうやらこれは、もとはといえば、肉体が癒着しているのと軌を一にして精神の合生が出現し、それがこの大分裂を惹き起しているために相違なかった。――つまり二人の王子はたがい違いに物を考えているのであり、だから自分の考えていることが本当に自分が考えているのか、それとも双生児の片割れの方が考えているのか、どちらの方にも皆目分らぬという始末だった。こんな風にたがい違いに考える二重王子が一人の人間の肉体のなかに《腐敗物質(マテリア・ペッカンス)》として巣食ってしまったとご想像あれ。さすれば、拙者の弁じておる病気の正体はお分りになろう。つまりこの病気の結果は、主として患者が自分自身が何者なのかさっぱりわけが分らなくなってしまうという点に現われるのだ」」






































































E・T・A・ホフマン 『くるみ割り人形とねずみの王様』 (種村季弘 訳/河出文庫)

「ドロッセルマイヤーはすくなからず愕然(がくぜん)としましたが、やがて自分の技術と運を信じて、さっそく効能ありと思われる最初の作業に取りかかりました。ドロッセルマイヤーはピルリパート姫を器用にバラバラに分解し、手足のネジを外して内部構造をのぞいて見ました。ところが残念ながらそこで分かったのは、姫は大きくなればなるほど不格好になるだろうということで、どうしたらいいのかすっかり途方に暮れてしまいました。ドロッセルマイヤーはまた姫の身体をひとまとめにすると、(中略)揺り籠のかたわらでしょんぼり打ち沈みました。」
(ホフマン 「くるみ割り人形とねずみの王様」 より)


E・T・A・ホフマン 
『くるみ割り人形とねずみの王様』
種村季弘 訳

河出文庫 ホ-3-2 

河出書房新社 
1995年12月25日 初版印刷
1996年1月9日 初版発行
264p 
文庫判 並装 カバー 
定価640円(本体621円)
カバー写真: 山本成夫
カバーデザイン: 中島かほる
フォーマット: 粟津潔



種村季弘によるホフマン童話の新訳。「大晦日の夜の冒険」は『澁澤龍彦文学館 綺想の箱』(筑摩書房)に収録されたものの改訳です。


ホフマン くるみ割り人形とねずみの王様


カバー裏文:

「チャイコフスキーのバレエで有名な「くるみ割り人形」の知られざる原作が、今、新しい訳でよみがえる!!
こっけいで不気味、気が良くて残酷、美しくて醜悪、エレガントでうさんくさい―ホフマンの描き出す世界を見事に体現した表題作のほか、幻想味あふれる「見知らぬ子ども」「大晦日の夜の冒険」を併録した、待望のメルヘン集成。」



目次:

くるみ割り人形とねずみの王様
見知らぬ子ども
大晦日の夜の冒険

訳者解説




◆感想◆


創土社版『ホフマン全集』所収の「くるみ割り人形」の訳文が、ひらがなばかりで読みにくく、途中で挫折して、そのままになっていたので、種村訳を購入してみました。
矢川澄子の『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』(新潮文庫)もそうでしたが、種村季弘のホフマン童話の訳も、たぶん訳者自身が子供の頃に読んだり聞いたりしたのであろう決まり文句を交えながら、くだけた口調で訳していますが、そのせいで、むしろわかりにくい訳になっているような気がします。たとえば、作中に登場する少年少女が「そりゃ、とっくに承知之介でございだよ」とか「いざ鎌倉というときには」などと口にするのですが、いまどきの子どもにはちんぷんかんぷん、唐人の寝言なのではないでしょうか。

表題作は、玩具の国とねずみの国の戦いの物語です。話のなかの話として語られる、ねずみの王妃によってくるみ割り人形に変身させられてしまったドロッセルマイヤー青年の「物語」の世界が、「現実」の世界になだれ込んで来ます。危機を救えるのは、現実と物語の間に区別をつけない「空想家」の少女マリーだけです。

「マリーちゃん、きみは私より、私たちみんなよりずっとお利口さんだな。(中略)だって私じゃなくて――きみなんだ、きみだけが彼をすくえるんだよ。しっかりして、あくまでも忠誠を守りたまえ。」

そう言うのはクリスマスのプレゼントとしてくるみ割り人形を持参した上級裁判所顧問官ドロッセルマイヤー(人形に変えられてしまったドロッセルマイヤー青年の伯父)で、作者ホフマン自身を思わせるような、とらえどころのない不気味な人物ですが、

「子どもは美しいだけの人、気の良いだけの人より、自分たちのやんちゃ、つまり汚れのない野生につき合ってくれる、ドロッセルマイヤーのようにどこまでひろがっていくかわからない、まるごとの人、善悪や美醜以前でもあれば、善悪や美醜のかなたでもあるような人が大好きなのです」

という「訳者解説」中のことばは、そのまま種村季弘本人に捧げたい気がします。

「ホフマンのメルヘンが、洗練されているだけにひ弱なデカダンス趣味と遠いのは、(中略)「見知らぬ子ども」を見てもわかります。フォン・ブラケル家の子どもたちは、(中略)高尚な学問や高級な玩具とは無縁な、野生の自然を相手に遊んでいます。そして借り物めいた高級玩具をすべてかなぐり捨ててしまったところから、はじめて見知らぬ子どもと彼がやってきたすばらしい王国が見えてきます。そういえば、(中略)「くるみ割り人形」のマリーも、ねずみの大群にお菓子やお人形さんをみんな食べられてなくしてしまってから、くるみ割り人形の王子のお菓子の王国へ招待されたのでしたね。見た目においしそうなもの、きらびやかなものを、まずすべて失ってしまうことが、この世にありうべくもない夢の世界に招かれる条件なのですね。」
(「訳者解説」より)

















































ホフマン 『黄金宝壺』 (石川道雄 訳)


E・T・A・ホフマン 『黄金宝壺』 
石川道雄 訳


沖積舎 2001年12月1日発行
172p 四六判 丸背紙装上製本 カバー 定価2,500円+税
装釘: 藤林省三

「本書は『黄金寶壺』(南宋書院、昭和二年三月十五日刊)を底本とした。原文の旧かな旧漢字は新かな新漢字に改め、かなの送りは現行表記に従い、難読漢字には適宜ルビを加え、明らかな誤記と思われるものは訂正した。」



黄金宝壺


帯文:

「「黄金宝壺」はドイツ・ロマン派の鬼才ホフマンの最高傑作である。そして昭和初年に出た学匠詩人石川道雄の「黄金宝壺」は、その後のどの訳も及ばぬ、この作品の最高の翻訳である。洒脱味と陶酔感の入りまじる数々の不思議な詩をものした石川道雄が、骨太でしかも古雅な訳文によって、ロマン派の魂を日本語に刻みつけた名訳がよみがえることを、かつてこの訳に魅せられてドイツ文学の迷宮に参入した者の一人として喜びたい。
川村二郎」



目次:

第一夜話 大学生アンゼルムスが災厄のこと――教頭パウルマンの衛生煙草及び緑金の小蛇のこと
第二夜話 大学生アンゼルムス酔漢狂者と誤らるること――エルベ河の舟遊び――楽長グラウンの秘曲――酒舗コンラディの健胃焼酎及び青銅鋳物の林檎売り老婆のこと
第三夜話 記録管理人リンドホルスト一家の消息――ヴェロニカが碧(あお)き眸(ひとみ)および書記ヘールブラント
第四夜話 大学生アンゼルムスの悒欝(ゆううつ)症――緑玉の妖鏡――記録管理人リンドホルスト禿げ鷹となって翔(と)び去り、アンゼルムス遂に人影を見ざるのこと
第五夜話 宮中顧問官アンゼルムス氏夫人――キケロの「義務の論」――尾長猿その他の僕婢(ぼくひ)――リーゼ婆さんと彼岸の夜のこと
第六夜話 物真似鳥を飼えるリンドホルスト家の庭園――黄金宝壺――英吉利(イギリス)古流文字と拙(つたな)き金釘(かなくぎ)文字――妖しき王侯リンドホルストのこと
第七夜話 教頭パウルマン喫烟ののち寝(しん)に就く――レンブラントと地獄のブリューゲル――魔法の鏡――エックスタイン博士の診断書のこと
第八夜話 棕櫚(しゅろ)の樹の図書室――哀れな火蛇の物語――黒い羽毛と砂糖大根とが仲のよいこと――書記ヘールブラントが酩酊(めいてい)のこと
第九夜話 大学生アンゼルムス少し許(ばか)り本心に立ち帰ること――檸檬(レモン)酒の会――アンゼルムス教頭、パウルマンを大木菟(おおみみずく)と間違えて、教頭大いに憤ること――インキの汚点から一大椿事を惹き起すこと
第十夜話 玻璃(ガラス)壜中に於ける大学生アンゼルムスが苦悩のこと――幸福なる古典学校生徒及び見習書記の身の上――リンドホルスト家、書斎内の合戦――火蛇の勝利――アンゼルムス、遂に自由の身となること
第十一夜話 教頭パウルマン、前夜の狂態を憶(おも)うて、いたく不興なること――書記ヘールブラント、遂に宮中顧問官となり、霜の朝、絹の靴下に短靴を穿いて訪(おとな)い来(きた)ること――ヴェロニカの告白――湯気蒸(た)ち騰るスープ皿を前に目出度(めでた)く婚約のこと
第十二夜話 記録管理人リンドホルストの女(むすめ)婿となってアンゼルムスが引き移りし荘園のこと、並びにセルペンチナとの睦まじき生活のこと――終結



本書より:

「昇天祭の午(ひる)下り、三時とおぼしき頃、ドレスデンの市(まち)で一人の若い男が「黒門(シュワルツェ・トール)を走り抜けた、かと見る間に、醜い老婆が商売(あきない)に出して居る林檎や菓子の入った籠をめがけて真っ直ぐに跳び込んだ。幸いに踏み潰されなかったものとても、皆どとへ抛(ほう)り出されて了(しま)い、往来の童幼たちが、此(こ)の粗忽(そそっ)かしい人の投げて呉れた獲物をば、大喜びで分かち合う始末。老婆の悲鳴を聞きつけた近所の主婦(おかみ)さん連中は、各自(めいめい)の菓子や焼酎などの売り台を捨てて、此の若い男の周囲に寄ってたかって下賎な声でわいわいと喚(わめ)き罵(ののし)った。男は腹立たしいやら恥ずかしいやらに口も利けず、ただ黙って余り大しても入って居ない小さな財布を差し出すと、老婆は貪欲そうにひったくって、其(そ)の儘(まま)衣嚢(かくし)の中へ納めて了った。其処(そこ)で辛(や)っと堅い包囲(かこみ)が解けたので、若い男が逃げ出すと其の背後から、老婆は罵詈(ばり)の声を浴びせかけた。
「やい、勝手に逃げやがれ――餓鬼め――いまに玻璃(ガラス)の中へ跳び込んで、非道(ひど)い目に遭うぞ――玻璃の中へ!」
此の女の鋭い喚き声には何かしら不気味なものが含まれて居た。途ゆく人々は不審げに停(た)ち止まり、最初は皆の人々に拡がった笑い声もぴったりと止(や)んだ位であった。」



日本国に「蛇性の婬」あり、独逸国に「黄金宝壺」あり。哀れ生き難き現代のアンゼルムス諸君、世俗に泥みて愛しき蛇を棄つること莫れ。





































『ホフマン全集 6 悪魔の霊液』 (深田甫 訳)

『ホフマン全集 6 悪魔の霊液』 
深田甫 訳


創土社 1993年7月20日初版発行
609p B6判 丸背紙装上製本 貼函 定価4,000円+税120円
装幀: 後藤徳治
E.T.A. Hoffmann : Die Elixiere des Teufels



深田甫(ふかだ・はじめ)個人訳ホフマン全集第11回配本。


ホフマン全集 6a


帯文:

「領主の子に生まれた画家フランチェスコは、魔女との間に生まれた子を捨てる。この子は伯爵に育てられるが、長じて、若き伯爵夫人との間に二人の子を、他の女性との間に一人の子をなす。この異母姉弟の間に生まれたのがメダルドゥスの父であった。画家はなま身の人間のごとくこれらの間を生き、幻像のごとく神出鬼没する。そしてこの画家の子孫たちは、それぞれがそれぞれの分身のようでもある。画家は、その血を断ち切ろうと、数々の死を導いていくようでもあった。」


帯背:

「内在する聖性と
魔性を鋭く描く
永遠の傑作」



帯裏:

「修道士メダルドゥスは、熱烈な神の賛美者であると同時に聖らかな処女アウレーリエを熱愛する。師からローマへ派遣されるが、それはアウレーリエを求める旅でもあった。そこに介在するさまざまな事件は、彼をほとんど狂気のふちへ、そして聖なる心情にまで押しあげていく。じつは、不倫と近親姦の系統樹の果てに結ばれようとしていたのだ……。」


内容:

悪魔の霊液
 第一部
  第一章 幼少時代そして修道院生活
  第二章 俗世間に踏み込む
  第三章 旅のさなかのアヴァンテュール
  第四章 領主宮廷をめぐる現世の生活
 第二部
  第一章 転機
  第二章 贖罪の苦行
  第三章 修道院への復帰


作品解題 (深田甫)



ホフマン全集 6b


本書より:

「「この中にはだね、愛するブラザー・メダルドゥス! わたしたちの修道院が所有しているもののなかでも、もっとも神秘めいていて、もっとも奇蹟めく聖遺品がしまってある。わたしがこの修道院にはいってこのかた、この小函ばかりは、手に触れたひとといえば院長とわたしのほかにはいない。(中略)わたしなどは、この函に触るたび、身うちに戦慄が走る。この中には腹黒い魔法使いかなんぞが閉じこめられていて、そいつを取り囲んで力を発揮できないようにさせている呪縛を、もしもうまく破って飛び出せたら、だれでもかまわないから不意に襲いかかって、堕落させ、救いがたいまでに没落させようと狙っている、というような気がしてね。――じつは、この中にはいっているものは、悪魔じきじきの伝来品でな。それも、まだ悪魔のやつめが、だれの眼にも明らかに見えるかたちで、人間の救済を妨害する戦いをしかけることができた時分のものなのだ」。――わたしは酷(ひど)くびっくりして、おもわずブラザー・キュリルスの顔に視とれてしまった。」
「「そのころの話だが、仇なす悪魔が聖人の後をつけ、あのおかたが敬虔な観想に没頭していなさると、それを妨害しようとしばしば目に見えるかたちで邪魔にはいったものだ。そういうしだいで、聖アントニウスさまも、ある日の黄昏(たそがれ)どき、なにやら暗黒の姿が忍び寄ってくるのに気づかれた。その影が近くにきたのをご覧になって聖人は驚かれた。驚かれたのもむりはない、はおっているマントはぼろぼろ、あちこちに穴があいていて、その穴から酒瓶の首が何本も覗いていたからだ。こういう奇妙な服装で身をかため、嘲るようににやにや笑いかけたのが、悪魔であったことはいうまでもないが、この悪魔、聖人さまにむかって、じぶんが携(たずさ)えてきた瓶には霊液がはいっているが、試しに飲んでみる気はないか、と問いかけてきた。(中略)そこで聖人さまは悪魔にむかってお尋ねになった。いったいどういうわけで、そんなにたくさんの瓶を、それもそんなふうに妙な格好で持ち歩いているのかね。すると悪魔は答えた、『いいかね、人間というやつは、このおれに出会うと、不思議そうにじっと視つめることになるが、そのうちにこの飲み物のことを訊かないわけにはいかなくなり、ついには欲望からこれを味わってみずにはいられなくなるのだ。(中略)気に入ったのを見つけた人間は、瓶が空になるまでがぶ飲みする。するってえと、酩酊したあげく、おれさまの軍門にくだり、おれさまの王国に降伏するというわけさね』。――ここまではどの聖人物語にも載っている話だ。ところが、聖アントニウスさまがご覧になったこの幻視に関する記録で、わたしたちが所有している特別な記録文書によればだね、その続きがあって、こうなるのだ。悪魔は、そこから飛び去るとき、瓶を二、三本、芝地になっていたところに置きっぱなしにして立ち去ったというのだな。それを聖アントニウスさまは、急いでごじぶんの住んでおられた洞窟に持ち帰り、隠された。こういう荒れ野ではあっても、道に迷ってやってきたものが、いや、もしかするとごじぶんの弟子のだれかが、この恐ろしい飲み物を味わって、永劫の破滅に陥るかもしれないと懸念されてのご処置出あったと言う。――偶然のことであったが、とその記録文書がさらに語るところでは、あるとき聖アントニウスさまは、その瓶の一本をお開けになったことがあるそうだ。すると、五官を痺(しび)れさせるような奇妙な濛気(もうき)が立ち昇り、感覚を惑わせるぞっとするような厭(いと)わしい群像が聖人を囲むように舞いはじめた、いやそれどころか、その群像たちが蠱惑的(こわくてき)な詐術を弄し、聖人を誘惑しようとしはじめたのだそうだ。しかし、聖アントニウスさまは、いとも厳しい断食に徹し、祈祷を休むことなく続けられ、その結果、ついにおぞましい群像たちをすっかり追い払われたとある。――というようなことがあって、この小函には、聖アントニウスさまの遺品のうち、まさにそのような悪魔の霊液のはいった瓶が納められているのだ。」」

「「わたしの信じるところ、ゴシック形式を模倣するのは、古典古代のものを追求しようとする努力よりも、はるかに危険なのだ。(中略)これをひとことで言えば、ゴシック様式の建築家を導かねばならぬもの、それはロマンティッシュなものがわかる稀有(けう)の感覚ということになる。古典古代の形式を模倣する場合なら流派の規範に従うこともできようが、ロマンティッシュなものの世界は、流派の伝統的規範に則っているかどうかなどまるで問題にはならない世界なのだ。」」

「「あたしゃあ、じぶんがときおり無分別きわまりない馬鹿になっているぐらい、百も承知ですがね。それにしてもここの気違い病院の空気ってのは、理性的なかたがたにゃあ破滅のもとになるかもしれませんが、あたしにゃあいい薬になりましたなあ。(中略)さはさりながら、一個の天才理髪師ってのは、すでにそれ自体で冷静なる変り者の馬鹿、ということになりはしないのでしょうか。――変り者の馬鹿であることがあらゆる狂気を防いでくれる。」」


































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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