マルク・ブルデル 『エリック・サティ』 (アール・ヴィヴァン選書)

2012年4月18日。


「それにしてもとにかく家具の音楽を実現しなくてはならない。つまり周囲を取りまく雑多な音を考慮に入れる音楽を。それは旋律の美しい音楽で、ナイフやフォークの音を和らげるはずだ。それを圧倒したり、自分を押しつけたりするのではなしに。それに会食者たちに沈黙が重く落ちかかるような時には、その場の飾りにもなるはずだ。ありふれたつまらなさから彼らを救うはずだ。それに容赦なくその場に飛び込んでくる街の騒音を中和してくれるはずだ。」
(エリック・サティ)


マルク・ブルデル 『エリック・サティ』
高橋悠治・岩崎力 共訳

アール・ヴィヴァン選書

リブロポート 1984年7月10日発行
246p(うち口絵1葉) A5判 並装 カバー 定価2,500円
編集: アール・ヴィヴァン
造本装幀: 戸田ツトム
口絵(「サティの生家」)撮影: 薩めぐみ
Marc Bredel : Erik Satie, Ed. Mazarine, Paris, 1982



第一部は年譜。第二部は評伝。第三部は作品解説。翻訳は第一部が高橋悠治、第二部・第三部が岩崎力。
著者ブルデルに関しては詳細不明です。


ブルデル サティ1


目次:
 
第一楽章
1866年→1925年
 
第二楽章
アルクイユのエリック・サティ――喜劇役者と殉教者
 
第三楽章
サティの作品
 
あとがき (岩崎力)



ブルデル サティ2

口絵。「サティの生家(二階部分)。建物の右端に「中世の石」が見える。」
 

「万が一ある日、お好きな音楽家は? とたずねられても、無邪気にエリック・サティですなどと答えてはいけない。とりわけやってはいけないことだ! そんな返事をしたために結婚話がご破算になるかもしれない、とはいわないまでも、一般教養のテストで何点か損する危険は十分にある。そんな時にはやはり、バッハとかモーツァルトとかベートーヴェンとか答えておくに限る。独創的でないのは確かだし、ある種の階層ならきっと幼稚すぎると思われるだろう。しかしすくなくとも慎ましさは評価されるにちがいない。
世に公認された音楽学者たちを見るがよい。わけ知りの彼らは、いわば通りすがりに言及するだけであって、個人研究の対象にサティを取り上げるなどという危険を冒したものは稀である。」



著者の文体は、こんな感じで、はすにかまえていますが、時にはおセンチになったりするので、サティ的な文体なのかもしれません。しかしながら、ラカンを援用しつつサティを「偏執狂患者」にしてしまったり(原因はドビュッシーに対する抑圧された「潜在的同性愛」)、「ユニークな存在であること、それが唯一の野心なのだ。/サティは呪われた存在であろうとした。」とか書いたりするのは、やはり勇み足というべきでしょう。


「六歳のサティはオンフルールの《プティ・コレージュ》の寄宿舎に入れられる。ノルマンディーの小さな港町を知っているものは、寄宿生というこの身分を聞いて物思いに誘われずにはいられない。事実、祖父母の住むオート通りから《プティ・コレージュ》まで、三百メートルと距ってはいないのだ…… これをみても幼いエリックを取り巻く感情生活がどんなものだったか思いやられる。学校の成績がおよそ凡庸だったからといって驚く気にもならぬ。第八年級の時ラテン語で一番になったことを除けば、彼が人目を引くのは成績によってよりも規律を守らないことによってなのだ。それだけならまだいい……
しかし祖父がついに、彼が《奇妙に音楽好き》なのに気づき、聖レオナール教会の聖歌隊指揮者ヴィノーにピアノを習わせようと決心する。ヴィノーはエリックに特別な素質があるとは考えず、熱狂は全く身内にとどまる。彼のあだ名は《クランクラン》だったが、これが今知られている最初のあだ名である。他にもいろいろとあり、《アルクイユの善き師匠》とまで呼ばれたが、彼はこのあだ名を墓場まで持って行くことになる。それ以外に家庭ではなにひとつ新しいことは起こらなかった。叔父のアドリヤンはどう言ったらいいかわからぬ人物で、オンフルールでは《海鳥(シー・バード)》と呼ばれ、誰知らぬもののない存在だった。
伝記作者がサティの奇行ぶりの前例を探す時、目を向けるのはつねにこの叔父である。しかし実は選択の余地があるのだ。母方のほうも、おとなしい気違いに事欠きはしなかった。まず最初にあげられるのは大叔父のマック・コンベイである。彼の特技は、劇場から出て来る人々に道徳を説くちらしを配ることだった……
確実なのは、オンフルールで《海鳥》が人目を引かないはずはなかったということである。遊び人でぺてん師で怠け者のこの叔父はまさに小説の登場人物であり、真似てはいけない手本のひとつであり、ちゃんとした家庭では絶望の種だが、固苦しい連中が心ひそかに真似たいものだと夢みる、そんな人物であった。
見かけは常識にさからっていたとはいえ、そのかげにはより陰影に富む人物がひそんでいたように思われる。お気に入りの馬の前で何時間も物思いに耽るかと思えば、ほとんどいつも波止場に繋がれている自分のヨット《ザ・ウェイヴ》号で一日過したりする。ときたま水夫の《ロバの顎》を連れて海に出ることがあっても、ちょっとした漂流者のように、港の外をひとまわりするだけだった。《海鳥》は唯美主義者なのだ。伝説によれば、彼は車をもっていたが、その色彩があまりにもけばけばしかったので、誰ひとりあえて乗ろうとしなかったという。はるかのちにサティが『絵のような子供らしさ』のなかの「大きな階段の段」で描写した階段の原型をそこに見てとる人は多い。
 《大きな、とても大きな階段だ。
 千段以上もある。全部象牙でできている。
 とても美しい。
 傷つけるのが怖くて
 誰も登ろうとしない
 ………》
この場合、甥のほうが回顧的に叔父を色褪せさせているのかもしれない。しかしそれは大したことではない。」


「この表題の意味については、長い間議論が絶えなかった。ジャンケレヴィッチがヘロドトスとプラトンを援用していらい、皆の意見は一致している。《ジムノペディ》は《グムノパイダイ》に由来し、スパルタ人の精悍な若者が裸で踊る踊りをさすというのである。この新発見に力を得て、これらの曲は古代の壺を三つの異なる角度から提示したものだと結論した人さえあった……」
「一八八八年にサティがプラトンの原典を読んでいたかどうか、私は知らないが、読んでいなかったとみるのが分別というものだろう。いずれにせよ、彼がギリシャ学者の資格をもっていたという仮定を成り立たせるものはなにもない。これとは逆に、子供のころ彼が潮の引いた砂の上を歩いたことは大いにありうる。聞くだけで十分だ。左手は輪を描く足取りを描き出す一方、右手は、雨と晴れ間のあいだで躇っている光のなかで、同じ道程を繰り返す、快い曖昧な絶望を描く、『ジムノペディ』はオンフルールの浜辺をはだしで歩いている。(中略)目のようにうるんだ響きの、このか細い音楽にスパルタの踊りの残響を聞きとるためには、むしろ歪んだ耳の持ち主でなければならないのではあるまいか?」




















































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アンヌ・レエ 『エリック・サティ』 (白水Uブックス)

2012年4月16日。


アンヌ・レエ 『エリック・サティ』
村松潔 訳

白水Uブックス

白水社 2004年6月10日第1刷発行/2005年9月20日第2刷発行
218p 作品表8p 新書判 並装 カバー 定価950円+税
ブックデザイン: 田中一光/プラスミリ
カバー絵: ピカビア《機械的》(1916)
Anne Rey : Erik Satie, Editions du Seuil, 1974

「本書は、1985年にソルフェージュ選書の一冊として小社から刊行された。」


カバーそでの著者紹介文によると、アンヌ・レエ(Anne Rey)は1944年生まれ、「音楽史学専攻(パリ大学)、音楽評論家。『ル・モンド』の音楽欄などで活躍」
本文中図版(モノクロ)多数。


レエ サティ1


カバー裏文:

「裸で歩く音楽、「それに合わせて人が歩く」音楽、通りすぎる音楽、そのシルエットがかすかに何かを思わせる音楽。サティの作品には年齢がなく、どんな作曲家のどんな作品にも論理的に結びつくということはない。ひかり輝く個性と作品の真髄を明晰に解説。」


レエ サティ2


目次:
 
社会のなかの単独者
ジムノペディストの苦悩
「秘教的(エゾテリック)サティ」
緑色の瞳の少女
時宜を得た微罪
パリジャン、サーカスへ行く――『パラード』
二つの美学のはざまで――『雄鶏とアルルカン』
「骨から救われた」――『ソクラテス』
舵を左へ
何もかも捨ててしまえ
ドビュッシーとサティ
証言と資料
原注

サティ連続演奏会覚え書 (高橋アキ)
作品表 (日本語版編集部)



レエ サティ3


本書は、評伝と楽曲解説、それに資料篇から成っていますが、評伝に関しては、冒頭から、「社会のなかでは、サティは自分の孤独を誇示することに気をくばっていた」「山高帽にコウモリ傘(中略)世の有象無象とはちがうことを示すひとつの方法であり、攻撃的な鎧でもあったこの出立ち」「それは注目されたい、認められたいという欲求の現われであり」、云々、とあって、著者にはサティに対する偏見というか、理解力の欠如があるようです。「サティほど不幸な人間はなかった。人の気に入られ、注意を引き、注目の的になりたいという強烈な欲望。もちろん「一番」になりたかったのである。ところが、ペラダンが、ドビュッシーが、あるいはピカソが、いつでも決まってスターの座を横取りしてしまうのである。」。これなどは、愚劣な文章としかいいようがないです。

それはそれとして、巻末に掲載されている高橋アキ氏のエッセイは、サティを偏愛した秋山邦晴(大著『エリック・サティ覚え書』の著者)を追悼する文章で、本書についてはいっさい触れられていません。

高橋アキ「サティ連続演奏会覚え書」より:

「一時のブームは去っても、あるときジョン・ケージがあの素敵な笑顔で私に語ったように「サティの音楽は聴き飽きたと思ってもまたしばらくすると聴きたくなるものだ。私にとってサティは“きのこ”のようなもの。たくさん食べても、しばらくするとまた食べたくなるのだから」。すでに蒔かれたエリック・サティという“きのこ”の胞子は、すでに空気中にたくさん舞っていて、またどこかに菌糸をひろげては、時代を超えてひょっこりと顔を出しつづけることだろう。」























































オルネラ・ヴォルタ 編著 『サティとコクトー 理解の誤解』

2012年4月16日。


オルネラ・ヴォルタ 編著
『サティとコクトー 理解の誤解』
大谷千正 訳


新評論 1994年12月25日初版第1刷発行/1995年3月10日初版第2刷発行
278p 21.5×14cm 角背紙装上製本 カバー 定価3,399円(本体3,300円)
Ornella Volta : Satie/Cocteau les malentendus d'une entente, 1993



本書「訳者あとがき」より:

「ジャン・コクトーとの出会いなしに、エリック・サティは伝説的な人物となり得たであろうか。また、もしサティと知り合うことがなければ、コクトーは一九二〇年代のフランス音楽美学の旗手としての役割を果たせたであろうか。
オルネラ・ヴォルタの最新作である本書は、このような疑問から出発し、見事に二人の関係を浮き彫りにするとともに、当時のパリにおける芸術の流れとそれにまつわる人々の人間関係を物語ってくれるのだ。すなわち、多くの逸話と人間関係の本音を通じて、どのように『パラード』が生まれ、どのように青年コクトーが初老のサティと手を組み、また、どのようにそこから「六人組」が生れていったかが明らかにされていくのである。」


訳者は1956年生まれ、専攻は作曲・フランス近代音楽史。本文中図版(モノクロ)多数。


サティとコクトー1


帯文:

「フランス現代芸術、黄金の1920年代
コクトー、サティ神話の光と翳
彼(サティ)との仕事はすべて誤解から生じたものである。
多かれ少なかれ成功はしているが……。
Jean Cocteau
コクトー宛:サティ全書簡/コクトー画:サティ全肖像/
ピカソ他:関係デッサン……等、資料充実!」



帯背:

「両者の関係性の実像に迫る!」


サティとコクトー2

 
帯裏:

「本書は、幾度となく音楽史の中で取り上げられてきた、
二人の間から生みだされた多くの誤解を明らかにしようとするものである。……
コクトーなしには、サティは伝説的な人物には成り得なかったであろうし、
サティなしには、より正確には《サティと「六人組」》とのつながりなしには、
芸術と詩に対する情熱に燃えた二つの大戦間の若い芸術家達の旗手としての
コクトー神話はそれほど確立されはしなかったであろう。
オルネラ・ヴォルタ」



サティとコクトー3

コクトーによるサティの肖像画。


サティとコクトー4

ピカソ「ラ・ボエティ通りのサロンにて」(1919年)。


目次:

謝辞

I 一九一五~一九二五
序 理解の誤解
1 『パラード』の出会い
2 エリック・サティの裁判
3 サティ、コクトー、そしてアポリネール
4 サティ、コクトー、そして《若き》音楽家達
5 サティ、コクトー、「六人組」、そしてパリのダダイスト達
6 サティ、コクトー、そして《偉大な》音楽家達
7 サティ、コクトー、ソクラテス、そして他の彫像
8 サティ、コクトー、そしてマリタン

II 資料
ジャン・コクトーに宛てられたエリック・サティの書簡(書簡1~41)
エリック・サティに関して――ジャン・コクトー
 エリック・サティに捧ぐ(抜粋)/エリック・サティに捧ぐ
 エリック・サティ/『ソクラテス』の序文
三つの証言
 ギョーム・アポリネールの書簡――レオニード・マシーン宛
 ジャン・コクトーの書簡――ヴィーラント・マイール宛
 ヴァランティーヌ・ユゴーの書簡――ジョルジュ・ユニェ宛

参考文献
訳者あとがき
人名索引



サティとコクトー5

サティの手紙。



























オルネラ・ヴォルタ 『エリック・サティの郊外』 (昼間賢 訳)

リハビリがてら図書館に行ってきました。本を三冊借りて、家に帰って寝ながらよみました。



図書館で借りた本

借りてきたのはこの三冊、今日はその中から、


オルネラ・ヴォルタ 
『エリック・サティの郊外』
昼間賢 訳


早美出版社 2004年5月26日第1刷発行
195p 四六判 丸背紙装上製本 カバー 定価2,000円+税
表紙絵: ライオネル・ファイニンガー
装幀: 小川単扉
Ornella Volta : La banlieue d'Erik Satie, 1999



を紹介します。

本書は出た時に見かけて買おうと思ったのですが、わたしは重症の人見知りなので、訳者が知らない人だったので人見知りして買えなかったのです。しかしこわいからといっていつまでも逃げてばかりはいられません。というわけで、とうとう借りてみました。
重症の人見知りでない人には、重症の人見知りがどれほどめんどくさく厄介なものかわからないと思いますが、わからなくてなによりなのです。

本書は1999年の「サティのアルクイユ移住百周年」を記念して刊行された、さまざまな証言の引用によってアルクイユ時代のサティの様子を伝える、さくさくっとよめる図版入りの楽しい本です。著者は例によって例のごとくたいへん手際よくまとめています。訳文には違和感をおぼえる箇所がいくつかありましたが、それは翻訳にはつきものなので仕方がないのです。
アルクイユにはあのサド侯爵もいちまい噛んでいるので、記念行事の一環として、「1998年9月20日、文化財の日に、エリック・サティとサド侯爵の予期せぬ比較を試みた講演会から始まって、両者がそれぞれに住んだ家―四本煙突の家と司祭館跡―への巡礼が続いた」(本書より)とのことです。


目次:

郊外の出版社から (マカダム&コンパニー社)

エリック・サティの栄光を称えて
コクトーからサンドラールへ
引っ越しの理由
「四本煙突の家」
弟に書きおくる新天地
アルクイユのほう
モンマルトルの職場では
自己改革の日々
アルクイユのサティ
広報担当兼団体役員
革新派サティ
戦争とサティ
二十年代のパリ
アルクイユに眠る
その後
賛辞

原注

エリック・サティと郊外 (訳者)
あとがき (訳者)



本書より:

「友だちだった(アンリ・)パコリの家で、サティは僕たちに告げた。アルクイユに行ったこと、そして空き部屋がある建物を見つけたことを。サティは「この家を一緒に見にこないか」と言って僕たちを誘った。」
「サティは別宅を持つことになった。弟のコンラッドを含め、三、四人の友だちがサティの死後あの部屋に立ち入ったとしても、生前には誰も足を踏み入れなかったのだ。
というわけで、パコリがまだ生きていれば、彼と僕だけがあの部屋を見たことになる。サティが引っ越したのは、完全に一人になるためだったのだから、僕たちは最初で最後の客だ。」
「その住まいで、サティは二十七年を過ごした。ほんの数人しか知らない部屋。それをパコリと僕は空っぽの状態で知り、他の人たちは乱雑な状態で知った。それだけだ。」
(グラス=ミック)

「一八九八年、たしか十月のことだったと思うが、エリック・サティがアルクイユに引っ越してきた。コシー通り二二番地、「四本煙突」という名で知られた家に。当時は、労働者たち、どちらかといえば不幸せな人たちが住んでいた建物に。
カルチエ・ラタンの名物乞食、ビビ・ラ・ピュレが(略)部屋を立ち退いたのとほぼ同じ時期のことだ。」
「ビビ・ラ・ピュレは、実際にはサリスという名前だった。昔は学生だったと言い張り、「黒猫(シャ・ノワール)」のオーナーの親戚で、ヴェルレーヌの弟子だという。四半世紀の間、ブルミッシュ沿いのあちこちのカフェを徘徊し、店の客に傘を売ってくれないかと尋ねていた男。売ってもらったことは一度もなかった。それは金をせびる彼なりの近づき方だったのだが、恵んでもらったとしても、隣の安酒場で直ちにアプサントにばけてしまうのだった。「四本煙突」にビビが惹かれたのは、サティがそうだったように、おそらく家賃の安さだっただろう。しかし、ビビのみすぼらしい風情と奇抜な身なりはガキどもの恰好の餌食となり、冷やかされたり、時には石を投げつけられたりしていたビビは、間もなくもっと住みやすい地域を探しにいかなければならなくなった。」
(レオン=ルイ・ヴェシエール)

「サティはコシー通りにすぐ移りはしなかった。弟への手紙(略)によれば、最初の三か月間はたまに立ち寄る程度だったようだ。慣れるのに時間がかかったと思われる。」

「サティの引っ越しはややこしいものではなかった。慎ましやかな家具の運搬には小さな手押し車一台で十分だった。軍隊で使われているようなベッド台、大きなテーブル、長椅子、鏡(これについてサティは、思い出のため大切にしている、とよく私に語ったものだ)、様々な置物、そして当然のことながら、ピアノがあったが、彼の話によれば大したものではなかった。少し後で、ある音楽出版者から二台目を借りた程度だった。このピアノを搬入するため、洗濯屋のアンブラールがちょっと手を貸さなければならなかった。」
(ヴェシエール)

「ようやく自分の家具に囲まれて、サティがコシー通りで安らぐようになったのは、一八九九年も明けてからである。」

「アルクイユに引っ越してきた最初の数か月、サティはほとんど地元にいなかったし、人づきあいもしなかった。」
「朝はかなり遅く起床して、正午か一時頃モンマルトルに向かい、帰りは必ず終電だった。明け方に歩いてきたこともよくあった。サティは疲れを知らない歩行者だった。」
(ヴェシエール)

「毎晩アルクイユに歩いて帰ったサティ、それは伝説になった。」

「二つの道すじがあった。ジャンティイを経由する「ジャンティコップ」の道か、「ポプラ並木の抜け道」か。どちらにも特別な魅力があった。」
(ジャック・ラグランジュ)

「まだアルクイユへの道が完全に整備されていない頃のことで、サティは、鳥のさえずりに満ちた林を通過しながら、比類なき印象を獲得することができる、と語っていた。また彼はこうつけ加えることもあった。

 枝々がざわめく巨木を見ると、私は近寄り、木を腕に抱えてこう思うのです。いい奴だ! 少なくとも、奴は誰にも害を及ぼしていないのだから。

サティは迷い犬にも同じように共感するのだった。オペラ歌手のジャーヌ・バトリは、そのようなサティを知っていた。

 餌を与えるため、彼は何度犬を家に連れて帰ったことでしょう。それは独り身の部屋に入ることを許された唯一の客人だったのです。」

「後にシュネデール夫人となった少女は、四本煙突の正面にあったフランソワ=ヴァンサン・ラスパイユ通りの洗濯屋に何度かサティの洗濯ものを取りにいったことがあるという。

 サティさんの小さな包みができあがると、それを届けるのが私の役目でした。(略)彼の部屋にはほとんど何もありませんでした。思えば、ちょっと悲しげで、あまりしゃべらず、子供に対してさえ内気な人でした。コシー通りからモンパルナスまで歩いていく彼の姿が目に浮かびます。とても貧乏だったのです。」

「十代の頃、アナーキストたちとつきあいながらも、サティはあらゆる政治参加に対してこの上もなく無関心だった。二十世紀初頭にフランスを二分して激しい争いを引き起こした有名なドレフュス事件さえ、サティの口からは冷めたコメントしか聞かれないのだった。独特の個人主義である。」

「晩年のサティが行き来した、互いに接点のない二つの対照的な世界の住人たちは、たった一度だけ対面することとなった。サティの埋葬の際である。」

「葬式はアルクイユのサンドゥニ教会で行われた。」

「葬列……小さな一行が小さな町を横切る。」
「地元の住民が私に言う。「彼は市会議員になりそうだったのです。地元の労働者の多くが友だちでした。彼らは彼の機知(エスプリ)を、彼の音楽すら理解することができました。物質的な側面で彼の晩年を潤わせたスノッブやお金持ちよりずっと前に、です。そういった人たちのもとでは、彼は心の平安を得ることができなかったのかもしれません」」
(コンラッド・サティ)


* * *

「私に不幸をもたらすのは私ではなく他人の考え方である」
(サド侯爵)



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Kevin McDermott - Elephant House: or, the home of Edward Gorey









































オルネラ・ヴォルタ 監修 『エリック・サティ展』 (2000年)

オルネラ・ヴォルタ 監修 
『エリック・サティ展』 (2000年)

Erik Satie: de Montmartre à Montparnasse

翻訳: 大森達次
編集・発行: 谷口事務所
制作: 集巧社
デザイン: 梯耕治
171p 26×19cm 並装 カバー

大阪展 2000年3月15日―4月3日
大丸ミュージアム・梅田
東京展 2000年4月27日―5月22日
伊勢丹美術館(新宿)
企画協力: 谷口事務所



2000年に開催されたエリック・サティ展の図録。一般書店でも販売されていました。サティ関連のポスターや楽譜、バレエの衣装デザイン画やサティの肖像画、サティを題材にした絵画、遺品、そしてサティ自身によるレタリングとイラストが描かれた紙片などが掲載されています。


サティ展


サティ展2


目次:

イントロダクション:一人の作曲家と彼をめぐる画家たち (オルネラ・ヴォルタ)
Introduction: Un compositeur et ses peintres
第一部: モンマルトルのエリック・サティ
1er partie: Erik Satie à Montmartre
幕間: 《スポーツと気晴らし》
Entr'acte: Sports & Divertissements
第二部: モンパルナスのエリック・サティ
2eme partie: Erik Satie à Montparnasse
コーダ: エリック・サティの突飛な発明
Coda: Les Inventions insolites d'Erik Satie

エリック・サティ年譜
日本語による文献抄
ディスコグラフィー――最近のCDから
出品作品リスト



サティ展5

アントワーヌ・ド・ラ・ロシュフーコー 「エリック・サティの肖像」(1894年)


サティ展6

左: オーギュスタン・グラス=ミック 「友人エリック・サティ」(1898年)
右: オーギュスタン・グラス=ミック 「エリック・サティの肖像」(1898年)


サティ展8

上: オーギュスタン・グラス=ミック 「引っ越し」(1897年)
グラス=ミックの引越しを手伝うサティ。
下: オーギュスタン・グラス=ミック 「アルクイユにあるエリック・サティの新居を発見」(1898年10月)


サティ展3

「支離滅裂派(アンコエラン)芸術展」のポスター、1886年。


オルネラ・ヴォルタによる解説より:

「公式に組織された年次展(サロン)にはある種の画家しか参加が認められず、こうした展覧会の制約に反発して生れたアンデパンダン展さえ、いくつかの条件のもとでしか芸術家を受け入れなかった時代に、ジュール・レヴィなる人物―非常に若かったが、すでに「ふざけ派(フュミスト)」や「水治療法派(イドロパット)」の一員という前歴があった―は「デッサンすることもできない」人々によって制作された作品の展覧会を開催することを思いついた。(中略)トゥールーズ=ロートレックをはじめとする著名な芸術家の協力をも得て、同展はその後数年間に何度も繰り返された。その参加者たちが、視覚によるギャグや、慣用表現をその比喩的な意味にとって描いた絵などによって表した「支離滅裂さ」は、人々に大いに受けた」「「支離滅裂派」の名に最もふさわしい人物の一人が、「ユーモア作家」でかつて「水治療法派」の一員だったアルフォンス・アレーである。彼はノルマンディのオンフルールに、サティよりも12年前に生まれたが、彼の生家はサティの家からほんの数歩のところにあった。2人はシャ・ノワールで再会し、この店の特質を普及のものにする輝かしい数々の企てにともに関与する」「支離滅裂派がはじめた「脳みそ抜き」の企てはアルフレッド・ジャリの戯曲《ユビュ王》の中で見事に開花する。この戯曲は高校生の悪ふざけから生まれたものだが、ブルジョワ・コメディに投げつけた紛れもない爆弾として劇場を大混乱に陥れた。」


サティ展7

サティの生涯唯一の恋愛の相手であったシュザンヌ・ヴァラドンの自画像。


サティ展4

ヴァラドンの毛髪が貼り付けられたサティ自筆のカリグラフィ。


オルネラ・ヴォルタによる解説より:

「シュザンヌ・ヴァラドンとの関係は、サティの人生の中で真に重要なものとして数えられる唯一の愛人関係だったが、この掲示用文書はそれを物語る感動的な資料であり、生涯を通じてサティの部屋に掛けられていた」

青と赤のインクを使ったゴシック体のレタリングで、「西暦1983年1月14日、それは土曜日だったが、シュザンヌ・ヴァラドンと私との恋愛関係がはじまり、同年6月20日火曜日にその関係が終わった。/1983年1月16日月曜日、友人のシュザンヌ・ヴァラドンが生涯初めてここに来訪し、そしてまた同年7月17日の土曜日に最後の訪問をした」と書かれています。


サティ展9

サティの没後、部屋から見つかったレタリングとイラストが書かれた大量の紙片より。


その他、サティと同郷の作家アルフォンス・アレーによる四枚の「絵」を収めた「アルバム・プリモ=アヴリレスク(エイプリルフールのアルバム)」は、イヴ・クラインのモノクローム絵画を思わせる、それぞれ黒・白・赤・青に塗られた四角い「絵」に、それぞれ「夜の地下倉庫の中での黒人たちの闘い」・「雪の日に執り行われた萎黄病患者の少女たちの初聖体拝領」・「紅海の沿岸での卒中体質の枢機卿たちによるトマトの収穫」・「お前の紺碧を初めて目にした若い新兵たちの茫然自失、ああ地中海!」とタイトルが付されています。また、アレー作曲の「耳の不自由なある偉人の葬儀のために作曲された葬送行進曲」の楽譜も掲載されていますが、それは、「この葬送行進曲の作者は、作曲に際して、大いなる苦悩は言葉で表されない(無音である)という、一般に受け入れられている原則から想を得た」との「前置き(Préface)」のほかは何も書かれていない五線譜です。


















プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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