石原吉郎 『石原吉郎全詩集』

「花ひらくごとき傷もち生きのこる」
(「石原吉郎句集」 より)


石原吉郎 
『石原吉郎全詩集』


花神社 
1976年5月1日 初版第1刷発行
592p 初出一覧x 著作目録1p 
A5判 丸背布装上製本 貼函 
定価4,800円
装幀・挿画: 著者

手帖 (16p):
〈文章倶楽部〉のころ(谷川俊太郎)/「ロシナンテ」・神話の時代(河野澄子)/「鬼」の時期の石原吉郎(大野新)/「罌粟」における石原吉郎(中平耀)/東京詩学の会における石原吉郎(宇佐美敦子)/石原さんの膝(新川和江)/「墓」解読私案(大岡信)/編集室から/年譜



本書「メモ」より:

「この詩集には『サンチョ・パンサの帰郷』から『北條』に至る詩篇の全部と、「ロシナンテ」および「文章倶楽部」に掲載された詩篇で前記の諸詩集に未収録のもの、および抑留中の詩篇で記憶にあるもの四篇を収録、さらに俳誌「雲」に掲載された俳句のほぼ全部を加えた。」


本書以降に詩集『足利』、遺稿詩集『満月をしも』、歌集『北鎌倉』が刊行されています。


石原吉郎全詩集 01


帯文:
 
「衝撃の処女詩集『サンチョ・パンサの帰郷』から最近詩集『北條』までの全詩集と未刊詩篇およびシベリアの強制収容所で作られ記憶の中に再現された幻のシベリア詩篇を収録、さらに『石原吉郎句集』をもあわせて一冊にまとめ、石原吉郎の全貌を伝える待望の詩集。」

 
帯背:

「『サンチョ・パンサの帰郷』から『北條』までの全詩集」



目次:
 
詩集〈サンチョ・パンサの帰郷〉
 位置
 条件
 納得
 事実
 馬と暴動
 Gethsemane
 葬式列車
 デメトリアーデは死んだか
 その朝サマルカンドでは
 脱走
 コーカサスの商業
 やぽんすきい・ぼおぐ
 その日の使徒たち
 最後の敵
 サンチョ・パンサの帰郷
 耳鳴りのうた
 五月のわかれ
 霧と町
 ヤンカ・ヨジェフの朝
 狙撃者
 くしゃみと町
 ゆうやけぐるみのうた
 夜がやって来る
 棒をのんだ話
 サヨウナラトイウタメニ
 アリフは町へ行ってこい
 絶壁より
 岬と木がらし
 酒がのみたい夜
 自転車にのるクラリモンド
 さびしいと
 風と結婚式
 夏を惜しむうた
 貨幣
 病気の女に
 夜盗
 足ばかりの神様
 勝負師
 お化けが出るとき
 武装
 伝説
 夜の招待

詩集 〈いちまいの上衣のうた〉
 しずかな敵
 麦
 瓜(うり)よ
 埋葬式
 安否
 審判
 ひとりの銃手
 生涯・1
 オズワルドの葬儀
 指輪
 花であること
 土地
 白夜
 自由というもの
 風琴と朝
 霧のなかの犬
 いちまいの上衣のうた
 ひとつの傷へ向けて
 白い駅で
 風と
 別離
 欠落
 大寒の日に
 シベリヤのけもの
 陸軟風
 おわかれに
 直系
 屋根・1
 まないた
 食事
 膝
 決着
 鍋
 縄
 琴
 対座
 寝がえり
 待つ
 橋をわたるフランソワ
 泣いてわたる橋
 ごむの長ぐつ
 二列半の敗走
 残党の街
 卑怯者のマーチ
 馬に乗る男の地平線
 霰
 本郷肴町
 そのころのはなし
 死んだ男へ
 義手
 定義
 点燭

詩集〈斧の思想〉
 使徒行伝
 Frau komm !
 犬を射つ敵
 残り火・1
 竹の槍
 河
 落差
 斧の思想
 北冥
 一九五〇年十月十五日
 像を移す
 切り火
 錐
 閾(しきい)
 重量
 真鍮の柱
 泣きたいやつ
 慟哭と芋の葉
 居直りりんご
 便り
 木のあいさつ
 月が沈む
 契約
 六月のうた
 見る
 しりもち
 カリノフスキイははたらいたか
 ひざ
 皿
 支配
 霧と精神
 足あと
 背後
 検証
 物質
 しずかな日に
 月明
 フェルナンデス
 銃声
 落日
 海をわたる
 姓名
 ドア
 方向
 若い十字架

詩集〈水準原点〉
 Ⅰ
 橋
 非礼
 皇后の首飾り
 水準原点
 残党
 ゼチェ
 海嘯
 粥・2
 うなじ・もの
 右側の葬列
 墓
 戒名
 落魄
 うしろ姿
 帽子のための鎮魂歌
 区切る
 懲罰論
 眉を考える顔
 片側
 橋があった話
 いちごつぶしのうた
 小さな悪魔
 動物園
 じゃがいものそうだん
 Ⅱ
 測錘(おもり)
 蝙蝠のはなし
 猫が憑いた話
 粥・1
 生涯・2
 今日という日のうた
 火つけの町
 国境
 兇器
 義手について
 花になるまで
 街で
 雑踏よ
 詩が
 クラリモンド

詩集〈禮節〉
 断念
 レギオン
 満月
 礼節
 ロシヤの頬
 素足
 色彩
 虹
 手紙
 朝
 姿
 水よ
 神話
 キャンパスで
 ユーカリ
 名称
 食事
 橋
 犯罪
 闇と比喩
 残り火・2
 義務
 冒頭
 構造
 やさしさ
 板
 全盲
 上弦
 時間
 魄
 信仰と貿易
 正統
 地
 重量
 音楽
 しずかなもの
 世界がほろびる日に
 帰郷
 道

詩集〈北條〉
 一條
 北條
 さくら
 藤Ⅰ
 藤Ⅱ
 北鎌倉扇ケ谷
 蕭条
 流涕
 常住
 都
 挙手
 和解
 窓
 痛み
 瞬間
 病気
 悔い
 牢獄から
 耳を
 門
 夜明けと肩
 空腹な夜の子守唄
 風
 風のなかの飢え
 月明り
 風と枝
 椅子
 掩蔽
 屋根・2
 壁
 三昧
 ふいに
 位牌
 世界より巨きなもの
 のりおくれた天使
 若い人よ
 色彩
 衰弱へ

句集〈石原吉郎句集〉
 句集
 自句自解

未刊詩篇
 Ⅰ 文章倶楽部・ロシナンテから
 結実期
 予感
 黄色い時間
 古い近衛兵
 波止場で
 悪意
 Metamorphose
 生きる
 Ⅱ シベリア詩篇から
 石
 雲
 裸火
 くさめ

六つのあとがき
 1 詩集〈サンチョ・パンサの帰郷〉のために
 2 〈石原吉郎詩集(一九六七年版)〉のために
 3 〈石原吉郎詩集(現代詩文庫版)〉に収録
 4 全詩全評論集〈日常への強制〉のために
 5 詩集〈水準原点〉のために
 6 〈石原吉郎句集〉のために

メモ
初出一覧 (制作: 大西和男)
石原吉郎著作目録



石原吉郎全詩集 02



◆本書より◆


「事実」より:

「見たものは
見たといえ」



「最後の敵」より:

「薔薇のように傷あとが
耳たぶのうしろで匂っている
そんな男に会っては
いけないのか」



「サンチョ・パンサの帰郷」より:

「驢馬よ とおく
怠惰の未明へ蹄をかえせ」

「驢馬よ いまよりのち
つつましく怠惰の主権を
回復するものよ」



「夜がやって来る」:

「駝鳥のような足が
あるいて行く夕暮れがさびしくないか
のっそりとあがりこんで来る夜が
いやらしくないか
たしかめもせずにその時刻に
なることに耐えられるか
階段のようにおりて
行くだけの夜に耐えられるか
潮にひきのこされる
ようにひとり休息へ
のこされるのがおそろしくないか
約束を信じながら 信じた
約束のとおりになることが
いたましくないか」



「自転車にのるクラリモンド」より:

「そうして目をつぶった
ものがたりがはじまった」



「ひとつの傷へ向けて」より:

「癒えうるものは
すこやかに癒えしめよ」

「癒えうるものは
かならず癒えしめよ」



「河」:

「そこが河口
そこが河の終り
そこからが海となる
そのひとところを
たしかめてから
河はあふれて
それをこえた
のりこえて さらに
ゆたかな河床を生んだ
海へはついに
まぎれえない
ふたすじの意志で
岸をかぎり
海よりもさらにとおく
海よりもさらにゆるやかに
河は
海を流れつづけた」



「帽子のための鎮魂歌」より:

「しずかな夜が
しずかなままではいけないか
はじまらぬものが
はじまらぬままでは
いけないか」



「猫が憑いた話」:

「憑いたという猫は
片目の余計ものだが
憑かれた男は そこで
めしを食っている
猫が憑いたのはほんとうだが
きのうは はだか火で
いなごを焼いていた男だ
それだけの話で
村じゅうが納得し
憑いたという猫も
憑かれた男も納得し 納得づくで
たどんのような夕日が
巨きな谷間へころげおちたのだ

憑いたという猫は もう
どこにもいないが
憑かれた男は そこで
めしを食っている
鍛冶屋は鍛冶屋のよろこびから
桶屋は桶屋のかなしみから
手形のような朝が来るが
朝がまともな手を拍(う)つなら
憑かれた男は狂い出すはずだ
狂い出したら もう
どこにもいまい

憑いたという猫も
憑かれた男ももういないが
それだけの話で納得したように
どこの屋根にも霜がおりた
霜がおりたら納得したのだと
かしこいやつらのすてぜりふだけが
墓地の塔婆を逆扱(さかこ)きにし
桶屋は桶屋の知恵だけの
鍛冶屋は鍛冶屋の思案だけの
拇印だらけの朝が来たら
土塀のような男の背に
納得づくでのりうつった
無口なけものの決意だけが
巨きな谷間をはいあがるのだ」



「粥・1」より:

「執念をいとおしむのは
この夜がはじめではないが
まあたらしい木肌を灼くような
いく刻(とき)がすぎれば とおく
月光に掃かれて行く草原には 浅くもなく
深くもないひとすじの
けもののような足あとがあるばかりだ」



「義手について」より:

「たしかにそのことを
語るべきかもしれぬ
たとえば義手のなかの
空洞について
空洞たらんとする
ひとつの意志について」



「礼節」より:

「いまは死者がとむらうときだ
わるびれず死者におれたちが
とむらわれるときだ」



「板」より:

「私を盾とよぶな
すべて防衛するものの
名でよぶな
一枚の板であれ それは
折られて あるものだ」



「全盲」より:

「あるものはただかがやいて
みぎにもひだりにも
無防備の肩だ」



「痛み」:

「痛みはその生に固有なものである。死がその生に固有なものであるように。固有であることが 痛みにおいて謙虚をしいられる理由である。なんびとも他者の痛みを痛むことはできない。それがたましいの所業であるとき 痛みはさらに固有であるだろう。そしてこの固有であることが 人が痛みにおいて ついに孤独であることの さいごの理由である。痛みはなんらかの結果として起る。人はその意味で 痛みの理由を 自己以外のすべてに求めることができる。それは許されている。だが 痛みそのものを引き受けるのは彼(引用者注: 「彼」に傍点)である。そして 「痛みやすい」という事実が 窮極の理由として残る。人はその痛みの 最後の主人である。
 最後に痛みは ついに癒されねばならぬ。治癒は方法ではない。痛みの目的である。痛む。それが痛みの主張である。痛みにおいて孤独であったように 治癒においてもまた孤独でなければならない。
 以上が 痛みが固有であることの説明である。実はこの説明の過程で 痛みの主体はすでに脱落している。癒されることへの拒否は そのときから進行していたのだ。痛みの自己主張。この世界の主人は 痛みそのものだという 最後の立場がその最後にのこる。」



「ふいに」:

「喫いながら 急に
たばこが吸いたくなる
ねむれずに むやみに
寝がえる夢をみる
死んでいて ふいに
はっきり死にたくなる」



「のりおくれた天使」:

「電車にのりおくれた天使は
のりおくれたぶんだけ
神様のほうへ
ひきもどされた
電車にのりおくれた天使は
神様のまえでだまっていた
電車にのりおくれた天使を
神様がおこらずに
電車がおこった
電車にのりおくれた天使に
つぎの電車はこなかった」



「若い人よ」:

「私はちがうのだ若い人よ
私はちがうのだ
私の断念において
私はちがうのだ断念への
私の自由において
堤防はそのままに
堤防であり
空はそのままに空であることが
私の断念のすべてだが
しかしちがうのだ
通過することが生きることの
はげしい保証である爪先は
私にはとどかないのだ
若い人よ」



「衰弱へ」より:

「それ故に私は 安んじて疲労し 衰弱しつづける 私は疲れた」


石原吉郎全詩集 03






















































































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石原吉郎 『望郷と海』 (ちくま文庫)

「ここでは、疎外ということはむしろ救いであり、峻別されることは祝福である。」
「生においても、死においても、ついに単独であること。それが一切の発想の基点である。」

(石原吉郎 「確認されない死のなかで」 より)


石原吉郎 
『望郷と海』
 
ちくま文庫 い-18-1 

筑摩書房
1990年12月4日 第1刷発行
329p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価690円(本体670円)
装幀: 安野光雅
カバー装画: 服部圭子


「この作品は一九七二年一二月二五日、筑摩書房より刊行された。」



石原吉郎 望郷と海


帯文:

「人間が人間であるために……
苛酷なラーゲリ。極限で現われる人間の美と醜。その中で、自己の精神と魂のありようを厳しく問い直す稀有な記録。」



目次:


確認されない死のなかで
ある〈共生〉の経験から
ペシミストの勇気について
オギーダ
沈黙と失語
強制された日常から
終りの未知
望郷と海
弱者の正義


沈黙するための言葉
不思議な場面で立ちどまること
『邂逅』について
棒をのんだ話
肉親へあてた手紙


一九五六年から一九五八年までのノートから
一九五九年から一九六二年までのノートから
一九六三年以後のノートから

初稿掲載紙誌一覧

解説 寡黙なペシミスト (八木義徳)




◆本書より◆


「ペシミストの勇気について」より:

「昭和二十七年五月、例年のようにメーデーの祝祭を終ったハバロフスク市の第六収容所で、二十五年囚鹿野武一は、とつぜん失語状態に陥ったように沈黙し、その数日後に絶食を始めた。絶食は誰にも知られないまま行なわれたので、周囲の者がそれに気づいたときには、すでに二日ほど経過していた。」
「入ソ直後の混乱と、受刑直後のバム地帯でのもっとも困難な状況という、ほぼ二回の淘汰の時期を経て、まがりなりにも生きのびた私たちは、年齢と性格によって多少の差はあれ、人間としては完全に「均らされた」状態にあった。私たちはほとんどおなじようなかたちで周囲に反応し、ほとんどおなじ発想で行動した。」
「このような環境のなかで、鹿野武一だけは、その受けとめかたにおいても、行動においても、他の受刑者とははっきりちがっていた。抑留のすべての期間を通じ、すさまじい平均化の過程のなかで、最初からまったく孤絶したかたちで発想し、行動して来た彼は、他の日本人にとって、しばしば理解しがたい、異様な存在であったにちがいない。」
「バム地帯のような環境では、人は、ペシミストになる機会を最終的に奪われる。(人間が人間でありつづけるためには、周期的にペシミストになる機会が与えられていなければならない)。なぜなら誰かがペシミストになれば、その分だけ他の者が生きのびる機会が増すことになるからである。ここでは「生きる」という意志は、「他人よりもながく生きのこる」という発想しかとらない。バム地帯の強制労働のような条件のもとで、はっきりしたペシミストの立場をとるということは、おどろくほど勇気の要ることである。(中略)ここでは誰でも、一日だけの希望に頼り、目をつぶってオプティミストになるほかない。(収容所に特有の陰惨なユーモアは、このようなオプティミズムから生れる)。そのなかで鹿野は、終始明確なペシミストとして行動した、ほとんど例外的な存在だといっていい。
 後になって知ることのできた一つの例をあげてみる。たとえば、作業現場への行き帰り、囚人はかならず五列に隊伍を組まされ、その前後と左右を自動小銃を水平に構えた警備兵が行進する。行進中、もし一歩でも隊伍を離れる囚人があれば、逃亡とみなしてその場で射殺していい規則になっている。警備兵の目の前で逃亡をこころみるということは、ほとんど考えられないことであるが、実際には、しばしば行進中に囚人が射殺された。しかし、そのほとんどは、行進中つまずくか足をすべらせて、列外へよろめいたために起っている。厳寒で氷のように固く凍てついた雪の上を行進するときは、とくにこの危険が大きい。なかでも、実戦の経験がすくないことにつよい劣等感をもっている十七、八歳の少年兵にうしろにまわられるくらい、囚人にとっていやなものはない。彼らはきっかけさえあれば、ほとんど犬を射つ程度の衝動で発砲する。
 犠牲者は当然のことながら、左と右の一列から出た。したがって整列のさい、囚人は争って中間の三列へ割りこみ、身近にいる者を外側の列へ押し出そうとする。私たちはそうすることによって、すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。
 実際に見た者の話によると、鹿野は、どんなばあいにも進んで外側の列にならんだということである。明確なペシミストであることには勇気がいるというのは、このような態度を指している。それは、ほとんど不毛の行為であるが、彼のペシミズムの奥底には、おそらく加害と被害にたいする根源的な問い直しがあったのであろう。そしてそれは、状況のただなかにあっては、ほとんど人に伝ええない問いである。彼の行為が、周囲の囚人に奇異の感を与えたとしても、けっしてふしぎではない。彼は加害と被害という集団的発想からはっきりと自己を隔絶することによって、ペシミストとしての明晰さと精神的自立を獲得したのだと私は考える。
 翌年夏、私たちのあずかり知らぬ事情によって沿線の日本人受刑者はふたたびタイシェットに送還された。」
「この時期になると、鹿野の「奇異な」行動はますますはっきりして来た。毎朝作業現場に着くと彼は指名も待たずに、一番条件の悪い苦痛な持場にそのままついてしまうのである。たまたまおなじ現場で彼が働いている姿を私は見かけたが、まるで地面にからだをたたきつけているようなその姿は、ただ悽愴というほかなかった。自分で自分を苛酷に処罰しているようなその姿を、私は暗然と見まもるだけであった。」
「鹿野の絶食は、その頃になってようやく彼の行動を理解しはじめた一部の受刑者に衝撃を与えた。彼らはかわるがわる鹿野をたずねて説得をこころみたが、すでに他界へ足を踏み入れているような彼の沈黙にたいしては、すべて無力であった。その無力を、さいごに私も味わった。すべてを先取りしている人間に、それを追いかけるだけの論理が無力なのは、むしろ当然である。
 絶食四日目の朝、私はいやいやながら一つの決心をした。私は起床直後彼のバラックへ行き、今日からおれも絶食するとだけいってそのまま作業に出た。事情を知った作業班長が、軽作業に私をまわしてくれたが、夕方収容所に帰ったときにはさすがにがっかりして、そのまま寝台にひっくり返ってしまった。夕食時限に近い頃、もしやと思っていた鹿野が来た。めずらしくあたたかな声で一緒に食事をしてくれというのである。私たちは、がらんとした食堂の隅で、ほとんど無言のまま夕食を終えた。その二日後、私ははじめて鹿野自身の口から、絶食の理由を聞くことができた。
 メーデー前日の四月三十日、鹿野は、他の日本人受刑者とともに、「文化と休息の公園」の清掃と補修作業にかり出された。たまたま通りあわせたハバロフスク市長の令嬢がこれを見てひどく心を打たれ、すぐさま自宅から食物を取り寄せて、一人一人に自分で手渡したというのである。鹿野もその一人であった。そのとき鹿野にとって、このような環境で、人間のすこやかなあたたかさに出会うくらいおそろしいことはなかったにちがいない。鹿野にとっては、ほとんど致命的な衝撃であったといえる。そのときから鹿野は、ほとんど生きる意志を喪失した。
 これが、鹿野の絶食の理由である。人間のやさしさが、これほど容易に人を死へ追いつめることもできるという事実は、私にとっても衝撃であった。そしてその頃から鹿野は、さらに階段を一つおりた人間のように、いっそう無口になった。
 鹿野の絶食さわぎは、これで一応はおちついたが、収容所側は当然これを一種のレジスタンスとみて、執拗な追及を始めた。鹿野は毎晩のように取調室へ呼び出され、おそくなってバラックに帰って来た。取調べに当ったのは施(シェ)という中国人の上級保安中尉で、自分の功績しか念頭にない男であったため、鹿野の答弁は、はじめから訊問と行きちがった。根まけした施は、さいごに態度を変えて「人間的に話そう」と切り出した。このような場面でさいごに切り出される「人間的に」というロシア語は、囚人しか知らない特殊なニュアンスをもっている。それは「これ以上追及しないから、そのかわりわれわれに協力してくれ」という意味である。〈協力〉とはいうまでもなく、受刑者の動静にかんする情報の提供である。
 鹿野はこれにたいして「もしあながた人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」と答えている。」
「その時の鹿野にとって、おそらくこの言葉は挑発でも、抗議でもなく、ただありのままの事実の承認であっただろう。(中略)そのときの彼の表情に、おそらく敵意や怒りの色はなかったのであろう。むしろこのような撞着した立場に立つことへの深い悲しみだけがあったはずである。」
「施は当然激怒したが、それ以上どうするわけにも行かず、取調べは打切られた。爾後、鹿野は要注意人物として、執拗な監視のもとにおかれたが、彼自身は、ほとんど意に介する様子はなかった。
 私が知るかぎりのすべての過程を通じ、彼はついに〈告発〉の言葉を語らなかった。彼の一切の思考と行動の根源には、苛烈で圧倒的な沈黙があった。」
「バム地帯での追いつめられた状況のなかで、鹿野をもっとも苦しめたのは、自動小銃にかこまれた行進に端的に象徴される、加害と被害の同在という現実であったと私は考える。そして、誰もがただ自分が生きのこることしか考えられない状況のなかで、このようないたましい同在をはっきり見すえるためにも、ペシミストとしての明晰さを彼は必要としたのである。」
「私が無限に関心をもつのは、加害と被害の流動のなかで、確固たる加害者を自己に発見して衝撃を受け、ただ一人集団を立去って行くその〈うしろ姿〉である。問題はつねに、一人の人間の単独な姿にかかっている。ここでは、疎外ということは、もはや悲惨ではありえない。ただひとつの、たどりついた勇気の証しである。」
「いまにして思えば、鹿野武一という男の存在は私にとってかけがえのないものであった。彼の追憶によって、私のシベリヤの記憶はかろうじて救われているのである。このような人間が戦後の荒涼たるシベリヤの風景と、日本人の心のなかを通って行ったということだけで、それらの一切の悲惨が救われていると感ずるのは、おそらく私一人なのかもしれない。」



「1956年から1958年までのノートから」より:

「私の内部で何かが変らなければならぬ。私はしょっちゅうその声におびやかされて、じりじりしている。「変る」ということはどういうことなのか。それさえ私にはよくわからない。おそらくそれは本当に私が変った時、はじめてはっきりわかることなのだろう。キエルケゴールは「自己であること」以外に、人間には何の希望ものこされていないといっている。おそらくそれが「変る」ということの真の内容なのだ。」

「私が理想とする世界とは、すべての人が苦行者のように、重い憂愁と忍苦の表情を浮べている世界である。それ以外の世界は、私にはゆるすことのできないものである。」

「〈立ちどまる〉ということは重要なことだ。とある街角の敷石の上であれ、書店の店さきであれ、その時私は立ちどまらねばならない。私が立ちどまる時、私は階段を一つ降りる。生きることがそれだけ深くなるのだ。なぜなら、立ちどまる時だけ私は生きているのだから。」



「1959年から1962年までのノートから」より:

「希望によって、人間がささえられるのではない(おそらく希望というものはこの地上には存在しないだろう)。希望を求めるその姿勢だけが、おそらく人間をささえているのだ。」


「1963年以後のノートから」より:

「荒廃はただ己れの責任である。荒廃の中心に己れ自身を据えよ。」

「もし私が何ごとかに賭けなければならないのであれば、私は人間の〈やさしさ〉にこそ賭ける。」

「ひとと共同でささえあう思想、ひとりの肩でついにささえ切れぬ思想、そして一人がついに脱落しても、なにごともなくささえつづけられて行く思想。おおよそそのような思想が私に、なんのかかわりがあるか。」






































































































石原吉郎 『足利』

「ある日のうつくしさをそのままに
ちがう入口を通るなら
それが礼節ということだ」

(石原吉郎 「うつくしい日に」 より)


石原吉郎 
『足利』


花神社 
1977年12月1日 初版第1刷
93p 石原吉郎著書目録1p 
A5判 
丸背布装上製本 機械函 
定価1,600円
装画: 新井豊美



著者は1977年11月14日逝去。本書収録作品は1975年から1977年にかけて発表されたものです。翌1978年2月には思潮社より、本書とほぼ同時期の作品からなる遺稿詩集『満月をしも』が刊行されています。


石原吉郎 足利 01


目次:

足利
私の自由において

完全な廃墟
はじまる
死者の理由
訂正
あおざめる
こはぜ
その折
目じるし
入水
北鎌倉壽福寺

レストランの片隅で
恐怖
生きなさい
風と花

一期
潮が引くように
相対
亀裂
黄金分割
航海
無辜
不幸

黒門町
切れ目
日没
うつくしい日に
野いちご
輪郭
書く
あなたがねむるとき
風景

ちがう
詩人

初出一覧



石原吉郎 足利 02


「打ちあげて華麗なものの降(くだ)りつぐ」



◆本書より◆


「足利」:
 
「 足利の里をよぎり いちまいの傘が空をわ
たった 渡るべくもなく空の紺青を渡り 会
釈のような影をまるく地へおとした ひとび
とはかたみに足をとどめ 大路の土がそのひ
とところだけ まるく濡れて行くさまを ひ
っそりとながめつづけた」

 
 
「はじまる」:
 
「重大なものが終るとき
さらに重大なものが
はじまることに
私はほとんどうかつであった
生の終りがそのままに
死のはじまりであることに
死もまた持続する
過程であることに
死もまた
末来をもつことに」

 
 
「こはぜ」:
 
「ひっそりと白く
両手を重ねただけなのに
殺意と見たてて
柄(つか)をひきよせたが
下(さ)げ緒をたぐる
気配をみてとって
相手はひっそりと
のみ終えた茶器へ
足袋のこはぜを
おとして立った」

 
 
「入水(じゅすい)」:
 
「水に入(はい)るひとの決意を
想ってもみただろうか
くるぶしから 腰へ
腰から胸元へと
ひたして行く水の
ひっそりとした気配を
それは決意の持続ではない
決意そのものの
茫然たる手放しでもあったはずだ
決意をさらに呼ぶはずの
決意は
そのままひっそりと
水底(みなそこ)へ沈みおちた」

 
 
「レストランの片隅で」:
 
「つらい食事もしたし
うっとりと食事も終えた
おなじ片隅で
ひっそりと今日も
食事をとる
生き死にのその
証しのような
もう生きなくても
すむような」

 
 
「恐怖」:
 
「まぎれもなく健康であることは
たぶん巨きな恐怖だから
きみはなるべく
病気でいるがいい
ドアが正常に開き
通行を保障されるのは
たぶん巨きな恐怖だから
きみはすみやかに
拘禁さるべきだ
二人の男が向きあって
なにごともなく
対話がつづくのは
たぶん巨きな恐怖だから
一人は 即座に
射殺せねばならぬ」

 
 
「一期(いちご)」:
 
「一期にして
ついに会わず
膝を置き
手を置き
目礼して ついに
会わざるもの」

 
 
「相対(あいたい)」:
 
「おのおのうなずきあった
それぞれのひだりへ
切先を押しあてた
おんなの胸は厚く
おとこは早く果てた
その手をとっておんなは
一と刻(とき)あとに刺したがえた
ひと刻の そのすれちがいが
そのままに
双つの世界へふたりを向かわせた」

 
 
「亀裂」:
 
「北の大路の
いちずなやすらぎを
かきのけるようにして
ものの気配が
一文字にはしりぬけた
馬背の物の怪(け)が
一気にはしりぬけた
物の怪ばかりが
一気にかけぬけた
事が起るということへ
一途に賭けた
足うらばかりが見える下を
かならず起るといいたげにして
ひとすじの亀裂が
さらにかけぬけた」













































































石原吉郎 『満月をしも』

「無ければ それでいいだろう
そこまでで
もう無いなら」

(石原吉郎 「無題」)


石原吉郎 
『満月をしも』


思潮社 
1978年2月25日 発行
109p 
菊判 
丸背布装上製本 貼函 
定価1,600円



詩集『足利』と同時期、1975年から1977年にかけての作品を収録した遺稿詩集。


石原吉郎 満月をしも


帯文:

「満月をしも
成就というであろう
満月の
その満月をしも。
…………
 
深い断念につらぬかれたテーマと固有の詩法を極度につきつめ、みずからを追いつめることによって確固たる詩宇宙の達成を示して急逝した著者の遺稿詩集」



帯背:

「遺稿詩集」


帯裏:

「死

死はそれほどにも出発である
死はすべての主題の始まりであ
生は私には逆向きにしか始まらない
死を<背後>にするとき
生ははじめて私にはじまる
死を背後にすることによって
私は永遠に生きる
私が生をさかのぼることによって
死ははじめて
生き生きと死になるのだ」



目次:

受け皿
哀愁 1
死角
前提



提灯
片馬
洗礼
疲労
幸福
くずれるように
疲労について
寝がえり
義務


旱天

絶えま
楡と頬
物の怪
爪先
死に霊(りょう)
出会う
かみなり
寂寥
歯ぎしり

逡巡
飛沫
理由

なぎさ
成就
無題
哀愁 2
置き去り
うしろめたさ
目安
つきあい
控え
呼吸
死病
単純な要塞
気配
盲導鈴




◆本書より◆


「受け皿」:

「おとすな
膝は悲しみの受け皿ではない
そして地は その受け皿の
受け皿ではさらにない
それをしも悲しみと呼ぶなら
おれがいまもちこたえているのは
錐ともいえる垂直なかなしみだと
おそれずにただこたえるがいい」



「疲労について」:

「この疲労を重いとみるのは
きみの自由だが
むしろ疲労は
私にあって軽いのだ
すでに死体をかるがるとおろした
絞索のように
私にかるいのだ
すべての朝は
私には重い時刻であり
夜は私にあって
むしろかるい
夜にあって私は
浮きあがる闇へ
かるがるとねむる
そのとき私は
すでに疲労そのものである
霧が髭を洗い ぬらす
私はすでに
死体として軽い
おもい復活の朝が来るまでは」



「物の怪」:

「仰向けた掌(て)へ
一個の碗を置き
瞑目して呼吸をととのえるさまを
物の怪に憑かれた余計者が
ひっそりとたたみを踏みしなに
ふりかえった」



「爪先」:

「くぐり戸を
あけたところで
思惑がつりあった
待ちうけている
であろう気配を
承知のうえで
踏み出してくる爪先を
あらかじめ踏んだ
踏んだ爪先へ
踵のような月が墜ちた」



「逡巡」:

「〈恥らい〉が含む〈恥〉を
想ってもみただろうか
逡巡の果てに来る〈逡巡〉を
一人の男が待つように」



「涙」:

「レストランの片隅で
ひっそりとひとりで
食事をしていると
ふいにわけもなく
涙があふれることがある
なぜあふれるのか
たぶん食べるそのことが
むなしいのだ
なぜ「私が」食べなければ
いけないのか
その理由が ふいに
私にわからなくなるのだ
分らないという
ただそのことのために
涙がふいにあふれるのだ」



「哀愁 2」:

「哀愁はあきらかな
ひとつの意志である
哀愁がひとつの病いであるとき それは
意志である
病いもまた ひとつの
意志となることを忘れるな」



「うしろめたさ」:

「しずかなものを
おさえかねた
白刃のような
ほとばしりへ
男は背を向けて
はっきりと目をとじた
目をとじて
わずかにこらえた
うしろめたさを
男はさらにこらえた」



「控え」:

「いわれなく座に
耐えることではない
非礼のひとすじがあれば
礼を絶って
膝を立てることだ
膝は そのためにある
そろえた指先も
そのためにある」

































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

※心の傷、胸焼け、劣等感等ある場合が御座いますが概ね良好な状態になります。

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