『世界文学大系 43 マラルメ/ヴェルレーヌ/ランボオ』

「しかし、何か欲しい物がある時に、それが存在しないからというのを口実に、探すのをすぐにやめてしまうのは、中途半端な態度とはいえないでしょうか。欲しいものは欲しいと、はっきり認めるべきではありませんか。というわけは、(中略)この、「この世にないもの」を求める気持が、生涯かけた作品(中略)の生まれる動機であり、原動力であるからなのです。」
(マラルメ 「音楽と文芸」 より)


『世界文学大系 43 
マラルメ 
ヴェルレーヌ 
ランボオ』

鈴木信太郎 他 訳

筑摩書房 
昭和37年2月28日 発行
422p 口絵(モノクロ)1葉 
菊判 丸背バクラム装上製本 貼函 
定価500円
装幀: 庫田叕

月報 55 (16p):
鈴木博士のマラルメ(佐藤正彰)/ヴェルレーヌの一読者の記録(橋本一明)/ランボオ解釈について(平井啓之)/ヴェルレーヌの通った道(ヴァレリー/中村光夫 訳)/連載 世界文学史 54 十九世紀のフランス文学(その六)(杉捷夫)/訳者紹介/編集後記/翻訳目録/研究書目・参考文献/図版(モノクロ)7点



本書付録月報「編集後記」より:

「フランス象徴詩派の高峰三人の集を、今日望みうべき最高の訳をもって、おおくり致します。多くの新訳と、既訳には徹底的に斧鉞を加えられた本巻は、詳細なる註解ととも、読者の御理解に資すること、多大と存じます。」


詩は二段組+脚注、散文は三段組。各セクション冒頭に図版(筆跡)3点。
上田敏、河上徹太郎、鈴木信太郎による訳は正字・正かな、その他は新字・新かなです。


マラルメ ヴェルレーヌ ランボオ 01


目次:

マラルメ
 ステファヌ・マラルメ詩集 (鈴木信太郎 訳)
  礼
  不遇の魔
  あらはれ
  徒な願ひ
  道化懲戒
  窓
  群芳譜
  陽春
  苦悩
  〔――ほろ苦き無為に倦じて……〕
  鐘を撞く人
  夏の悲しみ
  蒼空
  海の微風
  溜息
  施物
  詩の賚
  エロディヤード
  半獣神の午後
  〔――火焰のやうに燃え上る 髪〕
  聖女
  葬の乾杯
  散文
  マラルメ夫人の扇
  マラルメ嬢の扇
  帖の一葉
  ベルギーの友の思出
  俚歌微吟
  ホイッスラーへ私信
  小唄 一
  小唄 二
  〔――闇が 宿命の法により……〕
  〔――処女であり、生気にあふれ、美しい今日……〕
  〔――美しい捨身の行を 誇らしくも……〕
  〔――高々とその純らかな爪が縞瑪瑙を擎げ〕
  エドガア・ポオの墓
  シャルル・ボオドレールの墓
  墓
  礼讃
  礼讃
  〔旅立つてゆく唯一の念願に……〕
   一 〔誇らしい自負心は みな夕暮に〕
   二 〔壺の腹から 一跳びに躍り出た……〕
   三 〔ダンテル編みの窓掛は 自づと……〕
  〔時間の香油の染込んだ如何なる絹の〕
  〔お前の歴史に登場する……〕
  〔密雲の崩れむばかりに覆ふ空〕
  〔都パフォスの名の上に 古書が閉ぢられ〕
  書誌
 綺語詩篇 (鈴木信太郎 訳)
  未来の現象
  秋の嘆き
  冬の戦慄
  類推の魔
  哀れな蒼白い少年
  パイプ
  見世物中断
  微かな記憶
  白い蓮
  嘗てボオドレールの書の縁に
 詩の危機 (南條彰宏 訳)
 書簡
  自叙伝 (鈴木信太郎 訳)
  詩に関する書簡 (松室三郎 訳)
 リヒァルト・ワグナー (南條彰宏 訳)
 音楽と文芸 (南條彰宏 訳)
  マラルメの散文について (南條彰宏)

ヴェルレーヌ
 ヴェルレーヌ詩集
  サテュルニアン詩集
   (序詩) (鈴木信太郎 訳)
   また還り来ず (同)
   三年経て (同)
   祈念 (同)
   虚脱 (同)
   よくみるゆめ (上田敏 訳)
   ある女に (鈴木信太郎 訳)
   海景 (同)
   沈む日 (同)
   神秘なる黄昏 (同)
   感傷的散歩 (同)
   秋の歌 (上田敏 訳)
   鶯 (鈴木信太郎 訳)
   女と猫 (同)
   見そめ (同)
   ダリヤ (同)
  女の友達 (鈴木信太郎 訳)
   露台にて
   春
   夏
  艶なる讌楽(うたげ) (鈴木信太郎 訳)
   月の光
   草の上
   供奴
   貝殻
   半獣神
   マンドリン
   クリメエヌに
   恋文
   呑気な恋人
   感傷的対話
   又は
  よき歌 (鈴木信太郎 訳)
   〔ほのぼのと 消え行く前に〕
   〔月白く〕
  言葉なき恋歌 (鈴木信太郎 訳)
   〔そは やるせなく蕩くる心地〕
   〔都に雨の降るごとく〕
   〔しなやかなる手の接吻くる ピアノ〕
   〔たかが一人の女のため、ためだと言ふに〕
   グリーン
   憂鬱
   街路
   哀れな若い羊飼
  叡智 
   原著の序 (河上徹太郎 訳)
   第一部 (河上徹太郎 訳)
    一 〔沈黙のうちに騎行する……〕
    二 〔私はシジフのやうに悩んだ〕
    三 〔放浪者よ、諸国や駅々に……〕
    四 〔不幸な者よ! 天からの賜物の……〕
    五 〔女の美しさ。その繊弱さ……〕
    六 〔ああ君等、彼方行く……〕
    七 〔空しく美はしかりし日は……〕
    八 〔うとましく容易き労役もて……〕
    九 〔ルイ・ラシーヌの叡智よ……〕
    一〇 〔否、その世紀は国教主義者……〕
    一一 〔哀れな友よ、AプラスBによつて〕
    一二 〔然るに今や君達は昇格された……〕
    一三 〔フランスのために戦死せる王子〕
    一四 〔やがてあなた方は両腕に余る……〕
    一五 〔人は神のみを傷つけ……〕
    一六 〔聴け、かのやさしき歌声を〕
    一七 〔曽てわがものなりし懐しき手よ〕
    一八 〔げにもわれ、こよなき嬰児を……〕
    一九 〔驕慢の声、角笛の如き……〕
    二〇 〔悪魔が倦怠に化けて来て……〕
    二一 〔心安らかにお前の道を往け!〕
    二二 〔何故に悲しい、わが魂よ〕
    二三 〔大きな都市と、卑しい〕
    二四 〔古代人の魂は粗野で空しく〕
   第二部 (河上徹太郎 訳)
    一 〔神よ、御身は愛もて……〕
    二 〔われはわが母マリアの外……〕
    三 〔御身は穏やかである……〕
    四
     一 〔神われにのたまへり……〕
     二 〔わは答へぬ……〕
     三 〔――われを愛せざるべからず!……〕
     四 〔――主よ、そは余りの……〕
     五 〔――われを愛せざるべからず……〕
     六 〔――主よ、われは恐る……〕
     七 〔――汝若しそれに値せんと……〕
     八 〔――ああ主よ、われ如何に……〕
     九 〔――哀れな魂よ……〕
   第三部
    一 〔今や「賢者」は……〕 (河上徹太郎 訳)
    二 〔仮の臥床の奥から〕 (同)
    三 〔希望は厩の藁の一筋の如く……〕 (同)
    四 〔私はおとなしい孤児〕 (同)
    五 〔大いなる黒き眠りは〕 (鈴木信太郎 訳)
    六 〔屋根の上なる 大空は〕 (同)
    七 〔知らず わが悲しき心は〕 (同)
    八 〔匂ひ、色彩、方法、法則!〕 (河上徹太郎 訳)
    九 〔角の音は森に向いて嘆き〕 (同)
    一〇 〔人の世の肉体の悲しさ……〕 (同)
    一一 〔黝く蒼き叢を〕 (鈴木信太郎 訳)
    一二 〔あはれ、あはれ……〕 (河上徹太郎 訳)
    一三 〔籬は梯子形に重なりて〕 (同)
    一四 〔闊く豊かな人間の社会〕 (同)
    一五 〔海は、伽藍よりも〕 (同)
    一六 〔「大都会」! 白い石材の……〕 (同)
    一七 〔すべて地上の愛は〕 (同)
    一八 〔聖女テレーズは……〕 (同)
    一九 〔巴里人よ、何にでも〕 (同)
    二〇 〔麦の祭りよ!……〕 (同)
  昔とちか頃 (鈴木信太郎 訳)
   詩法
   道化
   葡萄のみのり
   厭な男
  愛の詩集 (鈴木信太郎 訳)
   某夫人に贈る
  雙心詩集 (鈴木信太郎 訳)
   譬喩
   虚偽の印象
   他の虚偽の印象
   釈明
   いたづらピエロ
  女に献ぐる歌 (鈴木信太郎 訳)
   〔飲むねえ きみは……〕
   〔栗色か黄金の髪か〕
   〔珈琲の滓の占……〕
  エピグラム (鈴木信太郎 訳)
   〔自由詩の野心を 俺は礼讃する〕
   〔十七脚の一詩句を 俺は作つた〕
   〔落日の消えゆく中に……〕
 呪はれた詩人達 
  トリスタン・コルビエエル (鈴木信太郎 訳)
  アルチュウル・ランボオ (同)
  ステファヌ・マラルメ (同)
  マルスリーヌ・デボルド・ヴァルモール (高畠正明 訳)
  ヴィリエ・ド・リラダン (同)
  ポオヴル・レリアン (鈴木信太郎 訳)
 懺悔録 (高畠正明 訳)

ランボオ
 地獄の一季節 (秋山晴夫 訳)
  ****
  下賤の血
  地獄の夜
  錯乱Ⅰ
  錯乱Ⅱ
  不可能事
  閃光
  朝
  訣別
 イリュミナシオン (鈴木信太郎・小林秀雄 訳)
  大洪水の後
  少年時
  小話
  道化芝居
  古代
  Being Beauteous
  生活
  出発
  王権
  或る理性に
  陶酔の午前
  断章
  労働者
  橋
  都会
  轍
  町々
  放浪者
  街々
  眠らぬ夜
  神秘
  夜明け
  花
  平凡な夜曲
  海景
  冬の祭
  苦悶
  メトロポリタン
  野蛮人
  大売出し
  妖精
  戦
  青年時
  岬
  場面
  歴史の暮方
  運動
  ボトム
  H
  献身
  デモクラシイ
  天才
   「イリュミナシオン」のテキストについて (鈴木信太郎・橋本一明)
 詩 (鈴木信太郎 訳)
  椅子の坐つた人達
  夕の祈禱
  母音
  蝨を捜す女
  酩酊船
 ルイ十一世に宛てたるシャルル・ドルレアン太公の書簡 (鈴木信太郎 訳)
 文学書簡 (平井啓之 訳)

私は時をりマラルメに語った…… (ヴァレリー/鈴木信太郎 訳)
ヴェルレーヌ (シュアレス/高畠正明 訳)
アルチュウル・ランボオ著作集の序 (クローデル/渡辺守章 訳)

解説 (鈴木信太郎)
年譜
 マラルメ年譜 (鈴木信太郎・松室三郎 編)
 ヴェルレーヌ、ランボオ年譜 (中安ちか子 編)
詳細目次



マラルメ ヴェルレーヌ ランボオ 02



◆本書より◆


マラルメ「詩の危機」より:

「純粋な著作の中では語り手としての詩人は消え失せて、語に主導権を渡さなければならない。語は、一つ一つちがっているためにその間に衝突を生じ、こうして、いわば動員状態におかれている。ちょうど宝石を灯りにかざすと、長い光の線が虚像として見えるように、語と語はたがいの反映によって輝き出す。それが従来の抒情的息吹きの中に感じられた個人の息づかいや、文章をひきずる作者の熱意などにとってかわるのである。

 詩の書物のもつ秩序は書かれる前からきまっていて、いたるところで偶然を排除する。作者を省略するためには、そうした秩序が必要なのである。だから、断片を寄せ集めるに当たって、どの主題も、あらかじめ、書物の中のどの場所にはめこまれるかがきまっている。ちょうど、こだまが声に答える場合のような鋭敏な対応がそこにはあって――似た役割を演じる主題は、離れたところに置かれても、たがいにぴったりと釣合いを保つのである。それは、ロマン派式の、崇高なものをでたらめに置いてゆくやり方でも、主題を一山ずつむりに押し込むやり方でもない。すべてがいつでも動き出せるように、懸垂状態に置かれ、断片が、交互に並んだり向き合ったりしている中から、全体として一つの律動が生まれる。その律動は窮極的には、声という楽器を必要としない詩、精神の活動の場所である余白だけでできた詩であろう。現実に作られる詩篇は、ちょうど寺院の穹窿の三角面が実際には見えない頂きを想像させるように、この窮極の詩を想像させる。」

「空かける人間の怪奇な夢を象徴するという「怪物(シメール)」、われわれの眼にはその鱗の反射する微光が見えるが、それに想いをはせたということが、すでに、現代という周期すなわち最近の四半世紀が、「絶対」の、電光のような輝きを経験したことを証明している――こうして、窓の前に坐って、夕立が乱れた髪のように幾筋も流れるのを見ていると、精神の中に巣喰っている混乱が洗い流されて、啓示を受けたように真実が見えてくる――いったい、すべての書物は、多かれ少なかれ、数のきまった繰り返し文句をいくつか含んでいる。してみると、書かれている国語は違っても聖書は一つしかないように、世の中には元来、ただ一冊の「書物」だけしか実在せず、その掟が世界を支配しているのではないか。作品と作品との間の違いは、正しい本文を指し示すために、文明時代、文字の時代の長い間にわたって提出された版本の違いのようなものである。」



「音楽と文芸」より:

「読書というものは、私の考えでは、厳格にいうと、絶望的な行為であります。皆さん、そのノートや、赤い書き込みや、羊皮紙はどけましょう。およそ、どんな産業も、われわれの幸福の製造だけには失敗したのであります。幸福をうまく按配するなどは、産業の力の及ぶところではありません。私自身、ときどき、理由もないのにどうしても満足できない、といった気分になることがあります。
 「何か別なもの」……いったい、書物のページがふるえるのは、何か別なものを求めて、待ちかねているからだとは思えないでしょうか。われわれは、どだい、在るところの物しか存在しないという公式を、盲目的に信じすぎております。しかし、何か欲しい物がある時に、それが存在しないからというのを口実に、探すのをすぐにやめてしまうのは、中途半端な態度とはいえないでしょうか。欲しいものは欲しいと、はっきり認めるべきではありませんか。というわけは、これは創作行為あるいは文芸の仕組み自体を人前にさらけ出すことになりますが、この、「この世にないもの」を求める気持が、生涯かけた作品――といっても、畢竟(ひっきょう)、無にすぎないかも知れませんが――の生まれる動機であり、原動力であるからなのです。そして私は、彼岸の世界に輝いているものが、われわれのところには欠けているという意識を、逆に、一種のトリックで、地上からあの禁断の、雷鳴の轟く高所へと打ち上げるという仕事を尊敬する者であります。
 それは何の役に立つのでしょうか。
 一つの遊びにはなります。
 地上の事物が根をはやして、がっしりと立っているのを見ると、われわれは倦怠を感じますが、その時、この遊びが、ちょうど空の高みにある真空の力でひっぱり出されたかのように、生まれます。その真空は、事物を地上からひき離して、自分の空虚な空間をそれで満たし、われわれが意志の命ずるままにひとりで祝う祭のために、その輝かしい光景を差し出します。
 私が、書くという行為に要求するのは、まさにこの仕事であり、私の要求が正当であるのをこれから証明いたしましょう。」



ランボオ「文学書簡」(ジョルジュ・イザンバアル宛 シャルルヴィル、一八七一年五月)より:

「僕は罷業中です。今のところは放蕩のかぎりをつくしています。なぜとおっしゃるのですか? 僕は詩人になりたいのです。そしてヴォワイヤン(見る人)になりたいと努めています。貴方には何のことかさっぱりおわかりにならぬでしょう。僕だってほとんど説明の言葉に苦しむのです。凡ゆる感官を放埓奔放に解放することによって未知のものに到達することが必要なのです。苦悩はたいへんなものですが、しかも強くあらねばならず、生れながらの詩人であらねばなりません。そして僕は自分を詩人であると確認したのです。でもこれは何も僕が悪いわけではないのです。われ思う、なんていうのは誤りです。他人がわれについて考える、というべきです。地口を言っているようでご免ください。
 『われ』は一個の他者であります。木片がヴァイオリンであることがわかったとしても止むを得ないことです。」



ランボオ「文学書簡」(ポオル・ドゥムニー宛 シャルルヴィル、一八七一年五月十五日)より:

「浪漫主義が正しく判断されたためしはないのです。いったい誰がそれに判断を下すでしょうか? 批評家ですか! 浪漫主義者でしょうか? 彼らは歌謡(シャンソン)とは作品、すなわち歌い手によってうたわれ理解された思想となることがきわめてまれであることをいとも明らかに証し立てているのです。
 なぜなら「われ」とは一個の他者であります。銅が眼が醒めてみると喇叭(らっぱ)になっていたとしても、それは少しも銅の落度ではないのです。」
「詩人になろうと志す人間の第一番の仕事とは自分自身を全的に認識することです。彼は自分の魂を探求し、それを観察し、それを試し、それを学ぶのです。それを知れば、次はただちにそれを涵養(かんよう)せねばなりません! このことは簡単なことのように思われます。(中略)だが問題は怪物じみた魂をつくり上げることなのです。(中略)いぼを自分の顔に植えつけて、それを培養している一人の男を想像してください。
 僕はヴォワイヤンであらねばならない、自らをヴォワイヤンたらしめねばならぬ、というのです。
 「詩人」はあらゆる感覚の、長期にわたる、大がかりな、そして理由のある錯乱を通じてヴォワイヤンとなるのです。あらゆる形式の恋愛や、苦悩や、狂気によって。彼は自分自身を探求し、自分の内部に一切の毒を汲みつくして、その精髄だけをわが物とします。それは完き信念、超人的な力、を必要とするいうにいわれぬ呵責(かしゃく)であって、そこで、彼はとりわけ偉大な病者、偉大な罪人、偉大な呪われ人となり、――そして、至高の「賢者」となるのです!――なぜなら彼は未知のものに到達するのです! それというのも、もともとゆたかな魂を、彼が誰にもまさって涵養したからです! 彼は未知のものに到達し、そして、その時、狂乱して、己のさまざまな視線についての知的認識力を失ってしまった時に、はじめて彼はそれらの視象(ヴィジョン)を真に見たのです! その飛躍の最中に前代未聞の名づけようもないことどもによって彼の身が裂けるなら裂けよ、であります。他の怖るべき労働者たちが後にやってくることでしょう。彼らは他の者が倒れた地平線から始めることでしょう!」
「それゆえ詩人とは真に火を盗む者であります。」
「もしも彼が彼岸から持ち来たるものが形のあるものであれば、彼は形をあたえます。もしそれが無形であれば、彼は無形のものをあたえるのです。言語を見出すことです――その上、一切の言葉が観念であるからには、世界言語の時代が来ることでしょう!」
「このような言語は、魂のために魂からほとばしるものであろうし、一切を、匂いも、音も、色も、そのうちに要約しており、思想を獲得しつつ身に引きつける思索から出たものであります。」
「「詩」はもはや行動を韻律化するものではないでしょう。詩は先駆するものとなることでしょう。
 このような詩人が出現することでしょう! 女性の無限の奴隷状態が打破され、女性が自らのために、自らの手で生きる時代が来れば、男性は、――現在までは憎悪の的であったが、――女性に解放をもたらし、女性もまた、詩人の列に加わることでしょう! 女性は未知のものを発見することでしょう! 女性の観念の世界はわれわれのそれとは別物でしょうか?――女性は見慣れぬもの、測りがたいもの、いとわしいもの、甘美なもの、を見出すことでしょうし、われわれはそれを取り上げ、それを理解することでしょう。」
「初期の浪漫主義者たちはヴォワイヤンの真意を充分にはわきまえ知らずにヴォワイヤンであったのです。彼らの魂の涵養は偶然の事件から始まったのです。それはしばしの間はレールが運び行く、打ち棄てられて、しかも灼熱した機関車、といった工合でした。」
「かくて僕は自分をヴォワイヤンたらしめようと努力しています。」





こちらもご参照下さい:

Stéphane Mallarmé 『Autobiographie: Lettre à Verlaine』




















































































































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「ユリイカ」 臨時増刊 総特集: ステファヌ・マラルメ 

「落伍者と言ったって……僕たちは皆なそうなんだよ。他にどうなりようがあるかね。僕たちの有限性を無限性と競わせようとするのだから。僕たちは自分の短い生涯を、か弱い力を、定義そのものからして達しえない理想と釣り合わせようとしているわけだ。つまり、僕たちは皆な、あらかじめ落伍者たるべく運命づけられているのだよ。〔……〕僕はこう思いさえする。他の誰よりもむしろ僕こそ、この落伍者という形容語を奉られる権利があるんだ、とね。僕は異様な企てをあえて試みようとしたのだから、なおさらのことさ」
(マラルメ)


「ユリイカ」 臨時増刊号 
総特集: ステファヌ・マラルメ

第18巻第10号

青土社 
1986年9月25日発行
1992年6月20日(第2刷)
440p 
22×14.2cm 並装 
定価1,800円(本体1,748円)
編集人: 歌田明弘
装幀: 宇野亜喜良
カット: 河原淳一/松浦久美



折込図版(カラー)1点、本文中図版(モノクロ)多数。


マラルメ ユリイカ臨時増刊 01


目次:

Textes de Mallarme
 マラルメ 「魔術」 (訳・解説: 菅野昭正)
 竹内信夫 「「マラルメは答える」 訳・解説」
 井原鉄雄 「J・ドゥーセ図書館とマラルメ」
マラルメの宇宙
 高橋英夫 「マラルメの遺品」
 アバスタド 「マラルメの《書物》――ひとつの神話的自画像」 (訳: 松本雅弘)
 高橋睦郎 「幼溺註――人に驕(あま)えし少年(せうねん)の美(は)しき夢路(ゆめぢ)に その昔(むかし)」
 竹内信夫 「余白に何が書かれているのか?――一つの問題提起」
徹底討議
 菅野昭正・荒川修作・渋沢孝輔 「虚無の闇の中で苦闘したマラルメのあとで」
マラルメと十九世紀
 クリステヴァ 「マラルメにおける〈金銭〉――マラルメのテクスト経済学」 (訳: 松島征)
 高山宏 「白のメトドロジー――詩人ステファヌ・マラルメの世紀末」
 立仙順朗 「パナマ事件とマラルメ銀行」
 川瀬武夫 「マラルメとアナーキズム」
 吉田城 「一八七四年の上流生活点描――『最新流行』をめぐって」
    *
 竹内信夫 「マラルメと同時代の言語学――「ブレアル原理」をめぐって」
 川瀬武夫 「マラルメのドイツ嫌い?」
マラルメを読む
 ド・マン 「マラルメを読むブランショ――あるいは非人格性について」 (訳: 加藤光也)
 三好郁朗 「デリダとマラルメ――「二重の会」について」
 イポリット 「骰子一擲とサイバネティクス」 (訳: 西谷修)
    *
 川瀬武夫 「『死者の太陽』」
生成する詩的言語
 清水徹 「ある対話について――マラルメとヴァレリー」
 兼子正勝 「マラルメの『エロディアード』――あるいは境界線の劇」
 ノイバウアー 「マラルメのアルス・コンビナトリア」 (訳: 山西龍郎)
    *
 丘沢静也 「言語の格子――マラルメ・ツェラン・三島」
マラルメと芸術
 市川雅 「エロスと観念の鳥――S・マラルメと舞踊」
 M・A・コーズ 「マラルメとデュシャン――鏡、階段、そして賭博台」 (訳: 松田嘉子)
 平島正郎 「マラルメとドビュッシィ――夢想から羽搏きあらわれる心象――歌」
 ブレーズ 「ソナタよ、お前は何を私にのぞむのか――『第三ソナタ』について」 (訳: 笠羽映子)
    *
 庄野進 「マラルメの観相学のために」
資料
 田中成和 「マラルメ詳細年譜――マラルメ自身によるマラルメ」
 川瀬武夫 「マラルメ書誌」



マラルメ ユリイカ臨時増刊 04


マラルメ ユリイカ臨時増刊 02



◆本書より◆


「マラルメの《書物》――ひとつの神話的自画像」(クロード・アバスタド)より:

「詩や論稿や書簡などのテクストが書かれるにつれて、来たるべき著作の計画は、接近することも実現することも不可能な絶対的な一つの〈書物〉の観念へと変貌していく。一八六二年にマラルメは「古い祈祷書の黄金の留め金」や「不可侵の象形文字」への憧憬を語ってはいるが、それは未だなお選良主義的態度であり、詩を神聖化して「煩わしい俗衆」を詩から遠ざけたいという欲求にすぎない。これに対して、一八六四年から六六年にかけては、彼の関心は全く別なものになってくる。ボードレールの影響から解放された――彼自身が書くように「脱ボードレール化した」――マラルメは、自らの美学を探究し始めるのである。「僕はひとつの言語を、全く新しいひとつの詩法から必ずや迸り出てくることになる言語を、創り出すのだ」。「僕には自分の作品の計画とその詩的理論とがあります。これは次のようなものになりましょう〔……〕」。「昨夜、僕はとても幸福だった。我が〈詩〉をその裸形において再び見ることができたからだ。今夜その創作に挑んでみたいと思う」。一八六六年、マラルメはまだひとつの(引用者注: 「ひとつの」に傍点)作品のことを語ってはいるが、この年から全(引用者注: 「全」に傍点)作品と〈大いなる作業〉についても語り出す。この用いられる言葉の変化は、これ以後、特定の作品というよりも、むしろ精神的存在の全体性を危険にさらす一つの企てが、マラルメの夢想の対象になる、ということを証している。「僕は壮大な全作品の基礎を据えた。人は誰しも自らの内にひとつの秘密を忍ばせているものだが、多くの者はそれを見出し終えないままに死んでいく」。「僕が君に語りたかったのは、ただこういうことだけなのだ。つまり、僕は自分自身の鍵、穹窿の頂きの要石、〔……〕あるいは中心と言ってもよいが、これを発見し終えた後に、自己の全作品全体の構想を練り終えたところだ、ということだ」。これは人智を超えた創造であり、「〔マラルメの〕諸能力の通常の展開によってではなく、自己の〈破壊〉という罪深くも性急な、また悪魔的で安易な方法によって」見出されたものなのである。この創造は、もし実現するものであるならば、地上における絶対的な《美》の三つの発現(あらわれ)のうちの一つになることであろう。「ミロのヴィーナス(引用者注: 「ミロのヴィーナス」に傍点)〔……〕、ダ・ヴィンチのジョコンダ(引用者注: 「ジョコンダ」に傍点)、この二つの作品がこの地上における〈美〉の二つの大きな燦めきであるように僕には思われますし、現実にそうなのです(引用者注: 「現実にそうなのです」に傍点)。そして僕の夢見ているあの作品、これが三番目の燦めきです」。夢見られた作品は生涯に見合っている。「僕はこう考えています。つまり、作品が完成する前に自分の脳髄が消え去ってしまうなどとは考えられもしない、と思っているのです。というのも、構想を抱く力があった訳だし、今なおその構想を受け入れる力があることを思えば、僕の脳髄は一刻も早くその構想を実現したいとおそらくは望んでいるからです。〔……〕作品が完成すれば、死んでしまってもかまいません。もし生きながらえていれば、長い休息が必要になることでしょう!」。一八六六年には、「僕の予想では、二十年の歳月が必要だろうと思う」と書いている。二十年の後、マラルメが依然として変わることなく語っているのは、未完の作品のことなのである。と言うよりもむしろ、「定義からして達しえない」理想として語っている、と言う方が正確かもしれない。「火曜会」の時代に、ある夜マラルメは、ヴィリエ・ド・リラダンを「落伍者」呼ばわりした記事に激昂しているC・モークレールに向かって、次のように断言する。
 
  「でも、モークレール、落伍者と言ったって……僕たちは皆なそうなんだよ。他にどうなりようがあるかね。僕たちの有限性を無限性と競わせようとするのだから。僕たちは自分の短い生涯を、か弱い力を、定義そのものからして達しえない理想と釣り合わせようとしているわけだ。つまり、僕たちは皆な、あらかじめ落伍者たるべく運命づけられている(引用者注: 「あらかじめ~」以下傍点)のだよ。〔……〕僕はこう思いさえする。他の誰よりもむしろ僕こそ、この落伍者という形容語を奉られる権利があるんだ、とね。僕は異様な企てをあえて試みようとしたのだから、なおさらのことさ」。

 閾は越えられ、決断がなされる。〈書物〉はもはや具体的な計画ではなく、ひとつの「理想」、ひとつの「無限」、ひとつの絶対、さまざまな欲望が備給されたひとつの夢、すなわち、幻想となる。」



「白のメトドロジー」(高山宏)より:

「一方、「言葉」が「もの」に対して透明な媒介者でもはやないという認識はその同時代に完全言語の夢をうみおとした。自らに透明に「もの」をうつし出すオルフィック(オルペウス的)な言語を人々は夢みた。世界とたしかなつながりをもつことのできる言語、というわけである。コメニウスの普遍言語などがそれ。現実の流通言語をその線で「純粋」化しようとする動きや、そういう目的のためにいっそ人工の言語をつくろうとするさまざまな動きがあった。ところで、この夢の言語のプロジェクトが進むうちに、言語が実は外の世界とはひとまず無縁に、言葉同士の内的な関係のみで成り立つ、記号の体系であることがみえてきてしまった。ジョン・ウィルキンズや王立協会の名と結びつけられて考えられている「哲学的言語」という人工普遍言語プロジェクトの孕んだ根本的な問題がそれだった。」
「世界ないし「もの」をうつしとることのない自閉的システムとして言語をみるこうした言語観を、いま名著『近代詩と言語観念』(一九七四)のジェラルド・ブランズにならって「ハーメティック」な言語観と名づけてみよう。「ヘルメース的な」という意味だが、われわれが今般この言葉に感じるような、「活性化する」ものといった意味あいとはむしろ逆に、隠蔽された、とか自閉したとかいう意味の形容詞として、ブランズのいう「ハーメティック」観念は成り立っている。すると、先にいったオルフィックな言語観とハーメティックな言語観が対立しあうことになり、現に「言葉」と「もの」のあいだ(引用者注: 「あいだ」に傍点)が不安定になるような時代には必ずこの対立する言語観が現われる。たとえば、それが右にみた十七世紀の普遍言語運動の周辺の時代、植民地主義とニュー・テクノロジーのインパクトの下、ヨーロッパの室内(アンテリエール)にみる如く「もの」が溢れでてきた十九世紀末にも、「もの」をうつしとる、つまりコミュニケーションの媒介者としての言語の能力への、未曾有の反省意識が生じてきた。
 早速いえば、マラルメの「究極の本(ル・リーヴル)」の観念、そして区々がその観念のためのエスキースであるかの如きマラルメの詩、ことに「骰子一擲」が帯びた、おそろしくハーメティックなあり方というものは、ほぼ世紀末の右のような言語の状況に根を持っているものとおぼしい。
 「あらゆる地上の実在が究極的には一冊の本のなかに含まれなければならない」とマラルメは記した。「世界は一冊の美しい本に到達すべくつくられている」とも。ブランズも言うように、これは「世界の創出は、その世界が芸術作品のなかに存在するようになるまでは完成することはないとみる、ことさらに十九世紀末的な芸術-崇拝(カルト)の動向に掉さした思考形式」なのである。詩人アルフレッド・テニソンの「芸術の殿堂」というテーゼを思いだす。そこでは芸術は「殿堂」なのであり、つまりは世界に対して閉ざされた一空間として成り立っていた。もう一度だけ、ヨーロッパの、自らを〈外〉から隔離し、〈内〉に充足する文化相がついに行きついたものとしての室内(アンテリエール)のことを思いだすべきであろう。」
「たとえば部屋というメタファーと言語というメタファーが重なりあって〈本〉という究極のメタファーをつくりだす。」



マラルメ ユリイカ臨時増刊 03

折込み図版は荒川修作「The Virgin, the Vivid, the Fine Today」。




























































ステファヌ・マラルメ 『イジチュールまたはエルベノンの狂気』 秋山澄夫 訳

「――そこで彼は、どうやら、絶対に彼を入れることを許す狂気があるという考えをいだく。が同時に、こうした狂気の事実によって、偶然は否定され、狂気が必然であったと彼は言うことが出来る。何に? (誰もそれをしらない、彼は人類から隔絶している。)」
(ステファヌ・マラルメ 『イジチュールまたはエルベノンの狂気』 より)


ステファヌ・マラルメ 
『イジチュールまたは
エルベノンの狂気』 
秋山澄夫 訳


思潮社 
1984年8月1日 新装第1刷
1985年6月1日 第2刷
86p 
22×14cm 並装 カバー 
定価1,000円



本書「訳者あとがき」より:

「この作品は、今から百年前、マラルメが二十六、七才の頃、没頭し、完成できないで、草稿のまま筐底にしまいこんでいたものを、作者の死後二十七年もたって、女婿ボニオさんがやっと判読し、なんとか筋道を立てて、出版したものである。」


Stéphane Mallarmé: Igitur ou la folie d'Elbehnon
本文中図版2点。


マラルメ イジチュール 01


帯文:

「ここには精神の音楽と、顕在的潜在的な響きが織りなす音楽、用語の喚起と反復の探索の果てに到達した思想がある。本を閉じ、蝋燭を消し、孤立した峻厳な姿勢でイジチュールは生涯を終える。無も去り、純潔の〈城〉が残る。」


帯背:

「厳密すぎる散文で書か
れた未完の狂気の物語」



カバーそで文:

「この遺稿は、マラルメがそれを実際に実現しようとまじめに考えていたことを、はっきりと示している。マラルメの理論的な著作は、このような作品の計画を示唆しており、つねにこの作品について考えている。そしてこの作品に対して、つねによりいっそう深められた観点、実現されざる作品がわれわれに対して本質的なかたちで確立されるような観点を投げかけている。この種の保証に対して無関心な人々、相も変らずマラルメのなかに、愚にもつかぬ作品についてのもったいぶったお喋りをし、無意味な紙きれを神秘めかした様子でふりまわして、30年のあいだ世間をだましてきた人物をみてとっている人々は、このような新しい証拠によっても、説得されることはないであろう。
モーリス・ブランショ」



内容:

序 (エドモン・ボニオ)
 
イジチュールまたはエルベノンの狂気
 [緒言]
 [要旨]
 Ⅰ 真夜
 Ⅱ 部屋から出る
 Ⅲ イジチュールの生涯
 Ⅳ さいころ投げ
 Ⅴ 遺骸の上の睡眠
 
註解
 タッチ
 Ⅱ 部屋から出ることの若干の草案
 Γ
 Δ
 Ε
 Ⅵ 母の禁止にもかかわらず墓にあそびに行く

原註
訳註

訳者あとがき



マラルメ イジチュール 02




こちらもご参照ください:

ステファヌ・マラルメ 『骰子一擲』 秋山澄夫 訳



































































































ステファヌ・マラルメ 『骰子一擲』 秋山澄夫 訳

ステファヌ・マラルメ 
『骰子一擲』
秋山澄夫 訳


思潮社 
1984年12月1日 改訂版第1刷発行
82p(うち別丁図版24p)
22×14cm 並装 カバー 
定価1,200円



本書「日本語訳・骰子一擲・ノート」(1968年3月)より:
 
「この作品は、作者の死の前年、1897年5月、〈コスモポリス〉という雑誌に掲載され、後に、豪華単行本として出版されることになり、死の直前まで手を入れていたようであるが、1898年9月9日の突然の死のため、そのままになってしまった。(中略)死後15年以上経過した1914年に、女婿のボニオ氏その他の尽力で、nrf 社から大型普及版として刊行された。この版の基礎となったとおもわれる作者自筆の校正刷りは、その後、約半世紀間ゆくえがわからなかったが、1960年の秋、パリの稀覯本商ピエール・ベレース氏の売立目録に載り、これが或アメリカ人の手に買い取られた。スタンフォード大学のマラルメ学者ロバート・グリア・コーン氏の近著にその写真が掲載されたのを機会に、思潮社に於いて決定版テクストの校訂が企画され、ここに日本語訳と同時刊行の実現を見たわけである。」


本書「あとがき」より:

「昭和42、3年の交、『骰子一擲』を『仏文テクスト』と共に、『イジチュール』の訳も添えて3冊1セットとし、(中略)大判100部限定版として刊行したことは前掲〈ノート〉に記載したとおりであるが、その際同時に『骰子一擲』のみを別に小型普及版として刊行する予定であった。が諸般の事情のため、『イジチュール』が先に普及本として流布し、『骰子一擲』の方は(中略)今日にいたってやっとここに実現をみたわけである。
 普及版上梓に当って全体を再検討し、やや飽き足りないところの眼についた〈序〉を改訳、しかし作品そのものの方は手つかずそのままとした。」



Stéphane Mallarmé: Un coup de dés jamais n'abolira le hasard


マラルメ 骰子一擲 01


帯文:

「死の直前まで校正刷りに手を入れ完璧を期していたマラルメ最後の著作。〈なぜ世界はかくあらねばならないか〉。マラルメは激しく問い返す。〈かくある必要はいささかもなし〉。最後の朱入れ校正刷りを挿入した決定訳。」


帯背:

「言語の内面の音楽性と
外面の造型性との統合」



マラルメ 骰子一擲 02


内容:


骰子一擲いかで偶然を廃棄すべき
Le texte inédit
最後のマラルメ

日本語訳・骰子一擲・ノート/あとがき (訳者)



マラルメ 骰子一擲 03




こちらもご参照ください:

ステファヌ・マラルメ 『イジチュールまたはエルベノンの狂気』 秋山澄夫 訳
Stéphane Mallarmé 『Autobiographie: Lettre à Verlaine』










































『マラルメ 詩と散文』 松室三郎 訳 (筑摩叢書)

「ああ 肉体は悲しい、それに私は すべての書物を読んでしまった。」
(マラルメ 「海の微風」 より)


ステファヌ・マラルメ 
『マラルメ 詩と散文』
松室三郎 訳

筑摩叢書 313

筑摩書房
1987年8月31日 初版第1刷発行 
1991年5月10日 初版第3刷発行
230p 口絵(モノクロ)2p 折込1葉
四六判 並装 カバー 
定価1,750円(本体1,699円)
装幀: 原弘



本書「あとがき」より:

「翻訳するに当たって私なりの工夫はしてみたものの、殊にマラルメ後期詩篇の中核であるソネにいたっては、いかに試行錯誤を重ねようと、その精妙きわまりない構造を異質の国語の上で再現することなどできる筈がなく、翻訳の提示だけでは当初の意図には程遠いとの感を免れることがどうしてもできなかった。そこで、ソネの中のせめて一篇なりと、訳者と共に身近なものとして読んでいただきたいという願いから、マラルメのソネ中の白眉とされる一篇をとり上げて私なりの読解の試みを活字にし、これを本書の第二の柱とした次第である。(中略)かくして本書は、
 ステファヌ・マラルメ『詩と散文』第二版
の全訳、および
 拙論「タイムカプセル 《マラルメ一九五五年》を今…」
の二部より成るが、後者は、私が一九六七年春、季刊《世界文学》6号(冨山房)に「『葬の乾杯』について」を公にして以来、雑誌掲載の形で続行して来たマラルメ後期詩篇註釈ノートの4に相当する。」



Stephane Mallarme: Vers et prose (2eme edition), 1893
口絵はマラルメ肖像(ホイッスラーによる石版画)と「-yx のソネ」1868年稿自筆原稿。


マラルメ 詩と散文 01


目次:

緒言
 
Ⅰ 韻文詩
  あらわれ
  窓
  ためいき
  花々
  海の微風
  青空
  詩の贈りもの
 ソネ
  懲らされ道化
  夏の悲しみ
  [――けがれなく、生気にみちて、美しい今日……]
  [――倨傲にも勝ち誇って 美しい自殺を遁れ……]
  [――その純らかな爪が 高々と 縞瑪瑙をかかげて、……]
  [――パフォスの名の上に わが古書は閉じられ、……]
  [――お前の歴史のなかに入りこむことは……]
  [――時間の芳香のしみこんだ如何なる絹も……]
  [――この夕べ、誇らしい自負心のすべては、……]
  [――かりそめの脆いギヤマンの……]
  [――窓掛のレースは いつしか消えて……]
 プローズ (デ・ゼッサントのために)
 エロディヤード 断章
 半獣神の午後 田園詩
 
Ⅱ 散文
 ポー詩抄
  ソネ エドガー・ポーの墓 (エピグラフ)
  大鴉
  ユーラリューム
  眠る女
 いくばくかのページ
  末来の現象
  秋の嘆き
  冬のおののき
  パイプ
  ラ・ペニュルティエーム
  栄光
  白い睡蓮
  聖職者
  『ヴァテック』要約のための断章
  ヴィリエ・ド・リラダン 回想
  第一逍遥遊 詩句に関して
  第二逍遥遊 祭式

    *

タイムカプセル 《マラルメ一九五五年》を今… 
――後期ソネ註釈の試み―― (松室三郎)

あとがき (松室三郎)
[口絵説明]




◆本書より◆


「秋の嘆き」より:

「マリアが私を後(あと)に、他の星に行ってしまって――どの星だろう、オリオンか、アルタイルか、それともお前、緑青色の金星だろうか――それ以来私はいつも孤独というものに心惹かれてきた。なんと多くの長い日々を、私は唯独り、私の猫と一緒にすごしてきたことか。「唯独り」というのは、私にとっては、物質的な存在なしにということで、私の猫は、神秘的な伴侶であり、精霊(せいれい)だ。だから私は、長い一日一日を、私の猫と一緒に唯独り、それからまた、唯独り、ラテン頽廃期の最後の作家の一人と一緒にすごしたと言える。それは、あの白い女性がもういなくなってからというもの、なぜだか、妙に私は、「凋落」という言葉に要約されるあらゆるものを愛してきたからだ。」




こちらもご参照ください:

Stéphane Mallarmé 『Autobiographie: Lettre à Verlaine』










































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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