副島輝人 『日本フリージャズ史』

「ジャズをやるってことは、何かヤバイ暗い地下への階段を降りるみたいな感じだった。だけど、俺はあえてそれを降りて、飛び込んでしまったんだ」
(坂田明)


副島輝人
『日本フリージャズ史』


青土社 
2002年4月30日 第1刷発行 
400p 索引・文献・資料 xxii
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,800円(税別)
装幀: 松田行正



本文中図版(モノクロ)多数。
ちなみにわたしが尊敬する日本のフリージャズの人は吉沢元治です。


副島輝人 日本フリージャズ史 01


帯文:

「一撃で世界を覆す〈音〉が
夜ごと放たれていた…………

60年代末、擾乱の時代の旗頭として登場した日本のフリージャズは、
世界を先取りする屹立した表現を生み出してきた。
揺籃期から今日までミュージシャンと共闘して
シーンを切り拓いてきた著者が証す、渾身の書き下ろし。」



帯背:

「叛音楽史覚書」


目次:

第1章 自立への鳴動
 新世紀音楽研究所の運動
 フライデー・ジャズ・コーナーの実験的演奏
 日本のジャズ自立への意識
 ジャズ・ギャラリー8の開店
 日本初のフリージャズ・グループ、富樫雅彦カルテット
 渡辺貞夫の帰国と、世界のフリージャズ情況

第2章 日本フリージャズの確立と展開
 ジャズは銀座から新宿に移る
 新宿ピットイン
 初期の山下洋輔グループ
 ニュー・クリティシズムの台頭
 吉沢元治トリオ
 富樫雅彦の活動
 初期の佐藤允彦トリオ
 ESSGというグループ
 形相のジャズ・山下洋輔トリオ
 ジャズ界組織化への幻想
 日本初のフリージャズ・コンサート
 山下洋輔のコンセプト
 富樫雅彦のコンセプト
 高柳昌行の主張と佐藤允彦のメソッド
 フリージャズの意味と方法
 高柳昌行ニュー・ディレクション
 フリージャズにおける空間の概念

第3章 突出した前衛として
 ニュージャズ・ホールの創設と富樫の事故
 映画『連続射殺魔』とレコード『アイソレーション』
 高柳昌行のニュージャズ・ホール離脱
 阿部薫という男
 阿部薫の生と死
 ナウ・ミュージック・アンサンブルの出現と、その時代背景
 ナウ・ミュージック・アンサンブル――過激から狂気へ
 ナウ・ミュージック・アンサンブル――聴衆への挑発
 六〇年代イヴェントの突出度
 タージ・マハル旅行団
 ニュージャズ・シンジケート
 現代詩との共演
 アンダーグラウンド映画との提携
 沖至のイメージするもの
 高木元輝と豊住芳三郎の抽象的対話
 がらん堂
 コンポーザーズ・オーケストラ
 ニュージャズ、地方に進出
 ニュージャズ・ホールの閉幕

第4章 栄光の時代
 プルチネラ・ライヴの発足
 プルチネラを襲った低気圧と高気圧
 坂田明の登場
 梅津和時、片山広明、近藤等則等の出現
 ミクスド・メディアのイヴェント『グローバル・アート・ヴィジョン♯71』
 暗黒舞踏『四季のための二十七晩』への参加
 第一回フリージャズ大祭『インスピレーション&パワー14』
 豊住・高木の外遊と、沖のフランス移住
 山下洋輔トリオのヨーロッパ大遠征
 『スピリチュアル・ネイチャー』
 『四月は残酷な月だ』
 『インスピレーション&パワー Vol.Ⅱ』
 佐藤允彦ソロ・ピアノ三部作
 金井英人とキングス・ロアー
 中村達也の創造的オリジナル楽器

第5章 ポップ・アヴァンギャルドの創出
 明田川荘之の『アケタの店』と、八王子『アローン』の梅津和時
 井上敬三の登場
 半夏舎と間章の死
 近藤等則の脱日本的あり方
 日本発ポップ・アヴァンギャルド
 坂田明の場合
 『どくとる梅津バンド』
 フリージャズ第一世代の動向
 『藤川義明&イースタシア・オーケストラ』
 フリージャズ vs 現代音楽――『パンムジーク・フェスティバル16東京』
 海外フリージャズ・ミュージシャンの招聘
 『メールス・ジャズ祭』への進出
 世界的視野から見たポップ・アヴァンギャルド
 ミュージシャンと批評家の関係の一例
 『スタジオ200』での『月例インスピレーション&パワー』

第6章 越境と変貌
 〈無国籍/無境界〉音楽
 価値紊乱者、ジョン・ゾーン
 邦楽との遺伝子交換
 富樫雅彦と映画『千年刻みの日時計』
 アジアからの風、姜泰煥
 高瀬アキと橋本一子
 新しい俊英たち
 “熱さ”について
 高柳昌行のアクション・ダイレクトという方法
 逝ける人々

第7章 今日から更なる明日に向けて
 九〇年代俯瞰
 大友良英の新しい音への挑戦
 不破大輔『渋さ知らズ』の疾走

あとがき
参考文献・資料
人名・グループ名索引



副島輝人 日本フリージャズ史 02



◆本書より◆


「普段でも阿部(引用者注: 阿部薫)の意識は、彼の演奏のように日常的世界から飛んでいたようだ。しばらく姿を見せないことがあった後、人に聞かれると「ヨーロッパを巡っていた」とか「アルゼンチンに行って戦争に参加していた」と答える。それを冗談とも思えないクールな真面目さで云うのだ。(中略)幡ヶ谷のジャズ・スポット『騒(がや)』に、少女のメイクをしてランドセルを背負い、ニコリともしないで現れたのは有名な話だ。」

「阿部自身が語ったり書きつけたりしたものから、二、三選び出してみる。

 ――七四年八月十六日の軍楽隊のコンサートについてですけど、軍楽隊を組織した目的みたいなものは何ですか。
  阿部 それは人間の敵というか、生命の敵に突撃する為に創ったんです。生きるという事が、かなりコントロールされているし、感受性なんかも本当は自分のものを持っていても、他から持ってこられた感受性である場合が非常に多いんじゃないかと思うんです。それは目に見えないものなんだけれども、やっぱりある種の生きて行く上での敵というものがあると思うし、それに向って突っ込んでいくみたいな事で、僕は創ったんです。別に政治的意図なんていうのはありません。」
「――演奏している時は、どんな感じなんですか。
  阿部 どんな感じって……音を出すという事に徹している。よく愛だの平和だの言うけど、僕の場合は、それがない訳ね。憎悪の感ていうのが、ものすごくあって、それがあればある程、僕は良い音が出せると思うし。(月刊『音楽』誌七四年八月号)」
「判断の停止をもたらす音。消えない音。あらゆるイメージからすりぬける音。死と生誕の両方からくる音。死ぬ音。そこにある音。永遠の禁断症状の音。私有できない音。発狂する音。宇宙にあふれる音。音の音……。(『スイングジャーナル』誌七〇年四月号)」

「吉沢元治も、九八年九月十二日に世を去った。彼もまた肝臓を病んで、長い闘病の日々を送った後のことだった。ジャズ・ミュージシャンは、例え肉体がボロボロになっていてもステージに立ち、観客に裸の心を晒して表現行為を行うのだから、ライヴを見ていても痛々しい。しかし、それが人間の生きざまとして、人々を感動させる。
 三十年近くも昔、若い元気な吉沢が言った言葉が思い出される。
 「ジャズを分ろうと思ったら、まずジャズマンってものを分ってもらわなくっちゃ」
 その通りだと思う。とりわけ吉沢の場合は、自分の心の赴くままに、自由な風のように生きていた人だったし、彼の心は極めてストレートに音楽となっていた。
 彼は七〇年代に入った後は、自分のグループを作ることはもとより、特定のバンドのメンバーにさえ絶対に加わろうとはしなかった。風のような一匹狼だった。」
「彼の旅も生き方も、即興的なのである。私は、ふと捨聖と呼ばれた一遍上人を思い出す。来りては、また去って行く。説法の代りに、心おもむくままのベースを弾いて。何に執着する訳でもない。」
「吉沢が最後に見出した究極の共演者は、知的障害を持つ僧のグループ『ギャーテーズ』だった。吉沢は彼等の中に飛び込んで演奏した。死の一年くらい前だったか、電話で話した時に吉沢は
 「彼等はいいよ。お経を合わせて唱えることも難しい連中なんだけど、その代り一人一人が全く純粋な心で声を出すんだ。これが本当のインプロヴァイジング・ミュージックだな」
と嬉しそうだった。」

































































































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A. B. Spellman 『Four Jazz Lives』

A. B. Spellman 
『Four Jazz Lives』

With a new introduction by the author

University of Michigan Press/Ann Arbor, 2004, 4th printing 2007
xxiv, 249pp, 21x14cm, paperback

Bibliographies and discographies prepared by Robert Bander
Originally published under the title "Four Lives in the Bebop Business" by Pantheon Books, Later published as "Black Music: Four Lives"



A・B・スペルマン『Four Lives in the Bebop Business』(1966年)の新版です。セシル・テイラー、オーネット・コールマン、ハービー・ニコルス、ジャッキー・マクリーンの四人にそれぞれ一章を当てて、本人の証言を交えつつ論じていますが、中でもハービー・ニコルスの章は貴重であります。
彼ら革新的なジャズ・ミュージシャンがレコード会社やジャズクラブすなわち「ビーバップ・ビジネス」の世界でいかに搾取され不遇を強いられたかが本書の主要テーマであります。
著者によれば、オーネット・コールマンとセシル・テイラー、そしてジョン・コルトレーンが、1960年代のニュー・ジャズにおける最重要人物ですが、コルトレーンは本人が辞退したため本書からは外されています。
ジャッキー・マクリーンはチャーリー・パーカーやセロニアス・モンク、バド・パウエルらの興味深いエピソードを語っています。


spellman - four jazz lives


Contents:

Introduction to the New Edition
Introduction to the Original Edition

I. Cecil Taylor
II. Ornette Coleman
III. Herbie Nichols
IV. Jackie McLean

Selected Bibliographies and Discographies
Index




◆本書より◆


「Herbie Nichols」より:

「He also did a great deal of reading; he calls himself, in his written sketch, "a poetaster and great lover of all things scholarly."」

(彼は本もたくさん読んだ。彼は「学問的なことがだいすきなへぼ詩人」と自己規定している。)

「Herbie had been writing and working on his style all through this period: "I thought then that I was ready, and I looked around to find some work as a leader. I wanted to get my thing across. But somehow things never seemed to fall my way. The owners used to think that I was too far out. I've actually had guys tell me that they would hire me if I changed my style. Now I didn't mind playing any style when I was working for somebody else. I think it's good for a musician to be able to play more than one way - it gives you more things you can do in your own style. But if it's going to be the Herbie Nichols Trio, then it's going to be Herbie Nichol's music."」

(ハービーはこの時期ずっと自分のスタイルを貫いてきた。「そろそろ頃合だと考えてリーダーの仕事を探したけれど、うまく運ばなかった。ジャズクラブのオーナーからすればファーアウトしすぎているようにおもえたのだろう、スタイルを変えれば使ってやるといわれたこともある。誰かのバンドで演奏するならどんなスタイルでもやるし、いろんなスタイルで演奏できるのはいいことだ。だけど自分のトリオでやるとなれば話は別だ、ハービー・ニコルスの音楽でないと意味がない。」)

「He knew Thelonious Monk; during this time they talked a lot and listened to one another's work. (,,,) Herbie saw Monk's music for what it was: a serious advancement in jazz, and a great individual expression. (...) "Monk is a good example of how irresponsible critics are. Now I like Monk. He's a friend of mine and a great composer and musician. I wrote Monk up for a Negro magazine, the *Music Dial*, back in 1946 before he had recorded for Blue Note. I was honest. I knew people hadn't caught on to him, but I raved about him anyway. Leonard Feather and those other people didn't even know what he was doing; they hated him. Nowadays if you say anything against Monk you're a dog. But do you know that Monk's music hasn't changed from 1939 until now? That shows critics haven't been doing what they're responsible to do."」

(彼はセロニアス・モンクと知り合いで、当時よく話し合い、互いの音楽を聴きにいった。ハービーはモンクの音楽はジャズにおける重要な発展であり、偉大な個性の表現であると見なしていた。「モンクのケースは批評家というものがいかにいいかげんかということのいい例だ。1946年に私が雑誌にモンクを讃える記事を書いたときには、彼はまだブルーノートに録音する前で、レナード・フェザーのような人たちはモンクの真価に気づかず、彼を嫌っていた。今ではモンクがわからないなどといえば野暮の骨頂だけど、モンクの音楽は1939年からちっとも変わっていないんだ。」)

「Herbie never got anywhere, except to Blue Note records for one period in the spring and summer of 1955. When I saw him last, in his sister's apartment in a low-income district in the Bronx, he seemed to be dying of disillusionment. He knew his worth, but it seemed that nobody else did, at least nobody that could improve his condition. The last thing he said to me was: "I'm not making $60 a week. I'm trying to sell some copyrights, but if you don't have somebody behind you in this country, you die. I wish I could get some African government, Ghana, for instance, interested in my music and to give me a job teaching, maybe; now that would be a very good thing." It was typical of Herbie Nichols' life that *Metronome*, the magazine for which I was preparing the first article ever written on him, folded before the article could be published. By the time I placed it elsewhere, Herbie had died.」

(ハービーは結局うまくいかなくて、1955年の春から夏にかけてブルーノートに吹き込んだのがせいぜいだった。最後に会ったときは、ブロンクスの貧民街の姉の家で失意のどん底で死にかけていた。自分で自分の値打ちは知っていたけれど、他人にわからせることができなかったし、わかる人がいたとしても彼のためにどうする手立てもなかった。彼が私に言った最後のことばは「週に60ドルも稼げない。版権を売りたい。この国では後ろだてのない者は死ぬしかない。ガーナあたりの政府で音楽教師に雇ってくれたらどんなにいいだろう」というものだった。彼について書かれた最初の評論を、私は「メトロノーム」誌に準備していたが、掲載される前に廃刊になり、ようやく別の雑誌に載ったときにはハービーは死んでいた。)


「Jackie McLean」より:

「"I think that some people *should* be junkies. I don't think that I should have been a junkie, but I really think that some people should be tied down and injected with narcotics, especially the ignorant people who think they know all about it. The people who have so much to say about it and pass as authorities on it, I think that they're the ones that should have to live with it. Those that think that you can kick it, it's in the mind, and those people that think all drug addicts are just useless and worthless criminals and all that, I think that they ought to be tied to a tree and injected and left there and someone should come back and give them an injection every day until they're hooked and then cut the rope loose and see what they do to get their narcotics every day. Let them see if they can just stop, see if it's just in the mind. (...) You need some kind of crutch, liquor, pills, or something, to live in our society."」

(「ある種の人間はジャンキーになるべきだ。私は自分がジャンキーになるべきだったとは考えないけれど、世の中にはむりやり縛りつけてでも麻薬を注射してやるべき奴らがいる、なんでもわかったつもりでいる無関心な人間どもがそうだ。権威づらをしてえらそうなことをいっているような連中こそ、クスリをやるべきだ。やめられないのは精神力が足りないからだとか、ヤク中はみんなクズでなんの値打ちもない犯罪者だとかそういったたぐいの考え方をする奴らは、木に縛りつけて毎日注射をして中毒させてから縄を解いてやって、どうするか様子をみてやればいい。この社会では誰でも何か支えになるもの、酒とか薬とかなんらかのものに依存して生きているんだ。」)



◆感想◆


わたしはクスリといえばバファリンしかのんだことがないのでいけないおくすりのことはよくわかりませんが、本&古本に依存して生きています。社会に適合するためには本なんかよまないほうがよいことは重々理解しているのですが、精神力が弱いので本をよむのをやめられないです。本を買う金を手に入れるために深夜に皿洗い&トイレ清掃を働いてしまったことさえあります(たいへん後悔しています)。リア充の人などは木にしばりつけて『失われた時を求めて』をよませて読書ジャンキーにしてやるがよいです。

























































































清水俊彦 『ジャズ・オルタナティヴ』

清水俊彦 
『ジャズ・オルタナティヴ』
 

青土社 
1996年11月30日 第1刷印刷
1996年12月20日 第1刷発行
376p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,884円(本体2,800円)
装幀: 戸田ツトム+岡孝治



本文中図版(モノクロ)多数。

駿河屋で注文しておいた古本が届いたので、イタリア文学再読計画の途中ではありますが、中断してそっちをよんでみました。『世界図絵』『世紀末中国のかわら版』『遠景・雀・復活』『鏡と街』そして本書、計3,400円でした。


清水俊彦 ジャズオルタナティヴ


帯文:

「音楽の
永久革命
のために

ニューヨーク新即興派をはじめとする
音楽の新しい実験者たちは、
ジャズの先端を駆け抜け、境界をくい破りながら、
たえず突然変異を遂げて、
われわれの断片化された世界に挑んでいる。
不断にうみだされる最新の動向に耳をそばだて、
そして投げ返された、
43組/71本におよぶクリティック・ノーツ集成。」



帯背:

「変容する
ジャズの前衛」



目次:

はじめに

第1部 From NY downtown scene
 ジョン・ゾーン John Zorn
  ・ふたたび出現しつつある〈呪われた部分の暴力〉
   ジョン・ゾーンのAVANTレーベルと
   その第一作『ヘレティック(異教徒)』について
  ・ロウアー・イースト・サイドのノイズ・メーカーたちが、
   ソニー・クラークに讃辞を呈した。
   ソニー・クラーク・メモリアル・カルテットの『ヴードゥー』について
  ・ジョン・ゾーンの『コブラ』について
  ・ジョン・ゾーンの『スピレーン』『ニューズ・フォー・ルル』のことなど
  ・べらぼうなハードコアが支配する――『スパイvsスパイ』について
  ・ジョン・ゾーンの『ネイキッド・シティ』は
   ネクスト・ウェイヴの先端を行く
  ・ジョン・ゾーンとネイキッド・シティの三枚のアルバムについて
  ・ジョン・ゾーンの『マサダ』をめぐって
 ビル・フリゼール Bill Frisell
  ・〈Tokyo Music Joy '91〉での
   ビル・フリゼールと彼のバンドの演奏は実に刺戟的だった
  ・リリカルな旋律からめくるめく音の塊に炸裂するビル・フリゼールの断言
  ・ビル・フリゼール――
   宙を舞うペダル・スティールの化身から金属的な機銃掃射へ
 ウェイン・ホーヴィッツ Wayne Horvitz
  ・ダウンタウン・シーンの重要人物のひとりである
   ウェイン・ホーヴィッツと彼の音楽について
  ・ニューヨーク・コンポーザーズ・オーケストラとウェイン・ホーヴィッツ
 フレッド・フリス Fred Frith
  ・突然の介入者あるいはたった二人だけの〈オーケストラ〉による
   ロックの解体学――スケルトン・クルー日本公演’83
  ・フレッド・フリスと彼の『ステップ・アクロス・ダ・ボーダー/
   ミュージック・フォー・ザ・フィルム』について
  ・フレッド・フリスとジーナ・パーキンスの近況の一端について
 エリオット・シャープ Elliott Sharp
  ・秩序と無秩序の接点から噴出する音波の混沌が放射する――
   エリオット・シャープの世界
  ・エリオット・シャープは痛烈な美しさで挑んでくる――
   問題は素材が働いているか否かにある
 クリスチャン・マークレイ Christian Marclay
  ・クリスチャン・マークレイのターンテーブル
 ティム・バーン Tim Berne
  ・ミニアチュール
   『アイ・キャント・プット・マイ・フィンガー・オン・イット』
  ・ティム・バーン『ナイス・ヴュー』について
 ローレンス・“ブッチ”・モリス Lorence 'Butch' Morris
  ・ブッチ・モリスのコンダクション――
   狂気と錯乱の王国へと誘いこむ美しさ、そして魂の記録
  ・いま動いている心のサウンド――
   心が夢を見るブッチ・モリスのメタファー
 ヘンリー・スレッギル Henry Threadgill 
  ・ヘンリー・スレッギル・セクステットの『ユー・ノウ・ザ・ナンバー』
  ・ヘンリー・スレッギルのユニット、ヴェリー・ヴェリー・サークル
  ・ヘンリー・スレッギルの『キャリー・ザ・デイ』
 レジー・ワークマン Reggie Workman
  ・レジー・ワークマンの新しいアンサンブルと
   ニッティング・ファクトリーでのそのライヴ・レコーディング
   『イメージズ』について
 チャールズ・ゲイル Charles Gayle
  ・フリー・ジャズは生きている! チャールズ・ゲイルについて
 ジェイムズ・ブラッド・ウルマー James Blood Ulmer
  ・ジェイムズ・ブラッド・ウルマーの
   『ミュージック・リヴェレーション・アンサンブル: ザ・ネイム・オヴ……』
   をめぐって
 N-BASE
  ・ラウンド・アバウトM-BASE
  ・スティーヴ・コールマン&ファイヴ・エレメンツ
   『ザ・タオ・オヴ・マッド・ファット』
  ・グレッグ・オズビー『3Dライフスタイルズ』
  ・ジャン-ポール・ブレリー『ブラッカデリック・ブルー』
 ドン・バイロン Don Byron
  ・ポスト・モダン・ワールドを浮動するドン・バイロンの折衷主義の精神
 ザ・ジャズ・パッセンジャーズ The Jazz Passengers
  ・ザ・ジャズ・パッセンジャーズの
   『ライヴ・アット・ザ・ニッティング・ファクトリー』について
 ロイ・ナサンソン/アンソニー・コールマン Roy Nathanson / Anthony Coleman
  ・フリー・サンプル――
   ロイ・ナサンソンとアンソニー・コールマンの機知に富んだ企て
 ユニヴァーサル・コングレス・オヴ Universal Congress Of
  ・ハーモロディック・パンクとユニヴァーサル・コングレス・オヴの新作
 ボブ・オスタータグ Bob Ostertag
  ・ボブ・オスタータグのゲイ・ミュージック
 トーマス・チェイピン Thomas Chapin
  ・トーマス・チェイピンの『アニマ』について
 マーティ・アーリック Marty Ehrlic
  ・暗い響きを持つものには“魔力”がある――
   マーティ・アーリックと彼のダーク・ウッズ・アンサンブル
 マイラ・メルフォード Myra Melford
  ・広範な評価を獲得しつつある
   マイラ・メルフォードと彼女のトリオ・アルバム
   『アライヴ・イン・ザ・ハウス・オヴ・セインツ』について
  ・独創的なピアニスト、マイラ・メルフォード
   彼女の新作『マイラ・メルフォード・エクステンデッド・アンサンブル: イーヴン・ザ・サウンド・シャイン』について
 マリリン・クリスペル Marilyn Crispell
  ・マリリン・クリスペルに注目しよう
 ブランダン・ロス Brandon Ross
  ・ジャズの戦士: ブランダン・ロスはどうしているのか?

第2部 freedom principle
 サン・ラ Sun Ra
  ・サン・ラ・アーケストラ『ライヴ・フロム・サウンドスケイプ』について
  ・太陽系/サン・ラにまつわるエピソード――
   “これがわれわれの場所だ”
 オーネット・コールマン Ornette Coleman
  ・オーネット・コールマンの『イン・オール・ランゲージズ』について
  ・オーネット・コールマンの『トーン・ダイヤリング』について
 セシル・テイラー Cecil Taylor
  ・セシル・テイラーの新しいユニットのすばらしさと
   詩の朗誦の意味深長さについて
  ・ベルリンのセシル・テイラー
 アンソニー・ブラクストン Anthony Braxton
  ・アンソニー・ブラクストンがモンクの六曲を演奏した
  ・アンソニー・ブラクストン『タウン・ホール1972』CD化によせて
 ジョセフ・ジャーマン Joseph Jarman
  ・ジョセフ・ジャーマンの『ポエム・ソング』
 ハル・ラッセル Hal Russell
  ・シカゴのジャズの反逆児ハル・ラッセルの生涯と時代と音楽
   『ハル・ラッセルNRGアンサンブル/ライヴ』
 スティーヴ・レイシー Steve Lacy
  ・スティーヴ・レイシーのスウィート・ベイジルでのライヴ録音について
 ポール・ブレイ Paul Bley
  ・ポール・ブレイの『ハンズ・オン』について
 ワールド・サキソフォン・カルテット World Saxophone Quartet
  ・ワールド・サキソフォン・カルテット&アフリカン・ドラムス
   『メタモアフォシス』
 ジュリアス・ヘンフィル Julius Hemphil
  ・ジュリアス・ヘンフィルと彼の二枚の新作について
 デイヴィッド・マレイ David Murray
  ・デイヴィッド・マレイのオクテット・アルバム
  ・デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド

第3部 the forever bad blues
 ラ・モンテ・ヤング La Monte Young
  ・ラ・モンテ・ヤング/ザ・フォーエヴァー・バッド・ブルース・バンド
   『ヤングス・ドリアン・ブルース・インG』
 テリー・ライリー/クロノス・カルテット Terry Reily / Kronos Quartet
  ・テリー・ライリー/クロノス・カルテット
   『カデンツァ・オン・ザ・ナイト・プレイン』
 フィリップ・グラス Philip Glass
  ・ジョン・ケージ以降――フィリップ・グラスの場合
 アンソニー・デイヴィス Anthony Davis
  ・アンソニー・デイヴィスのオペラ
   『X ザ・ライフ・アンド・タイムズ・オヴ・マルコムX』について
 フランク・ザッパ Frank Zappa
  ・フランク・ザッパのたどった道程についての断片的な考察
 ガイ・クルセヴェック Guy Klucevsek
  ・ガイ・クルセヴェックとポルカの逆襲

第4部 the sound and the fury
 高柳昌行 Masayuki 'Jojo' Takayanagi
  ・響きと怒り――
   高柳昌行〈アクション・ダイレクト〉について
  ・高柳昌行ニュー・ディレクション『ライヴ・インディペンデンス』について
  ・高柳昌行の『ロンリー・ウーマン』のCD化によせて
 阿部薫 Kaoru Abe
  ・阿部薫の『ラストデイト』について
 間章 Aquirax Aida
  ・アナーキーな開かれた音楽の地平へ向けて
   間章『この旅には終りはない』『僕はランチにでかける』

あとがき




◆本書より◆


「はじめに」より:

「本書でとりあげるアーティストならびに彼らがうみだしてきたシーンは、ジャズというただひとつの源泉から発したわけではない。その源流はいくつもあり、流れは紆余曲折を繰り返している。(中略)じつに様々なものを貪り吸収していくジャンルだけにそれを解剖することはきわめてむずかしい。それぞれのミュージシャンやアンサンブルや作品がそれぞれ異なる音楽的ヴォキャブラリーやテクニックや影響(必ずしもつねに音楽的な影響に限られるわけではない)を、すなわち、ひと組みの新たな目的論的可能性をもたらしているのだ。
 こうしたミュージシャンや作曲家をひとつの理論的な傘下に置こうとするのは意味のない試みかもしれない(そうするにはあまりにもスタイル上、理論上の矛盾が多すぎる)が、すでに述べたように、彼らに共通する顕著な特徴をいくつか指摘することはできる。別の見方をすれば、たとえば、民族音楽の深い理解を含めて、百科事典的な音楽の知識を持っていることもそうだし、進んで様々な流派の音楽を並置したり、作曲と即興をミックスしたりするのも特徴的だ。また、新しいテクノロジーや新しいメディアを実験したがること、権威や順応主義に敬意を払わないという健全な態度、さらに、あくまでも商業的な音楽のシステムの外側で活動を続けようとする頑固な決意(もちろんそこにもやはり健全な必然性が伴っている)も共通している。こういう点では、彼らの系図はフラクタルなもの、共通の美学的なルーツから様々な方向に同時に枝を伸ばしている系統樹と見なすことができるだろう。コンピューター・ソフトウェアに侵入する〈トロイの木馬〉ともいうべき手に負えないウィルスみたいに、それは急激に変化し、たえず突然変異を遂げてさらに新しい精妙な子孫を生み出し、われわれの断片化された世界に挑んでいる。」

「ここで強調しておきたかったのは次のようなことである。すなわち、取り上げたミュージシャン、作曲家とその作品をひとつにくくる要素は、いわば共通の態度、姿勢ともいうべきものである。それは文化的美学的規範に対する果敢な挑戦であり、合理主義的言語そのほかの社会的・政治的現実、消費的資本によって要求されながら、個々の人間を歪めていった言説への不信であり、したがってアーティストたるもの、コミュニケーションにおける従来の様式に唾を吐きかけるだけでなく、その自己表出のために必要とされるのは、抽象から脱して感覚と感情と結びついた、より〈正統的〉(本質的)な方法を見出さなければならないという決意である。」



「突然の介入者あるいはたった二人だけの〈オーケストラ〉によるロックの解体学――スケルトン・クルー日本公演’83」より:

「絶対に言わなければならないことは、形はどうであれ、さまざまな冒険をして、とにかく表現されねばならない。あらゆる断絶は、カッコつきの〈始源〉の瞬間に立ち戻る。つまり、どこか隅っこにいる誰かが、(中略)あまりにも整合しすぎるものすべて、自分はなにか別のことを言わなければならないと思わせるものすべて、そういったものすべてに、絶対に我慢できなくなった時にたち帰る。(中略)事物のそういう次元での介入・発言はつねに反抗行為なのだ。」


「クリスチャン・マークレイのターンテーブル」より:

「クリスチャン・マークレイが演奏するのを見ていると、彼のレコードに対する軽蔑の気持ちが伝わってくる。彼は五、六台のターンテーブルの前に立ち、トーンアームを押さえつけてサウンド・システムを通して音をたたき出し、用がすむと肩ごしにレコードを投げ捨てる。文字通り切り刻み、張り合わせたレコードから音のループを紡ぎ出し、レコードにつけた糊から大きなズシンという音を引き出すのだ。マークレイにとって、レコードは不可侵の、固定した、一握りの情報ではなく、常に変化する、操作を受ける側のものである。」
「この偶像に対する攻撃、これが、ジョン・ゾーンなどとともにニューヨーク・ダウンタウン・シーンの中心人物の一人であるマークレイがやっていること、少なくともその一つである。音楽会社の聖なる牛、レコードを取り上げて、それをたたきのめすことによって、彼はレコードを聴いたり、〈演奏〉したりするプロセスをもっと多方向的な、オープンなものにしているのだ。
 レコードが閉じられた、完成された記録ではないと考えているマークレイがやっているようなことをすれば、レコードは恒久的なものではなく、傷がついたり、何かほかの変化が起こることがあるのがわかるだろう。彼はメディアそのものを聴こうとしているのであり――音楽がすべてに優先するという念仏を唱えるのではなくて――メディアをオブジェ(モノ)にしてしまうようなものをつくっているのだ。ラップのDJたちも、やはり普通とは違う姿勢をとっている。彼らはレコードを音楽の完成品だとはみなしてはいない。つまり、(中略)レコードは〈アクティヴな〉かたちで使うことができると考えているのである。
 そのオープンなところがすばらしいと思う。なにしろ、ぼくらは音楽は作曲されるもので、ぼくらの前に差し出されたら、もうそれを変えてはならないという観念を植えつけられて育ってきたのだから……。」
「彼はもとの音楽に対して荒っぽいことをするだけでなく、音楽をエンターテイメントとして使うことを拒否している。(中略)「聴きたいかどうかに関わりなく、ぼくらはエレヴェーターや食料品店やいろんなところで音楽を聞かされている」とマークレイは言う、「音楽はそこにある。公けの存在物の一部として、ぼく自身の一部としてあるんだ。だから、ぼくは自分がやっていることが盗作だとは思わない」と。彼は情報をねじ曲げたり、それをもとにして何かをつくったり、修正したり、ノスタルジーをそそるようなかたちでそれを使ったりするのが好きなのだ。また、受動的な聴き手にとどまるのではなく、それと相互的に関わり合うのも好きなのだ。」





こちらもご参照ください:

清水俊彦 『ジャズ・アヴァンギャルド クロニクル1967-1989』



































































































































清水俊彦 『ジャズ・アヴァンギャルド クロニクル1967-1989』

「永遠に棘でありつづけること、それがコールマンの宿命であり、天賦の才能である。」
(清水俊彦 「フリー・ジャズの未来形」 より)


清水俊彦 
『ジャズ・アヴァンギャルド 
クロニクル 1967―1989』


青土社 
1990年7月5日 第1刷印刷
1990年7月20日 第1刷発行
433p 初出覚書1p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,600円(本体2,524円)
装幀: 戸田ツトム



清水俊彦の本は『ジャズ転生』をもっていたのですがうっかりして古書店に売ってしまいました。本書も出たときに買おうとおもって買い忘れていたのですが、今回アマゾンマケプレで600円(送料込)で売られていたので購入してみました。天にシミ、カバー&帯にイタミおよびカビ臭があるものの本文は良好でした。


清水俊彦 ジャズアヴァンギャルド 01


帯文:

「音楽の冒険者たち
20世紀を駆けぬける芸術のラディカリズムとして、
ジャズの先端に孕まれたアヴァンギャルドは、
さまざまな実験・解体・再生をかさね、
つねに同時代の芸術に対し、
鮮烈な挑発者でありつづけている。
音楽の冒険者たちが到達した極点をたどり、
その地平にジャズの新しい動向を予見。」



帯背:

「前衛ジャズの
行程」



帯裏:

「清水俊彦
一九二九年千葉県生れ。東京大学物理学科中退。故北園克衛に師事、詩を書くとともに、音楽批評、美術批評を書く。著書『清水俊彦ジャズノート』『ジャズ転生』(晶文社)、詩集『直立猿人』(書肆季節社)ほか。

[本書でとりあげられた
おもなアーティスト]
◎アート・アンサンブル・オヴ・シカゴ◎R・エイブラムス◎A・ブラクストン◎エアー◎S・レイシー◎D・ベイリー◎E・パーカー◎H・ベニンク◎O・コールマン◎J・B・ウルマー◎J・ゾーン◎S・コールマン◎ラスト・イグジット◎S・クリョーヒン◎B・フリゼール◎G・アレン」



カバー文:

「ネイキッド・シティ(Naked City)をはじめとして、ゾーンはハードコアの不穏な、反抗的態度や攻撃的な執拗さをさまざまなプロジェクトに利用しようとしている。しかも、この「Spy vs Spy」のなかでは、ハードコアはオーネットをふたたびさまざまなダウンタウン・ニューヨーク・シーン――オーネットの音楽そのものや、彼の飽くことなきパイオニア・スピリットが、このダウンタウン・シーンをつくり出すのに貢献し、それにエネルギーを与えつづけたのだ(ただし、ビル・フリゼールやジェリ・アレンの場合のように、亡きモンクの影響も無視するわけにはいかない)――に結びつける役割を果たしている。だから、ある意味では、ゾーンはハードコアを利用して、オーネットの音楽的系譜を拡大して、現在の予測できない方向へと結びつけ、それと同時に、過去にさかのぼるかたちで、その源であるオーネットの音楽を追認しているのである。…………………………」


清水俊彦 ジャズアヴァンギャルド 03


目次:

はじめに

1 シカゴ前衛派・AACM [’60年代後期―’70年代初期]
《フリー・ジャズの聖家族》の誕生 ロスコー・ミッチェル・セクステット『サウンド』
ユートピアをめぐるもうひとつの立場 リチャード・エイブラムス『レヴェルス・アンド・ディグリース・オヴ・ライト』『ヤング・アット・ハート/ワイズ・イン・タイム』
《集団的な記憶》をかき鳴らす永久祝祭の司祭たち アート・アンサンブル・オヴ・シカゴ『ピープル・イン・ソロウ(苦悩の人々)』
音楽、演劇、政治……あらゆる戦線におけるアタック ジョセフ・ジャーマン『ソング・フォー』
集団表現から個人的探求へ アンソニー・ブラクストン『フォー・アルト』

2 ニューヨーク・ロフト・ジャズとポスト・フリー [’70年代初期―中期]
《自由》の新しい定義をもとめて――ロフト・シーンとジャズの新しい波 サム・リヴァースのスタジオ・リヴビーから
インディペンデント・ジャズ――組織化するアーティストたちとジャズ・オーケストラの可能性 BAG/ヒューマン・アーツ・アンサンブル/CCC/JCOA
音楽的生存の戦術 フランク・ロウ+ラシッド・アリ『デュオ・エクスチェンジ』
歴史意識と即興表現の蜜月 エアー『エアー・ソング』
ポスト・フリーのパラダイムをきりひらく二人の先導者 スティーヴ・レイシー/アンソニー・ブラクストン
ジャズ・アヴァンギャルドの黎明よりつづくもうひとつの道 オーネット・コールマン

3 ヨーロッパ・フリー・ミュージック・シーン [’70年代後期]
《音楽の極北》あるいはフリー・インプロヴィゼーションの位相 デレク・ベイリー『デレク・ベイリー・ソロ』
イギリスのフリー・ミュージックの歩み エヴァン・パーカー+デレク・ベイリー+ハン・ベニンク『トポグラフィー・オヴ・ザ・ラングス』
ひらかれた即興集団カンパニーの誕生 マールテン・ファン・レグテレン・アルテナ+トリスタン・ホンジンガー+エヴァン・パーカー+デレク・ベイリー『カンパニー1』
予定調和への挑戦――カンパニーの実験と展開 エヴァン・パーカー+デレク・ベイリー+アンソニー・ブラクストン『カンパニー2』
ジャズの伝統からのラディカルな逸脱 ハン・ベニンク+デレク・ベイリー『カンパニー3』

4 ニュー・ウェイヴ・ジャズ [’80年代]
フリー・ジャズの未来形――ハーモロディックな流れ オーネット・コールマン+ジェームズ・ブラッド・ウルマー+ロナルド・シャノン・ジャクソン+ジャマラディーン・タクマ
音楽のポスト・モダンあるいは急速に変化する決定的に雑種の音楽 ジョン・ゾーン
表現媒体としてのM-Baseの提唱者とブルックリン=移植=軍団 スティーヴ・コールマン
ジャズを終わりのない冒険にむけて研ぎすましつづけること スティーヴ・レイシー『ザ・キッス』
’80年代の汎文化主義を払拭する《響きと怒り》 ラスト・イグジット『ライン・オブ・ファイヤー』
ソビエトのアヴァンギャルドの合流というメルクマールについて セルゲイ・クリョーヒン『ポリネシア~歴史概論』
エレクトロニクスと即興表現のインターフェイス リチャード・タイトルバウム『コンチェルト・グロッソ』
ギターと散乱 ビル・フリゼール
セロニアス・モンクの影――作曲と即興のバランス ジェリ・アレン

あとがきに代えて

前衛ジャズ関連年表
初出覚書



清水俊彦 ジャズアヴァンギャルド 02



◆本書より◆


「集団表現から個人的探求へ」より:

「本来は驚くべきことなのに、それがひんぱんに起こるので、いつの間にか当たり前のようになってしまうといった現象がよくあるが、ぼくがここでいおうとしているのは、七〇年代に入ってからソロ・アルバムが急にふえてきたということだ。(中略)つまり、かつてはピアニスト(中略)だけによって行われていたこの孤独な冒険は、この時点で他の楽器の演奏者のほとんどすべてに対して開かれるようになったのだ。
 これらのミュージシャンたちの大部分は、現実世界について多くの幻影を抱いていないし、革命的な態度もとってはいない。彼らを惹きつけているのは、個人的な解決を探し求めることだと考えられるが、その受け身の態度は明らかに離脱を示している。」
「「ぼくは曲のタイトルに好んで数学の公式を使いますが、実はそれは何も意味していないのです。というのは、何かをいおうと意図するのではなく、頭のなかを通過したものを書き記すにすぎないからです。それは世界についてのぼくのちょっとした考え、つまり不条理なのです。地球上のすべてのものが、ぼくには不条理に思われます。ぼくにとって人生は意義をもちません。(中略)すべてはぼくにとってどうでもよいことで、人がぼくに押しつける世界を辛うじて横切っていくことだけがすべてなのです……いいかえれば無関心と満足、この二つの言葉にぼくの哲学のすべてが要約されています。ぼくは楽しむ術を心得ており、外部からは何も期待しません。なぜなら、ぼくはうんざりするほど他人の倦怠を耐え忍んできたし、すでに十分自分自身の倦怠ともつき合わねばならなかったからです。」(ブラクストン『ジャズ・オット』誌、一九七一年四月号インタビュー)」
「アート・アンサンブル・オヴ・シカゴの面々とかアーチー・シェップのような《革命的》なミュージシャンたちと違って、彼らは《参加する》ことが絶対に必要だなどとは思っておらず、彼らにとって大切なのは自分自身であり、彼らは自分自身を音楽的に裸の状態に置いているのだ。たとえば、「数年前にぼくははじめてソロ・コンサートを開きましたが、その理由はただ一つ、もう一人の自分自身のようにぼくについて来る伴奏者が見つからなかったからです。ぼくはたった一人で演奏しながら、そのプロセスを思いどおりにコントロールしました。それはヒゲをそったり、風呂に入ったりしながら一人で歌をうたうようなもので、もっぱら楽しみのためなのです。」(ブラクストン/同じインタビュー)というように……。」
「こうした歩みのなかで意味をもってくるのは、政治的あるいは神秘的な企図(意味されるもの)ではなくて、ミュージシャン自身(意味するもの)である。つまり、彼らは社会の鏡としてのアーティストであるよりも、創造者としてのアーティストであることをより多く望んでいるのであり、そこでぼくらは個人の価値の回復という事態に直面するわけである。
 アンソニー・ブラクストンの論述の重要性が強調されねばならない理由の一つは、彼が、以上に述べたようなあり方を最もラディカルに生き抜いている、全く新しいヴォイスの一つであるからだ。」



「《音楽の極北》あるいはフリー・インプロヴィゼーションの位相」より:

「ヨーロッパの即興音楽のミュージシャンたちによる自己の利益の擁護は、もっと徹底している。レコード・ジャケットが手づくりである(中略)のもそのためである。つまり機械に頼るのではなく自分からいろいろな仕事に手を出しているのであり、アマチュア主義なのだ。それによって彼らの企ての統一性は強固になっており、それによって彼らは経済的、社会的な検閲をまぬがれているのである。そしてこのような“野蛮”な生産様式のおかげで、彼らには思いどおりのものを演奏する可能性が与えられているのだ。
 彼らはまた、芸術を、完成した生産物を、つまりは作品を引き渡すのを拒否することによって、活動の場を変えてしまった。その態度を謙虚というのは当たらない。むしろ首尾一貫しているように思われる。彼らにとって競争すること、資本主義のサーキットのなかで機能しているレコード会社と張り合うこと、そしてそれらと同じ音楽をつくり出すことなどは問題ではない。独自の機能を果たそうとするこうした意志は、リーダーがはっきりしたかたちで存在していないという事実にも示されている。そこで行われているのは、まぎれもない集団的な仕事なのだ。
 こうしたことの帰結として、発売されるレコードはドキュメントとして提出される。それは進行中の仕事の痕跡を記録する以外の何ものでもなく、それによって、彼らは規格化とか化石化とか同じ行為のくり返しといった危険を遠ざけている。この解決は別の面でも利益をもたらしている。すなわち彼らには、互いに出会ったり、外部の創造的なミュージシャンたち(中略)を招待したりしながら、今日の音楽の生きた力を、自分のまわりで触媒として作用させるといった可能性が与えられているのであり、動脈硬化や痙攣の発作から逃れることができるようになっているのだ。」
「では、こうした状況のなかで、ヨーロッパの即興音楽はどのように機能しているのだろうか。」
「まず最初にしなければならないのは、一見逆説的に見えるかもしれないが、この音楽がどのように機能しているかということよりも、どのように機能していないかということを明らかにすることである。なぜなら、くり返し述べてきたように、それは従来のジャズからはるかに逸脱しているからであり、この音楽にはその痕跡が見られないといった、いくつかの美学的/音楽的なモデルが存在しているからだ。
 《排除された最初のモデル》は、テーマ/インプロヴィゼーション/テーマという図式である。(中略)ある者たちにとっては、テーマという概念さえ博物館行きになろうとしている。」
「《排除された二番目のモデル》は、ソロイスト/リズム・セクションという伝統的な二分法であり、ヨーロッパの即興音楽のグループ構造はそれにもとづいてはいない。変革の対象になったのはとくにドラマーの役割であるが、他のミュージシャンたちも、グループやリーダーの考えがある範囲内で受け入れにくいと思った時には、それに従わずにもっと先へ進むこともできるのだ。原則にとらわれずに機能することは、プリミティヴな試みの一つにはちがいないが、同時にまた素晴らしいことでもある。」
「このようなヨーロッパの即興音楽について、作品をうんぬんするといったことはもはやできない。このことは、彼らがその組織の一つにつけたインスタント・コンポーザーズ・プールという名称にもはっきりと示されている。彼らの音楽はインスタント・コンポジション(即時的作曲とでもいうべきか)によっているわけだが、こうした概念が完成した作品にあてはまらないことは明らかである。それに接する時、最初にしなければならないのは、あるがままに聴くということだ。(中略)ぼくらはその解読を求められているのであり、それらは別の聴き方を規定し、別の聴き方を引き出そうとしているのだ。
 作品ではなく、それゆえに統一もなければ全体化もない。」

「以上のような状況のなかで即興言語のラディカルな拡張を企てながら、ヨーロッパの即興音楽の頂点に立っているのがデレク・ベイリーである。ベイリーについていえば、単なる言葉が彼の芸術的手腕のあり方を伝えることができるとはとても思えない。もし《ポスト・ウェーベルンのインプロヴァイザー》といった種類の概念があるとすれば、こうした用語によってこそベイリーの方向は真に説明されることができるだろう。」



「予定調和への挑戦」より:

「カンパニーを主宰するデレク・ベイリーがとくに避けようと思っていることは、彼がこれまでにつき合ってきたあらゆるグループのなかに彼が見出した傾向、つまり意識していると否とにかかわらず、同一と見なしうる、そしあて最終的には予測可能な《スタイル》の確立ということである。彼にとって集団音楽の最もエキサイティングな部分は、集団的なヴォキャブラリーが発展する以前の、形成の段階である。その点で、カンパニーは生きいきした真の実験の精神を維持するように計画されている。そして、そこに含まれるミュージシャンたちのすべてをつなぐ共通のきずなは、いうまでもなく彼らのすべてが音楽をつくるための手段としてフリー・インプロヴィゼーションを用いるということだ。しかもそれは非イディオマティックなインプロヴィゼーションであり、ミュージシャンたちがあらゆる種類のことをやれる領域である。彼らはそのなかに入っていき、演奏したいと思う音楽を見つけ出し、それを取り出して演奏することができる。しかし、それは思いのままに自由でありつづけようとする点で、何にもまして困難な仕事である。」


「ジャズの伝統からのラディカルな逸脱」より:

「カンパニーの音楽ひいてはヨーロッパの即興音楽について多くの場合いえることは、肉体的なものが音楽の場に荒々しく侵入してくることほど感動的なものはないということだ。」
「ある批評家によれば、「ヨーロッパの即興音楽はワイセツである。ベニンクは露出症であり、ブロッツマンはマザー・ファッカーであり、ブロイカーは恥知らずだ」という。ワイセツ性は今日では一種の流行のようなものであり、(中略)すでに一般に広く認められているものである。しかしヨーロッパの即興音楽では、プログラム化され、ショーの期待される要素として作用するようなワイセツ性は、ほとんど問題ではない。器質的でより確かなワイセツ性、いうなれば人が肉体を、束縛され閉ざされた状態から解放するや否やたちどころにあらわれてくるようなワイセツ性が問題なのだ。しかし、それゆえにそれは自由に途方も無く発展していく可能性を秘めているのであり、あえていえば音楽の擾乱にほかならない。そしてまた、それゆえにそれは(中略)ジャズの伝統からラディカルに逸脱しているのである。」




こちらもご参照下さい:

『間章著作集Ⅱ 〈なしくずしの死〉への覚書と断片』
植草甚一 『モダン・ジャズの発展』















































































Charles Mingus 『Beneath the Underdog』

「My music is evidence of my soul's will to live beyond my sperm's grave, my metathesis or eternal soul's new encasement. Loved and lovers, oneness, love.」


Charles Mingus 
『Beneath the Underdog』

Edited by Nel King

Vintage Books, Random House, Inc., New York, 1991
8+367pp, 20.5x13cm, paperback

Originally published in hardcover by Alfred A. Knopf, Inc., in 1971



チャールズ・ミンガスの自伝的小説。『負け犬の下で』のタイトルで日本語訳も出ています。


mingus - beneath the underdog


「Some names in this work have been changed and some of the characters and incidents are fictitious.」



◆本書より◆


「"In other words, I am three. One man stands forever in the middle, unconcerned, unmoved, watching, waiting to be allowed to express what he sees to the other two. The second man is like a frightened animal that attacks for fear of being attacked. Then there's an over-loving gentle person who lets people into the uttermost sacred temple of his being and he'll take insults and be trusting and sign contracts without reading them and get talked down to working cheap or for nothing, and when he realizes what's been done to him he feels like killing and destroying everything around him including himself for being so stupid. But he can't - he goes back inside himself."
 "Which one is real?"
 "They're *all* real."」


(「つまり、私は三人いるんだ。一人目はずっとまんなかにいて、無関心、無感動な傍観者で、黙り込んでいる。二人目は怯えた獣みたいで、攻撃されるのがこわくて自分から攻撃する。三人目は愛情深いおだやかな人物で他人がずかずかと土足で上がり込むにまかせ、なんでも頭から信じて、不利な契約をしてタダ働きさせられ、自分が何をされたかに後で気付いてまわりの全てや愚かな自分をめちゃくちゃにしてしまいたいと思ってもできなくて、結局自分自身に閉じこもってしまうんだ。」
「どれが本当の貴方なんです。」
「全部本当の私だ。」)



◆感想◆

 
少年時代に柔道を教えてくれた日本人商店経営者一家との心温まる交遊や、「男らしくなりたい」という妄想に駆られた青年時代の苦悶、若くして死んだファッツ・ナヴァロとの友情などが、精神科医とのユーモラスなやり取りを交えながら、俗語を多用したいかにもアメリカ小説的な文体で描かれています。主人公(ミンガス)の心の病が中心テーマになっているので、ジャズ・ミュージシャンの自伝・回想記というよりは、むしろ『ポートノイの不満』のような一時期流行したサイコセラピー小説の一冊として読むべきかもしれません。かなり本格的な小説になっているのは、「編集」にあたったネル・キングなる人物の手腕なのでしょうか。本書は「難解」だというウワサを聞いていたのですが、俗語を多用しているといっても、意味は文脈であらかたわかるようになっており、外見は野生的なミンガスの内面の繊細さ・弱虫ぶりが興味深く、つるつるっと読めました。ジャズ回想記だと思って購入したので、エリック・ドルフィーに関する記述があまりなかったのが残念といえば残念でした。















































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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