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天沢退二郎 『宮沢賢治の彼方へ』 (ちくま学芸文庫)

天沢退二郎 
『宮沢賢治の
彼方へ』
 
ちくま学芸文庫 ア-3-1 


筑摩書房 
1993年1月7日 第1刷発行
1996年3月1日 第4刷発行
293p 付記1p 
文庫判 並装 カバー
定価960円(本体932円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 間村俊一 
カバー写真: 林朋彦 


「本書は一九八七年八月一日、思潮社より新増補改訂版として刊行された。」



本書「文庫版あとがき」より:

「なお、本文庫化に際しては、新たな補記や補註は施さず、ごく僅かな字句の修正を行っただけであることを付記する。」


単行本初版は1968年、増補改訂版は1977年に思潮社より刊行されています。


天沢退二郎 宮沢賢治の彼方へ



カバー裏文:

「風の又三郎とは一体誰なのか。よだかはなぜみにくいのか。謎と魅惑にみちた宮沢賢治の作品世界を、詩のはじまりから幻想四次における至高点にむけての終わりなき旅、〈書くこと〉の彷徨がたどる受難の劇として読み解くスリリングな賢治論。詩誌「凶区」連載中より読者の共感を呼び起こし、著者の賢治研究の出発点となった画期的論考。」


目次:

増補改訂版はしがき
読者への意見

序論
 はじめに
 詩人の分裂
 雨と果実
風の又三郎は誰か
 雨と果実(承前)
よだかはなぜみにくいか
 よだかとジョバンニ
 自己犠牲の問題
 自己の死
七つ森から小岩井まで
 詩と記録
 一九二二年一月――みぞれと雪
 修羅の渇き
 記録性の彼方へ
小岩井から……小岩井へ……
 予断的余談
 詩人の営為
 二つのオブセッション(1)
 二つのオブセッション(2)
 インテルメッツォ
 折返し点の陰蔽
 幻の共同体
 決算表の彼方
とし子の死* あるいは受難劇
とし子の死** 詩の終焉と回生
 視線の成立
 綱の上の転回
 夜のはじまり
 夜の収束
 詩の終焉
 虚構の遍在へ
ホモイの劫罰
 時間と色彩
 情熱と受苦
 将軍ソンバーユーは誰か
 ホモイの賞罰
〔付録Ⅰ〕 『風の又三郎』はどのようにできたか
〔付録Ⅱ〕 宮沢賢治論素描

初版おぼえ書き
付記
文庫版あとがき
解説 (吉田文憲)




◆本書より◆


「風の又三郎は誰か」より:

「およそ、作品には、ひとところその密度が奇妙に希薄になる箇所がある。希薄というのはこの場合いわゆる想像力の凡庸さのために生じる欠陥としてのそれではない。作品というひとつのマッスは、いわばぼくらをとりまき蠢動(しゅんどう)する存在とぼくらとの間に暴力的に挿入されぼくらの視界を蔽(おお)いつくす異物なのだが、およそそれらの作品には、ひとところその厚みがにわかにうすくなって、殆どその彼方の存在の淵をすけて見えさせる箇所がある。そこは恐らく作者がわれ知らず(引用者注:「われ知らず」に傍点)最も遠い地点まで行ってしまった場所である。そこで作者はにわかに自分が何ひとつ支えをもたずに未知の恐怖を眼前にしていることに気づき、足をすくませる。初期に属する短篇『若い木霊』(これは『タネリはたしかにいちにち嚙んでゐたやうだった』の先駆稿である)は、この過程を純粋なかたちで語っている。

  「……をかしいな。おれの胸までどきどき云ひやがる。ふん。」

などと呟きながら、詩人――若い木霊(こだま)は春さきの野原の草をずんずんわたって行く。まだ春も早いのでしんとしたままの柏の木に草穂(くさぼ)でしるしをつけたり、窪地をのそのそ這(は)っている蟇(ひきがえる)の「もう空だって碧くはないんだ。桃色のペラペラの寒天でできてゐるんだ」というひとりごとを聞きとってどきどきしたり、栗の木にからみついた寄生木の毬果(まり)をからかったり、かたくりの葉の上につぎつぎせわしくあらわれては又消えて行く紫色のあやしい文字を読んだりして、窪地から丘へ、そして次の窪地へと、胸をはずませながらぶらぶらとさまよいあるく。このあたり、北国の春の歓喜とないあわせ(引用者注:「ないあわせ」に傍点)になった暗い陰湿な詩人の情念が、息づくばかりに表現されている。
 次の窪地で桜草のひとりごと「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった」を聞いて胸が鳴るのをおさえかねた若い木霊は、そのとき空に身をひるがえした鴾(とき)のあとを追って走る。そして鳥が姿を消した桃色のかげろうのような炎のなかへ飛びこむ。

   そして思はず眼をこすりました。そこは全くさっき蟇がつぶやいたやうな景色でした。ペラペラの桃色の寒天で空が張られまっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲いてゐました。……

 ここまでがおそらく詩人の彷徨(ほうこう)の予定しえた限界なのだ。それまでの陰湿な情念のうごめきが与えていた不吉な予感がまのあたりにかたちをとるのを詩人は見る。「その向ふは暗い木立で怒鳴りや叫びががやがや聞えて」くる。その黒い木は若い木霊が見たことも聞いたこともないものだ。その森の中から「まっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙のやうな眼玉をきょろきょろさせて」こっちへやってくる! 思わずもまよいこもうとしたこの異様な森(的確な象徴表現!)を前にして、詩人はたじろぎ、風のように逃げて帰る――「まっすぐに自分の木の方にかけ戻」るのである。
 『タネリはたしかにいちにち嚙んでゐたやうだった』では、若い木霊は村童タネリに置換えられ、自分自身でまかせの歌をうたいながら野原をさまよう。ディテールは殆ど『若い木霊』と同じで、藤蔓のきれはしを嚙みながら再び母親のところへ帰ってくる。おそろしい「彼方」の暗黒・深淵の恐怖は、自分の木、母親の家の安らかな明るさの背後へ、いっとき、溶かされ忘れ去られるかに見える。しかし、詩人・作家としての成熟とともに、宮沢賢治は、この異様な「彼方」の深淵が、おのれの作品のまさしく中心部に、かと思えばあるときは中心を奇妙にずれた地点に、あの早春期の不吉な情念をたちかえらせて現われるのを目撃する。これが、『風の又三郎』が作者に喚起した最大の詩的問題であり、それは、次に示すように二重の段階をふんで作品のなかに入りこんでいるのだが、いずれにしても初期――すなわち一九二〇年代前半の賢治は、おのれの創造作用・自己の作品の力によって思わずも連れだされたあの異空間のさきへ踏みこんでいく大胆さを示していない。たとえば『サガレンと八月』では、タネリが母親のタブーを無視して海岸のくらげを透かして見ると、それまでの青空が一変してあたりは異様な光景になり、ギリヤークの犬神があらわれる。タネリは「おっかさん、おっかさん、おっかさん。」と叫びながらにげようとするが、ここでは若い木霊や『いちにち嚙んでゐたやうだった』のタネリのときとは異って、犬神に捕えられて蟹にされてしまい、下男として、蝶鮫のところへ追いこまれる。しかしこの童話は示唆的にもそこで中絶している。タネリが捕えられて彼方へ連れこまれたあとの物語を、この時期の詩人の想像力はささえることができなかったからだといったらいい過ぎであろうか。」



「小岩井から……小岩井へ……」より:

「これら雨の澄明度・詩意識の深度に加えての奇妙な文体のやすらかさは、いまいっとき雨が作中世界につくりだした空間の住人たちの共同体に対応している。詩人の対他意識の自由な振幅にとらえられた老農夫との対話や、わかい農婦たちへの眼差し、火にあたりながらのわかい農夫との対話など、パート七に至って初めて導入された人間同志の交情は、この、雨がいっとき現出させた共同体意識の幻を確認するものである。いってみればパート七は、長詩『小岩井農場』の中での「化城喩品」なのである。濡れることを怖れていたのに、こうして雨の中へ身を託してしまえば、幻化の城のやすらぎが言葉をひたす。農夫たちは「あかるい雨の中ですうすうねむ」ってさえいる。すきとおった火は「雨でかへつて燃える」ほどだ。」
「けれども、「化城喩品」の城が仏陀の詐術による幻であるのと同じように、雨がつくりだした共同体もまたいっときのイリュージョンにすぎない。不意に詩人は自分がついに連れこまれた場所に目ざめる――

  すつかりぬれた 寒い がたがたする

 これがパート七の終行である。いましがたのイリュージョンの間じゅう、雨は容赦なく詩人を浸潤しつづけていたのだ。いま彼を引きもどした、がたがたふるえるばかりの寒さは決して現実のそれではなくて、ついに彼の連れこまれた空間――彼方へはもはや地続きの、異次空間の辺境の寒さである。」

「かくてパート九では詩人は殆ど譫妄(せんもう)状態で宙を歩くのだ。さっきパート七であんなに澄明に意識と交感した風景をもう殆どとらえることができない――

  すきとほつてゆれてゐるのは
  さつきの剽悍な四本のさくら
  わたくしはそれを知つてゐるけれども
  眼にははつきり見てゐない

 そして降り来る沈黙の言語をも賢治はもう聞きとることができない。「たしかにわたくしの感官の外(そと)で/つめたい雨がそそいでゐる」と知るだけだ。意識の分裂に随いて行けると思ったのは幻影の城のなかで見た錯覚だった。くろい外套の男もどこか横の方へそれて見えなくなり、糸のとぎれた分裂の片方が宙を、透明な軌道をたよりなく進んでいくだけだ。雨をはじきかえす意識表層のこちら側へついに幻覚が現われる。(中略)《幻想が向ふから追つてくるときは/もうにんげんの壊れるときだ》その彼方にあるものはもう狂気としか思われぬ。」





こちらもご参照ください:

天沢退二郎 『《宮沢賢治》注』
入沢康夫・天沢退二郎 『討議『銀河鉄道の夜』とは何か』 新装版









































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佐藤隆房 『宮沢賢治』 (改訂増補版)

「ある日、高喜の主人が賢治さんに
 「レコードはどういうふうに聞くものですか。」と聞きますと、賢治さんは
 「レコードは風景とか、運命とかがおりこまれてある、これを聞きながら詩や文章を書けばよく書ける。」と言いました。」

(佐藤隆房 『宮沢賢治』 より)


佐藤隆房 
『宮沢賢治』


冨山房 
昭和17年9月8日 第1版発行
昭和45年10月1日 第5版発行
昭和50年4月20日 第6版第1刷発行
昭和60年3月1日 第6版第4刷発行
18p+381p 著者略歴1p
別丁図版36p(うちカラー5点)
A5判 丸背バクラム装上製本
本体ビニールカバー 機械函
定価2,500円



「序」より:

「各編は年次に従って編纂したのでありますが、多少前後しているところもあるかと存じます。なお書中の人名の多くは仮名になっておあります。」


「第四版 序」より:

「この第四版には新しく十一篇を増補し、写真版の一部を改め、他に新たに写真版八葉を追加し、史実にも添うように仮名(かめい)は出来るだけ改めて実名にしました。」


「第五版 序」より:

「新たに五編を増補し、写真版の一部を改め、写真版四葉を追加し、仮名を全部実名にしました。」


「第六版 序」より:

「本版においては二ヶ所の誤謬を修正し、三編を追加、写真版九葉を加えました。」


「仮名は全部実名にしました」とありますが、羅須地人協会に出入りしていた「高瀬露」は「内田康子さん」になっています。著者は医学博士なので自分のことを「佐藤博士」と書いていて、「七五 雉子の尾羽」の項では、賢治が農学校の卒業生からもらった雉子を「佐藤博士」にあげようと小脇にかかえて歩いていると村の子どもたちに羽根をくれと乞われるままに尾羽を抜いて与えてしまって「その雉子ですが、そのあとでどうなったか。だれも知っている人はありません。」とトボけています。

本書はなぜかまだよんでいなかったのでヤフオクで200円(+送料510円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。個人的には「五五 得道」で紹介されている、荘子にでてきそうな寝たきりの義理の叔父さんのエピソードが心に残りました。


佐藤隆房 宮沢賢治 01


目次:

序 (昭和17年春)
第四版 第五版 序 (昭和25年10月15日/昭和45年8月15日)
第六版 序 (昭和50年2月15日)
「宮沢賢治」のできた頃 (市村宏)

嫩葉(わかば)時代
 一 「イーハトーヴオ」
 二 明るい光り、夏の朝
 三 はたん杏
 四 素人(しろうと)医者
 五 三つ子の魂
 六 子供の世界
 七 漆(うるし)かぶれ
 八 コックリさん
 九 法華経(ほけきょう)の信者
 一〇 海を見る
 一一 岩手山(一)
 一二 盛岡中学校
 一三 発疹(はっしん)チフス
盛岡高等農林時代
 一四 希望
 一五 地質学研究
 一六 八戸海岸
 一七 屠殺(とさつ)実験
篤信(とくしん)
 一八 質屋の手代
 一九 寒行
 二〇 阿部晁(ちょう)先生という人(一)
 二一 破折屈伏(はしゃくくっぷく)
 二二 「伊勢に詣るなり」
 二三 純心
 二四 祖父と孫
 二五 星
農学校教師時代(一)
 二六 就職
 二七 渋柿(しぶがき)
 二八 ぼうふら
 二九 裸(ら)体の学者
 三〇 緋(ひ)色のダーリア
 三一 沈んだレコード
 三二 ずんばい
 三三 盗み
 三四 読書
 三五 岩手山(二)
 三六 正覚と幻覚
 三七 衣服観
 三八 運動
 三九 粗食
 四〇 硫酸アンモニア
 四一 とし子さん(一)
 四二 とし子さん(二)
 四三 北海挽歌(ばんか)
 四四 弁と徳
 四五 雲
 四六 代理派遣
 四七 救恤悲願(きゅうじゅつひがん)
 四八 媒酌(ばいしゃく)二重奏
 四九 後進のために
 五〇 友達
 五一 火事
農学校教師時代(二)
 五二 乗車券
 五三 慈愛
 五四 農民劇
 五五 得(とく)道
 五六 岩手山(三)
 五七 鳥
 五八 土質調査
 五九 雪に植樹
 六〇 教え
 六一 不測(ふそく)の涙
 六二 町会議員
 六三 大旱魃(かんばつ)
 六四 落ちていた答案
 六五 辞意
 六六 楽器商
桜の住居(一)
 六七 羅須地人協会
 六八 読経
 六九 著述
 七〇 寄進
 七一 一人前の百姓
 七二 下肥
 七三 麦藁(むぎわら)帽子
 七四 林檎(りんご)
 七五 雉子(きじ)の尾羽
 七六 観音様の御手
 七七 忘欲
桜の住居(二)
 七八 皮肉
 七九 二枚の油揚(あぶらあげ)
 八〇 泥棒
 八一 饅頭
 八二 師とその弟子
 八三 レコード・コンサート
 八四 女人
 八五 肥料設計(一)
 八六 肥料設計(二)
 八七 紳士にはいつでもなれる
 八八 地人
 八九 測候所
 九〇 ちょうちょうとなって
 九一 墓場の杉の木
 九二 苗
発病
 九三 発病
 九四 情誼(じょうぎ)
 九五 鯉(こい)の生胆(いきぎも)
軽快
 九六 父と子
 九七 真夏の一日
 九八 審査員
 九九 東北砕石工場
 一〇〇 結婚
 一〇一 イリドスミン
再発
 一〇二 再発
 一〇三 短冊(たんざく)
 一〇四 お祭り
終焉(しゅうえん)
 一〇五 終焉
滅後(めつご)
 一〇六 詩碑
 一〇七 阿部晁先生という人(二)
概説
 一〇八 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」
 一〇九 疾病考(一)
 一一〇 疾病考(二)
 一一一 賢治さんとその短歌
 一一二 賢治さんとその絵画
 一一三 宮沢政次郎翁
賢治さんとその文学
 一一四 法華経入信以前
 一一五 法華経生涯前期
 一一六 法華経生涯後期
その後
 一一七 桜の詩碑
 一一八 高村光太郎先生
 一一九 雨ニモマケズ
 一二〇 賢治の家
 一二一 改宗

付録 宮沢賢治年譜 (宮沢清六 編)



佐藤隆房 宮沢賢治 02



◆本書より◆


「五 三ッ子の魂」より:

「賢治さんが尋常五年になった時のことです。どこの親達も同じですが、賢治さんの父親も、賢治さんを偉くしようと思っていろいろ鼓舞激励(こぶげきれい)します。ところで父親がある日
 「お前は何になる。」と聞きますと、賢治さんはあっさり
 「無暗(むやみ)に偉くならなくってもいい。」と答えたので、父親は顔を真赤にして
 「そんたな意気地(いくじ)のないことでどうする。」と叱りました。そしてたたみかけて
 「それでは何になる。」と言われると
 「寒い時には鍛冶屋になればえし、暑い時には馬車屋の別当になればええ。」と答えました。
 父親はカンカンに怒ってしまったのですが、賢治さんは一向平気です。陰で聞いている母親や家の人達が、そこをちょっとうまくいえば叱られないのをと、はらはら気をもんでいるのにも頓着(とんちゃく)しないのです。」



「六 子供の世界」より:

「学校にはいる前から、本を読むのが好きでした。小学校での遊びは、その頃の子供としてはまことに大人びたもので、絵葉書を買い集めたり、それがあきれば植物採取、次は昆虫採集というように、(中略)ランプのホヤを外してそれを土に立て色々な虫を捕って来て放し、動物園のようにしてながめていることもありました。」

「中学三年の時、催眠術(さいみんじゅつ)を覚えて来たというのです。家中の誰彼に遠慮なくかけるのですが、実は誰も本当にはかからない。然し「かからない。」というと何時までも「まだまだ。」と捕(つかま)えられるから、かかったふりをしてやるのです。」



「九 法華経の信者」より:

「尋常三四年の頃、賢治さんは画用紙にお仏様を書いたり、粘土で仏様を造ったりするのが好きでした。」
「中学校にはいってから、賢治さんはお仏様の像を木彫にしたり、仏像を買い集めたりしていました。」



「一一 岩手山(一)」より:

「中学二年の一学期、賢治さんは博物の教師に引率されて、植物採集のため岩手山に登りました。」
「中学時代を通じて、岩手山の頂上をきわめたのが八回。三合目、四合目あたりまでの登山は数えきれないくらいです。山を師とも友達ともする賢治さんは、多くは一人で出かけます。級友たちは
 「宮沢の友達は岩手山なんだから、人間の友達はいらないんだ。」と評しました。」



「一二 盛岡中学校」より:

「後からの話ですが、同級の親友阿部孝(たかし)は
 「宮沢は、ランプ掃除を人並以上にキチンと果たし、他人の部屋でていねいに頭を下げるのをごまかすことの出来なかった中学生宮沢の延長に外ならない。」と評しております。
 一年の賢治さんは、晴れた日は日曜毎(ごと)に、親友の阿部孝や梅津達三と郊外散歩に出かけますが、いつでも、砕石槌を手から離しません。鉱物に対する人並はずれた趣味は、すでにこの頃から養われていたので、鬼越(おにごえ)山、南昌山などは彼の鉱物採取の檜舞台でありました。押入れの中にはいろいろ様々の岩石の細片が、所狭きまでに並んでおります。」



「一七 屠殺実験」より:

「賢治さんは、どちらかというと、子供の時は蒲柳(ほりゅう)の質、よくある偏食で、滋養物に類する物がきらいでした。中学校にはいってからは、段々偏食の傾向がなくなり、農林学校にはいった頃は、何でもよく(中略)食べました。
 ところで賢治さんが盛岡高等農林に在学中、自分の専門の、農芸化学の教室の隣に獣医科がありました。
 獣医科では時々動物の屠殺実験が行われます。中には病気のため、伝染をおそれて殺すのもありますが、多くは学生にその動物の撲殺致命点を覚えさせるためにやるのです。(中略)動物は苦しがって、キューキュー啼(な)いて暴れ回る。その傍では、そいつが何分間で絶命するかと、時計を片手に眺めている。
 こういうことも勿論研究のひとつではありますが、別な立場からいうと、りっぱな虐殺(ぎゃくさつ)に違いはない。」
「ある時、食堂で御飯を食べようとして皿の上を見ました。それは一片の肉だったのですが「あのかわいそうな……。」と思った時、殺されて行く牛や豚の叫び声が、どこからともなく悲しそうに聞こえて来ました。
 賢治さんは、それからまた肉類をとりたがらない人になったのです。そしてある人に言いました。
 「私は最初から菜食主義ではありません。何かの時に、菜食主義者の書いた物を見たこともあるし、そのことを考えて見たこともあります。しかし、どちらかといえば私の好みは肉食で、よく肉を食べました。けれどあの殺される時の叫び声を思うと、とてもかわいそうで食べる気にはなれません。」」



「二一 破折屈伏」より:

「上京した賢治さんは、本郷菊坂町の素人屋(しろうとや)の二階の間に宿をとることにしました。」
「金がないのですからまず生活費をかせがなくてはなりません。その頃は職業をさがすのも中々容易でなかったのです。中学の同級生であとで海軍軍医になった人ですが、小田島祥吉君が東大の医科に在学していたので、その友人の紹介(しょうかい)で、まず東大医学部解剖(かいぼう)学教室の解剖用の屍体の運搬をしてみました。
 辛抱づよい賢治さんもこの仕事には少々参ったらしく、「あまり臭いがひどいのでね。」と二、三度でやめたようです。その後幸いにある人の紹介で、同県人の金田一京助博士の講義をプリントにし、それを学生に分けて、いくらかの金を手にすることが出来ました。」



「二三 純心」より:

「高等農林の鏡校長は、優秀な生徒、宮沢賢治に、常々並々ならず目をかけておられましたが、親戚の人が行った時に
 「宮沢はどうも普通の若い者のようでない。成績の良いのにも驚いたが、実に風変わりな男だ。名誉も財産も、おまけに命までいらないようなことを言うんだぞ。まさか赤化するのでもあるまいが、やっぱり気をつけなければならない代物だ。」と(中略)申されました。」



「二五 星」より:

「賢治さんは、すでに中学二年の頃から天体に興味を持ち、休みで帰って来た日の夜なども二階の屋根の棟にまたがって星をながめて喜び、書斎には紺色の大きな紙を張って、それにいろいろな星をはりつけて星座図をこしらえたりしていました。」


「二七 渋柿」より:

「賢治さんが農学校に奉職した当時は、宗教に熱心のあまりか、人との調和、世間との交渉などはいたって無関心な上に議論好きで、ありとあらゆる方面から材料を引用して、それにお得意の機知を加えて必ず相手を論破するというような、悪く言えば我を張り通すというふうでした。
 ところが半年ばかりたつうちに、おのずから気がついたらしく、人との調和とか世間との交渉にも心をくばるようになって来、例えば頭髪も初めはクリクリ坊主だったのを世間なみに「それじゃおれも髪をのばそうか。」といって長髪にし、ポマードなどもつけました。
 宴会の席などでは御本人は余り酒をたしなみませんが、つとめて皆と歓をともにするというぐあいになりました。しかし杯の応酬(おうしゅう)などはやはり並外れていて、杯をもらいますと、折返し非常なす早さで返杯するところなど、同僚間にはやはり変わった存在でありました。
 結局、表面的にはずいぶんくだけて来たようですが、これは賢治さんが皆といっしょに歩んでゆこう、調和してゆこうということに努力したあらわれに過ぎませんで、内に蔵するものは圭角稜々(けいかくりょうりょう)たる気骨です。つまりは一つの渋柿でありました。」



「三一 沈んだレコード」より:

「レコードの蒐集(しゅうしゅう)に夢中な頃。わざわざ仙台まで出かけて行き、気に入ったレコードをたずね歩いて、ようやく会心のものを四五枚見つけて購(あがな)い、帰ったらその美しいリズムを聞こうと楽しみながら帰路につきました。帰りは塩釜様に参詣し、そこから小さな遊覧船に乗って松島に出ることにしました。ところがどうしたはずみか、その遊覧船がひっくり返ったのです。幸いにまだ塩釜の湾内であったために、すぐに水上警察ではランチを飛ばして救助にやってき、大変な騒動です。
 他の乗合いといっしょに投出された賢治さんも、水中でジャブジャブやっておりましたが、警察のランチを見ると大声で「早く、早く、大したものを落したから、早くさがしてくれ。」と言うので、乗組の警官も
 「何だ、何だ。何を落したんだ。」と聞きました。賢治さんは
 「レコードだ。」と言いました。
 さしずめ人の命を心配している警官はすっかり憤慨して「この馬鹿野郎! レコードぐらいがなんだ。」とどなりました。」



「三四 読書」より:

「農学校職員の頃、畑にも出ず、標本室にも行かないひまな時間は、日当りのよい窓ぎわに椅子をよせて足を組み、読書に余念がありません。
 ある時、同僚の渡部教諭が
 「あなたは本の善悪を見分けるのに、どんなにしていますか。」と聞いたことがあります。すると賢治さんは
 「そうですね、まず肥料の本に例をとっていえば、自分の最も得意とする下肥のところを読んで見ます。そこに成程と思う点があれば、これは良い本ということにして、その他の項目も読みます。」と言いました。」



「三六 正覚と幻覚」より:

「またある時佐藤師という某寺の住職に
 「僕がチャイコフスキー作曲の交響楽をレコードで聞いていた時、その音楽の中から『私はモスコー音楽院の講師であります。』と言うことばをはっきり聞きました。そこですぐに音楽百科辞典を調べてみたら、その作曲の年はやはり、チャイコフスキーがその職にあった年だったのです。」と語りました。」



「四五 雲」より:

「愉快な実習がすみ、賢治さんはいつものように生徒に
 「さあ実習終り、みんな外へ出て雲を見よう。」」

「「あの高いのは巻雲、あれは巻層雲……」」



「五〇 友達」より:

「賢治さんは高利貸といわず、ならず者といわず、どんな階級の人、どんな種類の人人とも平気で、差別なく交際します。あまりの札つきのならずものなどとつきあっている時は、側ではらはらさせられたこともしばしばです。一体に賢治さんの交際振りは軟かで角がなく、謙遜で静かで、仮りにも人を非難するというようなことは絶無だったようです。」


「五五 得道」より:

「賢治さんの義理の叔父さんがありました。
 仏様だの、神様にまるっきり関心を持っていない人で
 「今日は誰それさんの命日だんちゃ。」といわれると、仏壇の前へちょこなんと坐り、手を合わせるか合わせない中に首をちょこりと下げ、それだけで何もかもすんだとしてしまう人でした。その人は脊椎炎を患って起居も不自由となり、十二年間も床の上に寝どおしということになったのですが、後生なんど願う気もなく、お念仏をすすめても、けろりとして無駄口ばかりきき、信仰などのことは、それこそ馬の耳へ念仏です。
 夏の暑い日などは
 「ああ有難い有難い。おれは足腰立たないばかりに、この暑い昼日中汗を出して働くこともないのだ。」というぐあいです。
 賢治さんとは気持ちがよく合っていて
 「賢さん賢さん、おれの病気も今年はこれで中学校だんすじゃ。どうだべ大学校まで生きられなかべか。」など言っていました。
 ところが、その病人が晩年になったある日
 「じゃ、じゃ、賢さん。今年はおれも駄目かも知れねえんす。お前さんばかりいい事覚えていないで、おれにも少し聞かせてんじゃい。」と言って、賢治さんに法華経の講義を聞きはじめました。」
「その病人は、死ぬ時になっても、怖れることも悲しむ様子もなく、病苦も訴えず、笑顔をもって終りました。」



「五七 鳥」より:

「澄みわたった良い秋の日でした。(中略)農学校の生徒は先生方に連れられての遠足です。(中略)賢治さんも教師の一人としてその中におりました。
 日居城野にさしかかって、野原の松の間を歩いていた時です。賢治さんは突然向こうの大きな松の木の側までかけてスルスルとその木に登ったのです。木に登ることは実に上手です。そして遙か西の方を指して
 「ホウ、ホウ」と呼んでいます。何かと見れば名の知れぬ鳥、多分は尾長だったでしょう。
 二十羽ほど美しい編隊を作り、鱗雲(うろこぐも)の下を陽の光にあたって、キラキラ光りながら飛んで行くのでした。樹上の賢治さんは無性に喜んでいる。それからスラスラと木を降りて、喜びの溢れるままに手をうち、足をピンピン躍らせながらぐるぐるととび回りました。生徒も浮かれてとびながらぐるぐる回りました。」



「六六 楽器商」より:

「高橋喜代治君は大正十二年頃、花巻町鍛冶町にささやかな楽器店を開きました。ちょうどその頃、賢治さんは農学校の教師だったので、出勤の途中必ずその楽器店の前を通ります。
 賢治さんはこのささやかな楽器店に目をつけ、時々来て大量にレコードを買います。」
「ある日、高喜の主人が賢治さんに
 「レコードはどういうふうに聞くものですか。」と聞きますと、賢治さんは
 「レコードは風景とか、運命とかがおりこまれてある、これを聞きながら詩や文章を書けばよく書ける。」と言いました。」



「七三 麦藁帽子」:

「花巻の上町は、花巻町のメーンストリートでありますが、その中にあまりはやらない雑貨店が一軒ぽっつりと置き忘れられたようにありました。
 はや真夏の八月も過ぎようとする頃、その店のショウウインドウに、初夏から買手を待っている麦藁帽子が飾ってあります。
 賢治さんはいつもその通りをとおる時、その帽子をながめて過ぎました。そして初夏も過ぎ真夏となり、やがて、その夏の盛りも過ぎようとしています。
 賢治さんはそこをとおるたびに
 「帽子はまだあるかな。」とまがって(のぞきこんで)見ました。しかし帽子はいつもそのまま売れないであります。秋もま近になって、早や麦藁帽子もいらなくなるある日、賢治さんは、とうとう店にはいって行って
 「その帽子はいくらですか。」とお主婦(かみ)さんにたずねました。
 「そうですね。五十銭なんですけれど、すすけてもいますから三十銭におまけいたします。」
 「その帽子はいただきますが、三十銭でいいんですか。」
 何とかして五十銭を支払ってやりたいと思いながらも、うまい文句が考えつかず、何かもどかしい物足らない顔で、三十銭出して帽子をうけとりました。」



「七六 観音様の御手」より:

「妹さんの縁談とり決めのため、賢治さんは先方の親元に出かけました。(中略)とにかく急いで帰らねばならない用があったので、魚を積んで花巻に行くトラックに便乗させてもらうことにしました。
 熱があるので、賢治さんは自動車に乗った時から、うとうとしておりました。
 秋の肌寒い風をついて、トラックはいま、難所である峠の急な坂を頂に向って驀進(ばくしん)して行きます。トラックが千仭の断崖の鑿道にかかった頃、賢治さんは夢心地からひょいと気がつきました。みると山手の側にあから顔のからだの矮少な鬼人が五六人集まって、跳ねたり躍ったり、子供のように騒ぎながら、このトラックを谷底へ突落そうと、いっしょうけんめいになっています。「あああぶないな、あぶないな。」と思って、谷底の方を見ました。不思議や谷の下から、白々と大きな手が浮かび上るように見えて、このトラックをちゃんと支えております。
 賢治さんは「あ、観音さまの御手だ。」と思いました。」



「八二 師とその弟子」より:

「御茶は出ないで、主人の御馳走は、オルガンの奏曲と、ロシヤのレコードと、うず高く積まれた自作の詩稿の朗読とです。
 「こんな山のなかにおっても、ありがたいことには世界の名曲を聞かれます。」と言いながら宮沢先生はレコードをかけて客をもてなしました。」



「八三 レコード・コンサート」より:

「昭和二年の秋の末の一夜。土地の花巻(共立)病院の院内で、藤原先生を中心とした熱心な音楽愛好者達が集まって、レコード・コンサートが開かれました。
 賢治さんと藤原さんとは大の仲好しで、仲好しだけに時に激しい論争をします。音楽のことになると藤原先生がなかなか鼻息が荒くなり
 「大体、交響楽なんていうものは、レコードぐらい聞いたってわかるもんではないです。」
 「いや、大体のことはわかるものさ。」
 賢治さんは、けろりとして反駁(はんばく)します。
 フランスのドビッシーの(中略)「海」(中略)のレコードがかけられる時です。
 「通俗的でも何でも、曲に解説をつければ聞きやすいからひとつ解説をつけてはどうだろうね。」
 と賢治さんが言いました。
 「解説なんてつけたってしようがない。聞くそれぞれの人によって感じが違うものだし、第一そんなにはっきり解説をつけるということは、音楽の場合は間違っている。」
 と音楽の先生は主張して譲らないのです。
 「いや、とにかくそんなら私がする。」ということになって、賢治さんが立ち上りました。
 レコードはかけられて、ドビッシーの「海」の管絃楽の一曲が秋の夜の静けさに織りこまれて流れ出ます。
 「きれいなきれいな星月夜で、静まった海上に一隻の船が浮かび出た所です。乗っている漁夫が今海にはいりました。次第次第に深く潜って行きます。今水の中で漁夫はたこを捕らえました。大急ぎで上って来ます。たこは船の上へ上げられました。」
 そのレコードが終ると同時に藤原先生は昂奮して立ち上りました。そして賢治さんに向かって
 「そんな説明をするのか、君、僕は帰る。お前とは絶交だ。」と言いすてて、どんどん出て行ってしまいました。」
「藤原先生の足音が廊下に消えて行った時、傍の人が
 「賢治さん、いいんですか。」と聞きました。すると賢治さんは
 「なに、いいんです。絶交はもうこれで三、四回目だから。」と言ったので、緊張した皆の気持ちが一時にゆるんで、どっと笑い出してしまいました。」
「(註)藤原先生は非常に熱心な音楽家で、独学よくその楽才を認められています。興が乗ってくると「テイテイトタテイトタデイデイデイデド。」と奇声を発し、両手の指を拡げて、ピアノの鍵板の上を躍らし、しまいには身体も躍り出すという熱中状態になります。その最高潮(クライマックス)の時に、顔がたこに似てくるというので、生徒達が「タコ」とあだ名をつけていたのです。」



「八五 肥料設計(一)」より:

「賢治さんはまず田畑の所在、去年の作のでき具合、田畑の形状、日当りの状況などを聞きますと、直に所定の用紙に肥料の設計を認(したため)て渡すのです。実にすばらしい速さです。場所を聞けば、地質の状態が直ちに分るようになっているのは、賢治さんの熱心な研究の賜(たまもの)なのです。」


「九〇 ちょうちょうとなって」より:

「晩春六月の空が晴れて、あちらこちらにぽっかりと白雲が浮かんでいるある日です。
 湯本村のあるお百姓さんに頼まれて、賢治さんは、肥料の設計のために畑の土質を見に行きました。」
「目的の畑に着いて、皆が気がついてみると、今までいっしょに来たはずだった賢治さんの姿が見えないのです。
 「あれ、先生はどこさ行ったべや。」と驚いているところへ、賢治さんが笑顔をつくって出て来ました。
 「先生。どこさいってたべ。」と百姓達がききました。
 「はあ、あんまり蕎麦(そば)の花がきれいだから、ちょっとちょうちょになって飛んでみました。」と答えました。
 その時の賢治さんは、さも楽しそうに、両手を拡げて蕎麦の花の上をなでるように、ぐるぐる大きく輪を描いて飛ぶようなかっこうをしていたということです。」



「九五 鯉の生胆」より:

「病中の賢治さんに、何とか栄養物をとらせたいと家中の人達が苦心していましたが、何しろ動物質のものは全然身体に受付けないのですから困っておりました。」
「方々の人達から、いろいろお見舞やら何かで、良く効(き)くという薬を贈られたり教えられたりしましたが、その中の一つに蝸牛がよいといって、生きているのを捕まえて来てくれた人がありました。
 弟の清六さんは、そのかたつむりの殻をきれいに取り去ってオブラートにすっかり包み
 「これはとってもいい薬なそうです。」といってすぐに飲むことをすすめました。
 賢治さんは言われるままにそれを飲みましたが、後から
 「あいつは何だべ。あの薬だけは絶対だめだ。後はもうやめてけろ。」と言いました。
 お母さんの方はお母さんの方で、鯉の生胆がよいと聞きましたので鯉を殺して生胆をとりとてもあたりまえでは飲むまいと、これも何枚かのオブラートにすっかりかくして
 「良い薬をもらったから、これを飲めばすぐに癒るというから。」と言いますと、おとなしく
 「そうすか。」といって飲みましたが、これもわかってしまいました。そしてお母さんに
 「おれはこういうかわいそうなものを飲んでまで生きなくともいい。」と言って泣きました。」



「九六 父と子」より:

「賢治さんの父親は非常に謹厳な、そして信仰に厚い人ですから、賢治さんに「偉い者になれ」と激励するとともに、人の道を正しく進むように不断の訓諭を与えました。」
「賢治さんは中学の末の頃、法華経の信仰にはいってから高等農林に進むにつれて、次第次第に信仰に対する熱烈の度が高まって、父親が身を修めることを教えたよりも、一層厳格に身を修めるようになりました。
 信仰に熱心になるとともに、賢治さんは次第次第に無我無欲の心境に進みました。この時になって父親はびっくりしました。
 「これは少し困った。賢治は恬淡(てんたん)を通りこして財産や生命にも無欲になって行くようだ。あの島地さんの法華経を読ませなければよかった。」と嘆じました。
 「そんなに読ませて悪い本なら、家に置かなければよかったのに。」と家人はまた怨じました。
 賢治さんが高等農林をおえて、花巻農学校に教鞭をとるようになった頃
 「いづれ財政を乱しては一家はつぶれ、一族は四散する憂き目を見るようになるから、賢治、お前もその方に心を入れて下宿料のつもりで家へいくらか入れてはどうだ。」と父親が言ったことがありました。
 賢治さんは
 「はあ。」と返事をしたという話ですが、そんな金は入れるどころか、いつだって空財布を持っているに過ぎない有様で、時々は父から金を借り出す始末です。
 ある時、腹に据えかねて注意を促がさねばならなかった父親は、(中略)暗然と声をおとし
 「賢治。お前の生活はただ理想をいっているばかりのものだ。宙に浮かんで足が地に着いておらないではないか。ここは娑婆(しゃば)だから、お前のようなそんなきれい事ばかりですむものではない。それ相応に汚い浮世と妥協して、足を地に着けて進まなくてはならないのではないだろうか。」と教えたり、頼んだりしてみました。賢治さんは
 「はあ。」と答えました。」

「父親がある道者に
 「賢治の病気はどうして出来たのですか。」と聞いたところ
 「悪用(あくゆう)不足に因る。」と言われ
 「賢治、お前の病気は悪用(あくゆう)不足から来ているということだぞ。つまりきれいなことばかりやろうとしたために起った病気なんだ。勝海舟が言ったことがある。おれは横着なる故に長寿だが、鉄舟は横着ができなかったから早世した。横着の心が三分無いものは危くって用をさせることが出来ない、とな、お前もよく考えたらよいだろう。」」



「九七 眞夏の一日」より:

「昭和四年の真夏のある日、(中略)元気になった賢治さんは、(中略)知友である佐藤博士の宅を訪れました。」
「その宅の前庭には、変った一つの池があります。地下水が地下十二、三尺にあるのを利用して十坪ほどの地面を摺鉢形に掘りさげ、その底の方は次第に狭くして、最低の部分二坪ばかりを更に深く掘り、周囲を石で畳んで、地下水をたたえて池としてあります。金魚がおります。あたりからは螺旋形に道をつくり、池の端まで降りて行かれるようになっております。螺旋の道以外の所は皆崖の形になっていて、そこには芝生がきれいに植えてあり、去年あたりこぼれたのであろう松の種が所々に生えて、一、二寸ばかりの小松となっております。」
「佐藤博士は背と脚の調子が悪いので、はかばかとも歩けないのですが、賢治さんはなかなかの元気で、病後とも思われぬ活溌さで、その螺旋形の道を摺鉢の上の縁から底の池まで何度も何度も降りたり登ったりしました。そして賢治さんは、
 「面白いですね、まるで火山湖です。こうして何度も降りたり登ったりしてると、登山して火口湖に遊んでるようです。山は愉快ですね。」と喜びました。」



「一〇〇 結婚」より:

「昭和六年の七月のある日、病気上りの賢治さんが、(中略)森佐一君を訪問しました。
 連れ立って道を歩いておりましたが、賢治さんは、突然今まで話したこともないようなことを申します。
 「実は結婚問題がまた起きましてね、相手というのは、僕が病気になる前、大島に行った時、その島で肺を病んでいる兄を看病していた、今年二十七、八になる人なんですよ。」
 つりこまれて森君は聞きました。
 「どういう生活をして来た人なんですか。」
 「何でも女学校を出てから幼稚園の保母か何かやっていたということです。遺産が一万円とか何千円とかあるといっていますが、僕もいくら落ぶれても金持ちは少し迷惑ですね。」
 「いくら落ぶれてもはちょっとおかしいですが、あなたの金持ぎらいはよくわかっています。ようやくこれまで落ちぶれたんだから、という方が当るんじゃないんですか。」
 「ですが、ずうっと前に話があってから、どこにも行かないで待っていたといわれると、心を打たれますよ。」」
「「おれの所へくるのなら心中の覚悟で来なければね。おれという身体がいつ亡びるかわからないし、その女(ひと)にしてからが、いつ病気が出るか知れたものではないですよ。ハヽヽ。」
 「……。」
 「昔の聖人君子も五十になれば悟りが開けると言いますが、性の衰退ということから考えれば五十になれば誰でも悟りを開けることになってますね。」
 「……。」
 「結局、おれと結婚する人があれば、第一心中の覚悟で来なければなりませんが、五十にならない今から永久に兄妹のようにして暮らす、そういう結婚ならしてもいいです。」」



「一一三 宮沢政次郎翁」より:

「「賢治は幼年期、少年期には別段変った子供でもなく、つまりは、仏教などには結びつけて考えるような点は何もありませんでしたね、そう、十四、五歳の頃になって、少し思い立つことがあると、ちょっとも辛抱しないというか、辛抱出来ないというか、そういう一こく者のふうが目立って来たんです。」」


「一一八 高村光太郎先生」より:

「「住まっていたところは岩手でしたが、心のうちはあらゆる空間に連なっております。一口に申せばコスモスを持つ詩人ということでしょう。コスモスを持つ詩人であるならば世界のどんな辺地に居ても、常に一地方的からの存在から脱するものです。うちにコスモスを持たないものは、どんな文化の中心におりましても、常に一地方的存在となってしまうものです。賢治さんのいうところのイーハトーヴオは、賢治さんのうちにあるコスモスを通じての世界全般のことであったのです。コスモスを持つ者は文学者ばかりでなく科学者でも、その存在の地方から脱出して全世界に及ぶものです。」」

「「今は賢治さんより年が上で、私が先輩だと皆さんも考えていますが、五十年百年すぎると、私が賢治さんの後輩であるようにみなが思うことになりそうです。」」



佐藤隆房 宮沢賢治 03


佐藤隆房 宮沢賢治 04




こちらもご参照ください:

関登久也 『新装版 宮沢賢治物語』


























































原子朗 『新 宮澤賢治語彙辞典』

原子朗 
『新
宮澤賢治
語彙辞典』


東京書籍 
1999年7月26日 第1版第1刷発行
930p 索引139p 口絵(カラー)8p 
A5判 丸背紙装上製本 本体カバー 貼函 
定価15,000円(税別)
装幀・装画: 間村俊一

栞: 吉本隆明「推薦の辞」/井上ひさし「推薦の辞」



本書「序」より:

「旧『宮澤賢治語彙辞典』(中略)の初版の刊行は一九八九年一〇月であった。ほぼ一〇年ぶりに、この『新宮澤賢治語彙辞典』は刊行されたことになる。」
「旧版の手入れが四~五年も続いてゆくうちに、これはもう「改訂」や「増補」の域から食(は)み出ていると思われるようになってきた。そこで、手帳類や書簡やメモの類を含めて、賢治のテクストのすべてから、新しい読者を想定し、少しでも難解と思われそうな語彙の抽出と点検を、もう一度やり直してみることもした。」
「ともかくも、既に手入れをしたものが多かった旧版の項目はできるだけ生かし、いわゆる「見ヨ項目」(→関連項)まで入れて約一、五〇〇項を新たに選定し、既存の約三、七〇〇項目に加えることにしたのである。」
「解説本文の成立については、旧版のときとちがって、今回の項目解説はおおむね私の独力に頼った。(中略)全項目が私なりの熟慮と検討を経て、類縁項との有機的な関連を最も配慮しながら、すべて私の手で成稿化したものであることを明記しておきたい。」



口絵カラー図版44点、宮沢賢治肖像写真1点。本文中図版(モノクロ)多数。
本書は改訂版が筑摩書房から『定本 宮澤賢治語彙辞典』として刊行されています。


宮沢賢治語彙辞典 01


帯文:

「賢治研究の必備書として、高い評価をえた
旧『宮澤賢治語彙辞典』を、10年の歳月をかけて
内容も判型も一新。
項目数も1.4倍の約5000項目になり、
写真・図版も多数挿入。
創立90年
東京書籍」



宮沢賢治語彙辞典 03


帯背:

「難解と言われてきた
百科全書的詩人(エンサイクロペディック・ポエット)の
全作品がこの一冊で、
すべて解明!!」



帯裏:

「この辞典は、あらためて賢治の語彙のわかりやすさをしっかりと検証し直して基本的な定義をかためる一方、天からの炎や宇宙からの霊感へも、たしかな解読の触手をのばしている。これはほとんど奇蹟と呼ぶしかないような仕事で、原子朗の、地道だが着実な一歩一歩が賢治の天才に追いついたのだ。
井上ひさし

項目ごとの語彙の註釈の名をかりた、あたらしい研究の成果で、逐条的に追ってゆくとだんだん興奮させられてくる。うしろに膨大な時間の蓄積を秘めていながら、さり気ない辞典の貌をしてみせているこの本は、賢治の作品がそうであったように、この本だけですでに芸術作品なのだ。
吉本隆明」



宮沢賢治語彙辞典 02


宮沢賢治語彙辞典 04


内容:

『新宮澤賢治語彙辞典』序
凡例
凡例付表
 長さ
 重さ
 広さ
 個数
 容積
 角度
 通貨単位
 他
 方角・時間
 十干
 干支
 江戸時代の不定時法
 九星
 月名
 二十四節気
 星座二十八宿
 主な星座の星名
 黄道十二宮
 ギリシア文字
 音楽発想標語
 音楽速度標語
 地質年代表
 雲級
難読項目索引

新 宮澤賢治語彙辞典
 あ
 い
 う
 え
 お
 か
 き
 く
 け
 こ
 さ
 し
 す
 せ
 そ
 た
 ち
 つ
 て
 と
 な
 に
 ぬ
 ね
 の
 は
 ひ
 ふ
 へ
 ほ
 ま
 み
 む
 め
 も
 や
 ゆ
 よ
 ら
 り
 る
 れ
 ろ
 わ
 ゑ
 を
 A
 B
 C
 D
 E
 F
 G
 H
 I
 J
 K
 L
 M
 N
 O
 P
 Q
 R
 S
 T
 U
 V
 W
 Z

宮澤賢治年譜
宮澤家 系図
関連地図
 岩手県市町村図
 岩手県山岳・河川図
 盛岡・花巻付近山岳・河川図
 盛岡付近図(大正時代)
 花巻付近図(大正時代)
 賢治旅行行動図
旧版序文
『新宮澤賢治語彙辞典』協力者一覧
索引



宮沢賢治語彙辞典 05



◆感想◆


本書には「高浜虚子」の項目はないですが、虚子の大正5年11月6日の句、

「大空に又わき出でし小鳥かな」
「木曾川の今こそ光れ渡り鳥」

は、「銀河鉄道の夜」の「鳥捕り」のエピソードに影響を与えているのではないでしょうか。

また、これは本書には項目が無くて当然ですが、「銀河鉄道の夜」(初期形)に登場する「地歴の本」や、賢治が語ったという「北上川のある洞窟に、自分の一切を書いた本を置いてある」という言葉(関登久也『宮沢賢治物語』「川村俊雄氏から聞いた話」より)に関しては、ルドルフ・シュタイナーによる「アカシャ年代記」についての記述「地球上、あるいは、その他の世界で起こったことはすべて、ある精妙な実体に永続的に刻印され、秘儀に参入した者はこの記録を見出すのです。普通の年代記ではなく、生きた年代記ということができます。ある人が紀元一世紀に生きていたと仮定しましょう。この人が当時、考え、感じ、欲したこと、行動に移したことは消え去るのではなく、この精妙な実体の中に保存されます。」(西川隆範訳『バラ十字会の神智学』より)が参考になるのではないでしょうか。「アカシャ年代記」は「虚空蔵」です。本書には「虚空」の項目はありますが「虚空蔵」についての説明はないです。
「「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。」 (ウィキペディアより)
「あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなる」すなわち、「ヨクミキキシ ワカリ ソシテワスレズ」です。

本書の項目で納得いかないものに関する自説としては、「プレシオスの鎖」に関してはギリシア語「πλήσιος」説を、「アリイルスチュアール」に関してはミュリエル・スチュアート(Muriel Stuart)説をこのブログのどこかに書いたおぼえがあります。

「青森挽歌」の「ヘツケル博士」に関しては森鴎外訳『諸国物語』所収「尼」をご参照ください。


宮沢賢治語彙辞典 06




こちらも御参照下さい:

間村俊一 画集 『ジョバンニ』
草下英明 『宮澤賢治と星』 (宮澤賢治研究叢書)

































































































草下英明 『宮澤賢治と星』 (宮澤賢治研究叢書)

草下英明 
『宮澤賢治と星』
 
宮澤賢治研究叢書 1 

學藝書林 
1975年7月25日 第1刷発行
187p+1p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,300円
装丁: 宮園洋



本書「あとがき」より:

「本書の原本である『宮澤賢治と星』は、昭和二十八年九月二十日、自費出版で刊行した。」
「原本には、本書の一三頁より九九頁までの九篇と、今回省略した一篇「総天然色映画『銀河鉄道の夜』」及び全集語註が含まれており、いずれも昭和二十二年から二十八年にかけて、「農民芸術」「四次元」「新詩人」等に発表されたものを整理して収載した。」
「今回の刊行に際しては、内容は出来る限り原本のままとしたが、明らかな考え違いや誤植はもちろん訂正し、文章のおかしい点や、他の文と重複する個処は若干書き改めた。大きな訂正個処やその後の新しい事実については、註記によって補ってある。」
「原本にない四篇「賢治文学と天体」「SF作家の先駆者としての稲垣足穂と宮澤賢治」「『晴天恣意』への疑問」「Xの字の天の川」は、原本刊行以後に発表した文章のうち、天体に関係あるものを附加えさせて頂いた。」



「Xの字の天の川」に図2点、「あとがき」中に図版(書影)1点。


草下英明 宮沢賢治と星 01


カバーそで文:

「本叢書について――――入沢康夫
宮澤賢治が歿して、すでに40余年が過ぎた。この間、賢治の人と作品を愛する者の数は年を追ってふえ、研究面においても、真摯な論考や証言が続々と発表されつづけて来た。厖大な数にのぼるそれら論考や証言の中には、その後の研究の進展にともなって價値の失われたものもかなり多いが、それらにまじって、今もなお重大な意義を保ちつづけているものもまた決して少くはないのである。ただ残念なことに、それらのほとんどは、研究誌や少部数の単行書に収められたものであるため、今日ではきわめて入手し難い状態である。こうした今後の研究の進展にとっても必須の文献類が、しかるべく集成・刊行されたら、ということは、私たちにとって、一つの久しい夢であった。
この研究叢書の発刊は、この夢の実現への第一歩である。貴重な文献類は、テーマ別、筆者別、作品別など、多角的に編纂されて、次々と刊行されるはずである。賢治を愛する方々の御支持を期待したい。」



目次:

虫と星と (宮澤清六)

宮沢賢治と星
 星をどのくらいえがいたか
 賢治の天文知識について
 賢治の読んだ天文書
 三日星とプレシオスの鎖
 賢治と日本の星
 『銀河鉄道の夜』の星
 賢治の星の表現について
 賢治とマラルメを結ぶもの
 県技師の雲に対するステートメント
 賢治文学と天体
 SF作家の先駆者としての稲垣足穂と宮澤賢治
 『晴天恣意』への疑問
 Xの字の天の川

宮澤賢治の作品に現われた星
 宮澤賢治の作品に現われた星

あとがき 
 あとがき (1953年6月23日)
 『宮澤賢治と星』について (1975年1月21日)



草下英明 宮沢賢治と星 02



◆本書より◆


「宮澤賢治の作品に現われた星」より:

赤眼の蝎 (中略)蝎座については前述。賢治の作品には面白いことに、この星座の主星アンタレスは終始「赤い目玉の蝎」として書かれている。(中略)アンタレスはもともと西洋では蠍座の心臓と見なされ、中国では青竜の心臓として心宿とされている。「赤い目玉」の根拠については、私は大正年間の通俗天文書として比較的評判の良かった吉田源治郎著『肉眼に見える星の研究』(大正十一年九月、東京警醒社)の蠍座の項に「ベ(β)、デ(δ)、ピ(π)の三星が蝎の頭部をつくり、ム(μ)、ゼ(ζ)から、テ(θ)へ跳ねた尾の巻き具合など実に巧みに出来てゐます。そして此等全体に蝎の恐ろしさの焦点、眼玉として赤爛々たるアンターレスが輝くなど実に偶然とは思へない程巧みな星の配置であります」と書かれているのに依っているのではないかと考えている。非常に大胆な推定であるが、私は賢治がその天文知識の大部分を『肉眼に見える星の研究』に負うていると考えている。」

星雲 (中略)星雲には大きく分けて二種類ある。銀河系内星雲と銀河系外星雲で、銀河系内星雲はいずれもガス体の不規則な形をしたもので、その形の上から不定形星雲、惑星状星雲、環状星雲等に分類され、オリオン座のものは不定形星雲の代表である。銀河系外星雲は殆んど渦巻状をしたそれ自体我が銀河系に匹敵する一個の銀河系である。外国の書物には、ちゃんと双方をネビュラ(星雲)とガラクシイ(銀河系)とに区別している。アンドロメダ座のものも猟犬座のものも、銀河系外の渦状星雲である。環状星雲というのは、ガス体が指輪のようなリング状に見える星雲で、琴座にあるのが有名である。環状星雲を一名魚口星雲(フィッシュマウスネビュラ)と呼ぶというのは出典が明かでない。輪のようになったのを、魚の口を正面から見た形に見立てたものであろうか。『星めぐりの歌』では「アンドロメダの雲は魚の口のかたち」とアンドロメダの渦状星雲を魚口星雲の如くにいっている。野尻先生に依ると、古い天文書でオリオンの星雲を魚の形に見立てて書いてあるものがあるそうだ。」

昴の鎖 (中略)先に述べた吉田源治郎氏の『肉眼に見える星の研究』のプレアデスの項には「プレアデスといふ名称は多分ギリシヤ語のプレイオネス(夥多)といふ字から出たものであらうとのことです。其名の如く、多数の星が何か鎖ででも結び合はされているかの如く此処に密集してゐます」とあり、尚別の個所にも先のヨブ記の一節の引用や、「昴の鎖」という記述が二、三見られる。この辺からも賢治の天文知識の拠り所がうかがわれると思う。また『銀河鉄道の夜』に現われる「プレシオスの鎖」という謎の言葉も解決出来そうである。」





「プレシオスの鎖」に関してはこちらをご参照ください:
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.04.0057%3Aentry%3Dplh%2Fsios
「πλήσιος」「near, close to」
https://biblehub.com/lexicon/matthew/5-43.htm
https://biblehub.com/lexicon/matthew/5-44.htm
「マルコによる福音書」には「自分を愛するようにあなたの隣り(プレーシオン)人を愛(アガペー)せよ」とあり、「マタイによる福音書」には「求める者には与え、借りようとする者を断るな。/「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。/しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛(アガペー)し、迫害する者のために祈れ。」とあります。キリスト教的にいえば、賢治は自己犠牲的な「まことの」愛(アガペー)に至るために、自己のための愛(エロス)のみならず、身近な(プレーシオスな)ものへの愛着(フィリア)をも断とうとしたのではなかろうか。それが「ポラーノの広場」で、山猫博士のデステゥパーゴ(敵)を排除するファゼーロたちの産業組合にレオーノキューストが参加しない理由でしょう。
「もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福祉にいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/そのねがひから砕けまたは疲れ/じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする/この変態を恋愛といふ/そしてどこまでもその方向では/決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得ようとする/この傾向を性慾といふ」
(「小岩井農場」より)
「私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。さういふ愛を持つものは結局じぶんの子どもだけが大切といふあたり前のことになりますから。」
(高瀬露宛書簡下書より)
「あゝ いとしくおもふものが/そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが/なんといふいゝことだらう」
(「薤露青」より)
「プレシオスの鎖を解く」とは、「たったもひとつのたましい」への愛着(あいじゃく)から開放されること、いいかえると「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」(「農民芸術概論綱要」)です。

「アンドロメダのくもはさかなのくちのかたち」に関してはこちらをご参照ください:
P. Kunitzsch "A Medieval Reference to the Andromeda Nebula"
https://www.eso.org/sci/publications/messenger/archive/no.49-sep87/messenger-no49-42-43.pdf
「On the mouth of the big Fish, several dots mark the "Nebulous spot", i.e. the Andromeda Nebula.」
Book of the Fixed Stars Auv0175 andromeda
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Book_of_the_Fixed_Stars_Auv0175_andromeda.jpg



























































































見田宗介 『宮沢賢治』 (20世紀思想家文庫)

「〈標本〉が現在(nunc)の中に永遠をよびこむ様式であったように、〈模型〉とはこの場所(hic)の中に無限をつつみこむ様式である。銀河の模型であるようなレンズが体現しているものとは、〈手の中の宇宙〉に他ならなかった。」
(見田宗介 『宮沢賢治』 より)


見田宗介 
『宮沢賢治
― 存在の祭りの中へ』
 
20世紀思想家文庫 12 

岩波書店
1984年2月29日 第1刷発行
1988年10月15日 第8刷発行
iii 277p 「図版出典」1p
口絵(モノクロ)1葉
B6判 角背紙装上製本 カバー
定価1,700円
カバー: 斎藤義重



本文中図版(モノクロ)12点。
著者の叙述はやや強引ではありますが、興味深いです。「ヘッケル博士」についての考察もあります。


見田宗介 宮沢賢治


カバーそで文:

「雪が往き 雲が展けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液がながれ

存在という新鮮な奇蹟は、なにごとの不思議もない日々のできごとにやどる。その驚きを賢治はうたう。誰にも歌いえなかった、みずみずしい歓喜の形で。詩も童話も芝居も、教師時代の授業も、〈羅須地人協会〉での生活も思想も、その日々の軌跡だ。
ひとは、いくたびか生まれる。死後50年、詩のかなたの詩を生きた、人間・賢治を現代の思想としてよみがえらせる。」



目次:

序章 銀河と鉄道
 一 りんごの中を走る汽車――反転について
 二 標本と模型――時空について
 三 銀河の鉄道――媒体について
 四 『銀河鉄道の夜』の構造――宮沢賢治の四つの象限

第一章 自我という罪
 一 黒い男と黒い雲――自我はひとつの現象である
 二 目の赤い鷺――自我はひとつの関係である
 三 家の業――自我はひとつの矛盾である
 四 修羅――明晰な倫理

第二章 焼身幻想
 一 ZYPRESSEN つきぬけるもの――世界にたいして垂直に立つ
 二 よだかの星とさそりの火――存在のカタルシス
 三 マジェラン星雲――さそりの火はなにを照らすか
 四 梢の鳴る場所――自己犠牲の彼方

第三章 存在の祭りの中へ
 一 修羅と春――存在という新鮮な奇蹟
 二 向うの祭り――自我の口笛
 三 〈にんげんのこわれるとき〉――ナワールとトナール
 四 銀河という自己――いちめんの生

第四章 舞い下りる翼
 一 法華経・国柱会・農学校・地人協会――詩のかなたの詩へ
 二 百万疋のねずみたち――生活の鑢/生活の罠
 三 十一月三日の手帳――装備目録
 四 マグノリアの谷――現在が永遠である


年譜
あとがき




◆本書より◆


「序章」より:

「二六歳のときになされた「オホーツク挽歌」の旅とならんで、もうひとつの象徴的な旅であるその前年の『小岩井農場』の歩行のおわりでは、賢治はこのように書いている。

  きみたちとけふあふことができたので
  わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
  血みどろになつて遁(に)げなくてもいいのです

 「きみたち」とはユリアとペムペルである。

  ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
  わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
  きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
  どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
  白堊系の頁岩(けつがん)古い海岸にもとめただらう

 このユリアとペムペルがはじめてあらわれるところから引用すれば、こうである。

    (天の微光にさだめなく
    うかべる石をわがふめば
    おゝユリア しづくはいとど降りまさり
    カシオペーアはめぐり行く)
  ユリアがわたくしの左を行く
  大きな紺(こん)いろの瞳(ひとみ)をりんと張(は)つて
  ユリアがわたくしの左を行く
  ペムペルがわたくしの右にゐる

 賢治はこのあとに〈みんな透明なたましひだ〉と書いて消している。
 ユリアはジュラ紀からくるのだろうし、ペムペルは小野隆祥のいうように、ペルム紀(二畳紀)からくるのかもしれない。人類が他の動物からわかれる以前の生命たちである。天の微光にさだめなくうかんだ石をふみすすむときに、詩人はこれらの〈遠いともだち〉と出会うのである。
 このことはまた、この詩をふくむ詩集『春と修羅』への序の中の、ふしぎな地質学を思い起こさせる。

  おそらくこれから二千年もたつたころは
  それ相当のちがつた地質学が流用され
  相当した証拠もまた次次過去から現出し
  みんなは二千年ぐらゐ前には
  青ぞらいつぱいの無色な孔雀(くじゃく)が居たとおもひ
  新進の大学士たちは気圏(きけん)のいちばんの上層
  きらびやかな氷窒素のあたりから
  すてきな化石を発堀したり
  あるひは白堊紀砂岩の層面に
  透明な人類の巨大な足跡を
  発見するかもしれません

 このいわば天空の地質学(引用者注: 「天空の地質学」に傍点)では、わたしたちには風も水もないがらんとした空にしか思われないような〈気圏のいちばんの上層〉に、過去(引用者注: 「過去」に傍点)が発掘されるのである。
 銀河の河原の〈プリオシン海岸〉のあの長靴をはいた学者は、ボスという牛の祖先を発掘しながらつぎのようにいう。

  「証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらゐ前にできたといふ証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層にみえるかどうか、あるひは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。」

 プリオシンとは第三紀の最も新しい層、鮮新世のことであり、人類が他の動物から分かれた時点である。」

「ミンコフスキー空間では時間も空間のひとつの次元なのであるから、過去(引用者注: 「過去」に傍点)に存在したものも未来(引用者注: 「未来」に傍点)に存在するはずのものも、この四次元世界の内部に存在している(引用者注: 「存在している」に傍点)ものである。たとえば「過去」というものは、上下、左右、前後とならぶもうひとつの(第四の)〈方角〉の名称であって、過去に存在したものが現在「ない」と感じられるのは、わたしたちの感じ方の習慣の問題にすぎない。詩集『春と修羅』の難解な『序詩』は、このような考え方につらぬかれている。(〈過去とかんずる方角から〉、〈明るい時間の集積のなかで〉等々)
 このような考え方は、賢治に親しいものであった仏教哲学の、有(う)部(説一切有部)の説く〈三世実有(さんぜじつう)〉の説と照応する。三世実有とは、過去も未来も現在とともにこの世界の内部に実在するというとらえ方である。」
「あのプリオシン海岸の長靴をはいた学者が〈証明〉しようとしていたことは、このように過去はありつづけるということ、時間のうちに生起する一切のものは、永在(引用者注: 「永在」に傍点)するのだということに他ならなかった。
 けれどももちろんこのような〈天空の地質学〉とは、過去が実在しつづけることの目にみえる比喩(引用者注: 「比喩」に傍点)にすぎない。三次空間の内部にひきもどされた心象のかたちにすぎない。時間がほんとうに第四の次元というかたちで存在するのならば、それはとうぜん、わたしたちがみている三次空間のどこか〈遠方〉などでなく、身近かな空間のすぐ〈裏側〉といったところに、ただ日常の〈感官の遥(はる)かな果(はて)〉にこそあるはずである。」
「わたしたちがこの〈第四の次元〉をゆくということは、たとえば成層圏その他に向う三次空間の内部の移動ではなく(引用者注: 「なく」に傍点)て、たとえば現在あるものが〈すきとおってゆく〉ことをとおして、いれかわりに過去や未来の透明な存在たちがありありとここに(引用者注: 「ここに」に傍点)その姿を現わす、というかたちで、〈感官の(引用者注: 「感官の」に傍点)遥かな果(はて)〉へと移行することに他ならないだろう。
 詩人がユリア、ペムペルと出会うことができるのは、このような感官の地点に歩み入るときである。」

「〈標本〉が現在(nunc)の中に永遠をよびこむ様式であったように、〈模型〉とはこの場所(hic)の中に無限をつつみこむ様式である。銀河の模型であるようなレンズが体現しているものとは、〈手の中の宇宙〉に他ならなかった。

 〈銀河鉄道〉のおわりのところで、世界の存立の秘密を開示する〈黒い帽子をかぶった大人〉がこんなことをいう。

  「この本をごらん、いゝかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本統だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年 だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときには斯(こ)うなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だって歴史だってたゞさう感じてゐるのなんだから、

 〈天の川だって、汽車だって歴史だって〉という。天の川と汽車がこの童話の中で、わたしたちの外部(引用者注: 「外部」に傍点)にみられるもののひとつでありながら、しかし同時に、わたしたちがすでにその内部におかれているものである、ということを以前にみてきたけれども、〈歴史〉もまたこれらと同じに二つの顔をもつものである。
 そしてこの本は〈歴史の歴史〉の本である。ひとつの〈時〉の内側にすべての過去と未来とがひろがるとすれば、そのような過去や未来のそれぞれの〈時〉の中にも、またそれぞれの過去と未来がひろがるはずであり、そしてまた〈模型〉が象徴するように、ひとつの局所の中に世界の総体が包摂されうるものであるならば、そのような世界の中のひとつひとつの微細な局所にも、またそれぞれの世界が開かれてありうるはずである。それはわたしたちの生きる時間と空間が限られたものであるということに、絶望することには根拠がないということを、開示する世界像である。

   「ごらん、そら、インドラの網を。」
  私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維(せんい)は蜘蛛(くも)のより細く、その組織は菌糸より緻密(ちみつ)に、透明清澄(せいちょう)で黄金で又青く幾億互に交錯し光って顫(ふる)えて燃えました。
   「ごらん、そら、風の太鼓(たいこ)。」も一人がぶっつかってあはてゝ遁(に)げながら斯(こ)う云ひました。ほんたうに空のところどころマイナスの太陽ともいふやうに暗く藍(あい)や黄金や緑や灰いろに光り空から陥(お)ちこんだやうになり誰も敲(たた)かないのにちからいっぱい鳴ってゐる、百千のその天の太鼓は鳴ってゐながらそれで少しも鳴ってゐなかったのです。私はそれをあんまり永く見て眼も眩(まぶし)くなりよろよろしました。
   「ごらん、蒼孔雀(あおくじゃく)を。」さっきの右はじの子供が私と行きすぎるときしづかに斯う云ひました。まことに空のインドラの網のむかふ、数しらず鳴りわたる天鼓のかなたに空一ぱいの不思議な大きな蒼い孔雀が宝石製の尾ばねをひろげかすかにクウクウ鳴きました。その孔雀はたしかに空には居りました。けれども少しも見えなかったのです。たしかに鳴いて居りました。けれども少しも聞えなかったのです。
  そして私は本統にもうその三人の天の子供らを見ませんでした。
  却(かえ)って私は草穂と風の中に白く倒れてゐる私のかたちをぼんやり思ひ出しました。

 『インドラの網』という短篇の結末である。インドラの網(因陀羅網)は、帝釈天(たいしゃくてん)(インドラ)の宮殿をおおうといわれる網である。この網の無数の結び目のひとつひとつに宝の珠(たま)があり、これらの珠(たま)のひとつひとつが他のすべての珠を表面に映(うつ)し、そこに映っている珠のひとつひとつがまたそれぞれに、他のすべての珠とそれらの表面に映っているすべての珠とを明らかに映す。このようにしてすべての珠は、重々無尽(むじん)に相映している。
 それは空間(引用者注: 「空間」に傍点)のかたちとしては、それぞれの〈場所〉がすべての世界を相互に包摂(ほうせつ)し映発し合う様式の模型でもあり、それは時間(引用者注: 「時間」に傍点)のかたちとしては、それぞれの〈時〉がすべての過去と未来とを、つまり永遠をその内に包む様式の模型でもあり、そして主体(引用者注: 「主体」に傍点)のかたちとしては、それぞれの〈私〉がすべての他者たちを、相互に包摂し映発し合う、そのような世界のあり方の模型でもある。
 それは詩人が、〈標本〉と〈模型〉という想像力のメディアをとおして構築しようとこころみていた世界のかたち――ありうる(引用者注: 「ありうる」に傍点)世界の構造の、それじたい色彩あざやかな模型のひとつに他ならなかった。」



「第3章」より:

  「⦅幻想が向ふから迫つてくるときは
  もうにんげんの壊(こわ)れるときだ⦆

 『小岩井農場』のパート九のなかにこういう二行がみられる。もちろんこのときの幻想は、にんげんの自我という幻想にとって幻想としてあらわれるもののことである。
 それはさしあたり、詩人がこのときにその自我の解体(引用者注: 「自我の解体」に傍点)という危険な場所に立っていたことを示す。「幻想」はいつも賢治の自我にみずからはコントロールできない力で、〈向うから〉迫ってくるのだ。
 それではこの〈とき〉はどのようなときだったのか?」
「すなわち詩人が、まさしくこの旅で求めてきたもの、〈遠いともだち〉と出会う場所である。人間が他の生き物とわかれる以前の合流点(引用者注: 「合流点」に傍点)、〈万象同帰〉のその場所である。
 このことは詩人にとってこの〈危険な場所〉が、同時にひとつの〈出口〉でもあるのだということを示唆する。
 さきの『青森挽歌』の中には、
   
  ⦅ヘッケル博士!
  わたくしがそのありがたい証明の
  任にあたつてもよろしうございます⦆

という奇妙な一節がある。
 この三行は、詩人が汽車の中で、妹の死のことをかんがえているときに突然のように挿入されている。
 小野隆祥の考証によれば賢治は中学五年のころに、丘浅次郎の『進化論講話』とともにヘッケルの『生命の不可思議』をおそらく読んで衝撃を受け、島地大等と生命の起源やゆくえの問題で問答している。
 ヘッケルは生物学者で、〈個体発生は系統発生をくりかえす〉ということ、たとえば一人の人間の生は、人類の全発生史を凝縮(ぎょうしゅく)してくりかえすということをとなえた人である。またその門下のドゥリーシュはその実験の中で、「海胆(ウニ)の卵を四細胞、八細胞、十六細胞各期にそれぞれ、四つ、八つ、一六など各個の海胆に成長させえた。逆に多くの卵から一個の海胆を成長させもした。」
 すなわち生物の「個体」というもの、わたしたちが〈自我〉とよぶものの本体として絶対化しているものは、じつはきわめて境界のあいまいなもの、かりそめの形態(ルーパ)にすぎないものだということを、自然科学の方法によって証明した学派である。『春と修羅・序』の詩の中に、〈新鮮な本体論〉をかんがえる主体として海胆(引用者注: 「海胆」に傍点)がとつぜん登場するのは、このためである。
 『青森挽歌』でヘッケル博士が登場するのは、妹の死のときのことを思いおこしているときであった。やはり文脈を正確に引用しておこう。

  わたくしがその耳もとで
  遠いところから声をとつてきて
  そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源
  万象同帰のそのいみじい生物の名を
  ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
  あいつは二へんうなづくやうに息をした
  白い尖つたあごや頰がゆすれて
  ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
  あんな偶然な顔つきにみえた
  けれどもたしかにうなづいた
      ⦅ヘツケル博士!
      わたくしがそのありがたい証明の
      任にあたつてもよろしうございます⦆

 〈万象同帰のそのいみじい生物の名〉を、たとえば如来(にょらい)のごときものとして、わたしはこれまで読んでいたと思う。それでまちがいはないのかもしれないけれども、なぜそれが〈生物〉という奇妙なよび名でよばれているのか。」
「ヘッケルの『生命の不可思議』によれば、すべての生命は最初の生物〈モネラ〉から、さまざまな過程に従ってさまざまな生物の種類へと分化してきた。
 そして賢治の時間意識は、序章二節でみてきたように、空間の第四次元のごとくに往復可能な(引用者注: 「往復可能な」に傍点)時間のイメージであったから、この漸移(ぜんい)はまた〈可逆的に〉さかのぼることも可能なはずであった。それは、この個我を絶対視する〈わたくし〉にとってはあまりに恐ろしいことだけれども、同時にそれは、人と人、人間と他の生命たちとの間の障壁が、くずれることのないものではありえぬということの証拠でもあった。」
「個体発生が系統発生をくりかえすならば、わたしたちひとりひとりの生の起源にも〈モネラ〉は存在するはずである。
 この「生物」の名が二人のあいだで、個我とその他の生命たちとの同帰する根源にあるものを指す記号として、語り合われるたびにさまざまな意味を吸収してふくらみながら、〈対(つい)の語彙(ごい)〉――二人だけのあいだで通用することばとして定着していて、賢治は死んでゆく妹の耳に、必ずまた会おうねという暗号のように、ヘッケル博士のこのいみじい生物の名を、力いっぱい叫んだかもしれないと思う。
 『小岩井農場』の詩のなかで〈にんげんのこわれるとき〉ということばが発せられるのは、このように進化の漸移をさかのぼり、人間が他の生命たちとふたたび合流する地点であることをさきにみてきた。〈ちいさな自分を劃ることのできない〉以下の、『小岩井農場』の結語の部分は、このような発生学と時間論とを前提としてはじめて解読することができる。」

「〈にんげんのこわれるとき〉というこの世界像の芯(しん)を形成する体感とは、たとえば晩年の手帳の中に、〈わがうち秘めし/異形の数、//異空間/の断片〉とひそかに記されているような、日常合理の世界と自我との彼方に向ってほとんど無防備に開かれてあることの戦慄(せんりつ)のようなものに他ならなかったはずである。
 また切実な願望とは、〈このからだそらのみぢんにちらばれ〉(『春と修羅』)〈まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう〉(『農民芸術概論綱要』)といったことばを突然の不可抗力のように文脈から躍りあがらせてしまう、分身散体願望(引用者注: 「分身散体願望」に傍点)であり、個我をひとつの牢獄として切実に体感してしまう感受性であったはずである。
 『青森挽歌』のなかで詩人が、ここでも自我の危機にさらされているときに、賢治はこのように書いている。

  感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
  それをがいねん化することは
  きちがひにならないための
  生物体の一つの自衛作用だけれども
  いつでもまもつてばかりゐてはいけない

 いつでもまもってばかりいてはいけない、と。
 〈がいねん化する〉ということは、自分のしっていることばで説明してしまうということである。たとえば体験することがあまり新鮮にすぎるとき、それは人間の自我の安定をおびやかすので、わたしたちはそれを急いで、自分のおしえられてきたことばで説明してしまうことで、精神の安定をとりもどそうとする。けれどもこのとき、体験はそのいちばんはじめの、身を切るような鮮度を幾分かは脱色して、陳腐(ちんぷ)なものに、「説明のつくもの」になり変わってしまう。
 にんげんの身をつつんでいることばのカプセルは、このように自我のとりでであると同時に、またわたしたちの牢獄でもある。人間は体験することのすべてを、その育てられた社会の説明様式で概念(がいねん)化してしまうことで、じぶんたちの生きる「世界」をつくりあげている。ほんとうの〈世界〉はこの「世界」の外に、真に未知なるものとして無限にひろがっているのに、「世界」に少しでも風穴があくと、わたしたちはそれを必死に〈がいねん化する〉ことによって、今ある「わたし」を自衛するのだ。
 このように、にんげんの身をつつんでいることばのカプセルとしての「わたし」と、その外にひろがる存在の地の部分とを、インディオの神話のことばを借りて〈トナール〉と〈ナワール〉とよぶことにしよう。
 「〈トナール〉は社会的人間(引用者注: 「社会的人間」に傍点)なのだ。」とインディオの知者ドン・ファン・マテオスはいう。「〈トナール〉は世界の組織者さ。その途方もないはたらきを言い表わす仕方はたぶん、世界の渾沌(カオス)に秩序を定めるという課題を、それが背負っているということだ。われわれが人間として(引用者注: 「人間として」に傍点)知っていることもやっていることも、みんな〈トナール〉のしわざなのだ。」「〈トナール〉は世界をつくる。〈トナール〉は話すという仕方で(引用者注: 「話すという仕方」に傍点)でだけ、世界をつくるんだ。それは判断し、評価し、証言することで世界をつくるんだ。いいかえれば、〈トナール〉は世界を理解するルールをつくりあげるんだ。」
 〈トナール〉はもともとわたしたちの守護者(ガーディアン)であるのだけれども、それはいつのまにか、わたしたちをじぶんの「世界」の内にとじこめる看守(ガード)になってしまう。
 〈ナワール〉とは、この〈トナール〉というカプセルをかこむ大海であり、存在の地の部分であり、他者や自然や宇宙と直接に「まじり合う」わたしたち自身の根源であるという。
 「まったくわれわれは、おかしな動物だよ。われわれは心奪われていて、狂気のさなかで自分はまったく正気だと信じているのさ。」このようにドン・ファン・マテオスがいうのは、わたしたちはトナールのつくりあげている〈ひとのせかいのゆめ〉だけを、正気の世界であると信じているからである。

  それらひとのせかいのゆめはうすれ
  あかつきの薔薇(ばら)いろをそらにかんじ
  あたらしくさはやかな感官をかんじ

 賢治はとし子の行ったところを、このような空間としてとらえている。
 〈わがうち秘めし異事の数、異空間の断片〉と書かれた手帳のあとのところで、賢治はこの当時の「唯物論」の限界を批判してこう書いている。

  唯物論要ハ人類ノ感官ニヨリテ立ツ。人類ノ感官ノミヨク実相ヲ得ルト云ヒ得ズ。

 つまり賢治は、人間の感覚器官でとらえられるものだけを信ずる考え方の「明晰さ」というものを批判して、人間の感官がそれじたい限界のあるものであることを指摘している。これはきわめて合理的な批判である。それはみずからの「明晰」を相対化する力(引用者注: 「明晰」「を相対化する力」に傍点)をもった、真の〈明晰〉の立場といえる。」





こちらもご参照ください:

原子朗 『新 宮澤賢治語彙辞典』

















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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