佐藤泰平 『宮沢賢治の音楽』

「おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた」

(宮沢賢治 「告別」 より)


佐藤泰平 
『宮沢賢治の音楽』


筑摩書房 
1995年3月25日 初版第1刷発行
282p 目次ほか4p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,200円(本体3,107円)
カバー写真協力: 宮沢賢治記念館



著者は音楽教育家、1936年生。
宮沢賢治が残した「歌曲」を、実弟・宮沢清六の協力のもとに調査・検証する第一章、童話「セロ弾きのゴーシュ」に賢治の「音楽的な生活経験」をよむ作品論である第二章、賢治が聞き、所持していたレコードを調査する第三章の三部構成になっています。
本文中図版・楽譜多数。


佐藤泰平 宮沢賢治の音楽 01


帯文:

「賢治文学の豊かな音楽性と、その魅力をさぐる」


帯背:

「賢治、もう一つの魅力」


帯裏:

「賢治が作詞・作曲した歌――「星めぐりの歌」「月夜のでんしんばしら」「牧歌」「大菩薩峠の歌」「北空のちぢれ羊から」「イギリス海岸の歌」「剣舞の歌」「太陽マヂックの歌」、賢治の替歌・編曲した歌、宮沢賢治とレコード。
――目次より――」



佐藤泰平 宮沢賢治の音楽 02


目次:

第一章 宮沢賢治の歌曲
 はじめに
 一、賢治が作詞・作曲した歌
  星めぐりの歌
  月夜のでんしんばしら
  牧歌
  大菩薩峠の歌
  北空のちぢれ羊から
  イギリス海岸の歌
  剣舞の歌
  太陽マヂックの歌
 二、賢治の替歌及び編曲した歌
  スイミングワ゛ルツ――「一時半なのにどうしたのだらう」「糧食はなし四月の寒さ」
  めぐみのあふるゝ――「飢餓陣営のたそがれの中」
  教導団歌――「いさをかゞやくバナナン軍」
  チッペラリーの歌――「私は五聯隊の古参の軍曹」
  In the good old summer time――「つめくさの花の咲く晩に」
  Flow Gently, Sweet Afton――「けさの六時ころワルトラワーラの」
  いづれのときかは――「つめくさ灯(ひ)ともす夜のひろば」
  交響曲第九番「新世界より」第二楽章 ドヴォルジャーク作曲――「種山ヶ原」
  交響曲第六番「田園」第二楽章 ベートーヴェン作曲――「弓のごとく」
  酋長の行進(イッポリトフ=イヴァノフ作曲 管弦楽組曲「コーカサスの風景」より)――「風ぬるみ鳥なけど」
  兵士の合唱(F・グノー作曲 歌劇「ファウスト」より)――「角礫行進歌」
  人魚の歌(C・ウェーバー作曲 歌劇「オベロン」より)――「火の鳥の歌」
  リードオルガン曲 島崎赤太郎編『オルガン教則本・壱』より第二十四番――「耕母黄昏」
  紫淡くたそがるゝ――「黎明行進歌」
  応援歌
  青い槍の葉
 三、賢治の詩に川村悟郎が作曲した歌
  精神歌

第二章 「セロ弾きのゴーシュ」私見
 はじめに
 一、「セロ弾きのゴーシュ」の構成
 二、金星音楽団と楽長
 三、ゴーシュ
 四、動物たちとゴーシュ
 五、アンコール
 六、おわりに――賢治のオルガンとセロのレッスン

第三章 宮沢賢治とレコード
 一、宮沢賢治とレコード
 二、R・シュトラウスの「死と浄化」
 三、ブラームスの「交響曲第三番」第三楽章
 四、ストラヴィンスキーの「火の鳥」――恩師・玉置邁と賢治

あとがき



佐藤泰平 宮沢賢治の音楽 03



◆本書より◆


「その人の“聴く”体験の中で、きっちりと音楽形式的に整った音楽ではなく、それ以前の音、つまり、連続、中断、沈黙なども含めた音の断片を、耳がどのように拾い集め、どのように反応していくか、その経験が抜け落ちない方がよい。人間は母親の胎内にいるときから音を捉えているし、生まれた後は、実に種々雑多な音を聞きながら育っていくのである。」

「人のふしを借りるにせよ、自分のふしにせよ、自分の文句で歌うというのは実は、大変勇気がいることだ。どんなに人に笑われ、どれほど人にけちをつけられてもかまわないと決断をしなければならないのだから。」

「誰が歌ったものが正しい歌なのか、誰が採譜した楽譜が信頼出来るのかを判断するのは難しい。もし、口唱者や採譜者によって異なる楽譜が作られた場合には、それらをまとめて一つの楽譜にしてしまうのではなく、それぞれの理由を付して、その原形の楽譜を残しておくのがいいと思う。数種の楽譜のどれを使うかは、歌う人が決めればいいとさえ思うのである。」

「自分の文句で自分のふしで歌いなさい、他者の目や評価を気にせず遠慮なく歌いなさい、また、出まかせのうたを歌うホロタイタネリのように、日常生活の中にすっかり溶けこんだうたを歌いなさい、と賢治はいう。」

「宮沢賢治はその一生を通じて音楽と重要なかかわりを持ち続けた人と云うことができる。そのことは彼の家族や友人、教え子たちの数々の追想の記録の中に織り込まれているので知ることができるが、彼の作品そのものに、多領域にわたる彼の音楽経験が直接、間接にあらわれている多くの事実が、もっとも確実な証しと云える。追想の記録によると、賢治の音楽経験は実に豊富であった。たとえば、レコードの収集や鑑賞、それに加えてレコード・コンサートを自ら主催し、解説までする。既成の曲に作詞をしたり、自作の詩に作曲したりする。自作の詩を朗読するときには、それに合わせて友人に即興でピアノを弾かせたりもする。そればかりか詩の朗誦伴奏用にオルガンやセロのレッスンを受ける。自分で楽器を買い集め農民による小オーケストラを企画する。また、即興的な身体表現が得意なようで、山歩きをしているときなどに、奇妙な叫び声をあげては跳びはねたり踊ったりすることもあるなど、これら全部を本当に賢治一人が体験したのだろうかと疑いたくなるほど彼の音楽的活動は広い領域に及んでいる。
 賢治はこれらの幅広い音楽経験の中で学び得たすべてを、彼のたくさんの作品に注ぎ込んだ。特に「セロ弾きのゴーシュ」は、音楽自体が物語りの構成の重要な要素になっている点で貴重な作品と云えよう。」




◆感想◆


そういうわけで、たいへん興味深い本ですが、「セロ弾きのゴーシュ」論に関しては、著者は教育者だけあって、ゴーシュの「努力」や「音楽的成長」を見ようとする立場からの解釈になっているので、いささかものたりないです。というのは、たとえば「注文の多い料理店」が、七つの関門を通って他界へ至るという、イシュタル(イナンナ)の冥界下りの神話と相似する構造を持つ「イニシエーション」童話であるように、「ゴーシュ」の体験にもまたシャーマニズムのイニシエーション儀礼の性格を見て取れるはずだからです(※)。

※もっとも、本文への注で、著者は、「自分の楽器の最大の弱点である〈孔〉からねずみを入れる行為は、厳粛な通過儀式といってよい。(中略)そして、子ねずみの病気の回復はゴーシュを再生させた」と、シャーマニズムのにおいを嗅ぎつけているような表現をしています。
賢治が事実として、そうした神話の存在を意識していたかどうかは問題ではないです。詩人というのは自ら神話を作り出す存在であり、神話というのは集合的無意識によって産出されるものだからです。

そこで、イニシエーションとしての、ゴーシュの動物たちとの関わりを、エリアーデの用語(※)を援用しつつ呈示すると次のようになります。

①猫
動物霊によるシャーマンへの召命。
②かっこう
イニシエーションの師匠としての動物の鳴き声や行動を模倣することによる動物の言語の習得。
「天空飛翔」のモチーフ。
③たぬき
シャーマンの太鼓。精霊界との接触の樹立。
④ねずみ
呪医としての能力の獲得。
「冥界下降」のモチーフ。

※エリアーデ『シャーマニズム』(堀一郎訳)より:
「呪術的音楽は、(中略)シャーマンのエクスタシーの旅の遂行とその成功を確実にする多くの方策のうちの一つであるといって大過ないだろう。」
「アジア全体がそうだが、チュクチではシャーマンの召命はふつう、「イニシエーション的巫病」、あるいは超自然的なもの(ひじょうな危機の際に出現して未来のシャーマンを救う狼や海象など)の出現によってもたらされた精神的危機から発する。いずれにせよ、そのようなきざし(病気とか超自然的なものの出現)によってもたらされた危機は、基本的にはシャーマンの経験そのものに帰着するものである。すなわち、チュクチ人は、「イニシエーション途上」は重い病気であると見、「霊感」(換言すれば、イニシエーション完了)は病気が癒えることであると見る。ボゴラスの会ったシャーマンはみな、自分は特に先達を得たわけではないと言っているが、だからといって彼らが超人間的な教師につかなかったということにはならない。「シャーマン的動物」との出会いそれ自体、シャーマンになるべき初心者が受けるある種の教育が示されている。」

ところで、著者は、「楽長」の叱言は「くどくて八つ当たり気味」であり「ゴーシュの心の内側に入りこむには至らなかった」「ゴーシュの心の奥底にある琴線が鳴り出すには何かが起こらなければならなかった」と書いていますが、実際のところ、ゴーシュが動物たちから学んだことは全て、あらかじめ「楽長」がゴーシュに与えていた叱言の内容と同じものです。つまり、「感情が出ない」という楽長の指摘は猫とのやり取りによって克服され、「糸が合わない」(音程がちがう)という楽長の指摘はかっこうによって、「セロがおくれた」「外の楽器と合はない」(リズムがちがう)という指摘はたぬきによって繰り返されています。しかしながら、楽長が(そして当初のゴーシュが)音楽を演奏することによって得ようとしていたものは「専門家」としての「面目」とか、社会的名誉とかであって、要するに「自分」をいかに「他者」より社会的に秀でた者にするか、に関心があったのに対して、動物たちが求めたものは音楽による越境であり、脱我(エクスタシー)であり、自他一如の境地であり、音楽によるヒーリング機能でありました。そういった意味では、この童話のテーマはゴーシュの人間社会からの「逃走」と「動物への生成変化」(le devenir-animal)であるといってよいです。

ゴーシュはその後どうなったか、たぶんチャールズ・ミンガスになったのではないでしょうか。




こちらもご参照下さい:

Charles Mingus 『Beneath the Underdog』
































































スポンサーサイト

入沢康夫 『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』

「未完成とはいえ賢治童話の白眉である「銀河鉄道の夜」が、透明な光に満ちた銀河を舞台としていながら、その底に一種異様な暗さを湛えていることは、おそらく誰しも否定し得ないところでありましょう。この点に関しては、あるいは、むしろ、その底深い暗さが作品の美しさを支え、高めているとさえ言うべきかもしれません。」
(入沢康夫 「「銀河鉄道の夜」の発想について」 より)


入沢康夫 
『宮沢賢治 
プリオシン海岸からの報告』


筑摩書房 
1991年7月25日 初版第1刷発行
490p 目次6p 索引v 
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価5,500(本体5,340)円
造本・装訂: 間村俊一



本書「覚え書」より:

「ここには、私がこれまで宮沢賢治について多少とも公の場で書いた散文のほとんどすべてが集められている。(「ほとんど」といったのは、あまりにも言及が断片的なものや、内容にいちじるしく重複のあるもの、さらに全集や選集の解説として書かれていて本文がなければ意味を持たないものなど、そうした何点かが省いてあるためである。)
 これらの文章は、一賢治作品愛読者の折にふれての《雑感》か、さもなければ(このほうが量的には遥かに多いのだが)、一九七〇年代以降何度かの賢治全集の編集に参加した者としての《報告文》であって、研究論文とか評論とか呼ばれるには価しないものばかりである。それを、今回一巻にまとめるのは、したがって、「私の賢治論」を世に問おうという意味合いからでは毛頭ない。上記のような内容からいって、これが、ひょっとしたら、過去から今日までの《賢治受容の歴史》の一側面に対して、限られた角度からではあれ、ある程度の照明を当てられる、そういった意味での《資料》にはどうやら成り得るのではなかろうかと、ふと思ったからにほかならない。」
「ⅠからⅢの章分けは、Ⅰは、私が『校本宮沢賢治全集』の仕事に携わるよりも以前に(つまり、賢治の原稿の実態について、ほとんど知るところなしに)書いたもの、Ⅱは、上記全集に関わる編集校訂作業と、それと直接につながる後始末の時期、そしてⅢは、それ以後今日までのもの、といったつもりでなされてある。」



入沢康夫 宮沢賢治 01


帯文:

「草稿の
森の
なかへ

校本宮沢賢治全集の
草稿調査を通じて、
テクスト研究の最前線でつねに
洞察に満ちた着想と
緻密で卓越した批評を
発信しつづけてきた詩人の
四半世紀にわたる全賢治論考。
待望の刊行!

探索と
発見の旅」



目次:

序に代えて
 四次元世界の修羅 宮沢賢治の作品創造

Ⅰ 1966―1970
 「若い木霊」の問題
 賢治研究の進展への期待
 空洞考 あるいは《内なる異空間》についてのむだ話
 「銀河鉄道の夜」の発想について
 賢治童話との出会い

Ⅱ 1971―1978
 妙な記数法のはなし
 「グスコーブドリの伝記」下書稿のこと
 詩集『春と修羅』の成立
 訂正二件
 『校本宮沢賢治全集』の特色
 近況報告 賢治全集のジレンマ
 宮沢賢治――深淵
 「ポラーノの広場」についての報告
 黒インク手入れの意味
 混成怪獣キマイラと宮沢賢治
 賢治作品の新しい貌
 「空洞考」後日譚
 「銀河鉄道の夜」の本文の変遷についての対話
 賢治の一詩篇をめぐって
 スウェン・ヘディンの空想
 四十五元の魔界 ある「銀河鉄道の夜」論における確率的難点を論じて、そば屋の品書きの宇宙的照応性に及ぶ
 幻の「凍れる木(フローズン・ツリー)」
 準平原の詩情 「風の又三郎」と種山ヶ原
 カフカと賢治と
 迂路から迂路へ
 開かれた全集
 騙(かた)る主体
 化鳥の変貌
 宮沢賢治と数学
 「冬のスケッチ」現存稿の位置
 雪の朝花巻に着いて

Ⅲ 1978―1990
 「生」と「聖」 中也における賢治問題
 詩の本文のことなど
 書坊余録
 詩と体験 現実と作品化
 賢治と「心象スケッチ」 一つの随想として
 賢治と十年
 日記から
 鴾という鳥 賢治童話の魅力の一つの核
 廃墟の美
 小沢さんのこと
 小沢さんを送った日
 『春と修羅』成立過程に関する佐藤勝治氏の新説について
 賢治文学の魅力
 「冬のスケッチ」草稿の原順序推定について
 賢治と現代 「宮沢賢治展」によせて
 賢治詩稿中の謎の一篇
 東京
 原色複製「セロ弾きのゴーシュ」草稿について
 「失われた部分」のこと 『春と修羅』成立過程に関する若干の随想
 宮沢賢治と文房具
 宮沢賢治と音楽
 雪の日のアイスクリーム 白秋と賢治
 宮沢清六さんのこと
 作者のリアリティ 「作品は手段、読みの対象は作者」か?
 映画「風の又三郎――ガラスのマント」を観て
 「風の又三郎」の位置
 「ヒドリ」か「ヒデリ」か
 「ヒドリ」再説

・書評・詩時評
 堀尾青史著『年譜宮沢賢治伝』
 「雨ニモマケズ」評価の展開
 斎藤文一著『宮沢賢治とその展開――氷窒素の世界』
 斎藤文一著『宮沢賢治とその展開――氷窒素の世界』
 中村文昭著『「銀河鉄道の夜」と夜」
 小倉豊文著『「雨ニモマケズ手帳」新考』
 没後五十年の宮沢賢治
 見田宗介著『宮沢賢治』
 宮沢賢治論の盛況
 栗原敦・杉浦静編『小沢俊郎宮沢賢治論集』1作家研究・童話研究

覚え書
索引



入沢康夫 宮沢賢治 02



◆本書より◆


「四次元世界の修羅」より:

「詩集『春と修羅』におさめられている長詩「小岩井農場」は、五月のある朝、橋場線小岩井駅から出発して、歩いて広大な農場をよこ切り、さらにその向うの姥屋敷部落の手前まで行ったところで雨に会い、ふたたび同じ道をとって返して小岩井駅へと至る道程の、属目および心象を綴った、それこそ心象スケッチの名にふさわしく思われる作品だが、我々が詩集の本文として読む作品は、その時手帖にしるされたスケッチとは非常に違った形のものである。この詩については、この詩集の詩としては例外的に、数次の草稿が一部欠落はあるがのこっている。手帖こそ失われているが、おそらくその手帖から語句をととのえながら書き写したと思われる、使用ずみ原稿紙裏を使った下書稿、それにいろいろと加筆訂正した結果を、今度は四百字詰原稿用紙に清書した稿(やはり清書後に多くの加筆や削除がなされている)、そして、詩集の出版のときの六百字詰原稿用紙への清書稿が、それだが、この最後の原稿も、作者のつけた紙ノンブル(何度か書き直されている)を丹念にしらべてみると、この詩にあたる二十六枚については、そのうち八枚が一ぺんまとめて印刷屋の手に渡されたあとで、そっくり新しく書き改められていることがわかる(特に最終パートにあたるパート九は、全体が新しい稿にとりかえられている)。しかも、このような原稿の最終形態と、実際の詩集本文の間にもまたいくつかの異文が生じていて、校正段階での推敲があったことを示している。
 そして、このような執拗なまでの手直しは、この作品に限ったことではないらしいのであって、しかも、この詩集全体の構成も、原稿が印刷屋に渡ってからでさえ何度か練り直されていることも判明している。」
「それにしても、ここまでのことならば、詩集が世に出るそのぎりぎりの時まで手入れを怠らぬ作者の誠実さと見ることもできるわけだが、賢治はこの詩集が出版されたあとで、手もとにあった本に、またしても数多い手入れをしたのである。しかもこのような自筆手入れ本は一冊だけではなく、現在所在が判明しているものだけでも三冊(中略)あり、それぞれの手入れの数も(中略)、約三百カ所(宮沢家本)、約八十カ所(菊池家本)、約十五カ所(藤原家本)という多きに及び、このほか、その所在は確認されていないが、藤原家本に書きうつされていることで概要が知られる一冊(あるいは数冊?)には二百数十カ所の書き入れがあったらしい。そして、これら諸本の書き入れについて、他のどれかの本と同一のものは、それぞれ一割くらいしかなく、あとはみな異なっているのである。」

「「小岩井農場」は、そして『春と修羅』は、単なる一例にすぎない。これらが他に比べて特に推敲が甚だしいというのでもない。生前の数少ない雑誌発表作品についても、そのページを切りとって、他の原稿と同じような表紙をつけ、中にペンや墨で手入れをしているものがあり、また発表形と現存草稿をつき合わせてみると、発表形は、数次にわたって清書された草稿の、何重にも及ぶ推敲の層の、ごく初期の一段階を示しているにすぎないといったケースも、そこここで生じている。生前未発表作品についても事情はほぼ同じで、下書、清書、ルビ付け、手入れ、再清書、手入れといったことが、何重にも積み重なり、童話では、その間に主人公も話の筋も大きく変って、全く別の話のようになってしまうものが二、三にとどまらない。」
「賢治の推敲は、一部の語句の修辞上の手直しももちろんあるにしても、それよりも、作品のはじめからおわりまで通して、一度に手が加えられるということが、ある時間をへだてては起っているという場合の方が普通であるという、大きな特徴をもっている。作品がいくつかの層にはがして考えられるということは、つまりその結果なのである。
 そして、それら一つ一つの層は、どれもそれなりの完成を示しているのであって、この点でも、終極の完成をめざして、長い時間をかけて、作品のあちらを直したり、こちらをととのえたり、といった、普通に考えられる推敲とは歴然と異なっているのだ。」

「このような推敲の結果、はじめは別々の作品として成立していた数篇の童話が、のちには一つの作品の中に、その部分として組み込まれるケース(たとえば「種山ヶ原」「さいかち淵」「風野又三郎」→「風の又三郎」)や、それとは逆に、元は一つであったのが、のちに非常に異なった二つの作品に分離し、それぞれに発展していくというケース(「チューリップの幻術」と「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」)も見られる。
 空間の三次元に対する第四の次元である時間の軸にそって移動しながら、賢治の作品は、変貌し、分離し、あるいは合体して行く。これは、もはや推敲という段階を明らかに超えた事態であって、いうなれば作品自体の実存的運動――その都度その都度の達成とそこからの自己否定的脱出――のくり返しなのである。」

「やや奇矯で極端なイメージ化をあえてすれば、賢治の個々の作品は(少なくとも我々の前に遺されたそれらは)、頭もなく(というのは現存稿の最初形の前に、さらに下書稿があったことが考えられるからだ)、また尾もない(賢治が生きつづけたら、必ずや、また何がしかずつの時間をおいては手入れをしたであろうからだ)一本の管のようなものとして、時間の中にうねうねと延びているのであり、賢治作品の全体はそのような管の数百本の同時併存だということになる。そして、われわれが作品本文として読むのは、そのような管の、ある時点での一つの切り口にすぎないのだ。」
「かねて、賢治の作品については、限られた自筆日付けのあるもの以外は、成立年次あるいは順序の確定がはなはだ困難であると嘆かれて来た。しかし、賢治作品のありようが今まで見て来たようなものであって見れば、成立年代といったこともかなりちがった角度で考え直さねばならず、場合によっては全く意味を失うかも知れない。日付けのある作品の場合でも、賢治が書いている日付けは、そのほとんどは、成立日付けではなく、発想の日付け(あるいは最初の着手の日付け)であるらしいのだ。」



「宮沢賢治――深淵」:

「宮沢賢治の作品の《真の魅力》は、文学が真に文学の名に価するものであるときに不可避的に喚び起してしまう《深淵》の《おそろしさ》と、同じもののことである。賢治の作品を読みすすんで行くとき、表面の筋の上では別にどうということもない、ささいな部分から、一種異様な、日常の私たちの生活では全くなじみのない空間が、ぽっかりとあおぐろい口を開くのが感じられる。私たちは、その空間を前後の文脈や意味から何とかして定義づけようとするが、そのような努力は一切むなしい。そこには、現れてはならないものが出現しているのであり、その「現れてはならないもの」こそが、おそらくは「ものを書く」ということの真の支えである「この世界」に他ならないのだと気付くとき、我々の戦慄は二重になる。
 賢治のオリジナリティは、科学と宗教と文学とを一つに綜合しようとした点にあるといった物言いは、それ自体として見当違いではさらさらないのだけれど、今述べた《戦慄》を解く鍵としては、尚あまりに迂遠という他ない。
 「ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。」と、童話集《注文の多い料理店》の序文に賢治は書きつけているが、このようにして定着されたその作品世界は、合わせ鏡の無限廊下に青ざめて立ちすくむような、文学作品の作者および読者の本源的孤独を、したたかに味わわせてくれるのである。
 そして、ここでやや奇矯な言い方をあえてすれば、賢治は、上記のような《作品が喚び起す深淵》を、作品の外でも、つまり実生活のさなかにあっても感じていたと思われるのである。彼はつねに《作品を書くごとくに生きて》いたのではなかったか。そして、彼もある詩の中で記しているように

  感ずることのあまりに新鮮にすぎるとき
  それをがいねん化することは
  きちがひにならないための
  生物体の一つの自衛作用

である以上、この《深淵》に、理念の脈絡を課すことは不可欠の急務であったはずで、幼いときからそのような生を生きて来た彼が、やがて法華経に出会ってあれほどの感動を覚えるのも、それはそこに表されているヒューマニスチックな観点への共感といった甘っちょろいものではなく、必死の自己救出のための最良の手引きを見出した感動だったと思う。
「自己救出」。しかし、それは、そのような賢治にあっては、とりもなおさず《世界》の救出の願いなのであった。
 しかし、農業技師としての彼の実践、あるいは石灰肥料の販売に示した捨身の努力、それらは、賢治の健康をむしばみ、生命を奪うもとになったほどのものであるけれど、それらが《実践》という見地からのみ見るとき、どこかひよわな感じ、夢幻の中の彷徨のようなたよりなさをともなっているように見えるのは、それらが、実際にいかに献身的なものであったにしても、《深淵》をふさぐどころか、ますます大きく口を開かせることにしかなっていないことから来ている。」




こちらもご参照下さい:

入沢康夫 『ネルヴァル覚書』






































































































































宮沢清六 『兄のトランク』 (ちくま文庫)

「私は永い間兄の傍にいて、ある人には立派な資格だと言われ、ある人たちには嘲笑され、或る人々にはどうしても理解されないで、しかも自分にとってこの世では、まことに不幸でもあったこの持って生まれた性格を弟として何とも出来ず全く気の毒でしかたなかったのである。
 しかしまた肉親という考えを離れて考えて見ると、賢治の性格も生涯も、他からの批判や同情などと全然無縁の、何としてもそうしか出来得ない必然的な事実であり、結果でもあったと思う。」

(宮沢清六 「兄賢治の生涯」 より)


宮沢清六 
『兄のトランク』
 
ちくま文庫 み-12-1

筑摩書房 
1991年12月4日 第1刷発行
1995年8月10日 第3刷発行
275p
文庫判 並装 カバー 
定価680円(本体660円)
装幀: 安野光雅
カバー装画: 服部圭子


「この作品は一九八七年九月二九日、筑摩書房より刊行された。」



本文中図版(モノクロ口絵)8p。


宮沢清六 兄のトランク


カバー裏文:

「短い生涯を流星のように駆けぬけた兄・宮沢賢治の生と死をそのかたわらで見つめ、兄の死後も烈しい空襲や散佚から遺稿類を守りぬいてきた実弟による初めての文集。昭和14年に変名で発表した幻の詩論「『春と修羅』への独白」をはじめ、45年の長きにわたって発表しつづけてきた兄の想い出や作品についてのエッセーを収録。文庫化に当たり新たに二篇を加え、決定版とした。」


文庫化にあたり追加された二篇は、「虫と星と」および「ナッパ先生の実験」です。


目次 (初出):


虫と星と (『宮澤賢治と星』 草下英明著 1953年9月)
麓の若駒たち (『昭和文学全集』 第18巻月報 1962年8月 角川書店)
曠野の饗宴 (「四次元」 1959年1月号)
最初の手紙 (「四次元」 1963年7月号)
映画についての断章 (『宮澤賢治全集』 第12巻月報 1968年12月 筑摩書房)
兄とレコード (「四次元」 1955年1月号)
録音に寄せて (『現代詩集』 第3巻 1964年8月 有信堂マスプレス)
十一月三日の手紙 (「四次元」 1968年1月号)
肥料設計と花壇設計 (「農民芸術」 第3号 1947年4月)
兄のトランク (「創元」 1941年3月号)


『春と修羅』への独白 (「イーハトーヴォ」 第2―6号 1939年12月―1946年2月/「農民芸術」 創刊号 1946年5月)
「修羅の渚」にて (『現代日本の文学』 第6巻月報 1971年10月 学習研究社)
「イギリス海岸」への独白 (「地方公論」 1974年1月号)


燻浄された原稿 (「四次元」 1955年1月号)
花巻から山小屋までの高村先生 (「文藝」 臨時増刊号 「高村光太郎読本」 1956年4月)
焼け残った教材絵図について (『宮澤賢治 科学の世界』 1984年5月 筑摩書房)
早春について (「花城新聞」 1950年7月)
極東ビヂテリアン大会秘録 (「四次元」 1951年5月号)
イタリヤの友より (「四次元」 1956年10月号)
銀河鉄道の車掌さん (「四次元」 佐藤寛追悼号 1972年3月)
賢治の世界 (「北流」 1974年10月号)
ナッパ先生の実験 (『新修宮澤賢治全集』 第15巻月報 1980年11月)


「臨終のことば」から (「ユリイカ」 1970年7月号)
兄賢治の生涯 (『宮澤賢治全集』 別巻 1969年8月号)

あとがき
初出一覧

解説 宮沢清六さんのこと (入沢康夫) (「ちくま」 1987年11月号)




◆本書より◆


「映画についての断章」より:

「花巻で兄が見て帰ってから私に笑いながら話してくれた、ある晩の映画館のことがいまも思い出されます。
 「映画館には客がまるで入っていないので、畳にねそべったり、がやがやお互いに話し合ったりしていたもんだ。時々奇声を上げながら説明者がいい加減なことを喋っていたが、一人の酔払いが入って来て叫んだもんだ。
 『おい。弁士い。しっかりやれい。下手糞弁士い!』と大声で何回も叫んだので、説明者が本当に怒りだしてどなったもんだ。
 『我が輩はこれでも芸術家だ。かりそめにも一人の芸術家に対して無礼な言辞を弄する奴などに説明してはやれない。』
といって沈黙し、みんなもしぃんとしてその変な映画を見ていたもんだ。暫くの間その無声映画を見ていたのだが、その酔払いが太いぼそぼそした声で、
 『弁士い。弁士い。あんまりごしゃぐなじゃい(おこるなやい)。外のお客さんにも失礼でないが。弁士い。』と言い、説明者がまたその映画の途中から奇声を上げながら話し出したのだ。映画などよりこの方が何倍も面白かったぞ。」と言ったのでした。」

「私は兄と一しょに子供のときから何回か映画を見たり、学校を卒業した後は永い間レコードで交響楽などを聞いたりしましたが、兄がだまって沈黙して何も言わなかった時は、必ず彼が何かの点で感動し、或いは深い意味のあるときだったことに気がついたのです。(中略)私はレコードの音楽についても、詩や童話についても、沢山聞かねばならないことがあったのですが、質問もしないでしまい、また話してもくれなかったのです。
 これは今考えますとむしろ実にいいことだったと思うのです。私が沢山の大切なことまでも、他人が苦労して得た答えを鵜呑みにして、ダイジェストや虎の巻で間に合わせ、「結論」と「答え」だけを知ってしまい、その方程式や道程を自分で考えないことの習性に陥らないために、ありがたいことだったと思います。」



「兄とレコード」より:

「大正七年頃に私共は初めて従兄のところで洋楽のレコードを聞いたが、兄はそのとき、永い間砂漠旅行で渇していたものが水をむさぼり飲むとでもいう風に見えた。それらのレコードがなつかしく思い出されるのだが、それは「シエラザード」や「レオノーレ」や「エグモント」のようなオーケストラ曲のバラもの十枚位で、その後間もなくベートーヴェンの「第四交響曲」とチャイコフスキーの「第四交響曲」とハイドンの弦楽四重奏曲「雲雀」などの一部分ずつが手に入った。
 それらは解説書も付かないで私共を訪れたとき、「こいつは何だ。しかしこれは大変なもんだ。」…(ベートーヴェン「第四交響曲」第二楽章)とか、「此の作曲者は実にあきれたことをやるじゃないか。」…(チャイコフスキー「第四交響曲」第四楽章)とか、「ベートーヴェンときたら、ここのところをこんな風にやるもんだ。」などと言いながら、蓄音機のラッパの中に頭を突っ込むようにしながら、旋律の流れにつれて首を動かしたり手を振ったり、踊りはねたりした兄がいまも見えるようである。」



「兄のトランク」より:

「さて、そのトランクを(中略)ぶらさげて家へ帰ったとき、姉の病気もそれほどでなかったので、「今度はこんなものを書いて来たんじゃあ」と言いながら、そのトランクを開けたのだ。」
「「童児(わらし)こさえる代りに書いたのだもや」などと言いながら、兄はそれをみんなに読んでくれたのだった。」













































































「ユリイカ」 臨時増刊 総特集: 宮澤賢治


「ユリイカ」 臨時増刊  
総特集: 宮澤賢治

第9巻第10号 1977年9月臨時増刊

青土社 
1977年9月10日発行
286p 
22×14.2cm 並装 
定価780円
編集人: 小野好恵
表紙: 飯野和好



ページ数は別丁グラビア「宮澤賢治の風景」8pを含みます。本文中図版(モノクロ)多数。


宮沢賢治 ユリイカ 01


目次:


入沢康夫 「かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩(第六のエスキス)」

エッセイ
草野心平 「賢治をめぐっての回想」
中島健蔵 「ある素朴な賢治観」
宮本常一 「宮澤賢治の亜流」
谷川俊太郎 「四つのイメージ」
井上ひさし 「日本語使いの達人としての賢治」
黒井千次 「ブドリとネネム」
村上陽一郎 「漱石と賢治」

共同討議
入沢康夫・天沢退二郎・林光 「賢治童話の世界」

評論
高橋康也 「不条理な祝祭劇」
内村剛介 「ホワイト・ホールのなかの時間」
高橋英夫 「修羅のことば」
有田忠郎 「〈異界〉をめぐるノート」
河島英昭 「修羅との別れ」
安藤元雄 「イギリス海岸にて」
福島章 「宮澤賢治の宇宙」
草下英明 「賢治について枝葉末節のこと」

エッセイ
別役実 「私の銀河鉄道」
水木しげる 「動物や虫たちの話」
豊田有恒 「SFの日本回帰の指標・宮澤賢治」
野呂邦暢 「イワテケン」
宗左近 「賢治の別れ」
会田綱雄 〔雨ニモマケズ〕

評論
北川透 「『農民芸術概論』」
菅谷規矩雄 「「星めぐりの歌」など」
松本健一 「修羅の消えるとき」
川本三郎 「ジョバンニの「孤独」」
清水哲男 「「決シテ瞋ラズ」」
鈴木志郎康 「宮澤賢治「疾中」詩篇に立ち止る」
中村文昭 「宮澤賢治の謎と神秘」

研究
斎藤文一 「気圏の成立」
中山真彦 「『グスコー(ン)ブドリの伝記』を読む」
私市保彦 「賢治童話の光と影」
丹慶英五郎 「『銀河鉄道の夜』雑感」
栗谷川虹 「未来形の挽歌」
佐藤通雅 「祈り」

資料
天沢退二郎 「宮澤賢治略年譜」

未発表資料
谷川徹三/中島健蔵他賢治友の会研究座談会

グラビア
宮澤賢治の風景



宮沢賢治 ユリイカ 02



◆本書より◆


有田忠郎「〈異界〉をめぐるノート」より:

「子供の頃、私がとりわけ愛着をもっていた一種の玩具があった。玩具といってよいかどうか、またちゃんとした呼び名があったか否かも知らないのだが、直径五―六センチほどの硝子球の内部に水を八分目ほど入れ、中にセルロイドでこしらえた粗末な龍宮城の模型などを固定し、赤い魚を一尾か二尾、細い針金の先につけてこれも固定しておく。水中には金箔や銀箔に似たごく薄い金属片を幾つか沈めてある。透してみれば、海底世界が極小規模で再現し、全体は一種の凸レンズの役を果たすため、向う側にあてた指が拡大されて、指紋まではっきり見える。硝子球は台に取りつけてあるので、転がることはないが、手に持ってひっくり返してみると、天井に残してある僅から空気が泡になって底へのぼり、金属片が光りながらゆらゆら落下する仕組になっていた。
 子供の頃と書いたが、思い出してみれば、この他愛ない机上の飾りに対する愛着は大学生時代までつづいていたようである。下宿の近くに水族館ができ、私は鬱屈するとよくそこに足を運んで、水槽の中を永遠に往復している大きな魚や、底の砂に体を横たえてこの世の終りまで眠っている平たい魚を、飽きず眺めていた。それでも、昔どこかの観光地で買った小さな水球水族館(?)は、相変らず机の上に置いてあったように思う。
  いったい、あのみすぼらしい玩具がなぜあれほど私の心を惹いたのだろうか? 何よりも、それが海底世界の小規模な再現である水族館の、そのまた再現であること。つまりミニアチュールのミニアチュールであること。しかも、球型をした水が空気中に浮かんでいるという背理(私の夢想の中で硝子はたやすく水に同化することができた)の形でそれが実現されていること。この二つの理由から、私はそこに一種の〈異界〉を見ていたのである。この異界は、眺めることはできるが、内部に入ることはけっしてできない。入ろうとすれば異界の壁に遮られ、壁を通過しようと思えば異界を壊すしかない。そしてその時、異界はどこかに消滅してしまう。水族館が、海とその生物を縮小した形で所有しようとする意志の表われであるならば、玩具はいわば所有の所有であるが、この所有は実際には隔離された形でしかこちらの手に入らないわけである。」



水木しげる「動物や虫たちの話」より:

「ぼくの家のまわりには雀がいるので、家内はいつもパンの残りを箱に入れて棚において雀に食べさせているが、強いのが独占しようとしたり、仲よく食べたり、話したりしてる。
 「鬼ごっこ」ではないだろうが、それらしきこともしている。みていると人間とさして変りはないようだ。
 七、八年前の話だが、かの、つげ義春氏がそば屋の二階に間借りしている頃、つげ氏は寝イスを買って一日中横になっているのが唯一のたのしみだったようだが、あまり静かで無人だと思ったのか、或はつげ氏の心が雀とかよったのか、雀が毎日遊びにくるようになり、始めは窓のあたりにきていたらしいが、しまいには寝イスのまわりを廻ったりして、安全をたしかめたのか散歩していたのか知らないが、一週間ばかり毎日遊びにきたらしい。
 間もなく、ヒザの上で遊んだりしていたらしいが、信頼できる人間だと思ったのだろう、しまいには、ワラなんかをくわえてきて、つげ義春先生の腹のあたりに巣を作ろうとしたので、つげ氏もあわてて立ちあがったらしいが、いずれにしても雀が遊びにくるというのは大変めずらしい話である。」
「雀だって言葉が分らなくても、人間ばなれのした人とは友達になれるわけだ。」


















































































『新装版 現代詩読本 宮澤賢治』

「あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか」

(宮澤賢治 「青森挽歌」 より)


『新装版 現代詩読本 
宮澤賢治』


思潮社 
1983年8月1日発行
302p 
A5判 並装 カバー 
定価1,600円(本体1,553円)
表紙・目次・本文レイアウト: 菊地信義



現代詩読本宮沢賢治(1979年)の新装版。
ページ数には別丁口絵(モノクロ)8pが含まれます。ほかに本文中モノクロ図版多数。


宮沢賢治 現代詩読本 01


カバー文:

「こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここで
くるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからから
ことさらにはなれ
また純粋や
ちひさな徳性のかずさをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅を
あるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
「無声慟哭」より」



宮沢賢治 現代詩読本 02


目次:

討議
大岡信・入沢康夫・天沢退二郎 「四次元幻想の宇宙――改稿追跡が明らかにしたもの」

論考
岡井隆 「「文語詩稿」の意味――摸索と象徴」
内村剛介 「透明に閉じて在り、残る――賢治のオノマトペ」
菅谷規矩雄 「「雨ニモマケズ」再読――思想の方法としての宮澤賢治」
飯吉光夫 「死後に棲む場所――宮澤賢治のユートピア」
芹沢俊介 「賢治詩の独自性――像以前の像について」
長光太 「賢治詩の音紋――春と修羅一序」 (『「春と修羅」研究I』 1975. 10)
寺田透 「宮澤賢治論――詩と童話の間で」 (『校本宮澤賢治全集』14 1977. 10)
梅原猛 「宮澤賢治と諷刺精神――燃やし尽した精神」 (「文学」 1966. 12)
尾崎秀樹 「修羅の世界――宮澤賢治と中里介山」 (「文学」 1970. 3)
松本健一 「透明な場処――〈修羅〉の意識」
中村稔 「私の宮澤賢治体験――賢治像と作品」 (『詩・日常のさいはての領域』 1976. 8)
北川透 「『農民芸術概論』をめぐって――啓蒙家賢治との分裂」 (「ユリイカ」 1977. 9)
福島章 「宮澤賢治の宇宙――比較病跡学的研究」 (『天才の精神分析』 1978. 6)
金井美恵子 「歌っているのは誰か――非人称の声」 (「国文学」 1978. 2)
坪田譲治 「宮澤賢治の童話について――描写力とユーモア」 (『宮澤賢治研究』 1958. 8)
遠藤周作 「「グスコーブドリの伝記」――子供のリアリズム」 (『宮澤賢治研究』 1958. 8)
大庭みな子 「「風の又三郎」――風に似た他者の認識」 (「国文学」 1978. 2)
谷川俊太郎 「「銀河鉄道の夜」再読――幻想の生起するリアリティ」 (「国文学」 1978. 2)
松谷みよ子 「私にとっての一粒の胡桃――賢治への憧憬」 (『校本宮澤賢治全集』10 月報 1974. 3)
黒井千次 「ブドリとネネム――非在者の伝記」 (「ユリイカ」 1977. 9 臨時増刊)

代表詩50選
大岡信・入沢康夫・天沢退二郎 編

エッセイ
大岡昇平 「宮澤賢治と中原中也――名辞以前の世界」 (『校本宮澤賢治全集』10 月報 1974. 3)
清水徹 「プルーストと宮澤賢治――あるいは書物の不在」 (『校本宮澤賢治全集』11 月報 1974. 9)
串田孫一 「小岩井農場と種山ヶ原――詩による優れたスケッチ」 (『「春と修羅」研究I』 1975. 10)
井上ひさし 「風景はなみだにゆすれ――下根子散歩」 (「国文学」 1975. 4)
野呂邦暢 「イワテケン――意志的生活の本拠」 (「ユリイカ」 1977. 9 臨時増刊)
林光 「ロマチック・シューマン――「セロ弾きのゴーシュ」」 (『ひとりのゴーシュとして』 1979. 10)
唐十郎 「ズボンを脱いだ風の又三郎――引越し回転装置」 (『校本宮澤賢治全集』10 月報 1974. 3)
吉本隆明 「イギリス海岸の歌――幼児性の調子」 (『詩的乾坤』 1974. 9)

資料
草野心平 「賢治に関する初期の断章――詩史線上の大光芒」 (「詩神」 1926. 8/「文芸」 1934. 6/「日本詩壇」 1933. 12)
佐藤惣之助 「十三年度の詩集――気象学、鉱物学で書かれた詩」 (「日本詩人」 1924. 12)
富永太郎 「〔書簡〕――「春と修羅」の発見」 (大正14年1月15日付 正岡忠三郎宛)
吉田一穂 「虫韻草譜――一個の自然体」 (「岩手日報」 1933. 12. 27)
高村光太郎 「宮澤賢治について――コスモスの所持者宮澤賢治/宮澤賢治に就いて/宮澤賢治の詩」 (『宮澤賢治追悼』 1934. 1/『宮澤賢治研究』 1935. 6/「婦人の友」 1938. 3)
逸見猶吉 「小稿――賢治追悼」 (『宮澤賢治追悼』 1934. 1)
萩原恭次郎 「宮澤君に就いての感想――芸術と生活」 (『宮澤賢治追悼』 1934. 1)
中原中也 「宮澤賢治全集――十年来の愛読者として」 (「作品」 1935. 1)
稲垣足穂 「銀河鉄道頌――「東北のイナガキタルホ」」 (「ユリイカ」 1970. 7 臨時増刊)

アンケート 「私が選ぶ宮澤賢治の詩の世界」
高橋新吉・小野十三郎・寺田透・宗左近・生野幸吉・山本太郎・長谷川龍生・黒田喜夫・鈴木志郎康

評伝 
兄賢治の生涯 (宮澤清六)
 
年譜 (堀尾青史)
著作目録 (堀尾青史)
参考文献目録 (堀尾青史)



宮沢賢治 現代詩読本 03



◆本書より◆


「四次元幻想の宇宙――改稿追跡が明らかにしたもの」より:

入沢 一九七三年から七七年にかけて出た『校本宮澤賢治全集』で、賢治の詩について明らかになったことの中心をなすのは、各作品について数段階、場合によっては十数段階の先駆形が存在しているということでしょう。具体的には清書の繰り返しと、同一紙面上で幾重にもなされている手入れ、書き直しが、その実体を成すわけで、しかも賢治のメモやなんかから判断すると、彼の文学観、作品観では、そうした各段階それぞれがみんな一つの作品のその時その時の顔であるということになる。われわれは賢治の詩を読むとき――もちろん一番最後の形を読むだけでもいいわけだけど――さらに読みを深くしてみようとか、もっと内面に触れてみたいという時に、その先駆的な諸段階を次々と辿って読むことも、かなりの程度可能になったのです。もちろんいろんな考え方はあって、そんなのは余計なことで、詩は作者が一番最後に残した形でよめばいいという考えをお持ちの方も相変わらずあるだろう。しかし、こと賢治の作品については、やはり先行する逐次形態の存在は無視するわけには行かないと思う。さて、賢治の詩における手入れは、どうだったかというと、だいたいにおいて、手を入れることによって元よりもずっと形が引きしまったり、詩想が整理されて良くなるケースが多いんです。もちろん、何番目かの段階で止めておいたほうがよかったのではないか、と思うような作品もあります。ただ、賢治の場合、そうしたことを一般の推敲と同じように扱って云々していいかどうか、それがすでに問題になると思う。いずれにせよ、校本全集は、作品に加えられた手入れや改稿のあとを、逐一記録・公開したわけですから、それにもとづいて、すべてを根本から確め直す作業が、これからの課題となるでしょう。」


宮沢賢治 現代詩読本 04



































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本