入沢康夫・天沢退二郎 『討議『銀河鉄道の夜』とは何か』 新装版

入沢康夫
天沢退二郎 
『討議
『銀河鉄道の夜』
とは何か』 
新装版


青土社
1990年4月25日 第1刷印刷
1990年5月10日 第1刷発行
283p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,200円(本体2,136円)
装画: 飯野知好



本書「まえがき」より:

「本書は、宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』に関して私たち二人が一九七〇年と一九七三年の二度にわたって行なった討議の記録(詩誌「ユリイカ」二巻八号および五巻九号掲載)を主たる内容とし、関連する若干のレポートを付したものである。いずれも本書収録に際して一部の字句を訂正し、引用などを増補した。
 また、これらの討議の際にテキストとして使用した筑摩昭和42年版全集第十巻所収『銀河鉄道の夜』本文および後記を、(中略)巻末に資料として縮小復刻した。」



初版は1976年刊。本書はその新装版で、内容の増補・改訂などはないようです。
著者は筑摩書房版『校本宮澤賢治全集』の編者ですが、本書には校本全集刊行のきっかけとなった対談(賢治没後に刊行された数種のテクストに基づく対談)と、校本全集編集作業中に行われた対談(賢治自身の原稿に基づく対談)が収められています。


入沢康夫 討議 銀河鉄道の夜 01


帯文:

「宮沢
賢治の
宇宙

生涯の最後まで、
書きつぎ書き直し、
なお未完となった、
『銀河鉄道の夜』を
てがかりに、
内的世界の展開の
あとをたずね、
謎をはらむ〈作品〉を
読み解こうとする
画期的な試み――」



帯背:

「宮沢賢治の世界」


目次:

まえがき 

Ⅰ 
討議Ⅰ 『銀河鉄道の夜』とは何か
 ★序・なぜ『銀河鉄道の夜』を問題にするか
 『銀河鉄道の夜』の二つの極点
 双頭双尾の作品
 ★第一部・夢にはいるまで
 『銀河鉄道の夜』とウル『銀河鉄道の夜』
 削除と付け加えのもたらしたもの
 母親とタブー
 模型と標本
 牛乳屋の門と十字路のできごと
 街の地図はどうなるか
 汽車にとってりんごとは何か
 「(この間原稿五枚分なし)」とその後の六行
 ★第二部・夢
 旅への入り方
 セロの声
 夢の中の時間
 銀河を渡る鳥
 ジョバンニの切符
 りんごの匂い
 作品のはじまりのイメージ
 帰れない傾斜
 ほんたうのほんたうの神様
 そらの孔
 ★第三部・夢から醒めて
 〈書くこと〉の意味と〈本の本〉
 セロの声の正体とブルカニロ博士
 再構築される『銀河鉄道の夜』
 二つの『銀河鉄道の夜』とその彼方
 ★結び・旅を終えて
討議資料
 なぜ〈カムパネルラの死に遭ふ〉か 銀河鉄道の彼方・序説 (天沢退二郎)
 『銀河鉄道の夜』研究のための二つの資料集 (入沢康夫 編)
  第一部・「本の本」のテーマに関するテクストおよび資料
  第二部・作品の成立や作品の構造に関する検討の資料としての表および図表

Ⅱ 
討議Ⅱ 銀河鉄道の「時」 ふたたび『銀河鉄道の夜』とは何か
 前説
 『銀河鉄道の夜』の時間構造
 「(原稿五枚分なし)」とブルカニロ博士の消滅
 目醒め方はどうなるか
 執筆時期の逆説
 二人の母と作品行為
 第四次稿への飛躍
 作品の前世・現世・後世
 四次元から第四次へ
 宮沢賢治の時間


関連レポート
 『銀河鉄道の夜』覚書 (天沢退二郎)
 「薤露青」解説 (天沢退二郎)
 「青木大学士」の運命 (天沢退二郎)
 黒インク手入れの意味 (入沢康夫)
 『銀河鉄道の夜』の本文の変遷についての対話 (入沢康夫)

付録資料★筑摩昭和42年版全集所収『銀河鉄道の夜』(本文と後記)



入沢康夫 討議 銀河鉄道の夜 02



◆本書より◆


「討議Ⅱ」より:

入沢 結局、最後に残っている現在の草稿をみると、大雑把にいって四つの層があるわけです。最初の下書き稿、それからそのかなりの部分を清書した青インクの清書稿、それからそれをまた部分的に清書し直した藍インクの清書稿、それから最後の黒インクの手入れ稿。それが今まではひとつの山になって積み重なってしまっていたために、どこがどうなのか、よくわからないということにもなっていて、それが結局われわれを、前回の「何が『銀河鉄道の夜』なのか」という疑問に誘い込んだわけです。それをはっきり区別して、少なくとも第三次稿の結果と、それからそれに対する黒インク手入れの結果とを区別した方が、いろいろはっきりするし便利である、ということいなってきた。
天沢 逆に、あのときわれわれが「何がいったい『銀河鉄道の夜』か」という設問を出したときに、こっちの意識には、一種決定稿的なものを望む意識があった。(中略)ところが『銀河鉄道の夜』の時間構造は、それを突き崩すものであったということ、まずそれを確認したことを言わなくちゃならない。
入沢 この前の討議でのわれわれの態度の中心をなしていたのは、やはり、決定稿を求めようという気持だった。ところが、いまのぼくたちはもはや決定稿を求めていないわけですよ。各次稿があるだけである、と。少なくとも第三次稿と第四次稿とは質的にももう違うもので、だから二つを区別して、それぞれに考えなければいけないと思っている。」

入沢 賢治の『銀河鉄道の夜』は、賢治が死んでから、文圃堂版全集、十字屋版全集、筑摩の第一次、第二次、われわれの第三次と、出るたんびに全部違う。」
「作品が書かれてゆくという時間のなかでの二重、三重の操作が賢治の死によって終ったあとで、こんどは、あとに残されたものがそれを読んでいく行為のなかで、また次々とその作品が転化したわけだ。」
天沢 前世、現世、後世というのは、そういう具合に、作品についてもずっと進んでいくんだよね。」

天沢 例の青い孔雀のところ(中略)は、ほんとうは鉛筆→ペン→鉛筆という三段階の推敲なのに、今までみんな鉛筆→ペンという二段階にしか見なかったために、テクストに矛盾を生じ、谷川徹三氏その他に疑問を残した。
入沢 谷川さんが岩波文庫を編むに当って、そこでいろいろ苦心されたようだけど、それは結局……。
天沢 六〇葉という紙が、見たところ鉛筆でずうっとまず書いてあって、そこにそれを消したりしながらブルーブラックインクであっちこっちちょっと書いてある。それで、ブルーブラックインクがこの紙の最終手入れであるように思われたために、それをもとに前後を繋ぎながら今までテクストをつくっていた。ところがさらにそのブルーブラックを消している鉛筆の線と書き込みがあることが、よく見たらわかってきた。
 最初に鉛筆で書かれた形はこうなっていた。

  「あの森琴(ライラ)の宿でせう。あたしきっとあの森の中に立派なお姫さまが竪琴を鳴らしてゐらっしゃると思ふわ。お附きの腰元や何かが立って青い孔雀の羽でうしろからあをいであげてゐるわ。」
  カムパネルラのとなりに居た女の子が云ひました。
  それが不思議に誰にもそんな気持ちがするのでした。第一ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのやうに見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってゐるのはきっとその孔雀のはねの反射だらうかと思ひました。けれどもカムパネルラがやはりそっちをうっとり見てゐるの〔ママ〕気がつきましたら

 これが、②のブルーブラックインク手入れされて次のようになる。

  「あの森琴(ライラ)の宿でせう。あたしきっとあの森の中にむかしの大きなオーケストラの人たちが集ってゐらっしゃると思ふわ、まはりには青い孔雀やなんかたくさんゐると思ふわ。」
  カムパネルラのとなりに居た女の子が云ひました。
  それが不思議に誰にもそんな気持がするのでした。第一ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのやうに見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってゐるのはきっとその孔雀がはねをひろげたりとぢたりする光の反射だらうかと思ひました。
  「さうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラが女の子に云ひました。
  「えゝ、三十疋ぐらゐはたしかに居たわ。」女の子が答へました。

 これが、さらに④の鉛筆で手入れされて次のようになる。

  「あ孔雀が居るよ。」
  「えゝたくさん居たわ。」女の子がこたえました。
  ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのやうに見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとぢたりする光の反射を見ました。
  「さうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかほる子に云ひました。
  「えゝ、三十疋ぐらゐはたしかに居たわ。ハープのやうに聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答へました。

 これがこの部分の最終形だ。
 手入れの順序を考え合わせて読み繋いでみると、これはちゃんと辻褄が合っている。谷川さんの時はそこまで資料がなかった。」




















































































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天沢退二郎 『《宮沢賢治》注』

天沢退二郎 
『《宮沢賢治》注』


筑摩書房
1997年7月5日 初版第1刷発行
462p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価5,800円+税
カバー写真撮影: 林辰夫
造本・装訂: 間村俊一



「《宮沢賢治》の百年」(年譜)のみ二段組。本文中図版(モノクロ)3点。


天沢退二郎 宮沢賢治注 01


帯文:

「若き日の記念碑的評論『宮沢賢治の彼方へ』以来、校本全集刊行以後の賢治論を収録した第一冊目『《宮澤賢治》論』、第二冊目『《宮澤賢治》鑑』に続き、最近十年間にわたる評論・エッセー群を集大成した待望の第三冊。

夢から
 死へ――
テクスト
への
終わり
なき
〈注〉の
試み。」



帯背:

「1986―96
待望の賢治論の集大成」



目次:

序《宮沢賢治》は誰か

Ⅰ 
詩篇「無声慟哭」をめぐって
『春と修羅』第一集から第二集へ――日付と作品番号をめぐって
一人が二人、二人が一人――宮沢賢治の詩のふしぎな現象
宮沢賢治の詩における「鳥」たち
宮沢賢治 夢を生きた詩人
「なめとこ山の熊」と「オツベルと象」
童話にみる狂気――賢治作品の場合
書簡言語の特性――宮沢賢治の一書簡をめぐって
宮沢賢治の字体の魅力
宮沢賢治のかぎりない世界


《宮沢賢治》と《アーサー王・聖杯》――禁欲思想の帰趨
《宮沢賢治》と《アーサー王・聖杯》補足――自己犠牲の問題
アンリ・ボスコと宮沢賢治――『骨董商』と「銀河鉄道の夜」
水と天と、そして死別――「アンリ・ボスコと宮沢賢治」補説
《Versions》としての賢治作品・序説
「博物誌」と宮沢賢治
テクスト・クローズアップ
 ①風の又三郎
 ②〔フランドン農学校の豚〕
 ③〔そのまっくらな巨きなものを〕
 ④〔若い木霊〕
 ⑤グスコンブドリの伝記
 ⑥畑のへり
 ⑦嘉助語録
 ⑧インドラの網〔後期形断片〕
 ⑨「ポラーノの広場」に“クラインの壺”?

Ⅲ 
文学に現われたノスタルジア――朔太郎・賢治・みゆき
宮沢賢治の「恋」・「こひびと」の謎
民話と創作――柳田国男と宮沢賢治
草野心平[と]宮沢賢治――[と]をめぐる不思議さ
亀之助と賢治――「明滅」を読みつつ
魔界都市の幻想と妄想――江戸川乱歩と宮沢賢治
“拝むということ”――深沢七郎と宮沢賢治
入沢康夫と宮沢賢治
菅谷規矩雄の「賢治論」をめぐって
宮沢賢治の童話の世界

Ⅳ 
「銀河鉄道の夜」論――夢と死・夢から死
書評一束
 宗左近著『宮沢賢治の謎』
 吉本隆明『宮沢賢治』
 入沢康夫『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』
 別役実『イーハトーボゆき軽便鉄道』
《宮沢賢治》の百年――発受信史の試み
《宮沢賢治》と私

おぼえがき



天沢退二郎 宮沢賢治注 02



◆本書より◆


「魔界都市の幻想と妄想」より:

「江戸川乱歩(平井太郎)は賢治のわずか二歳年長、処女作「二銭銅貨」が発表された一九二二年(大正十一年)には賢治の『春と修羅』諸詩篇の第一稿が次々に書かれていて、それが詩集として出版されるのは翌々一九二四年。賢治が突如上京して本郷で下宿生活をした一九二一年には平井太郎氏もまた「上京し、日本工人倶楽部書記長となる」(年譜による)のであるからこの二人がまさしく同時代人であり、青春のほとんど同時期に大正後期の東京なる「大都会」の炊煙と雑踏にまぎれ込んでいたことはまぎれもない事実である。もちろん乱歩が東京生活を始めたのはもっと早く、賢治がまだ中学四年の年にもう早稲田大学予科に入っていて、一九一九年に「浅草オペラ後援会を組織」などと年譜にあるのを見ると、人も知る浅草オペラ・ファンであった賢治が客席の暗がりで乱歩と偶々袖触れ合わせていた可能性もまことに大であったと知れるが、そんなことよりも、賢治が一九二四年に自費出版した童話集自序の、《ほんたうに、かしはばやしの青い夕がたを、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです》というくだりは、「かしはばやしの青い夕がた」や「十一月の山の風のなか」というところを、「映画館と映画館のあいだの、人ひとり漸く通れるくらいの細い暗い路地」や、「自然の峡谷よりも、ずっと嶮しく、ずっと陰気」な「高いビルディングとビルディングとのあいだにはさまっている細い道路」などに置き換えるだけで、江戸川乱歩初期作品集の序に転用しても全くふしぎはないのではあるまいか。
 ただし右の比較から、一方が「自然」他方が「都会」のそれぞれ内奥に彷徨する者の幻想といった対比の図式を導き出すつもりはない。じつは賢治が初期童話の大部分を猛烈に多作したのは、本郷の路地奥の下宿屋の二階でのことであり、「下宿屋」といえば、「二銭銅貨」「心理試験」「屋根裏の散歩者」などの主人公たちの生活の場に他ならない。言いかえれば宮沢賢治は、松村武や蕗屋清一郎や郷田三郎や、「D坂の殺人事件」の語り手やと、生活空間を共有する、同居人(引用者注: 「同居人」に傍点)だったのである。」



「おぼえがき」より:

「本書には、『《宮澤賢治》論』(一九七六年)、『《宮澤賢治》鑑』(一九八六年、いずれも筑摩書房)の後、一九八六年から一九九六年前半までに私が書きあるいは発表した賢治関係の文章の大部分を収めている。これらの文章の初出や出所は各文末尾に示した。それぞれ、本書収録に際して多少の手入れを施し、あるいは改題し、ときに補注を加えた場合がある。」
「このうち、「『銀河鉄道の夜』論」は、『エッセー・オニリック』(一九八六年、思潮社)の一部をなしていたものであるが、かねて賢治論集の中に位置づけられたい意向をつよく持っていたので、今回、版元思潮社の諒解を得て、改題と若干の手入れを施してここに再録した。また、「亀之助と賢治」は発表時期からいえば前著に収めるべきところ、漏れていたものである。」
「最後にタイトルについて一言しておく。前著『《宮澤賢治》鑑』に対する書評の一つに、この辺でこういう論集でなく、一貫した総括的賢治論考をという要望があった。しかし、《宮沢賢治》の仕事は、読めば読むほど、知れば知るほど、いよいよ多様多彩であって、これをある一貫したポリシーなりコンセプトなりで論じ切ろうとすれば必ず無理が生じ、論旨の側へ《宮沢賢治》を合わせようとする如き本末顚倒の牽強附会や切り捨てがなされかねないという気持が、一層強くなってきている。したがって私の書くものの一つ一つが、そして全体が、かくのごとく、《宮沢賢治》への「注」であるほかはない、というのが本書のタイトルの意味である。」




◆感想◆


わたしは比較研究がすきなので、宮沢賢治と江戸川乱歩もよいですが、宮沢賢治と夢野久作の比較研究(地方在住/童話――「山男の四月」と「クチマネ」/短歌/宗教/音楽――セロと鼓/等)や、宮沢賢治と西脇順三郎の比較研究(読者の理解を無視したような独自の詩語や「意識の流れ」による長編詩/「さっき火事だと騒ぎましたのは 虹でございました。/もう1時間も りんと張って居ります(宮沢賢治「報告」)と「(覆された宝石)のやうな朝/何人か戸口にて誰かとさゝやく/それは神の生誕の日。(西脇「天気」)/『春と修羅』序と『近代の寓話』序/改稿の問題――「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」→「グスコーブドリの伝記」と『Ambarvalia』→『あむばるわりあ』/等)もするとよいです。じぶんでするとよいですが、できないのでだれかしてくれるとよいです(賢治と西脇順三郎に関しては原子朗さんの論文が『西脇順三郎研究』に収録されていますが、もっとするとよいです)。
















































































金子民雄 『宮沢賢治と西域幻想』 (中公文庫)

「そらはふたゝび古代意慾の曼陀羅になる」
(宮沢賢治 「〔温く含んだ南の風が〕」 より)


金子民雄 
『宮沢賢治と
西域幻想』
 
中公文庫 か-17-4 

中央公論社
1994年6月25日印刷
1994年7月10日発行
418p
文庫判 並装 カバー
定価920円(本体893円)
カバー写真: 有翼の天使象。一九〇七年、スタインによりミーランで発掘された。



本書「文庫版あとがき」より:

「本書の元版は、一九八八年一月に、白水社から出版されたが、間もなく絶版になったので、今回、文庫化するに当り、全面的に増補・改訂することにした。多分、全体の四分の一程度は新しく書き加えたことになると思う。」


本文中図1点、著者によるデッサン15点。巻頭に地図「古代シルクロード」1点。「西域関連用語ノート」は二段組です。


金子民雄 宮沢賢治と西域幻想 01


カバー裏文:

「法華経を信仰した宮沢賢治にとって、数多くの仏典が発見された西域は憧憬の地だった。賢治の詩や童話に登場する西域の意味を丹念に読み解き、著者の個人的体験を含めた幅広く自由な解釈を重ね合わせることによって、賢治作品に新しい魅力を見出した随想集。」


目次:

プロローグ

一 西域(一)
 西域童話三部作
 賢治と法華経
 西域作品と中国古典との関わり
 西域探検記との出会い
二 西域(二)
 西域の中の原風景
 古代亀茲国
 壁画の童子
 賢治童話の原点――ミーランの廃墟
 賢治作品にみるガンダーラ
 魅せられたエロスの神
 ロプ・ノールへの憧憬
 西域作品の素材のくず籠から
  ホータン河の蛙
  山猫
  于闐の玉
三 西蔵――賢治曼荼羅
 西蔵幻想――北上山地を越えて
 インドの唄――須弥山とインド四大河の源流
 四海と四河
 白い渚――阿耨達池幻想(一)
 夜の誘惑――阿耨達池幻想(二)
 インドラの曙光
 ばけもの世界と人間世界
 青の陶酔――トルコ石
 夜空を彩る石――ラピス・ラズリ
 紅の情炎――紅玉髄
四 印度――賢治とジャータカ物語の世界
 新しい仏教説話の試み――「四又の百合」にみる花の話
 「十力の金剛石」と宝石の話
 白い象の童話「オツベルと象」
 仏教にまつわる象
 賢治版の「ジャータカ物語」
 白象伝説と賢治作品
 運命を翻弄する石――ヒスイ
五 中近東――賢治とアラビアン・ナイトの世界
 アラビアン・ナイトとの出会い
 賢治の中の『千一夜物語』――アラジン
 求宝航者――シンドバード
 教主(カリフ)のまよい
 花園と湯屋(ハンマーム)
 花と麻酔薬(ハシーシ)飲み
 悪の花――ケシ
 チューリップの盃――ペルシアの詩との出会い

西域関連用語ノート
文庫版あとがき



金子民雄 宮沢賢治と西域幻想 02



◆本書より◆


「プロローグ」より:

「宮沢賢治が、中国の辺境にあたる西域に、きわめて強い関心を抱いていたことは、いまでは疑いがない。」
「西域という名称は、中国からもたらされたものであったが、その中国でもかなり漠然と使われてきたものだった。中国本土のずっと西方にあたる地方、タリム盆地からパミール、インド、ペルシア、さらにその西にある国々をみな西域と呼んだ。(中略)そうしたわけで、仏教を学ぶ人たちが、日本では最初に、しかも一番西域に親しんだと思われる。」
「しかし、こうした広大な地域を指す意味は、次第に限定されてきて、現在ではだいたいパミール以東、タリム盆地を中心とする中国の新疆ウイグル自治区のあたりを指すようになった。そして、いまはむしろシルクロードの一部と考えた方が、分り易いであろう。」



「一 西域(一)」より:

「私の推論からする結論をいえば、賢治は西域作品を書く上で、中国の古典はほとんど直接資料として使用しなかったろう。(中略)いや、直接も間接もなく、昔なにかで読んだか聞いたぐらいの知識だったかもしれない。」
「賢治はよい意味で、漢文の影響圏外に身を置くことができた。そして自分の住んだ東北の山野を西域とダブらせ、思いきって空想の翼をのばした。それが、現在も多くの読者を魅了させる作品を生む原動力となったのだといえよう。」

「童話「雁の童子」の原稿の行間に、「それはフランスの探検家……」と赤インクの書き込みがある。こうあるとすぐ思い浮かぶのがスタインとほぼ同時期、フランス中央アジア探検隊を率いた、東洋学者ポール・ペリオである。」
「西域の調査はヨーロッパ各国が盛んであったが、賢治が東京へ出て来たころ、西本願寺の法主大谷光瑞を中心とした西域調査隊も活躍していた。彼らは一九〇二年(明治三十五)から一九一四年(大正三)まで、合計三度にわたって西域各地を発掘していた。(中略)これらの探検調査の動静は、新聞にも紹介されていたので、賢治も目にしていたであろう。」
「賢治が西域童話と詩を書く上で、最も参考にしたもののうち、はっきりと本のタイトルを記したものはたった一種、スヴェン・ヘディンの『トランス・ヒマラヤ』(全三巻)だけである。」
「だがこのように、はっきり本のタイトルを記してはいないものの、明らかに賢治が手にとって見た本が、いま一種ある。それは(中略)考古学者サー・オーレル・スタインの著わした『カセイ沙漠の廃墟』(二巻 Ruins of Desert Cathay, 1912)である。(中略)ここで「カセイ」とあるのは、契丹(きったん)(キタイ)から出た言葉で、中国を指して呼ぶようになったものである。(中略)しかし、スタインは西域の沙漠地帯を指しており、このときの旅で賢治の童話のヒントになったと思われる、有名な壁画を発見するのである。」



「二 西域(二)」より:

「スタインが発見したフレスコ画の天使像は全部で七つあるが、一般向の旅行記に発表したのはこのうち、右向きと左向きの二面で、右向きの方は損傷が少ない上、彩色の褪色もひどくなく、ほぼ完全に近いものであった。これが千六百年近くも無事で保存されてきたことは、ほとんど奇蹟に近い。「外見からみれば、(天使の)頭の形、翼、単純ながら効果的な衣裳(ドレス)など、その目的とするところは明らかに、神々しい兄弟にふさわしい均等な効果を上げ、頭には強烈な個性がにじみでている」と、スタインは評価を惜しまない。」
「とくに賢治の「雁の童子」で描いた童子のイメージが、実際の壁画の天使像を知っているのといないのとでは、作品を理解する上で大違いである。彼は「雁の童子」の一場面で、壁画が発見され、発掘された状況を実にたくみに描き、「その砂が一ところ深く堀られて、沢山の人がその中に立ってございました。(中略)そこに古い一つの壁がありました。色はあせてはゐましたが、三人の天の童子たちがかいてございました」とあり、賢治のこの表現はもちろんフィクションであるが、天使像が砂の中から出てきたことは事実であった。」



「五 中近東」より:

「麻薬で史上最も名高いのは、十一世紀の中ごろ、イラン北部のエルブルス山脈の山中アラムートに立て籠って、暗殺者教団を創ったハッサン・サッバーハであろう。この物語はマルコ・ポーロの『東方見聞録』の中で、山の老人の話として紹介されている。暗殺者教団というのは、シーア派の別流イスマーイル派のなお過激派というべきものだった。ハッサン・サッバーハたちは山間の峡谷中に美しい庭園を造り、ありとあらゆる果樹を植え、黄金の楼閣を建てた。そしてここにはブドウ酒、牛乳、蜂蜜、淡水が流れ、絶世の美女たちが住み、歌や踊りを見せてくれたから、この宮苑を一度でも訪れたものはすっかり天国と信じたのだった。
 山の老人は十二歳から二十歳の若者を選び、彼らに薬を一服盛って深い眠りにつかせ、宮苑内に運び込んで美女を相手に、快楽の限りを尽くさせる。そして、ここは天国だと信じさせるのだった。この間に刺客として養成してから、また現実の社会に連れ戻すので、彼らはすっかり気落ちしてしまう。そこでいま一度天国に行きたいのなら、お前たちはだれだれを殺して来いと命ずる。このようにして多くの国王や領主が、暗殺されたのだった。このとき使用された麻薬は大麻(ハシーシ)草――インド大麻だったといわれ、のち〈暗殺者(アサッシン)〉という語はここから出たのだった。
 賢治のいまに遺る作品には、麻薬についてふれながら、暗殺者教団に言及したと思しきものはない。」
「ところが詩「風景とオルゴール」(『春と修羅』所収)の中に、おかしな一文が出てくる。

  ……
  玻璃末(はりまつ)の雲の稜に磨かれて
  紫磨銀彩(しまぎんさい)に尖つて光る六日の月
  ……
  わたくしはこんな過透明な景色のなかに
  松倉山や五間森荒つぽい石英安山岩(デサイト)の岩頸から
  放たれた剽悍な刺客に
  暗殺されてもいいのです

 さらに「わたくしは古い印度の青草」を見、刺客の現われそうなこの山は、「まつ暗な悪魔蒼鉛の空に立」っているのだ、ともいっている。賢治は、このとき日本の風景の中にインドやペルシアを重ねて、空想していたのであろう。」















































































『新潮日本文学アルバム 12 宮沢賢治』 編集・評伝: 天沢退二郎

『新潮
日本文学アルバム
12 
宮沢賢治』


編集・評伝: 天沢退二郎
エッセイ: 黒井千次

新潮社 
1984年1月15日 印刷
1984年1月20日 発行
111p 目次1p 折込口絵1葉
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価980円



本文アート紙。図版(カラー/モノクロ)多数。


宮沢賢治アルバム 01


帯文:

「写真で実証する作家の劇的な生涯と作品創造の秘密!
新潮日本文学アルバム
土と信仰の詩人宮沢賢治――農業に向かう厳しさ、教育者としての豊かさ、そして信仰へのひたむきさの中に、文学に対する情熱と激しさを秘める。没後50年、いまよみがえる賢治の世界」



目次:

評伝 (天沢退二郎)
 幼少年時代(明治29年~大正3年)
 高等農林時代(大正4年~大正9年)
 出京・花巻農学校教師時代(大正10年~大正15年)
 羅須地人協会時代(大正15年~昭和4年)
 晩年(昭和5年~昭和8年・死)

カラー・ページ
 水彩画
 初版本
 生原稿
 手帳
 「雨ニモマケズ」全
 ルートマップ
 他

エッセイ
 一枚の写真――大人と童話 (黒井千次)

略年譜 (天沢退二郎)
主要参考文献 (天沢退二郎)
主要著作目録 (天沢退二郎)



宮沢賢治アルバム 03


宮沢賢治アルバム 04


宮沢賢治アルバム 02



◆本書より◆


評伝より:

「宮沢賢治は、明治二十九年(一八九六)八月二十七日に生まれたと考えられているが、なぜか戸籍面では八月一日出生となっており、賢治の自筆履歴書にもそのように記されている。この生年月日の異同は、賢治の少なからぬ作品に付されている日付が必ずしも制作年月日ではないということを奇しくも予告あるいは暗合しているかのごとくである。
 この年、高村光太郎はすでに十三歳、萩原朔太郎は十歳、西脇順三郎は二歳であり、(中略)同年に村山槐太が生まれ、(中略)三年後に川端康成が生まれており、草野心平は七歳年下である。」




◆感想◆


引用したのは天沢退二郎氏による評伝の冒頭部分でありますが、「日付」云々や「予告あるいは暗合」についての詳しい説明は、一般向けの評伝である本書には書かれていないです。それを書くと評伝ではなく賢治論あるいは文学論になってしまいます。
引用部分の後半に関しては、たとえば「この年、カフカはすでに十三歳、アラン=フルニエは十歳、江戸川乱歩は二歳であり、同年にスコット・フィッツジェラルドが生まれ、三年後にボルヘスが生まれており、レーモン・クノーは七歳年下である。」と書くこともできます。


宮沢賢治アルバム 05



















































































































宮澤賢治 『注文の多い料理店 杜陵出版部版』 (復刻)

「ほんたうに、かしはばやしの靑(おを)い夕方(ゆふがた)を、ひとりで通(とほ)りかかつたり、十一月(ぐわつ)の山(やま)の風(かぜ)のなかに、ふるえながら立(た)つたりしますと、もうどうしてもこんな氣(き)がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書(か)いたまでです」
(宮澤賢治 『注文の多い料理店』「序」 より)


宮澤賢治 
『注文の多い料理店 
杜陵出版部版』 
(復刻)
新選 名著複刻全集 

刊行: 日本近代文学館
発売: ほるぷ
昭和57年2月20日 印刷
昭和57年3月1日 発行 (第22刷)
236p
四六判 角背紙装上製本 機械函



宮澤賢治著・菊池武雄挿画装幀『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』(発行者: 近森善一、大正13年)の復刻版です。
挿画20点(本体表紙にカラー装画1点貼付、扉ページ装画1点、各篇に扉絵1点と挿絵1点)。


宮沢賢治 注文の多い料理店 01


目次:



どんぐりと山猫
狼森と笊森、盗森
注文の多い料理店
烏の北斗七星
水仙月の四日
山男の四月
かしはばやしの夜
月夜のでんしんばしら
鹿踊のはじまり



宮沢賢治 注文の多い料理店 05


本体背(左)と復刻版函背(右)。


宮沢賢治 注文の多い料理店 02


扉ページ。


宮沢賢治 注文の多い料理店 03


「どんぐりと山猫」扉絵。


宮沢賢治 注文の多い料理店 04


「狼森と笊森、盗森」挿絵。


宮沢賢治 注文の多い料理店 06


巻末広告ページ。

「蠅と蚊と蚤 近森善一著

屡々吾等の生命をさへ奪ふこれ等の昆虫は、其の形の小なるが為めとそれに関する智識の欠乏とから等閑視する傾きがある。
著者は先づ第一編に於て昆虫学の何ものたるかを教え次に、蠅、蚊、蚤、虱、南京虫及び、ゴキブリの各論に及び最後に之等屋内昆虫の防除法を親切に説けり。説述詳密正確で決して売らんかなの一夜漬本でない事を断って置く。」




























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

※心の傷、胸焼け、劣等感等ある場合が御座いますが概ね良好な状態になります。

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