ジュール・ヴェルヌ 『海底二万里』 荒川浩充 訳 (創元推理文庫)

「そのとき、オルガンのかすかな和音が聞こえた。名状しがたい旋律のハーモニー、地上との絆(きずな)を断ち切ろうとするものの文字どおり魂の嘆きだった。わたしはほとんど呼吸も止め、全感覚を集中して耳を傾けた。船長をこの世とは別の世界へと連れ去っている音楽の恍惚のなかに、わたしも深々と沈んだ。」
(ジュール・ヴェルヌ 『海底二万里』 より)


ジュール・ヴェルヌ 
『海底二万里』 
荒川浩充 訳
 
創元推理文庫 五一七 4 

東京創元社
1977年4月22日 初版
1990年6月15日 再版
549p
文庫判 並装 カバー
定価780円(本体751円)
カバー絵・插絵: 南村喬之



Jules Verne: Vingt mille lieues sous les mers, 1869

挿絵(モノクロ)15点。地図。


ヴェルヌ 海底二万里


「1866年、その怪物は大海原に姿をみせた。長い紡錘形の、ときどきリン光を発する、クジラより大きくまた速い怪物だった。それはつぎつぎと海難事故を引き起こしていく。パリ科学博物館のアロナックス教授は、究明のため太平洋に向かったが、彼を待ち受けていたのは、反逆者ネモ船長が指揮する潜水艦ノーチラス号だった! 暗緑色の深海を突き進むノーチラス号の行く手に展開するのは、驚異と戦慄の大冒険スペクタクル! ジュール・ヴェルヌ不朽の名作、堂々登場!」


目次:

第1部
 1 動く暗礁
 2 賛否両論
 3 ご主人さまのお好きなように
 4 ネッド・ランド
 5 盲滅法に!
 6 全速力
 7 未知の種のクジラ
 8 動中の動
 9 ネッド・ランドの怒り
 10 海の男
 11 〈ノーチラス〉号
 12 すべて電気で
 13 数字を少々
 14 黒潮
 15 招待状
 16 平原の散歩
 17 海底の森
 18 太平洋下四千里
 19 バニコロ島
 20 トレス海峡
 21 陸上での数日間
 22 ネモ船長の雷
 23 不快な眠り
 24 サンゴの王国

第2部
 1 インド洋
 2 ネモ船長の新しい提案
 3 一千万フランの真珠
 4 紅海
 5 アラビアン・トンネル
 6 ギリシア諸島
 7 地中海四十八時間
 8 ビーゴ湾
 9 消えた大陸
 10 海底の炭坑
 11 サルガッソ海
 12 マッコウクジラとナガスクジラ
 13 氷床
 14 南極
 15 事故か突発的な事件か
 16 空気の欠乏
 17 ホーン岬からアマゾン川へ
 18 タコ
 19 メキシコ湾流
 20 北緯四七度二四分、西径一七度二八分
 21 大殺戮
 22 ネモ船長の最後のことば
 23 結び

訳者あとがき




◆本書より◆


「「教授」と船長はきっぱりと答えた。「わたしは、あなたが文明人と呼ぶものではありません! わたしは人間社会全体と絶縁しました。わたしだけにしか理解できない、いくつかの理由によってです。ですから、わたしは人間社会の規則には従いません。わたしの前にそういう規則を絶対に持ち出さないように願います!」」

「「人間が自由と信じている、あの耐えがたい地上の束縛を諦めることは、たぶんあなたがたが考えていらっしゃるほど苦しいことではないでしょう!」」

「「海がお好きなのですね、船長」
 「ええ! 好きですとも! 海はすべてです! 地表の十分の七が海です。海の呼吸は清らかで健康的です。海は、人間が決して一人ぼっちになることのない広大な砂漠です。自分の近くに生命が息づいているのを感じられるのですから。海は超自然的で驚異的な生活の演じられる場所にほかならないのです。海は活気と愛です。あなたのお国の詩人が言ったように、生命をもつ無限です。(中略)海は、自然の巨大な貯蔵庫なのです。地球も、言ってみれば海から始まったのです。終わるのも海によってではないと誰が断言できるでしょうか? 海には崇高な静寂があります。海は専制君主に属してはいません。海面でこそ、専制君主も邪悪な権利を行使し、争い、むさぼり合い、陸地のおぞましいものを持ち込むことはできます。しかし、海面下三十フィートでは、彼らの権力も及ばず、彼らの影響力も消え、勢力も雲散霧消してしまいます! ああ、教授、海のなかで生きることをお勧めします! 独立があるのは海のなかだけです! (中略)海のなかで、わたしは自由なのです!」」

「書棚は、あらゆる国のことばで書かれた、科学、倫理学、文学の書物で満ちていた。しかし、政治経済に関する著作は一冊も見あたらなかった。この船内からは厳しく締め出されているらしかった。珍しい点は、書かれている言語の相違を無視して分類されていることだった。」

「「船長」とわたしは答えた。「あなたがどういう人物か知りたがるわけではありませんが、あなたは芸術家でもあると考えてもいいものでしょうか?」
 「せいぜい芸術愛好家です、教授。昔はわたしも、人間の創造した美しい作品を蒐集するのが好きでした。(中略)この美術品は、わたしにとっては死んでしまった陸地の最後の記念品です。わたしの目から見ると、近代の芸術家も、もう古代の芸術家と何ら変わるところはありません。いずれも二、三千年の生命を保っているのです。両者はわたしの心のなかでは入りまじっています。すぐれた芸術家には年齢というものがないようです」」
「「あの音楽家たちも」とネモ船長は答えた。「オルフェウスと同時代の人々です。年代の差異など死者の記憶のなかでは消えてしまいますから。――わたしは死んだのです、教授、地表から数フィートの場所に眠っているあの陸上の友人たちと同じように!」」

「「ただ、このことは記憶しておいてください。わたしはすべてを海から得ている、海は電気を産み、電気は熱と光と動力を、一語で言うなら生命を、〈ノーチラス〉号に与えているのです」」

「わたしは斧足類の糸で織った服を身につけた。(中略)地中海沿岸にきわめて多い貝の一種である《ジャンボノー》が岩に張りつくのに役立っている、絹のようで光沢のある繊維で織ってあるのだ(中略)。この繊維は非常に柔らかく、かつ暖かいからだった。」
「その日から、わたしは冒険の日記を書き始めた。(中略)わたしが書くのに使った紙はアマモで作ったものだった。」
「わたしは料理に手をつけた。料理は、種々の魚、ナマコの薄切り、後皿としてポルフィリア・ラキニアタ、ラウレンシア・プリマフェティダなど非常に食欲を増す海藻であった。飲物としては、船長のするとおりに、わたしも透明な水に数滴のリキュールを加えた。このリキュールは、《ロドメニ・パルメ》という名で知られている海藻をカムチャッカ式に発酵させ抽出したものである。」

「船室にもどろうとすると、ネモ船長が近寄って来て、前置きなしに話しかけた。
 「この広い海をご覧なさい、教授。この海は生命をもっているようではありませんか? 怒ったり愛情を示したりしないでしょうか? 昨夜、海はわたしたちと同じように眠っていました。そして今、穏やかな夜の後に目を覚ましているのです!」
 「おはよう」も「おやすみなさい」もなしだった! この奇妙な人物は、ずっと話しつづけていたような調子だった。
 「ご覧なさい」とまた船長は言った。「太陽に愛撫されて目覚めようとしています! 海は昼間の生活を始めようとしているのです! 海の機能の動きを追求することは、興味深い研究です。肺臓も動脈もあり、痙攣することもあります。動物の血液循環系と同じように明瞭な循環が海にあることを発見した科学者モーリーは正しかった、とわたしは思うのです」」
「「滴虫類は」とまた話し始めた。「すなわち極微生物は、一滴の水のなかに数百万存在し、八十万匹集まって一ミリグラムになるくらいですが、その役割の重要さは小さいものではありません。彼らは塩分を吸収し海水中の固体要素を同化して、石灰質の陸地の生成者としてサンゴ礁やミドリイシを作り出します! 一方、鉱物質を奪われた海水は、軽くなって海面に上昇し、そこで蒸発によって残った塩分を吸収して重くなり、再び下降して極微生物に新たな食物をもたらすのです。それにより、上昇と下降の二重の流れが生じ、絶えず動きがあり、絶えず生命があるのです! 地上よりもはるかに充実し豊饒な無数の生命が、この大洋のあらゆる部分で開花しているのです。人間にとっては死の部分であり、巨万の生物にとって――そして、わたしにとっても――生の部分である、この大洋で!」」

「「野蛮人ですと!」と船長は皮肉な口調で答えた。「教授、この地球の陸地の一つに上陸して、そこに野蛮人がいたからといって驚いているのですか? 野蛮人がいないところがありますか? それに、そういう野蛮人たちよりも、今あなたがそう呼んだものたちのほうが悪い人間でしょうか?」
 「しかし、船長……」
 「わたしに言わせていただければ、わたしはあらゆるところで野蛮人に遭遇しました、教授」」
「船長の指は鍵盤の上を走っていた。船長が黒い鍵盤にしか触れず、そのためにメロディーがスコットランドふうの調子を帯びることにわたしは気づいた。やがて船長はわたしがそこにいることも忘れ夢想に沈んでしまったので、わたしもそれを乱そうとはしなかった。」

「「あれが、海面下数百フィートにある、わたしたちの静かな墓地なのです!」
 「あの墓地で、あなたの仲間の死者たちは、穏やかに、サメに襲われることもなく眠っているのですね!」
 「そうです、教授」と船長は重々しく答えた。「サメからも、人間からも襲われることなく!」」

「人間社会に対する激しく執拗な不信感は、依然として不変だった。」

「「教授、あのインド人は圧迫された国の人間です。わたしはまだ、いや最後の息を引きとるまで、そういう国の味方であるつもりです!」」

「それは肖像画――人類の大きな理想に全生涯を捧げ尽くした歴史上の偉人の肖像画だった。(中略)そして最後は黒人解放の殉教者ジョン・ブラウンがビクトル・ユゴーの筆によって恐ろしくも描き出されたように絞首台からぶら下がった絵だった。
 これらの英雄的な魂の持ち主とネモ船長の魂との間には、どんなつながりがあるのだろうか? (中略)船長は圧迫された人民の戦士、奴隷の解放者なのか?」

「ときどき、船長が巧みに奏するオルガンのメランコリックな音が響くのを聞くことがあった。しかし、それは夜だけで、〈ノーチラス〉号が船影のとだえた暗くひっそりした大洋のなかで眠り込んでいるときだった。」

「想像できようが、もしネモ船長が〈ノーチラス〉号を使って報復しようとしたならば、実に恐ろしいことになる! (中略)今や諸国家は、彼がどういう人物かはわかっていないだろうが、連合して彼を追っているのだ。もはや空想上の存在としてではなく、自分たちに不倶戴天の憎悪を抱いている人間として!」

「「ああ! わたしが誰か知っているのか、呪われた国の船よ! (中略)見るがいい! わたしの旗を見せてやろう!」
 ネモ船長は、南極点に立てた旗に似た黒い旗を、甲板の先端に立てた。」

「「わたしは抑圧された人間で、あそこにいるのは抑圧する人間です! わたしが愛し、慈しみ、尊んだものすべて、祖国も妻も子も父も母も、あのもののために滅びるのを、わたしは見たのです!」」





こちらもご参照ください:

『ジェームズ・アンソール展』 (神奈川県立近代美術館 1972年)
メルヴィル 『白鯨 上』 阿部知二 訳 (岩波文庫)
イタロ・カルヴィーノ 『木のぼり男爵』 米川良夫 訳 (白水Uブックス)
































































































































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フュステル・ド・クーランジュ 『古代都市』 田辺貞之助 訳 (新装復刊)

「墓は宅地の中央、戸口からあまり遠くないところへきずかれた。こうして祖先は家族のあいだに現存していた。」
「かようにして、宗教は神殿のうちになく、家のうちにあった。めいめいがめいめいの神をもっていた。神はおのおのその家族をまもり、その家でしか神ではなかった。」

(フュステル・ド・クーランジュ 『古代都市』 より)


フュステル・ド・クーランジュ 
『古代都市』 (新装復刊)
田辺貞之助 訳


白水社
1995年10月10日 第1刷発行
1996年2月10日 第2刷発行
563p 口絵(モノクロ)1葉 索引10p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価6,800円(本体6,602円)



本書「訳者序」(昭和三十六年七月)より:

「本書はフランスの歴史家フュステル・ド・クーランジュ Numa-Denis Fustel de Coulanges (1830-1889) の《La Cité Antique》 1864 の翻訳である。台本にはアシェット版の第二十八版(一九二四年)をもちいた。」
「本書は昭和十九年の初版以来何度か版をかさね、校をあらたにしたが、今回ふたたび改版の機をえて、徹底的に文体をあらため、あやまりを訂正するとともに、各所に散在する脱落を補正した。」



クーランジュ 古代都市 01


帯文:

「希代の名文で古代ギリシア・ローマの社会形態を克明に叙述し、『母権制』『種の起源』と並び称される不朽の名著、待望の復刊。」


目次:

薦辞 (中川善之助、昭和18年10月23日)
訳者序 (昭和36年7月)

フュステル・ド・クーランジュ論 (シャルル・セイニョボス)

緒言 古代人の制度を知るためには、その最古の信仰を研究する必要があることについて

第一編 古代の信仰
 第一章 霊魂と死との信仰
 第二章 死者の崇拝
 第三章 聖火
 第四章 家族宗教

第二編 家族
 第一章 古代家族の構成原理をなす宗教
 第二章 婚姻
 第三章 家族の永続について――独身の禁止、不妊の妻の離婚、兄弟姉妹の不平等
 第四章 養子と離籍
 第五章 親族関係とローマ人のいう男系親(アグナチオ)について
 第六章 所有権
 第七章 相続権
  第一節 古代人の相続権の性質と原理
  第二節 相続権は息子にあって娘にはない
  第三節 傍系相続について
  第四節 離籍と養子縁組との結果
  第五節 古代人は本来遺言を知らなかった
  第六節 古代の世襲財産の不可分性
 第八章 家族内の権威
  第一節 古代人の父権の原理とその性質
  第二節 父権を構成した種々の権利
 第九章 古代の家庭道徳
 第十章 ローマとギリシアの氏族
  第一節 氏族についての古代作家の記述
  第二節 ローマの氏族を説明するために提出された諸見解の検討
  第三節 氏族は原初の組織と結合とを保有する家族である
  第四節 家族の拡大。奴隷と被護民の制度

第三編 都市
 第一章 支族と部族
 第二章 あたらしい宗教的信仰
  第一節 物質的自然の諸神
  第二節 自然宗教と人間社会の発展との関係
 第三章 都市の形成
 第四章 都会
 第五章 都会建設者の崇拝。アエネアスの伝説
 第六章 都市の神々
 第七章 都市の宗教
  第一節 公共の聖餐
  第二節 祭典と暦法
  第三節 人別調査と潔斎式
  第四節 議会、元老院、裁判所、軍隊などでの宗教。凱旋式
 第八章 祭儀と年代記
 第九章 都市の政治。国王
  第一節 国王の宗教的権威
  第二節 国王の政治的権威
 第十章 行政官
 第十一章 法律
 第十二章 市民と外国人
 第十三章 愛国心。追放
 第十四章 自治の精神について
 第十五章 都市のあいだの関係。戦争、平和、神々の結盟
 第十六章 連盟。植民
 第十七章 ローマ人、アテナイ人
 第十八章 国家の絶対権。古代人は個人の自由を知らなかった

第四編 革命
 第一章 貴族と被護民
 第二章 庶民
 第三章 第一次革命
  第一節 政治上の権威が国王からうばわれる
  第二節 スパルタの第一次革命
  第三節 アテナイの第一次革命
  第四節 ローマの第一次革命
 第四章 貴族階級の都市支配
 第五章 第二次革命。家族組織の変化、長子権の消滅、氏族の解体
 第六章 被護民の独立
  第一節 初期の被護民制度とその変革
  第二節 アテナイの被護民制度の消滅。ソロンの業績
  第三節 ローマの被護民制度の改変
 第七章 第三次革命。庶民が都市にはいる
  第一節 この革命の一般的歴史
  第二節 アテナイの第三次革命
  第三節 ローマの第三次革命
 第八章 私法の諸変革。十二表法。ソロン法典
 第九章 政治上の新原則。公共の利益と選挙権
 第十章 富による貴族階級構成の企図。民主政治の樹立。第四次革命
 第十一章 民主政治の諸法則。アテナイの民主政治の例
 第十二章 富者と貧者。民主政治の壊滅
 第十三章 スパルタの諸革命

第五編 都市政体の消滅
 第一章 あたらしい信仰。哲学による政治上の法則の変革
 第二章 ローマの制覇
  第一節 ローマの起原と住民についての解説
  第二節 ローマ初期の拡大(紀元前七五三年―三五〇年)
  第三節 ローマの主権獲得の顛末(紀元前三五〇年―一四〇年)
  第四節 ローマはいたるところで都市制度を破壊した
  第五節 被征服国の人民が相ついでローマの都市組織にくわわる
 第三章 キリスト教が政治の諸条件にあたえた変革

訳者略注
原著索引



クーランジュ 古代都市 02



◆本書より◆


シャルル・セイニョボス「フュステル・ド・クーランジュ論」より:

「フュステルはときとして古代作家に対する無批判な信頼をしめし、近代人に対する懐疑的な態度とくらべて奇妙な対照をみせている。」
「欠点のある場合にも、彼はしいてその真実性をみとめようとし、原典があきらかに虚偽である場合にも、それをすてるのに非常な愛惜をしめす。
 彼の内的な批判も同様に伝統を尊重する。近代諸学者の意見に対してはきわめて無関心でありながら、古代人のいったことはそのまま従順にくりかえした。彼は古代人の断定をすべて確実なものとみとめて、著者が(中略)わざと真理をいつわったのではないかとか、あるいはあやまりをおかしているのではないかということなど、ほとんど検討しなかった。が、そればかりでなく、原典に対する信頼は無際限で、著者が古代人でさえあれば、間接の、あるいは間々接の引用すら真実とみとめた。」

「彼の結論はつねに概括的であった。彼がもとめるものはある社会の一般的特質や、おおくの時代にわたる制度の一般的進化であった。(中略)フュステルは個人に対して興味をいだかない。彼は決して人物の肖像をえがかずに、ただアテナイ人、ローマ人などの総合的な風貌をえがいてたにすぎない。彼はまた個々の行為や動機を説明せず、偉人や大事件についてもかたらず、ただ社会全般に共通の習慣だけをしめそうとした。」

「『古代都市』では、支配的な現象や、全制度の紐帯となるものは宗教である。経済上の事情は、(中略)端役に類した役割しかしめていない。」



「第一編 古代の信仰」より:

「はるかな太古の時代にあっても、人は哲学者があらわれるまえから、現世ののちには他界の生活があると信じていた。そして、死というものを肉体の消滅とはおもわずに、単なる生命の転化とみていた。
 しかし、その他界の生活は、どこで、どんなふうにおこなわれたか。(中略)イタリア人やギリシア人の最古の信仰にしたがえば、霊魂は現世とまったくちがった土地へいって死後の生活をいとなむわけではなく、人間のまぢかにとどまって、地下で生活をつづけるのである。
 人々はまた非常にながいあいだ、この死後の生活でも霊魂は肉体と結合していると信じていた。霊魂は肉体とともにうまれたから、死もこれをひきはなすことなく、肉体とともに墓におさまったのである。」

「この原始的な信仰から、埋葬の必要が生じた。霊魂が他界の生活をいとなむのにふさわしい地下の住所に安住するためには、生前と同様に霊魂をやどしている肉体が、土をきせられなければならなかった。墓をもたない霊魂には住所がなく、放浪の境涯におちてしまう。したがって、墓のない霊魂は現世の不安と労苦のあとで、しきりに休息をねがうにもかかわらず、その甲斐もなく、怨霊や悪霊となってしまう。そして、決して一ヵ所にとどまることができず、またそののぞむ供物や食物をうけることもできずに、永久に放浪しなければならなかった。このみすてられた霊魂はやがて悪意をおこし、遺骸と霊魂とに墓をあたえさせるために、疫病をおくり、収穫物をあらし、あるいはあさましい姿をあらわしなどして、生きているものどもをくるしめた。幽霊の信仰はここから生じた。古代人のあいだでは、墓をもたない霊魂はきわめて悲惨で、霊魂は墓をえてはじめて永久の幸福をえると、すべてのものが信じていた。」
「古代作家の著作をみると、当時の人々は死後に儀式が型どおりおこなわれないことを、非常におそれていたようである。これは実に切実な心配であった。人々は死そのものよりもむしろ葬礼がおこなわれるかどうかを心配した。それは永遠の安息と幸福とが葬礼に左右されたからである。これをみれば、海上の勝利のあとで、戦死した兵士たちの遺骸をほうむることをおこたった将軍たちを、アテナイの人々がころしてしまった事実も、格別おどろくにたりない。これらの将軍たちは哲学者の弟子であったのだろう。そして、霊魂と肉体とを別のものと考え、前者の運命と後者のそれとが、緊密な関係にあることを信じなかったために、遺骸の分解が地中でおこなわれようと海中でおこなわれようと、たいして重大なことではないとおもっていたにちがいない。(中略)しかし、アテナイでさえ昔ながらのふるい信仰に執着していた民衆は、こうした将軍連に不敬不信の罪をきせてころしてしまった。彼らは勝利によってアテナイをすくいこそしたが、その怠慢は幾千の霊魂をうしなったのである。」
「古代の都市では重罪犯人を処罰するのに葬礼不許可の刑をあたえたが、これは極刑とみられていた。この刑罰は肉体よりむしろ霊魂そのものを罰したので、霊魂にほとんど永劫の刑をあたえるものであった。」



「第三編 都市」より:

「人々は、都会が征服されれば神々もともに征服されるとおもい、都会が占領されれば神々もともにとらわれの身になると信じていた。」
「この点については、古来の意見がまちまちで一定していなかったことは事実である。おおくのものは神々が都会のうちにあるかぎり、都会は決して占領されるものではないと信じていた。都会が征服されるのは、そのまえに神々からみすてられたためだとなした。アエネアスはギリシア人がトロイアを占領したのをみて、わが神々は社殿と祭壇とをすてて都をさったとさけんだ。アイスキュロスの著書にも、テーベの合唱隊は敵が接近するのをみて、神々に都をさらないよう懇請するが、これもおなじ信仰をあらわすものである。
 この信仰からして、都会を占領するためには、まず神々をおいだす必要があった。ローマ人はそのために特別な祈禱文をもっていた。それは儀式書のなかに保存され、マクロビウスが現代につたえている。その文句は「おお、この都を庇護したもう偉大なる神よ、大神に礼拝と祈願とをささぐるわれらが願いをききたまい、ねがわくば大慈悲をもってこの都と民とをすて、これらの社殿、聖所をさり、この地よりはなれてローマにうつらせたまい、われらが郷党のもとにきたりたまえ。ねがわくば、われらが都と社殿と聖所とが大神の御意にめし、したしきものとならんことを! われらを大神のご守護のもとにいれさせたまえ。もしこの願いをきかせたまわば、われら大神のために一宇の社殿を建立しまいらせん」というのであった。ところが、古代人は、ただ一語もかえずに正確にとなえるならば、神々すらも人間の要求にさからうことができないほどの効験をもつ強力な祈禱文があると確信していた。こうしてよびだされた神は、それゆえ味方にうつり、都会はおのずからうばわれることになるのである。
 ギリシアにも同様の思想と慣習とがある。ツキディデスの時代でも、ギリシア人はある都会を包囲する場合には、その占領を神々からゆるされるために、かならず祈願をささげることをわすれなかった。しかし彼らはしばしば神を誘致する祈禱文のかわりに、その神像をたくみにぬすみだしてくることをこのんだ。オディッセウスがトロイアのパラス神像をぬすんだことはよく知られた事実である。他の時代にも、エギナ人はエピダウレス市に戦いをいどもうとして、まずその守護神の像を二体もうばって自分の都会にうつした。
 ヘロドトスがかたるところによれば、アテナイ人はエギナの民に戦いをいどもうとしたが、そのくわだては危険であった。エギナには非常な勢力をもち、しかもきわめて忠実な守護の神人がいたからである。それはすなわちアイアコスであった。そこで、アテナイ人は熟慮の結果、計画の実行を三十年間延期した。そして同時に、国内におなじアイアコスのために礼拝堂をたてて崇拝した。彼らの心では、もしこの礼拝が中断されることなく三十年つづけば、アイアコスはもはやエギナ人のものではなく、アテナイにうつると信じたのである。」
「戦時にあっては、攻囲者はこのようにその都会の神々をうばおうと努力したが、守備のがわでも神々を維持しようと最善をつくした。ときには神々の脱走をふせぐために神体を綱でしばったり、あるいは敵から発見されないように人目につかないところへかくしたりした。さらにまた、敵が神をそそのかそうとしてとなえる祈禱文に対して、神をひきとめる効果のある祈禱文をとなえたこともあったが、ローマ人はそれよりもさらに確実とおもわれる方法を考えだした。それは守護神のうちのもっとも主要で強力な神の名を厳重に秘密にしたのである。敵が神の名をよぶことができなければ、神は決して敵方にまわるはずがないから、都会は占領されまいと考えたのであった。」

「あらゆる時代とあらゆる社会とを通じて、人は祭典によって神々をあがめようとした。彼らは特別の日をさだめ、それらの日には現世的な思想や労働にわずらわされずに、もっぱら宗教的な感情にだけ支配されるべきものとした。こうして、現世にいきる日の数のうちから神にささげる日をさいたのである。
 おのおのの都会は儀式によって建設され、その儀式は、古代人の考えでは、国家の神々を城壁のうちに定住させる効力をもっていたが、その効力は毎年祭典をいとなんで更新する必要があった。この祭典は生誕の日とよばれて、全市民がこぞっていわわなければならなかった。神聖なことはなにによらず祭典をもよおす機縁となった。都会の城郭をまつる祭があって、これを「アンブルバリア」といい、領土の境界をまつる祭があって、これを「アンバルヴァリア」といった。これらの日には、市民は白衣をまとい花冠をいただいて盛大な行列をつくり、祈禱をとなえながら都会や領土のうちをねりあるいた。先頭には数名の神官が生贄の動物をひいてすすみ、祭典のおわりにこれをほふって神にささげるのであった。」

「祖国は神聖な絆によって古代人を束縛した。」
「古代人は市民から祖国をとりあげることより残酷な刑罰を想像できなかった。重大な犯罪に対する普通の刑罰は追放であった。
 追放は単に都会のうちにすむことを禁じ、祖国の領土以外に立ちのきを命ずるだけではなく、同時に祭祀の禁止でもあった。」
「古代人にとって、神が決していたるところに遍在していなかったことをおもいおこさなければならない。彼らが宇宙の神について漠然とした観念をいだいていたとしても、それは自分の神と考えていのる神ではなかった。神はいずれもその家や地区や都会にすむ神であった。被追放者は祖国をはなれると同時に、自分の神々からもはなれた。彼はもはやどこにも自分をなぐさめ保護する宗教を見いだせない。」
「かようにして、被追放者は都市の宗教と権利とをうしなうとともに、家族と宗教と権利をもうしなった。彼には、聖火もなく、妻もなく、子もない。死んだあかつきにも、都市の土地や先祖の墓にはほうむられなかった。彼は外国人となってしまったのである(引用者注: 原文「car il est un étranger.」)。
 古代の共和国で、罪人が死刑をまぬがれるために逃亡しても、ほとんどつねに黙許したのは、おどろくにたりない。それは追放が死刑よりもかるい刑罰であるとは考えられなかったからである。ローマの法律家はこれを極刑とよんだ。」





こちらもご参照ください:

フィリップ・アリエス 『図説 死の文化史』 福井憲彦 訳






























































モーリス・メーテルリンク 『蜜蜂の生活』 山下知夫+橋本綱 訳

「しかも、どんなによく知っている行為も未知な行為も、どんな卑しい行為も偉大な行為も、どんな身近な行為も疎遠な行為も、私たちのすることはみな深い闇夜の中でしか成し遂げられることはないのだ。結局、私たち自身、蜜蜂がそうだと考えられているのとおなじくらい盲目的な存在なのである。」
(モーリス・メーテルリンク 『蜜蜂の生活』 より)


モーリス・メーテルリンク 
『蜜蜂の生活』 
山下知夫+橋本綱 訳
 
プラネタリー・クラシクス

工作舎
1981年2月25日 初版発行
1987年2月1日 改訂版第1刷発行
iv 291p 
21.6×13.6cm
丸背紙装上製本 カバー
定価2,000円
エディトリアル・デザイン: 海野幸裕+西山孝司



Maurice Maeterlink: La Vie des Abeilles

わたしは社会性が欠落しているのでミツバチやアリやヒトのような社会的な生きものは苦手です。しかしビクトル・エリセの映画『ミツバチのささやき』がすきなので本書をよもうとおもって購入しておいたもののまだよんでいなかったのでよんでみました。やはり苦手でした。「蜜蜂の巣の精神」であるホリズム(全体論)とファシズム(全体主義)はコインの両面でありまして、『ミツバチのささやき』のフランコ政権下スペインの少女アナがむしろ毒キノコや脱走兵やフランケンシュタインの怪物のようなアウトサイダーたちに共感していくのも尤もであるなとおもいました。そういう意味ではアナ・トレント主演のたいへんすばらしい反社会的相互依存映画『エル・ニド』(=対幻想の場としての鳥の巣)は『ミツバチのささやき』の続編であるといってよいですが、それはどうでもよいです。


メーテルリンク 蜜蜂の生活 01


帯文:

「「青い鳥」の作家
メーテルリンクが綴る
献身の
博物誌」



帯裏:

「メーテルリンクの未来的な古典が復活!

メーテルリンクも学問的野人であった。生命観の揺らぐ今日、彼の未来的古典が復活する意義は測りしれない。とくにその特異な進化論に瞠目する。
今西錦司(生態学)

シュタイナーにも蜜蜂の研究があって、神秘家の相似た魂をみる思いだ。生命現象を神秘学の観点から考えようとする読者にひろくすすめたい。
高橋巌(神秘学)

『モンナ・ヴァンナ』と『ペレアスとメリザンド』の作者メーテルリンクの描いた蜜蜂の世界には人間の魂の原風景も染めこまれている。
馬場喜敬(哲学)」



カバー裏「著者紹介」より:

「『蜜蜂の生活』は1901年の作であり、ノーベル文学賞受賞に導いた代表作といわれる。流麗なフランス語で綴られた、その文学性の高さもさることながら、「博物神秘学者メーテルリンク」の広範で深遠な観相力をあますところなく示している。「蜜蜂」と名づけた別荘に住み、古代ギリシャ以来の蜜蜂に関する文献を読み、毎日、その巣に通いつづける有能な養蜂家であったという。彼の観察眼は、つきることのない想像力の海と文学的才能と相俟って、未知の生命形態を克明に描出することとなった。それから30年後、昆虫をあつかった第2弾『白蟻の生活』が著され、第3弾『蟻の生活』がつづく。」


目次:

1章 巣箱の前に立って
 勤勉な蜜蜂たちの、香り高い精神や神秘にふれるために、
 私たちはその巣をこじあけなければならなかった。
2章 分封(巣別れ)
 抗しがたい魅惑の時、分封、それは蜜の祭典、
 種族と未来の勝利、そして犠牲への熱狂である。
3章 都市の建設
 この街は地表から突き立つ人間の街のようではなく、
 空から下に降りてゆく逆円錐形の逆立ちした街だ。
4章 若い女王蜂たち
 彼女は自分の競争相手の挑戦を耳にするや、
 自らの運命と女王の義務を知って勇敢に応酬する。
5章 結婚飛翔
 太陽が光きらめくとき、一万匹以上の求婚者の行列から選ばれた
 たった一匹だけが女王と合体し、同時に死とも合体する。
6章 雄蜂殺戮
 ある朝、待たれていた合言葉が巣箱中にひろまると、
 おとなしかった働蜂は裁判官と死刑執行者に変貌する。
7章 種の進化
 蜜蜂は自分たちが集めた蜜を誰が食べるのか知らない。
 同様に、私たちが宇宙に導き入れる精神の力を
 誰が利用することになるのか、私たちは知らない。

訳者あとがき 
 蜜蜂が、花が、光が語ってくれたら (橋本綱)
 有機と無機のあいだに (山下知夫)
訳者紹介



メーテルリンク 蜜蜂の生活 02



◆本書より◆


「巣箱の前に立って」より:

「それは蜜蜂がまずなによりも、たとえばあの蟻と較べてさえ、群れの生き物だということである。蜜蜂は集団でなければ生きてゆくことができない。その巣はあまりに混雑していて周囲を取り巻いている生きた壁のあいだに頭を割りこませて通り道を切り拓かねばならないほどだが、巣から一歩外に出るとき、彼女は自分の必要成分そのものから足を踏み出していることになるのだ。ちょうど海女が真珠の埋蔵されている大海に潜るように、彼女はすこしのあいだ花でいっぱいの空間にとび出す。しかし死を免れるためには、ちょうど海女が空気を吸いに海面にもどるように、密集の息吹を吸いに規則的な間隔をおいてもどってこなければならない。一匹だけ隔離されると、どんなに大量の食物と適温を用意しても、蜜蜂は、飢えや寒さのためではなく、孤独のために数日をまたずに息をひきとってしまう。集団と都会は蜜蜂にとって、蜜とおなじくらいなくてはならない栄養源になっているのだ。巣の法則の精神を見定めるためには、この不可欠な要素にまで遡らなければならない。巣の中においても個はなにものでもない、(中略)個体の全生涯は、その所属している無数の永続的存在への完全な犠牲となるのだ。」


「分封(巣別れ)」より:

「女王蜂はけっして人間的な意味での女王ではない。命令をくだすわけではなく、むしろ仮面にかくれたみごとなまでに賢いひとつの力に、一介の臣下と同じように、仕えているにすぎない。その力がどこにあるかはこれから見ていくことにして、それまではそれを「巣の精神」と呼ぶことにしよう。」

「「巣の精神」は、容赦することはないが同時に控え目なやり方で、ちょうど偉大な義務に従っているとでもいうように、この翅をもった民族全員(中略)を、自由自在に導いてゆく。それは毎日のように出産の数を調整し、(中略)またそれは女王蜂に廃位や出発の必要性を告げ、競争相手を産むよう強制する。そしてその競争相手たちを女王蜂になるにふさわしく育て、(中略)そしてそのうちの最年長のものが、(中略)他の妹たちを、ゆりかごの中で殺してよいかどうかを決定する。」
「この巣の精神は用心深く倹約精神に富んでいるが、けっして吝嗇というわけではない。(中略)だからこそ、夏の豊かな日々のあいだ、(中略)三百から四百にものぼるあの雄蜂の足手まといな存在を許しておけるのだ。というのも、これから生まれてくる女王蜂はそんな中から自分の愛人を選ばなければならないからだ。ところがそれも女王蜂が受胎をすませ、花の開くのがおそくなり閉じるのがはやくなるころになると巣の精神は、ある朝平然と彼らのいっせい皆殺しを宣告する。」

「そして最後に、種の守護神に対する一年の大犠牲――つまり分封のことである――をとりおこなう時期を定めるのも巣の精神なのである。このとき、一族全体は繁栄と力の頂点に達しているにもかかわらず、突然、未来の世代のためにそのあらゆる富、宮殿、住居、苦しみの成果をなげうち、どこか遠くの新しい祖国であえて不安定な窮乏生活を送ろうとするのである。これこそ、意識的であるかどうかにかかわりなく、人間的道徳を超えた行為というべきである。巣の精神は、都市の繁栄よりも貴い掟に従うために、しばしばしあわせな街をばらばらに壊したり、貧困化させてしまう。そればかりかその街を荒廃しつくしてしまうことすらある。」

「別の都会に属している蜜蜂同士は、互いにけっして知り合おうとしないし、助け合うこともまったくない。」

「彼女たちはなぜ、兄弟にあたる蝶なら知っているだろう安眠や蜜の歓びや愛や、すばらしい余暇を断念してしまうのだろう。蝶のようには生きられないのだろうか。この場合彼女たちをせきたてているのは飢えではない。身を養うためだけなら、ふたつか三つの花があれば充分なのに、彼女たちは自分自身けっしてその甘さを味わうことのない宝を蓄積するために、毎時間二、三百もの花を訪れる。こんな苦しい思いをして、いったいなにになるのだろう。(中略)それに、おまえたちがそのために死のうとしている次の世代とは、本当にこれだけの犠牲に価する存在なのだろうか。その世代はまちがいなく、おまえたちより美しく幸福になれるだろうか。あるいはおまえたちが果せなかったなにかを、つぎの世代がやってくれるだろうか。」



「都市の建設」より:

「蜜蜂にはきわめて奇妙な二重性格がみられる。巣の中で、たしかに全員が愛し合い、助け合う。(中略)そのうちの一匹でも傷つけられれば、他の千匹はその侮辱に復讐しようと、みずからを犠牲にするのも厭わないことだろう。ところが巣を一歩でも外に出ると、互いに知らないふりをしだすのである。ためしに巣からほんの数歩の距離に、蜜の入ったひとつの巣板を置いておき、その上で同じ巣から出てきた蜜蜂を一〇匹、二〇匹、あるいは三〇匹、その肢を切断するか踏みつぶすかしてみるのだ――いやそれを実行するならいたずらに残酷さをひけらかすだけなので、ここではやめておこう。というのも結果は目に見えているようなものだからである――ともかく、そのようにしたと仮定してみよう。すると無傷でそれをやりすごした他の蜜蜂は、傷ついた者たちに顔をふり向けようともせずに、(中略)命よりも大事な液を汲みつづけ、瀕死の者が最期の身ぶりで躰をすり寄せてこようが、まわりで悲嘆の叫びをあげていようが、いっこうに無頓着でいるだろう。そして蜜入りの巣板が空になってしまうと、なにものも無駄にしないよう、今度は犠牲者たちに付着している蜜を採るため、他の者がいることなどお構いなしに、また他の犠牲者を救おうともせず、無傷の採集蜂は平然と死傷者の上にのしかかっていくのだ。」

「たしかに蜜蜂の巣は、はじめの頃の大きな歓びに湧きかえっていたようにみえたし、美しい日々のきらめくような思い出がそこに満ちあふれ、巣を幸福を表現している花々や流水や蒼空とかのあれほど平和的な豊饒さとつながっているようにおもわれたものだ。ところが、これらすべての外面的な歓喜の下には、人が目にすることができるもっとも悲惨な光景が匿されていたのである。」




メーテルリンク 蜜蜂の生活 03


そしてこちらがリーヴルドポッシュ版原書ペーパーバックであります。
























































































モーリス・メーテルリンク 『ガラス蜘蛛』 高尾歩 訳

「というわけで、このちっぽけな蜘蛛は、私たちより以前に、たくさんのことを知っていたのである。それらを蜘蛛に教えたのは経験だろうか、それとも、記憶にないほど遠い昔から重ねられてきた、先祖代々のさまざまな試みの成果としての、何らかの先天的な知恵だろうか。」
(モーリス・メーテルリンク 『ガラス蜘蛛』 より)


モーリス・メーテルリンク 
『ガラス蜘蛛』 
高尾歩 訳


工作舎 
2008年7月10日 発行
138p 口絵(カラー)2p
著者紹介・訳者紹介1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,800円+税
エディトリアル・デザイン: 宮城安総・佐藤ちひろ



Maurice Maeterlinck: L'Araignée de verre, 1932 / Bulles bleues - souvenirs heureux, 1948
花の知恵』に続くメーテルリンクの博物誌エッセイ。「ガラス蜘蛛」は「ミズグモ」のこと。日本語版には原著にはない図版(カラー2点/モノクロ10点)と、晩年の回想記『青い泡』から5篇が追加収録されています。


メーテルリンク ガラス蜘蛛 01


帯文:

「『青い鳥』のメーテルリンクが綴る
ミズグモの驚異
本邦初訳
クリスタルの潜水服をまとい、釣鐘型の水中の部屋を建設する
蜜蜂・白蟻・蟻の昆虫三部作と
『花の知恵』につづく珠玉の博物文学
解説・杉本秀太郎(フランス文学)/宮下直(クモ学)」



帯裏:

「●今でも、祖父の「博物誌の小部屋」の机の上に、ガラスの容器、ごくふつうのジャムの瓶が置いてあって、その中で、祖父がギリシア語源にしたがって「私の銀色の蜘蛛たち」と呼んでいたものが、元気に跳ね回っているのを見るような気がする。私の心はすっかり彼らのとりこになった。(本文より)」


カバーそで文:

「空気を呼吸するミズグモ。
にもかかわらず、栄養源である甲殻類の幼虫や
マツモムシは池などの水底に暮らす。
窒息か、飢え死にか、だが突如、ミズグモは天才的なひらめきを得る。
先史時代の闇夜に、いついかにしてなのか……!
今日のエンジニアたちが、橋脚や桟橋、海や河の水中建造物の基礎を
築くために不可欠な釣鐘型潜水器あるいは防水潜函を、
どうやら発明したらしいのだ。」

「モーリス・メーテルリンク
一八六二年八月二九日、ベルギー北部の河港都市、商工業が盛んなゲントに生まれる。ゲント大学で法律を学び、弁護士としての修業を目的にパリに赴くが、パリの文壇に輝く詩人たちとの出会いが、文学の道を決意させた。霧の国ベルギーの幻想的な雰囲気を漂わせた、詩集『温室』や戯曲『マレーヌ姫』『ペレアスとメリザンド』などにより十九世紀末の文壇に躍り出た後、一九〇六年作の『青い鳥』が世界的に知られるようになり、一九一一年にはノーベル文学賞を受賞。
最後の作品となったエッセイ『青い泡―幸福な思い出』には、こうした文学遍歴と並んで、博物誌好きの祖父や園芸好きの父の影響を強く受けた少年時代の思い出が語られている。ゲント郊外の水辺の大きな別荘や祖父の家は虫や花でいっぱいで、そこで過ごした日々は、楽しい驚きに満ちあふれていた。本書『ガラス蜘蛛』で扱われる水蜘蛛たちとの出会いも、ここに始まる。その後、自らもノルマンディー地方の田園や南仏ニースの郊外に館をかまえて昆虫たちや野の花々に囲まれて暮らしたメーテルリンクは、独自の神秘主義的世界観を反映させた昆虫三部作(略)や『花の知恵』など、博物文学の名品を残すことになる。『ガラス蜘蛛』は、これらに続いて一九三二年、七十歳のときに刊行された。」



目次:

ガラス蜘蛛(1932)
 I 水中のドラマ
 II 虫たちの発明
 III クモ形類
 IV さまざまな工夫を凝らして
 V ミズグモの仲間たち
 VI ミズグモ、その分類学的描写
 VII 昆虫学者の仕事
 VIII 銀色の蜘蛛たちとの出会いと再会
 IX 発見とその後
 X 自然の悪戯
 XI クリスタルの潜水服
 XII 潜水服の形成
 XIII 潜水服の正体
 XIV 釣鐘、この快適な住い
 XV 釣鐘の建設方法
 XVI プラトーの実験
 XVII ダイヤモンドの釣鐘、結婚、子育て
 XVIII 釣鐘呼吸器
 XIX どのように知るのか
 XX 虫の知性
 XXI 仮説
 XXII 生命の記憶
 XXIII 最も奥深い秘密
 XXIV 謎の源泉をめぐって

青い泡――幸福な思い出(1948)より
 オスタカー/溺死/たらい/ミツバチ/桃の木

解説
 メーテルリンクの「美しい人生」 (杉本秀太郎)
 「ガラス蜘蛛」雑感 (宮下直)

訳者あとがき
著者・訳者紹介



メーテルリンク ガラス蜘蛛 02



◆本書より◆


「そもそも、われわれが下級と決めつけている他の動物たちでも、何らかの点で間違いなく人間の先を行っている。たとえば、シビレエイが備えている不思議な帯電装置や、ある種の深海魚が持つ眩いばかりのサーチライトについて、われわれはどう説明できるだろうか。しかし、何といっても、不安にさせられるほどまでに、われわれを遥かに凌いでいるのが、虫たちだ。虫たちのものに比べたら、人間の筋肉や、感覚や、神経の強度や、生物学的知識や、生命力なんて、何だというのだろう。さらに、とくに人間のものとされる領域、今しがた話題にした魚たちと人間とが競い合っている技術者たちの領域に目を向けてみれば、ツチボタルの幼虫やホタル、そしてとりわけあのすばらしいビワハゴロモの放つ冷たい光に比べて、人間の照明装置はどれほどの価値を持っているというのだろう。」

「今でも、祖父の「博物誌の小部屋」の机の上に、ガラスの容器、ごくふつうのジャムの瓶が置いてあって、その中で、祖父がギリシア語源にしたがって「私の銀色の蜘蛛たち」と呼んでいたものが、元気に跳ね回っているのを見るような気がする。私の心はすっかり彼らのとりこになった。それから六十二年間、蜘蛛たちのことはまったく忘れてしまっていたのだが、数ヵ月前、ベルギーから、子供の頃目にしたものと見事なまでによく似たジャムの瓶が私の手元に届き、中に、やはり、半ダースほどの水銀の玉が、まさに予想していたとおりの水銀の玉たちが、現実のものとして動き回っていたのである。私は目を疑い、時間の観念を失い、このささやかな巡り合わせのなかで、運命の途方もない神秘の一端に、じかに触れたような気がした。」

「したがって、ミズグモは、ゲントの、ヴェニスとほとんど同じくらい水に浸されたこの町の、周囲の水辺には、かなりたくさんいたのである。発見されたのは一七四四年、ル・マンの近くで、オラトリオ修道会の神父、ジョゼフ=アドリアン・ル・ラルジュ・ドゥ・リニャックによってである。神父が川で水浴びをしていたときのこと、水の中を勝手気ままに進んでゆく泡があるのを目にしてびっくりしてしまったのだが、その泡が空気に包まれた蜘蛛であることが分かると、彼は、大いなる畏怖の念を抱いたのだった。」

「どうやら、虫の知性は、われわれ人間の知性のように個別なものではなく、有機的に、集団が共有しているものであるらしい。多細胞的ではあっても、全員が一体となって営む、こうした生のあり方は、ミツバチの巣やシロアリの巣、アリの巣において、とくにはっきりと現れる。が、同じ一つの種であれば、そのすべての虫の間に、空間的に、でなければ、少なくとも時間的に、同様に見られるのである。(中略)自然は、虫たちのことを知っており、虫たちを、まるで、全員がたった一つの個体でしかないかのように、扱っているのだ。われわれ人間は、それぞれ自分を、大きな有機体の全体であると思っているが、一匹の虫が死んでも、それは、一つの大きな有機体の、一つの細胞が変化することにすぎない。虫は、われわれより、ずっと死なない、いや、おそらく、まったく死ぬことがないのである。われわれ人間にとって、死とは、漠然とした宗教的信念を除いては、完全な終わりである。が、虫にとっては、ありふれた一つの変容なのであり、永遠にくり返されるサイクルの環なのだ。(中略)人間の誕生と死とは、互いに接しておらず、人生によって分け隔てられ、二つの違った世界で起こることのように思われる。けれども、虫の世界においては、誕生と死は、ぴたりとはまり合い、同じ次元を動いてゆくのだ。どこからかは分からないが、この地球上に姿を現すとき、われわれは、(中略)すべてを忘れてしまっていて、すべてを始め直し、すべてを学び直さざるを得ない。けれども、虫は、自分に先行していたものたちの存在を、静かに引き継いでゆく。あたかも、こうした存在が、これまで一度も中断されたことがなかったかのように。」
「こうした集団的存続、種の生命は、われわれ人間のものとは、あまりに大きく異なる。いったい、これは、出発点なのだろうか、到達点なのだろうか。一見、われわれは、そこから出てきたように思われる。そして、文明化するにつれて、そこから遠ざかるのだが、われわれがどうやらそこにいるらしい最高点に達すると、また、そこに戻りたがるのだ。
 だが、答えを出すには、われわれ人間は若過ぎる。虫たちは人間に何千年、いや何百万年も先行しているのだ、ということを忘れてはならない。(中略)虫たちは古生代に属しているのであり、われわれ人間は、虫たちに遅れること数十万年の地質時代最後紀に、やっと出現するにすぎない。死というものは存在しないのだ、それは期待を秘めた一つの下手な言葉、大いなる眠り、あるいは、われわれが失ってしまうと思っているのとは別の生命にすぎないのだと、われわれが虫たち同様知るようになるとき、はじめて、われわれは虫たちと対等になれるのかもしれない。」





















































モーリス・メーテルリンク 『花の知恵』 高尾歩 訳 (プラネタリー・クラシクス)

モーリス・メーテルリンク 
『花の知恵』 
高尾歩 訳

プラネタリー・クラシクス

工作舎
1992年7月20日 第1刷
1994年8月10日 第2刷
140p 口絵(カラー)4p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,545円(本体1,500円)
エディトリアル・デザイン: 西山孝司・森山百合香



本書「訳者あとがき」より:

「この作家は闇に生命を与えた、と声高にメーテルリンクを絶賛するアルトーによれば、メーテルリンクの作品においては問題はつねに、われわれの思考にどこまでも付随している具体的な肉体的快楽(サンシュアリテ)の原子を伴って喚起され、われわれがそれを体験しているような印象を与えながら観念の状態から現実の状態へと苦もなく移行する。『花の知恵』でも、まず著者の抱く花の理念が語られてその後に観察が始められるが、その背後に、闇を認識する人間の知性が人間の感覚器官の不備を訴えながらも頼り得る感覚を希求するとき、闇のなかの微光としての花の存在に気づく、という図式があることも明かされている。」
「なお、本書(原題 L'Intelligence des Fleurs)は、本来、「花の知性」と訳すべきと思うが、出版社の強い意向で日本語版を『花の知恵』とした。」



Maurice Maeterlinck: L'Intelligence des fleurs, 1907/1912
カラー図版4点、モノクロ図版20点。「図版・資料提供=荒俣宏」


メーテルリンク 花の知恵 01


帯文:

「『青い鳥』の作家
メーテルリンクが綴る
忍耐の
博物誌
カエデのプロペラ、ミモザの戦慄(おのの)き
セキショウモの悲劇、セージの愛の罠
ランの複雑な仕掛け……
花の図20余点収録」



帯裏:

「花の天才・花の発明
(以下、本書より抜粋)
●リヴィエラ地方の古い石塀などによく見かけられるヒオセリス、タンポポによく似たこの小さな植物は、同時に二種類の種子を宿す。ひとつは実から簡単に外れ、風まかせに運ばれやすいように翼を備えている。もうひとつは翼をもたず、花の房のなかに閉じこめられていて、花の房が萎むときになってはじめて解き放たれる仕組みになっている。(IX 炯眼より)
●花には、人間の忍耐強さ、粘り強さ、自尊心があるらしい。人間と同様の微妙に異なる多様な知性をもち、人間とほとんど同じ希望と理想をもつらしい。花は、人間と同様、最後にようやく助けの手を差し伸べてくれる超然たる大きな力に対して闘っているのである。(XIX 想像力より)
●賢いランは、自分のまわりを動き回る生命を観察してきた。蜜蜂が貪欲で忙しない大群を作ること、陽のあたる時間になると数知れぬ群れをなして出かけてゆくこと、そして、ほころんだ花の入り口で香りが接吻のように心揺さぶりさえすれば、婚礼の天幕の下に用意された御馳走に大挙して押しかけるものであることを、ランは知っているのである。(XXII 細工より)」



カバー裏文:

「モーリス・ポリドール・マリ・ベルナール・メーテルリンクは、1862年8月29日ベルギーの河港都市、商工業がさかんなガンに生まれた。ガン大学法学部に学び弁護士への道が開かれるが、法廷に立つよりも文学の道を選びパリへ渡る。詩集『温室』、戯曲『マレーヌ姫』『闖入者』『ペレアスとメリザンド』などで19世紀末の文壇に踊り出る。
世界的に知られる『青い鳥』は1906年の作。
やがていくつかの戯曲が世界の大都市で上演されるようになる。1911年にはノーベル文学賞を受けるが、この遠因となったのが『蜜蜂の生活』だったといわれる。園芸好きの父の影響か、ニースの〈蜜蜂荘〉を理想的な庭と家としてこよなく愛した。蜜蜂、白蟻、蟻を描いた昆虫三部作とともに『花の知恵』は、ナチュラリスト、メーテルリンクの存在を照らしだす美しい科学エッセイである。」



目次:

花の知恵
I 植物
II 運命
III 種子
IV 果実
V 根
VI ダンス
VII 浮遊
VIII 火劇
IX 炯眼
X 婚礼
XI 花
XII 発明
XIII 天才
XIV 機械
XV ラン
XVI 昆虫
XVII 受粉
XVIII 改良
XIX 想像力
XX 単純化
XXI 蜜腺
XXII 細工
XXIII 適応
XXIV 一般知性
XXV 自然
XXVI 幸福
XXVII 地球霊
XXVIII 洞窟
XXIX 意志
XXX 精神

香り

挿図出典一覧
訳者あとがき
著者・訳者紹介



メーテルリンク 花の知恵 02



◆本書より◆


「本書では、植物学者なら誰でも知っている事柄ばかりを、あらためていくつか取り上げてみたいと思う。何か新しい発見をしたわけではない。ただ初歩的な観察の記録をお目にかけるまでである。植物が知性のあるところを見せてい例を片端から取り上げて、つぶさに検討してゆこうというつもりなどもちろんない。そうした例は数えきれぬほどあり、絶えず見受けられるからだ。とくに花においてはそうである。花には、光の方へ、精神の方へ向かおうとする植物の生命の努力が結集されているのである。
 不器用な、あるいは不運な植物や花はあるとしても、知恵と創意工夫に全く欠けた植物などひとつとしてありはしない。植物はみな、力を尽くして本分を全うしようとしている。自分たちが体現している存在形態を無数にふやして地球の表面を侵略し、征服してやろうという壮大な野心があるのだ。しかし、定めによって地面に繋がれているゆえ、この目的を果たすためには動物の繁殖に較べてはるかに大きな困難を克服してゆかねばならない。かくして大多数の植物が策をろうし、謀をめぐらせ、装置を仕掛け、罠を張るといった手段に訴えているわけだが、その手段は、力学、弾道学、飛行技術、あるいは昆虫観察などにおいて、しばしば人間の発明や知識に先行するものであった。」

「花々の小さな発明、花々の採るさまざまな方法を子細に検討してゆくと、工作機械の展示会が思い出される。工作機械の展示会というのは、人間の機械工学的才能が遺憾なく発揮されて、夢中にならずにはいられぬものだ。とはいえ、人間の機械工学がまだごく浅い日を数えるにすぎないのに対し、花の機械装置は何千年来機能してきている。この地上に花が出現したとき、まわりには花が模倣し得る手本など何もなかった。花は、一切を、自分自身の奥底から引き出してこなければならなかったのである。」





こちらもご参照下さい:

モーリス・メーテルリンク 『ガラス蜘蛛』 高尾歩 訳


































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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