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ジョルジュ・ロデンバック 『死都ブリュージュ/霧の紡車』 田辺保・倉智恒夫 訳 (フランス世紀末文学叢書)

「彼は、自分を、この実人生において追放の身なのだと感じていた。まさしく異邦人の間にまじって歩いているのだった。話す言葉も、他の人と同じではなかった。彼の会話は、意味のわからない、おかしなものに思われた。」
(ジョルジュ・ロデンバック 「ある夕暮れ時」 より)


ジョルジュ・ロデンバック 
『死都ブリュージュ
霧の紡車』 
田辺保・倉智恒夫 訳

フランス世紀末文学叢書 8


国書刊行会 
1984年7月20日 初版第1刷印刷
1984年7月25日 初版第1刷発行
398p 口絵(カラー)1葉 
別丁図版(モノクロ)2p
四六判 フランス装 貼函
定価3,500円
装幀: 山下昌也
口絵選定: 澁澤龍彦


月報 5 (8p):
ブリュージュを殺した(?)詩人(遠山博雄)/《世紀末の庭から》吉田健一と世紀末(富士川義之)/世紀末画廊Ⅴ ロデンバックとクノッフ(澁澤龍彦)/図版(モノクロ)2点



本文中モノクロ図版19点、別丁モノクロ図版3点。


ロデンバック 01


帯文:

「沈黙に咲く黄昏の夢
運河、川岸、教会、鐘、歳月に磨かれた家具……ひとつの都市を主人公にすえ、さまざまな影響を与えつづけている名作に遺稿の短篇集を併録。ブリュージュの写真入。」



目次:

口絵 フェルナン・クノッフ 《廃市》

死都ブリュージュ (田辺保 訳)
 序言
 I~XV

霧の紡車 (倉智恒夫 訳)
 引越し
 愛と死
 鏡の友
 夕暮どきの恋人たち
 ほとんどお伽噺のような話
 都市
 暗示作用
 供奉
 街の狩人
 ある夕暮れ時
 不明の男
 季節外れ
 傲慢の罪
 発明家
 自己の実現
 通りすがりの女
 聖なるつげの枝
 中学校の頃
 教会参事会員たち
 特別の恵み
 偶像
 眼の愛
 理想
 好奇心
 肖像画の女の生涯

訳註
訳者後記
 ジョルジュ・ロデンバックと『霧の紡車』について (倉智恒夫)
 『死都ブリュージュ』について (田辺保)



ロデンバック 02



◆本書より◆


「死都ブリュージュ」「序言」:

「本書は情熱研究の書であるが、同時に、また何より特に、ひとつの都市を人々の想念に浮かび上らせたいとも意図した。都市を主要人物のひとりとして、もろもろの心の動きとかかり合い、行動をうながし、引きとめ、決断させるものとして、浮かび上らせたいと望んだ。
 それにまた、現実にも、私が数ある都市の中から選んできたこのブリュージュは、まるで人間かとも思えるのである…… 不思議な力をこちらに及ぼしてきて、この地に滞在する者をとらえつくす。
 この地での諸行事、鐘の音に、人はおのずとその力に感化されて行くのである。
 私がぜひ示したかったのは、こういうものなのである。すなわち、あるひとつの行動をみちびくものとしての都市、単に背景でもなく、小説中でたまたま取り上げられた話題というだけでもなく、中心となる事件と関連しているような都市の風景である。
 そこで、ブリュージュという舞台装置が小説の発展と切り離せぬものである以上、本書でもところどころに風景写真を挿入しておく必要があった。すなわち、川岸、人気のない町の通り、古い家々、運河、ペギーヌ会修道院、教会、金銀細工の信心用具、ベフロワ(鐘楼)などの写真を。いずれも、本書を読んでくださる方々が、この都市の現存と支配力とに打たれ、水の魅力に馴染んで引き入れられ、ご自身、書物の上に長々と、いくつもの高い塔影がのびてくるのを感じとっていただけるためである。」



「死都ブリュージュ」「I」より:

「日が傾きかけていた。窓という窓に紗のカーテンがかかり、しんと静まりかえった広い家の廊下に薄闇が迫っていた。
 ユーグ・ヴィアーヌは、外出する所だった。日の暮れ方になると、そうするのが毎日のならわしだった。仕事も持たず、ひとり暮しのユーグは、日がな一日、自分の部屋にしている、だだっぴろい二階の一室で過した。部屋の窓は、ロゼール川岸通りに面していた。この川岸通り沿いに家があって、水に影を映していた。
 ほんのわずか読書をした。何冊かの雑誌やむかしの本を読んだ。煙草をむやみに喫った。あとは思い出の中に溺れ、灰色に曇った空の下、ひらいた窓辺でぼんやり夢をみて過した。」



「死都ブリュージュ」「II」より:

「この町以外に、ユーグには生きられる場所があっただろうか。本能的にここへやってきたのだった。他の連中はよそで、勝手に騒ぐなり、はしゃぐなり、浮かれまわるなり、いいたい放題をわめき立てているがいい。自分には、完全な静けさが必要なのだ。ほとんどもう生きているのかどうかが感じられなくなる程までに、簡素なつきつめた生活がしたいのだ。」
「淀んだ水、生気のない町、静まりかえったこの空気の中にいると、ユーグは、心の痛みも和らぐ思いになれるのだった。亡き人のことをいっそうのなつかしさで追想できるのだった。運河沿いの道を、水に流れて行くオフィリアの面影を求めて行くと、亡き人の姿がいっそうよく見え、その声がいっそうよく聞こえてくるのだった。遠くの方で、細くきいんと鳴り交わすカリヨンのうたを、その人の声かと聞き入るのだった。」

「風が最後の木の葉を吹き払って行く、その秋の晩、淋しさのあまりに、ユーグはいつもより以上に、人生がはやく終ってしまえばいい、墓に入る日が待ち遠しいと思うのだった。高い塔の間から、ひとつの黒い影がすうっと、ユーグの魂に伸びてくるような気がした。古い壁の間から何か語りかけるものがあった。ささやくような声が、水の面からもきこえてきた。――水は、ユーグを迎えにきたようだった。あのオフィリアを迎えにきたように。シェイクスピアの中で、墓掘り人夫たちがそんな具合だったと言っていたように。
 こういう境地におち入ったのは、これが初めてではなかった。石が語りかけてくる声は、これまでにもなんどか聞いてきた。」



「死都ブリュージュ」「XV」より:

「ユーグの魂は、過去へと逆行しはじめ、今はもはや遠く遙かなものだけしか思い出せぬのだった。」


「鏡の友」より:

「時として、狂気は、最初はもっぱら芸術的で鋭敏な感覚と見えたのが、昂じて絶頂に達したにすぎない場合がある。私には、精神病院に収容され、そこで悲惨な死をとげた友がいた。これからその話をしようと思うが、その病気は、ほとんど取るに足りない、しかも詩人だからとしか思えないような徴候によって始まったのである。
 発端(引用者注:「発端」に傍点)は、鏡が好きになったということで、それ以上は、何ごともなかった。
 彼は鏡を愛していた。その、水の流れのようにとらえがたい神秘の上に身をかがめていた。鏡を、無限に向って開かれた窓のように見つめていた。」

「「鏡がぼくを待ち伏せてるんだ。婦人帽子屋にも、美容院にも、食料品屋にだって、それに酒屋にも、いまではどこにでも鏡があるからね。ああ、あの呪われた鏡。やつらは、そこに映るものを糧にして生きているんだ(引用者注:「やつらは~生きているんだ」に傍点)。」」

「「ぼくは元気になったよ」と、ある日、彼を訪ねて行くと、私に言った。「見てくれたまえ、ぼくの鏡では、何と元気なことか。ぼくを病気にしたのは、街の鏡だったのだ……。だから、ぼくは、もう外出しないのさ……。」
 「全然?」
 「そうだよ、慣れるもんだよ。」
 友人は、おだやかに、憂愁のこもった、遠くを見やるような平然とした様子で言うのであった。」
「「こんな完璧な蟄居生活をしているんじゃ、君が愛している女性たちは、時々街であとをつける女性たちは、どうなるんだい?」
 友人は、不思議な様子をして、古いのや、新しい彼の鏡のすべてを、ひとつひとつ見つめた。
 「それぞれが、ひとつの通りのようなのだよ」と、彼は言った。「これらの鏡は、すべて通りのようにつながっている……。これは明るい大都会だ。ぼくはそこでまた女性たちを追いかけている。かつてこの鏡に身を映した女性たち、それに、永遠にそこに住みつづける女性たちを。ぼくの古い鏡の中の、過去の時代の女性たち、マリー・アントワネットに会ったことのある、お白粉を塗った女性たち……。(中略)でも、彼女たちは、さっさと行ってしまい、言葉をかけられたくもないらしく、通りから通りへと逃げるように、鏡から鏡へと、ぼくをまいていく。それでぼくは、彼女たちを見失ってしまうのだ。でも、彼女たちに近づくこともある。そこで逢引きの約束をするんだ……。」
 間もなく友人は、精神錯乱の決定的な徴候を示した。彼は、自分が誰かわからなくなってしまっていた。鏡の前を通っても、もう自分を見分けられなくて、もったいぶって、自分に挨拶をするのであった。(中略)たくさんの鏡を並べておいたり、互に向いあわせに置いたりしてあるために、この世捨人のひとつのシルエットが、果てしなくふえて行き、いたるところで反映し合い、たえず新たなソジーを生み出し、すべてが最初の人物を模してつくられた双生児のように見えるだけに、いっそう不気味な、おびただしい数の群集の大きさにまでふくれあがるということになるのであった。しかし、その最初の人物は、孤独のままで、何か定かならぬ空間で、他とへだてられたままだったのである。
 そんなとき、私は彼の家で彼と会った。これが最後であった。彼は幸せそうに見えた。そして、豪華で素晴しい彼の鏡のすべて、洞窟の中の声が、無数のこだまを産むように、彼の姿がこだまし合っている深遠なる姿見を私に見せて、私に言った。「ほら、ぼくはもうひとりぼっちじゃないんだ。ぼくは、あまりにひとりで生きてきすぎたよ。でも、友だちというのは、ひどく無縁で、ひどくぼくらとは違っている。いま、ぼくは群集といっしょに生きている、そこではみんなぼくに似ているんだ。」
 その後すぐに、彼を精神病院に入れなければならなくなった。彼の家の窓に野次馬を集め、大さわぎを引きおこすような奇行がいくつかあったからである。彼は、素直で、非常におとなしい態度だった。ただ、彼の鏡のコレクションの代りに、病室のただひとつの鏡しかないのをひどく悲しんだ。しかし間もなく、彼はあきらめた。彼は、そのただひとつの鏡を、ほかのすべての鏡を愛したのと同じほどに愛したのである……。それを見つめ、そこに映る自分に、また挨拶をするのであった。そこに素晴しいものが見えると言い、そこに彼を愛してくれる女性たちを追いかけている、と言ったりする。病気が悪化し、発熱がかなり頻繁になると、「ひどく暑い」と言い、それから少しすると「ひどく寒い」と言うのだった。(中略)ある日、彼はこんなことも言った。「鏡の中は、とても気持がいいにちがいない。いつか、そこに入って行かなくては。」」



「自己の実現」より:

「狂人たちを憐れむにはおよばない。多くの場合彼らは、そのようにして自己を実現するしかないのだ。彼らは、自分がそうありたいと願っていて、現実にはこれまでなり得なかった者になっていく。(中略)自分の夢を現実に生きてしまうのだ。(中略)あまりにも過大な要求すぎて到達できない運命の人々に、狂気は憐れみのように介入してくる。そして、狂気によって、しばしば人は、自分自身を成し遂げるのである。」

「要するに、狂人というのは、おそらく、自分にとってもっとも大切なことだけに、もっぱら極端にまで身を委ね、他の(引用者注:「他の」に傍点)事柄については、理性を失ってしまうだけのことなのだ。」





こちらもご参照ください:

ローデンバック 『死都ブリュージュ』  窪田般彌 訳 (岩波文庫)
Fernand Khnopff et Vienne (1987年)
江戸川乱歩 著/棟方志功 版画 『犯罪幻想』 復刻版
宮川淳 『鏡・空間・イマージュ』 (風の薔薇叢書)





















































































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ジャン・グルニエ 『孤島』 井上究一郎 訳 (ちくま学芸文庫)

「全然思ってもいないときにふと目にする、海にただよう花々よ、きみたち、海藻、水死体、眠っているかもめ、船首でおしのけられるきみたち、ああ、それら私の至福の島々よ! 朝の偶然のおどろき、夕べの思いがけない希望、――きみたちに、まだときどき私は会うことができるだろうか? きみたちだけが、私を私から解放してくれる、そしてきみたちだけのなかに、私は自己を知ることができる。錫をつけない鏡よ、光りを出さない空よ、あてのない愛よ……。」
(ジャン・グルニエ 「至福の島々」 より)


ジャン・グルニエ 
『孤島』 
井上究一郎 訳
 
ちくま学芸文庫 ク-30-1


筑摩書房
2019年4月10日 第1刷発行
230p 付記1p 口絵(カラー)2葉
文庫判 並装 カバー
定価1,200円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 仁木順平


「本書『孤島 改訳新版』は、一九九一年二月二十五日に筑摩書房より筑摩叢書として刊行された。文庫化にあたってはタイトルを『孤島』とし、本文中の誤りも適宜訂正した。」



Jean Grenier: "Les Îles"

巻頭に訳者(とその夫人)撮影のカラー写真図版4点。
文庫版が出ていたのに気づいたのでヨドバシドットコムで注文しておいたのが届いたのでよんでみました。


グルニエ 孤島


帯文:

「虚無と至福の瞬間
フランスが生んだ哲学的エッセイの傑作」



目次:

序文 (アルベール・カミュ)

空白の魔力
猫のムールー
ケルゲレン諸島
至福の島々
イースター島
想像のインド
 土地でも時代でもない
 インドとギリシア
 天啓の光り
 現実化

追加(一九五九年版)
消え去った日々
ボッロメオ島

   *

日本語訳『孤島』のための付録
見れば一目で……CUM APPARUERIT ...――プロヴァンスへの開眼

   *

日本語訳『孤島』のための跋(ジャン・グルニエ)

訳注
訳者あとがき(一九六八年)
訳者後記抄録(一九七二年)
改訳新版(筑摩書房版)についての訳者のノート(一九九一年)

解説 (松浦寿輝)




◆本書より◆


「空白の魔力」より:

「何歳のころだったか? 六歳か七歳だったと思う。菩提樹のかげにねそべり、ほとんど雲一つない空をながめていた私は、その空がゆれて、それが空白のなかにのみこまれるのを目にした。それは、虚無についての、私の最初の印象だった。そしてそれは、ゆたかな生活、満ちたりた生活の印象につづいていただけに、一層つよかった。それ以来、私はなぜ一方が他方のあとにつづいておこるのかを、頭のなかで求めようとした。そして、自分の肉体と魂とで求めないで自分の知性で求めるすべての人たちに共通の、一種の勘違いから、私は哲学者たちが「悪の問題」と呼んでいるものがそれなのだ、と考えた。ところで、それは、もっと深刻で、もっと重大な事柄であった。私は、自分の前に、瓦解ではなくて、空隙をもったのだ。口をあいたその穴のなかに、すべてが、完全に何もかも、のみこまれてしまう危険があった。この日づけから、私にとって、物の現実性のはかなさにたいする反省がはじまった。「この日づけから」といってはいけないだろう、なぜなら、われわれの生活の諸事件は――いずれにしても内的な事件をさすのだが――そうした諸事件は、われわれ自身のなかのもっとも深いものが、日をかさねて順次に啓示されることでしかない、と私は思いこんでいるからだ。してみると、日づけの問題は大して重要ではない。私というのは、生きるべく運命づけられている人間というよりも、むしろなぜ生きているかを自分に問いかけるべく運命づけられている人間の一人だった。いずれにしても、いわば人生の余白に(引用者注:「余白に」に傍点)生きるべく運命づけられていた。
 事物のもつ幻影的な性格が、私のなかでますます確認されるにいたったのは、海が近くて、せっせと海にかよったことによる。いつも動いて、満ちひきをもっていた海。ブルターニュの海がそうであって、湾によっては、その海が、ほとんど目におさめられないほどのひろがりをもっている。なんという空白! 岩、泥、海水……。毎日、一切のものがうたがわれ、問いにかけられるから、何物も存在しない。私はよく真夜中に小船にのっている自分を想像した。目標は何もない。おき去りにされて、どうにもならないところへ、おき去りにされて、私には星もなかった。
 そうした夢想には、何一つ耐えがたいものはなかった。私はたのしくそんな夢想にふけった。」

「空白の魔力にさそわれて周遊に出る、ある物から他の物へ、いわば片足とびにとび移るということは、ふしぎではない。恐怖心と、魔力にひかれる気持とは、たがいにまじりあう、――人はのりだすと同時に身をひっこめる。その場にいつまでもとどまることは不可能だ。けれども、この無窮動がいつかはむくわれる日がやってくる。ある風景をだまってながめる、それだけで欲望をだまらせるに十分な日がくるのだ。空白が、ただちに充実におきかえられる。すぎ去った自分の人生を思いうかべるとき、私には、その人生がこうした神聖な瞬間に達するための努力でしかなかったように思われる。子供のとき、仰向けにねて、枝越しにあんなに長いあいだながめてすごしたあの澄んだ空、そしてある日、ふっと消え去るのを見たあの澄んだ空の、あの思い出によって、私は、こうした神的な瞬間に達するようにと決定づけられたのであろうか?」



「猫のムールー」より:

「猫は旅行を好まない、ただ自由を好む。猫はあちこちをさまよい歩いても、いつも自分がむすびついている地点にかえってくる。」


「ケルゲレン諸島」より:

「人々からかくれた生活のなかには、ある偉大なものが認められる。(中略)公に知られた生活は、かくれた生活のなかに身を没したいという望みしかそそらない(中略)。やがて彼らがあのくらい森(ダンテがあのように見事に語っている)のなかにはいりこみ、その森が彼らをのんで、ふたたび入口をとざし、彼らの足跡をさえかくしてしまうのが見られる。すすんで噴火口にのみこまれ、そのふちにサンダルしかのこさなかったというエンペドクレスの伝説は美しい象徴である。ヒンズー教徒たちは、年をとると森にひきこもり、瞑想のうちにそこで生涯を終らなくてはならない。
 月は決しておなじ面しかわれわれに見せることはないようだ。ある種の人間の生涯も、信じられるよりははるかに多くそのようなものだ。われわれは彼らの影の領域を推理によってしか知らない、しかもその領域だけが重要な意義をもっている。
 社会は、はたらくことを強制される個人――すなわちすべての人間――にたいして、非常に苛酷な要求をもっているので、彼らの唯一の希望は(革命のそれはもちろんべつとして)病気になることだ。(中略)それというのも、人類は日々の労務に疲れて、病気というあのみじめな避難所しか見出さないからである。病気になることによって、自分にのこっている魂の部分を救うのである。」



「至福の島々」より:

「私の目的は、時というものに依存しないのだ。」


「想像のインド」より:

「ある種の文明によって形成されたある種の精神は、われわれの現実の問題にはほとんど関心を示さないということがわかった。そういう人間にとって重要なのは、彼が生きている社会が彼の瞑想するのをさまたげないということなのだ。」

「乾いてかたいギリシア。(中略)都市と都市との、家と家との、人と人とのあらそいが、この国では人間の感情を世界中でもっとも明白にし、もっともとらえやすくしている。――一方インドでは、湿ってやわらかく、とらえどころがなく、処女林の魅惑を秘めている。われわれはまず、おなじようにひそやかで連続した、一つのメロディーに魅せられる。そのメロディーは、すべての人間を、おなじ愛撫のなかにつつみ、植物から人間への推移の段階を感じられなくし、普遍的な生命が、一刻一刻、各自の存在のなかに、鏡にうつるように反映するといった感じをおこさせる。」
「われわれの目に、インドは永遠の小児の姿をとる。」

「「われわれの芸術は」とムケルジーはいう、「本質的に象徴的である。われわれの芸術は、それを醜くするためになされた内省的な努力をあらわしている。したがって、あなたがたはインドのどこへ行っても、象徴によってゆがめられた美を見るだろう。なぜなら、美だけでは十分ではないからなのだ。美はあまりにもみすぼらしいごちそうなので、人間はそれだけでは生きて行けないのである。われわれは、美を見出すと、どこでも、その美をこわしてしまう、それに聖なるしるしの焼印を押して……。芸術の極致は、芸術を虚無に帰することである。」」
「なぜシヴァはいくつもの腕をもっているのか? それは、シヴァが人間をあらわさないで、神さえもあらわさないで(やむなく、多少人間の外観をとって、表現されているけれども)、生成を象徴しているからなのだ。それは、象徴の状態においてでなくては理解されないものなのである。なぜ呼吸の錬成をするのか? 絶対のふところにおのずから消滅するように魂を錬成するためである。しかじかの信仰個条を忠実に守ることが問題なのではない。」

「非人間的な国、インド。(中略)非人間的な国民、人間性のそとに(引用者注:「そとに」に傍点)ある国民。」

「われわれに、そして私に嫌悪の念をおこさせるもの、私がインド人に生まれたかもしれなかったと考えるとき、恐怖をおぼえずにはいられなくするもの、そうしたすべては、しかしつぎのように私が考えるとき、何か心をわきたたせるものがあるように思われる。すなわち、そうしたすべては、精神をそのもっとも親しい係累――(つまり拘束なのだが)――から解放し、理性のそとにとびださせるために必要な機械(引用者注:「機械」に傍点)なのだと。」

「もっとも非個人的な思考は、インドの神にとってすでに一つの発顕(引用者注:「発顕」に傍点)である。その神自身の内部には、もはやこれもなければあれもない。純粋で無限定である。」
「インド人はソクラテスをしのぐ。後者は道徳への配慮をもった。前者は西欧人が「夢」と呼ぶでもあろうものにしか関心をもたない。現世の事柄を思いきりよくすてて、前者は野心のことも、改革のことも、耳にするのを欲しない。バラモン、つまりインド人は、好んでこういうだろう、「政治の話は、一時間の辛抱にも値しない」と。インド人にとって、政治は低い職業でさえない、それはわるいひまつぶしである。なぜなら、人間をその唯一の目的からそらせる、――精神陶冶という唯一の目的から。」

「インド人は、自己の存在の拡張によってではなく、自己の存在の沈潜によってしか他のものに到達したいとはねがわないのである。そこから、インドのきわだった特徴が出てくる。インドは、征服されても、どんな影響からもつねにのがれてきたのであった。インドは一つの野心をもってきた、それもただ一つの野心を。世界から自己をしめだそうという野心である。夢にふけったインドは(西欧人にとっては、無分別であり、みのりのない夢であるが)、じっと動かずにとどまり、人間の生活を軽蔑する。インドにとって人間の生活は、風で吹きはらわれる一群の羽虫にほかならない。」

「だが、それはどんな顔をしているのか? それは私に何を告げるのか? 何物でも、誰でもない。それなら、きみだって、何物でも、誰でもない。いや、そうではなく、きみはそれだ。非永続性を通して永続し、不在のなかに存在し、空白のなかに満ちている。私は理解しようとすべきでなく、ただ触れさえすればいい。(中略)この世界は私に告げているのだ、私が目ざめているときこそ私が不在の唯一のときだと。人間のかるい動作、たとえば肩の上にこっくり首がうなだれる、するとたちまち、この世界は消えて、それのほうがあらわれる、つまりこの世界を支えているその世界が。それにしても、私はもっと直接にその世界に合一できないものか? 私が私のもっとも深いところにこっくり首をかたむけると、私は存在することをやめ、私はもう私ではない――他者でもない――私はそれなのだ。(中略)――私が眠る、すると私はそれに近づく。私が死ぬと、私はそれにとけこんでしまうことになる。それのなかに私はおちるのだ、石が井戸の底におちるように。
 あるインド人の言葉、「大切なのは、全世界を一周することではない、全世界の中心を一周することだ……。」――「人は見た夢の物語を書かない、人は夢からさめてしまう。」

「人間がすこしも尊敬されないこと。それが必要なのだ、そうではないか? 人間の最上のもち前は、自己からのがれることであってみれば……。」

「インドによってもたらされた知的革命をどう呼んだらいいのか? 非現実主義。まず第一に、人間性を失わなくてはならない、ついで、この世界からかけはなれなくてはならない。人間の生活からかけはなれているという点では動物の生活がある。不統一なものをもった世界、知性に抵抗する(引用者注:「抵抗する」に傍点)ものをもった世界、――つまり現実の枠組からまったくはずされた世界。だからといって、不統一に向かわなくてはならないという意味ではすこしもない。(中略)しかし一つの体系のなかで身動きがならなくなることのないように、その一体化を表示することをさけなくてはならない。むしろ、われわれが問題とするその霊的見地を、脱宇宙主義 acosmisme、または非現実主義と呼んだほうがいいだろう。」



「見れば一目で……」より:

「だが、私の本能が私を私の道におしすすめたとすれば、一方何か知らないあるものが、私を尋常の道にひきとめた。私の知性がかならず私に、これはこう、あれはこうというふうに考えさせ、法則通りに讃美したり軽蔑したりさせようとした。」
「ある耐えがたい圧力、私より以前に生きていたすべての人々の横暴な力が私を息づまらせていた。」
「「きみはきみ自身であれ」と、年上のある友人が私に書いてきた、(中略)また、「動物のように人生をたのしめ」ともいってきた。だが、事物と私の本能のあいだには、つねに遮蔽の幕がたれさがっていた。他人の意見が私をかたくこわばらせていた(中略)。地中海の各地のことで何か私の知った点があるとすれば、たしかにそこにはこんな破壊的な偏見は存在しないということなのである。プロヴァンスの農夫は、その全存在で感じ、考え、信じる。どんな理窟も、母なる大地にはぐくまれた彼の本能が暗示したものから彼をそらせることはないだろう。そのようにして、大自然と人間の精神とは、それぞれのすぐれた力をたゆむことなく交換しあうのである。そして、認識とは交霊にほかならないということが、やがて私の理解したように、真実であるとすれば、そのことこそ真に知るという行為なのである。」

「私を呼ぶこのおびただしい光りに応えるには、私のなかにはまだ影が多すぎる。生の力がしばしばおそろしいまでに私にせまって見えるのだ。しかし、この生のはじまりは、じつに美しい! 私の生は毎日新しくはじまる。」




こちらもご参照ください:

井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 (岩波文庫)
『井上究一郎文集Ⅰ フランス文学篇』
岡谷公二 『島 ― 水平線に棲む幻たち』 (日本風景論)



Morrissey - Spent the Day in Bed (Official Video)





























































ボリス・ヴィアン 『日々の泡』 曾根元吉 訳 (新潮・現代世界の文学)

「「これが人生なんだ」とシックは言った。
 「いや、そんなことはない」とコランは言った。」

(ボリス・ヴィアン 『日々の泡』 より)


ボリス・ヴィアン 
『日々の泡』 
曾根元吉 訳
 
新潮・現代世界の文学


新潮社 
1970年10月20日 発行
1995年4月5日 15刷
266p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,000円(本体1,942円)



本書「『日々の泡』とボリス・ヴィアンのこと」より:

「『日々の泡』は“L'Écume des jours”の翻訳である。」
「訳出のためのテクストには一九六三年のジャン=ジャック・ポヴェール版と10/18叢書版とを併用した。挿絵はオドゥジュ・プレス版の『日々の泡』を飾ったリュシー・ユタン Lucie Hutin の素描である。」



挿絵5点。


ヴィアン 日々の泡 01


帯文:

「芸術への夢に結ばれた三人の青年と三人の少女――その華やかで痛ましい青春の真実! サルトル、ボーヴォワールが絶賛した異色のフランス小説」


帯裏:

「『墓に唾をかけろ』で現代の悲痛な青春を描いたボリス・ヴィアン――彼はまた、歌手で、俳優で、ジャズのトランペット吹きでもあった。素朴柔軟な心のひだで文学や芸術を尊ぶコラン、当代の大作家ジャン=ソール・パルトルの熱狂的蒐集家シック、料理の芸術を徹底的に追求する変り者のニコラ――三人の青年は美しい三人の少女、アリーズ、イジス、クロエと愛を語り、友情を交し、人生の夢を結ぶ。パリの若者たちがかもしだす青春特有の夢と現実、幻想と実存を新しい音楽的手法で描き、レーモン・クノーが「現代の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」と評した傑作である。」


内容:

日々の泡
 1~68

『日々の泡』とボリス・ヴィアンのこと (曾根元吉)




◆本書より◆


「まえがき」より;

「人生でだいじなのはどんなことにも先天的な判断をすることだ。まったくの話、ひとりひとりだといつもまっとうだが大勢になると見当ちがいをやる感じだ。(中略)お話は隅から隅までぼくが想像で作りあげたものだからこそ全部ほんとの物語になっているところが強味だ。」


「1」より:

「コランはおしゃれの仕上げをおわるところだ。湯あがりにまとったゆったりした厚地タオルからは脚と上半身とがはみでている。ガラス棚から噴霧器をとりだして色のあわい金髪に香料入り液体ポマードをふきつけた。その絹糸さながらの塊(かたまり)を琥珀(こはく)の櫛(くし)でオレンジいろの長い線に分けると、それがまるで上機嫌のお百姓がフォーク一本で杏(あんず)ジャムの中に作ってみせる畝溝(うねみぞ)のようだった。」


「2」より:

「「このうなぎのパテは驚くべきもんだね」とシックは言った。「これを作る思いつきは誰がきみにくれたんだい」
 「思いついたのはニコラだ。うなぎがいるもんだから――というよりうなぎがいたわけで――そいつが毎日ニコラの洗面台に水道管を通ってやって来てたんだ」
 「妙なことだね。どうしてかな」
 「頭だけ出して練歯みがきのチューブの上にのしかかると歯を使ってえぐるんだ。ニコラはアメリカ製のパイナップル香料入りの歯みがきしか使わない。このパイナップルが奴をひきつけてたにきまってるね」
 「どうやって摑まえたのかい」
 「チューブのかわりにパイナップルまるごとを置いた。歯みがきをむさぼってたときは、ぐっと呑みこんですぐ頭をひっこめることができたが、パイナップルじゃぁそうはいかない。ひっぱろうとすればするほど歯がパイナップルに食いこんでしまう。そこで、ニコラが……」
 コランは言葉を止めた。
 「ニコラがどうしたの?」
 「それを話すのは躊躇するね。たぶん、きみの食欲を害するだろう」
 「言ってくれよ。食欲が大して残ってるわけでもない」
 「この時ちょうどニコラが入ってきたんだ。それで、カミソリの刃で頭を切断した。それから、水道栓をひねると、残りの分が出てきた」
 「それだけかい。パテをもっとおくれよ。パイプの中にそのうなぎの一族郎党が大勢いるんじゃないか」」



「24」より:

「「あの人たちは、あたしたちを好いていないわね」とクロエは言った。「ここを出ていきましょうよ」
 「彼らは労働してるんだ……」とコランが言った。
 「そんなこと理由にならないわよ」とクロエは言いかえした。」



「25」より:

「「あの人たち、どうしてあんなに人を小ばかにしてるの」とクロエはきいた。「労働してるからってそれがそんなに正しいとは思えないわ」
 「労働は正しいと聞かされているんだな。一般には正しいと考えられているんだが、実際は、だれもそう思ってやしない。習慣でやっているわけだ。」」



「32」より:

「クロエは、ひどく透きとおった顔色になって、婚礼の美しいベッドに、やすんでいた。眼はあいていたが呼吸は困難だった。アリーズが彼女と一しょにいた。イジスは、ニコラが料理全書にもとづいて何か気付けの飲み物を作っているお手伝いをしていたし、ハツカネズミは寝酒をこしらえようと草の実を鋭い歯で嚙み砕いていた。」


「38」より:

「クロエは彼の腕にかかえられて、ほんの少しずつ歩んでいくのだった。彼女が二歩すすむとコランは一歩すすむのだった。
 「うれしいわ」とクロエは言った。「太陽はいっぱいだし、樹の香がぷんぷん匂ってるわ」
 「ほんとだね。春だよ」とコランは言った。
 「ほんとに?」とクロエは彼にいたずらっぽい眼つきをしてみせた。
 ふたりは右に折れた。病院地区に出るまで、まだ建物の群れを二つも通りぬけねばならなかった。百メートルも先から、麻酔剤の臭いが漂いはじめていて、風のある日だと、さらにもっと遠くからも流れてくるのだった。歩道の様子も変りつつあった。このへんでは、目の詰った細密な柵になったコンクリート造りの格子蓋でおおわれた幅広い平坦な暗渠が歩道になっているのだ。柵の下には、エーテルとまざったアルコールが流れて、膿や血膿や時には血液に汚れた脱脂綿を運んでいた。半ば凝固した血の繊条が揮発性の水流のそこかしこを染めて、ほとんど分解した肉の切れっぱしが自転しながら、溶けすぎた氷山のようにゆっくりと通りすぎていった。どこもかしこもエーテルの臭いばかりだった。ガーゼや包帯の束もまた、どんよりした渦を巻いて水流をくだっていった。どこの建物も右側には、排水管が暗渠のなかへ放出されていて、これらの管の排出口をちょっと観察してみれば、そこのお医者の専門がはっきりすることもあった。くるくる廻転する目玉のような泡が、しばらくの間、ふたりを見つめてから、病気のクラゲみたいな、ふにゃふにゃした赤っぽい木綿の布ぎれの蔭に消えていった。」



「40」より:

「「睡蓮なんだが」とコランは言った。「どこであんな睡蓮を拾ったのかな」
 「クロエが睡蓮をどうかしたのか」疑わしげにニコラはたずねた。
 「右の肺にできてるんだ。はじめ先生は単に何か動物みたいなものだと思っていたんだ。ところが、それが睡蓮なんだ。スクリーンに映ったのを見たよ。もうかなり大きくなっているが、どうしたってこいつを取り除けなくてはならんのだ」
 「なるほど」ニコラは言った。
 「あんたはどんなものか分りっこないわ」クロエはすすり泣きをしていた。「あれが動いたりすると痛いったらありゃしないのよ」」



「46」より:

「《愛するコラン、
 《あたしは元気で、お天気は晴れです。ただ一つうんざりするのはユキモグラです。雪と地面とのあいだを這いまわる動物でオレンジいろの毛皮で夜になると大きな啼き声をあげます。ユキモグラが雪の小山をきずくのでだれでもつまずいてころぶんです。ここには太陽がいっぱいで、まもなく帰れるようになるでしょう》」



「50」より:

「イジスはもう一度ベルを鳴らした。ドアの片側で、小さな鋼鉄(スチール)の戸たたき金がわずかに震動していることに気づいていた。彼女がそっと押すとドアはさっと開いた。
 中にはいった途端に彼女はコランにつまずいた。彼は床に長くなり顔を横向きに伏せ、両腕を前に伸ばして、じっと寝ていたのだ……眼は閉じてしまっていた。玄関は薄暗かった。窓の周辺には、明るい光の暈が見えていたが、室内へは入りこんでこないのだった。彼はしずかに呼吸していた。眠っているのだった。
 イジスはかがみこみ、彼のそばに膝をついてその頰をやさしく撫でた。その肌はかすかにふるえ、眼がまぶたの下で動いた。彼はイジスを見つめてから、ふたたび眠りこんでいくらしかった。イジスは彼をかるく揺すった。起きて坐ると彼は口に手をあてて言った。
 「ぼくは眠っていたんだ」
 「そうよ」イジスは言った。「あんたはもうベッドで眠っていないの」
 「そうだ」とコランは言った。「ぼくはお医者を待ってここにじっといようと思ったんだ。それから花を買いにいこうと思ってね」
 彼はすっかりうろたえきった様子だった。
 「どうしたのよ、いったい」とイジスは言った。
 「クロエが」とコランは言った。「また咳をするんだよ」
 「炎症が少し残ってるのよ」とイジスは言った。
 「そうじゃないんだ。もう片方の肺なんだよ」」



「56」より:

「コランが遠ざかっていくのを見守りながら、アリーズは心の中で力のかぎりにさよならをさけんでいた。彼はあんなにもクロエを愛している、彼女のために、彼女に花を買ってやれるように、また彼女の胸をむしばんでいく恐ろしい物と闘うために、彼は仕事を探しにいくのだ。コランの広い肩もわずかに衰えて見え、ひどく疲労しているようだった。その金髪にしてももう昔のようにきちんと手入れして分けられてはいなかった。」


「66」より:

「コランはがっくりとなって膝をつき、頭をかかえていた。石ころの転がりこむ鈍い響きがきこえてくるのだった。巡警と御堂番と二人の運び屋とは手をつなぎあって墓穴の周囲を輪舞(ロンド)でひとおどりしてまわった。やがて不意に連中は小径へ駆けこみ、南仏田舎踊りの足どりで退場していった。御堂番がふといクルムホルンを吹き立てていて、そのじゃりつくような笛の音が冷えきった空気をふるわせるのだった。
 土塊(つちくれ)はしだいに崩れ落ちて二、三分後に、クロエの遺体はすっかり見えなくなってしまった。」



「68」より:

「「彼は水の岸にいるの」とハツカネズミは話した。「彼は待っているの、そして時間がくると、橋板の上にいく、そして、まんなかで立ちどまるんだわ。そこで何かが見えるのよ」
 「大したものは見えやしないよ」と猫は言った。「睡蓮さ。そうだろう」
 「そう。睡蓮をやっつけようとして浮んでくるのを待っているのよ」
 「ばかばかしいよ。ぜんぜん気乗りしないね」
 「時間がすぎてしまうとね」とハツカネズミはつづけた。「岸にもどって、写真を見るのよ」
 「彼はまるきり食事しないのかい」
 「しないわ。彼はとても弱ってきているの。わたしは耐えきれないわ。そのうちいつか、あの広い橋板を踏みはずしてしまうんだわ」
 「きみを心配させてることは何かね。彼が不幸だからかな」と猫はきいた。
 「彼は不幸じゃない」とハツカネズミは言った。「彼には苦しみがある、そのことがわたしには耐えきれないのよ。いずれは水中に落っこちてしまうわ、身を乗りだしすぎてるんだもの」」



ヴィアン 日々の泡 02




こちらもご参照ください:

『ボリス・ヴィアン全集 3 うたかたの日々』 伊東守男 訳
ジャン=ルネ・ユグナン 『荒れた海辺』 荒木亨 訳



























































 『ボリス・ヴィアン全集 3 うたかたの日々』 伊東守男 訳

「「仕方がないさ」とシック。
 「仕方がないもんか」とコラン。」

(ボリス・ヴィアン 『うたかたの日々』 より)


『ボリス・ヴィアン
全集 3 
うたかたの日々』 
伊東守男 訳



早川書房 
昭和54年6月15日 初版発行
252p
四六判 並装 
カバー ビニールカバー
定価950円


「本書はガリマール社版《L'écume des jours》(一九四七年)に拠る翻訳である――編集部」



ヴィアン うたかたの日々 01


帯文:

「肺のなかに睡蓮が生長する奇病にかかった少女と青年との悲痛な愛――青春の夢と真実を、優しさと諧謔にみちた笑いで描く代表作!」


内容:

うたかたの日々
 1~68

睡蓮が咲くまで…… (荒俣宏)




◆本書より◆


「はじめに」より:

「人生では、大切なことは何ごとにかかわらず、すべてのことに対して先験的な判断を下すことである。そうすると、実際、大衆が間違っていて個人が常に正しいということがわかってくるのだ。(中略)以下に小説として挙げる論拠は全くそれが本当の話だというところに強味がある。第一それはわたしが初めから終りまででっちあげたことだ。」


「1」より:

「コランは身だしなみをととのえ終えるところだった。風呂から出ると、ふんわりしたタオル地に身を包み、足と胴体だけがはみ出していた。ガラスの棚から噴霧器を取ると、明るい髪の毛の上にかぐわしい油性の液体を振りまいた。そのアンバーの櫛は、陽気な農民がフォークを使ってアプリコットのジャムに作る溝のように、オレンジ色の長い網の目状に絹のような髪を分けていった。」


「2」より:

「「この鰻のパテはうまいなあ。誰から聞いたんだい」と訊くシック。
 「ニコラが思いついたんだ。鰻が一匹いるんだよ。というよりか、いてねえ。毎日水道管を通って洗面所にやって来ていたんだ」とコラン。
 「奇妙な話だなあ。なぜだい」
 「首を管から伸ばして、歯磨きのチューブを歯で押えて、中身をペロッと食べちゃっていたんだ。ニコラはパイナップルの香りのついたアメリカ風の歯磨きしか使わないんで、魅かれたんだろうなあ」
 「どうやってつかまえたんだい」
 「パイナップルの香りの代りに、本物のパイナップルを置いといたんだ。歯磨きだと消化ができて、首を引っ込めることもできたからだ。パイナップルとなるとそうはいかない。引っぱれば引っぱるほどパイナップルの中に歯がくい込んでいったんだ。ニコラは……」
 コランは言いよどんだ。
 「ニコラがどうしたんだ」とシック。
 「言いにくいなあ。食欲がなくなってしまうかもしれないからなあ」
 「言えよ。どうせ食欲なんてほとんどないんだから」
 「ニコラはその瞬間に剃刀の歯で鰻の頭をちょん切っちゃったんだ。それから、水道の蛇口をオープンすると残りが全部出てきちゃったってわけだ」
 「一匹しかいないのかい。パテをよこせよ。まだ沢山いるんじゃないかな」」



「32」より:

「クロエは彼らの結婚式に使った美しいベッドの上に、極めて透明な血色になって横たわっていた。目を大きく見開いていたが、呼吸はあまりしていなかった。横にはアリーズが坐っていた。イジスはグッフェの本に従って元気づけの飲物を作ろうとしているニコラの手伝いをしていた。そして、例の灰色のハツカネズミが熱さましの草の実を鋭い歯で砕きながら、寝ていても飲める飲物を作ろうとしていた。」


「38」より:

「クロエは彼の腕にぶら下がっていた。彼女は小刻みに歩いていた。コランは相手が二歩歩くたびに、一歩歩いた。
 「わたし、幸福よ。太陽は照っているし、木はとってもいい匂いだわ」
 「それはそうさ。春だもの」
 「あら、そうなの」と彼をからかうように見ながらクロエ。
 二人は右に曲った。医者の住んでいる界隈に行くまでにはまだ建物を二つばかり沿っていかなくてはならないのだ。百メートルほど行くと麻酔薬の臭いがしていた。風のあるときはもっと遠くまで漂ってきているのだ。歩道の構造が変った。いまでは、幅広く平べったい運河になっており、そのうえ、狭く目の詰まったコンクリートの格子におおわれていた。格子の下はエーテルの混ざったアルコールが流れており、膿や、血膿や血に汚れた綿のタンポンもときどき浮いていた。あちこちに半分固まった血が長い紐状をなして、いいかげんもう分解してしまった肉の破片を色どりながらゆっくりと流れていっており、解けかかった氷山のように自転していた。ただエーテルの臭いがするだけだった。ガーゼの破片やら包帯のくずなどがやはり流されてき、眠ってしまったような輪を自然とほどいていっていた。家々の右側には下水管が一つついており、運河に続いていた。そしてしばらくその穴を覗いていると、医師のそれぞれの専門がわかってくるのだ。目が一つグルッと回転し、何秒かの間穴を眺めていたが、病気のくらげのように頼りげのなく赤っぽい木綿の大きなナプキンの下に消えてしまっていた。」



「40」より:

「「睡蓮なんだよ。一体どこでそんなものにかかっちまったんだろうなあ」
 「睡蓮にとりつかれたですって」と信じられないようにニコラ。
 「右の肺だよ。教授は初めのうちは何か動物がいると思っていたんだ。だけど睡蓮だったんだ。スクリーンにはっきりと映ってるよ。だいぶ大きくなっているが、なんとかうまくやっつけられるさ」
 「そうですとも」とニコラ。
 「あなた方には睡蓮が巣食っているってどんなことかわかるはずがないわ。動くととっても痛いのよ」と咽び泣くクロエ。」



「46」より:

「愛するコラン
 わたしとても具合がいいわ。天気がとてもいいの。ただ一ついやなのは雪もぐらよ。雪と土の間に潜っている小さなけものよ。オレンジ色の毛皮をしていて、夜になると大きな声を出すの。大きな雪だるまをつくって、みんなそれにつまずいてしまうのよ。太陽がいっぱいで、間もなくあなたの許に帰れるわ。」



「50」より:

「イジスはもう一度呼び鈴を鳴らした。ドアの向う側で床の上に鋼鉄の金槌がわずかに触れる音が聞こえた。彼女が少々ドアを持ち上げてみると、ドアは一息に開いた。
 彼女は中に入り、コランを踏んづけてしまった。彼は顔を床に伏せて両手を脇に伸ばしたまま地べたに横たわっていたのだ。両の目は閉ざされていた。玄関はうす暗かった。窓の周りはボーと明るくなっていたが、光は中まで入ってこなかった。彼は静かに呼吸をしていた。眠っていたのだ。
 イジスはこごんだ。彼のそばにひざまずき、頰を撫でた。彼の肌は軽く戦慄し、両の目が瞼の下でうち震えた。彼はイジスを眺め、また眠りこんでしまったようだ。イジスは少々彼を揺すぶった。彼は坐り直すと、唇に手をあてて言った。
 「ぼくは眠っていたんだよ」
 「そうらしいわね」とイジス。「もうベッドの中で眠れないの」
 「うん、眠れないんだ。ここに寝て医者が来るのを待ってるんだ。花を買いに行くにも便利だし」
 彼は完全にどうしていいのかわからなくなっているのだ。
 「一体どうしたのよ」とイジスが訊ねる。
 「クロエがまた咳をし始めたんだ」
 「炎症がまだ残っているせいよ」
 「そうじゃないんだよ。もうひとつの肺が悪くなったんだ」」



「56」より:

「遠ざかって行くコランを見送りながら、アリーズは全身の想いをこめて、さようならを言った。彼はクロエを本当に愛している。彼女のために仕事を探しに行くのだ。彼女の胸に巣食っている恐ろしい怪物と闘うための花を買ってやるために働きに行くのだ。コランの大きな肩はいくらか参っているようだ。彼は疲れきっていた。ブロンドの髪の毛には櫛が入っておらず、それは昔と同じようにきれいにわけられていなかった。」


「66」より:

「コランは地べたにひざまずいていた。彼は頭を両の腕で抱えていた。石は鈍い音をたてて周りに落ちていた。聖堂番と助手と二人の人足は手に手をとり合って穴の周りを取り囲んで踊っていたが、突然小径の方に向って駆け出すと、ファランドールを踊りながら消えてしまった。助手は大きなクルムホルンを吹き、死んだような空気の中にしゃがれた音を響かせた。地面がゆっくりと崩れていき、二、三分するとクロエの死体は完全に消えてしまった。」


「68」より:

「「彼は水のほとりに立って待っていたんだ。そうして時間になると、板の上に行って真中に立ち止まったよ。何か見えるみたいだったよ」とネズミ。
 「なあに、たいしたものは見えないさ。見えてもせいぜい睡蓮だろう」と猫。
 「うん、そうだなあ。相手が水面にのぼってくるのを殺そうと待っていたんだ」とネズミ。
 「ばかな。なんにもならないじゃないか」と猫。
 「時間が過ぎてしまうと水のほとりにやって来て写真を眺めていた」とネズミ。
 「物はもう食べないのかい」と猫。
 「食べないんだ。身体がすっかり弱っちまって、見ていても我慢できないぐらいだよ。そのうち板の上でつまずいてしまうんじゃないかな」とネズミ。
 「それがお前にどうしたっていうんだ。そいじゃ奴は不幸なんだな、きっと」と猫。
 「彼は不幸なんていうものじゃない。苦しくてしようがないんだよ。おれにはそれが我慢できないんだ。それに水の上にこごんでばかりいるから、そのうち水に落っこっちゃうよ」とネズミ。」



ヴィアン うたかたの日々 02




こちらもご参照ください:


ボリス・ヴィアン 『日々の泡』 曾根元吉 訳 (新潮・現代世界の文学)
ボリス・ヴィアン 『サン=ジェルマン=デ=プレ入門』 浜本正文 訳
マルセル・ムルージ 『エンリコ』 安岡章太郎・品田一良 訳




Memoriance - le nuage rose































































『アポリネール傑作短篇集』 窪田般彌 訳 (福武文庫)

「ムッシュウ、何もこわがることはありませんぜ。わしは悪者じゃないですからな。とても不幸な人間なんですよ。」
(アポリネール 「鷲狩り」 より)


『アポリネール
傑作短篇集』 
窪田般彌 訳
 
福武文庫 あ 0201 

福武書店 
1987年1月10日 第1刷印刷
1987年1月16日 第1刷発行
277p 
文庫判 並装 カバー
定価480円
装丁: 菊地信義
カバー写真: 瀬尾明男



「訳者あとがき」より:

「本書は詩人ギヨーム・アポリネールが生前に発表した異色短篇集『異端教祖株式会社』(L'Heresiarque et Cie, 1910)と『虐殺された詩人』(Le Poete assassine, 1916)を中心にして編み、それに前記二冊の短篇集以後に書かれた作品六篇を加えた。」
「私の全訳『異端教祖株式会社』と『虐殺された詩人』は、前者には角川文庫版(昭和三十六年)、晶文社版(昭和四十七年)、後者には白水社版(昭和五十年)があり、これらは「拾遺コント集」と一括して青土社版『アポリネール全集Ⅱ』(昭和五十四年)に収録されている。本傑作選においては、青土社版を底本としたことをお断わりしておきたい。」



アポリネール傑作短篇集


カバー裏文:

「比類なき反逆精神で既成芸術を否定し、アヴァンギャルドの旗手として活躍した、夭折の詩人・小説家アポリネールの傑作短篇集。現実と空想が奇妙に交錯し、不思議な味わいを醸し出す23篇を収録。」


目次:

プラーグで行き逢った男
ラテン系のユダヤ人
魔術師シモン
ケ・ヴロ・ヴェ?
ヒルデスハイムの薔薇
オノレ・シュブラックの失踪
アムステルダムの船員
詩人のナプキン
贋救世主アンフィオン

月の王
ジォヴァンニ・モローニ
影の出立
死後の婚約者
青い眼
聖女アドラータ
おしゃべりな回想
鷲狩り

《ジオコンダの犠牲者》によるサン・ラザール駅のロビンソン・クルーソー
影の散歩
オレンジエード
整形外科
妖婦
鉢植え

訳者あとがき




◆本書より◆


「プラーグで行き逢った男」より:

「――私はさまよえるユダヤ人です。きっともうそんなこともおわかりになっていたことと思いますが。」
「未来も死もこわがってはいけません。人間は絶対に死ぬというもんじゃありません。一体あなたは、死なないのは私だけだと思っているんですか! エノクや、エリヤや、エンペドクレスや、テュアナのアポロニウスのことを思いだしてみて下さい。ナポレオンが今なおこの世に生きていると信じている人間が、世界中に全くいないでしょうか? また、あの不幸なバヴァリアの国王ルードヴィッヒ二世は! バヴァリア人にきいてごらんなさい。かれらはみんな断言しますよ、気の違った気品高い国王は、今も生きていると。だからあなた自身だって、もしかすると死なないかもしれません。」

「ぼくは、かれのがさがさした長い手を握った。
 ――さようなら、さまよえるユダヤ人、幸せな、いずこの当てもない旅人。あなたの楽天主義も大したものですよ。あなたのことを、悔恨にやつれ、つきまとわれたぺてん師などと思っている奴は、狂人のたぐいですよ。
 ――悔恨ですって! なぜですか? 魂の平和をお保ちなさい。そして悪人になることです。善人どもは、きっとあなたに感謝しますよ。キリストなんてものは! 私はかれを嘲笑してやったんです。だから、かれは私を超人にしたのです。さようなら!……」



「ヒルデスハイムの薔薇」より:

「かれの奇妙な行状はじきに、ハイデルベルヒの教授や学生たちの気をひいた。かれの仲間でない連中は、遠慮会釈(えしゃく)なく、あいつは気が狂っているといった。仲間のものたちは弁護してくれたが、その代り、ネッケル河のほとりで今なお人々の語り草となっている決闘が、次々と数知れず行われた。それから、かれについて噂があれこれと伝わった。一人の学生はあるとき、野原を散歩するかれのあとをつけた。その学生は、エゴンが一匹の牡牛に近寄り、次のように話しかけた、と語った。
 ――ぼくはケルビム天使を探しているんだよ。似ているってことはぼくを感動させる。ぼくがみつけたのは牛さ。でも、本当に、ケルビム天使というのは、翼をつけた牛なんだね。ねえ、草を食べている美しい牛よ……きみの善良な性質のなかには、天国の最も高貴な階級の一つを占めている、あの動物たちの知恵があるのかもしれない。さあ、教えてくれないか、クリスマスの伝説は、きみの種族の間で永く永く残っているのではないかね? きみの一族の誰かが、秣桶の子を息で温めたということを、きみは誇りとしているのではないかね? そうなら、ケルビム天使に似せて創られた高貴な動物よ、きっときみは知っているんだろう? どこに三博士たちの黄金が隠されているかを知っているんだろう? ぼくはその宝を探しているのだ。その神聖な富で金持にしてもらいたいのだ。おお牡牛よ、ぼくのただ一つの希望よ、答えておくれ! ぼくは驢馬(ろば)たちにもきいてみたよ、でもかれらは所詮動物さ。(中略)あの元気のいい動物ときたら、たった一つの返事しかできないんだからな。「ヤア」というドイツ語のしゃがれた肯定語をくり返すだけさ。
 夕暮も終りかけるころだった。遠くの家々にはランプの灯がついていた。まわりの村々も次々と輝き始めた。牡牛はゆったりと首のむきをかえ、モーとうなった。」

「この小さな町なかを橇(そり)が何台も滑る、氷の張ったある朝、エゴンの両親が暮しているドレスデンから発送された一通の手紙が届いた。イルゼの父は眼鏡(めがね)がみつからなかったので、彼女が高い声で読みあげた。その便りは悲しく、短いものだった。エゴンの父は、息子が恋のために気が狂ったといってきたのだった。それから、息子が身命を賭しても手に入れようとした三博士たちの宝の話や、狂乱状態のかれをさる精神病院に軟禁したが、気が狂ってもイルゼの名をくり返し呼びつづけていることなどが書いてあった。
 この便りを読んでから、イルゼは眼にみえて衰え始めた。(中略)家事も裁縫も、何もかもしなくなった。いつでもピアノをひいているか、あるいは物思いにふけっていた。そして二月のなかばごろ、ついに床につかなければならなくなった。」



「オノレ・シュブラックの失踪」より:

「――びっくりしたかね! とかれはいった。しかし、きみには今やっと、なんでぼくがこんな変てこな服装をしているかがわかったろう。でも、ぼくがどうやって、きみの眼の前で完全に消えてしまったかはわからなかったろう。そいつはとても簡単なことさ。擬態現象というやつを考えてくれればいいんだ……自然はやさしき母だ。彼女は自分の子供たちのなかで、危険にたえず脅かされ、そのくせ自分を守るにはあまりに弱いものたちに対し、自分をとりまくものと一つになることのできる能力を与えた……(中略)蝶は花に似ているし、ある昆虫どもは木の葉と区別がつかない。カメレオンは自分を最もよく隠してくれるものの色になってしまうし、われわれが田畑にみる野兎に劣らず臆病な北極の兎は、一面に氷の張ったその地方と同じ白色となるから、逃げるときはほとんど眼にもつかないというわけさ。
 こんなふうに弱い動物たちは、その外貌を変えてしまう器用な本能がそなわっていて、それで敵から逃れることができるのだ。
 そしてね、ぼくもたえず敵に追われているのだ。だがぼくは弱虫で、闘って自分を守ることなんかとてもできないことを知っている。まさにぼくは、あの弱い動物と同じさ。だからぼくは望むときに、とりわけ恐怖を感じたときには、いつでも周囲のものと一体になることができるのだ。」



「月の王」より:

「すぐにバヴァリア王ルードヴィッヒ二世だと私が気がついたこの男の言葉が高まるにつれて、私はバヴァリアの民衆たちが固く信じている考えが――つまり彼らの不幸な狂王はスタンベルグ湖の暗い水底に死んだのではないという考えの正しさを認めるにいたった。」


「ジォヴァンニ・モローニ」より:

「その頃、私は七歳でした。父は私に綴りを教えようとしました。ところが、私は父の手ほどきにいっこうになじめず、たった一人でイタリア拳をしているほうが好きでした。一人でイタリア拳をするのは無理なことですけど、できなくはないのです。
 イタリア拳をしない場合には、自分でミサを行ないました。椅子を祭壇とするわけですが、私はその祭壇をベッファーナが持ってきてくれた小さな枝つき燭台や、聖体器や、鉛の聖体顕示台で飾ったものです。ときには、先端に馬の頭がついている棒にまたがったりしました。そして、とうとう遊びという遊びに倦(あ)きてしまうと、マルディーノと一緒にどこか片隅に身を隠しました。この人物は私の生活のなかで大きな場を占めていました。彼は緑と黄と青と赤にぬりまくられた操り人形です。私は他のいかなる玩具よりも、この人形が好きでした。なにしろ、わが育ての父がそれを彫るのを、この眼で見ていたんですからね。」
「人形をマルディーノと呼ぶようになったのは、どうしてだかわかりません。わたしは自分の注意を惹いたものにはなんにでも、勝手に名前をつけていたのです。あるとき台所のテーブルの上に一匹の魚を見つけました。私は長いあいだ考えぬいて、ビオヌロールという名前をその魚につけたものです。
 ある日、私はマルディーノとおしゃべりをしてみる気になりました。というのは、操り人形は返事をしてくれると、そう私は思いこんでいたからです。」



「鷲狩り」より:

「ところが私は郊外で道に迷ってしまい、あれこれまわり道をしたあげく、やっとのことで人影もない、広く薄暗い通りに出た。一軒の店が目にとまった。その店は非常に暗く、空家(あきや)のようにも思えたが、道を尋ねるために中に入ってみる決心をした。そのとき、私を軽く押しのけながら追いこしていった一人の通行人が私の注意を惹いた。彼は小柄な男で、肩に将校用の短い外套を翻していた。私は足をより早め、彼に追いついた。横顔がうかがえた。しかし、その顔付きが見分けられたとたんに私は後ずさりしてしまった。人間の顔どころではなかったからである。私の横に立っていた男は鷲の嘴(くちばし)をつけていたのだ。曲がっていて丈夫な、恐ろしく、そして極度にいかめしい嘴を。

 恐怖を抑えて、私はふたたび歩きはじめたが、人体に肉食鳥の頭をつけているこの奇妙な人物を注意して観察していた。彼もまた私の方に顔を向け、じっと見すえながら、老人の声をふるわせて、次のような意味の言葉をドイツ語で言い放った。
 「ムッシュウ、何もこわがることはありませんぜ。わしは悪者じゃないですからな。とても不幸な人間なんですよ。」」



「影の散歩」より:

「もうすぐ正午になろうというときだった。影が一つ、こちらにやってくるのが眼に入った。ところが驚いたことに、その影はいかなる肉体のものでもなく、ただ一人、気ままに進んでくるのだった。
 影は地面の上に斜めに伸びていた。歩道に近づいたかとおもうと突如二つに折れ曲がり、ときに壁のそばにくれば、まるで誰かに挑戦するかのように、まっすぐに立ちあがった。」
「全く人気のない通りの曲がり角で、影は何かためらうようにして折れまがり、姿を消していったが、私はその瞬間に後を追ってみる気になった。」





こちらもご参照ください:

アポリネール 『異端教祖株式会社』 窪田般彌 訳
アポリネール 『虐殺された詩人』 窪田般彌 訳 (小説のシュルレアリスム)
ギヨオム・アポリネール 『贋救世主アンフィオン』 辰野隆・鈴木信太郎・堀辰雄 共訳



































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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