植田祐次 訳編 『フランス幻想民話集』 (現代教養文庫)

「そのとき、昼間は死んでいる地獄に堕(お)ちた人々が、マリウッチャが歩いたのとは反対側の道からやってくるのが見えた。
 「なんということだろう、あの人たち全部が呪われているなんて」と彼女は思った。それから彼女はその不幸なすべての人々に混じって、地獄へ入っていった。」

(「十字架の護符」 より)


植田祐次 訳編 
『フランス幻想民話集』
 
現代教養文庫 1047/D 597

社会思想社 
1981年4月30日 初版第1刷発行
1982年8月30日 初版第3刷発行
222p
文庫判 並装 カバー
定価360円
カバー絵: ベルナール・ルエダン



本書「あとがき」より:

「なお、訳出に当って使用したテクストは、(中略)Les littératures populaires de toutes les nations, paris, G.-P. Maisonneuve & Larose, 1881-92, 30 vol. であるが、この叢書はこの三十巻のほかに増補版とも言うべき四十七巻が一八八一年から一九〇二年にかけて刊行されている。」


フランス幻想民話集


カバーそで文:

「「けものが話し、石が歩いていたころのこと、不仕合せな者に思いやりのある一人の美しい仙女がいた――」(「仙女の恋」より)
 なんと奔放で、詩情にあふれた書き出しであろうか! 読者は否応なく、無限にひろがるファンタジーの世界に誘い込まれてしまう。
 本書は、フランスの各地で、人々によって語りつがれた民話の中から、幻想的なはなしを拾い、まとめたもの。あなたを、恐ろしくも美しい夢の国へご招待いたします。」



目次:

恋人たち
 心臓を食われた恋人
 ナイチンゲールを恋した娘
 マリア
 許婚(いいなづけ)
 愛の残骸
 仙女の恋
 司祭とその恋人
 煉獄からの復讐
 生首
 フィアンセの亡霊

悪魔
 コケットな娘と悪魔
 娘たちにつきまとう悪魔
 フージュレの医者
 十字架の護符
 妖術師見習

領主
 フルート
 青ひげ
 四季精進日の夜
 妖怪狼(ルー=ガルー)になった領主
 不信心な領主
 神罰
 レオナルド伯爵の財宝

求道者
 行者と羊飼いの娘
 死なねばならぬ
 袋に入れ!

死者
 真夜中の葬列
 シャントルーの鐘つき
 黄金の足
 大食いの娘
 生首に変ったパン

亡霊
 死者のミサ
 けちんぼうな女
 亡霊のミサ
 水晶の城

あとがき




◆本書より◆


「ナイチンゲールを恋した娘」より:

「ある女にベッラドナという名の娘がいた。この娘の可愛らしさときたら、類(たぐい)まれだった。
 この娘が生まれたとき、仙女たちがあらゆる種類の贈物をしてくれたが、その中でもとりわけ、娘が望みのものに変身できる魔力の贈物があった。
 ある日、ベッラドナは母親にいった。
 「ママン、わたし結婚したいの」
 (中略)
 「毎朝、柘榴(ざくろ)の木の上で歌っているあのナイチンゲールと結婚したいの」
 「ナイチンゲールと結婚したいですって。いったいおまえは気でもふれたのかい、それともわたしをからかっているのかい」
 「本気よ。好きな鳥と結婚しなければならないの」
 母親は気の毒にもすっかり途方に暮れてしまった。
 「ねえ、いいかい、おまえ。おまえを幸せにしてくれる、やさしい、美しい、お金持の人を選びなさい。おまえが一緒に暮らしていける方と結婚しなさい」
 「わたしの考えを変えようなどとしないで。わたしはナイチンゲールがいいの」
 「ああ、おまえは木々の間を駆け回りたいのかい。その鳥のあとをどこへでも付いていくには、おまえは大きすぎますよ」
 「わたしはナイチンゲールにだって姿を変えることができるわ」
 母親はうまく娘を説得できないと悟ると、娘が何かに姿を変えて家を出ることを恐れ、娘を部屋に閉じ込めて鍵を二度回して錠をかけた。
 ある日、母親が近在の祭に遊びにくるよう親戚の女に招かれたので、ベッラドナは屋敷の礼拝堂付司祭の手もとに預けられた。
 母親が出かけると、娘はいった。
 「司祭さま、やさしい司祭さま。門の前にあるあのきれいな柘榴の実を一つ摘ませてくれませんか」
 「いいや、お嬢さま。あなたのお母さまが、あなたを勝手に外へ出すことをかたくお禁じになられたのです」
 「では、わたしに食べさせるために、せめて司祭さまが摘んでくださいな」
 「それなら、結構」
 司祭はベッラドナのいる部屋の戸を開けた。
 娘はすぐに心の中で言った。「蠅(はえ)になれ」
 すると、たちまち娘は舞い上がり、家から出ていった。
 いったん外に出ると、自分がしとやかな女であることを思い出して、またいった。
 「ベッラドナになれ」
 すると、彼女はふたたびもと通りになった。
 それから娘は、愛するナイチンゲールを探して野原を駆けていった。
 戻ってみて、ベッラドナの姿が見えなかったときの司祭の驚きようはたいへんなものだった。
 「何に姿を変えたのだろう」と司祭はつぶやいた。
 司祭はいたるところ探し回ったが、空しかった。
 (中略)
 司祭は家出娘を探しに出かけた。一日中歩き回っても娘を見つけられなかったが、ようやく川辺で休んでいる娘の姿を見つけた。
 「ベッラドナ、ベッラドナ、こわがらなくてもよいのだ。お母さまはあなたを許してくださった」
 娘は司祭を見ると、鰻(うなぎ)に姿を変え、川の中に飛び込んでしまった。
 司祭は川辺に近づいて探したが、川の中をのぞき込むと、ぐるぐる泳ぎ回る一匹の鰻が見えるだけだった。ベッラドナの影すらなかった。
 夜が近づいてきたので、屋敷に戻り、母親にいった。
 「川のほとりでお嬢さまに会って話しかけさえしたのですが、わたしを見るなり不意に姿を消し、どこへ行ったのか分からなくなりました。鰻が一匹だけ水の中で遊び回っていましたが」
 「それでは、その鰻が娘だったのです。もしあなたがつかまえていてくれたら、娘はもとの姿に戻っていたでしょうに」
 司祭はまた出かけていった。
 広い平野があり、それがベッラドナだということが分かった。
 司祭が急いで駆けていくと、平野は人跡未踏の森林に変った。哀れな司祭はその中で道に迷った。
 司祭はやむをえず屋敷に戻って、一部始終を話した。
 「もしあなたが森の木の枝をつかんでいてくれたら、ベッラドナはあなたに付いて来ざるをえなくなり、わたしたちは娘を手もとに置くことができたでしょうに」
 司祭は三度(みたび)、出かけていった。
 ある村の入口に礼拝堂が眼に入った。そのすぐそばで一人の主任司祭が聖務日課書を読んでいた。
 「つい今しがた、ここを若い娘が通るのを見かけませんでしたか」
 「今はミサを行っているところでな」
 「そんなことをたずねているのではありません。娘さんが通るのを見かけましたか」
 「中にお入りなさい。まだ間に合う」
 「おまえもおまえのミサも、悪魔にさらわれてしまえ」
 司祭はベッラドナの母親の方へ戻っていった。
 「あなたは何を見たのです」
 「礼拝堂と、そのすぐそばで聖務日課書を読んでいる司祭を見ました」
 「それでは、その司祭が娘だったのです。もしあなたが娘をつかまえていてくれたら、娘はあなたに付いて来ざるをえなかったでしょうに」
 「あの司祭のもったいぶった態度ときたら……」
 「お黙りなさい。あなたはなんの役にも立たない。わたしが自分で出かけます」
 そういって、女は出ていった。
 三日以上も歩いたあげくに、ベッラドナの母親は、娘が一本の木の下に坐って愛するナイチンゲールに話しかけているのを見つけた。
 恋する美しい娘は発見されたと知ると、ばらの木に姿を変えた。
 だが、今度ばかりは娘にも運がなかった。母親は花が満開に咲き乱れているそのばらの木をつかまえると、屋敷へと戻っていった。
 戻る道すがら、ナイチンゲールが悲しげに歌うのだった。

   《わたしに妻を返しておくれ。
   ふたりは永遠に結ばれている。
 婚礼では、花嫁に付添う娘は雲雀(ひばり)、
 かわらひわ と百合の花が二人の立会人だった。
   わたしに妻を返しておくれ。
   ふたりはたがいに恋しあっていた。
 このひとの心とわたしの心はただひとつ、
 このひとが死ねば、わたしも死ぬ》

 しかし、ベッラドナの母親は耳を貸そうとしなかった。母親は、友だちの仙女からもらったある水で急いで娘の魔法を解こうとあせりながら、相変らず屋敷へ向かって歩いていった。
 けれども、ばらの木は死にかかっていた。花びらが一枚、そして一枚、また一枚と途中で落ちた。それにつづいてほかの花びらも落ちた。母親が家に着いたとき、ばらの木はもうすっかり枯れ果てていた。
 ナイチンゲールは妻のあとを追って離れなかった。三日のあいだ、毎朝その鳥は悲しげに柘榴(ざくろ)の木の上で鳴いていた。
 四日目になって、ナイチンゲールは歌わなくなった。彼もまた苦しみのあまり死んでしまったのだった。」







































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『集英社版 世界の文学 7 セリーヌ なしくずしの死』 滝田文彦 訳

「わたしは人でなしだ、それだけのことだ!」
(セリーヌ 『なしくずしの死』 より)


『集英社版 
世界の文学 7 
セリーヌ』 
なしくずしの死 
滝田文彦 訳


集英社
1978年10月20日 印刷
1978年11月20日 発行
564p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背布装上製本 貼函
定価1,500円

月報《33》 (2p):
権力は直撃する(長谷川龍生)/訳者紹介/次回配本



二段組。


セリーヌ なしくずしの死 01


帯文:

「集英社版 世界の文学 第33回配本 ⑦セリーヌ
なしくずしの死
滝田文彦訳
パリ貧民街で繰り返される不幸と怒りの日々。
おぞましい貧困、
すべてが狂気の沙汰だ。
人間社会全体に憎悪と呪詛を投げつけた
セリーヌの衝撃的作品『なしくずしの死』を収録。
定価=特大巻1,500円」



帯裏:

「『なしくずしの死』(一九三六年)
貧しい両親は、わたしを育てるために必死になって働かなくてはならなかった。母は祖母の店で売子として働き、父は勤め先の保険会社で上役にどなられてばかりいる。一家にとってわたしは厄介の種。父はわたしの欠点を数えあげ、豚野郎!…不潔なガキ!…四六時中平手打ちを食わす。やがて学校を卒業して人生を始めるときがきた。奉公先の洋品店ではまたしてもいざこざと中傷、そして失業。次に小さな彫金屋に就職するが、そこでもまた盗みの疑いをかけられる。「こいつは泥棒になるくらいじゃおさまらないぞ、人殺しになるぞ! いつの日かおれたちを殺(ばら)してくれるさ」と、父。母は呪われた子を悲しく諦めるが――パリ貧民街の開業医フェルディナンが回想する、貧困と抑圧にあえぐ悪夢のような日々。

セリーヌ
LOUIS-FERDINAND CÉLINE
(一八九四~一九六一)
パリ近郊で生まれる。父は保険会社の下級社員、母は露店商。小学校卒業と同時に見習店員として働き、独学で医師免状を手に入れる。第一次大戦に従軍し重傷を負い、強い反戦思想をもつようになる。復員後パリの場末で医者を開業。三二年、自伝的小説『夜の果ての旅』を発表し、衝撃的な内容と革新的な文体で、文壇の注目するところとなる。以来、医業のかたわら執筆を続けたが、第二次大戦で戦犯の罪に問われ、投獄。五一年に出獄したものの、文壇からは黙殺され、不遇と貧困のうちに世を去った。」



セリーヌ なしくずしの死 02


目次:

なしくずしの死 (滝田文彦訳)

解説 (滝田文彦)
著作年表



セリーヌ なしくずしの死 03



◆本書より◆


「こうしてわれわれはまたも孤独だ。すべてはこんなにも遅く、重く、もの悲しい…… もうじきわたしは年をとるだろう。そしてついにはこれも終りになるだろう。わたしの部屋にはおおぜいの連中がやって来た。やつらはいろいろなことを言った。たいしたことじゃなかったが。そして出ていった。やつらはめいめい世界の片隅(かたすみ)で年をとり、惨めで、のろくなった。
 昨日、八時に、門番のベランジュ婆(ばあ)さんが死んだ。夜のあいだに大嵐(あらし)が起る。われわれの住んでいるてっぺんの方じゃ、家は震える。彼女はやさしくて、親切で、信頼がおける友だった。明日、ソール街で埋葬がある。本物の年寄りで、まったくよぼよぼの婆さんだった。咳(せき)をはじめた最初の日、「とにかく横になっちゃだめだ!…… 寝床で坐ってるようにしなさい!」と、言ってやったものだ。あぶないとは思ってた。たら、とうとう…… でもまあ、仕方がない……
 医者というこの糞(くそ)おもしろくもない商売を、わたしはずっとやっていたわけじゃない。ベランジュ婆さんは死んだと、わたしを知っていた連中、婆さんを知っていた連中に手紙を出すつもりだ。やつらは今どこにいる?……
 わたしは嵐がもっともっと荒れまくり、家々の屋根が崩れ、春がもう帰ってこず、この家が消え失せればいいと思う。
 ベランジュ婆さんは知っていた、悲しいことはみんな手紙でやって来るのを。わたしはもう誰に手紙を書いていいかわからない。連中はみんな遠くにいる…… やつらの魂は変った、裏切り方、忘れ方がうまくなり、いつもほかのことをしゃべっていられるように……
 年とったベランジュ婆さん、誰かが来てやぶにらみの彼女の犬を引き取り、連れていってしまうだろう……」
「臨終まぎわには、門番の婆さんはもうなにも言えなかった。息がつまり、わたしの手をにぎって引きとめていた…… 郵便配達がはいってきた。彼は婆さんが死ぬところを見た。ちょっとしたしゃっくり。それでしまいだった。昔は、おおぜいの連中がわたしを訪ねて、彼女のところへやって来た。彼らはみんな遠く、はるか遠く忘却の中に、魂を求めて行ってしまった。郵便配達は制帽を脱いだ。わたしは憎悪をぶちまけてやることもできるだろう。わかってる。もっと後で、もしやつらが帰ってこなかったらそうしよう。それより話をするほうがいい。やつらがわたしを殺しに世界の隅々から、わざわざもどってこざるをえないような話をしてやろう。そうすればこいつにも片がつき、満足が得られるというものだ。」

「わたしの悩みは睡眠だ。もしいつもよく眠れたら、一行だって書きはしなかったろう……
 「きみもなにか楽しい話を書けばいいんだ……たまにはな……」、それがギュスタンの意見だった、「人生ってのはそんなに汚いことばっかしじゃないさ……」ある意味ではそれはかなり正しい。わたしの場合には、一種の偏執、偏見がある。」


「だが、一族でいちばん無能なのは、まちがいなくロドルフ叔父であり、完全に頭がおかしかった。人が話しかけると静かにくすくす笑った。自分で質問して答えていた。それが何時間もつづくのだ。彼は戸外でしか暮したがらなかった。一度として、どんな店にも、事務所にも、番人や夜番としてさえ働いてみようとしたことがなかった。屋外で、ベンチの上でものを食べるほうが好きだった。屋内には不信を抱いていたのである。ほんとうに腹が減ってたまらなくなると、わたしたちの家にやって来た。夜、あらわれた。ということは、万事が巧くゆかなかったということだった。
 《荷物運び》、それが駅での彼の臨時収入だったが、(中略)彼はそれを二十年以上もやった。」
「彼はルピック街の《ピュイ=ド=ドームの待ち合わせ》という名の、中庭に面したぼろ屋に住んでいた。持物を床に並べて、椅子もテーブルも一つもなかった。〈万国博覧会〉のとき、彼は〈南仏吟遊詩人(トルーバドゥール)〉になったことがあった。張りぼての居酒屋が並んだ河岸に立って、《古きパリ》への呼び込みをやったのである。あらゆる色のぼろ布をつぎはぎにした、キルトをはいて。「さあさあ、《中世》をごらんなさい!……」彼は怒鳴りまくり、ばたばた足踏みをして身体を暖めた。(中略)事態がますますめんどうになったのは、叔父が《自堕落な女》とくっついたことである――ロジーヌというその女は、厚紙に色を塗ってつくった穴倉の酒場の、別の入口で呼び込みをやっていた。かわいそうに、その女はすでに肺を吐き出すような咳をしていた。そいつは三ヵ月とつづかなかった。彼女は《待ち合わせ》の彼の部屋で死んだ。ロドルフは女が運び去られるのを欲しなかった。戸に錠を下ろした。毎晩、女のそばに寝にもどった。悪臭のため、みんなが気づいた。で、彼は激怒した。事物が滅びることを理解しなかったのである。無理やりに人々は彼女を埋葬した。」
「とうとう彼はアンヴァリードの広場(エスプラナード)の真前で、見張りの役にもどったが、わたしの母は怒っていた。「カーニバルの仮装みたいな格好をしてさ! この寒さだというのに! まったく恥知らずだよ!」母を特に苛々させたのは、彼が外套(がいとう)を着ないことだった。彼はわたしの父さんのやつを一着、ちゃんと持っていた。わたしは様子を見に行かされた、というのはわたしは子供なので、金を払わずに回転木戸を通り抜けられたからである。
 彼は吟遊詩人の格好をして、棚の背後にいた。満面に微笑を浮べたもとのロドルフにもどっていた。「こんちは!」と、彼は言った、「こんちは、坊や!…… わたしのロジーヌが見えるだろ?……」彼はわたしにセーヌ河よりもっと遠く、原っぱ全体……靄(もや)の中の一点を指さした…… 「見えるだろ?」わたしは「うん」と答えた。逆らいはしなかった。そして両親に安心するように言った。ロドルフってのはじつに愉快なことを考えてる!
 一九一三年の終り、彼はサーカス団にはいって行ってしまった。それから彼がどうなったかはまったくわからなかった。それっきり、わたしたちは二度と会わなかった。」


「彼女はたえずちびのジョンキンド、特別な子で《知能遅れ》の子に食べさせるのにかかりっきりだった。一口食べるごとに、まあそれに近く、いちいち世話をやいてその子を助け、きれいにしてやり、口から垂れたものをみんな拭いてやらねばならなかった。それはたいへんな仕事だった。
 その白痴の子の両親はずっとインドにいて、会いに来ようともしなかった。こんな頭のおかしい子の世話はすごく厄介で、特に食事の時なんぞは、その子はテーブルの上のあらゆるもの、小匙や、ナプキン・リングや、胡椒や、油や酢の小瓶や、そしてナイフまでも飲み込んでしまった…… 飲み込むことがその子の情熱だった…… 本物の蛇みたいにあんぐり口をいっぱいに拡げてやって来て、リノリウムの床直接に、どんな小さなものでも吸い込んでしまい、すっかりよだれで被ってしまった。そしてそれをしながらうんうん唸り、泡を吹いた。メリウィン夫人はその度ごとにそれを止めさせ、子供を物から遠ざけた、いつも非常にやさしく、倦むことを知らず、一度だって荒っぽくしたことはなかった……
 飲み込むということを除けば、その子はそんなに手におえなくはなかった。むしろ扱いやすいくらいだった。(中略)彼はごくなんでもないことにも脅えて、メリウィン夫人がいつもおなじ二言で安心させていた、「ノー・トラブル〔だいじょうぶよ〕! ジョンキンド! ノー・トラブル!……」
 彼は自分でも毎日つづけて鸚鵡(おうむ)のように、なんにでもその言葉を繰り返していた。チャタムで数ヵ月をすごしたあと、わたしが覚えたことといえばそれだけだった…… 《ノー・トラブル、ジョンキンド!》」

「ジョンキンドはまたしても羊のほうが好きで、大はしゃぎして、よろめいたりひっくり返ったりする若い羊を追っかけて走った。羊といっしょに湿った草の上に転がり、いっしょになってめえめえと鳴いた…… 楽しんで恍惚となった……本物の動物になった…… 肌までびしょ濡れになって家に帰った。」

「ジョンキンドが一人で会話をにぎやかにしていた! 《ノー・トラブル!》。彼は別の言葉も覚えていた! 《ノー・フィアー!》〔心配ない〕。それが得意で嬉しがった。ひっきりなしにそう言った! 《フェルディナン! ノー・フィアー!》と、一口食べるごとにたえずわたしに向かって怒鳴った……」


「わたしは建物の入口の穹窿(きゅうりゅう)の下に立っていた…… そこにはいつもたっぷり影があって、危険な隙間風が吹いていた…… わたしはものすごくくしゃみをした…… 考えるときそれが習慣になった…… いつもたえまなく考えた結果、わたしは父の言うことがほぼ本当だと思った…… 経験によってわかった……自分はなんの価値もないこと…… わたしは嘆かわしい性質でしかない……すごく愚鈍で、怠け者だ…… (中略)わたしは自分がすっかり無価値で、膿(うみ)がだらだら流れて不潔なように感じた…… なにをなすべきかはよくわかり、絶望的に闘っていたが、だんだんうまくいかなくなってきた…… 年はとってもよくならなかった…… (中略)わたしは真夏に腐敗し、汗と恥とに溶け、階から階へとよじ登り、呼鈴をじくじく汗でぬらし、恥も道徳心も失ったままに、完全にぼたぼた溶けていた。」

「わたしは人でなしだ、それだけのことだ!」





こちらもご参照下さい:

マルセル・ムルージ 『エンリコ』 安岡章太郎・品田一良 訳














































































































セリーヌ 『夜の果ての旅 (下)』 生田耕作 訳 (中公文庫)

セリーヌ 
『夜の果ての旅 (下)』 
生田耕作 訳
 
中公文庫 C 22-2

中央公論社
昭和53年5月10日 初版
昭和62年2月25日 三版
378p
文庫判 並装 カバー
定価480円
カバー絵: Clément Serveau による挿画より



本書「解説」(生田耕作)より:

「この翻訳は中央公論社より「世界の文学」第四十二巻として、大槻鉄男氏との共訳で刊行されたものであるが、今回「中公文庫」に収めるに当って、生田が単独に全面的改訳を施し、(中略)個人訳として発表することに改めた。」


セリーヌ 夜の果ての旅 下


カバー裏文:

「全世界の欺瞞を呪詛し、その糾弾に生涯を賭け、ついに絶望的な闘いに傷つき倒れた《呪われた作家》セリーヌの自伝的小説――人生嫌悪の果てしない旅をつづける主人公バルダミュの痛ましい人間性を、陰惨なまでのレアリスムと破格な文体で描いて、「かつて人間の口から放たれた最も激烈な、最も忍び難い叫び」と評される現代文学の巨篇」



◆本書より◆


「彼女は、アンルイユ婆さんは、快活だった、不満で、垢(あか)じみてはいたが、快活だった。この不自由な暮らし、二十年以上住みついてきた不自由な暮らしも、彼女の魂になんの被害も与えてはいなかった。逆に彼女は外部に対して身構えていた、まるで、寒気も、一切の忌わしい事柄も死も、外部からしか訪れず、内部からは訪れるわけはないみたいに。内部からは、彼女は何ひとつ恐れてはいないようだった。自分の頭脳に対しては、絶対的な確信をいだいているようだった、否定しがたい、永久に了解ずみの事柄みたいに。
 僕のほうときては、自分の頭脳を夢中で追いかけまわしているというのに、それも、世界じゅう駆けめぐって。
 《気違い女》と世間ではこの女のことを、この老婆のことを噂していた、そう言ってしまえば簡単だ、《気違い》だと。彼女はこの十二年間この侘住居から三度以上外に出たことはなかった、それだけのことだ! この女にはおそらくそれなりの理由があるのだ! 彼女はなにものも失いたくないんだ……僕たちにその理由を打ち明けたくないだけだ、僕たちに人生なんかわかるものか。」


「甘い考えは捨て去ることだ、人間は互いに語り合うなにものも持ってはいない、めいめい互いに自分の苦労を口にするだけだ、知れたことだ。」


「ある日、どうした風の吹きまわしか、アンルイユ婆さんが、彼女の離れと、息子と、嫁をほっぽり出して、すすんで僕を訪ねて来る気を起こしたのだ。悪い話じゃない。それからというもの、たびたびおしかけて来ては、僕が本当に彼女を気違いと思っているかどうか問いただすのだった。わざわざ僕にそいつを詰問しにやって来ることが、婆さんにはいわば気散じになっていたんだ。いつも僕を待ち受けているのだった。」


「僕らの不安に仲間入りしたものの、司祭は僕ら四人のあとについて夜の中を進むにはどうすればいいかよくわからなかったのだ。ささやかな一味、(中略)どこを目指して進むのか? (中略)僕たちはいまでは同じ旅の道連れなのだ。この男も、司祭も、僕らのように、ほかの連中のように、夜の中を歩むことに慣れるだろう。(中略)みんなでとことん進むまでだ、そのとき初めてこの冒険の中になにを求めにやって来たかがわかるだろう。人生とはそういうものだ、末は闇の中に没した一条の光。
 そのうえ、ついにはわからずじまいかも、なにも見つからぬかも知れぬのだ。死とはそういうものだ。
 さしあたってはなんとか手探りで進むだけだ。それに、ここまで来てしまったからは、もはや退きようもないのだ。選択の余地はない。奴らの汚らわしい正義とかいうしろものが、《法律》と手を組んでいたるところに、どの廊下の隅にも目を光らせていた。(中略)僕たちはみんないっしょだった。そうなんだ、僕はさっそくそのことを包み隠さず司祭に教えて聞かせた。そして彼は理解したようだった。」
「僕らがたどりついた場所にはもはや道も光もなく、代わりにいわば慎重な行動があるだけだった、そいつを僕たちはもう一度、検討し直してみたが、それほど頼りになりそうにも思えなかった。こんなさいには気安めを言い合ってみたところで言葉は完全にしらじらしい。反響(こだま)は返ってこない、僕たちは《社会》の埒外(らちがい)にいるのだ。恐怖は賛成も、反対もとなえない。そいつは、恐怖は、僕たちが口にし考える一切をとらえるだけだ。
 こんなおりには闇野中で目を見開いたところで、なんの役にも立たない。怯(おび)え損、それだけだ。そいつは、闇は、すべてを、視覚までもとらえてしまったのだ。僕らを骨抜きにしてしまったのだ。それでも手をつないでいなくちゃならん、ころぶからだ。日向(ひなた)の連中にはもはや僕たちは理解できない。恐怖で僕たちは彼らと完全に隔てられているのだ。そしてそいつに圧しつぶされつづけるのだ。なんらかの形で終局を告げる日まで。そのとき初めて僕たちはろくでなしどもと、一つ穴の むじな どもと、死の中で、あるいは生の中で、いっしょになることができるのだ。」





こちらもご参照下さい:

生田耕作 『黒い文学館』  (中公文庫)
セリーヌ 『夜の果ての旅 (上)』 生田耕作 訳 (中公文庫)

















































































































セリーヌ 『夜の果ての旅 (上)』 生田耕作 訳 (中公文庫)

セリーヌ 
『夜の果ての旅 (上)』 
生田耕作 訳
 
中公文庫 C 22 

中央公論社
昭和53年2月25日 印刷
昭和53年3月10日 発行
335p
文庫判 並装 カバー
定価400円
カバー絵: Clément Serveau による挿画より



下巻「解説」(生田耕作)より:

「この翻訳は中央公論社より「世界の文学」第四十二巻として、大槻鉄男氏との共訳で刊行されたものであるが、今回「中公文庫」に収めるに当って、生田が単独に全面的改訳を施し、(中略)個人訳として発表することに改めた。」


セリーヌ 夜の果ての旅 上


カバー裏文:

「全世界の欺瞞を呪詛し、その糾弾に生涯を賭け、ついに絶望的な闘いに傷つき倒れた《呪われた作家》セリーヌの自伝的小説――人生嫌悪の果てしない旅をつづける主人公バルダミュの痛ましい人間性を、陰惨なまでのレアリスムと破格な文体で描いて、「かつて人間の口から放たれた最も激烈な、最も忍び難い叫び」と評される現代文学の巨篇」




◆本書より◆


「この世は旅さ
冬の旅、夜の旅
一筋の光も射(さ)さぬ空のもと
俺たちゃ道を求めて進む
              「スイス衛兵の歌」一七九三年」


「旅に出るのは、たしかに有益だ、旅は想像力を働かせる。
これ以外のものはすべて失望と疲労を与えるだけだ。僕の
旅は完全に想像のものだ。それが強みだ。
それは生から死への旅だ。ひとも、けものも、街(まち)も、自然
も一切が想像のものだ。これは小説、つまりまったくの作
り話だ。辞書もそう定義している。まちがいない。
それに第一、これはだれにだってできることだ。目を閉じ
さえすればよい。
すると人生の向こう側だ。」


「「本当なの? フェルディナン、あなたほんとに気が狂っちまったって」
 ある木曜日ローラはたずねた。
 「そのとおりだよ!」
 僕は正直に言った。
 「それで、ここでなおしてくださるの?」
 「ローラ、恐怖をなおしたりはできないさ」
 「そんなに恐ろしいの?」
 「そんなどころじゃないさ、ローラ、わかるかい、恐ろしいのなんのって、僕が死んでも、火葬だけはご勘弁ねがいたいほどさ! 土の中にそっとしといて、そこで、墓場で、静かに腐らせてほしいんだ、いつでも生き返れる姿勢でね……万に一つということもあるからね! ところが焼いて灰にされちまえば、わかるかい、ローラ、もうおしまいさ、完全におしまいさ……骸骨(がいこつ)のほうが、なんといっても、まだしも人間に近いからね、灰よりはまだ生き返りやすい……灰になればおしまいだよ! ちがうかい?……だからさ、戦争が……」
 「まあ! そいじゃ、あなたは本当に腰抜けなのね、フェルディナン! なさけない人、どぶ鼠みたい……」
 「そうだよ、ほんとの腰抜けさ、ローラ、僕は戦争を否定するね、それに戦争のお添え物も、何から何まで……僕は戦争に弱音をはいたりはせんよ……僕はあきらめんつもりだ、僕は……めそめそ泣いたりはせん……僕はそいつをきっぱり否定するんだ、そいつに荷担する連中も、なにもかも、その連中とも、戦争とも、僕はなんのかかり合いも持ちたくない。たとえ奴らが七億九千五百万人で、僕のほうはひとりぼっちでも、まちがってるのは奴らのほうさ、ローラ、そして正しいのは僕のほうさ、なぜなら僕の願いは僕にしかわからんのだから。僕はもう死ぬのはごめんさ」
 「でも戦争を否定したりはできないわ、フェルディナン! 祖国が危機に瀕しているときに、戦争を否定するなんて、気違いか臆病者(おくびょうもの)ぐらいよ……」
 「そんなら、気違いと臆病者万歳さ! いや気違いと臆病者生き残れだ。たとえばだよ、ローラ、君は百年戦争のあいだに殺された兵隊のうちの一人でもその名前を思い出せるかい? そういう名前の一つでも知ろうという気を起こしたことが今までにあるかい?……ないだろう、どうかね?……君は一度だってそんな気になったことはなかっただろう? その連中は君にとっては、この文鎮のいちばん小さい粒や、君の毎朝の うんこ と同じくらい、名もない、興味もない、もっと無縁な存在だよ……だからわかるだろう、奴らは犬死したんだ、ローラ! まったくの犬死さ、ばかな奴らさ! 断言していいね! こいつは証明ずみさ! 値打ちのあるのは命だけさ、今から一万年もすれば、賭(か)けてもいいね、この戦争も、今はどんなに重大な出来事に見えていても、完全に忘れられてしまうだろう……十人ほどの学者がたまに機会があれば、議論するぐらいが関の山さ、この戦争の名を高めた主な殺戮の日付けについてね……数世紀後、数年後、いや数時間後に、この問題について世間の奴らが発見する記憶に値するものといったら、それくらいのものさ……僕は未来なんか信じないね、ローラ」
 僕がおのれの恥ずべき状態をぬけぬけとひけらかす人間に変わったのを知ったとき、ローラは僕に対する同情をすっかりひっ込めてしまった……人間の風上にも置けぬ奴と判断したのだ、きっぱり。」


「どこへ行っても、人間には高望みがついてまわるものである。僕の場合は、病人になる使命を授かっていた、常に病人。人さまざまだ。」





こちらもご参照下さい:

セリーヌ 『夜の果ての旅 (下)』 生田耕作 訳 (中公文庫)























































































ジュール・ヴェルヌ 『地底旅行』 窪田般弥 訳 (創元推理文庫)

「いく世紀かが一日のように過ぎ去る! わたしは連続する地球の変貌を逆にさかのぼる。」
(ジュール・ヴェルヌ 『地底旅行』 より)


ジュール・ヴェルヌ 
『地底旅行』 
窪田般弥 訳
 
創元推理文庫 606-2 

東京創元社 
1968年11月29日 初版
1991年5月10日 20版
343p
文庫判 並装 カバー
定価500円(本体485円)
カバー、さしえ: 南村喬之



Jules Verne: Voyage au centre de la terre, 1865
本文中図版(さしえ)10点、うち1点(地底の恐竜の絵)は見開きです。


ヴェルヌ 地底旅行 01


「鉱物学の世界的権威リデンブロック教授は、十六世紀アイスランドの錬金術師が書き残した謎の古文書の解読に成功した。それによると、アイスランドの死火山の噴火口から地球の中心部にまで達する道が通じているというのである。教授は勇躍、甥を同道して地底世界への大冒険旅行に出発した。地球創成期からの謎を秘めた人跡未踏の内部世界。現代SFの父といわれるジュール・ヴェルヌの驚異的な想像力が縦横に描き出した不滅の傑作。」


内容:

地底旅行

訳者あとがき



ヴェルヌ 地底旅行 02



◆本書より◆


「オットー・リデンブロックが意地悪な人間でないことは、わたしもすなおに認めたい。しかし、なにかよほど思いがけない変化でもないかぎり、彼はとてつもない変人として死んでいくことだろう。
 彼はヨハネウム学院の教授で、鉱物学の講義をしていたが、講義のあいだに、一度や二度はかならず怒りだした。それは、自分の授業を学生たちに、熱心に注意深く聞いてもらおうと気をつかったためでもなければ、また、そうすることによって、後日いい成績をとらせようと思ったからでもない。(中略)ドイツ哲学の用語を借りていえば、彼は《主観的に》、つまり、他人のためにではなく、自分のために講義をしていたのである。こうした彼は、自己本位の学者であり、知識の井戸ともいえたが、人がその井戸からなにかをくみあげようとすれば、つるべがすなおに動かず、かならずきしり鳴るといったぐあいだった。」
「わたしの叔父は、あいにく弁舌がきわめて達者ではなかった。親しい人たちのあいだではともかくとして、公衆の前で話すときには、どうにもいけなかった。(中略)実際、ヨハネウム学院での講義の最中に、教授はよくつっかえたりしたのである。彼は、口からうまく出ようとしなかったり、喉につかえて身動きできなくなった言葉と悪戦苦闘したが、こうした場合に、やっと吐き出されてきた言葉は、ほとんど学問とは関係のない、やけくそな言葉だった。それで彼は、大変腹をたてるのである。」
「それはともかく、わたしの叔父はまったくの学者であった、といってもいいすぎではなかろう。たまには、あまりせっかちに試験しようとして、鉱石の標本をこわしたりすることはあっても、彼は地質学者としての天賦の才と鉱物学者としての鑑識眼とを兼ねそなえていた。槌、はがねの錐(きり)、磁石針、試験管、硝酸の壜――こうしたものを持たせれば、彼はどうして、たいした男だった。」

「この学者の頭は、心情のことがどうしても理解できなかったからである。」

「彼のいっさいの生命力は、たったひとつのことに集中されていたのだ。そして、その生命力は、ふつうのはけ口から出られないので、あまり緊張すると、どこか別のところにはけ口をもとめて、いつ爆発するともかぎらなかった。」

「叔父はあいかわらず仕事をしていた。彼の想像力は、文字の組み合わせの世界にはいりこんでしまったままだたった。彼は地球から遠く、まさに、地上のことはなにも必要とせずに生きていたのである。」

「デンマークの首府につくまでに、われわれは、さらに三時間の旅をした。叔父は一睡もしなかった。」
「やっと、彼の目に海の一部がはいると、やにわに大声をあげてさけんだ。
 「ズント海だ!」
 わたしたちの左手に、病院のような大きな建物がみえた。
 「あれは精神病院ですよ」と、乗客のひとりが説明してくれた。
 《そうか》と、わたしは思った。《ぼくたちも、きっとあんな建物のなかで死ななきゃならなくなるんだろうな! どんなにあの病院が大きくても、リデンブロック教授の狂気を収容しきるには、まだまだ小さすぎるようだな!》」

「「じゃ、そのあいだに、ぼくは町をみてきます。叔父さんも見物しませんか?」
 「いやいや、わしはそんなことにはあまり興味はない。このアイスランドの土地で興味深いところは、地上じゃなく地下だけだよ」
 わたしは外へ出て、あてもなく歩きまわった。」

「「フリドリクソンさん、わたしは、こちらの図書館の古い本のなかに、もしかしたらアルネ・サクヌッセンムの書いたものがありはしないか、それを知りたかったのです」
 「アルネ・サクヌッセンム!」とレイキャヴィクの教授は答えた。「それは、大博物学者で、同時に偉大な錬金術師でもあり、また大変な旅行家でもあった、あの十六世紀の学者のことですか?」
 「まさにその学者です」
 「アイスランドの文学と科学の名誉を代表するひとりともいえるあの人物ですか?」
 「おっしゃるとおりですよ」
 「とくに有名な?」
 「ええ」
 「そして、天才と大胆さとをかねそなえた?」
 「よくごぞんじのようで」
 叔父は、自分が英雄とあがめる人物がこんなふうにいわれるのを聞いて、喜びに溺れた。彼はフリドリクソン氏の顔を穴のあくほどみつめていた。
 「それで、彼の著作は?」
 「ああ! 彼の著作なんかはないですよ」
 「なに! アイスランドにもですか?」
 「アイスランドにも、他のどこにもありませんよ」
 「なぜですか」
 「アルネ・サクヌッセンムは異端者として迫害されたからですよ。彼の著作は、一五七三年にコペンハーゲンで獄卒の手で焼かれてしまったのです」
 「大変けっこうですな! おみごとですよ!」と、叔父は博物学の教授を大いに非難するようにさけんだ。
 「なんですって?」と博物学の教授はいった。
 「そうですよ! それでいっさいが説明され、明白になりました。なにもかもはっきりしましたよ。焚書のうき目にあい、彼の天才が発見したものを隠さざるをえなかったサクヌッセンムが、なぜ、秘密を不可解な暗号文のなかにしまいこんでおかねばならなかったかということが……」」

「Et quacunque viam dederit fortuna sequamur. 
[運命ノミチビクトコロナラ、イカナルトコロヘモ行コウ]」

「「ほら、みてください!」と、わたしはさまざまにならんでいる砂岩や石灰岩や、それに、はじめて現われた黒ずんだ鼠色の地層を指さして彼に答えた。
 「これがどうしたんだね?」
 「このあたりは、最初の植物や動物が現われた時代の地層ですよ!」」
「そこから百歩と歩かないうちに、明白な証拠がいくつかわたしの目にとまった。これにちがいない。なにしろ、シルリア紀の海の中には千五百種類をこえる動植物がすんでいたはずなのだから。かたい熔岩の地面になれていたわたしの足は、不意に植物や貝がらの かけら でできた埃みたいなものをふみつけた。壁面には ひばまた や ひかげのかずら などの痕跡がはっきりと認められた。」
「翌日は一日、歩いても歩いても、回廊のアーチは果てしなくつづいた。」
「これらの大理石の大部分には、原始動物の痕跡がみられた。前の日から、森羅万象は明らかに進化していた。原基の三葉虫類に代わって、より完全な種類の残骸が認められ、とりわけ、硬鱗(こうりん)魚類の魚と、古生物学者が爬虫類の初期の形とみなしえた鰭竜(きりゅう)群の痕跡が認められた。デボン紀の海には、この種の動物が多数すんでいて、新しく形成された岩の上にいく千となく打ちあげられたのである。
 これで明らかになったことは、われわれは、人間がその頂点を占めている動物の生命の梯子を上っているということだった。しかし、リデンブロック教授は、いっこうにそんなことに注意していないようだった。
 彼はふたつのことを待っていた。足もとに垂直の穴が開いてふたたび下に降りられるようになることと、行先がふさがれて前進できなくなることである。」

「こんなに深い地底にいても、とにかくたのしかった。それに、われわれの生活はすっかり穴居(けっきょ)生活になってしまっていた。わたしはもう太陽、月、木、家、都会といった地上の人間が必要としているいっさいの余計なもののことなどは考えもしなかった。わたしたちは化石人と同じように、そんな無用なすばらしいものを相手にしなかった。」

「もう一度、わたしは聞き耳をたてた。耳を壁のあちこちにあてているうちに、わたしは声がいちばん強く聞こえてくる場所をみつけた。」
「《そうだ、あの声はこの厚い壁ごしに聞こえてくるのじゃない。壁は花崗岩だ。どんな強い音も、この壁をとおすことはできない! あの音は回廊を通って聞こえてくるのだ。この回廊には特別な音響効果があるはずだ》」
「このじつに驚くべき音響効果は、物理の法則で簡単に説明されるものである。すなわち廊下の形と、岩のもつ音の伝導性とによるものなのだ。なんでもない空間では知覚できない音が、こうして伝播する例はたくさんある。わたしはこの現象がいろいろな場所で観察されたことを思いだした。たとえば、ロンドンのセント・ポール寺院のドーム内の回廊や、シチリアのめずらしい洞穴などである。シチリア東海岸のシラクサ港の近くにある石牢でおこるこの種のいちばんすばらしい現象は、《ディオニュシオスの耳》という名称で知られている。
 こうしたことを思い出しているうちに、叔父の声がわたしにとどいたかぎり、ふたりのあいだを邪魔するものはなにもないということをわたしは知った。音の聞こえる道をたどっていけば、途中で力がつきてしまわないかぎり、わたしは音と同じようにきっと叔父のところへたどり着くはずだった。
 わたしは立ちあがった。歩くというよりは、むしろはっていった。傾斜は相当に急だったので、わたしはすべり落ちていった。
 やがて、わたしの落下スピードはものすごいものになった。墜落するのではないかと思った。途中でとどまる力もなかった。
 突然、足が宙に浮いた。ほんとうの井戸みたいに垂直な回廊のでこぼこにぶつかりながら、ころがり落ちていくのを感じた。」

「湖なのか大洋のはじまりなのかはわからないが、広大な水面がみわたすかぎり遠くひろがっていたのである。大きく三日月型に切りこんでいる岸には、波が打ちよせている。こまかい砂には、最初に創造された生物が生きていた時代の小さい貝がらがまじって金色に輝いている。波は周囲をかこまれた広大な場所に、いともおごそかなつぶやきをかきたてながら、岸に砕けていた。軽い泡が、おだやかな風にかき消え、波しぶきはわたしの顔にもかかってきた。」
「それはまさしく大洋だった。周囲は変化にとんだ海岸線にかこまれ、おそろしく野性的な光景だった。」
「わたしの頭の上にかぶさっていた天井、なんなら空といってもいいが、それは刻々と変化する水蒸気にほかならない巨大な雲でできているらしかった。(中略)電気の波は、非常に高いところにある雲に驚くべき光の効果をあたえていた。下のほうにある雲の渦巻には、生き生きとした影がうつり、ときどき雲のあいだから、きわだって強い光線がわたしたちのところまで射しこんでいた。しかし、とにかく光線には熱がないのだから、それは太陽ではなかった。その光に照らされている光景はこのうえもなく悲しく、わびしかった。この雲の上にあるのは、星のきらめく天空ではなく、重くのしかかっている花崗岩の天井らしかった。
 そのときわたしは、イギリスのある船長の理論を思い浮かべた。その理論によれば、地球の内部は空洞の大きな球体と同じで、気圧が高いために空気が光り、プルトーとプロセルピーナというふたつの星が謎の軌道の上を運行しているという。」
「事実、わたしたちは、巨大な洞窟にとじこめられていた。この洞窟の大きさははかり知れなかった。」
「このひろびろとした地域を語るのに《洞窟》という言葉はどうもぴったりこない。しかし、人間の言葉などは、思いきって地球の底にまで降りていこうとする人間には、もの足りない。」

「しかしそのとき、わたしの注意は思いがけない光景にむけられた。五百歩ばかり先の、高い岬をまわった角に、こんもりとしげった森がみえたからである。」
「わたしは急いで歩いた。この奇妙なものに名前をつけることもできなかった。」
「実際、それは土の産物だとは思ったが、巨大そのものだった。叔父はすぐにその植物の名をいった。
 「これはきのこの森にすぎないのさ」
 彼の言葉にまちがいはなかった。暑い湿地帯によく生えるこの植物が、いったいどのくらいにまで成長するものかを判断してもらいたい。ビュリヤールの説によると、《リコペルドン・ギガンテウム》というきのこは周囲が二、三メートルもあるそうだが、(中略)しかしいま見るこの白いきのこは、高さが十メートルから十二メートルもあり、同じくらいの直径の笠をかぶっている。しかも、それが無数に生えている。」
「わたしはもっと先へはいってみたかった。この肉のように厚い天井からは、気味の悪い寒さがおりてきていた。われわれは、三十分もこの湿った暗闇のなかをさまよったが、渚(なぎさ)にたどり着いたときには真底からほっとした。」

「正午に、ハンスがひもの先端に釣針をつけた。小さい肉片を餌にして海に投げこむ。二時間ばかりは、なにも釣れない。この海には生物がいないのだろうか? そうではない。釣糸が動いたので、ハンスがひもを急いで引きあげると、魚が釣れていた。すごい勢いであばれている。
 「魚だ!」と叔父がさけぶ。」
「「この魚は、何世紀もまえに絶滅した種類のものだ、デボン紀の地層で、化石となっているものがみられる」
 「なんですって!」とわたしはいった。「原始時代の海に住んでいた魚を生きたまま釣ったというんですか?」」

「化石の世界が、ことごとくわたしの想像のなかで再生してくる。わたしは聖書に書いてある天地創造の時代、人類の誕生よりもずっと以前のことを回想する。そのころ、まだ不完全な地球は人類が住むに不適当だったのだ。さらにわたしの夢は生命あるものの出現よりも以前にさかのぼる。すると哺乳動物は消え、鳥も、さらに爬虫類も消える。ついには、魚も、甲殻類も、軟体動物も、関節動物も消えてしまう。過渡期の植虫類までも無に帰してしまう。地球の全生命がわたしひとりのなかに集約され、この生き物がいなくなった世界では、わたしの心臓だけが鳴っている。もう季節も気候もない。地球自体の熱がたえず高まり、輝く天体の熱を弱める。植物が繁る。わたしは木のような羊歯類のなかを、影のように通っていく……。あやふやな足どりで、玉虫色に光る泥灰土や斑(まだら)石をふみつける。それから、巨大な針葉樹の幹にもたれたり、高さ三十メートルもあるスフェノフィラス、アステロフィラス、ひかげのかずら などの木陰に横たわる。
 いく世紀かが一日のように過ぎ去る! わたしは連続する地球の変貌を逆にさかのぼる。植物も消え、花崗岩も堅さをなくす。さらに強い熱の作用で、固体は液体に変わる。地表を水が流れ、その水は沸騰し、そして消え失せる。水蒸気が地球をおおい、地球はだんだん太陽のように大きく、太陽のように光り輝く白熱した巨大なガス体となってしまう!
 わたしは宇宙空間を通って、この星雲のなかへ運ばれていく。この星雲はいつの日か形成されようとしている地球の百四十万倍もあるのだ。そして、それが回転するにつれて、わたしの身体は蒸発し、重さのない原子のようにまぜあわされる。と同時に、これらの莫大な水蒸気は燃える軌道をはてしなく追っていく!
 なんという夢想!」

「われわれは、火打石や石英や沖積土のまじった花崗岩の裂けめの上を苦労して進んでいった。そしてまもなく、骨の原っぱ――というよりは骨で埋まった平原が目のまえに現われた。それは二十世紀にわたって永遠の骨をためた大きな墓地みたいなものだった。骨をうず高く積んだ山が遠くまで重なっているが、それは地平線のはてまで波打ち、茫漠たるもやのなかに消えている。たぶん三平方マイルにわたって、動物のあらゆる生命の歴史が積み重なっているにちがいない。」

















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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