吉田健一 訳 『ラフォルグ抄』

「私には ふさぎ の虫が付いてゐて、
それはこの世全体から来たものだつた。」

(ラフォルグ 「最後の詩」 より)


吉田健一 譯 
『ラフォルグ抄』


小澤書店 平成元年7月20日初版発行
291p 目次2p 
20.5×16cm 丸背紙装上製本 貼函 
定価3,090円(本体3,000円)
装画: 司修



『ラフォルグ抄』初版は昭和50年8月、小澤書店刊。本書はその新装版。新字・正かな。
「最後の詩」(『世界名詩集大成 3』、昭和34年7月、平凡社)と「伝説的な道徳劇」(『ラフォルグ全集 3 伝説的な教訓劇』、昭和24年7月、若草書房)を収録。
巻頭の口絵にあたる部分が銀紙になっています。本体表紙は背皮ふうの装幀になっています。


ラフォルグ抄


帯文:

「十九世紀フランスの夭折詩人ジュウル・ラフォルグ――その瑞々しい感性と、病的なまでに研ぎすまされた知性の煌めきが謳ひあげた近代の憂愁と倦怠、死後に殘された二つの佳篇、「最後の詩」と「傳説的な道徳劇」とを、吉田健一の名譯によつて収録する愛藏版。」


帯背:

「近代の憂愁と倦怠。
フランス世紀末、
夭折詩人の絶唱――
新装愛藏版。」



帯裏:

「……近代の救ひをラフォルグに求めることは出来ない。それはヴァレリイに待つべきである。併しながら、私が言ふ近代、即ち十九世紀の終りから第一次世界大戦後に至るまでの、未曾有の文化的な頽廃期が今日まだ充分に現實である時、私はその近代の、我々凡てに親しい特徴や悪徳、――近代の空ろさを、半ば豫見的にせよ、ラフォルグ程見事に抒情し得た詩人を他に知らないのである。
吉田健一」



目次:

最後の詩
 I 冬が来る
 II 三つの角笛の事件
 III 日曜日
 IV 日曜日
 V 嘆願
 VI 簡単な臨終
 VII 月の独奏
 VIII 伝説
 IX
 X
 XI 或る亡くなつた女に
 XII

伝説的な道徳劇
 ハムレツト
 薔薇の奇蹟
 パルシファルの子、ロオヘングリン
 サロメ
 パンとシリンクス
 ペルセウスとアンドロメダ
  附録
  解題と註

後記




◆本書より◆


「最後の詩」より:

「あゝ、煙突は雨の中に霞み、……
それも、工場の煙突だ。

公園のベンチは濡れてゐて、もう腰掛けることが出来ない。」

「英国海峡の方から吹き寄せられた雲が
私達の最後の日曜日を台なしにしてしまつた。

雨が降つてゐる。
森は濡れて、蜘蛛の巣が
滴で重くなつて破れて行く。」

「併し毛糸の下着にゴムの上靴、薬局、夢、
町の屋根の海に向つてゐる
露台の窓から引いたカアテン、
ランプの光、版画、紅茶、紅茶に合ふ菓子、
かういふものだけを愛して行く訳には行かないのだらうか。……」

「要するに、私は、「貴方を愛してゐます。」と言はうとして、
私自身といふものが私にはよく解つてゐないことに
気付いたのは悲しいことだつた。」

「あゝ、夕方、盛に起る吹奏楽。
それは野蛮であり、
一切の希望は失はれることだらう。
そして我々がどんなに人生といふものを踏みにじつても、
動物が不当に苛められて、
決して綺麗になれない女がゐるといふ
人生よりも残酷になることは出来ない。……
誰も取りなさうなどとしないやうに。
ただ凡てを破壊してしまふ他ない。

ハレルヤ、陸でなしの地球奴。
夕方から明け方まで
一切の希望は失はれることだらう。
夕方から明け方まで
何もなくなつてしまつたら、きつと又何か出て来るだらう。
ハレルヤ、陸でなしの地球奴。
芸術家達は、「もう遅い。」と既に言つた。
地球が滅びるのを
早めてはならない理由はない。」

「彼が風邪を引いたのは、この間の秋だつた。
或る美しい日の夕方、彼は狩りが終るまで
角笛の音に聞き惚れてゐたのだ。
彼は角笛の音と秋の為に、
「焦れ死に」するものもあるといふことを我々に示したのだ。
人はもう彼が祭日に、
部屋に「歴史」と閉ぢ籠るのを見ないだらう。
この世に来るのが早過ぎた彼は、大人しくこの世から去つたのだ。
それだけのことなのだから、人よ、私の廻りで聞いてゐる人達よ、銘々お家に帰りなさい。」

「取り返しが付かないことを積み重ねよう。
我々の運命をどうにもならなく暗くすることだ。」

「確かに時間は凡てを汚すが、
残念なことに、何もそれで終了するものではない。

それにその上に、雨の日に鬱ぎ込んで、
いつもの空の下にただ一人、
さ迷ひ歩くといふこともある。
又更に、気違ひ染みた真似を、
住む場所も、家庭もない気違ひの真似を
(可哀さうに、愛してゐるものもない気違ひの真似を)
するといふこともあり、その辺から、
肉体を清める為に大分落ちて、
翌日の明け方に興奮し、
あゝ、文学よ、芸術よ、
除けものにされた天使のやうに
汽車に乗つて逃げて行く。

私は私の一生を、大変な話に
足を踏み入れ損ひ続けて、
埠頭で過したやうなものだ。」

「乗り遅れた汽車といふのは風情があるものだ。………

波止場から遠ざかつて行く
船は何と、
では又そのうちにといふ感じがするものだらう。……」



「ハムレツト」より:

「それで夕方ハムレツトは、端正なゆつくりした足取りでエルシノアの墓地の方に行く。
 彼は女や子供や年取つた男などの労働者の群が彼等の浅ましい運命の重荷の下に背を折り曲げて、資本家が日々彼等を監禁する工場から帰つて来るのに出会ふ。
 ――あゝ、とハムレツトは考へる。現在の社会組織が自然を噎せ返らせるに足る程言語道断なものであることは私にだつてお前達と同じ位によく解つてゐる。そして私自身は封建的な寄生物に過ぎない。併しそれだからどうしたと言ふのだ。彼等はその組織の中で生れてそれは昔からのことで、それは彼等が新婚旅行に行くことや、死を恐れることを妨げず、凡て終ることがないことはいいことなのだ。――さうさ、いつかそのうちに蜂起するがいい。併しその時は凡てを終らせて貰ひたい。何もかも、階級も宗教も観念も言語も虱と一緒に踏み潰してしまへ! そして我々一同の母なる大地の至る所に互に愛し合へる幼年時代を我々の為に再び出現させて、皆が熱帯地方の生活を楽みに行くことが出来るやうにしてくれ。」

「――さうだ、とハムレツトは塔に戻る途中で自分を相手にして言ひ続ける、(中略)――運命は既に決せられたのだ。私がなすべきことが何であるかは明瞭だし、かういふ解決はいつも思ひも寄らない方向から現れる。私にはやはり生活とその周辺と、それからそれにも拘らず尊重すべき生活に対する否定論が向いてゐるやうだ。」
「――そしてこの国の王位に対する私の権利も放棄する。そんなことで頭を使ふのも馬鹿馬鹿しいことだ。ノオルウェイのフォルティンブラスは私がかういふ考へを持つことに賛成するに違ひない。それでいいのだ、死んだものは帰つて来ないのだから。」

「――そこにゐるのは誰だ。ハムレツトか。そこにお前は何しに来たのだ。
 ――ラエルテス君ぢやないか。どうしてここに、……。
 ――さうだ、私だ。そしてもし科学の最近の進歩によつてお前が全くの気違ひであることが明かでなかつたなら、私はそこの墓に眠つてゐる私の父と妹の仇を即座に取らずには置かないのだ。
 ――ラエルテス君、私にとつてはそれはどつちでもいいことなのだ。併し君の立場も充分に考慮してゐることを承知してくれ給へ。……
 ――又何といふ恐るべき道徳観念の欠如だらう。
 ――それ程だと君は思ふのか。
 ――もうその位でいい。帰れ、この気違ひ奴。さもないと私は我慢が出来なくなる。大抵お前のやうに気違ひで終る奴は芝居をすることから始めるのだ。
 ――お前の妹もか。
 ――あゝ。
 この時、辺りは昼間のやうに明るく、どこかの百姓家で飼つてゐる犬が月に向つて余りにも孤独な感じで吠えるのが聞えて来る。そして人間として申し分がないラエルテスは(寧ろ彼の方をこの物語の主人公にすべきだつたことに、私は漸く今になつて気が付いたが、もう既に遅い)、三十を過ぎて遂に無名の身分で終る、自分の運命を思つて、胸が一杯になる。彼がどうしてそれに堪へられようか。彼は片手でいきなりハムレツトの喉を捉へ、片手でその胸に短刀を突き刺す。」

「かくして全く秩序が恢復された。
 ハムレツトが一人ゐなくなつたのである。併しそれでこの種族が絶えたのではないのである。」



「サロメ」より:

「これからが水族館である。水族館なのである。暫くここで立ち止らう。それは沈黙のうちに何と動きに富んでゐることか。……
 右へ、左へと走つてゐる廊下は洞窟が連る迷路を形成してゐて、どの廊下も海底の国々の、明るい、硝子越しの幾つかの眺めで区切られてゐる。
 荒地に立つドルメンに粘性の宝石が腹這つてゐる。玄武岩の階段を廻らした闘技場で、手探りでしか物が感じられない鈍重な蟹が、食事をした後のいい機嫌で、二匹づつ、知らぬ振りをして絡り合つてゐる。
 果てしなく続く平原は細かな砂で蔽はれ、余り細かな砂なので時々遠方から自由の旗といつた恰好でひらひらしながら到着した平い魚の尻尾の煽りを食つて砂煙が立ち、その魚は我々の前を通り過ぎて、我々を残して向うに泳ぎ去り、それを砂の外に僅かに現れてゐる大きな眼が眺めてゐて、彼等にとつてはそれが唯一の新聞なのである。
 それから荒野に生えてゐる唯一本の、落雷を蒙つて黒焦げになり、骨と化した木に、龍の落し子が全身脈を打ちながら束になつて生活してゐる侘しい光景。……。
 自然の橋や苔が生えてゐる峡谷、そこには鼠の尻尾を付けた兜蟹の群が、食つた物をのうのうと反芻してゐる。その或るものは引くり返しになつて、踠いてゐるが、それは背中を掻く為に、自分自身でやつたことなのに相違ない。……
 それから崩れ掛けの、出鱈目な恰好をした凱旋門の下を、人目を惹く為のリボンのやうな小魚が通り過ぎ、又長い航海に倦きて、周囲に束になつて付いてゐる睫毛で自分を扇いでゐる子宮のやうな、何か毛むくぢやらの細胞が運に任せて大部の移動を行つてゐる。……
 それから海綿の畑、腐れ掛けの肺のやうな海綿。そしてオレンヂ色の、天鵞絨に包まれた蕈(きのこ)の群、真珠色の軟体動物の墓地、沈黙のアルコオル漬けになつた腫れぼつたいアスパラガス栽培場。……
 又見渡す限りの平地。それを飾るのは白色の磯巾着や、丁度いい位に脂切つた玉葱や、濃紫色の粘膜の球根や、どこから来たのか知れない内臓の切れ端、然もそれはここで新たに生活を営んでゐる。それから触手で向うの珊瑚に合図をしてゐる、何か解らぬ肉の塊、その他、目的が明かでない何千といふ疣(いう)状物。これ等の胎児的な、全く外界と交通を断たれた植物は絶えず痙攣しつつ、いつか、かかる現状に就てお互に祝詞を囁き合へるやうになるのを永遠に夢みてゐる。……
 更に又、あすこの高原に吸ひ付いて辺り一帯の番をしてゐる、太つた禿頭の蛸の化物。……
 外に出る前に、雪祭主は後の方を向いて、その為に立ち止つた一同に昔から繰り返されて来たことを暗誦するかの如く、次のやうに語る。
 「皆さん、ここには日も夜もなく、冬も春も夏も秋も、さういふ変化は何もない。そして完全に盲であることを代償として、ここにゐるものは自分のゐ場所を変へることなしに恋愛し、夢想するのである。満足せるものの世界よ、貴方達は沈黙に閉された、盲目的な至福の状態にあり、我々は地上では満されない饑餓に萎れて行く。それにしても何故我々の感覚の触手は盲目と、不透明と、沈黙とによつて閉されてゐないのだらう。何故それは我々の世界の外にあるものを予感するのだらう。そして何故我々も、我々の世界のささやかな一隅に納つて、我々の小さな自我の泥酔を温めてゐることが出来ないのだらう。」」



「附録 ハムレツトに就て」より:

「パリや、フランス語や(私はその現状に非常な関心を持つてゐる)、親戚や、文学や、美術から遠く離れて、私は今年の元日にエルシノアに、といふのは打ち寄せて来る波の単調な音があの、

 言葉、言葉、言葉、

 といふ人類の歴史を要約した箴言をハムレツトに思ひ付かせたに相違ないそこの海岸に一人で立つてゐた。
 その日は元日でも雨が土砂降りに降つてゐたのであつて、その前の日もそのやうに降り、翌日も同様の具合に降ることが予想された。私はその日の朝はまだコオペンハアゲンにゐて、街が公式の祝賀の気分を反映し、重さうな儀式の馬車が擦り減らされた舗石の上を揺れて行くのや、近衛兵の仰山な毛皮帽に見惚れてゐた。そしてこの儀礼的な往来が頻繁である中で、誰も自分が明日の時代に自分の祖先として仰ぐべき、不幸なハムレツト王子に就ては考へてゐないやうだつた。」



「後記」:

「Derniers vers も Moralités légendaires も一方は詩、一方は散文の形でラフォルグが死ぬ直前まで書いてゐたものが何れもその死後に一冊の本に纏められたものである。又その何れも譯者が曾ては耽読して止まないものだつた。その散文の方では題を譯すのに伝説的な道徳劇といふ言ひ方を用ゐたのは必ずしも日本語の感じを与へないかも知れないが道徳劇といふのがヨオロツパの中世紀に行はれた一種の宗教劇、又そこから発達したものなのであるから他に題の付けやうもないかと思ふ。昔譯したものを読み返してゐると懐しい感じがする。
昭和五十年七月
譯者」




こちらもご参照ください:
堀口大學 訳 『シュペルヴィエル抄』





































 
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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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