郡司正勝 『かぶき ― 様式と伝承』 (ちくま学芸文庫)

郡司正勝 
『かぶき
― 様式と伝承』
 
ちくま学芸文庫 ク-12-1 

筑摩書房
2005年2月10日 第1刷発行
511p
文庫判 並装 カバー
定価1,500円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 渡辺千尋
装画: 「四条河原遊楽図屏風」(部分)


「本書は一九五四年、寧楽書房より刊行されたのち、一九六九年七月、學藝書林より再刊された。本文庫は、學藝書林版第二刷(一九七六年九月刊)を底本とした。」



本文中図版(モノクロ)多数。

本書収録論文中、「力者とその芸能」「河原者と芸術」「猿若の研究」「道化の誕生」は岩波現代文庫版『かぶき発生史論集』に、「「かるわざ」の系譜」「たての源流」「六法源流考」「猿若の研究」「三味線の登場」は『郡司正勝刪定集』に収録されています。


郡司正勝 かぶき


帯文:

「芸能研究の金字塔
かぶきに結実する芸の源流と変遷を追う」



カバー裏文:

「日本の芸能研究に大きな足跡を刻んだ著者の、幻の名著。荒事、悪態、かるわざ、六法などかぶきの様式の源流について、また猿若、道化といった役柄の出現と変遷について、さらにそうした芸能を担った人々の実像について、独自な視点で掘り下げた、克明な実証的研究。既成の演劇理論に捉われず、広く民俗芸能を視野に入れ、社会史・風俗史からのアプローチも取り入れて、時代の息吹のなかでのかぶき生成の実相に迫った本書は、その後の研究に大きな影響を与えた。」


目次:

序(初版) (河竹繁俊)

第一編 かぶきの様式
 饗宴の芸術――かぶきの本質とその様式
 荒事の成立
  荒事の意義
  荒事における民話力
  荒事とその表現
  見得とつけ
  「草摺引」の意義
  押戻しの意義
  力紙考
  仁王襷考
 悪態の芸術
  悪態の饗宴
  悪態の式典化
  悪態の家系
  悪態のスタイル
  悪態狂言の系譜
  悪態の環境と本質
 髪梳の系譜
  髪梳の発想
  風呂上り
  髪梳の演出
  髪梳の唄
  髪梳とめりやす
  髪梳という愛情の表現
  髪を梳く恐怖
  髪梳の伴奏
  嫉妬と変貌の様式
  怨恨と哀傷の唄
 「かるわざ」の系譜
  蜘舞の流行とその伝承
  蜘舞の源流と変貌
  蜘舞の行なわれた場所と携った人々
  早雲長吉とかぶきに入った蜘舞
  かぶきにおける蜘舞の技術
  かるわざと戯曲の結合
  かるわざと所作事
  怨霊事、ケレン、宙乗り
 たての源流
  「たて」と軽業
  かぶきに入った棒踊
  棒踊の流布と伝承
  棒の性質とその芸能化
 六法源流考
  「歩く芸」の系譜
  「練」とその伝統
  六方と六方衆
  技術としての「練」
  「振る」と「踏む」と
 出端と引込みのノート
  「出端」と「引込み」の意義と変遷
  出端の性格
  「引込み」の性格

第二編 かぶきの成立
 力者とその芸能
  力者の社会的地位
  力者の職業
  力者と芸能
 河原者と芸術
  河原者の芸術
  河原者とその職業
  河原者と劇場
  河原者とかぶき子
  河原者ときやり
 猿若の研究
  文献にあらわれた猿若および従来の学説
  猿若のあらわれた画証
  民俗舞踊における猿若の発見
  猿若とシンポチ
  猿楽と猿若の関係について
  狂言師と猿若の関係について
  猿若の扮装術
  猿若の芸能
  猿若狂言の変遷
  猿若狂言の成立
  道化としての猿若の性格
  猿若の喪失と道化方の出現
  猿若の史的位相
 道化の誕生
  「どうけ」という名称
  どうけの出現
  初期どうけの地位
  どうけの扮装術
  初期どうけ方の劇術
  どうけの役柄
  奴・六方・丹前
  半道について
  初期どうけ方一覧
 のろま管見
  のろまの発生
  のろまの先駆者
  のろまの後継者
  のろまとそろま
  間狂言としてののろま
  のろまの劇術
  のろまの扮装
  のろまの性格
  のろまの演出
  のろまの衰退
  のろまの復興
  佐渡ののろま
 茶かぶき
  「かぶき茶」とその性格
  唐様の茶会について
  茶会における芸能
  茶会から歌舞伎へ
  茶屋の街頭進出
  遊女の茶会とその演劇性
  茶会の狂言「茶湯丹前」
 三味線の登場
  三味線登場の日
  三味線の座とその弾奏者
  三味線の座席
  座席を飾るもの

あとがき
復刊あとがき

解説 いまここにない歌舞伎への憧憬 (古井戸秀夫)

索引




◆本書より◆


「饗宴の芸術」より:

「かぶき十八番に「毛抜」という狂言がある。その主人公は、しばしば演技なかばで見物に話しかけ、相談をもちかけるのである。侍女や若衆にしなだれかかって、振られると、この英雄の主人公は、自分の醜態を見物に向かって「近頃面目次第もありませぬ」と謝る。見物は、ここで劇中人物と俳優の二重の親近性を感じて声をあげて喜び、この一齣は完成するのである。(中略)また「義経腰越状」の五斗兵衛は、花道に立って「俺が酒をのむのが無理か、どうだ」と見物席に向って意見を求める。観客の中から「尤(もっと)もだ」という声がかかると、劇はさらに進行する。『ピーターパン』のフィヤリーが弱ってくると、見物に拍手を求め、ふたたび元気を吹き返す格であるが、これらを仮に見物との共同演出といったのである。演劇の始原には純粋な見物というものは存在しなかった。すべてが執行人である。その場に集まった人々は少なくとも囃子詞(はやしことば)やかけ声をかけねばならぬ義務があったのである。かぶきはこの原始的饗宴性の上に居心地よく坐り込んでいるのである。」

「当時のかぶき役者の人気というものは、ほとんど庶民の王者であって、風俗流行の源泉であり、美人の標準であり、小説の挿絵はすべて彼らを似顔とし、錦絵は争ってかれらの舞台姿を彩り、商標はこれを利用したものである。(中略)しかるにその人気に反して彼らの社会的待遇は、士農工商の四つの人間階級にも入れられぬ「河原乞食」であり、正式には社会との交際を禁じられ、種々の生活制限をうけたので、このことはあるゆがんだ暗い蔭をかぶき芸術に落さずにはおかなかったのである。」

「またかぶきの化粧のなかには、眼球や舌に化粧するというすさまじいものがあった。碇知盛(いかりとももり)の血走った目を表現するのに、紅を眼の中に入れ、舌を出したり、カッと口を開けてみせるために、口に紅を含んだのである。これは怒りや恐ろしさをリアルに表現するというより、いわゆる蕪村の「閻王の口や牡丹をはかんとす」の華麗さをねらったものであった。かぶきはこんな表現に身命を賭ける。」



「荒事の成立」より:

「柳田国男は『妹の力』のなかで御霊信仰を説き、その「ごりょう」ということばから「五郎」という英雄神を生み出し、鎌倉権五郎景政や、大人弥五郎などの人物を作り出したといわれているが、曾我の五郎という名において荒人神になったのには、やはりこの御霊信仰の基盤があったのである。そのほか、荒事の主人公たちが多く、この五郎の名をもっていることも無意味のこととはおもわれない。「暫」の篠塚五郎・鎌倉権五郎、「押戻」の大館左馬五郎とか竹抜五郎などの役名は、みな荒人神の御霊信仰から生まれた荒事神であったというべきである。」

「さて、逆境にあって臥薪嘗胆の末、復讐を遂げるという異状な抵抗と、時の権威の圧力のためにその結果が死刑に終わったことによる民衆の恐れと同情が、憤怒の神を形成せしめ、荒神となって権力者に祟るという民衆の発想と、その一連の民話の様式が、かぶきの荒事を形成せしめている原動力となっているとおもう。」



「「かるわざ」の系譜」より:

「この「かるわざ」「早替」「ケレン」「宙乗」という曲芸が、歌舞伎史上に、いかに、舞台機巧・装置・衣裳・鬘等を進展せしめたかは想像以上であって、歌舞伎の本質と考えられるスペクタクル性の大半は、ここに発しているといってもよく、その源流は早雲長吉およびその一派の河原者、放下、力者らの賤民が、散楽・田楽と、連綿と受け継いで、かぶきに渡した蜘舞とその一連の技芸の展開に帰すべきものであろうと思う。」




こちらもご参照下さい:

郡司正勝 『かぶき発生史論集』 鳥越文藏 編 (岩波現代文庫)









































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郡司正勝 『地芝居と民俗』 (民俗民芸双書)

「その俳優は、社会人の罪業・悪徳・穢れを一身に引き受ける役を舞台で演じたのである。かぶきは、まず、「念仏踊」からはじまった。殺される役、斬られる役、幽霊の役、悔恨と懺悔を、「物語」や「くどき」で表現するのが、そのクライマックスであった。見物は、それゆえに自分らの世の姿をみ、浄化されるのである。」
(郡司正勝 「演劇とフォークロワ」 より)


郡司正勝 
『地芝居と民俗』
 
民俗民芸双書 58 

岩崎美術社
1971年2月5日 第1刷発行
1972年3月22日 第2刷発行
273p 口絵(モノクロ)8p
B6判 角背紙装上製本 貼函
定価1,300円



本書「あとがき」より:

「幼少のころ、芝居好きの祖父につれられてみた地芝居は、札幌の薄野口にあった大黒座であった。ちょうど廓の入口近くにあり、そこには、地付きの役者がいて、旅役者を迎えては一座を仕組んで、いろいろな芝居をみせてくれた。
 祖父は、大きな声で、屋号を呼んだ。花道のスッポンから出てきた、地役者の座頭は、切穴を覗きこんだ子供のわたしに、思いがけず、扇子で顔をかくしていながら、赤い舌をぺろりと出してみせた。そのときの驚きは、いまもって胸が痛むほどだ。芝居を憎む心と、その魅力にいちどにとり憑かれたといっていい。」
「各地の探訪に歩きまわっているうちに、しばしば、目の前で消滅してゆく地芝居にいくたびか遭遇した。(中略)そのたびごとに、身を切られるように感じたものである。
 小さなノートに書き止めてきた、雑駁な見聞記ではあるが、そうした記憶を、かぶきの底辺を支えてきた民衆の心のなかに、その伝播と共感を考えるための資料の一端として、ここにまとめておく機会が与えられた。
 そこで、その発想とでもいうべき、風流の精神と、地狂言の周辺を考えてみたものを、第一部とし、地方を歩って出会った地芝居の記録を、第二部として纏めてみた。」



郡司正勝 地芝居と民俗 01


目次:

第一部 民俗と芝居
 芸能の発想と文学
 演劇とフォークロワ
 かぶきの地方流伝
 地芝居の特質
 地狂言の呪術性
    ○
 旅芝居
 俄について
 茶番狂言について
 照葉狂言

第二部 地芝居探訪
 烏山の「山揚げ」祭
 栗山の地狂言
 牧かぶき
 群馬の地芝居
 伊能かぶき
 秩父の屋台芝居
 奥多摩の舞台
 伊豆の舞台
 長野禰津村の舞台
 長浜の曳山かぶき
 小松の曳山芝居
 虫生の舞台
 小豆島のかぶき
 金丸座見聞記
 金丸座後追
 香川町の祇園座
 伊根の屋台舟かぶき
 興居島の船踊
 切山かぶき
 隠岐島の地芝居

あとがき



郡司正勝 地芝居と民俗 02



◆本書より◆


「芸能の発想と文学」より:

「俳諧が、もと和歌の本歌取りから転じて、その主体性を主張したのは、見立を、働きとして、その自主性を高揚したからによる。俳諧は、談林を通って、はじめて独立宣言することができたのだとみれば、それは「見立」という働きによってであるはずであった。」
「それは、風情にあるのではなくて、意外性の驚きの働きにあったはずである。「目のさめたる作意」が、すなわち「新しさ」であり、見立てなのである。俳諧は、文学的であるよりは、より芸能的であるのは、芭蕉のいうごとく、「文台を下ろせば、すなわち反古」という、その発想尊重の精神にある。こうして江戸文学は、芸能の下に、隷属するか、またはその芸能性において、江戸文学としての特色を主張し、あるいは獲得するのだといいたい。
 さらに、一歩進めて、
  わざと天地をさかさまに云なし、直なる物を無理にまがらし、一句の妙体をたてじ、月日を下部(しもべ)の仕物(つかえもの)にし、太神宮を紙屑買にたとへ、天満神を傾城になし、天の逆鉾を摺少木にし、帝王に犬の馬痢をなめさせ。(『破邪顕正』)
ということになれば、さらに、神聖を犯す「おかし」としての領域に、一歩進めることになる。「もどき」には、もと、本意に逆らうの意がある。かぶきの殿様が「予が意をもどくか」というとき、そこには一種の反逆精神を指摘したことになる。
 「おかし」も「もどき」も、滑稽、笑い、二の次の精神に隠れた反抗精神を含むものだといっていい。」

「風流が、これらの今来(いまき)の神の祭りのために、新しい趣向をこらして、さかんになるのは、やはり、新しい力と働きを具体化して求められたからである。新しさは、疫神を押えるための、もう一つの荒々しい力にほかならない。祭りの趣向は新しいほどその祭りの実力を発揮することになる。それは古い力では、押えきれぬ現代の要請ということになる。古来のしきたり、権威にとっては、そこに一種の破壊行為と意志をみることになる。施政者側が、しきりに、風流の禁を行なったのは当然であろう。
 南北朝から近世初頭にかけて、この新しい精神が、しばしば旧社会制度の秩序の破壊をしめすものとしてあらわれてくるのが、「婆沙羅」の精神である。バサラ風流は、まず行為としてあらわれる。『太平記』にあらわれるバサラの大将として、佐々木道誉などの行為を指したが、それが異形、異風というかたちで、風流と結んだのが、バサラ風流である。」
「その異風体を、おもしろきとみる精神が、やがて、かぶきを生み出す基盤となるので、(中略)出雲の阿国の異風は、大衆の憧れの的となる。」



「演劇とフォークロワ」より:

「江戸時代に、願人坊主という街頭の乞食坊主があった。(中略)代参、代詣、代侍、代垢離(ごり)などを、引き受けて、代りに、願人となる者の謂である。すたすた坊主などという裸形の者も、代垢離姿の願人である。つまり、人の罪業、穢れなどを引き受けて、わずかな賽銭をうけて願参りをする坊主のことである。それらは社会の秩序の外にあった。坊主という賤民世捨人である。賤民世捨人といえば、中世の能役者ももと阿弥号をもつ僧形の世捨人であり、猿楽法師であった。かぶき俳優こそは、僧籍などではないが、士農工商の四階級の認められた社会制度外の人間、つまり制外人(にんがいにん)であって、社会の埒外におかれている地位はおなじなのである。
 その俳優は、社会人の罪業・悪徳・穢れを一身に引き受ける役を舞台で演じたのである。かぶきは、まず、「念仏踊」からはじまった。殺される役、斬られる役、幽霊の役、悔恨と懺悔を、「物語」や「くどき」で表現するのが、そのクライマックスであった。見物は、それゆえに自分らの世の姿をみ、浄化されるのである。
 生きながら社会の埒外にはみ出されて、死を語り、死霊となって冥府の有様をみせるというのが、能の本質であり、浄るりも、かぶきも、そうした伝承をうけつがないわけはなかった。慰みも浄化も娯楽も、それらの代替りがあってこそ、自分たちのものとなるのである。
 生きているうちに立てる墓、塔婆を、寿塔(じゅとう)というそうであるが、死の病いにあるとき、死んだものとしてこの寿塔を立て、いったんこの世から、みずから葬って、生きのびる方法である。だれがいつ考え出したものであるかしらぬが、民俗としてこの国に残っている。(中略)これは一種の生まれ替りの思想から出たものだといっていい。いったん死んだことにして生まれ替るのである。そのためには、一度世を捨てねばならない。重い病いを得たときに、出家するのもおなじことで、この世を捨てることによって生きのびる方法であった。
 その代役を、舞台で勤めるのが俳優の本質にあった。俳優が忌み嫌われる面と、めでたい二様の面があるのはそれである。もと、巫覡(ふげき)より出て、生き身の憑坐(よりしろ)となった点にその本質がある。心中、殺人、犯罪などで死んだ人物を、舞台に招きよせ、みずから憑坐となって、その因果の業を、語り、くどく技術が俳優であったとすれば、世話物は、というより、劇は、そこから出発し、その底流にそれが、つねに流れていることになる。「曽根崎心中」のお初が、観音めぐりからはじまるのは招魂された俳優の肉体を借りて冥府からこの世に呼び出される道行振りであったとみたい。舞台は、この世ならぬ神聖な場所であるから、ここに現われた、生霊・死霊・神仏は拝まれたので、尊敬と罪悪の捨て場とみた蔑視は、俳優の両面であったのである。」



「俄について」より:

「「俄」という芸能は、もとにわかに仕組んだ、つまり即興劇の謂で、今日の流行語でハプニングというのに当るかとおもわれる。
 したがって、本来の一回切りの、二度とはやれないというのが、その本質であろう。演劇のもっとも本質的な、もしくは初原的な要素だといっていい。演劇は、その俄性の上で成立している芸術である。」
「さて、ハプニングは、かならずといっていいように、喜劇性と諷刺性をもつことを忘れてはならない。」

「ある祭日に、にわかに雷鳴し、たちまちに晴れ上ったとき、鬼に扮したものが太鼓を背負い、毎戸ごとに廻ってきて、腰をかがめながら、「ただ今は、さぞおやかましうございましたでしょう」と挨拶してゆくのなど、典型的な流し俄であり、まったくその日と、その事態でなくては通じない俄の本質をうかがうに足るものである。」




















































































































































『郡司正勝 刪定集 第六巻 風流の象/総索引』 (全六巻)

「風流のもつ脱社会性」
(郡司正勝 「風流と見立」 より)


『郡司正勝 刪定集 
第六巻 風流の象/総索引』


白水社
1992年3月5日 印刷
1992年3月20日 発行
309p 索引193p 口絵(モノクロ)4p
四六判 丸背布装上製本 
ビニールカバー 貼函
定価6,500円(本体6,311円)
装丁: 石黒紀夫

月報第6号 (10p):
郡司さんの学問と遊び心(廣末保)/郡司先生映画夢(落合清彦)/風流と身体動作の研究(吉川周平)/永い時の流れの中で(高橋秀雄)/折口さんと郡司先生(茂原輝史)/郡司学――演劇研究の最高到達点(工藤隆)/『童子考』について(澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』より抜粋)/校正をお手伝いして(和田修)/編集縁起――表裏(須永朝彦)



本書「あとがき」より:

「個人の選集本を出して貰えるなどということは考えてもいなかったことで、望外の幸せと思っている。
 選集ということでもないものをと考えた末に、『北越雪譜』に用いられていた刪定という語を借りて、新しく構成し直した集ということにしたのである。」
「郡司学などという、誰が言い出したのか嫌な言葉が出てきたのに驚いているが、こんな筈ではなかった戦後の世の中には、どうして私の嫌いなことばかりがこう多くなってきたのだろうか。」
「学問というものは、大変なものだと思っているので、私のものなどは、学問に入らぬはみだしもの、あるいは踏み外したものだぐらいに考えてもらえばいい。
 ただ私の生き方と視点が反映しているところに、同感してくれる読者があったら、以て瞑すべしだとおもう。」



最終巻である本巻は『童子考』と『風流の図像誌』の二冊の単行本の全文(あとがきを除く)と、風流関連論文4篇によって構成されています。
巻末に索引が付されていますが、全集ならともかく、選集である本刪定集には索引は必要ないのではないでしょうか。
本文中図版多数ですが、やや小さめです。


郡司正勝刪定集


帯文:

「異形の人間たちの冥界からの発信を解読する記号論風傑作「童子考」と、日本的コスモロジーの豊饒な可能性を示す「風流の図像誌」を中心に編集。「郡司学」の全貌を明らかにする全六巻の詳細な索引を付す。」


帯背:

「日本的コスモ
ロジーの集積」



帯裏:

「各巻内容
第一巻 かぶき門
 四百年におよぶ歌舞伎史を掘り下げた、独自の点描史。
第二巻 傾奇の形
 戯曲・演技・演出などの構造を、新たな切口で捉える。
第三巻 幻容の道
 人間の原初の動きに立ち帰って伝統舞踊の理念を探る。
第四巻 変身の唱
 放浪芸や見世物などの民間芸能を踏査に基づいて考察。
第五巻 戯世の文
 江戸の戯作者、狂言作者、芝居風俗などの諸論を収録。
第六巻 風流の象
 記号論を越えた記号論風傑作「童子考」を軸に編集。
各巻順に隔月配本。」



目次 (初出):

童子考 (初出題「文芸と芸能のもう一つの随想」/「國文學」昭和52年4月号~12月号 増補し『童子考』と改題して昭和59年7月に単行本刊行(白水社))
 流亡抄
 小人と蜘蛛と
 侏儒考
 笛吹童子
 星の影
 土佐の星神社
 負の七数
 七曜剣
 寅の一天
 瓠の花
 呪詛の人形
 百足と蛭
 蛭の地獄
 一本足の案山子
 髪の形
 王子の誕生
 児ケ淵

山と雲――風流の図像誌 (「現代思想」10巻9号 昭和57年7月 増補し『風流の図像誌』と改題して昭和62年6月に単行本刊行(三省堂))
 はじめに
 動く山
 死出の山
 造り山
 山を移す
 料理の山
 床の山
 「造る」と「見立てる」
 崑崙山と蓬莱の島
 島山
 剣山と剣の山
 「山車」の山
 笠の性
 踊り笠
 笠と傘と
 笠着連歌
 舞台と傘
 唐傘の正体
 天井から吊るす蓋の雲
 雲の意味

風流と見立
 風流と見立 (『国際日本文学研究集会会議録(第12回)』(国文学資料館) 平成元年3月)
 役者評判記――「見立」の発想と趣向 (『歌舞伎評判記集成 第二期 6』(岩波書店)月報 平成元年7月)
 見立の伸縮法――巨人と小人のイメージ (「伝承された巨人と小人のイマージュ」改題/「季刊自然と文化」1985年秋季号 昭和60年9月)
 風流とやつし (「風流とは心の美食」改題/「ぱいぷ」6月号 昭和50年4月)

解題 (上原輝男)

略年譜 (筆者提供の資料に基づき作製: 須永朝彦)
初出一覧

あとがき (郡司正勝)

郡司正勝刪定集総索引
 一般事項
 演目
 書名
 人名




◆本書より◆


『山と雲』「はじめに」より:

「受け売りであるが、もともと「象」は、動物の「ゾウ」(エレファント)の文字で、これを「かたどる」意と転じたのは、「人希見生象也。而得死象之骨、案其図以想其生也。故諸人之所以意想者、皆謂之象也」と『韓非子』にあるのに拠るという。つまり稀にしか見ることのできぬ、あるいは見たこともない象という動物を、意想をもって形象化したことに発するのだということであろうが、逆に、その原像を、図像とか造り物として形象化したものによって、はじめて接し、あるいは想うことができるということなのだとおもう。人間がなんらかの理由があって、想念で造り出した形象で、しかも、ある共同体で、大勢の認識を得たもの、そうした装置・仕掛、それを象徴とも、記号ともいうと考えてみたい。
 そのうえで、問題は、なぜ、人間は、そんな装置・仕掛を必要とするのか。その答を、山口昌男のいう「あちら側」を見るためにという一言で代理させて、私としては、その装置の仕掛としての「風流」という見立の飾り物に焦点を当て、山と雲という一つの主題を鳴らして、人間の創造力や表現力の働きを詠めてみたい。」



「山を移す」より:

「山を移すには、移すための秘儀、手段が必要である。呪物と呪術が、そのための働きとなる。役の行者の後裔を称する山岳信仰の修験道を享けて、室町時代から成立した富士信仰は、江戸時代に入って、当時世界屈指の大都会であった江戸の市中に、富士講が組織され、その隆盛によって多くのミニ富士塚が市中に出現した。(中略)この富士を移すためには、必ず、駿河の本家の富士山中熔岩の石をまず移し、しかるのちにそれを信仰の核として形造る必要があった。富士の生命をまず、小石に移さねばならなかったのである。」
「「うつす」という語は、移動する意のほかに写生するの意もある。「うつし取る」ことは動かす意とともに、生かしたまま撮すのである。江戸の思惟をもった明治人が、写真を撮すことを嫌ったのは、その影を「移し取られる」ことによって寿命が尽きると考えたことを想えば、「移す」ということの民俗信仰の根元の心意伝承の意味がわかる。」



「剣山と剣の山」より:

「天から降り下った剣は、そのまま神の高御座であった。」
「天孫降臨のとき、その使者の建御雷神と天鳥船神の二神が、出雲の伊那佐の小浜で、十掬(づか)剣を柄を下に、浪の穂に刺し立てて、その剣の先に跌(あぐ)み坐し、大国主神に、国譲りの交渉をするという構図には、剣の先を座として勝利の標示が読みとれまいか。
 しかし、剣の座は、仏教説話にもあったとおもわれるのは、『神道集』の「諏訪縁起事」のなかの次のごとき挿話によって知られる。南インドの拘留吠国の玉餝大臣の末娘に好美女がいた。草皮国の大王が大臣を殺し、娘を后に望んだが従わないので、領内から追放したとき、この国ばかりが自分の住処ではないといって抜提河の真中に抜鉾という鉾を立て、その上に好玩団という布団を敷いて住んだ。しかし、その川も自分の知行だといわれ、姫は、早船に乗って日本へ渡り、信濃と上野の国境の笹山の峰に飛び下りた。いま、荒船山といっているのがそこだという。」



「雲の意味」より:

「山にかかる雲は、五雲、紫雲はいうにおよばず、黒雲・白雲にしろ気象を示すものであるから、山と雲の関係から、あるきざしや天象をよみとることができる。これを人工の山と雲に見立ててきた歴史は古い。江戸の庶民は、これをショーに仕立て、見世物とした。
 足芸などもその一つだが、足の上に船形を乗せ、その中から水を吹き出させ、いちばん上に雲の旗が棚引いている形をみせる。見世物ほど記号論の明確なる図像を私は知らない。人間が地上に寝て、天に向かい、宇宙を足蹴にしている図など、まことに諷刺的でショッキングな記号的なショーだといえよう。
 演劇の根源は、まず見世物であって、人生の模擬に熱中することによって、人生を、社会を、変革してゆく記号・旗印・標識なのだとすれば、「見立」こそは、いつも新しい活力の源泉なのだということになろう。仮象の山や雲を造り出して、人間は、その後ろの本体をつねに透視するのだとおもう。いや人間には、仮装の造り物を作り出すほかに、本質に迫る「しかけ」は与えられていないということになるのである。
 こうした想を喪ったとき、人間は枯れ疲れ変わり果ててしまうだろう。なにかを待っている印をわれわれは見失ってはならないのだとおもう。
 一九八二年、富山市で開催された「全国ちんどん屋大会」に出席した。しばらく忘れられていた山と雲に出会ったのは嬉しかった。ここに、山と雲の見事な民衆の伝承の力を見ることができた。傘を背に、幟を棚引かせて奮闘しているチンドン屋の姿は、まさしく機械文明への、蟷螂の斧の姿なのか。」



「風流と見立」より:

「『万葉集』(巻十六)の「乞食者が詠ふ歌」の乞食祝言職の「讃めことば」は、口唱文芸のはじまりともいうべきものであった。「見立」の呪力は、広く深く民間に浸透し、「松魚(かつお)武士」とか「養老昆布」(喜昆布)などとなり、豆腐の「おから」は「卯の花」といい、塩を「波の花」と見立てて、言い直すことにより、讃め言葉は、「世直し」の力を持つものとなる。」


「風流とやつし」より:

「芸能にあっても、風流は、この趣向によって飾られ、かぶき狂言は、その趣向のよしあしによってきまる。したがって、この心の働き、気働きによって、成立する芸術が、風流の系譜ということになる。十分に金を使った豪奢な芸術は、風流に遠いので、(中略)金をかけたようには見せぬ趣向がなくてはならない。
 あるいは「風流」とは、貧乏な国で展開した押し詰められた芸術心ともいうべきものであるのかもしれない。」
「今日、著しく風流心が衰えたのは、やはり経済大国に成り上がった現代日本人に成金趣味の心が生じたからである。風流とは貧乏の働きでなければならない。」




◆感想◆


落語に、引越しをしたけれど家財道具がないので家具を絵に描いて壁に貼って家具があるつもりで生活していたら泥棒が入ってきて箪笥の引き出しをあけようとしたけれど絵なのであかないからなるほどそれならとあけたつもり、中身を盗んだつもり、金庫もあけて大金をぬすんだつもりで帰ろうとしたら、寝ながらみていた住人が起きあがって絵に描いた槍を手に取って泥棒を刺したつもり、刺されたつもりの泥棒のわき腹から血がだくだくと出たつもり、という話がありますが、それをきいて、子どもだったわたしはたいへん感動しました。そうか、なくても、あると「見立」てればよいのだな。あるとおもえばある。じっさいはないけれど、ないものは盗まれないし、ない武器でなら刺されても相共に血を見ないで済みます。
それと、ジャック・フィニイの短篇に、独房に閉じ込められた囚人が壁に描いたドアを開けて故郷に帰っていくというのがあって、このふたつのものがたりによって子どもだったわたしは芸術の意義を知るとともに人生の要諦をまなんだのでした。
そしてそれが「風流」というものであったことが本書をよんでわかりました。



こちらもご参照ください:

郡司正勝 『童子考』





































































































































『郡司正勝 刪定集 第五巻 戯世の文』 (全六巻)

「美麗なものと醜悪なもの、貞淑なものとその裏腹の執念の恐怖とを、おなじものとみる秋成の思想(中略)。それはまた、のら者の思想でもある。のら者にしてはじめて、見ることが出来る怪異なのである。」
「秋成の怪異の恐怖感は、反社会的のら者の思想が生んだ、天明無頼文学の高潮期の所産であった。」

(郡司正勝 「秋成の怪異」 より)


『郡司正勝 刪定集 
第五巻 戯世の文』


白水社
1991年8月20日 印刷
1991年9月10日 発行
380p 口絵(モノクロ)4p
四六判 丸背布装上製本 
ビニールカバー 貼函
定価4,500円(本体4,369円)
装丁: 石黒紀夫

月報第5号 (6p):
含羞の学問(諏訪春雄)/教わることのみ(野口達二)/「郡司学」の真髄(谷川渥)/こわい話(小笠原恭子)/先生の方法(佐藤恵里)



郡司正勝(ぐんじまさかつ)刪定集(さんていしゅう)第五巻 「戯世(ぎせい)の文(ぶん)」。
本文中図版。


郡司正勝刪定集


帯文:

「上田秋成・山東京伝・鶴屋南北・瀬川如皐などの戯作者、狂言作者をはじめ、市川団十郎・中村仲蔵などの歌舞伎役者たちを江戸風俗のなかで考察し、近世芸能と江戸文学との関連を華麗に展開。」


帯背:

「江戸文学と
風俗・芸能」



帯裏:

「各巻内容
第一巻 かぶき門
 四百年におよぶ歌舞伎史を掘り下げた、独自の点描史。
第二巻 傾奇の形
 戯曲・演技・演出などの構造を、新たな切口で捉える。
第三巻 幻容の道
 人間の原初の動きに立ち帰って伝統舞踊の理念を探る。
第四巻 変身の唱
 放浪芸や見世物などの民間芸能を踏査に基づいて考察。
第五巻 戯世の文
 江戸の戯作者、狂言作者、芝居風俗などの諸論を収録。
第六巻 風流の象
 記号論を越えた記号論風傑作「童子考」を軸に編集。
各巻順に隔月配本。」



目次 (初出):

戯作三昧
 秋成、京伝、南北 (『図説日本の古典17 上田秋成』月報(集英社) 昭和56年2月)
 秋成の怪異 (「別冊現代詩手帖 上田秋成」 昭和47年10月/『鉛と水銀』(西澤書店)収録)
 京伝の西欧趣味 (「山東京伝の西欧趣味」改題/「THE LITERATURE」1巻2号 昭和24年12月/『かぶき袋』(青蛙房)収録)
 京伝の蝦夷奥州情報 (「京伝の読本と蝦夷北国情報」改題/『叢書 江戸文庫⑱ 山東京伝集』月報(国書刊行会) 昭和62年8月)
 京伝と黙阿弥――「野晒悟助」をめぐって (「『野晒悟助』と黙阿弥」改題/東横ホール筋書 昭和30年7月)
 柳亭種彦の随筆と小説 (『日本随筆大成』第二期第20巻付録(吉川弘文館) 昭和49年10月/『鉛と水銀』収録)
 洒落本と芝居の台本 (『洒落本大成』第五巻付録(中央公論社) 昭和54年7月)
 かぶきと小説の交流 (「かぶきと『小説』との交流」改題/「季刊歌舞伎」8号 昭和45年4月/『鉛と水銀』収録)
 荷風別れ (『荷風別れ』(コーベブックス) 昭和52年9月)
 鏡花の劇空間 (「國文学」30巻7号 昭和60年6月)
 卑俗と絢爛――江戸と谷崎文学 (「解釈と鑑賞」昭和51年10月号)

かぶき作者と役者
 南北の作品と演出 (「南北研究」2号 昭和57年11月)
 「東海道四谷怪談」 (「解説『四谷怪談』の成立」改題/『新潮日本古典集成 東海道四谷怪談』(新潮社) 昭和56年8月)
 南北の合巻 (「鶴屋南北の合巻・文化期」改題/「ユリイカ」10巻4号 昭和53年4月)
 南北悪評 (「悲劇喜劇」35巻12号 昭和57年12月)
 並木五瓶の晩年 (「初代並木五瓶の晩年」改題/「伝記」10巻8号 昭和18年8月/『かぶきの発想』(弘文堂)収録)
 嘉永期の瀬川如皐 (「季刊歌舞伎」25号 昭和49年1月)
 黙阿弥について (「黙阿弥」改題/『民俗文学講座 6』(弘文堂) 昭和35年4月/『かぶき論叢』(思文閣出版)収録)
 『手前味噌』と仲蔵の代々 (『手前味噌』(北光書房) 昭和19年3月/『かぶき論叢』収録)
 かぶき役者の随筆・日記・自伝 (『燕石十種』第六巻付録(中央公論社) 昭和55年3月)

かぶき絵
 写楽と寛政六・七年の劇界 (「写楽の描いた寛政六・七年の劇界」改題/「太陽」浮世絵シリーズ「写楽」 昭和50年10月/『かぶき論叢』収録)
 幕末の江戸・芝居と浮世絵 (劇団四季「絵師絵金」公演プログラム 昭和47年8月)
 刺青と役者絵 (『原色浮世絵刺青版画』(芳賀書店) 昭和51年1月)

かぶき袋
 かぶきと文字 (「歌舞伎と文字」改題/「QT」63号 昭和61年1月)
 芝居の店舗 (「芝居にあらわれた店舗」改題/「嗜好」490号 昭和58年12月)
 芝居と卵 (「演劇と卵」改題/「嗜好」別冊「卵ブック」 昭和60年5月)
 芝居の豆腐と苅豆 (「芝居の豆腐屋と苅豆」改題/「嗜好」別冊「豆ブック」 昭和62年6月)
 芝居と柿色――柿山伏 (「柿山伏」改題/「嗜好」509号 昭和63年10月)
 かぶきの衣裳 (「服装文化」162号 昭和54年4月 「染色の美」17号 昭和57年6月)
 かぶきの化粧 (「化粧文化」8号 昭和58年5月)
 かぶきの口上 (「日本学」7号 昭和61年6月)

解題
 内山美樹子 「戯世」と学問

初出一覧




◆本書より◆


「秋成の怪異」より:

  「荒にし我軒は、いつしか浮浪子(のらもの)の中宿となりて、長き代のかたみにはあらで、荒唐世説(とりじめもなきよそごと)をいはざれば、夜食の腹ふくるゝよと、宵よりつどひて七つの鐘聞く夜はあまたたび

とは、『世間妾形気』の序文にいうところである。」

「「蛇性の婬」の豊雄という優雅な文学青年も、一般社会からすればのら者にちがいない。(中略)生活設計に勤めようという「過活(わたらひ)心」のない豊雄というのら者には、秋成の青年時代の面影も滲ませていよう。怪異を求める甘美な浪漫派の気持は、おのずからそのうちにある。怪異とは優美心にほかならないからである。
 さらに、戦慄するような怪異は、のら者の至りの「吉備津の釜」の正太郎の身上においてきわまる。」
「秋成には、仏教も儒教も信じないところがあった。自然主義的な思想の持主の秋成は、「おのがままなる奸けたる性」は、宗教や教育ではいかにすることも出来ぬことを知っていた。怪異は、その絶望感から現出する。いわゆる破滅型の人間なのである。」
「美麗なものと醜悪なもの、貞淑なものとその裏腹の執念の恐怖とを、おなじものとみる秋成の思想(中略)。それはまた、のら者の思想でもある。のら者にしてはじめて、見ることが出来る怪異なのである。」
「秋成の怪異の恐怖感は、反社会的のら者の思想が生んだ、天明無頼文学の高潮期の所産であった。」

「秋成の怪異の魅力は、その「骨冷えたる」孤絶の恐怖感にある。」
「いわば宇宙の回帰線上におこった、いや、実は何もおこってはいない恐怖感のようなもの、向こうへ向こうへ、遠くへ透明な世界に引かれてゆく、冷たい引力のようなもの、そんな骨冷えたる恐怖感を秋成の怪異には感じる。」
「秋成の怪異には、共同幻想としての狂気がない。共同幻想に覚め果てたのら者の、孤絶した自我が見てしまった怪異がある。秋成が鬼気迫るのは、このことにほかならない。
 共同幻想としての国家主義意識、全体主義的な本居宣長を、鼻持ちならぬ俗物として、噛みつかねばおさまらなかった秋成には、宣長のいう「大和魂」などという共同幻想は胸くそが悪かったのである。」
「「どこの国でも其国のたましひが国の臭気」だ、というのである。そこには、国家意識といった共同幻想を認めない、彼の個の目覚めがある。ことごとくに宣長に盾ついたのは、宣長がそういった共同幻想を創り出す親玉だったからにほかならない。「やまと魂」という共同幻想が、そののちの歴史にどんな災いを及ぼしたか、いまさら、いうまでもないことである。」

「秋成は、別号を剪枝畸人と称した。畸人は片輪者の意。剪枝は、剪指、指を切りつめたものの意。」
「また別号を無腸という。無腸は蟹の異名。秋成は、左右の指が、二、三本、蟹のごとくに折れ曲がった畸人であった。五歳の折に悪性の天然痘にかかったために、「右の中指短かき事第五指の如し。又左の第二指も短折にて用に足(た)たざれば、筆とりては右の中指なきに同じく、筆力なき事患うべし」とみずから『胆大小心録』に記すところがある。ここに、不具を誇示して別号とした彼の意識の底にあるもの、つまり構えがある。
 科rえの姿勢には、だれを恨むのでもない、この怨恨のかたちが籠められている。(中略)そこには文人気質の超脱思想がある。これが根深く人間形成の基本となることがある。跛(あしなえ)て名優の資質が発揮されるのもおなじであろう。病む人には常人にないものが見えたりするものなのである。それは世の狂人とはちがう、骨冷えて覚めきっているがゆえに、狂うことを識る者たちである。みずから片輪者をもって任ずる裏返しの誇りがあるからである。」
「秋成の『雨月物語』の漢文の序は、本文の名文に引きかえ、佶屈怪僻、厭味たらしい、読むに堪える代物ではないというのが通評である。したがってほとんど無視されてきたのが、これまでの現状である。
 しかし、私は、「剪枝畸人書」と署名した、この序文こそは、片輪者のみが知ることができる真実を、地獄に堕ちたもののみが知る文学の迫真性を、確認せしめる力があるとおもう。怪異を見てしまった栄光をさえ誇っている慄然たる文章をほかに知らないのである。
 世のつねならぬ佶屈怪僻の文章とは、世のつねの人のいうこと、これほど鬼気迫る、醜悪を辞さぬ芸術の美神に仕える瞬間の名文を知らない。彼が、みずから畸人としたのには意味がある。言いがたいことを言い尽くしているのである。片輪者のみが観た地獄の世界を、怪異の世界を誇らしく語り尽くしているからである。」
「文学とは、本来こういうものであったはずである。文学は代書屋ではない。文章を書けば、地獄に堕ちずにはいない。それが小説家の宿命、秋成のいう業(ごう)であろう。
 もし小説家にして、「三世生唖児」、「堕悪趣」する恐怖を感じないとしたら、それはおそらく偽者であり、売文の徒にすぎまい。本当の小説家なら、かならずや怪異を見ずに済ますことはならぬはずである。」



「かぶきと文字」より:

「かぶきでは舞台の上で字を書くというのが一つの芸になっています。「葛の葉」で、女に化けていた狐が障子に書置をしますね。「子別れ」の場面です。「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信田(しのだ)の森のうらみ葛の葉」。これを初め右手で書いて、赤ん坊が泣くので抱きかかえて、今度は左手で書いて、あとは口で書く。しかも裏文字といって左右を逆にした字です。裏側から見た字ですね。それを口で、床のチョボに合わせ所作をしながら書くわけですから、これは一種の「芸」です。」
「舞台の上で字を書くといえば、筆で紙に書くのではなく、宙空に書くことがあります。多くは大詰の幕切れに刀で「大入」という字を書くんです。これはたとえば立廻りがあり、相手を斬るつもりで「大入」という字に書く場合もありますし、また「大入叶(かのう)」と書く時もあります。(中略)これは一種の縁起物です。
 それからかぶきの独特な化粧法である隈取のなかに文字の隈があるんです。「大入隈」といいますが、「大入」という字を紅でもって顔に書くんです。(中略)これも「お客がたくさん来るように」という願いがこめられている呪術(まじない)と遊びでしょうね。」

「ところで「菩薩」という字は昔は一般には画数が多くて複雑なものだから、「菩薩」の上の草冠だけをとってくっつけて「廾サ」と書き、それで「菩薩」と読んでいました。俗に「ササ菩薩」というものです。略字というか、一種の記号、そしてもう象徴なんですね。それがしまいには印になるわけです。
 こういう、字引を引いても出てこないような字というのが、かぶきにはけっこうあるんです。実際にはなく、かぶきだけで使われる虚構の字というものがたくさんありますから、『歌舞伎字典』というのが一冊できてもいいくらいです。
 たとえば「相合傘」なんていうのは手偏にさらに手を添えて書くと手と手をとるということになり、これで相合傘になる。手偏に手を書く。これが外題に出てきます。」









































































































『郡司正勝 刪定集 第四巻 変身の唱』 (全六巻)

「自分を殺すこと、人間性を脱すること、神への変身に課せられた一つの通過儀式、俳優は、ぜひともこれを行わなくてはならなかった。」
(郡司正勝 「演技、神への変身」 より)


『郡司正勝 刪定集 
第四巻 変身の唱』


白水社
1991年6月15日 印刷
1991年6月28日 発行
380p 口絵(モノクロ)4p
四六判 丸背布装上製本 
ビニールカバー 貼函
定価4,500円(本体4,369円)
装丁: 石黒紀夫

月報第4号 (6p):
郡司さんの贈りもの(中村雄二郎)/郡司先生と見た白石島の盆踊り(武井協三)/おっとせい(織田紘二)/カイミーラ・郡司正勝先生(西村博子)/“郡司病院”のご恩(小沢昭一)



本文中図版。


郡司正勝刪定集


帯文:

「地芝居・祭祀・放浪芸・見世物など日本の民間芸能や、中国・韓国・インドなどアジア各国の伝統芸能の実態を、広く民俗学との関連において考察し、これら芸能の発生とその精神を多面的に捉えた労作。」


帯背:

「民間芸能の
発生と精神」



帯裏:

「各巻内容
第一巻 かぶき門
 四百年におよぶ歌舞伎史を掘り下げた、独自の点描史。
第二巻 傾奇の形
 戯曲・演技・演出などの構造を、新たな切口で捉える。
第三巻 幻容の道
 人間の原初の動きに立ち帰って伝統舞踊の理念を探る。
第四巻 変身の唱
 放浪芸や見世物などの民間芸能を踏査に基づいて考察。
第五巻 戯世の文
 江戸の戯作者、狂言作者、芝居風俗などの諸論を収録。
第六巻 風流の象
 記号論を越えた記号論風傑作「童子考」を軸に編集。
各巻順に隔月配本。」



目次 (初出):

民俗と芸能
 演劇史における民俗芸能の役割 (「芸能復興」18号 昭和33年4月)
 芸能の発想と文学――江戸芸術の基底にあるもの (「文学」38巻2号 昭和45年2月/『地芝居と民俗』(岩崎美術社)収録)
 琉球の「組踊」とかぶきの「仕組踊」 (「舞踊学」3号 昭和55年6月)
 演劇とフォークロア (「テアトロ」319号 昭和44年12月/『地芝居と民俗』収録)
 道行の芸能の心 (「国文学」18巻9号 昭和48年7月)
 演技、神への変身 (「国文学」20巻1号 昭和50年1月/『かぶき論叢』(思文閣出版)収録)
 小屋・見物 (「夜想」4号 昭和56年10月)
 仮面と化粧 (「住まいの文化誌・人世祭事」昭和61年8月)
 くまどり・れんぷ・その他 (「悲劇喜劇」282号 昭和49年4月)
 白と黒の舞 (「季刊・自然と文化」1985年新春号 昭和59年12月)
 風の神と風祭 (「季刊・自然と文化」1984年春季号 昭和59年3月/「CEL」8号 昭和63年11月)
 鳥の祀り・鳥の踊り (「CEL」7号 昭和63年7月)
 動物芸能の系譜 (芸団協主催公演「芸能 鳥獣戯画」プログラム 昭和53年3月)
 祭を構成する造形 (「草月」148号 昭和58年6月)
 雪中の田遊び (「雪中の空想劇場」改題/「世界」435号 昭和57年2月
 住宅における幻想空間 (住宅建築研究所「研究所だより」3号 昭和61年9月)
 放浪芸能の系譜 (「解釈と鑑賞」38巻1号 昭和38年1月/『鉛と水銀』(西沢書店)収録)
 地獄芝居 (「グラフィケーション」71号 昭和47年5月/『鉛と水銀』収録)
 蛇の道 (「民俗芸能」58号 昭和53年2月)
 天道念仏――那須の天祭 (「南那須の天祭」改題/「民俗芸能」29号 昭和42年6月)
 甲府の獅子芝居 「甲府の獅子舞」改題/「芸能復興」19号 昭和33年11月)
 小豆島のかぶき――香川県小豆郡土庄町肥土山・池田町中山 (『祭りと芸能の旅5』(ぎょうせい)昭和53年6月)
 ある女形の運命と地狂言 (「演劇学」25号 昭和59年3月)
 瞽女物語 (「御前物語」改題/「民俗芸能」8号 昭和40年10月/『かぶき袋』(青蛙房)収録)
 人形と人形芸 (講演筆記/「芸能」28巻8・9号 昭和61年8・9月)
 北海道を舞台にしたかぶきのこと (「北海道新聞」 昭和58年4月27日夕刊)
 かぶきの蝦夷錦・蝦夷模様 (「東京新聞」昭和57年6月3日夕刊)
 創成川上の見世物の思い出 (「GA」223号 昭和52年10月)
 北海の民謡 (「ヤマハニュース」64号 昭和36年7月)
 思い出の盆踊 (「北海道新聞」平成元年8月19日夕刊)

民族と芸能
 東洋の演劇理念について (「文学」55号 昭和62年9月)
 インドのかぶきと舞踊 (「インドのかぶき」「インド舞踊を訪ねて」改題/「演劇界」30巻4・5号 昭和47年4・5月/『地底の骨』(アルドオ)収録)
 劇という宗教儀式――クリヤッタム (オフィス・アジア主催公演「クリヤッタム」プログラム 昭和63年7月)
 インドの道で (「インドの道で出会った音楽」改題/東芝レコード「インド音楽舞踊の旅」別冊付録 昭和48年/『地底の骨』収録)
 新中国の芸能 (「芸能復興」10号 昭和31年8月)
 長安細雨 (「悲劇喜劇」394号 昭和58年8月)
 碧眼の名旦、夏華達に会うの記 (「演劇界」43巻2号 昭和60年2月)
 成都に川劇を観る (「演劇界」45巻8号 昭和62年7月)
 かぶきと京劇の立廻りについて (中国京劇院三団招聘公演「歌舞伎・京劇 立廻り比較公演」プログラム 昭和60年3月)
 かぶきに入った京劇の意匠 (国際交流基金主催「中国錦繍展」図録 昭和57年9月)
 北京の春節 (「北海道新聞」昭和63年1月8日夕刊)
 四川の春 (「北海道新聞」昭和63年5月11日夕刊)
 南音紀行 (「悲劇喜劇」461号 平成元年3月)
 インドネシアの旅 (「外史とのインドネシヤの旅」改題/「ガイ氏瓦版」10号 平成元年1月)
 影絵夢幻――ジャワ・バリの旅 「北海道新聞」平成元年2月17日夕刊)
 広島のマンクヌゴロ王家舞踊団の印象 (「ゴロゴロ通信」12号 平成元年10月)
 芸能世界に生きる竜 (「アニマ」15巻14号 昭和62年12月)
 日本における玄宗と楊貴妃の芸能 (中国上海昆劇団公演「長生殿」プログラム 昭和63年9月)
 日本の花軍 (四川省芙蓉花川劇団公演プログラム 平成2年5月)
 日本の鍾馗 (「日本の鍾馗さま」改題/日本文化財団「鍾馗さま」プログラム 平成元年5月)
 江戸の関羽 (「邦楽と舞踊」41巻1号 平成2年1月 「歌舞伎舞踊の研究・御名残押絵交張」のうち)

解題
 山路興造 郡司学の方法 絵画資料と民俗芸能

初出一覧




◆本書より◆


「芸能の発想と文学」より:

「かぶき台本が、公刊されることを、永いあいだ拒否してきたのは、あくまでも完成度をモットーとする文学性を拒否しようとした、ハプニングの力を承認した無意識の抵抗があったのだとおもう。」


「演劇とフォークロア」より:

「いま、直接には、お政の伝記は必要としないので、それには触れない。ただ、毒婦として喧伝され、刑を終えて娑婆へ出てきた者が、なぜ役者となって自分の行為を芝居に仕組み、みずからその正体を見せてきたのだろうかということである。本題にかかわる点があるとしたら、ここに演劇と民俗の問題があるのではないかということである。」
「その後、三十二年の「五寸釘寅吉」、三十六年の「花井お梅」など、みなみずから舞台に立った刑余の人々である。
 花井お梅は、箱屋殺しとして、いっそう有名で、いまもなお「明治一代女」の名で、新派の重要なレパートリーの一つになっているが、お梅本人も、三十六年に特赦で出獄したあとは、やはり女役者になって、自分の罪跡を仕組んだ芝居をして歩いている。」
「たんに犯罪者に対する好奇心はむろんながら、実は、ここに民俗としての演劇の本質にかかわってくるパターンが隠されているようにおもわれる。
 まず第一は、見世物になるパターンである。それは、それらの罪業の数々を見てもらい、聞いてもらわなくては、その因果の果てを尽くすことにならないという心意伝承である。見世物のうちの因果物は、こうして成立する。」
「もっとも新しくおこった例では、昭和四十三年に没した、大石順教尼である。明治三十八年、大阪堀江の廓で六人斬りという惨劇が世間を騒がせた。そこの楼主が嫉妬に狂って、五人が殺され、その生き残りの一人が、この順教尼の、当時、当家の養女として芸妓に出ていた十八歳の妻吉で、文字どおりの巻き添えであった。それも両腕を切り落とされたのだから、やはり興行者の手にかかり、因果物扱いで、世にも珍しい娘芸人松川妻吉という触れ込みで全国を廻り、小屋掛で唄い、また踊ったのである。彼女自身、その自伝『妻吉物語・無手の法悦』(昭和二十四年版)に、

  私の寄席での売物は外でもありません「不具者」といふ事なのです。「両腕のない六人斬りの生き残りの女」といふのが売り物で、私は表面こそ高座では笑顔でゐましても心の中では泣きながら生きてゆかねばなりませんでした。さうした親娘三人の生活――

と書いている。」
「この妻吉の場合は、別に犯罪者ではない。ただ飛ばっちりを食っただけのことであるが、それでも、養父に両腕を切られたのは、なにかの因縁であるとして扱われたことはまちがいない。そうでなkれば、仏門に入り、教団に属し、順教尼となって説教をして歩かなくともよかったとおもわれる。」
「彼女には、歌や踊の素養があり、のちには口で字や絵を描いたが、芝居はしなかった。しかし、自伝によれば、先に川上音二郎から一座へ出るようにと勧められ、貞奴もわざわざ出向いて来たというが、両腕のないものになにができるものかとおもい、兄も「俺れはよね(妻吉の本名)を見せ物にはせん」といったという。つまり、新派が、両腕のない妻吉を買いにきたこと、そして、それを「見せ物にはせん」と兄が断ったのは、芝居と見世物を、あきらかに同一視していることによったのである。両腕を落とし、両足を切ってまで舞台で芝居したのは、三代目沢村田之助であった。田之助に因果譚みたいなものが、やはり出版されているのは、その面影に、役者の業を見物が二重にみたからである。」
「江戸時代に、願人坊主という街頭の乞食坊主があった。『嬉遊笑覧』は「もとより乞食にて代待代垢離かきなとして有しもの故願人とはいふなり」という。代参、代詣、代待、代垢離などを引き受けて、代りに願人となる者の謂(い)いである。すたすた坊主などという裸形の者も、代垢離姿の願人である。つまり、人の罪業、穢れなどを引き受けて、わずかな賽銭を受けて願参りをする坊主のことである。それらは社会の秩序の外にあった、坊主という賤民世捨人である。賤民世捨人といえば、中世の能役者ももと阿弥号をもつ僧形の世捨人であり、猿楽法師であった。かぶき俳優こそは、僧籍などではないが、士農工商の四階級の認められた社会制度外の人間、つまり制外人(にんがいにん)であって、社会の埒外におかれている地位はおなじなのである。
 その俳優は、社会人の罪業・悪徳・汚穢を一身に引き受ける役を舞台で演じたのである。かぶきは、まず「念仏踊」からはじまった。殺される役、斬られる役、幽霊の役、悔恨と懺悔を、「物語」や「くどき」で表現するのが、そのクライマックスであった。見物は、それゆえに自分らの世の姿を見、浄化されるのである。
 生きながら社会の埒外にはみ出して、死を語り、死霊となって冥府の有様をみせるというのが能の本質であり、浄るりも、かぶきも、そうした伝承を受け継がないわけはなかった。」
「生きているうちに立てる塔婆を寿塔(じゅとう)というそうであるが、死の病にあるとき、死んだものとしてこの寿塔を立て、いったんこの世から、みずから葬って、生きのびる方法である。だれがいつ考え出したものであるかしらぬが、民俗としてこの国に残っている。(中略)これは一種の生まれ替わりの思想から出たものだといっていい。いったん死んだことにして生まれ替わるのである。そのためには、一度世を捨てねばならない。重い病いを得たときに出家するのもおなじことで、この世を捨てることによって生きのびる方法であった。
 その代役を、舞台で勤めるのが俳優の本質にあった。俳優に、忌み嫌われる面と、めでたい二様の面があるのはそれである。もと、巫覡(ふげき)より出て、生き身の憑坐(よりしろ)となった点に、その本質がある。心中・殺人・犯罪などで死んだ人物を、舞台に招きよせ、みずから憑坐となって、その因果の業を、語り、くどく技術が俳優であったとすれば、世話物は、というより、劇は、そこから出発し、その底流にそれが、つねに流れていることになる。」
「みずから尼となって、生まれ替わった毒婦といわれる者が、過去の罪業を懺悔することによって弔い、また人にも示して、役者となったのは、世阿弥とおなじく、世捨人が役者となるべき資格と伝承があったからである。」



「小屋・見物」より:

「もともと舞台は、見てはならぬものが見える場所であり、空間であったともいえる。
 幼き日に、北海道の地平線が暮れて、祭の夜がやってくると、興行師は、大きなスクリーンを、曠野を遮断するように張って、これに年に一度の活動写真を映し出した。私の印象に残っているのは、のちに知ったのであるが、「蘆屋道満大内鑑」の葛の葉狐の物語であった。野原に狩り出されて遁げてくる白狐の姿が映し出されたとき、子供の私は、そのスクリーンの裏と表を幾度も行き来して、空間の不思議な世界を知ったのであるが、幕の裏側という魅力は、遁れ難い舞台の魅力でもあり、劇場の魅力に繋がっていたにちがいない。」

「つまり演劇とは、劇を演ずるなどというものではなく、(中略)劇場を幻想小屋化することではなかったか。いわば乞食小屋・非人小屋・見世物小屋・芝居小屋の小屋の、魅力的な魔のパワーを秘めている姿に還元することではなかったのか。」

「原始に、観客はない。(中略)古代の秘儀は、すべて参加であって、祭祀にかかわりなく見物するなどということは許されようもないことであった。」

「物見の「もの」は、もと見てはならないものの「もの」で、魂とか、カミとか、霊とかを指していったのである。」
「沖縄では、普通の人の見えないものを視ることのできる人を「シー高い人」という。いわば巫覡性をもつ人である。また、そういう場所のことも「シータカイ」という。霊が集まる場所である。これはまた舞台でもあった。能は幽霊劇などともいわれるように、すべて、神や霊が主人公として登場してくる劇であるが、舞台は、そういう「もの」の集まる、あるいは集める場であり、アメノウズメが、招魂・鎮魂をおこなってきた「槽(うけ)」の伝統をもつものでもあった。」
「見物は、見てはならぬものを見たとすれば、一種の犯罪人である。祭というものの犯罪性は、その共同犯行にある。祭という一夜の秘密結社性こそが、演劇のパワーの根元であろうとおもう。」
「江戸時代の芝居は、遊里とともに悪所とされていたが、その悪所へ踏み込む者は、一種の犯罪者にちがいはない。遊里の人々も芝居の人々もともに制外者であった。こうしたなかで生まれた心意気が、芝居を支えてきたのである。」
「当時、劇場への道は、刑務所の入口へと繋がっていたのである。」
「そもそもかぶきの発祥地である京の四条河原が戦国期の死体捨場であり、焼却場であり、刑場であって、念仏聖(ひじり)の念仏場であり、そして出雲のお国の念仏踊は、ここに始まったのである。劇場という芝居小屋は、こうした死体廃棄場の空間と共栄したのであった。悪所のこうした構造は、至るところに指摘することができる。前衛演劇が限りなく小屋に憧れ、「小屋者」をもって自認するのは、アングラが原点の復権を叫ぶものとして、既成の演劇に対する殴り込みのパワーの源泉をもつ以前の闇黒の世界がものをいっているのだといっていい。北方や闇黒へ向かう志向性も、本来、演劇の悪所としての死の世界からの教唆によるもので、あるいは、見物とは、すでに、この世で、亡者になっている人々の魂ではないかとすら想えてくる。」



「仮面と化粧」より:

「人間が日常の生活を脱して、もう一つ別の次元を獲得しようとするとき、自己を変身させる手段として、仮面ならびに化粧の表現手段があるのだといえよう。」


「住宅における幻想空間」より:

「住宅における空間という点だけからすると、無駄な空間がないということが、第一に息苦しくさせている原因ではないかとおもう。子供の頃育った地方の家の中には、子供の秘密な場所が、二、三箇所はあったものだ。それは(中略)ちょっとした廊下の突きあたりの庇の下とか、押入でもよかったのだが、今日びの都会の住宅の押入などというものは、もう子供たちが隠れんぼするような空間すらないといっていい。」
「いま考えるだけでも、誰も住みついていない廊下は、子供にとって、一つの自分の空間王国であった。」
「その廊下は、表の大道の写しでもある遊び空間でもあった。開放的な表とちがって、廊下は独り遊びの空間であり、行き止まりの小路でもあった。ぼんやりと光線が流れ、風が吹き抜ける。よその猫が忍び込み、ときには雀の子が迷い込む空間でもあった。誰のものでもないこうした空間は、空想が忍び寄るにはまことに都合がよかった。
 生活の場とは何だ、住み心地のよいということは、どんなことをいうのか。私は、人間がはみ出した情況にあるときに、居る空間があることではないかとおもったりすることがある。」





































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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