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郡司正勝 『芸能の足跡』 

「宮城県の銀鏡(しろみ)の神楽は、まず「星の舞」の一番から始まる。つまり宵宮だけに舞われるのであるが、この舞は、立願のために舞うのだといわれ、芝居で出てくる天下国家を覆さんとする国崩しの謀叛人は、かならず星を祀って、その大願成就を願ったのである。」
(郡司正勝 「芸能の足跡」 より)


郡司正勝 
『芸能の足跡
― 郡司正勝
遺稿集』 

編集: 須永朝彦


柏書房 
2001年11月1日 第1刷発行
446p 
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価3,800円+税
装幀: 石黒紀夫
挿画: 郡司正勝



著者による挿画(扉カット)7点、本文中図版(モノクロ)5点。



郡司正勝 芸能の足跡 01



帯文:

「昭和戦後の歌舞伎研究に画期的な方法を導入して
幾多の成果を挙げ、〈郡司学〉とまで称された
著者晩年の豊かな穣りの景色。待望の遺稿集。
歌舞伎を軸に古代の舞踊から能や民俗芸能、
また日本文化の心意伝承に及ぶ珠玉の論考を一巻に。」



帯背:

「読ませる
古典芸能論」



目次:

 Ⅰ
芸能の足跡 (「演劇界」 1990年1~12月号)
 寅の一点
 鍾馗舞
 九尾狐のルーツ
 庚申の夜
 粂の平内
 大力の女
 伴内と番内
 字舞
 不死身
 誰が袖
 楽屋の神様
 病鉢巻のルート
近世演劇の誕生 (岩波講座 『歌舞伎・文楽』 第一巻 1997年9月)
 1 「かぶき」の時代と位置
 2 「かぶき」の出発とその本質
 3 五条河原とかぶきの発祥
 4 「ややこ踊」について
 5 「かぶき踊」について
 6 「狂言歌舞妓」について
劇場を読む (「文学」 1987年4月号)
江戸の発想 (「TBS調査情報」 264、1981年2月)
かぶきと能の変身・変化 (「自然と文化」 19号、1987年12月)
 北斗七星と七変化
 変化の語源
 化身事
 能とかぶきの変身の形象化
かぶき演出のなかの儀礼――忘れても忘れえざる絵空事の秘めごと (「儀礼文化」 9号、1987年3月、1984年4月14日・儀礼文化学会大会講演)
元禄江戸かぶきが生んだ「打擲事(ちょうちゃくごと)」 (岩波書店・新日本古典文学大系 96 『江戸歌舞伎集』 付録、1997年11月)
かぶきと色子 (「文学」 1995年1月号)

 Ⅱ
黒衣論――黒は影か (「is」 67号、1995年3月)
歌舞伎衣裳の色彩 (講談社 『日本の美と文化 16 きものと文様』、1983年12月)
色とかたち (「國文學」 1996年3月号)
かぶき台本の性格 (北大国文学会創立40周年記念 「刷りものの表現と享受」、1989年11月)
芝居の台帳の性格 (八木書店版・天理図書館善本叢書 66 『仮名曾我当蓬萊』 月報 61、1984年5月)
かぶきの稽古について (「演劇」 34号、1992年5月)
かぶきの正月 (「北海道新聞」 1995年1月5日)
かぶきの桜 (「嗜好」 534号、1995年3月)
動く木働く木 (「嗜好」 別冊 〈木ブック〉、1992年3月)
水を見せる道具仕立 (「草月」 167号、1986年8月)
歌舞音曲の間 (「広邸好人」 1995年8月号)
役者と役者絵 (「歌舞伎」 別冊 「歌舞伎入門と鑑賞」、1978年4月)
役者大首絵について――五世尾上菊五郎の麗姿 国周画「梅幸百種」展講演要旨 (「館報池田文庫」 5、1994年4月)
浮世絵から写真へ (「國文學」 1995年9月号)
歌舞伎の東京 (「現代詩手帖」 1978年7月号)

 Ⅲ
大石内蔵助の虚像と実像 (「日本古典文学会々報」 44号、1976年11月)
 大岸宮内
 家老役という虚像
 大石良雄の実像
「仮名手本」の二人の不義士 (「國文學」 1986年12月号)
南北の金 (「悲劇喜劇」 483号、1991年1月)
「悪婆」と「毒婦」 (「江戸文学」 12号、1994年7月)
田之助と悪婆時代 (ペヨトル工房版 『歌舞伎はともだち③三代目澤村田之助』 1996年3月)
外郎売と御霊神 (歌舞伎座團菊祭筋書、1993年5月)
お七曼陀羅 (国立劇場第135回歌舞伎公演筋書、1986年1月)
道行初音旅 (国立劇場第169回歌舞伎公演筋書、1991年11月)
幽霊は壁を通る (「is」 53号、1991年9月)
日本の亡霊 (「季刊邦楽」 27号、1981年6月)
幽霊の故郷 (「つち」 88号、1984年8月)

 Ⅳ
能と、そのあとに来るもの (「國文學」 1983年10月号)
見てはならぬ芸能 (重要無形文化財「雅楽」特別鑑賞会第10回プログラム、1998年1月)
日本最古の舞踊 (重要無形文化財「雅楽」特別鑑賞会第7回ブログラム、1995年2月)
国風の歌舞のこと (重要無形文化財「雅楽」特別鑑賞会第9回プログラム、1997年3月)
日本の仮面と舞踊 (重要無形文化財「雅楽」特別鑑賞会第5回公演プログラム、1993年1月)
 一、伎楽の時代
 二、舞楽の時代
 三、能の時代
 四、仮面の民俗舞踊
日本の「地獄」の芸能 (パリ・アトリエ舞踏団「新曲」プログラム、1995年4月)
火と水の饗宴 (「月刊文化財」 1982年8月号)
「老い」のかたち (「アーガマ」 129号、1993年12月)
見せるものではない盆踊 (『本田安次著作集』 第10巻付録、1996年9月)
南阿蘇の「にわか」 (「北海道新聞」 1996年11月6日夕刊)
アジア芸能圏のなかの日本の伝統芸能 (「しにか」 1995年6月号)
チルボンの憑依舞踊 (「ゴロゴロ通信 gara gara」 22号、1994年10月)

 Ⅴ
偽りの山 (「is」 59号、1993年3月)
 俗なる山と山師
 山のイリュージョン
 偽物を楽しむ
花鳥風月の系譜 (花と緑の博覧会・印刷物 「花鳥風月祭」、1990年4月)
 花鳥風月という言葉
 「風月」という言葉
 見立てるということ
 花鳥が主人公の劇舞踊
 江戸風流としての花鳥
瑞祥の「花」、循環する生命 (NHKエンタープライズ 『花宇宙 アジアの染め・織り・飾り』 1992年7月)
江戸の芸術 (「國文學」 1990年8月号)
廓のこと (「國文學」 1993年8月号)
江戸時代の中国劇の知識 (「未名」 8号、1989年12月)
日本の三国志 (徽劇公演プログラム、1993年5月)
雛の位置 (『NHK徳川美術館』①、1988年12月)
耳なし譚 (「北海道新聞」 1992年3月4日夕刊)
四季の源流 (「CEL」 32~35号、1995年3・6・9・12月)
 春の源流
 夏の源流
 秋の源流
 冬の源流
忘れゆく美 (「東京新聞」 1984年5月12・19・26日夕刊)
 曖昧さについて
 見せてはならぬもの
 貧と潔癖について
「続く」ということ (「野萩青少年育成財団」 10号、1989年7月)

 Ⅵ
かぶき道――私の中の歴史 (「北海道新聞」 1993年8月2~12日、聞き手・山口勝次郎記者)

編集後記 (須永朝彦)




郡司正勝 芸能の足跡 02



◆本書より◆


「芸能の足跡」「寅の一点」より:

「寅の一点は、暁天の三時から五時にかけての時刻の始めで、北斗星の柄(斗柄という)が寅の方向を指すのが正月であった。
 西宮の夷(えびす)舞わしが「西の宮の恵比須三郎左衛門の尉(じょう)、生れ月日は何時(いつ)ぞと問へば、福徳元年正月三日、寅の一点」などといって、夷人形を遣ってきたのである。」
「この初寅を定める基準は、冬至から数えるのである。十一月朔日(ついたち)は、星の化身とされる妙見の冬至の星祭の日で、妙見詣をする。」
「宮城県の銀鏡(しろみ)の神楽は、まず「星の舞」の一番から始まる。つまり宵宮だけに舞われるのであるが、この舞は、立願のために舞うのだといわれ、芝居で出てくる天下国家を覆さんとする国崩しの謀叛人は、かならず星を祀って、その大願成就を願ったのである。「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の入鹿とてもその例を漏れるものでない。大判事の遅参を叱した入鹿が「アレ見よ、今日は午の上刻。流星南に出でて北に拱(たんだく)するは。万乗の位に即く丸(まろ)が吉星。それ程の事知らぬ大判事でなし」といっている。
 しかも「月は西の嶺にかくれ、星は北の空に集まる頃」は、幽霊が出現する(『伽婢子』「金閣寺の幽霊に契る」)。さすれば、ハムレットが、父王の亡霊に出合うのも、まさしく地獄の口があくといわれる「北斗星の西に当る、あれ、あの星が、恰ど唯今光りをる辺へ参つたるころ」(「ハムレット」坪内逍遙訳)であった。ハムレットの叛逆の兆しは、このときに吹き込まれるのである。」



「劇場を読む」より:

「能楽における造り物は、その系統として、かぶきにも承け継がれている。上方で大道具を造り物と称してきたのは、伝統性の強い風土によるとおもうが、かぶきにおける大道具は、それとは別に、祭礼のときの山車の機巧とその性質を同じくするものであった。
 したがって、舞台そのものが、山車の風流の仕掛を導入したものといえる。しかも舞台は常に動こうとしている点が、能舞台や能の造り物と違うところである。」
「かぶきの舞台は、はじめから野外的な空間をもつものだといってよかった。」
「つまり大道具は、祭礼の山車であり、風流の飾物であり、仕掛ものである。これは、演劇の背景ともまたちがうもので、その証拠には、大道具のセリ出しは、囃子が伴わないと動かない。大道具自体が主役であって、その上に乗っている人物は、人間の餝りものにすぎないのである。」
「明和七年十二月廿七日より大坂の小川座にかかった、並木正三の「桑名屋徳蔵入船物語」は、その大道具の変化の極致をみせたものであった。深川の遊里が、そのまま居所替りで、遠州灘の檜垣舟に変ずる道具である。台本によると、若殿の亀次郎に、家老の多度津一角が「コレ、阿房殿、こなたは此処を鎌倉の深川ぢやと思うて御座るか」というと、亀次郎が「深川でなうて、そんなら此処はどこぢや」と急(せ)いていうと、一角が「此処は遠州灘の大難所で御座るわいの」というと同時に、二重舞台前の蹴込みが舟の縁に返る。(中略)こうした大仕掛の大道具の変化は、この期に至って美事に絶頂をきわめているといってよい。」

「「御船」と舞台をいうのは、今日の文楽の「船底」と呼ぶのと同意であろう。かぶきの劇場の見物席にも「引舟」とか「後舟」とかいう名称が残っていたのも、なんらかの心意伝承があろう。かぶきの舞台が、両花道を備えて土間・切落しの客席を囲っているのも、舟であり、この見物席を取り囲んだ空間それ自体が舞台であったといえる。
 かぶきの演出では、しばしば見物席すらもが舞台になった。『かぶき草子』(大谷本)によれば、出雲の阿国は、見物人を舞台に引き上げて一緒に踊ったし、名古屋山三の亡霊に扮した役者は、見物の中から舞台へ上がった。こうした演出は、元禄時代では盛んに行なわれたもので、(中略)見物席のなかを逃げ廻る趣向は再三あったし、(中略)桟敷を舞台とした例も一二ではなかった。」
「しかも、見物席が、舞台の上まであったので、(中略)席のない舞台に自由に坐り込んだのは、里神楽の神楽殿さながらで、(中略)つまり演劇空間は、舞台と見物席の別があっても、自由に位置転換を行なったのが、かぶき本来の劇場意義であったといえる。」



「かぶき演出のなかの儀礼」より:

「我々はその京劇を拝見しまして、「あっ、かぶきにも昔こんなものあったが、それがどうしてなくなっていったのか」と気づくことがございます。(中略)たとえば、梅葆玖という方が得意にしている出しもので、楊貴妃が酔っ払う芝居がございます。「貴妃酔酒」と申します。これは梅蘭芳の当り役でございまして、(中略)これを拝見しておりますと、まあ、劇的なストーリーなんていうものは別にございません。一時間十五分の間、楊貴妃が酔っ払う所作だけでございます。これはやっぱり驚きでございますね。ただかぶきにも昔はこのことがあったのだと、心に思いあたることがございます。とかくかぶきでは、腹を切ってから長々とその一場の物語をする、腹を切って三十分も、それは人間がもつはずのものではない。その間の回想シーンをずっと引き伸ばしたものを見せる、これがあの芸だったと思います。ですから、人間の動作の一部を非常に引き伸ばして、そしてそれを回想して見せる、というのがかぶきの芸にも昔はあった。それが今日はストーリーばかりを追うようになりまして、その芸がみんな脱落していってしまう。」


「黒衣論」より:

「黒衣は無くていいということでなく、晴れの舞台の介添役として、立派な後見の一種であり、儀式としての目立つ重要な役目なのである。人形芝居で、開幕に先立って口上を述べるのは、やはり黒衣である。したがって、いつでも主役に故障の起ったときは、代役しなければならぬ実力を持っていなければ勤まらぬ役なのである。(中略)影の支え、影の力が黒衣の役目だといっていい。無い者だと想えという約束ではないのである。黒い色は、力の象徴とみてよいのかも知れぬ。」
「隠れることによって目立つという、黒の芸能の美学といっていい。」



「色とかたち」より:

「昨年、白内障で右の一眼を手術し、人工膜を入れて気のついたのは、両眼の色彩感覚の差異である。義眼の人工網膜の方は硝子質だから水色で、青空など見ると青色が鮮やかに増加されるが、手術しない左の肉眼の方は、黄色がかった世界であることに気がついた。」

「「青」は、かぶきでは庶民の色である。たとえば「菅原伝授手習鑑」の武部源蔵、「忠臣蔵」の六段目の早野勘平など、武士にしても身分の低い落魄(おちぶ)れた者が着る衣裳の色である。そして、それらの者と苦労をともにする女房たちのほとんどの衣裳は浅葱(浅黄)色である。これは中国の京劇でも同じで、「青衣旦」という、貧しいが節婦という女方(旦)の役柄がある。おそらく、この青色は「青人草」からきた感覚で、高山彦九郎ではないが「草莽(そうもう)の臣」の草原の色で、日本人にとっては、青色も緑色も「あを」なのである。二月堂のお水取りにあらわれる「青衣の女人」も、たんに青色の衣服を着た女性というのではなく、名もなき民草の女性ということの記号色なのだといえる。」
「青色の布は、紺屋が染める。水色と紫色のあいだが「紺青」で、「紺碧」ともいう。江戸時代には、紅染屋と区別され、「青屋」といって賤民扱いされ、「駄染屋」といわれた商売であった。江戸を代表するかぶき作者鶴屋南北も、浮世絵師の傑物歌川国芳も、紺屋世界の出身者であった。その発想や意匠の奇抜さは、その出自に由来するところが多いとみたい。
 青色には、白色と紛れる方向と、反対色の黒色へゆく道があった。」

「祇園の下級神人「犬神人(つるめそ)」の衣服は柿色であった。(中略)黙阿弥の「網模様燈籠菊桐」の中間小猿七之助が、身分が上の御守殿の滝川を犯す「洲崎土手の場」の扮装は、紺看板に赤合羽というなりである。紺色も赤合羽の柿色も下賤の色である。これに対して、滝川は白地の衣裳となる。これで、色が色を犯す芝居となるのである。魔道に堕ち、天下を覆さんと天魔となった崇徳院は「柿の御衣に篠懸(すずかけ)」(謡曲「松山天狗」のアイ)という禍々しい御姿となった。」



「かぶきの桜」より:

「おなじく所作事で、有名なのが「関の扉」の桜で、これは雪中に返り咲きした墨染桜の精が、傾城となって現われるという幻想的なもので、桜の精は、のちに薄鼠地の着付に枝垂桜の模様で、桜の大木の洞(うろ)から出現し、桜の枝をもっての立廻りになると、華やかなトキ色に枝垂桜の模様の着付にぶっ返る。」

「「祇園祭礼信仰記」の「金閣寺の場」では、桜の大樹に縛られた狩野雪姫が、縄付きのまま、散る桜の花片を足先で集めて鼠を描くと、白鼠があらわれて縄を嚙み切るという奇跡を見せるが、この場のことを「爪先鼠」という。」



「歌舞伎の東京」より:

「明治二十四年の一月に、歌舞伎座で、黙阿弥作の「風船乗」が上演された。常磐津の大切所作事で、本名題を「風船乗評判高閣(うわさのたかどの)」といった。当時、来朝して評判の高かった英人のスペンサーの風船乗りと、前年に完成した浅草の十二階を舞台で見せようというものである。
 前場は、上野公園博物館前の場で、スペンサーを待つ見物の雑踏する新風俗を見せ、五代目尾上菊五郎が、黒のシャッポに鼠色の洋服で出て、軽気球に乗りこんでビラを撒く。軽気球は宙乗りで上ってゆくと、道具が替って空中となり、子役が遠見のスペンサーとなって、軽気球から落下傘に飛び移ると、本役のスペンサーに入れ替って、落下傘のまま奈落へ下りてゆく。また上野の場になって、人力車に乗ったスペンサーが出で、ガス樽の上で、英語の演説をする。
 次に、浅草の凌雲閣(十二階)の場に替って、風船をみてから酉の市へゆく、菊五郎二役の三遊亭円朝で出るといったもので、常磐津や清元に西洋音楽を加えたかなりの際物であったから、初演だけで終ったが、上野公園博物館前とか、浅草の十二階の場など、江戸では見られなかった新東京の風景が舞台になった。」
「時計を出してみて、もう昇る時刻だなどともいう。浅草公園の場は、江戸時代とおなじ観音堂や茶屋の風景でありながら、その後に、煉瓦造りの凌雲閣の十二階をニョッキリとみせたところは江戸と東京の新旧を目のあたり、その異和感こそが東京だといってよかった。」



「「悪婆」と「毒婦」」より:

「「悪」という字は、道徳的にわるいという語に、後世になって統一されてしまったが、もとはむしろ剛(つよ)い、あばれ者などを意味している例は、いまさらいうまでもなく、悪七兵衛景清をはじめ、藤原頼長の悪左府、悪源太義平のごとく、狂言の「悪太郎」のごとく、社会の秩序に抗した者に冠せられたもので、彼らは一方のスターだといってよかった。」


「見てはならぬ芸能」より:

「「見てはならぬ芸能」。したがって「見せてはならぬ芸能」を、宮中の御(み)神楽をもって第一とする。
 ご存じのように、神楽には「御神楽」と「里(郷)神楽」がある。宮中のを「御神楽」、そのほか国々地方の神社の神に仕える楽を「里神楽」という。われわれは里神楽は見ることができるが、御神楽はふつう見ることができない。里神楽は御神楽の「もどき」である。したがってわれわれは、もどきの芸能は見ることができるが、その本体は拝むことができない。それは神の所作だからである。」

「本来「あそぶ」とは神の所作をいったもので、東北地方の「いたこ」がおしら神を遣うのを「おしら遊び」といっている。(中略)「遊び」とは、もっとも神に近い行動・行為のことであった。」



「日本の仮面と舞踊」より:

「かぶきは、仮面を捨てた踊に始まるのであるが、趣向として面を使うものがある。古くから「後面(うしろめん)」と称して、頭の後に面をつけて、前後で、別人格となって踊り分けるのが特色であった。男女となったり狐が化けたりするのである。」


「忘れゆく美」「曖昧さについて」より:

「曖昧さというと、道徳的には後ろ暗い貌で悪徳となりそうだが、美の世界では倫理を越えた境地である。そして、明瞭さというものが人間を生かすかどうかは、すこぶる疑問であろう。
 近代の機械文明のなかでも、電気照明は文明の重要な尺度となっているが、その精巧さは曖昧の世界を止めどもなく追い出してしまったように思える。だれか、電気照明の明るさのなかで滅んでしまったものを数えたことがあったろうか。」
「芸術はこうして追い詰められて、誤解を惧(おそ)れず高揚する場を失い、誤りを許されずに低姿勢を強いられてゆくのであろうか。完成度というものを否定してきたこの国の伝統的美意識は変貌せざるをえないのであろう。」



「かぶき道」より:

「昨年夏、長崎県の対馬で見た盆踊は、特定の家の青年、それも長男だけで十二人が、位牌を並べたお寺の縁側の前で踊っていました。崖ぷちの狭い場所で電気もなく、真暗なところで子供が何人か見ているだけで、私が行ったら「見せるものじゃない」といわれました。
 聞かせてはならない歌、見せない芸能というものがあることを改めて実感しました。」






こちらもご参照ください:

服部幸雄 『江戸の芝居絵を読む』
守屋毅 『中世芸能の幻像』
網野善彦 『悪党と海賊』 (叢書・歴史学研究)
白川静 『文字逍遥』 (平凡社ライブラリー)
細馬宏通 『浅草十二階』









































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郡司正勝 『かぶき ― 様式と伝承』 (ちくま学芸文庫)

郡司正勝 
『かぶき
― 様式と伝承』
 
ちくま学芸文庫 ク-12-1 

筑摩書房
2005年2月10日 第1刷発行
511p
文庫判 並装 カバー
定価1,500円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 渡辺千尋
装画: 「四条河原遊楽図屏風」(部分)


「本書は一九五四年、寧楽書房より刊行されたのち、一九六九年七月、學藝書林より再刊された。本文庫は、學藝書林版第二刷(一九七六年九月刊)を底本とした。」



本文中図版(モノクロ)多数。

本書収録論文中、「力者とその芸能」「河原者と芸術」「猿若の研究」「道化の誕生」は岩波現代文庫版『かぶき発生史論集』に、「「かるわざ」の系譜」「たての源流」「六法源流考」「猿若の研究」「三味線の登場」は『郡司正勝刪定集』に収録されています。


郡司正勝 かぶき


帯文:

「芸能研究の金字塔
かぶきに結実する芸の源流と変遷を追う」



カバー裏文:

「日本の芸能研究に大きな足跡を刻んだ著者の、幻の名著。荒事、悪態、かるわざ、六法などかぶきの様式の源流について、また猿若、道化といった役柄の出現と変遷について、さらにそうした芸能を担った人々の実像について、独自な視点で掘り下げた、克明な実証的研究。既成の演劇理論に捉われず、広く民俗芸能を視野に入れ、社会史・風俗史からのアプローチも取り入れて、時代の息吹のなかでのかぶき生成の実相に迫った本書は、その後の研究に大きな影響を与えた。」


目次:

序(初版) (河竹繁俊)

第一編 かぶきの様式
 饗宴の芸術――かぶきの本質とその様式
 荒事の成立
  荒事の意義
  荒事における民話力
  荒事とその表現
  見得とつけ
  「草摺引」の意義
  押戻しの意義
  力紙考
  仁王襷考
 悪態の芸術
  悪態の饗宴
  悪態の式典化
  悪態の家系
  悪態のスタイル
  悪態狂言の系譜
  悪態の環境と本質
 髪梳の系譜
  髪梳の発想
  風呂上り
  髪梳の演出
  髪梳の唄
  髪梳とめりやす
  髪梳という愛情の表現
  髪を梳く恐怖
  髪梳の伴奏
  嫉妬と変貌の様式
  怨恨と哀傷の唄
 「かるわざ」の系譜
  蜘舞の流行とその伝承
  蜘舞の源流と変貌
  蜘舞の行なわれた場所と携った人々
  早雲長吉とかぶきに入った蜘舞
  かぶきにおける蜘舞の技術
  かるわざと戯曲の結合
  かるわざと所作事
  怨霊事、ケレン、宙乗り
 たての源流
  「たて」と軽業
  かぶきに入った棒踊
  棒踊の流布と伝承
  棒の性質とその芸能化
 六法源流考
  「歩く芸」の系譜
  「練」とその伝統
  六方と六方衆
  技術としての「練」
  「振る」と「踏む」と
 出端と引込みのノート
  「出端」と「引込み」の意義と変遷
  出端の性格
  「引込み」の性格

第二編 かぶきの成立
 力者とその芸能
  力者の社会的地位
  力者の職業
  力者と芸能
 河原者と芸術
  河原者の芸術
  河原者とその職業
  河原者と劇場
  河原者とかぶき子
  河原者ときやり
 猿若の研究
  文献にあらわれた猿若および従来の学説
  猿若のあらわれた画証
  民俗舞踊における猿若の発見
  猿若とシンポチ
  猿楽と猿若の関係について
  狂言師と猿若の関係について
  猿若の扮装術
  猿若の芸能
  猿若狂言の変遷
  猿若狂言の成立
  道化としての猿若の性格
  猿若の喪失と道化方の出現
  猿若の史的位相
 道化の誕生
  「どうけ」という名称
  どうけの出現
  初期どうけの地位
  どうけの扮装術
  初期どうけ方の劇術
  どうけの役柄
  奴・六方・丹前
  半道について
  初期どうけ方一覧
 のろま管見
  のろまの発生
  のろまの先駆者
  のろまの後継者
  のろまとそろま
  間狂言としてののろま
  のろまの劇術
  のろまの扮装
  のろまの性格
  のろまの演出
  のろまの衰退
  のろまの復興
  佐渡ののろま
 茶かぶき
  「かぶき茶」とその性格
  唐様の茶会について
  茶会における芸能
  茶会から歌舞伎へ
  茶屋の街頭進出
  遊女の茶会とその演劇性
  茶会の狂言「茶湯丹前」
 三味線の登場
  三味線登場の日
  三味線の座とその弾奏者
  三味線の座席
  座席を飾るもの

あとがき
復刊あとがき

解説 いまここにない歌舞伎への憧憬 (古井戸秀夫)

索引




◆本書より◆


「饗宴の芸術」より:

「かぶき十八番に「毛抜」という狂言がある。その主人公は、しばしば演技なかばで見物に話しかけ、相談をもちかけるのである。侍女や若衆にしなだれかかって、振られると、この英雄の主人公は、自分の醜態を見物に向かって「近頃面目次第もありませぬ」と謝る。見物は、ここで劇中人物と俳優の二重の親近性を感じて声をあげて喜び、この一齣は完成するのである。(中略)また「義経腰越状」の五斗兵衛は、花道に立って「俺が酒をのむのが無理か、どうだ」と見物席に向って意見を求める。観客の中から「尤(もっと)もだ」という声がかかると、劇はさらに進行する。『ピーターパン』のフィヤリーが弱ってくると、見物に拍手を求め、ふたたび元気を吹き返す格であるが、これらを仮に見物との共同演出といったのである。演劇の始原には純粋な見物というものは存在しなかった。すべてが執行人である。その場に集まった人々は少なくとも囃子詞(はやしことば)やかけ声をかけねばならぬ義務があったのである。かぶきはこの原始的饗宴性の上に居心地よく坐り込んでいるのである。」

「当時のかぶき役者の人気というものは、ほとんど庶民の王者であって、風俗流行の源泉であり、美人の標準であり、小説の挿絵はすべて彼らを似顔とし、錦絵は争ってかれらの舞台姿を彩り、商標はこれを利用したものである。(中略)しかるにその人気に反して彼らの社会的待遇は、士農工商の四つの人間階級にも入れられぬ「河原乞食」であり、正式には社会との交際を禁じられ、種々の生活制限をうけたので、このことはあるゆがんだ暗い蔭をかぶき芸術に落さずにはおかなかったのである。」

「またかぶきの化粧のなかには、眼球や舌に化粧するというすさまじいものがあった。碇知盛(いかりとももり)の血走った目を表現するのに、紅を眼の中に入れ、舌を出したり、カッと口を開けてみせるために、口に紅を含んだのである。これは怒りや恐ろしさをリアルに表現するというより、いわゆる蕪村の「閻王の口や牡丹をはかんとす」の華麗さをねらったものであった。かぶきはこんな表現に身命を賭ける。」



「荒事の成立」より:

「柳田国男は『妹の力』のなかで御霊信仰を説き、その「ごりょう」ということばから「五郎」という英雄神を生み出し、鎌倉権五郎景政や、大人弥五郎などの人物を作り出したといわれているが、曾我の五郎という名において荒人神になったのには、やはりこの御霊信仰の基盤があったのである。そのほか、荒事の主人公たちが多く、この五郎の名をもっていることも無意味のこととはおもわれない。「暫」の篠塚五郎・鎌倉権五郎、「押戻」の大館左馬五郎とか竹抜五郎などの役名は、みな荒人神の御霊信仰から生まれた荒事神であったというべきである。」

「さて、逆境にあって臥薪嘗胆の末、復讐を遂げるという異状な抵抗と、時の権威の圧力のためにその結果が死刑に終わったことによる民衆の恐れと同情が、憤怒の神を形成せしめ、荒神となって権力者に祟るという民衆の発想と、その一連の民話の様式が、かぶきの荒事を形成せしめている原動力となっているとおもう。」



「「かるわざ」の系譜」より:

「この「かるわざ」「早替」「ケレン」「宙乗」という曲芸が、歌舞伎史上に、いかに、舞台機巧・装置・衣裳・鬘等を進展せしめたかは想像以上であって、歌舞伎の本質と考えられるスペクタクル性の大半は、ここに発しているといってもよく、その源流は早雲長吉およびその一派の河原者、放下、力者らの賤民が、散楽・田楽と、連綿と受け継いで、かぶきに渡した蜘舞とその一連の技芸の展開に帰すべきものであろうと思う。」




こちらもご参照下さい:

郡司正勝 『かぶき発生史論集』 鳥越文藏 編 (岩波現代文庫)









































郡司正勝 『地芝居と民俗』 (民俗民芸双書)

「その俳優は、社会人の罪業・悪徳・穢れを一身に引き受ける役を舞台で演じたのである。かぶきは、まず、「念仏踊」からはじまった。殺される役、斬られる役、幽霊の役、悔恨と懺悔を、「物語」や「くどき」で表現するのが、そのクライマックスであった。見物は、それゆえに自分らの世の姿をみ、浄化されるのである。」
(郡司正勝 「演劇とフォークロワ」 より)


郡司正勝 
『地芝居と民俗』
 
民俗民芸双書 58 

岩崎美術社
1971年2月5日 第1刷発行
1972年3月22日 第2刷発行
273p 口絵(モノクロ)8p
B6判 角背紙装上製本 貼函
定価1,300円



本書「あとがき」より:

「幼少のころ、芝居好きの祖父につれられてみた地芝居は、札幌の薄野口にあった大黒座であった。ちょうど廓の入口近くにあり、そこには、地付きの役者がいて、旅役者を迎えては一座を仕組んで、いろいろな芝居をみせてくれた。
 祖父は、大きな声で、屋号を呼んだ。花道のスッポンから出てきた、地役者の座頭は、切穴を覗きこんだ子供のわたしに、思いがけず、扇子で顔をかくしていながら、赤い舌をぺろりと出してみせた。そのときの驚きは、いまもって胸が痛むほどだ。芝居を憎む心と、その魅力にいちどにとり憑かれたといっていい。」
「各地の探訪に歩きまわっているうちに、しばしば、目の前で消滅してゆく地芝居にいくたびか遭遇した。(中略)そのたびごとに、身を切られるように感じたものである。
 小さなノートに書き止めてきた、雑駁な見聞記ではあるが、そうした記憶を、かぶきの底辺を支えてきた民衆の心のなかに、その伝播と共感を考えるための資料の一端として、ここにまとめておく機会が与えられた。
 そこで、その発想とでもいうべき、風流の精神と、地狂言の周辺を考えてみたものを、第一部とし、地方を歩って出会った地芝居の記録を、第二部として纏めてみた。」



郡司正勝 地芝居と民俗 01


目次:

第一部 民俗と芝居
 芸能の発想と文学
 演劇とフォークロワ
 かぶきの地方流伝
 地芝居の特質
 地狂言の呪術性
    ○
 旅芝居
 俄について
 茶番狂言について
 照葉狂言

第二部 地芝居探訪
 烏山の「山揚げ」祭
 栗山の地狂言
 牧かぶき
 群馬の地芝居
 伊能かぶき
 秩父の屋台芝居
 奥多摩の舞台
 伊豆の舞台
 長野禰津村の舞台
 長浜の曳山かぶき
 小松の曳山芝居
 虫生の舞台
 小豆島のかぶき
 金丸座見聞記
 金丸座後追
 香川町の祇園座
 伊根の屋台舟かぶき
 興居島の船踊
 切山かぶき
 隠岐島の地芝居

あとがき



郡司正勝 地芝居と民俗 02



◆本書より◆


「芸能の発想と文学」より:

「俳諧が、もと和歌の本歌取りから転じて、その主体性を主張したのは、見立を、働きとして、その自主性を高揚したからによる。俳諧は、談林を通って、はじめて独立宣言することができたのだとみれば、それは「見立」という働きによってであるはずであった。」
「それは、風情にあるのではなくて、意外性の驚きの働きにあったはずである。「目のさめたる作意」が、すなわち「新しさ」であり、見立てなのである。俳諧は、文学的であるよりは、より芸能的であるのは、芭蕉のいうごとく、「文台を下ろせば、すなわち反古」という、その発想尊重の精神にある。こうして江戸文学は、芸能の下に、隷属するか、またはその芸能性において、江戸文学としての特色を主張し、あるいは獲得するのだといいたい。
 さらに、一歩進めて、
  わざと天地をさかさまに云なし、直なる物を無理にまがらし、一句の妙体をたてじ、月日を下部(しもべ)の仕物(つかえもの)にし、太神宮を紙屑買にたとへ、天満神を傾城になし、天の逆鉾を摺少木にし、帝王に犬の馬痢をなめさせ。(『破邪顕正』)
ということになれば、さらに、神聖を犯す「おかし」としての領域に、一歩進めることになる。「もどき」には、もと、本意に逆らうの意がある。かぶきの殿様が「予が意をもどくか」というとき、そこには一種の反逆精神を指摘したことになる。
 「おかし」も「もどき」も、滑稽、笑い、二の次の精神に隠れた反抗精神を含むものだといっていい。」

「風流が、これらの今来(いまき)の神の祭りのために、新しい趣向をこらして、さかんになるのは、やはり、新しい力と働きを具体化して求められたからである。新しさは、疫神を押えるための、もう一つの荒々しい力にほかならない。祭りの趣向は新しいほどその祭りの実力を発揮することになる。それは古い力では、押えきれぬ現代の要請ということになる。古来のしきたり、権威にとっては、そこに一種の破壊行為と意志をみることになる。施政者側が、しきりに、風流の禁を行なったのは当然であろう。
 南北朝から近世初頭にかけて、この新しい精神が、しばしば旧社会制度の秩序の破壊をしめすものとしてあらわれてくるのが、「婆沙羅」の精神である。バサラ風流は、まず行為としてあらわれる。『太平記』にあらわれるバサラの大将として、佐々木道誉などの行為を指したが、それが異形、異風というかたちで、風流と結んだのが、バサラ風流である。」
「その異風体を、おもしろきとみる精神が、やがて、かぶきを生み出す基盤となるので、(中略)出雲の阿国の異風は、大衆の憧れの的となる。」



「演劇とフォークロワ」より:

「江戸時代に、願人坊主という街頭の乞食坊主があった。(中略)代参、代詣、代侍、代垢離(ごり)などを、引き受けて、代りに、願人となる者の謂である。すたすた坊主などという裸形の者も、代垢離姿の願人である。つまり、人の罪業、穢れなどを引き受けて、わずかな賽銭をうけて願参りをする坊主のことである。それらは社会の秩序の外にあった。坊主という賤民世捨人である。賤民世捨人といえば、中世の能役者ももと阿弥号をもつ僧形の世捨人であり、猿楽法師であった。かぶき俳優こそは、僧籍などではないが、士農工商の四階級の認められた社会制度外の人間、つまり制外人(にんがいにん)であって、社会の埒外におかれている地位はおなじなのである。
 その俳優は、社会人の罪業・悪徳・穢れを一身に引き受ける役を舞台で演じたのである。かぶきは、まず、「念仏踊」からはじまった。殺される役、斬られる役、幽霊の役、悔恨と懺悔を、「物語」や「くどき」で表現するのが、そのクライマックスであった。見物は、それゆえに自分らの世の姿をみ、浄化されるのである。
 生きながら社会の埒外にはみ出されて、死を語り、死霊となって冥府の有様をみせるというのが、能の本質であり、浄るりも、かぶきも、そうした伝承をうけつがないわけはなかった。慰みも浄化も娯楽も、それらの代替りがあってこそ、自分たちのものとなるのである。
 生きているうちに立てる墓、塔婆を、寿塔(じゅとう)というそうであるが、死の病いにあるとき、死んだものとしてこの寿塔を立て、いったんこの世から、みずから葬って、生きのびる方法である。だれがいつ考え出したものであるかしらぬが、民俗としてこの国に残っている。(中略)これは一種の生まれ替りの思想から出たものだといっていい。いったん死んだことにして生まれ替るのである。そのためには、一度世を捨てねばならない。重い病いを得たときに、出家するのもおなじことで、この世を捨てることによって生きのびる方法であった。
 その代役を、舞台で勤めるのが俳優の本質にあった。俳優が忌み嫌われる面と、めでたい二様の面があるのはそれである。もと、巫覡(ふげき)より出て、生き身の憑坐(よりしろ)となった点にその本質がある。心中、殺人、犯罪などで死んだ人物を、舞台に招きよせ、みずから憑坐となって、その因果の業を、語り、くどく技術が俳優であったとすれば、世話物は、というより、劇は、そこから出発し、その底流にそれが、つねに流れていることになる。「曽根崎心中」のお初が、観音めぐりからはじまるのは招魂された俳優の肉体を借りて冥府からこの世に呼び出される道行振りであったとみたい。舞台は、この世ならぬ神聖な場所であるから、ここに現われた、生霊・死霊・神仏は拝まれたので、尊敬と罪悪の捨て場とみた蔑視は、俳優の両面であったのである。」



「俄について」より:

「「俄」という芸能は、もとにわかに仕組んだ、つまり即興劇の謂で、今日の流行語でハプニングというのに当るかとおもわれる。
 したがって、本来の一回切りの、二度とはやれないというのが、その本質であろう。演劇のもっとも本質的な、もしくは初原的な要素だといっていい。演劇は、その俄性の上で成立している芸術である。」
「さて、ハプニングは、かならずといっていいように、喜劇性と諷刺性をもつことを忘れてはならない。」

「ある祭日に、にわかに雷鳴し、たちまちに晴れ上ったとき、鬼に扮したものが太鼓を背負い、毎戸ごとに廻ってきて、腰をかがめながら、「ただ今は、さぞおやかましうございましたでしょう」と挨拶してゆくのなど、典型的な流し俄であり、まったくその日と、その事態でなくては通じない俄の本質をうかがうに足るものである。」




















































































































































『郡司正勝 刪定集 第六巻 風流の象/総索引』 (全六巻)

「風流のもつ脱社会性」
(郡司正勝 「風流と見立」 より)


『郡司正勝 刪定集 
第六巻 風流の象/総索引』


白水社
1992年3月5日 印刷
1992年3月20日 発行
309p 索引193p 口絵(モノクロ)4p
四六判 丸背布装上製本 
ビニールカバー 貼函
定価6,500円(本体6,311円)
装丁: 石黒紀夫

月報第6号 (10p):
郡司さんの学問と遊び心(廣末保)/郡司先生映画夢(落合清彦)/風流と身体動作の研究(吉川周平)/永い時の流れの中で(高橋秀雄)/折口さんと郡司先生(茂原輝史)/郡司学――演劇研究の最高到達点(工藤隆)/『童子考』について(澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』より抜粋)/校正をお手伝いして(和田修)/編集縁起――表裏(須永朝彦)



本書「あとがき」より:

「個人の選集本を出して貰えるなどということは考えてもいなかったことで、望外の幸せと思っている。
 選集ということでもないものをと考えた末に、『北越雪譜』に用いられていた刪定という語を借りて、新しく構成し直した集ということにしたのである。」
「郡司学などという、誰が言い出したのか嫌な言葉が出てきたのに驚いているが、こんな筈ではなかった戦後の世の中には、どうして私の嫌いなことばかりがこう多くなってきたのだろうか。」
「学問というものは、大変なものだと思っているので、私のものなどは、学問に入らぬはみだしもの、あるいは踏み外したものだぐらいに考えてもらえばいい。
 ただ私の生き方と視点が反映しているところに、同感してくれる読者があったら、以て瞑すべしだとおもう。」



最終巻である本巻は『童子考』と『風流の図像誌』の二冊の単行本の全文(あとがきを除く)と、風流関連論文4篇によって構成されています。
本文中図版多数ですが、やや小さめです。


郡司正勝刪定集


帯文:

「異形の人間たちの冥界からの発信を解読する記号論風傑作「童子考」と、日本的コスモロジーの豊饒な可能性を示す「風流の図像誌」を中心に編集。「郡司学」の全貌を明らかにする全六巻の詳細な索引を付す。」


帯背:

「日本的コスモ
ロジーの集積」



帯裏:

「各巻内容
第一巻 かぶき門
 四百年におよぶ歌舞伎史を掘り下げた、独自の点描史。
第二巻 傾奇の形
 戯曲・演技・演出などの構造を、新たな切口で捉える。
第三巻 幻容の道
 人間の原初の動きに立ち帰って伝統舞踊の理念を探る。
第四巻 変身の唱
 放浪芸や見世物などの民間芸能を踏査に基づいて考察。
第五巻 戯世の文
 江戸の戯作者、狂言作者、芝居風俗などの諸論を収録。
第六巻 風流の象
 記号論を越えた記号論風傑作「童子考」を軸に編集。
各巻順に隔月配本。」



目次 (初出):

童子考 (初出題「文芸と芸能のもう一つの随想」/「國文學」昭和52年4月号~12月号 増補し『童子考』と改題して昭和59年7月に単行本刊行(白水社))
 流亡抄
 小人と蜘蛛と
 侏儒考
 笛吹童子
 星の影
 土佐の星神社
 負の七数
 七曜剣
 寅の一天
 瓠の花
 呪詛の人形
 百足と蛭
 蛭の地獄
 一本足の案山子
 髪の形
 王子の誕生
 児ケ淵

山と雲――風流の図像誌 (「現代思想」10巻9号 昭和57年7月 増補し『風流の図像誌』と改題して昭和62年6月に単行本刊行(三省堂))
 はじめに
 動く山
 死出の山
 造り山
 山を移す
 料理の山
 床の山
 「造る」と「見立てる」
 崑崙山と蓬莱の島
 島山
 剣山と剣の山
 「山車」の山
 笠の性
 踊り笠
 笠と傘と
 笠着連歌
 舞台と傘
 唐傘の正体
 天井から吊るす蓋の雲
 雲の意味

風流と見立
 風流と見立 (『国際日本文学研究集会会議録(第12回)』(国文学資料館) 平成元年3月)
 役者評判記――「見立」の発想と趣向 (『歌舞伎評判記集成 第二期 6』(岩波書店)月報 平成元年7月)
 見立の伸縮法――巨人と小人のイメージ (「伝承された巨人と小人のイマージュ」改題/「季刊自然と文化」1985年秋季号 昭和60年9月)
 風流とやつし (「風流とは心の美食」改題/「ぱいぷ」6月号 昭和50年4月)

解題 (上原輝男)

略年譜 (筆者提供の資料に基づき作製: 須永朝彦)
初出一覧

あとがき (郡司正勝)

郡司正勝刪定集総索引
 一般事項
 演目
 書名
 人名




◆本書より◆


『山と雲』「はじめに」より:

「受け売りであるが、もともと「象」は、動物の「ゾウ」(エレファント)の文字で、これを「かたどる」意と転じたのは、「人希見生象也。而得死象之骨、案其図以想其生也。故諸人之所以意想者、皆謂之象也」と『韓非子』にあるのに拠るという。つまり稀にしか見ることのできぬ、あるいは見たこともない象という動物を、意想をもって形象化したことに発するのだということであろうが、逆に、その原像を、図像とか造り物として形象化したものによって、はじめて接し、あるいは想うことができるということなのだとおもう。人間がなんらかの理由があって、想念で造り出した形象で、しかも、ある共同体で、大勢の認識を得たもの、そうした装置・仕掛、それを象徴とも、記号ともいうと考えてみたい。
 そのうえで、問題は、なぜ、人間は、そんな装置・仕掛を必要とするのか。その答を、山口昌男のいう「あちら側」を見るためにという一言で代理させて、私としては、その装置の仕掛としての「風流」という見立の飾り物に焦点を当て、山と雲という一つの主題を鳴らして、人間の創造力や表現力の働きを詠めてみたい。」



「山を移す」より:

「山を移すには、移すための秘儀、手段が必要である。呪物と呪術が、そのための働きとなる。役の行者の後裔を称する山岳信仰の修験道を享けて、室町時代から成立した富士信仰は、江戸時代に入って、当時世界屈指の大都会であった江戸の市中に、富士講が組織され、その隆盛によって多くのミニ富士塚が市中に出現した。(中略)この富士を移すためには、必ず、駿河の本家の富士山中熔岩の石をまず移し、しかるのちにそれを信仰の核として形造る必要があった。富士の生命をまず、小石に移さねばならなかったのである。」
「「うつす」という語は、移動する意のほかに写生するの意もある。「うつし取る」ことは動かす意とともに、生かしたまま撮すのである。江戸の思惟をもった明治人が、写真を撮すことを嫌ったのは、その影を「移し取られる」ことによって寿命が尽きると考えたことを想えば、「移す」ということの民俗信仰の根元の心意伝承の意味がわかる。」



「剣山と剣の山」より:

「天から降り下った剣は、そのまま神の高御座であった。」
「天孫降臨のとき、その使者の建御雷神と天鳥船神の二神が、出雲の伊那佐の小浜で、十掬(づか)剣を柄を下に、浪の穂に刺し立てて、その剣の先に跌(あぐ)み坐し、大国主神に、国譲りの交渉をするという構図には、剣の先を座として勝利の標示が読みとれまいか。
 しかし、剣の座は、仏教説話にもあったとおもわれるのは、『神道集』の「諏訪縁起事」のなかの次のごとき挿話によって知られる。南インドの拘留吠国の玉餝大臣の末娘に好美女がいた。草皮国の大王が大臣を殺し、娘を后に望んだが従わないので、領内から追放したとき、この国ばかりが自分の住処ではないといって抜提河の真中に抜鉾という鉾を立て、その上に好玩団という布団を敷いて住んだ。しかし、その川も自分の知行だといわれ、姫は、早船に乗って日本へ渡り、信濃と上野の国境の笹山の峰に飛び下りた。いま、荒船山といっているのがそこだという。」



「雲の意味」より:

「山にかかる雲は、五雲、紫雲はいうにおよばず、黒雲・白雲にしろ気象を示すものであるから、山と雲の関係から、あるきざしや天象をよみとることができる。これを人工の山と雲に見立ててきた歴史は古い。江戸の庶民は、これをショーに仕立て、見世物とした。
 足芸などもその一つだが、足の上に船形を乗せ、その中から水を吹き出させ、いちばん上に雲の旗が棚引いている形をみせる。見世物ほど記号論の明確なる図像を私は知らない。人間が地上に寝て、天に向かい、宇宙を足蹴にしている図など、まことに諷刺的でショッキングな記号的なショーだといえよう。
 演劇の根源は、まず見世物であって、人生の模擬に熱中することによって、人生を、社会を、変革してゆく記号・旗印・標識なのだとすれば、「見立」こそは、いつも新しい活力の源泉なのだということになろう。仮象の山や雲を造り出して、人間は、その後ろの本体をつねに透視するのだとおもう。いや人間には、仮装の造り物を作り出すほかに、本質に迫る「しかけ」は与えられていないということになるのである。
 こうした想を喪ったとき、人間は枯れ疲れ変わり果ててしまうだろう。なにかを待っている印をわれわれは見失ってはならないのだとおもう。
 一九八二年、富山市で開催された「全国ちんどん屋大会」に出席した。しばらく忘れられていた山と雲に出会ったのは嬉しかった。ここに、山と雲の見事な民衆の伝承の力を見ることができた。傘を背に、幟を棚引かせて奮闘しているチンドン屋の姿は、まさしく機械文明への、蟷螂の斧の姿なのか。」



「風流と見立」より:

「『万葉集』(巻十六)の「乞食者が詠ふ歌」の乞食祝言職の「讃めことば」は、口唱文芸のはじまりともいうべきものであった。「見立」の呪力は、広く深く民間に浸透し、「松魚(かつお)武士」とか「養老昆布」(喜昆布)などとなり、豆腐の「おから」は「卯の花」といい、塩を「波の花」と見立てて、言い直すことにより、讃め言葉は、「世直し」の力を持つものとなる。」


「風流とやつし」より:

「芸能にあっても、風流は、この趣向によって飾られ、かぶき狂言は、その趣向のよしあしによってきまる。したがって、この心の働き、気働きによって、成立する芸術が、風流の系譜ということになる。十分に金を使った豪奢な芸術は、風流に遠いので、(中略)金をかけたようには見せぬ趣向がなくてはならない。
 あるいは「風流」とは、貧乏な国で展開した押し詰められた芸術心ともいうべきものであるのかもしれない。」
「今日、著しく風流心が衰えたのは、やはり経済大国に成り上がった現代日本人に成金趣味の心が生じたからである。風流とは貧乏の働きでなければならない。」






こちらもご参照ください:

郡司正勝 『童子考』





































































































































『郡司正勝 刪定集 第五巻 戯世の文』 (全六巻)

「美麗なものと醜悪なもの、貞淑なものとその裏腹の執念の恐怖とを、おなじものとみる秋成の思想(中略)。それはまた、のら者の思想でもある。のら者にしてはじめて、見ることが出来る怪異なのである。」
「秋成の怪異の恐怖感は、反社会的のら者の思想が生んだ、天明無頼文学の高潮期の所産であった。」

(郡司正勝 「秋成の怪異」 より)


『郡司正勝 刪定集 
第五巻 戯世の文』


白水社
1991年8月20日 印刷
1991年9月10日 発行
380p 口絵(モノクロ)4p
四六判 丸背布装上製本 
ビニールカバー 貼函
定価4,500円(本体4,369円)
装丁: 石黒紀夫

月報第5号 (6p):
含羞の学問(諏訪春雄)/教わることのみ(野口達二)/「郡司学」の真髄(谷川渥)/こわい話(小笠原恭子)/先生の方法(佐藤恵里)



郡司正勝(ぐんじまさかつ)刪定集(さんていしゅう)第五巻 「戯世(ぎせい)の文(ぶん)」。
本文中図版。


郡司正勝刪定集


帯文:

「上田秋成・山東京伝・鶴屋南北・瀬川如皐などの戯作者、狂言作者をはじめ、市川団十郎・中村仲蔵などの歌舞伎役者たちを江戸風俗のなかで考察し、近世芸能と江戸文学との関連を華麗に展開。」


帯背:

「江戸文学と
風俗・芸能」



帯裏:

「各巻内容
第一巻 かぶき門
 四百年におよぶ歌舞伎史を掘り下げた、独自の点描史。
第二巻 傾奇の形
 戯曲・演技・演出などの構造を、新たな切口で捉える。
第三巻 幻容の道
 人間の原初の動きに立ち帰って伝統舞踊の理念を探る。
第四巻 変身の唱
 放浪芸や見世物などの民間芸能を踏査に基づいて考察。
第五巻 戯世の文
 江戸の戯作者、狂言作者、芝居風俗などの諸論を収録。
第六巻 風流の象
 記号論を越えた記号論風傑作「童子考」を軸に編集。
各巻順に隔月配本。」



目次 (初出):

戯作三昧
 秋成、京伝、南北 (『図説日本の古典17 上田秋成』月報(集英社) 昭和56年2月)
 秋成の怪異 (「別冊現代詩手帖 上田秋成」 昭和47年10月/『鉛と水銀』(西澤書店)収録)
 京伝の西欧趣味 (「山東京伝の西欧趣味」改題/「THE LITERATURE」1巻2号 昭和24年12月/『かぶき袋』(青蛙房)収録)
 京伝の蝦夷奥州情報 (「京伝の読本と蝦夷北国情報」改題/『叢書 江戸文庫⑱ 山東京伝集』月報(国書刊行会) 昭和62年8月)
 京伝と黙阿弥――「野晒悟助」をめぐって (「『野晒悟助』と黙阿弥」改題/東横ホール筋書 昭和30年7月)
 柳亭種彦の随筆と小説 (『日本随筆大成』第二期第20巻付録(吉川弘文館) 昭和49年10月/『鉛と水銀』収録)
 洒落本と芝居の台本 (『洒落本大成』第五巻付録(中央公論社) 昭和54年7月)
 かぶきと小説の交流 (「かぶきと『小説』との交流」改題/「季刊歌舞伎」8号 昭和45年4月/『鉛と水銀』収録)
 荷風別れ (『荷風別れ』(コーベブックス) 昭和52年9月)
 鏡花の劇空間 (「國文学」30巻7号 昭和60年6月)
 卑俗と絢爛――江戸と谷崎文学 (「解釈と鑑賞」昭和51年10月号)

かぶき作者と役者
 南北の作品と演出 (「南北研究」2号 昭和57年11月)
 「東海道四谷怪談」 (「解説『四谷怪談』の成立」改題/『新潮日本古典集成 東海道四谷怪談』(新潮社) 昭和56年8月)
 南北の合巻 (「鶴屋南北の合巻・文化期」改題/「ユリイカ」10巻4号 昭和53年4月)
 南北悪評 (「悲劇喜劇」35巻12号 昭和57年12月)
 並木五瓶の晩年 (「初代並木五瓶の晩年」改題/「伝記」10巻8号 昭和18年8月/『かぶきの発想』(弘文堂)収録)
 嘉永期の瀬川如皐 (「季刊歌舞伎」25号 昭和49年1月)
 黙阿弥について (「黙阿弥」改題/『民俗文学講座 6』(弘文堂) 昭和35年4月/『かぶき論叢』(思文閣出版)収録)
 『手前味噌』と仲蔵の代々 (『手前味噌』(北光書房) 昭和19年3月/『かぶき論叢』収録)
 かぶき役者の随筆・日記・自伝 (『燕石十種』第六巻付録(中央公論社) 昭和55年3月)

かぶき絵
 写楽と寛政六・七年の劇界 (「写楽の描いた寛政六・七年の劇界」改題/「太陽」浮世絵シリーズ「写楽」 昭和50年10月/『かぶき論叢』収録)
 幕末の江戸・芝居と浮世絵 (劇団四季「絵師絵金」公演プログラム 昭和47年8月)
 刺青と役者絵 (『原色浮世絵刺青版画』(芳賀書店) 昭和51年1月)

かぶき袋
 かぶきと文字 (「歌舞伎と文字」改題/「QT」63号 昭和61年1月)
 芝居の店舗 (「芝居にあらわれた店舗」改題/「嗜好」490号 昭和58年12月)
 芝居と卵 (「演劇と卵」改題/「嗜好」別冊「卵ブック」 昭和60年5月)
 芝居の豆腐と苅豆 (「芝居の豆腐屋と苅豆」改題/「嗜好」別冊「豆ブック」 昭和62年6月)
 芝居と柿色――柿山伏 (「柿山伏」改題/「嗜好」509号 昭和63年10月)
 かぶきの衣裳 (「服装文化」162号 昭和54年4月 「染色の美」17号 昭和57年6月)
 かぶきの化粧 (「化粧文化」8号 昭和58年5月)
 かぶきの口上 (「日本学」7号 昭和61年6月)

解題
 内山美樹子 「戯世」と学問

初出一覧




◆本書より◆


「秋成の怪異」より:

  「荒にし我軒は、いつしか浮浪子(のらもの)の中宿となりて、長き代のかたみにはあらで、荒唐世説(とりじめもなきよそごと)をいはざれば、夜食の腹ふくるゝよと、宵よりつどひて七つの鐘聞く夜はあまたたび

とは、『世間妾形気』の序文にいうところである。」

「「蛇性の婬」の豊雄という優雅な文学青年も、一般社会からすればのら者にちがいない。(中略)生活設計に勤めようという「過活(わたらひ)心」のない豊雄というのら者には、秋成の青年時代の面影も滲ませていよう。怪異を求める甘美な浪漫派の気持は、おのずからそのうちにある。怪異とは優美心にほかならないからである。
 さらに、戦慄するような怪異は、のら者の至りの「吉備津の釜」の正太郎の身上においてきわまる。」
「秋成には、仏教も儒教も信じないところがあった。自然主義的な思想の持主の秋成は、「おのがままなる奸けたる性」は、宗教や教育ではいかにすることも出来ぬことを知っていた。怪異は、その絶望感から現出する。いわゆる破滅型の人間なのである。」
「美麗なものと醜悪なもの、貞淑なものとその裏腹の執念の恐怖とを、おなじものとみる秋成の思想(中略)。それはまた、のら者の思想でもある。のら者にしてはじめて、見ることが出来る怪異なのである。」
「秋成の怪異の恐怖感は、反社会的のら者の思想が生んだ、天明無頼文学の高潮期の所産であった。」

「秋成の怪異の魅力は、その「骨冷えたる」孤絶の恐怖感にある。」
「いわば宇宙の回帰線上におこった、いや、実は何もおこってはいない恐怖感のようなもの、向こうへ向こうへ、遠くへ透明な世界に引かれてゆく、冷たい引力のようなもの、そんな骨冷えたる恐怖感を秋成の怪異には感じる。」
「秋成の怪異には、共同幻想としての狂気がない。共同幻想に覚め果てたのら者の、孤絶した自我が見てしまった怪異がある。秋成が鬼気迫るのは、このことにほかならない。
 共同幻想としての国家主義意識、全体主義的な本居宣長を、鼻持ちならぬ俗物として、噛みつかねばおさまらなかった秋成には、宣長のいう「大和魂」などという共同幻想は胸くそが悪かったのである。」
「「どこの国でも其国のたましひが国の臭気」だ、というのである。そこには、国家意識といった共同幻想を認めない、彼の個の目覚めがある。ことごとくに宣長に盾ついたのは、宣長がそういった共同幻想を創り出す親玉だったからにほかならない。「やまと魂」という共同幻想が、そののちの歴史にどんな災いを及ぼしたか、いまさら、いうまでもないことである。」

「秋成は、別号を剪枝畸人と称した。畸人は片輪者の意。剪枝は、剪指、指を切りつめたものの意。」
「また別号を無腸という。無腸は蟹の異名。秋成は、左右の指が、二、三本、蟹のごとくに折れ曲がった畸人であった。五歳の折に悪性の天然痘にかかったために、「右の中指短かき事第五指の如し。又左の第二指も短折にて用に足(た)たざれば、筆とりては右の中指なきに同じく、筆力なき事患うべし」とみずから『胆大小心録』に記すところがある。ここに、不具を誇示して別号とした彼の意識の底にあるもの、つまり構えがある。
 科rえの姿勢には、だれを恨むのでもない、この怨恨のかたちが籠められている。(中略)そこには文人気質の超脱思想がある。これが根深く人間形成の基本となることがある。跛(あしなえ)て名優の資質が発揮されるのもおなじであろう。病む人には常人にないものが見えたりするものなのである。それは世の狂人とはちがう、骨冷えて覚めきっているがゆえに、狂うことを識る者たちである。みずから片輪者をもって任ずる裏返しの誇りがあるからである。」
「秋成の『雨月物語』の漢文の序は、本文の名文に引きかえ、佶屈怪僻、厭味たらしい、読むに堪える代物ではないというのが通評である。したがってほとんど無視されてきたのが、これまでの現状である。
 しかし、私は、「剪枝畸人書」と署名した、この序文こそは、片輪者のみが知ることができる真実を、地獄に堕ちたもののみが知る文学の迫真性を、確認せしめる力があるとおもう。怪異を見てしまった栄光をさえ誇っている慄然たる文章をほかに知らないのである。
 世のつねならぬ佶屈怪僻の文章とは、世のつねの人のいうこと、これほど鬼気迫る、醜悪を辞さぬ芸術の美神に仕える瞬間の名文を知らない。彼が、みずから畸人としたのには意味がある。言いがたいことを言い尽くしているのである。片輪者のみが観た地獄の世界を、怪異の世界を誇らしく語り尽くしているからである。」
「文学とは、本来こういうものであったはずである。文学は代書屋ではない。文章を書けば、地獄に堕ちずにはいない。それが小説家の宿命、秋成のいう業(ごう)であろう。
 もし小説家にして、「三世生唖児」、「堕悪趣」する恐怖を感じないとしたら、それはおそらく偽者であり、売文の徒にすぎまい。本当の小説家なら、かならずや怪異を見ずに済ますことはならぬはずである。」



「かぶきと文字」より:

「かぶきでは舞台の上で字を書くというのが一つの芸になっています。「葛の葉」で、女に化けていた狐が障子に書置をしますね。「子別れ」の場面です。「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信田(しのだ)の森のうらみ葛の葉」。これを初め右手で書いて、赤ん坊が泣くので抱きかかえて、今度は左手で書いて、あとは口で書く。しかも裏文字といって左右を逆にした字です。裏側から見た字ですね。それを口で、床のチョボに合わせ所作をしながら書くわけですから、これは一種の「芸」です。」
「舞台の上で字を書くといえば、筆で紙に書くのではなく、宙空に書くことがあります。多くは大詰の幕切れに刀で「大入」という字を書くんです。これはたとえば立廻りがあり、相手を斬るつもりで「大入」という字に書く場合もありますし、また「大入叶(かのう)」と書く時もあります。(中略)これは一種の縁起物です。
 それからかぶきの独特な化粧法である隈取のなかに文字の隈があるんです。「大入隈」といいますが、「大入」という字を紅でもって顔に書くんです。(中略)これも「お客がたくさん来るように」という願いがこめられている呪術(まじない)と遊びでしょうね。」

「ところで「菩薩」という字は昔は一般には画数が多くて複雑なものだから、「菩薩」の上の草冠だけをとってくっつけて「廾サ」と書き、それで「菩薩」と読んでいました。俗に「ササ菩薩」というものです。略字というか、一種の記号、そしてもう象徴なんですね。それがしまいには印になるわけです。
 こういう、字引を引いても出てこないような字というのが、かぶきにはけっこうあるんです。実際にはなく、かぶきだけで使われる虚構の字というものがたくさんありますから、『歌舞伎字典』というのが一冊できてもいいくらいです。
 たとえば「相合傘」なんていうのは手偏にさらに手を添えて書くと手と手をとるということになり、これで相合傘になる。手偏に手を書く。これが外題に出てきます。」









































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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