巖谷國士 『ヨーロッパの不思議な町』 (ちくま文庫)

「イスの伝説には予定された未来の後日譚がある。やがてイスは再浮上し、そのかわりに文明の首都パリ=パル-イス(イスのまがいもの)が水中に没するだろう、というのである。(中略)文明は一時の病だったということである。」
(巖谷國士 「地の涯にて――ブルターニュの町々」 より)


巖谷國士 
『ヨーロッパの不思議な町』
 
ちくま文庫 い-31-1 

筑摩書房
1996年4月24日 第1刷発行
1996年5月30日 第2刷発行
301p
文庫判 並装 カバー
定価780円(本体757円)
装幀: 安野光雅
カバー写真: 著者撮影 プラハ市庁舎の時計


「本書は一九九〇年八月、筑摩書房より刊行された。なお、写真(すべて著者撮影による)は大幅に入れかえた。挿入した地図のなかの国境線や地名は、すべて刊行当時のままにしてある。」



本文中図版(モノクロ)多数。


巌谷国士 ヨーロッパの不思議な町 01


カバー裏文:

「あらかじめ与えられた枠組をこえる「体験」を誘い、あまたある既知の町を「不思議な町」に一変させてしまうような、いわば「反ガイドブック」である。「知識」としての町の像が「体験」によって崩れていく、魅力あふれる偏愛的都市エッセイ。」


目次:

 Ⅰ
温泉二都物語――ブダペスト、ソフィア
イスタンブール
ファイストスの円盤――イラクリオン
 Ⅱ
モスクワ、レニングラードの旅
ヘルシンキ、淋しい町
北欧の庭園都市――ストックホルム、オスロ
 Ⅲ
夢みるプラハ
ブカレスト彷徨
ユーゴスラヴィア都市紀行
 Ⅳ
イタリアの不思議な町
フェラーラ、キリコ、ルネサンス
未知との遭遇――ピサ
 Ⅴ
エロティックな河――リヨン
ナンシーとナンシー派美術館
地の涯にて――ブルターニュの町々
 Ⅵ
子どもたちの群れ――バルセロナ
サラマンカ、広場の魔法
ガリシアからポルトガルへ
 Ⅶ
絵のなかの光景――デルフト、ブリュージュ
ブリュッセル/マグリット
歪んだパノラマ――ルクセンブルクほか
 Ⅷ
ソールズベリの愛すべきレストラン
ビールと群衆――ミュンヘン
カフェにて――ウィーン、ブラティスラヴァ

あとがき
文庫版あとがき
解説 既視から奇誌へ (四方田犬彦)



巌谷国士 ヨーロッパの不思議な町 02



◆本書より◆


「地の涯にて――ブルターニュの町々」より:

「夢幻的なケルト人の神話・伝説はこの地にも数知れずのこる。妖精は岩や樹木の蔭からも海の底からも自在にすがたをあらわす。かつて高度の文化を謳歌しながら海中に没していった都市イスの伝説はもっとも有名なもののひとつだ。六世紀ごろコルヌワイユ(コーンウォール)を支配した王グラドロンは、この地をユートピア国の拠点とした。あの遠方の都パリでさえパル-イス(イスに比肩する町)を語源としているほどだという。おそいかかる海からのがれたグラドロン王は内陸の町にもどった。それが現在のフィニステールの県都カンペールであるといわれている。
 そのカンペールもまた魅力的な町だ。ブルターニュ南岸に流れこむオデ川の河口に位置するこの都市は、起伏の多い不規則な街路をもっている。川の両岸の広い通りが市民の生活の中心である。そして右岸の大聖堂の二つの尖塔の中間に、グラドロン王の騎馬像が見あげられる。その娘でなかば妖精界に属し、キリスト教化されたカンペールの町を嫌ってイスの町と運命をともにしたという魅惑的な王女、ダユー姫の物語もまた思いうかんでくる。」
「二十世紀にあらわれたもっとも謎の多い画家イヴ・タンギーのことが思いおこされてきたのは自然の成行である。彼はパリの生まれではあるが、そのパリは彼にとってじつはパル-イス(イスに似たところ)でもあったのだろう。その姓からもわかるように両親は生粋のブルターニュ人だった。(中略)幼いころからイヴ・タンギーはこの「地の涯」フィニステール県にある両親の実家でヴァカンスをすごすのが常だった。海と砂浜と岩礁と断崖と水底と、巨石と森と貝殻とアイリッシュ・ハープとガレットとカルヴェールと――つまり、ブルターニュの西のはてに起源を求めればいくらでもそれを見いだすことのできそうなタンギーの絵画中のオブジェの群れは、しかし同時に、けっしてどんな国にも地方にも民族にも言語にも文化にも帰属することのない抽象性、普遍性をおびている。一九二〇年代以来、タンギーの描くオブジェは刻々と変化していった。それはどこか別の天体の風土と風俗の変遷をたどるものとも思われた。現在のところはどこにもない世界=空間を見つづけていた絵画。かつて海中に没したイスの国のその後を追いつづけていたのだといえばいえなくもない。もちろんそれはイスの島の謎が解けない謎であり、したがって非合理的なもの、反文明的なもの、つまり野生のものとしてのこるというかぎりにおいてだろう。
 イスの伝説には予定された未来の後日譚がある。やがてイスは再浮上し、そのかわりに文明の首都パリ=パル-イス(イスのまがいもの)が水中に没するだろう、というのである。(中略)文明は一時の病だったということである。
 タンギーはその文明のなかで生き、死んだ。彼の驚くべき作品群はまさにその文明の産物だったともいえる。ただそこにあらわれる刻一刻の作業の跡、版画の画面にすら見てとれる微細な指の動きは、高度に「野生の状態」にある眼があってはじめて可能になった何かである。」



「歪んだパノラマ――ルクセンブルクほか」より:

「それから大公宮殿のほうへもどって、国立博物館に入る。ここはおもしろいところだった。箱庭と形容されそうでいながら箱庭の域をこえてしまっているこのパノラマの町のなかで、むしろ本物の箱庭をかたちづくっているのはこの博物館なのではあるまいか、とも思われた。」
「それらよりもいっそう感動的だったのは、自然科学の各部門にあてられた部屋部屋である。この小さな国の小さな博物館の、小さな展示室の小さなガラスケースのなかに見たときほど、小さな石や金属の標本たちが、美しい輝きをおびて見えたことはめったにない。「ヴィーナスの髪」と呼ばれる金色の筋の走る水晶や、奇蹟のような「砂の薔薇」や、歪んだ縞模様をおびた瑪瑙(めのう)や、アンモナイトや、翡翠(ひすい)や柘榴(ざくろ)石や、そして、正六面体の不思議な小宇宙をつくる岩塩の結晶、等々といったものたちが、塵ひとつないガラスの板の下で、くっきりと、きらめきながら、それぞれの個性を主張している。
 これらの鉱物展示室を通って、奥の広間の入口までたどりつくと、そこには「プラネタリウム」という看板がかかっていた。
 その広間の中央におかれていたプラネタリウムというのが、世界の他の大都市にあるそれとおなじものであると思ってはならない。 
 それは直径二メートルくらいの、可愛らしい、精巧な、小さな球形の装置なのだった。
 側面の穴からのぞきこむと、内壁は夜空の色に塗られている。宇宙の箱庭といったおもむきの、その黒ずんだ球形のなかに、太陽系の惑星たち、衛星たちが、微細な金属の糸で吊られ、ぶらさがっている。
 外側にならんでいるボタンを押すと、それぞれの星が、整然と、自転・公転を開始する。それにともなって、どこからか、心地よい音楽さえ流れてくる。
 この町の子どもたちは、こんな可愛らしい精妙な玩具によって、宇宙というものを学び、はるかな夢想のきっかけを与えられるのか、と考えてみると、なんだか心が熱くなってくる。
 音楽も不可欠の要素だろう。実際この小さな博物館では、いつもどこからかレコード音楽がきこえてくる仕掛になっていて、そこでは絵画も、彫刻も、鉱物も、化石も、動植物の標本も、星々の模型も、おなじひとつのメロディー、おなじひとつのリズムのなかで、呼吸をくりかえしているかのように思われる。」
「何もないようでいながら、じつは何もかもがそこにとじこめられている――そんな幻想を生む小宇宙の印象は、こういう小さな国の、小さな首都の、小さな博物館にこそふさわしい。
 そこから外に出ると、(中略)ふたたびあのおそろしく深い谷のつくりだす、あの雄大な、歪んだパノラマが目の前にひろがる。(中略)ここはまた、いわゆる絵画、とくに水彩による風景画にはおさまりきらないような、一種の畸型を思わせる自然とからみあっている。
 ここでは極大と極小とが、不思議なかたちで共存している。
 ルクセンブルクは、すばらしい町である。」






































































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巖谷國士 『フランスの不思議な町』

「この小さな広場をすぎて細い通りに入ってゆくと、さらにいっそう、なにもない、なにもすることがない、という印象がつのってくる。」
「東のはずれに近い灰色苦行会の礼拝堂(十七世紀)まで行くと、その前には文字どおり荒涼とした空地があり、あちこちに雑草が生い茂っている。雨が通ったあとなのか、二、三の水たまりもある。」
「エーグ-モルト=死んだ水、溜り水。なんともいい名前である。私はこの町が好きになりはじめていた。」

(巌谷國士 「エーグ-モルト」 より)


巖谷國士 
『フランスの不思議な町』


筑摩書房
1998年11月25日 初版第1刷発行
iv 235p 索引・地図v 
21×13cm 並装 カバー
定価2,400円+税



本文中図版(モノクロ)多数。


巌谷国士 フランスの不思議な町 01


帯文:

「思いがけない驚きと歓び
豊穣な風土・文化のなかに見出す「不思議」
既知の町を未知の町へ変え、朗らかな旅人はゆく。
〈悦楽のガイドブック〉」



帯背:

「甘美な都市紀行」


目次:

パリ 序にかえて

 Ⅰ
アンボワーズ ロワールのパゴダと城館
ナント パッサージュから植物園まで
カンペール ケルト伝説の故郷
 Ⅱ
ラ・ロシェル 大西洋にのぞむ塔
アングーレーム 国際マンガ博物館訪問
カオール 橋・悪魔・ロマネスク
 Ⅲ
バイヨンヌ バスクの生ハムの味
ルルド 「奇蹟」か不思議か
アルビ 薔薇色の川と家並
 Ⅳ
ヴェズレー 巡礼地の怪物たち
ムーラン 十五世紀の大画家
ル・ピュイ 黒い聖母、赤い聖母
 Ⅴ
エーグ-モルト 捨てられた地中海都市
バスティア コルシカの夜・朝・昼
グラス コート・ダジュールの香水壜
 Ⅵ
グルノーブル アルプスとスタンダール
ブザンソン 天文時計にフーリエを想う
ストラスブール アルザスで見るもの食べるもの
 Ⅶ
メッス 宙にうかぶ大聖堂
リール 解放記念日に「スウィング」
ルーアン 頭蓋骨と廃墟と

あとがき
地図
フランス地名索引



巌谷国士 フランスの不思議な町 02



◆本書より◆


「パリ」より:

「おそらくパリにしか通用しないだろうフランス語に、フラヌール(ぶらぶら歩く人、のらくらする人)という言葉があることを思いだした。これはともすれば川から川へ、そのまた支流へ、ただよい流れ、みちびかれてゆく感じに似ている。みちびかれてゆくというのは、みちびく何かがどこかにひそんでいるせいかもしれない。」


「ナント」より:

「ナントの中心部に近いこのポムレー小路(パッサージュ・ポムレー)は、一八四三年につくられた特異な建造物である。一見、パリの流儀をうけいれているようにも思える。けれどもこのパッサージュの空間は、他のどんなアーケード街ともちがって斜めに(引用者注: 「斜めに」に傍点)構成されているのだ。鉄とガラスとでつくられた明るい屋根の下で、人々は急な階段をのぼりおりすることを余儀なくされる。水平線と垂直線とのかたちづくる安定を斜めに打ちやぶってしまうその階段の両側には、真っ白な新古典主義ふうの石像が配置されている。なんだか心をみだされはじめる。縦と横と斜めにひろがる白昼夢めいた世界がここにある。
 たまたま斜面があったからパッサージュもこうなった、というだけのことではないだろう。ポムレー小路の階段のあちこちでいとおしいポーズをとる真っ白な少女像たちのたたずまいには、なにか彼女たち自身の前世について想像させるような、不思議な情感がこめられているようにも思われてくる。」



「カンペール」より:

「首をうなだれた馬にまたがり、眉をひそめ、いくぶん悲しげな表情をしているグラドロンの姿には、さまざまな想像をさそうものがある。カンペールへ来てこの像を見あげるということは、すなわち、ひとつの失われた世界について思いをめぐらすことである。
 グラドロンは、おそらくブリテン島を追われたケルト人の王だろうといわれている。長い航海のあいだにひとりの娘が生まれ、ダユーと名づけられた。妻はその出産のために死んで海に葬られたが、娘のほうはすくすくと育ち、やがて稀に見る美しい姫に成長した。海で生まれたせいかその両眼は海の色をしており、海が青く見えるときには青く、緑に見えるときには緑に変化したという。
 コルヌアイユの都カンペールにはすでにキリスト教が行きわたっていたが、ダユー姫はこの新しい宗教を好まなかった。修道院だらけの都から遠く離れた海のほとりに、新しい町をひとつ建造してほしいと父王にねだる。グラドロンはその願いをかなえ、おそらく北方のドゥアルヌネ湾のどこかに、イスという名の新都市をつくらせた。
 ダユー姫はそこで快楽三昧にふけった。宴会に美食、歌に踊り、そして男たちとの愉しみの日々を送った。彼女の美しさに魅せられてやってくる男たちを、毎夜ひとりずつ寝室にさそいこむようなこともした。
 それが神の怒りをかう。神はダユー姫だけでなく、こぞって悦楽と奢侈にはしるようになっていたイスの住民に対して、裁きのくだる日が来るだろうことを予告した。
 イスは巨大な堤防にかこまれた町である。堤防には三つの水門があり、それらの鍵はグラドロン王が身につけていた。あるときひとりの悪魔があらわれ、美男に化けてダユー姫を誘惑する。まんまと恋人になりおおせた悪魔は、姫に水門の鍵を要求した。彼女はさすがに逡巡したが、悪魔の囁きには勝てない。ある夜、父王の寝室に忍びこんで鍵を盗み、悪魔に手わたしてしまう。ダユー姫と悪魔とは、堤防の上で手をとりあって踊った。
 やがて神は嵐をまきおこし、大津波がおそいかかるようにした。悪魔が予定どおり水門をひらいたので、海水は滝のように流れこんできた。グラドロン王は助けをもとめるダユーの声を聞きつけ、探しまわる。ようやく発見して馬に乗せようとした。けれども馬は罪の重さに耐えられず、姫はふたたび波にさらわれてしまう。彼女はそのまま水死したとも、故郷である海にもどって人魚になったとも伝えられている。*
 ともあれこの大津波のおかげで、イスの町全体が水没してしまった。今日でもよく晴れた日には、海底にのこる建物の残骸が見えたりする。」
「古くからの自然信仰を守ってきたケルト人たちがキリスト教という厳しい一神教に出あったとき、ダユー姫のような態度をとる者も実際にいただろうことは想像にかたくない。悦楽にふけり、新宗教をうけいれなかったために水没させられたダユー姫とイスの町とは、海から来たこの先住民の抵抗のシンボルだったともいえるのではなかろうか。」

「* この地方では古い教会の石彫などに悪しき人魚の像が見られる。他方、今日もなお、船乗りが人魚と出あったとか、人魚の声を聞いたとかいう話がときおり囁かれる。」



「アングーレーム」より:

「かつて日本で一世を風靡した白土三平の『忍者武芸帳』や『カムイ伝』や、小島剛夕の『子連れ狼』のような長篇劇画は、どちらかというとその物語の壮烈さにおいてのみ論じられることが多かったような気がする。けれども、このフランスの一地方都市の一美術館の一展覧会がとくに観客にアッピールしようとしていたのは、ほかならぬ彼らのペンによって実現された過激なタッチの美しさ、そして他の国にはめったに見られない描きなぐりの線(引用者注: 「描きなぐりの線」に傍点)の斬新さだったのである。」


「バイヨンヌ」より:

「ひとつはミュゼ・ボナ。ここはフランスの地方都市にしてはかなりいい作品をもっている美術館で、たとえばめずらしくゴヤの絵が自画像をふくめて三点ある。
 もうひとつはミュゼ・バスク。地域民俗博物館として有数のすばらしいところで、フランスの国内にありながら別の国だといってもいいバスク地方を知るためには、ここをおとずれることが必須だともいわれている。」
「二つの博物館は橋をわたりきって左に曲がったところにある。まずミュゼ・ボナへ行ってみたがしまっていた。(中略)やむをえずミュゼ・バスクのほうへ行ってみると、こちらも臨時閉館。」
「残念だがあきらめるほかはない。博物館がわけもなくしまっているというのはスペインでならよくあることで、ここはもうほとんどスペインなのだと思うことにする。目的をはたせないというのも旅のおもしろいところで、そのぶん時間があまるから別の体験ができたりする。」

「プレートを見ると、リュ・デスパーニュ(スペイン通り)とある。(中略)北スペインのどこかの町に似ていなくもない。バスクらしさもすこしばかり感じられる。ついでにデジャ-ヴュ(既視感)が湧きあがってくる。
 そればかりではなかった。北方のノルマンディーやイングランドに近い感じもあり、(中略)さらにイタリア南部や東地中海岸や、マグレブ諸国の町々をさえ思いおこさせるような少量のスパイスがまじりこんでもいる。
 こんなふうに既視感がつもりつもってくると、むしろジャメ-ヴュ(未視感)とかわらない驚きに達する。私はこのスペイン通りでしばらく不思議な町の感覚にひたりつづけた。」

「しばらくののち、ふたりの女の子が外に出てきて、やおら縄とびをはじめたのである。
 金髪のお姉さんのほうは黒と赤のスカートにピンクの縄、黒髪の妹のほうはジーンズのズボンに水色の縄。私のほかにだれひとり通行人のいない午後の路地の一角で、この姉妹のくりひろげた縄とび遊びは、この町の初夏の午後があまりにもがらんとして見えていただけに、ほとんどバルテュスのある種の絵を思わせる小さな祝祭の気分をよびおこした。」

「バイヨンヌの名も知らぬ路地の奥でバルテュスふうの不思議を演じはじめたふたりの少女は、その後も長いことそのままでありつづけた。私のほうもそのままでありつづけるしかない。写真を撮るよ、と呼びかけると、かまわないよ、と応じる。ポーズなどとらない。(中略)よけいなコミュニケーションをはかることに興味をもたない。」



「ムーラン」より:

「フランス中部の小都市ムーランをおとずれようと思いたったのは、メートル・ムーランの絵をいちど見ておきたかったからである。」
「見学はガイドつきと決まっている。そのガイド役は制服のようなものを着こみ、腹を突きだしているおじさんである。」
「けれども私が感動をおぼえたのはその聖母子像だけではなく、それ以上に、周囲をとりかこんでいる天使たちの表現の精緻さであった。(中略)ある者は身を反らし、ある者は首を傾け、ある者は両手を挙げ、いずれも戴冠のありさまを注視している天使たちは、それぞれ表情ゆたかに、夢ごこちの驚異と賛美の念をあらわにしている。黄、緑、茶、とりどりの衣の色と襞の表現も美しく、この聖母戴冠の場面全体を、いよいよ劇的に引きたてているのである。
 そしてなによりも私の目をひくのは、その天使たちの手と指の表情だ。ある者は胸の上で両手を交差させ、ある者は合掌し、ある者は拍手をし、ある者は高く掲げている仕草のひとつひとつが、どれもみなあまりにも繊細に、指先にまで綿密な写実描写を与えられ、しかも、どことなく不思議な情感と個性とをふきこまれているさまを見て、私はしばらく陶然としてしまったほどである。」
「気がつくとガイドのおじさんは太い声で解説をつづけている。ゆっくりと、だがぎこちなく、暗記した言葉を一所懸命に吐きだしているような口調は、彼がかつて知恵おくれの少年としてこの大聖堂の世話になり、宝物室のガイド役をしながら年を重ねてきた人物なのではないか、といった想像をよびおこす。それだけでも感動的だ。」
「扉から出る前に、見学者たちはおのがじし小銭を出し、ガイド氏の大きな掌に置いてから出てゆくのだった。」

「ふたたびオルフェーヴル通りにもどってきた。先ほど歩いたとき気になっていた民俗・旧ムーラン博物館の建物をのぞいてみたくなったからである。」
「そしてここにもガイドさんがいた。こちらはまだ十代なかばくらいの若い、かわいらしい少女である。」
「青とピンクと白の編みこみ模様のセーターに灰色のコーデュロイのズボンといった普段着姿だが、バスの車掌さんのような革のバッグを首からさげ、高い声ではきはき物をいう感じが好ましい。」
「一室は人形のコレクションにあてられていた。世界中から集めてきたもので、どの人形も小さくてかわいらしい。少女ガイドさんはこの部屋に入るとうきうきしはじめたようだった。」

「そんなわけで、ここにも来てよかった。外へ出て夕ぐれ近い旧市街をさまよう。(中略)それからのんびりコーヒーなど飲んでいると、目の前を太ったおじさんとセーター少女の二人づれが自転車で通り、なんとなくさっきのガイドさん二人を思いおこすことになった。」





◆感想◆


わたしはうまれつき旅行ができない体質なので、飛行機にものったことがないし、新幹線にも子どものころに二回しかのったことがないです(行くのに一回と、帰ってくるのに一回で二回です)。ここ数十年は自転車以外ののりものにはのったことがないです。自転車にのってどこへいくかというと近所のスーパーです。
旅行というのは行ったら帰ってこなければならないので、帰ってくるくらいなら最初から行かなければよいというふうに考えてしまうし、行った先がものすごくしっくりきてしまったらもう帰ってきたくないので、旅行はしないほうがよいです。うまれつき旅行ができない体質でなによりです。
そういうわけで、基本的に旅行には興味がないです。ついでにいうとわたしは生まれつきものを食べるのが苦手なので食べものにも興味がないです。しかし本書は「旅行」と「食べもの」の本です。困りました。
中国の賢人はあたまのなかで居ながらにして世界中を飛び回れるので実際に旅行をする必要がないとアーサー・ウェイリーはいいましたが、本書の著者は近所をふらふらとフラヌール(散歩)する感覚で世界中を旅行するのでそのへんがよいです。わたしなどは近所のスーパーへ行った帰りにちょっとちがう道を通っただけで迷子になって二時間くらいさまよってしまうこともしょっちゅうです。もともと行動範囲が狭いうえに、ひきこもっているあいだに近所の景色がどんどん変ってしまうので、たまに外にでるとまるでちがう町に来たようでそれはそれで旅行感覚を味わえるのでよいのではないでしょうか。
それはそれとして、本書の著者はフーリエのユートピア論の訳者です。ユートピアとはこの世にない場所という意味なので、ユートピアをこの世に実現しようとするとそれはディストピアになってしまい、画一化されてゴミひとつ捨てられない管理社会という、天国を偽装した地獄が現出してしまいます。著者はそのようにして現実化された清潔な地獄すなわちわれわれの文明社会をユートピアとよぶわけで、著者のいう反ユートピアの旅とは、ユートピアならぬ桃源郷に辿り着くために迷子になることなのではなかろうか。迷子というのはよくない印象があるかもしれませんが、画一化され整理整頓されマニュアルに従ってさえいれば迷わず目的地に行けるようになっている世界で迷子になるには迷子になるための才能が必要なのでありまして、それは管理社会によって上書きされ隠蔽されてしまった原初の楽園の地図を読み取る能力であり、管理社会が指し示すダイレクションにくらまされずに桃源郷のありかを察知する方向感覚であります。
巌谷さんの旅行記にはちょくちょく子どもたちが登場します。子どもたちはたいてい遊んでいます。
「信安郡に石室山がある。晋の時代に、王質が木を伐りにやってきた。数人の童子が歌いながら碁を打っているのを見て、質は歌を聴いて見物した。童子が棗(なつめ)の核(たね)みたいなものをくれたから、質が口に含むと饑えを覚えなかったのである。しばらくして童子がいうことに、「どうして行かないの?」。質が起ちあがって斧を視ると、柯(え)はぼろぼろに爛(くさ)れ尽していた。山から里に帰ってみれば、すでに時人なし。」」
(大室幹雄『囲碁の民話学』より)
これすなわち「旅行」と「食べもの」の文学のまさに元型でありまして、本書に登場する子どもたちが、この「爛柯」のおはなしに登場する童子たちをおもわせるのもむべなるかなです。そういう意味では巌谷さんの旅行記の三本柱の残りの一つである「温泉」(「溜り水」)こそ、インスタント桃源郷であるといえます。

ところで、一般的には貧しい国に学校を作ったり貧しい子ども(に限らずお金持ちの子どもも)を無料で学校に行かせたりすることがなにかとてもよいことのように考えられているようですが、しかし学校地獄から逃れるために自殺する子どもたちの存在をどうしてくれるのか。われわれ学校ぎらいの子どもたちとしてはいじめられっ子の迷子のカメをたすけていっしょに龍宮城に行って二度と帰ってこないか、泉鏡花の小説のようにグミの実をくれる〈きれいなお姉さん〉が学校に火をつけてくれる(世界燃焼=エクピロシス)のを心待ちにするしかないです。
とはいえ、「目的をはたせないというのも旅のおもしろいところで、そのぶん時間があまるから別の体験ができたりする。」と本書にはありますが、病気で学校を休んでねこんで天井のしみに森羅万象を幻視したり妄想裡に天井を歩き廻ったり畳の目を数えたりねたきり仲間とテレパシー通信したりするのも学校に行くのと同様、というかそれ以上に意義深い体験なので、わざわざ龍宮城に行くまでもないです。「自由とは自由をもとめる人々のあいだにこそある。それは、はじめから与えられているものではない。」という著者のことば(『アジアの不思議な町』より)を、わたしはそのように曲解しています。

















































































巖谷國士 『アジアの不思議な町』

「それにしてもこのエネルギッシュな荒廃の感覚はけっしてわるいものではないなと思った。」
(巖谷國士 「慶州、扶余、儒城、利川」 より)


巖谷國士 
『アジアの不思議な町』


筑摩書房
1992年11月10日 初版第1刷発行
iv 287p 索引iii
21×13cm 並装 カバー
定価2,500円(本体2,427円)



本文中図版(モノクロ)多数。


巌谷国士 アジアの不思議な町 01


帯文:

「アジアの町へ、未知をもとめて
「不思議」な町が秘めている、美しく、野性的なエネルギー。
驚きの眼をもつ旅の魔法使いがふたたび贈る
〈夢幻のガイドブック〉」



帯背:

「魅惑の都市紀行」


カバーそで文:

「身近にありながらも、アジアは未知の世界だ。さまざまな町のさまざまな生活や風俗、文化、名所旧跡、あたりをとりまく野生の自然。そこには、既知のものを未知のものに美しく変貌させるにとどまらず、未知そのものの魅惑をも開示するエネルギーがひそんでいる。中国をめぐり、韓国、東南アジア、インドネシアの島々、ネパールからインド、そして東西の交わるイスタンブールへ。眼と感覚の「驚き」を求めて、不思議の旅はつづく。」


目次:

 Ⅰ
桂林――水と樹と少女と
昆明と雲南省の不思議
広州――エグゾティスムの市場
 Ⅱ
北京の位置と広さについて
杭州――「美女」としての町
上海という名のメトロポリス
 Ⅲ
プサンとふたつの温泉地
慶州、扶余、儒城、利川
ソウルの朝食
 Ⅳ
香港一九九〇年
バンコク・天使の都
シンガポール――あるユートピア島
 Ⅴ
ジャカルタ――陸と海の国にて
プランバナン、ボロブドゥール、ヨグヤカルタ
バリ島で「パリン」――デンパサール
 Ⅵ
カルカッタとバンヤンの巨木
カトマンドゥ――遍在する「眼」
パタン、バドガオン、ネパール盆地
 Ⅶ
ヴァラナスィ――ガンガーとともに
アグラ――「形」の魅惑
ジャイプルとその天文台
 Ⅷ
幻のインド――デリー、ニューデリー
ふたたびイスタンブール
東京の夜、朝、昼

あとあき
アジア地名索引



巌谷国士 アジアの不思議な町 02



◆本書より◆


「桂林――水と樹と少女と」より:

「山々は奥ぶかく重層する三次元の空間のなかに立体としてうかびあがり、ともすれば四次元時空の幻さえよびおこす歪みをおびる。これはすくなくとも、時間とともに移りゆく特異な大空間である。六時間のあいだ、私はたえず風景が偶然事として生起し変容してゆくひとつの世界、ひとつの宇宙のなかをすべっているような気がしていた。
 「なんだろうね、この感じは。時間というものが目に見えるようだ。はじまりとかおわりとかいったことが、妙に身近にあるような気もする」」
「Y氏にうながされて右の岸を見ると、もくもくと緑の雲のようにけむる竹林の根もとに痩せた老人がひとりかがみこみ、膝をかかえたままいっこうに動くけしきがない。
 「ああやって一生じっとしている。宇宙を体に感じてる。いいなあ」とY氏。」
「「こんなところでくらしていたら、どうなっちゃうんだろう」とY氏。「でも、これがほんとう、ふつう(引用者注: 「ふつう」に傍点)なんだろうね」」
「それは現実が夢に似ているからだけではない。ここでは夢と現実の区別など、もうどうでもよくなっているらしいのである。」

「だがおおかたは暗くて静かな裏道で、行きあたりばったりに角をまがってみると、ふいに水の匂いが立ち、榕湖に近い、くずれかけた白いビルの正面に出た。
 そのビルの一階のぽっかり口をあけた倉庫のような空間に、老人たちがつどい、手に手にもった琵琶や一弦琴や太鼓や笛をあやつって、のんびりと、たのしそうに、だが物悲しい民歌をかなでている。
 ビルの壁に反響してそのひなびた楽音はエコーを生じ、外を歩く人々を思わず立ちどまらせる。これはいったい何なのだろう。やがて楽士たちの列のなかから青い人民服すがたの老婆がひとり、中央にすすみでて歌をうたいはじめる。彼女だけでなく、老人たちがみな盲目であるらしいことに私は気づいた。ほのぐらい裸電球の下のこのときならぬパフォーマンスは感動的だった。」



「広州――エグゾティスムの市場」より:

「広州人は「空とぶものなら飛行機以外なんでも、四足のものなら机以外なんでも」食べるという。さらに「二本足のものなら両親以外なんでも」というジョークさえある。犬や猫にしろ鼠にしろ猿の脳味噌や蚊の目玉にしろ、日本人にとってはひどいゲテモノの範疇にはいる。けれどもそういった食の素材が、ごく自然に、あらゆる偏見をこえて、ひたすら旨味と滋養のために渉猟されてゆく状態そのものは、ゲテモノではない。話は別の次元にすすむだろう。これは文化の厚みの問題にかかわるかもしれない。」


「シンガポール――あるユートピア島」より:

「ユートピアというのは奇妙な言葉で、本来「どこにもないところ」を意味するものだが、いまや高度成長をとげた地球上の一部の国々では、「どこにでもありそうなところ」の意味になりさがっている。もともと古代ギリシアのプラトンをはじめとするヨーロッパ人が考えていた理想都市国家のことなので、アジア各地に語りつがれる「桃源郷」のような夢幻世界とはわけがちがう。ユートピアは夢幻ではなく理性によって周到に組みたてられている統制の行きとどいた小世界の謂なのだ。夢幻はもともと無秩序でいいかげんで自然とつながっているものだが、理性はむしろ自然をこえた人間社会の秩序を追いもとめる。ヨーロッパ都市文明の永遠の理想であったユートピアは、じつは施政者の強権を正当化するものでしかないということが近ごろわかってきた。ユートピア主義者のうたいあげる合理性、画一性、清潔さ、健康さ、人工的自然、クリーン・グリーンといった紋切型のスローガンはいつも、法による統制や抑圧を前提とせざるをえない。」



「カルカッタとバンヤンの巨木」より:

「そしてこの不思議な靄のなかに、ありとあらゆる生き物たちがうごめいて見えた。
 各地方の民俗衣裳や、現代西欧ふうの服をきた人々、あるいは衣裳とよべるようなものをなにも身につけていない人々、子どもたち。杖をつく人、荷物をかつぐ人、車をひく人、地べたにすわる人、しゃがみこむ人、寝そべる人、立ちつくす人。天をあおぐ人、眼をぎらつかせる人、歌う人、髪をふりみだす人。這いまわる人、手さぐりで進む人、進まない人。
 そして、いわゆる人間とはどこかちがう形をしていながら、それでいてどんな人間よりも人間らしく見える人。
 彼らだけではない。(中略)ときには人間以上の威厳をもって闊歩する聖なる牛たち。犬に山羊に水牛に象。この町の街路では、人間とそれ以外のものとの区別などなさそうだ。だれもかれも、なにもかもが、統制も自粛もない不思議なアナーキーの靄のなかで、文字どおり、右往左往をくりかえしている。」



「カトマンドゥ――遍在する「眼」」より:

「クマリとはここでは生き神さまのことだ。」
「暗闇のなかからあらわれたクマリの顔は、蒼白く、髪がみだれ、不機嫌そうで、なるほど、つねの少女のものではなかった。やるせなげに窓にもたれ、首と肘をゆっくり動かしている。
 なによりも印象的だったのは彼女の眼だ。くまどりのできたまぶたの奥から、あらぬかたを見ている。あるいは、なにも見てはいない。
 クマリは中庭にいる私たちのほうには一瞥もくれず、まもなく暗闇のなかへ引っこんでしまった。」
「クマリはたとえ幼年期のあいだだけではあったにせよ、ヒンドゥー教のシヴァ神の一化身を生き、演じていたのである。彼女の体には、すでにシヴァ神の霊がはいってしまっている以上、元クマリの夫になった男は、その霊に殺されることだってあるという。」



「ジャイプルとその天文台」より:

「綿密な計画にもとづく十八世紀ふう擬似ユートピア都市だったジャイプルにも、やがてインド的・反ユートピア的な迷路や混沌やアナーキーが住みつくようになった。美しい孔雀や象や女神をえがく精巧きわまる象嵌細工にかこまれたあの扉のひとつをあけることができれば、そのなかにはあらゆる色と形と音と匂いをもつ森、迷宮、雑踏があらわれ、だが同時に、それがなにもないがらんどうの大地のように見えたりもするというのが、この箱世界としてのインドの不思議であろう。」










































































































巌谷国士/桑原弘明 『スコープ少年の不思議な旅』

「だれもがどこかで見たことがあると感じる。懐かしい。切ない。なにか自分の源にまでつれもどされてしまいそうな、心をしめつける光景。」
(巌谷國士 『スコープ少年の不思議な旅』 より)


文: 巌谷國士
作品: 桑原弘明
『スコープ少年の不思議な旅』


パロル舎 
2005年12月1日 第1刷発行
2006年9月20日 第2刷発行
96p 
14.6×14.6cm 
角背紙装上製本 カバー 
定価1,700円+税



栗原弘明氏が製作した「スコープ」の数々を、巌谷國士氏の文章と共に紹介する、小さくて真四角な本です。アマゾンでバーゲンブックが本体680円で売られていたので購入してみました。
「スコープ」を作った桑原氏、そしてそれを見る「わたしたち」が「スコープ少年」であり、「スコープ」を覗くことによって「スコープ」のなかに入りこみ、前回紹介したボルヘスの本に引用されていたグザヴィエ・ド・メーストルの室内旅行記のタイトル「わが部屋をめぐる旅(Voyage autour de ma chambre)」そのままに、極小の室内宇宙を旅することになるのであります。
そして「スコープ」=胡桃の中の世界こそが、本質的に住所不定無職の「少年」たちの故郷であるといってよいです。


巌谷国士 スコープ少年の不思議な旅 01


帯文:

「掌にのる珠玉のスコープオブジェ
スコープ少年とは誰だろう?
誰しも目の前にスコープがあれば、
つい覗きこんでみたくなる。」



巌谷国士 スコープ少年の不思議な旅 04


帯裏:

「スコープをめぐる幻想旅行譚
白昼夢
フェルメール
セロ弾きのゴーシュ

scope
黒い男
窓辺
雨音
玉虫厨子
子供の部屋
深みの中へ
微かな記憶
窓辺の午後
秘かな中庭Ⅰ
秘かな中庭Ⅱ
中庭

ピラネージ
ねじれた記憶
現れよ
惑星
天使卵
ノスタルジア
月の光
夜のとばり」



巌谷国士 スコープ少年の不思議な旅 02


内容:

スコープ少年の……

部屋
 白昼夢
 フェルメール
 セロ弾きのゴーシュ
 鏡
 scope


 黒い男
 窓辺
 雨音
 玉虫厨子


 子供の部屋
 深みの中へ
 微かな記憶
 窓辺の午後


 秘かな中庭Ⅰ
 秘かな中庭Ⅱ
 中庭
 滝
 ピラネージ

ふたたび部屋
 ねじれた記憶
 現れよ
 惑星
 天使卵


 ノスタルジア
 月の光
 夜のとばり

……不思議な旅



巌谷国士 スコープ少年の不思議な旅 03



◆本書より◆


「外側は四角い、堅固な合金でつくられたその小さな箱を手にのせたとき、想像したよりも重く、なにかの予感が芽ばえる。私たちはそれだけですでに、不思議な旅へとさそわれている。
 その箱からは細い筒が出ていて、先端のレンズを覗くと、はじめはなにも見えない。箱の側面にある小さな円い穴に懐中電灯をあてたとき、はじめてくっきりと、またぼんやりと、部屋や庭の光景が見えてくる。
 懐中電灯の光を強めたり弱めたり、また別の穴にあてたりすると、おなじ光景がさまざまに変化しはじめる。
 私たちがほんとうに驚くのはそのときである。部屋や庭に置かれた机や泉水のような物たちが、光をうけて輝き、また影をおとす。
 窓の外では空が、朝、昼、夜と移りかわる。私たちはここではじめて、その光景がただの映像ではないことに気づくのだ。
 小さな箱のなかには、本物のオブジェたちがいる! 机も椅子も燭台も壺も、樹木も泉水も洞窟も滝も、すべてが極小のオブジェとしてそこに在るのだと知ったとき、私たちは一瞬のめまいにおそわれてしまう。
 それらはしかも、小さなままに見えるのではない。視野いっぱいに大きく見える。というよりも、私たちのほうが、ちょうど不思議の国のアリスのように、何十分の一にも小さくなったように感じられる。」



巌谷国士 スコープ少年の不思議な旅 05










































巌谷国士 『澁澤龍彦考』

「ひたすら、のんびりとすごした。いつ仕事をするのだろうか、と訝られた。」
(巖谷國士 「澁澤さん」 より)


巖谷國士 
『澁澤龍彦考』


河出書房新社 
1990年2月20日 初版発行
2007年5月10日 2刷発行
241p 澁澤龍彦著作目録・索引viii  
20×15.5cm 
丸背紙装上製本 カバー 
定価2,500円+税
装幀: 吉岡実



本書「あとがき」より:

「澁澤龍彦という作家・人物は、いまから二年ほど前、一九八七年の八月五日に亡くなった。
 そのとき遠い旅先にあった私にとって、この年長の友の訃報はつらかった。しばらく風景ばかり眺めてすごした。それから旅にまた旅をかさねて、地中海ぞいの町々をさまよいあるいた。
 一か月後、身近な世界にもどってきた。すぐに北鎌倉の彼の家をたずねた。部屋の空気はほとんど変っていないように思えた。いまは黒い額のなかにいる彼と向いあいながら、長いあいだ、龍子未亡人と話をした。
 彼女は、澁澤龍彦について、いろんなことを書いてほしいといった。生前の彼自身からも、書け書け、といわれていたことを思い出した。」
「それから一年半ほどのあいだに、多くの原稿の注文をうけた。いろんな雑誌や新聞で追悼特集のようなものが組まれたり、旧著の再刊を機に、いわゆる巻末エッセーが必要になってきたりしたためである。私はできるだけ断わらないようにした。そしてその間、つねになく饒舌でありつづけた。」
「とくに計画的に書いていたわけではない。むしろそのときそのときの気分で、さまざまな角度から、澁澤龍彦の書物と人物についての記憶をよみがえらせるという試みを、断続的にくりかえしていたにすぎない。
 そしてその結果、こんなふうに、一冊の書物の世界をかたちづくりうる文章の集積が、自然にできあがってしまったのである。」
「それにしても、その機会がこんなに早くおとずれようなどとは、思ってもみなかったことである。
 宙吊りや引きのばしはもともと私自身の方法に属する。もっと遠くから、客観的に、それものんびりやってみたい仕事ではあった。」
「つまりこれは私にとって、多かれ少なかれ早すぎる本だということでもある。」
「各節の扉に配してある写真は、彼の訃報に接してから一か月ほどのあいだに、私自身がたまたま旅先で出会うことになった四つの「風景」である。」



巌谷国士 澁澤龍彦考 01


帯文:

「〈庭〉から〈旅〉へ――
故・澁澤龍彦の若き朋友であり、仏文学者・批評家として共通の領域にかかわってきた著者が、鋭い分析と観察によって明らかにする作家の本質とその変貌――そして〈航海〉。」



帯背:

「画期的エッセー」


帯裏:

「はじめての澁澤龍彦論!!
高丘親王はいつも先をいそぐ。一箇所にとどまらない。案外、この人ほどひとつひとつの事物にこだわりをもたず、空間の安息からも遠かった主人公もめずらしいのではないか、という気がする。どんなに珍奇なものに出遭っても、驚くべき出来事がおこっても、それらはなにか砂時計の砂のように、水時計の水のように、この人の前で、さらさらと流れ去ってゆくものでしかない。高丘親王は、そして澁澤龍彦は、もっと大きな時間の夢のなかで、来たるべき新しい文学の夢でもみているのではないか――とさえ思われてくる。(本文より)」



目次 (初出):

 Ⅰ
澁澤さん――回想記 (「ユリイカ」 臨時増刊号 「想特集 澁澤龍彦」 1988年6月)
 Ⅱ
「旅」のはじまり (「海燕」 1988年5月号 原題: 澁澤龍彦の『出発』/澁澤龍彦 『エピクロスの肋骨』 福武書店 1988年5月)
『サド復活』のころ (澁澤龍彦 『サド復活』 日本文芸社 1989年4月)
ある「偏愛的」作家について (澁澤龍彦 『偏愛的作家論』 福武文庫 1986年11月)
既知との遭遇――美術エッセー (澁澤龍彦 『幻想の彼方へ』 河出文庫 1988年10月)
ユートピアの変貌 (「みずゑ」 特集号 「追悼 澁澤龍彦」 1987年冬)
 Ⅲ
望遠鏡をもった作家たち (「ちくま」 1978年7月号/巌谷國士 『宇宙模型としての書物』 青土社 1979年2月)
『神聖受胎』再読 (澁澤龍彦 『神聖受胎』 河出文庫 1987年11月)
ノスタルジア――一九七〇年代
 黄金時代 (「日本読書新聞」 1971年9月6日号/巌谷國士 『宇宙模型としての書物』)
 幻をつむぐもの (「流動」 1973年7月号/巌谷國士 『宇宙模型としての書物』)
城と牢獄 (『新編ビブリオテカ澁澤龍彦 城と牢獄』 白水社 1988年3月)
晩年の小説をめぐって
 『うつろ舟』 (「朝日新聞」 1986年8月11日号)
 『高丘親王航海記』 (「文學界」 1987年12月号)
「庭」から「旅」へ (「朝日新聞」 1987年11月2日号)
 Ⅳ
澁澤龍彦と「反時代」 (「國文學」 特集号 「澁澤龍彦 幻想のミソロジー」 1987年7月)
澁澤龍彦とシュルレアリスム (「幻想文学」 別冊 「澁澤龍彦スペシャル II」 1989年2月)

あとがき
初出一覧

澁澤龍彦著作目録・索引



巌谷国士 澁澤龍彦考 02



◆本書より◆


「澁澤さん」より:

「その日の澁澤さんは、めずらしく饒舌だった。」
「私がひそかにフーリエの翻訳をこころみていることを洩らすと、澁澤さんは、石井恭二さんに電話して、現代思潮社で彼らが企画しつつあった「古典文庫」のなかに、私の訳で、『四運動の理論』を入れることを、その場で決めてしまった。これは三年後の一九六九年に本になった。
 しかし、まあ、そんなことはどうでもいい。澁澤さんはそのとき、じつにたくさんの書物のことを語った。バシュラール、エリアーデ、バルトルシャイティス、ゲノン、ユング、ドーマル、グラック、ホルベルク、ルネ・アロー、ジャン・フェリー、マシュー・グレゴリー・ルイス、アルトー、などなど、いろんな著者の本を出してきて見せた。色鉛筆で下線をひいたり、細かな字で書きこみをしてあるものが多かった。メタモルフォーズ(変身)叢書やファール(燈台)叢書のピンクの表紙が好きだといった。フランスから送られてきた新刊書のカタログまで出してきたが、それらにも赤青の鉛筆で、ていねいに下線や丸印がつけてあった。洋書店の注文請書は、まとめて紙バサミにとめてあった。
 澁澤さんは、意外にマメで、几帳面な人だったとも思う。のちに北鎌倉の新居に移ってからも、そこの客間兼居間と書斎はつながっているので、よく書棚や仕事机を見ることがあったが、いつもきちんと整頓されていて、ふしぎなほどだった。もっとも、掃除ということはきらいだったらしい。龍子夫人の話では、とくに電気掃除機なるものを敵視していて、それの作業がぶんぶんはじまると、怒りくるってとんできて、コードを引きちぎったりすることもあったという。整理され、しかも埃のつもっているような状態が、つまり彼の理想だったのだろう。」



巌谷国士 澁澤龍彦考 03
















































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。


うまれたときからひとでなし、
なぜならわたしはねこだから。

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