平野敬一 『バラッドの世界』

「バラッドはもともと(中略)社会の被疎外者たちが好むものだった。私は、ここで日本の旅芸人や(小沢昭一のいう)「放浪芸」のことをも連想したりするのだが、民族の文化や伝承の中の、ある貴重なものが社会の疎外者たちによって守られ、伝承されるのは、なにもイギリスだけに限られた現象ではなさそうである。」
(平野敬一 『バラッドの世界』 より)


平野敬一 
『バラッドの世界』


ELEC出版部 
1979年10月1日 初版発行
223p 
四六判 
角背紙装上製本 カバー 
定価1,900円
ジャケットデザイン: 野田儀保



本書「あとがき」より:

「本書は『英語展望』(ELEC Bulletin)誌の第49号(1975年4月)から第65号(1979年4月)にいたるまで、ほぼ4年間、15回に亘って執筆連載した文章をまとめたものである。」


本書より:

「どう厳密に定義しても、なにかがはみ出るに決まっているが、バラッドとは、要するに、ある展開するストーリーがあり(抒情とか詠嘆だけでは不可)、それが韻文で表現され、メロディーがついていて、作者不詳のまま、主として口頭により民間に伝承されてきた唄、というふうに考えれば、ほぼカバーできそうである。日本語訳としては「物語り唄」と訳せないことはないが、たんに「バラッド」、あるいは「文学的バラッド」と区別して「伝承バラッド」とするのが、いちばん無難であるように思われる。」


本文横組。


平野敬一 バラッドの世界 01


カバーそで文:

「英米のフォーク歌手E. マッコール、J. リッチー、J. バエズ等によって歌われ一躍世界的注目を集めるにいたったバラッド。そして、最近日本の若者たちの間でブームになりつつあるバラッド。
一体、バラッドとはなにか? その魅力はどこから来るのか? 
マザー・グース研究の第一人者である平野敬一教授は、豊富な音声資料(レコード)に関連づけながら、バラッドのもつ魅力の秘密を口誦という伝承過程の中でとらえて説明してくれる。」



目次:

1. バラッドの魅力と「酷き母」
 はじめに
 バラッドの定義
 「酷き母」をめぐって
 英文学との関係
 「酷き母」と子供の世界
2. 「ロード・ランダル」
 童謡とバラッドの関係
 “Lord Randal”
 “Lord Randal”の起源
 マッコールの“Lord Randal”
 ヴァージョン間の異同
 “The Croodin Doo”について
3. 「ビリー・ボーイ」
 キャッソンの「ビリー・ボーイ」
 “My Boy Willy”
 “The Comedy of Billy and Betty”
 再びバラッドと童謡について
4. 「アッシャーズ・ウェルのおかみ」(その 1)
5. 「アッシャーズ・ウェルのおかみ」(その 2)
 “The Wife of UW”の朗読
 唄としての“The Wife of UW”
 アメリカにおける“The Wife of UW”
 アメリカ特有のヴァージョン
6. 「アッシャーズ・ウェルのおかみ」(その 3)
 ナイルズの“The Cartin Wife”
 さまざまのアメリカ・ヴァージョン
 グリアの“The Three Babes”など
 アメリカ・ヴァージョンの意味
7. 「ヴァンディー、ヴァンディー」
 承前
 “Vandy, Vandy”について
 ウェルマンのSF短篇
8. コック・ロビンの唄
 “Lamkin” (Child #93) について
 コック・ロビンの唄と「ラムキン」のつながり
 「ラムキン」のアメリカ版
 再び「コック・ロビンの唄」
9. 「エドワード」(その 1)
 岡倉編 Old English Ballads について
 “Edward”というバラッドの特性
 Percy Version の特性
10. 「エドワード」(その 2)
 Motherwell Version について
 Percy Version の問題点
 殺人の動機の問題
 Percy Version の位置
11. 口笛を吹くヨセフ、他
 民衆の代弁者
 伝承の中の「聖家族」
 “The Cherry Tree Carol”をめぐって
 “The Bitter Withy”について
12. 方法についての弁明、他
 A. B. フリードマンの名解説
 音声資料の価値/フリードマンの選集
13. 「タム・リン」(その1)
 チャイルドのフェアリー・バラッド
 “Tam Lin”について
 バラの花を摘むタブー
14. 「タム・リン」(その2)
 タム・リンの身の上話
 悪魔と妖精の関係
 妖精のイメージ
 フェアリーランドからの救出
 キリスト教的なものの忌避
 変身のモチーフ
 水のモチーフ
 救出完了と妖精の女王の怒り
15. 生きているバラッド伝承
 伝承への接近法
 スコットランド研究所の業績
 Betsy Johnston の“Tam Lin”
 採録のいきさつ
 被疎外者の唄

あとがき
索引



平野敬一 バラッドの世界 02



◆本書より◆


「しかしバラッドというあの無限の豊かさをもった大人の世界の作品群が、研究対象としても、講義題目としても、マザー・グースほどではないにしろ、ほとんど問題にされないのは、どういう理由によるのだろうか。
 一つには、バラッドに対して本国のイギリス人がかつて有していた偏見があり、それがいまなお根強く尾を引いている、という事情があるのかもしれない。イギリス人が有していた偏見とはなにか、いちばんその偏見を端的に示しているのは例のブリタニカ百科大辞典の初版(1771)の“ballad”の項の解説かもしれない。それは次のようになっている。
 「下層階級の頭の程度に合わせた一種の唄。下層の連中はバラッドというこの詩の形態にひどく魅せられているものだから、その日常の身の処し方においても、このバラッドの影響を少なからず受けるのである。したがって悪事を企むような輩は、民衆を自分の側に引きつけるため、常にバラッドの流布に意を用いるのである。」
 いまからみると信じられないほどの偏見に満ちた書き方であるが、これを、いちおう18世紀イギリスの有識者(あるいは支配層)の代表的見解とみなしていいかと思う。要するに、バラッドは、程度の低い層の嗜好に合ったもの、という考え方が根本にあるのである。(中略)またバラッドが、その中に反権力的志向をもち、それが支配階級に嫌われる――というより本能的に恐れられる――原因となったことも、上の定義から読みとれる。」

「ほんらい口から口へと伝えられてきたバラッドは、極端にいうと、歌う人ごとに、そして歌うたびごとに、どこか違っているところがあり、固定した「正しい」形というものはそもそも最初から存在しない。おおよその筋さえ知っておれば、あとは成句を適宜組み合わせ、それにリフレインをつけて、いわば興にまかせて歌うということになるので、こういうバラッドを、完成された文学作品の definitive edition を分析鑑賞でもするような気持で、綿密に読んでいったりすると、つじつまの合わないところや説明のつけられないことが続出して、立ち往生をするということになろう。一字一句をそのまま伝えようという気持が、もともと歌う方にそう強くない上に、伝承の過程でとうぜん起こる聞き違いや言い違いも加わるので、細部で筋道が通らないところがある方がむしろ普通なのである。「酷き母」というバラッドも、もちろん例外ではない。話の筋としては、女が堕胎して殺した自分の2人(ときには3人)の子の亡霊にたたられる話しだということは分かるが、こまかく詞句を辿っていくと不分明な点が少なくない。」
「多くの伝承童謡の場合と同じく、このバラッドの起源もはっきりしない。初出文献という活字の証拠は、口承の世界では、あまり意味をなさない。チャイルドが挙げている A version の出典は1776年だから、文献的にこのバラッドがかなり古いものであることは分かるが、その前に口承で伝わっていた時期が何十年、あるいは何世紀あったのか、見当もつかないのである。
 ただ、このバラッドには、原始的なフォークロアのモティーフというべきものがいくつかあり、その出自の古さを暗示している。たとえば第6連に母親がペンナイフの血を拭っても拭っても止めることができない場面が出てくるが、読者はマクベス夫人のあの夢遊病の中の幻覚
  What! will these hands ne'er be clean?
  (おや! この手はどうしてもきれいにならないのだろうか)
を想い起こすであろう。といっても、私は、このバラッドがシェイクスピアの『マクベス』に由来するかもしれない、といおうとしているのではない。シェイクスピアがあれほどみごとにそこから養分を汲み取ったフォークロアの世界(私がかつて「もと唄の世界」と呼んだもの)に、この「酷き母」も、深く根を下ろしているということを指摘したいのである。殺害された者の血は、加害者がそばにいると、あるいは近づくと、とめどなく流れるというのは、古いフォークロアであって、シェイクスピアの創意ではないのである。」

「伝承バラッドは、(中略)イギリスの民衆が、生者死者を問わず、人間をどうみていたか、また神とか動物とか妖精などの「超自然」をどう受けとっていたか、それらに対してどういうイメージをもっていたか、を明らかにしてくれるものである。それも表向きの建てまえとしてでなく、本音としてどう思っていたか、ということを明らかにしてくれるのである。バラッドは本音の世界――裏切りや肉親殺害や近親相姦といった(中略)人間関係が、おおっぴらに歌いあげられる世界なのである。」
 
「イギリスのバラッドや民謡の伝承において(中略)ジプシー系の歌手たちが果たしている役割は、はかり知れぬほど大きい。(中略)イギリスの社会でいまも疎んじられているこの被差別、被疎外者集団が、イギリスの伝承文化の貴重な、かけがえのない担い手となっているふしぎな、皮肉な状況は、いろいろのことを私たちに考えさせる。バラッドはもともと支配階層でなく社会の被疎外者たちが好むものだった。私は、ここで日本の旅芸人や(小沢昭一のいう)「放浪芸」のことをも連想したりするのだが、民族の文化や伝承の中の、ある貴重なものが社会の疎外者たちによって守られ、伝承されるのは、なにもイギリスだけに限られた現象ではなさそうである。」





こちらもご参照下さい:

平野敬一 『マザー・グースの唄』 (中公新書)
R・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 村田靖子 訳
久保寺逸彦 『アイヌの文学』 (岩波新書)













































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小野二郎 『紅茶を受皿で ― イギリス民衆芸術覚書』

「下品、俗悪、法外にもかかわらずではなく、まさにそのゆえに、「尊厳(ディグニティ)」を獲得するということは、いささか唐突だが、民衆芸術と前衛芸術の出会う場所だろうと思う。」
(小野二郎 「ミュージック・ホール」 より)


小野二郎 
『紅茶を受皿で
― イギリス民衆芸術覚書』


晶文社
1981年2月20日 初版
1982年7月10日 7刷
306p 参考文献iv 初出一覧1p
19.3×15.6cm 
丸背紙装上製本 カバー
定価2,300円
ブックデザイン: 平野甲賀



本文中図版(モノクロ)多数。


小野二郎 紅茶を受皿で 01


カバーそで文:

「紅茶をカップから受皿にあけて、そこからすする――アイルランドの田舎町で偶たま目にした老婦人の作法が、民衆文化の基層を垣間見させる。お茶の飲みかたにも、器物と人間との交渉の深い歴史がかくされている。
 パイ。プディング。ケーキ。蜂蜜酒。ワイン。注器。陶器人形。版画。ちらし。絵本。壁紙。チンツ。ミュージック・ホール。石。樹木。庭園。……「もの」の触感を手掛りにイギリス民衆の生活芸術を掘り起す。

 ウィリアム・モリスの主張しているようなレッサー・アート(大芸術に対する小芸術、民衆芸術、装飾芸術)の広い世界にふれたい。さらに、レッサー・アートとさえいえないような事柄を、イギリス民衆の生活史のなかのあちらこちらから見つけていきたい。
 民衆の神話形成力というものは、時には日常生活の微妙な形にあらわれると私は信じます。その神話に不意に出会う時、私の想像力は大いに刺激されるというわけです。
小野二郎」



目次 (初出):


紅茶を受皿で (「展望」 1975年2月)
ビートン夫人の料理術 (「現代思想」 1976年9月)
オーウェル「イギリス料理の擁護」の擁護 (筑摩書房「世界文学大系」第87巻付録 1975年8月)
パイとプディングとパイのパイ (「現代思想」 1976年8月)
バーミンガムのワイン・バー (「現代思想」 1977年2月)
蜂蜜酒の故郷――リンディスファーン・ミード (「翻訳人」 1977年7月20日)
注ぐ (「手」2号 1978年8月)
スタッフォードシャ陶器人形 (「グラフィケーション」 1980年10月)


ブロードサイド物語――イギリスの「瓦版」 (「グラフィケーション」 1980年7月)
チャップ・ブックの伝統――イギリスの「立川文庫」 (「グラフィケーション」 1980年8月)
トイ・ブックスの周辺――絵本の源流 (「グラフィケーション」 1980年1月)
十九世紀の版画工房――W・J・リントンのことなど (「グラフィケーション」 1980年2月)
ウォルター・クレインの絵本 (「グラフィケーション」 1980年3月)
ヴィクトリア朝絵本を見る視点 (「ほるぷ図書新聞」 1980年4月5日)
端物印刷物の世界――ビラ・チラシ・切符など (「グラフィケーション」 1980年9月)


イングリッシュ・チンツのデザイン (「Color Design」 1979年6、8、9月)
 1 最初期の木版プリント
 2 銅版プリントの導入
 3 木版プリント――一七七〇年代以降
 4 ローラー・プリンティングの導入
 5 染料・染色法の変化
 6 ローラー・プリンティングのデザイン――一八二〇~五〇年代
 7 ウッド・ブロック・プリンティングのデザイン――一八二〇~五〇年代
 8 モリス以前のイギリス・チンツ・デザインの特徴
 9 モリス登場前夜のデザイン状況
 10 一八〇〇年から一八三〇年のウッド=ブロック・プリント
 11 ウィリアム・モリス
 12 モリスの後継者たち
 13 リバティ=ファブリックス
壁紙の歴史 (「in」1号~4号 1980年1月~9月)
 1 壁紙の前史
 2 壁紙の揺籃期
 3 壁紙の発展
 4 第一回万国博前後
 5 モリス前夜
 6 A・W・N・ピュージンとオーウェン・ジョーンズ
 7 モリス・ペイパー
 8 最初期のモリス・ペイパー
 9 最盛期のモリス・ペイパー
 10 モリス以後
 11 ウォルター・クレイン
 12 C・F・A・ヴォイジイ
アール・ヌーヴォーのプロデューサー――『リバティ百貨店』 (「翻訳の世界」 1979年7月)


ミュージック・ホール (「グラフィケーション」 1980年4、5、6月)
 1 始めに
 2 イン・タヴァーン・パブ
 3 遊園地とサルーンズ
 4 ソング・アンド・サパー・ルームズ
 5 「カンタベリー・ミュージック・ホール」とサム・コウエル
 6 「ライオン・コミックス」
 7 ミュージック・ホールの天才マリー・ロイド


自然・風景・ピクチュアレスク
 1 ザ・ランドスケイプ・ガーデン (「カイエ」 1979年9月)
 2 コンスタブル (美術出版社 世界の巨匠シリーズ「コンスタブル」 1979年9月)
イギリスのオークについて (「現代思想」 77年11月~12月)
イギリスの雑木林(コピス) (集英社 「吉田健一著作集」第25巻月報 1980年10月)
コッツウォルド・ストーン (「グラフィケーション」 1980年11月)


ウィリアム・モリスと古代北欧文学 (「ユリイカ」 1980年3月)
ウィリアム・モリス『世界のかなたの森』 (晶文社 「世界のかなたの森」あとがき 1979年10月)
C・S・ルイス『別世界にて』 (「翻訳の世界」 1975年5月)
D・G・ロセッティとジェイン・モリスの往復書簡 (中央公論社「新版・世界の名著」第52巻「ラスキン・モリス」月報 1979年11月)

あとがき
参考文献
初出一覧



小野二郎 紅茶を受皿で 02



◆本書より◆


「紅茶を受皿で」より:

「W・B・イエイツの故郷スライゴーでも私は相変らずスーパーマーケットをうろついた。」
「そのスーパーの入口の向って右側に屋根の低い工事現場の簡易プレハブ風の建物があり、それが食堂だった。ちょうど昼時でもありそこに入りこんだ。私のテーブルの隣りに一人の小柄な、というか色々な理由でちぢんでしまったようなおばあさんが坐っていた。やがて運ばれてきたものは一杯のお茶と薄いトースト二枚である。」
「私はおばあさんの次の行為にあっと息をのみ、説明しがたい感動のようなものにとらわれたのである。それはそれほど奇矯な振舞いというのではなくて、ただお茶をカップから受皿にあけて、そこからすすっただけのことである。だが私は一人勝手に昂奮してしまった。ジョージ・オーウェルが第二次大戦中、BBCにつとめていたころ、仲間のインテリに対するいやがらせとしてこれと同じことをしたという話を即座に思い出したからである。」
「私の印象、記憶では、オーウェルはいやがらせのために、ただ不作法な下品な行為をしたということになっていた。(中略)そういう記憶をもっていたからこそ、そのおばあさんの所作に一撃をくらったのである。あのオーウェルの振舞いは、単なる下品、無作法なものでなく、それ自体一個のいわば作法であり、思いつきの出鱈目というのではなく、あるひとびと、あるいはある階級にとっては正統な行動様式なのではなかろうかということである。それが今は何かによって圧しつぶされ、表にあらわれなくなってきているのに、あのおばあさんはその抑圧から自由に生きて、何気なく無心に行動してそれを表現したのだった。確信にみちて静かに受皿からお茶をすすっているおばあさんに、他の誰れも自分はそうしているわけではないけれど、特に注意を払わない。自分たちはカップで飲んでいるだけである。
 ああオーウェルのあの行為の背景にはこういう「伝統」があったのだ(中略)。オーウェルはそれを素直に表現できなかった。できるわけがなかった。それが人に不作法に映ずること、不愉快に思われることはわかりきっているからだ。だからいやがらせになる。あてこすりになる。
 しかしオーウェルが憧れているものには実体があった。」



「ブロードサイド物語」より:

「これら印刷されたバラッドは、一枚の紙の片面のみにそうされていたのでブロードサイドと呼ばれた。これにはバラッドだけではない。ニュース、情報もまた刷られ、大衆の手にわたった。いやバラッドもまたニュースの役割りを果たしもしたのである。十六世紀初め、テュダー朝から十九世紀半ばまで、持続的に存在した。
 これ以前は、バラッド・シンガーたちは、さまざまな行商仕事と結びつけて、地方地方を唄い旅していたのだが、今やそのバラッドのコピイを唄ってきかせて売ることができるようになったのである。
 古い馴染みの節(ふし)に新しい歌詞がつけられるというのが、よくやられる手であった。細長い紙の頭のところは、大きな木版画(ウッド・カット)で飾られ、紙の長さは歌詞の分量で色々だった。デザインも作りも粗っぽく、活字は重苦しいブラック・レター(ひげ文字)で木版も洗練にほど遠いものであったが、その木版画は未熟な技術にかかわらず、原始芸術の力強さ、直截性、自由、に似た不思議な魅力をもっている。しかも、ゴシックの彫刻(中略)のもつユーモアとグロテスクの精神とあふれんばかりの幻想とにもみちみちている。
 この怪奇な幻想は、大衆の求めるセンセイション、露骨にしてきわどいユーモアによって強められた。」

「さてその唄の中身と言えば、様々だが、労働者階級の欲求不満と怒りが表現されていると言ってしまえば簡単すぎようが、(中略)下層階級の街頭生活の暴力と即物主義を反映するのは当然、おすましの気取った連中を無残に嘲弄する唄もまた愛好された。
 しかし、ベスト・セラーはやはり犯罪物であった(物語が散文で書かれ最後にバラッドがあるという形式)。犯罪と言ってもむろん殺人で、当時世間を騒がせた事件だが、よりセンセイショナルに仕立ててあるわけである。殺人者や犠牲者の絵ばかりでなく、殺人現場を生々しく再現した。」



「ミュージック・ホール」より:

「イギリスが自分が生んだものだと誇らかに、かつ正当にも宣言しうる芸術があるとすれば、それはミュージック・ホールだという。」
「その最盛期とされている一八九〇年代(中略)のスター中のスターであった、例えばダン・リーノウやマリー・ロイドの芸や歌の輝きの質が、居酒屋の真只中から生まれてきたものであったということが肝心だ。汚濁と洗練、暗い悲哀と乾いた機智。」

「ミュージック・ホールの歴史を飾るスターたちは数多くあったが、もっとも強い光を発する存在といえば、男性ではダン・リーノウ(Dan Leno 1860~1904)であり、女性はマリー・ロイド(Marie Lloyd 1870~1922)というところが動かないようだ。」
「一九二二年、マリー・ロイドが、幕が降りた直後舞台の袖で倒れ、三日後に死んだ時、イギリス全土がいかに一瞬息を止めたか、プルウストやエリュアールが死んだ時のフランスと同じだったと言っているのは、フォード・マドックス・ブラウンである。実際、新聞の売り子が「マリー・ダイズ! マリー・イズ・デッド!」と叫んで通りを走り抜けた時、すべての交通は三十秒止まったと言う。」
「T・S・エリオットは「クライテリオン」の二号に短文ながらマリー・ロイドという文章を寄せて、その中でこう書いている。
 「民衆の魂を表現する能力にかけてマリー・ロイドは無類だったと思われる。……しかし、彼女が他の喜劇役者たちと違っていたのは、その演技の完璧よりもその用い方にかけてであった。マリー・ロイドのやることには畸型的なものが何もなくて、そのおかしさは少しも誇張に頼らず、まったく選択と集中の結果だった。」
 またこうもいう。「彼女は他の寄席芸人よりも、ある意味では倫理的に優れていたのであって、彼女の民衆に対する理解と共感、及び民衆がその私生活でもっとも高く評価しているいくつかの美徳を彼女が体現しているのを、民衆の方で知っていたことが、マリー・ロイドに彼女の生前に占めていた地位を与えたのだ。」つまり民衆は彼女のなかに「彼ら自身の生活の表現と尊厳(ディグニティ)を見出していた」というのである。
 「尊厳(ディグニティ)」ということが肝心だと思う。ほぼ四十年も経ってから、ジョン・デイヴィッドソンというスコットランド生まれの世紀末詩人のことを、同じ言葉を使って論じている。この詩人は今はほとんど忘れられてしまっているが、『フリート街牧歌』その他ロンドンの陋巷を歌い、T・S・エリオットにラフォルグに向わせたといわれている。週三十シリングの安事務員を歌うのに、通常の詩語でなく、民衆の卑語俗語が用いられ、それがテーマの偉大さを誘い出し、その事務員の存在に尊厳(ディグニティ)を与えているというのである。
 下品、俗悪、法外にもかかわらずではなく、まさにそのゆえに、「尊厳(ディグニティ)」を獲得するということは、いささか唐突だが、民衆芸術と前衛芸術の出会う場所だろうと思う。」



「ウィリアム・モリス『世界のかなたの森』」より:

「だがイエイツの言葉はとても素晴らしいので引用したくなります。少年時代のことです。
 「私は、それまで不幸な人たちを同情しなさいと、さんざん教えられ、うんざりしてしまうほどだった。ところが、まったくモリスのロマンスを読んだおかげで、あふれんばかりの橅(ぶな)の木の枝や、はちきれそうな麦の穂を心のうちに持っていて、何もかも幸福の種にしてしまうような人間の存在に気づき共感できるようになったのだ。」
 また中世ヨーロッパ文学のすぐれた学者であり、「ナルニア国物語」の作者であるC・S・ルイスの少年期からの愛読書でもありました。彼はいいます。
 「モリスの想像世界はスコットやホメーロスのそれのように、風が吹き、手でしっかりと触わられ、響きを発し、立体的である。」
 モリスは風景(ランドスケイプ)を描くことに関心がない、ただ土地の形勢(ライ)を伝えるだけだ。他の人の物語は景色があるだけだが、モリスのには地理がある、ルイスはこのようにもいいました。」



小野二郎 紅茶を受皿で 03




こちらもご参照下さい:

角山栄 『茶の世界史』 (中公新書)
R・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 村田靖子 訳 (クラテール叢書)
平野敬一 『バラッドの世界』
ウォルター・クレイン 『書物と装飾 ― 挿絵の歴史』 (高橋誠 訳)
川崎寿彦 『森のイングランド』
富士川義之 『幻想の風景庭園』
『1800 Woodcuts by Thomas Bewick and His School』 ed. by Blanche Cirker




























































































小池滋 『ロンドン 世界の都市の物語』 (文春文庫)

小池滋 
『ロンドン 
世界の都市の物語』
 
文春文庫 こ 21 1

文藝春秋
1999年2月10日 第1刷
333p 
索引xii 参考文献vi ロンドン年表vii
文庫判 並装 カバー
定価514円+税
カバー: 安野光雅


「単行本 文藝春秋 一九九二年六月刊」



本書は「世界の都市の物語」シリーズの一冊として刊行されました。本書はその文庫化。本文中図版(モノクロ)多数。


小池滋 ロンドン 01


カバー裏文:

「伝統と繁栄を誇る大英帝国の首都ロンドン。その歴史ゆえに時と場所が交錯し、訪れる人々を混乱させる、このミステリアスな都市をディケンズ、亡命中のマルクス、フォールスタッフ、演奏旅行中のモーツァルト、切り裂き屋ジャックらこの街ゆかりの人物たちが案内してくれる、歴史と観光スポットを織りまぜたロンドン総合ガイド。」


目次:

序章 あの人と一緒にロンドン漫歩
 居間に座って時間旅行
 ローマ人の占領時代
 中世のロンドン

1 フォールスタッフと夜の散歩
 いざボアーズ・ヘッド亭へ
 辛口白ワインの効能
 ご馳走は一番乗り、いくさはどん尻
 爺さんの言うことにゃ
 曰く、勇気の神髄は分別
 ウィルの旦那とのお付き合い
 イーストチープの夢枕

2 ピープスとイーヴリンの火事見物
 シティ・オヴ・ロンドンが焼野原
 旦那さま火事です
 何と長い時間が経ったように思えたことか
 昼間同様の明るさ
 日記に見る性格

3 ジョナサン・ワイルド この世の最後の道行き
 ロンドンに名高い二つの監獄
 恐怖の司法制度
 「ロンドン犯科帳」
 ここは地獄の三丁目
 ニューゲイト紳士録
 タイバーンへの道
 悪人は死して名を残す
 
4 引越しにもあきなかったジョンソン博士
 博士の華麗なるロンドン遍歴
 シャツが清潔な日にぼくは人を訪ねた
 三文文士と大文豪
 引越し魔の跡を追う
 「オールド・チェシャー・チーズ」亭
 道楽者ボズウェルとグルメな博士
 ソーホーが出来るまで
 ダウニング街いまむかし

5 モーツァルト一家が歩いたロンドン
 八歳の神童
 クィーンズ・パレスの御前演奏
 縞馬とシンフォニー
 モーツァルトの崇拝者たち

6 ディケンズ少年の「ホーム」カミング
 ウォレン靴墨工場のある土地
 痩せても枯れてもホワイトカラー
 監獄の内と外
 チャールズくんのどたん場の知恵
 ウォータールー橋の南側
 作家ディケンズの誕生

7 カール・マルクスの放浪
 資本主義帝国へ亡命
 律義者の子沢山?
 降る日照る日も図書館通い
 大いなる遺産

8 英国式鉄道殺人事件
 走る密室
 犯行現場にて
 帽子と金時計の行方
 大西洋抜きつ抜かれつ
 処刑台への道
 ミューラー事件の波紋
 列車通勤の時代
 時代は三等へ

9 イースト・エンドの恐怖(その一)
 二つの未解決事件
 テムズ河のパーキング・エリア
 ドックのための産業城下町
 第一の殺人事件
 引き続く兇行
 真犯人は誰か?
 死体を“処刑”

10 イースト・エンドの恐怖(その二)
 「ジャック・ザ・リッパー」のあばれた街
 猟奇的な殺人
 元祖「怪人二十一面相」
 ジャック最後の犯行
 二〇世紀都市型犯罪

11 長谷川如是閑のロンドン 一九一〇年
 ジャーナリスト長谷川如是閑
 高級下宿の「ペイイング・ゲスト」
 レディとそろばん
 明治男の見たフェミニズム運動
 「女性に投票権を!」
 女の細腕で飲み干す大杯

ロンドン年表
参考文献
索引



小池滋 ロンドン 02



◆本書より◆


「ディケンズ少年の「ホーム」カミング」より:

「既に述べたように、当時の法によると、個人間の借金でも返済しないと、訴えられれば投獄されることになっていたのである。これはひどく残酷非道のように思えるかもしれないが、実はそれほどでもない。というのも、借金が払えない人の入れられる監獄は、(中略)人殺しや泥棒が入れられる監獄とは別種の、債務者監獄という場所であった。ここは普通の監獄とはかなり規則が違っていて、より寛大だった。なにしろ、ここは家族ぐるみで入ってもよい監獄で、もちろん当人は外へ出ることは許されないが、家族は門の開いている昼間は自由に出入りできる。」
「何のことはない宿泊費無料の公営住宅のようなもので、ここにいる限り外の債鬼に責めたてられることはなく安全なのだから、一生入っていたくなるくらいなものだ。(中略)ジョン・ディケンズも監獄の門を入る時には息子チャールズに向って、「わしにとって太陽は永久に沈んでしまったのだ」なんぞと芝居がかったセリフを吐いたものの、むしろ塀の中の生活の方が気楽と思っていたのではあるまいか。」

「両親がチャールズに労働を強いたのは、決して意地悪からではなかった。むしろ、悪意からであった方が、少年にとっては楽であったろう。父母を公然と責めることができたろうから。ところが、両親は善意から、チャールズのためによかれと思って、彼に仕事を課したのだ。つまり、息子の繊細な気持を想像すらできないという、善意の無知がその原因であった。これがチャールズにとっては故意の悪意よりも我慢できなかった。
 ボブの場合も同じで、もともとは彼の善意から生じた迷惑だった。いやみや底意地悪いいじめから、家まで送ってやるとしつこく言い張ったのなら、ボブを憎み返す正当な理由を見つけ出すことができたはずだ。ところが友人の心中を察することができないという、善意の無知から生じた行為だから、相手を憎んで、それで忘れるという単純な意趣返しで自分の気持を鎮めることができない。
 チャールズの憎悪はうっ積屈折した形でしか復讐(ふくしゅう)の方法を見出すことができなかった。善意の無知ほど世の中で恐ろしい迷惑はない、ということを思い知らされたのだ。自分で気付かぬうちに他人を迫害している人間ほど、始末に負えぬ悪人はいない、とつくづく思ったのだ。なぜなら、そうした加害者に対しては、正当単純な形での復讐が許されないというのが世の常識だから。
 チャールズに残された唯一の意趣返しは、想像力によって架空(フィクション)の世界の中で行なうことだった。」



「イースト・エンドの恐怖(その一)」より:

「ロンドンのイースト・エンド――と、こう書いただけで、いつまでも変らない一つのイメージが人びとの頭の中に定着してしまいそうだ。貧困、無法、暴力、などなどが、霧の中に渦巻いて、恐ろしい地獄絵図を展開させる。水夫たちが飲んだくれて、殴り合い、殺し合いが日常茶飯事の安酒場。中国人が経営する地下のアヘン窟、その裏の落し戸から夜な夜な何者かの死体がテムズの底知れぬ水面に葬られる。狭い路地には売春婦が立ち並んで客を待つ。」
「だが、現実はこうした悲惨さを売りものにしたロマンチシズムのヴェールを、どんどんはぎ取ってしまった。二〇世紀になってから再開発と社会福祉の波が、真先にこの地区に押し寄せた。そこへ第二次世界大戦中の空爆が重なり合って、多くの地表面を瓦礫(がれき)の山に変え、その整理が終ったところには、現代的な――しかしながら散文的な都市風景が姿を現わした。
 ことに最近急激に押しよせたドックランド再開発は、東京におけるウォーターフロント計画と同じように、テムズ河下流沿岸地域の様相を、よかれ悪しかれ、目ざましく変えてしまった。これを非難するか支持するかは人によってさまざまであろうが、ともかく今では切り裂き屋ジャックの幽霊が一〇〇年後に甦(よみがえ)ったとしても、戸惑うしかあるまい。
 というわけで、今日のイースト・エンドを通る人は、周囲を見まわして他のロンドンとほとんど変るところがない――いや、他のロンドンよりもずっと新しく、整然とした街頭が見られることで驚き、かつ失望させられたような気持になるようである。」










































































































































仁賀克雄 『ロンドンの恐怖 ― 切り裂きジャックとその時代』 (ハヤカワ文庫)

「シャーロック・ホームズ(一八八七年)、切り裂きジャック(一八八八年)、ドラキュラ伯爵(一八九七年)は、イギリスの十九世紀末が生み出した、サブ・カルチャーの三大スーパースターではあるまいか。」
(仁賀克雄 『ロンドンの恐怖』 「あとがき」 より)


仁賀克雄 
『ロンドンの恐怖
― 切り裂きジャックとその時代』

ハヤカワ文庫 NF146

早川書房 
1988年7月31日 発行
1994年4月30日 2刷
374p 
文庫判 並装 カバー 
定価600円(本体583円)
カバー: 建石修志



著者による「あとがき」より:

「一九七九年から「私の愛する切り裂きジャック」のタイトルで、ハヤカワ・ミステリマガジンに、断続的に二十二回連載した。(中略)連載完了後、最初から章の構成を立て直し、新たに書き下したのが本書である。
 私としては、切り裂きジャック事件を通じて見た、ヴィクトリア朝末期の大英帝国の首都ロンドンの一面を書きたかった。」



初版は1985年刊、本書はその文庫化。本文中図版(モノクロ)多数。


仁賀克雄 ロンドンの恐怖 01


カバー裏文:

「1988年、繁栄を謳歌するロンドンで五人の売春婦がつぎつぎと惨殺された。喉を切り裂き局部をえぐる残虐な手口に市民は震え慄き、警察は威信をかけて捜査を重ねたが、犯人は捕まらなかった。犯罪史上屈指の猟奇殺人者として、また矛盾にみちたヴィクトリア朝の象徴的存在として伝説の中に生き続ける〈切り裂きジャック〉とは何者だったのか。時代背景と事件経過を鮮やかに再現し、希代の怪物の正体に迫る。」


目次:

プロローグ 犯行以前
1章 第一の殺人
2章 第二の殺人
3章 スコットランド・ヤード
4章 第三の殺人
5章 第四の殺人
6章 ジャックの挑戦状
7章 ウォーレン総監辞任
8章 第五の殺人
9章 その後の類似事件
10章 切り裂きジャックの正体
11章 さまざまな容疑者
12章 ジャックの子孫たち
13章 切り裂きジャック伝説
エピローグ 百年後の犯行現場

主要参考図書
犠牲者一覧
有力容疑者一覧

終章のないミステリー (島田荘司)

あとがき (1985年)
文庫版あとがき (1988年)



仁賀克雄 ロンドンの恐怖 04


イースト・エンド地図。



◆本書より◆


「大英帝国の史上空前の繁栄の基盤には、悪辣な搾取に苦しむ植民地が存在したように、ヴィクトリア朝の絢爛たる栄華と豪奢の背後には、恐るべき悪徳と貧困とが横たわっていたのである。とくに産業革命が進み、人口集中の著しいロンドンでは、天国と地獄が共存していた。
 切り裂きジャックは、その地獄の腐敗した土壌に育まれた悪の華の一つにすぎない。この時代のアンダーワールドや犯罪実話の記録を繙(ひもと)けば、この種の犯罪は特殊なものでないことがわかる。」

「切り裂きジャック事件の前年、女王の即位五十周年祝典には、全ヨーロッパの王室や政府、大英帝国の植民地からの代表が参列し、国民こぞってこの偉大な女王の長寿を祝った。その余韻がいまだ醒めやらぬうちに、このいまわしい事件は起ったのである。
ヴィクトリア朝の最盛期に、この事件が起きているのは決して偶然ではない。
 対外戦争はたびたび起っても、国内においては、かつてのスペインやフランスとの戦いのように、イギリスが存亡の危機にさらされる事態はなく、植民地の拡張か分割による外地での戦争ばかりだった。ところが国内では富の流入と産業革命による貧富の格差、平和と安寧が長く続いたために道徳的堕落や腐敗などが、犯罪をひき起す温床となった。
 貴紳が地位と金銭に飽かして悪徳を行えば、庶民は貧困と絶望から悪事を働いた。それに加担しないまでも、一般大衆は猟奇的事件や犯罪に、うさばらしと異常な関心を寄せていた。世紀末の文化的爛熟や時代の閉塞状況がその背後にあった。
 ヴィクトリア時代の人々がこうしたことを気ばらしに愛好していた例が、公開処刑や、(中略)残酷見世物の繁盛ぶりである。公開処刑は一八六六年に廃止されるまで、ニューゲイト監獄をはじめ各監獄の門前で行われていた。」
「「人殺し(マーダー)! 恐ろしい人殺し(ホリブル・マーダー)だよ!」
 当時のゴシップ紙、絵入り新聞は、その販売部数を伸ばすために、好んで猟奇事件を扱い、街頭で売子にこう連呼させて、人々の興味を誘った。(中略)切り裂きジャック事件がセンセーショナルに扱われ、大パニックを起した背景には、当時のマスコミ、新聞の力によるところが大きい。」



仁賀克雄 ロンドンの恐怖 05


「上) ハンバリー・ストリート29番地の殺人現場。
下) 第2の犠牲者アニー・チャプマン。」

(「Annie Chapman - before and after death」)。


仁賀克雄 ロンドンの恐怖 03


切り裂きジャックの手紙。


「 地獄より
  ラスクさんへ
 ある女から切り取った腎臓の半切れを送るぜ。あんたのために取っておいたやつさ。残りの半片はフライにして喰ってしまったよ。かなりいける味だぜ。もう少し待ってさえくれれば、そいつを切り取った血まみれのナイフを送るぜ。
     署名 出来るものなら捕まえてごらん、ラスクさんよ」



From Hell letter (Wikipedia)



Univers Zero - Jack the Ripper




Judas Priest - The Ripper





こちらもご参照下さい:

R・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 村田靖子 訳
































森洋子 編著 『ホガースの銅版画』 (双書 美術の泉)

「彼は、街頭で偶々、奇妙で滑稽な顔をみかけると、即座に立ち止った。「何をしているのか」と尋ねる友人に、彼が見せたのは親指の爪の上に描いた似顔絵であった。」
(森洋子 「ウィリアム・ホガース 人と芸術」 より)


森洋子 編著 
『ホガースの銅版画
― 英国の世相と諷刺』

双書 美術の泉 48

岩崎美術社 1981年6月10日発行
図版(モノクロ)88p 本文29p 
25.7×18.2cm 並装 カバー 
定価1,800円



森洋子 ホガースの銅版画1


帯文:

「産業革命の爆発するエネルギーと激動する社会、そこにしたたかに生きるイギリス人の喜怒哀楽を諷刺とユーモアとパロディをこめて表情ゆたかに生きいきと描き出す、わが国初のホガースの版画集」


帯背:

「18世紀英国の世相と諷刺」


帯裏:

「掲載作品: 「ヒューディブラス」挿絵、娼婦一代記、放蕩息子一代記、当世風結婚、勤勉と怠惰、残酷の四段階、一日の四つの時、選挙(以上連作)、南海泡沫事件、富くじ、真夜中の団欒、女死刑囚サラ・マルカム、笑う聴衆、サザックの縁日、悩める詩人、納屋で衣装をつける女旅役者、ビール街、ジン横丁、美の分析、闘鶏場、ジョン・ウィルクス殿、フィンチレーへの進軍、タイムスI、宗教的熱狂を図解すれば、他93点。」


内容:

図版
 1 南海泡沫事件 (1721)
 2 富くじ (1721)
 3 仮装舞踏会とオペラ (1923/24)
 4-15 サミュエル・バトラー著 『ヒューディブラス』 挿絵 (1725/26)
 16 ガリバーに科せられた刑罰 (1726)
 17-18 自然の女神を覗き見する童子(プットー)たち (1730/31)
 19-24 「娼婦一代記」 (1732)
 25 真夜中の団欒 (1732/33)
 26 女死刑囚サラ・マルカム (1732/33)
 27 笑う聴衆 (1733)
 28 サザックの縁日 (1733/34)
 29-36 「放蕩息子一代記」 (1735)
 37 ことの前 (1736)
 38 ことの後 (1736)
 39 居眠りする会衆 (1736)
 40 講義を聴く学生 (1736/37)
 41 悩める詩人 (1736/37)
 42 納屋で衣装をつける女旅役者 (1738)
 43-46 「一日の四つの時」 (1738)
 47 性格と戯画 (1743)
 48 絵画戦争 (1744/45)
 49-54 「当世風結婚」 (1745)
 55 上流階級の趣味 (1746)
 56 カレーの門 (1748/49)
 57-68 「勤勉と怠惰」 (1749)
 69 ビール街 (1750/51)
 70 ジン横丁 (1950/51)
 71-74 「残酷の四段階」 (1750/51)
 75 フェリックスの前で説教する戯画化されたパウロ (1751)
 76 フェリックスの前で説教するパウロ (1752)
 77 ファラオの娘たちのもとに連れられる幼児モーゼ (1752)
 78 フィンチレーへの進軍 (1750/51)
 79-80 「美の分析」 (1753)
 81-84 「選挙」 (1755)
 85 闘鶏場 (1759)
 86 ジョン・ウィルクス殿 (1763)
 87 ウィリアム・ホガースの肖像 (1748/49)
 88 喜劇のミューズを画くホガース (1758)
 89 鬘の五柱式 (1761)
 90 裁判官席 (1758)
 91 宗教的熱狂を図解すれば (1761頃)
 92 タイムズI (1762)
 93 竜頭蛇尾 (1764)

ウィリアム・ホガース 人と芸術 (森洋子)
 ホガースの少年時代と徒弟生活
 諷刺版画で世に出る
 画かれた道徳――ホガース版画の本質
 ホガース法
 ホガース版画の時事性
 臨機応変な画面変更
 性格描写の天才
 社会正義派のホガース
 外国嫌いなホガース
 ホガース版画の絵画的源泉
 『美の分析』――ホガース絵画の基本原理
 ホガース版画の文学性

あとがき
ウィリアム・ホガース略年譜
参考文献



森洋子 ホガースの銅版画2

「放蕩息子一代記」より。


森洋子 ホガースの銅版画3

「一日の四つの時」より。


森洋子 ホガースの銅版画4

「性格と戯画」。



◆本書より◆


「36 「放蕩息子一代記」第8図、精神病院にて」

「すべての望みを絶たれたトムは監獄で発狂し、ついにベドラム精神病院に収容される。最後までトムに献身的な恋人のサラはここでもやさしい看護の手を差しのべ、彼を励ます。しかし半裸体になったトムはすでにナイフで自殺を試みたのか、胸に絆創膏が貼られている。鎖に繋がれるのは要注意患者。看護人の一人はトムの世話より、サラに興味を示す。ホガースはこのシリーズの終幕で種々のタイプの狂人を見事に描出している。」
「ところで壁にむかって地球を描き、経度を計測する地理学狂人がいる。第3ステートではさらにその脇に1763年と記し、ブリタニアの寓意像を加筆した。すなわち、ホガースはこうした狂人の世界を1763年のイギリス社会のアナロジーと考えたのではなかろうか。廊下に二人の着飾った婦人の見物人がみられるが、その一人は扇ごしにこっそり裸体の狂人を覗き見ている。当時のロンドンっ子やお上りさんにとって、ベドラム精神病院の見物は日曜日の楽しみのひとつであった。」



森洋子 ホガースの銅版画5






















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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