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『宮本隆司 写真展 ― 壊れゆくもの・生まれいずるもの』 (2004年)

「わたしにとって、その長い迷路を歩き回ることは、人間をめぐる謎の中を歩くことであった」
「見せることが前提となっている場所には、まったく興味がない。未完成の変化しつつある場所がもっとも面白い」

(宮本隆司)


『宮本隆司
写真展
― 壊れゆくもの・
生まれいずるもの』

Ryuji Miyamoto Retrospective


発行: 世田谷美術館 2004年
208p
25.6×19.4cm
角背紙装上製本


2004年5月22日―7月4日
世田谷美術館


「本図録は、(A)(B)2種類の表紙デザインを施し発行した。」



本書の表紙デザインは「(A)」であります。
巻頭にモノクロ図版9点。作品図版はモノクロ97点、カラー61点。本文中参考図版(モノクロ)33点、宮本隆司肖像写真(モノクロ)2点。



宮本隆司展 01



本書「ごあいさつ」より:

「宮本は、建築の解体現場に、現代の「廃墟」を見た作家として知られています。(中略)1986年、宮本は、2度目の個展において、建築たちの「死」の瞬間を集め、〈建築の黙示録〉と名づけます。ひっそりと静まり返ったモノクロームの画面の中で、陽の光に最後の姿をさらしながら、壊れゆく建築たちの姿は、傷つきながらも――あるいは、傷ついているが故になお、圧倒的な強さをもち、私たちの視線を捉えて離しません。」
「以降、宮本は、香港の巨大スラム建築の存亡を追った〈九龍城砦〉、アジア最大の廃墟、アンコールの遺跡群とそこに息づく自然を扱った〈アンコール〉、大震災の前に崩れ去る現代都市を見据えた〈神戸 1995〉、バブル崩壊後に急増し、社会問題ともなったホームレスの〈ダンボールの家〉など、都市と建築が内包する様々な問題を、独特の視線で捉えてきました。」
「本展は、初期の代表作〈建築の黙示録〉をはじめ、本展のために撮影された最新作を含む〈ピンホールの家〉および映像作品〈さかさま・うらがえし〉まで、8つのシリーズを集めてご紹介するものです。」




内容:

ごあいさつ (世田谷美術館)
謝辞

宮本隆司写真展によせて (酒井忠康)
光跡に目を澄まして――宮本隆司論 (林道郎)

図版 Plates
01 建築の黙示録 Architectural Apocalypse
02 九龍城砦 Kowloon Walled City
03 ダンボールの家 Cardboard Houses
04 神戸 1995 KOBE 1995 After the Earthquake
05 アンコール Angkor
06 美術館島 Museum Island
07 ピンホールの家 Pinhole Houses
08 さかさま・うらがえし Upside-down Inside-out

宮本隆司の仕事 1973‐2004 (遠藤望)

作家略歴 Biography
展覧会歴 List of Exhibitions
文献目録 Bibliography

出品作品リスト Works in the Exhibition

On Ryuji Miyamoto Retrospective by Tadayasu Sakai (Translated by Stanley N. Anderson)
An Eye Open to Traces of Light: Thoughts on Ryuji Miyamoto by Michio Hayashi (Translated by Stanley N. Anderson)




◆本書より◆


「光跡に目を澄まして――宮本隆司論」(林道郎)より:

「不法ではあるが、都市の日常の人や物の交通の障害物とはならないような控え目な占拠。しかし、その周辺空間との関係は、サイト・スペシフィックな創意工夫に溢れている。そしてそのどれもが、(中略)すでに存在している巨大構造物の縁(へり)にへばりつくようにして建てられている。そしてそれらはすべて、個室のスケール、つまり、一人の人間の身体的スケールを体現している。この、縁に存在する人間のスケールを中心にすえて都市を見るとどうなるか。たとえば、高速道路の高架下に小さく並ぶハウスを見れば、あらためて都市空間の巨大さ、その圧倒的なスケールを感じ、それが象徴する絶えざる交通の量と速度と、矮小化され停滞した死角空間のコントラストに気づかされる。しかしながら、と同時に、そこには、非人間的ともいえる巨大構造物を保護屋根として利用する発想の転換もある。同じようなことは、他の例についても言える。たとえば、何もない地下道という空間は、その昼間の姿を見れば、淀みない人の流れ、速度、効率などを体現しているのに対し、人の流れが途切れる夜は、静寂を保証するかりそめのシェルターとして転用されうる。このように、都市空間は、その縁に寄生する一個人の側から見ると、冷たく抑圧的に作用すると同時に、さまざまな転用可能性をも孕んだ空間なのである。そして、その実現例としてのハウスがつくりだすゲリラ的な異化効果こそ、住人たちと管理された都市空間とのつつましくも工夫に満ちた「渡り合い」の痕跡なのである。宮本の眼差しは、それをあらためて前面化してくれている[16]。」

「16 その意味で、阪神・淡路大震災の折に、多くのホームレスの人たちが、公園などに集まった避難民たちに、仮設住居の作り方などを「指導」し、様々な空間の転用可能性についての「教師」として働く場面があったというエピソードは、大変興味深い。ただ、これは、ふとした瞬間に耳にしたラジオでの話であったのみで、必ずしも正確な情報ではないのかもしれない。そういうこともありえるだろうという感懐をもったエピソードとしてのみ記しておく。」



「宮本隆司の仕事 1973‐2004」(遠藤望)より:

「80年代日本の各地では、毎年のように博覧会やフェアが開催されている。つくば科学万博(正式には「国際科学技術博覧会」)は、その中でも最大規模のイヴェントであり、筑波研究学園都市という人工都市を会場に、総額6500億円を投じて催され、1985年3月から9月の会期中2000万人以上が訪れた。宮本は、博覧会自体には何の興味も持てずに、会期中には一度も訪れず、閉幕後、許可申請して解体工事現場に通った。」

「1987年1月、香港政庁は九龍城砦の取り壊し計画を発表した。」
「このニュースを知り、4月に宮本は九龍城砦を目指して香港入りしている。」
「最初は、この巨大城砦への入口もわからず、ただ建物のまわりをぐるぐる回るだけだったという。何かの隙間としか思われない入口から入り込み、数回訪れるうちに、人がすれ違えるくらいの細い通路を徐々に歩き回れるようになる。近づいてはいけない場所であり、魔窟、犯罪の巣窟ともいわれていた建築の内部は、めくるめくような混沌と無秩序が支配していた。それを宮本は「人類の営みの類まれな超常現象」と呼ぶ。「わたしにとって、その長い迷路を歩き回ることは、人間をめぐる謎の中を歩くことであった」。(中略)宮本は、城砦内に住む中国人宅に泊めてもらったこともある。そして十数階におよぶという高層ビルを上りつめると、意外にも開放感のある屋上階が広がっていた。」

「「見せることが前提となっている場所には、まったく興味がない。未完成の変化しつつある場所がもっとも面白い」と宮本はいう。」

「写真というものは、光と闇そして感光材料の3要素がそろって初めて成立するということを、宮本は様々なところで語っている。」




宮本隆司展 02



宮本隆司展 03



宮本隆司展 04



宮本隆司展 05



宮本隆司展 06



宮本隆司展 07



◆感想◆


『九龍城砦』(ペヨトル工房)は出たときに買おうとおもってうっかりして忘れていたので改めて買おうとおもったのですがちょっと高いので、とりあえずヤフオクで1,060円で出品されていた本図録を購入してみました。
本書には、宮本さんの最初期の写真として、谷中の町並みと墓地が共存する風景がサムネイル図版で掲載されていますが、これは死後の世界と現世の共存であり、同一平面における異なった存在様式の併存であり、後年の『アンコール』の神殿と繁茂する植物の共存につながるものであるし、一方、最初の写真集である『九龍城砦』は現世のただ中の異界であり、後の『ダンボールの家』に通じるもので、九龍城砦のアキュミュレーション(累積)をほどいてモナド化すればダンボール・ハウスになる、そのモナドに映る世界の姿を、本来窓がないはずのモナドに窓(ピンホール)を開けて印画紙に定着したのが『ピンホールの家』であって、さらにそこから自己さえも消してしまったのが固定カメラによるヴィデオ作品『さかさま・うらがえし』で、これはヴェネツィアの広場(カンポ)を撮影したものであり、ヴェネツィアは御存じのようにそのうち水没してなくなってしまうので、先取りされた廃墟であり、そこに映し出された人々(他者として複数化された自己)は未来の廃墟の記憶を生きているといってもよいです。すなわち死後の世界と現世の共存です。
そこへいくと文明が自ら積極的に現出させた廃墟である『建築の黙示録』は、『神戸 1995』の災害による廃墟同様、インスタント廃墟であり、存在すら許されなかった水子のような廃墟であり、否、水子の霊のように祟ることさえなく、ただちに水に流されて、なかったことにされてしまう、しかしその場合、われわれ自身が流されて無かったことにされてしまった水子なのではなかろうかという疑念が残るのでやっかいです。




こちらもご参照ください:

間章 『時代の未明から来たるべきものへ』
谷川渥 編 『廃墟大全』 (中公文庫)
ペーター・ヴァイス 『敗れた者たち』 飯吉光夫訳
中筋純 写真・文 『廃墟チェルノブイリ』






























































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桑原甲子雄 『東京下町 1930』

桑原甲子雄 
『東京下町
1930』


河出書房新社 
2006年11月20日 初版印刷
2006年11月30日 初版発行
157p 
B5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,800円+税
装幀・デザイン: 松田行正・日向麻梨子



くわばら・きねお、1913年生まれ、2007年逝去。
写真図版(モノクロ)133点。本文二段組。


桑原甲子雄 東京下町 01

 
帯文:

「揺れる1930年代、昭和戦前の記憶
下谷、浅草、上野、京橋、荒川、麹町、日本橋……東京・下町を歩き、
時代をフィルムに焼き付けた伝説の写真家・桑原甲子雄の記念碑的作品の数々!!
一瞬に宿る人と街の息吹」



帯裏:

「私は、東京の下町に生まれた。
場所は、上野駅前の下谷区車坂町である。
ここはほとんどまわりを宿屋にとりかこまれたいわゆる“駅前旅館”街である。
季節ごとに、地方の修学旅行の学生たちがぞろぞろ出入りしていた。
そうして上野広小路の盛り場が近くにあって浅草公園の賑わいも指呼の間にあったから、
両方の盛り場にはさまれたわが車坂町の居住空間は、典型的な下町の列にはいるのであった。
……昭和12年には、日中戦争がはじまり、
やがて太平洋戦争へとざわめきたってくる時代の風圧をも感じていたにちがいない。
私の写真が、盛り場を写してもなんとも物悲しいといわれるのは、
たぶん、そういう時代を敏感に意識していたゆえの所産だったかもしれない。
(桑原甲子雄「郷愁としての写真」より)」



目次:

下町幻影
娯楽の殿堂
水辺の風景
戦争の足音
過ぎ去りし日々
路地のその先
モダン東京
 
庶民の頭越しに戦争の足音が…… (桑原甲子雄)
私の略歴 (桑原甲子雄)




◆本書より◆


桑原甲子雄 東京下町 02


「昭和12年(1937) 浅草区松清町(台東区)
マネキン人形をつくる人形師の家。ショーウインドウにあるのは主人市川栄太郎さんの蠟人形」



桑原甲子雄 東京下町 05


「昭和11年(1936) 麹町区丸ノ内(千代田区) ゴミを満載した馬力車」


桑原甲子雄 東京下町 04


「昭和11年(1936) 麹町区日比谷(千代田区) 日比谷交差点付近。左に見えるのが今はない美松デパート」


桑原甲子雄 東京下町 03




こちらもご参照ください:

松山巖 『乱歩と東京』 (PARCO PICTURE BACKS)
『鬼海弘雄 写真集 東京迷路』
















































































スーザン・ソンタグ 『写真論』 近藤耕人 訳

「ほんものの人間がそこにいて自殺したり、べつのほんものの人間を殺したりしている間に、写真家は自分のカメラのうしろにいて、もうひとつの世界――私たちみんなよりも長続きすると宣言している映像世界――の小片をつくっているのだ。」
(スーザン・ソンタグ 『写真論』 より)


スーザン・ソンタグ 
『写真論』 
近藤耕人 訳


晶文社
1979年4月10日 初版
2001年5月20日 29刷
221p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,600円+税
ブックデザイン: 平野甲賀
カバー写真: 1850年ごろのアメリカのダゲレオタイプ写真



Susan Sontag: On Photography, 1977

本書は写真論なのに写真図版がいっさい掲載されていないところがいさぎよいです。
最終章「引用の小冊子」は、写真家のみならず哲学、推理小説、広告などから写真に関する言説を按配したベンヤミンふう引用集です。


ソンタグ 写真論


カバーそで文:

「写真は世界の断片を収集し、世界を複写する。多くの写真映像が氾濫する今日、写真について語ることは世界について語ることだ。本書は、絵画や文学との違いを明確にしつつ、写真が「現実と想像力の交差」という現代文化の中心テーマをとく鍵であることを指摘する。アッジェ、アーバスらの作品批評を通して「写真時代」の文化構造を読みとく本格的写真論。」


目次:

プラトンの洞窟で
写真でみる暗いアメリカ
メランコリーな対象
視覚のヒロイズム
写真の四福音書
映像世界
引用の小冊子

訳者あとがき




◆本書より◆


「プラトンの洞窟で」より:

「被圧迫者、被搾取者、飢餓者、大虐殺に遭った人たちの写真に反応して人びとがかきたてられる心情の性質は、(中略)やはり彼らがこれらの映像にどのくらい慣れているかによるのである。ドン・マッカリンが一九七〇年代の初頭に撮った痩せ衰えたビアフラ人の写真が、ひとによってはウェルナー・ビショフが一九五〇年代の初期に撮ったインドの飢餓の犠牲者の写真ほどの迫力はなかったのは、そういった映像が通俗的になっていたからであって、一九七三年にいたるところの雑誌に出た、サハラ砂漠の近くで飢え死にしかけているトゥアレグ族の写真は、多くのひとにはいまや見慣れた残酷もののうんざりする焼きなおしと映ったにちがいない。
 写真はなにか目新しいものを見せているかぎりはショックを与える。不幸なことに、賭金はこういう恐怖の映像の増殖そのものからもだんだん釣りあがっていく。根源的な恐怖の写真目録との最初の出会いというものは、一種の啓示、原型としての現代の啓示、否定の直覚である。私にとってそれは、一九四五年七月、サンタ・モニカの本屋で偶然見つけたベルゲン=ベルゼンとダッハウの写真であった。写真であろうと実人生であろうと、かつて私が眼にしたものでそれほど鋭く、深く、瞬時に、私を切りつけたものはなかった。それらの写真のほんとうの意味がわかるまでにはなお数年がかかったが、実際、それらの写真を見る以前(私は十二歳だった)と見たあとで、私の人生は二つに分けられるといってもおかしくないだろう。(中略)それらはただの写真で、私がろくに聞いたこともなければ自分でどうすることもできない事件、想像もつかない、和らげようもない苦悩を表わしていた。それらの写真を見たとき、私のなかでなにかが壊れた。ある限界に達したのだ。恐怖ばかりではなかった。私は癒しがたい悲しみと心の傷を受けたが、私の感情の一部は緊張しはじめた。なにかが死んだ。なにかがいまも泣いている。」



「写真でみる暗いアメリカ」より:

「アーバスの写真の主題はヘーゲルの立派なレッテルを借りれば、「不幸な意識」である。(中略)アーバスは生活に割り込む事故や事件は決して写真に撮らなかっただろう。彼女はじわじわとくる個人の災難を撮るのを専門としていた。その大部分は被写体が生まれたときから進行していたのである。」
「性的倒錯者やほんとうの奇型人の写真は彼らの苦痛ではなく、むしろ彼らの泰然自若の様子を強調している。」

「ひとは自分の苦痛――それはとにかく自分ひとりの財産である――に語らせる権利がある、あるいはそう強いられていると感じよう。ひとはまたすすんで他人の苦痛の探求を引き受ける。」
「アーバスは自己の内面を探求して彼女自身の苦痛を語る詩人ではなく、大胆に世界に乗り出して痛ましい映像を「収集する」写真家であった。そしてただ感じたというより調査した苦痛については、およそはっきりとした説明などないものだ。ライヒによれば、マゾヒストの苦痛の趣味は苦痛を愛することからくるのではなく、苦痛によって強烈な感覚を手に入れたいという期待からくるという。情緒とか感覚の不感症を患った人たちは、ただなにも感じないよりは苦痛でも感じた方がいいのである。」

「アーバスのような人間以外のだれが奇型人の真実をこれ以上よく評価できたろう。(中略)アーバスの作品は(中略)上品なもの、是認されているものに対する反抗である。『ヴォーグ』糞くらえ、ファッション糞くらえ、きれいなもの糞くらえと彼女がいうときがそうだった。」

「アーバスにとっては奇型人も中流アメリカ人もともに等しく風変りであった。戦争賛成パレードに行進する男の子とレヴィットタウンの主婦は、小人や服装倒錯者と同じくらい違和感を与え、中流の下の階級の郊外生活様式はタイムズ・スクエア、精神病院、ゲイ・バーと同じくらい疎遠なものだった。」

「アーバスはもっとも厳密な意味で「個性派作家」なので、近代ヨーロッパ絵画史では半世紀間瓶の静物ばかり描き続けたジョルジォ・モランディがやはりそうだが、写真史では異例のことである。」





こちらもご参照下さい:

スーザン・ソンタグ 『アルトーへのアプローチ』 岩崎力 訳 (みすずライブラリー)
ロラン・バルト 『明るい部屋 ― 写真についての覚書』 花輪光 訳






















































































『アッジェ/巴黎』

「なによりもまず、彼の仕事は誠実なのだ。」
(ピエール・マッコーラン)


『アッジェ/巴黎』
文: ロール・ボーモン=マーエ
訳: 大沢類

リブロポート 
1993年11月27日発行
787p 
19.5×14.5cm 並装 カバー 
定価6,695円(本体6,500円)
日本語版編集・制作: アール・ヴィヴァン
造本・装幀: Atalante (パリ)



ATGET/PARIS, présentation et texte par Laure Beaumont-Maillet, Editions Hazan, 1992


アッジェ 巴黎 01


写真図版779点。分厚いアッジェのパリ写真集。
「アール・ヴィヴァン」で二号にわたってアッジェの特集号が出て、その後で本書が出たのではなかったかと思います。


帯文:

「日仏両語掲載。アッジェの三脚の位置にあなたを誘う!
アッジェ「これは記録です。」
アッジェ自身が自らの写真集を編んだら、
本書のようになったに違いない。」



アッジェ 巴黎 02


目次:

序文 (ロール・ボーモン=マーエ)
図版キャプション

第1区
 サン=ジェルマン=ロークセロア地区
 レ・アル地区
 パレ・ロワイヤル地区
 ヴァンドーム地区
第2区
 ガイヨン地区
 ヴィヴィエンヌ地区
 マイユ地区
 ボン=ヌーヴェル地区
第3区
 アール=エ=メチエ地区
 アンファン=ルージュ地区
 アルシーヴ地区
 サン=タヴォワ地区
第4区
 サン=メリ地区
 サン=ジェルヴェ地区
 アルスナル地区
 ノートル=ダム地区
第5区
 サン=ヴィクトール地区
 ジャルダン・デ・プラント地区
 ヴァル=ド=グラス地区
 ソルボンヌ地区
第6区
 モネ(造幣局)地区
 オデオン地区
 ノートル=ダム=デ=シャン地区
 サン=ジェルマン=デ=プレ地区
第7区
 サン=トマ=ダキャン地区
 グロ=カイユ地区
 アンヴァリッド地区
第8区
 シャン=ゼリゼ地区
 フォーブール=デュ=ルール地区
 マドレーヌ地区
 ユーロップ地区
第9区
 ショセ=ダンタン地区
 フォーブール=モンマルトル地区
 サン=ジョルジュ地区
第10区
 サン=ヴァンサン=ド=ポール地区
 ポルト・サン=ドニ地区
 ポルト・サン=マルタン地区
 ロピタル・サン=ルイ地区
第11区
 サン=タンブロアーズ地区
 ロケット地区
 サント=マルグリット地区
第12区
 ベル=エール地区
 ピクピュス地区
 キャーンズ=ヴァン地区
 ベルシー地区
第13区
 ラ・サルペトリエール地区
 ラ・ギャール地区
 ラ・メゾン・ブランシュ地区
 クルールバルブ地区
第14区
 モンパルナス地区
 モンスリ地区
 プチ=モンルージュ地区
 プレザンス地区
第15区
 サン=ランベール地区
 ジャヴェル地区
第16区
 ミュエット地区
 シャイヨ地区
 ポルト・ドーフィヌ地区
第17区
 テルヌ地区
 パティニョル地区
第18区
 グランド=キャリエール地区
 クリニャンクール地区
第19区
 ポン・ド・フランドル地区
 アメリック地区
第20区
 サン=ファルゴー地区
 ベルヴィル地区
 ペール=ラシェーズ地区
 シャロンヌ地区
 
街路索引
写真クレジット



アッジェ 巴黎 03



◆本書より◆


「序文」より:
 
「30年前、専門家以外ユジェーヌ・アッジェという名前を耳にすることはなかった。だが、現在では“古きパリ”の写真家のなかで、彼はもっとも知られた存在になっている。作品はさまざまな方面に利用されている。(中略)要するに、完璧な国際的な栄光につつまれているというわけだ。けれどこの栄光も遅れてやってきたものだ。1927年、死のときにあっては、たったの一行たりとも報道されることはなかったのだから。」

「なぜシュルレアリストたちはアッジェを取り上げたのだろうか? マン・レイはアッジェを発見したのは自分だといつも主張していたし、ロベール・デスノスもそう認めていた。しかし、シュルレアリストたちがアッジェを仲間に引き入れようとしたとき、アッジェは何もせず、彼らを避けてしまった。(中略)いかなるスローガンのもとであれ、役割を担うことなど願い下げだと思っていただろうからだ。(中略)アッジェの作品は衒いもなければ気取りもない、それ自体ささやかな写真にすぎないのだが、その映像には取るに足らぬものたちの悲惨な性格が現われている。それらの映像たちには「人と周囲の世界を、互いに見知らぬものにしてしまう働きがある」とワルター・ベンヤミンは述べている。
 アッジェはまっ正直な廉直さで生きていた。また、滑稽なものへの抑えがたい性向も持っていた。さもなければコルセット屋のウインドーに並ぶ、青髭の末裔を刺激する頭部のない女性群や、人型を入れない下着たちを撮りはしなかっただろう。」



アッジェ 巴黎 04


アッジェ 巴黎 05


アッジェ 巴黎 06


アッジェ 巴黎 07


アッジェ 巴黎 08



こちらもご参照ください:

『ブラッサイ 夜のパリ』










































































































『鬼海弘雄 写真集 東京迷路』

『鬼海弘雄 写真集 
東京迷路』

Tokyo Labyrinth

小学館 
1999年12月10日 初版第1刷発行
2000年3月1日 初版第2刷発行
120p 
23×20.5cm 
角背紙装上製本 筒函 
定価2,993円
装幀デザイン: 白谷敏夫(ノマド)



本書「あとがき」より:

「トーキョー・ラビリンスに収めた写真は、1973年から撮り続けているものである。
 東京という雑多な町のなかで、あえて人の姿を画面に入れずに風景を撮ってみようと思いついたのは、私が浅草で出会った人々のポートレイトを撮り始めて、しばらくたった頃だった。
 ある時ふと、ポートレイトが、単にその場その時の人の表情を捉えるだけではなく、来し方や価値観など内面性や人柄をも表すことができるなら、同じことが風景写真でもできるのではないかという思いがよぎった。人が暮らしている町角や路地を撮って、その場所に固有な「空間のポートレイト」というようなものが成り立たないだろうか。日々の暮らしから漏れだす“匂い”を写すことができるのではないか。」



鬼海弘雄(きかい・ひろお)。1945年生、写真家。


鬼海弘雄 東京迷路 01

ケース表。


鬼海弘雄 東京迷路 02

ケース裏。


帯文:
 
「「歩けばいい 歩けばいいんだ 街は饒舌に語りかけてくる」」


帯背:

「肉声(パロール)で綴る体温都市の記録」


帯裏:

「Tokyo Labyrinth

風雪に耐え抜いたアパート、満艦飾の洗濯物に覆われた居酒屋…。何気ない“モノ”たちが語る、失われゆく風景への哀惜の記憶。孤高の写真家・鬼海弘雄が贈る、人間の匂いの染みついた“人間の街”に対する高らかな賛歌。

キカイ・ヒロオの写真には、
抵抗しがたい強烈な詩情が溢れている。 映画監督 アンジェイ・ワイダ」



内容:

品川区北品川 1986

街角のエクリチュール (アンジェイ・ワイダ)

川崎市中原区田尻町 1985
台東区蔵前 1976
墨田区東向島 1978
品川区東品川 1976
北区滝野川 1986
台東区西浅草 1977
台東区根岸 1976
大田区南六郷 1985
中央区晴海 1975
目黒区上目黒 1997
荒川区町屋 1987
世田谷区粕谷 1985
渋谷区恵比寿 1985
文京区春日 1989
神奈川県小田原市 1984
世田谷区若林 1987
渋谷区恵比寿 1990
墨田区東向島 1976
大田区大森北 1982
品川区東大井 1996
文京区湯島 1986
台東区浅草 1985
船橋市東中山 1974
渋谷区鶯谷町 1997
台東区東上野 1977
市川市鬼越 1976
世田谷区北沢 1995
大田区大森北 1982
台東区小島 1973
新宿区北新宿 1991
台東区小島 1976
品川区東大井 1980
江東区 1974
大田区中央 1982
港区高輪 1974
大田区西蒲田 1997
練馬区石神井町 1980

町は必要以上のものにあふれている (赤瀬川原平)

品川区南品川 1977
台東区元浅草 1976
台東区三筋 1975
文京区本郷 1985
文京区本郷 1975
葛飾区立石 1975
品川区大崎 1982
川崎市川崎区中島 1987
川崎市多摩区登戸新町 1984
船橋市西船橋 1976
墨田区両国 1976
港区北青山 1989
板橋区宮本町 1993
川崎市幸区幸町 1986
北区滝野川 1984
川崎市多摩区登戸 1999
千代田区東神田 1999
神奈川県小田原市 1984
江戸川区平井 1979
渋谷区恵比寿南 1984
大田区蒲田 1994
川崎市幸区矢向 1986
中野区中野 1989
豊島区池袋 1989
台東区浅草 1985
大田区羽田旭町 1994
中野区中野 1990
新宿区歌舞伎町 1976
台東区日本堤 1999
荒川区東尾久 1983
港区三田 1997
墨田区墨田 1976
川崎市川崎区渡田 1991
文京区西片 1974
大田区羽田 1987
江戸川区平井 1979
川崎市高津区堰 1995
杉並区和泉 1991
大田区蒲田 1994
台東区浅草 1987
台東区浅草 1994
渋谷区恵比寿 1988
板橋区中板橋 1983

器怪としての東京 (種村季弘)

台東区浅草 1985
世田谷区下馬 1988
文京区湯島 1990
新宿区高田馬場 1993
世田谷区北沢 1992
豊島区南大塚 1981
板橋区常盤台 1987
中央区日本橋 1989
板橋区徳丸 1981
渋谷区東 1987
川崎市川崎区駅前本町 1997
杉並区阿佐ヶ谷北 1989
大田区羽田 1996
渋谷区道玄坂 1992
荒川区荒川 1998
文京区小日向 1985
板橋区前野町 1985
神奈川県小田原市 1983
墨田区吾妻橋 1992
川崎市幸区小向町 1994
目黒区鷹番 1993
渋谷区東 1996
渋谷区神泉町 1985
世田谷区瀬田 1985

あとがき (鬼海弘雄)




◆本書より◆


鬼海弘雄 東京迷路 03


鬼海弘雄 東京迷路 04


鬼海弘雄 東京迷路 05


鬼海弘雄 東京迷路 06


鬼海弘雄 東京迷路 07






















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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