スーザン・ソンタグ 『写真論』 近藤耕人 訳

「ほんものの人間がそこにいて自殺したり、べつのほんものの人間を殺したりしている間に、写真家は自分のカメラのうしろにいて、もうひとつの世界――私たちみんなよりも長続きすると宣言している映像世界――の小片をつくっているのだ。」
(スーザン・ソンタグ 『写真論』 より)


スーザン・ソンタグ 
『写真論』 
近藤耕人 訳


晶文社
1979年4月10日 初版
2001年5月20日 29刷
221p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,600円+税
ブックデザイン: 平野甲賀
カバー写真: 1850年ごろのアメリカのダゲレオタイプ写真



Susan Sontag: On Photography, 1977

本書は写真論なのに写真図版がいっさい掲載されていないところがいさぎよいです。
最終章「引用の小冊子」は、写真家のみならず哲学、推理小説、広告などから写真に関する言説を按配したベンヤミンふう引用集です。


ソンタグ 写真論


カバーそで文:

「写真は世界の断片を収集し、世界を複写する。多くの写真映像が氾濫する今日、写真について語ることは世界について語ることだ。本書は、絵画や文学との違いを明確にしつつ、写真が「現実と想像力の交差」という現代文化の中心テーマをとく鍵であることを指摘する。アッジェ、アーバスらの作品批評を通して「写真時代」の文化構造を読みとく本格的写真論。」


目次:

プラトンの洞窟で
写真でみる暗いアメリカ
メランコリーな対象
視覚のヒロイズム
写真の四福音書
映像世界
引用の小冊子

訳者あとがき




◆本書より◆


「プラトンの洞窟で」より:

「被圧迫者、被搾取者、飢餓者、大虐殺に遭った人たちの写真に反応して人びとがかきたてられる心情の性質は、(中略)やはり彼らがこれらの映像にどのくらい慣れているかによるのである。ドン・マッカリンが一九七〇年代の初頭に撮った痩せ衰えたビアフラ人の写真が、ひとによってはウェルナー・ビショフが一九五〇年代の初期に撮ったインドの飢餓の犠牲者の写真ほどの迫力はなかったのは、そういった映像が通俗的になっていたからであって、一九七三年にいたるところの雑誌に出た、サハラ砂漠の近くで飢え死にしかけているトゥアレグ族の写真は、多くのひとにはいまや見慣れた残酷もののうんざりする焼きなおしと映ったにちがいない。
 写真はなにか目新しいものを見せているかぎりはショックを与える。不幸なことに、賭金はこういう恐怖の映像の増殖そのものからもだんだん釣りあがっていく。根源的な恐怖の写真目録との最初の出会いというものは、一種の啓示、原型としての現代の啓示、否定の直覚である。私にとってそれは、一九四五年七月、サンタ・モニカの本屋で偶然見つけたベルゲン=ベルゼンとダッハウの写真であった。写真であろうと実人生であろうと、かつて私が眼にしたものでそれほど鋭く、深く、瞬時に、私を切りつけたものはなかった。それらの写真のほんとうの意味がわかるまでにはなお数年がかかったが、実際、それらの写真を見る以前(私は十二歳だった)と見たあとで、私の人生は二つに分けられるといってもおかしくないだろう。(中略)それらはただの写真で、私がろくに聞いたこともなければ自分でどうすることもできない事件、想像もつかない、和らげようもない苦悩を表わしていた。それらの写真を見たとき、私のなかでなにかが壊れた。ある限界に達したのだ。恐怖ばかりではなかった。私は癒しがたい悲しみと心の傷を受けたが、私の感情の一部は緊張しはじめた。なにかが死んだ。なにかがいまも泣いている。」



「写真でみる暗いアメリカ」より:

「アーバスの写真の主題はヘーゲルの立派なレッテルを借りれば、「不幸な意識」である。(中略)アーバスは生活に割り込む事故や事件は決して写真に撮らなかっただろう。彼女はじわじわとくる個人の災難を撮るのを専門としていた。その大部分は被写体が生まれたときから進行していたのである。」
「性的倒錯者やほんとうの奇型人の写真は彼らの苦痛ではなく、むしろ彼らの泰然自若の様子を強調している。」

「ひとは自分の苦痛――それはとにかく自分ひとりの財産である――に語らせる権利がある、あるいはそう強いられていると感じよう。ひとはまたすすんで他人の苦痛の探求を引き受ける。」
「アーバスは自己の内面を探求して彼女自身の苦痛を語る詩人ではなく、大胆に世界に乗り出して痛ましい映像を「収集する」写真家であった。そしてただ感じたというより調査した苦痛については、およそはっきりとした説明などないものだ。ライヒによれば、マゾヒストの苦痛の趣味は苦痛を愛することからくるのではなく、苦痛によって強烈な感覚を手に入れたいという期待からくるという。情緒とか感覚の不感症を患った人たちは、ただなにも感じないよりは苦痛でも感じた方がいいのである。」

「アーバスのような人間以外のだれが奇型人の真実をこれ以上よく評価できたろう。(中略)アーバスの作品は(中略)上品なもの、是認されているものに対する反抗である。『ヴォーグ』糞くらえ、ファッション糞くらえ、きれいなもの糞くらえと彼女がいうときがそうだった。」

「アーバスにとっては奇型人も中流アメリカ人もともに等しく風変りであった。戦争賛成パレードに行進する男の子とレヴィットタウンの主婦は、小人や服装倒錯者と同じくらい違和感を与え、中流の下の階級の郊外生活様式はタイムズ・スクエア、精神病院、ゲイ・バーと同じくらい疎遠なものだった。」

「アーバスはもっとも厳密な意味で「個性派作家」なので、近代ヨーロッパ絵画史では半世紀間瓶の静物ばかり描き続けたジョルジォ・モランディがやはりそうだが、写真史では異例のことである。」





こちらもご参照下さい:

スーザン・ソンタグ 『アルトーへのアプローチ』 岩崎力 訳 (みすずライブラリー)
ロラン・バルト 『明るい部屋 ― 写真についての覚書』 花輪光 訳






















































































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『アッジェ/巴黎』

「なによりもまず、彼の仕事は誠実なのだ。」
(ピエール・マッコーラン)


『アッジェ/巴黎』
文: ロール・ボーモン=マーエ
訳: 大沢類

リブロポート 
1993年11月27日発行
787p 
19.5×14.5cm 並装 カバー 
定価6,695円(本体6,500円)
日本語版編集・制作: アール・ヴィヴァン
造本・装幀: Atalante (パリ)



ATGET/PARIS, présentation et texte par Laure Beaumont-Maillet, Editions Hazan, 1992


アッジェ 巴黎 01


写真図版779点。分厚いアッジェのパリ写真集。
「アール・ヴィヴァン」で二号にわたってアッジェの特集号が出て、その後で本書が出たのではなかったかと思います。


帯文:

「日仏両語掲載。アッジェの三脚の位置にあなたを誘う!
アッジェ「これは記録です。」
アッジェ自身が自らの写真集を編んだら、
本書のようになったに違いない。」



アッジェ 巴黎 02


目次:

序文 (ロール・ボーモン=マーエ)
図版キャプション

第1区
 サン=ジェルマン=ロークセロア地区
 レ・アル地区
 パレ・ロワイヤル地区
 ヴァンドーム地区
第2区
 ガイヨン地区
 ヴィヴィエンヌ地区
 マイユ地区
 ボン=ヌーヴェル地区
第3区
 アール=エ=メチエ地区
 アンファン=ルージュ地区
 アルシーヴ地区
 サン=タヴォワ地区
第4区
 サン=メリ地区
 サン=ジェルヴェ地区
 アルスナル地区
 ノートル=ダム地区
第5区
 サン=ヴィクトール地区
 ジャルダン・デ・プラント地区
 ヴァル=ド=グラス地区
 ソルボンヌ地区
第6区
 モネ(造幣局)地区
 オデオン地区
 ノートル=ダム=デ=シャン地区
 サン=ジェルマン=デ=プレ地区
第7区
 サン=トマ=ダキャン地区
 グロ=カイユ地区
 アンヴァリッド地区
第8区
 シャン=ゼリゼ地区
 フォーブール=デュ=ルール地区
 マドレーヌ地区
 ユーロップ地区
第9区
 ショセ=ダンタン地区
 フォーブール=モンマルトル地区
 サン=ジョルジュ地区
第10区
 サン=ヴァンサン=ド=ポール地区
 ポルト・サン=ドニ地区
 ポルト・サン=マルタン地区
 ロピタル・サン=ルイ地区
第11区
 サン=タンブロアーズ地区
 ロケット地区
 サント=マルグリット地区
第12区
 ベル=エール地区
 ピクピュス地区
 キャーンズ=ヴァン地区
 ベルシー地区
第13区
 ラ・サルペトリエール地区
 ラ・ギャール地区
 ラ・メゾン・ブランシュ地区
 クルールバルブ地区
第14区
 モンパルナス地区
 モンスリ地区
 プチ=モンルージュ地区
 プレザンス地区
第15区
 サン=ランベール地区
 ジャヴェル地区
第16区
 ミュエット地区
 シャイヨ地区
 ポルト・ドーフィヌ地区
第17区
 テルヌ地区
 パティニョル地区
第18区
 グランド=キャリエール地区
 クリニャンクール地区
第19区
 ポン・ド・フランドル地区
 アメリック地区
第20区
 サン=ファルゴー地区
 ベルヴィル地区
 ペール=ラシェーズ地区
 シャロンヌ地区
 
街路索引
写真クレジット



アッジェ 巴黎 03



◆本書より◆


「序文」より:
 
「30年前、専門家以外ユジェーヌ・アッジェという名前を耳にすることはなかった。だが、現在では“古きパリ”の写真家のなかで、彼はもっとも知られた存在になっている。作品はさまざまな方面に利用されている。(中略)要するに、完璧な国際的な栄光につつまれているというわけだ。けれどこの栄光も遅れてやってきたものだ。1927年、死のときにあっては、たったの一行たりとも報道されることはなかったのだから。」

「なぜシュルレアリストたちはアッジェを取り上げたのだろうか? マン・レイはアッジェを発見したのは自分だといつも主張していたし、ロベール・デスノスもそう認めていた。しかし、シュルレアリストたちがアッジェを仲間に引き入れようとしたとき、アッジェは何もせず、彼らを避けてしまった。(中略)いかなるスローガンのもとであれ、役割を担うことなど願い下げだと思っていただろうからだ。(中略)アッジェの作品は衒いもなければ気取りもない、それ自体ささやかな写真にすぎないのだが、その映像には取るに足らぬものたちの悲惨な性格が現われている。それらの映像たちには「人と周囲の世界を、互いに見知らぬものにしてしまう働きがある」とワルター・ベンヤミンは述べている。
 アッジェはまっ正直な廉直さで生きていた。また、滑稽なものへの抑えがたい性向も持っていた。さもなければコルセット屋のウインドーに並ぶ、青髭の末裔を刺激する頭部のない女性群や、人型を入れない下着たちを撮りはしなかっただろう。」



アッジェ 巴黎 04


アッジェ 巴黎 05


アッジェ 巴黎 06


アッジェ 巴黎 07


アッジェ 巴黎 08



こちらもご参照ください:

『ブラッサイ 夜のパリ』










































































































『鬼海弘雄 写真集 東京迷路』

『鬼海弘雄 写真集 
東京迷路』

Tokyo Labyrinth

小学館 
1999年12月10日 初版第1刷発行
2000年3月1日 初版第2刷発行
120p 
23×20.5cm 
角背紙装上製本 筒函 
定価2,993円
装幀デザイン: 白谷敏夫(ノマド)



本書「あとがき」より:

「トーキョー・ラビリンスに収めた写真は、1973年から撮り続けているものである。
 東京という雑多な町のなかで、あえて人の姿を画面に入れずに風景を撮ってみようと思いついたのは、私が浅草で出会った人々のポートレイトを撮り始めて、しばらくたった頃だった。
 ある時ふと、ポートレイトが、単にその場その時の人の表情を捉えるだけではなく、来し方や価値観など内面性や人柄をも表すことができるなら、同じことが風景写真でもできるのではないかという思いがよぎった。人が暮らしている町角や路地を撮って、その場所に固有な「空間のポートレイト」というようなものが成り立たないだろうか。日々の暮らしから漏れだす“匂い”を写すことができるのではないか。」



鬼海弘雄(きかい・ひろお)。1945年生、写真家。


鬼海弘雄 東京迷路 01

ケース表。


鬼海弘雄 東京迷路 02

ケース裏。


帯文:
 
「「歩けばいい 歩けばいいんだ 街は饒舌に語りかけてくる」」


帯背:

「肉声(パロール)で綴る体温都市の記録」


帯裏:

「Tokyo Labyrinth

風雪に耐え抜いたアパート、満艦飾の洗濯物に覆われた居酒屋…。何気ない“モノ”たちが語る、失われゆく風景への哀惜の記憶。孤高の写真家・鬼海弘雄が贈る、人間の匂いの染みついた“人間の街”に対する高らかな賛歌。

キカイ・ヒロオの写真には、
抵抗しがたい強烈な詩情が溢れている。 映画監督 アンジェイ・ワイダ」



内容:

品川区北品川 1986

街角のエクリチュール (アンジェイ・ワイダ)

川崎市中原区田尻町 1985
台東区蔵前 1976
墨田区東向島 1978
品川区東品川 1976
北区滝野川 1986
台東区西浅草 1977
台東区根岸 1976
大田区南六郷 1985
中央区晴海 1975
目黒区上目黒 1997
荒川区町屋 1987
世田谷区粕谷 1985
渋谷区恵比寿 1985
文京区春日 1989
神奈川県小田原市 1984
世田谷区若林 1987
渋谷区恵比寿 1990
墨田区東向島 1976
大田区大森北 1982
品川区東大井 1996
文京区湯島 1986
台東区浅草 1985
船橋市東中山 1974
渋谷区鶯谷町 1997
台東区東上野 1977
市川市鬼越 1976
世田谷区北沢 1995
大田区大森北 1982
台東区小島 1973
新宿区北新宿 1991
台東区小島 1976
品川区東大井 1980
江東区 1974
大田区中央 1982
港区高輪 1974
大田区西蒲田 1997
練馬区石神井町 1980

町は必要以上のものにあふれている (赤瀬川原平)

品川区南品川 1977
台東区元浅草 1976
台東区三筋 1975
文京区本郷 1985
文京区本郷 1975
葛飾区立石 1975
品川区大崎 1982
川崎市川崎区中島 1987
川崎市多摩区登戸新町 1984
船橋市西船橋 1976
墨田区両国 1976
港区北青山 1989
板橋区宮本町 1993
川崎市幸区幸町 1986
北区滝野川 1984
川崎市多摩区登戸 1999
千代田区東神田 1999
神奈川県小田原市 1984
江戸川区平井 1979
渋谷区恵比寿南 1984
大田区蒲田 1994
川崎市幸区矢向 1986
中野区中野 1989
豊島区池袋 1989
台東区浅草 1985
大田区羽田旭町 1994
中野区中野 1990
新宿区歌舞伎町 1976
台東区日本堤 1999
荒川区東尾久 1983
港区三田 1997
墨田区墨田 1976
川崎市川崎区渡田 1991
文京区西片 1974
大田区羽田 1987
江戸川区平井 1979
川崎市高津区堰 1995
杉並区和泉 1991
大田区蒲田 1994
台東区浅草 1987
台東区浅草 1994
渋谷区恵比寿 1988
板橋区中板橋 1983

器怪としての東京 (種村季弘)

台東区浅草 1985
世田谷区下馬 1988
文京区湯島 1990
新宿区高田馬場 1993
世田谷区北沢 1992
豊島区南大塚 1981
板橋区常盤台 1987
中央区日本橋 1989
板橋区徳丸 1981
渋谷区東 1987
川崎市川崎区駅前本町 1997
杉並区阿佐ヶ谷北 1989
大田区羽田 1996
渋谷区道玄坂 1992
荒川区荒川 1998
文京区小日向 1985
板橋区前野町 1985
神奈川県小田原市 1983
墨田区吾妻橋 1992
川崎市幸区小向町 1994
目黒区鷹番 1993
渋谷区東 1996
渋谷区神泉町 1985
世田谷区瀬田 1985

あとがき (鬼海弘雄)




◆本書より◆


鬼海弘雄 東京迷路 03


鬼海弘雄 東京迷路 04


鬼海弘雄 東京迷路 05


鬼海弘雄 東京迷路 06


鬼海弘雄 東京迷路 07






















































































猪瀬光 『VISIONS of JAPAN - INOSE Kou 1982-1994』

「それから私は、しばしばこんな夢に苦しめられることになる。町工場のコンクリートで固められた流しの下に、私の使っていた食器皿が置いてある。(中略)私は、その皿の中に何が入っているのかを知っている。そこには決まって、猫の耳が入っているのだ。あれから20年以上もたった今、あれ程私を苦しめた夢のことや、猫の耳を切ったことすら忘れ、一種の諦念を伴った方向性の中で時を過ごして来た。しかし、歩き慣れた道が突然陥没し、回りの風景を一変させることがあるように、ある事物と向きあっている時にも突然、遠い記憶の奥底から、私に潜在する思いを、再構築せよという声が響いて来る。それは猫の耳であり、草木であり、様々な事物と関わらざるをえない行為そのものとして、現実の中に顕在化されてゆくのだ」
(猪瀬光)


猪瀬光 
『VISIONS of JAPAN
INOSE Kou』


光琳社 
1998年4月27日初版発行
96p 
21×21.5cm 
角背布装上製本 カバー 
定価3,200円+税
監修: 伊藤俊治
編集: 本尾久子
アート・ディレクション: 葛西薫
デザイン: 井上庸子



本書解説(伊藤俊治)より:

「自己と他者、幻想と現実、動物と人間、事実と神話といった境界をおびやかし、我々が自我や個性と名づけている危うげなアイデンティティに関する始源的な恐怖」「猪瀬もまたそうした身体や精神に残された“最後の辺境”のヴィジョンの探索者といえるのだろう。猪瀬の写真には今、失われようとしている、隠された生身の眼差しと対象との衝突がこめられ、物質としての身体と記憶のメカニズムが内包されているように思う。そしてそれは実は子供たちが最初に他者や未知のものに接する時の恐怖の感情に対応している。」


光琳社の写真集シリーズ「VISIONS of JAPAN」の一冊として刊行された、猪瀬光(いのせ・こう)作品集。1982年から1994年にかけての作品40点を収録。巻頭に伊藤俊治による解説「感情の胎児――猪瀬光の写真世界へ」、巻末に猪瀬氏の略歴と作品発表歴一覧。
本書は右ページに写真図版、左ページは余白です。


猪瀬光01


そういうわけで本書を繙きつつ、心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつけたいとおもいます。


猪瀬光02


人は道を行く。人は道を外れる。道を外れることは狂気であろう。しかしながら、道を、ひたすら道だけを辿りつづけることもまた別種の狂気に他ならないです。
舗装道路の傍らではイネ科植物が繁殖し、その一部は既に人間のテリトリーに侵入しつつある。反対側からは光に照らされた路面を木々の影が蝕みつつある。文明はつねに野生のエネルギーの侵蝕によって脅かされている。あるいはこういってもよいです、文明は自然が生み出した奇形であり病であり、自然は自らの過ちを全力で回収し治癒しようとしていると。
辺境ではいろいろなことが起こる。殺しあいが起こり、未知のモノたちが越境してくる。この見事な辺境イメージの提示を皮切りに、日常の中の様々な辺境が黙示されてゆきます。


猪瀬光04


精神病院の窓。窓という開放と、鉄格子やワイヤーという閉鎖が共存する辺境。


猪瀬光05


蛇口こそ日常の只中にある異界からの通路です。


猪瀬光09

 
現代医学という辺境で、ヒトはモノと化す。


猪瀬光03


光によって荘厳された豚。

「生徒らはもう大活動、豚の身体(からだ)を洗った桶(おけ)に、も一度新らしく湯がくまれ、生徒らはみな上着の袖(そで)を、高くまくって待っていた。
 助手が大きな小刀で豚の咽喉(のど)をザクッと刺しました。
 一体この物語は、あんまり哀(あわ)れ過ぎるのだ。もうこのあとはやめにしよう。とにかく豚はすぐあとで、からだを八つに分解されて、厩舎(きゅうしゃ)のうしろに積みあげられた。雪の中に一晩漬(つ)けられた。
 さて大学生諸君、その晩空はよく晴れて、金牛宮もきらめき出し、二十四日の銀の角、つめたく光る弦月(げんげつ)が、青じろい水銀のひかりを、そこらの雲にそそぎかけ、そのつめたい白い雪の中、戦場の墓地のように積みあげられた雪の底に、豚はきれいに洗われて、八きれになって埋(うず)まった。月はだまって過ぎて行く。夜はいよいよ冴(さ)えたのだ。」
(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」より)


猪瀬光07


カオスの恐怖から逃れるために、人々はモノを名づけてきました。だがしかし、名づけえぬものは確実にこの世に存在しています。


猪瀬光08


あからさまな分娩場面をめくると人体骨格標本です。冷徹な知性というべきか黒いユーモアというべきか。

『古事記』によると、「凡(すべ)て侘国(あだしくに)の人は、産むときに臨(な)れば、本つ国の形を以ちて産生(う)むなり。(中略)願はくは、妾(あ)をな見たまひそ」(アウトサイドから来たものは、子どもをうむ時にはアウトサイダーとしての本来の姿に戻るものである。だからどうか見ないでほしい)と、海神の娘トヨタマヒメは言いましたが、人間そのものが、自分たちが作り出した文明のアウトサイダーです。文明にとって最もオブシーンなもの(見てはならないもの)は他でもない人体です。


猪瀬光06


卵はおいしい。卵は宇宙の始原。でもほんとうは、卵はここではないどこかから来た、とても不気味なものなのではなかろうか。














































































































Brassai 『Conversations with Picasso』 (tr. by Jane Marie Todd)

「By chance, I mamaged to get hold of a stock of splendid Japan paper. It cost me an arm and a leg! But without it, I'd never have done these drawings. The paper seduced me.」
(Picasso)


Brassai 
『Conversations with Picasso』
 
Translated by Jane Marie Todd

The University of Chicago Press, Chicago and London, 1999, Paperback edition 2002
xx, 392pp, 22.7x15.3cm, paperback

Originally published as Conversations avec Picasso, 1964



写真家ブラッサイによるメモワール。フランス語からの英訳です。
主に第二次大戦下のパリでの、ピカソ、アンリ・ミショー、プレヴェール、マルロー等との会話の記録。美術雑誌の依頼でピカソの彫刻を撮影することになり、交遊が始まりました。

写真図版53点、ピカソによるデッサン1点。


brassai - conversations with picasso 01


Contents:

Preface by Henry Miller (1966)
Introduction: Brassai and Picasso by Pierre Daix

Conversations with Picasso
 Early September 1943
 1939
 Late September 1943
 Early October 1943
 Tuesday 12 October 1943
 Tuesday 10 October 1943
 Wednesday 20 October 1943
 Monday 25 October 1943
 Thursday 11 November 1943
 Friday 12 November 1943
 Monday 15 November 1943
 Wednesday 17 November 1943
 Thursday 18 November 1943
 Wednesday 24 November 1943
 Monday 29 November 1943
 Tuesday 30 November 1943
 Saturday 4 December 1943
 Monday 6 December 1943
 Tuesday 7 December 1943
 Wednesday 8 December 1943
 Friday 10 December 1943
 Monday 13 December 1943
 Tuesday 14 December 1943
 Wednesday 22 December 1943
 Friday 23 December 1943
 Friday 9 April 1944
 Tuesday 27 April 1944
 Paris, 28 April 1944
 Wednesday 3 May 1944
 Thursday 4 May 1946
 Friday 5 May 1944
 Tuesday 13 June 1944
 Friday 16 June 1944
 Saturday 12 May 1945
 Paris 15 may 1945
 Thursday 17 May 1945
 Friday 18 May 1945
 Friday 25 May 1945
 Saturday 26 May 1945
 Tuesday 29 May 1945
 Wednesday 6 June 1945
 Friday 15 June 1945
 Tuesday 10 July 1945
 Thursday 2 August 1945
 Tuesday 26 November 1946
 Wednesday 27 November 1946
 Thursday 28 November 1946
 Friday 29 November 1946
 Friday 13 December 1946
 Tuesday 17 December 1946
 Friday 20 December 1946
 Friday 28 December 1946
 Wednesday 2 January 1947
 Cannes, Tuesday 17 May 1960
 Cannes, Wednesday 18 May 1960

 Postscript: Thursday 22 September 1960

 Gisors, 14 February 1961
 6 June 1962
 Wednesday 17 October 1962
 Sunday 21 October 1962
 Thursday 27 November 1962

Notes
List of Photographs
Index



brassai - conversations with picasso 02



◆本書より◆


「I bring photos of the Death's Head. Henri Michaux accompanies me. His greatest desire is to meet Picasso, but on his own he would never have lifted a finger. The other day, I met him by chance in Montparnasse. We were happy to reestablish a friendship that goes back twenty years, to 1924. In fact, Michaux was one of the first people I met when I arrived in Paris.」

(アンリ・ミショーを連れて、彫刻「死者の頭」の写真をピカソに届けに行く。ミショーはピカソにとても会いたがっているのだが、放っておいたら自分からは何一つしようとしないだろうから。ミショーとは先日、偶然モンパルナスで再会して、1924年以来の旧交を温めた。私がパリに来て最初に出会った人物の一人がミショーだった。)


「I tell Michaux I do not see anyone in the younger generation capable of succeeding Picasso, Matisse, or Braque.

MICHAUX I don't either, I don't see anyone in the younger generation who has Picasso's stature as a draftsman, or Mattise's or Braque's stature as a colorist. But perhaps we don't want the same thing, we're not aiming for the same thing anymore. Picasso is a genius, that's obvious, but his "monsters" no longer trouble us. We're looking for different monsters and by different paths. The question of "succession" may come up. but in a different way.」


(ピカソやマチスやブラックの後継者になれそうな才能ある若手はいないねとミショーに言うと、

 ミショー: そうだね、ピカソのデッサン力や、マチスやブラックの色彩感覚を備えた若手はいない。でも同じものは要らないし、もうこれ以上同じものを求めてはいないよ。ピカソは天才だ、それは明白だ、でもピカソの「怪物」はもうわれわれをおびやかさない。われわれが求めているのは別の怪物が、しかも別の通路から出てくることだ。後継するにしても、それはピカソとは違ったやり方でだ。)


「PICASSO (...) It's dust! The earth doesn't have a housekeeper to do the dusting. And the dust that falls on it every day remains there. Everything that's come down to us from the past has been conserved by dust. Right here, look at these piles, in a few weeks a thick layer of dust has formed. On rue La Boétie, in some of my rooms - do you remember? - my things were already beginning to disappear, buried in dust. you know what? I always forbade everyone to clean my studios, dust them, not only for fear they would disturb my things, but especially because I always counted on the protection of dust. It's my ally. I always let it settle where it likes. It's like a layer of protection. (...)

BRASSAI It takes a thousand years of dust to make a one-meter layer. The Roman Empire is buried two or three meters underground. In Rome, Paris, and Arles, the empire is in our cellars. Prehistoric layers are even thicker. We know something about primitive man - you're right - only because of the "ptotection" of dust.

PICASSO In reality, we know very little. What is conserved in the ground? Stone, bronze, ivory, bone, sometimes pottery. Never wood objects, no fabric or skins. That completely skews our notions about primitive man. I don't think I'm wrong when I say that the most beautiful objects of the "stone age" were made of skin, fabric, and especially wood. The "stone age" ought to be called the "wood age." How many African statues are made of stone, bone, or ivory? Maybe one in a thousand! And prehistoric man had no more ivory at his disposal than African tribes. Maybe even less. He must have had thousands of wooden fetishes, all gone now.」


(ピカソ: 塵のおかげだよ。大地を掃除する人はいないから、毎日積もる塵は放置される。われわれにもたらされる過去の遺物は塵によって保護されていたものだ。ここだって、数週間でがらくたに厚い塵が積もる。ラ・ボエシ街の部屋を覚えているかい、モノが塵に埋もれかけていただろう。掃除しないように、塵をどかさないように言いつけていたんだ。モノを勝手に動かされるのもイヤだけど、なにより、塵が守ってくれるからなんだよ。塵は積もりたいところに積もって、僕は塵によって守られる、そう塵と盟約したんだ。

ブラッサイ: 塵が一メートル積もるのに千年かかる。ローマ帝国は二、三メートルの塵の下に埋もれている。ローマやパリやアルルでは、地下室に帝国があるってわけ。有史以前の塵はもっと厚い。たしかに、われわれが原始人についての知識を得ることができるのも、ひとえに塵のおかげだね。

ピカソ: ほんとうのところ、われわれはほとんど何も知らない。地中に保存されているのは、石やブロンズや象牙や骨、あるいは陶器とかで、木や布や革でできたものは残らないから、原始人についてのわれわれの考えは偏ったものにならざるを得ない。「石器時代」の最も美しいオブジェは革や布や、特に木でできていたはずだから、「石器時代」は「木器時代」と呼ばれるべきだ。アフリカの彫像で、石や骨や象牙でできているのは千に一つだろう、原始人だってそれほど象牙を手に入れることができたわけじゃない。今は失われてしまった何千もの木製の呪物があったにちがいないんだ。)


「Since he has been asking for a long time, I have brought the latest series of my graffiti.

PICASSO These graffiti are really astonishing! When I see kids drawing in the street, on the pavement or on the wall, I always stop to look. It's surprising what comes out of their hands. They often teach me something.」


(ピカソがまえから見たがっていたので、落書きの写真の最新のシリーズをもっていった。

ピカソ: ほんとうに素晴らしい落書きだ。子どもたちが街で、鋪道や壁に何か描いているのを見かけると、いつも立ち止ってじっくり眺めるんだけど、なんであんなものが描けるんだろう。教わることが多いよ。)


brassai - conversations with picasso 03


積みあげられたタバコの空箱の塔。ピカソは縁があって手に入れたものは、たとえ他人から見ればゴミにすぎなくても、決して手放そうとはしなかった。


brassai - conversations with picasso 05


ピカソの右手。


brassai - conversations with picasso 04
































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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