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J・ゴンダ 『インド思想史』 鎧淳 訳 (中公文庫)

J・ゴンダ 
『インド思想史』 
鎧淳 訳
 
中公文庫 コ-3-1 

中央公論社
1990年9月25日 印刷
1990年10月10日 発行
270p
文庫判 並装 カバー
定価520円(本体505円)


「『J・ゴンダ インド思想史』 一九八一年五月 冨山房刊」



本書「訳者あとがき」より:

「本書は J. Gonda: *Inleiding tot het indische denken* (Philosophische Bibliotheek), N. V. Standaard-Boekhandel, Antwerpen (voor Nederland: N. V. Dekker &. Van den Vogt, Nijmegen) 1948, 319pp. の前半部、Hoofdstuk I. Vedisch Geloof etc. - Hoofdstuk XIII. Kritiek en Materialisme (p. 9 - p. 163) の日本語訳である。」
「なお本書は、さきに(昭和五十六年)東京・冨山房から刊行されたものであるが、この度、中公文庫への収録に当たって若干の修正を施した。」



地図(「古代インド略図」)1点。
本書は2002年に岩波文庫の一冊として再刊されています。


ゴンダ インド思想史


カバー裏文:

「インド思想とは、多様な現象世界の背後にひそむ唯一なるものを求め、それへの復帰を実現しようとする営み――ヨーガ――である。その展開を『リグ・ヴェーダ』からウパニシャッド・仏教・ギーター・古典ヨーガの形式まで辿った、インド学の世界的泰斗による好著の邦訳。インド思想、さらに仏教理解への明解な一視点を提供する。」


目次:

第一章 ヴェーダ――潜在力への信仰と祭式、神々との交流
第二章 ブラーフマナの思弁
第三章 最古のウパニシャッド――梵と我
第四章 古期ウパニシャッド――輪廻、業、ヨーガ
第五章 ジャイナ教
第六章 仏陀
第七章 小乗部派の仏教
第八章 大乗――空観
第九章 第二期のウパニシャッドとマハーバーラタ
第十章 バガヴァッド・ギーター
第十一章 古典サーンキヤ
第十二章 古典ヨーガ
第十三章 革新的思想と唯物論

参考文献
訳者あとがき
年表
索引




◆本書より◆


第四章より:

「さて、「輪廻(saṃsāra)」とは、この世の存在の、絶えることない転回または流転に「随伴する」(saṃ-sr ̣-)こと、個我(アートマン)が業の奴婢となり、現象界に繋縛されている人が、繰り返し(この世に)出生し、存在して止まることがないことをいう。我々は不安・動揺・悲惨の中を漂う寄る辺ない舟のように、この地上で、虚ろで見通しのない輪廻、いわば、あの猛り狂い、退路も知らぬ苦悩と絶望の大海、止まることない苦境の中を彷徨い続ける。そして、あたかも業がぜんまい仕掛けとして働き、ほどけるや再び自動的に捲き上げられたかのように、輪廻を繰り返すのである。この世の生存は悲惨である。このことは、ブリハド・アーランヤカ・ウパニシャッド以来、一段と数繁く、しかも声高に説かれるようになった。「この人、生まるるや、肉身を受けて諸悪と結合せらる。」「骨・皮膚・筋・髄・肉・精液・血・粘液・涙・唾液・糞・尿・風・胆汁・痰の聚合なるこの悪臭を放ち、虚ろなる肉体において、欲望の愉悦もていかんせん。欲望・瞋恚……老・死・病にて攻めらるるこの肉体において、欲望の愉悦もていかんせん。また、我ら、この一切は可滅なりと見る。他の、優れたる大勇者、あるいは転輪の王たりしもの、……(も、これに同じ。)大海に涸渇あり、山岳に崩壊あり、……。かかるごとき輪廻にありて、欲望の愉悦もていかんせん。かかる輪廻にありては、我、あたかも枯井に住む蛙のごとし。」この世の生について、上のような見方が、ガンジスの国の重立った思想の中に、ほとんどくまなく拡がっていった。(中略)この輪廻の説には、世界生起の問題をめぐって、もともと古代的な体系の意識的考察――そこでインド人は天文学的な計数を披瀝するに至った――に端を発したと思われる、容易ならぬ影響力を考えることができる。古典的見解では、日々や季節、歳年が、折々の祭祀や行事と共に巡ってくるように、四大世期もまた循環する。その最後で最悪の世期が我々の“世期”である。それは梵の一日(kalpa)――人間で言えば、四十三億二千万年――という小周期の、さらに千分の一に当たる。カルパに同じ長さの夜を加え、三万六千回繰り返すと、梵の一生涯が終了する。さて梵の一日が終わって、「宇宙卵」は内部で現象的なものが摩滅し、疲弊し切ったままで留まる。そして夜に入ると共に、宇宙卵に含まれたあらゆる要素共々、彼の唯一に吸収され、夜が過ぎると、一切は新しく、無限に始まるのである。この体系は、マハーバーラタや、それとほぼ同時代の作品に至って、完全な形で登場する。それはまた、世界生起について再生を認め、一切は繰り返すと説くものと同じ周期説から起こったものである。仏教徒もこの周期観を基に、世期ごとに仏陀が出現するという劫(カルパ)の体系を発展させ、同時に劫(カルパ)を輪廻の同義語として用いるようになった。これといった目的も新しい展開もなく、絶えず同一の点に回帰する世界過程の中で、個々は必ずや母胎・出生・病・死の苦悩を繰り返し経なければならない。それは人間にとっても、永遠の不安であり、無常であり、不快である。これに対して、一度絶対的存在の観念が現われるや、鮮明で、澄み切った「静寂」(prasāda)、「世界過程の完全な終熄」(śānti)、混じり気なく、ただ自己自身であり、彼の唯一との一致を実現した我(アートマン)の永遠不滅の姿がある。すでに最古のウパニシャッドにおいて、梵以外は「すべて苦悩を齎す(ārta)のみ」という確信が表明されている。理想への願いが強ければ強いほど、梵との合一のみが安祥である。梵を離れ、個として生きるのは苦悩を齎すとの確信が強ければ強いほど、「これ実に偉大にして不生の我なり。そは一切の支配者として、一切の主宰者として、一切の君主として、心臓内にある空所に安らう。……バラモンはヴェーダの学習により、祭祀により、布施により、苦行により、断食により、これを知らんと欲す。……これのみをそ(=目的)の世界として望みつつ、遊行者は遊行す。古人はまさにこのことを知りたれば、子孫を願わざりき、すなわちこの我、この世界(=梵)のわれらに属するに、子孫をもって何かせんと。彼らは実に児子に対する欲求、財宝に対する欲求を離れ、世間より離脱して行乞」し、「欲望なく、欲望を離れ、欲望を成満し、我(アートマン)のみを希求するもの点々彼は梵となり、梵に帰入す」るのである。」
















































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ソーマデーヴァ 『屍鬼二十五話 ― インド伝奇集』 上村勝彦 訳 (東洋文庫)

ソーマデーヴァ 
『屍鬼二十五話
― インド伝奇集』 
上村勝彦 訳
 
東洋文庫 323 

平凡社 
昭和53年1月27日 初版第1刷発行
316p
18.4×11.6cm 
角背布装上製本 機械函
定価1,000円
装幀: 原弘



本書「凡例」より:

「本書は十一世紀インドの詩人、ソーマデーヴァ作『カター・サリット・サーガラ』に含まれる「屍鬼二十五話」(Vetālapañcaviṃśatikā)のサンスクリット原典からの翻訳である。」
「底本には The Kathāsaritsāgara of Somadeva Bhaṭṭa, ed. by Pandit Durgāprasād & K. P. Parab, 3rd & Revised ed. by Wāsudev Laxmaṇ Shāstri Paṇsikar, "Nirṇaya-sāgar" Press (Bombey, 1915), pp. 406-466 を用いた。訳注において、これをニルナヤ版と略称した。」
「原典はすべて韻文形式であるが、訳者は散文形式によって訳出した。」
「各話の標題は訳者が付したものである。」
「巻末に、ジャンバラダッタ本「屍鬼二十五話」から三話を付載した。」



屍鬼二十五話


勇敢なトリヴィクラマセーナ王が修行僧の手助けをすることになって、夜中に屍鬼(ヴェーターラ)が憑いた死骸を運ぶ。屍鬼は運ばれながら王に話をして聞かせ、内容に関して質問する。王がそれに答えると(言葉を発すると)、屍鬼はもとの場所に戻ってしまい、王は何度も死骸を運びなおさねばならなくなるが、それは屍鬼が修行僧の悪だくみを察知して、王を救うためにしたことだった。
というわけで、訳者によると、本書は西欧の文学にも影響を与えていて、第六話「すげかえられた首」はゲーテ、トーマス・マンなどによってとりあげられているとの指摘がありますが、第八話の、七枚の蒲団を重ねたベッドに寝て、その下にあった毛の跡がわき腹にできてしまう「デリケートな兄弟」の話は、アンデルセン「エンドウ豆の上に寝たお姫さま」の原話なのではないでしょうか。


目次:

凡例

プロローグ
第一話 烙印をおされた少女
第二話 娘一人に婿三人(一)――彼女の灰を抱いていた男
第三話 男が悪いか女が悪いか
第四話 息子を犠牲にした忠臣
第五話 娘一人に婿三人(二)――ソーマプラバーの場合
第六話 すげかえられた首
第七話 海中都市(一)――阿修羅の娘と結婚した男
第八話 デリケートな兄弟
第九話 王女と四人の求婚者
第十話 三人の男と約束した女
第十一話 デリケートな王妃たち
第十二話 海中都市(二)――天女を妻にした王
第十三話 バラモンを殺したのは誰か
第十四話 盗賊を愛した少女
第十五話 ムーラデーヴァと性転換の秘薬
第十六話 ジームータヴァーハナの捨身
第十七話 侮辱された女の復讐
第十八話 呪法に失敗した師弟
第十九話 三人の父親を持った王
第二十話 生贄の少年はなぜ笑ったか
第二十一話 焦がれ死にした女
第二十二話 ライオンを再生した兄弟
第二十三話 青年の死体にのりうつった行者
第二十四話 父が娘を、息子が母を妻にした場合
第二十五話 大団円

ジャンバラダッタ本『屍鬼二十五話』
例言
第二十一話 二日目に彼女を抱くのは誰か
第二十二話 ムーラデーヴァの計略
第二十三話 羅刹に怯える都

解説 
あとがき




◆本書より◆


「海中都市(二)」より:

「さて、ディールガダルシンは決意も堅く、一人で諸国をさすらい聖地を巡礼しているうちに、プンドラ地方にたどり着きました。その地方の、海に遠からぬある都で、彼はとあるシヴァの神殿に入り、その中庭に坐っていました。彼は日光の熱で疲労し、長旅でほこりまみれでした。ところが、そこに、ニディダッタという商人が神を礼拝しに来ていて、彼を見つけました。この商人はもてなし好きな男でしたから、そのような状態の彼を見て家へつれて行きました。彼が聖紐(せいちゅう)をかけ、瑞相をそなえていたので、きっと最高のバラモンであると考えたのです。商人は自宅で彼に水浴させたりごちそうを出したりして、この上もなく歓待しました。そして、疲れのとれた彼に、
 「あなたはどなたですか。どこからいらしたのです。どこへ行かれるのですか」
 とたずねました。
 「私はディールガダルシンというバラモンです。アンガ国からここに来ました。聖地巡礼をするためにです」
 彼は〔事実の一部〕を隠して商人に答えました。すると、大商人ニディダッタは彼に言いました。
 「私は商用のため黄金島へ行きます。そこであなた様は私が帰って来るまで私の家にいらして下さい。聖地巡礼でお疲れでしょう。疲れがとれたらお発ちなさい」
 それを聞くとディールガダルシンは言いました。
 「そういうことなら、どうして私はここに留まりましょう。隊商長さん、もしよろしければあなたといっしょに私も行きましょう」
 好人物の商人は、そうなさいませ、と言いました。そこで宰相は、商人の家で久しぶりにベッドに寝て、その夜をすごしました。
 翌日、彼は商人とともに海に出て、商品を満載した船に乗りこみました。そしてその船で航海し、驚異と恐怖に満ちた海を眺めているうちに、やがて黄金島に着きました。(中略)彼は商人ニディダッタとともにしばらくの間その島に滞在しました。その間、商人は売買をすませたのでした。
 そこから商人とともに船に乗って帰る途中のことです。突然、波の背から海上に出現した如意樹を認めました。その樹は、珊瑚の美しい枝や金色に輝く幹や宝石でできた美々しい果実や花で飾られておりました。そして、彼はその幹に、いとも珍(めずら)かなる姿の美少女が宝石をちりばめたソファに腰かけているのを認めました。彼が一瞬、これはどうしたことか、と考えこんでおりますと、その少女は、琵琶(ヴィーナー)を手にして歌いはじめました。

 前世にまいた行為の種の
 人は必ずその果をうける
 げに前生になされしことは
 運命すらも変えられぬ

 その天女はそう歌ってから、如意樹のソファに身を横たえたままで、あっという間に海中に没してしまいました。」

「ヤシャハケートゥ王は、大海の中に沈みましたが、驚いたことに、突然神々しい都を見出したのでした。都は諸々の宮殿で光り輝いていました。それらの宮殿の柱は燦然たる宝玉でできていて、壁は黄金できらめき、格子窓は真珠でできているのでした。そしてまた、いくつかの公園が都を飾りたてていました。公園の溜池(タンク)にはさまざまな宝石でモザイク模様をほどこした階(きざはし)がついております。その公園は、如意樹に満ち満ち、すべての欲望を満足させるものでした。
 その都はこのように豪奢でしたが、全く人気(ひとけ)がありませんでした。」



「第十八話」より:

「さて豪胆なトリヴィクラマセーナ王は、その夜、焰の舌を動かし人肉を食う亡霊のような火葬の薪の火に満ちた墓地を行き、再び例のシンシャパー樹にたどり着きました。すると思いがけなくも、同じような姿をした夥しい死骸がそこにぶらさがっているのを見出したのです。それらは屍鬼が幻術によって現出したものでした。
 「ああ、これはどうしたことか。屍鬼が幻術で私に時間を浪費させようとしているのに違いない。私はこれらの多くの死骸の中のどれを取ったらよいかわからない。もし私が目的を成就しないうちにこの夜が過ぎるなら、私は火に飛び込むしかない。笑いものになるのは我慢できない」
 と王が考えると、屍鬼は王の決意を知ってその勇気に満足し、幻術を撤回しました。すると屍鬼の宿る死骸は一つだけになりました。そこで王はそれを降ろし、肩にかついで再び歩きはじめました。すると屍鬼は歩いている王にまたもや話しかけました。
 「王様、あなたの忍耐は驚くべきものだね。そこで俺の物語を聞きなさい」」



「解説」より:

「本書で「屍鬼」と訳したヴェーターラ(vetāla)は鬼神の一種で、死体に憑(つ)いてこれを活動させることから、漢訳仏典において、起尸鬼(きしき)、起屍鬼、起死尸、起死屍鬼、起屍、屍鬼などと訳されている。そして、毘陀羅(びだら)、毘多荼(びただ)(vetāda)、鞞陀路婆(びだろば)、迷怛羅(めいたら)などと音写されている。死体に憑く鬼神のみならず、死体を起す呪法を「ヴェーターラ」と呼んだ例もあるようである。」
「ヴェーターラ呪法については、ヴァラーハミヒラ(Varāhamihira, 五―六世紀)が、その百科全書的な占星術書『ブリハット・サンヒター』の中で触れている。そこには、「ヴェーターラ」とは、「呪文(mantra)の助けによって死体を再び起き上がらせる」呪法であると説明されている。また、もしヴェーターラ呪法(vetālīya)が誤って行われた場合には、その呪法を行っている行者自身が滅びると信じられていた。」
「ヴェーターラは屍体に憑いてこれを活動させることを得意とするが、時としてその姿を現すことがある。その特徴は、「色は黒く、丈が高く、駱駝のような首、象のような顔、牡牛のような脚、梟のような眼、驢馬のような耳を持つ」と描写されている。」
「ヴェーターラは『カター・サリット・サーガラ』第十二巻で活躍するのだが、その他の巻に出て来ないわけではない。たとえば注目すべき例として、第五巻の一插話であるデーヴァダッタの物語にも登場する。
 デーヴァダッタは、妻ヴィディユットプラバーの腹を引き裂かせ胎児を食べてヴィディヤーダラ(半神族の一種)となった苦行者ジャーラパーダに復讐するために、ヴェーターラ呪法を行う。彼は夜中に墓地へ行き、死体に憑いているヴェーターラを樹の根かたに請じて供養し人肉を供えたが、ヴェーターラが満足しなかったので自分の肉を切ろうとする。ヴェーターラは満足し、ジャーラパーダのいるところに彼をつれて行く。そこでは、ジャーラパーダはヴィディヤーダラの王となっていて、死んでからもとのヴィディヤーダラの姿にもどったヴィディユットプラバーを口説いていた。デーヴァダッタはヴェーターラの助けを得てジャーラパーダに飛びかかるが、ヴェーターラがジャーラパーダを殺そうとすると、デーヴァダッタはそれを引きとめ、彼を地上にもどせと命令する。そこにドゥルガー女神が現れて、デーヴァダッタをヴィディヤーダラの帝王の位につける。かくて彼は妻とともに幸福に暮す。」
「ヴェーターラ信仰はタントリズムと結びつき、人身献供を要求する血なまぐさい秘密の儀式をともなう。ヴェーターラ呪法は黒月の第十四日目の深夜の墓地でおこなわれる。前述したように、人骨の粉で描かれた曼荼羅(マンダラ)の内部の地面には血が撒かれ、その四方には満々と血を湛えた瓶が置かれる。燈明用の油は人間の脂肪である。行者は真言(マントラ)を唱えて本尊とするヴェーターラを死骸の中に請じ入れる。閼伽水(あかすい)としては、頭蓋骨の器に血を盛って供える。人間の眼球を火にくべて焼香する。そして人肉を供物とする。
 ヴェーターラがこのような供養(プージャー)に満足した時には行者の願いをききとどけるが、行者が呪法に失敗した時には彼は死ぬ。」





































































『鸚鵡七十話 ― インド風流譚』 田中於菟弥 訳 (東洋文庫)

『鸚鵡七十話
― インド風流譚』 
田中於菟弥 訳
 
東洋文庫 3 

平凡社 
昭和38年10月10日 初版発行
昭和38年10月31日 再版発行
368p はしがき4p 目次8p
18.4×11.6cm 
角背布装上製本 機械函
定価400円
装幀: 原弘



本書「はしがき」より:

「本書は古代インドのサンスクリット語説話集「シュカ・サプタティ」(Śukasaptati, Textus ornatior)の全訳である
 商用で旅に出る商人マダナセーナは、家に残す愛妻プラバーヴァティーのことを賢い鸚鵡に相談する。すると鸚鵡はさまざまの窮境に陥った話をし、その解決ができるなら出かけてもよいという。彼女がそれを考えているうちに夜が明けると、鸚鵡はその解決の方法を語り、かくして七十夜を過ごし無事に夫を迎える、というのが本書の全体の筋であるが、この鸚鵡の語る七十話(本書では原本に欠損があって六十七話)を集めたのがこの説話集である。」
「現在伝わっているサンスクリットの原典は二種にわけられ、私の選んだ広本(Textus ornatior)は、(中略)きわめて不完全な写本を基礎としたもので、したがって多くの欠損や不明の点を含んでいる。小本(Textus simplicior)と比較すると共通な話は五十二話で、順序もかなりちがっているが、全般的にみて個々の話は広本の方が文飾も多く、面白く書かれている。(中略)私があえて不完全な広本を選んだのは読物としての興味を考えたからである。」



本文中カット15点、図版(「「鸚鵡七十話」本文第1ページ」)1点。


鸚鵡七十話 01


本書巻末「東洋文庫 刊行書目」より:

「商人に飼われた一羽のおうむが、主人の留守中に浮気をしようとする妻に向かって、機智にとんだいましめの話を七十夜つづけ、主人の留守を守る物語。中世紀インドの生活をつたえ、アラビアン・ナイト、デカメロンの原型を示す好著。」


目次:

はしがき

序話
第一話
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話
第七話
第八話
第九話
第十話
第十一話
第十二話
第十三話
第十四話
第十五話
第十六話
第十七話
第十八話
第十九話
第二十話
第二十一話
第二十二話
第二十三話
第二十四話
第二十五話
第二十六話
第二十七話
第二十八話
第二十九話
第三十話
第三十一話
第三十二話
第三十三話
第三十四話
第三十五話
第三十六話
第三十七話
第三十八話
第三十九話
第四十話
第四十一話
第四十二話
第四十三話
第四十四話
第四十五話
第四十六話
第四十七話
第四十八話
第四十九話
第五十話
第五十一話
第五十二話
第五十三話
第五十四話
第五十五話
第五十六話
第五十七話
第五十八話
第五十九話
第六十話
第六十一話
第六十二話
第六十三話
第六十四話
第六十五・六十六・六十七話 (本文欠)
第六十八話
第六十九話
第七十話
大団円

解説
付 「鸚鵡七十話」異本・類本対照表



鸚鵡七十話 02



◆本書より◆


「第六話」より:

「ジャヤンティーの町に、スマティという名前の商人が住んでおりまして、その妻をパドミニーと申しました。ところが彼はせっかく積んだ善行も運命に見棄てられて、財産もなくなってしまいましたので、草や木片(きぎれ)を集めては乏しい小銭を集めてやっとお腹(なか)をみたす資(もと)にしておりました。このようにして暮らしながら、或る日のこと彼は木片の荷を集めに森へまいりましたが、その日は森でちっとも木片を得ることができず、非常に落胆(がっかり)して木片も持たず家路につきました。するとその時、空をことごとく水の変化の多い大浪に漂わせる雨季の幻影〈のような雨雲〉の端を認めたので、彼は傍のガネーシャの寺院にはいって立っていました。彼はそうしてぼんやりとガネーシャの方を向いて、木でできたガネーシャの像を眺めておりましたが、ふとそれを見て彼は心に悦びました。『今日一日の家族を養う生計(くらし)は、このガネーシャの像の木片を集めればやっていけるわい。これは俺にも運が向いてきたぞ』と言って斧をとって仕度をしました。ところが彼が打ちかかろうと振り上げた時にガネーシャが商人に申されました。『こら、乱暴者の極道者め、なにをしようとするのか』そこで彼が申しました、『私は貴方様の像を壊し、荷を作って売ろうと思うのです。そのお金銭(かね)で今日一日の家族の生計を賄おうというのです』こう言われてガナパティはまた彼に向かって申されました。『お前の非常な苦労を認めて恩恵(めぐみ)を垂れてつかわそう。お前は毎朝早くここへきなさい。余の前に凝乳と擂砂糖のはいった五つの菓子パンが置いてあるから、それを持って行きなさい。それだけあればお前の家族を満足に支えられるどころではなく十分過ぎるであろう。だがしかし、もしもお前がそれを他人に話したら、その時は現われなくなるぞ』と、このようにパウラスティヤの言葉は条件をつけました。そこでスマティはそれをそのとおり確かに承知して自分の家に帰りました。」






































































































河田清史 『ラーマーヤナ ― インド古典物語』 (レグルス文庫) 全二冊

河田清史
『ラーマーヤナ
― インド古典物語 
(上)』
 
レグルス文庫 1

第三文明社 
1971年6月5日 初版第1刷発行
2009年2月10日 初版第17刷発行
204p
新書判 並装 カバー
定価800円+税
カバーデザイン: クリエイティブメッセンジャー
カバー絵・挿絵: 駒井哲郎



河田清史
『ラーマーヤナ
― インド古典物語 
(下)』
 
レグルス文庫 2

第三文明社 
1971年7月10日 初版第1刷発行
2008年6月10日 初版第16刷発行
186p
新書判 並装 カバー
定価800円+税
カバーデザイン: クリエイティブメッセンジャー
カバー絵・挿絵: 駒井哲郎



上巻「この大切な物語りについて」より:

「何千年(なんぜんねん)のむかしからある古典物語(こてんものがた)りというものは、その民族(みんぞく)の心(こころ)を語(かた)っているものです。まして「ラーマーヤナ」という歌物語(うたものがた)りは、大(おお)むかしから現代(げんだい)にいたるまで、なお生(い)きているだけに、この物語(ものがた)りを知(し)ることは、インドや東南(とうなん)アジアの何億(なんおく)という人(ひと)びとの心(こころ)を、なつかしく知(し)ることであります。」
「このように、アジアの何億(なんおく)という人(ひと)びとの胸(むね)に、いまもなおはつらつ(引用者注: 「はつらつ」に傍点)と生(い)きているぼうだい(引用者注: 「ぼうだい」に傍点)な「ラーマーヤナ」の歌物語(うたものがた)りを、少年少女(しょうねんしょうじょ)にしたしみやすく読(よ)みやすいように、詩(し)を散文(さんぶん)にして、童話風(どうわふう)な物語(ものがた)りとしたのが、この本(ほん)です。
 この本(ほん)が、はじめて刊行(かんこう)されたのは、戦時中(せんじちゅう)でした。そして二十二年前(にじゅうにねんまえ)にも再版(さいはん)されました。こんどが三度目(さんどめ)であります。この長(なが)いあいだ、駒井哲郎画伯(こまいてつろうがはく)は挿絵(さしえ)の版木(はんぎ)をだいじにしまっておいてくれました。幸(さいわ)いなことです。」



駒井哲郎による版画35点。


河田清史 ラーマーヤナ 01


上巻 カバー裏文:

「アジアの人の心のふるさと、英雄ラーマの歌物語。悪魔を倒すため、神がみが人間と猿の姿に降誕する

 「ラーマーヤナ」は「マハーバーラタ」と並ぶ、インド二大古典叙事詩で、インド伝説の英雄ラーマを主人公とする歌物語りである。
 何千年来の古典物語というものは、その民族の心を如実に語っているが、「ラーマーヤナ」もその例外ではない。インドの人びとにとって、最も古く、いちばん大切な物語りとされている「ラーマーヤナ」は、アジアの何億という人びとの心のふるさとでもある。
 今日もなお生きつづけている、この美しい歌物語りを、少年少女にも親しみ易く読み易いように、詩を散文にして、童話風な物語りとしたのが本書である。」



下巻 カバー裏文:

「インド伝説の英雄ラーマの歌物語。シータ妃を救いに、猿の大軍が悪魔の都に向かう。

 (「ラーマーヤナ」は)インドの誇る最高の「世界文学」の一つであり、インドの古代文化の波が、四方に影響をあたえたころ、その波にのって「ラーマーヤナ」も、まず東南アジア全域にひろがりました。そしていまでは、それらの国ぐにの芸術・文化の遺産とさえなっています。
 また、インドの文化、ことに仏教がチベット、中国、朝鮮、日本へと渡来したように、中国につたわったにちがいありません。この物語りで活躍したハニュマーンは、おそらく中国の「西遊記」で活躍する、あの孫悟空の先祖といってもよいのではないでしょうか。
 ――「あとがき」より」



上巻 もくじ:

この大切な物語りについて

一の巻
 盗賊 詩人となる
 ラーマの結婚

二の巻
 ラーマの追放
 ダサラタ王のなげき
 ダサラタ王の死
 バーラタの決心
 シータの誕生
 バーラタの捜索隊

三の巻
 ダンダカーの森
 ランカの魔王ラーバナ
 ラーバナの立腹
 金いろの鹿
 シータを探しもとめて

四の巻
 キシキンダーの猿
 猿の王スグリーバ
 猿の捜索隊
 ハニュマーン ランカへとぶ



下巻 もくじ:

五の巻
 ランカ
 シータの発見
 シータの話
 ハニュマーンの活躍
 雨季の黙想
 捜索隊の帰還

六の巻
 猿の大軍
 ランカの包囲
 強敵インドラジット
 クンバーカルナの死
 インドラジットの計略
 インドラジットの死
 インドラジットの葬送
 ラーバナの最期
 ラーバナの葬送
 シータの身のあかし
 凱旋

あとがき




◆本書より◆


「盗賊、詩人となる」より:

「こうしているあいだに、いっぽうではコラサ国(こく)(北インド)の都(みやこ)アヨージャのダサラタ王(おう)の宮殿(きゅうでん)で、三人(さんにん)のお妃(きさき)が四人(よにん)の王子(おうじ)を生(う)みました。一番上(いちばんうえ)の王子(おうじ)をラーマといい、これこそビシヌの神(かみ)の生(う)まれかわりだったのです。」

「神(かみ)さまでいたころは心安(こころやす)らかでいたものの、もう人間(にんげん)となってみれば、悲(かな)しいことに心(こころ)はいらだつばかりです。五歳(ごさい)になったラーマは、ある夕暮(ゆうぐ)れのこと、カウサルヤー妃(ひ)のひざにだかれていました。宮殿(きゅうでん)の屋上(おくじょう)で、いつか日(ひ)の暮(く)れるのを、ひっそりと眺(なが)めていたのです。
 まもなく星(ほし)がきらきらとかがやきはじめ、月(つき)もぐいぐいとのぼってきました。ラーマはこどもだったので、だいだい(引用者注: 「だいだい」に傍点)いろのまりのような月(つき)をほしがりました。」
「「お月(つき)さまを取(と)ってよう――」
 ラーマは小(ちい)さい足(あし)をばたばたさせて、カウサルヤー妃(ひ)のひざで泣(な)きわめきました。国王(こくおう)もこまってしまい、宮殿(きゅうでん)の天文学者(てんもんがくしゃ)をよびにやりました。
 「どうか、王子(おうじ)に空(そら)の月(つき)を取(と)ってやってください」
 国王(こくおう)はそうおたのみになりました。すると、王宮(おうきゅう)の天文学者(てんもんがくしゃ)で、顧問(こもん)で、教授(きょうじゅ)でもあり、えらい学者(がくしゃ)であったバシシタは、白(しろ)いひげをしごきながら、着物(きもの)の下(した)からこっそりと鏡(かがみ)をとりだしました。
 鏡(かがみ)をしずかにラーマの手(て)にもたせ、その使(つか)い方(かた)をゆっくりおしえて、どうやらまりのような月(つき)を鏡(かがみ)に反射(はんしゃ)させてうつしてやりました。鏡(かがみ)のなかの月(つき)をみると、ラーマはきいきいいってよろこびました。」



「ラーマの結婚」より:

「シータがラーマをちらりとみた瞬間(しゅんかん)、ラーマは思(おも)わずはっとして立(た)ちどまりました。
 まえにどこか――天国(てんごく)の都(みやこ)ででもみかけたことがあったのでしょうか。いいえ、そうではありません。ラーマは自分(じぶん)の半身(はんしん)がラーマとなって生(う)まれかわり、もうひとつの半身(はんしん)がミシラー国王(こくおう)の王女(おうじょ)シータとなって生(う)まれかわっていたことを、すこしもしらなかったのです。シータはもともとラーマと一体(いったい)の神(かみ)だったのです。」

「あたりにはエメラルドいろのともしびがぼんやりともっていました。」

「この明(あ)けがたに笛(ふえ)をならす古(ふる)い習慣(しゅうかん)は、いまでもインドの古(ふる)い町(まち)まちにのこっています。
 町(まち)の人(ひと)たちはあらあらしい、いやな物音(ものおと)やさけびごえで目(め)がさめるのではなく、うつくしい音色(ねいろ)でおきるのです。するどい、がさがさした物音(ものおと)で目(め)がさめたりしたら、人(ひと)の心(こころ)はびっくりして、精神(せいしん)は狂(くる)ってしまいます。」



「猿の大軍」より:

「猿(さる)たちはそっとそれぞれのテントにひきさがって、ねてしまいましたが、ただふたりの人間(にんげん)がそこにのこりました。いうまでもなく、ラーマはラクシマナにあいずして、黙想(もくそう)にはいったのです。
 ふたりの王子(おうじ)は足(あし)をくみ、静座(せいざ)してお祈(いの)りしながら黙想(もくそう)をつづけました。星(ほし)は大空(おおぞら)をわたり、まもなく消(き)えていきました。ジャングルの猛獣(もうじゅう)は猿(さる)が寝(ね)ているあいだ、さかんにうなってさわいでいました。ふたりは天(てん)に助(たす)けをもとめ、すべての四足動物(よつあしどうぶつ)に助力(じょりょく)をこい、また鳥(とり)にも力(ちから)をかしてくれるように、と祈(いの)りました。それからまた、太陽(たいよう)や月(つき)や四季(しき)の季節(きせつ)にまでも助(たす)けをもとめました。
 ねむっていた鳥(とり)や動物(どうぶつ)は、つぎつぎと、これにこたえていいました。
 「承知しました。お助(たす)けしますとも」
 天体(てんたい)もまたこれに応(おう)じました。
 「ラーマ、おっしゃるとおり、お助(たす)けにいきますよ」
 世界中(せかいじゅう)が寝(ね)ているあいだに、目(め)ざめている魂(たましい)はみんなそろって、ラーマの部下(ぶか)になりましょう、とちかいをたてました。
 ――お祈(いの)りをし、黙想(もくそう)をつづけると、このような力(ちから)もわくものなのです! ラーマが、ただ自分(じぶん)の妻(つま)のシータを救(すく)うためにたたかうのではなく、生(い)きとし生(い)けるもののためにたたかおうとしていたので、全宇宙(ぜんうちゅう)がよろこんでラーマの大義名分(たいぎめいぶん)に加勢(かせい)したのです。」



「強敵インドラジット」より:

「しずかな深(ふか)い海(うみ)には、水(みず)にすむ怪物(かいぶつ)やいるか(引用者注: 「いるか」に傍点)やさめ(引用者注: 「さめ」に傍点)や、青(あお)びかりする蛇(へび)などが、こどものように遊(あそ)びくるっています。」


河田清史 ラーマーヤナ 02


河田清史 ラーマーヤナ 03


河田清史 ラーマーヤナ 04


河田清史 ラーマーヤナ 05


河田清史 ラーマーヤナ 06





































































































『マハーバーラタ ナラ王物語』 鎧淳 訳 (岩波文庫)

『マハーバーラタ 
ナラ王物語
― ダマヤンティー姫の
数奇な生涯』 
鎧淳 訳
 
岩波文庫 赤/32-067-1

岩波書店 
1989年11月16日 第1刷発行
1993年1月8日 第5刷発行
197p
文庫判 並装 カバー
定価410円(本体398円)


本書「まえがき」より:

「本邦訳の底本としたのは、W. Caland: Sāvitrī und Nala, zwei Episoden aus dem Mahābhārata. Text [Roman] mit kurzen erklärenden Noten und Glossar. Utrecht 1917、二十四―八十五頁所収の Nalopākhyānam サンスクリット原文である。」


ナラ王物語


カバー文:

「絶世の美女ダマヤンティー姫は婿選びの式でかねて恋いこがれていた美貌の貴公子ナラ王を夫に選ぶが、嫉妬に狂うカリ王にとりつかれたナラ王は狂気のように賭けつづけ、ついには王国までも失ってしまうのであtる。――古代インドの長篇叙事詩『マハーバーラタ』中もっとも美しい愛の物語の原典訳。」


目次:

まえがき 

ナラ王物語

訳註
解説 
 一 『マハーバーラタ』とは何か
 二 『ナラ王物語』について




◆本書より◆


「話かわって、ビーマ王の姫君がニシァダ国王を夫に選んでから、大通力をもつ四方の守護神たちは、天上界に赴く道すがら、カリ魔王とともにやって来るドヴァーバラに出会いました。そこで、魔神ヴァラ、ヴリトラを討ち平らげた剛勇のインドラ神は二人を見て、カリ王に尋ねました。
 「カリ王よ。ドヴァーバラをともに、そちはいずれに赴こうというのか、申すがよい。」
 すると、カリ王はインドラ神に答えました。
 「ダマヤンティー姫の婿選びの式にまいりまして、必ずや姫を妻に申し受けようと存じます。と申しますのも、わたくしは姫に首ったけだからです。」
 インドラ神は笑いながら、カリ王に申しました。
 「婿選びの式はとうに終わった。われらが目の前で、姫はナラ王を夫として選んだのじゃ。」
 こうインドラ神に言われて、片やカリ王は憤りに満ち、神々一同を呼び集めて、そこでこのように訴えました。
 「神々の中から、姫が夫として人の子を選んだことについて、姫に重罰を課するのがふさわしいかと存じます。」
 カリ王にこう言われて、片や神々は答えました。
 「ダマヤンティー姫がナラ王を選んだのも、われらが承知の上でのこと。およそ、十善の徳を具えたナラ王に、身を任せぬ乙女などあろうものか。
 古来の掟一切に通じ、正しく誓戒を保ち、四つのヴェーダ聖典全部と、それに五番目として古譚(こたん)とを修め、その館で古来の掟通り営まれる供犠祭を神々常に嘉(よみ)し、また生類への慈しみを好しとし、不快虚飾の言を語らず、誓固く、練達、堅固心、寛仁大度、苦行、廉潔、克己、心の静安は必定で、虎のごとく雄々しい武士、四方の守護神たちにも並ぶ国王――かかる姿のナラ王を、万一呪わんと思うものあれば、カリ王よ、そは己れを呪う愚か者、己が手で己れを損(そこな)うであろう。かかる美徳のナラ王を、万一呪わんと思うものあれば、カリ王よ、そは悲惨な地獄に落ち、測り知れぬ深淵に沈むであろう。」
 こうカリ王とドヴァーバラとに言った後、神々は天に上ったのでした。
 さて、神々が行ってしまうと、カリ王はドヴァーバラに申しました。
 「わしは我慢がならぬ。ドヴァーバラよ。わしはナラ王の身に取(と)り憑(つ)いてやる。奴を王位から追い落してやる。奴がビーマ王の姫君と戯れることはなくなるだろう。君としても、賽子(さい)の目に入り込み、助っ人をしてくれたまえ。」」
「このようにカリ王はドヴァーバラと約束を取り決めた後、直ちに、ナラ王の治める国にやってまいりました。カリ王は始終ナラ王の隙(すき)をうかがって、長い間ニシァダ国に留まっておりました。すると十二年目にして、ナラ王に取り憑く隙を見つけたのです。ニシァダ国王が小用をたした後、手、口をすすいだまま、両足の浄めをせず、朝夕のお勤めをしたのです。そこで、カリ王はナラ王の身体に取り憑きました。
 カリ王はナラ王の身体に取り憑いた後、姿を変え、プシュカラ王子の許に出かけて行って、プシュカラ王子にこのように申しました。
 「さあ、ナラ王と賭(かけ)をするんだ。賽子賭博(さいとばく)で御身はナラ王に勝を占めよう。というのは、御身にはわしが付いているからだ。ナラ王から王権を勝ち取り、ニシァダ国を我が物にするがよい。」
 プシュカラ王子はといえば、カリ王にこう言われたのでナラ王の許に赴き、カリ王もまた、役牌(やくはい)に姿を変えて、プシュカラ王子につき従いました。
 敵将を仕留める兵との異名をもつ弟プシュカラ王子はといえば、偉丈夫ナラ王の許に着くと、「二人で賭をしよう。この役牌で」と、繰り返し、繰り返し促しました。すると誇り高いナラ王は、ダマヤンティー妃が目でじっと見詰め、合図しているにも関わらず、その挑戦を堪え切れなくなりました。王は、今が賭どきだと思ったのです。
 カリ王に取り憑かれたナラ王は、そこで黄金、貴金属や、乗物、馬、衣服をかけて、負けてしまいました。しかし、戦では常勝の王が賽子の熱に浮かされて、かけ続けるとあっては、友人たちの誰も王を止めることはできなかったのです。
 そこで、(中略)国民が皆、賭に狂った王を諫(いさ)め止めるため、大臣たちとともに会いにやってまいりました。すると側近の召使がダマヤンティー妃の許にまいって、注進いたしました。「お妃様。只今、町のものが子細あって、ご門の所にまいっております。ニシァダ国王様にご上奏ください。臣下一同が、ものの道理も人生の目的も、よくお弁(わきま)えの王様のご乱心に我慢があんらず、まいっております」と。
 そこで、苦悩にやつれ、憂いに心消え果てんばかりのダマヤンティー妃は、涙に湿った声でニシァダ国王に申しました。
 「王様。国民が国王様を思う気持から、大臣の方がた、御皆様を連れ、あなた様にご拝謁(はいえつ)を願ってご門の所を動きません。そのものに、どうぞご拝謁を賜わってやってくださいませ」と重ね重ね訴えました。
 このような憂き目に会って、こうも涙ながらにかき口説く眉目麗しい妃に、カリ王に取り憑かれた王は一言も答えませんでした。そこで大臣たち一同も町に住む人々も、「これでお仕舞いだ」と悲しみに胸も潰れる思いで、鼻白(はなじろ)み、住処(すみか)に帰ってしまいました。
 そこで、(中略)プシュカラ王子とナラ王の例の賭が始まり、何ヵ月も続きました。しかし誉れ高き王ナラは勝てませんでした。」


























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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