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フィルドゥスィー 『王書 ― ペルシア英雄叙事詩』 黒柳恒男 訳 (東洋文庫)

「そこで短剣を突き刺し、心臓を裂き
黒い体から肺腑をとり出した
洞窟はまったく死体で埋(うず)まり
世はさながら血の海に化した」

(フィルドゥスィー 『王書』 より)


フィルドゥスィー 
『王書(シャー・ナーメ)
― ペルシア英雄叙事詩』 
黒柳恒男 訳
 
東洋文庫 150 


平凡社 
1969年11月13日 初版第1刷発行
1980年7月1日 初版第6刷発行
449p 凡例・目次3p 口絵2p
17.3×11.7cm
角背クロス装上製本 機械函
定価1,900円
装幀: 原弘



本書「凡例」より:

「本書はアブール・カースィム・フィルドゥスィーの『王書(シャー・ナーメ)』の抄訳で、Abu al-Qasim Firdowsi, *Shahnameh*, Beroukhim, Tehran, 1934-5. を底本とし、ロスタムの生涯と活躍を中心に訳者が構成したものである。」
「ソホラープの巻、ビージャンとマニージェの巻およびロスタムとシャガードの巻(ごく一部を除く)は原典の全訳であり、ザールの巻、ロスタムの巻およびスィヤーウシュの巻は抄訳である。」
「半円括弧内の散文は訳者が要約したものである。」
「注は必要最小限度にとどめ、短いものは本文中の( )内に、また比較的長いものは本文のあとに一括して収めた。」
「挿絵は本書の底本に掲載してあるものより採った。」



二段組。口絵はカラー、モノクロ各1点。本文中に図版(モノクロ)7点。



フィルドゥスィー 王書 01



目次:

ザールの巻
ロスタムの巻
ソホラーブの巻
スィヤーウシュの巻
ビージャンとマニージェの巻
ロスタムとシャガードの巻


解説
系図




◆本書より◆


「ザールの巻」より:

ザールの誕生
さて、わたしは古(いにしえ)の語り草から
不思議な話を一つ語ろう
おお、息子よ、耳を藉(か)せ、運命が
サームにどんな戯れをしたか視よ
サームに男の子がなくて
心は慰めを求めていた
彼の後宮に一人の美女がいて
頰は薔薇色、髪は漆黒
月の美女に男児の希望(のぞみ)をかけていた」
「日を経て母体から離れると、赤子は
世を照らす日輪のように美しかった
顔は陽のように立派だったが
髪はすべて白かった
母からこのような息子が生まれたので
一週間サームに知らされなかった」
「騎士サームは王座から降りて
帳(とばり)の背後の「新春」の方に行き
白髪の尊い息子を見た
かかる子を見た者も聞いた者もない
体の毛はすべて白雪のようだが
頰は赤く美しかった
白髪のわが子を見たとき
彼はすっかり世に絶望し
嘲笑をひどく恐れるあまり
英知の道をはずれて、別の道を選び
天の方を仰ぎ見て
おのが所業の許しを乞うた
「おお、邪(よこしま)を超越せる神よ
善はあなたの意にて増す
わたしが大罪を犯したり
アーハルマンの宗教(おしえ)を受け入れたのなら
創造主よ、わが謝罪により
わたしを密かにお許しあれ
わが暗い心は恥ずかしさで捩(よじ)れ
体内では熱い血潮が煮えたぎる
この子はさながらアーハルマンの子
目は黒いが、髪はジャスミンのよう
貴族たちが尋ねに来たら
この不吉な子を見るであろう
わたしは何と言おう、これは悪鬼の子か
二色の豹か、妖精(パリー)か
世の貴顕はこの子について
公然と、またひそかにわたしを嘲笑しよう
この恥辱でわたしはイランを去り
この国土を祝福しないであろう」
こう言って彼は怒り、顔をしかめ
自分の運命と諍(いさかい)をした
その後彼はその子を連れ去って
国土から遠くに捨てるよう命じた
エルブルズという山があり
陽に近く、人里から離れていた
そこにはスィームルグが巣をつくり
人はだれも棲んでいなかった
赤子はその山に置きざりにされ
長い月日が過ぎて行った」

ザールと司祭たちとの問答
王はいろいろ尋ねるために
ザールを御前に召した
鋭敏な賢者たち、名高い
司祭たちがザールとともに坐したのは
彼に神秘の帳(とばり)に秘められたことを
いくつか尋ねるためだった
一人の司祭が洞察力あり聡明な
ザールに問いかけて言った
「わたしは十二本の糸杉が
みずみずしく堂々と生えているのを見た
それぞれから三十本の枝が伸び
ペルシアで増減しないものは何か」
次の司祭は「おお、気高い者よ
駿足の貴重な二頭の馬がいる
一頭は瀝青(タール)の海のように黒く
一頭は白い玻璃(はり)のように輝く
二頭が全速力で駆けても
互いに追いつけぬものは何か」
三番目の者が尋ねて「王の御前を
通り過ぎる三十騎がいる
見れば一騎少ないようだが
数えればまさに三十騎、これは何か」
四番目の者が言うには「青あおとして
小川の流れる牧地がある
一人の男が鋭く大きな鎌をもち
無礼にもその牧地に来て
濡れた草も乾いた草もみな刈り取り
嘆願しても聞き入れない、これは何か」
ほかの者が尋ねて「丈高い二本の糸杉が
波打つ海原の葦のように立ち
一羽の鳥がそこに巣をつくり
朝(あした)はこの木、夕べはあの木にとまる
鳥が飛び立つと葉は枯れ
とまると麝香をただよわす
二本の中、いつも一本がみずみずしく
ほかの一本は哀しく萎(しぼ)んでいる」
さらにほかの者が問い「山で
わたしは堅固な都市を見つけた
そこの住民は賢明で
荒野で茨の地を選んで
月にも達する建物を築き
家来にもなれば王にもなった
その都市の記憶は心から消え
だれも口にする者はいない
だが、いつか突然地震がおこり
彼らの国土は消え去ろう
すると彼らはその都市を思い出し
長く後悔するだろう
この言葉の帳(とばり)の背後を探り
賢者たちの前で明白に言いなさい
もしこれらの秘密を明らかにしたら
黒い土から純粋の麝香を作れよう」
ザールはしばらく考えこみ
やがて頭をあげ、翼を広げ
それから口を開いて司教たちの
すべての問いにこう答えた
「まず、それぞれ三十の枝をもつ
十二本の高い木についていえば
それは一年の十二の新月のこと
新たな王が新たな玉座につかれると同じ
三十日で月の推移はおわり
かくして時の運(めぐ)りがある
さて、そなたが述べた二頭の午
火の神(アーザル・グシャスプ)さながらに閃き
白馬と黒馬が互いに
激しく追い駆けるとは
過ぎ行く夜と昼のこと
天輪の息吹きが数えられる
両者は互いに追いつけず
犬に追われる獲物のように駆ける
三番目に尋ねた三十騎
王の御前を通り過ぎ
三十騎の中で一騎欠けても
数えてみれば三十騎とは
新月の相(そう)はそのようなものと知れ
創造主がそのように命じたもうた
月の蝕を述べたにすぎず
ある夜ときどき月相が見えなくなる
さて、鳥が巣をかける二本の糸杉について
鞘から言葉を抜くと致そう
白羊宮から天秤宮まで
天の暗黒は隠れているが
天秤宮から魚座にめぐると
暗闇と暗黒が生じる
二本の糸杉は高い天輪の両腕
われらの歓喜、悲哀はそれにかかる
そこを飛ぶ鳥とは日輪と知れ
世の恐怖、希望はそれから生じる
次に、山の上にある都市とは
われらの永遠(とわ)の館、審判の場
茨の地とは仮の宿のこと
優美、財宝、苦痛、悲哀がある
それはそなたの呼吸を数え上げ
増しもすれば散らしもする
嵐が吹き、地震がおこり
世から悲痛な叫びをあげさせる
われらはすべての労苦を茨の地に残し
都市の方へ向かわねばならない
ほかの者がわれらの労苦の実を食すが
彼もまた留まることなく去って行く
太初(はじめ)からこのようになっていて
これからも変わることはない
もしわれらの糧が名声であれば
われらの魂はそのために尊ばれよう
もしわれらが貪欲で背けば
息が絶える時、それは現われよう
たとえわれらが館を土星にまで上げても
この世で得るのはただ一枚の経帷子(きょうかたびら)
われらの上に煉瓦や土がおかれると
すべては恐怖と悲哀と畏怖の場
さて、荒野で鋭い鎌を持つ男
濡れた草も乾いた草も恐怖を抱く
彼はどれも同じように刈り取り
嘆願しても聞き入れないとは
刈り手が時で、われらが草
祖父も孫も同じこと
時は老若を一人ずつ区別せず
前に来る獲物を狩って行く
世の構成はこのようで
生まれる者は必ず死ぬ
人はこの扉からはいり、あの扉から去り
時がその呼吸を数えている」」



「ロスタムの巻」より:

第三道程(ハーン) ロスタムと龍の闘い
荒野に一面の龍が現われた
象でさえそれから逃れられない
そこは龍の憩いの場所で
悪鬼さえ恐れてそこを通らない
勇者がそこに眠っており
そのそばに一頭の馬を見て龍は驚き
考えた「この場所で休むとは
いったいなにが現われたのか」
悪鬼、象、雄獅子といえど
そこを通り過ぎようとしないし
来ても龍の邪悪な爪から
とても逃れられないだろう
龍が輝くラクシュの方に向かうと
ラクシュは王冠求めるロスタムの方に駆け
銅(あかがね)の蹄で大地を蹴り
雷(いかずち)のように嘶(いなな)き、尾をはたいた
ロスタムは眠りから醒め
英知に満ち、闘志満々と
荒野を見回してみたが
恐ろしい龍は見えなかった
そこで眠りを醒ましたラクシュに
怒りをいだきながら、再び
深い眠りにつくと、暗闇から
龍がその姿を現わした、そこで
ラクシュはロスタムの枕もとに駆け
地面を蹴ったり踏みつけた
またもや彼は目を醒まし
激昂して頰を紅潮しながら
荒野をくまなく眺めたが
目に映ったのは夜の暗黒だけ
やさしく、油断のないラクシュに
彼は「夜の闇が見えないのか
またもや眠りをさまたげて
わたしを起こしに急ぐとは
もしこんどこのように騒いだら
鋭い剣でその首を刎ねてやる
マーザンダラーンに歩いて行き
兜、剣、重い鎚矛は自分で運ぶ
『もし獅子が闘いに来たら
わたしが闘ってやる』とは言ったが
『今宵わたしのもとに駆けてこい』とは
言わなかった、もう起こさないでくれ」
彼は虎皮を胸にかけて
また眠りこんでしまった
再び恐ろしい龍が唸りをあげ
まるで火をふくようであった
ラクシュはそのとき牧地を去ったが
勇者のもとに行こうとしなかった
心は恐怖で千々(ちぢ)に乱れた
ロスタムと龍への恐れだった
だがついに主人を思う心から
疾風(はやて)のようにロスタムのもとに駆け
はげしく嘶き、いらだち、蹄で
地面を蹴り、かきむしった
熟睡から醒めたロスタムは
従順な愛馬に怒りをいだいたが
こんどは創造主の意志により
龍は大地に隠れなかった
ロスタムは暗闇に龍を見ると
すばやく腰から鋭い剣を抜き
春雷のような叫びをあげ
大地を戦火で満たしてから
龍に向かって「名を名乗れ
もはやこの世を見ることはなかろう
名も知れず、わが手にかけて
その魂を暗い体から奪いたくない」
恐ろしい龍は答えて
「わが爪から逃れられる者はない
幾百年もこの荒野はわが棲処(すみか)
高い大空はわが熱望の的
鷲さえわが頭上を飛ぼうとせず
星さえそれを夢にも思わない」
龍は言葉を続け「そなたの名は何だ
母はさだめし悲嘆にくれよう」
彼は答えて「わたしはロスタム
ザールの子、サーム、ナイラムの子孫
一騎で恨み重なる大軍と戦い
勇敢なラクシュにまたがり大地を進む
わが戦う腕前を見せてやる
いま、その首を埃にまみれさせるぞ」
龍は彼に襲いかかって闘い
ついに逃げようとしなかった
ラクシュは龍の怪力と
ロスタムとの格闘を見ると
耳をさげて驚いたが
龍の肩にがぶりと嚙みつき
獅子のようにその皮をひきちぎった
勇者は茫然となったが
剣を振りおろし、首を刎ねると
胸から血が川のように流れ
大地は血で見えなくなり
血の泉が湧き出ていた
ロスタムは恐ろしい龍と
肩を激しい呼吸で見つめた
荒野はすべてその死体で隠れ
熱い血が黒い土に流れているのを見て
勇者はすっかり驚いたが
神の名を唱えて祈念した
水で全身を洗い清めてから
世を統べる神の力によって
世界の制覇を願い「おお、裁きの主よ
わたしに英知、力、栄光を授けたもうと
わが前に獅子、悪鬼、象がこようと
水なき砂漠、ナイルの河も恐れない
敵が多かろうと、少なかろうと
わたしが怒れば、わが目には同じ」」



「ロスタムとシャガードの巻」より:

ルーダーベはロスタムを悼んで気がふれる
スィースターンは一年間喪に服し
だれの衣服も黒色か青色だった
ある日ルーダーベは夫ザールに言った
「ロスタムを悼み悲しむあまり
陽が世を照らし始めてこのかた
これほど暗い日を見た者はありません」
ザールは答えて「愚かな女よ
断食の苦痛は悲しみより辛いぞ」
するとルーダーベは怒って誓いを立てた
「今後眠りもせねば食べもしません
わたしの魂がロスタムの魂と
彼方の集いで再び逢えるかもしれません」
彼女は一週間食物を断ち
ロスタムの魂と交流しようとした
なにも食べないので眼がかすみ
気高い体は痩せ衰えた
危害を恐れて数名の侍女たちは
彼女のあとをどこにでもついて行った
一週間たつと彼女の気がおかしくなり
狂気のために悲しみが宴に変わった
彼女は寝る時刻に台所に行き
水に死んでいた蛇を見ると
手を伸ばし、震えながら頭をつかみ
その蛇を食べようとした
侍女たちは彼女の手から蛇を
奪い、彼女をだきしめて
その汚れた手の場所から
彼女の館の居室に連れて行き
椅子に坐らせてから
食盆(ハーン)と食物を運んできた
彼女は飽きるまで何でも食べた
それから柔らかな衣服が布かれ
彼女は眠って、心配と悲哀
死への嘆き、富への悲しみから休んだ
眠りから覚めると、食物を求め
さまざまな多くの食物が運ばれた
彼女は正気に戻るとザールに言った
「あなたのお言葉は英知に一致していました
食事もとらず、眠らない者には
死への悲しみと宴は同じことです
息子は逝き、われらもあとを追うでしょう
創造主の正義を信じましょう」
彼女は貧しい人びとに宝物を与え
創造主に祈願して言った
「おお、名と場所を超越したもう方よ
ロスタムの魂を罪より洗い清めたまえ
彼の住居(すまい)として天国に場を与え
彼がこの世で蒔いた種の実を彼に授けたまえ」」




フィルドゥスィー 王書 02








こちらもご参照ください:

Stuart Cary Welch 『A King's Book of Kings: The Shah-nameh of Shah Tahmasp』









































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ニザーミー 『ホスローとシーリーン』 岡田恵美子 訳 (東洋文庫)

「夜の黒髪が芳香をただよわせると、暗闇の中に光明が沈む――夜の魔術師が帳から姿を現して、陽から月へと手品師が入れ替った。」
(ニザーミー 『ホスローとシーリーン』 より)


ニザーミー 
『ホスローとシーリーン』 
岡田恵美子 訳
 
東洋文庫 310 


平凡社 
昭和52年6月24日 初版第1刷発行
x 373p 口絵(モノクロ)2p
17.3×11.7cm
角背クロス装上製本 機械函
定価1,200円
装幀: 原弘



本書「凡例」より:

「本書はペルシアのロマンス叙事詩人、ニザーミー・ガンジャヴィーの作品『ホスローとシーリーン』の翻訳である。」
「底本には Vahid Dastgerdi 校訂 *Khosrou Shirin* (Ebn-e-Sina, Tehran, 1955)を用いた。この底本のうち、序の部分(神、予言者への讃辞、王への献辞等)および巻末部分(息子への忠言等)の訳出は省略した。」
「原典はすべて韻文形式で書かれたものであるが、訳者は散文形式をとって訳出した。」
「各章の序数は訳者が付したものであり、各章の標題は原文のままであるものと、その内容を考慮して訳者が変更して付したものとがある。」
「注をできるだけ少なくするため、意味が原文に組み込めるものはその方法をとり、比較的長いものは、注として巻末に収めた。」
「本文中の( )は原文の補足説明として訳者が加えたものである。」



本文・注は二段組。本文中図版(モノクロ)5点。「解説」に図版(モノクロ)3点。



ニザーミー ホスローとシーリーン



目次:

凡例

一章 ホスローの生誕と少年時代
二章 賢者ブズルグ・オミード
三章 ホスローの祝宴と父王の懲罰
四章 長老のとりなし
五章 ホスローの夢
六章 シャープール語る
七章 美女シーリーン
八章 駿馬シャブディーズ
九章 シャープール、アルメニアに美女を求める
十章 シャブディーズの血統
十一章 ホスローの肖像――その一
十二章 ホスローの肖像――その二
十三章 ホスローの肖像――その三
十四章 見出されたシャープール
十五章 美女の出奔
十六章 シーリーンと泉
十七章 ホスロー、シーリーンを見る
十八章 シーリーン、マダーインに着く
十九章 シーリーンの城砦
二十章 ホスロー、アルメニアの王妃のもとに滞留する
二十一章 ホスローの祝宴
二十二章 シャープールの報告
二十三章 シャープール、ふたたび美女を求める
二十四章 父王の死
二十五章 ホスローの即位
二十六章 王妃の手に戻ったシーリーン
二十七章 僭主、バハラーム・チュービーン
二十八章 ホスローとシーリーンの出逢い
二十九章 王妃の訓(おし)え
三十章 ポローに興じるホスローとシーリーン
三十一章 春のよろこび
三十二章 ホスロー、獅子を屠る
三十三章 たのしき物語の集い
三十四章 恋問答――ホスローより
三十五章 恋問答――シーリーンより
三十六章 恋問答――ホスローより
三十七章 恋問答――シーリーンより
三十八章 恋問答――ホスローより、またシーリーンより
三十九章 ホスロー去る
四十章 ホスローとバハラームの戦い
四十一章 ふたたび王座につくホスロー
四十二章 別離を嘆くシーリーン
四十三章 王妃の遺言
四十四章 女王シーリーン
四十五章 シーリーン、城砦へ入る
四十六章 バハラーム・チュービーンの死
四十七章 ホスローの祝宴
四十八章 ホスローとシーリーンとマルヤム
四十九章 使者シャープール
五十章 シーリーンとシャープールの口論
五十一章 ファルハードの恋
五十二章 シーリーンとファルハード
五十三章 ファルハードのつのる想い
五十四章 ホスロー、ファルハードの恋を知る
五十五章 ホスローの策略
五十六章 ホスロー、ファルハードを召し出す
五十七章 ホスローとファルハードの恋問答
五十八章 山を穿つファルハードの嘆き
五十九章 シーリーン、ビーストゥーン山へ行く
六十章 ファルハードの死
六十一章 ホスローの悔み状
六十二章 マルヤムの死
六十三章 シーリーンの悔み状
六十四章 悔み状を受けとるホスロー
六十五章 ホスローの公正と寛容
六十六章 ホスロー、タクディースの玉座に坐る
六十七章 イスパハーンの美女、シャキャル
六十八章 シャキャルを求めるホスロー
六十九章 ホスローとシャキャルの結婚
七十章 シーリーンの夜の嘆き
七十一章 朝の祈り
七十二章 シーリーンの城へ行くホスロー
七十三章 ホスローとシーリーンの会見
七十四章 ホスローとシーリーンの諍い――シーリーンより
七十五章 ホスローとシーリーンの諍い――ホスローより
七十六章 ホスローとシーリーンの諍い――シーリーンより
七十七章 ホスローとシーリーンの諍い――ホスローより
七十八章 ホスローとシーリーンの諍い――シーリーンより
七十九章 ホスローとシーリーンの諍い――ホスローより
八十章 ホスローとシーリーンの諍い――シーリーンより
八十一章 ホスローとシーリーンの諍い――ホスローより
八十二章 決裂
八十三章 城砦より帰るホスロー
八十四章 シャープールの慰め
八十五章 シーリーンの悔恨
八十六章 シャープール、ホスローの夢を解く
八十七章 ホスローの祝宴
八十八章 ホスローとシーリーンの和解――シーリーンより
八十九章 ホスローとシーリーンの和解――ホスローより
九十章 ホスローとシーリーンの和解――シーリーンより
九十一章 ホスローとシーリーンの和解――ホスローより
九十二章 ホスローとシーリーンの和解――シーリーンより
九十三章 ホスローとシーリーンの和解――ホスローより
九十四章 ホスローとシーリーンの和解――シーリーンより
九十五章 ホスローとシーリーンの和解――ホスローより
九十六章 姿を現すシーリーン
九十七章 ホスロー、シーリーンを迎える
九十八章 ホスローとシーリーンの婚礼
九十九章 シーリーンのすすめ
百章 ホスローと賢者の対話
百一章 邪悪の子シールゥエ
百二章 ホスローの隠棲
百三章 暗殺
百四章 死と目覚め
百五章 シールゥエの邪恋
百六章 シーリーンの死



解説 (岡田恵美子)




◆本書より◆


「一章」より:

「古(いにしえ)ぶりの物語を諳んずる旧き家系の語り部はつぎのように語った。
 王キスラーは己れの月が陰ったとき、ホルムズドに王位を譲った。
 世を輝かすホルムズド王は正義をおこない、公正さによって世に繁栄をもたらした。彼は父王の慣習を踏襲し、惜しみなく財を施して信仰の基をきずいた。
 ホルムズド王は神に生贄(いけにえ)を捧げて、一子を得ようと祈願し、ひろく世に縁組を求めた。さて神は、幾多の誓願と供物を嘉(よみ)して彼に王子を授けた。
 この王子は、王者の海原より見出された貴い真珠、神の光を賦与された輝く灯火のようであった。王位王冠を予言する星占は王子を祝福し、幸多き治世を約束していた。
 父王はわが子がまさしく皇帝(ホスロヴィー)にふさわしいと見て、ホスロー・パルヴィーズの名を与えた。
 王子がパルヴィーズと名づけられたのは、縁飾り(パル・アーヴィーズ)のようにつねに腕に抱かれていたからである。乳母は麝香のように王子を絹布に包み、また瑞々しい真珠さながらに水気をはらって綿の上に置いた。」

「年月は流れた。このようにしてホスローはあらゆる技芸に擢(ぬきん)でた。彼は思うことを滔々と語ることができたが、それはまるで海が真珠(言葉)を撒くのに似ていた。(中略)九歳にして、彼は学舎を終え、獅子や竜と戦う術を身につけた。」



「七章」より:

「シャープールは語りつぐ。
 「さてこの姪ごさま――妖精の現身(うつしみ)なる乙女は、月をも凌ぐ美しさでございます。ヴェールの下に冠をいただき、新月のように夜に映え、黒い瞳は闇の底にある生命の水さながら。なよやかな姿は白銀(しろがね)の棗(なつめ)の木、その木の頂(いただき)で二人の黒人(下げ髪)が棗を摘んでおります。」
「蜜のように甘い百の言葉を秘めているのか、彼女の唇は、魔術で人々の胸の火をさらに燃え立たせますが、爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的(ナマック)で、塩(ナマック)は甘く(シーリーン)ないのに彼女の塩(魅力)は甘美(シーリーン)なのです。」
「頰にうちかかる捲毛を微風が揺がせると、時にはその白い頰を白貂の毛皮として、時には捲毛を艶やかな黒貂の毛皮として売り歩くように見えます。」
「彼女ゆえに幾多の胸が棘の痛みを受けましたが、どの胸もこの無垢(むく)なバラを抱いたことはなく、夜には百人もが彼女を夢見るというのに、誰ひとり彼女の姿を見た者はありません、さながら夜、陽を見ることがないように。」
「その祭飾りのような三日月眉を見る者は誰でもそのために生命を捧げるほど。彼女のことを思ってはマジュヌーンも胸をうたれ、ライラさえもその婉麗さには兜をぬぎましょう。」



「八章」より:

「ホスローは心をかき乱されてこう言った。
 「何とも気懸りで、休みも眠りもできぬ」
 そして連日、あの物語を繰り返させ、甘き美女のほかは何の考えも彼の頭に浮かんではこなかった。」



「九十六章」より:

「ホスローは彼女の目の前に灯火を捧げ、しみじみと眺め入って彼女の心をおしはかる。
 彼はこう言った。
 「私の躰にとっておまえは魂だ!」
 またこうも言う。
 「おまえは私であり、私はおまえだ」」



「百三章」より:

「闇は月より光を奪い、旅人を待ちうける食人鬼のごとく天を迷わせた。幾千という腕がありながら世は力なく、何十万という目がありながら天は盲(めしい)ていた――ある夜。
 王は黄金の鎖を結ぶ足を、シーリーンの白銀の脚にのせかけていた。鎖編毛の美女がその白い手で、王の黄金の鎖に珠玉を飾り、その環に痛む両の足をいとおしみ憐れむように撫でさすり口づけていた。
 彼女は安らかな眠りをよぶ囁くような声で、心優しい物語をして聞かせた。その一言一言に口は蜜でみち、そうしてまた王の応答(いらえ)に耳を傾けた。ホスローの声が次第に夢心地となり、やがて眠りについたとき、シーリーンも睡魔に襲われた。
 二人の優雅な恋人は夢路を辿っていたが、天は目覚め、しかもその目は慎みを忘れ、“おお、災厄ぞ!”と知らせようとしたが、夜の闇はその唇を縫いとじてしまった。
 すると、一人の男、天性いささかの愛情もなく、悪鬼の面構えという男が窓から入ってきた。彼は血に飢えた肉屋か、火箭をうつ兵士のようで、その髯から火を放つかと見えた。男は偸盗さながら、調度の品々をとび越えて王の臥所へと迫った。剣を握りしめ、王の枕辺に近づくや、胸許深く剣を振り下ろし、生命の灯を消した。
 鋒(きっさき)は深く王の胸を貫き、雲間からさす稲妻のように血潮が吹き出した。男は月(シーリーン)から陽(王)を離すと、鷲のごとく窓から飛び出した。
 深い眠りのうちに襲われた王は、半眼を見開き、死に至る傷を受けたと悟った。臥所に血潮は洪水と溢れ、心臓は衰え、臨終の渇きに苦しんだ。彼は心に呟いた。
 「シーリーンを甘い眠りから起そう、何か飲物が欲しい」
 しかし彼は秘かにこうも言った。
 「この優しい女(ひと)はいく晩も眠っていないのだ。この苦痛に喘ぐ悽惨な私の姿を見たなら、この女(ひと)は泣き叫び、もう決して眠らぬであろう。これは、何も言わぬがよかろう。私は死んで行くが、この女(ひと)は眠っておるがよい……」
 誠実な夫はこうしてシーリーンを起さず、苦悶の中に息を引きとったのである。」



「百四章」より:

「王の躰から、溢れる水のごとく血潮が流れ出たとき、シーリーンは熟寝(うまい)より目覚めた。」
「彼女は踠き苦しむ鳥のように心を乱した、この悲しい宿命を夢に見たことがあったから。臥所より絹の掛布をはぎ、血の海をそこに見ると、彼女は絶叫した。」
「しばらく彼女は涙によって夜の闇を暗くした。やがて涙に泣きぬれてその場を離れ、バラ水と竜涎香をまぜ、朱に染まった王の亡骸(なきがら)に注ぎ、次いでバラ水と樟脳で湯灌(ゆかん)すると、王は輝くばかりに潔(きよ)くなった。」



「百六章」より:

「朝が甘い眠りから頭(こうべ)をあげると、シーリーンの死も頭をもたげた。
 黒人(闇夜)はエチオピアから樟脳(曙光)を奪ったが、途すがら樟脳箱は砕け、夜はしらじらと明ける。やがて城砦(地平)より月を眺めていた黒人が、地平に隠れおちる月を見て、白い歯をみせて嗤う――黎明である。」

「居並ぶ人々の面前にて墓の扉を閉め、彼女は匕首を手に王の柩に歩みよった。王の胸を覆う布をとり払い、そこに虚(うつろ)に開く傷口に唇を当て、己が胸の、王が傷を受けたと同じ箇所に、みずから匕首を突きたてた。」
「彼女は王の骸(むくろ)を腕に抱き唇に唇を合せ、肩に肩を寄せると声を限りに叫んだ――両人が身も魂も相結ばれ、身は別離から、魂はあらゆる葛藤から免れたことを知らせようと。」



「解説」より:

「サーサーン朝のホスロー二世、パルヴィーズ(在位五九〇~六二八年)と、アルメニアの美しい王女シーリーンとの恋を描いたこの作品は、彼の五部作では第二作目に当る。
 一一七七年から八一年にかけて詠まれたほぼ六五〇〇句より成るこの作品で、ニザーミーのロマンス叙事詩人としての名は一挙に高まったといわれる。」
「美女シーリーンに関しては古来、さまざまな説があり、『バルアミーの歴史』などによれば、ルーム(現在のギリシア)の女奴隷あるいは侍女で、きわめて美しい女性であったと記録されているに過ぎない。『王書』においてもシーリーンはルームの女性となっている。ニザーミーはこれをアルメニアの女王の姪と設定し、イラン人の理想の女性像として描いた。その描写は当時の作品としてきわめて個性的であったことから、おそらく作者の妻をモデルとしたものであろうといわれている。」

「ホスローをめぐる三人の女性、正妻マルヤム、シーリーン、シャキャルと、シーリーンをめぐる三人の男性、ホスロー、工匠ファルハード、及びホスローの王子シールゥエとの心理的な葛藤、愛の抗争、おのおのの愛の姿などがニザーミー独特の比喩、隠喩をもって語られている。」
「なお、王が術策を弄して恋敵を死に追いやった報いとして、晩年わが息子の手で悲惨な死を遂げるといった輪廻思想もこの物語の根底を支えている。
 ホスローの全盛期における華麗な宴席、恣な施政、美女たちとの雅な恋と邂逅が、王の晩年の不幸と見事な対比をみせて描かれ、しかも理想の女性シーリーンを王妃として迎えるまでが遙かな道程であるだけに、運勢に見放され、落日のごとく世を去る王の悲劇的な姿は印象深い。
 王者と貧者、青春と老齢、精神の愛と肉体の欲念、こういった対比は、随所に見られる白と黒(昼と夜)の馬といういわゆるイラン的な明暗、善悪二元の思想の表れであろう。」








こちらもご参照ください:

ニザーミー 『ライラとマジュヌーン』 岡田恵美子 訳 (東洋文庫)






























ニザーミー 『ライラとマジュヌーン』 岡田恵美子 訳 (東洋文庫)

「その心はますます野性に近づき人の世の絆を断ち、俗世の衣食の欲念から離れていった。
 つねに野獣のごとくマジュヌーンは山野に草の根を嚙り、野獣野鳥の境に身をおいて、彼らと共に心静かに日々を送る。」

ニザーミー 『ライラとマジュヌーン』 より)


ニザーミー 
『ライラとマジュヌーン』 
岡田恵美子 訳
 
東洋文庫 394 


平凡社 
1981年2月10日 初版第1刷発行
vi 207p 
17.3×11.7cm
角背クロス装上製本 機械函
定価1,200円
装幀: 原弘



本書「凡例」より:

「本書はペルシアの叙事詩人、ニザーミー・ガンジャヴィーの作品『ライラとマジュヌーン』の翻訳である。」
「底本には Vaḥīd Dastgerdī 校訂 *Laila va Majnūn (Ebn-e-Sīnā, Tehran, 1955)を用いた。この底本のうち、序(神、予言者への讃辞、王への献辞など)および跋文に当る部分の訳出は省略した。」
「原典はすべて韻文形式で書かれたものであるが、訳者は散文形式をとって訳出した。」
「各章の序数は訳者が付したものであり、標題は内容を考慮して訳者が変更したものが多い。」
「注の中、意味が訳文に組み込めるものはその方法をとり、他は注として巻末に収めた。」
「本文中の( )は原文の補足として訳者が加えた説明である。」



本文・注は二段組。図版(モノクロ)11点。



ニザーミー ライラとマジュヌーン



目次:

凡例

一章 少年カイス
二章 カイスとライラ
三章 狂気(マジュヌーン)の恋
四章 廻る天輪
五章 結婚の申込み
六章 苦悩の恋
七章 カアバ神殿にて
八章 荒野のマジュヌーン
九章 父の忠告
十章 運命
十一章 恋の悲歌
十二章 ライラの嘆き
十三章 秘めた想い
十四章 婚約者イブンサラーム
十五章 ナウファル王の約言
十六章 約言を促すマジュヌーン
十七章 戦闘
十八章 王とマジュヌーンの論争
十九章 再び戦うナウファル王
二十章 マジュヌーンと羚羊
二十一章 マジュヌーンと鹿
二十二章 マジュヌーンと鴉
二十三章 鎖に縛られたマジュヌーン
二十四章 ライラとイブンサラーム
二十五章 花嫁ライラの苦しみ
二十六章 荒野の悪鬼
二十七章 マジュヌーンの嘆き
二十八章 父と子
二十九章 マジュヌーン父に答える
三十章 父の死
三十一章 狂気の喪
三十二章 恋の形相
三十三章 寓話
三十四章 月の二十八宮
三十五章 金星に祈るマジュヌーン
三十六章 木星に祈るマジュヌーン
三十七章 神に祈るマジュヌーン
三十八章 ライラの消息
三十九章 ライラの手紙
四十章 マジュヌーンの手紙
四十一章 伯父サリーム・アーミリー
四十二章 寓話
四十三章 母と子
四十四章 母の死
四十五章 囚われの人形
四十六章 棗の園にて
四十七章 バグダードのサラーム
四十八章 マジュヌーン答える
四十九章 イブンサラームの死
五十章 ライラの死
五十一章 マジュヌーンの悲嘆
五十二章 後を追うマジュヌーン
五十三章 恋の聖所



解説 (岡田恵美子)




◆本書より◆


「十五章 ナウファル王の約言」より:

「ライラは部屋にひきこもっていた。帳(とばり)をおろし、純愛の貞節を守り、詩に己が心のうちを托して葦笛を吹き、竪琴を奏でつつ。
 甘き唇がうたう抒情詩は、馥郁たるめぼうきの芳香をはなっている。友もなく、憩いをも忘れ眠りもせず、自らの捲髪のように心は千々に乱れてライラは歌う。その恋歌のふかく胸をうつ調べには、世の吟遊詩人でさえも撥(ばち)もつ手をやすめて聞きほれるほどであった。
 一方マジュヌーンは心を戦(おのの)かせ、与えられた運命が錯乱をきわめているように、心をとり乱し砂漠をさまよっていた。あてどもなく、人目も憚らず走りまわるさまは、砂漠を駈ける野性の馬とも見える。彼は痩せた蟻(ムーリー)が千の力を尽くして栗毛(ブーリー)を駆るように、千の苦しみをこめて詩を詠(うた)った。」

「ある日、王は狩にでた――マジュヌーンの彷徨するこのあたりへ。
 彼は岩山の亀裂、ほら穴の奥と心を躍らせて、獲物を捜し求めていたが、その時、ひとつの人影を認めた。それは足も萎え果て、ふり乱した髪に嘆きの涙を結びつけた男の姿。同胞よりきり離され、不幸に陥り、見知らぬ人の出現に恐れ戦(おのの)くさまは、すでに人気を絶ち野性に帰ったものか、男には二三の野獣がつき従っている。いかなる者か、何ゆえこの廃墟に、と問う王に経緯を知る供の者がこう答えた。
 「かの者は、ある娘に恋をして悲しみに陥り、ごらんのごとく狂人になってしまいました。
 (中略)
 さまざまな国から来る旅人は、この哀れな奇人を見て、中には飲物や食物を鉢に入れてやる者もございます。ところがこの男、千の努力をしても椀一杯しか喰べられず、それも娘のことを想いながらというありさま。
 何事につけ恋人を想い、恋い偲ぶことがこの男の仕事なのでございます」」



「三十二章 恋の形相(すがた)」より:

「ナジドの山は美しい敷物のように裾野を拡げ、山はめぼうきの花ざかり。だが山に籠ったマジュヌーンは砕け散った陶器さながらに、心は乱れ気力も失せていた。
 父亡きあとの彼は、再び山野を放浪し、また時には荒野から恋人の住むあたりまで足を伸したりしたものである。

 さてある日のこと、道を行くマジュヌーンは足許に一枚の紙片を認めた。とりあげて見れば、そこにはライラ・マジュヌーンの文字が書かれてある。
 彼は即座に紙片を二つに引き裂くと、己れの名を記した半切(はんせつ)を残し、ライラの名に爪をたてて破り棄てた。
 この不可解な行為を目撃する人々がいて、マジュヌーンに問うた。
 「恋し合う二人の者の名が書いてある。一方を棄てるとは、どういうことか」
 マジュヌーンは答える。
 「二つの名よりは一つがよい。
 恋する者の名を書けば足りる。
 愛を受ける者の名は消えるのだから」
 「だが、愛を捧げ愛を受ける二人、どうして彼女が失われ、おまえが残るのか」
 「真実の恋を知った者に二つの名は要らぬ。
 恋の本質は人の目に映らぬもの。私は恋の形相(すがた)であればよい。この形相のうちに本質が秘められている。
 ライラは恋の本質、ライラという名はなくてよいのだ」

 マジュヌーンは人々をその場にのこして、道もまた道なき道も、心の赴くままに足をすすめた。恋する者の例にならい、彼は詩を詠じ、またそれによって父亡き悲しみを癒そうとした。だが、その心はますます野性に近づき人の世の絆を断ち、俗世の衣食の欲念から離れていった。
 つねに野獣のごとくマジュヌーンは山野に草の根を嚙り、野獣野鳥の境に身をおいて、彼らと共に心静かに日々を送る。獅子を鹿を供に連れ、それはまるで身を護る二双槍をたずさえているかのよう。砂漠に住まうありとあらゆる獣は彼のもとに集まる。
 獅子、鹿、狼、狐、こうした一軍がマジュヌーンの歩む道に群をなし、恭順の意を表わせば、彼はこれらすべてに君臨するソロモン王か。その姿は鷲の翼のように肉を落してはいたが、みごとに双翼を拡げる鷹の蔭に身を休める。それは野獣を侍らせた大いなる王、その王の許では狼は羊を、獅子はロバを襲わず、山犬は兎とあい睦み、羚羊は仔羊のように獅子(シール)から乳(シール)を飲んだ。」
「このように野に住むものの慣いからはずれた獣たちを二重三重と身の廻りにおいて、マジュヌーンは王者のようにこの軍団に君臨し、野獣らの祭壇に登っていた。」



「解説」より:

「アラブの茫漠たる砂漠に、富裕なアーミル族の首長の息子として生を享けたカイスは、天性感傷の心も深く、詩才にも恵まれていた。
 やがてこの少年カイスは、美少女ライラに恋をするが、その恋があまりにも一途で懸命であり、世俗の目には狂気(マジュヌーン)のさたとも映ったので、ライラの両親や親族の阻むところとなり、カイスは「マジュヌーン」の異名で呼ばれ砂漠を放浪する。ライラはやがて恋を秘めたまま、他の青年のもとへ嫁ぎ、マジュヌーンは狂気の度をさらに増すうち、ライラは病死し、マジュヌーンもその墓にとりすがってこの世を去ってゆく。
 熱砂のアラビアを舞台としたこの悲恋物語は、アラブ各地は勿論、トルコ、イラン、アフガニスタンなどに、伝説、民謡、悲恋物語詩、または神秘主義詩として様変り、各々異なった要素を加えて広まっていった。」

「イランではほぼ十二世紀頃から神秘主義(スーフィズム)思想が文学に影響しはじめる。
 神秘主義者(スーフィー)たちは粗衣粗食に甘んじ、俗世への欲念を断って没我の境地に至り、さらに、己れを消滅し去るという意識そのものをも意識しない境地に至ろうとした。仏教の涅槃(ねはん)にも似たこの境地をスーフィーたちは「消滅の消滅」とか「完全なる消滅」と呼ぶ。
 しかも、さらに一歩進めて、自我の全き消滅の後、彼らは己れが神の内に存し、永住することをこそ希った。これを「神人合一の境地」と呼んでいる。この神人合一の境地にたち至った時、人は神への愛に陶酔し、無限の幸福感にひたれるという。そこで、スーフィーの中には「神は私に宿り、私は神の内に存する」という観念を抱き、ついには「我は神なり」と公言した者もある。
 さて、こういったスーフィーの心境は、実にしばしばイスラム文学の中で、男女の愛に置きかえて描かれる。
 恋に陥り、ひと筋の愛の道を行く男は求道者で、恋人たる女人は神に擬せられる。男は食を断ち、衣服を裂き、家を顧みず、父母を捨て、ただひたすら恋する女人(神)を求め続ける。この行(ぎょう)は、まさに山伏の荒行のようにいくつもの段階(ペルシア文学では通常七つ)があり、清貧に甘んじ、苦患に耐え、神を信じつつある境地に至る。その時、男はすでに己れを滅し去って、そこにあるのは女人(神)ばかり。それも麗しいバラの頰、糸杉の立姿、そういった俗世の形骸の美はすでになく、そこには豁然と開かれた男の心眼に映る女人(神)が在るばかり。佳(よ)き女(ひと)(神)は我に宿り、吾は佳き女(神)の内に在る。この一体感の恍惚、煌くばかりの合一の歓喜こそ至福でなくて何であろう、というのがスーフィーの観念である。」

「主人公カイスは、すでに学舎に在る中に恋の虜(とりこ)となり、たちまちにして狂人(マジュヌーン)となった。元来マジュヌーンとは砂漠に住まうというジン(もののけ、霊、または精)に憑(つ)かれたものを意味するのだが、マジュヌーンはすべてを捨てて、砂漠を放浪する。まことに理想的なスーフィーの求道者のごとくに。彼はついに自分の名も、自分が在るということも忘れ去って、ただライラという文字に、ライラと叫ぶその声にのみ喜びを覚える。今やライラはマジュヌーンにとっては神であるから、ついには「ライラ」と聞いたばかりで感動し失神する。これこそスーフィーの求める神に合一する恍惚の境地であろう。」
「また、人間界を棄てたマジュヌーンが荒野に住まう動物や鳥たちに親しむのは、俗世の人間にはない無欲な優しさや純粋性をそこに見出すからであり、このモチーフは『ホスローとシーリーン』の中の石工ファルハードにも用いられてある。ファルハードにしても、マジュヌーンにしても、しだいに嵩じる恋の心は昇華して、ついに俗世の人間とは全くかけ離れた魂の世界に生きることになる。」









こちらもご参照ください:

ニザーミー 『ホスローとシーリーン』 岡田恵美子 訳 (東洋文庫)
アッタール 『イスラーム神秘主義聖者列伝』 藤井守男 訳

























































ハーフィズ 『ハーフィズ詩集』 黒柳恒男 訳 (東洋文庫)

「ハーフィズよ、世を捨てるが楽しさの道
決して想うな、俗物どもの様子(さま)は楽しと」

(『ハーフィズ詩集』 より)


ハーフィズ 
『ハーフィズ詩集』 
黒柳恒男 訳
 
東洋文庫 299 


平凡社 
昭和51年12月17日 初版第1刷発行
iii 406p 口絵(モノクロ)2p
17.3×11.7cm 
角背クロス装上製本 機械函
定価1,000円
装幀: 原弘



本書「凡例」より:

「一 本書は Muḥammad Qazvīnī & Qāsim Ghanī 校訂『ハーフィズ詩集』 *Dīvān-e Khwājah Shams al-Dīn Muḥammad Ḥāfiẓ Shīrāzī (Tehran, 1941)を底本とし、ペルシアの著名な抒情詩人ハーフィズの抒情詩(ガザル)四九五首、断片詩(キタ)一首、マスナヴィー詩形二首(「小鹿の賦」「酌人の賦」)の全訳である。」


本文二段組。「解説」中に図版(モノクロ)1点。



ハーフィズ詩集 01



目次:

凡例

抒情詩(ガザル)
断片詩(キタ)
マスナヴィー詩

解説 (黒柳恒男)
 一 ハーフィズの生涯と時代
 二 抒情詩(ガザル)について
 三 ハーフィズの思想
 四 ハーフィズ研究




◆本書より◆


「一
おお酌人(サーキー)よ、酒杯をまわしてわれに授けよ(一)
愛は始めたやすく見えたが、あまたの困難が生じた
終には微風(そよかぜ)があの巻毛からもたらす香りに焦れ
麝香が薫(かお)るかの髪の縺(もつ)れにあまたの心が
 いかに痛んだか
わが恋人の館(二)になんの安らぎ、愉しみがあろう
いつも鈴が鳴り続く、荷物をたばねよと
酒場の老人(三)の命ならば、礼拝敷物(サッジャーデ)を酒にて染めよ
旅人(四)は道中と宿場の習慣(ならい)を識らずにおれぬゆえ
夜は暗く、波怖ろしく、渦潮はすさまじい
わが様子(さま)が(五)浜辺の気楽な人びとにどうして分ろう
わがことはすべて我が儘ゆえに不評に終った
あの秘密(六)がどうして隠される、集(つど)いにて語られよう
ハーフィズよ、安らぎを欲するなら
 彼女から身を隠すな
恋する人に逢ったら、世を捨て顧みるな


 一 このアラビア語の半句はウマイヤ朝第二代カリフ、ヤズィード・ビン・ムアーウィヤの詩の引用。シーア派の仇敵である彼の詩を引用したため、中世にハーフィズは一部のイラン人の非難の的になったという。
 二 この世を指す。
 三 神秘主義(スーフィズム)指導者を指す。その命令には絶対に服従せねばならぬの意。
 四 神秘主義の道を歩む修行者。
 五 恋に苦悶するわが様子を指す。
 六 わが恋の秘密。」


「三
かのシーラーズの乙女がわが心を受けるなら
その黒き黒子(ほくろ)に代えて私は授ける
 サマルカンドもブハーラーも
酌人(サーキー)よ、残りの酒を酌(く)め、天国にても求めえぬのは
ルクナバードの流れの岸とムサッラーの花園(一)
ああ、都を騒がす陽気で優美な歌姫(ルーリー)(二)たちは
トルコ人が食盆(ハーン)を奪うが如く
 わが心から忍耐を奪った
恋人の美にわれらの欠けた愛は要らぬ
麗しい面に脂粉や黒子(ほくろ)、描き眉が要ろうか
日に増すヨセフの美から、私は知る
愛が貞淑の帳(とばり)からズライハーを誘(いざな)い出すと(三)
罵られ、呪われても、私は祝福を捧げよう
苦(にが)い応(いら)えは甘く紅(くれない)の唇にこそふさわしい
好(よ)き人よ、忠告に耳を傾けよ、生命にもまして
幸運な若人(わこうど)たちが愛するは老いた賢者の金言
楽師や酒について語り、運命(さだめ)の秘密を探るな
この謎は知性では解けず、解いた者はない
ハーフィズよ、そなたは抒情詩(ガザル)を作り
 白珠(しらたま)を綴った、さあ、楽しく歌え
そなたの詩に大空は昴星(すばる)の頸飾りを撒き散らす


 一 ともにシーラーズ郊外にあった名所。
 二 イランの一部族で、歌舞音楽に優れている。
 三 美男子ヨセフを恋したエジプト王ポティファルの妻ズラーハーが貞淑の帳を破ったように、愛する者が美しいと、恋をする者は自制心を失うの意。」


「二三
道すがらいつもいだくはそなたの面影
そなたの髪の微風(そよかぜ)(一)はわが生命をつなぐ絆
反対者は恋を禁じているけれど
そなたの美貌はわが主張の正しさを示す
見よ、そなたのえくぼが何と語るか
「エジプトの千人のヨセフがわが凹みに落ちた」(二)
そなたの長い巻毛にわが手が届かぬなら
それはわが不運と貧しさの罪
特別の間(三)の門番にかく告げよ
「ある世捨て人が門辺で待っている」(四)
その姿が明らかにわが目から隠れても
わが落ち着いた心にはいつも見える
ハーフィズが乞うて戸を叩いたら開けよ
幾歳(いくとせ)も月の顔を恋い慕っている


 一 芳香を指す。
 二 ヨセフはカナンで一つの穴に落ちたが、ヨセフのような美男子が幾千人もそなたの凹み(えくぼ)に惹かれ恋に落ちたの意。
 三 恋人の心を指す。
 四 恋う者が結ばれるのを待っているの意。」


「三七
来たれ、希望(のぞみ)の宮居の土台はきわめて脆(もろ)い
酒を持ち来たれ、人生の礎(いしずえ)も宙に浮いている
蒼い天輪の下、浮世のいかなる色にも
染らない者に憧れる奴隷が私だ
昨夜酒場で酔いつぶれた時、目に見えぬ世界の
天使が私にどんな吉報を与えたか語ろうか
「おおシドラ(一)にとまる高邁な鷹よ
苦労に満ちるこの一隅(二)はそなたの巣ではない
天国の小塔からそなたを招く声がする
なぜそなたがこの罠(三)に陥ったか分らない」
私はそなたに忠告する、憶えて実行せよ
このことはわが老師から学んだもの
世を嘆かず、わが教訓(おしえ)を忘れるな
わが愛の至言は求道者から憶えたもの
「運命に満足し、眉をひそめるな
扉(四)はわれらの意のままには開かない
礎(もとい)が脆い世に約束の履行を求めるな
この老いた花嫁には千人の婿がいる(五)」
薔薇の微笑(ほほえみ)に誓いと誠実(まこと)の徴(しるし)はない
恋をする夜鶯(ブルブル)よ、嘆け、泣き叫ぶ時は今
拙(つたな)い詩人よ、ハーフィズをなぜ妬む
魅力と妙なる言葉は神からの贈物


 一 天国の樹。
 二 この世を指す。
 三 この世を指す。
 四 運命の扉。
 五 この世は浮気者、きまぐれの意。」


「四三
園の中庭は歓びを与え、友との交りは楽し
薔薇の季節(とき)は楽しく酒飲む者の時は楽し
微風(そよかぜ)でわが生命の嗅覚はいつも楽しみ
恋人たちの息の香りはまさに楽し
面紗(ヴェール)も解かず薔薇は旅立ちの支度を整えた(一)
夜鶯(ブルブル)よ嘆け、心痛む者の叫びは楽し
声妙なる鳥(二)に吉報あれ、恋路では
夜も眠らぬ人びとの嘆きは恋人の楽し
世の市場(バザール)に心楽しきことはない、あるならば
遊蕩(リンディ)の道と放浪の生活は楽し
自由なる百合(二)がわが耳にささやいた
この古い僧院では荷軽き者たちは楽し(三)
ハーフィズよ、世を捨てるが楽しさの道
決して想うな、俗物どもの様子(さま)は楽しと


 一 蕾のままで摘まれたの意。
 二 夜鶯を指す。
 三 自由なるはペルシア文学で百合と絲杉につけられる形容詞で、秋風や寒風に吹かれてもいつも緑の葉をつけているのでこの形容詞がつけられる。
 四 この世では世俗との関りが少ない者は楽しいの意。」



「解説」より:

「中世以来イランをはじめペルシア語文化圏において「ハーフィズ占い」が盛んに行われ、今日に至っている。これは自分が占ってもらいたいことを心に念じながら、又は唱えながら、ハーフィズ詩集を行き当りばったりに開いて、そこにある抒情詩によって占う方法である。彼の詩は一定の時と場所に限定されることなく、読む人の環境と知識、教養によって自由な解釈が下せるからこのような占いに用いることができるのであって、他の詩集では決してできないのである。
 次にハーフィズの信条、人生観について若干述べよう。彼は詩の中でたびたび「遊蕩児(リンド)」を自認し、またそれを誇っているので、まず彼が言う遊蕩児とは何かについて考えねばならない。何故ならこの語は日本語における放蕩者、道楽者とは同意でないからである。英語ではこの語は一般に libertine と訳されるが、リンdおの場合は第一義の放蕩者よりもむしろ第二義の宗教上の自由思想家、懐疑論者の意に近い。彼が生活信条とした遊蕩道(リンディー)は、彼の思想の大きな特色の一つである思想の自由に合致している。換言すれば遊蕩道は神秘主義道よりもはるかに幅広く、束縛されていない。確かに彼の詩には現世の全ての出来事、現象を象徴的に見て、あらゆるものに神を見るという神秘主義的傾向が強く作用しているが、これで全てを律することはできない。彼の思想の底流には神秘主義と遊蕩道が平行して流れているようであるが、さらに深く観ると両者にはかなりの共通点があり、必ずしも矛盾はない。」

















オマル・ハイヤーム 『ルバイヤート』 小川亮作 訳 (岩波文庫)

「酒をのめ、こう悲しみの多い人生は
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!」

(オマル・ハイヤーム 『ルバイヤート』 より)


オマル・ハイヤーム 
『ルバイヤート』 
小川亮作 訳
 
岩波文庫 赤/32-783-1 


岩波書店 
1949年1月15日 第1刷発行
1979年9月17日 第23刷改版発行
1984年6月20日 第30刷発行
173p 
文庫判 並装 カバー
定価250円


「RUBĀ‘IYĀT
‘Umar Khaiyām」



本書「まえがき」より:

「本書に収めた一四三首はペルシア語の原典から直接訳したもので、テクストにはオマルの原作として定評のあるものだけを厳選し、また最近のイランにおける新しい配列の仕方に従って(中略)八部に分類した。(中略)各四行詩に附した番号はこの分類にはかかわりなく、全体に通ずる通し番号である。オマルのものかどうかなお多少疑いの余地あるものは冒頭の番号を( )で包んだ。他はすべて彼の作として異論がない。」
「なお挿絵は小林孔(こばやしこう)氏に負うところ大である。」



挿絵(小林孔)1点。



ルバイヤート



カバー文:

「生への懐疑を出発点として、人生の蹉跌や苦悶、望みや憧れを、短い四行詩(ルバイヤート)で歌ったハイヤームは、十一世紀ペルシアの詩人である。詩形式の簡潔な美しさとそこに盛られた内容の豊かさは、十九世紀以後、フィッツジェラルドの英訳本によって多くの人びとに知られ、広く愛読された。日本最初の原典訳。」


目次:

まえがき (訳者)

解き得ぬ謎(なぞ)(1―15)
生きのなやみ(16―25)
太初(はじめ)のさだめ(26―34)
万物流転(ばんぶつるてん)(35―56)
無常の車(57―73)
ままよ、どうあろうと(74―100)
むなしさよ(101―107)
一瞬(ひととき)をいかせ(108―143)


解説 
 一 オマル・ハイヤーム
  生涯
  学者、思想家、詩人としてのハイヤーム
 二 ルバイヤートについて
 三 邦語訳の諸本




◆本書より◆


「2 

もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来(きた)り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!」

「3

自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?
いったい何のためにこうして来り去るのか、
この耳に説きあかしてくれた人があったか?」

「7

創世の神秘は君もわれも知らない。
その謎は君やわれには解けない。
何を言い合おうと幕の外のこと、
その幕がおりたらわれらは形もない。」

「10

われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう――
 われらはどこから来てどこへ行くやら?」

「17

思いどおりになったなら来はしなかった。
思いどおりになるものなら誰(た)が行くものか?
この荒屋(あばらや)に来ず、行かず、住まずだったら、
ああ、それこそどんなによかったろうか!」

「23

二つ戸口のこの宿にいることの効果(しるし)は
心の痛みと命へのあきらめのみだ。
生の息吹(いぶ)きを知らない者が羨(うらや)ましい。
母から生れなかったものこそ幸福だ!」

「25

神のように宇宙が自由に出来たらよかったろうに、
そしたらこんな宇宙は砕きすてたろうに。
何でも心のままになる自由な宇宙を
別に新しくつくり出したろうに。」

「28

嘆きのほかに何もない宇宙! お前は、
追い立てるのになぜ連れて来たのか?
まだ来ぬ旅人も酌(く)む酒の苦さを知ったら、
誰がこんな宿へなど来るものか!」

「34

善悪は人に生れついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命。
しかし天輪を恨(うら)むな、理性の目に見れば、
かれもまたわれらとあわれは同じ。」

「42

一滴の水だったものは海に注ぐ。
一握の塵(ちり)だったものは土にかえる。
この世に来てまた立ち去るお前の姿は
一匹の蝿(はえ)――風とともに来て風とともに去る。」

「46

この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎(なぞ)をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。」

「49

幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。
だが、向うから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。」

「50

われらは人形で人形使いは天さ。
それは比喩(ひゆ)ではなくて現実なんだ。
この席で一くさり演技(わざ)をすませば、
一つずつ無の手筥(てばこ)に入れられるのさ。」

「67

昨夜酔うての仕業(しわざ)だったが、
石の面(も)に素焼の壺を投げつけた。
壺は無言の言葉で言った――
 お前もそんなにされるのだ!」

「68

なんでけがれがある、この酒甕(さかがめ)に?
盃にうつしてのんで、おれにもよこせ、
さあ、若人よ、この旅路のはてで
われわれが酒甕とならないうちに。」

「72

この壺も、おれと同じ、人を恋(こ)う嘆きの姿、
黒髪に身を捕われの境涯か。
この壺に手がある、これこそはいつの日か
よき人の肩にかかった腕なのだ。」

「95

バグダードでも、バルクでも、命はつきる。
酒が甘かろうと、苦かろうと、盃は満ちる。
たのしむがいい、おれと君と立ち去ってからも、
月は無限に朔望(さくぼう)をかけめぐる!」

「105

戸惑(とまど)うわれらをのせてはめぐる宇宙は、
たとえてみれば幻の走馬燈だ。
日の燈火(ともしび)を中にしてめぐるは空の輪台、
われらはその上を走りすぎる影絵だ。」

「127

人生はその日その夜を嘆きのうちに
すごすような人にはもったいない。
君の器が砕けて土に散らぬまえに、
君は器の酒のめよ、琴のしらべに!」

「(128)

春が来て、冬がすぎては、いつのまにか
人生の絵巻はむなしくとじてしまった。
酒をのみ、悲しむな。悲しみは心の毒、
それを解く薬は酒と、古人も説いた。」

「(131)

胸をたたけ、ああ、よるべない大空の下、
酒をのめ、ああ、はかない世の中。
土から生れて土に入るのか、いっそのこと、
土の上でなくて中にあるものと思おう。」

「133

酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一(ゆいつ)の効果(しるし)だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬(ひととき)を、それこそ真の人生だ!」



「解説」より:

「十三世紀にアル・カズヴィーニイが書いた『アーサール・ル・ビラード』(諸国の遺跡)という本のネイシャプールの部には、ハイヤームが何か「粘土(ねんど)製の案山子(かかし)」を発明したと記されている。(中略)また同じ十三世紀にモハマッド・シャーラズリイが著(あらわ)した学者の列伝『タズハト・ル・アルワーハ』(魂の保養の意)の中には次のような挿話が見える。すなわちある日大臣のアブド・ル・ラザクを訪ねると、読経師(どきょうし)の首席アブ・ル・ハサンが居合わせて大臣とコーランのある章句の読み方に関して議論をたたかわせていた。それは読経師仲間でもいろいろ意見の異なる個所であったが、オマルは大臣の求めるままに種々の読み方を列挙した上おのおのの論拠を説明し、さらに特殊な例外と言ってもいいような読み方とその論拠を挙げ、最後に自分はどの説に与(くみ)するかを述べた。」
「幼少のころ(一一一三年ごろ)彼から親しく教えを受けたというアブ・ル・ハサン・ビーハキイの書いた『ターリヘ・ビーハク』(ビーハクの歴史の意)によると、ハイヤームは頑固で、意地悪で、癇癪(かんしゃく)持ちの人柄(ひとがら)であったという。」









こちらもご参照ください:

『ヘーシオドス 仕事と日』 松平千秋 訳 (岩波文庫)































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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