川村二郎 『文学の生理 ― 文芸時評 1973~1976』

「私的な領分に固執して、そこに存在する事実を徹底的に追究した結果、追究力の強さのために私的な領分がいわば突き破られ、ある普遍的な意味を持つ世界にまで拡げられてしまう。そういったことが実現された場合、追究された事実はそのまま文学的真実となるはずである。」
(川村二郎 『文学の生理』 より)


川村二郎 
『文学の生理
― 文芸時評 1973~1976』


小沢書店 
昭和54年4月20日 初版発行
301p 索引ix 
四六判 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー
定価1,600円



本書「後記」より:

「ここに収めたのは、昭和四十八年から五十一年まで、四年間にわたって読売新聞に執筆した「文芸時評」の全文である。」


取り上げられている主な作家は、阿部昭、河野多恵子、田久保英夫、中上健次、藤枝静男、古井由吉、森敦、吉田健一などです。
川村二郎の本はだいぶ集めたのですが、文芸時評には興味がないので、本書と、文字通り『文芸時評』と題された二冊は敬遠していたのですが、アマゾンマケプレで本書の「非常に良い」が95円(+送料)で売られていたので購入してみました。
わりとシミだらけでそれほど良くはなかったですが、それはそれでよいです。


川村二郎 文学の生理


帯文:

「現代小説の第一級の読み手である著者が、文学のあるべき姿を求めて、その秀れた批評眼を駆使し、作品を支える内面の生理を透視する。――過渡期の文学の精神状況を描き、批評の力を開示する。
読売新聞 1973~1976 文芸時評」



帯背:

「文学の現在を探る
批評の力――
文芸時評」



帯裏:

「……読売新聞の分だけをまとめたのは、第一に、一冊の書物としての体裁を考慮したからだが、また、時評が文芸批評の基本だという原理的な認識を、曲りなりにも体得し得たのがこの時期だったという、筆者一個の感慨も多少そこにまつわっている。
(「後記」より)」



内容:


昭和四十八年一月号~十二月号

昭和四十九年一月号~十二月号

昭和五十年一月号~十二月号

昭和五十一年一月号~十二月号

後記
索引




◆本書より◆


「昭和四十八年一月号」より:

「エリアーデは学者として業績を発表する時には、いわば外にいるのだから、国際的に通用する言語を用いる。しかし、文学という言語表現が、たとえ国際的に通用するものであろうと、知識、ないし学問よりはるかに強く内にこだわり、内にこだわることを通じて普遍性を得るものであることを、おそらく彼は知っていて、それが母国語による小説の執筆になるのだと思う。」
「「わからない小説」というのが、最近のある種の傾向の小説に対して、嘲笑的に投げかけられる合言葉になっている。ぼくは、小説はわからないのが当然だと思っている。」
「記述的な言葉の下に潜行して、その言葉の届かぬ深みをさぐろうとすれば、この探検の消息を示す言葉は、必然的に「わからない」部分を、含むことになる。もっとも、これも安直に果される仕事ではない。下の深みにひそむ謎は、上の言葉で記述されればもはや謎ではないが、徹頭徹尾謎でしかないならば、それは表現とはいえず、したがって文学でもないからだ。この二律背反をはらんだ狭い道の上で、不可解なものをいかに言語表現にもたらすか、記述ではなく形象化によっていかに謎を解き明すか、それがおそらく文学の、最も重くかつ栄誉ある課題である。小説家エリアーデのこの課題に対する態度は、一つの範例として評価されうると思う。」



「昭和四十八年十月号」より:

「しかし文学者とは、内面的に男性でもあり女性でもある、たとえていえば精神の両性具有者なのではなかろうか。」

「小さな明るい画面が、ただそこに描かれているものばかりではなく、描かれたものを通じて、背後の大きな暗い何物かをうかがわせる、あるいは少なくとも予感させるならば、もちろんそこに文学の理想とする一つの状態が実現されているといっていいだろう。」



「昭和五十年二月号」より:

「反省が悪いとはいわない。しかし反省などでは動かしようのない重いものが、生きている人間の中にはあるはずであり、その重さが叙述から感じられなければ、人間は切り抜かれた影絵になる。」


「昭和五十年十二月号」より:

「ぼくは、私的な領分を離れて想像力にもとづく虚構の世界を確立せよ、などと要求するつもりはない。むしろ、小説すなわち虚構という、たしかに正しくはあるかもしれないが、実質が伴わなければ何の意味もない定式を、観念から振り捨てたらどうかと思うのである。虚を通じて実に到るのはたしかに文学の道である。しかし虚をそれらしく装う位なら、実に徹する方が、はるかに有意義なもう一つの文学の行程ではないか。
 私的な領分に固執して、そこに存在する事実を徹底的に追究した結果、追究力の強さのために私的な領分がいわば突き破られ、ある普遍的な意味を持つ世界にまで拡げられてしまう。そういったことが実現された場合、追究された事実はそのまま文学的真実となるはずである。」



「昭和五十一年二月号」より:

「いずれにせよ、小説家は果敢でなくてはならない。新奇のための新奇、実験のための実験のたぐいは愚かしいかもしれないが、手なれた歌をくり返し、きりもなく自己模倣を続ける押しの強さにくらべれば、愚かしさの方がまだ積極的な意味を持ちうるだろう。」


「昭和五十一年六月号」より:

「いささか開き直っていえば、相反するもの、矛盾するものが衝突して放つ光の光度に、文学の生命がかかっている。」


「昭和五十一年十二月号」より:

「あれこれと身のほど知らずの裁断を重ねてきたが、これでぼくの文芸時評を終る。四年前にこの欄を担当した時、最初にルーマニアの宗教学者エリアーデのことを書いた。(中略)要するに、エリアーデが学術的著作は国際公用語で書くが小説は母国語で書くということから、「外」に向って開かれながら「内」に向って閉ざしているのが文学のあるべき生理ではないか、時評担当者としては、このことを念頭において判断して行きたい、というほどの心づもりだった。いざ月々の実作に即すれば、公式的な原理原則などというもので割り切ることができないのは当然のことだった。それでも結局は、この生理が生きていると見える作にことさら目をとめ、悠然と「内」に自足しているかのような作、あるいは逆に、「外」の新意匠に心を奪われているかのような作に対しては、あまり好意的でなかったと思う。」




川村二郎






















































































































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川村二郎 『幻談の地平 ― 露伴・鏡花その他』

「子供が見知らぬ道に迷う心細さ、毒ある動物の魅惑する力の恐しさ、いわれない差別を受ける人々の生活の謎めいた遠々しさ、弱い者のあらけなくさいなまれる痛ましさ、そして何より、山と水の神秘とその中に住まいする魔の妖しさ、美しさ。」
(川村二郎 「鏡花の短篇」 より)


川村二郎 
『幻談の地平
― 露伴・鏡花その他』


小沢書店
1994年11月20日 初版発行
222p
四六判 角背紙装上製本 カバー
定価2,266円(本体2,200円)
装画: 柄澤齊



本書「あとがき」より:

「これはぼくの二十冊目の本である。」
「ここに集めたのは、敬愛する近代日本の文学者たちへの、ささやかながらそれぞれに心をこめたつもりのオマージュである。おおよそ第一部は戦前、第二部は戦後の作家たちにあてられているが、こちらの経験に即していえば、半世紀前の少年時、文学に惹かれ始めた頃から親しいものとなっている名が第一部、最初の本を出した四半世紀前から後に近しく感じられるようになった名が第二部に連なっていることになる。」



カバーは焼けやすい(よごれやすい)紙質なのでネット古書店等で購入の際はご注意ください。


川村二郎 幻談の地平 01


帯文:

「日本の近代に妖しい光を放つ表現者たち――露伴、鏡花から百閒、吉田健一、色川武大、中上健次へ。固有の文体の生理に密着し、それぞれの幻想へと傾くこころの曲線に沿って、言葉と想像力のはたらきを読む。『銀河と地獄』につづく偏愛的作家論。」


帯背:

「幸田露伴、泉鏡花に
つらなる幻想文学の
系譜へのオマージュ」



目次 (初出):


岡倉天心
 魂の delicate curves (講談社 『言論は日本を動かす③』 昭和61年4月)
幸田露伴
 Ⅰ 露伴と近代 (有斐閣新書 『近代小説の読み方(1)』 昭和54年8月)
 Ⅱ 『連環記』 (岩波文庫 『連環記他一篇』 解説 平成3年2月)
 Ⅲ 『幻談・観画談』 (岩波文庫 『幻談・観画談他三篇』 解説 平成2年11月)
泉鏡花
 Ⅰ 『春昼・春昼後刻』 (岩波文庫 『春昼・春昼後刻』 解説 昭和62年4月)
 Ⅱ 鏡花の短篇 (岩波文庫 『鏡花短篇集』 解説 昭和62年9月)
 Ⅲ 『外科室・海城発電』 (岩波文庫 『外科室・海城発電他五篇』 解説 平成3年9月)
内田百閒
 Ⅰ 『冥途』 (福武文庫 『冥途』 解説 平成4年7月)
 Ⅱ 『東京日記』 (福武文庫 『東京日記』 解説 平成6年1月)
 Ⅲ 『先生根性』 (福武文庫 『先生根性』 解説 平成2年7月)
 IV 『出船の記』 (福武文庫 『出船の記』 解説 平成5年7月)
井伏鱒二
 「異化」の諧謔 (小学館 『昭和文学全集第十巻』 人と作品 昭和62年4月)


吉田健一
 平生心の文学 (筑摩書房 『筑摩現代文学大系76』 人と文学 昭和54年5月)
森敦
 Ⅰ 『われ逝くもののごとく』 (講談社文芸文庫 『われ逝くもののごとく』 解説 平成3年1月)
 Ⅱ 『月山・鳥海山』 (筑摩書房 『森敦全集第三巻』 解説 平成5年1月)
色川武大
 Ⅰ 『百』 (新潮文庫 『百』 解説 平成2年1月)
 Ⅱ 『生家へ』ほか (福武書店 『色川武大 阿佐田哲也全集2』 解説 平成4年4月)
 Ⅲ 『狂人日記』 (福武書店 『色川武大 阿佐田哲也全集3』 解説 平成3年12月)
中上健次
 中上健次の短篇 (河出書房新社 『中上健次全短篇小説』 解説 昭和59年3月)

あとがき
初出一覧



川村二郎 幻談の地平 02



◆本書より◆


「露伴と近代」より:

「自分は人間だ、尊重してもらいたい。そういうことを自分から要求する、その要求に心から耳を傾けるいわれが、どれほどあるか。尊重されようとされまいと、自分は今ここに、一回限りのかけがえのない自分の生を生きている。そのことだけで充分で、他人がどう見るか、知ったことではない。そういった気概の持主こそ、人間らしい人間と呼ぶにふさわしい。
 近代が個我の覚醒をすすめ、個人の自立を説けば説くほど、個人が他者の眼を意識し、他者の厚意や庇護をあてにし、思いが叶えられないと、女々しく絶望したり、ねじくれた復讐心を燃やしたりする。これは近代の皮肉な逆説の一つである。要するにそれは、自立の美名のもとに、本来自立に耐え得ない個人が、全体から切り離された所に生ずる悲喜劇である。
 真の自立を知っている人間は、全体を無視することもなければ、全体に甘えもしない。他者の形作る全体の世界を、自分の恣意でもってゆるがし得るなどとは彼は信じない。彼は全体を容認する。しかしまさしくこの容認において、彼の自立した精神の力が確認される。
 露伴その人が、その精神の力にみちあふれた存在だったと考えられるが、彼が作品のうちに作りだした人間像も、ことごとく、この精神力の権化なのだといってよい。その相貌は明らかに古風である。しかし古風だからこそ、平均的な近代の観念には捉えることも叶わぬほど、新しいのである。」

「この小説(引用者注: 『五重塔』)の主人公は、(中略)大工の十兵衛である。腕はあっても世渡りの才覚がなく、みなから馬鹿にされている。そんな男が、谷中感応寺に五重塔が新しく建てられるという話を聞くと、この建築を引き受け、一世一代の仕事をなしとげたいという願いに矢も楯もたまらず、恩義ある親方筋の棟梁に背いてまで、我執を通そうとする。」
「十兵衛は仲間うちで、いわば疎外されている。それは女房の言葉によれば、
 《寛闊(おうやう)の気質(きだて)故に仕事も取り脱(はぐ)り勝(がち)で、好い事は毎々(いつも)他(ひと)に奪(と)られ年中(ねんぢゆう)嬉しからぬ生活(くらし)かたに日を送り月を迎ふる味気無(あぢきな)さ。》
 ということで、つまり世才に疎いからである。(中略)彼の場合、腕は親方にも「立派なものぢやと賞(ほ)められし程確実(たしか)」なのである。世才に疎いことと、腕が確かなことと、その二つを強いて結びつけるいわれはないかもしれない。しかし彼の場合、ほかでもないその親方にたてついて、一つ仕事を奪い合おうなどという、およそ常識的な生活人には考えられない、法外な行動に出るのである。となれば、この非常識と、卓越した技倆とは、相関関係にあるのではないかと推測するに充分な理由がありそうにも思われる。」
「この十兵衛といわず、露伴には、世に容れられぬまま、自己の得意とする芸に熱狂的に没頭する、といった主人公が少くない。(中略)この種の世事に疎い才能に作者は明らかに同情を寄せており、その同情は、露伴自身が、志を別に持ちながら、(中略)官費の電信学校に入り、(中略)生れ育った東京の地を離れて遠く北海道の辺地に電信技手として勤務した結果、
 《身には疾あり、胸には愁あり、悪因縁は逐へども去らず、未来に楽しき到着点の認めらるるなく、目前に痛き刺激物あり、欲あれども銭なく、望みあれども縁遠し、》
 といった窮境に追いこまれた(中略)記憶と、おのずからひびき合っていたにちがいない。」
「今引用した「身には疾あり」云々は、電信技手の職を抛(なげう)ち、北海道を去って帰京する時の旅を記した『突貫紀行』(明治二十六年)の冒頭である。(中略)だが、この引用文は実はこれだけでは終らず、次の一句を続けてはじめて句点を打たれるのである。
 《よし突貫して此逆境を出でむと決したり。》」
「その後、紀行文の記述はいかにも〈突貫〉をそのままに、悲惨、辛酸の旅程をたどりながらほとんど哀傷の印象を生じさせない。疲れて地上に身を横たえ、「他年のたれ死をする時あらば大抵かゝる光景ならん」などと、「悲しき想像」を起す時もあるにはあるが、おおよそは懐の寂しさも食の乏しさも狂歌のたぐいにまぎらわし、勇猛果敢に故郷をさして南下して行くのである。
 『五重塔』の十兵衛を衝き動かし、世間の義理を無視させたのは、つきつめればやはり、この勇猛果敢な突貫の意気ではなかろうか。露伴は電信技手の職をみずから抛ったため、職務放棄の廉(かど)で上司から叱責され説諭されるが、「罪あらば罪を得ん、人間の加へ得る罪は何かあらん。事を決する元来癰(よう)を截るが如し、多少の痛苦は忍ぶべきのみ」と、覚悟の臍(ほぞ)を固め、頑として屈しない。」

「つまり文学とはまず文章である。その感覚にひびいてくる力である。意味を小心翼々として詮索するより、この力に素直に身を委せ、ひびいてくるものに感覚を研ぎすますことこそが、作品に面対した瞬間にふさわしい態度にちがいない。」

「近代は「物知り」を軽蔑し、「専門家」を尊重する方向で進んできた。その風潮の中では、露伴の博識は、所詮「雑学」にすぎないと、鈍感な大学の教師からきめつけられることをまぬかれなかった。
 しかし専門家が自己の領分に閉じこもり、学問は無限に細分化して、その結果、何の生産力も持たない煩瑣な知識ばかりが氾濫する。そういった不毛に対する反省が、たとえば「学際」というような奇妙な造語の現れる背景にあろうし、また、博物誌と呼ばれる近代以前の学問のありようなどに、特別な興味の注がれる契機となってもいよう。露伴への関心がよみがえりを見せているとすれば、それはこの機運と、何がしか呼応していると考えてもよさそうである。」

「そもそも知るということは、彼にとっては自己目的でない。存在の全体が彼の窮極の関心事なのだが、それは知るというより、直観することによってのみ、捉え得るような性質の対象である。露伴の偉大さは、この直観力を核としてはじめて成り立っている。」
「露伴の直観は、瑣事への拘泥を排除しない。というよりむしろ、この拘泥は直観のための条件でさえあるのだ。」
「露伴においては、全体とは、個々の事物が集合し連なり合って形作る秩序にほかならない。」



「『連環記』」より:

「そしてその重厚な閑談の末に、定基発心の一段が語られる。宇治拾遺物語、今昔物語その他でよく知られている、愛人の死を悲しんで葬式もせず添い臥していたが、死体が腐りだしたので泣く泣く葬ったというくだりは、もちろん事柄として露伴のフィクションではない。ただし、いかにも刺戟的な場景だから、後世の人があれこれ想像をめぐらすには恰好な題材にちがいなく、露伴もたしかに小説家的に定基の心理描写などを試みている。軽口も欠けてはいない。亡者がしがみついてきたらどうだったか分らないが、死人がよみがえることはなかったので定基は恐れ戦(おのの)いた、ダーキーニならこれは御馳走と死屍を食べもしようが、定基は人間だったから後へさがった、などというあたりは、冗談といえば冗談のうちである。だが、この冗談はもはや女の悪口を放言している時ほど気楽ではない。
 同じ定基発心の挿話について、南方熊楠はあっさり「屍愛」といっている。南方という大博物誌家にとっては、これは古今東西に数ある倒錯的死体凌辱の一例、珍奇な一標本にすぎなかったろう。しかし露伴はその方面に深入りしない。スカトロジーを好まないと同様に、ネクロフィリアの類に立ち入ることも謝絶するのだ。南方も引いている『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』の「九相を観じ」云々を「事実に遠い」というのは、実証的に考えても妥当にはちがいないが、露伴にとっては、宇治拾遺の「口を吸ひたりけるに」という「素樸」な書き方が何より好もしいのだ。それは彼がこの事件に、変態性欲の一標本をではなく、生きた人間の愛の、ある極限的な形を見て取っているからである。
 今南方と露伴を比較していずれが上かと評定するつもりはない。それぞれに固有の世界を築いた巨人である。ただ南方の観察法が終始蒐集家的にスタティックであるのに対して、露伴の観想は根本的にダイナミックな力強さに満ちている。定基の愛人の死体にどう対したかの具体は第二義的なことにすぎないので、彼が愛という情念を突きつめるところまで突きつめたことを、「快男児」の証しとして称揚するのである。「快男児」の語はいかにも古めかしい。だが、もう一歩を進めれば人を食う魔神たる「ダーキーニ」と化する境界まで行き着いたことをそう呼ぶのであれば、これは単なる快活な好青年の別称ではあり得ない。人間の限界をきわめつくしたからこそ、人間の名に値する。そういった存在として彼は認められている。
 行くところまで行けばあとは戻るしかない。そして地上に叩きつけられた球が、衝撃が強ければ強いほど反撥して天高く跳ね上るように、きびしい逆転の契機がそこに生ずる。「あさましき香」を「快男児」が吸った後は、猪や雉を屠(ほふ)り殺すという経験を重ねた末、決定的な現実放棄に到る。そしてこの転回を境にして、軽口風な言い廻しは、皆無とはいわぬまでも、ほとんど姿を消し、古雅にして荘重な行文が基調を定めるようになる。大地に落花した球が天上に向って弾む過程に、それは相応している。」
「「春の夜語り」(大正五年)という、これまた小説とも随筆ともつかぬ一篇で、露伴は恋愛について、心霊的に解釈する人と動物的に解釈する人とがいるが、心霊的に傾きすぎると解釈が空疎になり、動物的に傾きすぎると解釈が鄙野(ひや)になると語っている。解釈は両極端の中央にあるのが真を得るに近いというよりは、「両極端を包含し得る解釈が、真を得るに近い」と彼はいう。
 ほかでもないこの両極端の包含が、恋愛についてのみならず、人間の生全体についての彼の観想の基本である。「真の自然の全部的解釈は、一切の人間の解釈を綜合したものでなければならぬ」ともそこにはある。まさしくこのような綜合への志向の最後の実現として、「連環記」は存在している。」



「『幻談・観画談』」より:

「露伴が明治の文学界に登場した時、天才という讃辞が彼に捧げられる機縁となった作品は、まず『風流仏』であり、ついで『対髑髏(たいどくろ)』であった。初期露伴の代表的傑作にちがいないこれらの作は、ただちに怪談、妖異談とは呼びがたいにしても、彫刻に血が通って人間と化したのかと思い惑わせたり、夜もすがら語り明したはずの美女が消えて髑髏だけが残ったとほのめかしたりする物語の趣向は、当然のことながら、「何だ、つまらない」と謗(そし)られるおそれのある、日常生活の再現的描写、つまりリアリズムの側には属していない。そもそもの出発点から、露伴は「驚くべく畏るべき」事柄の報告者として、つまりは幻想文学の有能な旗手として立っていたのだということができる。
 ただし露伴がいかにも物語らしい物語、小説らしい小説を書いたのは、ほぼ明治の末年頃までで、それ以後はフィクションともエッセーとも、小説とも考証とも区別しがたい作が多くなる。それについてはあれこれの理由が考えられようが、「何だ、つまらない」と言われてしかるべき側の文学、簡単にいえば自然主義リアリズムの文学が時とともに勢を得て、露伴流の驚異の文学を、傍へ押しやって行くほどになった、という状況の変化も、あるいは与っていただろう。しかし露伴の側に身を寄せて推測するならば、固有の幻想、ないし驚異への直覚的な洞察を披露するのに、形式にこだわる気持が次第に薄れ、物語の体をなしているかいないかは、内実の豊かさに比べれば二義的な問題にすぎないという思いが、次第に強まって行ったせいではないかと考えられる。」

「最晩年の作である「幻談」には、(中略)そもそもモチーフと呼ばれ得るような、どんなしかつめらしげな作の動機も見当らない。解釈を必要としないといえば、傑作はすべて解釈を必要としないにきまっているのではあるが、それにしても「幻談」ほどその不必要を思い知らせる作は多くない。
 話としては実際、単純きわまりないともすこぶるたわいないともいえる体のものである。釣好きの侍が海釣に出かけると、水の中から竿のようなものが出たり引込んだりする。舟を近づけてみると溺死者が釣竿を握っているのだと分る。その竿がいかにも見事なので、死者の手からもぎ放して家へ持って帰る。次の日この竿を持ってまた出かけると、昨日と同じように、海の中から竿が出たり引込んだりする。そこで念仏を唱えながら持ってきた竿を海へ返してしまう。
 前置きになっているアルプス登山の挿話の最後に、「心は巧みなる画師(えし)の如し」という経文の一句が引かれている。それから推測すれば、二度目に竿が見えたのは、見た人間のひそかなやましさ、後ろめたさが目を迷わせた、という具合にも受け取れそうだが、そうした合理化でもって話の味がどう変るというものでもない。とにかく、夕暮の海の面にふっと出てはまた消える細い棒のように、とりとめなくはかなく、あえていえば無内容な話にちがいない。
 この作の比類なさは、ほかならぬ無内容を、完璧な創作の原理たらしめているところにある。」
「即物的な記述ということでは、「幻談」の釣談義も、それこそ微に入り細を穿っているといわねばならぬ。博雅の趣味人が、興の到るままに、愉しげに知る限りのことを披露し続けるといった趣がある。しかもその知識の開陳は、一々がよどみなくなだらかな口調に乗せられて進行するので、偏執的な衒学者の博識の誇示のように、重く積み重なることがない。むしろ逆に、連なれば連なるほど軽やかにほのかになり、最後の「南無阿弥陀仏」の声とともに、竿もろとも、蒼茫と薄暗い水のひろがりに吸いこまれて行くかのようである。
 無内容の原理といったのは、このようにすべてを有から無へ導き、あとに限りなく白々とした空間を展(ひら)く作品の根拠を指している。」



「鏡花の短篇」より:

「『竜潭譚(りゅうたんだん)』は、鏡花の全短篇のうちでも、おそらく最もよく知られたものの一つだと思う。(中略)子供が見知らぬ道に迷う心細さ、毒ある動物の魅惑する力の恐しさ、いわれない差別を受ける人々の生活の謎めいた遠々しさ、弱い者のあらけなくさいなまれる痛ましさ、そして何より、山と水の神秘とその中に住まいする魔の妖しさ、美しさ。『高野聖』や『夜叉ケ池』、『春昼』や『草迷宮』、より規模の大きい後の作において、より豊かなひびきを帯びて展開されるモチーフが、ここには集約されている。山の家で、水浴びした後迷いこんだ子供に添臥しあやしてやっている女が、屋根の上にすさまじい物音が鳴りもやまない時、
 《「あれ、お客があるんだから、もう今夜は堪忍しておくれよ、いけません。」》
 というのは、『高野聖』の女主人公が、
 「今夜はお客様があるよ」、「お客様があるじゃないか」と夜ふけに叫ぶのと全く同じである。美女の住む谷がたちまち淵と変ずるという趣向は、『夜叉ケ池』をすぐさま思い浮べさせる。」



「『外科室・海城発電』」より:

「泉鏡花の小説はすべて極端である。ほどよい中庸や円満な常識とは縁がない。」

「ただしこれほどのグロテスクを発想するのが鏡花の資質にはちがいなく、たとえ師の徹底した加筆改訂をこうむろうと、グロテスクを作の基本に据えているという意味で、『義血侠血』は、依然として鏡花の作にちがいないのである。」
「もしこの種の怪奇残酷趣味だけで終始するなら、所詮は新時代の意匠のみをあしらった旧弊な読物の水準を抜くことはできなかったかもしれない。その危険から救っているのが、極端なものを少しも極端とは思わず、むしろ、ある限界的な状況において発現する人間の最も貴重な真率な特性と見なしてしまう、鏡花固有の認識法にほかならない。」



「『冥途』」より:

「『冥途』において驚嘆すべきは、成熟といった概念すら似つかわしくない程の完成度が、この一巻を通じて保たれていることである。つまり成熟といえば、生あるものの一段階であり一過程である。その段階の前には未熟があり、その後には爛熟があり、さらには老朽があり頽廃がある。時間の推移に伴う必然的な変化として、成熟という概念は理解される。『冥途』には時間の推移を感じさせる要素がほとんど存在しない。
 最初から完成している。それが内田百閒の文学の特性にほかならないが、その特性が『冥途』において最も凝縮した、本質的な表現を通じて示されている。その意味でも、これは百閒の第一の作品なのである。」

「最初に完成がある。とはすなわち、その後成長も発展もないということである。もちろん変化は起り得る。しかしその変化は、音楽にたとえれば、主題に対する変奏にひとしいものであって、ソナタ形式における主題の提示と展開、といった事態は生じないのである。
 近代芸術の世界では、総じて成長発展が尊重された。ソナタ形式を基本としたベートーヴェンの交響曲に対応するものが、文学ならば、ゲーテに代表されるドイツ流のいわゆる教養小説だったといってよい。愚かな人間が人生の修練を経て賢くなる、闇から光への道を切りひらく。そのようなプロセスの芸術的表現の背後には、いうまでもなく、人間は学び努めれば向上する、だからたえず、自分がいかに生きるべきかを真剣に考え、その方向に沿って誠実に努力しなければならない、といった、楽天的な人間観が控えている。
 内田百閒はドイツ文学を大学で学び、ドイツ語教師を永年勤めた人であるにもかかわらず、不思議なほどこのドイツ的な、ひいては近代的な人間観とかかわりを持たぬように見える。小学校にも上らぬうちから煙草を喫っていたという話などから推量すれば、子供の時からおよそ子供らしくなかったとも取れ、教師になっても学生と下らぬ悪ふざけに興じていたという話などから推量すれば、子供のままでいつまでたっても大人にならなかったとも取れる。要するに変らない、動かない。そのことと、作品の相が初めからぴたりときまっていて、少しもゆらぎを見せないこととは、明らかに対応している。」

「望むと望まざるとにかかわらず、われわれはみな近代を経過して生きてきているのであり、近代の重んじた諸価値をことごとく否定し去ることは不可能である。自分一己の生にとっての真実を心をこめて追究するのが文学の務めだとする意向は、日本近代文学では私小説と呼ばれる独特な形式を生みだした。それが文学の空間を狭め、小説の物語としての興趣をそぎ、平凡な日常生活の報告を作品にすりかえた、という具合に批判されたのには、しかるべき理由があったろう。しかし特殊への徹底した執着が普遍に通じるという思想は、人間が個としての自覚を持ち続ける限り、亡びつくすことはあるまい。私小説はいかに非難されようと、存続する理由がある。
 それ故に、内田百閒の存在が一層独自の輝きを放つのだということができる。百閒が生活者として、並外れた形で自己に固執していたことは、数々の文章から手に取るように明らかになっている。ただしその固執は、自己の真実追究の意欲とか向上心とか、要するに自分自身を見つめ直そう、といった心の態度とは何の関係もない。そもそも心の理法があるのかどうか。心理ではなくただ生理の反応のみが百閒にとっては重要なので、感覚において強烈に受けとめられたもののみが、自己のあかしとして絶対化されるのである。
 近代の誠実を旨とする倫理に照らせば、いうまでもなく身勝手な自己本位の態度。しかしまたいうまでもないが、文学は倫理に従属するのではなく、倫理のもろもろの規制の及ばぬ深みにおいて、生の相を捉える力を持つ。この力をきわめて純粋な謎の形に凝集したのが、『冥途』にほかならぬ。」



「平生心の文学」より:

「『瓦礫の中』は、(中略)戦争に負けた日本の占領時代の話である。」
「空襲、罹災、穴居生活と話が運べば、辛い苦しい思い出、となるのがごく自然な成行である。『瓦礫の中』には、およそその種の情緒的な動機は見当らない。そのいきさつはほとんど、拍子抜けの気分を誘いだすほど、平静な、明るい調子で記述されている。拍子抜けどころか、あの戦争で言語に絶する苦難をなめた、その怨みは一生忘れない、と思っている読者が読めば、人を馬鹿にするなといきり立つかもしれない。
 たしかに、火事も自分のいる所に近くなければ壮観だとして、江戸の花だの饗宴だのと比喩を連ねているのを見れば、たとえばその火の中で肉親をなくした、というような経験のある人は、無責任な唯美主義者のたわごととも受け取りかねないだろう。しかし小説の中で壮観とか華麗とか感じたのは、(中略)自分も焼けだされ、穴に入っている人間なのである。(中略)普通に悲惨と呼ばれるものが本当に悲しむに値するのか、苦痛と呼ばれるものが本当に苦しむに値するのか、人それぞれの身にふり返って、よくたしかめて見ることを、吉田氏の言い廻しは要求している。要求しているといったのでは強くなりすぎるならば、それとなく勧めているのだ、といい代えてもよい。いずれにせよ、各人の、自分の(引用者注: 「自分の」に傍点、以下同)生き方、自分の生活の感じ方、それがこの小説では何より肝腎なので、その主題の文脈に、B29の美しさも火事の壮麗さもおかれている。
 B29の美しさはぼくも充分に承知しているし、遠くから眺めた空襲の、夜空の華やかさも知っている。それは戦争を知っている、少からぬ人間の経験にちがいない。ただ、かりそめにも憎むべき敵軍の爆撃機を、美しいなどとその当時に公言しようものなら、どんなひどい目に合わされたか分らない。というばかりでなく、憎むべきものだ、と思う気持が強すぎて、美しいと思う気持を、思う前に自己規制し、抑圧してしまう、といったことも起り得たろう。その時はもちろん、自分で考え、感じているのではない。他人がこのように感じよ、と強制していることを、自分の感じたことのように思いこんでいるにすぎない。吉田氏がことのほか情熱をこめて排撃するのは、すべてこれに類した錯覚である。
 戦中と同様、戦後もその錯覚を生みだす要因にみちあふれていた。家は焼かれ、食は乏しく、着るものは垢じみすり切れている。そうした生活を誰もが強いられていたのが事実だとはいえ、それはそれで、その時に生きている人間にとって、かけがえのない自分の生活だったはずである。」
「しかし当時の一般の通念では、寒くて疲れているのは、自分の問題ではなく他人の問題だった。これというのも馬鹿な戦争を起して負けた国と軍隊のせいだ、という具合に、不快の原因を外に押しつける考え方が支配していた。しかしそのような押しつけは、不快を解消するどころか、逆に一層、現在の寒さや疲れを耐えがたくさせ、一刻も早く、このいとわしい現在から逃れたい、という思いばかりを一途に煽り立てる。生きるということが今、ここ(引用者注: 「今、ここ」に傍点)を除いてあり得ないとしたら、それでは生きていることにならないのではないか。」



「『生家へ』ほか」より:

「『生家へ』では当然のことながら、その後の諸作品でも、肉親、特に父親が、強烈な存在感を放射している。(中略)だがそれにしても、この父子は、思いきめたら頑として曲げない法外な我執の強さにおいて、見分けのつかぬほどよく似ているのではなかろうか。父親が無頼の息子をどう見ていたかは、もちろん息子の想像を通して読者がさらに想像するよりほかはない。『永日』の中に、父親は「私に関しては、白痴と思っていた」と記されている。父親が息子に向って「馬鹿」と口にする場面もある。その言葉だけを取りだせば、マイナス評価にちがいない。しかしそれぞれの文脈に即して見れば、簡単には判断しにくい。「白痴と思っていた」のすぐ後には、「しかし弟のことは、端的にいえば、人非人と思っていたのではないか」と続き、「馬鹿」の方は、息子の「私」が「度胸」を口にしたのに対して、「うん、お前はな、たいして度胸はありそうにも思えんが、馬鹿だから」と父が応じているのである。「人非人」はいかにもきびしい。まだ「白痴」の方がましなように聞える。そして「馬鹿」は、この会話の場合、むしろ肯定的な評価とさえ受け取れもする。
 実の所、父の子に対する態度が、客観的にどうであったかを詮索しても、大して詮索し甲斐のあることとは思えない。肝腎なのは、世間の常識に従って生きている堅実な生活者である「弟」が、父からは「人非人」と見えるであろうと推測する「私」の、父との強烈な一体感である。「私」が弟を人非人と思っているということでは、もちろんない。」
「常識人なら愚の骨頂と呆れ果てるであろうような、空想癖に支配された無意味な整理蒐集の話が、色川武大の世界の到る所に現れてくる。それは父親が床下を掘ったり家の裏手の塀を造って木戸をなくしたりするのに対応する、強烈な偏執の表現形態にほかならない。弟にとってはおそらく単なる狂気の沙汰。しかし父親が穴を掘っている時、弟は学童疎開で家にいなかった、「あれを弟に見せておきたかった」(『永日』)と思う「私」は、明らかに父親の行為を無条件に、絶対的に容認している。
 概念と具体という言葉が、そこで対比的に用いられている。弟は概念、父親は具体。それならば、概念を常識と読みかえ、具体を非常識と読みかえしてもよさそうではある。しかしもちろん、前者はともかく、後者は単なる非常識であるわけがない。『永日』の中で「私」が友人と肉親について語り合う箇所は、割合に説明口調であるだけ、理解しやすい。その会話の中で、父親が床下に掘った穴に、「私」は具体を観じている。
 《僕はそのとき、その穴ぼこを眺めていて、これは彼そのものだと思いました。こんなふうに、とことんのところへ来て、具体をすっと出せる男というのは凄い奴だな、と痛感したんです。》
 玉葱の皮を剥くように内心を剥いて行く。概念もそのひと皮である。大方は芯まで剥かない。とはつまり、概念の所で止っているわけである。しかし父親は芯まで剥いて行く。
 《そうして芯のところに、穴掘りというちゃんとした具体があるのですね。僕ははじめて、本当に父親を怖ろしく思いました。》
 怖ろしく思うのはいうまでもなく、「私」はまだ芯まで剥いていないと自覚しているからである。その限りではたしかに父と子は違う。だが弟だったら、かりに父の穴掘りを目にしたとしても、怖ろしいと感じたかどうか。畏怖の念はすでに共感に接し、連帯感に接している。」
「それにしても、穴ぼこが具体の極致であるとは、考えつめようとすると何か眩暈に誘われそうな発想ではあるまいか。何もない、空洞、空無、それが一番確かなものであり、それを覆う表被はすべて概念にすぎない。(中略)穴掘りの情景は、たとえばカフカの『巣穴』における、地下動物の果てしないトンネル構築作業を思いださせるほどに、胸苦しい悪夢の味いをたたえている。(中略)現実と夢を区別する常識的な概念に、文字通り穴を穿って突き抜けた先に、色川武大の文学の芯、核心としての具体がある。」



「『狂人日記』」より:

「その文章の進行につれて、幻覚の内に異形の者たちが登場し、奇怪な音がひびき始める。幻覚はこの作者の世界にとって珍しいものではない。どころか、その最も本質的な要素だといってよい。作者が奇病のためにたえず幻覚に襲われ苦しめられていたことは、自身でも述べており孝子夫人の証言もあり、事実だったにちがいなかろう。だから寝室に猿が現れたり太鼓の音が鳴りつづけたりするのも、作者の生活経験にあったことが、そのまま作品に取りこまれているのだと考えていいだろう。幻覚は幻覚で、いわゆる客観的な現実ではないけれども、幻覚と知りながらなすすべもなくその来襲に身を委ねている当人にとっては、もう一つの現実というよりほか、ないものだったろう。そうした現実の、いわば無理強いの現実性が、記述に迫力を加えていることは疑いない。」
「幻覚が作者固有の経験を反映しているにしても、この作品は私小説ではない。主人公の経歴は作者のそれとは全く異っている。父親が商売をしくじって一家離散、他人の家に厄介になって苦学しながら夜間高校を出、飾職人やトラックの運転手など、さまざまな職業を転々とした末、今は精神病院に入院しているという主人公は、退役軍人を父に持ち、小学校時代から学校をさぼって盛り場に出入りし、十代にしてすでに一本立ちの勝負師となっていた作者とは、似ても似つかない。実の所この主人公には(中略)モデルがある。有馬忠士という、昭和五十七年に四十二歳で歿した異能の画家。(中略)遺作を集めた画集『有馬忠士作品集』には色川氏の「異能」と題する推薦文がついている。」
「それにもかかわらず『狂人日記』は、作者がいう通り、モデル小説でもない。「異能」の中で色川氏は、有馬氏の「異能」について考え、人間の積極的な力によって造られる能力とは別に、「不幸や不充足の条件が土台になって、少しでも意に沿う生き方をしたいというようなことが結集して力になってくる場合がある」と書いている。それは一応有馬氏のことだが、「私もほぼ同じで、これまで直接間接に自分の劣等意識にこだわることで仕事の原動力としてきた」と記されてもいる。(中略)肝腎なことは色川氏が、他者としての有馬氏におのれの同類を認めながら、その認識にもとづいて、世間からは「狂人」と呼ばれる人間の内部の、どう動かしようもない苦痛と孤独感と、苦痛からの解放を求める願望を、作品のうちに定着してしまったことである。もとにあるのはきわめて個人的な情念、しかしそれが確かに造型されることによって、誰のものでもないが、また誰のものでもある、とはすなわちある普遍性を具えた、人間の情念の像と化している。
 むろん万人に妥当する普遍性ではなく、世にときめく強者たち、人生の勝利者たちには、何のこととも理解しかねる、無縁の情念でしかないだろう。先に引いた色川氏の「異能」の終節に、有馬氏の絵を見て、若い時の友人たちを思い出した、「私も彼等も」、「なんだか寒々しく、世の中からハミ出しているようで、しかし、結局はつましく生きていた」とある。そのようなタイプの人間にとっての普遍。勝負師や香具師となって実際に世の中からハミ出さないまでも、内心深く世間との不適合の自覚を抱き続けている人間は、社会的には当然少数派ではあろうが、決して数少いとは思えない。そうした人間には、『狂人日記』の記述の恐しいような即物性と、そこから生ずる切迫感は、悪夢の息苦しさをもって迫ってきながらも、しかも、その息苦しさ自体が奇妙な慰めとして感じられるのではなかろうか。」

「『狂人日記』に到るまで、色川武大の作にはおしなべて、寂寥感に包まれた異形の人の影が落ちている。「ただおとなしく秩序を踏みはずし」「一人ではずれた野ッ原に立ちつくしている」(『甘い記憶』)人間の、生れた地面の上にひっそりと宿り続けている『九段の杜』の主人公のようなたたずまい。猫や犬との区別を知らず、「生き物は、混じり合い、競い合って生きていくものだと思っていた」(『道路の虹』)少年の心を、そのまま持ち続けてしまった人間の生の姿。社会有用の人々から見れば完全に無用無益な生のありようがこれらの作には連なっており、まさにその無用の一貫した徹底性が、稀にしか見られぬ純粋な生の輝きを放っているのである。」





川村二郎








































































































川村二郎/池内紀 『翻訳の日本語』 (中公文庫)

横のもの 縦にして読む なまけもの
(ねこたろー)


川村二郎/池内紀 
『翻訳の日本語』

中公文庫 か-65-1

中央公論新社 
2000年7月10日 印刷
2000年7月25日 発行
404p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,048円+税
カバー: 和田誠


「『翻訳の日本語』(日本語の世界 15)
一九八一年十一月 中央公論社刊」



川村二郎(第一章~第八章)と池内紀(第九章~第十一章)、二人のドイツ文学者による「翻訳」論であります。


川村二郎 翻訳の日本語


カバー裏文:

「翻訳を通じて外国文化に魅せられた日本人がいかに異質の文化を取入れていったか。泡鳴、上田敏、堀口大学、鴎外、二葉亭四迷その他近代文学の巨人たちと翻訳とのかかわり方を実証し、日本語と外国語との出会いの中からどのような新しい表現を生みだしてきたか、また我々の言葉のもつ可能性をも考察する。」


目次:

翻訳の日本語 (川村二郎)

第一章 「新語法」の試み
 最初の経験
 上等な翻訳の饗応
 一冊の翻訳本
 『表象派の文学運動』
 「原文の順序通り」に訳す
 漢文の訓読
 英詩翻訳の苦心
 異質な思想に異質な語法
第二章 翻訳詩の問題
 『上田敏詩集』との出会い
 原詩と訳詩の関係
 『海潮音』の新しい息吹
 上田敏の方法
 新体詩のリズムとの対比
 『海潮音』の詩から
 詩人たちの言葉
 山本健吉の評価
 さまざまな『海潮音』との出会い
 「信天翁」にこだわる
 表題について
 上田敏の詩と翻訳
第三章 文学の翻訳は文学か
 『洛中書簡』
 吉川幸次郎の見解
 野上豊一郎の『翻訳論』
 大山定一のロマン主義
 マイエルの「鎮魂歌」
 外国文学研究と翻訳
 論理的帰結と内的必然性
第四章 文学者の立場から
 ランボー『酩酊船』
 古語と外国語
 「未来詩語・未来文体」
 上田敏と岩野泡鳴
 ほかの訳者の試み
 「名訳」への意志放棄
 ゲーテの翻訳論
 建前と本音の矛盾
第五章 翻訳家としての鴎外
 上田敏の慨嘆
 鴎外への讃辞
 聖書の翻訳
 鴎外の翻訳第一作
 創作と翻訳の未分化
 『於母影』
 『水沫集』における文体の変化
 『水沫集』の自由闊達さ
 黒岩涙香との比較
第六章 『即興詩人』と『ファウスト』
 完結まで十年
 鴎外訳と原典訳
 翻訳の清新体
 文語体の利点
 『ファウスト』
 文語体と口語体の混用
 文体の切り替え
 歌と台詞の対比
第七章 二葉亭四迷をめぐって
 「あひゞき」の言文一致
 失敗の告白
 言文一致の進化
 『浮雲』に驚く鴎外
 「あひゞき」成功の理由
 「ア、秋だ!」
 「無精神の大事業」
 超然とした態度
第八章 多彩な系譜
 泡鳴の影響
 上田敏の系譜
 生田長江
 木下杢太郎

翻訳と日本語 (池内紀)

第九章 さまざまな意匠
 テキストとの出会い
 「忘れられた女」
 生きものの観察
 最初の一行
 『若きウェルテルの悩み』
 好奇心を刺激する
 新しい人生観
 「移す」だけか
 訳文のリズム
 『ディヴィッド・コパフィールド』
 『悪の華』
 意味かリズムか
 オリジナルの特色か翻訳者の特色か
 「思想の秋」
 「『時』がいのちを健啖家い」
 訳詩が「私の詩」になる
 メリメとクライスト
 アガサ・クリスティの推理小説
 『大いなる眠り』
 『鼻』と『変身』
 昔むかし、あるところに……
第十章 訳語三代記
 広告としての「名訳」
 翻訳の死
 私のシェイクスピア体験
 シェイクスピア紹介のはじまり
 なぜ『ヴェニスの商人』か
 『ヴェニスの商人』の登場人物
 法廷の場
 『ヴェニスの商人』の意図
 もうひとつの解釈
 「翻訳者」の理想像
第十一章 「ほんやく」と「やくほん」
 文明開化
 ビゴーと小林清親
 『西俗一覧』と訳者
 明治初期の翻訳書
 実用書の役割
 森林太郎訳『諸国物語』
 鴎外訳・レヴュー説
 翻訳における二つの態度
 翻訳者の三つのタイプ
 ヴィヨンの詩
 矢野目源一訳の魅力
 日夏耿之介
 “二つの暗礁”のあいだ
 神西清の名訳の秘密
 堀口大学の訳業
 『月下の一群』

参考文献
あとがき (川村二郎)
索引

壁抜け男 (池内紀)




◆本書より◆


「第一章 「新語法」の試み」より:

「誰でも翻訳を通じて、外国語の形作る文化世界に対する興味を呼びさまされるのである。特に、外国文学に心をそそられ、この世界にのめりこんだおぼえのある人間にとっては、その読書経験のうちに、記憶にやきついた翻訳の幾つかがないはずはないだろう。
 自分一己の回想から話をはじめると、最初は新潮社版「日本少国民文庫」に収められた山本有三編の『世界名作選』である。昭和十一年の刊行で、ぼくは小学校三年生だった。」
「人生の暗さ、重さに正面から向き合うことを求めるような、厳粛な作を多く選んだのは、多分編者の見識だったのだろう。それにもかかわらず、ここに連なった数々の物語は、全体として輝いていた。あとあとまで消えぬ深い刻印を心に残し、自分の文学観を決定する一つの要因になっているかもしれぬと思うのは、ワイルドの『幸福の王子』だが、そのほかトルストイの民話にせよ、ドーデの田園挿話にせよ、ブラスコ・イバーニェスの海難悲話にせよ、話としては陰鬱な悲哀や苦い皮肉をたたえていながら、そうした悲哀や皮肉さえもが、未知の世界の輝きとして感じられた。これは、日本の「名作」からは味えない経験だった。」
「思い出話をこんな調子で綴って行けばきりがない。一足飛びに、昭和十九年に飛ぶことにする。この年、ぼくは高等学校に入ったが、もう病膏肓に入った文学少年になり終せていた。しかし心おきなく読書に熱中するにしては、時代の条件が悪すぎた。本を読めるのは動員されている軍需工場の休憩時間だけだし、そもそも、あらゆる生活物資と同様に、本そのものが極端に欠乏していた。欠乏はいやが上にも飢餓感をそそり立てる。工場からの行き帰り、たまの休日、どれほど眼をギロギロさせて、白々と埃ばかりが目立つ本屋の棚から棚をのぞき歩いたことか。
 そんな時、電車の乗換停留所の前にある、薄汚い古本屋の棚に、取り残されたように立っている一冊の翻訳本が妙に気にかかった。最初見かけて手に取り、何頁か立ち読みして棚に戻した。求める獲物ではないと感じた、どころか、辟易したのである。しかしその本が、いつまでたっても売れずに、汚らしく変色した背表紙をさらしているのを見るたびに、落ち着かない気持になった。多少ともめぼしい本ならあっという間に買われてしまい、一瞬の躊(ためら)いが千載の悔いを残すような時代である。誰の眼から見てもそれほどつまらぬ駄本なのだな、と納得はしながらも、本屋へ入るごとにそこへ眼が行った。そしてついにある日、ほかに何も思わしいものがなかった時、いわば、やけくそじみた気分で買った。値段は大層廉かった。
 その本は今でも持っている。そしてこれは、およそ珍書奇書に乏しい現在の蔵書の中では、いささか貴重な部類に属しているのではないかと思う。少くとも自分にとって、大事な一冊になっている。
 「アサ・シモンズ著・岩野泡鳴訳・表象派の文学運動・大正二年新潮社刊」
 いうに足りない昔話を書き記したのは、この書物から自分なりの翻訳論をはじめるためである。
 辟易した、といったが、何に対してか。もちろんこの書物の翻訳の文章に対してである。」

「『表象派の文学運動』には、三十頁近い長文の「訳者の序」がついている。(中略)その文章の中で、翻訳の具体的な方法について、「僕は緩慢な意訳をも、昔の変な直訳が行けないと同様、行けないとする者だ」と自分の立場を明らかにした上で、一般に今日の翻訳家は、変な直訳でさえなければ意訳でも何でもいいと思って、原文の口調や語勢までは注意しない。しかしそれは、「誤訳ではないまでも、不親切な訳といはなければならない」と断じている。自分のやり方はどうか。かつて英詩を訳した時に、一行ごとに訳して行って、決してその前後を引っくり返すような仕方をしなかった。
 「今回もその流儀で、散文までも文句をあたまから棒訳(ぼうやく)しに訳して行つて、たとへば、for とか、because とか、so. . ., that. . . とか、who とか、which とか、when とか、while とかいふ接続詞、接続代名詞、若しくは接続副詞でつながれる混成句または複成句をも、努めて原文の順序通りに送つて行つた。これが原文の口調や語勢を、更らに又原文の癖を、忠実に維持する所以であるからである。」」

「たとえ訳者が、自己の信ずる原理原則についていかほど揚言しようと、冷淡にこれを顧みないのは読者の権利である。訳文が読むにたえさえすれば、訳者の信条など、知ったことではないのである。せいぜい、訳文の感銘から、逆にその原理なり原則なりの妥当性を推測する程度にすぎないだろう。泡鳴の訳文にはじめてふれた時の読者たる当方の反応も、それに似たものだった。この文章は日本語として到底すんなりと読み下すことができない、したがって、訳者の原理は正しくない、と感じられたのだった。」

「だが、はたで見る眼が辟易しようと顰蹙しようと、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、我はわが道を征く、というのが、翻訳家としてのみならず、文学者としての泡鳴の一貫した態度だった。この頑なな一貫性には、それに賛同すると否とにかかわらず、共感すると否とにかかわらず、敬意を払わせずにはいない力強さがある。訳詩においては格別不自然でないからといって、散文の訳における原文即応が、場合によってかなり以上に珍妙な結果を生みだす例はすでに見た。原文即応が中途半端にならざるを得ないことも指摘した。しかしおそらく泡鳴といえども、その程度のことを知らなかったはずはないのである。」

「「訳者の序」と別に、この訳書には「例言」がついていて、これがまた意気軒昂たるものである。まず、本書は読みやすい本ではない、寝ころんで読めるものではない。
 「そして又訳文の六ヶしいのは、原文の語法と発想を出来るだけそのまま再現してあるからである」」

「蛾と光、乃至炎というイメージを、到達しがたい理想への憧憬の暗喩として、一般文学読者が素直に受け取ることができるのは、ゲーテ(高いまぐわいにあこがれて焼け死ぬ蝶)、シェリー(星を求める蛾の思い)など、近代ロマン主義の抒情詩において愛好されたそのイメージが紹介され、常識化しているからである。それ以前ならば、これは、「飛んで火に入る夏の虫」といった、平板な人生教訓的比喩としてしか受け入れられなかったろう。泡鳴がことさら「新語法」と言い立てる時、ほかならぬ無技巧的な直訳を通じて、一つのイメージの意味内容を変革し、近代西欧の思想と情念でもって、比喩を旧来の因循姑息な人生観の平面から際立たせ、高めようとする意向が、疼いていはしなかったかと思われる。
 「清新な思想には清新な語法を」、この場合、「清新な思想」とはもちろん西欧から渡来した思想だから、「清新」は、いわば「異質」と同義語である。それならば、清新な語法もまた異質な語法ということになる。
 日本語として読みにくいという非難を予想した上で、読者に向って、それなら読むなとか、けちをつけるなとか、威嚇的な居直りめいた言辞を吐いているのは、決して泡鳴のドン・キホーテ風に攻撃的な性格のみに帰せらるべきことではない。異質な内実には異質な表現を与えなくてはならない。この内実に習慣的な日本語による表現を与えて、その異質性をぼかすのではなく、むしろ日本語そのものを異質化することでもって、その異質性を強調するのでなくてはならない。泡鳴の主張したいのはおそらくこのような原理的要請であって、たとえそれにもとづく成果がいかほど奇態に眼に映ろうと、この要請のもとにある認識を、翻訳を問題とする時、到底無視することはできないのである。」




◆感想◆


川村二郎(ドイツ文学)といえば自分語り&森鴎外批判ですが、必ずしも川村二郎の愛読者を対象としてはいないであろう、日本語啓蒙シリーズものの一冊として書かれた本書でも、それは健在です。まずはいつもどおり自分の(「自分一己の」)幼少年期の読書体験から始まって、鴎外訳の『即興詩人』『ファウスト』を称揚しつつも、「知的エリートを自負する取り澄ました指導者ぶりがひときわ嫌味に感じられる」「知的優越を取り澄まして誇示するだけ、その知の奥行きの浅さが、後から見れば一層空々しく見え透く」「しばしば読者を苛立たせる秀才特有の小人物性」「こうした気ふさぎな苛立ちをさらけだす、あえていえば俗物」等ディスっています。

詰屈とした文体の川村二郎に対して、後半の池内紀氏によるエッセイは自由奔放かつトリッキー、シェイクスピア『ヴェニスの商人』の坪内・福田・小田島の新旧翻訳の比較検討をすると見せかけて、「シャイロックこそ、この喜劇に登場する人物のなかで、唯一まっとうな、いわば人間の名に値するただ一人の人間なのではなかろうか。」ということを証明し、河原者として差別されていたであろう作者シェイクスピアの鬱屈が、ユダヤ人シャイロックの台詞に重ねあわされます。しかしながら、うつ状態のアントーニオの不定愁訴にコメントして「甘ったれ屋の退屈な男にちがいない」などと一蹴してしまうのは、シャイロックに肩入れするあまり口がすべったのでしょうか、いかがなものかと思います。神西清の翻訳を論じるくだりはどこかで読んだことがあると思ったら、日本幻想文学集成の神西清の巻(池内紀編)の解説にそっくり同じことが書かれていました。
あとがき「壁抜け男」は、文庫化に際して新たに書かれたもののようです。

















































































































川村二郎 『白山の水 鏡花をめぐる』 (講談社文芸文庫)

「鏡花はたしかに絢爛たる修辞の人ではあったけれども、真空恐怖に駆られて画面の隅々まで修辞で填めつくしたわけではない。むしろ、華麗をきわめた表現を唐突に中断する空白、あるいは逆に、茫漠とした空白の中に現出して瞬時に目を射る一点の色彩、または閃光、そういった部分において、鏡花の最も微妙な味いを探り取ることができる。」
(川村二郎 『白山の水 鏡花をめぐる』 より)


川村二郎 
『白山の水 
鏡花をめぐる』

講談社文芸文庫 か G3

講談社 
2008年9月10日 第1刷発行
393p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,700円+税
デザイン: 菊地信義



単行本初版は2000年12月、講談社刊。本書はその文庫版です。文庫化にあたって解説と年譜、著書目録が付されています。

本書は、著者の自分語りから始まる(といえば川村二郎の長篇評論はみなそうですが)泉鏡花論です。川村二郎といえば自分語り&森鴎外批判、というわけで本書でも文脈そっちのけで鴎外をディスっています(「いかにも鴎外らしいといえばいえる、嫌味たっぷりの不愉快な文章」とか、折口信夫のことを「私見では鴎外などよりはるかに重要な近代日本文学史上の存在」と評したりとかです)。


川村二郎 白山の水 文芸文庫


カバー裏文:

「著者少年期の金沢体験を出発点に、また、その後の土地の精霊を訪ねる旅での見聞をもとに、泉鏡花の作品世界を、地誌的・民俗学的に読み解いた長篇エッセイ。「川」「峠」「水神」「蛇」「化物」「白神」等のキー・タームから、鏡花作品の幻想性に入りこみ、その深奥にある北陸の山と水、それらを宰領する精霊たちのうごめきを感じとる。鏡花をめぐるセンチメンタル・ジャーニー、巡歴の記録。」


目次:

一 金沢
二 川
三 橋
四 水死
五 水神
六 蛇
七 白
八 メルヘン
九 化物
十 盲人
十一 隅田川
十二 深川
十三 カロン
十四 小人
十五 変化
十六 峠
十七 鳥
十八 杜
十九 遊行
二十 白神
二十一 金沢

参考資料
 単行本 「後書」 (川村二郎)

解説 (日和聡子)
年譜 (著者編、一部編集部で補う)
著書目録 (著者作成、一部編集部で補う)




◆本書より◆


「一 金沢」より:

「金沢は最初の異界だった。」

「金沢にいた一年間、一人の友達もできなかった。求めもしなかったし、求められもしなかった。だがこの雪山の一日を振り返ると、名前も顔も忘れてしまったその数人のことが、妙になつかしく感じられるのである。名前も顔も忘れた。ひょっとすると、いなかったのかもしれない。いなかったのかもしれない人間が、なつかしく感じられるとはどういうことか。現(うつつ)より夢が好き、本体より幻が好きといった個人の生理が、そうした倒錯を惹き起すことは充分考えられるにしても、もしあの東の山の雪の中でなかったとしたら、その倒錯が生じただろうかとも思う。金沢の風土が、少くとも小学生のこちらに与えたその印象が、このなつかしさと分ちがたいことは確かである。」

「小学生は、鏡花を読みもしないうちに、鏡花の世界の空気を呼吸していたのである。」



「ニ 川」より:

「街には川がなくてはならない。水運、物流といった現実の利便を別にして、もっぱら原理的な意味において。」
「街は(中略)人間の意志によって作られる。意志が求めるのは安定である。」
「その街の安定志向を、川は、くつがえしはしないまでも、ゆり動かし、心もとなくさせる働きを持つ。いうまでもなく川は自然であり、破壊者としての時間の目に見える形である。もしそれが自然の暴力をほしいままに発揮し、洪水となって氾濫すれば、物理的に街は崩壊する。その暴力を振わせないために、街の中を流れる川はおおよそ堅固な護岸工事で囲いこまれ、檻の中の猛獣のように馴致(じゅんち)されている。しかしたとえ檻の中に入れられようと、猛獣は猛獣なのであり、いつ何時、檻の外に躍り出て来ないとも限らない。秩序の底にひそむ、潜在的な無秩序として、街の川は表象される。
 街に川がなくてはならないと思うのは、無秩序に接していてこそ、秩序は輪郭を際立たせると同時に、独自の陰翳を帯びることになるはずだと考えるせいである。無秩序と関係ない単なる秩序などというものは、数学の公式なみに味気ない。」



「六 蛇」より:

「ホフマンの(中略)『金の壺』(中略)を初めて読んだのは中学四年の時、戦前の岩波文庫の石川道雄訳『黄金宝壺』によってである。読み終えて呆然とした。名古屋市立図書館で読んだのだが、館の外へ出ると世界が変って見えた。(中略)その後、大学に入ってドイツ文学を専攻することになる道筋への、間違いなくこの読書体験が決定的な第一歩だった。
 何にそれほど衝撃を受けたかといえば、幻想と現実の境がどこにあるのか分らぬ、極端な二元の混淆状態、それを見て目がくらんだのである。(中略)ホフマンは、双方の世界の交錯と融合を、表現の原理たらしめていると感じられた。要するに、表現におけるイロニーの鬼火めいたゆらめきに眩惑されたのだ。」
「人間の男と蛇との恋物語が(中略)始まって、神話世界にのめりこむ。ただこの世界はあらかじめ失われている夢の理想郷なのであり、夢は現実の介入を示すイローニッシュな表現によって不断に損われるので、その夢の回復ないし実現を読者はほとんど信じることができない。物語の表面では一応恋は成就し、ハッピーエンドを迎えることになるのだが、それはいわば、無理を承知でイロニーの中からもぎ取られたかのような結末なので、後味としてはむしろ、無理の痛々しい感触が残る。
 鏡花には表現におけるあからさまなイロニーは見られない。夢をすとんと現実に落したり、現実を強引にねじ曲げて夢の意匠に仕立てたりする操作が、ことさら目立つわけではない。鏡花において現実は、しばしば自然主義リアリズムさえも顔色なからしめるほどの、醜悪な相をさらけだしている。」
「角兵衛獅子の少年が、春の海に入って戯れているうちに、とんぼを切ってそのまま水の中に見えなくなる。二三人浜へ駈けて来たが、「馬鹿な奴だ」「馬鹿野郎」と高声で大笑いするばかり。やって来た巡査さえ、子供が溺れたと聞いて、
 「角兵衛が、はゝゝ、然(さ)うぢやさうで。」
 いくら芸人が人間扱いされていない時代でも、これはひどすぎる。もっとも、こうしたむごい現実に囲まれているからこそ、次の日の朝上った、女と少年の抱き合った死体は、それだけいよいよ美しく際立ち、夢の成就を告げ知らせているのだともいえる。
 おそらく『金の壺』のホフマンは、『春昼・春昼後刻』の鏡花ほど強く夢を信じてはいないのだ。だから愛らしい蛇がそこから生れ、またそこに回帰するはずの夢の国、アトランティスの情景も、一時(いっとき)過ぎれば現実の風に吹かれて消え失せかねない、虚空に描かれた幻のような不安げなたたずまいを見せている。表現のイロニーがたえず夢の浄福をおびやかす。
 鏡花にイロニーがあるとすれば、事柄自体のイロニーである。無残な生と死が聖化を約束し、妄想の所産でしかないような夢が真実を保証する。夢の強度が現実を圧服する。(中略)ホフマンが近代だとすれば、鏡花は近代以前である。」
「『春昼』の蛇にアレゴリーの性格を読み取ろうとするのは無理である。それは海辺の村ののどかな春の日中、人家の間近へのたくったり畑の中を飛んだりして、小心な人間を気味悪がらせる動物以外のものではない。だが、先へ進むにつれて幽晦の度を強める物語が、神秘的な交感の実現を証す女の水死でもって、絶頂に達すると同時に唐突に終るのを目にする時、圧倒された読者は、物語を導きだす役割を果した蛇に、そもそも神秘にかかわる宿因があったのだと思わねばならなくなる。その時読者は、近代文学の中で発現するのとは少し異質の想像力、目前の現実をそのまま神話にしてしまう想像力の働きをも、否応なしに感得させられることになる。」



「二十一 金沢」より:

「水死体に執するフェティシズムが現実に満足を求めると、いかに目もあてられぬ惨状を呈するかを、(中略)江戸後期のある文人の見聞記の一節が明示している。文化元年五月、隅田川に男女の身投があった。「男は廿一二、女は十六七、対(そろい)のゆかたにて互ひに抱き合ひ、緋縮緬(ひぢりめん)のしごきにて結び合ひ、溺死してあり」という次第。たちまち江戸の細民どもが押しかけ、見物人を舟で運ぶ船頭は、初めは八文、後には十六文、さらには二十四文、三十二文、半百(五十文)にまで舟賃をつり上げた。
 「此見物を乗せたる舟幾艘ともしれず、船頭は情死ありて思はぬ銭まふけしたり、三四日斯(かく)の如し」
 つまり何日も水の上に放置されていたわけである。女はそれほど変らなかったが、男の方の顔は水ぶくれして薬缶のようになっていたという。
 死体が見世物になる。死体を見世物にするのは、見ることへの人間の欲望が、制御されなければどれほどとめどもなく野方図になるかということの証である。死者たちは、生者から何らかの抑圧なり迫害なりをこうむって、死を選んだのだろうが、死後、細民の好奇の目にさらされて、二重に生者の凌辱を受けたのだといってよい。」
「『千鳥川』(明治三十七年)という、ほんの十ページばかりの小篇がある。過激な情死礼讃論がその中核をなしている。
海辺の茶屋で休んでいる学生が、ここは心中のあった所だそうだがと、店の女房にたずねる。女房はここではない、この先の川に身を投げたのだといい、一件のいきさつをこまごまと物語る。その話によれば、女は良家の令嬢で立派な学校の生徒であるにもかかわらず、とんでもない浮気もので、内気なおとなしい男を行きがけの道連れにして、一緒に川へ身を投げたのだという。(中略)女房の報告は俗物的偏見をむきだしにした、いかにも不愉快なものだが、そうであるだけ、事実を正確に伝えているかどうかは別にして、事件に対する世間の反応を正確に伝えているといえるだろう。ふしだら女が、
 「些(ちっ)とも容色(きりょう)が好(よ)かないんだから厭(いや)ぢやありませんかね」
 というのも、実際に不美人だったかどうかは知らず、そんなことをする女は醜いにきまっていると思いたい世間の「良識」にとっては、まことにわが意を得る判定にちがいない。
 話を聞いた学生は激昂する。ふしだらだろうと不身持だろうと、死ぬというのはよくよくのことだ。たとえどんなことがあったにしろ、身を捨てたら許すべきではないか。かわいそうに、死んだものを、散々にけなしつけるとは何事だ。
 「嘘でもいゝ、追善菩提のため、飽(あく)まで誉(ほ)めろ、思ふさま庇(かば)つて話せ」
 というのが、昂奮した学生の言分である。
 昂奮はさらに進んで次のような激語に到る。
 「何(ど)うせ、くさしついでだと思つて、第一女振(おんなぶり)が好(よ)くないなぞといふことがあるものか。先づ其の容色(きりょう)から誉め立てろ、つひぞ見た事のないやうな美しいお姫様でございましたと、」
 実際には女房のいう通り、不器量で執着心の強い女が、柔弱な男にからみついて、水底に引きずりこんだのであったかもしれない。あまっさえ死体は、自然の浄化作用の進行する中で、おぞましい壊敗の相を呈していたかもしれない。学生はもとより、そうしたことは承知の上だろう。承知の上で、あえて、「嘘でもいゝ」という。心中した者はすべて美しく、心中した者をそしる者はすべて醜い。死んだ女を汚らわしいと罵った同級の女学生たちは、学生にいわせれば、たとえ身を投げたところで「龍宮で門前払(ばらい)」の醜女ぞろいなのである。
 鏡花の作品はおしなべて、「嘘でもいゝ」からあくまで対象の美をほめたたえてしまおうとする、強烈な意志と情熱によって生みだされている。そこにはほとんど確信犯的な、巧言令色への志向が働いている。「嘘」を敵視する「誠実」な近代の文学は、当然それをきれいごととして排斥するだろう。しかし嘘を承知でほめる、ぬけぬけとした美の礼讃者にとって、そうした誠実派からの批判は、痛くも痒くもないはずである。
 白山の姫神も、そのような意志と情熱の放つ光によって、包みこまれ、輝かされている。」





こちらもご参照下さい:

川村二郎 『白山の水 鏡花をめぐる』 (単行本)


























































































































川村二郎 『白山の水 鏡花をめぐる』

「しかし海は水によって連続している。海といわず、水はどこでも結ばれている。」
(川村二郎 『白山の水 鏡花をめぐる』 より)


川村二郎 
『白山の水 
鏡花をめぐる』


講談社 
2000年12月18日 第1刷発行
310p 
20×15cm 並装 カバー 
定価2,800円+税
装幀: ミルキィ・イソベ



『白山の水』は講談社文芸文庫版で愛読していたのですが、濡れ手で触ってページがヨレてしまい、残念に思っていたところ、アマゾンマケプレで天牛書店さんが「良い」の単行本を800円で出品していたので注文してみました。
「新品」よりキレイな本が届きました。
しかしまた汚してしまいました。
A5変形のソフトカバーで、天の部分は不揃い裁断になっています。


川村二郎 白山の水 01


帯文より:

「泉鏡花の華麗を極めた文学の内奥を通じ、物語の広野を渉猟する長編エッセイ!」


帯背:

「文学と物語の
本質に迫る
長編エッセイ!」



帯裏:

「鏡花を巡るセンチメンタル・ジャーニー。」


目次:

一 金沢
二 川
三 橋
四 水死
五 水神
六 蛇
七 白
八 メルヘン
九 化物
十 盲人
十一 隅田川
十二 深川
十三 カロン
十四 小人
十五 変化
十六 峠
十七 鳥
十八 杜
十九 遊行
二十 白神
二十一 金沢

後書



川村二郎 白山の水 02




◆本書より◆


「一 金沢」より:

「家から西へ進み、左手に、土地の旧藩主の家老職を勤めていた大家の菩提寺だという、それこそ古色蒼然とした寺のある、おそろしく急な坂を登ると、大きな公園に突き当った。巨大だがどこか不細工な日本武尊の銅像が建つあたりから、北に向ってゆるやかに下り勾配となり、その傾斜のあちこちのほの暗い物蔭や凹みに、水と一緒に奇態な造型物が見られるのが面白かった。朝鮮渡来というあばた面のような石で出来た塔があり、金沢の名の元という「霊沢」、陰鬱な囲いの中の湧井があり、何代目かの藩主の寂しげな銅像があった。北に下りきって公園を出ると、向いには城の門。毎朝父親が、従卒の牽いて来た馬に乗ってこの門の中に入ることは知っていたけれども、自分が門内に入りこんだことはない。門の前の道をそのまま西へ、そして城址の周縁に沿ってぐるりと北へ回り、しばらく行けば、これが神社とはとても思えない異風の高層建築が右手に現れる。こちらの道を取るか、あるいは城址からさらに西に向い、映画館などの集っている繁華街まで歩くか、それが毎日の日課だった。
 毎日の日課と書いたのは、むろん客観的にはウソである。学校があったのだし、実際にこのように歩いたのは、休みの日に限られていたはずである。だが主観的には、日々の楽しみはそちらにしかないといってよかった。つまり学校は無にひとしかった。
 別に落ちこぼれたとかいじめに会ったとかいうことではない。いわんや登校拒否などするわけもない。表向きはごくおとなしい児童の一人だったろう。落ちこぼれというより、はみ出しのような状態ではあったかもしれない。学校の授業で分らぬこと、新しく教わることは何もなかった。だからただ黙って坐っていて、先生にしろといわれたことだけをして、その間、全く何も考えていなかった。
 同級生にとっては、異星人のようなものだったのだろうと思う。こちらにとって金沢が遠かったように、彼らにとっても東京は、今では想像もつかぬほど遠かったにちがいない。その東京から来て、そこそこに勉強はできて、しかしまるで口をきかぬ変なチビ。こちらはこちらで、彼らが初めは遠巻きにしながら、やがてその輪を縮めて、好奇心むきだしで近寄ってくるのを、異類の星に不時着した飛行士のような気分で待ち受けねばならなかった。
 大人だったら、何がしか意思疎通の道を模索しもしただろう。そうした世間知には今に到るまで不案内なたちである。何より言葉の抵抗が大きかった。一人称をずっと「ぼく」で通して来た子供が、いきなり「わし」と口にできるものではなかった。
 それにしても異類の住む街そのものには、興味がつきなかった。坂を登って公園へ行き、それからまた、「尻垂坂」というすごい名のついた公園東側の坂を下って城の門に行き当り、天守閣がない城は物足りないなと思いながら右へ折れ、天守閣の威容を代行しているかと見える雄大な、灯明台の化物とも摩天楼と龍宮の合成ともいえそうな神門を、首が痛くなるまでのけぞって仰ぎ見、最上層の窓を装う赤、青、緑、色とりどりのステンドグラスが、夕陽を受けて輝くのを眺めていると、まだその言葉を知らなかったが、恍惚、というのに近い心地にひたされた。」

「十歳の自分にとって、金沢の風土はきびしく、住人は言語も挙措もあらあらしくけわしく、近寄るのがためらわれた。しかしこちらから近寄っても安心な、動くことのない古い造型物は、どれも魅力的だった。くすんでいて、底に光をたたえている。総じて黒っぽく暗色を基調としているが、ただ黒く暗いのではなく、光線の具合で微妙な色合が混り合っていると感じられてくる。逆に一見きらきらしいものにも、奥行がある。子供に陶磁器の品定めなど所詮無理なことだが、父親が新しく手に入れた九谷焼の徳利や盃は、金色を多く使って随分派手に見えながら、じっと見ていると、その金色が次第に暗くよどんでくるような気がした。明は暗に、暗は明に染められていて、その生の領域の上に、ぼんやりと死の影が貼りついている。そんな世界として金沢を表象した時、小学生は、鏡花を読みもしないうちに、鏡花の世界を呼吸していたのである。」



「十四 小人」より:

「恐ろしい蛇を、つい先日見た。昨年(九九年)暮に「役行者神変大菩薩一三〇〇年遠忌記念」として大阪市立美術館で催された、「役行者と修験道の世界」という展覧会でのことである。
 全国の社寺から集めた、前鬼後鬼を随えた例の役行者像や、型通りの蔵王権現像、孔雀明王像、不動明王像などが、広い館内に所狭しと陳列されていて、壮観といえば壮観だったが、図像学的にはおおよそ儀軌に定められている通りなのだから、千篇一律の感は拭えず、巡り歩きながら少々退屈していた。その倦んだ目の前の壁に、まことに唐突に、かつて対面した覚えのない、奇怪きわまる趣向の画像が出現したのだった。
 大体縱一メートル、横五十センチばかりの同じ図柄の絵が、三幅並んでかかっている。いずれも中央には、極彩色の唐衣に領巾(ひれ)や裙(も)をまとった、貴女風の装いをした立像がある。それを囲んで十五人ないし十六人の唐子が、狐に乗ったり馬にまたがったりして遊んでいる。十六童子は弁天の眷属である。当然中央は弁天のはずである。
 しかしこの弁天像は、通常あるべき美女の顔を欠いている。首から上にはその代りに、三つの蛇の頭がある。左右はそれぞれ外を向いて鎌首をもたげ、正面を向いた中央の頭は、両眼を怒らせ、口を開いて牙を剥きだしている。図の四方にはさらに多くの蛇が、衣を着て直立したり裸のままとぐろを巻いたりしている。
 美女の頭の上に小さな蛇がとぐろを巻いているのは、弁天の図像学上の定型である。要するに、弁天の蛇との親和が、その形でほのめかされているのだ。しかし蛇と弁天がそのまま同体であることを、これらの絵ほどあからさまに示している例を、ほかに知らない。
 「天川弁才天曼荼羅図」とこれらの絵は名づけられている。」
「この蛇=弁天の図像に並んで、武蔵高幡不動金剛寺所蔵の「弁才天十五童子像」が掲げられている。こちらはごく尋常な美しい神女の坐像、相伴する童子たちも行儀よく整列している。弁天の下には袋をかついだ大黒天がにこやかに佇み、全体として福神のめでたい恩恵がほのぼのと感じ取られる。対照的にそれだけ一層、天川マンダラの異相が際立つ。
 どちらかが実像でどちらかが虚像ということはあり得ない。どちらも人間の想像力が生みだした理想像にほかならない。ただ金剛寺の弁天像が理想を一義的に純粋に表現しているとすれば、天川マンダラは、理想の中に混濁した幻想や、禁忌への畏怖や、畏怖に反して忌まわしいものに惹かれて行く情動やが雑然と混りこんでいて、曰くいいがたいアナーキックな夢の形象を現出しているのである。」




こちらもご参照下さい:

川村二郎 『白山の水 鏡花をめぐる』 (講談社文芸文庫)































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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