間章 『時代の未明から来たるべきものへ』

「しかしその「廃墟」とは荒廃の光景などではなく、存在と精神の光に照らされたありとあらゆる存在の〈原野〉のことなのだ。」
(間章 「迷宮論(1) 窓について」 より)


『間章 著作集
時代の未明から来たるべきものへ』


イザラ書房 
昭和62年6月30日第2版発行
613p 
A5判 丸背布装上製本 機械函 
定価5,000円



間章(あいだ・あきら)没後刊行評論集。
奥付には記載がありませんが、初版は1982年12月に刊行されました。
解説はシュタイナー研究家の高橋巌氏。


間章 時代の未明から来たるべきものへ01


間章 時代の未明から来たるべきものへ00


高橋巌+荒俣宏『神秘学オデッセイ』(平河出版社、1982年)より:

高橋 最後にひとことということですが、こういうことを申しあげたいんです。間章さんの著作集『時代の未明から来たるべきものへ』がイザラ書房から出るんです。ご存じの方も多いと思いますが、間章さんはジャズやロックの評論家として活躍されていて、数年前に亡くなった方です。彼の晩年書かれたものをまとめて、六百頁くらいの本になって出版されるんですが、それを読んでみますと、これはおそらく世界で初めてだと思いますが、ジャズ、あるいは即興演奏の精神によるシュタイナーとの出会いの記録がじつに克明に記されているんです。ジャズの精神を通じてシュタイナーと出会った人はほかにもいるでしょうけど、ああいう形で記録に残してくれたのは私の知っているかぎり、間章さんが初めてだと思います。間さんにかぎらず、シュタイナーをいっしょに勉強することで出会った人たちの仲に即興演奏をやっている人がいたり、ロックのグループをやっている人がいたり、マンガを非常に愛している人がいたりするわけです。それはとても大事なことだという気がします。おそらく日本の状況の中でそういうことがあるということは、世界に対して日本が現代の精神的状況の中で神秘学を受けとめるときのひとつの型を提出しているということにもなると思うんです。
 さっき荒俣さんは、自分は純粋じゃないんだなどとおっしゃいましたが、純粋じゃない時代に生きる人が純粋じゃないことがきっかけとなってシュタイナーと出会う、ということは大切なことであり、純粋なことだと思うんです。もし純粋な人が、純粋さによってシュタイナーに出会いますと、権力主義と一種の貴族主義に陥りまして、天狗になったり差別感をもつようになったり、要するに不純な結果に終わってしまうんです。
 間章さんの思想を通して見たシュタイナーの世界というのは本当にみごとなんです。あらゆる抑圧から自由で、個別的で、Aを選ぶからBを捨てなければいけないという発想ではなくて、Aであることがすべてを生かすことでもある、Aであることを通して普遍的なものに通じ合える、という発想で、それが私にとって今、非常に大事なことだと感じます。」



間章 時代の実名から来たるべきものへ02


目次:

フリー・ジャズ黙示録
 解体と非連続の系譜
  地獄論への素描とその前書
  転形論への下降とその光景
  地獄めぐりの論理となしくずしとニヒリズムの戦略
   迷路をわたる都市ブルースの変容とその回路
  地獄論の余白なたは自己破滅と“なしくずし”への無限過程①
  地獄論の余白なたは自己破滅と“なしくずし”への無限過程②
  地獄下りの諸相――ニヒリズムとデカダンスとの相剋①
  地獄下りの諸相――ニヒリズムとデカダンスとの相剋②
 フリー・ジャズ運動とその展開
  フリー・ジャズ戦略とその多様な地平変換と覚醒へのアマルガム
  エントピアの地平――イギリス・フリー・ジャズ・シーンをめぐって①
   AMMとSMEそしてISKRA1903の周辺
  エントピアの地平――イギリス・フリー・ジャズ・シーンをめぐって②
   フリー・ジャズ・アナキスト群像
  「黙示録」の終りなさに向けての断章――地獄論回帰

ジャズの“死滅”へ向けて
 廃墟論
  ジャズの“死滅”へ向けて
  同一性と自同律について
  無関心(ニル・アドミラリ)と無感動(アパティア)について
  記憶と忘却――廃墟――私・論へ
 倫理論
  非命と流刑――死者そして滅びへの倫理①
  非命と流刑――死者そして滅びへの倫理②
  悪と滅尽への倫理①
  悪と滅尽への倫理②
 否定神学論または死論 “神と死”をめぐるブルジョワ思想批判ノート
  ニヒリズムと死の人類学〈序〉
  死の人類学“神と死”の埋葬
  “西洋”と“ロゴス”の殲滅①ハイデッガー批判への視線(まなざし)
  “西洋”と“ロゴス”の殲滅①ハイデッガー批判への方位
  個と幻影の終り――“変革”への道
  幻影から覚醒へ――“変革”への方位
  革命への「アナーキズム」へ
  「アナーキズム革命」の基礎とその在りか

季節の迷路から
 視線(まなざし)について
 「夜(ニュクス)」そして朝の終り
 鏡の中の男との対話〈1〉
 扉の向う側の砂漠そして冬
 ホモ・ヴィアトール
 ジャズの終りがさらに遠い一日の中で
 敵とその所在について
 無季・非時(ときじく)
 ニューヨーク もうひとつの冬またはガラス玉の中の雪
 ニューヨークのフリー・ジャズそしてもうひとつの雪
 ひとつの旅又は机の上の双眼鏡
 「一人の死者への手紙」――七六年・夏
 鏡の中の男との対話〈2〉
 迷宮(ラビリンス)論①窓について
 迷宮論②かごめ考
 迷宮論③ルサンチマン
 迷宮論④固有者ブロッホの死
 破片録 石原吉郎さんの死
 「ジャズ・マガジン」休刊の彼方へ――最後の「季節の迷路から」にかえて

ジャズの末路(おわり)への考現学
 非在へ向かう虚の穴(サックス)
  アルト・サウンドの負性①オリヴァー・レイクと身ぶり
  アルト・サウンドの負性②
  アルト・サウンドの負性③
  アルト・サウンドの負性④
  声とテクネー/サックス奏法の探究①サックスの本性そして宿命
  声とテクネー/サックス奏法の探究②サックスの現前そしてアンビヴァレンツ
  声とテクネー/サックス奏法の探究③サックスの奏法(テクネー)と戦略
  声とテクネー/サックス演奏における闘い
  「非在へ向かう虚の穴(サックス)」――後記
 排中律ピアノ論/ピアノの解体学
  無用の空箱――西洋としてのピアノ
  ピアノの解体そして異化
  ピアノの権力と強制(なしくずし)
  ピアノへの戦略とその異相①
  ピアノへの戦略とその居相②
  ピアノの光景の此岸①
  ピアノの光景の此岸②
 異化のギター/「ジャズの崩壊」症候群
  破壊者の肖像――序にかえて
  異貌のギター 受肉への秘儀
  「肉」と「存在」の交錯と「受肉」への闘い
  「破壊」と「受肉」――ギタリストの系譜

非時(ときじく)と廃墟そして鏡
 「テロルとトポス」論 ジャズの現(うつつ)をめぐるニ、三の断片的考察
  アルバート・アイラーの「サマータイム」をめぐって
  フリー・ジャズの思想と音楽の解放
  フリー・ジャズの諸相と現在
 解体と再生 反語的ロック・メディア論への素描またはロック分野における伝統と異化
  未明性としての伝統/伝統〈論〉への視線(まなざし)
  ロックとジャズの異相
  ロックにおける〈十九世紀〉の復権とクラシック音楽と現代音楽の影、そしてロックの地平(ホリゾント)
 チャーリー・パーカーの呪咀と終末論(エスカトロジー)
  即興演奏家の宿命としてのバードの存在と影について
 時代の未明から来たるべきものへ
  ニヒリズムとアナーキズムをめぐるヨーロッパ・フリー・ジャズ・シーンの根底問題について
  〈ナルチスの鏡〉の超克と破壊――西洋音楽の最後の冬
  ニヒリズムの超克と来たるべきものの在処

ジャズの“死滅”へ向けて 最終稿
 ジャズの“死滅”へ向けて 最終稿
  ジャズの退廃と没落
  〈ジャズは死んだか?〉の制度性
  アナーキーな地平 デレク・ベイリーの示すもの
  ジャズの“死滅”の彼方

初出一覧
年譜
解説 (高橋巌)



間章 時代の未明から来たるべきものへ04



◆本書より◆


「解体と非連続の系譜」より:

「ことはそんなに甘くはない。全体に向かおうとする時、個はつねに破片であり、廃墟であり、敵は全体として立ち現われる。直系的論理も運動もことごとく敵を補完するだけであり、沈黙も饒舌も敵を許すだけである。要は敵を内に飼いながら、毒を飲みながらみずからの感性のヒエラルキア、理性の整合性を破砕しつつ、複数の不可視の戦線を創出させることなのだ。」

「体制か反体制かという幸わせな“午後のあいびき”はもうどこでも見失われている。影へ、深部へ、暗部へ、地獄へのまなざしは向かってゆくだろう。そこにおいては誰一人として安易な孤立は許されない。会うとしたなら地獄で会おう。」

「四〇年代のリズム&ブルースは(中略)それがまだリズム的にも形態的にも判然としたスタイルと厳密さを持たずにまさに一種のメルティング・ポット(るつぼ)または暴力的とも言える潜在力を秘めた(異種のヴォイスがせめぎ合う)カオスであったが故にロックンロールという毒とフリー・ジャズの過激の芽を宿すことができたのだ。」
「都市ブルースの転形の上に、開かれたカオスと暴力をかかえたR&Bはおよそアメリカという資本主義社会が異る文化の階級的闘争の中でしめ殺した未明の声とそれ以上にパワフルであるアマルガムの中で生み落した無産の悪夢、凶々しさであるといっていい。その凶々しさは次の新しい凶々しい世代へ転形してゆく事でそれ自体の使命を一つ果してゆく。いつもヴァイオレンスとテロルは次のさらに苛酷なヴァイオレンスとテロルにひきつがれ、名づけられぬ情念の闇と谷間の中で正系のない異端を生み出す。R&Bのカオスからそしておのが肉体にあらゆる呪縛を秘め、さらに新しい位相でいまわしさに引き裂かれるようにして、異形の者が現われるのだ。それを今、フリークスとでもイノヴェーターとでも呼ぶことが出来る。フリークス=奇形・怪物はそして文化の破滅をこそ自己のよってきた文化のカオスの破滅をこそ母親殺しのように無意識の内で目指すのだ。」

「地獄めぐりの論理、それはあらゆる負性をさらに過大に負い続け、あらゆる実体を解体し続けることである。」

「階級性はすみずみに入り組み、われわれはどのような過激な意識を持とうとも抑圧の内に管理されている。自己解体なくして体制を破壊するなにものも出て来ないと私が言うのは音楽をとりまく階級性はわれわれの内なる諸々の観念や感情の階級性とつり合った形で存在しているからなのだ。
 そのわれわれの観念や感性、感情の階級性はとても自己批判といったようなものでは解放されはしない。われわれは自らの抑圧者である、観念や感情のヒエラルヒアを殺し続け、破壊し続けなくてはならないのだ。」

「フリー・ジャズの敵対物はあらゆる制度内の音楽であると同時に、形式的フリー・ジャズと擬似フリー・ジャズとである。」
「形式的フリー・ジャズとはフリー形態を保守し、予定調和的なフリーにとどまり、フリーを固定観念化するあらゆるフリー的ジャズのことである。
 擬似フリー・ジャズとはあらかじめ法則や調和や構成や展開性や機能・役割をかかえ込み、それらによって守られたあらゆるフリー・ジャズである。」



「廃墟論」より:

「廃墟とはなつかしさである。未だ見ぬ愛の不可能性と同義であると言ってもよい。この世で実現されうる唯一のレアリテそれが廃墟であり無秩序が存在の律を見い出す形態それが廃墟なのだ。廃墟とは欠落ではなく現前なのだ。」

「廃墟を見る時、私がいつも感ずるのは廃墟程やさしく、なごやかな空間はないという事だった。」

「亡びはどこにでもあった。ただそれを実現させなくてはならないのだ。」

「無産者とは存在そのものにもっとも近づいた行為者であり、現前の強圧におびやかされることのない負性なのだ。舞踏者であり、即興演奏者であり、無の遊戯者であり、虚無秩序の律法者なのだ。」

「「廃墟=私」が実現するその時まで……」



「倫理論」より:

「私は虚無精神=ニヒリスムと頽廃=デカダンスの底へ降りてゆく。そしてそれはニヒリスムとデカダンスを超出する為でも、克服する為でもない。最も本質的なものがその二つの位相のなかにあるからであり、ニヒリスムとデカダンスによって私の〈未明〉と〈曖昧〉を滅びにかざしながら、さらに養おうとするからなのだ。生きるとは生存に毒を流し込むことであり、生そのものに滅びを導入することであり、生の特権性をこわす事に他ならない。」

「生をまっとうしようとすることは生の無(ノン)=意味(サンス)と不可能にさらされる事だ。」

「実現されたどのような世界にも帰属でき得ない放浪者にこそ〈倫理〉が出現してゆく。〈倫理〉は現存の秩序や法則や道徳律に属するのではなく、可能事と不可能事をわたるこの領域につまり彼方へ向かって、闇へ向かっているものとして見い出されねばならないのだ。
 倫理は空無の上に求められ、ニヒリスムとデカダンスを注入され、さらに深化させるものとして発見されねばならない。」
「倫理こそがニヒリスムとデカダンスの上に用意されねばならない。
 そして滅びに向かった時に始めて、倫理が必要とされる。終りなき行為、理由なき、辿りつくべきものなき作業にこそ、倫理の〈場所〉があるだろう。
 滅びなきところに倫理はなく、虚無と頽廃なきところに倫理はない。逆説的(パラドキシカル)に言うならば虚無と頽廃をかかえ込まない倫理は倫理たり得ないのだ。
 何故なら、倫理とは肯定的様態ではなくして圧倒的な否定性そのものだからなのだ。
 すでにあるものを守り、秩序だてることではなくして、未だ無いものへと存在をかりたてる破壊的なパワーの存りか、脆弱なもののなかに否定のテンションをかけ渡すものこそが倫理なのだ。」

「倫理とは個人的なものである。そしてそれ故にこそ恐ろしく苛酷さを帯びたものなのだ。」



「否定神学論または死論」より:

「我々は負性を負った人間である、と同時に、呪われた逆理と両義性を生きる人間である。
 それ故にこそまなざし(引用者注: 「まなざし」に傍点)を解放へ向けてゆく。そして解放とは具体的な実現として、私の個やこの肉この生において実現されねばならないものである。たとえ来世が別の生が確実にあったとしても、この世のこの生の抑圧や支配との闘いを放棄することを私は私に許さない。私は目覚めた人間より最終的には真に闘う人間の方を選ぶであろうからである。」



「鏡の中の男との対話(1)」より:

「私の視線はそしてことごとく“冬の破片(かけら)”だけを見つけだしてしまう。
 ジャン・ジュネは次のように書いたことがあった。「もし生れ変わることが許されるなら、冥王星かもっと遠い星の氷のような空気と大気圧の中で泥にまみれ、はいつくばっている爬虫類のようなものになりたい」
 もしもそこにまだ亡び去っていない何かが残されてしまっていて“冬”も又あるのなら私もそこへ行こうかとふと思う。」



「扉の向う側の砂漠そして冬」より:

「私はさらに呪われた道を行くだろう。戦いの地平は常に全体的だ。私はそして決して部分では闘わないだろう。そして私が体制と権力とぶつかる個別の場、日常の強制、予定調和の階級性と対峙するところ、そこが戦線なのだ。さらに、その戦線は扉の向うの砂漠の地平線につらなり、私の内に不可視の戦場を用意する。私は強制と圧制をことごとくに亡ぼそうとすることによって私自身をも亡ぼしてゆかなくてはならない。それが敵をうつ唯一の方法であることによって。何故なら、敵にとって凶々しい毒は私にとっても毒であり凶器でなければならないからなのだ。
 冬からの出撃。私は先ずなによりも私自身の不吉さと呪い、そして冬によって武装するだろう。そして砂漠へと先ず乗り出してゆくだろう、というのは都市も街路も、扉の向う側の砂漠の中にあるからなのだ。」



「敵とその所在について」より:

「私はあらゆる擬態をとる。あらゆる正体不明の曖昧を得るための法を学ぶ。それはどこまでも敵をうつ為である。敵を定義づけるものは自己にある姿・形をあてはめるものであり、自己を定義づけ自己に境界をもうけるものであり、敵を分類づけるものは、確定的な観念に身をゆだね、自己をもまた分類するものだからなのだ。我々はどのような定義や分類によってもくぎられ、また統治されてもならない。それこそが我々を閉塞させようという、敵の観念の網であり罠、我々へのなしくずしの戦略だからなのだ。」


「ひとつの旅または机の上の双眼鏡」より:

「ふと見ると殆ど何もない彼の机の上にポツンと小さな双眼鏡が置いてある。私が不思議そうにしているとブライアンは言うのだ。「ちょっとした旅する機械です。窓から外の河をそれで見、空や遠くの人達を見て未知の世界に触れるのです。童話を作る機械とも、トリップ・グラスとも言います」
 私とスティーヴ(引用者注: スティーヴ・レイシー)はかなりの時間代る代るその六十倍の双眼鏡をのぞいて、八畳の窓の外のセーヌ河のきらめきを眺め、月や遠くの恋人達を見た。そして「ここ」とは違う場所に限りなく近づき「今」とは違う時の中へゆっくりと足を踏み入れ、しかも静かに醒めてゆく自分自身を何処かでみつめていた。そして半ば放心したようにじっと水のきらめきの美しさに見とれていた私にブライアンはそっと話しかけたのだった。「何かみえますか。この世界の何かが。そして貴方の旅が」と。
 私は何も答えないまま、ただじっと双眼鏡をのぞき続けた。
 出会うものは出会う、というのは殆ど信念ともいえる私の確信である。私はブライアン・ガイシンと出会った。その事は秘かだとはいえひとつの運命(さだめ)だったように思う。幾週間が過ぎて私は今、渋谷の私の部屋にいる。そこには双眼鏡がない。そして窓さえも。そしてブライアン程には決して自由であり得ない私の一日、一日があるのだ。私はここから全てを始める。(中略)ここにはニューヨークの“鏡の中の雪”も、パリの双眼鏡の中の“水のきらめき”もない。あるのは私の途方もないオブセッションと、私が私に課した戒律だけなのだ。」
「私はこの私のいる場所の中で旅を続けるだろう。恐らくは終りのない、見つめる事の旅を。
 時にはそんな私を遠い焦りがおそう。そんな時きまって呼びかける声があるように思えるのだ。「例えば星の決っているものはふり向かぬ」という声が。」



「「一人の死者への手紙」――七六年・夏」より:

「昔お前に話したのを覚えているか。高校生の時、新潟地震というやつがあった時の話を。ちょうど昼休みで俺は屋上で寝ころがっていたんだが、ひどいゆれが突然やって来て、しばらく待っても止まらないので下へ降りていった。そうしたらもう階段では大変なさわぎなんだ。(中略)グラウンドの方に回ると今度はグラウンドが無数の地割れなんだ。それでもそれを飛び越えながら俺はみんなと一緒に向う側の川岸へむかって走った。(中略)ちょうど半分位行った時に突然大音響がして左手にすごい黒煙が上がった。その時誰かが言ったんだ。『原爆だ』ってね。俺は走るのをやめた。そして不思議に安らいだ気持で一杯になった。『これでもういいんだな』と思ったんだ。しばらくはそこに立ったままだった。どれ位時間がたったか知らない。実際はほんの数十秒だったろう。俺は原爆ならピカドンというのに光はなかったじゃないかという事に気づいたんだ。しかもふと見るとグラウンドにとり残されているのは俺だけで、その俺ももう川岸にいる連中も死にそうな気配がない。『違ったんだ』そう思った時俺は何とも言えないくやしさとがっかりした気持との入り混った、またなつかしさにも憎悪にも似たものを感じた。後になって見ればなんのことはない、その爆発は地震のショックで破裂した石油のタンクのやつだったのさ。
 パリでひどく血を吐いて気を失い、救急車で運び込まれた病院で最初に気がついて眼をさました時にもあの地震の時感じた奇妙な気持を感じたんだ。そして俺はお前の死の知らせを聞いてしばらくしてやはり同じような気持でいる自分を感じた。」
「俺にとって何人目かの死者であるお前。俺はまた残されたのか、などとは決して言わない。俺は何がどうあろうと生きてゆくさ。それは俺がすでに俺に定めた事なんだ。そう、俺は生き晒す。一度やめようと思ったことを又始めた人間にはそれしかないんだ。」

「今でも思い出すよ、誰だったかの小説で、外国へ行って帰って来るには三つの帰り方しかないという事を言っていたのを。ただ通り過ぎて帰って来る事、買物や知識を仕入れて帰って来る事、それにもうひとつは破産して帰って来る事というやつだった。お前なら俺がこの三つの内どのような帰り方をしたのか、言わなくてもわかるだろう。」



「非在へ向かう虚の穴」より:

「私にとってアルトとテナーは全く異種の楽器=道具なのだ。アルトは吹かれる時その高音域には悲痛さを低音域には白痴性を負っているのだ。そしてまるで悲痛さと白痴性を押し殺しつな渡りするようにして“音の現在”“サウンドの光景”を出してゆく。アルトの第一義の特性、それは脆弱さであり、ハンディキャップでもある。」

「アルト吹きは自己の現存在が脆弱で曖昧であることを知るようにして、アルトの脆弱さを負い、選ぶ他はない。悲痛さも白痴性も同時に乗り超えるようにしてアルトのサウンドを自分で選ばねばならないのだ。」



「異化のギター/「ジャズの崩壊」症候群」より:

「しかしそれがひとつの闘いであった事はまぎれもない。ジミ・ヘンドリックスはギターなるものへ全身的に攻撃的に向かった。そしてすべてを激化させ拡大し自爆したのだった。そして彼の過激はそのような性質のものだったのだ。
 彼の他の二人のロック・ギタリスト、リー・スティーヴンスもシド・バレットも本質的な意味でギター演奏の地獄で自滅していったミュージシャンだ。私はミュージシャンの演奏性と演奏に内在する闘いと思想においてしか演奏を聴かないし、だからこそ私にとってミュージシャンに本義的にはロックもジャズも区別はない。それはもしあるとすれば負っているものの違いでしかないのだ。」
「ジミが持続的な拡大され続ける暴力と狂気にのめり込んでいったとするなら、リーは一瞬の狂気に身を裂き続けて廃者の道を歩いたのだった。そしてこの破滅をもしミュージシャンの輝やかしい「自己破砕」と呼ばずしてなんというだろうか。私はジャズだけの歴史を決して信じないように又ロックだけの歴史も決して信じない。ドルフィやアイラーやジョゼッペ・ローガンが評されると同じところで又ジミやリーやそしてシドが評されない時、我々は「ジャンルの強制」を回避できないばかりか「ジャンルの強制」を自らの内に用意してしまい、音楽そのもの演奏者そのものの存在の歴史をついに見る事なく「制度の補完者」となってしまうだろう。」



「チャーリー・パーカーの呪詛と終末論」より:

「私は久しい間「最後の人」パーカー「最後のジャズメン」パーカーという観念をいだき続けてきた。というのはモダン・ジャズの出発点、バップの完成者としてのパーカーという考えにどこまでも反撥を感じ、むしろパーカーがジャズの終りをたったひとりで早々と体現し、ジャズを終えた人間だったのではないかと秘かに思い続けてきたからだ。」

「パーカーは何ひとつ安全なテクニックを持たなかった。それは彼が余りに純粋で非順応的だったからなのだ。生き残る術を身につけなかったからなのだ。
 テクニックの、行為の抽象化の懺悔者はむしろ我々の方なのだ。我々は今日を明日につなげる技術ばかりに熱中する。(中略)「即興演奏」というものが人間にとってどのように重要な課題なのかを、本当には誰も考えない。それはスタイルでも技術でも単に方法でもない。「即興演奏」とは「今を生き」「今において自分をとり戻す」「自分自身と出会う」ひとつのたとえようのない闘いであり、秘法なのだ等とは誰も考えない。」
「パーカーを誰も「直視」しようとはしない。自己保全の方法があまりに身についてしまっているからなのだ。」



「〈ジャズは死んだか?〉の制度性」より:

「我々は、これらの気分や心情や好みを超えたところで自己を見い出し現実をみるまなざしを持ち自分自身の固有性を見い出し、それぞれの固有性の中でしなやかに開かれ〈他者〉へ向い続けることによってしか〈制度〉を超えることは出来ない。或いは〈制度を無化〉することは出来ない。そして我々自身の内の〈制度〉とエゴイズムを乗り超える事は出来ない。」


「アナーキーな地平 デレク・ベイリーの示すもの」より:

「どうしてあのようにデレク・ベイリーは完全にスポンテイニァスで自在なのか? どうしてあのような即興そのものである即興演奏は可能なのだろうか? という問いは以来私の内から去ったことがない。それは考えれば考える程に私を失語の淵へさそうようなものとしてあり続けた。しかし一方では余りに自明な事としてもあったのだ。
 確かにデレクは人間はその人間の固有性そのものによって立つことによって様々なこだわりや形式から自由であればその人間の無限の可能性としてある、自己の固有性そのものであることによって限りなくのびやかにしなやかになる事から一切の可能性が生まれるということを示した。しかしこの事を論理的に語るには途方もない困難がつきまとってくる。私がそれらの示すものを〈未知のアナーキズム〉と語る時、私が語ろうとする事から離れてこのアナーキズムという言葉自体が一種の狭さと固苦しさを帯びてしまうからだ。しかし私にはデレク・ベイリーの示したありのままの可能性がやはり一切の否定を超えた無秩序主義や許された自由、でたらめさを離れた人間の存在の本質そのものとしてある〈アナーキー〉さであると信じている。そしてその〈アナーキー〉はおそらく〈アナーキズム〉をも超えてあるのびやかで自然なものなのだ。」

「〈アイデンティティ〉の問題にしても次にあげるデレクの語り口にひとつの明確な答え、態度があると思える。デレクはインタヴューの中で「ジャズやその他の問題について考えるにアイデンティティの問題は大きな影をさしているし或る種の危険さを有しているが、貴方は自らの現にやっている音楽とアイデンティティについてどのように考えるか?」という質問に対して次のように彼の態度を表明している。
 「私には無数のアイデンティティがあります。私にはそれを選択することが出来ないし、選択することが無意味だと思います。もし選択したとしても無数のアイデンティティの中からひとつのアイデンティティを選ぶことは決して厳密ではあり得ないし気分的なものにしかならないと思います。そしてひとつのアイデンティティを見い出しそれにこだわることは結局そのアイデンティティが連ねている文化や様式や形式や秩序を身につけることになってしまうと思います。
 「私は無数のアイデンティティにこだわらずに自由でありたいと思っています。私にはアイデンティティにこだわりひとつのフォームを身につける事が束縛にしか思えないのです。
 「それよりも私は現在を体験し自発的に行為することによって未来の新鮮な記憶の子供になりたいと思っています」」

「デレク・ベイリーの存る地平は彼の固有性によって開かれている。
 そしてそれはミュージシャン同士のより開かれた可能性の方へ明確に開かれている。
 彼が七五年に組織した「カムパニィ」はその事を確実に示している。
 この「即興演奏家のプール」とデレク自身が言っている「カムパニィ」程あらゆる意味においてグループ性や組織性を欠いたそれ自体自発性とスポンティニティに基礎を置いたグループは他にないだろう。」
「そしてこの「カムパニィ」はあらゆる素材や一切のリーダーシップなしに完全に即興のアンサムブルを生み出してゆく。それは常に自然発生的で即興そのものだ。一見アナーキーにもでたらめにも見えるこの「カムパニィ」の中に息づいているのは全くそれぞれに自らの固有性に(個性ではなく)根ざした即興演奏家達の自由そのものなのだ。」



高橋巌による「解説」より:

「本書の中で間章は何度も、人間はどこから生れて、どこへ行くかわからない、と書いているが、この人生の迷路の中で、私よりもおくれて生をうけ、そして先に去っていった彼の短い生涯が、今もなお私の導きの星としてあざやかに光輝いている。
 何という人生だったのか。彼のことを考える度に、そう繰り返さざるをえない。いつかそれと同じような思いを佐伯祐三の回顧展の会場でもったことがあった。最後の二年間の作品の中に現れている佐伯祐三の魂の灼熱は、間章の最後の二年間のどの文章からも受けとることのできる魂の灼熱と同質のものである。この二人ほど人生が地獄であり、廃墟であるという、当然でありながら、つい忘れてしまいがちになるもっとも基本的な認識を、深く、徹底して、しかも優しく、美しく語ることのできた人はめったにいない。しかも間章の場合、彼がフリー・ジャズを通して幻視したものは、神秘学の核心的な部分に通じていた。まったく信じられぬ程のスピードで、彼は最後の二年間に、時代のこの暗い底辺から光を求めて、認識の天空へ翔ぬけていった。あとにのこされた者は、重い足どりで、彼が通った道を、彼によってはじめてつけられた道を、のろのろと辿ってゆくばかりである。彼の朗らかな笑声が、優しい微笑がそういうわれわれの歩みに、今でもかけがえのないはげましを与えている。」
「間章がルドルフ・シュタイナーと出会ったのは、いつのことだったのか。(中略)私が彼と出会うことができたのも、それからそれ程後のことではなかったであろう。法政大学で、その時私は笠井叡と結んで、舞踏と講演のイヴェントを行ったが、その会場で彼に会ったのがはじめての出会いだったと思う。ギリシア正教の修道僧のような黒い服と大きな銀のペンダントが印象的だった。彼とはその後二度、鎌倉の自宅でゆっくり話し合う機会をもつことができた。その折にも彼は、「出会うものは出会う」という確信をもっている、と話してくれた。(中略)ヴァージン・レーベルで出はじめたタンジェリン・ドリームのことを話題にしたあとで、彼はモーツァルトについて、ハイデッガーについて、愛情をこめた話し方で話してくれた。その二度の来訪は大変強烈な印象を与えてくれたにも拘らず、手紙を往復させた他は、その後ふたたび会う機会を逸した。(中略)だから彼とシュタイナーとの出会いのいきさつはむしろ本書を通してはじめて具体的に辿ることができた。」
「「シュタイナーの『個体主義』はその深い意味において、どのように具体の『個』と具体の『他者』へ向かって開かれているのか。……私はこう思うのだ。……一方にシュタイナーがいて一方にブレヒトがい、シュタイナーのもう一方にハイデッガーがい、ブレヒトの一方に例えばヒットラーやナチズムがあり、ヒットラーやナチズムは又激しくブレヒトとハイデッガーとシュタイナーに向き合って存在するという事、その事が語るものこそ“この時代”の内景であり、それ自体が『秘儀』的な思想の場を有していると。……まさに霊と肉との『十字架』にかけられるようにしてこの『存在』の受苦と供犠にはりつけになりながら」(二三二―三頁)。
 間章とルドルフ・シュタイナーの出会いはまさにこの受苦と供犠の中で生じたにちがいない。彼が愛したシレジアの天使、アンゲルス・シレジウスの詩がこの場面を的確に描いている――、「ゴルゴダの十字架もお前を悪から救うことはできない。もしお前の中に十字架が立てられるのでなければ」(二三四頁)。
 救済の十字架が負性の十字架と重なる地点から「自我」の受難と光栄とがはじまることと、この人智学の核心的イデーを、間章はジャズを通して、たちどころに把握した。だからこそ自我における「死と再生」の秘儀を、彼は見事に言語化することができた。――「我々が今、成さなければならないのは、自我を『個』に高め、自己を『肉』に深化させる作業、そして『個』と『肉』がひとつの具体者において遭遇し、ひとつの場所を共有する時にそこにある『アナーキー』を見つめ生き、そこで引き裂かれんとして引き裂かれ得ないあらゆる『他』に還元され、又補完され得ない『個―性』の闇を見つめることである。その時この『アナーキー』と『闇』とは一個の『舞踏者』を生むだろう。……そしてその『アナーキズム』を基礎とし、又原理とする新たな『共同体』、新たな『連続性』を見い出さねばならない」(二三八―九頁)。
 人間の尊厳のための闘士としての間章はシュタイナーと出会い、その思想の核心を洞察したことによって、根本的な発想の転換を遂げた。(中略)それは一言でいえば、死と亡びを基礎とする抑圧の状況から、生と未知を基礎とする開かれた地平への転換であった。」
「このあとがきを書くために、何度か繰り返して本書のゲラに眼を通した。それでも間章の文章の重みと切実さとが私を不安にさせたので、ひとつひとつの文章をノートに書き写してみた。そしてあらためて筆をとってみても、間章について何かを書くことに、彼についての思いに特定の形式を与えることに大きなためらいを感じてしまう。ニーチェが夭折した美学者ハインリヒ・フォン・シュタインについて言ったように、彼は「本当に許し難く、若くしてこの世を去ってしまった」のだし、彼自身がたびたび述べているように、われわれは常に季節の迷路の中を旅しているのである。今の彼はおそらく高笑いを残しながら、別のはるかに高次の世界を旅しているにちがいない。」
























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間章 『僕はランチにでかける』

「本当に挫折し、身を持ちくずしたことのないものにさびしさもやさしさもありっこないし、生きてゆくことの確かさなんてありっこない。 だから僕は自信家や自分がこれまで勝ちつづけてきたと思いこんでいる人間を軽蔑している。彼らこそもっとも大きな人生の落伍者なんだ。」
(間章 「アナーキズム遊星群」 より)


間章 
『僕はランチにでかける 
〈ロック・エッセイ〉』

OAK BOOKS

柏書房
1992年10月8日初版第1刷発行
254p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,800円(1,748円)
装丁: 宇野亜喜良



間章(あいだ・あきら)の没後刊行評論集。
本文中図版(モノクロ)多数。


間章 僕はランチにでかける01


帯裏:

「ロック・エッセイに登場するアーティストたち
ビートルズ
ローリング・ストーンズ
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
マーク・ボラン
パティ・スミス
テレヴィジョン
ラモーンズ
ハート・ブレイカーズ
アラン・パーソンズ・プロジェクト
タンジェリン・ドリーム
アモン・デュール
カン
ブルー・チアー
作家ウィリアム・バロウズ 他」



目次 (初出):

なしくずしの共和国 (「ローリング・ストーン」 1975年5月号)
ビートルズ映画について (「ライト・ミュージック」 1974年10月号)
アトニー現象としての音楽共感文化の闇へむけて (「音楽之友」 1972年9月号)
ドイツにおけるロックの未分化な発現への視座 (「Zoo」 1976年3月号、5月号、10月号)
ローリング・ストーンズにおけるブライアンとその影 (「Zoo」 1976年3月号)
ロックの異化から異化のロックへ (「Zoo」 1976年5月号)
ニューヨーク地下王国の夏そして白夜 (「Zoo」 1976年8月号)
怪奇と幻想の物語・異説 (「Zoo」 1976年10月号)
パンク・ロック論のための覚書 (「Zoo」 1977年1月号)
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド試論 (「Zoo」 1977年3月号)
アナーキズム遊星群 (「ロック・マガジン」 1978年10月号、11月号、12月号、1979年1月号)

初出一覧
何を求めたのだろうか (村上龍)
アーティスト・プロフィール
年譜



間章 僕はランチにでかける02



◆本書より◆


「なしくずしの共和国」より:

「例えば長くゆるやかな見知らぬ季節の回廊をめぐり、どのような移動感覚からも違和感からも離れて、時のまにまに行きつき、そしてまた通りすぎたこの〈場所〉を私はなんと名づけよう。さまざまな予感、めくるめく受感の風に吹かれ、私がいるところ、そこでは私はついに何者でもなく、ただあてどもない私のあらゆるゆらめきと反映のなかにあって、さだかならぬ囚われのなかにあり、途方もない明示と未明のなかで、さらにきれぎれの破片のうちに身をかがみこませ、記憶の地平にただ白痴のように見入りながら、たった一つの言葉にさえもたどりつけないでいる。
 吹いてくる言葉の海、白痴のようにただひろまってゆく観念のすそ野、あらゆる光景、あらゆる音のなかにあって、私はふと最初の一行から無限に遠ざかってしまう。めくるめく意識の始まり。
 私は……と弱く発語しようとするそのとき、私のあらゆる時制をからめとってしまう、慰安にも似た暴力がある瞬間は私の喉を湿った円筒のように虚ろにしてしまう。そしてただかろうじて私のいるこの〈場所〉だけが、私自身を見知らぬ者として無関心に放置しようとする。ゆえ知らぬ未明のなかへ。
 最初の言葉、最初の一行が、あてどもなく脱落し、私のまわりのあらゆるものが、くずれ落ちる書割のように脱落し、あらゆる光景から脱けでて私は、ゆるやかなゆるやかな脱落のさまだけを目撃している。そして私はどこにあっても旅人でも異邦人でも、記憶喪失者でもなかったように、一個の私ですら始まりもせず終りもせずに、ただかすかな寒さのなかに〈私〉を覚めつづけているだけだ。
 たどりつくもの、それはいつも〈冬〉であった。そして始まってしまった始まり、それもいつも〈冬〉だった。
 私はただ〈寒さ〉のなかにかろうじて〈私〉の位置を感じ、そして〈寒さ〉をとおして〈私〉へと持続してゆく。例えばそのとき、ただ〈寒さ〉それだけがあらゆる時のさなかにあって私を名指し、いまわしさのなかへと、現前のはてなさのなかへと、私を保持させてゆく……。」

「その日の午後買った英字新聞に、「サルトルがバーダー・マインホフと会見」という見出しを見つける。すでに一年あまりの監禁に服させられている西ドイツの赤軍と呼ばれるバーダー・マインホフにサルトルが特別に会見を許され、質問状による幾つかの質問を行ったが、マインホフの三人は抵抗のための絶食と独房と取調べを通じた完全な沈黙により、発言を許されても痴呆か記憶喪失者のごとくうわごとのようなつぶやきをくり返すだけで、どうも脳に障害が出てきたらしく、サルトルの質問に一つとして答えられなかったというのが、その内容であった。ドイツの最初の日、この記事を目にし読んだことは何か象徴的に思えた。例えば、バーダー・マインホフのおのおのが西ドイツ政府の尋問に全的に拒否の姿勢を貫くということがこの場合、彼らによって自覚的、意志的な自己の頭脳破壊つまり知性解体としてとらえられたのかもしれないという可能性が予感されたからであるし、意志の力をとおして黙秘しつづけるという戦術を超えた、また自決し死を選ぶという戦術を超えた、新しい位相においての抵抗の地平がうかがい知れたからである。敵の体制は常に全的であるし、死も断念も許されないものとしてある以上、それに根底的に抗することはこちらの意志のバネを通じた飛び越え、こちらの新しい知の形、あるときは狂気の創造、自己破壊、知能錯乱が用意されねばならないということが浮かびあがってくるからなのである。向こう側の、つまり敵の用意する狂気に対峙する、こちら側の知、または狂気、このことはおぼろげに、そして遠くはあるが現存の音楽や芸術総体をとりまく状況と深く抵触してゆく。つまり現前を支え、それを補完させてゆく無関心=アパティアと、それに対してゆく創造的な無関心=ニル・アドミラリとの対決という事柄が立ち現れてくるからなのだ。無限の許容と無限の抑圧を有する体制と、それをなし支えてゆく無関心はすべての具体的指標、具体的認識、具体的方針、具体的発言をからめとって肥大してゆくものである以上、すべての異端とか辺境とかの、もう一つの、別の、アンダーグラウンド(地下)のという言葉でくくられてゆく領域なり、それが指し示し目指そうとするものは、体制と反体制、異端と正統といったさまざまな二元的思考の貧困さのそのまさにただなかで包囲され、なしくずしにされ、あるいは自死し、あるいは体制なるものに組み込まれ光を当てられ、あるいはそれ相当の存続可能な場所を与えられてしまい、色あせ消え入ってゆく運命をしか持たないものなのだ。」



「ドイツにおけるロックの未分化な発現への視差」より:

「〈カオス〉からの超出とは、〈カオス〉を秩序化することではない。〈カオス〉を法則化し、〈カオス〉をエネルギーとするということでもない。それは〈カオス〉からまったく新たな地平を創出し再生することなのだ。〈カオス〉のなかで一度死に絶え、そこからまた新たに始まろうとすることなのだ。というより、何よりも〈カオス〉のなかで自己破壊と自己発見を同時に見つめ、あらゆる関係と制度の変容を戦略的に用意することなのだ。だから自己破壊者はどこまでも自己に客観的で冷静でなくてはならないし、狂うためにはどこまでも覚めつづけなければならない。〈カオス〉の超出とは〈カオス〉を否定することではない、それを破棄することではない。それは〈カオス〉外のものを〈カオス〉へ巻き込むこと、〈カオス〉ならぬものを〈カオス〉化してゆくことなのだ。さらに言おう、〈カオス〉からの超出とは〈カオス〉から出てゆくことではない。〈カオス〉のなかにこそ入口と進路を見いだすことなのだ。そのことによって〈カオス〉とそうでないものとのあいだに有機的な回路と運動的相関関係を築くことなのだ。」
「アヴァンギャルドの時代は終った、というのは簡単だ。しかしそうではない、形式的なアヴァンギャルドの時代がまずは終ったのだ。そしてそれとともに、形式的なファッション的なインテリ的なアヴァンギャルド・ミュージシャンがほうむり去られるだろうということにおいては喜ばしいことだと言ってもいい。」
「「ロックンロールは有毒だ」とかつてルー・リードはいった。有毒でないロックや音楽があるだろうか。もしそんなものがあるとしたら体制のもの、われわれを押し殺し、すり切らせるためのものでしかないはずだ。あらゆるものが有毒であり、破壊的でなければならない。創造とか解放というのは毒や暴力がわれわれのものであり、われわれにとって闘いや目覚めの武器や方法であるときだけ、その毒や暴力によって生み出させるものにほかならないのだ。それをポエジーと名づけようがニヒリズムと名づけようがロックと名づけようが、そんなことはたいしたことじゃない。われわれは名づけるよりも前にそれを使うだろう。それが有毒か有効かどうかは、われわれの傷の深さと、困難さの質によってはかられるだろう。われわれはわれわれの快楽や娯楽の質と構造を変えなくてはならない。無関心の質を、感性の在り方を変えねばならない。それがわれわれにとっての〈カオス〉超出のひとつの手がかりであり、われわれがロックへ指し向ける創造的な悪意、破壊的な愛着となるものだからなのだ。すべての〈安全〉と〈健康〉と〈秩序〉に毒を、死を注射しよう。」



「ニューヨーク地下王国の夏そして白夜」より:

「バロウズはそのジャックス・バーという店のすみで、テキーラのソーダ割りのようなものを飲んでいた。(中略)僕の「ドラッグ体験が人間の解放へつながる道はどのようにしてあり、どのようにしてわれわれは抑圧との戦いを個的にも、社会的にも推し進めることが可能なのか」という質問をすると、彼はつぎのように答えた。
 「私はもう四十年近くヘロインをやっている。止めたつもりはない。私はかつてすべての人間はジャンキーなのだし、またジャンキーになるべきだと言ったことがある。つまりこういうことが言いたかったのです。宗教や生活そのものに中毒しているジャンキーよりも麻薬のジャンキーのほうが人間的なのだし、より自由なのだと。麻薬はわれわれの甘っちょろいヒロイズムや夢や論理を打ちくだき、肉体とは、生きるとはどんなことなのかを教えてくれるのです。十年前の私と現在の私とは幾分変わっていますが、人間はジャンキーになったときこそ、そのぬかるみのなかで真の人間の自由を知るのです。(略)そしてすべてのドラッグ体験はわれわれがそこに押し込められている〈自我〉をこわし、ふみつけにすることを意味しているのです。私はありとあらゆるドラッグをやりましたが、それはそのことについて醒めるためでもあるのです。ジャンキーであればあるほど、禁欲的でモラリストでなければならないという逆説をあなたは信じますか。ジャンキーであること、それ自体がすべてとの戦いでもあるのです。そしてジャンキーは自分が孤独であるということをごまかしも隠しもできない人間なのです。二億人のアメリカ人がすべてジャンキーになったとき、戦争はおきないでしょうし、また差別を止めるでしょう。もっと具体的なことを言いましょう。〈自我〉との戦いなくして、社会は変革できないし、社会との暴力的対決なくして〈自我〉は変革できないということです。われわれは社会そのものをジャンキーにすることを考えねばなりません。ヘロインが害毒だという宣伝はまちがっています。そういう人こそが社会にとって害毒なのです。ジャンキーになったこともなくてヘロインを止めろなどと人に言えないはずですから。ジャンキーは死と狂気とともに生活しています。オーヴァーな量を打てば死ぬし、方法をまちがえば狂うこともあるからです。しかし、ジャンキーは決してそのまま敗北者なのではありません。回数を守り、量を守りという細心の注意を払うことに敗(ま)けたものだけが、その場合、敗北したといえるかもしれませんが。社会に同調した進歩主義者や、順応主義者や右翼にくらべたら、とるに足らない敗北です。麻薬を止めさせろという右翼こそが真の敗け犬なのだし、社会の中毒者なのです」」
「彼はまたつぎのようにも言った。「誰も麻薬を止めさせたりできないさ。売春も同性愛も。それが人間の自由の形なんだ。もしそれで人間が亡びたっていいじゃないか。原子爆弾で亡びるよりはずっといいんじゃないのか。最下層の人間たちのヒューマンさを知らない人間が、平等を与えるとか言うのさ。人間が平等だって、そんなことあるもんか。平等主義こそが差別主義だし、エリートの思想なんだ。(中略)ノーマルな人間なんてどこにいる。ホワイトハウスのやつらか。(中略)そうじゃないんだ。生きていること自体が毒だし、ライフ自体がアブノーマルじゃないか。われわれの本当に生き残るべき理由も知らないくせに、生き残り、支配することを考えるやつらこそ殺さなければならない。正義なんか持たないことだ、理想なんか持たないことだ、正義なんてあるはずがない。夢を決して持たないためにはジャンキーでなければならないのだ」」



「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド試論」より:

「夜が続いている。しかし一度だって本当に朝が訪れたことなんてあったのだろうか。
 ただ夜だけが続いてきた。その夜の底を伝わってすべての秘かなことが受け入れられ、そして持続されてきた。
 ありとあらゆる殺意が、愛が、残酷が、あわれみが、生成が、亡びが、憎悪が、やさしさがその夜のなかを生きてきた者たちによって〈今〉と〈ここ〉へまで渡ってきたのだった。(中略)地上の自我と制度に呪縛され、アドレッセンスと終末にとらわれてきた夜に潜む者。誰よりもやさしさと悪について、愛と亡びについて知っている夜に潜む者たち。お前たちは肉体と感性によって、そしてイマジネールと個体意識によって、言葉と情動によって十字架にかけられた〈夜の子供たち〉だ。
 物質としての肉と、アストラルとしてのサンチマンにひき裂かれ、はりつけにされた〈夜の子供たち〉〈無秩序(アナーキー)の子供たち〉だ。
 お前たちはいつも亡びとともにあった。そしてそれゆえにこそどこからも遠く、この人類の先端と底にあった。
 「現にあるものそれはすべて廃墟にすぎない」
 このことの深い意味をお前たちは誰よりも知っていた。
 「この世のあらゆるものは地獄のさなかなる果てしない地獄の旅の途中である」
 このことについてお前たちは誰よりも身をもってそれを知っていた。
 そしてお前たちは言ったのだ。「いつわりの救済よりは亡びを」「現(うつ)しに建てられるあらゆる殿堂よりは、この廃墟を」と。
 そうなのだ、お前たちは〈亡びの子供たち〉でもあったし〈廃墟の子供たち〉でもあった。
 肉と精神と霊性のことごとくにおいて分離したこの地上では、そしてお前たちこそが誰よりも醒(さ)めた者たちだったのだ。」
「人が太陽や花や生の営みに目つぶしされている以上に、お前たちはデカダンスと狂気と死とともに生きている、決して同化できないながらも。そして本当は逆説的な意味でお前たちこそが誰よりも太陽や花や生の営みの本質を知っているのだ。
 ただ今は〈夜〉がある。〈夜〉だけがある。
 〈寒さ〉と〈飢え〉と〈狂気〉とともに。あらゆる〈自虐〉と〈サディズム〉、限りなくやさしさと同質の〈暴力〉そして〈ドープ〉とともに。
 お前たちはそして常に〈もう一滴の毒〉を飲みつづけ、〈もうひとかけらの破壊への愛〉を抱きつづけ、〈さらに微(かす)かな狂気と悪意〉をかかえてこの生の〈荒野〉をこの実存の〈迷路〉を生きてゆく。
 私はそのお前たちの〈夜〉に与(くみ)する。
 お前たちの凶々しさと孤独と狂気に与する。というのは私は決して〈日常生活のジャンキー〉や〈制度の犬〉や〈健全な生活を生きる敗残者〉〈幸福と平和の奴隷〉〈権力のシステムの一部としての安全な生活者〉の側に与しないからだ。私はお前たちの毒と亡びと悪意に、この地上のとらわれから本当の形で脱する可能性の一部をかけるからなのだ。お前たちの〈夜〉のなかにこそ、真の闘いの地平があると信ずるし、闘いの入口と出口とその過程があると信ずるからだ。というより私はここで告白しよう。私自身もより多くお前たちの〈夜〉のなかへ身をひたしているし、その〈夜〉のアナーキーとテロルから真のアナーキズムとテロリズムを導き出そうとしているからなのだ。
 しかしお前たちが現にいるところの夜はまだ今は本当の〈夜〉にとっての〈長い前夜〉にすぎない。お前たちはあらゆる負性を負っているのだ。お前たちの無関心と迷いと血と傷のなかからしか何も生まれないとしても、しかしお前たちはこの現実と現世、地上の圧制のまだ皮相なアンチ・テーゼと逆理と反逆の位相にいるだけだからなのだ。あらゆる〈夜の子供たち〉よ、〈異形の者たち(フリークス)〉よ、まだ夜の底へ堕ちてゆけ。まだ毒の海へ入ってゆけ。まだ狂気と亡びへ降りてゆけ。お前たちが風化してゆかないためには、制度にくるまれないためには、秩序が与える〈なしくずし〉からのがれるためには、静止と固定と形式からのがれるためにはそれが必要なのだ。本当の地獄を探せ。本当の廃墟へ向かえ。お前たちの〈夜〉はありとあらゆる意味で忌(いま)わしく狂おしくなければならない。そのためには最後の夢さえもしめ殺してゆかなくてはならないのだ。」



「アナーキズム遊星群」より:

「私はアナーキストこそを見いだしてゆくだろう。もはや制度や思想の一切を超えたアナーキストたちを。これからはアナーキストを探しだすために旅に出る。そしてその旅の果てに私こそひとりのアナーキストになるために。」
「スーサイドをニューヨークで聴いた夜、私は彼らとの出会いの喜びのあまり、したたかにやりすぎた。そして一時的に眼が見えなくなってしまった。そして闇のなかでぼんやりと思ったものだ。「ニューヨークは巨大でにぎやかな廃墟だ。私はその廃墟のなかで未知の〈夜の子供だち〉と会うだろう。彼らがどのように凶々しく、どのように邪悪であろうとも、どのように退廃的であろうとも、彼らこそが真に生きている者たちだ。なぜなら彼らこそ痛みとやさしさをもっともよく知っている者たちだからだ。そして今後は失うべきものなど何もない」
 それは決意ではない私の覚めだった。決意などバカげている。
 そして私は私のなかですべてが終る日まで書きつづけてゆくだろう。たぶん私が〈廃墟〉そのものになる日まで。(中略)それは〈廃墟〉であって決して死ではない。先にあげたシオランはまた次のようにも言っている。「自殺について語るとき、私はかつて一度も、大いなる敬意を払わずには口を開いたことがありません。もし自殺というイデーが存在しなかったとしたら、私は完全に絶望していたことでしょう。このイデーは想像されるような閉じられたものではありません。すべてに向かって開かれた何ものかなのです」「自殺という観念はいわば私の補助者であり、この観念のおかげで私は今まで生きてこられたのです」
 ここでシオランが語ろうとしているところが廃墟への出発点ではないかと私には思われる。スーサイドはすばらしい。何ものでもないことによって輝かしい。その輝かしさは今の世にあってはかけがえのないものに思える、絶望的に。パティ・スミスは三度聴いた。彼女は痛みを知ることによってやさしくなりえた女だ。だが決してこのスーサイドのようには輝かしくはない。」

「二年ほど前にニューヨークでウィリアム・バロウズと会った。会った瞬間に僕は分かった。この男は本当に地獄を生きて通りぬけてきた男だと。もう老人なのだが、その顔はどこまでも静かでやさしく、その影にこの上ない孤独さとある凄惨さを潜めていた。このウィリアム・バロウズは僕の知っている本当のアナーキストのひとりだ。デレク・ベイリーがそうであるように。彼はバロウズ計算器の社長の家柄に生まれて、それらの一切を捨て、そしてジャンキー=麻薬中毒者になった。この人ほど徹底的にジャンキーだった人はいないのではないかと思う。(中略)ニューヨークで会ったとき、バロウズは話のなかで言ったものだ。「ヘロインのジャンキーは本当にはジャンキーではない。彼らこそ痛みとやさしさとを知っているナイーヴでデリケートな人間たちだからだ。本当のジャンキーとは日常生活や家庭生活や社会のジャンキーたちだ。日常や家庭や結婚や社会の秩序を信じて、そのなかに安全であると信じて生きている人たち。彼らこそがジャンキー=中毒者なんだ」」

「今生きつづけている人が何人いるだろうか? どの街もどの通りも世界じゅう生きている死人たちで満ち満ちている。本当のやさしさとも亡びともついに無縁の人たちで満ち満ちているのだ。
 本当に生きつづけてゆくのは、単に生きてゆくことよりずっとむずかしい。だってちょっとでも気をぬけばもう〈なしくずし〉が待っているのだから。自らの地獄を直視し闘ってゆくものしか本当には生きてゆけないのだ。そして戦士には休息なんてありっこないし、ましてや永久革命者の悲哀なんてありっこない。
 本当に挫折し、身を持ちくずしたことのないものにさびしさもやさしさもありっこないし、生きてゆくことの確かさなんてありっこない。 だから僕は自信家や自分がこれまで勝ちつづけてきたと思いこんでいる人間を軽蔑している。彼らこそもっとも大きな人生の落伍者なんだ。」

「僕はちょっとランチに出かける。
 それは闘いながら死んでいった者たちとまだ闘いつづけている者たちとの会食だ。
 世界で一番強い酒でもさげてゆくか。多分それは水だろう。
 きっと笑い声に満ちていて楽しいだろう。
 だって地獄ほど楽しいところはまたとないのだから。やさしさのあるところには必ず亡びがある。そしてさらに言っておこう。亡びのない闘いはない。僕はその果てへこそ向かおうとしている。だがその前にちょっとランチへ出かける。このランチには遅れるわけにはいかないのだ。」

「ルー・リードはこの世の最高のミュージシャンの一人だ。(中略)そして何より彼が素晴らしいのはあの『Metal Machine Music』を生み出したからだ。」
「『Metal Machine Music』は断じて実験ではない。それは現代の霊のある際立ったところによってロックが生みだしえた現代の霊的な音楽なのだ。もちろんこの音楽が持つ毒と危険さを知った上で、私はロックがルー・リードという存在を経てひとつの霊的な次元にたどり着いたのだということをはっきり受感した。アナーキーといえばこれほどアナーキーな音楽はない。このアナーキーはしかし逆理的に豊かな反映としてあるのだ。現代の孤独な人間の迷える魂とそれゆえに開かれた窓の……。人びとは二十年後に初めてこの『Metal Machine Music』の示す重要な意味について知るだろう。この悪い時代、ブライアン・イーノやディーヴォというフェイクの時代、私にはルー・リードこそひとつの闇めいた光に思える。(中略)ルー・リードは誰よりも遠いところへいった。誰よりもアナーキー、それが生きることの本質であり、愛することの本質であるということを知る深いところまでいった。孤独な魂は救いうるか? という人間の永遠の問いにルーは身をもってひとつの可能性を開いたのだ。たとえば〈自分自身を見つめ、自分自身と出会うことによってあらゆる地獄を誠実に生きそして超えることによって、自己は非人称の愛によって救われる〉、そしてそれは〈自分をあるがままに自らの固有性において高めることによってのみ可能である〉という方位において。(略)やさしさはすべてではない。自我によって守られている限りは。人は一生を通した自分の経験をけんめいに生きることによってしか何ものにも達しえない。一生が修行なのだ。そして愛すること以外に何があろうか。
 そして本当に wild side を歩いてきた人間以外に。」
「めくらがいる。めくらの音楽で満ちあふれているこの世にあって、ルーは本当に貴重な存在である。そのことを知っている者だけが今は僕の仲間だと思う一日がある。
 とてもつらく、とても幸せな日々が続いている。何度か自殺の誘惑にかられた。
 そしてそのたびに生きていることの大切さと喜びをかみしめるのだ。
 もう今はこれ以上書けない。この先には空白がくるでしょう。しかしその空白は空虚さとは違う、あらゆるものに満ちあらゆるものがせめぎあう充満の空白なのだ。Step out!
 夜は明けそうかい? ワンワン。」



間章 僕はランチにでかける03




















































































間章 『この旅には終りはない』

「いつだって悪くない時代なんてなかった。闘いが困難でなかったときなんてなかった。それゆえに私たちの可能性がためされているのです。」
(スティーヴ・レイシー)


間章 
『この旅には終りはない 
〈ジャズ・エッセイ〉』

OAK BOOKS

柏書房
1992年10月8日初版第1刷発行
219p アーティスト&ディスコグラフィー9p 著者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,800円(本体1,748円)
装丁: 宇野亜喜良



間章(あいだ・あきら)の没後刊行評論集。本書は1970年代に間章が自ら招聘してコンサートとレコーディングをプロデュースしたソプラノ・サックスのスティーヴ・レイシー、パーカッションのミルフォード・グレイヴス、ギターのデレク・ベイリーとの対話の記録です。
解説は作家の辻邦生。間章は立教大学仏文科で辻の指導を受けた(中退。未発表卒論は「ジョルジュ・バタイユとイニシアション」)。

本文中図版(モノクロ)多数。


間章 この旅には終りはない01


帯文:

「創刊 オーク・ブックス
間章(あいだ・あきら)を知らなければ
ジャズは語れない
彼(間章)の文章ほど、生きることに勇気を与え、生きることを愛さずにはいられなくするものはない。 辻邦生(解説より)」



目次:

スティーヴ・レイシーとの対話――その六つの〈時〉と〈場所〉
 1 チトン通り(レイシー宅)にて――一九七六年六月二日
 2 チトン通り(レイシー宅)にて――一九七六年六月三日
 3 チトン通り(レイシー宅)にて――一九七四年三月二十二日
 4 モンパルナス通りにて――一九七四年十月二十一日
 5 京都のホテルにて――一九七五年六月十六日
 6 オペラ通りにて――一九七六年六月五日

ミルフォード・グレイヴス・コレクティヴ
 1 より明確な〈生〉のためのドラムとその基礎
 2 スポンティニアスな音楽と開かれた人間の関係へ
 3 〈ミルフォード・グレイヴス論〉覚書

デレク・ベイリーの方位へ――即興演奏の新しい地平
 未知のアナーキスト、デレク・ベイリー
 開かれた自発的で固有な音楽の地平へ向けて
 ダウンズ・ロード(ベイリー宅)にて――一九七七年三月二十五日
 ダウンズ・ロード(ベイリー宅)にて――一九七八年三月二日)

初出一覧
間章――ある目覚めた場所へ (辻邦生)
アーティスト&ディスコグラフィー



初出:

スティーヴ・レイシーとの対話 (「ジャズ・マガジン」 1977年2・3月合併号、4月号、78年4月号)
ミルフォード・グレイヴス・コレクティヴ (「ジャズ・マガジン」 1977年8月号、10月号、11月号)
デレク・ベイリーの方位へ (「モルグ」 創刊準備号 1978年4月)


間章 この旅には終りはない02



◆本書より◆


「スティーヴ・レイシーとの対話――その六つの〈時〉と〈場所〉」より:

「私がスティーヴ・レイシーとはじめて会ったのは一九七〇年の冬だった。」
「その頃の私は自分のなかから、自分のまわりからジャズにまつわるものの一切を埋葬しようとしていたのだった。」
「七〇年の冬のはじめ私は単身ヨーロッパへ向かって旅立った。やがてパリに住むようになった私は、激しい憎悪に身を引き裂かれるようにして押し黙りながら部屋にこもってさまざまの想念を追いもとめ、自分の内なる荒野をさ迷いつづけていた。一切の光がなかった。私は深く自己の虚無的な〈密室〉のなかに閉じようとしている自分を感じつつも、そしてそこから脱け出ようとしながらも、どうにもそこから逃れえないままに〈過激な無関心〉にとりつくされようとしていた。
 そんなある日、どうしたきっかけなのか今でははっきり思い出せないが、スティーヴ・レイシーのコンサートへ行ったのだった。(中略)その日の夜、コンサートが終ってからレイシーは一人残った私を見つけて互いに自己紹介して、私たちは近くのカフェで話し合った。
 その日からだ、私には他に誰一人いなくても、またあらゆるジャズメンが日和(ひよ)っても脱落しても、少なくともレイシーがいる、ここに私よりも厳しい困難と必死に闘いながら音楽への闘いをさらに闘い、探究しつづける男レイシーがいる、私だけが闘いを止め、私のうちでジャズを解消しても埋葬してもならないのだ、という覚(さ)めが私のなかにしっかりと根づいたのは。」

A(間) 最初にベイリーと会ったときはあなたがいましたね。というより、私があなたと会いにサラヴァへ行ったらベイリーがいたのでした。そのとき少し彼と話しましたが、とてもすごい人です。恐ろしいくらい、精神的に強い人ですね。私は忘れられないんですが、「あなたを即興演奏家として尊敬しています、会えて光栄に思っています」と言ったら彼は、「とってもありがとう、そうですね、それは地獄みたいなもの(It is like a hell.)、即興というのは、地獄のようなものですから」と言いました。
L(レイシー) 覚えているよ。そしたら君は言ったじゃないか、「そうですか、確かにあなたは地獄にいる(Yes, sure you are.)」って(笑)。
A ずっと思っているんです、彼を日本へどうしても呼ばなくてはと。
L そうすべきだ、誰をさておいても彼を呼ぶべきだと思います。
A あなたの来日公演で、私がへたなこともあってか四千ドル(百二十万円)も赤字=借金を作ってしまいましたので、なかなかつぎが呼べません。借金を返すめども立ちません。
L なんと言っていいか(笑)。
A でも近々ぜひ実現します。しかし今、私は彼(デレク・ベイリー)とミルフォード・グレイヴスと、どちらを先に日本に呼ぼうか迷っているんです。ミルフォードにニューヨークで会って、彼こそぜひ日本に来てもらって多くのミュージシャンに知ってもらいたい存在だと思ったんです。」

L (中略)君も知っているように、私のすべての曲は誰かある特定の人に捧げられています。そのなかにはミュージシャンや画家や詩人や思想家それに友人などがいます。私は敬意を持ってそれらの人びとが一生かけて作業した仕事の全体へ、その一曲を持って向かいたいと思い、演奏するのです。」
「ひとつの曲はたいてい一年か二年かけて練習しながら曲として生まれます。私はそれをやはり一年くらいかけてさまざまな方法でまた練習します。曲といっても、とてもシンプルなのはご存知でしょう。いつもそれはシンプルなラインで、全体的なコンクリートなものではなくてむしろプラスチック(可変的)なものです。その曲からありとあらゆる潜在性や可能性を導き出そうとするのです。重要なことはこれらのことすべてが―ある具体的な実現をクラシック・ミュージックのように目指されるのではなく――即興演奏のために即興の追求のためになされるのだということです。それは即興の厳密化と自由さについての私の作業なのです。即興に自覚的になるための方法なのです。
 それはいわば私がそのきっかけをセロニアス・モンクから学んで、私なりに発展させていった方法なのです。」
「大きく言って二つの方法があると思うのです。即興によって無に達し、そこから何かトータルなものを逆に浮かびあがらせるという、即興へ身を投げかける方法です。それはいってみれば大海を泳ぎわたる泳ぎの名手のようなものです。この方法では私はかつてのソニー・ロリンズや現在のデレク・ベイリーをあげないわけにはいきません。それともう一つは、組織的、方法論的な即興の追求で、即興を方法的に作業づけ、即興と非即興のあいだに厳格な道をもうけ、聞く方法です。気ままさや偶然を排して、即興の向こう側まで泳ぎ渡ろうとする試みです。私の方法はどちらかといえばこのほうです。私は即興の決して見えない向こう側へ、即興のただなかから達したいという気持があるのです。」

L 誰だって偶然にすべてをまかせることなどできません。そうすると私には自由についてもう一度考え直してみる必要ができたんです。
 それはある状態ではなくて過程(プロセス)ではないのかと。私は今、自由であることの根拠が知りたいと思っています。なぜ人は自由であるべきかと。自由への道と方法が知りたいのです。〈ポスト・フリー〉というのは許された自由の状態からの脱出と反省です。フリーについて自覚的にあらゆることを学ぶことです。様式としてのフリー・ジャズ、ムーヴメントとしての現象のフリー・ジャズから客観的に身を引き離し、真のフリーとは何かと問いつづけることです。フリーを夢や熱狂から現実に引きもどし、もう一度省(かえり)み、それへ自覚的な方法をとおして具体的に向かうことです。
 一方的な恋から理解を持った愛へ向かうことです。」
L 私にとってもあなたに巡り会えたのはとても重要でした。見も知らぬところからあなたのような人が現われるとは全然思っていませんでした。
A 私はとてもまだまだだめです。今は分からなさの形が分かりつつあり、作業の場所が分かりつつあるだけです。いずれ本当の作業としての文章化、思惟の具体化をすると思いますが、まだ何年間かかかるでしょう。
 時はそう残されていません。時が残されているのは敵と体制のためですから。
L いつだってそうです。いつだって私たちはよりよき門口に立っていて、一歩づつ歩みはじめるだけです。
 前にも言いましたように、私は〈彼方〉(au-delà, out there)へ向かって現実的な闘いと具体的な歩みを進めるのです。一度だってそこに達したことなんてありません。だからこそ作業が、仕事(メチエ)が重要なんです。あらゆるところに罠があり、あらゆるところにいつわりの〈安息〉があります。
A 私はあらゆる集中力を払ってあなたと、あなたの作業を見つめます。それは私のひとつの使命なのです。
L 私たちは見つめることを知り、見つめる他者を知ることによってかろうじて発展し、前進できるのです。
A 時代はそして悪い方向にますます向かっています。
L いつだって悪くない時代なんてなかった。闘いが困難でなかったときなんてなかった。それゆえに私たちの可能性がためされているのです。
A そのとおりだと思います。そして、一切の可能性が闘い以前にはないのだと思います。」

L もし演奏がその演奏者の何かの披瀝にとどまるのであったら、演奏の作業や演奏の在り方の問題は、もっと単純で機能的な事柄に属するでしょう。演奏者の困難さの次元が違うと思います。過去において―恐らく十九世紀の終りから今世紀の二〇年代くらいまででしょうが―ジャズがある共通のコミュニティとそうしたコミュニティへの幻想を基盤としていた時期、そしてジャズがジャズであることを誰も認めることができ、そうしたことを容認させうる共通の文化的アイデンティティにひびがなかったとき、それは可能であったかもしれません。
 つまり疑いもなく共通のコンテクストの上で語るという語法がです。今や即興演奏はそうした共通なコンテクストの上での語法ではありえません。誰もが分裂したものを抱えているのです。そしてそれぞれが自己のコンテクストを組織し、そして文法も語法も自ら生み出さなくてはならなくなってきてさえいるのです。
 我々はもはやある確たるコミュニティに自己が属するという幻想すら持ちえませんし、そうしたコミュニティやコンテクストを確信することなど、ましてできないのです。」
L (中略)演奏者は一人なのです。シングル・ヴォイスしか持ちあわせていませんし、それを持続しなければいけません。一度に二つの声で二つの別のことを語るのは私には無責任に思います。(中略)演奏者は一人でありつづけます。そこにとても重要な意味があります。シングル・ヴォイス、シングル・ラインとして行為はあり、しかもさまざまに集中と分裂を反映し、創造と破壊のような対極的な局面を反映させ、主観と客観を反映させ、巻き込みながら行為は持続しなくてはなりません。
A まるで行為と意識の、二つの異なるものの相反する志向と局面に、十字架にかけられるように……。
L 十字架ですか。そうですね。決してパセティックなものではないけれど、そうですね。
A まさに試練の道です。人間の可能性と真の実現に向けての闘いです。
L あくまで一つの声で、そうしたことを含みながらそのテンションのなかで行為しなくてはならないのです。(中略)それ(ソロ演奏)はまるで一本の見えないワイヤーの上での綱渡りです。不注意になるとすぐ落ちてとり返しがつきません。」
L でも新しいことなんて何もない。それは単に形式的な見せかけにすぎないんです。作業性の在り方の新しい位相といったものならあるけど。でも私は黒人、白人、インカ人を問わない何千年の影響のなかにあるのです。何千年いや何万年かもしれない。私は音楽では何ひとつ所有していない。一人の個としての私だけの在り方や作業はあるけれど、私だけの音楽というのはありません。私のなかにさまざまな何千年、何万年の音楽がこだましているのです。本当につらい時期に私はそのことを深く学びました。無数の人びとが私を支えてkるえたのです。作家、アーチスト、プレイヤーとして多くの名前さえ知らぬ人びとが。それゆえにこそ私は私の個の方法にも、個であることの厳しさも逆に知ったのです。確かに私の行っているのは個的な作業、誰もそれを助けることのできない自分の作業ですが、その背景にもまたその内部にさえ無数の人びとがこだましているのです。そして私自身もどこか別の場所、別の人のうちにこだましているのだという重い責任を感じているのです。
A 確かにそのとおりですね。そうでなければ私とあなたは、ここでこのように会ってはいないと思います。本当に孤立しているのなら、なんの出会いも交感もなく、明日にでもすべては終ってしまうことが可能ですから。
L この世で終りうるものは何もありません。形を変え異質のものとなることはあっても、そしてまたすべてがはじまっているのです。私の作業はそのはじまっているものを私なりに受けつぎ、そして私なりにリアライズ(実現)、プレゼント(現前)するために賭けられているのです。それが私にとって個の意味です。決してなまやさしいことではありません。そのほかにオリジナリティなり個の意味はないと思います。」
A イギリスではどんな演奏者がクリエイティヴですか。
L 正直言ってデレク・ベイリーしかイギリスにはいない。あとはなにもない。いるとしてもまだこれからだ。また本当のことを言ってしまった(笑)。
A (中略)いろいろ注目すべきグループや演奏者がイギリスにいるとしても、ベイリーの次元に並ぶ人間は一人だっていないことは確かですね。
L まったくそのとおりだな。本当に信じられないくらいすごい演奏者だね、ベイリーは。」



「デレク・ベイリーの方位へ――即興演奏の新しい地平」より:

「その日は多分パリでは〈灰色(グリ)〉の日とでも呼びそうな一日だった。朝、ホテルで目覚めたとき、私はすぐに窓のカーテンをのぞいてそんな気がした。(中略)ロンドン、それは一日一日と亡び去ってゆきつつある街だ。街では多くのパンクや乞食やアルコール中毒者を見る。そして多分精神の病いに冒された人びとを。一年前にもましてそれらの人びとはロンドンの亡びを私に強く印象づける。朝の十時、今日も朝食を食べないことになってしまった。ちょっと外をのぞくと小降りだが雨が降っている。通りの向こうでごみの箱をあさっている犬が見える。やせて悲しそうな眼をした子犬だ。
 私はベッドにもぐり込んだまま、電話をすると約束した十一時を待っている……。 
 一時に私と桑原君はロンドンの東のはずれにあるデレク・ベイリーの家に着いた。タクシーのなかにいるあいだじゅう、私はレイジーな気持のまま、どこかで沸きあがってくるD・ベイリーとの再会の興奮をじっと静かに見つめていた。
 呼び鈴を鳴らすと、出てきたのはデレク本人だった。静かだがよくとおる声で彼は我々を招き入れてくれた。とても質素で感じのいい部屋。我々は彼の仕事部屋に入った。その部屋には椅子が二脚に小さなテーブルが二つ、そして彼自身のレーベルであるインカスのレコードと二十枚ほどのレコードが入っただけの小さな棚が一つ、そのほかにはギター数本とアンプ類――どれも小さな古いものばかり――があるだけだ。それは奇妙なことに私の想像したとおりの部屋だ。何ひとつ余分なものがなく、雑然としていながら、すべてのものは置かれるべきところに置かれてあった。この部屋がデレクの人柄のすべてを物語っている。どのように言っても角ばったところがなく、恐ろしいまでにしなやかで自然でそしてアナーキーな、限りなく謙虚で限りなくまばゆい固有性そのものとしてある彼の即興演奏のように、それは静かでクリアーだった。
 私たちは七四年に最初にパリのアベッスのカフェで会ったときのことを話した。あのカフェ、デレクと彼の夫人のジャニスそれにスティーヴ・レイシーたちがいた。私はそこでスティーヴにやっと彼の来日公演ができることになったことを告げ、デレクに「あなたも必ず近いうちに日本へ呼んで演奏してもらうつもりです。私は七二年に最初にあなたのソロ・レコードを聴いてからずっとそう決意していたのです。私はいつもあなたの即興演奏に敬意と驚きを持ちつづけてきました」と言った。
 そのときのことを彼ははっきりと覚えていた。
 「あなたはあのとき、黒いトレンチコートにずぶぬれになっていました。最初に会ったとき、私はあなたが何者なのか分かったように思えたのです。ジャニスもとてもよく、そのときのことを覚えています。そしてあなたはこうしてやってきた、あのときの約束を果たしに。とてもそれは素晴らしいことです」
 話はそこからはじまった。」

A(間) スティーヴ(・レイシー)の演奏、とくにソロについてはどう思いますか。
B(ベイリー) スティーヴ! 彼はまったく例外的なミュージシャンです。ソロにもさまざまな道がありますが、彼はある曲によってその曲の終りへ向かうという道のまぎれもないマスターだと思います。
A 〈終り〉と言いますと?
B ある曲があり、それを懸命に生き、そしてその曲の終りへ向かうというシンプルな意味においてです。
A するとあなたのソロは、終りのない、そして始まりにこだわらないものだという自覚がはっきりあるんですね。
B 私は演奏の終りはいつも仮初めの終りだと思っています。私は終りを意識しません。それはまさに終るようにして仮初めに音が消えてゆくということにすぎません。」
















































































シモスコ&テッパーマン 『エリック・ドルフィー』 (間章 訳)

「私はしばらくヨーロッパに住もうと思っています。なぜですって?
ヨーロッパなら私がやりたいと思う音楽を押し進められるだろうと思っているからです。
このアメリカでは、人が何かちょっと新しく変わったことをやろうとすると、寄ってたかってそれを押しつぶそうとするからなのです。」

(エリック・ドルフィー)


シモスコ&テッパーマン
『エリック・ドルフィー』 
間章 訳


晶文社 
1975年6月29日初版発行
1987年7月15日6刷発行
253p+60p 図版16p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,960円(本体1,903円)
ブックデザイン: 平野甲賀
Vladimir Simosco and Barry Tepperman : Eric Dolphy: A Musical Biography and Discography, 1971



ウラジミール・シモスコとバリー・テッパーマンによるエリック・ドルフィー評伝。詳細なディスコグラフィー付。日本語版には訳者および清水俊彦によるドルフィー論が併載されています。


間章訳 エリックドルフィー 01


目次:

序文 (マーチン・ウィリアムス)
はしがき (ウラジミール・シモスコ)

ドルフィーの死とその音楽世界
『彼方』への歩み/エリック・ドルフィーの生涯

訳注

影から来た魔法使い (清水俊彦)
エリック・ドルフィー試論――不可能性と破片 (間章)

訳者あとがき

エリック・ドルフィーの遺産
 エリック・ドルフィー・ディスコグラフィー
 ディスコグラフィー解説 (諸岡敏行)
 主要アルバム収録セッション一覧



間章訳 エリックドルフィー 02



◆本書より◆


「たとえそれがどんなものであっても、すべてのものは貴方に影響を与えているのです。
私が今までに聞いたミュージシャンのいずれもが、私に影響を与えているのだと言えます。」 
(エリック・ドルフィー)

「エリックとの会話でたびたびあがる名前は、シェーンベルクだった。そして彼はとりわけ、アフリカの音楽(ピグミー族の唄)とインドの音楽(ラヴィ・シャンカールのシタール)に心を動かされていた。」 
(ロバート・レビン)

「彼はいつも、たくさんの書物を読み、レコードや楽譜を分析している。
最近彼は、エリック・サティに夢中になった。サティの鋭いウィットが彼を喜ばせたのだ。」 
(ジョージ・アバキャン)

「時に私は、小鳥たちのやっていることを楽器でまねたりします。うまくいかない場合もあるのですが。カリフォルニアの自宅で、私はいつも演奏していました。そして小鳥たちはいつも、私の楽器と同時にさえずっているようでした。そうしたとき私は、私が試みていた練習を中止し、小鳥たちに合わせて演奏しました。……小鳥たちは、私達の音の間にピッチの違う音を持っているのです。……ためしに小鳥たちのさえずりを真似しようとしてみると、そう、その音はおそらくFとFシャープの中間にあったりします。そして、そのピッチ上で、音を上げたり下げたりしなければ小鳥達に合わなくなるのです。……インド音楽は、同じ性質の音楽性を持っています。――異なるスケールと四分の一音(クオーター・トーン)が例えばそれだと言えます。」 
(エリック・ドルフィー)



清水俊彦「影からきた魔法使い」より:

「というのは、ドルフィーの偉大さは、普通の意味でのリリシズムをできる限り拒否し、あらゆる美しさ、あらゆる安易な高揚を拒否しながら、最も純粋なリリシズムを求めたことにあると思われるからだ。つまり、彼はリリシズムをほとんど拒みながらも、それを再発見しようとしたのであり、その結果生まれていきたのが、フレーズやリズムのあのごつごつした、切り立った感じであり、《ドルフィーのアイロニー》と呼ばれるものである。言うなれば、矛盾した動きが彼の音楽の動因になっているのであり、それによってぼくらは、ドルフィーの音楽のなかに、そして彼自身のなかにも孤独が住みついているのを知ることができるのだ。」
「ドルフィーの《叫び》が彼の音楽の基礎であることは、すでにこの文章の冒頭で述べた通りであり、彼は、ブッカー・リトルのかたわらで発見した、いわゆる不協和音のあらあらしい建築物のなかで見事な発展をとげたのだ。」
「そしてこのあとの彼には、かつて〈ラリー〉Rally においてほのめかされたような、狂気に行きつく道しか残されていなかったのではないか。ドルフィーがバス・クラリネットのソロのただなかに、古めかしい歌をちょっと差しはさんでいるこの曲は、非常に啓示的である。というのは、それは、現実の苛酷な世界と、まる裸にされた男の芸術に必然的に含まれる夢を通しての解放的な逃避とのあいだのかなめになっているように思われるからだ。
 この夢は、何よりもまず現実の支配から逃れなければならない。そしてまた、逃れさる場所をはっきりさせなければならないし、その場所は《別》の場所でなければならない。」



間章による「訳者あとがき」より:

「本書について不満を述べさせてもらうなら、それは第一部において特に見られるように、彼の才能を評価する余りに、彼を “一流の芸術家” に著者がまつり上げようとしていることである。ドルフィーはたしかに他のどのようなジャズメンよりも素晴しい才能と音楽性を持っていたが、それは彼を一流の芸術家に収めてしまうことですまされはしない性質のものであり、或る意味で一流の芸術家以上の何かであると私は考えているからである。
 ドルフィーはその音楽の新しさにおいてではなく、演奏の過酷さにおいて新しいのであり、コルトレーンとアイラーの死の後でも彼の演奏はこの二人の偉大なジャズメンよりも、その演奏の異様な不可能性をおびた表われにおいて、新しいのだ。
 そして彼の死は、真の行為者がいつもそうであるように、まさに途上の死、中断の死であり、まちがっても芸術作品として飾られてはならない音楽だけを残しているからなのだ。」




























































































『間章クロニクル』 

「僕はコミューンというのには限界を感じているし、にがにがしい気がするわけで、もうひとつの局面であるアナーキズムに可能性を見ているわけなんです。」
(間章 「音楽とオカルティズム」 より)


リンディホップ・スタジオ 編
『間章クロニクル』 

Aida Aquirax Chronicle

愛育社 
2006年12月10日初版印刷
2006年12月20日初版発行
197p+2p 
18.8×13.5cm 角背紙装上製本 カバー 
定価1,500円+税
デザイン: 倉茂透



まえから気になっていた本書をたいへん遅ればせながら購入してみました。単行本・著作集未収録の高橋巌との対談「音楽とオカルティズム」(タンジェリン・ドリームのライナーノートに初出)がよみたかったからです。この本自体はドキュメンタリー映画『AA』の手引き本のようですが、映画はみていないので、映画関連の記事はよんでいないです。巻末の年譜(「間章とその時代」)は他の本にも掲載されていますが、映画関連のコメント等の増補があって、間章が高橋巌に「私を弟子にしてください。10年たったら一緒にやりますから、10年待ってくれ」という趣旨の手紙を送っていたことがわかったのは耳よりでした。あと、「『AA』のための用語集」というのに北村昌士の項目がありました。北村昌士クロニクル&著作集もそのうち出るとよいです。


間章クロニクル01


内容(「MARC」データベースより):

「夭折の音楽批評家・間章が駆け抜けた時代とその思考の軌跡を追った長編ドキュメンタリー「AA」に遭遇するためのリテラシー・レッスン。監督・青山真治インタビュー、撮影日誌などのほか、間章の単行本未収録原稿も満載。」


目次:

解説
間章プロフィール
キャスト/スタッフ
盲獣として音楽に触れること (青山真治/聞き手=大谷能生)
『ディスアポイントメント-ハテルマ』の季節――竹田賢一のライナーノーツに呼応する形で (土取利行)
レクイエム、そして……――日本フリーミュージック群像 (五海ゆうじ/聞き手=大里俊晴)
ジャズの終わりを超えて (相倉久人/聞き手=大里俊晴)
運動としての間章 (須藤力/聞き手=編集部)
撮影日誌 (榎本至、大田和志、小田祥子、木田貴裕、木戸亜由美、葛生賢、黒澤美穂、原田健太郎)

間章単行本未収録原稿集 (編=編集部)
 絢爛たる不在の中での底止なきカタストロフィー
 音楽とオカルティズム (高橋巖+間章)
 散歩、ジャズ、カサノバ
 〈即興〉ノート(I)
 〈なしくずしの死〉への後書――阿部薰の死に
 フィルムと死体置場

AA 未明の思索家――間百合の霊に捧ぐ (大里俊晴)
間章の愛した10+1枚――およびそれに対する21世紀からの回答 (大谷能生)
音楽批評に何ができるかを考えるためのブックガイド (小林善美)
『AA』について思うこと。 (小池知久)
『AA』のための用語集
間章とその時代
間章書誌
間章ディスコグラフィ
執筆者プロフィール



間章クロニクル02



◆本書より◆


「たぶん、間さんが〈廃墟〉といったときの廃墟は、自分の存在のことだったのではないでしょうか? 自分の存在が廃墟なんだ、ってことから出発するのが彼にとって一番真っ当な出発点で、自分の中に廃墟を抱えている者同士の出会いというのが彼にとっての新しい共同体の出発点だったとか……」
(高橋巖)

「自分のものをつくるというのは大変なんだよ。よく天才とか才能とか言うけど、そんなものとは全然違う。やっぱりひとつの音を、半音を使うその時にリスクがガンッとくるわけじゃない? 音の半音じゃなくて、意識の半音を使うということは今までの定義に属さないわけだから、お客さんが1000人から10人になる。CDも100枚で終わるわけだから。それを犯せるか、犯さざるを得ないのかはわからないけれど、そういう人種がいる。」
(灰野敬二)


高橋巖+間章「音楽とオカルティズム」(対談、1976年)より:

高橋 ピンク・フロイドからタンジェリン・ドリームにいたるロックの新しい流れというものは、最近のジャズ、ソウルもしくはクラシックがロックとクロス・オーヴァーする方向と少し違うところがあるんじゃないかと思います。つまり疎外された人間の魂が、自分の民族、伝統、現代社会もしくは自分の肉体との同一性を確認するために新しいサウンドを創ろうとする方向なのではなくて、むしろそうした自己同一性を破壊せざるをえない、魂の志向に応じるものだと思うんです。例えば、子供の頃、不治の病毒を注射された人間が、一生自分は治らないというところから出発するような、要するにアイデンティティーを獲得するだけではどうにもならないというような、ね。(中略)できるだけそうじゃない人の世界に溶け込もうとするんだけれども、溶け込めないし、自分の方を主張することもできないというやましさをもっているくせに、それでしかも依然として市民なんですね。そういう狂気に近い意識を本質的に内側にもっている市民達のふるさとみたいなものを考えた場合には、やっぱり限りなく暗黒にのめり込んだり(中略)する形をとらざるをえないわけでしょ。」

高橋 そういう一種の浪漫的行為は、――浪漫派は、市民社会の中から市民社会そのものを否定しようとしたのだと思うのですが、僕達がその市民社会の中で生きているとすれば、そういう行為はわりと身近なんですね。その身近さっていうのは、インターナショナルなんじゃないですかね。それぞれの文化的な状況の中で生みだすものはいろいろだろうと思うんです。(中略)でも結局同じことを語りかけているんだったら、当然訴えてくるんですね。」

高橋 大きな時代の転換期はポピュラーなものが一番生命的な力をもっているでしょう。それでああいうふうに抽象的なひとつの方向にいってしまうのではなくて、どれだけ異質なものを融合できるかというところに問題があるんですね。」
高橋 錬金術というのがやはり結びつかないものを結びつけちゃう術であると同じに折衷主義というのが一番面白いんですよね。ところが形を厳密に追求していくプロセスというのはあまり面白くないんです。」

高橋 徹底的な管理社会ができていって、一方でオカルティズムの内部から、それと一種の並行していくオカルティズムがあって、それがナチスの場合のように結びつくんですね。それをシュタイナーは、もうここまできちゃったらそうした動きをとめることは不可能だし、引き返すことは不可能だと考えているんですね。もしこの状況を克服することが可能だとしたら、個々の人間の内部から、ひとりひとりが霊的に創り出すべきものであって、自分の困難な状況を社会全体へ投影してみても問題は解決しないということを言っているんです。
 (中略)僕もそういうことはある意味で、否定できないような気がするんです。霊的な戦いのレベルでもしかすると変えることができるかもしれないという気がするんです。」




こちらもご参照下さい:

ペーター・ヴァイス 『敗れた者たち』 (飯吉光夫訳)
























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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