谷川健一 『渚の思想』

「いつしか私の心のうちに、どこか先島の離島の人気のない渚で、生き倒れのような格好で死にたいという願望がひそかに芽生えてくるのを感じるようになった。」
(谷川健一 『渚の思想』 「あとがき」 より)


谷川健一 
『渚の思想』


晶文社
2004年12月5日 初版
227p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,100円+税
ブックデザイン: 三村淳
カバー写真: 新城(アラグスク)
撮影: 戸澤裕司



本文中図版(モノクロ)33点。
本書はもっていなかったので日本の古本屋サイトで1,000円で売られていたのを注文しておいたのが届いたので(4,000円以上購入で送料無料)よんでみました。が、たいへんデジャヴ感があったのでよくみると、既刊単行本から「渚」にまつわる文章を選んで加筆・修正し(タイトルも変更されています)、若干の書き下ろしや単行本未収録エッセイ、自作短歌を挿入しつつ再構成した本でした。
しかしそれはそれでよいです。カバーの渚写真がよいです。


谷川健一 渚の思想


帯文:

「日本列島から
渚が失われようとしている。
人の魂も危機をむかえる。
現世と他界をつなぐ接点、渚。
海をめぐる民俗学の深みから、
人間の自然を取り戻す力を求めて。」



帯裏:

「どこか
ひとけのない渚で
行き倒れのように
死にたいと、
ひそかに
願うようになった。
谷川健一」




カバーそで文:

「海岸はコンクリートでふさがれ、いまや渚が失われようとしている。もう一度、渚の風景を思い出して、海が育んできた人々のたましいの行く末に思いを馳せる時がきている。
          *
人は渚に立つと、自分のなかの自然を感じる。犬は走り、子は笑い、恋人は腕を組み、老人は来し方をふりかえる。海の呼ぶ声が聞こえ、思わず歩き出してしまう。そんな感覚をたどり、日本人の意識の根元にある「常世(とこよ)」を考える。
常世は死者の国であると同時に、日本列島に黒潮に乗ってやってきた祖先たちの記憶である。渚は常世と現世の接点にある。
海をめぐる独自の民俗学を積み上げてきた著者の、原点にして到達点を伝える。」



目次:

序 民俗学から見た人と渚とのかかわり
第一章 渚の思想
 海の呼ぶ声 (『海の夫人』)
 この世の渚 常世の渚 (『常世論』)
 タマスという言葉 (『海神の贈物』)
 青の島とシラサの浜 (『青と白の幻想』)
 クス (『常世論』)
 タチバナ (『常世論』)
第二章 渚に寄りくるもの
 黒潮と風のローマンス (『黒潮の民俗学』)
 椰子の実 (『黒潮の民俗学』)
 ハリセンボン (『黒潮の民俗学』)
 セグロウミヘビ (『黒潮の民俗学』)
 スクの来る日 (『海と列島文化 6 琉球弧の世界』)
 イルカ狩 (『海と列島文化 6 琉球弧の世界』)
 津波を呼ぶ海霊ジュゴン (『神・人間・動物』)
 沖魂石に依りくる神 (『海と列島文化 別巻 漂流と漂着』
第三章 渚の風景
 ヨリアゲの浜 (『海と列島文化 6 琉球弧の世界』)
 魚垣 (『海と列島文化 6 琉球弧の世界』)
 干瀬とイノーの間 (『海と列島文化 6 琉球弧の世界』)
 南島の自然暦 (『海と列島文化 6 琉球弧の世界』)
 サシバの渡り
 孤島苦――水納島
 島ちやび――与那国島 (『沖縄・辺境の時間と空間』)
 八重干瀬にて (『黒潮の民俗学』)
 大神島の老女 (『女の風土記』)
 渚の産小屋 (『青と白の幻想』)
 三井楽とみみらくの島 (『黒潮の民俗学』)
 枚聞の杜 (『海の夫人』)
 海荒れ
 月夜の幸福
第四章 水の女にちなんで
 阿波・淡路の水の信仰――「水の女」にふれて (「民俗文化」第五号 1993年 近畿大学民俗学研究所)

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「民俗学から見た人と渚とのかかわり」より:

「神と人間と自然という場合の人間とはいったい何か。人間は他の動物とほとんど共通した性格をもっていますが、ただ一点違うのは、人間は他界=死後の世界を考える動物である。民俗学的に人間をそう定義することができると思います。古代の日本人は、海の向こうに死者の行く島があると考えました。これは現実の島ではなく海上他界といって共同幻想の島で、それを「常世(とこよ)」と呼びます。(中略)海の向こうに死者の魂の行く世界があるとなると、渚はいったいどういう意味をもつか。それは、現世と他界との中心線なのです。
 漁村ではほとんど海岸に墓地が設けられています。それは海の向こうに死者の魂が行く場所であるからです。」



「沖魂石(おきたまいし)に依(よ)りくる神」より:

「私は宮古島のある漁師の家の床の間に丸い海石が飾ってあるのを見たことがある。その石は海に浮かんでいて、猟師の網にかかったのだという。彼はこの奇瑞(きずい)をあらわした石が竜宮から運ばれてきた霊石であると信じていた。」


「海荒れ」より:

「沖縄では、海岸近くの海底に生えたアマモと呼ばれる海藻を食べにザン(ジュゴン)が寄ってくることもあった。ザンは海霊でシケを起こす能力があると信じられた。そこで漁師たちはザンを捕らえると浜で料理して食べた。家にもちかえって食べたら、その家の主婦が死ぬか、家族の者がシケの海で不慮の災難に遇うとみなされた。人びとは海荒れのなかに海霊の怒りをみたのである。」
「海荒れを海の彼方から到来するものの予兆と受けとる慣習は本土にもあった。毎年陰暦十月になると、出雲の明るい海は急に暗くなる。そしてアナジと呼ぶ北西の風が烈しく吹きつのり、海面は荒れて泡立つ。このような天候の急変を、出雲の人たちは「お忌み荒れ」といいならわしてきた。出雲大社や佐太神社の神在祭(かみありまつり)は「お忌み祭」ともよばれているが、そのわけは祭りの忌みの期間と符合するように、海がシケるからである。
 「お忌み荒れでございますね。竜蛇(りゅうじゃ)さんがあがりましたか」
といった会話が挨拶がわりに取り交わされるのもその頃のことである。出雲大社では南方産のセグロウミヘビが北西の季節風によって稲佐(いなさ)浜にうちあげられるのを捕らえて、それを三方(さんぽう)に載せ、神殿に供えてはじめて神在祭がおこなわれる。セグロウミヘビは海の彼方から到来する竜蛇神であり、冬のしるしを告げる出雲地方の海荒れは、竜蛇神の出現にむしろふさわしい雰囲気をもっていた。
 秋田の男鹿(おが)半島付近では、晩秋、みぞれが降りはじめ、雷鳴をともなって海が荒れる頃、ハタハタ漁をおこなう。雷をハタハタというが、雷が鳴ると、とれはじめる魚だから、ハタハタと呼ぶといわれている。(中略)雷が鳴るシケの海にハタハタの大漁を求めて、漁師たちは出漁する。このように、海荒れは人びとの心に畏敬と期待の感情の波を起こさせてきた。
 ここで思い出すのは、『日本書紀』に、豊玉(とよたま)姫が自分の身ごもっていることを彦火火出見(ひこほほでみ)尊に告げ、間もなく子どもが生まれそうだから、自分のために渚に産屋を造って待っていてほしい、「妾、かならず風濤(かざなみ)急峻(はや)からむ日を以て、海辺に出で到らむ」と言う。この風波の烈しい海荒れの日にかならずやってくるという言葉に、私は心の波立ちをおぼえずにはすまない。」



「月夜の幸福」より:

「奄美大島では戦前までは、子どもが夜おそくなっても帰らないとき、家の年寄りたちは「夜がとる」といってひどく心配し、騒いだという。夜がとるというのは、夜がさらっていく、また夜がとり殺してしまう、という意味である。夜を凶暴な怪物としておそれるこのような表現は、南島の夜が真っ暗であったことを背景にしている。そうしてみれば、「月夜」は人びとにとって「幸福」の代名詞である時代が長くつづいたとみるべきである。だが今は「月夜の幸福」は遠く忘れられてしまった。」


「あとがき」より:

「渚は陸とも海とも見分けのつかない不思議な境界である。それゆえに、かつては現世と他界とをつなぐ接点とみられ、そこに墓地も産屋も設けられた。
 海からの来訪神や死者の魂を送り迎える儀礼の場所が渚であった。海の彼方から寄りくるものへの切実な期待と畏怖の情は、日本人の心理の底深く宿っている。
 渚は大自然の博動を体得するのにもっともふさわしい場所である。大自然のリズムを身につけるかどうか、それが人間の心身を健全なものにするかどうかの分かれ道である。だが、自然海岸の大量の破壊は、日本人が日常的に海にふれあう機会を極度に少なくした。それは、砂浜で孵化した海亀の子が、生まれてすぐに波打ち際にむかって這っていく、そのまちがいのない正確な本能を私たちに閉ざすことにもなったのである。
 渚に立ってまなざしを海の彼方にそそぐときの解放感は何ものにも替えがたい。
 私は幾十年も前から沖縄の旅をくりかえすなかで年老いて今日にいたっているが、いつしか私の心のうちに、どこか先島の離島の人気のない渚で、生き倒れのような格好で死にたいという願望がひそかに芽生えてくるのを感じるようになった。(中略)渚に死にたいという他相ない幻夢を道連れとして、私は今日も海の微風をまともに受け、潮騒を聞きながら、渚を歩くのである。

  わが瞳にサフラン色の蝶一羽溺れてゐたり渚ながき日

  肉は悲し書は読み終へぬみんなみの離(ぱな)りの島の渚に死なむ」





こちらもご参照ください:

谷川健一 『海の夫人』
谷川健一 『常世論』 (平凡社選書)










































































































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谷川健一 『孤島文化論』

「所与の意味をまず拒否することから始めるべきである。その果てに、自分だけの意味が生まれるにちがいない。」
(谷川健一 「私の地方文化論」 より)


谷川健一 
『孤島文化論』


潮出版社
昭和47年11月10日 印刷
昭和47年11月25日 発行
246p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 角背紙装上製本 
本体カバー 機械函
定価850円
装幀: 菊池薫



本書はもっていなかったので、アマゾンマケプレで最安値(69円+送料)のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。

本書所収論考中、「シャコ貝幻想」は『古代史ノオト』(大和書房、1975年)に、「海神の使者」「わだつみのいろこの宮――青木繁の神話世界」は『海の夫人』(河出書房新社、1989年)にそれぞれ再録されています。


谷川健一 孤島文化論 01


帯文:

「日本文化にとって孤島とは何か!
南方の島々に生活する人びとをささえる
豊かな精神世界を「島」と「ヤポネシア」の
視座からとらえた出色の日本文化論!」



帯裏文:

「日本語の「かなし」には悲哀と愛着の両方の意味がこめられている。これは日本の昔にさかんに使われた言葉であり、現に南島では日常の上で両方の意味に使っている。
 「悲(かな)しい」というのは島の風土から、「愛(かな)しい」というのはヤポネシアの風土から生まれた語であろう。孤島の悲哀と、島国ののびやかな日常にたいする愛着とは不可分に一体をなす感情なのであった。それを切りはなすことのできないところに、日本という風土がある、と私は考えるのである。
〈「あとがき」より〉」



谷川健一 孤島文化論 02


目次 (初出):

口絵
 狩俣部落より大神島をのぞむ (撮影: 渡辺良正)


孤島文化論 (読売新聞 1972. 1. 22, 23, 25, 26, 27
遠い他者と欠けた自己――差別への一視点 (潮 1972. 2)
土着観念の再生を (共同通信 1972. 6. 1)
事大主義と事小主義 (朝日新聞 1972. 1. 17)
私の地方文化論 (新潟日報 1972. 7. 20)


沖縄先島の世界 (沖縄先島の世界(渡辺良正写真集)・解説)
太陽と月 (出版ダイジェスト 1971. 7. 21)
黄泉の国への通路 (グラフィケーション 1972. 5)
ユタと沖縄の人びと (新聞研究 1972. 7)
火にかけた鍋 (情況 1969. 5)
奄美の新節をたずねて (毎日新聞 1972. 10. 16)
わが沖縄 (叢書わが沖縄 3, 4, 5 巻解説)


海神の使者 (国文学 1972. 9)
シャコ貝幻想 (歴史と文学 2号)
わだつみのいろこの宮――青木繁の神話世界 (芸術生活 1972. 3)


成熟へのひとしずく――柳田国男との出合い (春秋 1972. 2, 3 合併号)
近代主義への一矢――宮本常一のこと (春秋 1972. 4)
常世の思想――折口信夫 (春秋 1972. 5)
喜舎場永珣をいたんで (読売新聞 1972. 4. 15)
『蠹魚庵漫章』について (読売新聞 1971. 11. 22)

あとがき
発表紙・誌一覧



谷川健一 孤島文化論 03



◆本書より◆


「孤島文化論」より:

「中央と地方という固定観念、あるいは国境という人為的な画定線を取り払ってみれば、地方とか辺境とかの概念はすこぶるあやしくなるのである。少なくとも地図の上の辺境は、かつて文化の取り入れ口であったばあいが多い。それが政治的な理由で辺境化させられただけの話である。かつて古琉球は南洋と貿易をおこない、那覇には十ヵ国の人たちが住んでいたという。沖縄は日本の辺境あつかいにされているが、日本列島のなかでもっとも先進的な地域であった時代が、今をさかのぼる五世紀なかば前までの琉球王国にはあった。」

「時間の尺度をどうとるか、視点をどこにさだめるかによって、それぞれの地方は中央ともなり辺境ともなる。そしてかつて中央であり、今辺境と化した地方は、その古い文化をたやすく捨てないのがふつうである。」
「中央にたいする辺境、頂点にたいする底辺は、収奪され、疎外される存在というほかに、中央もしくは頂点の対極概念としての不可視の文化の中心という意味をもっている。」
「島は小さいが海は広大である。その海の果てにたましいのゆくべき島があり、祖霊もまたそこから島にかえってくることを信ずるとき、眼にみえない、ゆうゆうたる無意識の時間は老人をとおして子孫に伝わってゆくのである。そこで南島の人たちの現実の空間は極小であるが、信仰上の空間意識はきわめて大きいということが可能である。」



「遠い他者と欠けた自己」より:

「かつて日本で村内婚が常態とされていた時代、他村との通婚にたいしては、きびしい規制がもうけられていた。つまり、村の娘で他村の若者と通じたばあい、この一対の男女は密通者として、村内の若者によって烈しいリンチを受けた。
 その一方では、遠来の客人を歓待する風習も長くつづいていた。この遠来の客人を「まれびと」と呼び、それが「まろうど」になったことはよく知られているが、まれに訪れてくる人が賓客となるのは、珍しいものが高貴なものであるとする日本人の認識をよく伝えている。
 ここでみられる現象は、遠来の客人には自分の娘を提供してもかまわぬほどのもてなしぶりをみせながら、その反対に隣村の若者にたいしては、容赦しないという狭量な態度である。遠い他者には寛大で、近い他者にはきびしい、という心理構造は日本人社会の特徴として成立する。つまり日本人は自分自身との差意識が大きい他者であるほど、寛大にあつかう。それはそうした他者が、ある種の威力をもつと信じられているからである。」



「沖縄先島の世界」より:

「このように木の葉や草の葉で身をよそおうというのは、日本における神出現のもっとも原始的なすがたにほかならなかった。」

「大神島の人たちは、この島が「神高い島」であると自負している。」
「だが大神島が孤島であることはいうまでもない。(中略)一周するのに半日はかからないこの島に埋もれた人生がある。そして夕方になると風は島をゆるがすように吹き、海は白波が立ち、暗い海の果てに壮大な虹がかかるのだった。
 私はあるとき、小学校の便所を借りた。そこには生徒の書き古しの帳面がおいてあった。中学生のものらしく、英語の単語とその訳語がきれいな字で書き並べてあった。
  prince   call    alone     sad     end
  王子    呼ぶ    ただひとり   悲しい   終わり
 私はこれらの文字をみているうちに、大神島という孤島を端的に表現する単語と思えてきたのである。」

「たこを五斤おさめるだけで、人頭税さえ免除になったというこのまずしい島は、みずから孤絶した姿勢をくずそうとしないのだった。」

「教員室に坐っていると、ひとりの女の子がふらりとやってきて、出された菓子をねだった。ひとつ渡してやると、ていねいにお辞儀をしたが、たべ終わると、またねだった。先生方に聞くと精薄の女児で、ふつうならば小学校五年だが知能のほうは三歳位だという。(中略)この女の子は早朝、子どもたちが校庭にあつまっておこなうラジオ体操のときも、かならずやってくる。そして、うしろむきのかっこうで海をみながら、ひとり手をあげている。授業中にもたえず教室に出入りして、授業を妨げる。しかし、みんなはこの女の子をけっして叱らず、迷惑を受けても自分たちの仲間に入れてやるのだった。(中略)あとでその理由が私なりに分かった。この女の子を疎外したら、この孤島では女の子は死なねばならぬ。子どもたちはそのことを孤島に住む人間の本能的な知恵で知っていたのだ。」



「黄泉の国への通路」より:

「沖縄では太陽は島の東のはしの洞窟からのぼり、中天高くかがやき、そして島の西のはしの洞窟に沈むと信じられている。沈んだ太陽は足元の大地の底、あるいは海の底をくぐって、また東の空にのぼる。そこに死と再生があり、それが人間の誕生と死の観念を生み出したのである。」


「成熟へのひとしずく」より:

「私はといえば、「善悪のまだ分かれないもっとも暗黒な意識の部分」を漠然と神と考える習慣がついている。」

「ナショナルなものの追求は意外にその底にインターナショナルな課題と通じていることを知った。特殊から普遍への道こそ真の普遍性を獲得する方法であることを私はまなんだ。」



「近代主義への一矢」より:

「『日本残酷物語』の主題は、つつましい欲求の持主である「小さき者たち」がいかに苦悩しなければならぬのか、という矛盾命題である。私のなかにはいつもイエスにしたがってあるく浮浪人や漁夫や娼婦のイメージが去来していた。私はカトリシズムには希望を失ってしまったが、そうした「小さき者」への執着は依然として残りつづけていた。こうした小さき者たちをつまずかせるくらいならば、海の底に沈められたほうがまだましである、というイエスのことばは私の耳に鳴りつづけていた。(中略)私は小さき者たちが好きなのである。(中略)私は小さき者たちとつき合っているだけで充分にたのしい人間なのだ。」


「常世の思想」より:

「常世ということばに、私の血はあやしくさわぐ。私は沖縄になぜ関心をもつかと問われて、返答に窮することが少なくなかったが、今は「明るい冥府がほしいばかりに珊瑚礁(リーフ)の砂に踝(くるぶし)を埋めているのだ」と答えることができる。私は死んでなお刑罰を受けねばならぬような他界を信じていない。」

「出雲の美保の岬に、波の穂にのってやってくる常世の神スクナヒコナは、「手の俣から漏(く)きた子」であるといわれたと『古事記』にあるが、沖縄では大正の頃までは、非常に腕白ですばしこく、もてあました子供を「手の俣からふきゆるわらび」と呼んでいたという。わらびは童である。この一語をもってしても、出雲と南方との密接な関係がおしはかられよう。」





こちらもご参照下さい:

島尾敏雄 『新編・琉球弧の視点から』 (朝日文庫)
岡谷公二 『島の精神誌』
川崎寿彦 『楽園のイングランド』
小野二郎 『紅茶を受皿で ― イギリス民衆芸術覚書』



































































谷川健一 『海の夫人』

「あかつきの夢かがやきて金雀花(えにしだ)の乙女は咲(ゑま)ふ水底(みなそこ)の井戸」
(谷川健一 「海の夫人」 より)


谷川健一 
『海の夫人』


河出書房新社 
1989年10月10日 初版印刷
1989年10月20日 初版発行
187p 口絵(カラー)i 
20×15.5cm 角背紙装上製本 カバー 
定価2,000円(本体1,942円)
写真: 時詩津男
装丁・レイアウト: 山本義信



短歌、評論、紀行文および短篇小説。図版多数。
口絵は青木繁「わだつみのいろこの宮」。


谷川健一 海の夫人 01


帯文:

「文学と民俗学の間を架橋する会心作!
陸と海、現世と他界の接点にスパークする
短歌62首。それに響き合う短篇、評論を収録。
馬場あき子氏、塚本邦雄氏激賞!」



帯背:

「衝撃の短歌」


谷川健一 海の夫人 02


帯裏:

「「海の夫人」はイプセンの戯曲の題であるが、折口信夫はその著作のなかで、ひとたびは結婚するが再び海に還っていく他界妻のことを「海の夫人」と呼んでいる。私もそれにあやかって彦火火出見命と豊玉姫の物語を下敷にしながら、連作を試みてみた。
 「海の夫人」のテーマはながい間、私の中にあったものである。渚に立つとき海の彼方への思慕が「妣の国」を描き出し、思いを切なくする。私はさまざまなエッセイにそれを書き、今も書いている。それら旧稿と新稿とをこの際、短歌の背景の解説となるように、ひとつにまとめることにした。(「あとがき」より)」



目次:

海の夫人 六十二首

   *
評論
 海神の使者
 竜蛇の末裔
 うぶすな
 豊玉姫考
 わだつみのいろこの宮
 渚の民俗学
 海の祝祭
 海神祭の由来
   *
紀行
 海人神話の回廊
   *
短篇
 見る――角膜について
   *
あとがき



谷川健一 海の夫人 04



◆本書より◆


「海の夫人」より:

「潮けぶる波のはたてに海市(かいし)立つ日の悲しみを誰にか告げむ」

「物言はぬ海のけものの群れ遊ぶ月よみの海を喪船ゆくべし」





「豊玉姫考」より:

「古代においては、現世と他界とに双分された世界があった。古代人の世界を見開かれた一冊の書物にたとえるならば、左のページは海の彼方にある他界であり、右のページは、自分たちの住む現世であった。その書物の喉にあたる部分、すなわち中心線が渚であった。」

「青木繁の麗筆で描かれた「わだつみのいろこの宮」が「海の幸」とともに永遠の青春の息吹きをたたえているのは、明治洋画壇の息吹きを伝えていると同時に、日本人の永遠の主題をとらえているからである。豊玉姫の物語には、その説話の文章がいかにも躍動して伝えられている箇所がある。
 たとえば彦火火出見命が海神の娘の豊玉姫にめぐりあうのは、海辺をあるいていて、川雁がワナにかかって苦しんでいる光景を目撃し、そのワナを解いて川雁を放ってやったからである。雁が常世の鳥と思われていたという証拠には、海の霊の塩土翁(しおつちのおきな)があらわれて、命を海神宮に案内する、すると海底にも、陸地とおなじように「可怜小汀(うましおはま)」(美しい小さい浜)があった、と『日本書紀』は伝えている。この世に渚があるように海底の宮殿にも美しく小さな渚があった。現世と常世との相似を表現しつつ、その可怜小汀という語は適切である。
 また豊玉姫が自分の身ごもっていることを彦火火出見命に告げ、間もなく子どもが生まれそうだから、自分のために渚に産屋を作って待っていてほしい。「妾、かならず風濤(かざなみ)急峻(はや)からむ日を以て、海辺に出で到らむ」と言う。この風波の烈しい日にやってくるという言葉に、それを聞くものは心の波立ちをおぼえずにはすまない。
 それは陰暦十月に出雲の海岸に海蛇があがるのを「お忌(いみ)荒れ」というのと似ている。その頃西北方の季節風が吹きはじめ急に天候はわるくなり海は荒れて泡立つ。これを見るとき、出雲の人たちは神聖な何物かの到来を感じるのだ。豊玉姫の物語の一節からこうしたことを連想するのは、それが日本人の伝統的な無意識を刺戟するからに他ならないと私は考える。」



「あとがき」より:

「昭和六十二年十二月中旬から六十三年一月上旬まで、私は一月足らずの入院生活を送った。(中略)暇をもてあました私は、(中略)ノートに短歌めいたものを書きはじめた。(中略)退院して間もなくのこと、歌人の馬場あき子さんと電話で話をすることがあり、私は入院中短歌めいたものを作っていたと白状する始末になった。(中略)馬場さんはその中から五首を抜いて、朝日新聞の毎週金曜日の夕刊にもうけられていた「今様うた合わせ」の欄に推薦してくれた。(中略)その頃私は朝日カルチュアセンターで月一回の講師をしていた。聴講生の中に短歌同人誌「層」の仲間がいて、私に何かエッセイを書いてほしいという。私はそれを書くのは億劫だから、病気のとき書き溜めた短歌をかわりに出してくれないかと言った。(中略)それが活字になって歌人の塚本邦雄さんの目にとまった。塚本さんは雑誌「短歌研究」一九八九年八月号の対談の相手として私を指名し、私の短歌をきわめて好意的に評価してくれた。塚本さんの言い分によれば私の短歌は、いわゆる師承というものがなくそれだけに手垢がついていない、ということであった。
 「海の夫人」の素材である彦火火出見命と豊玉姫の悲劇は、古事記によれば、薩摩半島の西南部を舞台として展開していて、どこか南の島々ともつながる雰囲気をそなえている。私は野間半島を二度訪れたが、無垢の自然が今も残されていることに好ましい印象をもった。写真家で福岡の大学の先生をしている時詩津男さんに頼んで野間半島の風景を撮って貰った。時さんはかつて八重山旅行の際に撮った写真も保存していた。」

「たまたま私は昭和四十一年頃に書いたまま、誰に見せることもなく、二十数年間、筐底にしまいこんでいた短篇小説があった。」

「「海の夫人」のテーマはながい間、私の中にあったものである。(中略)私はさまざまなエッセイにそれを書き、今も書いている。それら旧稿と新稿とをこの際、短歌の背景の解説となるように、ひとつにまとめることにした。その中にはすでにいくつかの雑誌に発表したものもあり、また紀行文のように書き下しもある。
 四十代の後半になって、遅まきながら、私は民俗学に志した。それ以来、私はでき得るかぎり歌わないようにつとめてきた。喉もとまで湧き上る歌を扼殺しつづけることが、私の仕事であったと言ってもいい。自分の追い求めた民俗学の輪廓がかすかに見えてきた昨今、私は自分に向って禁じていた歌を許すいくぶん寛大な気持になっていた。そうした気持がはしなくも褥中詠となって、とつぜんあらわれたのであった。」



谷川健一 海の夫人 03


























































































































谷川健一 『魔の系譜』

「魔の中に自分があり、自分の中に魔があるという個人的な体験をあじあわなかったものはさいわいなるかな。魔に憑かれている自分を解放したいとおもったり、自分の中にしばられ、とじこめられている魔が、その窮屈な囲(かこ)いをぬけ出したがって、叫び声をあげるのを聞いたことのなかったものは、本書に無縁である。」
(谷川健一 『魔の系譜』 より)


谷川健一 
『魔の系譜』


紀伊国屋書店 1971年5月20日第1刷発行/同年6月10日第2刷発行
223p カラー口絵2葉 モノクロ口絵4p 
四六判 丸背布装上製本 貼函 
定価950円
函写真: 『千金甲古墳』 藤本四八



本書「あとがき」より:

「本書の主要部分はもと雑誌『伝統と現代』に一九六九年一月号から十回にわたって連載したものである。僅かであるが加筆している。「狂笑の論理」と「犬神考」は雑誌『芸術生活』の一九六九年十月号と七〇年三月号に掲載した。「装飾古墳」は雑誌『展望』の一九六九年九月号に発表した。」


本文中図版(モノクロ)多数。


谷川健一 魔の系譜1


目次:

怨念の序章
聖なる動物
崇徳天皇
バスチャン考
仮面と人形
再生と転生
地霊の叫び
魂虫譚
犬神考
狂笑の論理
装飾古墳

あとがき



谷川健一 魔の系譜2



◆本書より◆


「怨念の序章」より:

「私は日本の歴史に触れて、しだいに一つの考えを抱くようになった。死者が生者を支配する――といった現象が、日本の歴史においてあまりに多いように思うのだ。死者が生者を支配する――というのは周知のようにコントの有名な言葉だが、それは死者と生者の連帯を意味するのであろう。ヨーロッパでは伝統とは死者と生者の連帯というほかにない。
 しかし日本では先祖とのつながりはあるにしても、普遍的な死者との連帯はない。あるのは対立だ。しかも死者が生者を支配するのだ。
 死者が生者をうごかす。生者は死者のそうした力を信じ、おそれ、それをとりなすためのあらゆる努力を傾ける。こういえば、悪霊を鎮める未開社会の心理を連想するだろうが、日本のばあいは未開社会とちがう発展の歴史をもっている。しかも日本ほどたやすく死者の復活を信じている国民はすくないだろう。」
「普遍的な発展の法則にしたがっている日本歴史の裏側に、もう一つの奇怪至極な流れがある。それは死者の魔が支配する歴史だ。(中略)それは表側の歴史にたいしては挑戦し、妨害し、畏怖させ、支配することをあえて辞さない。死者は、生者が考えるほどに忘れっぽくないということを知らせるために、ことあるごとに自己の存在を生者に思い出させようとするかのようだ。
 この魔の伝承の歴史――をぬきにして、私は日本の歴史は語れないと思うのだ。
 しかも、この場合、死者は敗者であり、生者は勝者なのだ。弱者が強者を、夜が昼を支配することがあっていいものか。弱肉強食が鉄則になっているヨーロッパの社会などでは考えられないことだが、敗者が勝者を支配し、死者が生者を支配することが、わが国の歴史では、れんめんとつづいている。」
「敗者の地位に立たされた日本人が全力を尽くして考え抜いたことは、いかにして被害者が加害者となり得るかということであった。」
「戦後の日本人が生きのびたというそれだけの理由のために勝利者づらをするのを許さない死者たちがいる。彼らは、被害者から加害者への道をひらくことにおのれを賭けて、生者をゆさぶり、ひっぱたき、生者たちを眠りこませないようにしている。
 もとよりそうした死者は、戦死者だけではない。政治的事件や叛乱に参加して処刑された死者たちも含まれるのである。彼らの企ては挫折し、彼らは敗者としての死を強制された。勝者にたいして一言の抗弁もゆるされないときに、彼らができることといえば何か。」
「『地蔵堂通夜物語』によると佐倉惣五郎(木内宗吾)は処刑の際に眼をかっと見開いて「極楽往生に望みなし、念仏供養も頼み致さず」といいきった。このとき一天俄かにかき曇り篠をたばねたような大雨がふりかかって、雷が鳴りわたり、処刑に立ち会った連中はいっせいに逃げ去ったという。
 成仏――つまり死者の安らかな眠りを断乎として拒否し、悪鬼として復活をねがう瞬間に、私たちは立ち会っているのだ。(中略)怨恨と呪詛がついに「魔」の誕生を必然化させる過程をここにみることができる。」



「再生と転生」より:

「小泉八雲の作品をほんやくした田代三千稔氏は八雲の思想を要約して、次のようにいう。
 「われわれの霊魂は、幾億兆の霊魂の複合物である。つまりわれわれは、一人のこらず、過去に生きていた生命の断片の、かぎりない混合体であって、いかなる人間の思想も感情も、詮ずるところ、死滅した幾億兆の過去の人々の、感情や観念や欲望の、習合ないしは再集合にすぎないのである。それゆえ、われわれの歓喜も恐怖も、そして恋愛の情熱すらも、すべて既往の人々の数限りない生活を通じて蓄積された記憶の再現であり、また美的感覚も芸術的技巧も祖先伝来の経験の復活にほかならぬ。」」
「これと同様の考えを、夢野久作は、作品『ドグラマグラ』の中で、精神病医の正木敬之に次のようにいわせている。
 「人間の個性とか、特徴とかいうものは、吾輩の実験によると一つ残らず、その人間が先祖代々から遺伝してきた、心理作用の集積にほかならないのだ。」
 柳田国男は民俗学を規定して「文字には録されず、ただ多数人の気持や挙動の中に、しかもほとんど無意識に含まれているもの」の研究とよんでいるが、彼は無意識の伝承をさかのぼって、祖霊という無意識の集合体につきあたった。」
「これまで述べたことは、ユンクのいう集合的無意識と考えて、ほぼさしつかえないものだろう。集合的無意識とは、「何百万年もまえからの祖先の経験の偉大な堆積であり……人間のあらゆる美しく偉大な思考および感情だけでなく、人間に可能であったあらゆる恥と非道の行為も含まれる」のである。」
「これと酷似する思想を『ドグラマグラ』の正木博士は、「胎児の夢」と題する論文のなかで、次のように述べる。
 「胎児の先祖代々にあたる人間たちは、お互い同志の生存競争や、原人以来遺伝してきた残忍卑怯な獣畜心理、そのほかいろいろ勝手な私利私欲をとげたいために、直接、間接に他人を苦しめる大小様々の罪業を無量無辺に重ねてきている。そんな血みどろの息苦しい記憶が一つ一つ胎児の現在の主観となって眼の前に再現されてくるのである。」」

「カヤカベ教団につたわる「おてらのはじまり」という口伝は、残虐な美しさにみちみちている。それによると、むかし世の中が乱れに乱れあちこちに死人の山ができた。そのためにまわり十里ふかさ十里の血の池が極楽浄土へゆく道のなかほどにできて、だれもその道をわたれないほどになった。そこですうきょう(引用者注: 「すうきょう」に傍点)という上人が極楽浄土へゆく道があけられるように、この池の血をのみほすために、六日と六夜池の底に沈んだ。やがて呑みほした上人が池から出てきて地上にペッと吐いたのが血バキ(椿)、血ツジ(ツツジ)となった、ということになっていて、カヤカベの信者たちは美しいキリシマツツジをはじめ一切の赤い花を不浄としてきらう。この気高いすうきょう上人もまたその娘たちもさいごにとらえられて仕置きをされる悲惨な最期が待ち受けている。
 宗旨のはじまりを説明するのになぜこのような残酷な内容の物語が必要だったのだろうか。塚崎進氏は、『物語の誕生』の中で、「小栗判官や照手姫」、説経節の「愛護若(あいごのわか)」をとりあげて、そこに見られるひどく陰惨な趣向はこれらの物語が、懺悔告白という宗教的な目的を底に秘めているからである、といっている。氏によれば『古事記』のスサノオの命の物語も例外ではない。私はしかしそれを個人に帰するよりは、幾千年もの昔からの恥と非道の行為の再生――すなわち、自分たちの血の中に流れる先祖の犯した迫害の記憶の確認とみなしたいのである。こうした血の叫びを聞かない者は幸いなるかな。」



「あとがき」より:

「魔とは何であろうか。純粋に精神的なものでなければ、純粋に物質的なものでない。純粋に個人的なものでなければ、純粋に集団的なものでもない。歴史的であるにはあまりにも超歴史的であり、超歴史的であるにはあまりにも歴史的である。むしろこれらを接合させるための支柱として存在し、接合点に、燃えるもの、その炎のゆらめきが魔である。
 通り魔という言葉があるが、魔は形象の中をとおりぬけるものである。そして個人の魔が歴史の魔と合体するとき、それはくりかえし再生する。集団の歴史も個人の歴史も魔を殺すために力をつくしてきたようにみえるが、しかしそれはついに殺しつくせなかったのだ。
 本書はそれを日本人の情念の歴史にしぼって考察した小論である。」
「魔の中に自分があり、自分の中に魔があるという個人的な体験をあじあわなかったものはさいわいなるかな。魔に憑かれている自分を解放したいとおもったり、自分の中にしばられ、とじこめられている魔が、その窮屈な囲(かこ)いをぬけ出したがって、叫び声をあげるのを聞いたことのなかったものは、本書に無縁である。」




















































































谷川健一 『南島文学発生論』

「私は宮古島の友利でおこなわれたンナフカ祭のとき、神女のひとりが突然神がかりする光景を目撃したことがある。林の中で神女たちがまるい輪をつくり、手草をもって歌いながら踊っているうち、その中の一人が小刻みにふるえ出し、他の神女の歌や踊りとテンポが合わなくなった。そして最後には「神は今日どうして自分をこんなに苦しめるのか」と叫んで、涙を流し、地面に倒れ伏してしまった。」
(谷川健一 『南島文学発生論』 より)


谷川健一 
『南島文学発生論』


思潮社 1991年8月1日初版第1刷発行
482p 
A5判 丸背クロス装上製本 カバー 
定価5,800円(本体5,631円)
装幀: 芦澤泰偉
カバー絵: 田中一村
扉・写真: 時詩津男



本書「あとがき」より:

「本書は思潮社の「現代詩手帖」に「南島呪謡論」の題で一九八七年九月号から九〇年七月号まで、三年にわたって連載したものである。私は編集者の誘いに応じて、なんの準備もなく、書きはじめたのであったが、胸中を吐露することとなり、快適に筆を進ませることができた。連載中、病気入院したこともあったが、一度も休載したことはなかった。
 なお「太陽(てだ)が穴」「青の島とあろう島」「鍛冶神の死」の三篇は書き下ろしたものである。」



谷川健一 南島文学発生論1


帯文:

「人間社会のはじまりには、神に憑かれた人がただあっただけだ。
南の島は深い闇に包まれており、「言葉」だけが光りかがやいていた。
精霊とアニミズムの社会が生きていた南島だからこそ、呪謡は活力をもって生きつづいてきたのだ。「南島の深い闇」に対する畏敬から出発した谷川民俗学の達成点を示す畢生の大作。南島古謡群の発掘をとおして、古代歌謡の欠落を埋める。文学的モチーフとクリティックとを渾然一体化とした注目の巨篇。」



帯背:

「谷川
民俗学の
ライフワーク」



目次:



1
「言問ふ」世界
呪言(クチ)の威力
「畏(かし)こきもの」への対応

2
神託の本源
ノロの呪力
現つ神と託女

3
日光感精神話とユタの呪詞
宇宙詩としての呪詞
叙事詩の説話性

4
冥府からの召還
挽歌の定型
挽歌から相聞歌へ

5
村の創世神話
神話と伝説の間
祖神の神謡(ニーリ)
宮古島の「英雄時代」
「まれびと論」の破綻

6
諺の本縁譚
神意をヨム言葉

7
海神祭の由来
太陽(テダ)が穴
青の島とあろう島

8
盞歌(うきうた)と盞結(うきゆい)
アマミキヨの南下
鍛冶神の死

あとがき



谷川健一 南島文学発生論2



◆本書より◆


「序」より:

「鉄器の使用は農業生産の飛躍的な発展を促進する。暦の普及は社会生活を合理的なものにする。仏教の受容は宗教の普遍的価値基準を与える。南島の社会がこれらを著しく遅れて取り入れ、しかもその影響が辺境の島々ほど稀薄であったことは、南島の社会を日本本土と決定的に異なるものとした。鉄器、文字暦、仏教などによって社会を均質化し、きまぐれな自然力を克服し得た本土とちがって、南島ではいつまでも圧倒的な強さで自然力が人間のまえに立ちふさがり、それに拮抗できるのは古来伝えられてきた言葉の呪力だけであった。
 人間を取り巻く自然は活きた力をもち、悪意と善意をあわせ備えていた。この危険で反抗的な存在(モノ)を制圧するために、「言問う」相手を打ち負かす言葉のたたかいが必要であった。」

「本土と琉球弧を同じ時間の尺度で計ることはむずかしく、琉球弧の中でも辺境の離島の時間の尺度は首里にはあてはまらない。琉球弧の島々にはそれぞれ固有の時間が流れており、それを同じ年代で区切って考察するのはあやまりである。」

「いうまでもなく『琉球国由来記』の中のミセセルやオタカベは首里王府と関係の深い呪謡が多く、また同書にはノロの呪詞のみを採録し、ユタの呪詞は採録していない。『おもろさうし』に登場する巫女たちも王府の傘下の高級巫女がほとんどである。『琉球国由来記』や『おもろさうし』にユタの姿は探しても見出すことはできない。この両書にこだわる限り、ユタの呪詞は対象外となる。だがはじめからノロとユタが截然と分かれていたわけではない。王府の任命による巫女組織が村々にまで及んだ結果、ノロとユタの役割が分離したのである。ノロの役割は共同体の生産の豊饒を願い、また王家の安泰を祈願するものとされ、それにひきかえて、ユタは個人の吉凶禍福に関わることをもっぱらにその職業とした。かくしてノロの呪詞に厚く、ユタの呪詞に薄いという現象が外間や小野などの南島古謡研究者に見られる。
 だが南島では古代日本と同様に、現世と他界に二分された世界観を信じて、今日に到っている。他界における個人の魂の救済に関与するユタは、現世における村落共同体の繁榮を神に願うノロに劣らぬ重要さをもちつづけている。ユタの関与するものはもっぱら病と死である。ここに魂の呪詞としてのユタの姿が浮かび上がる。このような人間の生命の根源にかかわる主題をどう解決するかという悩みは、人間の誕生と共に生まれたものである。人間は病と死の克服のために何らかの理由づけを必要とし、それを説明し、解決を与えてくれる人を必要としたのである。人間社会の始まりにはノロとユタの区別はなく、ただ神に憑かれた人があっただけである。南島呪謡の根源に迫るには、ユタとノロの未分化であった時代を想定することから始めねばならぬ。その時代は、鉄器もなく、暦も伝わらず、仏教の影響はどこにもなかった。南の島々は深い闇に包まれており、「言葉」だけが光りかがやいていた。その時代は鉄器や暦の普及と共に終わりを告げたのか。いやそうではない。
 奄美大島では、戦前までは子どもが暗い時分になっても家に帰らず戸外にいると、家の老人たちは「夜がとる」と言って騒いだという。「夜がとる」というのは、夜が取り殺す、夜がさらっていく、という意味である。(中略)ここには、夜が兇暴な力をもつ人格として立ちあらわれている。わずか半世紀前まで、アニミズムの社会が南島に生きていた。それであればこそ、呪謡も活力を失わないでつづいてきたのである。
 本書は「南島の深い闇」に対する畏敬から出発する。」



「「言問ふ」世界」より:

「圧倒的な自然にとりまかれていた時代にあっては、人間は周囲の生物・無生物が自分に対して悪意を抱いているか、それとも善意を抱いているかがつねに気になった。夜には怪しい螢火のようなものが燃えさかり、昼にはウンカのようなものが湧き立ち、川の渕にうずまく水沫(みなわ)さえ物を言っていた。大自然の織りなすざわめきの中にかこまれていた人間にとって、森羅万象は他者を害する力をもつ霊魂(アニマ)であった。(中略)草木石にいたるまでよくおしゃべりをし、そのおしゃべりが相手を侵害する力をもっていた。おしゃべりをもって、こちらに挑みかけ、負けたら、相手の害する力をまともに自分に受け入れねばならない。隙あらばとうかがう相手は、眼に見えるもの、眼に見えないものすべてであった。周囲の「言問ふ」存在に対して気を許すことができない。そこに狩猟時代の生き生きと緊張に満ちた社会があった。」

「日本文化の影響が南島文化に急激な変貌をもたらし、南島古謡も呪歌としての性格を脱皮する契機をもった。だが、琉球王府の編纂にかかわる『おもろさうし』の世界とはちがった呪術の世界が、王府を遠くはなれた宮古、八重山や奄美には息づいていた。」
「そこはまだ呪祷の世界を脱していなかっただけに、呪言は人びとの生活を日常的に支配していた。つまり本土ではいちはやく消滅してしまい、万葉時代にはその原義さえたどりにくくなっていた「言問ふ」世界がまだ健在していた。それを取り上げることによって、南島文学の発生にちがった照明をあてることができないだろうかというのが私の狙いである。そしてそのことは日本の古代文学を考察する上でも重要な役割を果すであろう。」
































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

※心の傷、胸焼け、劣等感等ある場合が御座いますが概ね良好な状態になります。

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