齋藤磯雄 譯 『ボオドレエル全詩集 惡の華・巴里の憂鬱』

「カインの裔よ、天に昇りて
神をば地上に抛(なげう)ち落せ。」

(ボオドレエル 「アベルとカイン」 より)


齋藤磯雄 譯 
『ボオドレエル全詩集 
惡の華・巴里の憂鬱』


東京創元社 
昭和54年10月5日 初版
昭和57年1月15日三版
661p 目次17p 口絵i 
A5判 丸背布装上製本 貼函 
定価6,700円
装釘: 日下弘



本書「後記」より:

「拙譯『惡の華』の初版(三笠書房)が、おほけなくもその巻頭に辰野隆、日夏耿之介、山内義雄三先生の推薦文を掲げて刊行されたのは、昭和二十五年の末つ方であつた。」
「小散文詩集『巴里の憂鬱』の拙譯が一應の形を整へたのは遠く戰前に溯るが、もろもろの障碍に遭つて長年の間陽の目を見ず、昭和四十二年に至り初めて或る叢書中の一巻(「世界の名詩集」5、三笠書房)として刊行された。(中略)このたびの改譯に際しては、(中略)舊譯の魯魚の誤を訂し、措辞の修整に微力を盡したことは申し添へるまでもない。」



ボオドレエル 悪の華 巴里の憂鬱 01


帯文:

「齋藤磯雄氏が細心精緻の學を底に秘めて、香氣溢れる藝術作品として昇華した名譯――「海潮音」「珊瑚集」と並び立つ本邦譯詩の金字塔!」


ボオドレエル 悪の華 巴里の憂鬱 02


目次:

詩集 惡の華
  獻詞
  讀者に
 憂鬱と理想
  一 祝禱
  二 信天翁
  三 高翔
  四 照應
  五 (わたしは好きだ)
  六 燈臺
  七 病める詩神
  八 身を賣る詩神
  九 蒙昧の僧
  一〇 仇敵
  一一 不運
  一二 前の世
  一三 流浪の民
  一四 人と海
  一五 地獄のドン・ジュアン
  一六 驕慢の罰
  一七 美
  一八 理想
  一九 巨大なる女
  二〇 仮面
  二一 美に寄する頌歌
  二二 異邦の薰
  二三 髪
  二四 (われ君を夜の穹天と)
  二五 (森羅萬象ことごとく)
  二六 されど飽くなし
  二七 (波打ち搖れて)
  二八 踊る蛇
  二九 腐肉
  三〇 深き淵より叫びぬ
  三一 吸血鬼
  三二 (さながらに屍に添うて)
  三三 死後の悔恨
  三四 猫
  三五 決鬪
  三六 露臺
  三七 憑かれし男
  三八 まぼろし
   Ⅰ 暗闇
   Ⅱ 薰香
   Ⅲ 額縁
   Ⅳ 肖像
  三九 (君にこの種種の詩を)
  四〇 常に同じく
  四一 みな悉く
  四二 (今宵何をか語るべき)
  四三 生ける炬火
  四四 聖なる功德
  四五 告白
  四六 靈の曙
  四七 夕の調
  四八 香水壜
  四九 毒
  五〇 翳ろふ空
  五一 猫
  五二 美しき船
  五三 旅へのいざなひ
  五四 盡きせぬ恨み
  五五 語らひ
  五六 秋の歌
  五七 さるマドンナに捧ぐ
  五八 午後の歌
  五九 シジナ
  六〇 わがフランキスカを頌ふ
  六一 南國生れのさる奧方に寄す
  六二 憂愁と放浪
  六三 幽靈
  六四 秋の曲
  六五 月の悲しみ
  六六 猫
  六七 梟
  六八 パイプ
  六九 音樂
  七〇 奧津城
  七一 幻想的な版畫
  七二 樂しき死者
  七三 憎惡の樽
  七四 破れ鐘
  七五 憂鬱 (「雨ふり月」は)
  七六 憂鬱 (千年を生きしにまさる)
  七七 憂鬱 (例へばわれは霖雨の)
  七八 憂鬱 (大空重く垂れ下り)
  七九 妄執
  八〇 虚無を求むる心
  八一 苦惱の煉金術
  八二 畏怖の感應
  八三 我とわが身を罰する者
  八四 救ひ得ぬもの
  八五 時計
 巴里畫譜
  八六 風景
  八七 太陽
  八八 赭毛の乞食女に
  八九 白鳥
  九〇 七老爺
  九一 小老婆
  九二 盲者
  九三 道ゆく女に
  九四 耕す骸骨
  九五 黄昏
  九六 賭博
  九七 死の舞踏
  九八 虚妄を愛す
  九九 (今も分明に目に浮ぶ)
  一〇〇 (かの婢女のおほらかの)
  一〇一 霧と雨
  一〇二 巴里の夢
  一〇三 黎明
 酒
  一〇四 酒の魂
  一〇五 屑屋の酒
  一〇六 人殺しの酒
  一〇七 孤獨者の酒
  一〇八 比翼の酒
 惡の華
  一〇九 破壊
  一一〇 受難の女
  一一一 呪はれし女 (想ひに耽る牧畜かと)
  一一二 仲よし姉妹
  一一三 血の泉
  一一四 寓喩
  一一五 ベアトリイチェ
  一一六 シテエルへの旅
  一一七 愛の神と頭蓋骨
 叛逆
  一一八 聖ペテロの否認
  一一九 アベルとカイン
  一二〇 魔王連禱
 死
  一二一 相思の人の死
  一二二 貧者の死
  一二三 藝術家の死
  一二四 ひと日の終り
  一二五 猟奇者の夢
  一二六 旅

惡の華 補遺
  禁書に題す
  悲しきマドリガル
  異教徒の祈り
  叛逆者
  警告者
  沈思
  蓋
  侮られし月
  深淵
  或るイカルスの嘆き
  深夜の反省
  此處より遙か遠く

漂著詩篇
  一 浪曼派の落日
 禁斷詩篇
  二 レスボス
  三 呪はれし女 (デルフィイヌとイポリイト)
  四 忘却の河
  五 あまりに陽氣なる女に捧ぐ
  六 寶玉
  七 吸血鬼變身
 佳人頌
  八 噴水
  九 ベルトの眼
  一〇 頌
  一一 顏の約束
  一二 怪物
  一三 わがフランキスカを頌ふ
 題詠
  一四 オノレ・ドミエ氏の肖像に寄する詩
  一五 ロオラ・ド・ヴァランス
  一六 『獄中のタッソオ』に題す
 雜篇
  一七 聲
  一八 不意打
  一九 身代金
  二〇 マラバル生れの女に
 道化
  二一 アミナ・ボシェッティの初舞臺に寄す
  二二 うるさき男について
  二三 ふざけた居酒屋

拾遺詩篇鈔
 初期作品
  (世の人人と)
  (彼方に高く)
  テオドル・ド・バンヴィルに寄す
  (あはれ、他人と)
  (おれの情婦は)
  (穢れし女を)
 晩年作品
  エピロオグ草稿
   一 (心滿ち足り)
   二 (安らかさ賢者のごとく)
  白耳義人と月
  白耳義文化

小散文詩集 巴里の憂鬱
 アルセエヌ・ウセエに寄す
 一 異邦人
 二 老婆の絶望
 三 藝術家の「告白の祈禱」
 四 道化者
 五 二重の部屋
 六 人それぞれに噴火獸
 七 道化とウェヌス
 八 犬と香水壜
 九 怪しからぬ硝子屋
 一〇 午前一時に
 一一 野蠻な女房と氣取屋の女
 一二 群衆
 一三 寡婦
 一四 老いたる辻藝人
 一五 お菓子
 一六 時計
 一七 髪の中の半球
 一八 旅へのいざなひ
 一九 貧者の玩具
 二〇 妖精の贈物
 二一 誘惑
 二二 黄昏
 二三 孤獨
 二四 計畫
 二五 美女ドロテ
 二六 貧者の眼
 二七 壮烈なる死
 二八 贋金
 二九 寛大なる賭博者
 三〇 紐
 三一 天賦
 三二 酒神の杖
 三三 醉ひ痴れてあれ
 三四 あゝ既に
 三五 窓
 三六 描かんとする願望
 三七 月のめぐみ
 三八 いづれが眞のかの女か
 三九 名馬
 四〇 鏡
 四一 港
 四二 情婦の肖像
 四三 粹な射手
 四四 スウプと雲
 四五 射的場と墓地
 四六 圓光喪失
 四七 メス嬢
 四八 この世の外なら何處へでも
 四九 貧乏人を毆り倒さう
 五〇 善良な犬
 エピロオグ (結びの詩)

後記 (譯者)



ボオドレエル 悪の華 巴里の憂鬱 03



◆本書より◆


「旅へのいざなひ」より:

   「めぐし子(ご)よ、吾妹子(わぎもこ)よ、
   想へその快さ
彼處(かしこ)に行きて相共に住み、
   思ふさま愛(いとほ)しみ
   愛(いとほ)しみ果てなばや、
君にさも似しかの國に行き。
   掻き曇る中空(なかぞら)に
   濡れそぼつ天津日(あまつひ)は、
涙を透(すか)し煌(きらめ)く君が
   裏切の眸(ひとみ)なす
   妖(あや)しくも神秘(くしび)なる
魅力もてわが魂(こころ)を奪ふ。

彼處(かしこ)、ものみなは秩序と美、
奢侈(おごり)、静寂(しづけさ)、はた快樂(けらく)。」



「怪しからぬ硝子屋」より:

「生れつき専ら瞑想的であつて行動には全く不向きな人人があるものだ。ところでさういふ人人が、何か不可思議な未知の衝動に驅られて、おのれ自身でさへ思ひもよらぬやうなすばやさで、時に行動に赴くことがある。
 例へば、門番のところに何かいやな知らせが届いてゐはしまいかと懸念して、思ひ切つて歸宅もならず門前を一時間も意氣地なくうろつくやうな人間、封を切らずに手紙を半月もそのままにして置いたり、さてはまた、一年も前から必要に迫られてゐた何かの掛合ひをやるのに、半年も思ひ惱んだあげく澁澁みこしを上げたりするやうな人間が、時として突如、弦(つる)を離れた矢のように、抵抗できぬ力に驅られて行動に突き進んでゐるのを自覺することがある。モラリストと醫者とは、何でも知つてゐるつもりになつてゐるが、一體どこから、これほどの狂氣じみた精力が、これほど唐突に、このやうな怠惰で放逸な魂の持主にやつて來るのか、そして、極めて簡單な極めて必要な事がらさへ爲し遂げることができないのに、一體どうして、この種の人人が、或る瞬間には、極めて不條理なそして時には極めて危險でさへある行為を決行するのに、あり餘る勇氣を見出すのかを、説明することができない。」



ボオドレエル 悪の華 巴里の憂鬱 04



























































































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阿部良雄 編 『ボードレールの世界』

阿部良雄 編 
『ボードレールの世界』


青土社 
1976年4月10日 印刷
1976年4月25日 発行
397p(うち別丁図版8p) 
菊判 丸背クロス装上製本 機械函 
定価2,400円
装幀: 加納光於



本書「編者あとがき」より:

「人はおそらく、ここに提示されたさまざまなボードレール像の、あまりにも多様であるのみならず、互いに矛盾しあるいは反撥し合うようにさえ見えるのに、驚くかも知れない。反応の多様性は作品のはらむ豊かさの証左であるという現代批評の公理をもち出すまでもなく、「自ら矛盾撞着する権利」を(「この世からおさらばする権利」とともに)人権宣言に加えるべきだと言ったのは、ボードレールその人であった。」
「一九七三年春に「ユリイカ」臨時増刊として刊行されたボードレール特集号の中から、アルベール・ベガンの「ボードレールと夢」(完訳のある『ロマン的魂と夢』の一部)を削って、ヴェルナー・ホフマン、ジョルジュ・ブランの小論文を加え、拙稿書誌の誤りなどを出来る限り正したのが本書である。」
「カットとして用いたカリカチュアとパリ風景は、絵入り娯楽文芸雑誌『パリの悪魔』 La Diable à Paris - Paris et les Parisiens, Paris, Hetzel, 1868 からとったもので、ガヴァルニ、グランヴィル、ペルタル、シャム、クレルジェなどの作である。」



口絵図版(モノクロ)25点、本文中図版(モノクロ)多数。


ボードレールの世界 01


函表: 「ボードレール自画像逆版」


ボードレールの世界 02


函裏: 「ノートルダムから見たパリ」


ボードレールの世界 03


本体表紙(クロスに紙が貼付されています)。


ボードレールの世界 04


見返し。


ボードレールの世界 05


目次:

ボードレール頌
 ヴェルレーヌ 「ボードレールの独創性」 (佐藤東洋麿 訳)
 ランボオ 「見者ボードレール」 (奥本大三郎 訳)
 マラルメ 「「シャルル・ボードレールの墓」」 (菅野昭正 訳)
 アポリネール 「大革命と近代精神」 (横張誠 訳)
 ティボーデ 「都市の詩人」 (横張誠 訳)
 クローデル 「ボードレールの音楽」 (渡辺守章 訳)
 エリュアール 「ボードレールの闘い」 (横張誠 訳)
 ジューヴ 「「ボードレールという慰め」」 (豊崎光一 訳)
 ポンピドゥー 「ボードレールと神」 (家柳速雄 訳)

辻邦生 「汝が永遠の岸辺」
磯田光一 「わがボードレール」
佐藤朔 「寸感」
村上菊一郎 「パリのボードレール」
饗庭孝男 「受苦の聖性」
ボヌフォア 「悪の華への序文」 (田中淳一 訳)
菅野昭正 「少年老いやすく……」
種村季弘 「覗く人」
粟津則雄 「ボードレールの苦さ」
カイヨワ 「ボードレールの詩の位置」 (佐藤東洋麿 訳)
窪田般彌 「拓次とボードレール」
加藤郁乎 「親愛なる他人」
ベンヤミン 「遊民」 (円子修平 訳)
杉本秀太郎 「「読者に」の位置」
清水徹 「『宝石』私解」
安藤元雄 「旅への「さそい」」
阿部良雄 「おお奴隷なる女神よ……」

出口裕弘/渋沢孝輔/松山俊太郎/阿部良雄 「共同討議 なぜボードレールか」

宮川淳 「ボードレール再読」
興謝野文子 「理性と怪物」
豊崎光一 「もうひとつの海 雙児の海」
ブラン 「変化矛盾頌」 (阿部良雄 訳)
ブラン 「無限を求めて」 (阿部良雄/長谷徳夫 共訳)
出淵博 「ひとつの変奏」
鍵谷幸信 「石だらけの沙漠、砂利いっぱいの屑」
ホフマン 「ボードレールとカリカチュア」 (阿部良雄/杉本紀子 共訳)
及川馥 「ボードレールとヌーヴェル・クリチック」
佐藤東洋麿 「麻薬・無限への眺望」
二宮正之 「荷風の散文とボードレール」
奥本大三郎 「瞳、髪、飲むこと」
横張誠 「「呪われた部分」の選択」
阿部良雄 「ボードレール論の系譜」

批評的書誌 (阿部良雄)
シャルル・ボードレール詳細年譜 (杉本紀子 編)
編者あとがき (阿部良雄)



ボードレールの世界 07



◆本書より◆


「共同討議 なぜボードレールか」より:

松山俊太郎 大詩人は、必ず原型(アルキティープ)を提出すると思うわけですよ。原型というのは、さっきも古さについて言ったけれど、大昔からあり得べきものなんだけれど、たとえばボードレールによって初めて提出された原型があるでしょう。それが本当の原型であれば、読む人全部にとっても原型だから、自分の代わりにボードレールが言ってくれたというように、それを通じて作者と読者が融合せざるを得ない。そういう原型を、数は多くないにせよ、掻撫での詩人を五、六人合わせたくらいは一人で提出してくれていると思う。日本では萩原朔太郎が原型を非常に提出しているんじゃないか。批評性とか精神の峻厳さとかで朔太郎はボードレールと比肩はできないけれども、原型の提出者としてみると、やはりボードレールよりも朔太郎の方が詩人的じゃないかとも思うんですけどね。日本では、朔太郎はとにかくずば抜けているし、西洋では、ボードレールはそういう点で卓越しているんじゃないか。」


ボードレールの世界 08










































































阿部良雄 『群衆の中の芸術家』 (中公文庫)

「正当であるためには、つまり存在理由をもつためには、批評というものは、偏向的で、情熱的で、政治的でなければならない、つまり、排他的な観点、だが最も多くの地平を開く観点に立ってなされなければならない。」
(ボードレール)


阿部良雄 
『群衆の中の芸術家
― ボードレールと十九世紀のフランス絵画』
 
中公文庫 あ-21-2

中央公論社 1991年3月25日印刷/同年4月10日発行
334p
文庫判 並装 カバー
定価600円(本体583円)



初版は1975年5月、中央公論社刊。本書はその文庫版。
本文中図版(モノクロ)多数。


本書「文庫版あとがき」より:

「『群衆の中の芸術家』は一九七九年に重版した際に若干の訂正を施したが、今回文庫本収録に当ってさらに誤りを正し、また、ボードレールからの引用は、拙訳『ボードレール全集』(中略)の既刊分についてはそれに合せた。註の訂正は最小限に留めたが、文献への参照に関してはその後に刊行されたものも若干考慮に入れて読者の便宜をはかることとした。」


阿部良雄 群衆の中の芸術家


カバー裏文:

「一部の有閑階級の独占物であった絵画を、広く“ブルジョワ公衆”のものに転化させようという、十九世紀中葉の美術革新期にあって、その最も尖端的なイニシアチヴをとったのが、美術批評家ボードレールであった。批評家の任務とは、芸術家の創造する美をその享受者たるべき公衆に啓蒙することである、との考えに基づくボードレールの批評活動を、ドラクロワ・クールベ・マネらとの交渉を軸にして詳細に論考する。」


目次:

一 群衆の中の批評家 シャルル・ボードレール
 1 展覧会の群衆
 2 「ブルジョワ」と「ブルジョワ芸術家」
 3 芸術享受システムの変革とユートピア
 4 行為としての美術批評
 5 〈近代〉と〈現代〉

二 ダンディ、それとも芸術家? ウージェーヌ・ドラクロワ
 1 大画家と若き批評家
 2 批評における理解と表現
 3 ダンディの生活と恋愛
 4 「幸福の約束」としての美
 5 ダンディスム・ひとつの象徴
 6 伝統とロマン主義

三 ナルシスと民衆 ギュスターヴ・クールベ
 1 ナルシシスム・自己認識
 2 詩人の肖像
 3 「民衆芸術」と新しい「大絵画」
 4 政治と芸術
 5 想像力とレアリスム
 6 ナルシス失墜

四 〈現在〉の発見 エドゥアール・マネ
 1 テュイルリーの音楽界――ボードレール
 2 色彩の解放
 3 詩人の「無理解」
 4 〈錯覚〉kらの解放・〈現実〉の明徴性
 5 オペラ座の仮装舞踏会――マラルメ

五 風景の中の芸術家 シャルル・ボードレール
 1 田園・都市・海景
 2 グラフィスム・記号性への志向
 3 不幸なコレスポンダンス・「美との決闘」
 4 エチュードと作品
 5 腐蝕銅版画(エッチング)家協会から印象派へ
 

図版註

一九七五年版あとがき
文庫版あとがき



阿部良雄 群衆の中の芸術家2



◆本書より◆


「一 群衆の中の批評家」より:

「だがボードレール自身の考えていた批評とはそのようなものではなかった。批評家とは「憎しみ」をもち「愛情」をもって働きかける主体、その「気質(タンパラマン)」が時として激発することもあり得る主体だ。」
「「本来の意味での批評はといえば、これから私の言おうとするところを哲学者たちは理解してくれるだろうと私は期待する。正当であるためには、つまり存在理由をもつためには、批評というものは、偏向的で、情熱的で、政治的でなければならない、つまり、排他的な観点、だが最も多くの地平を開く観点に立ってなされなければならない。」
 言い換えれば、「本来の意味での批評」とは、自らの選択を鮮明に掲げる、ポレミックな批評のことだ。」



「三 ナルシスと民衆」より:

「歌謡・民謡との接触による抒情詩革新の試みは、ボードレールの孤立した企てではない。ヴィクトール・ユゴーを中心として、ジェラール・ド・ネルヴァル、テオドール・ド・バンヴィルから、ヴェルレーヌ、ランボーそしてラフォルグに至るさまざまな試みは、フランス十九世紀詩を貫く大きな創造性の軸である。
 絵画の領域でこれに対応する作業を試みたのがクールベに他ならなかった。《オルナンの埋葬》の着想ないし構図が、フランス東部ヴォージュ山中の田舎町エピナルなどで印刷され行商人の手で全国津々浦々にもち運ばれる民衆版画(イマジュリー)に負うところ大きいことが、一九四〇年代初頭メイヤー・シャピロによって明らかにされたのは、レアリスム研究史上の画期的な出来事である。クールベ描く人物や動物の、木彫り人形めいた素朴さ、無骨さも民衆版画と無関係ではなく、同時代人の目には粗野あるいは拙劣なものに見えて、漫画の材料にもされやすかった。アカデミックな芸術に飽き足りぬ芸術家が、民衆芸術にしろ〈ラファエルロ以前〉の芸術にせよ〈未開人〉の芸術にせよ、「素朴」なものとの接触に新たな芸術の原点を見出すという一つの図式が、ここに典型的に見られるわけだが、そこには、「民衆芸術」から汲み上げたものを中心にして、万人に理解可能であるべき新たな記号体系(コード)を作り出そうとする試みが見られることを忘れてはならない。《オルナンの埋葬》だけではなくて、ブリュイアスとの対面を描いた《出会い――今日は、クールベさん》は「さまよえるユダヤ人」の民衆版画(イマジュリー)を下敷きにしているし《石割り人夫》や《花嫁の化粧》は民謡をふまえている。宗教や古典的な教養の基盤を民衆的・土着的なものの基盤で置きかえようとした点でも、クールベのレアリスムは革命的とみなされて当然である。」



「四 〈現在〉の発見」より:

「一八四五年のサロンを機会に美術批評家としてデビューした二十四歳のボードレールが、無名の新人ウィリアム・オスーリエの、一言で言って稚拙なタブロー《回春の泉》に文字通り「激烈な讃辞」を送り、「歴史画」の章の中でドラクロワの次に最も重要な扱いをしたのは、同時代人をおどろかしただけでなくて、その後も、ボードレールを論ずる人々にとって、謎というよりはむしろ、絵画に関する詩人の判断のしろうと性を証する例であり続けた。」
「《回春の泉》について言うならば、他の批評家にとっては「技法上の欠陥」と見えたものが、ボードレールの目には、当時の官展派の、技法の完璧を第一義とする傾向からの脱却のいとぐちとして積極的な意味をもった。色彩の「生々(なまなま)しさ」 crudité は、他の批評家から見れば欠陥だが、見方を変えれば、半濃淡の技法、キアロオスクーロ技法に忠実のあまり色そのものの輝きを消してすべてを褐色あるいは紫がかった暗いものにしてしまったような絵のずらりと並ぶ官展(サロン)の真中に、新鮮な光景の風穴をひとつ開けることに他ならなかった。
 「この油絵には、われわれの思うところ、きわめて重要な、特に美術館では重要な特質がある――きわめて人目につき易いことだ。(中略)もう一つの巨大なる特質……それはこの絵が信念をもっていることだ――自らの美しさに対する信念をもっている、――これは絶対の絵画、確信をもち、こう叫んでいる絵画だ――私は、私は美しくありたい、私の思っているように(引用者注: 「私の思っているように」に傍点)美しくありたい……」(傍点訳者)」
「オスーリエもカトリンも拙劣さゆえに嘲笑の的になった画家であり、「素朴さ」に積極的価値を認めるのは美術批評家ボードレールの終始一貫した主張であって、(中略)技法上の欠陥を指摘されたり嘲笑されたりしても苦にせず、ひたすら、「自らの気質の誠実な表現」に徹せよ、という考え方、わけても、人々がどぎつい、生々しい、と非難するような彩色法、それがオスーリエやカトリンの場合ほとんど無意識的な所為でありながら、ひとつの独創への可能性をはらんでいる、という発見――それは、若いマネが、色彩それ自体の解放を通じて自分自身であろうとする努力に、大きな示唆と励ましを与えたに相違ない。」

「六六年七月、半身不随のままパリへ連れ戻されたボードレールはデュヴァル博士の病院で水治療法を受けるが、その病室の壁を飾るものはマネの二枚の絵(一枚はゴヤの《アルバ公爵夫人像》の模写)だった。(中略)失語症の詩人の口を衝いて出ることばは「畜生(クレノン)!」だけだったとも言われるが、六六年秋にナダールがマネに書き送った手紙によれば、その頃まだ金曜日ごとにナダールのところの会食へ連れて行ってもらえば行くだけの元気はあったボードレールは、なぜマネが来ていないのかと悲しがり、その時ばかりは「畜生(クレノン)!」に代って「マネ! マネ!」と叫ぶ声が迸(ほとばし)り出たという。」
























































































ボードレール 『巴里の憂鬱』 (三好達治 訳/新潮文庫)

「どこでもいい、どこでもいい……、ただ、この世界の外でさえあるならば!」
(ボードレール 「どこへでも此世の外へ」 より)


ボードレール 『巴里の憂鬱』 
三好達治 訳

新潮文庫 ホ-2-1

新潮社 昭和26年3月10日発行
昭和40年9月5日12刷改版/平成5年12月15日49刷
定価320円(本体311円)
カバー: 尾崎正志
Charles Baudelaire : Le Spleen de Paris



詩人・三好達治の訳によるボードレール散文詩集。


巴里の憂鬱1


カバー裏文:

「父母兄弟よりも、祖国よりも、お金よりも、雲を愛すると宣言して、詩人の立場を鮮明に打ち出した『異人さん』。耐えがたいこの世からの脱出を叫ぶ『どこへでも此世の外へ』。ほかに、パリの群衆の中での孤独を半ば自伝的にしるした散文詩全50篇を収録。『悪の華』と双璧をなし、後世の文学に絶大な影響を与えたボードレール晩年の成果を、わが国の天才詩人三好達治の名訳で贈る。」


目次:

アルセーヌ・ウーセイに与う

異人さん
老婆の絶望
芸術家の告白
剽軽者
二重の部屋
人みな噴火獣(シメール)を負えり
愚人と女神
犬と香水壜
けしからぬ硝子屋
夜半の一時に
檻の中の女と気取った恋人
群衆
寡婦
老香具師
菓子
時計
毛髪内の半球
旅への誘い
貧者の玩具
妖精の贈物
誘惑――或は恋の神、富の神、名誉の神――
黄昏
孤独
計画
美女ドローテ
貧者の眼
悲壮なる死
贋せ金
寛大なる賭博者
紐 (エドゥーアル・マネに)
天禀
酒神杖 (フランツ・リストに)
酔え
ああ既に!

描かんとする願望
月の恩恵
何れが真の彼女であるか
名馬


情婦の画像
意気な射手
スープと雲
射撃場と墓地
円光喪失
小刀嬢
どこへでも此世の外へ
貧民を撲殺しよう
善良なる犬 (ジョセフ・ステヴァン氏に)
エピローグ

あとがき (三好達治)




◆本書より◆


「異人さん」:

「――お前は誰が一番好きか? 云ってみ給え、謎なる男よ、お前の父か、お前の母か、妹か、弟か?
――私には父も母も妹も弟もいない。
――友人たちか?
――今君の口にしたその言葉は、私には今日の日まで意味の解らない代ものだよ。
――お前の祖国か?
――どういう緯度の下にそれが位置しているかをさえ、私は知っていない。
――美人か?
――そいつが不死の女神なら、欣んで愛しもしようが。
――金か?
――私はそれが大嫌い、諸君が神さまを嫌うようにさ。
――えへっ! じゃ、お前は何が好きなんだ、唐変木の異人さん?
――私は雲が好きなんだ、……あそこを、……ああして飛んでゆく雲、……あの素敵滅法界な雲が好きなんだよ!」



「けしからぬ硝子屋」より:

「世には純粋に観照的で、全く行動に適しない人々がある。しかしながら、時として彼らもまた、ある神秘な不可解な衝撃のもとに、恐らく彼ら自らが不可能と考えていた素早さで、行動に移ることがある。
ある人の如きは、彼の門番の身の上に起った痛ましい出来事を聞かされはしまいかと惧れて、一時間もその門前を逡巡してさ迷いながら、敢て入ろうとしなかった。ある人の如きは封を切らずに手紙を二週間もしまっておき、または、一年も前から必要であった手続きを履むのに、なお六ヵ月も経過してから漸くその気になる。しかしこれらの人々も、時として弓から放たれる矢のように、遽(にわ)かに、ある抵抗し難い力によって行動に向う自らを感ずるものである。」
「私の友人の一人の、凡そ世にある最も無害な夢想家は、普通人々が口にしているほどの容易(たやす)さで火がつくものかどうかを見るために、と彼は云うのだが、ある時森林に放火したのである。」
「またある者は、火薬の填まった樽の傍で、葉巻に火をつけるだろう。運命を見、それを識り、それを試みるために。自己を克服して、自らに気魄の証明を与えるために。賭をするために、不安の快楽を味わうために、ただ何のためにでもなく、気紛れに、無為の徒然(つれづれ)から。
これは倦怠と夢想から湧き出る一種のエネルギーである。そしてかくも執拗にそれが現れるのは、先にも云った如く、一般に世の最も無為なる、最も夢想的なる人々に於てである。
またある者は、人の視線に会うとその眼を伏せるほど、またカフェに入るにも劇場の切符売場の前を通るにも、(中略)その貧弱な全身の意志を集中しなければならないほど、それほどの臆病者であるが、突然、彼の傍らを通行する一人の老人の顎に飛びつきさま、あっけにとられている群衆の面前で、熱烈に接吻するだろう。
なぜだろう! それは……、それは、その老人の顔が、どうすることも出来ない共感を覚えしめたためであろうか? 恐らくそうだろう、しかし、彼自らもその理由を知らないと考える方が、より一層正しいだろう。
私は一度ならず、この発作と衝動のために犠牲となった。それはついに我々をして、我々の内部へ狡猾な悪魔が忍びこみ、彼らの最も荒唐無稽な意志で、知らない間に我々を満すのだと、余儀なく信ぜしめる。
ある朝私は、陰鬱な悲しい気持で、無為にも疲れ果てて、何か偉大な、素晴らしい行為をしなければならないように促されて、寝床を離れると窓を押開いた、そして、噫!」
「私が最初に路上に認めたのは、その鋭い調子外れの呼声が、巴里の汚れた重い空気を透して聞きとれる、一人の硝子売りであった。しかしこの憐れな一人の男に向って、どうして私が、突然にして而も残忍なる憎悪を抱いたかは、殆ど解明することは不可能のようである。
「――おい! おい!」そう声をかけて、私は彼に昇って来いと叫んだ。そうして私は、私の部屋は六階にあって、階段は非常に狭いから、あの男は昇って来るのに甚だ苦労をしなければならないし、その毀れ易い商品の角を、到るところに打ち当てるだろうと考えると、何か多少、愉快な気持を覚えないではなかった。
とうとう彼は現れた。私は珍しそうに彼の硝子を残らず検べてからこう云った。「――何だい? お前は色硝子を持っていないんだね? 薔薇色の、赤の、青の、魔術の硝子、天国の硝子はどこにあるんだい? けしからんじゃないか! 大きな顔をして貧民区を売って歩きながら、その癖人生を美しく見せる硝子を持っていないなんて!」そして私は、蹣跚(よろ)めいて不平を呟く彼を、階段のところまで激しく押しやった。
私は寝台へ行って小さな花甕をとると、再び彼が戸口の外へ現れるのを待って、その背負枠の後ろの端へ、私の武器を垂直に放下した。衝撃が彼を覆えし、貧しい彼の行商の全財産は、その背中の下で、落雷によって崩壊する水晶宮の鏘然(しょうぜん)たる音響を発して、一つ残らず毀れてしまった。
そして私は、私の狂気に夢中になって、声をしぼって彼に叫びかけた、「美しき哉人生! 美しき哉人生!」
凡そかかる神経質なる悪戯は、ともすれば危険を伴わないものではない、また屡々、高価にそれを支払わなければならない。しかしながら、一瞬のうちに無限の快楽を見出した者にとって、永遠の刑罰がそもそもまた何であろう!」



巴里の憂鬱2


俳優ミシェル・ピコリの朗読による四枚組CD。


こちらもご参照下さい:
エドワード・ゴーリー 『うろんな客』  (柴田元幸 訳)
小松和彦 『異人論 ― 民俗社会の心性』















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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