『ボードレール 『悪の花』 註釈』 多田道太郎 編 (全二冊)

「時代と社会の切断面に露呈する人類の「悪」あるいは「病い」を直視し、自らもそれに感染しながら外科医のメスを揮うこと、これがボードレールの批評精神の本質であろう。嫌悪するにせよ、感応するにせよ、肉欲的な歓びを覚えるにせよ、あるいはまた陰鬱な仕方で突き放すにせよ、「悪(=病い)」の種々相を腑分けして見きわめる精神は、それに眼をつむる盲目の精神より、むしろはるかに正常で健全なものであるといえよう。」
(宇佐美斉 「『悪の花』の構成」 より)


『ボードレール 
『悪の花』 
注釈』 
多田道太郎 編

京都大学人文科学研究所研究報告

京都大学人文科学研究所
1986年3月15日 印刷
1986年3月31日 発行
上: xxxiv 872p(p.1~p.872)
口絵(モノクロ)1葉
下: iii 662p(p.873~p.1534)
口絵(カラー)1葉
B5判 
丸背バクラム装上製本 
機械函



本書「序」より:

「本書は、京都大学人文科学研究所において、1975年4月から1984年3月までの10年間にわたって行なわれた共同研究「ボードレール『悪の花』註釈」の最終報告である。」


本書は日本の古本屋サイトで最安値(3,000円+送料500円)のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。
定価は書いてないです。横組。本文中図版(モノクロ)12点。全133篇の原詩に訳詩と註釈が付されています。
本書は1988年に平凡社から3冊本で再刊されています。


ボードレール 悪の花 註釈 01


最安値でしたが元パラ付きでほとんど使用感のない本が届きました。

題字は桑原武夫。「「花」の字は草が化けるという気分がいいとおっしゃった。(中略)むかしの正字の「華」が俗字の「花」と化したのは、音(声符)のたわむれの故でもあった。」(「感謝の辞」より)。


ボードレール 悪の花 註釈 02


上 目次:

序 (多田道太郎)
感謝の辞

『悪の花』解釈の方法 (多田道太郎)
『悪の花』の構成 (宇佐美斉)

註釈
 凡例
 AU LECTEUR 読者に (杉本秀太郎)
 憂鬱と理想
 I BÉNÉDICTION 祝福 (杉本秀太郎)
 II L'ALBATROS あほう鳥 (大槻鉄男)
 III ÉLÉVATION 高翔 (大槻鉄男)
 IV CORRESPONDANCES 照応 (松本勤)
 V (Jaime le souvenir de ces époques nues,) (あの裸の時代の追憶を私は愛する、) (松本勤)
 VI LES PHARES 燈台 (西川長夫)
 VII LA MUSE MALADE 病気のミューズ (西川長夫)
 VIII LA MUSE VÉNALE 身を売るミューズ (西川長夫)
 IX LE MAUVAIS MOINE 不徳の僧 (竹内成明)
 X L'ENNEMI 敵 (竹内成明)
 XI LE GUIGNON 不遇 (松田清)
 XII LA VIE ANTÉRIEURE 前世 (松田清)
 XIII BOHÉMIENS EN VOYAGE 旅ゆくジプシー (多田道太郎)
 XIV L'HOMME ET LA MER 人と海 (多田道太郎)
 XV DON JUAN AUX ENFERS 冥界のドン・ジュアン (杉本秀太郎)
 XVI CHATIMENT DE L'ORGUEIL 慢心の罰 (大槻鉄男)
 XVII LA BEAUTÉ 美 (松本勤)
 XVIII L'IDÉAL 理想 (竹内成明)
 XIX LA GÉANTE 巨大な女 (西川長夫)
 XX LE MASQUE 仮面 (松田清)
 XXI HYMNE A LA BEAUTÉ 美への讃歌 (多田道太郎)
 XXII PARFUM EXOTIQUE 他郷の香り (杉本秀太郎)
 XXIII LA CHEVELURE 髪 (大槻鉄男)
 XXIV (Je t'adore à l'égal de la voûte nocturne,) (夜の大空にもひとしく、私はきみを崇(あが)める、) (松本勤)
 XXV (Tu mettrais l'univers entier dans ta ruelle,) (きみは宇宙をすっかり閨房に招き入れるだろう、) (松本勤)
 XXVI SED NON SATIATA サレド女ハ飽キタラズ (竹内成明)
 XXVII (Avec ses vêtements ondoyants et nacrés,) (波かとうねり螺鈿かと輝く衣裳をつけて、) (松田清)
 XXVIII LE SERPENT QUI DANSE 踊る蛇 (松田清)
 XXIX UNE CHAROGNE 腐肉 (多田道太郎)
 XXX DE PROFUNDIS CLAMAVI 深キ淵ノ底ヨリ我叫ビヌ (杉本秀太郎)
 XXXI LE VAMPIRE 吸血鬼 (大槻鉄男)
 XXXII (Une nuit que j'étais près d'une affreuse Juive,) (ひと夜屍(しかばね)に添うて横たわる屍のように) (竹内成明)
 XXXIII REMORDS POSTHUME 死後の悔恨 (松田清)
 XXXIV LE CHAT 猫 (多田道太郎)
 XXXV DUELLUM 一騎討ち (杉本秀太郎)
 XXXVI LE BALCON 露台 (大槻鉄男)
 XXXVII LE POSSÉDÉ 憑かれた男 (竹内成明)
 XXVIII UN FANTOME まぼろし (西川長夫)
  I LE TÉNÈBRES. 暗闇
  II LE PARFUM. 香り
  III LE CADRE. 額縁
  IV LE PORTRAIT. 肖像
 XXIX (Je te donne ces vers afin que si mon nom) (おまえに与えよう、これらの詩を、もし私の名が) (多田道太郎)
 XL SEMPER EADEM イツモ同ジク (松本勤)
 XLI TOUT ENTIÈRE 彼女のすべてが (竹内成明)
 XLII (Que diras-tu ce soir, pauvre âme solitaire,) (今宵、何を語ろうというのか、哀れな孤独な魂よ) (松田清)
 XLIII LE FLAMBEAU VIVANT 生ける松明 (多田道太郎)
 XLIV RÉVERSIBILITÉ 功徳 (杉本秀太郎)
 XLV CONFESSION 告白 (大槻鉄男)
 XLVI L'AUBE SPIRITUELLE 霊の曙 (竹内成明)
 XLVII HARMONIE DU SOIR 夕べの諧調 (西川長夫)
 XLVIII LE FLACON 香水壜 (松本勤)
 XLIX LE POISON 毒液 (杉本秀太郎)
 L CIEL BROUILLÉ 曇り空 (多田道太郎)
 LI LE CHAT 猫 (竹内成明)
 LII LE BEAU NAVIRE 美しい船 (松本勤)
 LIII L'INVITATION AU VOYAGE 旅への誘い (西川長夫)
 LIV L'IRRÉPARABLE 取り返しのつかぬもの (湯浅康正)
 LV CAUSERIE おしゃべり (多田道太郎)
 LVI CHANT D'AUTOMNE 秋の歌 (杉本秀太郎)
 LVII A UNE MADONE あるマドンナに (松本勤)
 LVIII CHANSON D'APRÈS-MIDI 昼下りの唄 (竹内成明)
 LIX SISINA シジナ (松本勤)
 LX FRANCISCÆ MEÆ LAUDES ワガふらんきすか頌 (天野史郎)
 LXI A UNE DAME CRÉOLE 植民地生れの夫人に (西川長夫)
 LXII MŒSTA ET ERRABUNDA 悲シミ サマヨウ (湯浅康正)
 LXIII LE REVENANT 幽霊 (多田道太郎)
 LXIV SONNET D'AUTOMNE 秋のソネ (杉本秀太郎)
 LXV TRISTESSES DE LA LUNE 月の悲しみ (宇佐美斉)
 LXVI LES CHATS 猫 (宇佐美斉)
 LXVII LES HIBOUX 梟(ふくろう) (松本勤)
 LXVIII LA PIPE パイプ (西川長夫)
 LXIX LA MUSIQUE 音楽 (天野史郎)
 LXX SÉPULTURE 墓 (多田道太郎)
 LXXI UNE GRAVURE FANTASTIQUE 一枚の幻想的版画 (杉本秀太郎)
 LXXII LE MORT JOYEUX 陽気な死者 (多田道太郎)
 LXXIII LE TONNEAU DE LA HAINE 憎しみの樽 (松本勤)
 LXXIV LA CLOCHE FÊLÉE ひびわれた鐘 (西川長夫)
 LXXV SPEEN (Pluviôse, irrité contre......) 憂鬱 (湯浅康正)
 LXXVI SPLEEN (J'ai plus de souvenirs......) 憂鬱 (多田道太郎)
 LXXVII SPLEEN (Je suis comme le roi......) 憂鬱 (杉本秀太郎)
 LXXVIII SPLEEN (Quand le ciel bas et lourd......) 憂鬱 (竹内成明)
 LXXIX OBSESSION 強迫観念 (西川長夫)
 LXXX LE GOUT DU NÉANT 虚無の味わい (松本勤)
 LXXXI ALCHIMIE DE LA DOULEUR 苦悩の錬金術 (湯浅康正)
 LXXXII HORREUR SYMPATHIQUE 感応する恐怖 (天野史郎)
 LXXXIII L'HÉAUTONTIMOROUMÉNOS ワレトワガ身ヲ罰スル者 (多田道太郎)
 LXXXIV L'IRREMÉDIABLE 八方塞がり (杉本秀太郎)
 LXXXV L'HORLOGE 時計 (竹内成明)



下 目次:

 パリ情景
 LXXXVI PAYSAGE 風景 (西川長夫)
 LXXXVII LE SOLEIL 太陽 (松本勤)
 LXXXVII A UNE MENDIANTE ROUSSE 赤毛の女乞食に (宇佐美斉)
 LXXXIX LE CYGNE 白鳥 (松本勤)
 XC LES SEPT VIEILLARDS 七人の老人 (杉本秀太郎)
 XCI LES PETITES VIEILLES 小さな老婆たち (多田道太郎)
 XCII LES AVEUGLES 盲人たち (西川長夫)
 XCIII A UNE PASSANTE 通りすぎた女へ (松本勤)
 XCIV LE SQUELETTE LABOUREUR 地を耕す骸骨 (宇佐美斉)
 XCV LE CRÉPUSCULE DU SOIR 夕べの薄明 (湯浅康正)
 XCVI LE JEU ばくち遊び (多田道太郎)
 XCVII DANSE MACABRE 死の舞踏 (杉本秀太郎)
 XCVIII L'AMOUR DU MENSONGE 虚偽を愛す (西川長夫)
 XCIX (Je n'ai pas oublié, voisine de la ville,) (私は忘れていない、街のはずれの) (松本勤)
 C (La servante au grand cœur dont vous étiez jalouse,) (あなたがねたましく思っていた、あのまごころのふかい女中) (宇佐美斉)
 CI BRUMES ET PLUIES 霧と雨 (湯浅康正)
 CII RÊVE PARISIEN パリの夢 (多田道太郎)
 CIII LE CRÉPUSCULE DU MATIN 朝の薄明 (西川長夫)
 酒
 CIV L'AME DU VIN 酒の魂 (松本勤)
 CV LE VIN DES CHIFFONNIERS 屑拾いの酒 (宇佐美斉)
 CVI LE VIN DE L'ASSASSIN 人殺しの酒 (多田道太郎)
 CVII LE VIN DU SOLITAIRE 孤独な男の酒 (竹尾茂樹)
 CVIII LE VIN DES AMANTS ふたり酒 (多田道太郎)
 悪の花
 CIX LA DESTRUCTION 破壊 (杉本秀太郎)
 CX UNE MARTYRE 殉教の女 (西川長夫)
 CXI FEMMES DAMNÉES (Comme un bétail pensif......) 地獄に堕ちた女たち (松本勤)
 CXII LES DEUX BONNES SŒURS 優しいふたりの姉妹 (宇佐美斉)
 CXIII LA FONTAINE DE SANG 血の泉 (湯浅康正)
 CXIV ALLÉGORIE 寓意(アレゴリー) (竹尾茂樹)
 CXV LA BÉATRICE ベアトリーチェ (多田道太郎)
 CXVI UN VOYAGE A CYTHÈRE キュテラ島紀行 (杉本秀太郎)
 CXVII L'AMOUR ET LE CRANE
キューピッドとどくろ (西川長夫)
 反逆
 CXVIII LE RENIEMENT DE SAINT PIERRE 聖ペテロの否認 (松本勤)
 CXIX ABEL ET CAÏN アベルとカイン (宇佐美斉)
 CXX LES LITANIES DE SATAN サタンへの連禱 (宇佐美斉)
 死
 CXXI LA MORT DES AMANTS 恋人たちの死 (竹尾茂樹)
 CXXII LA MORT DES PAUVRES 貧者の死 (多田道太郎)
 CXXIII LA MORT DES ARTISTES 芸術家たちの死 (杉本秀太郎)
 CXXIV LA FIN DE LA JOURNÉE 一日の終り (松本勤)
 CXXV LE RÊVE D'UN CURIEUX 好奇心の強い男の夢 (宇佐美斉)
 CXXVI LE VOYAGE 旅 (多田道太郎)
 禁断詩篇
 i LES BIJOUX 宝石 (大槻鉄男)
 ii LE LÉTHÉ 忘却の河 (杉本秀太郎)
 iii A CELLE QUI EST TROP GAIE 陽気にすぎる女へ (多田道太郎)
 iv LESBOS レスボス (竹尾茂樹)
 v FEMMES DAMNÉES (Delphine et Hippolyte) 地獄に堕ちた女たち――デルフィーヌとイポリット (天野史郎)
 vi LES MÉTAMORPHOSES DU VAMPIRE 吸血鬼の変貌 (多田道太郎)

参考文献
『悪の花』構成対照表
詩索引(alphabet 順)
人名索引
図版索引

あとがき (杉本秀太郎/西川長夫/松本勤/宇佐美斉/竹尾茂樹/天野史郎/多田道太郎)
執筆者紹介
執筆分担表



ボードレール 悪の花 註釈 03



◆感想◆


本書はたいへんでかくて重い本なので寝ながらよむのには向いていないですが、ボードレール入門者としては最初からこれくらいヴォリューミーで情報量があるものに当ってしまったほうがむしろよいのではないでしょうか。
オーディオ教材としては、ミシェル・ピコリやドニ・ラヴァンによる朗読、ドビュッシーやフォーレ、デュパルク、レオ・フェレなどが曲をつけたのもよいですが、↓の人はゆっくり朗読してくれて発音がわかりやすいのでよいです。

French Poem - Harmonie du Soir by Charles Baudelaire - Slow Reading


































































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阿部良雄 『ひとでなしの詩学』 

「市民社会の平均的人間(=受益者)――「似た者(サンブラーブル)」たち――に対して自らを似ない者(=被害者)として立て、「似た者」たちがまさしく自らに肖(に)せて作った守護神たる七月王政=第二帝政下の「神」に対して自分は別個の(ひょっとして正統の)神なり悪魔なりを奉ずるものという立場を表明する時、ロマン主義的な「ひとでなし」の政治学・倫理学が成立する。」
(阿部良雄 『ひとでなしの詩学』 「あとがき」 より)


阿部良雄 
『ひとでなしの詩学』
 

小沢書店
昭和57年9月20日 初版発行
321p 人名索引vii
20.6×15cm
角背紙装上製本 貼函
定価2,800円



そういうわけで、このブログのタイトルは本書からとったであります。


阿部良雄 ひとでなしの詩学 01


帯文:

「ボードレール、ロートレアモン、ワイルドら市民社会のなかで、自らを異端(=ひとでなし)として位置づける世紀末デカダンスの詩人・芸術家。このロマン主義の後裔たちの示す美学上の大転換のドラマを捉え、ポンジュ、ボヌフォワら現代におよぶ西欧文明の変貌の過程を描く画期的労作。」


目次 (初出):

 Ⅰ
人でなしの詩学――ロートレアモン (「カイエ」 1979年6月号、8月号)
 ★1 類似/非似の力学
 ★2 非=人間化の政治学
 ★3 反秩序の修辞学
 ★4 ひとでなしの自己同一性
 Ⅱ
イマージュ・シュルレアリスト論序説 (「ユリイカ」臨時増刊〈シュルレアリスム〉 1976年6月)
 Ⅲ
Ⅰ 記憶の内奥への旅――ボヌフォワ/ルーボー (「海」 1974年5月号)
 ★1 記憶の国/〈裏の国〉
 ★2 共通の場
2 直知可能なるものの誘惑――イヴ・ボヌフォワ (原題: 《La tentation de l'intelligible》 L'Arc, no. 66, Yves Bonnefoy, 1976
 Ⅳ
言葉・運命・兆候(シーニュ)――ミシェル・トゥールニエ (「海」 1979年6月号)
 ★1 絶対的言語と充足――幼年期の空間
 ★2 宿命の神話的展開――青年期の時間
 ★3 他者なき世界――思春期と兆候(シーニュ)
 Ⅴ
1 超人猿の島――ベルナール・ノエル (「海」 1974年9月号)
2 怨恨の構造――E・M・シオラン (原題: デカダンス弁証論――〈終末の世紀〉の怨恨の構造――反時代的哲学者E・M・シオラン 「日本読書新聞」 1975年12月22日号)
3 汚物と存在――ブラッサイ (原題: 夜の深みへの遡行 「週刊読書人」 1978年3月13日号/原題: 存在たちの深みへ 「美術手帖」 1979年10月号)
4 二つの世紀末のあいだ――アルセーヌ・リュパン (原題: 二つの世紀末のあいだ――カリオストロからリュパンへ パシフィカ刊、榊原晃三編 『名探偵読本――7 怪盗ルパン』、1979年6月)
5 英国的、あまりに英国的な――シャーロック・ホームズ (パシフィカ刊、阿部知二訳 『シャーロック・ホームズ全集』第7巻月報、1978年)
6 帰り来ぬ青春――オスカー・ワイルド (出帆社刊 『オスカー・ワイルド全集』第9巻月報、1976年)
7 デカダンスと素朴――ボードレール (原題: ボードレールと〈デカダンス〉の観念に関する覚書 「ユリイカ」 1978年10月号)
8 光明への予感――ギュスターヴ・クールベ (原題: 死と夢の画家クールベ――来るべき光明への予感 「朝日新聞」 1977年10月29日夕刊)
9 平等性と貴族主義――ボードレール (原題: 平等性と貴族主義――〈モデルニテ〉の逆説 「早稲田文学」 1977年5月号)
10 テロルなき文学――マクシム・デュ・カン (原題: “忘れられた”作家がフローベールらの生活を語る 「朝日ジャーナル」 1980年7月4日号)
11 出し遅れの証文――ボードレール (原題: ボードレールと『悪の華』 「読売新聞」 1975年7月17日夕刊)
12 笑う魔人――マテューリン (原題: 笑う魔人メルモス 「牧神」創刊号、1975年1月)
 Ⅵ
1 普遍的思惟の詩人――萩原朔太郎 (原題: 普遍的思惟の詩人朔太郎 筑摩書房版『萩原朔太郎全集』第14巻付録「研究ノート」、1978年2月)
2 人間主義は文化を妨害する――古賀春江 (原題: 未発表の古賀春江・青春のスケッチブック 「芸術新潮」 1977年6月号)
3 時間が美に転化する瞬間――金子光晴 (原題: 優雅なる腐爛体 「ユリイカ」 1974年9月号〈詩書批評〉爛/原題: 金子光晴の〈時間〉 中央公論社刊『金子光晴全集』第13巻月報、1976年5月/原題: 時間が美に転化する瞬間 思潮社刊〈現代詩読本〉3『金子光晴』、1978年9月)
4 永遠の青春――きだみのる (『文学の表面に浮かぶものは』 大船渡第一画廊、1977年7月)
5 われかつてアルカディアにもありき――吉田健一 (原題: 吉田健一著『ヨオロツパの人間』書評 「日本読書新聞」 1973年11月26日号/原題: われかつてアルカディアにもありき 「日本読書新聞」 1977年8月29日号)
6 生理と偏執――沼正三 (原題: 論理と生理 沼正三 『ある夢想家の手帖から』 付録「しおり」 潮出版社、1976年
7 救世の幼神――加藤郁乎 (原題: 救世の幼神 イクヤ=ホールス 「週刊読書人」 1976年10月4日号)
8 流謫の政治学――鷲巣繁男 (「週刊読書人」 1977年6月27日号)
 Ⅶ
1 園丁と海図学者――W・H・オーデン『怒れる海』 (「秩序」11号、1963年夏)
2 不幸の意識――ジョルジュ・ブラン 『ボードレールのサディスム』 (ジョルジュ・ブラン著、及川馥訳 『ボードレールのサディスム』 序文 牧神社、1973年)
3 言葉ともの――ポンジュ (原題: 作品会見/第三回 阿部良雄氏に聞く フランシス・ポンジュ 「防人」第二号、1977年7月)
4 制度としての猫/自然としての猫 (「朝日ジャーナル」 1980年12月19日号)
5 人間的なるものの此岸に――ロジェ・カイヨワ (ロジェ・カイヨワ文、森田子龍書、杉浦康平デザイン 『印』 Chiffres 座右宝刊行会、1979年)
6 存在とイマージュ――フローベール/ルドン (形象社刊 〈世界連作版画シリーズ〉第二回配本『ルドン〈聖アントワヌの誘惑〉第三集』 1981年3月)


初出・原題一覧
あとがき
人名索引



阿部良雄 ひとでなしの詩学 02



◆本書より◆


「あとがき」より:

「「人でなし(引用者注: 「人でなし」に傍点)の国は人の世(引用者注: 「人の世」に傍点)よりも猶住みにくからう」とあきらめて、人の世を少しでも住みよくするために詩人だとか画家とかいうものに「人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにする」役割を負わせることにしておこうという人生観・芸術観は、反逆と夭折の模範的人生に恵まれず馬齢を重ねて市民生活の快適さにもようやく得心の行ったほどの人間ならば誰しも結局はどこかで認めておかざるを得ぬていのものであろう。しかしたとえば漱石なら漱石がそれですっかり安住の気分になってしまえたわけではなくて、「人でなしの国」へ引っ越す代りにまるで自分が「人でなしの国」から来た人間のように振舞わずにはいられぬ折節もあり、そういう所詮は「人の世」に安住できぬ異邦人なればこそ『明暗』のような鬼気迫る作品が書けたのであろうと、またしても無知な筆者はただ一つ覚えの論理を振り廻すの他はない。
 近代英国のように階級・身分・分業の安定した中にしっかり位置付けられて文学者の機能も埒を越えないように見える大人(引用者注: 「大人」に傍点)の国とは違って、やたらに文学者が己れの職分を越えて口ばかりか手まで出したがる小児病的な国がフランスであるという意味のことを、もう十年近く前に書いたことがある(中略)。それが十八世紀啓蒙主義者たちに源を発する態度であるのみならず、フランス大革命を通じて今度は「反革命」の側の知識人の態度として強化され、フランス・ロマン主義の基本的な原理となったのであることをみごとに示したのが、Paul Bénichou, Le Sacre de l'écrivain 1750-1830. (中略)という本であって、(中略)それまでの支配階級だった貴族たちが恐怖政治による受難(処刑と亡命)を蒙り、ついにはルイ十六世の処刑において王権=神権の合一が国王=キリストの同一化として具体的=象徴的に成立することによって、正統なる者が現社会では被害者であり異端であり反逆者であるというロマン主義の図式への、強力な裏付けが成り立ったのだと、そんな風にベニシューの本を読めば、これは今日に至るまでのフランス知識人のかなりに多くに共通な、貴族主義的=反逆者的価値観が、時にはルーティンに堕しながらかなり都合よく機能し続けていることの説明ともなり得る。他方、革命後の土地分配の結果としての中世建築破壊に対してまず立ち上ったのがモンタランベールや若き日のユゴーなど反動的・王権=教権主義的知識人であることを思えば(中略)、今日のエコロジスト運動の淵源もまたここにあると察せられよう。
 市民社会の平均的人間(=受益者)――「似た者(サンブラーブル)」たち――に対して自らを似ない者(=被害者)として立て、「似た者」たちがまさしく自らに肖(に)せて作った守護神たる七月王政=第二帝政下の「神」に対して自分は別個の(ひょっとして正統の)神なり悪魔なりを奉ずるものという立場を表明する時、ロマン主義的な「ひとでなし」の政治学・倫理学が成立する。そして「ひとでなし」としての自己定立が、神学的に悪魔主義の相を帯び得るのみならず、人間学的には、正常人に対して狂人の、文明人に対して未開人の、男性に対して女性の、納税者=選挙権保有者に対しては「賤民(パリア)」の、成人に対しては老人・幼児の、さらにその延長において、人間に対しては動物・植物の、生物に対しては無生物の権利・価値を主張するものであったことは、イポリット・テーヌによって早くも示された「(古典的)人間」の解体に呼応することであると同時に(中略)、美学的な大転換への出発点をもなすことは、今さら言い立てるまでもあるまい。
 こうしたロマン主義的な「ひとでなしの詩学」の中に本書ではT・E・ヒュームの反ロマン主義的反人間主義の不協和音が混りこんでしまった不手際は、まず宥恕のほどをお願いしておくの他はない。しかし他方、ボードレールやロートレアモンも安易な人間主義に対して徹底的に「ひとでなし」の立場をとることのロマン主義的激越さにおいてかえって「古典主義的」と見まがうほどの厳格さによるロマン主義超越の方向づけを示したと見ることにより、ここにすくなくともこじつけ的な整合性を主張し得るかも知れない。」



「ひとでなしの詩学」より:

「たった独りのマルドロールが、全人類および彼らの創り主たる神を敵に廻して闘うという、思えば月並なロマン主義的=堕天使物語的=悪魔主義的筋立てないし配役は、ロートレアモンが事あるごとに飽きもせず念を押すところだが、この闘いのさまざまな位相の一つを、非人間化 déshumanisation と名付けることにしよう。この位相は、第四の歌の冒頭、「これから第四の歌を始めようとする者は一人の人間もしくは一個の石もしくは一本の樹木である」という宣言が掲げられた後、さながらこの歌章のライトモチーフとして展開される。そして非人間化のさまざまな局面は、同類(サンブラーブル)、類似(ルサンブランス)、差異(ディフェランス)……等々の縁語の使用を促し、同類=似て非なるものと定式化される弁証法の、豊かな形象化と、執拗な論理的追究を可能にするのだ。
 そしてこの非人間化がさらに二つの位相、すなわち書法の主体としての「私」あるいは主人公マルドロールの非人間化、そして他方、敵である人類の非人間化という、二つの位相を含みつつ進行するのであることは、先ほどの力学的考察からしても当然のことと予想されよう。今しがた引いた有名な宣言の直後に来る比喩(コンパレゾン)を次に掲げることにするが、それらの比喩に基づいての結論は、厭うべき同類どもを非人間化するまでもなく彼らはすでに非人間的な実相をもつそのことの認識・表現はその認識・表現の主体の側の非人間化を伴わずには遂行され得ぬ捨身の業であり、その捨身の決断こそが文学的(修辞的)エネルギーの源泉であるという、先ほど措定した力学(ディナミーク)を、すでになまなましい様相の下に呈示する。

 ★足が一匹の蛙を踏めば、嫌悪の感覚(サンサシオン)が感じられる。だが、人間の身体に手でもって軽く触れるか触れぬかに、指の皮は、槌で打ちこわす雲母の塊の鱗片のように(引用者注: 「鎚で打ちこわす~」に傍点)ひび割れる。そして、一時間も前から死んでいる鱶の心臓が甲板の上で執拗な生命力をもって動悸し続けるのと同じように(引用者注: 「一時間も前から~」に傍点)、われわれの内臓は、接触の後も長い間、隅々まで鳴動し続ける。さほどに人間は彼自らの同類(サンブラーブル)に、ぞっとするような嫌悪を覚えさせるのだ。

 そして、一見とりとめもない比喩の連続として展開されるこのストローフ全体は、「意識」ゆえに自らを同類と似て非なるものとして非人間化せずにはいられず、そのことによって、天使ならぬ身の浅ましさ、もとの自分とも似ても似つかぬものになってしまう悲劇(=喜劇)の、明晰な認識の過程なのである。」

「そうした人間どもの非人間的な悪虐にかかってこちらもいつ非人間化されてしまうか分らないのであってみれば、こちらが一足先に、人間の形をしたままひとでなし(引用者注: 「ひとでなし」に傍点)になって、人間及びその創り主たる神とどこまでも闘いぬいてみようという決意が、正直すぎると言っていいほど正直に表明される。」

「豚どもに嘔吐をもよおさせるほど汚いこの「私」は、(中略)「断崖の上に眠りこんでしまった」ある日のこと、今度は自分自身が豚に変身する夢を見るのであって、非人間化の過程のまことに論理的な進行は、ここで一つの終点に達すると見てよい。

 ★私は夢見たのだ、自分が一匹の豚の身体の中に入ってしまい、そこから出ることは容易でなく、自分の毛をこの上もなく泥んこな沼地の上にころがしているざまを。これは何かの報酬だったのだろうか? 私の願(がん)はついに叶って、私はもう人類に属してはいなかった(引用者注: 「もう人類に~」に傍点)のだ!

 〈豚(プールソー)の身体の中に入る〉という表現はただちに新約聖書(『ルカによる福音書』第八章)で、レギオンという名の人にとりついた悪霊たちが豚の群の身体の中へ入ることをイエスに願い出て許されそのまま豚もろとも湖へなだれこんで溺れ死んでしまうくだり――われわれには、ドストエフスキーの小説のエピグラフでなじみ深いくだり――を思い起させて、ロートレアモンの想像力の跳梁する場の悪魔学的境界ともいうべきものが改めて強く浮き出てくるのでもある。だがそれよりもここでは、「一つの完全な幸福の高く堂々たる反響」としての「変身」を久しい前から希(こいねが)ってきた「私」が、その願望の実現を機会に、自らのかくもみごとな非人間化を可能ならしめた原理と力を逆用して、敵なる人類の非人間化を執拗に推進するのであることを、特記しておかなければならない。

 ★ついにやってきたのだ、私が一匹の豚となる日が! 私は自分の歯で木々の表皮をかじってみた。自分の豚鼻をうっとりして眺めた。もはや神性のほんのわずかな破片も残ってはいなくて、私はこの筆舌に尽し難い悦楽の過度の高みにまで能(よ)く私の魂を高めることを得たのだ。だからして私に耳を傾けるがよい、そして顔を赤らめるな、美の尽きることなきカリカチュアどもよ、この上もなく侮蔑に値する汝らの魂の笑うべきろばのような鳴き声(引用者注: 「ろばのような鳴き声」に傍点)を真に受ける者どもよ。そして至高の権力者たる神が、たしかにグロテスクの一般的大法則を超えるものでないとはいえそれなりに優秀な道化ぶりを思いついた稀な機会に、とある惑星の上に奇妙な顕微鏡的存在、人呼んで人類(引用者注: 「人類」に傍点)〔原文イタリック〕と言い、その材質は朱色の珊瑚のそれに似る(引用者注: 「似る」に傍点)ものたちを住まわせるというすばらしく楽しいことをやってのけたのは何故であるか、理解せぬ者どもよ。

 非人間化とは、ここまでくれば、肉を斬らせて骨を斬る戦術であり、また思えば、貴重な自由――ここでは具体的には、一個の言語的自由――を身に備えるために自らに施さねばならぬ変身の手術でもあるのだ。それにしてもこの武器、この自由を獲得するためにロートレアモンの踏む手続きは慎重と言っていいほど入念であることが、強調されなければならない。それは後に、シュルレアリスム俗流の影像(イマージュ)作法にとりこまれるような、ただ恣意的に語と語を結びつけるだけの術ではない、というかむしろ、そういう「万人によって」利用され得る術が出来上る前の、苦心の段階なのだ。
 第四の歌第七のストローフは、非人間化というのが、堕天使マルドロールを初め本来は邪悪でなかったかも知れぬ者たちの側にあっては、同類にして同類ならざる者たちの元来非人間的である性質をこちら側へ引き受けさせられる=引き受ける過程なのであることを、もう一度念押しして示すエピソードを含む。

 ★大陸(おか)の住人たちに嫌気がさして、というのも、あの人たちは、私の同類(引用者注: 「私の同類」に傍点)と名乗っていながら、それまでのところいかなる点でも私に似ている(引用者注: 「似ている」に傍点)ようには私には見えなかったからなのですが(もし彼らが私は彼らに似ている(引用者注: 「似ている」に傍点)と思っていたのなら、なぜ私に危害を加えたのでしょうか?)、私は浜辺の小石たちの方へ足を向けたのです。自らに死を与えようという確固たる決意を抱いて……

 こう語るのは水かきをもって水禽のようにみごとに泳ぐ男なのだが、彼は、両親およびその溺愛する兄弟(双生児の片割れ)に迫害され、土牢の中で十五年間蛆虫と泥水を糧に生きのび、「詭計によって自由をとりもどすことに成功した」後、死ぬつもりで入った海の中で「摂理によって、部分的に白鳥の身体を与えられた」のであって、非人間化が半ば他律的現象であることが、正確に示されている。」

「「光栄ある犯罪」としての破壊的な「修辞的文彩」を濫用することによって神の世界の調和的ないし類縁的(アナロジック)な秩序をおびやかす犯罪者が神の前に屹立するさまは、すくなくとも一人の他者として、さらには創造主が十全な意味での〈主体(シュジェ)〉であるのに劣らず十全の主体(シュジェ)としてであって、主題(シュジェ)のどうでもよさ(アンディフェランス)は、主体(シュジェ)のどうでもよさ(アンディフェランス)ではなく逆に神と並ぶ(神の他には唯一の)主体の唯一無二性、完全な自己同一性における絶対化の結果であるという位相――これはまたすぐれてヘーゲル的な「ロマン的芸術」の位相――にわれわれは到達した。いっとき主体(シュジェ)のどうでもよさ(アンディフェランス)と見えたものは、非人間化により自らを人類に対する差異(引用者注: 「差異」に傍点)において他者(引用者注: 「他者」に傍点)として定立することによって、神のそれにもひとしい絶対的な主体(シュジェ)となるに至る一階梯を踏むことでしかなかった。それは、(中略)肉体の毀損あるいは怪物化=畸形化を伴う自己否定行為が、自己をすら破壊対象の埒外にはおかぬ絶対的否定の行動原理の貫徹した相として、まさしく非=人間ないし超=人間としての優越性を保証する卓越した方法と考えられているのと、同じ根拠をもつことに他ならない。

 ★私は実存するからには、私は一人の他人ではない。私は自分の中に、そんな曖昧な複数性を認めはしない。私は自分の内面の推論の中に、一人で住んでいたい。自律……しからずんば、私を河馬に変えるがよい。〔…〕私の主観性〔=主体性〕(シュブジェクチヴィテ)に加うるに〈創造主〉、それでは一つの脳髄にとってたくさんすぎる。」

「自己同一性のもう一つの危機は、神の側ではなく、人間の側から訪れる。心弱くも「私は自分に似る(引用者注: 「似る」に傍点)ひとつの魂を探していたが、それを見出すことはできなかった」(Ⅱ、13)と告白するような類似存在探究への欲求が、一度だけ牝鱶との結合(彼はそれを「私の初恋」と呼ぶ)によって充たされた後、同性愛的な傾向(中略)を示すことは、至って自然であるだろう。(中略)ただ、実質的には(中略)『マルドロールの歌』の結論部とみなされ得る第五の歌の最終ストローフが、(中略)類似存在=選ばれた同類(サンブラーブル)の探究としての同性愛の悲劇的な挫折を物語るエピソードで終っていることが、重要性を帯びてくる。」

「一見、後世に新たな類縁性(アナロジー)の限りない宝庫をひらく詩学を内包するかに見える第六の歌が、(中略)類似(ルサンブランス)というものの嗤うべきつまらなさ(引用者注: 「つまらなさ」に傍点)を暗示して終るのは、いみじくもつきづきしいことではあるまいか。
 同類(サンブラーブル)が似たもの(ルサンブラーブル)ではなく、似て非なるものが絶望的にはびこる世界の中で少年愛のもたらすわずかに相対的な類似の絆をふり切った犯罪的=修辞的主体は、今や絶対的な差異のうちに十全なひとでなし(引用者注: 「ひとでなし」に傍点)としての自己同一性を確立する。すなわち人間の中から出て能う限り神に近づいた自己同一性であって、その確立の後はもはや、「自分に似た魂」はおろか、マルドロール、ロートレアモンといった呼称による自己多数化――ボードレールのいわゆる「人格をふやすこと」――の手続きすら不要となるだろう。神に対抗し自らを他者として定立する手段が、悪魔主義の諸相を帯びるという否定の原理も、もはや用済みとなって、今では善を真正面から肯定しても、反=神としての自分の同一性は犯され得べくもないのだ。他人の作った金言の塁を剽窃あるいは換骨奪胎する作業が堂々とやってのけられるのも、そうした絶対的な強みからくるひとつの余禄であるだろう。類似と差異の熾烈な弁証法的葛藤に堪えぬいた修辞的堅忍のみが、稀有の境地、全き同一性が最もひらかれた無名性と通底する文字通り神の境地へとみちびき得たのだ。」



「言葉・運命・兆候(シーニュ)」より:

「トゥールニエ(中略)に言わせれば「人間の言葉は、獣たちの無言語状態(ミュチスム)と神々の沈黙の間の道半ばに位置する」。ごく幼い子供のおぼつかない言語はさらに、人間の言葉と、その上方もしくは下方に位置する二つの沈黙(あるいは、無言語状態)のどちらかの中間に位置すると言うべきであり、考えてみれば(中略)二つの無言語状態は似通ったものであるかもしれない。トゥールニエは「小鳥のさえずり」などを「絶対的言語」の一つに数えているが、鳥獣の無言語状態にも似た幼児の言語はたしかに「神々の沈黙」へと進化する可能性を秘めたものであるかも知れないのだ。」

「「母」の恩寵によるにもせよ、一卵性双生児の絶対的な結合=交感によるにもせよ、一度は(ほとんど)実現されていた楽園(中略)からの失墜を体験した後、その失墜の機縁もしくは道具であったかも知れぬ言語そのものを用いて、もう一度その楽園を、いやすくなくとも楽園への希望を、現前させようとする、オプティミストな企図。哲学を愛する少年トゥールニエの前に、形而上学もまた、そのような企図を実現させるための一つの方途として現れたのだった。」

「詩的あるいは形而上学的な言語表現による存在の現前は、無時間的な(「永遠の」)相をとる(とり得る)ことによって、たとえば幼児期の充足の「楽園」の類似物(アナロジー)たり得る。これに対して、「時間」の導入は、永遠=無時間的充足からの追放を意味する――『時間への失墜』とはE・M・シオランが自らの書物の一冊のためにいみじくも選んだ題名である――のだが、まさしくこの失墜後の「時間」に対応する言語表現のジャンルが、小説なのではないだろうか。小説に限らず、神話、伝説、あるいは叙事詩を考えてもよいのだが、思えばこの失墜――時間および空間の中への――は、楽園=卵の中ではただ可能性として内蔵されていたものが、時間・空間の中へと展開されてゆくことを意味する。形而上学から小説へと飛躍もしくは失墜したトゥールニエ自身の宿命が、登場人物たちの宿命を展開させる作業とならざるを得ないのも必然だが、宿命の宿命たるゆえんは、自らの展開を通じてかえってその展開の場である時間・空間を否定するという逆説、言いかえれば、幼年から成年へと時間的経過をたどることがかえって始原への復帰を意味し得るという弁証法が、トゥールニエ自身の宿命の表現である彼の小説群の、ライトモチーフをなすのだ。」



「二つの世紀末のあいだ」より:

「つまり、カリオストロ伯爵からその「娘」を通じてリュパンに伝授された秘伝とは、自他に対する一種の催眠能力であり、そして何よりも、この能力を支える意志への信仰であったと私は言いたいのだが、考えてみればそうした念力は、階級社会の中で自分には満足ならぬ条件に置かれたと感ずる人間が一足飛びに上昇しようと志すとき、多かれ少なかれ発揮する必要のあるものなのだ。」

「そしてカリオストロの悲惨な最期の示すがごとく、強度の精神的緊張を絶えず強いられる超能力者を脅かすものは狂気にほかならないのだ。」



「普遍的思惟の詩人」より:

「ある詩人を愛するということの中には、その詩人の書き残した一行または数行を諳んずるだけではなくて、事あるごとに憶い出してそれを唱えることにより精神の落着き、安らぎを得て、人生の危機と思われるような場であってもその呪文のおかげでなんとか切り抜けたりする、いわば邪霊祓い(エグゾルシスム)の効験をたのむということが含まれるのではないだろうか。」


「園丁と海図学者――W・H・オーデン『怒れる海』」より:

「ところでこの信条を一口で定義するなら、ロマン主義の正統をふまえて立つもの、と言うことができるように思われる。十九世紀のロマン主義者ボードレールなどは、低俗で意地の悪い「ブルジョワ」の精神に戯画化されて宿ったかたちの啓蒙主義になまなましい嫌悪をおぼえるのあまり、ヴォルテールとその一統に子供っぽい悪罵を投げつけもしたものだが、それから百年後のロマン主義者は、「人間の本性と社会の秩序のなかで、合理が不合理にとって代ることを期待した」啓蒙運動の立場に、歴史的な理解を示してやる余裕さえある。闘いは終り、我が方の正しさは証明された。」
「すなわち、古典主義的理想主義的な人間関係ならびに宇宙観樹立の試みは、人類の歴史において挿話的な試みであり、ロマン主義的態度こそむしろ正統性を荷なうものであるとするのが、オーデンの立場だ。百年ないし百数十年前のロマン主義者たちもこうした信条を持していたとはいえ、それが今や大学の講壇から、気負いよりは自信にみちた調子で述べられ、しかも半分以上常識として受け入れられるのを彼らが見れば、自分たちの努力もここまで実ったという安心(同時に若干の失望)を覚えずにはいないだろう。」
「ロマン主義者というものを定義するのにも、本書(中略)に読まれる公式以上に要を得たものを見出すことはむずかしい。

  ロマン主義時代の特徴は、芸術家、製作者(詩人)自体が叙事詩のヒーロー、大胆な思想家となって、みずからその行動を記録しなければならない点である。

  実験の材料にも、記録者にもなる必要のある芸術家は、これまでほとんど知らなかった興奮をたのしみ、恐怖を味わう。

 夢(あるいは狂気)の国の「象牙の扉」の奥ふかくからひとつの記録をもち帰った詩人、「自らのヒステリーを培った」詩人、「あらゆる感覚の、長期にわたる、大がかりな、そしてその理づめの錯乱」を自らに課した詩人、あるいは、メスカリンの効果に未知の啓示を求める詩人――これはある一国の文学からの引例ばかりだが、とにかく、真の意味でロマン主義を代表するすべての詩人の偉業は、ここに完全な定義を与えられていると言ってよいではないか。
 ところで、(中略)決して一方的な断定に走らず常に裏を考える均衡のとれた頭脳の持主であることを示すオーデンは、われとわが身をどの程度危険な実験に供した人なのだろうか。(中略)これはどうもロマン主義の「ヒーロー」とはなり切れなかった人、もっと乱暴に言えば、狂気の足りなかった人ではないかという印象を私は抱いた(中略)。
 むろん、オーデン自身、(中略)「今日われわれが生きている新しい時代では、芸術家は、そのようなヒーローとしての特別な重要性をもつことはありえないし、また、それを望むほど芸術なる神を信じてもいない」と言っているのに、ないものねだりをしても始まらない。しかし、この断言に現代ロマン主義者の安心と弱音をかぎつけ、今日のヒーローは「破壊された都市の城壁を作りなおす建設者」だというような言葉をうさん臭く思う者があるとすれば、――「ブルジョワ」と「芸術家」の対立が、(中略)ほぼ解消した今日、いたずらに反逆の姿勢をとる事は滑稽であるとはいえ、なおかつ、ひそかにわが身を材料として生体実験にはげむ「ヒーロー」があってしかるべきと信ずる者があるとすれば――それは、時代おくれなロマン主義者の言い草ということになるだろうか。」



「制度としての猫/自然としての猫」より:

「だが私は、これらの面白い文章(引用者注: 熊井明子著『猫の文学散歩』および柳瀬尚紀編訳『猫文学大全』)を読み進んでゆくうちに、何とはない白々しさの影がさすのを如何ともしがたかった。」
「猫は「家の中の最期の自然、自然の一部」(『猫の文学散歩』)だというふうにも言い表され得る猫の存在感を前提として猫を生活の中にとりこんでいるのであり、そのとりこみ方が文学の基礎となっているのでありつつ、そうした人間生活内・文学内の猫のあり方があまりにも見事に確立した制度と化し、特に文学の中ではもう自由自在にさまざまなシステムに組みこまれる記号のようなものになってしまっている、そうした先進国的(引用者注: 「先進国的」に傍点)状況を感じたのだ、というふうにでも言い表してみようか。猫のそうした制度化にかけて後進国たる日本では、猫がまだ野良生活に片足かけていて、それは猫の待遇が悪いということであると同時に、〈自然〉に近いということでもあろう。〈自然〉とわれわれが呼ぶものもまた一個の制度にほかならぬという考えにいかほど説得性があろうとも、なお〈自然〉と呼べば呼べるものの存在感にすがって生きたいと感じる人間にとっては、猫との関係があまりにも文学的になってしまうことは必ずしも嬉しいことではない――そんなところが、(中略)この二冊を読んでの、正直な感想である。」



































































































『ボードレール詩集』 佐藤朔 訳 (旺文社文庫)

「おお 人間よ! 私は美しい、石の夢のように。」
(ボードレール 「美」 より)


『ボードレール詩集』 
佐藤朔 訳
 
旺文社文庫 518-1 

旺文社
昭和47年4月20日初版発行
昭和52年 第11刷発行
246p
文庫判 並装 カバー
定価220円
カバー: 深尾庄介



本文中図版(モノクロ)10点、「解説」中図版(モノクロ)12点。


ボードレール詩集 01


カバーそで文:

「『悪の華』一巻は、詩人の生涯かけて掘り起こされ、凝視し続けられてきた精神の遍歴を、精密な構成の内に展開したものである。それは新しい戦慄の創造であり、詩における新しい時代の訪れであった。この詩人の後代に及ぼした影響は測り知れない。本書は、その名詩数十編を選んで、適切な鑑賞をほどこした。」


目次:

 読者に
憂鬱と理想
 祝福
 あほう鳥
 高翔
 照応
 燈台
 敵
 不運
 前世
 人と海
 美
 大きな女
 屍体
 猫
 露台
 いつも同じく
 彼女のすべて
 告白
 精神の曙
 讃歌
 夕べの階調
 くもった空
 美しい船
 旅のいざない
 噴水
 シジナ
 猫
 ふくろう
 パイプ
 音楽
 ひびわれた鐘
 憂鬱
 憂鬱
 憂鬱
 憂鬱
 深淵
 深夜の反省
 みずからを罰する者
 救いがたいもの
 時計
パリ風景
 風景
 太陽
 白鳥
 七人の老人
 小さい老婆
 盲人
 たそがれ
 黙想
 ぼくは覚えている……
 あなたが嫉んでいた……
 パリの夢
 夜明け

 屑屋の酒
 恋人たちの酒
悪の華
 破壊
 異教徒の祈り
 呪われた女たち
 二人の仲よしの姉妹
 シテールの旅
反抗
 聖ペテロの否認
 魔王への連禱

 恋人たちの死
 貧者の死
 芸術家の死
 一日の終わり
 旅

解説 (佐藤朔)
参考文献
年譜
あとがき (佐藤朔)



ボードレール詩集 02



◆本書より◆


「旅のいざない

  いとしい子よ、わが妹よ、
  思ってもごらん かなたに
行って ともに暮らすたのしさを!
  のどかに愛し
  愛して死のう
君に似たあの国で!
  くもった空に
  濡れた陽は、
涙のかげにかがやく
  たのみがたい
  君の眼と同じで、
神秘な魅力がある わが心に。

かなたでは、すべてが秩序と 美と、
豪奢(ごうしゃ)と 静寂と 逸楽(いつらく)と。

  歳月に磨(みが)かれて
  光り輝く家具が、
ぼくたちの部屋を飾り、
  珍しい花々は
  竜涎(りゅうぜん)のかすかな
匂いに その薫(かお)りをまじえ、
  きらびやかな天井、
  奥深い鏡、
東洋ふうのかがやき、
  すべては 語るだろう
  人の心に ひそかに、
ふるさとの やさしい言葉を。

かなたでは、すべてが秩序と 美と、
豪奢と 静寂と 逸楽と。

  見たまえ 運河に
  船が 眠るのを、
船はさすらいを好む気性(きしょう)、
  君の小さな望みを
  みたそうとして
世界の果てから集まる。
  ――沈む太陽は
  野辺も、運河も、
町のすみまで、染める、
  あかね色と、金色(こんじき)に。
  世界は眠る、
熱い光のただなかに。

かなたでは、すべてが秩序と 美と
豪奢と 静寂と 逸楽と。


 マリー・ドブラン詩篇。「両世界評論」一八五五年六月一日号発表。創作年代については、一八四八年説、五一年説、五四年説と種々あるが、恋人と似た魅力を備えた異国へ行って、ともに暮らしたいという願望を現わしている。その理想の国とは特に場所の指定はなく、「かなた」といわれているだけだが、オランダであろうとされている。しかし、それとて現実のオランダというより、詩人の夢想によって、美化され、理想化され、いわば「精神化」された理想の国の扱いを受けている。」



「解説」より:

「『悪の華』再版(一八六一年)は、百二十六篇を収め、五部に分れ、第一部は「憂鬱と理想」となっているが、最初に詩人の偉大さがうたわれ、最後に詩人の悲惨さが述べられているかのように見える。しかし、これを仔細に見ると、詩人の想像力による理想の瞥見(べっけん)はあっても、それはたちまち現実の悲惨さに消されてしまっている。詩人というものは、理想を思い描く特権をもっているが、一方呪われており、つねに非運に見舞われ、不幸の唯中に突き落される。そうした詩人の宿命をことに「憂鬱」と題する四篇において書いており、「苦悩の錬金術」「みずからを罰する者」「救いがたいもの」のような詩篇ではきびしい自己反省をしている。再版から捜入された第二部の「パリ風景」は、初版のとき第一部に入っていた七篇と新しい十篇でできている。kろえらはパリの詩人の作品といわれるのに適(ふさ)わしいもので、コンスタンタン・ギー論を物した詩人らしい特色を打ち出している。散文詩集『パリの憂鬱』の対(つい)をなすもので、第二部に「パリの憂鬱」と名付けてもおかしくない。ボードレールは、自然や田園風景にほとんど興味を示さなかったが、パリの風景や場景には愛着をもっていた。そこで「パリ風景」のなかには、パリの昼と夜の風景が、現実に夢想をまじえて描かれており、それが極端に理想化されるときには非現実的な「パリの夢」にまで昇華する。ここでは、風景がすべて夢幻的となり、人工的であり、それは詩人に陶酔と同時に恐怖をもたらすものであった。
 ボードレールは憂鬱な現実、詩人の不運から逃れようとして、芸術や恋愛に頼ろうとしたがそれも思うにまかせず、第三部のように酒をうたい、第四部では罪悪、第五部では反抗をうたったけれどその反逆心は満たされず、第六部では死こそが「厭わしい人生の唯一の真の目標」となっている。『悪の華』は、このような一貫性をもった詩集であり、単なる寄せ集めではない。」



ボードレール詩集 03



























































































齋藤磯雄 譯 『ボオドレエル全詩集 惡の華・巴里の憂鬱』

「カインの裔よ、天に昇りて
神をば地上に抛(なげう)ち落せ。」

(ボオドレエル 「アベルとカイン」 より)


齋藤磯雄 譯 
『ボオドレエル全詩集 
惡の華・巴里の憂鬱』


東京創元社 
昭和54年10月5日 初版
昭和57年1月15日三版
661p 目次17p 口絵i 
A5判 丸背布装上製本 貼函 
定価6,700円
装釘: 日下弘



本書「後記」より:

「拙譯『惡の華』の初版(三笠書房)が、おほけなくもその巻頭に辰野隆、日夏耿之介、山内義雄三先生の推薦文を掲げて刊行されたのは、昭和二十五年の末つ方であつた。」
「小散文詩集『巴里の憂鬱』の拙譯が一應の形を整へたのは遠く戰前に溯るが、もろもろの障碍に遭つて長年の間陽の目を見ず、昭和四十二年に至り初めて或る叢書中の一巻(「世界の名詩集」5、三笠書房)として刊行された。(中略)このたびの改譯に際しては、(中略)舊譯の魯魚の誤を訂し、措辞の修整に微力を盡したことは申し添へるまでもない。」



ボオドレエル 悪の華 巴里の憂鬱 01


帯文:

「齋藤磯雄氏が細心精緻の學を底に秘めて、香氣溢れる藝術作品として昇華した名譯――「海潮音」「珊瑚集」と並び立つ本邦譯詩の金字塔!」


ボオドレエル 悪の華 巴里の憂鬱 02


目次:

詩集 惡の華
  獻詞
  讀者に
 憂鬱と理想
  一 祝禱
  二 信天翁
  三 高翔
  四 照應
  五 (わたしは好きだ)
  六 燈臺
  七 病める詩神
  八 身を賣る詩神
  九 蒙昧の僧
  一〇 仇敵
  一一 不運
  一二 前の世
  一三 流浪の民
  一四 人と海
  一五 地獄のドン・ジュアン
  一六 驕慢の罰
  一七 美
  一八 理想
  一九 巨大なる女
  二〇 仮面
  二一 美に寄する頌歌
  二二 異邦の薰
  二三 髪
  二四 (われ君を夜の穹天と)
  二五 (森羅萬象ことごとく)
  二六 されど飽くなし
  二七 (波打ち搖れて)
  二八 踊る蛇
  二九 腐肉
  三〇 深き淵より叫びぬ
  三一 吸血鬼
  三二 (さながらに屍に添うて)
  三三 死後の悔恨
  三四 猫
  三五 決鬪
  三六 露臺
  三七 憑かれし男
  三八 まぼろし
   Ⅰ 暗闇
   Ⅱ 薰香
   Ⅲ 額縁
   Ⅳ 肖像
  三九 (君にこの種種の詩を)
  四〇 常に同じく
  四一 みな悉く
  四二 (今宵何をか語るべき)
  四三 生ける炬火
  四四 聖なる功德
  四五 告白
  四六 靈の曙
  四七 夕の調
  四八 香水壜
  四九 毒
  五〇 翳ろふ空
  五一 猫
  五二 美しき船
  五三 旅へのいざなひ
  五四 盡きせぬ恨み
  五五 語らひ
  五六 秋の歌
  五七 さるマドンナに捧ぐ
  五八 午後の歌
  五九 シジナ
  六〇 わがフランキスカを頌ふ
  六一 南國生れのさる奧方に寄す
  六二 憂愁と放浪
  六三 幽靈
  六四 秋の曲
  六五 月の悲しみ
  六六 猫
  六七 梟
  六八 パイプ
  六九 音樂
  七〇 奧津城
  七一 幻想的な版畫
  七二 樂しき死者
  七三 憎惡の樽
  七四 破れ鐘
  七五 憂鬱 (「雨ふり月」は)
  七六 憂鬱 (千年を生きしにまさる)
  七七 憂鬱 (例へばわれは霖雨の)
  七八 憂鬱 (大空重く垂れ下り)
  七九 妄執
  八〇 虚無を求むる心
  八一 苦惱の煉金術
  八二 畏怖の感應
  八三 我とわが身を罰する者
  八四 救ひ得ぬもの
  八五 時計
 巴里畫譜
  八六 風景
  八七 太陽
  八八 赭毛の乞食女に
  八九 白鳥
  九〇 七老爺
  九一 小老婆
  九二 盲者
  九三 道ゆく女に
  九四 耕す骸骨
  九五 黄昏
  九六 賭博
  九七 死の舞踏
  九八 虚妄を愛す
  九九 (今も分明に目に浮ぶ)
  一〇〇 (かの婢女のおほらかの)
  一〇一 霧と雨
  一〇二 巴里の夢
  一〇三 黎明
 酒
  一〇四 酒の魂
  一〇五 屑屋の酒
  一〇六 人殺しの酒
  一〇七 孤獨者の酒
  一〇八 比翼の酒
 惡の華
  一〇九 破壊
  一一〇 受難の女
  一一一 呪はれし女 (想ひに耽る牧畜かと)
  一一二 仲よし姉妹
  一一三 血の泉
  一一四 寓喩
  一一五 ベアトリイチェ
  一一六 シテエルへの旅
  一一七 愛の神と頭蓋骨
 叛逆
  一一八 聖ペテロの否認
  一一九 アベルとカイン
  一二〇 魔王連禱
 死
  一二一 相思の人の死
  一二二 貧者の死
  一二三 藝術家の死
  一二四 ひと日の終り
  一二五 猟奇者の夢
  一二六 旅

惡の華 補遺
  禁書に題す
  悲しきマドリガル
  異教徒の祈り
  叛逆者
  警告者
  沈思
  蓋
  侮られし月
  深淵
  或るイカルスの嘆き
  深夜の反省
  此處より遙か遠く

漂著詩篇
  一 浪曼派の落日
 禁斷詩篇
  二 レスボス
  三 呪はれし女 (デルフィイヌとイポリイト)
  四 忘却の河
  五 あまりに陽氣なる女に捧ぐ
  六 寶玉
  七 吸血鬼變身
 佳人頌
  八 噴水
  九 ベルトの眼
  一〇 頌
  一一 顏の約束
  一二 怪物
  一三 わがフランキスカを頌ふ
 題詠
  一四 オノレ・ドミエ氏の肖像に寄する詩
  一五 ロオラ・ド・ヴァランス
  一六 『獄中のタッソオ』に題す
 雜篇
  一七 聲
  一八 不意打
  一九 身代金
  二〇 マラバル生れの女に
 道化
  二一 アミナ・ボシェッティの初舞臺に寄す
  二二 うるさき男について
  二三 ふざけた居酒屋

拾遺詩篇鈔
 初期作品
  (世の人人と)
  (彼方に高く)
  テオドル・ド・バンヴィルに寄す
  (あはれ、他人と)
  (おれの情婦は)
  (穢れし女を)
 晩年作品
  エピロオグ草稿
   一 (心滿ち足り)
   二 (安らかさ賢者のごとく)
  白耳義人と月
  白耳義文化

小散文詩集 巴里の憂鬱
 アルセエヌ・ウセエに寄す
 一 異邦人
 二 老婆の絶望
 三 藝術家の「告白の祈禱」
 四 道化者
 五 二重の部屋
 六 人それぞれに噴火獸
 七 道化とウェヌス
 八 犬と香水壜
 九 怪しからぬ硝子屋
 一〇 午前一時に
 一一 野蠻な女房と氣取屋の女
 一二 群衆
 一三 寡婦
 一四 老いたる辻藝人
 一五 お菓子
 一六 時計
 一七 髪の中の半球
 一八 旅へのいざなひ
 一九 貧者の玩具
 二〇 妖精の贈物
 二一 誘惑
 二二 黄昏
 二三 孤獨
 二四 計畫
 二五 美女ドロテ
 二六 貧者の眼
 二七 壮烈なる死
 二八 贋金
 二九 寛大なる賭博者
 三〇 紐
 三一 天賦
 三二 酒神の杖
 三三 醉ひ痴れてあれ
 三四 あゝ既に
 三五 窓
 三六 描かんとする願望
 三七 月のめぐみ
 三八 いづれが眞のかの女か
 三九 名馬
 四〇 鏡
 四一 港
 四二 情婦の肖像
 四三 粹な射手
 四四 スウプと雲
 四五 射的場と墓地
 四六 圓光喪失
 四七 メス嬢
 四八 この世の外なら何處へでも
 四九 貧乏人を毆り倒さう
 五〇 善良な犬
 エピロオグ (結びの詩)

後記 (譯者)



ボオドレエル 悪の華 巴里の憂鬱 03



◆本書より◆


「旅へのいざなひ」より:

   「めぐし子(ご)よ、吾妹子(わぎもこ)よ、
   想へその快さ
彼處(かしこ)に行きて相共に住み、
   思ふさま愛(いとほ)しみ
   愛(いとほ)しみ果てなばや、
君にさも似しかの國に行き。
   掻き曇る中空(なかぞら)に
   濡れそぼつ天津日(あまつひ)は、
涙を透(すか)し煌(きらめ)く君が
   裏切の眸(ひとみ)なす
   妖(あや)しくも神秘(くしび)なる
魅力もてわが魂(こころ)を奪ふ。

彼處(かしこ)、ものみなは秩序と美、
奢侈(おごり)、静寂(しづけさ)、はた快樂(けらく)。」



「怪しからぬ硝子屋」より:

「生れつき専ら瞑想的であつて行動には全く不向きな人人があるものだ。ところでさういふ人人が、何か不可思議な未知の衝動に驅られて、おのれ自身でさへ思ひもよらぬやうなすばやさで、時に行動に赴くことがある。
 例へば、門番のところに何かいやな知らせが届いてゐはしまいかと懸念して、思ひ切つて歸宅もならず門前を一時間も意氣地なくうろつくやうな人間、封を切らずに手紙を半月もそのままにして置いたり、さてはまた、一年も前から必要に迫られてゐた何かの掛合ひをやるのに、半年も思ひ惱んだあげく澁澁みこしを上げたりするやうな人間が、時として突如、弦(つる)を離れた矢のように、抵抗できぬ力に驅られて行動に突き進んでゐるのを自覺することがある。モラリストと醫者とは、何でも知つてゐるつもりになつてゐるが、一體どこから、これほどの狂氣じみた精力が、これほど唐突に、このやうな怠惰で放逸な魂の持主にやつて來るのか、そして、極めて簡單な極めて必要な事がらさへ爲し遂げることができないのに、一體どうして、この種の人人が、或る瞬間には、極めて不條理なそして時には極めて危險でさへある行為を決行するのに、あり餘る勇氣を見出すのかを、説明することができない。」



ボオドレエル 悪の華 巴里の憂鬱 04



























































































阿部良雄 編 『ボードレールの世界』

阿部良雄 編 
『ボードレールの世界』


青土社 
1976年4月10日 印刷
1976年4月25日 発行
397p(うち別丁図版8p) 
菊判 丸背クロス装上製本 機械函 
定価2,400円
装幀: 加納光於



本書「編者あとがき」より:

「人はおそらく、ここに提示されたさまざまなボードレール像の、あまりにも多様であるのみならず、互いに矛盾しあるいは反撥し合うようにさえ見えるのに、驚くかも知れない。反応の多様性は作品のはらむ豊かさの証左であるという現代批評の公理をもち出すまでもなく、「自ら矛盾撞着する権利」を(「この世からおさらばする権利」とともに)人権宣言に加えるべきだと言ったのは、ボードレールその人であった。」
「一九七三年春に「ユリイカ」臨時増刊として刊行されたボードレール特集号の中から、アルベール・ベガンの「ボードレールと夢」(完訳のある『ロマン的魂と夢』の一部)を削って、ヴェルナー・ホフマン、ジョルジュ・ブランの小論文を加え、拙稿書誌の誤りなどを出来る限り正したのが本書である。」
「カットとして用いたカリカチュアとパリ風景は、絵入り娯楽文芸雑誌『パリの悪魔』 La Diable à Paris - Paris et les Parisiens, Paris, Hetzel, 1868 からとったもので、ガヴァルニ、グランヴィル、ペルタル、シャム、クレルジェなどの作である。」



口絵図版(モノクロ)25点、本文中図版(モノクロ)多数。


ボードレールの世界 01


函表: 「ボードレール自画像逆版」


ボードレールの世界 02


函裏: 「ノートルダムから見たパリ」


ボードレールの世界 03


本体表紙(クロスに紙が貼付されています)。


ボードレールの世界 04


見返し。


ボードレールの世界 05


目次:

ボードレール頌
 ヴェルレーヌ 「ボードレールの独創性」 (佐藤東洋麿 訳)
 ランボオ 「見者ボードレール」 (奥本大三郎 訳)
 マラルメ 「「シャルル・ボードレールの墓」」 (菅野昭正 訳)
 アポリネール 「大革命と近代精神」 (横張誠 訳)
 ティボーデ 「都市の詩人」 (横張誠 訳)
 クローデル 「ボードレールの音楽」 (渡辺守章 訳)
 エリュアール 「ボードレールの闘い」 (横張誠 訳)
 ジューヴ 「「ボードレールという慰め」」 (豊崎光一 訳)
 ポンピドゥー 「ボードレールと神」 (家柳速雄 訳)

辻邦生 「汝が永遠の岸辺」
磯田光一 「わがボードレール」
佐藤朔 「寸感」
村上菊一郎 「パリのボードレール」
饗庭孝男 「受苦の聖性」
ボヌフォア 「悪の華への序文」 (田中淳一 訳)
菅野昭正 「少年老いやすく……」
種村季弘 「覗く人」
粟津則雄 「ボードレールの苦さ」
カイヨワ 「ボードレールの詩の位置」 (佐藤東洋麿 訳)
窪田般彌 「拓次とボードレール」
加藤郁乎 「親愛なる他人」
ベンヤミン 「遊民」 (円子修平 訳)
杉本秀太郎 「「読者に」の位置」
清水徹 「『宝石』私解」
安藤元雄 「旅への「さそい」」
阿部良雄 「おお奴隷なる女神よ……」

出口裕弘/渋沢孝輔/松山俊太郎/阿部良雄 「共同討議 なぜボードレールか」

宮川淳 「ボードレール再読」
興謝野文子 「理性と怪物」
豊崎光一 「もうひとつの海 雙児の海」
ブラン 「変化矛盾頌」 (阿部良雄 訳)
ブラン 「無限を求めて」 (阿部良雄/長谷徳夫 共訳)
出淵博 「ひとつの変奏」
鍵谷幸信 「石だらけの沙漠、砂利いっぱいの屑」
ホフマン 「ボードレールとカリカチュア」 (阿部良雄/杉本紀子 共訳)
及川馥 「ボードレールとヌーヴェル・クリチック」
佐藤東洋麿 「麻薬・無限への眺望」
二宮正之 「荷風の散文とボードレール」
奥本大三郎 「瞳、髪、飲むこと」
横張誠 「「呪われた部分」の選択」
阿部良雄 「ボードレール論の系譜」

批評的書誌 (阿部良雄)
シャルル・ボードレール詳細年譜 (杉本紀子 編)
編者あとがき (阿部良雄)



ボードレールの世界 07



◆本書より◆


「共同討議 なぜボードレールか」より:

松山俊太郎 大詩人は、必ず原型(アルキティープ)を提出すると思うわけですよ。原型というのは、さっきも古さについて言ったけれど、大昔からあり得べきものなんだけれど、たとえばボードレールによって初めて提出された原型があるでしょう。それが本当の原型であれば、読む人全部にとっても原型だから、自分の代わりにボードレールが言ってくれたというように、それを通じて作者と読者が融合せざるを得ない。そういう原型を、数は多くないにせよ、掻撫での詩人を五、六人合わせたくらいは一人で提出してくれていると思う。日本では萩原朔太郎が原型を非常に提出しているんじゃないか。批評性とか精神の峻厳さとかで朔太郎はボードレールと比肩はできないけれども、原型の提出者としてみると、やはりボードレールよりも朔太郎の方が詩人的じゃないかとも思うんですけどね。日本では、朔太郎はとにかくずば抜けているし、西洋では、ボードレールはそういう点で卓越しているんじゃないか。」


ボードレールの世界 08










































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

※心の傷、胸焼け、劣等感等ある場合が御座いますが概ね良好な状態になります。

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