鶴岡真弓 『装飾する魂 ― 日本の文様芸術』

鶴岡真弓 
『装飾する魂
― 日本の文様芸術』


平凡社 
1997年4月20日 初版第1刷
1999年3月30日 初版第3刷
261p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,800円+税
装幀: 守先正
カバー・扉: 秋岡武次郎編著『日本古地図集成』(鹿島出版界刊)所収 ブラウ「中国日本近傍図」1650年より


「本書は『太陽』1992年1月号から93年3月号で連載された「装飾する魂」に、書き下ろし原稿「極東の装飾――表面にとどまる意識」「「飾」と「文」――結びにかえて」を加えて単行本化した。」



本文中図版(カラー/モノクロ)多数。


鶴岡真弓 装飾する魂 01


内容(「BOOK」データベースより):

世界文様と日本の魂。極西のケルトから、極東の日本へ。気鋭の美術史学者が初めて挑む日本の表層=装飾世界。

内容(「MARC」データベースより):

ケルト美術研究の第一人者が、日本の文様世界に初めて踏みこんだ。人間の根源的欲動としての「装飾」への志向が、極東の島国でいかに華開いたかを美しいカラー写真付きで解説。


目次:

極東の装飾――表面にとどまる意識

日本文様へ 写真=内藤忠行

装飾する魂
 第一章 渦巻
 第二章 鳳凰
 第三章 唐草
 第四章 桜
 第五章 水
 第六章 蝶
 第七章 龍
 第八章 縞
 第九章 人
 第十章 文字
 第十一章 雲
 第十二章 車
 第十三章 日月
 第十四章 動物
 第十五章 蓮

「飾」と「文」――結びにかえて



鶴岡真弓 装飾する魂 02



◆本書より◆


「一見華やかな「装飾」美術ほど、逆説的にも、世界と人間がかくもひきさかれ、われわれはかくもデモーニッシュな幻想/歪像/意匠を考案しないかぎり、世界を表わすことはできないという「自覚」から出発している芸術はないのではないだろうか。」

「若冲の装飾的な画風は一見〈自然〉を人工的に虚構したもののように見られる。色やかたちに怖いほどの稠密な妖しさがある。けれどもそれは画家が表層を飾ることに腐心した結果では無論ない。花鳥草虫にはそれぞれの霊があって、その真を認識しなければならないという画家の言葉が残っている。庭の鶏の霊見ることなくして人は幻の瑞鳥にまみえられようか。装飾は写実を敵に回すのではない。実相を探求した装飾師ほど、幻想を飛ぶことができるのである。」

「だが神を神人同型(アンスロポモルフィック)で表すようになった古典時代のギリシア美術の人間主義の方法は、蝶の象徴的表現を消し去り、以降、蝶崇拝のおおもとにあった、その美しい翅への人間の感動を形象化した装飾美術は、ヨーロッパにみられなくなってしまった。霊魂(プシュケ)は、蝶の翅をつけた人間の女になった。」

「島物=舶来品である「縞」各種の織物に付けられたそれぞれの呼称は、まさにそれが渡って来た見知らぬ異国の町の名の響きをもっていた。「間道」は広東、「唐桟」と略された「唐桟留(とうさんとめ)」はインド東海岸のサント・トーマスの港から来た。経に絹糸、緯に綿糸を使っていたという「弁柄(べんがら)縞」はインド・ベンガル地方から、また琥珀織に似て薄い「茶宇(ちゃう)縞」はインド西海岸チャウル地方から、江戸初期にオランダ人がもたらした絹縞「せいらす縞」はセイロンからやって来た。「シマ」という音を改めて聴いてみると、それまで唯一の外国だった中国・朝鮮よりずっと遥かなところにある未知の国を、その音から連想した当時の気分が味わえるような気がする。」

「しかし古典主義美術が及ばなかったヨーロッパには、人間(像)を特別扱いすることもなく、人のかたちを、他の自然のなかに溶解し、扁平な文様の網の目に放り込んで、人もまたカオスの一部だと平気で装飾化する美術があった。あっさりと自分の身体(からだ)を組紐文様に引き渡し、かろうじて顔だけ人らしく残して、装飾の顛倒システムに身を委ねて遊戯する〈人〉がいる。人の身体は組紐という 文様の身体(パターン) に変貌し、はじめて人以外のいっさいと同化できる。人間の重み、厚み、中味、意味の意識など棄てることだ。そうすれば、装飾の果てしなく楽しい宇宙に<人>もまた入っていける。と、ケルトのアクロバティックな文様的思考はいっているように思える。」

「装飾空間に取り込まれた万物万象は、本来の形を歪められ、もとの存在価値を剥奪されることで、新しい装飾的自然のなかに生まれ変わる。現実では全く出会わないもの同士が出会い、それが置かれるべきではなかった風景のなかに置きかえられる。既知のものから未知のものへ。そういうイメージの冒険を、くだくだしい手つづきを一蹴して唐突に実現してしまうこと。それが<装飾>の離れ技である。」

「動物再生信仰は、自然の生態系を熟知した狩猟民の、生き物への敬いとそれを与えてくれる神への感謝から自ずと生まれたものだったのか、それとも神への生贄や、殺して食べた動物を生き返らせる神話とは、神のためでもない、動物のためでもない、人間自身を殺戮の悪夢から救い出すためにつくられたものであったのかは、わからない。彼は生き物の殺しをくりかえし「死」を喰って生き延びながら、殺された自然の報復が、いつか大きな呪いとなって自分におそいかかるという恐怖に耐えていかなければならなかった。その恐怖から逃れる唯一の方法が、「再生の神話」をつくりあげることだったのかもしれない。人間は獣を一頭殺すたびに、神話や儀礼でその呪いを拭い、そうしてまた獲物を殺しに出かけていったのだ。」

「「文様」の概念の原初は、徹底して身体的なものである。その身体は死ぬときも生まれるときも、しるしづけがある。そのしるしは身体の表面にほどこされる。(中略)そこには「表現」の原初にある、ふたたびあの離反の現場が浮かび上がってくる。自分の身体の皮膚を、自ら記述のボードとして自己から引き裂き、そこに世界に距離をもった意識をしるす。それは記述面を石版や木片に依存していないという点で、記述は自己身体に(文字どおり入れ墨の)痛みを伴わせる。その痛みの確認は、世界から人間の意識と表象が立ち上がっていくときの、最初の平面そのものを寓意している。
 近代では、装飾は産業的な環境の部品になった。私たちはもはや、「飾」や「文」の字形にこめられた「装飾」や「文様」誕生のドラマを実感するには、それらを支えた感覚の平面を失いすぎているように思える。(中略)天と地のあいだにいて、人間があくまで中間に吊られた生き物であることの意識を、いかに表象できるのか、その可能性と不可能性を往復する思惟が、装飾行為や文様表現の現場には激しく渦巻いていたのである。その気流を感覚する力がまず想像的に回復されなければならないのだ。」



鶴岡真弓 装飾する魂 03




















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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