鶴岡真弓 『ケルト/装飾的思考』 (筑摩書房 単行本)

「だが内部のデモーニッシュな光景を操る〈装飾〉は、世界の根源にある闇を限りなく増殖しつづける。とすれば〈装飾〉とは、つねに反ロゴス的な世界にあって、人に悪夢を見せつづけさせる負の定理(テオレーム)であるのかも知れない。」
(鶴岡真弓 『ケルト/装飾的思考』 より)


鶴岡真弓 『ケルト/装飾的思考』

筑摩書房 1989年8月25日初版第1刷発行/1991年3月15日初版第6刷発行
322p 註18p iv 口絵(カラー)4p
A5判 角背紙装上製本 カバー 定価3,910円(本体3,796円)



本文中図版(モノクロ)多数。
本書はのちに「ちくま学芸文庫」版が刊行(1993年9月)されています。

1980年に若桑みどりの『マニエリスム芸術論』、1989年に本書、1980年代の初めと終わりに、二人の女性美術史家による、思想史上たいへん重要な二冊の本が刊行されているのは興味深いです。そしてその間にはドゥルーズ/ガタリや中沢新一の本が洛陽の紙価を高からしめ、ゴジラ(人知れず海底で眠っていた怪獣が目覚めて現代文明を破壊する)再ブームがあり、「校内暴力」(大人しく管理教育されていた子供たちの野性が目覚めて学校を破壊する)問題があり、インディーズ・ブームがあり、メジャーでは戸川純さんが大活躍、そういう時代でした。


ケルト装飾的思考1


帯文:

「装飾
の王国へ

謎の民族ケルトが
残したものはなにか?
ヨーロッパ文化の
隠された基層、
ケルト的想像力の核心へ。
聖書写本をはじめとする
装飾の森へ分け入って迫る
俊英の画期的論考。

ケルト
の国へ」



ケルト装飾的思考3


目次:

はじめに――ケルトの国へ

序章 西のトポス――アイルランド修道院文化
 1 スケリグ・ヴィヒール島へ
 2 エグザイルの精神――聖コルンバーヌスの放浪
 3 学芸の島
 4 ケルト写本

第一章 装飾の系譜――写本芸術の伝統
 1 挿絵と装飾
 2 装飾の理念
 3 文様の蠢き――カーペット頁
 4 視られる文字――装飾頭文字
 5 顛倒の論理

第二章 ケルトの想像力――変形から幻想へ
 1 ゲール語と『アラン島』
 2 異貌のケルト人
 3 幻の版図
 4 歪んだ神像
 5 負の人体
 6 ケルトの貨幣

第三章 渦巻文様の神秘学
 1 『ダロウの書』渦巻の頁
 2 ラ・テーヌ様式
 3 切られた首
 4 神秘思想
 5 拮抗の精神

第四章 北方動物の変容主義
 1 ヨハネ福音書の扉
 2 ケルトの神々と動物
 3 航海譚の怪物
 4 怪獣文字
 5 北方動物文様
 6 ダロウ・アニマル――二つの脅威
 7 動物の変容

第五章 組紐空間の呪縛
 1 ケルトの十字架
 2 十字架と組紐文様 
 3 『ダロウの書』のトリック
 4 「結び目」の欲動
 5 イスラームの組紐文様
 6 レオナルドの組紐
 7 文様の侵食
 8 磔刑の組紐
 9 組紐のシンボリズム
 10 緊縛された身体
 11 組紐人間

第六章 世界文様
 1 モナスターボイスの十字架――図像と文様
 2 文様的世界像
 3 ケルト美術の遺産――カロリング朝・フランコ=サクソン派
 4 ロマネスクへ――魔性の装飾

第七章 ケルト復興
 1 ケルトと世紀末
 2 絵画におけるケルト的モチーフ――バートンとマックリス
 3 ピートリと《タラ・ブローチ》
 4 ケルティック・デザインの展開
 5 アール・ヌーヴォーへ

あとがき



ケルト装飾的思考4


本書より:

「それは日本の古層である縄文が、明治時代に一外国人によってその固有の造形が発見され命名されるまで当の日本人によってほとんど日本文化論の対象となりえず、その世界像がじゅうぶんに認識されてこなかった状況にも似て、ヨーロッパ自身が地中海の古典文化に傾けた関心に較べ、〈ケルト〉なるヨーロッパのもうひとつの基底文化に対する関心は、遥かに乏しいものであったといわねばならないだろう。」
「しかし、その暗澹とした不可視の古層たる〈ケルト〉に埋蔵されていた遺産が、近年さまざまな分野で掘り起されつつある。」
「本書が語ろうとするケルト美術もその重要な項目のひとつである。」
「その美の原理は、われわれが教えられてきた模範的な〈ヨーロッパ〉の造形美術から逸脱しているようにみえるかも知れない。(中略)ケルト美術はその不可解性、異形性によってわれわれを戸惑わせそしてひきつける。」

「ケルトの想念が視覚化されるとき、それは〈文様〉という象(かたどり)となった。その文様とは渦巻であり組紐であり動物である。それらは決して単一パターンで表現されることはなく、つねに相互連動している。(中略)渦巻が旋回しながら他者を巻き込み、組紐がうねりながら一方を絡めとり、動物が互いに噛み合い闘争している。蠢きは永遠に続くようにみえる。」
「造形の抽象作用を伝統とするケルトが福音書の頁を文様で覆い尽くそうとしたことは、むしろ自然なことであったかも知れない。テクスト的意味がいっさい拒否され文様だけで埋めた「カーペット頁」なる装飾頁はその意味でケルト装飾術の最大質量(マキシマム)を実現した空間である。」
「『ダロウの書』に始められるこうしたカーペット頁は、のちの『リンディスファーン福音書』や『リッチフィールド福音書』から『ケルズの書』にまで受け継がれる。とくに『リッチフィールド福音書』のそれは、文様に侵された十字架を表わしていることにおいて最も注目に値する作例だ。ここでは十字架は単なる影に過ぎない。幻想的な鳥が組紐のように絡まり合いながら空間を隈なく埋めているなかに、十字架はか細い線の輪郭だけによってかろうじてその存在を主張している。われわれの眼に映るのは圧倒的な文様の有機的組織なのである。」

「頭部に直接胴体がついたもの、頭部のみのもの、また棒に三つの人頭だけを刻んだものなど、素朴だが無気味なそれらの神像は、ギリシア・ローマ人が追求した(理想的な)現世的人体にほど遠く、古典美に照らせばまことに醜い、非自然主義的な「負の人体」とでもいえるものである。」
「こうした人像表現や頭部の表現を通してわれわれは、つねに人体なりの〈自然〉を歪めにかかり、解体し、造形に視覚的な不安を増幅させるというケルト美術のシステムと向き合わされるのである。」
「ケルトの手にかかった〈自然〉は解体と歪曲の渦中に放り込まれ反転を繰り返すうちに、いつしかひとつの最もケルト的な形象に絡め取られていく。その形象とは〈文様〉にほかならない。ケルト美術のファンタズムは〈文様〉という小宇宙のなかに展開する。」

「雷文はミノア=ミュケナイ文明に先行する「古ヨーロッパ」(前六五〇〇―三五〇〇年のドナウ河流域とバルカン半島を中心とする新石器時代文化)の神像に早くも現われていた。これは生命の本源たる「宇宙水」の形象として土器や女神像の身体や仮面に線刻されたものであった。ミュケナイの蛇女神像の原型が古ヨーロッパにあることからも、ギリシア美術の雷文が古ヨーロッパの「宇宙水のシンボリズム」を継承したと考えられている。「古ヨーロッパ」の概念を初めて与えたリトアニア出身の女性考古学者M・ギンブタスの解釈では、ギリシアの螺旋舞踏「鶴(ゲラノス)の踊り」が、蛇女神と一対で生命賦与の役割を果たす鳥女神崇拝に源をもち、(水)鳥女神―生命賦与―水―雷文の象徴的連関が古ヨーロッパからギリシアに引き継がれているという。迷路的な文様が「迷宮の女王」の棲家であるとする文字が、パルマーが解読したクノッソスの線文字B(Gg. 702)にみとめられるが、古ヨーロッパのこうしたシンボリズムを考えるならば、ここでいう「迷宮」とは「水」を意味していた可能性もなしとしない。「女神」すなわち生命を与える大女神は、古ヨーロッパで「水の女王」としての変容型をもち、実際に水を表わす雷文の底に女神の顔が表わされた土器の祭壇も存在するからである。ルーマニア南西部のヴァダストラで発見された神殿模型の本体は鳥女神の身体に見立てられており、その表面が雷文で覆われているなど、古ヨーロッパには女神と水としての雷文の表現が実に豊富だ。古ヨーロッパの大女神像表現は三五〇〇年以降のインド=ヨーロッパ語族の侵入で薄らいでいき、やがてギリシア神話の男神優位の構造に取って代わられるが、ミノア=ミュケナイに蛇女神としての大女神のシンボリズムが残ったように、生命賦与と水の観念は雷文という文様に留められたのではないか。」

「もとよりケルト渦巻からは地上に安座する建築としての迷宮像を想い描くことは難しいだろう。それは宇宙をさまよう星雲のごとく、何処か隔絶したトポスに浮遊しているようにみえる。地上的なものへ向けて開かれた招きの入口はない。いわば遥かな彼岸を指して私から遠ざかっていく何者かである。固定された空間に繋ぎ止められた構築物にはほど遠く、そこには旋回する螺旋形のゆらぎだけがある。」
「ケルト渦巻は、(中略)〈中心〉をもたない。つねに蠢くものである限り、定められた中心はないのである。あえていえば移動する中心ということだろう。(中略)中心が「ここ」から「ここではない何処か」へ一瞬のうちに移りうる世界。」

「トランペット・パターンによって一種無限の運動を約束されたケルトの渦巻は、原子のスケールから大宇宙のスケールまでを一挙に同じ明澄さでみさせる有機的な文様の集合となっている。その集合はユークリッド幾何学では解析されない、あのフラクタル図形にどこか似ていないだろうか。(中略)この種の図形は、次々に細部を拡大して、どんなに小さな部分を取り出しにかかっても、無限に相同図形を現わすという構造をもっている。自然界には脳の皺や樹木、雲や稲妻など、この構造をもつ図形が少なくない。自己相同的なかたちを限りなく現出させる、つまり決して整数の次元をもたず微分不可能なこの図形を、われわれ現代人はコンピュータ・グラフィクスのお陰で超微のスケールにおいて眺めることができるようになった。百万倍に拡大された図形に、「マンデルブロート集合」と名づけられたいくつもの渦巻が、気の遠くなるような果てしない次元に次から次へと現われ出ている。
こうしたフラクタル図形とケルト写本の渦巻を描いた装飾頁を並べて見ると、最大次元・最小次元までの構造が、渦巻形象の連動で示されるという点で両者がきわめて似かよっていることに少なからず驚かされる。(中略)原子的なスケールと大宇宙のスケールを同時に見、この二つの次元の合一を信じたケルトの神秘思想があったとすれば、ケルト渦巻文様以上にこの想念を視覚化し得る造形美術はなかったのではなかろうか。」

「現実の形態の模倣を恐れ、幾何学的図式化も恐れるという態度は、同じひとつの精神の二つの局面である。それは自然の存在に二項のどちらでもない両義的な形姿を与えておくことであり、二つの領域を自由に行き来する可能性を与えておくことである。こうしたケルトの方法は、文様となった動物におのずから幻想的な姿を与える。写実主義にも極端な抽象主義にも拘束されないケルトの動物たちには変容主義(トランスフォーミズム)が解放される。ケルトにおける自然とは「この幻想的な宇宙のすべての部分が、交換可能であり、突然その形態を変え、互いが互いを呑み込む。一旦完璧な首尾一貫性をもっていたり単独に完結されたものも、自然のなかの他の存在、あるいは生命のない形態とさえ融合することができる」(Henry, F., Irish Art Im p.206)可能性をつねに秘めたものでなくてはならない。」



ケルト装飾的思考2


カバーを外してみた。














































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鶴岡真弓 『装飾する魂―日本の文様芸術』

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

宮沢賢治「春と修羅」より。


鶴岡真弓 
『装飾する魂 ― 日本の文様芸術』

261p 四六判 丸背紙装上製本 カバー 定価2,800円+税
平凡社 1997年4月20日初版第1刷/1999年3月30日初版第3刷
装幀: 守先正
カバー・扉: 秋岡武次郎編著『日本古地図集成』(鹿島出版界刊)所収 ブラウ「中国日本近傍図」1650年より


「本書は『太陽』1992年1月号から93年3月号で連載された「装飾する魂」に、書き下ろし原稿「極東の装飾――表面にとどまる意識」「「飾」と「文」――結びにかえて」を加えて単行本化した。」


本書は、日本の文様の15のテーマを取り上げて、世界の様々な装飾芸術との関わりにおいてそれらの意義を論じる学術エッセイ集。それぞれに、内藤忠行氏によるカラー写真各1点と、数頁分のモノクロ図版が掲載されているが、モノクロ図版は不鮮明な上に小さく、あまり参考にならないのが残念である。
三島由紀夫のエッセイの引用からはじまる本書は、内容にふさわしく、「装飾的」な文体で書かれていて、面白い試みだと思う。


装飾する魂1


内容(「BOOK」データベースより):
世界文様と日本の魂。極西のケルトから、極東の日本へ。気鋭の美術史学者が初めて挑む日本の表層=装飾世界。
内容(「MARC」データベースより):
ケルト美術研究の第一人者が、日本の文様世界に初めて踏みこんだ。人間の根源的欲動としての「装飾」への志向が、極東の島国でいかに華開いたかを美しいカラー写真付きで解説。


装飾する魂2


装飾する魂3


目次:

極東の装飾――表面にとどまる意識

日本文様へ 写真=内藤忠行

装飾する魂
第一章 渦巻
第二章 鳳凰
第三章 唐草
第四章 桜
第五章 水
第六章 蝶
第七章 龍
第八章 縞
第九章 人
第十章 文字
第十一章 雲
第十二章 車
第十三章 日月
第十四章 動物
第十五章 蓮

「飾」と「文」――結びにかえて



本書より:

「一見華やかな「装飾」美術ほど、逆説的にも、世界と人間がかくもひきさかれ、われわれはかくもデモーニッシュな幻想/歪像/意匠を考案しないかぎり、世界を表わすことはできないという「自覚」から出発している芸術はないのではないだろうか。」

「若冲の装飾的な画風は一見〈自然〉を人工的に虚構したもののように見られる。色やかたちに怖いほどの稠密な妖しさがある。けれどもそれは画家が表層を飾ることに腐心した結果では無論ない。花鳥草虫にはそれぞれの霊があって、その真を認識しなければならないという画家の言葉が残っている。庭の鶏の霊見ることなくして人は幻の瑞鳥にまみえられようか。装飾は写実を敵に回すのではない。実相を探求した装飾師ほど、幻想を飛ぶことができるのである。」

「だが神を神人同型(アンスロポモルフィック)で表すようになった古典時代のギリシア美術の人間主義の方法は、蝶の象徴的表現を消し去り、以降、蝶崇拝のおおもとにあった、その美しい翅への人間の感動を形象化した装飾美術は、ヨーロッパにみられなくなってしまった。霊魂(プシュケ)は、蝶の翅をつけた人間の女になった。」

「島物=舶来品である「縞」各種の織物に付けられたそれぞれの呼称は、まさにそれが渡って来た見知らぬ異国の町の名の響きをもっていた。「間道」は広東、「唐桟」と略された「唐桟留(とうさんとめ)」はインド東海岸のサント・トーマスの港から来た。経に絹糸、緯に綿糸を使っていたという「弁柄(べんがら)縞」はインド・ベンガル地方から、また琥珀織に似て薄い「茶宇(ちゃう)縞」はインド西海岸チャウル地方から、江戸初期にオランダ人がもたらした絹縞「せいらす縞」はセイロンからやって来た。「シマ」という音を改めて聴いてみると、それまで唯一の外国だった中国・朝鮮よりずっと遥かなところにある未知の国を、その音から連想した当時の気分が味わえるような気がする。」

「しかし古典主義美術が及ばなかったヨーロッパには、人間(像)を特別扱いすることもなく、人のかたちを、他の自然のなかに溶解し、扁平な文様の網の目に放り込んで、人もまたカオスの一部だと平気で装飾化する美術があった。あっさりと自分の身体(からだ)を組紐文様に引き渡し、かろうじて顔だけ人らしく残して、装飾の顛倒システムに身を委ねて遊戯する〈人〉がいる。人の身体は組紐という 文様の身体(パターン) に変貌し、はじめて人以外のいっさいと同化できる。人間の重み、厚み、中味、意味の意識など棄てることだ。そうすれば、装飾の果てしなく楽しい宇宙に<人>もまた入っていける。と、ケルトのアクロバティックな文様的思考はいっているように思える。」

「装飾空間に取り込まれた万物万象は、本来の形を歪められ、もとの存在価値を剥奪されることで、新しい装飾的自然のなかに生まれ変わる。現実では全く出会わないもの同士が出会い、それが置かれるべきではなかった風景のなかに置きかえられる。既知のものから未知のものへ。そういうイメージの冒険を、くだくだしい手つづきを一蹴して唐突に実現してしまうこと。それが<装飾>の離れ技である。」

「動物再生信仰は、自然の生態系を熟知した狩猟民の、生き物への敬いとそれを与えてくれる神への感謝から自ずと生まれたものだったのか、それとも神への生贄や、殺して食べた動物を生き返らせる神話とは、神のためでもない、動物のためでもない、人間自身を殺戮の悪夢から救い出すためにつくられたものであったのかは、わからない。彼は生き物の殺しをくりかえし「死」を喰って生き延びながら、殺された自然の報復が、いつか大きな呪いとなって自分におそいかかるという恐怖に耐えていかなければならなかった。その恐怖から逃れる唯一の方法が、「再生の神話」をつくりあげることだったのかもしれない。人間は獣を一頭殺すたびに、神話や儀礼でその呪いを拭い、そうしてまた獲物を殺しに出かけていったのだ。」

「「文様」の概念の原初は、徹底して身体的なものである。その身体は死ぬときも生まれるときも、しるしづけがある。そのしるしは身体の表面にほどこされる。(略)そこには「表現」の原初にある、ふたたびあの離反の現場が浮かび上がってくる。自分の身体の皮膚を、自ら記述のボードとして自己から引き裂き、そこに世界に距離をもった意識をしるす。それは記述面を石版や木片に依存していないという点で、記述は自己身体に(文字どおり入れ墨の)痛みを伴わせる。その痛みの確認は、世界から人間の意識と表象が立ち上がっていくときの、最初の平面そのものを寓意している。
近代では、装飾は産業的な環境の部品になった。私たちはもはや、「飾」や「文」の字形にこめられた「装飾」や「文様」誕生のドラマを実感するには、それらを支えた感覚の平面を失いすぎているように思える。(略)天と地のあいだにいて、人間があくまで中間に吊られた生き物であることの意識を、いかに表象できるのか、その可能性と不可能性を往復する思惟が、装飾行為や文様表現の現場には激しく渦巻いていたのである。その気流を感覚する力がまず想像的に回復されなければならないのだ。」























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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