マルセル・ブリヨン 『幻想芸術』 坂崎乙郎 訳

「なぜなら、人間は誰しもみずからの内部に夢の国を、失われた楽園に寄せる古い郷愁を抱いているのだから。」
(マルセル・ブリヨン 『幻想芸術』 より)


マルセル・ブリヨン 
『幻想芸術』 
坂崎乙郎 訳


紀伊國屋書店
1968年5月31日 第1刷発行
1980年3月20日 第6刷発行
496p 
モノクロ図版32p カラー図版19葉
A5判 丸背バクラム装上製本 カバー
定価4,200円



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Marcel Brion, Art Fantastique, Éditions Albin Michel, Paris, 1961 の全訳である。なお、本書を訳出するにあたっては Marcel Brion, Jenseits der Wirklichkeit - Phantastische Kunst, Hans Deutsch Verlag, Wien-Stuttgart-Basel, 1962 の独訳を欠かすことができなかった。」


ブリヨン 幻想芸術 01


目次:


Ⅰ 妖怪の森
Ⅱ 異常なものの無限の王国の中で
Ⅲ 骸骨と幽霊たち
Ⅳ 不安な空間
Ⅴ 悪魔の子ら
Ⅵ メタモルフォーゼ
Ⅶ 可能な世界の幻想
Ⅷ 幻視者と見者(ボワイアン)
Ⅸ 神話の創造
Ⅹ 幻想的現実

図版解説
訳注
訳者あとがき
人名索引




◆本書より◆


「序」より:

「芸術表現における幻想はさまざまな領域に及んでおり、しかも数限りなく複雑なフォルムを展開しているから、本書ではそれらのすべてを調べあげたり、あるいは幻想のカタログを作成したりすることはできない。むしろ異常なもの、不快なもの、危険なもの、怪異なものが顕著にあらわれた重要なテーマを選びだして、これらの中世から現代に至る発展を辿っていくことの方が大切なように思う。したがって、この本は幻想の哲学、幻想の形態学を意図してはいない。心配とか恐怖に駆りたてられた人間が、それから逃れるためもしくはそれを払いのけるために、古くから描きだしてきた不安のイメージ――それらのフォルムをまとめようとするのが本書のもくろみだといったらよいのだろうか。」


「第一章 妖怪の森」より:

「森では、生物も物象も、植物も動物もすべてがそのフォルムを、色彩を、やがてはその特性までも喪失してしまう。ここには互いに敵対反目しあう分子が、静謐と狂暴さに代表されて蝟集する。森は非合理の世界、いいかえるなら木樵の斧の一撃が切りひらいた空地にだけ陽の光がさし込む別世界であり、人間の想像力は非常に見事にこれらの森を戦慄と崩壊の場として捉えたので、童話でさえそうした固定観念を反映して、森の中の人間はいつしか誰でも人喰い鬼に待ち伏せられる“親指太郎”になってしまったのである。
 森は太古の時代から、少しも変っていない。それは腐敗して強烈な香りを発散する朽ちた切株の間から、多くの若木を生み、原初の時代とも過ぎ去った時代とも全然変らぬ姿で、本源的な力を具現している。おそらく、この地上から人間たちが消え去ったときにも、森は依然そのままの形で生き続けるにちがいない。森もまた、生物なのではあるまいか。さまざまな姿をもち、情念をそなえ、人びとが枝のふるえや幹のきしみにふと鼓動を感じるあの魂を抱いた生物では……その息は、ときとして道に迷った旅人には恐怖だが、これとて旅人は感じとることができるだろう。ギュスターヴ・ドレはこうした森を、抒情的な雰囲気で描きだしている。それは無限に始まり、無限へとつらなる涯しない森の彷徨であり、伝説の英雄たちが空しく間道をたずね求めた森であった。それゆえ、森の幻想はラビリントの幻想と同じく生あるいは死の象徴にも結びつき、未知の、伝説的な生物の出現を可能にしたのである。」

「ロドルフ・ブレダンも、生涯を通じて“別の世界”を夢みていた。ブレダンは苦難に彩どられた一生を送り、旅行にでかけるひまとてない困窮の生活者であったが、にもかかわらず彼はエキゾティックな森を夢に描いていたのである。」
「一八七〇年から七六年にかかるブレダンのアメリカ旅行を境にしても、その前後の作品には別にたいした相違はみられない。逸話的な細部描写は何一つ彼の興味を惹くことがなかったから。彼は自己の内部世界に数知れぬ森のイメージを蔵していたし、(中略)彼が描きたかったのはただ一つ、心の中に巣喰う架空の植物に自由な空間を与えることであって、アメリカ旅行の思い出を画面に導入するためではない。」
「ブレダンは動物を熱愛した。(中略)気に入りの兎を腕に抱えて、パリからトゥルーズまで徒歩で旅したのもこのブレダンなら、当時としては一財産の四〇〇フランの金を惜しげもなくコレクターに突き返したのも、このブレダンだった。理由は、彼に版画を註文した一イギリス婦人が前景に配された豚をみて肝をつぶし、これを消して下さいと申し出たのが彼を激怒させたためだったという。彼は貧困の余り往々食べる物が何一つなくても、山羊や犬や猫や鳥たちにつねに囲まれていた。こうした動物こそ、人づき合いも悪く、臆病で人間嫌いだった彼の真の友達だったのである。」

「こんな風に考えてみよう。われわれの感性や生活の中に“現実の世界”とほぼ同等の位置を占める“別世界”が築かれたのは、ルソーの天才のおかげではなかったであろうかと。眠れるジプシー女が横たわる砂漠も、そのほとりでフルートを吹く女が銀色の蛇の群れを魅了してやまないゆるやかにうねる緑の川も、虎を追う斥候兵が踏み進む巨大な草むらも、ルソーにとっては現実以上に現実的であった。なぜなら、現実とはわれわれが必要とするものに他ならず、彼が新世界への旅を夢みてさまよい歩いたパリの街路以上に、それらはより一層彼にとって不可欠だったからである。実際、ルソーは縁日をぶらつきながら見世物小屋の看板をみては、驚きの眼を見張ったのだろう。看板絵にはジャングルや森のすばらしい狩りの模様や、鰐のうごめく危険なアマゾン河の旅が、けばけばしい色彩で丁寧に描写されていたし、遠くから野蛮な太鼓の音がひっきりなしに聞えてくるのであった。
 もしかするとルソーは詩人のランボオが愛し、あの「イルミナション」美学の大部分を負うている縁日の見世物小屋で、彼の効力のある魔術の着想を得たのかもしれない。そしてまた、何と多くの埋もれた税関吏たちが、この種の“不思議な絵”のなかに彼らの最上のものを盛り込んだことだろう。(中略)というのは、“素朴派”と呼ばれる画家たちはプリミティヴ絵画のすぐれた研究家ウーデによれば“聖なる魂をもった画家たち”で、上にあげた理由から自然の本質にいたって近く、原初的な力の聖なる境にも接しており、彼らにとっては魔術的なレアリスムこそウーデが“宇宙的な現実”と名付けたものを認識・再現するたった一つの手段だったからである。」



「第三章 骸骨と幽霊たち」より:

「一言でいうなら北斎の幻想は悪夢と幽霊の実体から成り立っているから、いかなる感覚といえども衝撃から身をかわせず、溺死者の衣には泥々の腐り水の臭いがつきまとい、燃える行燈は墓穴のかび臭さを発散し、あたかもひき蛙のような粘液性の膿疱や蛸のねばっこく濡れた脚に指先でふれているかの実感がまとわりつく。驚愕が観る者の毛孔を通して一斉に侵入してくるとでもいったらよいのかもしれない。それほどに可視的となった超自然の存在がまだ嗅覚・触覚・聴覚などの自然主義に囲まれ、ときには地獄の竪琴の弦の如く蜘蛛の糸が音をあげるのではないかと思われてならない。その蜘蛛の巣には髑髏製の帯をした、頭が蛸、身体がひき蛙の巨大な蜘蛛が洞窟内で彼を退治しようとする英雄の眼の前に唐突に出現するのだった(『そねのゆき』、一八〇七年)。別の作品では大きく口の裂けた人喰い鬼に囲まれた子供の骸骨が、地獄の灯のともった大きな寺院あるいは宮殿の床の上を這っている。この地獄の灯は火を噴く人間の頭を上にのせた大腿骨でできていた。
 これらの幽霊の真実性は彼らが辺りに発散する、肉迫する恐怖感によって裏付けられるだろう。北斎はそれらをみたにちがいない。おそらくは夜の悪夢か、白昼夢の中で。(中略)もとより、信ずるもののみが創造するのだ。」



「第四章 不安な空間」より:

「人間や動物の亡霊がある以上、建物や都市の亡霊もまた存在するのではなかろうか。たとえば何かあるカタストロフが襲った後の都市では、ちょうど引潮の如く市民たちがすっかり影をひそめ、残るのは空ろな街路と孤独な広場と宮殿、あたりにはその孤独が無気味なほどのこだまを伝えている。あるいはこんな例もあるだろう。一つの都市が魔法に封じこまれたり、説明しがたい恐慌にさらされたり、ときには疫病が猛威をふるって無人の境に変ったりすることが。そんなとき、視界に浮び上るのは次第に崩れいく巨大な壁であり数々の城であり、逆巻く波で決壊したダムは海の中に落ちこんで、神からも信者からも見離された寺院では無数の彫像だけがいまだに敬神の、愛の、そして怖れの身振りを繰り返している。
 それゆえ、人間が住むべく定められた空間にはもはや人っ子一人見当らず、この虚空をただちに無が埋め尽して、そこから不安と眩惑が立ち昇ってくるのである。すべての場所を犯して、人間と神を引き離してしまう怖るべき力――こうしてモンス・デジデリオの描く荒廃した町々は、それ自体無にすぎぬデーモンや虚無の手に委ねられ、たとえ人間的なエピソードを扱うときでさえ画家はこれをきわめて謎めいた、人目を惹かず判読しがたいフォルムで配置するのだった。」



「第五章 悪魔の子ら」より:

「こうして、地獄はもはや不気味な者の充満する地下牢獄から人間の魂の内部へと棲家を移し、地獄は他ならぬ人間の苦痛、不安、反抗、絶望を意味するのだった。地獄はわれわれの内部にしかない、悪魔はわれわれの第二の自我であるという認識――これを主張したのはロマン主義者だが、この認識こそ人間最良の部分なのではあるまいか。」

「ゴヤはすでに肉体の一部と化したあの怖るべき確信――この世は悪魔の世界である――を、眼前にしっかりと捉えこれを常に彼の警告とするために、幻覚の畏怖すべき作品の中に自分を封じ込めるのだった。」

「ゴヤは怪物を発明したわけでもなく、人間自身がモンスター、それも特別な怪物なのだから、発明の必要とて無かったのである。」

「こうしてみると、悪魔は依然悪の化身なのだろうか。いや、そうではあるまい。悪魔は不条理の擬人化ではないか。不条理が宇宙を統治していることを証明したのは、実存主義であった。」



「第六章 メタモルフォーゼ」より:

「洞窟の中では、すべてが訪問者に驚愕と“驚異”を喚び起すようひとつとなって働きかける。この風潮はイタリアにおいても高まったが、その絶頂期を迎えたのはフランスのルネッサンスで、ベルナール・パリシは異常な洞窟を創る彼の技術で盛名を得たのだった。パリシは陶芸家としての天才と水力学者としての才質を、十二分に発揮する機会を見つけた。他方、ドイツ・オーストリアとスカンディナヴィア諸国ではグロッタはラビリントや自動機械同様に、庭園の必要欠くべからざる付属品となり、象徴的・魔術的な理由から発展を遂げていった。いうなれば庭園は全世界の縮図、地上と地下、つまり冥界を包含する世界の図なのである。したがって動く人形は単に訪問客をおどろかすばかりか彼らを存在と仮象の世界に封じ込め、二つの世界が互いに密接している事実がわれわれの“現実”と呼ぶもののリアリティをいかに疑問視させているかに思い至らせずにはおかない。迷宮の庭はそれゆえ人間の運命の象徴図に他ならず、人間はその“中心”をみいだす前にこの迷路を通り抜けねばならなかった。迷宮の庭はまた戦の場でもある。それは動物的な面と精神的な面を兼ね備えた怪物ミノタウロスに、人間が挑まねばならなかった戦の場であり、そして最後にグロッタは地下のほのぐらい神秘に包まれた母たちの住居である。そこでは子供が母の膝に安らうようにいっさいの生命が静かにまどろみ、やがて暗闇の中で育っていくもろもろの淵源がかくされ、かつまた古代ギリシャの教育の場であるかの如く新たな生誕をことほぐ純粋な洗礼が行われて(洞窟の中にはだから潺湲(せんかん)たる小川と噴水が必ず設けられた)、その存在を完全で光輝に充ちたものにするのだった。」

「風景画がこのようにミクロコスモス対マクロコスモスという形而上学の理念――人間は自然の根源――を具現化すると、風景はおのずから人間、動物、空想的生物などとの親近性を増してくる。」

「驚異を好むいかなる世紀も巨人には或る種の愛着を感じていたようである。(中略)神話と伝説は相携えて、大地が巨人の棲家だった時代への追憶を永遠化する。ところが人間も変遷を重ねて未曾有の大きさにまで成育したのである。それ故かずかずの宗教と歴史を通して培われた記憶の中には、ときおり巨人時代への憧憬が芽生える。が結局のところ文書は、人間が地上で平和に暮すためには巨人たちは滅びなければならなかった、と論理的必然を説明している。神々さえもヘシオドスの“原始の巨人たち”を征服しなければ、完全な安寧と力を得ることは不可能だったろう、と。」
「ノアの洪水以後こうした巨人たちの跡は絶たれたが、彼らの滅亡を残念がる人間の巨大性に寄せる夢は涯しなく、いつしか彼らが地上に棲んでいた過去の時代へ追憶の思いをかき立てられるのかもしれない。賞讃と恐怖と嫌悪――これらの互いに矛盾し合う感情を、人は巨人を想像するときに必ずといってよいほど心に抱くのである。」



「第七章 可能な世界の幻想」より:

「可能な世界とは通常人間の感覚の認知し得ない世界だが、にも拘らずそれは存在している。それは人間の住む空間とは別の次元を必要とし、現在はまだ形づくられていないものの何時かは姿をみせるに違いない世界、そして時代に先んずる芸術家がすでに垣間みていた世界に他ならない。」
「クレーの画面では同一の時間に属さない生物が相まみえ、動揺に矛盾し合う空間が浸透し合っている。この意味でクレーはみずからを“宇宙の支点”つまり交叉点、接触点、共存点と定義した。この宇宙の支点という言葉こそクレーの全思想の要であり、それは彼の墓碑に刻まれた名高い文章にも窺うことができる。おそらくクレーの面目がこれほど躍如たる文章はまたとないのではなかろうか。「私はただ神の御許にのみ、私の席を探す……私は宇宙の支点であって、種ではない……私は此岸の世界では理解さるべくもない者、なぜなら私の棲家は未だ生れざる者と死者のかたわらこそふさわしく、創造の心により近くあるのだから……」」

「一七八九年、ブレークはスウェーデンボルクの『天使の知恵』を読んで注釈をほどこしている。こんな風に仮定することもできるだろう。彼はスウェーデンボルクの名高い文章――彼は心眼をもってもう一つ別の人生に生起する事物を、この地上の存在より明瞭にみたのであった――を、難なく自分の思想に変えたのだ、と。」
「このようにしてブレークはわれわれが誤って現実と思い込んでいる外的なみせかけの形体、いいかえればエイドラの間を限りなくさまよい続けるのが人間だと想像し、真実は眼にみえないと断言する。」



「第一〇章 幻想的現実」より:

「リチャード・ダッドは知られざる画家である。この画家の異常な性格に眼を向けたのは、数奇な運命に関心を抱くほんの一握りの人たちであった。ダッドは父親を殺害したのち、人生の大部分を精神病院のぞっとするような環境に閉じこめられたまま送った。彼はエジプトに旅して熱射病に冒され、以前は心身ともにいたって健全な青年が奇怪な強迫観念に苦しみはじめたのだった。こうした或る日、ダッドは汽車の中でもしその日の日没に雲がみられなかったら、彼と同じコンパートメントの乗客を殺そうと決心していた。幸運にも丁度陽の沈む頃に空が曇り相乗りの客は命拾いをしたわけだが、この男は生涯自分が生きながらえたのはひとえに神慮ある雲のお蔭だとは知る由もなかったにちがいない。
 ダッドはベドラムの病院で四十年以上も過した。そこに収容されたのはまだ非常に年若い頃だったが、彼がここで絵の道具を手にできたのは病院長の娘の同情によるものであったらしい。彼は正気なとき(といって、必ずしもデーモンから完全に自由になったわけではないが)には、稀有で異様で堂々たる作品を描いた。」
「彼をブレークの系列の幻視者といったら語弊があるだろうか。ダッドがブレークの作品を熟知し研究していたことは間違いなく、彼もまたブレーク同様ごく小さい生物の群に、甲虫ほどの大きさの小人たちに責めさいなまれたのだった。小人たちはやがて彼を友とし、いつか彼らの振舞いはこの人間社会から隔離されて生きる男にとっては自然でノーマルなものとなっている。」



ブリヨン 幻想芸術 02


アルブレヒト・アルトドルファー「森の中の聖ジョルジュ」。


ブリヨン 幻想芸術 03


ディーノ・ブツァーティ「世界の終末」。
ブツァーティ(図版キャプションでは「ブサッティ」)は作家のブッツァーティ(『タタール人の砂漠 』)であります。


ブリヨン 幻想芸術 04


C・ユイベール「ガラスの器」 エッチング 1701。









































































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坂崎乙郎 編著 『幻想の版画』 (双書 美術の泉)

「私はいっさいを魂の中に持っている」
(ロドルフ・ブレダン)


坂崎乙郎 編著 
『幻想の版画』

双書 美術の泉 25

岩崎美術社 
1976年6月20日 第1刷
1991年12月20日 第5刷
図版78p 解説25p 
B5判 並装 カバー 
定価2,060円(本体2,000円)



カバーそで「美術書案内」より:

「ルドン、デューラー、ホルバイン、ブリューゲル、カロ、ゴヤ、ムンク、エッシャー、など30人の作品を紹介解説し、その「黒の精神世界」を克明に解説した。」


坂崎乙郎 幻想の版画 01


内容:

1 マルティン・ショーンガウアー 「聖アントワーヌの誘惑」
2 オディロン・ルドン 蜘蛛
3 オディロン・ルドン 「聖アントワーヌの誘惑 第1集」より「それはバラ色の冠をいただいた死者の頭である。それが真珠のように白い女の胴体の上にのっている」
4 オディロン・ルドン 「ヨハネ黙示録」より「……日を着たる女ありて」
5 オディロン・ルドン 「聖アントワーヌの誘惑 第1集」より「……そして空から舞い降りた大きな鳥が、彼女の髪のてっぺんに襲いかかる……」
6 オディロン・ルドン 「夢の中」より「後光」
7 オディロン・ルドン 「夢」より「日」
8 オディロン・ルドン 「本を読む人」
9 オディロン・ルドン 「聖アントワーヌの誘惑 第2集」より「死――わが諷刺はいかなる諷刺にも勝る」
10 ロドルフ・ブレダン 「死の喜劇」
11 ロドルフ・ブレダン 「死の喜劇」(部分)
12 ロドルフ・ブレダン 「フランドルの農家」
13 ロドルフ・ブレダン 「善きサマリア人」
14 ロドルフ・ブレダン 「孔雀と七面鳥」
15 ロドルフ・ブレダン 「わが夢」
16 アルブレヒト・デューラー 「騎士・死・悪魔」
17 アルブレヒト・デューラー 「メランコリアI」
18 ローレンツ・シュテール 「幻想建築」
19 ローレンツ・シュテール 「幻想建築」
20 ハンス・バルドゥング・グリーン 「魔法をかけられた馬番」
21 ヴェザリウス 「人体解剖図」
22 ハンス・ホルバイン 「死の舞踏」より「死の紋章」
23 ハンス・ホルバイン 「死の舞踏」より「楽園追放」
24 ハンス・ホルバイン 「死の舞踏」より「国王」
25 ハンス・ホルバイン 「死の舞踏」より「女子修道院長」
26 ハンス・ホルバイン 「死の舞踏」より「農夫」
27 マルカントニオ・ライモンディ 「ラファエロの夢」(部分)
28 アゴスティノ・ディ・ムジ 「獣骨」
29 ジョルジォ・ギージ 「ミケランジェロの憂愁」
30 ピーテル・ブリューゲル 「大アルプス風景」
31 ピーテル・ブリューゲル 「農民のあくび」
32 ピーテル・ブリューゲル 「大きな魚は小さな魚を喰う」
33 ピーテル・ブリューゲル 「時の勝利または悪魔の勝利」
34 クリストフ・ヤムニッツァ 「人体のシリーズ」より「アラベスクと他の飾り」
35 ハンス=フレーデマン・デ・フリース 「オペラマティマティカ」
36 テオドール・ガル 「死は眼から入り込む」
37 エルハルト・シェーン 「人体のプロポーション」
38 ジャック・カロ 「農家の掠奪」(部分)
39 ジャック・カロ 「吊された人びと」(部分)
40 ジャック・カロ 「車輪」(部分)
41 ジャック・カロ 「ジプシーの群れ」
42 ジャック・カロ 「ジプシーの群れ」(部分)
43 ジャック・カロ 「聖アントニウスの誘惑」
44 ジャック・カロ 「聖アントニウスの誘惑」(部分)
45 レンブラント・ファン・レイン 「キリスト磔刑」
46 ヘルキュレス・セーヘルス 「大きな樹」
47 ヘルキュレス・セーヘルス 「塔の見える風景」
48 シャルル・メリヨン 「海軍省」
49 シャルル・メリヨン 「シャンジュ橋」
50 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 「牢獄」(シリーズ)
51 ジョヴァンヌ・バッティスタ・ピラネージ 「牢獄」(シリーズ)
52 コルネリウス・ユイベール 「胎児」
53 フェリシアン・ロップス 「悪魔の機械」
54 フランシスコ・ゴヤ 「カプリチョス」より「歯をもらうよ」
55 フランシスコ・ゴヤ 「カプリチョス」より「理性が眠れば、妖魔がめざめる」
56 フランシスコ・ゴヤ 「戦争の惨禍」より「かれらを埋葬し、沈黙しよう」
57 フランシスコ・ゴヤ 「戦争の惨禍」より「なぜ?」
58 フランシスコ・ゴヤ 「戦争の惨禍」より「これもまたむなしい」
59 フランシスコ・ゴヤ 「戦争の惨禍」より「不幸な母親」
60 フランシスコ・ゴヤ 「戦争の惨禍」より「無」
61 フランシスコ・ゴヤ 「戦争の惨禍」より「これが真実だ」
62 フランシスコ・ゴヤ 「デスパラテス」より「大馬鹿」
63 フランシスコ・ゴヤ 「デスパラテス」より「結婚の不条理」
64 フランシスコ・ゴヤ 「デスパラテス」より「女を掠奪する馬」
65 フランシスコ・ゴヤ 「デスパラテス」より「幽鬼」
66 フランシスコ・ゴヤ 「デスパラテス」より「牛の不条理」
67 ジェームズ・アンソール 「昆虫の家族」
68 グランヴィル 「哀れな自由」
69 グランヴィル 「美術館」
70 グランヴィル 「影」
71 グランヴィル 「飛ぶ魚」
72 グランヴィル 「夢の変容」
73 グランヴィル 「夢・罪と罰」
74 グランヴィル 「オペラ座のヴィーナス」
75 グランヴィル 「二百のトロンボーンのための讃歌」
76 グランヴィル 「最上の政治形態」
77 グランヴィル 「惑星の橋」
78 グランヴィル 「建築の結晶化」
79 グランヴィル 「見物人があまり絵に近よらないよう、監視人は注意しなくてはならない。でないと事故が起るだろう」
80 エドワルド・ムンク 「不安」
81 エドワルド・ムンク 「臨終」
82 モーリッツ・エッシャー 「空と水」
83 モーリッツ・エッシャー 「滝」
84 ヨハン・ハインリッヒ・フュスリ 「夢魔」

幻想の版画――黒の精神世界 (初出: 「芸術生活」 1975年5月号)
 黒と白の感性
 黒白への沈潜――ルドンとブレダン
 浄福と恐怖の夢魔の迷宮――デューラー、ライモンディ、ムジ
 ジャック・カロの衝撃的レアリスム
 不可視不条理への下降――レンブラント、ピラネージ、ゴヤ

作者一覧




◆本書より◆


「幻想の版画――黒の精神世界」より:

「紙の上に1本の線が引かれることと、紙の上から1本の線が消えていくこととは、呼吸のように微妙でありかつ区別しがたい。版画家が卓越しているのは、この1本の線をたよりに誕生と死を描き分けるからで、彼は1本の線の限りない脆弱さと強靭さを感得しているのである。ハンス・ベルメールの線の細さを思い浮かべて頂きたい。ロドルフ・ブレダンの雲から洩れる僅かな光を思いだして頂きたい。
 あの光と細い線こそ私たちの内部世界なのではないだろうか。外部世界の色さまざまの、無限の多様性、無限の豊饒さに人間が耐えて生きていけるのは、内部世界がそれと同量の色を、多様性を、豊饒さを持っているためではない。それらは一閃の刃で崩壊させることも可能だ。むしろ、それらを収斂して、おのれのイメージに合うよう作りなおしていく、個の意志がかくされているためである。」



坂崎乙郎 幻想の版画 02

ローレンツ・シュテール 「幻想建築」


坂崎乙郎 幻想の版画 03

コルネリウス・ユイベール 「胎児」
























































































































坂崎乙郎 『反体制の芸術』 (中公新書)

「芸術家もしくは制作者は、もともと反体制の側にあり、いわゆるアウトサイダーです。」
(坂崎乙郎 『反体制の芸術』 より)


坂崎乙郎 
『反体制の芸術
― 限界状況と制作のあいだで』

中公新書 202

中央公論社 
昭和44年10月25日 初版
昭和48年7月20日 2版
208p 
新書判 並装 ビニールカバー 
定価280円
装幀: 白井晟一



本書「あとがき」より:

「『反体制の芸術』は中央公論社の竹内一郎氏にすすめられて書いたものです。はじめ、私はナチスの第三帝国における芸術弾圧とその犠牲者たちの姿をできるだけくわしく浮き彫りにするつもりでおりました。表題は「頽廃芸術」です。
 ところが、竹内氏とお話ししているうちにこの主題をも少しひろげて、いわゆる体制側とこれに抵抗する芸術家のありかたを、歴史的に調べてみようということになりました。
 芸術家もしくは制作者は、もともと反体制の側にあり、いわゆるアウトサイダーです。芸術作品が教会や貴族・王侯、ひいては国家に奉仕していた時代はともかく、十九世紀以降、芸術家は、なによりも制作の自由に彼の真の姿を求めています。
 しかし、体制という権力組織がいつの時代にも存在している以上、芸術家はこれとつねに対立・拮抗せざるをえません。現代もまた権力の時代なのです。したがって、私がここにあげた農民戦争、ナポレオン戦争、ナチス・ドイツの時代、あるいはハンガリー動乱の時期の芸術家の反体制の姿勢が、もしも、今日のわが国の芸術家の正確な状況判断に少しでも役立つならば、幸いです。
 なぜなら、産業資本という新しい権力構成と、団体という古く因習的な権威主義のあいだで、真摯な芸術家は今こそもっとも苦しい自分の道を切りひらいていかねばならないからです。まして、一九五六年のハンガリー、六八年のチェコ、そしてベトナムと考えてきますと、私たちのおかれた状況も明日しれぬ政治権力の掌中にあります。」
「徹底した個人主義を重んじ、非政治的である私が、二ヵ月のあいだこのテーマにとりくんだ現在、はっきりと断言できることは――もはや安定したブルジョア社会からは芸術はなんの生命力もえられはしない――といった素朴な確信でした。その意味で、本書は『夜の画家たち』――『幻想の建築』につづいて、私のもっとも愛着ある一冊となるはずです。」



本文中図版(モノクロ)多数。


坂崎乙郎 反体制の芸術 01


帯文:

「権力組織と因襲のなかで、自らの道を切り開いた芸術家たち」


帯裏文:

「農民戦争に加担して極刑に処せられたラートゲープ。ナポレオン戦争の惨禍が課した苛酷な命題にとりくんだゴヤ。スペイン戦争の真実を直視して大作『ゲルニカ』を描いたピカソ。体制非協力のゆえに「頽廃芸術」のレッテルを貼られて追放されたコールヴィッツをはじめとするナチス政権下の画家たち。その他、十六世紀から現代まで、権力の暴威のまえに立たされた芸術家たちの歩んだ道をたどり「政治と個としての人間」を考える。」


目次:

序章 農民戦争から現代まで

第一章 農民の画家ラートゲープ
「ラートゲープは体制に屈して、虐殺された。が、彼の祭壇画はいまなお光を失っていない。」
 悪魔と神
 ヘルレンベルクの祭壇画
 絵筆か剣か

第二章 リーメンシュナイダーの手
「リーメンは両手を砕かれてのち、六年間生きつづけた。愛だけが彼の唯一の信仰であった。」
 ルネッサンスと宗教改革
 血の祭壇
 裏切りか愛か

第三章 『農民戦争』
「私がプロレタリアの生活を描いたのは、彼らの生活が単純かつ無条件に美しいと感じたからです。」
 ケーテ・コールヴィッツ
 死・陵辱・捕われた者
 敗者の論理

第四章 ゴヤの『カプリチョス』
「宗教裁判所の目をのがれ、ゴヤの体制批判はまず辛辣な『カプリチョス』にあらわれはじめる。」
 理性が眠れば、妖魔がめざめる
 社会の上層階級にたいする批判
 真実をあばく筆

第五章 ゴヤの『戦争の惨禍』
「『戦争の惨禍』は政治と絵画の接点であり、ここでは現実のポジとネガが密着している。」
 ナポレオン戦争
 状況の絵画
 芸術は運命である

第六章 ナチスの「頽廃芸術」展
「ヒトラーにとって、芸術家は存在しない。彼は自分の夢を殺したように、あらゆる芸術家を弾圧する。」
 九つの弾劾
 頽廃芸術の意味
 集団的ナルシスム

第七章 『この人を見よ』
「政治的な見識をもつすぐれた芸術家のジャーナリスティックな仕事――これこそ重要だ、と僕は確信する。」
 素描家グロッス
 敗戦のもたらすもの
 レアリスムの袋小路

第八章 シュレンマーの『窓』
「シュレンマーの一生は現実空間から抽象空間へ、抽象空間から象徴空間へのさすらいであったろう。」
 空間における人間
 国外亡命と国内亡命
 象徴的空間

第九章 『ゲルニカ』
「ゲルニカの悲劇はつづいている。なぜなら、ピカソの作品は時間・空間をこえた普遍的記号であるのだから。」
 その悲劇
 その形態
 その静けさ

第十章 フォートリエの『人質』
「『人質』は自分の内部にひそむ否応のない暴力にたいする、絵画による徹底した自己検証の結果であるというべきか。」
 レジスタンスの絵画
 人間が人間を拷問する
 肉片

第十一章 『戦車の戦い』
「私たちはつねに反体制の側に身をおかねばならない。理念的であろうと、行動的であろうと。」
 幻想的レアリスム
 レームデンとハンガリー革命
 ホアン・ヘノヴェスの視点

あとがき




◆本書より◆


「もとをただせば、農民戦争も後世の歴史家が説くような、社会経済的要因とか改革思想の系譜といったむずかしい問題ではなく、他者の苦しみを自己のそれと実感しえた真の指導者の情熱に由来したのにちがいない。」

「のちに、この痛ましい無差別爆撃は直接的にはナショナリストの典型ビダール・エミリオ・モラ将軍の指令を、ドイツ・コンドル兵団が忠実にはたしたことが明らかとなったが、もとよりフランコがそれを知らないはずはない。一九四六年、ゲーリングはドイツ軍がゲルニカを試射場とみなしていた事実を確認しているが、なるほど裏切りが政治の合理とはいえ、これはあまりに陰惨な行為であるとしかいいようがない。
 『ゲルニカ』の悲劇をより詳細に伝えるヘルマン・ケステンの文章を引用してみよう。
 「どうでしょう! 飛行機が、もう防空壕にもいたたまれなくなって逃げまどう人びとめがけて、機銃掃射をあびせているではありませんか。ゲルニカの教会のまえには広場がありました、羊の市場です、柵のうしろには羊たちが群らがっていました。飛行機は、この羊たちにも機関銃のたまをあびせかけたのですよ。それで、羊たちは、どうにもしようがなくなってメエメエなきながら死んでいきました、子供たちとおんなじように。そうして、吠えつづけていた犬たちも倒れて、もう吠えなくなりました。それで飛行機は、こんどは家畜市場の、鳴きわめく家畜たちに機銃をあびせました。牛たちは、やさしい目をした羊たちは、倒れてもう鳴かなくなりました。あいつらは、人間にも、この家畜たちとおんなじように、機銃掃射をかけました。どれもこれもみんな、あの連中にはおなじことだったのです。(中略)耳をつんざくような、あのものすごい物音のあとにきた静けさ、おそろしいほど静かでした。それまでの百倍もこわくなったほどでした。そうして――自動車の破片が屋根のうえに、屋根が庭に。もえさかる木立ち、こわされた窓、爆弾でくしゃくしゃになった家々――屋根のてっぺんから地下室までぱっくり口をあけていました。そうして、あちらこちらに血の溜まり池、くろずんだ血の、どすぐろい笑い声、そうして、死んだ人たち。そんなにもあつかましいものなのです。死というのは。一つ一つの顔だちをぬぐいけして、なかみをむきだしにするのです。」
(『ゲルニカの子供たち』 鈴木武樹訳)」
「もともとフランコは統領となるべき大器ではなかった。スペイン反革命軍事評議会が当初考えていた指導者サンフールホ将軍を事故で失ったときに、たまたま彼は将軍の席についた人物で、僥倖としかいいようがなく、やがてヒトラーが彼に軍事同盟の提案をしてきたおりにも、交渉が失敗した偶然によって、彼は消滅することをまぬがれたのである。」
「フランコは「僥倖」の仇名にしかすぎぬ。フランコでなければ、ふたたびだれかある幸運児が彼の後継者たるのだろう。ピカソが『ゲルニカ』で意図したのは、そのような些細な存在にたいする攻撃ではない。彼は『ゲルニカ』を一つの完璧なフォルムとして、いうならば、ゴヤの『戦争の惨禍』と同一のパースペクティヴから、血を殺戮を狂気を、泣く女、落ちる女、暴力、抵抗、挫折、死児、絶叫、いななく馬、断末魔の鳥を冷酷に記号化したのである。」
「『ゲルニカ』はピカソの形態学であり、独自な映像であるがゆえに、それは現在、おそらくは未来にあっても訴えつづけるのではあるまいか。」
「ピカソはナチス占領下のパリで、けっして安閑としていたわけではなかった。彼も「頽廃芸術家」の一人であったし、フランコにとっては「好ましからざる人物」であったから、ゲシュタポの追及は執拗をきわめていたらしい。すでに多くの芸術家・詩人は、ドイツ軍がくるまえにパリを去っている。アンドレ・ブルトンも、フェルナン・レジェもアンドレ・マッソンも、エルンストも、その他大勢――が、ピカソはパリにとどまって、こううそぶくのである。
 「私は、ある種の消極的なかたちで、暴力や恐怖に屈服したいとは思わない。私はパリにいるから、パリにとどまっていたいのだ。私を立ち去らすことのできるただ一つの力――それは私が去りたいという欲望だけだ。」
 なんという偽らざる告白だろう、なんという芸術家らしい発言だろう。彼はいかなる権威にもくみせず、おのれの命ずるままに行動できる稀有な人格なのだ。(中略)けれども、怒りと制作とはおのずから区別されねばならない。怒りに身を任せれば、たとえ『ゲルニカ』の個々のフォルムは完成していても、コンポジションが根底から崩れてしまうだろう。」

「フォートリエの『人質』を、たんにナチズムにたいする人間的な憤りといった側面からのみ解釈してはまちがいだろう。鑑賞者はいざ知らず、制作者はつねに内部に狂信を宿している。くる日もくる日もたえまなくヴァリエーションを追求する彼らが、安定した社会秩序と幸福な家庭に平安をみいだすことはほとんど不可能だ。彼は疎外された者であり、自分の人生は決定的な失敗で、周囲とは調子があわないと感じている。かえって、カオスの状態のほうが彼に安らぎをもたらすのである。
 フォートリエは、ナチス占領下の昏(くら)い日々、またとない充実感を味わいはしなかったろうか。独裁者も「狂信」をいだいている。制作者は独裁者の内面にわけいることができはしまいか。たとえ、それがどんなに荒廃した内面であろうと。ヒトラーも建築を志し、絵画をこころみ、ゲッペルスも演劇と小説を、ローゼンベルクも建築・哲学を青春の夢としなかったとはいいきれない。ペーター・ヴィレックの指摘では、ナチスの重要人物はいずれも文学的・芸術的野心の持主だったのである。(中略)『人質』がたんなる憤りであるかぎり、世界はていどの差こそあれ、「眼には眼を」を精神の糧としなければならなくなるであろう。この点、フォートリエのよき理解者東野芳明氏のつぎの言葉は傾聴に値するのである。
 「いわば『人質』は自分の内部にひそむ、否応のない暴力にたいする、絵画による徹底した自己検証の結果であるというべきか。この表情をぷっつりと噛み殺した横顔は、あの『ゲルニカ』の牛の表情と同じように、ひょっとしたら、暴力をまとった顔なのかもしれないではないか。この顔が、無力と暴虐、人間性と獣性といった二つの力のせめぎあった地点から、清冽な優美さをさえともなってあらわれていることにぼくはうたれる。」」
























































坂崎乙郎 『夜の画家たち』 (講談社現代新書)

「……たぶん、私はそう永くは生きられないだろう。でも、それは悲しむべきことだろうか。祝祭は、それが永くつづいたからといって、はたして美しいといえるだろうか。私の人生は祝祭だ。短く、華麗な祝祭なのだ。」
(パウラ・モーダーゾーン=ベッカー)


坂崎乙郎 
『夜の画家たち
― 表現主義の芸術』

講談社現代新書 519

講談社 
昭和53年9月20日 第1刷発行
237p 
新書判 並装 カバー 
定価390円
装幀: 杉浦康平+鈴木一誌



本書「あとがき」より:

「『夜の画家たち』がはじめて本になったのは一九六〇年です。当時、私は二年間のドイツ留学を終えて帰国し、留学中感銘をうけた表現主義の画家について、折りにふれ雑誌「みづゑ」や「美術手帖」に文章を発表していました。」
「『夜の画家たち』が再版されたのは一九七〇年、造形社で、その後久しく版を断っていました。
 その間、表現派の展覧会をはじめとし、(中略)表現主義に関する文献もかなり出版されるようになりました。」
「表現主義についてはわが国でも今後すぐれた研究が発表されるのではないか、と思います。その意味では、本書はほんの輪郭を引いたにすぎないのかもしれません。しかし、いまとなっては二度と書けぬであろう、本書にこめられた青春の文字ゆえに、あえてそのまま新版にしていただくことにしました。ただし、紙数の関係から、初版および再版の「表現主義とは」、「生のアラベスク――ムンクI」、「表現主義の版画」は割愛しました。」



本書の「まえがき」と「あとがき」は、新書化にあたって新たに執筆されたものです。
本文中図版(モノクロ)多数。


坂崎乙郎 夜の画家たち 01


カバー文:

「激しい感情表出、鮮烈なタッチと大胆な色彩、
死とエロスの、霊と肉の赤裸々な相剋を伝える緊張と孤独――
北欧のムンク、スイスのホードラーを先達とし、
ドイツに実を結んだ表現主義ほど、
自我と世界の悲劇的対立を
尖鋭に浮き彫りにした芸術運動はない。
フランス絵画主流の従来の絵の見方のみならず、
カンディンスキー、クレーを育む
現代芸術のひそかな間道として、
〈ブリュッケ〉〈青騎士〉を中心とする表現主義芸術に光をあてた本書は、
今日の芸術を考えるうえでの新たな視点を提供する。」



カバーそで文:

「「右手首のない自画像」――真新しい軍服をまとった画面の男。
そのえぐり取られたような肉の落ちた容貌と
ふかすでもない煙草をくわえた口もとの、ぞっとするような自嘲……
この男はだれでもない、あきらかに「私」である。
「私」は若い芸術家である。しかも、「私」には天才の自負がある。
使命がある。この天才が、本来の使命を棄てて、
世界の暴力沙汰の員数合わせに駆り出されることは、なんという矛盾。
だから見よ! 画面の男は鮮血のしたたる手首のない右腕を掲げている。
“斬り落されたのかって? 冗談じゃない。斬り落したのさ。
いいかい。絵筆を握るこの大切な右手を、自分でね”。
このキルヒナーという画家は、なぜこんな血のしたたる右腕を描いたのであろうか?
――本文より」



目次:

まえがき

1 アルファとオメガ――ムンク
2 実在と影――ホードラー
3 わがための祝い――モーダーゾーン=ベッカー
4 地霊――ノルデ
5 運命を占う人――ココシュカ
6 ダス・ジムボール――キルヒナー
7 ペーネロペイアの布――ベックマン
8 形体の闘い――マルク
9 青の異端――青騎士とカンディンスキー
10 線と秘法――クービンとクレー

表現主義主要文献
あとがき



坂崎乙郎 夜の画家たち 02



◆本書より◆


「ダス・ジムボール――キルヒナー」より:

「一九三七年、キルヒナーの作品は、ナチスによってドイツの美術館から追放され、そのうちの三二点が“頽廃美術展”のさらしものにされた。このころ、あらたに昂じた結核の病苦と経済的な苦境に悩まされていたキルヒナーにとって、これは絶望への宣告となった。彼は極度の神経衰弱にかかり、翌三八年七月、みずから生命を絶ったのである。この破局的な晩年を、わずかに残った友人たちでさえ、だれも救うことはできなかったという。
 自己中心的とまでいわれたほど自我の強い彼、そして未来の絵画を摸索してたゆみない手法の精進をつづけた彼も、病魔、貧窮、悪意ある無理解という三重苦には、ついにうちかつことができなかったのであろうか? ――いや、圭角のある鋭い個性だけに傷つきやすく、折れやすかったのかもしれない。」
「ゴッホ、ムンク、アンソールなど現代絵画に共通の寄与をもたらした画家たちは、その生涯に一度は直面しなければならなかった破局がある。(中略)あるいは正常な理性を奪われ、または神経を寸断され、さらには重い気鬱症におちいって、狂気の世界をさまようのである。
 彼らの鋭敏な感受性に共通しているのは、自我に対立する世界への執拗な懐疑、自己を含む存在一般へのたえまない不信、そして自我と世界との悲劇的な無縁さの自覚であろう。彼らの画面の眼もあえかな構図も色彩も、実は自我と世界との葛藤の赤裸々な表現であり、対象に激突して砕け散る自我の火花の大胆な抽出にほかならない。しかもその画面は美しい。彼らが正気と狂気との境からもたらしてくれたものは、狂気を知らない人間を戦慄させ、嫌悪させ、やがては驚嘆させ、納得させるほど美しいのである。
 キルヒナーは、おそらくこのような系譜をつぐ画家の一人であろう。それにしても、五十八歳の自殺とはいったいどういうことであろう? ――悲惨である。(中略)この章の初めにみた血にまみれた右腕の自画像から、まさに一直線につながるキルヒナーの悲惨な末路に、私は、主観表出にすべてを賭ける表現主義絵画の、悲劇というほかはない特質と限界の一典型をみるのである。」



「線と秘法――クービンとクレー」より:

「第二次大戦後しばらくして、クービンの作品展がオーストリアで催されたときのことである。会場には数多くの作品が飾られてあったが、なかで「軍馬」(一九五二年)と題する作品が、ある日、何者かの手によってひそかに運び去られてしまったのである。軍馬は、題こそ勇ましいが、これはけっして戦場に赴く颯爽とした馬を描いたものではない。逆に戦闘によって痛めつけられ、飼葉もなく痩せ衰えて、物におびえながら廃虚のたそがれをさまよう脱落の馬である。もしかすると、かれの瞳孔は火焔に焼かれ、鼓膜は爆風に引裂かれているのかもしれない。そうろうとして運ぶひづめの下に、この哀れな生物は、いくばくもない自己の余命を乏しく計っているのであろう。いうまでもなく、これは第二次大戦がもたらした生々しい戦禍の爪痕である。制作年代は一九五二年であるから、むろんオーストリアでは、戦後のもっとも呪わしい時期は終わっている。ではなぜ、こんな悲惨な絵が盗まれたのであろう?
 犯人は、展覧会の一見物人にすぎなかったが、後日捕えられたとき、「僕はこの絵を売ろうなどという意志は毛頭なかった。ただ、会場で僕はこの馬の惨めさに惹かれたのだ。いとおしく思い、フラフラと盗んでしまった。僕は自分の部屋にこの馬を連れてきて、たった二人きりで座っていたかった」と、つつましく答えたという。
 戦争の悲劇を、人間の悲哀を知らない者が、はたしてこんな病馬の絵に心を奪われるだろうか? ――半世紀におよぶクービンの永い芸術的生涯は、こういう、時代に悩み、生をいとおしむ無名の人びとの、もっともインティメートな交感によって支えられたと思うのである。」






































































坂崎乙郎 『ロマン派芸術の世界』 (講談社現代新書)

「現実は地獄であって、心ある者はだれしもこうした現実を呪わずにいなかった。」
(坂崎乙郎 『ロマン派芸術の世界』 より)


坂崎乙郎 
『ロマン派芸術の世界』

講談社現代新書 446

講談社 
昭和51年9月20日 第1刷発行
昭和53年1月20日 第3刷発行
236p 折込1葉
新書判 並装 カバー 
定価390円
装幀: 杉浦康平+海保透



本書「あとがき」より:

「私が本書で述べたかったのは、アウトラインとはいえ、わが国でしばしば誤解されているロマン主義の修正であった。」
「ロマン主義は、わが国のみでなくヨーロッパでも、十九世紀芸術のなかの一傾向のようにみられるむきがある。たとえば、十九世紀の芸術を、新古典派、ロマン派、写実主義、印象主義、後期印象派、世紀末芸術と分けた場合がそうである。
 けれども、生きた美術の歴史がそう簡単に図式的に分類できるはずもなく、マルセル・ブリヨンはつとにドイツ・ルネサンスのアルトドルファーや十七世紀オランダのロイスダールをロマン派の先駆とみとめ、あるいはアングルのなかにも、クールベのなかにも、ロマン主義的傾向を読みとっていた。」
「私はこんな風に結論したのである。ロマン主義は通常ロマンチックと呼ばれる感傷性もふくんでいるものの、ゴヤもしくはイギリスのジョージ・スタッブスにはじまり、ゴッホにいたる想像力の芸術で、あえていえば十九世紀全般にわたる魂の問題であった、と。」
「ロマン主義ほど、こうした人間の想像力の昏い領域にふみこんだ芸術はなかった。同時にロマン主義の画家ほど昏い領域に足をふみ入れることによって、時代の歩みと足並みをそろえた画家たちもなかった。
 まずゴヤが貴族ではなく群衆を画面の中央にすえてから、ブレークが一粒の砂に宇宙を凝視してから、ロマン主義は文字どおり、クールベの『アトリエ』『石割り』を経て、ドーミエの民衆に、ミレーの農民に、ゴッホその人に結実していったのである。
 変革といってもよい。そして、ゴヤからゴッホにおよぶ画家の姿のなかにはなによりも人間が、まぎれもない人間がみいだされるのである。
 真の画家はゴッホで終ったといってもよい。二十世紀には二十世紀にふさわしいかずかずの画家が生まれているが、もう一度ロマン主義者の理想に、ゴヤに、フリードリヒに、ターナーに、クールベに、ミレーに、ゴッホに帰れというのは時代錯誤だろうか。」



本書の第三章「狂気」はリチャード・ダッド論です。
本文中図版(モノクロ)多数。


坂崎乙郎 ロマン派芸術の世界 01


カバー文:

「夢と現実の、燃焼と冷却の、相反する両極を天翔けり、
幽冥の境をさまよう、ロマン派芸術は、人間の昏い無意識の海に
投じられた、最初の錨である。十九世紀の夜をつらぬく
夢の軌跡はまた、世界の根源的狂気を透視し、変革を希う
近代精神の萌芽でもあった。極北ゴヤから聖者ゴッホにいたる
ロマン的魂の系譜を、〈想像力〉の領域から
とらえた本書は、ロマン派芸術を新たに
現代に蘇生させる試みである。」



カバーそで文:

「真紅とブルーの変奏――ユーゴーが「幻想的風景」で
こころみたひと刷毛(はけ)のブルーは、
くっきり古城を浮かびあがらせたかと思うと、
ドラクロワの嵐のなかの白馬を狂奔(きょうほん)させ、
フュスリの「夢魔」の室内では冥府の青さをたたえて
ターナーの「海葬」の黒とまじわり、
そして、ついにはフリードリヒの「希望号の難破」の凍りついた青、
「海辺の僧侶」の死のような青に変奏をかなでてゆく。
真紅とブルー。それはロマン主義絵画の最重要の色であり、
激情を冷静を、日没を明方(あけがた)を、噴火を海を暗示しつつ、
大いなる燃焼とさめきった理性の、上昇する意志と下降する欲望のあかしなのである。
――本文より」



目次:

1 永遠の夜
2 夢
3 狂気
4 美の計算
5 種蒔く人
6 想像力
7 開かれた窓
8 英雄たち
9 死と難破

あとがき

ロマン派の系譜 画家略歴・年表
図版文献



坂崎乙郎 ロマン派芸術の世界 02



◆本書より◆


「ロマン主義はなぜ夜にいっさいを捧げようとしたのか?」
「その一は現実世界の否定である。スペインの宮廷画家であったゴヤの晩年を辿るとはっきり分かるが、彼はナポレオン戦争、スペイン内部の政治的腐敗をつぶさに体験して、フランスのボルドーに亡命した。批判は当初はゴヤ以外の他者にむけられていたものの、しだいに彼は人間存在そのものに疑念をいだき、版画集『デスパラテス』を刻んだ。
 芸術家の制作とは時流と同調することではあるまい。現実のスペイン、現実の政治、現実の人間、現実の生き方は、ゴヤの眼からすればあまりの矛盾をはらんでグロテスクであり、彼はもはや現象界をそのまま受け入れるのを嫌い、これを揶揄し、みずからもふくめて嘲笑する方向に進んだ。」
「現実は地獄であって、心ある者はだれしもこうした現実を呪わずにいなかった。
 かりに、いま夜が訪れてスペイン国土を漆黒の闇が塗りこめれば、文目(あやめ)は無限に深く、具体的な事物は姿をかくして、人はいっとき現実のスペインを忘れることもできる。夜特有の「時間と空間を超えた」領域のなかで、世界はまた別の色合いを帯びて浮かび上がってくる。」
「その二は、そのような夜の支配する静寂と神秘、恍惚と安らぎ、それらがロマン主義の画家を魅了したといったらよいだろうか。」
「その三は想像力の領域となる。光の測定は可能だが、測ることのできない想像力の領域である。」
「想像力のなかでは、なにごとも起こりうる。夜更けの芸術家のイメージのなかでは不可能事はなにひとつない。」
「夜のしじまのなかで、ゴヤも想像力を絶えまなくくりひろげては定着していった。彼を統(す)べていたのは永遠の夜で、アンドレ・マルローのいうように、彼の想像力は夜半にのみ火をともされる。ゴヤはもはや暁を、夜明けを待望していない。この点、彼はロマン主義の画家でありながら、はるかにロマン主義を抜きんでた存在である。
 彼の手から生まれ落ちる形象は、晩年になるにしたがい、すべて地底の、冥府の影をつけている。そこにはわずかばかりの希望もなく、期待もなく、人間の善意という善意、信頼という信頼はいっさい裏切られ葬り去られて、塵芥(ちりあくた)のように捨てられてゆく。これが、ゴヤのかいま見た arrière-monde(背後世界)である。彼は人間の残虐、悲惨を現実の世界に、白昼に目撃し、永遠の夜にくるまれて、背後世界に到達している。」
「夜は、闇は、無は、世界の根源はこうしてゴヤによって拡大され、たとえわれわれが写真という新しい眼をとおして、もっとも残酷な数かずの場面を見せつけられても、それらはいち早くゴヤによって登録されているアリエール・モンドのひと齣(こま)にすぎないことを知らされるのである。
 なぜ、ゴヤはかくも残忍でありえたのだろうか?
 それは夜が、その四、ありとあらゆるものを消し去り、否定する精神でもあったからである。夜が完全に帳を降ろし、無明(むみょう)となるとき、(中略)あたりにうごめくのは恐るべき破壊力であったからである。
 ゴヤにとってはそれがサクレ(聖なるもの)であった。聖なるものは俗なるものの反対概念であるといったたぐいの通説を、彼はとらない。真昼の世界も、深夜の世界も、ともどもに打ち砕く、つまりは存在そのものを破壊する衝撃的な力が、ただひとつ、世界を、存在をあらたによみがえらせることをゴヤは念じていたのだろう。
 ロマン主義はゴヤの指し示した極北にむかって、永遠の夜にむかって、企投をこころみている。」
































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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