『金子光晴詩集』 清岡卓行 編 (岩波文庫)

「ものの腐つてゆくにほひはなつかしい。」
(金子光晴 「大腐爛頌」 より)


『金子光晴詩集』 
清岡卓行 編
 
岩波文庫 緑/31-132-1 

岩波書店 
1991年11月18日 第1刷発行
1996年12月10日 第3刷発行
483p 編集付記1p
文庫判 並装 カバー
定価770円(本体748円)
カバー: 中野達彦
カバー画: 金子光晴



本書「編集付記」より:

「底本の旧字体を原則として新字体に改めるとともに、ふりがなを若干加えた。」


金子光晴詩集


カバーそで文:

「日本の伝統や権力支配の構造を象徴的手法で暴露、批判した詩集『鮫』(一九三七)は、詩人金子光晴(一八九五―一九七五)の本領が発揮された昭和詩史上、最も重要な作品の一つである。『こがね虫』『鮫』『愛情 69』等から秀作を選び、その全体像に迫るアンソロジー。」


目次:

『こがね虫』から
 雲
 三月
 章句
 二十五歳
 金亀子

『大腐爛頌』から
 大腐爛頌
 舌
 五体
 駅
 石

『水の流浪』から
 水の流浪
 海辺小景
 古靴店
 夕
 大埠頭にて

『鱶沈む』から
 古都南京
 鱶沈む
 渦

『路傍の愛人』から
 路傍の愛人
 展望
 航海
 ペダンの夜
 南の女におくる
 夜の酒場で

『老薔薇園』から
 老薔薇園
 エルヴェルフェルトの首

『鮫』(全)
 自序
 おっとせい
 泡
 塀
 どぶ
 燈台
 紋
 鮫

『落下傘』から
 あけがたの歌 序詩
 落下傘
 太沽バーの歌
 寂しさの歌

『蛾』から
 蛾Ⅰ
 蛾Ⅱ
 しやぼん玉の唄
 薔薇Ⅰ
 子供の徴兵検査の日に
 三点
 コツトさんのでてくる抒情詩

『女たちへのエレジー』から
 ニッパ椰子の唄
 洗面器
 牛乳入珈琲に献ぐ
 混血論序詩
 女たちへのエレジー
 小品
 死
 ――ある老嬢に
 無題
 茶子由来記

『鬼の児の唄』から
 鬼の児放浪
 恋
 禿
 血
 風景

『人間の悲劇』から
 No. 2
 女の顔の横っちょに書いてある詩
 もう一篇の詩
 さらにもう一篇の詩
 悲歌
 [二人がのんだコーヒ茶碗が]
 [昔の賢明な皇帝は]
 奇怪な風景
 [戦争が終ったその日から]
 くらげの唄
 答辞に代へて奴隷根性の唄

『非情』から
 微風
 ある序曲
 初対面
 太陽
 赤身の詩

『IL』から
 IL 四

『若葉のうた』から
 元旦
 頬っぺた
 さくらふぶき
 若葉よ来年は海へゆかう
 おばあちゃん

『愛情 69』から
 愛情 1
 愛情 2
 愛情 8
 愛情 13
 愛情 16
 愛情 22
 愛情 29
 愛情 38
 愛情 40
 愛情 46
 愛情 49
 愛情 55
 愛情 69

『よごれてゐない一日』から
 海をもう一度
 女の一生を詩ふ

『風流尸解記』から
 雨の唄
 肖像

『花とあきビン』から
 あきビンを選る人の唄
 短詩(三篇)
 エピローグ

『塵芥』から
 そろそろ近いおれの死に
 塵芥
 愛情、または恋愛について
 混乱の季節
 独裁者

《初期詩集》
『香炉』から
 花
 懈怠
 街
 干潟

《初期詩集》
『赤土の家』から
 麦の穂を枯らす虫
 新らしい日
 白鷺

拾遺詩篇
 反対 (一九一七年ごろ)
 東京哀傷詩篇 (一九二三年)
  焼跡の逍遥
  秋
  荷車の一家族
 冬眠 (一九二五年)
 かつこう (一九四五年ごろ)
 短章(二十三篇)から (一九五一年)
  A
  C
  E
  H
  I
  W
 無題 (一九五四年ごろ)
 ほどらひ (一九六四年)
 そら (一九六四年)
 愛情 (一九六七年)
 多勢のイブに (一九六七年)
 人は船の旅のたのしさを忘れてゐる (一九七一年)
 わが生の限界の日々 (一九七四年)

あとがき (清岡卓行)




◆本書より◆


「鮫」より:

「尊大、倨傲(きよがう)で、面積の大きな、あらい、すがりどころのない冷酷な、青砥(あをと)のやうな横っつら、その横っつらが平気でいってゐる。
――貴様は、忠実な市民ぢゃない。それかといって、
 志士でもない。浮浪人。コジキ。インチキだ。食ひつめものだ。」

「俺は、ハッと眼をつぶって、奴らにぶっつかっていった。
奴らは壁だ。なにもうけつけない「世間」といふ要塞(バリケード)なのだ。
そして、海のうへは雨。
波のうへの小紋、淋しい散索(プロムナード)。」

「奴らは一斉にいふ。
友情だ。平和だ。社会愛だ。
奴らはそして縦陣をつくる。それは法律だ。輿論だ。人間価値だ。
糞、又、そこで、俺達はバラバラになるんだ。」

「奴らを詛はう。奴らを破壊しよう。
さもなければ、奴らが俺たちを皆喰ふつもりだ。」



「蛾Ⅰ」より:

「月はない。だが月のあかるさにみちてゐた。」

「ふかい闇、霧をへだてて、みじろぎながら、ぢつとうかゞつてゐるものら。」

「あゝ、どこにかへつてゆくところがある?」

「こゝろを越えて憂愁は、みなぎりわたる。だが、月はない。」

「そして、追放者、嫖客(へうかく)など、夢なかばに目ざめたものばかりが待つてゐる。
まだほど遠いしののめを。みしらぬくにのあたらしい刑罰を。うつくしい難破を。」



「街」:

「この街はたそがれの光のみにして
人は不在なり
この街のガラスはとほくつづけど
血は一滴もなし。

この街にわれひとり住めり。
この街の人はかへりきたらず。
この街の人はうちつれて
日蝕をみに去りぬといふ。

この街は、しづけき極(きは)みにして
待てり。
ありとある空耳(そらみみ)のはてに。」



「反対」:

「僕は少年の頃
学校に反対だつた。
僕は、いままた
働くことに反対だ。

僕は第一、健康とか
正義とかが大きらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無情にするものはない。

むろん、やまと魂は反対だ。
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻をむけてゐる。

なにしに生れてきたと問はるれば、
躊躇なく答へよう。反対しにと。
僕は、東にゐるときは、
西にゆきたいと思ひ、

きものは左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きてることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。」



「冬眠」:

「眠れ。眠れ。眠れ。眠れ。
さめてはかない仮の世に
ねてくらすほどの快楽はない。
さめてはならぬ。さめてはならぬ。

きくこともなく、みることもなく、
人の得意も、失態も空ふく風、
うつりゆくものの哀れさも背(そがひ)に
盲目のごとく、眠るべし。

それこそ、『時』の上なきつかひて、
手も、足も、すべて眠りの槽のなか、
大いなる無知、痴(し)れたごとく、
生死も問はず、四大もなく、

ふせげ。めざめの床のうへ、
眠りの戸口におしよせて、
光りとともにみだれ入る、
世の鬼どもをゆるすまい。」




◆感想◆


金子光晴の紀行文はたいへん興味深いですが、詩集やエッセイはつまらないです。
たとえば有名な「おっとせい」の詩、

「おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
たゞ
「むかうむきになってる
おっとせい。」」


このへんが金子光晴の限界なのではないでしょうか。金子光晴はおっとせい社会への違和感に苦しめられながらも、自分もまた「おっとせい」なのだと思い込んでしまったために自意識過剰の泥沼にはまり込んでしまったというべきでありましょう。まさにアンデルセン以前であって、自分をアヒルだと誤認しているあいだは白鳥の子といえどもみにくいアヒルの子でしかありえないです。グノーシス主義は、みずからのほんとうの出自を知ることによって地上の苦境を脱することができると説きましたが、それが福音であるゆえんは、物心ついたらアヒルの群れのなかにいた白鳥の子がアヒルのようになれないからといって悩み、アヒル社会に適合できないからといって自殺したり発狂したりしてきた悲しい歴史が存在するからです。白鳥の子などというと偉そうでアヒルの人たちの気に食わないというのであれば、カエルの子でもノラネコの子でも火星人でも宇宙人でもエイリアンでもよいです。自意識過剰のおっとせいになるよりも、無意識過剰のエイリアンになれ、そういうことであります。


















































































































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金子光晴 『西ひがし』 (中公文庫)

「世人が異様なもの、片輪なものと見做(みな)すものの強烈なしぶきほど僕にとってたのしいものはない。」
(金子光晴 『西ひがし』 より)


金子光晴 
『西ひがし』
 
中公文庫 A 81-3 

中央公論社 
昭和52年5月25日 印刷
昭和52年6月10日 発行
236p
文庫判 並装 カバー
定価300円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修


「昭和48年8月~49年7月 『海』連載
昭和49年11月 中央公論社刊
昭和50年11月 全集第7巻」



金子光晴 西ひがし


カバー裏文:

「三千代夫人はひとりベルギーに残った――。暗い時代を予感しながら暑熱と喧噪の東南アジアにさまよう詩人の終りのない旅。『どくろ杯』『ねむれ巴里』につづく自伝」


目次:

「月の世界の人」
マルセイユまで
波のうえ
氷水に浮いてる花
関帝廟前好事あり
関帝廟第二
夢は蜈蜙嶺を越えて
さらば、バトパハ
情念の業果
やさしい人たち
おもいがけないめぐりあい
ふたたび蛮界
蚊取線香のむこうの人々
かえってきた詩
紫気に巻かれて
口火は誰が
マラッカのジャラン・ジャラン
疲労の靄
世界の鼻唄

解説 (中野孝次)




◆本書より◆


「「月の世界の人」」より:

「人間の歴史は、戦争と、そのあいまのいささかの休息の時間があるだけであり、ぶちこわしては修繕する、それだけが人間の歴史のようで、進歩とみるべきことは、年を重ねて、大規模になることだけで、ワーテルローで戦って死んだ人たちの数などは、問題にならないほどである。被害も大股でやってきて、それがつづいて地球は終滅ということになりそうであるが、それほどに今日の戦争は規模雄大で、また、人間はなかなかそんなこと位で亡びてしまいそうもない宿業のかたまりである。」


「かえってきた詩」より:

「世人が異様なもの、片輪なものと見做(みな)すものの強烈なしぶきほど僕にとってたのしいものはない。それは、随分遠い少年のむかしから、いや、もっと遙かな幼年の記憶とは言えないくらいな時代から、感覚的に身につけた偏向したこのみで、いまも猶、そうである入浴の瞬間の厭世的な気持や、かるい癲癇(てんかん)の発作の無の世界から人間の世界に戻ってくるときの、なんとも形容のできない安堵の恍惚感と、どこかで根と根がからみあったもののようにおもえてしかたがない。」

「財布の底が、イギリスの金の二、三ペンス、フランスの金の二十サンティムの銅貨一枚という裸同様な次第になってしまっても、それほどおどろきも、あわてもしないのが、僕の性分なので(それは今日猶あいかわらずそうなので、多くの人にあいそをつかされる原因でもある)、そういうことになったら、宿のたたみにひっくり返って、あい変らず天井を走っているやもりの交尾を無心にながめ、大正時代に日本で流行した、流行歌などを、歌詞をところどころ忘れたり、まちがえたりしながら、鼻唄でうたったりして時間をやりすごしたりしているのであった。はやり唄ほど、むかしをそのまま、環境といっしょにおもい出させるものはない。それが、唯一とも言っていい、僕の郷愁であり、ちょっとした泣き所でもあったらしい。そしてその度毎に、その時間が、じぶんにはふたたびかえってこない時間で、たとえ、日本へかえっても過去はどこへいってみても、塵かけらも拾うよしはなく、紅海からみたアラビアの沙漠の風紋のつながりのように、索漠(さくばく)とした地平で、そのはてはちょん切られているものとしか考えられない。」
「シンガポールの宿で、寝そべりながら考えているうちに、そんなところへかえってみてもしかたがないし、この宿にいつまでもこうしていられるものでもなし、どうした方がいいのか、はっきりした分別がなかなかつかなかった。ただ妙なことは、それならば死んだらどうだというおもいつきが湧かなかったことだ。死ぬとなれば、このへんの土地では、いとも簡単であった。そんな高尚な考えは、僕のぼやけた頭脳では、なかなか思いつけなかったのだろう。そのときばかりでなく、幼少から、絶体絶命なときにも、自殺してらくになろうという妙案は浮ばずに、今日まで来てしまっている。そして、ひたすら、わけもなく「死」をおそれ、「死」に追込むあいて、それが権勢にしろ、規制にしろ、むしょうに腹が立ち、そのときのじぶんにだけ、なにか生甲斐のようなものを感じることに気がついた。他人を死にまで追いこむ立法はぶちこわさねばならないし、第一、他人に痛い目にあわせられる義務はない。いわんや、じぶんでじぶんを殺すようなことを美徳と考える武士道などののこっている日本へかえることがだんだん気の重くなるのを感じた。」





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金子光晴 『マレー蘭印紀行』 (中公文庫)
金子光晴 『どくろ杯』 (中公文庫)
















































金子光晴 『どくろ杯』 (中公文庫)

「必死に浮びあがろうとするものの努力に手を貸す行為は花々しいが、泥沼の底に眼を閉じて沈んでゆくものに同感するのは、おなじ素性のものか、おなじ経験を味ったもの以外にはありえない。地獄とはそんなに怖ろしいものではない。賽の目の逆にばかり出た人間や他人の批難の矢面にばかり立つ羽目になったいじけ者、裏側ばかり歩いてきたもの、こころがふれあうごとに傷しかのこらない人間にとっては、地獄とはそのまま、天国のことなのだ。」
(金子光晴 『どくろ杯』 より)


金子光晴 
『どくろ杯』
 
中公文庫 A81 

中央公論社
昭和51年5月10日 初版
昭和56年2月25日 三版
256p 
文庫判 並装 カバー
定価300円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 熊谷博人


「昭和四十六年五月 中央公論社刊
昭和五十年十一月 全集第七巻」



金子光晴 どくろ杯


カバー裏文:

「詩集『こがね蟲』で詩壇にはなばなしく登場した詩人は、その華麗な輝きを残して、夫人森三千代とともに日本を脱出、欲望、貧困、喧噪の中国に絶望的な放浪をつづける。青春と詩を奔放に描く自伝」


目次:

発端
恋愛と輪あそび
最初の上海行
愛の酸蝕
百花送迎
雲煙万里
上海灘
猪鹿蝶
胡桃割り
江南水ぬるむ日
火焰オパールの巻
旅のはじまり
貝やぐらの街
あとがき

解説 (中野孝次)




◆本書より◆


「発端」より:

「みすみすろくな結果にはならないとわかっていても強行しなければならないなりゆきもあり、またなんの足しにもならないことに憂身をやつすのが生甲斐である人生にもときには遭遇する。七年間も費して、めあても金もなしに、海外をほっつきまわるような、ゆきあたりばったりな旅ができたのは、できたとおもうのがおもいあがりで、大正も終りに近い日本の、どこか箍(たが)の弛(ゆる)んだ、そのかわりあまりやかましいことを言わないゆとりのある世間であったればこそできたことだとおもう。」
「日本からいちばん手軽に、パスポートもなしでゆけるところと言えば、満州と上海だった。
 いずれ食いつめものの行く先であったにしても、それぞれニュアンスがちがって、満州は妻子を引きつれて松杉を植えにゆくところであり、上海はひとりものが人前から姿を消して、一年二年ほとぼりをさましにゆくところだった。」



「猪鹿蝶」より:

「柳樹浦のクリーク添いに北へ遡って私は歩きだした。指のくずれてなくなった腕のような川柳の葉の落ちつくした木っ杭が氷雨にぬれて立っていた。(中略)憤懣は、おもいがけないほどいろいろなものに、その対象がつながっていた。じぶんの今日のこうしたありかたや、じぶんの微力や、切っても、突いてもどうにもならない、手も、足も出ない圧力の壁や、日本でのくらしや、世わたりのうまい奴や、しゃあしゃあとしてのしあがってゆく奴や、のほほんとした奴や、高慢づらな奴や、そんな奴らのつくっている、苛性曹達(ソーダ)のような、稀塩酸のような、肌に合わないどころか心情のうす皮がちぢくれあがるような日本での生活の味が一束になって、宿怨となり、胸のつかえとなっているのか、そのときの憤懣と一つになって、突破口(はけくち)を作らねばいられない、ぎりぎりな気持になっていた。クリークの上流の地獄の道のようなくらさにむかって私は、
 「にゃんがつおっぴい!」
 と、あらんかぎりの声を張りあげて、二度、三度、叫んだ。
 あたりには家影もなく、誰もきいているものはなさそうだったが、それでも、おもいきり絶叫したことだけで、心がすこし晴れたような気がした。にゃんがつおっぴいは、上海で苦力たちがつかう、もっとも品の悪い罵詈のことばで、貴様のお袋を犯してやるぞということだ。それよりもっと念の入ったのは、貴様の家の墳(はか)をあばいて十八代前の先祖の妻を犯すぞというのがあるが、中国というふかい掃溜には、われわれ日本人のようなおちょぼ口した、手先のきれいな人間には、おもいもつかないようなことが、話だけでなく実際に起りえたし、誇張のようにおもえることばにも、それだけの実感がこもることになるのである。中国人は、人間にはどれだけのことができるかという経験を、心ならずも極限まで究めさせられた民族のようだ。前漢が亡びたとき、赤眉の賊が長安を強掠し、帝王の陵をあばいて、水銀をつめて腐朽しないようにしてある呂后始め歴代皇后の屍をとり出して、次々に犯したという歴史記事がのこっている。食人の記録などは、随所にある。人間の料理法も進んでいたらしい。隋の煬帝(ようだい)の運河工事は立派な功績とされているが、宰領の機嫌をとるために、下官が毎日近辺の嬰児をさらっては豚肉と称してふかし、宰領はそれを天下一の味として賞味したということも出ている。」

「秋田は、支那服の袖で額を一こすりして、
 「こういうものがあるんだよ。誰か買いそうな心当りはないか」
 風呂敷に包んだ桐箱入りのものをとり出して、砂糖黍や、菱の実の飴煮の乗っている円卓のうえに置いた。
 「どくろ杯だよ」
 秋田の掌のうえには、椰子の実を二つ割にしたような黒光りした器(うつわ)がのっている。
 「蒙古で手に入れた。人間のどくろを酒器にしたものだ」
 内側は銀が張ってあって、黒ずんでうす光りがしている。」



「江南水ぬるむ日」より:

「必死に浮びあがろうとするものの努力に手を貸す行為は花々しいが、泥沼の底に眼を閉じて沈んでゆくものに同感するのは、おなじ素性のものか、おなじ経験を味ったもの以外にはありえない。地獄とはそんなに怖ろしいものではない。賽の目の逆にばかり出た人間や他人の批難の矢面にばかり立つ羽目になったいじけ者、裏側ばかり歩いてきたもの、こころがふれあうごとに傷しかのこらない人間にとっては、地獄とはそのまま、天国のことなのだ。」


「貝やぐらの街」より:

「夜ふけのデッキにひとりであがる。船は一方にひどく傾(かし)いだままで走っている。誰もいない。星だけの世界で、安っぽい位、金銀箔を散らして、星がさわいでいる、ひどい騒ぎだ。(中略)いまならば、なにをやっても悲劇ではない。私がデッキから外に飛込んでも、世界は無関心だし、よほどあとになってからでなければ誰も気づくものはない。デッキに曳いた水道で私は、水をのもうとしたが、ひどく生暖(ぬる)い、日向水のような水で、そうおもうとなにか臭気(におい)がある。口をゆすいだだけで、その水を吐き出す。もう一度、水を出して蛇口に指をやり、女の髪の毛がひっかかって来ないかとたしかめる。「勝丸事件」のことをおもいだしたのだ。南方に出かせぎに行くつもりで密航をおもいたち、三人の娘(その数はたしかでないが)たちが貨物船勝丸にしのびこみ、飲料水の水槽ともしらずかくれたが、そんなこととはしらず、次の港で水をはったので、娘たちは溺れ死に、しだいにくずれた肢体から、濁った水や、髪の毛が蛇口に出てくるようになって、船員たちがはじめて気づいてさわぎ出したという事件で、夜なかに誰もいないタラップに足音がきこえたとか、女の笑い声を耳にしたとかいう怪談にまでそれは発展する。外地を稼ぎつづけた果ての女のくずれたからだが、手足はなくなって首と胴体だけになって、壺に入れ国におくりかえされる途中、デッキに並べたその壺を、一つ一つ海に蹴落すという話をまたもおもいだした。船員は、「それが、慈悲だ」と言う。ずっとあとになってのことだが、やはりそんな壺に入れて、手んぼ、足んぼの兵隊が大陸から送られてきたのも知っている。生きているものの世界では、不用なものには、そんな実際の処置しかない。そして、自然の法則とともに、人間のつくった常識も、手厳しいことでは優劣がない。私たち三人も、じぶんではそれほどおもっていないだけで、どうやらじぶんたちのいる人生から不用なものの扱いをうけはじめているらしい。」




こちらもご参照下さい:

金子光晴 『ねむれ巴里』 (中公文庫)
セリーヌ 『夜の果ての旅 (上)』 生田耕作 訳 (中公文庫)





























































金子光晴 『ねむれ巴里』 (中公文庫)

「ながれ星がすれちがうようになにもかもが僕から反(そ)れて、結局、人間も、その他のなにものも、互いに、関係をもちえないのが存在の宿命のような気がしていた。」
(金子光晴 『ねむれ巴里』 より)


金子光晴 
『ねむれ巴里』
 
中公文庫 か-18-9 

中央公論新社 
1976年12月10日 初版発行
2005年6月25日 改版発行
354p+2p
文庫判 並装 カバー
定価800円+税
カバー画: 金子光晴


「『ねむれ巴里』
一九七三年十月 中央公論社刊
一九七五年十一月 全集第七巻」



改版は文字が大きくなっているので読みやすいです。


金子光晴 ねむれ巴里


帯文:

「貧窮のどん底で
人間の悲哀を見つめつづけた
パリ生活の凄絶な記録

まことに
パリは
残酷な
ところ」



カバー裏文:

「中国から香港、東南アジア、そしてパリへ。夫人三千代との流浪の旅は、虚飾と偽善、窮乏と愛欲に明けくれるはなやかな人界の底にいつ果てるともなくつづく。『どくろ杯』につぐ、若き日の自伝。」


目次:

瘴癘蛮雨
四人の留学生
冬の森
泥手・泥足
処女の夢
22番・ダゲールまで
うしろに眼のない譚
あぶれ者ふたり
伯爵夫人モニチ
枯葉
ふたつのふるさと
リオンの宿
ねむれ巴里
巴里人といういなか者
巴里・春秋
硝子のステッキ

解説 (中野孝次)




◆本書より◆


「処女の夢」より:

「もともと、いなかぐらしは気のすすまなかった僕は、なにかにかこつけては、パリに出た。ポート・ヴェルサイユからメトロで、いつもおりるのは、エドガー・キネというところで、その通りには、ねむの繊葉の爽やかな並木が植わっていた。右へ折れると、モンパルナスの墓地があった。西洋風な墓地としては、横浜をはじめ、上海静安寺墓地などとくらべてみても、どこかしめっぽく、どこかの片隅の石をもちあげて、屍体が這い出してきそうな気配があった。ギィ・ドゥ・モーパッサンもここにねむっていた。芝居がかりなシャルル・ボードレールの墓もここにある。墓の外側のふるい石塀にそうて、所在もなく往ったり来たりもした。悪魔が上からのぞき込むようにして枕元に立っているそのボードレールの臥り姿の胸のあたりに、温室咲きのひな芥子の花一輪をのせて立去っていく老嬢の肩の痩せが、眼先にのこって、悪魔になってあとからついてゆく先を見とどけてやればよかったと、あとでおもったりした。喪服にも似た彼女の黒い装束のしたに、舌のように赤い肉体(ししむら)が息づいていたかもしれない。もしかしたら、彼女は、どこかの他人の家の裏口から台所にしのびこみ、ガス台のうえの棚の胡椒のビンの隣りに、ひっそり並んで、すましこんでいるのではないか。こんな小癪な娘は、日本でもみかける。女心のひたむきさと、それと紙一重ないたずらなこころで、由緒はふるいがさびれはてた堂塔の柱のかげや、枯野につづく裏道など全くおもいがけないところでいぶし銀のように若さを殺したろうたけた女に出会うことがあったが、やはりそれがなにかのものの精か、狐狸の棲家につながるものであるようにおもわれて、すれちがいざまに妖しいにおい、人界では嗅いだことのない異質な、濡れた生物の皮膚のにおいを送られて、内臓に沁みつき、骨の芯にまで紫の斑点になって腐蝕してゆく。腐土のしめりが痣のようにしみついたごとくである。霊に魅入られた女たちの原型は、日本のようなところにこそ多いのではないかと僕はおもう。」

「日々の糧に逐われている身の上で、万一パリで死んだ場合、(中略)とりわけ日本人間での村八分になっているようなその時の情況のもとで、葬儀どころの騒ぎではあるまい。フランス政府の手で浮浪人として処分され、どこかの投込み墓地にほうり込まれ、犬の死骸や、猫の捨子といっしょに、(中略)混沌とならされてしまうのが落だ。あの頃のパリは、東京よりも空気がわるかった。日本の留学生のなかでも、胸が悪くなる人が多く、二人、三人、僕の眼の前でもばたばたと死んでいった。結核の特効薬というものはまだ、世界のどこでも発見されていないで、あの病気になると百年目だった。市から施療の病院に収容される。そこは、地獄の第一環で、そこから這い出てくることは、まずむずかしい。」



「リオンの宿」より:

「昼頃はかなりな人の往来があったが、僕には無人島に一人居るのとおなじようにおもわれた。リオンにいて味わった寂寥は一種特別なものであって、とりわけ宿のあのくらい密室のベッドに寝ていると、じつに遠い昔の忘れていた記憶がおもいだされた。孤独などというものではなかった。ながれ星がすれちがうようになにもかもが僕から反(そ)れて、結局、人間も、その他のなにものも、互いに、関係をもちえないのが存在の宿命のような気がしていた。」


「ねむれ巴里」より:

「パリ人のような孤島の未開人や、日本のような武士道、切腹でしられた奇習の国々では、なにをするにも、自己正当化が先に立ち、うっとうしさが、いつも先導する。夢をみると親疎のけじめなく、殺人の夢をみる。どうも僕の心底では人間が邪魔らしい。(中略)生きつづけてゆくということは、(中略)一層大儀なことであるから、出来たら死んだほうがいいのだし、残骸は、魚のわたといっしょに処分してもらえばたくさんなわけだ。」
「すこし厚い敷布団ぐらいの高さしかないフランスのベッドに、からだすっぽりと埋もれて眠っているわれら同様のエトランジェたちに、僕としては、ただ眠れと言うより他のことばがない。パリは、よい夢をみるところではない。パリよ、眠れ、で、その眠りのなかに丸くなって犬ころのようにまたねむっていれば、それでいいのだ。」





こちらもご参照下さい:

金子光晴 『西ひがし』 (中公文庫)
和田博文 他 『パリ・日本人の心象地図 1867―1945』























































































金子光晴 『マレー蘭印紀行』 (中公文庫)

「諸君。人人は、人間の生活のそとにあるこんな存在をなんと考えるか。
 大汽船は、浅洲と、物産と交易のないこの島にきて、停泊しようとしない。小さな舟は、波が荒いので、よりつくことが滅多にできない。人間生活や、意識になんのかゝわりもないこんな島が、ひとりで明けはなれてゆくことを、暮れてゆくことを。人類世界の現実から、はるかかなたにある島々を、人人は、意想(イデア)とよび、無可有郷(ユートピア)となづけているのではあるまいか。」

(金子光晴 『マレー蘭印紀行』 より)


金子光晴 
『マレー蘭印紀行』
 
中公文庫 か-18-8 

中央公論新社 
1978年3月10日 初版発行
2004年11月25日 改版発行
184p
文庫判 並装 カバー
定価648円+税
カバー画: 金子光晴


「『マレー蘭印紀行』 一九四〇年十月 山雅房刊」



改版は文字が大きくなっているので読みやすいです。


金子光晴 マレー蘭印紀行


帯文:

「阿片(アヘン)のように、死のように、
未知に吸いこまれてゆく…
切々とした哀感をもって綴られた、
詩人の行きつくあてもない旅」



カバー裏文:

「昭和初年、夫人森三千代とともに流浪する詩人の旅は、いつ果てるともなくつづく。東南アジアの圧倒する自然の色彩と、そこに生きるものの営為を、ゆるぎない愛と澄明な詩心で描く。」


目次:

センブロン河
 センブロン河
 ねこどりの眼
 雷気
 夜
 開墾
バトパハ
 貨幣と時計
 カユ・アピアピ
 霧のブアサ
 鳶と烏
 虹
ペンゲラン
 ペンゲラン
スリメダン
 鉄
コーランプル
 コーランプルの一夜
シンガポール
 タンジョン・カトン
 新世界
爪哇
 爪哇へ
 蝙蝠
 珊瑚島
スマトラ
 スマトラ島


解説 (松本亮)




◆本書より◆


「センブロン河」より:

「川は、森林の脚をくぐって流れる。……泥と、水底(みなぞこ)で朽ちた木の葉の灰汁(あく)をふくんで粘土色にふくらんだ水が、気のつかぬくらいしずかにうごいている。
 ニッパ――水生の椰子――の葉を枯らして屋根に葺(ふ)いたカンポン(部落)が、その水の上にたくさんな杭を涵(ひた)して、ひょろついている。板橋を架けわたして、川のなかまでのり出しているのは、舟つき場の亭(ちん)か、厠か。厠の床下へ、綱のついたバケツがするすると下ってゆき、川水を汲みあげる。水浴(マンデ)をつかっているらしい。底がぬけたようにその水が、川水のおもてにこぼれる。時には、糞尿がきらめいて落ちる。」

「さかのぼりゆくに従って、水は腥(なまぐさ)さをあたりに発散する。
 森の樹木のさかんな精力は、私の肺や、そのほかの内臓のふかいすみずみまで、ひやっこい、青い辛味になって、あおりこまれる。
 アエル・イタム――馬来語で黒い水という意味で、上流の水が灰汁のために黒くなっているところから名称(なづ)けられた地名である――までさかのぼってみれば、森はまだ、太古のまゝで、野獣どものたまらない臭(くさ)さをはこんで彷徨(さまよ)うている。疥癬で赤裸になった野猪、虎、眼ばかり光る黒豹、鰐や川蛇……、針鼠、うそぶくコブラ、梢をぬってとぶ飛蜥蜴、鶏をのみにカンポンを襲う巨蠎(にしきへび)、一歩、森のはずれに歩を踏み入れるならば、そこには、怖るべき黒水病の媒介者の悪性なマラリア蚊「アナフレス」が棲息しているのである。」

「床には、白蟻の喰った木屑がこぼれていて、菓子屑のように足のうらにざらざらとふれた。――ひどい白蟻ですよ。テニスコートにステッキを忘れて、翌朝行ってみると、一晩で苧殻(おがら)のようにかるくなっているんですよ。このクラブの建物だっていつ崩れてくるか。」
「ねむりつくまで、もの読む習慣なので私は室のすみにある書棚を物色した。そして、一冊をぬきとったが、みると忌わしや表紙も、本文も、どろどろにくずれていた。となりに並んでいる本をぬきとる。それもおなしだ。隣も、背だけはこともなげに揃っていながら、かさねたまゝ、そっくり縦に貫いて噛みくずした――それも、白蟻の所業であった。」

「雷気を胎んだ曇鬱なくもり日が、密林の内部の木木のたゝずまいを、一層ゆきどころないものにみせた。密林のそこをひっそりと水が流れている。その水になかば身をひたす森の、闃(げき)としたこのしずけさはなんだろう。人の力をいまだしらず、人の調節を経験したことのない野生な植物どもが、互の意慾をむき出しにしてふれあっている密林では、かれらは、それぞれのはげしい気質をすこしも失わずにいる。木木は、それぞれのなげやりな姿勢で、水にかゞみ、水をのぞきこんでいる。
 もし、このような姿勢を、人間どもの生活している風景のなかにも眺めて過ぎることができたならば、この人生が一層美くしい自然であり、あらゆる入りくんだ内容のうえに装うた外観なるものが、内容よりもはるかに感動的なふかさを持っていることを会得するであろう。
 榕樹の楼閣のしたは、夜のように陰暗である。
 ながい気根の白髯の垂れさがったしたを、馬来人の舟夫たちは首をちゞめ、
 ――この樹の下を通ると、生霊(いきりょう)の話し声がきこえる。
 といいつゝ、櫂を持つ手をいそがせてすぎる。」

「夜がくると森は、人も、世界も溺らせ、大海よりもふかく、大きく、全身を揺さぶってざわめきはじめるのであった。」



「バトパハ」より:

「豆洋燈が一個点っている。支那ベットに張りわたした白蚊帳のうえを、守宮(チッチャ)が、チッ、チッ、と、かぼそい声で舌をならしてわたる。その影が、シーツのうえに大きく落ちて、うすぼんやりぼやけたままゝで凝っとうごかない。
 手紙を書こうと思うが、その気力がない。
 あの複雑な象形文字をつゞりあわせてえがくに耐えられないほど、筆が重たい。頭が痴失して、右にも左にもはたらかないのだ。なにもかも、馬鹿々々しく遠くの方へ去ってしまったような気がする。わずか、一日行程軌道から入りこんだだけだのに……。過ぎ去ってしまったような、離れて私だけきてしまったような、区切りのついた、そして、もう誰からも届かなくなった私なのである。」



「爪哇」より:

「なに故か、こゝろのうちがさわがしくてならなかった。船賃を払って、船のなかにいる時間ぐらい、私たちにとって安住なときはないのだ。この疲れきったからだを、心を船につみこんで、港というもののない航海に旅立つこともがな。
 だが、あそこにはもう、陸があるのだ。陸、そこには中心があるのだ。固定がある。うごくものに委せている不動のかわりに、うごかぬ土の上をはいまわるあくせく(引用者注: 「あくせく」に傍点)の生活がある。その生活のかゝわりが、一歩足をふんだときから、癌のようにその蟹足を八方にひろげる。なにごとかが、そこで始まらないではおかないのだ。
 なにごとか。――私の、まったくのぞみもしないことまでが。」

「どこへ行っても、蝙蝠がいた。軒下にも官衙(やくしょ)の尖屋根のうえにも、どこにもいた。(中略)しなやかな翼でばたばたやりながら、ダンテルの夜会服の汗ばんだ和蘭女のふとい腕をくぐりぬけてシネマの画看板のアドルフ・マンジュウにふれていった。あるときはまた、路ばたの、ワヤン・クリの幕に、もの好きなその影をうつしてすぎた。憂鬱で、しずかで、小心で、そのくせ、おどけもので、夜遊びがすきで、猶、純真とか、静居、孤独とかに対する一本気を失わない。そのためにこそいつも、外から傷められどおしの、そんな男と会っているようである。日のあいだは出てこない、そんな男に一度、うちくつろいで話をしてみたい。」

「泥にも似た空低くを、帆布が風にふるえるような音をさせて、さしわたし、六尺もあるような大蝙蝠がわたってゆく。ゴーンと電線にぶつかる。夜陰の電燈が、一緒に眼をつぶるようにくらくなる。泥水のうえのうすやみを、すえくさい夜気のなかを、濡れて粘りのある翼が、うすいゴムが、益々ふえ益々、ひろがってゆく。そこから二つのオランダ風なはね橋を越えて、芭蕉林のうえを、水浴(マンデ)時刻のジャガタラ旧道の方へ、又はマンガ・ブッサルの霧のふかい河岸通りへ、全バタビアは、蝙蝠の街となる。」



































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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