グスタフ・ヤノーホ 『カフカとの対話 ― 手記と追想』 (吉田仙太郎 訳/筑摩叢書)

「「それほどあなたは孤独なのですか」と私はたずねた。
カフカはうなずいた。
「カスパル・ハウザーのように?」
カフカは笑った。「カスパル・ハウザーよりもはるかに惨めです。私は孤独です――フランツ・カフカのように」」

(G・ヤノーホ 『カフカとの対話』 より)


グスタフ・ヤノーホ 
『カフカとの対話 ― 手記と追想 ― 増補版』 
吉田仙太郎 訳

筑摩叢書 101

筑摩書房 昭和42年12月25日初版第1刷発行/昭和50年10月25日初版第11刷発行
311p 四六判 並装 カバー ビニールカバー 定価1,100円
Gustav Janouch : Gespräche mit Kafka



若き日の著者がカフカと交わした会話の記録。本書は新版が「ちくま学芸文庫」から出ていますが、わたしが愛用しているのは旧版(筑摩叢書版)です。


カフカとの対話


帯文:

「カフカの生涯の最後の四年間に、青年ヤノーホは彼と親交を結び、人生、文学。芸術について語り合い、手記に留めた。戦後この手記が発表された後、旧著に倍する原稿が発見され、一大センセーションを巻き起した。本書は、その増補決定版の新訳である。」


内容:

この書物について
日本語版によせて
まえがき

カフカとの対話

この書物の物語――あとがきに代えて
伝記的スケッチ

訳者あとがき (吉田仙太郎)
第二刷あとがき (S・Y)



本書より:

「「ドクトル・カフカは、お父さんのことをとてもいい人だといっていました」私は父に言った。「最初はどうして知り合ったのです」
「役所で知り合ったのだよ」父は答えた。「近しくなったのは、私がカード・キャビネットを設計して後のことだ。私の試作は大そうドクトル・カフカの気に入った。(中略)そのとき以来、私たちはよく個人的な話をするようになった。そうしたことからお前の詩を見てもらったのだし、私たちは、つまり、――親しい知人になったというわけだ」
「なぜ友人と言わないのです」
父は首を振った。
「友達づき合いをするには、あの人はあまりに控え目で、あまりに自分を閉している」」

「「私は作業場の仕事が好きです。鉋(かんな)をかけた白木の匂い、鋸(のこぎり)のうたう歌、槌(つち)のひびき、見るもの聞くものが私をうっとりさせます。午後はそうやって瞬く間に過ぎてしまう。いつも夕暮になって私は驚いたものです」」
「「疲れてはいても幸福でした。これほど純粋で、明白で、何にでも有益な手仕事ほど美しいものはありません。木工のほかに、農場や園芸の仕事をしたこともあります。役所の強制労働に較べると、これらはすべてはるかに美しく、価値のあるものでした。見かけは、役所の方がなにか高級で高等のようです。けれどもそれはどうしても見かけにすぎない。実際はより孤独で、従ってより不幸なだけです。それだけのことです。知的な仕事は、人間を人間の共同生活から引き離す。手仕事は逆に、人間を人間の仲間へと導きます。作業場や庭の仕事が出来なくなったのが残念です」
「でも、今のこのポストを棄てようとはお思いにならないでしょう」
「何故でしょう。私は農夫か手職人になって、パレスチナへ行こうと夢想していました」
「何もかもここに残して?」
「何もかも。確実で美しい、意味のある生活を見出すために。あなたはパウル・アドラーという詩人を知っていますか」
「彼の『魔笛』を知っているだけです」
「彼はプラーハにいます。妻や子供たちと一緒に」
「何か職業は」
「全然、彼には職というものがない。彼のもっているのはただ天職です。妻と子供を連れて、彼は友人たちの間を渡り歩いています。自由な人間、自由な詩人です。私は彼の傍にいるといつも良心の苛責を覚えます。私は役所勤めのなかに、私の生活を溺れさせているのだと」」

「私が、ガーネットの書物(引用者注: 『狐になった貴婦人』)は「変身」の方法を引写しているのだというと、彼は疲れた微笑を浮べ、小さく拒絶するような手振りをして言った。「そんなことはない。それは私から得たものではない。それは時代というものにあるのです。私たちはどちらも、それを時代から写し取ったのです。動物が、私たちには人間よりも近しい。これがその鉄格子です。動物との親和は、人間とのそれよりも容易です」」
「「人間は誰もが、自分の持ち歩いている鉄格子の中に暮しています。だから今日では、動物のことをこれほど多く書くのです。これは自由で自然な生活への憧憬の現れです。しかし、人間にとって自然な生活とは人間の生活でなければならない。しかし(中略)人間の生存があまりにも困難になったために、人はそれをせめて幻想のなかで、振い落そうとするのです」」
「「人間が動物に戻ってゆきます。その方が人間の生活よりもずっと簡単なのだ。居心地よく家畜の群に投じて、人は都市の街路を仕事場に向って行進します。飼葉桶と満足感に向って。それはちょうど役所におけるように、一分の狂いもなく計測された生活です。奇蹟というものはなく、正確な使用説明書と、書式と、訓令の世界です。人間は自由と責任を怖れ、その故にむしろ、自分ででっち上げた鉄格子の中に窒息することを、よしとするのです」」

「「一八九一年と一八九四年の間です。そのころ私はまだ小さい子供で、チェコ人の女家庭教師に連れられて、毎日タイン小路を通ってフライシュ・マルクトの方の学校に通っていました。」」
「「私には喧嘩の経験もなかったし心底怖かったけれども、いつも私は一番ひどい掴み合いの中にとび込んでゆきました。(中略)しかし彼らを説得するには到らなかった。大抵私はやられてばかりいたからです。こうした遠征の後、私は眼を泣きはらし、泥まみれになり、上衣のボタンは千切れ、シャツの襟は裂けて家に帰ったこともよくありました。」」
「「そんなとき、料理番の女中が幾度かこう呟いたことがあります。『あんたはラヴァホルね。』私は何のことか分らなくてたずねたのですが、『そうなのよ、まるでラヴァホルなのよ』と言うばかりでした。こうして彼女は私を、私の全然知らない人種に分類したわけです。彼女は私を、ぞっとするような暗い秘密の一分子にしてしまったのです。僕はラヴァホルなんだ! この言葉は私を堪えがたい不安に陥し入れる恐ろしい呪文のように響きました。その不安を逃れるために私はある晩、両親が居間でトランプをしていたとき、ラヴァホルとは何なのかたずねてみました。父はカードから眼も放さずに答えました。『犯人だ。人殺しだよ』――私はひどく驚いて、ぽかんとしていたに相違ありません。」」
「「ラヴァホルという名前はもうそれから誰も口にする者はありませんでしたが、それは私の内部に棘のように、正確にいえば、折れた縫針の尖(さき)が身体中をめぐるように、突きささっていました。(中略)皆の扱いも以前と変らなかったけれども、私はそれでも自分が放逐された人間、犯罪者、要するに――ラヴァホルだということを知っていました。それが私の態度をすっかり変えてしまいました。私はもう他の少年たちの掴み合いには加わらず、私はいつも家庭教師に連れられて大人しく家に帰りました。私が本当はラヴァホルだということを、嗅ぎつけられてはならなかったのです」
「なんて無意味な!」と、私は思わず口走った。「時がたてば、そんなことはどこかへ消えてしまったでしょうに」
「ところがそうじゃないのです。」カフカは苦しそうに微笑を浮べた。「根拠の分らぬ罪悪感ほど烈しく魂のなかに定着するものはありません。それは――はっきりした根拠がないからこそ――いかなる悔いと償いをもってしても除き去ることはできないからです。」」

「「堕罪は人間の自由の証左です」」

「「病気はわれわれに、自己を確証する可能性を与えてくれるのです」」

「「祈りと、芸術と、学問の研究と、これは姿こそ違え、同じ坩堝(るつぼ)から燃え上る三つの焔にすぎないのです。人は、かりそめに与えられた個人的な意志の偶然性を踏み破り、自らの小さい自我の限界を超越しようとするのです。芸術と祈り、それは暗闇に向って差し出された両の手にすぎません。人は自らを与えんがために物乞いをするのです」
「では学問は?」
「これも祈りと同じ物乞いの手です。人は確かな存在を小さい自我の揺籃に定着させるために、消滅と生成の間に渡された暗い光の弧に身を投ずるのです。それが学問と、芸術と、祈りなのです。だから自己自身に沈潜するということは、無意識の世界に下降することではなく、暗い予感にすぎぬものを明るい意識の表面に浮び上らせることなのです」」

「「私は政治問題が全然分りません。」」

「或る日私たちがグラーベン街を通り過ぎたとき、ノイゲバウアー書店のショーウインドーに、神智論者(テオゾーフ)ルドルフ・シュタイナーの講演の小さな黒刷りの案内が出ていた。
カフカは私にこの人を知っているかとたずねた。
「いいえ」と私は言った。「私はシュタイナーという男がいるということしか知りません。父の意見では、彼は一種の神秘屋(ミスタゴーゲ)で、金持のために口当りのいい宗教の代用品を製造しているとのことです」」
「「空気が身体にとってそうであるように、真実は人間の魂にとって、だから勿論肉体にとっても、代用の利くものではありません」カフカは微笑した。「創造という行為に、分業はない。そこでは常に、全体と個が同時に問題となるのです。専門に分けるなどということは、全体という大海原、昨日、今日、明日という途方もないもの、を、怖れひるんだ人間の発明したものです。神智論(テオゾフィー)、即ち意味への愛は、しかし、全体への憧憬に他なりません。それは道をもとめるということなのです」
「その道をシュタイナーが示しているのですか」と私はたずねた。「彼は予言者なのか、それとも山師なのですか」
「私には分らない」とドクトル・カフカは答えた。「彼のことは、私にはなかなか合点がゆきません。彼はおそろしく言葉に巧みな男です。この特性はしかしまた、山師の武器ともなるのです。シュタイナーが山師だと言う積りはない。しかしそれもあり得ることかも知れないのです。詐欺師はつねに、困難な問題を安易なやり方で解こうとします。ところでシュタイナーの取組む問題は、およそ困難極まりないものでしょう。それは、意識と存在との間の暗い傷口、限りある水滴と無限の大海との間の緊張ということです。ここではゲーテの姿勢だけが正しいのだと、私は思います。人は、認識し得ぬものを静かに畏敬しつつ、すべての認識し得るものを整理し、摂取しなければなりません。どんな小さいものも、途方もなく大きなものも、すべて身近で価値あるものとならねばなりません」
「シュタイナーの見解もそうなのですか」
カフカは肩をすぼめて答えた。「私には分らない。でもそれは多分、彼のせいではなく、私が悪いのです。シュタイナーは私には遠すぎて、近づくことができない。私はあまりにも自分自身の殻に閉じ籠っているのです」
「あなたは蛹(さなぎ)ですね」と私は笑った。
「ええ」とドクトル・カフカは真面目にうなずいた。「私は、この蛹がいつか蝶になって飛び立つという一抹の希望もなしに、鉄のように硬い繭のなかに潜んでいるのです。しかし、これも私の欠陥にすぎない。いいかえれば、いつも立返って来る絶望という罪の仕業なのです」
「ではお書きになるものは?」
「あれは試み、というか、風に散らした紙屑にすぎません」」

「「写真は視線をものの表面に縛りつける。そうやって写真は、隠れた本質を曇らせてしまうのが常です。本質というものは、光と影の醸(かも)す一抹の吐息のように、わずかにものの相貌の後ろに透けて見えるにすぎないのであって、いかにシャープなレンズをもってしても、それだけでは到達できるものではありません。深い感性でもって手探りするほかないのです。」」

「「写真ほど人を欺き易いものはない。真実はしかし心情の問題です。芸術だけがこれに迫り得るのです」」

「「真のリアリティはつねに非リアリスティックです」」

「「真実にいたる道に、道案内はありません。ここでは、辛抱強い捨身の冒険だけが有効です。処方箋というものがすでに、退却であり、不信であり、従って迷路の始まりではありますまいか。だからこそすべてを、辛抱強く、毅然として、受け入れねばなりません。人間に下された刑の宣告は生であって、死ではないのです」」

「「私は精根を使い果すような、しかもおよそまず勝目のない叛逆に巻込まれているのです」
「誰に対してのですか」と父がたずねた。
「私自身に対してのね」とドクトル・カフカは半ば眼を閉じて答え、椅子の背に凭れた。「自分の限界と怠惰に対しても。だからつまるところ、この事務机と、私の坐っている椅子に対してもそうなのです」」








































































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Klaus Wagenbach - Franz Kafka: Bilder aus seinem Leben

Klaus Wagenbach
"Franz Kafka: Bilder aus seinem Leben"


Verlag Kraus Wagenbach, Berlin, 1983
191pp, 25x21cm, paperback



篤実なカフカ研究家クラウス・ヴァーゲンバッハ編によるカフカ写真資料集。カフカと関係者のポートレートや当時のプラハ、手稿や書影など、500点以上の写真(モノクロ)によって構成されています。
本書はのちに改訂二版が刊行されています。


kafka bilder 1

オビ文は書評の抜粋。


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オビをはずしてみました。


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表紙そで。


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カフカと妹(エリとヴァリ)。


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ツェルトナー通りのアパート(カフカ一家が1896-1907年に居住)。


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カフカが好んだ散歩道。


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日記より。


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下(左): 錬金術師通り。ここに妹オットラ(右)が借りた部屋でカフカは小説を執筆した。


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カフカ、ポートレート集。




































































クラウス・ヴァーゲンバッハ 『若き日のカフカ』 (中野孝次・高辻知義 訳/ちくま学芸文庫)

「「人間は誰でも独自なもので、この独自性を生かすべく生まれついているが、しかしまたこの独自性が好きにならなければならないのだ。だがぼくが体験した限りでは、学校でも家庭でもひとはこの独自性を抹消しようとばかりしていた。」」
(クラウス・ヴァーゲンバッハ 『若き日のカフカ』 より)


クラウス・ヴァーゲンバッハ 
『若き日のカフカ』 
中野孝次・高辻知義 訳

ちくま学芸文庫 ウ-4-1

筑摩書房 1995年8月7日第1刷発行
366p 文庫判 並装 カバー 定価1,250円(本体1,214円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 渡辺千尋
Klaus Wagenbach : Franz Kafka, Eine Biographie seiner Jugend 1883-1912 (1958)

「本書は一九六九年七月十日、竹内書店より刊行された。」



訳者解説より:

「本書は一九六九年に竹内書店から刊行され、その後同書店の事情で永らく絶版になっていたクラウス・ヴァーゲンバッハの『若き日のカフカ』の改訂版で、今回、ちくま学芸文庫に収めるにあたって旧版の訳文に大幅に手を入れたものである。」


若き日のカフカ1


帯文:

「幼年・青年時代とプラハ
親友M・ブロートによる評伝の空白を埋め
「生きること」と「書くこと」の原郷へ」



カバー裏文:

「「書くこと」と「生きること」とが独自の緊密な統一体を作っているカフカの文学。それゆえに、作品を読むことが、必然的にカフカの生の探究へと私たちを誘うのだろう。幼年・青年時代に決定的な影響をあたえた「父親」の意味、対父親関係の延長としての外界との関係、プラハという独特な都市の環境、とりわけ、公用語でありながらその貧しさを露呈するプラハ・ドイツ語の位置づけ、カフカにとって1912年という年のもつ決定的な意義……親友マックス・ブロートの手になる唯一の伝記の空白を埋め、渉猟の限りを尽くしてカフカ文学の原郷に迫る。」


目次:


幼年時代、両親の家、小学校
高等学校(ギムナージウム) (一八九三―一九〇一年)
世紀の転換期のプラハ
大学と司法修習生時代 (一九〇一―一九〇七年)
就職した初めの数年 (一九〇七―一九一二年)

付録
 『ある戦いの記録』と『田舎の婚礼準備』の執筆期について
 カフカ家の系図
 ギムナージウム卒業生名簿
 オーストリア・ハンガリア二重帝国国立カルル=フェルディナント大学(プラハ)修了証明書
 労働者保険講座受講証明書
 カフカの求職願書 (労働者災害保険局)
 カフカの昇任一覧 (労働者災害保険局)
 カフカの蔵書目録
 カフカの思い出 (エーミル・ウティッツ)
 フランツ・カフカとの出会い (ミハル・マレシュ)
 年譜

訳者あとがき (中野孝次、1969年)
訳者解説――学芸文庫版によせて (高辻知義、1995年)



本書「序」より:

「本書は、筆者がS・フィッシャー書店刊『フランツ・カフカ全集』の編集に参加したことがきっかけで、一九五一年から五七年にかけて成立したが、そもそもはこの作家の生涯及びプラハの環境に関したすべての記録の組織的蒐集から発展したものである。この調査が主にカフカの生涯の初期に関する散逸した乏しい伝記資料を対象にしたのは、マックス・ブロートのカフカ伝(これまで唯一のもの)がこの点において決定的な空白を残しているためである。マックス・ブロートとフランツ・カフカの親密な交情が始まったのは一九〇八年末以後のことだから、この空白は当然と言えようが、しかしひとりの「小児病的な(インファンティール)」作家の幼年時代はそれ以後の生涯にとって他の作家の場合とは違った重要性をもつ以上、それはなおのこと重大な欠陥と言わねばなるまい。」
「カフカは少年時代のもつ重さと影響力を一度も否定したことがなかった。死の二年前にも彼はオスカル・バウムに宛てて、「結局のところぼくの教育はすべて、孤独で、寒すぎるか暑すぎる子供ベッドのなかで済んでしまったんです」と書いている。一九二一年にも(中略)マックス・ブロートに宛てて、自分は「成年の森のなかで子供のように迷っているのだ」と報告している」



本書より:

「そこではカフカ(一九一六年)は、彼が子供の時もっていたあの「ささやかな良き能力」について語っているのだが、彼はそれを「浪費してしまったのです。無分別だったわたしは」と言っているのだ。」
「「人間は誰でも独自なもので、この独自性を生かすべく生まれついているが、しかしまたこの独自性が好きにならなければならないのだ。だがぼくが体験した限りでは、学校でも家庭でもひとはこの独自性を抹消しようとばかりしていた。……ひとはたとえば夜分おもしろい物語に読みふけっている少年に、もう読書を中止して寝なければならぬということを、もっぱら彼だけに論証を絞って納得させることはできないだろう。……ともかくそんなのがぼくの独自性だった。だがひとはそれを、あっさりガス栓をしめて灯りを消してしまうというやり方で抑えつけた。そしてその説明としてはこう言い渡された。みんな寝るんだ、だからおまえも寝なければいけない、と。それはぼくにも分かったし、そして本当には納得できないながらも、そんなものかなと思わないわけにゆかなかった。……だがぼくはその後もずっと、あの晩世界中でぼくほど本が読みたかった人間はいなかったんだ、と思い続けていた。この信念だけは、その当座はどんなに世間一般を引き合いに出して説得されても覆されなかった。……ぼくは無法な仕打ちにあったのだということしか感じなかった。ぼくは悲しい気持ちで寝に行った。こうして、家族の中でのぼくの生活を、いやある意味ではぼくの全人生を決めることになったあの憎悪の芽が育っていったのだ。……要するにひとはぼくの独自性を認めなかったのだ」。」

「その幼年期を欺しとられてしまった人間、にもかかわらず――外的にも内的にも――つねに「少年」でありつづけた人間。(中略)口数少なくて、謙遜で、夜中に仕事をし、しかも夜のその「なぐり書き」を他人には隠して、目立たぬ服装をして、ほっそりした手をして、心もち前かがみに歩き、大きな、びっくりしたような、灰色の目をもった人間。ミレナ、このおそらくカフカを最も深く認識していた女性は、彼のこのびっくりした表情についてこう書いている、「彼にとって人生は、ほかの人間すべてにとってとまったく違うなにかなのです(中略)。彼にはこれっぽっちの逃げ場も隠れ家もない。だから彼は、わたしたちなら保護されているすべてのものに曝されていたのです。彼はまるで着物をきた人びとのなかのたった一人の裸の人のようだ」。」



本書「訳者解説」によると、その後ヴァーゲンバッハが探し出した、カフカの長篇小説に登場する「城」の「最も有力なモデル」である、南ボヘミアのヴォーセク村の領主の城館は、現在、「精神の発達に障害のある人びとのための福祉施設になっている。(中略)年かさの看護人らしい男が城の現状や下の村の様子を親切にドイツ語で教えてくれた。恐らくこの施設でカフカのことを知っているのは彼だけかも知れない。」ということですが、もちろん、カフカの作品を読んだこともなく、カフカの名前すら聞いたことがなかったとしても、この「精神の発達に障害のある人びと」こそ、誰よりもカフカの描いた世界を実感として「知っている」人びとであり、しかしながらそれを表現するコトバが彼らからは奪われている、だからこそ、表現者としてのカフカの存在は重要なのです。


若き日のカフカ2

「大学ノートの余白に描かれたカフカのスケッチ」



















































クラウス・ヴァーゲンバハ 『フランツ・カフカ』 (塚越敏 訳)

クラウス・ヴァーゲンバハ 
『フランツ・カフカ』 
塚越敏 訳

ロ・ロ・ロ・モノグラフィー叢書

理想社 1967年6月15日第1刷発行
183p 索引9p 
17.8×12.4cm 角背紙装上製本 カバー ビニールカバー 定価480円
Klaus Wagenbach : Franz Kafka, 1964



そういうわけで独ローヴォルト社の「ロ・ロ・ロ・モノグラフィー叢書」の日本版です。
本文は二段組。本文中図版(モノクロ)多数。
著者のヴァーゲンバッハは、『若き日のカフカ』やカフカ写真集などの著書で知られる篤実なカフカ研究家であり、出版者です。


カフカ1


カフカ2


カフカ3


目次:

日本の読者に (ロ・ロ・ロ・モノグラフィー叢書編集者クルト・クーゼンベルク)

作家と死後の名声
両親の家と幼年時代
プラハ旧市街の皇室=王室-高等学校
大学時代、プラハの環境、言語
「労働者災害保険局」、友人、計画、旅行
一九一二年
二つの婚約、『訴訟』
チューラウ、三度目の婚約、基本図柄
ミレーナ、『城』、ベルリン

年譜
証言
 ローベルト・ムシル
 クルト・トゥホルスキ
 アルベール・カミュ
 アンドレ・ジッド
 ヘルマン・ヘッセ
 ライナー・マリーア・リルケ
 トーマス・マン
 アルフレート・デーブリーン
 ミレーナ・イェセンスカー
文献
索引
 人名索引
 作品索引



カフカ4


カフカ5


本書より:

「フランツ・カフカの生涯には、二〇世紀作家のおおくの伝記を決定づけている運命の絶えざる盛衰というものはみられない。居を移すとか遠い旅にでるとかいうこともないし、いっぱんに教養体験とかいわれているような体験もなければ、同僚との偉大な邂逅というものもない(中略)。文学上の討論にちょくせつ参加することはしなかった。せいぜい無口の控え目な聞き手といったところで、原稿を依頼されると雑誌や出版社に送るだけ、交際も数人の友人だけに限っていた。(中略)一八八三年七月三日プラハに生まれた。カフカは故郷の都会を離れることもごく稀で(中略)四十一年の短かな生涯を送ったのち、プラハにあるシュトラシュニッツ墓地に埋葬された。法律家としての十四年間、カフカはプラハの「ボヘミア王国=労働者災害保険局」のために働いたのだったが、晩がたと夜なかの「なぐり書き」を「ただ唯一の願い」としていたのだった。
このプラハのユダヤ人の「勤務時間」外にできた散文は、ここ十年のうちに世界的に有名となった。二十年代にはドイツ文学の専門家たちの小さなサークルからでて、カフカの散文はとくべつフランスにおいて、はじめはアンドレ・ブルトンと「ミノトール」のグループによって、後にはカミュやサルトルによって採掘され、ついにはイギリスやアメリカにまで浸透した。一九五〇年になってはじめて、彼の作品はドイツに「戻って」きた。つづく数年のうちに「公の」全集ドイツ版がはじめて出版された。(中略)この作家の死後四十年たってはじめて――いや、それとも「もう」というべきだろうか?――彼の作品は全世界にその読者をもっている、ということができる。」



カフカ6


労働者災害保険局員としてのカフカの仕事。「木材用鉋(かんな)機」に「円形安全回転軸」を採用するよう推挙している。

本書より、カフカ自身による説明:

「図は保護技術という点からみた方形回転軸と円形回転軸との差異を示している。方形回転軸の刃(図版1)は、ねじで直接に回転軸に固定されていて、刃物をむきだしのまま毎分三千八百回ないし四千回回転する。刃のついた回転軸と作業台の面との間隔はおおきく、労働者に生ずる危険は実に顕著である。従ってこの回転軸で働く労働者は、おそらくはさらに増大する危険を知らずして働いていたか、それとも避けられない絶えざる危険を意識して働いていたかそのいずれかである。非常に用心深い労働者ならば、作業にあたって、つまり木材を鉋の刃先にもっていくとき、指関節を木材の先へださないよう注意することもできたであろう。しかしどんなに用心しても、最大の危険はどうにもならない。もっとも用心深い労働者ですら、労働者が一方の手で鉋をかける木材を作業台に押しつけ、他方の手でこれを刃の回転軸のほうへ動かすとき、木材が滑り落ちたり、よくありがちなことだが、木材が弾ねかえったりして、どうしても手を刃の間隙のなかに落してしまうということになった。木材がこのようにもちあがったり、弾ねかえったりすることは、予見することも、阻止することもできなかった。つまり、このことは、木材のどこかが奇形であったり、節があったり、また刃の回転速度が遅かったり、刃の位置が悪かったり、また手の圧力が平均に木材にかかっていなかったりした場合にはかならず起きることであった。しかし、こうした災害が起これば、必ず指の二、三本、いや指全部が切り落されることになった(図版2)。
ところでこの危険にたいしては、どんな注意規則も、またどんな保護装置も役立たないようであった。その装置が完全なものとはいえなかったが、一方では危険度をすくなくするものの(刃の間隙をブリキの保護板で自動的に覆うてしまうか、刃の間隙を少なくするかしてであるが)、他方では危険度を(つまり、その装置によって鉋屑の落ちる空(あ)きが充分でなくなり、刃の間隙が詰まって、鉋屑を取りだそうとすれば、指を怪我することにもなりがちなので)高めることになったからである。
図版4にみられる円形回転軸はこの方形回転軸にたいする安全回転軸なのである。
この回転軸の刃は揚げ蓋と、ないしは凹字形楔と回転軸の堅牢な胴体との間に完全に保護されて埋められている……
しかし保護技術という点からみてもっとも大事なことは、刃物のただ刃だけがでていることと、こうした刃は回転軸にしっかりと結合していることからして、非常に薄くても破損の危険がないということである。
上述の装置によって、方形回転軸の間隙に指が落ちやすいという可能性は防げるし、他方、指が間隙に落ちた場合ですら、損傷をうけるにしても大したことはなく、仕事を中絶するような結果とはならない掠(かす)り傷ですむということになる(図版7)」



カフカ7


カフカ8


カフカ9


最後に、本叢書の日本語版のための前書き「日本の読者に」が、たいへん六〇年代的な文章で泣かせるので、一部引用しておきたく思います。

「これらの人たちの生涯と作品はいつも調和あるものとはかぎらなかったから、時には緊張と不調和の渦にまきこまれたが、それはおそらく創造的な力を生みだすためには必要なものであったろう。尋常でない人たちの存在はしばしば日常的なものでないことがある。大切なことは、社会に安易に調和することではなくて、自己実現であり、円現(エンテレヒー)である。要するに、有能な人間というものは、運命によって自分に課せられた使命を実現する時にあたって、周囲の世界と調和を保つにしろ、周囲の世界に対立するにしろ、その存在というものからどのような成果を創造しうるものであるかということを、読者のみなさんはこの叢書を通じて読みとることであろう。」

そしてたとえばこの叢書の日本版で紹介された人物は、ホーフマンスタールとか、ヘルダーリンとかカザノヴァ、そしてサドだったりしたわけです。



こちらもご参照下さい:
ローター・フィッシャー 『マックス・エルンスト』 (宮下誠 訳)



































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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