『折口信夫全集 第二巻 古代研究(民俗學篇1)』 (中公文庫)

「「合理」は竟に知識の遊びである。」
「合理といふ語が、此頃、好ましい用語例を持つて來た樣に思ひます。私は、理窟に合せる、と言ふ若干の不自然を、根本的に持つた語として使つて居る。此にも、今後も其意味のほか、用ゐない考へである。」

(折口信夫 「神道の史的價値」 より)


『折口信夫全集 第二巻 
古代研究(民俗學篇1)』

編纂: 折口博士記念古代研究所 
中公文庫 Z1-2

中央公論社 昭和50年10月10日初版/昭和62年10月30日4版
493p あとがき2p 目次5p 献辞1p 口絵6p
文庫判 並装 カバー
定価680円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修
正字・正かな



本書「あとがき」より:

「「古代研究」民俗學篇第一は、昭和四年四月十日、麻布本村町大岡山書店から刊行された。」

本文中、「髯籠の話」に図1点、「だいがくの研究」に図2点、「翁の發生」に図版(モノクロ)1点、「花の話」に図版(モノクロ)3点。


目次:

口絵
 邊土名のろ
 國頭村邊戸の神人
 久高島久高のろ
 同右
 摩文仁のろ
 八重山大阿母
 だいがく
 あかたび 
 ひらたび
 めたび
 丘のたぶ
 たぶと椿との社

古代研究(民俗學篇1)
 妣が國へ・常世へ(異郷意識の起伏)
 古代生活の研究(常世の國)
  一 生活の古典
  二 ふる年の夢・新年の夢
  三 夜牀の穢れ
  四 蚤の淨土
  五 祖先の來る夜
  六 根の國・底の國
  七 樂土自ら昇天すること
  八 まれびとのおとづれ
  九 常世の國
  一〇 とこよの意識
  一一 死の島
 琉球の宗教
  一 はしがき
  二 遙拜所――おとほし
  三 靈魂
  四 樂土
  五 神々
  六 神地
  七 神祭りの處と靈代と
  八 色々の巫女
  九 祖先の扱ひ方の問題
  一〇 神と人との間
 水の女 
  一 古代詞章の上の用語例の問題
  二 みぬまと言ふ語
  三 出雲びとのみぬは
  四 筑紫の水沼氏
  五 丹生と壬生部
  六 比治山がひぬま山であること
  七 禊ぎを助ける神女
  八 とりあげの神女
  九 兄媛・弟媛 
  一〇 ふじはらを名とする聖職
  一一 天の羽衣
  一二 たなばたつめ傍線
  一三 筬もつ女
  一四 たなと言ふ語
  一五 夏の祭り
 若水の話
 貴種誕生と産湯の信仰と
 最古日本の女性生活の根柢
  一 萬葉びと――琉球人
  二 君主――巫女
  三 女軍
  四 結婚――女の名
  五 女の家
 神道の史的價値
 高御座
 鷄鳴と神樂と
 髯籠の話
 幣束から旗さし物へ
 まといの話
  一 のぼりといふもの
  二 まといの意義
  三 まといばれん
 だいがくの研究
 盆踊りと祭屋臺と
  一 盂蘭盆と魂祭りと
  二 標山
  三 祭禮の練りもの
  四 だいがくひげこ
  五 田樂と盆踊りと
  六 精靈の誘致
 盆踊りの話
  信太妻の話
 愛護若
  鸚鵡小町
 餓鬼阿彌蘇生譚
  一 餓鬼
  二 ぬさと米と
  三 餓鬼つき
 小栗外傳(餓鬼阿彌蘇生譚の二)
  一 餓鬼身を解脱すること
  二 魂の行きふり
  三 土車
 翁の發生
  一 おきなと翁舞ひと
  二 祭りに臨む老體
  三 沖繩の翁
  四 尉と姥
  五 山びと
  六 山づと
  七 山姥
  八 山のことほぎ
  九 山伏し
  一〇 翁の語り
  一一 ある言ひ立て
  一二 春のまれびと
  一三 雪の鬼
  一四 菩薩練道
  一五 翁の宣命
  一六 松ばやし
  一七 もどきの所作
  一八 翁のもどき
  一九 もどき猿樂狂言
 ほうとする話(祭りの發生 その一)
 村々の祭り(祭りの發生 その二)
  一 今宮の自慢話
  二 夏祓へから生れた祭り
  三 まつりの語原
  四 夏祭り
  五 秋祭りと新嘗祭りと
  六 海の神・山の神
  七 神嘗祭り
  八 冬祭り・春祭り
 山のことぶれ
  一 山を訪れる人々
  二 常世神迎へ
 花の話

あとがき (折口博士記念古代研究所)




◆本書より◆


「妣が國へ・常世へ」より:

「われわれの祖(オヤ)たちが、まだ、靑雲のふる郷を夢みて居た昔から、此話ははじまる。而も、とんぼう髷を頂に据ゑた祖父(ヂゞ)・曾祖父(ヒヂゞ)の代まで、萌えては朽ち、絶えては蘖えして、思へば、長い年月を、民族の心の波の畦(ウネ)りに連れて、起伏して來た感情である。開化の光りは、わたつみの胸を、一擧にあさましい干潟とした。」
「心身共に、あらゆる制約で縛られて居る人間の、せめて一歩でも寛ぎたい、一あがきのゆとりでも開きたい、と言ふ解脱に對する惝怳が、藝術の動機の一つだとすれば、異國・異郷に焦るゝ心持ちと似すぎる程に似て居る。」
「十年前、熊野に旅して、光り充つ眞晝の海に突き出た大王个崎の盡端に立つた時、遙かな波路の果に、わが魂のふるさとのある樣な氣がしてならなかつた。此をはかない詩人氣どりの感傷と卑下する氣には、今以てなれない。此は是、曾ては祖々の胸を煽り立てた懷郷心(のすたるぢい)の、間歇遺傳(あたゐずむ)として、現れたものではなからうか。」
「飛鳥・藤原の萬葉(マンネフ)びとの心に、まづ具體的になつたのは、佛道よりも陰陽五行説である。幻術者(マボロシ)の信仰である。常世と、長壽と結びついたのは、實は此頃である。記・紀・萬葉に、老人・長壽・永久性など言ふ意義分化を見せて居るのも、やはり、其物語の固定が、此間にあつたことを示すのである。浦島ノ子も、雄略朝などのつがもない昔人でなく、實はやはり、初期萬葉びとの空想が、此迄にあつたわたつみの國の物語に、はなやかな衣を著せたのであらう。「春の日の霞める時に、澄ノ江ノ岸に出で居て、釣り舟のとをらふ見れば」と言ふ、語部の口うつしの樣な、のどかな韻律を持つたあの歌が纏り、民謠として行はれ始めたものと思ふ。燃ゆる火を袋に裹(ツゝ)む幻術者(マボロシ)どものしひ語りには、不老・不死の國土の夢語りが、必、主な題目になつて居たであらう。」



「水の女」より:

「私は古代皇妃の出自が、水界に在つて、水神の女である事、竝びに、其聖職が、天子即位甦生を意味する禊ぎの奉仕にあつた事を中心として、此長論を完了しようとしてゐるのである。」


「若水の話」より:

「ほうっとする程長い白濱の先は、また目も届かぬ海が搖れてゐる。其波の靑色の末が、自(オノ)づと伸(ノ)し上る樣になつて、頭の上まで擴がつて來てゐる空だ。其が又ふり顧(カヘ)ると、地平をくぎる山の外線の、立ち塞つてゐる處まで續いてゐる。四顧俯仰して目に入るものは、此だけである。日が照る程風の吹くほど、寂しい天地であつた。さうした無聊な目を睜らせる物は、忘れた時分にひよつくりと、波と空との間から生れて來る――誇張なしに――鳥と紛れさうな刳(ク)り舟の姿である。遠目には磯の岩かと思はれる家の屋根が、ひとかたまりづゝ、ぽっつりと置き忘れられてゐる。琉球の島々には、行つても行つても、こんな島ばかりが多かつた。
我々の血の本筋になつた先祖は、多分かうした島の生活を經て來たものと思はれる。だから、此國土の上の生活が始つても、まだ萬葉びとまでは、生の空虚を叫ばなかつた。「つれづれ」「さうざうしさ」其が全内容になつてゐた、祖先の生活であつたのだ。こんなのが、人間の一生だと思ひつめて疑はなかつた。又さうした考へで、ちよつと見當の立たない程長い國家以前の、先祖の邑落の生活が續けられて來たのには、大きに謂はれがある。去年も今年も、又來年も、恐らくは死ぬる日まで繰り返される生活が、此だと考へ出した日には、たまるまい。
郵便船さへ月に一度來ぬ勝ちであり、島の木精がまだ一度も、巡査のさあべるの音を口まねた樣な事のない處、巫女(ノロ)や郷巫(ツカサ)などが依然、女君(ヂヨクン)の權力を持つてゐる離(ハナレ)島では、どうかすればまだ、さうした古代が遺つてゐる。稀には、那覇の都にゐた爲、生き詮(カヒ)なさを知つて、靑い顔して戻つて來る若者なども、波と空と沙原との故郷に、寢返りを打つて居ると、いつか屈托など言ふ贅澤な語は、けろりと忘れてしまふ。我々の祖先の村住ひも、正に其とほりであつた。村には歴史がなかつた。過去を考へぬ人たちが、來年・再來年を豫想した筈はない。」

「ある種の動物にはすでると言ふ生れ方がある。蛇や鳥の樣に、死んだ樣な靜止を續けた物の中から、又新しい生命の強い活動が始まる事である。生れ出た後を見ると、卵があり、殻がある。だから、かうした生れ方を、母胎から出る「生れる」と區別して、琉球語ではすでると言うたのである。」
すでるは母胎を經ない誕生であつたのだ。或は死からの誕生(復活)とも言へるであらう。又は、ある容れ物からの出現とも言はれよう。」
すでると言ふ語には、前提としてある期間の休息を伴うてゐる。植物で言ふと枯死の冬の後、春の枝葉がさし、花が咲いて、皆去年より太く、大きく、豐かにさへなつて來る。此週期的の死は、更に大きな生の爲にあつた。」
「古代信仰では死は穢れではなかつた。死は死でなく、生の爲の靜止期間であつた。」



「最古日本の女性生活の根柢」より:

「外族の村どうしの結婚の末、始終圓滿に行かず、何人か子を産んで後、つひに出されて戻つた妻もあつた。さうなると、子は父の手に殘り、母は異郷にある訣である。子から見れば、さうした母の居る外族の村は、言はう樣なく懷しかつたであらう。夢の樣な憧れをよせた國の俤は、だんだん空想せられて行つた。結婚法が變つた世になつても、此空想だけは殘つて居て「妣(ハゝ)が國」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。」


「盆踊りの話」より:

「盆の祭り(中略)は、世間では、死んだ聖靈を迎へて祭るものであると言うて居るが、古代に於て、死靈・生魂に區別がない日本では、盆の祭りは、謂はゞ魂を切り替へる時期であつた。即、生魂・死靈の區別なく取扱うて、魂の入れ替へをしたのであつた。」


「村々の祭り」より:

「春祭りに來るまれびとは神と考へられもするが、目に見えぬ靈の樣にも考へられてゐる。祖先の靈と考へるのもあり、唯の老人夫婦だとおもうてゐるのもある。又多く鬼・天狗と考へ、怪物とも考へてゐる。春祭りの行事に鬼の出る事の多いのは、此爲であるが、後世流に解釋して、追儺の鬼同樣に逐ふ作法を加へるやうになつたが、實は鬼自身が守り主なのである。田樂に鬼・天狗の交渉のあるのも、此爲である。」





















































































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『新装版 現代詩読本 瀧口修造』

「ぼくは発狂する
ぼくは熟睡する。」

(瀧口修造 「地上の星」 より)


『新装版 現代詩読本 
瀧口修造』


思潮社 
1985年10月1日発行
281p 
20.5×14.5cm 並装 カバー 
定価1,800円(本体1,748円)
表紙・目次・アルバム=レイアウト:  菊地信義



元版は1980年刊、本書はその新装版。
ページ数には口絵(カラー)4p、別丁図版(モノクロ)8pが含まれます。その他本文中図版(モノクロ)多数。


現代詩読本 瀧口修造1


カバー:

「天使よ、この海岸では透明な悪魔が薔薇を抱いている。 薔薇の頭髪の薔薇色は悪魔の奇蹟。 珊瑚のダイナモに倚りかかりおまえの立っているのは砂浜である。 神が貝殻に隠れたまうとき破風に悪魔の薔薇色の影がある。 それは正午である。
――「ポール エリュアールに」」



現代詩読本 瀧口修造9


現代詩読本 瀧口修造6


内容:

◆討議
渋沢孝輔・大岡信・岡田隆彦 「未完結性の世界――書くことの違和」
 瀧口作品の語法の源
 家・風土からの離脱
 出身と言葉のリアリティ
 鉱物質のイメージと輝き
 注目すべき漢語の使い方
 個人に宛てた作品
 未完結性の魅力
 年齢の意識
 夢の記述

◆論考
西脇順三郎 「瀧口修造の芸術」
佐藤朔 「瀧口修造の実験室」
花田清輝 「コロンブスのタマゴ」
小野十三郎 「私のなかの瀧口修造」

東野芳明 「東京ローズ・セラヴィ」
澁澤龍彦 「卵形の夢――瀧口修造私論」
武満徹 「充実した沈黙」
宮川淳 「透明幻想――瀧口修造「詩と実在」の余白に」
磯崎新 「卵型の部屋」

◆代表詩30選――渋沢孝輔・大岡信・岡田隆彦 編
『瀧口修造の詩的実験 1927-1937』
 ETAMINES NARRATIVES
 断片
 地球創造説
 仙人掌兄弟
 花籠に充満せる人間の死
 ポール エリュアールに 
 DOCUMENT D'OISEAUX 鳥たちの記録
 MIROIR DE MIROIR 鏡の鏡
 実験室における太陽氏への公開状
 絶対への接吻
 地上の星
 五月のスフィンクス
 マックス エルンスト
 ホアン ミロ
 マン レイ
 イヴ タンギー
 遮られない休息
 睡魔
 影の通路
 妖精の距離
 風の受胎
 夜曲
『余白に書く』
 黄よ、おまえはなぜ……
 星は人の指ほどの――
 影像人間の言葉
『寸秒夢』
 寸秒夢、あとさき
「未刊詩篇」
 アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々
 旅程

◆論考
巖谷國士 「瀧口修造論への序」
岡田隆彦 「娑婆で見た瀧口修造」
天沢退二郎 「瀧口修造論のための二つのメモ及び補足」
飯島耕一 「ファタ・モルガナ」
入沢康夫 「瀧口さんの「転機」についての走り書」
安藤元雄 「白衣の太陽」
岡井隆 「両棲類私注」
窪田般彌 「瀧口修造の詩的実験」
鶴岡善久 「瀧口修造論――日本シュルレアリスム詩運動の流れのなかで」
藤井貞和 「精神の革命、いま絶えず綜合の夢」
赤瀬川原平 「瀧口ブレーキ論」

◆往復書簡
大岡信 「瀧口修造様」
瀧口修造 「大岡信様」

◆エッセイ
加藤郁乎 「余白頌」
粟津則雄 「瀧口修造寸描」
富岡多恵子 「スタインの最初の読者」
鈴木志郎康 「瀧口修造氏は鞏固に存在すると思った」
吉増剛造 「焰の手紙」
金井美恵子 「箱のなか」
瀧口綾子 「終焉の記」

◆資料
瀧口修造 「自筆年譜」
鶴岡善久 「瀧口修造 執筆・著作年表」
岡田隆彦 「参考文献目録」

口絵
アルバム



現代詩読本 瀧口修造7


現代詩読本 瀧口修造8


現代詩読本 瀧口修造5


討議「未完結性の世界」 より:

岡田 彼がものすごく日本の封建的な慣習とか、三島由紀夫の割腹事件のようなものに対して、醜悪であるとかその否定の激烈さというのはものすごいんですね。」
大岡 川端康成が選挙の応援をしたことがあったね。あの時ものすごく怒ってカンカンだったね。あの人が怒ったのを何回か見ているけれど、そのうちの一つはその川端さんのことね。」



現代詩読本 瀧口修造3











































『コレクション 瀧口修造 6』

大岡信・武満徹・東野芳明・巌谷國士・鶴岡善久 監修
『コレクション 瀧口修造 6』
映像論


みすず書房 1990年12月21日印刷/1991年1月11日発行
v 344p 20.5×15.5cm 
丸背バクラム装上製本 貼函 定価4,944円

月報(12p): 石元泰博「瀧口先生」/中古智「瀧口修造とPCL」/細江英公「西落合バルセロナ往還」/元藤燁子「回想 ローズ・セラヴィ」



第一回配本。本文中図版(モノクロ)多数。


takiguchi 1


帯文:

「瀧口修造とは誰か? 現代芸術の全領野を横断してそのオリジンに屹立し、時代のアヴァンギャルドに常に位置した真の〈創造の人〉。その遺されたメッセージの全てをここに集成。」


takiguchi 2


目次:

I 写真の神話的感覚
 写真の芸術性とはどう云うことか
 やさしい写真の美学
 ユージェーヌ・アッジェ
 アルフレッド・スティーグリッツ
 ポール・ストランド
 モホリー・ナギ
 エルンスト・ハース
 アンガス・マックベイン
 裸体について
 写真の神話的感覚
 色のない写真・色のある写真
 ピカソと写真
 近代美術としての写真
 USカメラ年鑑一九五二年版を見て
 報道写真と芸術写真
 彫刻と写真
 楽しめる国際的アルバム
 写真の表現について
 写真の造形と主観ということ
 石元泰博作品集 『ある日 ある所』
 原形を生かす発想 ブラッサイの彫刻
 写真というもの (ロベール・ドアノー) (翻訳)
 裸女をうつす (エミール・サビトリー) (翻訳)
 造形する植物
 絵画と写真
 [前衛写真家の作品から]
 [モダン・フォトグラフィ]
 [「手」「足」による写真]

II 私の映画体験
 私の映画体験
 その後の、そして最近の前衛映画
 『美女と野獣』
 ジャン・コクトオ
 美術と映画
 「しのび泣き」の感想
 『乙女の星』のファントームについて
 ノスタルジイについて
 『赤い靴』と色彩映画の絵画美
 色彩映画の芸術性
 ダリと『白い恐怖』
 巴里のアメリカ人
 漫画映画と今日の絵画
 色彩の有機的交流
 『赤い風車』(ムーラン・ルージュ)
 追われている映画
 抽象映画について
 各国漫画映画の印象
 漫画、動画――空間恐怖
 映画「悪魔の発明」
 「ヒロシマ」とシュルレアリスム
 フランジュの周辺
 動画考
 映画雑記 「素晴しい風船旅行」「処女の泉」など
 フィルム・ライブラリーの使命
 ベル・エポックの前衛映画
 美術映画は創造する
 美術映画雑記
 不思議なピカソ
 ピカソの魅力
 美術映画と完成した「ブラック」
 映画「ブラック」
 マチスの映画 (「TIME」) (翻訳)

III 美術映画 「北斎」
 美術映画「北斎」 (シナリオ)
 シナリオ「北斎」について
 挫折した「北斎」と完成した「北斎」
 浅野氏に答える

解題 (鶴岡善久)
初出一覧



takiguchi 3


「『乙女の星』のファントームについて」より:

「『乙女の星』は少女の微妙な成長期をとらえて、古雅な肖像画へのロマンティックなあこがれから、現実の青年へと、愛の対象が転移してゆく過程を描いている。それも「春のめざめ」というような生理的な衝撃にはすこしもふれずに、肖像画の幽霊と父親の意を含んだにせの幽霊たちとを登場させて、少女がこのにせの幽霊の一人に肖像の身代りを見出すことによって描いているのである。どこまでもおとぎばなしふうのでき事のなかに少女の「めざめ」が告げられるのである。
私はこの映画を見て、少女シルヴィーよりも誰よりも、肖像画から抜け出したアランの幽霊に興味を感じた。もっとも幽霊という日本流の概念は適切ではない。幻とでもいった方がいいかもしれないが、やはり幽霊と呼ぶことにする。いずれにしてもあまりありがたい役ではないであろう。それにあの映画は劇の上では一度も生存権をあたえられず、古びた絵姿から抜け出した影の存在で、言語を発する能力もあたえられていない。しかし言葉のない、身ぶりばかりの、風のような幽霊がなんともいいようのないペーソスを表現することか。ジャック・タチという俳優については知らないが、彼は二重露出のトリックで、なかばアヤツリ人形のように、この映画のなかで動いている。これまで巧みにトリックをつかった映画は多いが、あれほど典雅なムーヴマンとやさしい感情のリズムをあらわした映画はおそらく初めてではなかろうか。その動きはなにか典雅なバレーを想わせる。そして物をいわないという欠点が、このトーキーではなんとゆかしい美点に感じられたことだろう。私はふと、すべての無声映画というものが、今から考えると、まことに優雅なものだったという錯覚にさえとらわれたのであった。肖像画のアランは恋のための決闘でたおれたというが、怨霊ふうなところなぞはみじんもない。少女の清純な幻想のなかで育ったような、世の苦労も知らぬおっとりした貴公子である。ひたすらに少女のための守護天使のようにふるまっている。そして最初は現実の世界に対して、つつましく境界をまもっている。ただ時おり、眼覚まし時計の小鳥を鳴かせて少女の眠りをさましたり、誕生日にケーキのろうそくを吹く少女の口に手をかざしたり、マッチの火を吹き消したり、ちょっとしたいたずらをするだけである。彼の従者である猟犬の幽霊も彼におとらず典雅で、しかもいじらしい存在である。黒い飼犬に吠えられながらも声ひとつ出すことができない。黙々として短い尾を振りながら城内をはいかいする犬の幽霊、この白い半透明の犬と黒い生きた犬とが交錯するとき、人間と人間の幽霊の場合以上のペーソスが感じられ、ふしぎな美しさがあるのはなぜだかわからない。
それにしても人間の工夫した幽霊たちはなんと不器用なことだろう。秘密結社員のような格好でウォーウォー唸ってみたり、少女に恋をしたり、しょげかえったり、まったく型なしである。ところがほんものの幽霊が屋根裏にあるにせ幽霊たちの化粧部屋を発見して、そのカラクリを知ると、彼の優雅な態度はようやく焦燥気味をおびてくる。彼はどうやら現実界の誘惑にまけて、「かくれみの」ならぬ可視的な幽霊衣裳を身につけるのである。そして、閉まった扉に幾度も衣裳をはぎとられる不器用さを演じながら、にせ幽霊の仮装をした彼は堂々と舞踏会の間に出て行って、仮面をはがれるのだが、この瞬間、例のH・G・ウェルズの「透明人間」の恐怖をあたえる。つまりこの瞬間のカットだけ劇中人物の主観で表わされるのであって、これまでの幽霊は劇中人物にとって見えない幽霊であったわけである。したがって仮面をはがれた瞬間の幽霊の表情はわからないが、人々の驚きの悲鳴とともに、首なしの白装束が大口をあいて突っ立ったさまは、彼の柔和な顔にもかかわらず、やけっぱちな憤怒の相を想像させる。やはり幽霊はこわいものである。だがつぎの瞬間、そこをのがれて、やれやれといったふうにホールの群衆を見おろす彼の姿には無限の哀愁がただよっている。いよいよ幽霊退場のしおどきである。彼は星のブローチを抱きながら昇天するのだが、例の愛犬がどこからか現われて、また途中で消えてしまう。犬だけが地上に取残されたのではないかと余計な心配をする。
さて私は『乙女の星』について幽霊のことしか書けなかった。しかしこの映画に二重うつしに焼きつけられた無声版の演出だけでも、クロード・オータン・ララの名は、私にとって忘れがたいものになるだろう。」



Sylvie et le Fantome (YouTube)
(オータン=ララ 「乙女の星」より)














































































『コレクション 瀧口修造 1』

大岡信・武満徹・東野芳明・巌谷國士・鶴岡善久 監修
『コレクション 瀧口修造 1』
幻想画家論
ヨーロッパ紀行 1958
自らを語る


みすず書房 1990年3月20日印刷/同30日発行
vi 525p 20.5×15.5cm 
丸背バクラム装上製本 貼函 定価5,974円

月報(8p): 岡田隆彦「欧州旅行前後の変化」/海野弘「美術批評の近代史」/森田和夫「故郷 封印された澄明な存在」



第2回配本。本文中図版(モノクロ)多数。


takiguchi 1


帯文:

「ダリの家で出会ったもうひとりの珍客はダダの先駆者マルセル・デュシャンであった。…」


takiguchi 2


目次:

I 幻想画家論
 ボッス
 グリューネウァルト
 ピエロ・ディ・コジモ
 ラ・トゥール
 ルドン
 ゴーギャン
 アンソール
 ムンク
 スーティン
 クレー
 エルンスト
 デュシャン

II ヨーロッパ紀行 1958
 ヴェニス・ビエンナーレ展に出席して 通信
 ヴェニス国際美術展
 「近代美術五十年展」など ヨーロッパだより
 ダリを訪ねて スペインのちぎれた旅行記
 クレー巡礼 スイス日記抄
 クレーの生と死
 パリの古本屋など
 アンドレ・ブルトンの書斎
 聴く本、読む本
 フォンターナ訪問記
 フォンタナの洞窟
 アンリ・ミショーを訪ねる
 青い手帳から
 JOY-MAKER BRUNO MUNARI 幻想空間を創る手品師 ムナーリ
 トレドへの道
 アトミウムの下で 〈旅の青い手帖から〉
 アルバムからの三つの話
 ヴェニス・ビエンナーレ展雑感
 イッテン氏の作品を見て
 見えない出会い アルベルト・ジァコメッティ
   *
 動く芸術
 アントニオ・タピエス
 パウル・クレー展の意義
 MIRIORAMA 動く芸術
 ルチオ・フォンタナ
 スタインバーグの『新しい世界』
 パウル・クレエの芸術論 (紹介・翻訳)
 『パウル・クレー』 (図版解説)
 ミラノのグループ T (紹介)
 ミラノのグループ T (ブルーノ・ムナーリ) (翻訳)
 空間主義、技術宣言 (ルチオ・フォンタナ) (翻訳)

III 自らを語る
 覚え書
 画餅随筆
 ふるさとの夢 30年ぶりの同窓会
 超現実主義と私の詩的体験
 美術評論家の某日メモ
 他人の絵、自分の絵
 身辺珍書
 私も描く
 自成蹊
 西脇さんと私
 私の一冊 『近代芸術』
 ハーバート・リードのこと
 日録
 遺書
 悔いと心残り 『ミロ』(アトリエ社)
 澄明な存在の核心
 今日は明日
 名を刻まれて
 失われた漱石の手紙
 見えない柱
 日本のアヴァンギャルド (インタヴュー)
 往復書簡 (瀧口・大岡信)
 シュルレアリスムと時代 (インタヴュー)
 超現実主義の正説と逆説 (往復書簡 瀧口・粟津則雄)
 プサイの鳥とニルヴァーナと (対談 瀧口・松沢宥)
 瀧口修造氏への四つの質問 (インタヴュー)
 暗い時代 狂的な覚醒 『瀧口修造の詩的実験』への道 (インタヴュー)
 著者と一時間 『画家の沈黙の部分』 (インタヴュー)
 滝口修造・自筆年譜および補遺

解題 (鶴岡善久)
初出一覧



takiguchi 4


「アンドレ・ブルトンの書斎」より:

「アンドレ・ブルトンの蒐集はすべてが彼自身の思想と行動の歴史を物語っているのだろう。おそらく持主が日々、それらを呼吸しながら生活と対応させることによって、絶えず検証してきた独自のオブジェなのであろう。不安で脅かすような風情を示しながら、すばらしく挑発的な魅惑をたたえているこの壁面は、そのひとつひとつに持主の刻印が押されてあるのだ。」


takiguchi 3


「失われた漱石の手紙」より:

「またあの話かと友人に笑われそうだが、人はなんということを仕出かすものかと訝る気持がつい蘇る。小学の五、六年の頃(一九一五、六)と思うが、私は母や姉に隠して何もわからぬ癖に漱石に手紙を書いたら夏目金之助と署名した封書の返事を貰ったのである。しかし冒頭の「参銭切手を封入してあったので返事を書きます」といった文句は子供心にもショックであった。内容は、余計なことを考えず学業に精を出しなさい、と叱りつけるように諭したものであった。私はまず参銭切手なんぞを入れた恥ずかしさでカッとなり、叱られたこととも重なり、巻紙に毛筆で子供にも読み易い字体で書かれたその美しい手紙を、発作的に二つに裂いてしまった。なんとも奇怪な取返しのつかぬ行為だが、それが長く心の負担になり、人にも話さず、長く手箱の底に秘めたまま、郷里に残した少年時代の持物と共に戦災で焼いてしまった。漱石は一九一六年に没している。痼疾に悩まされた苛立たしい日々であったはず。一少年の他愛もない片言の手紙に破裂した癇癪玉であったかも知れぬ。しかし失われた手触りから、そうとだけ考えたくないのは未だに残る厚かましさか。私はついぞ漱石文学に深く傾倒することもなく、その訓戒をも無にしてしまったようだ。しかも幼い悔いは老いて消えるものではないのに……。」






































































『コレクション 瀧口修造 3』

大岡信・武満徹・東野芳明・巌谷國士・鶴岡善久 監修
『コレクション 瀧口修造 3』
マルセル・デュシャン
詩と美術の周囲
骰子の7の目
寸秒夢


みすず書房 1996年10月20日印刷/同30日発行
v 430p+29p 20.5×15.5cm 
丸背バクラム装上製本 貼函 定価9,785円

月報(10p): 加納光於「生の交接は……」/橿尾正次「瀧口さんのこと」/合田佐和子「源流を守る人」



第13回配本。本文中図版多数。


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帯文:

「人は絶えず何ものかに賭ける。 6 の目の骰子を振りながら、実は 7 の目を求めているのではないか。」


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目次:

I マルセル・デュシャン
 『マルセル・デュシャン語録』
 マルセル・デュシャン語録について
 デュシャンのロート・レリーフ
 本・もうひとつの本 デュシャンの語録
 急速な鎮魂曲 マルセル・デュシャン一八八七~一九六八
 ローズ・セラヴィ ’58~’68
 マルセル・デュシャン : 九箇の雄の鋳型
 検眼図 だれの証拠品、だれが目撃者?
 検眼図傍白
 扉に鳥影
  私製草子のための口上
 Personally Speaking
 マルセル・デュシャンとジェームズ・ジョンソン・スウィーニーとの対話 (翻訳)

II 詩と美術の周囲
 大椿事
 一つの lost generation について
 マチスの『海の動物』に寄す
 ピカソのえがいた顔
 若いピエロの話
 聖家族
 海のギャラリー
 夢日記が夢のように消えた話
 詩と美術の周囲
 ガウディ・ノート
 ゾンネンシュターン展
 ウォルスあるいは道
 ヴォルス箴言集 (ヴォルス) (翻訳)
 遅れる鎮魂歌 パウル・クレーを想いながらの断章
 パウル・クレー詩篇 (パウル・クレー) (翻訳)
 笑い猫夢話 ききて――種村季弘
 自由な手 抄 (マン・レイの素描/ポール・エリュアールの挿詩) (翻訳)
 時のあいだを 七つの断片とともに
 一九四二年九月十六日付の手紙から (ジョゼフ・コーネル) (翻訳)
 ロマンティック・バレエ讃/無題 (ジョゼフ・コーネル) (翻訳)
 人形の遊び (詩ポール・エリュアール/写真ハンス・ベルメール) (翻訳)
 ミクロク・ナナン
 ミロの星とともに
 ミロとともに 詩画集の誕生

III 骰子の7の目
 画家の明証
 第十一回シュルレアリスム国際展〈絶対の隔離〉のポスター
 ルネ・マグリット マグリットの「不思議な国」
 マックス・エルンスト 幻鳥ロプロプのゆくえ
 ハンス・ベルメール 真珠と煉瓦
 ポール・デルヴォー 隣り合う女たち
 流謫 (ポール・エリュアール) (翻訳)
 クロヴィス・トルイユ 市民画家クロヴィス・トルイユ
 マン・レイ マン・レイはマン・レイである
 マックス・ワルター・スワーンベリ 水晶の腕に
 おんなに憑かれて (マックス・ワルター・スワーンベリ) (翻訳)

IV 寸秒夢
 ガウディの夢
 三夢三話
 『星と砂と 日録抄』
 『寸秒夢』
  寸秒夢、あとさき
  夢三度
 夢日記 (未定稿)

解題 (鶴岡善久)
初出一覧

欧文テクスト
 TOWARD RROSE SELAVY
 A Rapid Requiem
 [Personally Speaking]
 OCULIST WITNESSES
 REVE GAUDIEN
 MIKROK NANAN
 欧文テクスト 初出一覧



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『マルセル・デュシャン語録』より:

「ユーモアとエロティスム
一般にユーモアというものは作品の創造にとって不可欠のものでしょうか?
――絶対です。……くそまじめであることは実に危険なことだという理由で。くそまじめを避けるためにユーモアを介入させる必要がある。ただひとつ私の考えるまじめな問題はエロティスムです。なぜといってこれはまじめな問題だからね! そこで私はエロティスムをたとえば「花嫁」のための足がかりとして使おうとこころみたのです。
一九六六年、ピエール・カバンヌとの対談」



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「マルセル・デュシャン語録について」より:

「数年前、私はオブジェの店を東京にひらくという私としては突飛な空想を抱きはじめ、その命名をマルセル・デュシャンに乞うた。すると彼は快く「ローズ・セラヴィ」 Rrose Selavy という彼が若い頃に使った有名な女名前の変名をつけてくれたのである。オブジェの店の考えは、私にとって観念と現実とを背中合せにして生れざるをえなかったもので、いまも宙づりのままであるが、私はまずデュシャンへの敬愛をあらわすと同時に、日本版「デュシャン語録」を私家版でつくる計画をたてた。それにはデュシャンと深い精神的な絆で結ばれている三人の作家、荒川修作、ジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリーがそれぞれ作品を寄せてくれたし、デュシャン自身も、色紙をむしって作った珍しい自分のプロフィルを送ってくれた。(中略)そのほか親しい友たちの協力をえて、架空ともみえた本が徐々に形をとりはじめた。さらに私はローズ・セラヴィの店のためにという想定のもとに、その小看板をチェンジ・ピクチュアとして作った(マン・レイの撮した若いデュシャンの肖像とローズ・セラヴィの署名とを組合せたもの)。しかもそれにデュシャンは「ウィルソン・リンカーン・システム」と命名し、署名したので、ここにまた珍しいデュシャン的イベントが起ったことになる。」


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「急速な鎮魂曲」より:

「死について。
デュシャンはピエール・カバンヌとの長い対話の最後で語った(一九六七)。それも問われたからであるが。
 「あなたは死について考えますか?」
 「滅多に考えません。それは頭が痛いとか、足を折るとかすれば、肉体的には考えざるをえない。そのときは死が現われる。もし無神論者であれば、自分の意志に反しても、完全に消滅するのだという事実には心を動かされるでしょう。私は他生とか輪廻とかを望まない。およそうるさい考えです。人間はよろこんで死んでゆく、すべてそう考えるのがどんなにいいかしれない。」

「私がデュシャンに惹かれる最大の理由のひとつは、彼が言語を一種のオブジェ化したことである。というよりも、それがオブジェをも暗に言語と化していることと関連しているからである。
彼は著述家にも「詩人」にもならず、画家ないし芸術家になることからも辛うじて脱して、それをし遂げる。

芸術は自己撞着である。
生そのものも同じ。
マルセル・デュシャンは矛盾をおそれない。むしろ無関心である。
つじつまを合わせようと躍起になるのが芸術家という芸術家、批評家という批評家。
彼らは不可避の矛盾と、そのはるか彼方のものに気づかない。」



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「時のあいだを ジョゼフ・コーネルに」より:

「ほとんどふたつの時間、いわば時と時とのあいだを歩くのに、あなたはまる一生かかった。 ……人には見えず、時空を旅する鳥たちの時間、過ぎ去った遙かな国の物語も、星辰の運行とともに現存する時間…… もうひとつの時とは、生れて住みついた土地と生活の時間、霧と煙り、水と血液、パンとミルクの時間、おそらく手や顔の皺の時間でもあろう。あなたが狷介な孤独者のように見られたとすれば、なんと愛の充溢のためだ。秘密はあなたが遺した窓のある筐とイメージのかずかず、実は未だ名付けようのない物たちのなかにある。まるで天からやって来た職人の指紋の魔法か。しかし秘密はまだ乳いろの光りにつつまれている。こんなに身近な親しさで。かつてマラルメが詩のなかに ptyx という謎の一語でしか表わさなかった、捉え難い虚空の貝殻とも断じえないものを、何ひとつ傷つけず、あなたは時の波打際で手に拾い、視えるようにしてくれた。風のいのちのシャボン玉とて例外ではない…」


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『寸秒夢」より:

「おまえは、なぜ ことば にばかり気を取られるのだ?
おまえは、ことば で出来たお化けのようだぞ、と天の一角から大喝されたように、はっとする。
星で出来た人間がいた。」

「マルセル・デュシャンという人は、死んだとき、遺言により葬儀もせず、公の死亡通知も出さなかったらしい。それでもルーアンの家族の墓地に葬られて、墓石には故人の意志により、こんな意味のコトバが刻まれたという。
 さりながら死ぬのはいつも他人なり。」



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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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