瀧口修造 『瀧口修造の詩的実験 1927―1937』 (縮刷版)

「記憶はけむりの猫を生み」
(瀧口修造 「岩石は笑った」 より)


瀧口修造 
『瀧口修造の詩的実験
1927―1937』
縮刷版


思潮社 
1971年12月15日 第1刷
1991年3月25日 第4刷
229p 目次5p 
18×13cm 
フランス装 本体セロファンカバー 
機械函 函カバー 函プラカバー
定価2,980円



初版は1967年12月1日、限定1,500部刊行。本書はその縮刷版です。付録(添え書き)は紛失しました。


瀧口修造の詩的実験 01


目次:

LINES
ÉTAMINES NARRATIVES
amphibia
basse élégie
断片
地球創造説
仙人掌兄弟
クレオパトラの娘の悪事
花籠に充満せる人間の死
TEXTE ÉVANGÉLIQUE
ポール エリュアールに
DOCUMENT D'OISEAUX 鳥たちの記録
MIROIR DE MIROIR 鏡の鏡
TEXTES
実験室における太陽氏への公開状
絶対への接吻
地上の星
岩石は笑った
五月のスフィンクス

七つの詩
 サルバドール ダリ
 マックス エルンスト
 ルネ マグリット
 ホアン ミロ
 パブロ ピカソ
 マン レイ
 イヴ タンギー

白の上の千一夜

妖精の距離
 蝸牛の劇場
 レダ
 魚の慾望
 瞬間撮影
 遮られない休息
 木魂の薔薇
 反応
 睡魔
 影の通路
 妖精の距離
 風の受胎
 夜曲

   ★

夢の王族 一つの宣言あるいは先天的夢について
詩と実在



瀧口修造の詩的実験 02


プラカバーに「内容」と瀧口修造のポートレイトが印刷されています。



◆本書より◆


「ポール エリュアールに」より:

「天使よ、この海岸では透明な悪魔が薔薇を抱いている。 薔薇の頭髪の薔薇色は悪魔の奇蹟。 珊瑚のダイナモに倚りかかりおまえの立っているのは砂浜である。 神が貝殻に隠れたまうとき破風に悪魔のばら色の影がある。 それは正午である。」


「DOCUMENT D'OISEAUX 鳥たちの記録」より:

「あの白い世界は島でもなく鳥でもなかった。 その唯一の記憶がぼくを鬼にするだろう。」


「地上の星」より:

「眞紅の鳥と眞紅の星は闘い
ぼくの皮膚を傷つける
ぼくの声は裂けるだろう
ぼくは発狂する
ぼくは熟睡する。

鳥の卵に孵った蝶のように
ぼくは土の上に虹を書く
脈膊が星から聴こえるように
ぼくは恋人の胸に頬を埋める。」

「忘れられた星
ぼくはそれを呼ぶことができない
或る晴れた日に
ぼくは女にそれをたずねるだろう
闇のなかから新しい星が
ぼくにそれを約束する。」

「闇のように青空は刻々に近づく
ぼくは彼女の眞珠をひとつひとつ離してゆく
ぼくたちは飛行機のように興奮し
魚のように悲しむ
ぼくたちは地上のひとつの星のように
ひとつである。」

「ぼくは詩を書く
ぼくは詩を書く
そしてそれを八つ裂きにする
それは赤いバラのように匂った
それはガソリンのように匂った。」

「そして鳥たちは永遠に
風のなかに住むだろう
狂った岩石のように。

盲目の鳥たちは光の網を潜る。」



「レダ」より:

「ひとりあるきは薔薇の匂いがする」


「遮られない休息」:

「跡絶えない翅の

幼い蛾は夜の巨大な瓶の重さに堪えている

かりそめの白い胸像は雪の記憶に凍えている

風たちは痩せた小枝にとまって貧しい光に慣れている

すべて

ことりともしない丘の上の球形の鏡」



「睡魔」:

「ランプの中の噴水、噴水の中の仔牛、仔牛の中の蠟燭、蠟燭の中の噴水、噴水の中のランプ

私は寝床の中で奇妙な昆虫の軌跡を追っていた
そして瞼の近くで深い記憶の淵に落ちこんだ
忘れ難い顔のような
眞珠母の地獄の中へ
私は手をかざしさえすればいい
小鳥は歌い出しさえすればいい
地下には澄んだ水が流れている

卵形の車輪は
遠い森の紫の小筐に眠っていた
夢は小石の中に隠れた」



「妖精の距離」:

「うつくしい歯は樹がくれに歌った
形のいい耳は雲間にあった
玉虫色の爪は水にまじった
脱ぎすてた小石
すべてが足跡のように
そよ風さえ
傾いた椅子の中に失われた
麦畑の中の扉の発狂
空気のラビリンス
そこには一枚のカードもない
そこには一つのコップもない
慾望の楽器のように
ひとすじの奇妙な線で貫かれていた
それは辛うじて小鳥の表情に似ていた
それは死の浮標のように
春の風に棲まるだろう
それは辛うじて小鳥の均衡に似ていた」



「夜曲」より:

「赤い唇の永遠の休暇
太陽はコップの底に沈殿している
眠れない小鳥と一緒に」



「詩と実在」より:

「ぼくはこのような断言がなんらの哲理的な思想にも達しないことを知っている。 またぼくはいまそれを欲している。 太陽に噛みつかれたようなアフリカ蕃人の特殊な黥に、ぼくの現在の文章が比較されるとしても、ぼくはすこしも不満を抱かないだろう。 ぼくの意図はむしろ太陽に噛みつかれて置くことだ。 反省と称するものはどのような種類のものにしろ、現実と一致することがないということを日まわりの花とともにぼくが力説するとしても、ぼくはプラトニックなトリックを用意しているのではない。 物質の世界ではなく、また感覚の世界ではなく、ぼくには特異な、或る無秩序から出発しなければならなかった。」

「純粋な物語、不可能の原理、ぼくが純粋な告白を信ずるとき、ぼくの原理は無際限に許されているだろう。 行為は主観的現実にすぎない。分秒にも眞珠を磨いている貝殻の意識ほどにぼくは鮮明でありうるだろうか。 しかし確かにありうるだろう。」

「透明な夢よ。 透明な運動よ。 透明なメカニズム。 それは科学的ですらない。 新しさ以外には生存しない神秘體。 人々は夢をみるだろう。 人々は夢をみるだろう。 人々は抱擁するとき、抱擁されるだろう。」

「詩は絶対を方向したように見えた。」

「詩は信仰ではない。 論理ではない。 詩は行為である。 行為は行為を拒絶する。 夢の影が詩の影に似たのはこの瞬間であった。」



瀧口修造の詩的実験 04 (2)


瀧口修造の詩的実験 04 (1)


瀧口修造の詩的実験 05





























































































スポンサーサイト

『コレクション 瀧口修造 13 戦前・戦中篇Ⅲ 1939―1944』

「ダレモ スンデヰナイ
シヅカナ カヒガラノ オウチ
ニジイロノ カガミダケガ ヒカツテヰル」
(瀧口修造 「カヒガラ」 より)


『コレクション 
瀧口修造 13 
戦前・戦中篇Ⅲ 
1939―1944』

監修: 大岡信・武満徹・東野芳明・鶴岡善久・巌谷國士

みすず書房 
1995年6月10日 印刷
1995年6月20日 発行
x 786p 
20.5×15.5cm 
丸背バクラム装上製本 貼函 
定価13,390円(本体13,000円) 

月報 (8p): 
瀧口修造と「ふるさと」(小沢節子)/「写真」への発言のはじまり(金子隆一)/妖星を宿した指(馬場駿吉)



第12回配本。本文中図版(モノクロ)多数。「解題」及び本文の一部(翻訳、座談会、等)は二段組です。


瀧口修造 コレクション 戦前戦中篇


帯文:

「閉まつてゐる窓があつたら、ひらいて空気を入れやうではないか! 戦中の現実と芸術。」


目次:

一九三九(昭和十四年)
 謎の創造者 サルバドール・ダリ
 植物の記録
 写真と美術雑誌
 色彩と生活
 回答
 記録写真とアメリカFSAの写真
 飾窓のある展覧会
 女艸会と女性作家
 福沢一郎近作個展
 「絵画」第一回展
 イタリアの美術家組合
 新しい時代について
 バアバラ・モオガン 画家から写真家への通路
 写真の眼で見た映画批評
 夢についてのノート
 詩と機能について
 ジェロオム・ボオッシュ小論
 機能の限界に立つて
 映画の顔
 独立展評
 独立展印象
 [美術]
 写真の造型的要素に就て 造型写真講演会の記録より
 文化映画に対する要望
 移転通知
 内部の額椽 ルネ・マグリット
 ダリの近況
 アメリカに渡つたダリ
 二つのポートレート
 Gyorgy Kepes の作品
 洋画壇の現実
 浅原清隆
 前衛美術と文化的課題
   *
 安全週間
  化学的な「土」
  家
  無題
  近代影像
   *
 造型訓練と写真
 二科の問題
 カヒガラ
 ある時代
 絵画論理
 ミロ偶感
 二科展評
 美術
 影響について
 フロイト主義と現代芸術
 日本画と「新しさ」について
 美術に於ける時間と永遠
 忠霊塔の問題
 小松義雄抽象絵画展
 写真造型研究会一般応募作品について
 日本原始土偶に寄す
 肖像のないレオナルド
 或る年表への註釈
 [作品解説] (「フォトタイムス」誌)
 現実の彼方に (ジヤン・セルツ) (翻訳)
 フオト・モンタアジユ (バアバラ・モオガン) (翻訳)
 言葉と影像 (ルネ・マグリット) (翻訳)

一九四〇(昭和十五年)
 シュルレアリスム十年の記
 モホリ・ナギイからの手紙その他
 皇紀二六〇〇年の写真界を目指して
 肖像について
 芸術と「異常性」
 詩人について
 苦行と童心 ホアン・ミロ
 夢の博物館 パウル・クレー
 GYORGY KEPES 最近の労作
 東洋と西洋
 夜のあかり
 前衛美術と今日の位置
 美術文化協会第一回展
 ドオラ・マアル
 女流作家に提言する
 北川冬彦「散文映画論」感想
 文化映画と詩
 絵画の季節
 春の前衛美術
 超現実主義美術と現実的意義
 絵画の地平線 美術文化協会第一回展
 物体の自発性 美術文化協会第一回展評
 ハーバート・リスト作「魚」に寄せて
 ハーバート・リスト
 下郷羊雄編著「メセム属」に就て
 写真壁画の将来はこうあつて欲しい
 卵ある記
 映画と夏 夏の映画の娯しみ――夜店の植木鉢+氷水+etc.
 美術作品を対象とする写真
 詩とペン
 夏の日
 美の新しい方向
 写真と造形性の再検討
 [『写真百年史』『ドガに就て』]
 ルネッサンス芸術の心理 (アンドレ・マルロオ) (翻訳)
 西洋と極東に於ける再現について (アンドレ・マルロオ) (翻訳)
 真珠論 (サルバドール・ダリ) (翻訳)
 果実達の大騒ぎ (ハンス・アルプ) (翻訳)
 耐久の詩十一篇 (ポール・エリユアル) (翻訳)
 美術に奉仕する写真 (アンドレ・ルジヤール) (翻訳)
 視覚的広告の仕事 (ジヨージ・キイプス) (翻訳)
 ジヨージ・キイプス (モホリ・ナギー) (翻訳)
 大陸現地報告座談会 (座談会)
 浪華展をめぐりて 関東関西座談会 (座談会)

一九五一(昭和十六年)
 造型芸術機能説
 美術文化協会展に就て
 顔・民族の顔
 科学と詩
 レオナルド展と『写真建築』
 近代美術の場合
 主題と画因
 詩と批評
 生活の芸術と生活の技術
 額椽について
 詩人の名によりて
 人間的な技術としての詩
 アメリカ現代美術の遠望
 課題の意味
 画壇に胚胎するもの
 技術の保存に対する考察
 詩と文学
 アメリカ美術めりいごうらうんど
 懐中詩集

一九四二(昭和十七年)
 大東亜戦争と美術
 契丹の壺
 顔
 ドーミエ論 (ジヤツク・ラツセーニユ) (翻訳)
 アジア芸術におけるイランの重要性 (アーサア・アツパム・ポープ) (翻訳)

一九四三(昭和十八年)
 郷土詩について
 声と言葉
 春とともに
 リルケの墓をたづねて (ジェラール・バウェル) (翻訳)

一九四四(昭和十九年)
 手
 除夜に
 宮本三郎「本間・ウエインライト両指令官会見図」
 東京の一角
 序[東郷克郎詩集『緑の歌』]
 一夜

解題 (鶴岡善久)
初出一覧



瀧口修造 コレクション 13



◆本書より◆


「カヒガラ」:

「カヒガラハ
アオイ ウミノナカノ オウチ
キラキラ
ニジイロノ カガミガ ヒカツテヰル
ドンナ ウツクシイヒトガ スムノカ

カヒガラハ
シロイ スナノウヘノ オウチ
グルグル
カイダンヲ ノボツテ ドコヘ ユクノカ
ウミヨリモ トホイ アオゾラヘ ユクノカ

ダレモ スンデヰナイ
シヅカナ カヒガラノ オウチ
ニジイロノ カガミダケガ ヒカツテヰル

ナツノウミノ オモヒデ
ヒロツテキタ カヒガラハ
カラコロ
カラコロト ナルヨ」



「卵ある記」より:

「鳥の卵はなぜ卵型をしてゐるのか。その理由は可笑しいほど単純な機能であつたとしても、やはりあの形の存在には不思議なものが残るだらう。」
「フインランドの伝説に卵の黄味から太陽が生まれ、白味から月が生まれたといふ宇宙創造説がある。印度のウエーダにも、創造王ブラーマがまづ卵を作り、その中から天地が生まれたといふことがある。たゞこの卵は黄金色に輝いてゐたのである。
 石灰質の、純白な(中略)、幾何学的な卵の形は、(中略)まるで形而上的で、プラトニツクな匂ひさへする。みどり深い、しんとした山中で、ふと白い卵のある巣を見つけた時ほど心のときめくものはない。」
「古い神話で美神の家になつた貝殻が、現代の詩人の玩具になつたり、受話器になつたりしたやうに、その古代的な卵は明快な近代的な数学を象徴してゐる。」
「ブランキユージといふ彫刻家は、大理石で卵そつくりの彫刻を作り、「世界の始め」といふ題をつけた。卵の美学が、単純明快を讃へる現代彫刻のモデルになつたのは自然である。
 しかしこゝに一人の反逆児が出て来て、このプラトン的な、彫塑的な卵を、まるで料理でもするやうに無造作に割つてみたのである。ヌルツとした澄明な白味の中に浮んだ黄味は、私達をどきつとさせる。画家ダリは、いはゆる落し卵(引用者注: 「落し卵」に傍点)を好んで描く。これは卵の外側のしんとした古典的な彫塑性の中で忘れられてゐた現代性の不安そのものだと言へよう。」





戦時中の瀧口修造に関してはこちらもご参照ください:

『続 幻影の人 西脇順三郎を語る』




















































































『コレクション 瀧口修造 12 戦前・戦中篇Ⅱ 1937―1938』

「一応もっともらしく聞こえるが、この悟性や理性という言葉こそ、いつも正当な人間性を粧って、芸術の生活力と現在性とを隠蔽するのだと思う。」
(瀧口修造 「前衛芸術の諸問題」 より)


『コレクション 
瀧口修造 12 
戦前・戦中篇Ⅱ 
1937―1938』

監修: 大岡信・武満徹・東野芳明・鶴岡善久・巌谷國士

みすず書房 
1993年2月1日 印刷
1993年2月10日 発行
ix 713p 
20.5×15.5cm 
丸背バクラム装上製本 貼函 
定価7,725円(本体7,500円) 

月報 (10p): 
瀧口類縁のこと(宮英子)/拒絶のアプリシエーション(針生一郎)/精神の使徒(米倉寿仁)/編集室より/図版(モノクロ)1点



第9回配本。本文中図版(モノクロ)多数。「解題」及び本文の一部(翻訳、座談会、初出形、等)は二段組です。


瀧口修造 コレクション 戦前戦中篇


帯文:

「『妖精の距離』『近代芸術』『海外超現実主義作品展』など旺盛な批評創作の全貌を再現。」


目次:

一九三七(昭和十二年)
 「エコオル・ド・東京」第一回展に就て
 詩を書くピカソ
 貝殻と詩人
 浪漫主義と超現実主義
 星の掌 飯田操朗
 独立展前衛絵画について
 白の上の千一夜
 薔薇の肋骨
 フランスの新詩人十二人集
 絵画の彼岸 マックス・エルンスト
 絵画の新しき領域 深き交流は今後の課題
   *
 『海外超現実主義作品展』
  ALBUM SURRÉALISTE 緒言
  海外超現実主義作品展
   *
 超現実主義の現代的意義
 ジヨアン・ミロ
 動向展について
 超現実主義の動向 現実を直視・批判せよ
 うつくしい…… オートマテイツクな随筆
 前衛映画の行方
 [同人語]
 超現実主義の国際的交歓
 「表現」第五回展
 自由美術家協会第一回展
 英国と超現実主義
   *
 『妖精の距離』
  蝸牛の劇場
  レダ
  魚の慾望
  瞬間撮影
  遮られない休息
  木魂の薔薇
  反応
  睡魔
  影の通路
  妖精の距離
  風の受胎
  夜曲
   *
 米倉寿仁・阿部芳文二人展に就いて
 夏の触媒
 シュルレアリスムとは何か?
 幻想と芸術
 幻想芸術の機能
 海外前衛美術消息
 東京派(エコオル・ド・トウキヨウ)第二回展
 小川原脩個人展
 米倉・阿部二人展
 飾画第四回展
 妖精の距離 瀧口修造詩・阿部芳文画
 民族財と世界財
 「表現」第六回展
 中村真個人展
 ラファエル前派に現れた永遠の女性の亡霊的シュルレアリスム (サルヴァドル・ダリ) (翻訳)
 通底器 幻影物体 (アンドレ・ブルトン) (翻訳)
 シナリオ ババウオ (サルバドール・ダリ) (翻訳)
 近代造型芸術 (ジイディオン・ウェルカア) (翻訳)
 絵画は何処へ行く? (翻訳)
 絵画と霊感 (マックス・エルンスト) (翻訳)
 ハリウッドの超現実主義(シユルレアリスム) (サルウアドル・ダリ) (翻訳)

一九三八(昭和十三年)
 ピカソの火
 黒色・白蛮・新現実・同時展
 アンドレ・ブルトンの美学
 写真と超現実主義
 卵のエチュード
 映画ラボラトリイの必要
 写真・映画の写真
 ジュンヌ・オム第一回展
 青春喜劇
 前衛芸術の諸問題
 写真と絵画の交流
 独立展評
 唯型第二回展
 超現実主義の史的概観
 ダリの形態学
 狂花とオブジェ
 「鳶の輪」について
 コミック映画の貧困
 CHANSON SANS PAROLES 故西崎晋詩集について
 エスプリ・ヌーヴォーの未来
 卵形の室内
 午前の地図
 現代彫刻の一断面
 自由美術家協会第二回展
 物体の位置
 「近代芸術」について
   *
 『近代芸術』第一部
  キュビスム論
  ダダイスムの徴候
  抽象芸術論
  シュルレアリスム論
  象形と非象形の問題
   *
 シュルレアリスム以後 [『近代芸術』第三部]
 ピカソの壁画 [『近代芸術』第三部]
   *
 ヘンリイ・ムアとその彫刻展
 実験的写真家としてのモホリ・ナギイ
 超現実主義の肖像写真 ロンドンで大流行
 「阿Q」と北川冬彦氏
 調革の論理 マルセル・デュシャン
 バアバラ・ヘツプウァスの彫刻
 二科
 羊飼ひの時間
 前衛写真試論
 ムンカツチについて
 映画の知的役割
 浮彫の花束 桂ユキ子
 写真と絵画の出会ふところ 断想的に
 フランス百科全書と映画
 能のヒユウマニズム
 [往復書簡]
  私の作品 主にネルヴァル「夢と人生」に就て (永田一脩)
  永田氏への返信 (瀧口修造)
 描かれた言葉 (ポオル・エリュアル) (翻訳)
 希望 スペイン挿話 (アンドレ・マルロオ) (翻訳)
 美は痙攣的であるだらう (アンドレ・ブルトン) (翻訳)
 自由な手[抄訳] (ポオル・エリュアル) (翻訳)
 ナルシスの変貌 (サルウアドル・ダリ) (翻訳)
 『白雪姫』(ストオリ) (ウオルト・デイズニイ)
 エルンスト『博物誌』序 (ハンス・アルプ) (翻訳)
 造型芸術に於ける主題の抛棄について (アンドレ・ジイド) (翻訳)
 東洋に向つて (ポオル・ヴアレリイ) (翻訳)
 西洋と東洋との再現について (アンドレ・マルロオ) (翻訳)
 美術批評の諸問題を語る座談会 (座談会)
 前衛写真座談会 (座談会)
   *
 『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』初出形
  白の上の千一夜
  妖精の距離

解題 (鶴岡善久)
初出一覧



瀧口修造 コレクション 12



◆本書より◆


「薔薇の肋骨」:

「私の周囲に無数の眼があつた
その一つは草の葉のやうに澄んでゐた
その一つは鳥のやうに絶えず動いてゐた
私は生きてゐる旅行鞄のやうに
走りながら美しい風景を眺めた
青い海には無数の鍵の音がした

朝の食卓の静物が
廃址のやうに崩れると
雷鳴は朽ちた階段をすべり落ちる
痩せた薔薇からも一すぢの血が流れる

瞳のある扉は
女性になるために
夜通し風にはためいてゐた
そして雛鳥のやうに啼いた
けさ乾いた帆のかげに
私は見えない訪問者の暖い手を握つた」



「ALBUM SURRÉALISTE 緒言」より:

「またこの運動の中で最も注目すべきものとして、オブジェ(物体)の発見がある。この実験はダリの提唱した「象徴的機能の物体」に発したものであるが、既成品の物体の非合理的な再創造が、言語影像、絵画影像に於ける場合と同じく、不可思議な凝結の幻影を形つくることを証明するものである。そしてひいては自然に於けるオオトマティスムの発見にまで到達する。「拾得或は発見されたオブジェ」がそれである。かうした物体再発見の実験は、人間と対象との交通のための公有道路を見出したものであり、造型美術の領域にあつては、対象と材料の不当な局限、ジャンルの不当な防壁を打破するものである。此処でも、超現実主義は、表現芸術を、人間の内部的慾望の総体に於て解釈するものであることを示してゐる。」

「最近オスカア・ドミンゲスの提唱によつて「対象の予想されないデカルコマニイ」の制作が発表された。これは他の超現実主義の実験の如く、児童が無意識のうちに発見して彼等独特の遊戯となしたものを、成人の認識にまで発展せしめたものである。」

「ブルトンは美の性質を「痙攣的」と定義し、ダリは「可食的」と定義した。この二つの新しい定義は、それぞれ現代の不安な時代の慾望の美学的凝結としての芸術を、極めて適切明快に説明するものであらう。
 また超現実主義に於ける特徴は詩人と美術家の協同な運動である点である。」



「海外超現実主義作品展」より:

「超現実主義のオブジエのことを、コオネルはアメリカ人らしく、イマジネエシヨン・トイズ(想像玩具)と呼んでゐる。」


「うつくしい…… オートマテイツクな随筆」より:

「解かれない前の謎々といふものは、奇妙な象徴の結晶で人を誘惑するものだ。」


「夏の触媒」より:

「私はまたこの機会に、デイスニイの漫画や、ウフアの実写映画などにも接して、改めて新しい注意を喚びさまされたことを妙な機縁に思ふ。ミツキイは孤独な微笑を、チヤツプリンとは全く別な風にたえず口元にたゞよはせてゐる。彼はハムレツトとドンキホーテとの間を飛ぶ現代の妖精である。私は今ミツキイに対して、いつか改めて色彩漫画論を書いて見たいほど愛着を感じてゐる。
 このやうな時に、「海底の珍動物」のやうな映画が、生々しい戦争実写と並んで劣らないセンセエシヨンを観客に与へてゐるのにも強く打たれた。吾々の現実の生活からは、怖ろしく離れた、もし呼ぶことが出来るなら、超現実(引用者注: 「超現実」に傍点)といつていゝほどの世界から、汗じみた吾々の現実へ、一陣の風が貫く。映画は時折り一種の通底器の中に吾々を置くのであらうか。
 海底の微細な現実、吾々と同じやうに生存しながら吾々には恰も超現実である存在がある。現実と超現実との関係が、映画館の中でこんなにも容易に知られるのである。海底生活の微細なリズムは巧みに把へられてゐた。」
「動物園では凡てが手馴けられてゐる。そこで吾々はほんとうの猛獣に出会ふために、海底深く潜つてゆく。それは海の星にたとへられる人手のところであつた。全身が人の手だけでできてゐたと思はれた、この人手には無数の水管の手が動いてゐた。
 この夏の映画の主人公は、私にとつて、兵士たちと、ミツキイ・マウスと、ひとでの類であつた。」



「午前の地図」より:

「夢は一日の生活のなかへ
貝殻の螺旋階段をのぼりつめて行つた
いまは飢ゑた翅たちが
永い憩ひの季節に羽搏くとき
いまは純白なミルク瓶の面に
樹々のみどりの涙が溜るとき
いまは肌衣がおまへの鏡から
裂けちぎれてゆくとき

ひとつの小さな夢は
越えられぬ湖水の結晶のなかに烟つてゐる
夜の影は三色菫のやうに鳥籠のなかにこはれてゐる
ねむりの化石は街の飾窓に並べられてゐる
夏の樹木の窓々に三日月のダンテルが隠れてゐる
食卓の水にほのほが燃ゑてゐる

そして太陽は
おまへのうなじにこはれてゐる
そして悪夢は
壁のなかで眠つてゐる。」



「物体の位置」より:

「シュルレアリストたちは、しばしばオブジェの展覧会を催しているが、一九三六年、パリのシャルル・ラットン画廊(中略)で催されたものが、もっとも総合的なものであった。またこのオブジェは、たんに画家や彫刻家たちの専有物ではなく、あらゆる人びとによって発見され、享有されるべきものであることはもちろんである。
 次に便宜的に、オブジェを類別して、簡単な説明を加えてみよう。

 (1)自然のオブジェ Objet naturel 鉱物界、植物界、動物界などには、それ自身驚くべき構造や姿態を持つものがある。褐鉄鉱、輝安鉱、蒼鉛、その他の鉱物結晶、植物では含羞草、肉食植物など、動物では大蟻喰、エピオルニスの卵などが上記の展覧会に陳列された。(中略)

 (2)未開人のオブジェ Objet sauvage エスキモー、オセアニア等々の未開人の使用物、宗教的なあるいは魔術的な物体であって、これは改めて説明するまでもない。(中略)

 (3)数学的なオブジェ Objet Mathématique 数学上の原理によって構成された立体的模型であって、そのあるものはまったくわれわれの常識を超越したものである。(中略)

 (4)発見されたオブジェ Objet trouvé 文字通り訳せば「発見された」ものあdが、掘出し物とか拾得物とかいわれるものに通じている。海岸に打ちあげられた漂流物、木の根、石、その他あらゆる時と環境においてわれわれはオブジェを発見する。このものはもっとも普遍的で、他の種類のオブジェにも共通するであろう。そしてそれにある最小限の解釈を施された場合、たとえば拾得された木の根に少し許り加工したり、また逆さにして置いただけで妙な人間の形を発見したりする場合など、特に解釈されたオブジェ Objet interprété といわれる。(中略)
 
 (5)災害のオブジェ Objet Perturbé 噴火、火災などの災害のあとから拾得されたもので、しばしばコップや器物などが予想しえない超造形的な変貌を蒙る。私は東京の大震災で、眼鏡屋のレンズの堆積が半ば融合して不思議な形の合成物になっているのを目撃したことがある。

 (6)既成のオブジェ Objet ready-made 実用のために作られた既成品を、その最初の目的から脱却して別個なオブジェにすることである。これはマルセル・デュシャンがかつてダダ時代に反芸術的な目的から、瀬戸の便器、壜掛け、自転車の輪などを展覧会に送ったところから端を発している。

 (7)動くオブジェ Objet mobile これはいうまでもなく自動的に動くように製作された物体である。風見鶏や、水車、風車、または或る種の自動人形もこの部類にはいるであろう。しかしこの種の工夫は、非合理的な造形的作品として応用されることができる。(中略)
 
 (8)象徴機能のオブジェ Objet à fonctionnement symbolique シュルレアリスムのオブジェと呼ばれるものの根幹をなすものであり、主としてサルヴァドール・ダリの提唱によって明るみに出されたといってよいものである。もっとも彼らシュルレアリストの製作物、つまり彼らの彫刻的作品に至るまでも何らかの意味で、このオブジェに近いといえる。(中略)詩では当然のように経験されているこの感情を、シュルレアリストたちは、物体やシュルレアリストたちは、物体や物体の合成によってひき起こすことが可能であり、いっそう有効でさえあることを示してくれたのである。
 アンドレ・ブルトンは、このオブジェの再認識の運動がまだ明瞭に具体化されない以前に、夢の中で手にした非合理的な書物や、幻想のなかで図らずも想い浮んだ不条理な物体などが、客観的に実現されることを夢想したことを告白している。」


















































































『コレクション 瀧口修造 11 戦前・戦中篇Ⅰ 1926―1936』

「ダダイスムに対しては、あくまで消極面においてでなく、積極面における歴史的意義を認めなければならぬ。それは芸術上の全体的な反抗としての意義であって、(中略)世界観の歴史が、アナーキズムを経験し、ダダを経験したということは、拭うことのできない意義をもつ。」
(瀧口修造 「超現実主義絵画の方向について」 より)


『コレクション 
瀧口修造 11 
戦前・戦中篇Ⅰ 
1926―1936』

監修: 大岡信・武満徹・東野芳明・鶴岡善久・巌谷國士

みすず書房 
1991年12月14日 印刷
1991年12月24日 発行
ix 628p 
20.5×15.5cm 
丸背バクラム装上製本 貼函 
定価7,004円(本体6,800円)

月報 (8p): 
三田の山から始まったこと(佐藤朔)/懐かしい書斎(大辻清司)/夢の王族(渋沢孝輔)



第6回配本。「解題」及び本文の一部(翻訳、初出形、等)は二段組です。


瀧口修造 コレクション 戦前戦中篇


帯文:

「若き詩人の出発からシュルレアリスムとの運命的邂逅に至る、初期作品・評論・翻訳集成。」


目次:

一九二六(大正十五・昭和元年)
 雨
 月
 六月の日記から
 冬

一九二七(昭和二年)
 冬眠
 断章
 雑記帳から(西脇氏の詩)
 LINES
 ÉTAMINES NARRATIVES
 秋の雑記帳
 amphibia

一九二八(昭和三年)
 basse élégie
 シユルレアリスムの詩論に就て
 断片
 地球創造説
 仙人掌兄弟
 スタイル論 (ルイ・アラゴン) (翻訳)

一九二九(昭和四年)
 クレオパトラの娘の惡事
 花籠に充満せる人間の死
 TEXTE ÉVANGÉLIQUE
 ポール・エリュアールに
 思春期の自由 フランシス・ピカビア
 ガートルード・スタイン嬢の肖像について
 DOCUMENT D'OISEAUX 鳥たちの記録
 MIROIR DE MIROIR 鏡の鏡
 MANUCURE DE MANUCURE
 英国の新詩壇の傾向に就て
 詩の全体性 上田敏雄著『仮説の運動』
 実験室における太陽氏への公開状
 ダダと超現実主義
 近世神話への序文 (ルイ・アラゴン) (翻訳)

一九三〇(昭和五年)
 夢の王族 一つの宣言あるいは先天的夢について
 TEXTES
 芸術と反抗
 アメリカ詩壇の現状 主として機関雑誌 Transition の運動について
 PIRATERIE 1930
 仮説の運動 あるひは形而上学の奇蹟
 受話器の類焼
 詩の問題
 発明者の影 (ルイ・アラゴン) (翻訳)
 超現実主義と絵画 (アンドレ・ブルトン) (翻訳)

一九三一(昭和六年)
 想像と火
 絶対への接吻
 詩と実在
 アルチュール・ランボー 小林秀雄訳「地獄の季節」
 詩に於ける現実
 マン レイ MAN RAY
 詩と現実
 暗殺者フォシュの生涯 (バンジャマン ペレ) (翻訳)
 始めと終り (アンドレ ブルトン/ルネ シャル/ポール エリュアル) (翻訳)
 灌木林の学校 (同前) (翻訳)
 フイルム劇作法 (エイゼンシユタイン) (翻訳)

一九三二(昭和七年)
 超現実主義の可能性と不可能性
 地上の星
 Le Surréalisme et......
 岩石は笑った
 ディドロのクラヴサン ルネ・クルヴェルについて
 l'art abstrait に就て (ハンス アルプ) (翻訳)
 侮蔑の絵画 コラージュに就て (ルイ・アラゴン) (翻訳)

一九三三(昭和八年)
 シュルレアリスムの動向
 初夢の話
 五月のスフィンクス
 天使長の逃亡
 詩に対する態度
 不思議な時間のやうに
 白昼の秘戯 福沢一郎

一九三四(昭和九年)
 ウジェイヌ・アトジェ
 イマージュの反抗 シュルレアリストの文章
 脱頁
 鉄啞鈴を持つてゐた青年

一九三五(昭和十年)
 美術とシネマの交流
 MINOTAURE
 シュルレアリスム美術の新動向
 独立美術展を観る
 AU JAPON
 超現実主義絵画の方向について
 街の美術展
 若き日 Jeunesse
 若き美術
 絵画についての感想
 ルネ・クレエル論文集 (翻訳)
  映画と国家
  明日は?
  『二人の臆病者』撮影記
  ミリオン
 シュルレアリスムの実験に現はれた対象 (サルヴァドォル・ダリ) (翻訳)
 畧説 虐殺された詩人 (アポリネール) (翻訳)
 文学とコミュニズム (ジュリアン・バンダ) (翻訳)
 大会所見 (レオン・ピェール・カン) (翻訳)

一九三六(昭和十一年)
 超現実と現代文化
 季節への反逆
 花束を語る
 超現実性の測定
 超現実派と抽象派
 ポオル・ヱリュアル
 詩と絵画とのあひだ
 詩と絵画について
 超現実造型論
 現代芸術と象徴
 或る画家の靴の中で拾はれたる原稿
 〈七つの詩〉
  サルバドール ダリ
  マックス エルンスト
  ルネ マグリット
  ホアン ミロ
  パブロ ピカソ
  マン レイ
  イヴ タンギー
 ある日ある時のポルトレイト
 イギリスにおけるシュルレアリスム ロンドンの国際超現実主義展覧会
 「暗い日曜日」
 サルウァドル・ダリと非合理性の絵画 (紹介・翻訳)
 「夜の略説」抄 (トリスタン ツアラ) (翻訳)
 文化擁護作家大会に於ける講演 (アンドレ ブルトン) (翻訳)
 対象の予想されないデカルコマニイについて (アンドレ ブルトン) (翻訳)
 トオマス (C・D・ルイス) (翻訳)

『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』初出形
 LINES
 ETAMINES NARRATIVES
 ETAMINES NARRATIVES
  2
  3
 ÉTAMINES NARRATIVES
  4
  5
  6
 amphibia
 basse élégie
 断片
 地球創造説
 地球創造説
 仙人掌兄弟
 クレオパトラの娘の悪事
 花籠に充満せる人間の死
 TEXTE ÉVANGÉLIQUE
 à Paul Eliard
 DOCUMENTS D'OISEAUX
 MIROIR DE MIROIR
 実験室における太陽氏への公開状
 実験室における太陽氏への公開状(Ⅱ)
 夢の王族
 TEXTES
 TEXTE (II)
 詩と実在
 絶対への接吻
 地上の星
 岩石は笑つた
 五月のスフィンクス
 七つの詩

解題 (鶴岡善久)
初出一覧



瀧口修造 コレクション 11



◆本書より◆


「雨」:

「まあ
雨が遠国から歩いてきた。
古い墓場の国から
夜の床にゐる私の胸に
かんばしくまつかな花を一つ
置いてはしつていつた。」



「月」:

「誰れも月を見やしない
誰れもおれを見やしない
ぬらぬらした泥路が
おれを抱き締める。
あゝ月だ!」



「断章」より:

「貝殻の内部が井戸のやうだと考へてゐると急に美しい雷鳴がしだした。」

「水を潜つてゐる青葉は人間の魂そつくりなのに驚く。」

「月の中にとつとと掻き昇つて行く人間がゐる。」



「シュルレアリスム美術の新動向」より:

「ダリの画風は何処かベックリンに似てゐて、そのロマンティックな幻想とは別な、もつと鋭い病理的な喚起力を持つてゐる。」
「彼は偏執狂(パラノイア)の描く迅速精密な二重心像の利用を強調してゐる。それは普通人でも軽微であるが日常に経験する感覚である。不図した加減で見た梢の形がどうしても青鬼の顔に見えて仕様がないといふ時がそれだ。(中略)ダリはこのアレゴリックな映像の秘密をよく画面に表現する。」

「マツクス・エルンストの「博物誌」といふ画集は葉脈や木理などの自然物の上に紙を置いてクレヨンで擦つて出来た像を巧みに按排したものだ。また「森林」とか「花」とか題した、神秘的な美しい油絵がある。これも物質の凹凸面が誘ふ不思議な力を、画面の抒情詩的な魅惑に綜合したものである。、エルンストはどうしてこんなことを思ひ付いたか。彼は雨の日のホテルの一室で苛々して床板を凝視めてゐると、床板の一部分の凹凸が妙に幻覚をよび起すのだつた。その時想ひ出したのは彼が子供の頃ベツドの向ひ側にあつた鏡板の上にいつも幻を見たことだつた。(僕達も天井板でよくその経験がある)。そこで彼は一層その幻覚的な力を強調しようとして、紙をその床板の部分に置き、黒鉛で擦つてみたといふのである。彼は後でこの単純な児戯に類する手法を、デツサンや油絵に適用して素晴らしい絵を作つた。それについてエルンストが言つてゐることは注目に値ひする。「僕はかうした絵の手法によつて在来の美術批評家達を面喰はせたのである。彼等はいはゆる《作者》の重要さが最小限に還元され、いはゆる《才能》の観念が廃止されさうになつたのを見て飛び上つたのだつた」と。
 彼はこの発見を「摩擦画(フロッタアジュ)」と呼んでいる。」
















































































『コレクション 瀧口修造 9 ブルトンとシュルレアリスム/ダリ、ミロ、エルンスト/イギリス近代画家論』

「ナジャは世上では「頭のおかしな」女であったかも知れないが、ブルトンは彼女から絶えず謎をかけられながら、星のように魅せられつづける。」
(瀧口修造 「アンドレ・ブルトン『ナジャ』ほか」 より)


『コレクション 
瀧口修造 9 
ブルトンとシュルレアリスム
ダリ、ミロ、エルンスト
イギリス近代画家論』

監修: 大岡信・武満徹・東野芳明・鶴岡善久・巌谷國士

みすず書房 
1992年7月30日 印刷
1992年8月10日 発行
vii 493p 
20.5×15.5cm 
丸背バクラム装上製本 貼函 
定価5,974円(本体5,800円)



第8回配本。本文中図版(モノクロ)多数。「解題」及び本文の一部(講演、座談、翻訳等)は二段組です。


瀧口修造 コレクション 09 01


月報&帯は紛失しました。


目次:

Ⅰ ブルトンとシュルレアリスム
 最近のピカソとキリコ
 シュルレアリスムその後 パリ国際展とアンドレ・ブルトン
 シュルレアリスムの伝統
 マッタ
 アンドレ・マッソンの変貌
 近代美術とデザインの交流
 愛人ジュリエット
 レオノール・フィニ
 ヴィクトル・ブローネル
 クトオ偶感
 イヴ・タンギー 青い水底
 忘れられた人々
 ウィルフレッド・ラムについて
 シュルレアリスムその後
 シュールレアリスム
 現代作家一五〇人より
  はしがき
  エルンスト
  ダリ
  デルヴォー
  マグリット
  ミショオ
 芸術とエロス シュルレアリスム国際展をめぐって
 サド侯爵の遺言執行式
 刊行によせて [アンドレ・ブルトン著・稲田三吉訳『シュールレアリスム宣言』]
 シュルレアリスムの二〇年
 日本のシュールレアリスム
 モーリス・ナドー『シュールレアリスムの歴史』
 超現実主義との出会い ブルトン『シュールレアリスム宣言』
 変貌する家具 ステルピーニとデ・サンクティスの共同作品
 追悼 アンドレ・ブルトンの窓
 アンドレ・ブルトン『ナジャ』ほか
 アンドレ・ブルトンを読むために
 自由な結合・薔薇色の死・不寝番 (アンドレ・ブルトン) (解説・翻訳)
 シュルレアリスムの再発見 (翻訳・編集)
 シュールレアリスムとアンフォルメル (座談会)
 オブジェについて (座談会)
 演劇についての一問一答 (インタヴュー)
 アンドレ・ブルトン 永遠に封印された謎 (座談会)
 シュールレアリズムについて (講演)
 オブジェを中心とした近代美術の歩み (講演)
 今日の美術 オブジェを中心として (講演)
 速度 新しき悪徳 (ポオル・モオラン) (翻訳)

Ⅱ ダリ、ミロ、エルンスト
 異邦人
 絵のない絵の物語 アメリカにおけるダリ
 ダリとカルダー
 ダリ、ミロ、エルンスト
 サルヴエドール・ダリ
 ミロとダリ
 ホアン・ミロ
 ダリ周辺
 魔法の破片
 マックス・エルンスト 「絵画の彼岸」の画家
 ダリ芸術を迎えて
 回想のダリ
 ナルシスの変貌 サルバドール・ダリをめぐって
 ダリ現象
 ミロ
 ダリとポルト・リガト
 ミロと詩画集をつくって
 わが友ジョアン・ミロ 『ジョアン・ミロ―視覚言語』に寄せて
 ジョアン・ミロ
   *
 ミロ 太陽の前の女と鳥
 ミロの石膏像
 ミロの世界
 ホアン・ミロ 陶片
 サルヴァドル・ダリ『わが秘められた生涯』まえがき
 フリーダ・カロ テウァナの自画像
 グレアム・サザーランド いばら
 ウォルス グランド・パート
 ミロ 縄のある絵
 サルバドール・ダリ サンチアゴ・エル・グランデ
 ダリ 公会議
 ホアン・ミロ 森番・青
 ミロを迎える
 カタルーニャのミロ
 タンギー 青い水底
 エルンスト 森と太陽
 近代芸術の堕落 (サルヴァドール・ダリ)・ダリの近況 (翻訳・紹介)
 詩画集『ひとり語る』 (トリスタン・ツァーラ) (翻訳・紹介)
 マックス・エルンストの伝説的な生涯 (アンドレ・ブルトン) (翻訳・紹介)
 ミロのことば (翻訳・紹介)
 ジョアン・ミロは語る (翻訳・紹介)
 ダリ 偏執狂的批判と性倒錯の芸術 (座談会)

Ⅲ イギリス近代画家論
 十九世紀前半のイギリス絵画
 ラファエル前派とヴィクトリア期の画家たち
 十八世紀のイギリス絵画
 イギリス絵画の特質 霧の国の奇跡
 ホーガース 風刺画の先駆者
 ホーガース カレーの市門

解題 (鶴岡善久)
初出一覧



瀧口修造 コレクション 09 02



◆本書より◆


「現代作家一五〇人より ミショオ」より:

「「人はいつも思想を言葉に一致させている。言葉以外に表現手段がないかのようだ。……しかし言葉は非常に不完全で、お粗末で、不満足なものだ。しぐさ、身ぶり、音、線、色。そこに原始的で、純粋で、直接な表現手段がある」とかれはいっている。だからミショオのデッサンは文人の手すさびでなく、詩人にとってもうひとつの表現手段になっているところに意義があるのではなかろうか。詩人は未知な精神の「シーニュ」(記号、表徴)をもとめているといえるのである。」


「超現実主義との出会い ブルトン『シュールレアリスム宣言』」より:

「本とは、いや自分の進路にとって、何か深い決定的な契機となるような本とは、自分自身との出会いであり、秘かな発見であさえあると、私は痛感している。」
「私はこの本から多少とも学んだことを、一言でいえば、人間が真の自由を獲得するためには、絶えず未知のものに向う勇気と想像力とが必要であるということにつきるかも知れない。そして真実はつねに内面と外面との弁証法的な対立関係なしには存在しないということでもあろう。」
「私はこの本から、詩とか美とかいったものは、理想的な完結したものではなく、つねにこれから出会い、始まる何ものかであるはずだということを、少くとも自分流にひきだしたと思っている。」



「アンドレ・ブルトン『ナジャ』ほか」より:

「しかしいま私は机上に『ナジャ』の古るびた二八年版と六三年の改訂版、六四年のポケット叢書、それに日本語訳をならべて、ブルトンを偲んでいる。これは小説でも、評論でも、詩でも、随筆でもない。フランス人は「レシ」(物語)と呼ぶかも知れないが、すべてそうした文学的な埓から外れた、何か切迫した要求によって書かれた本なのである。これはブルトンが実際にパリの街路で出会った不思議な女の物語であるが、「私は誰れなのか?」という問いかけの言葉で始まる長い前文は、これから起る出来事の予感であると同時に、ふとした日常的なさまざまな経験の起伏から、何かしら未知の法則か、使命のようなものをまさぐっているかのようだ。ナジャは世上では「頭のおかしな」女であったかも知れないが、ブルトンは彼女から絶えず謎をかけられながら、星のように魅せられつづける。ナジャはまた象徴的なデッサンを描いたり、断片的な詩を書きしるしたりする。私などはナジャが口にした、これらのさりげない詩句の一節をふと思いだすごとに、脅やかされるような謎を感じるのである。ナジャはついに精神病院に強制収容され、ブルトンの前から消えてしまうのだが、ブルトンの精神病院に対する攻撃のくだりは物議をかもすことになる。いずれにしろ、この悲痛な結末と、「美は痙攣的……」という有名な言葉で終る「ナジャ」は、それに向うごとに、始めて接する新しい本のように感じさせる構造をもっている。この初期の『ナジャ』は、ブルトンがのちに展開する超現実理論のすべてを、透明な萌芽としてもっているのではなかろうか。」


「アンドレ・ブルトン 永遠に封印された謎」(座談会)より:

「ブルトンの仕事を全体として考えると、詩といわれる文学的なものを越えた何ものか、それは彼の絶対的な至上命令みたいなものかも知れないが、彼の思弁的といわれる要素もその展開にほかならない。主観と客観との絡み合いのようなもの、これがわれわれを非常に打つのですね。『ナジャ』などは初期のものですが、「私はだれか」という問いからはじまるでしょう。あれを読むとほとんど奇蹟ですね。実際に自分が体験したこと、パリの街なかで出会った不思議な女、それは最後に精神病院に入れられるのだが、ナジャという女の啓示が、すべての日常体験と一緒にこん然とした体系をかもし出してゆく。それが私はだれか? という問いから展開してゆく……。すばらしいですね。」


「シュールレアリズムについて」(講演)より:

「大別してシュールレアリズムの絵画は二つに分けることが出来ます。超現実的な画家と、画家のシュールレアリストです。つまり、画家として超現実的な世界を描いているものと、シュールレアリストとして、そういう思想をもって絵を描いているものとです。
 フォーヴィズムやキュービズムなどはその出発に於て、画家が皆同じことをやっている、勿論その期間は長くはありませんが、手法的に見て皆が殆んど同じ手法で描いている期間があります。その点シュールレアリズムは最初から皆作風がちがっている。たとえばオートマティズムの方法にしても、ダリ、エルンスト、その他、皆それぞれ異っている。最近の作家でも、マッタにしても、ラムにしても、皆異っています。つまりこれはシュールレアリズムはたんに絵画上のエコールだけでなく、意識内に於ける本質的な方法であるためです。シュールレアリズムは、作家の芸術的特徴は皆異って出て来るのです。だから私はシュールレアリズムはいろんな方法、いろんな時代を通して可能性を認められると思っています。」



「今日の美術 オブジェを中心として」(講演)より:

「しかし私はなぜか子供の頃から学校が嫌いで怖しくて、始めて小学校へ入るとき柱にしがみついて泣いたことを今もよく憶えております。それ以来どうも学校の先生に対するコンプレックスのようなものが離れないまま、どうやら大学を出ました。こんな生徒も世間にはいるのだということを知っていただきたいのですが、いま当地に来て二千数百の先生方が大会に参加されていることを知って脅威に似たものを感じました。」


「異邦人」より:

「しかしこの異邦中の異邦人をとらえて親しげな感じをもつのは、われながら不思議に思うことがある。だいいち僕はダリのようなパラノイアックな狂人のような世界に住む人間ではない。ごく当り前の日本人であることをおことわりする。その上、僕という人間は人一倍、異邦人にはシャイというか「チミッド」というか、苦手の方なのである。」
「やはりアメリカの雑誌で、ニューヨークの社交界を奇行であれほど騒がせた国際画家ダリの私的生活を読むと、これがまた少しく意外である。質素なバンガローに住み、はにかみ屋の彼は靴屋で足を脱ぐのが嫌やで、めったに靴も買わない。変化を嫌うので同じ路ばかりを散歩し、同じレストランにばかり行く。酒も飲まぬ堅造だ。そこがまた曲者たるところだろうが、彼の人柄が微笑ましくもなる。案外、僕なども気がおけずに附合える男かも知れない、と思う……。」



「ミロのことば」(翻訳)より:

「真に人間になるためには 虚像の自己から脱け出さなければならない
 わたくしの場合 必要なのはミロであることをやめること つまり国境と社会的因襲と官僚的機構によって 一線を画された社会に属する スペインの画家であることを やめることである
 別のいい方をすれば 無名になるように努めることが必要なのだ
 無名はつねに偉大な諸世紀に君臨していた 今日ますますその必要性が痛感されている 無名だからこそ普遍的なものに達することができる
 わたくしは深く確信しているが 地方的であればあるほど それは普遍的になるのだ」

「いまではかなり落着いたが 若いころ深い悲しみの時期があった
 わたくしの絵に なにかユーモラスなところがあるとすれば 恐らくわたくしが 自分の気質の悲劇的な面から 逃れ出る必要を感じているために生じるのであろう」

「浜辺で活動する海水浴の人たちよりも 動かぬ一個の石ころが わたくしの心を打つ
 静止した物体は壮大化する 動くものよりもはるかに壮大に」


















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

※心の傷、胸焼け、劣等感等ある場合が御座いますが概ね良好な状態になります。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本