R・A・ラファティ 『九百人のお祖母さん』 浅倉久志 訳 (ハヤカワ文庫)

「わたしはおとなにはならなかった。ただ、みっともなく年をとっただけだ」
(R・A・ラファティ)


R・A・ラファティ 
『九百人のお祖母さん』 
浅倉久志 訳
 
ハヤカワ文庫 SF757/ラ-1-1

早川書房
昭和63年2月15日 発行
昭和63年4月30日 2刷
539p
文庫判 並装 カバー
定価660円
カバー: 横山えいじ



R. A. Lafferty: Nine Hundred Grandmothers, 1970


ラファティ 九百人のお祖母さん


カバー裏文:

「「なに、この星の住民は誰も死なない!?」「そう、だからうちには九百人もお祖母さんがいるよ」調査員セランがとある小惑星で耳にしたとんでもない話。だが待てよ、それが本当なら、この星の先祖をたどっていけば宇宙の永遠の謎、万物の始まりを解き明かすことができるではないか! そしてある家に忍びこんだ彼を待っていたのは……悪夢と笑いにみちた表題作ほか、世界最高の科学者たちがおかしな実験を繰り広げては右往左往する「われらかくシャルルマーニュを悩ませり」「その町の名は?」など21篇を収録。愛すべきホラ吹きおじさんラファティが贈る、抱腹絶倒の短篇集!」


目次:

九百人のお祖母さん (Nine Hundred Grandmothers)
巨馬の国 (Land of the Great Horses)
日の当たるジニー (Ginny Wrapped in the Sun)
時の六本指 (The Six Fingers of Time)
山上の蛙 (Frog on the Mountain)
一切衆生 (All the People)
カミロイ人の初等教育 (Primary Education of the Camiroi)
スロー・チューズデー・ナイト (Slow Tuesday Night)
スナッフルズ (Snuffles)
われらかくシャルルマーニュを悩ませり (Thus We Frustrate Charlemagne)
蛇の名 (Name of the Snake)
せまい谷 (Narrow Valley)
カミロイ人の行政組織と慣習 (Polity and Custom of the Camiroi)
うちの町内 (In Our Block)
ブタっ腹のかあちゃん (Hog-Belly Honey)
七日間の恐怖 (Seven-Day Terror)
町かどの穴 (The Hole on the Corner)
その町の名は? (What's the Name of That Town?)
他人の目 (Through Other Eyes)
一期一宴 (One at a Time)
千客万来 (Guesting Time)

訳者あとがき
文庫版/訳者あとがき




◆本書より◆


「九百人のお祖母さん」より:

「婆さまは小柄で、腰かけ、ニコニコしていた。(中略)婆さまによばれてやってきた爺さまも、セランにニコニコ笑いかけた。(中略)ふたりは優しく穏やかだった。あたりには、匂いとは紙一重だけちがうものがたちこめていた――不快ではなく、眠たげで、なにか悲しみに近いものを思いださせる雰囲気。
 「ここには、あなたがたよりも年寄りがいるんですか?」セランは熱心にきいた。
 「ええ、ええ、大ぜいいますよ。かぞえきれないぐらい」そういうと、婆さまは、自分よりもいっそう年老いて小柄な、じじばばたちを呼び入れた。だれもが働きざかりのプロアヴィタス人と比べると、半分ぐらいの大きさしかなく――小柄で、眠たげで、ニコニコしていた。」
「なんと年老いて優しく、なんと弱々しく眠たげだろう。」

「最初の婆さまが、セランについてこいと身ぶりした。ふたりは斜路を通って床の下へくぐり、家の中の古い部分へはいった。そこは地下に違いなかった。
 生き人形! 老人たちはずらりと棚の上に並び、めいめいの壁龕(へきがん)の中で小さな椅子にすわっていた。」
「これがプロアヴィタス人の生きた先祖だ。
 小さな生き物たちの多くは、またもや眠りにおちはじめた。」
「彼は世紀をくぐり、千年紀をくぐって、斜路を降りつづけた。最初に階上で気づいたあの雰囲気は、いまやはっきりした臭気にかわっていた――眠たげで、なかば記憶に残り、ほほえみかけ、物悲しく、そしてかなり強い匂い。これが時の匂いなのだ。
 「ここにはあなたよりも年寄りがいるのかね?」セランは、ひとりの小さな婆さまを自分の掌にのせてたずねた。
 「いるともさ。このわたしの掌にのるような小さい年寄りがね」婆さまが答えた言葉は、セランがノコマから教わったプロアヴィタス語の、古い、単純な形態だった。」



「スナッフルズ」より:

「スナッフルズは熊である――おそらく――そして曲がりなりに。この熊は、それ自身、動物類のカリカチュアで、なんとなく巨大な犬に似ており、なんとなく毛むくじゃらな人間にも、人食い鬼にも、おもちゃにも似ていた。そして、スナッフルズは、熊のカリカチュアでもあった。
 ビリー・クロスは、熊についてみんなに説明した。ビリーは昔からの熊ファンだった。
 「一度も見たことがなくても、また話を聞かされたことがなくても、子供たちが夢に見る動物が一つだけある。それが熊なんだ。(中略)熊は子取り鬼(ブーガーマン)なんだ。熊は幼年期という古い家の屋根裏に住んでいる。(中略)そこでの熊の存在ってものは、おとなの暗示じゃなく、生得の子供の知識なんだ。
 しかし、この子取り鬼には二重性がある。やつは優しく魅力的であると同時に恐ろしい。子取り鬼は、おとなが子供に聞かせる話じゃない。子供がそれを忘れてしまったおとなに聞かせる唯一の話だ」」
「「さて、子取り鬼(Boogerman)は、言語学的にも興味がある。インド=ヨーロッパ祖語の二百たらずしかない語根の一つだからだ。Bog はスラブ語で神を意味するようになったが、booger は古くは獣人的な創造神だったし、サンスクリット語の bhaga にもこの意味がなくはない。破壊者の意味では、古代アイルランド語で bong という言葉になり、初期リトアニア語では banga になった。むさぼり食うものという意味では、ギリシア語の phag という語根に生き残り、逃走させるものとしてはラテン語の fug になった。もちろん、ウェールズ語の bwg は幽霊だし、英語の bogey は悪魔の意味に使われてきた。それに bugbear (「恐怖のもと」「お化け」の意味)を加えると、これでちょうど一巡したことになる」
 「つまり、神と熊と悪魔を一つにしたものですか」ジョルジーナがきいた。
 「熊が世界を創造した、とする神話は多い」ジョン・ハーディーがいった。「創造のあと、熊はなにもたいしたことをしなかった。熊の心酔者たちは、もうそれだけやれば充分じゃないか、と考えたんだな」」



「他人の目」より:

「彼のアイデア――他人の心の中に入り、他人の目の奥から彼のとおなじではありえない世界をのぞこうというこのアイデアは、コグズワースの一生の念願だった。思いおこすと、そのアイデアがはじめて強烈に頭にやどったのは、まだ幼かりし頃だったのだ。
 「夜空が黒く見え、星が白くまたたいているように見えるのは、ひょっとするとこのぼくだけかもしれない」と、彼はひとりごちたものだった。「ほかのみんなには空が白く見え、星が黒くまたたいて見える。そして、ぼくは空が黒いといい、みんなも空が黒いという。だけど、みんなが黒いというのは、ほんとは白いことなんだ」
 また――「ひょっとすると、牛の外側を見てるのはぼくだけで、みんなは内側を裏返しに見てるのかもしれない。ぼくはこっちが外側だといい、みんなもこっちは外側だという。だけど、みんなが外側というのは、ほんとは内側のことなんだ」
 また――「ひょっとすると、ぼくが見ている男の子はぜんぶ、ほかのみんなから見ると女の子で、逆に女の子は男の子に見えるのかもしれない。ぼくは“あれは女の子だ”といい、みんなも“あれは女の子だ”という。だけど、みんなが女の子というのは、男の子のことなんだ」
 そこで、こんな恐ろしい考えがうかんだ――「もしぼくが、ほかのみんなの目から見て、女の子だとしたら?」
 この疑問は、幼い彼にもどこかおかしく思えたが、それでもやはり一つの固定観念となった。
 「もし、犬の目にはどの犬も人間に見え、どの人間も犬に見えるとしたら? もし、犬がぼくを見て、ぼくを犬だと思い、自分を人間だと思うとしたら?」
 そのあとに、一度こんな破壊的な考えがうかんだこともある――
 「そして、もしその犬が正しいとしたら?
 もし、魚が鳥を見上げ、鳥が魚を見おろしたら? もし魚が自分は鳥で、鳥が魚だと思い、自分はその魚を見おろしていると思い、空気を水、水を空気と思うとしたら?
 もし、鳥がミミズを食べるとき、ミミズが自分は鳥で、鳥がミミズだと思うとしたら? そして、自分の外側を自分の内側と思い、鳥の内側を自分の外側と思うとしたら? そして、鳥が自分を食べたのではなく、自分が鳥を食べたのだと思うとしたら?」
 これは非論理的だった。しかし、ミミズが非論理的でないと、どうしてわかる? あの体では非論理的になりたくもなるだろう。」

























































































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R・A・ラファティ 『つぎの岩につづく』 伊藤典夫/浅倉久志 訳 (ハヤカワ文庫)

「「海は潜在意識とよく似ている。潜在意識そのものかもしれん」」
(R・A・ラファティ 「みにくい海」 より)


R・A・ラファティ 
『つぎの岩につづく』 
伊藤典夫/浅倉久志 訳
 
ハヤカワ文庫 SF1165/ラ-1-3

早川書房
1996年10月20日 印刷
1996年10月31日 発行
413p
文庫判 並装 カバー
定価700円(本体680円)
カバー: 横山えいじ



R. A. Lafferty: Strange Doings, 1972


ラファティ つぎの岩につづく


カバー裏文:

「時間の堆積した石灰岩の台地に、年老いた煙突岩がひとつ。そこでは奇妙な絵文字の刻まれた石がつぎつぎに発見され、学者の論議を呼んでいた。絵文字はいつも「つづく」で終わり、そのとおりまた次の石が発見される。そして最後の石が見つかった時、調査隊に何が起こったのか……? 悪夢と笑いに溢れた表題作をはじめ、16篇を収録。SF界のホラ吹きおじさんラファティが語る、底抜けにおかしくて風変わりな物語の数々。」


目次:

レインバード (Rainbird) (浅倉 訳)
クロコダイルとアリゲーターよ、クレム (Camels and Dromedaries, Clem) (伊藤 訳)
つぎの岩につづく (Continued on Next Rock) (浅倉 訳)
むかしアラネアで (Once on Aranea) (伊藤 訳)
テキサス州ソドムとゴモラ (Sodom and Gomorrah, Texas) (伊藤 訳)
金の斑(ふ)入りの目をもつ男 (The Man with the Speckled Eyes) (伊藤 訳)
問答無量 (All But the Words) (伊藤 訳)
超絶の虎 (The Transcendent Tigers) (伊藤 訳)
豊穣世界 (World Abounding) (浅倉 訳)
夢 (Dream) (伊藤 訳)
ブリキ缶に乗って (Ride a Tin Can) (伊藤 訳)
アロイス (Aloys) (伊藤 訳)
完全無欠な貴橄欖石 (Entire and Perfect Chrysolite) (伊藤 訳)
太古の殻にくるまれて (Incased in Ancient Rind) (浅倉 訳)
みにくい海 (The Ugly Sea) (伊藤 訳)
断崖が笑った (Cliffs That Laughed) (伊藤 訳)

レインバードのころ (浅倉久志)
ぼくの会ったラファティ (伊藤典夫)




◆本書より◆


「つぎの岩につづく」より:

「「考古学は例外ばかりでできあがっている」とテレンスがいった。「ただ、あるまぐれ当たりのパターンにあてはまるよう、その例外を組み替えてあるだけだ。そうする以外に体系づけようがない」
 「どの科学も、例外だらけでできあがっていて、あるパターンにあてはまるように組み替えてあるんだよ」とロバート・ダービーがいった。「ところで、絵文字の謎は解けたのかい、ハワード?」」
「「早く読んで聞かせてよ、ハワード」とエシルがいった。
 「『あなたはスカンポの原にいる野豚のように自由で、アナグマのように気高い。あなたは蛇のように輝き、ハゲワシのように高く飛ぶ。あなたは落雷で燃えるメスキートの茂みの情熱。あなたはヒキガエルの落ちつき』」
 「たしかに風変わりね」とエシルがいった。「あなたのくれたラブレターだって、これほど辛辣じゃなかったわよ、テレンス」
 「いったいそれはなんだね、スタインリーサー?」とテレンスがたずねた。「なにかのカテゴリーに属するはずだ」
 「エシルのいったとおりさ。これは恋愛詩だよ。『あなたは岩の溜め池にたまった水、その水のなかに隠れたクモ。あなたは流れになかば浸かったコヨーテの死骸、そのコヨーテの砕けた眼窩からにじみでた脳が見る、罠にかかった古い夢。あなたはその砕けた眼窩にたかるしあわせなハエ』」」



「豊穣世界」より:

「リースト・ラス・ブリンドルスビー、ヘロス・プランダ、コーラ・カーウィンの三人は、逆説的な子供たちだった。くつろいだ精神集中、とんまな賢明さ、静かなヒステリー、幸福な鬱(うつ)状態、生き生きした死の願望について語るのは愚かだろう。この子供たちは、これらすべての特質と、それに劣らず矛盾した特質を備えていた。親たちや、そこに居あわせた人たちと、つねに親密な無言のコミュニケーションをはかっているが、その一方で完全なエイリアンだった。この子供たちは謎にみちていたが、自分ではまったくそれを謎と思っていなかった。自分たちの目的や活動をつねにはっきり自覚していた。自分たちが進む方向については、円周上で円弧がいだくほどの懐疑すら持っていなかった。」


「夢」より:

「「アグネス、ひどいものだったわ。体の造りがまるで袋よ。スカンク・キャベツ(和名ザゼンソウ)がいっぱい詰まった袋なの、ほんとにもう。色が茶色っぽい緑で、髪の毛は便所のモップみたい。」」
「「ママは怪物になっていたわ。イボイノシシみたいな生き物なの。」」
「「テレサ、ただの夢だったのよ。忘れなさい」」
「「アグネス、わたしたち誰もが、ギョロッと飛びでた目玉をしているのよ! それに体が臭うの! ぶくぶくにふくれて、そのあいだもきたない緑の雨がしとしといつまでも降っていて、臭いがまたウ〇〇みたい! たまんなくてよ、あなた! イボのないところを見れば、どこもかしこも毛だらけ。おまけに、しゃがれたカラスみたいな声でしゃべっていた。体には虫がぞろぞろ這っていたわ。」」

「夢が最初に出てきた夜には、この中都市ひとつをとっても、ずいぶんたくさんの人間が見たようである。午後の新聞に小さな記事がのった。ある医師のところに、それぞれ無関係の五人の患者がかけこみ、胃袋にネズミが住み、口のなかに毛が生えている夢を見たと訴えたという。これが共有夢現象の第一報となった。」

「それは一時的流行ではなかった。一時的流行と呼んだ人びとも、自身が夢を体験するにおよんで黙りこくった。自殺率は国内でも世界でも高まった。いまやこれは国際的な現象だった。《緑の雨》という耳ざわりな流行歌がどこのジュークボックスからも流れ、《イボイノシシの歌》と並んだ。人は自分を憎悪し、他人を忌み嫌った。女たちは化けものを産むのではないかと恐れた。この現象にかこつけていままでになかった倒錯行為が現われ、胃袋ネズミをシンボルにかかげ、乱交にふける団体がいくつか生まれた。」
「このおぞましい夢を、毎夜、夜っぴて見るとなれば、笑いごとではない。要するに、問題はそれに尽きた。誰もかれもが毎夜、夜っぴてその夢を見ているのだ。」
「そんなある夜、ひとりの気の弱い女性が、猥夢のなかで声を聞いた。あの胸くそ悪いしゃがれたイボイノシシ声である。「おまえは夢を見ているのではないぞ」と声はいった。「これは現実の世界だ。だが目がさめたとき、おまえは夢のなかにはいるのだ。そちらののっぺり顔の世界は世界なんぞではない。そちらはただの夢。これが現実世界だ」彼女は吠え叫びながら目覚めた。」
「吠え叫んで目をさましたのは、彼女だけではなかった。その数は数百人から、数千、やがては数百万になった。声はすべての人びとに語りかけ、ひとつの疑問を生んだ。どちらが現実世界なのか?」
「『あり得ることだ』は、新聞の第一面をでかでかと飾った論評の題名で、筆者は先ほどのグレートハウス教授である。緑の雨がやむことなく降りしきる世界が現実だというのはあり得ることだ。そう教授は書いていた。イボイノシシが現実であり、人間が夢だというのはあり得ることだ。胃袋のなかにネズミがいるのがふつうで、ほかの消化方法が異端だというのはあり得ることだ。」



「みにくい海」より:

「「海はみにくい」と苦虫ジョンはいった。「おかしなことに、それに気づいたのはわしだけらしい。海をえがいた文章はごまんとあるが、そう書いているやつはひとりもおらん。」」
「「あれはひどい。汚水溜めよりも不潔だ。ところが汚水溜めにはつかろうとしないやつでも、海には喜んでつかる。あの臭いは、ふたのない下水の臭いだ。ところが下水を旅する者はいなくても、海にはみんな出ていく。それに、しまりがない。この世であんなにしまりのないものも、おそらくないだろう。」」
「「海は潜在意識とよく似ている。潜在意識そのものかもしれん」」






















































































R・A・ラファティ 『どろぼう熊の惑星』 浅倉久志 訳 (ハヤカワ文庫)

「計算外の特別な日々がなければ、人生は生きがいのないものになってしまうだろう。われわれにはそんな日々が必要だ。そして、それを手に入れるために、何人かのチャンピオンが支配者や権力と格闘しなければならないだろう。」
(R・A・ラファティ)


R・A・ラファティ 
『どろぼう熊の惑星』 
浅倉久志 訳
 
ハヤカワ文庫 SF1009/ラ-1-2

早川書房
1993年3月20日 印刷
1993年3月31日 発行
446p
文庫判 並装 カバー
定価680円(本体660円)
カバー: 横山えいじ



本書「訳者あとがき」より:

「本書は(中略)日本オリジナル編集の短篇集である。」


ラファティ どろぼう熊の惑星


カバー裏文:

「盗みの天才エイリアン〈どろぼう熊〉。着陸直後から宇宙船に侵入したこの奇怪な生物は、文字どおり“あらゆるもの”を盗みはじめた……惑星調査隊が直面した血も凍る悪夢をブラックに描く表題作はじめ、世界を支配する秘密結社の苦悩をつづる「秘密の鰐について」。大空に浮かぶ巨大な島の物語「また、石灰岩の島々も」などなど、SF界のホラ吹きおじさんラファティの魅力をたっぷりと詰めこんだ日本版オリジナル傑作集」


目次:

このすばらしい死骸 (This Grand Carcass Yet)
秘密の鰐について (About a Secret Crocodile)
寿限無、寿限無 (Been a Long Long Time)
コンディヤックの石像 (Condillac's Statue)
とどろき平 (Boomer Flats)
また、石灰岩の島々も (Nor Limestone Islands)
世界の蝶番はうめく (Groaning Hinges of the World)
処女の季節 (Parthen)
意志と壁紙としての世界 (The World as Will and Wallpaper)
草の日々、藁の日々 (Days of Grass, Days of Straw)
ダマスカスの川 (Rivers of Damascus)
床の水たまり (Puddle on the Floor)
どろぼう熊の惑星 (Thieving Bear Planet)
イフリート (Ifrit)
公明にして正大 (Square and Above Board)
泉が干あがったとき (Oh Whatta You Do When the Well Runs Dry?)
豊かで不思議なもの (Something Rich and Strange)

訳者あとがき




◆本書より◆


「このすばらしい死骸」より:

「「わたしの出自はいまもって不明だ。わたしは捨て子の機械だった。どうやら製造直後に捨てられたらしい。わたしが育てられたのは、メカニクス救護修道女会が経営するそういう機械のための養護施設だった。」」


「秘密の鰐について」より:

「七人の男から成る秘密結社が、世界経済を支配している。これは周知の事実だが、くわしいことはだれも知らない。この七人のうちひとりだけでも経済の専門家ならよかったのに、と考えている人間はいないでもない。
 三人の男と四人の女から成る秘密結社が、世界のファッションを支配している。このくわしいことは、ファッションにたずさわるみんなが知っている。わたしは知らない。」
「わずか四人の人物から成る秘密結社が、世界のすべてのジョークを作りだしている。中にひとりだけ面白くない人物がいて、面白くないジョークができあがるのはすべてこの男のせいだ。」
「これらの秘密結社の大部分が作りだす奇妙な組織網の上に、世界のムードと傾向を支配する秘密結社がある――その名を〈鰐(わに)〉という。」



「寿限無、寿限無」より:

「数十億世紀が静かに経過した。ふたたび莢はパーンとはじけ、飛びちった火花の雨は旅をしながらどんどん大きくなった。火花は形と回転を備え、そして火花から投げだされた煤の粉の上にまたもや生命が出現しはじめた。
 これが何度も何度もくりかえされた。どのサイクルも、それがつづいているあいだは、呪わしいほど長く感じられる。だが、あとで回顧してみると、それらのサイクルはチカチカまたたくライトの点滅にすぎない。もっと長期的な回顧のもとでは、まるで高周波交流発電機が、めまぐるしいばかりのサイクル数を超秒ごとに発生しながら、幾星霜(いくせいそう)も運転をつづけているようなものだった。しかし、さすがにボシェルも退屈してきた。退屈以外に、それを表現する言葉はなかった。」



「コンディヤックの石像」より:

「そしていま、石像は最初の感覚印象を受けとりはじめた。
 「いまの石男はにおいがわかるよ」と子供たちはおとなたちに教えた。
 「どうしてあんな石の鼻でにおいがわかる?」おとなたちは問いかえした。「あいつが鼻をクンクンさせたり、動かしたりするというのか? どうしてにおいを嗅(か)げるとわかる?」
 「どうして石の鼻でにおいが嗅げるかは知らないよ」子供たちはいった。「石男は鼻をクンクンさせたり、動かしたりしないさ。でも、においがわかるんだ。どうしてわかるのかはわからないけどね」
 たしかにいまの石男はにおいがわかるようになった。」
「泡汗だらけの馬、汗が白く粉をふいた馬具、馬の水飲み場の樋についたアオミドロ、それらが小公園と大田園のにおいだった。濡れた燧石(ひうちいし)、ムクドリとその体についたダニ。川辺の草と泥地の草と黒土の草。オークとクルミ、馬車の車軸にさした油、革服を着た男。日かげの石、日なたの石。汗をかいた馬とはまたちがう、汗をかいた騾馬のにおい。草の根の中に棲むネズミ、蛇のにおい、キツネの毛のきついにおい、アナグマの巣の空気、オルレアン街道の茶色の土、シャトードゥーン街道の赤土、きょうの餌にありついたカラスたち、まだありついてないカラスたち。歳月に磨かれた乗合馬車の羽目板。低い枝のブドウを食べる亀、つぶされて食べられるブドウ。羊と山羊。乳の出る牝牛、若くぎこちない子馬、細長いパン、ワインの瓶のコルク栓、スベリヒユの葉にとまった蟬。鍛冶屋の手と、炭焼き人の足。旅人たちが身におびた刃物。船頭たちの汗臭い上着。オート麦のビスケットとサワークリーム。木靴、ガチョウの卵、撒(ま)かれたばかりの肥やし、ジャガイモの葉虫。働いている屋根ふき人。クローバー、ソラマメ、マルハナバチの毛の生えた脚。どれをとっても、おなじにおいはなかった。
 石像は石の鼻でにおいが嗅げる、と子供たちはいった。石像はそこに立って一ヵ月間においを嗅ぎつづけ、そのにおいが石の頭に情報を与えた。」

「「石男は音が聞こえるようになったよ」と子供たちがいった。
 「ふん、ばかをいうのはよせ、ガキども」とおとなたちはいった。」

「「石男はもう目が見えるよ」と子供たちがいった。
 「ああ、あの石像はちょいと変わったな」とおとなたちも同意した。」

「「もう石頭はしゃべれるよ」子供たちはおとなたちに教えた。
 「ああ、そのことは知ってる」とおとなたちは答えた。」



「床の水たまり」より:

「男の子はばらばらになった。そして、きれいに溶けてしまった。あとには、歩道の上の水たまりしか残っていなかった。」


「どろぼう熊の惑星」より:

「“くすくす笑いの化物”とも呼ばれるどろぼう熊は、あまり熊に似ていなかった。むしろ、大型のモモンガに似ていて、スポーツでもやっているつもりか、風に乗って滑空するのだった。彼らの外見と盗癖は、むしろモリネズミ(地球産のネオトーマ・キネレア)に似ているが、体形はもっと大きい。この動物を“どろぼう熊、学名ウルソス・フルティフィクス”と名づけたのは、かのジョン・チャンセルである。」

「どろぼう熊たちは、いくら大きく見えても、ほとんど重さのない印象を与える。風に乗って飛んでいるところを見れば、ほとんど無重量としか考えられない。彼らの体の大部分は――そう、体毛でもなく、羽毛でもないが――ふわふわした、毛足の長い外皮からできていて、中身はたいしてなさそうなのだ。」

「「どろぼう熊とはいったいなにものですか?」ルーク・フロンサがチャンセルの幽霊にたずねた。
 「うん、彼らは一種のタンブルウィード、一種のイラクサだ。ときどき幽霊たちはどろぼう熊に乗って移動する。わたしもよくどろぼう熊になる。われわれがプラズマで体をふくらませて自分の姿をとりもどせるのは、雷雨の夜だけなんだ。しょっちゅうこのへんを歩きまわるのは、いつも空腹で、平安が得られないからだよ。有機物や金属や鉱物が豊富な土地にいる幽霊は、一種の浸透作用で飽食しているから、めったに歩いたり動きまわったりしない。何十年も何百年ものあいだ眠りつづける。気づいたかもしれないが、活動的な幽霊は、恵まれない地方にしか見いだせないものなんだ。わたしの片割れのひとりなどは、ここ百年間、ほとんど身動きしていない。」」



「泉が干あがったとき」より:

「「あの泉がこんなに早く涸れるとはな」エドウィン・セネトが論じた。「人間がその水を浪費し、乱用したのは、せいぜいここ百世紀ほどだ。そう、たしかに人間は自分が種を蒔(ま)かなかったものを刈りとり、自分が植えなかったものを収穫した。しかし、人間はその貯水池に数百世紀も寄与をつづけてきたし、人間以外の生物は数千世紀も寄与をつづけてきた。こんなに早く干あがるのはおかしい」
 「いや、われわれはとてつもないスピードで資源を消費したからね」ジョシュア・サンタクルスがいった。「それと同時に、人間以外の寄与者の数を以前の十分の一ほどに減らしもしたわけだ。もし泉がからでないとしたら、いったいなにが故障のもとだろう?」
 「集合無意識が、そこからすべてのアイデアや霊感を汲みあげられる大海に似た泉だなんて、わたしは前から信じてなかったわ」ファッションの先端をいくアイリーン・コモハナが抗議した。「あらゆる種類の生物が流しこんだ泉からアイデアの水を飲むというアイデアが気にいらないのよ。それは上品じゃない。吐き気がする。どう見ても、チャールズ・フォート(一八七四―一九三二。アメリカの有名な奇現象研究家。死後に彼の遺志を継ぐべくフォート協会が設立された)のいいそうなことだわ!」

 (「もうしばらくようすをみよう」とフォート派の小集団はおたがいにいいかわした)

 “集合無意識”に関する古い理論は、泉の枯渇によってほぼ立証されたかに見えた。これはすべての人間が共有するひとつの無意識があるという理論である。その無意識が、哺乳類から鳥類、魚類、蛙、蛇、トカゲ、ミミズ、蜜蜂、アリ、コオロギ、ブヨにいたるまでのあらゆる動物に共有されている、という過激な論者もいた。もっと過激な一派は、その無意識が、森の樹木から野原の草、そして海の海草にいたるまでのあらゆる植物にも共有されている、と主張した。さらには、かつて生きていた無生物、たとえば、木材や、腐葉土、そして、小生物の堆積によって生まれた石灰岩にも、それが共有されている、と考える人びともいた。もっともっと過激な一派は、すべての火成岩もその無意識に寄与している、と唱えた。また、幽霊、すなわち、なじみぶかい亡霊とまだ生まれてこない子供の魂も、その大海に似た泉に大きく寄与していることも知られていた。
 この集合無意識は、地下にあるごみだらけの巨大な海、または湖、または貯水池、または泉である(これらの用語はすべてあてはまる)。その中には、まだ生まれてもいなければ考えもされないすべてのものがあり、また、あらゆる擬似存在とおぞましい怪物がある。」
「集合無意識の中には、ヒキガエルが提出した生存のパラドックスや、輪虫のラプソディーや、マンボウの意識の流れがある。何百万もの生物のグロテスクな肢だけが、ほかの部分を創りだされないままにうごめいている。」
「そこには煉獄におかれた哀れな魂の悪臭にみちたうわごとがあり、地獄に墜ちた迷える魂のわめきたてる狂気がある。そこには霊魂の国の支離滅裂な論理のすべてがあり、腐敗しつつある死者のまことしやかな白昼夢がある。
 集合無意識の貯水池にたたえられているのは、渋い味のするふしぎなシチューだが、それは生命の水のひとつでもある。それは堆肥(たいひ)であり、肥沃(ひよく)な土であり、そこからすべての思考とアイデアが形作られる。それはあらゆるとつぜんの直観、独創と想像力という名の翼ある考えが、そこから組み立てられる生原料(ああ、なんと生臭い原料!)でもある。
 その巨大だがぶかっこうな、びちゃびちゃした暗闇は、自動思考だけでなく、自動書記をも生みだすこっくり盤(ウィージャ・ボード)である。そこにはお化けの群れがはびこる。ひとつの盲(めし)いた泉からぶくぶく泡だった水が、何十億もの心にはいりこんでくる。」
「そのどろどろした泉からは、そこに流れこむよりも大量の水が汲みだされた。早晩その水が干あがる日がやってくるのは避けられなかった。
 一九九九年十一月七日(そして、それからの数日)、その泉はさかんに雑音を出し、さまざまな症状で干あがったことを示した。この被害をもたらした生物は、熱にうかされたように考え、創造し、発明する、浪費家の人間たちだった。彼らが泉の水をポンプで吸いあげ、干あがらせてしまったのだ。」



「訳者あとがき」より:

「あるインタビューで、あなたにとって人生の意味とはなんですかと聞かれて、この作家は概略こんなことを答えている。「トマス・アクィナスは、罪とは幸福をないがしろにすることだ、といった。幸福になることは、人間の権利じゃなくて義務なんだ。幸福になることは、われわれが世界とそこに住むあらゆる仲間に対して負っている義務だ。それが人生の意味であり、目的なんだ」」






































































































R・A・ラファティ 『昔には帰れない』 伊藤典夫・浅倉久志 訳 (ハヤカワ文庫)

「無能なもの、欠陥のあるものだけが発明をするのだ(中略)。古代ギリシャ人はその栄華の頂点にあったとき何ひとつ発明していない。(中略)しかし不適応者は発明する。無能力者は発明する。敗残者は発明する。卑劣漢は発明する」
(R・A・ラファティ 「素顔のユーリマ」 より)


R・A・ラファティ 
『昔には帰れない』
伊藤典夫・浅倉久志 訳

ハヤカワ文庫SF 

早川書房
2012年11月20日 印刷
2012年11月25日 発行
463p 
文庫判(トールサイズ) 並装 カバー 
定価940円+税
カバー: 横山えいじ


R.A. Lafferty: You Can't Go Back and Other Stories



ラファティの新刊が出ていたことに気づいたのでよんでみました。わたしは情報収集能力が欠如しているので、よみたい本が出ても気づかずに絶版になってしまうことが多いです。


ラファティ 昔には帰れない


カバー裏文:

「笛の音によって空に浮かぶ不思議な“月”。その“月”にときめいた子供時代の日々は遠く……表題作「昔には帰れない」をはじめ、神話的な過去と現在を巧みに溶かしあわせた「崖を登る」、悩みをかかえる奇妙なエイリアンがつぎつぎに訪れる名医とは……「忘れた義足」、ヒューゴー賞受賞に輝く奇妙奇天烈な名品「素顔のユリーマ」など、SF界きってのホラ吹きおじさんの魅力あふれる中短篇16篇を収録した日本オリジナル傑作集」


目次:


素顔のユリーマ
月の裏側
楽園にて
パイン・キャッスル
ぴかぴかコインの湧きでる泉
崖を登る
小石はどこから
昔には帰れない


忘れた偽足
ゴールデン・トラバント
そして、わが名は
大河の千の岸辺
すべての陸地ふたたび溢れいづるとき
廃品置き場の裏面史
行間からはみだすものを読め
一八七三年のテレビドラマ

浅倉さんのことその他 (伊藤典夫)



ところで本書は「活字が大きく読みやすい〈トールサイズ〉」ということで、ふつうのハヤカワ文庫よりタテ長になっています。
本書はまだ全部読んでいませんが、冒頭の「素顔のユリーマ」を読んで、なぜ自分がラファティが好きなのかがわかりました。これは40代にしてSF作家になったラファティの、ある意味赤裸々な自叙伝であり(当時SFは大人が読むまともな文学として扱われていませんでした)、ニーチェとカフカと太宰治と三島由紀夫の全作品を集めたくらいの内容が、この一篇のなかに凝縮されているといっても過言ではないです。


以下、引用は「素顔のユリーマ」より:

「アルバートの物覚えのわるさは、母親すら認めないわけにはいかなかった。四つまで物もろくに言えず、六つまでスプーンの使い方をおぼえず、八つまでドアのあけ方も知らない子どもを、ほかに何と呼べよう?」

「いつまでたっても理解できないこともあった――たとえば、時計の長い針と短い針では時間を示すのはどちらか、とか。だが、これはさほど問題ではない。彼は時間を気にする性質(たち)ではなかったからだ。」

「八つの年のなかばにさしかかって、アルバートは右手と左手の見分け方をおぼえ、めざましい進歩をみせた。それはいままで聞いたこともない奇想天外な記憶術を応用したものだった。手がかりとなるのは、犬が寝そべるときの体のひねり方であり、渦やつむじ風のまわり方であり、(中略)モズの獲物の追い方、蛇のとぐろの巻き方(中略)等々だった。」



そしてまともに(みんなと同じように)字が書けず計算もできないアルバートは、「学校でみんなに遅れをとらないため」に、「自分のかわりに」字を書いたり計算したりする機械を発明します。アルバートは学校で教えられたとおりのことはできないのですが、自己流にやればかなり高度なことができるのです。
そして、女の子がこわくてしかたがないアルバートは、自分とそっくりで、しかし自分より頭がよくて外交的な機械(アンドロイド)を作ります。そして当然のように失敗したアルバートは「教訓」を学びます。


「彼にはどうしても、ぶざまなティーンエイジャーから抜けきれないところがあった。しかし彼は彼なりに(中略)戦いを続け、負けを知らなかった。そこには永遠の怨恨があった。彼の青春は、のびのびと順応した青春にはほど遠く、当時の思い出を彼は嫌悪していた。そして彼を、順応したおとなと誤解する者もまたなかった。
まっとうな仕事で生計をたてるには、アルバートは不器用すぎた。彼は自分の作ったけちな仕掛けや小細工を、山師やブローカーに切り売りするまでにおちぶれていた。しかし、ある種の名声は生まれ、富も彼の手にあまるようになった。」

「アルバートは、有史以来われわれに数々の面倒な重荷をしょいこませてきた、うさんくさい一党の仲間入りをした。そこには、バラエティ豊かな象形文字をおぼえることができず、低脳にもわかるへんちきなアルファベットを考案した例の古代カルタゴ人がいた。十以上の数がかぞえられず、赤んぼうやのろまにもわかる十進法を発明した例の無名のアラブ人がいた。手軽な活字を世に出し、美しい写本を抹殺した例のあやしげなオランダ人がいた。アルバートは、そういう哀れな一党のはしくれだった。」



今でいえば「高機能自閉症者」の系譜です。
アルバートは自分の困りごとを解消するためにやむなく発明した機械が、他人の役にも立つらしいことを知って驚きます。たとえば不快なスモッグを消したり、いやないじめっ子を更生させる機械など。


「わたしは運命の奇妙ないたずらによって、金持になり周囲の思い違いによって栄誉を与えられた」
「だが、わたしが真の友と呼べる人間や機械は、この世にいない。ここにある本には、友だちの作り方が出ているが、わたしにはこういうことはできない。わたしなりの方法で、わたしは友だちを作ろう。」

「無能なもの、欠陥のあるものだけが発明をするのだ(中略)。古代ギリシャ人はその栄華の頂点にあったとき何ひとつ発明していない。(中略)しかし不適応者は発明する。無能力者は発明する。敗残者は発明する。卑劣漢は発明する」

「病気のカキだけが真珠を作れるのです」
「パン種がなければ、何ものも生まれません」
「しかしイーストはそれ自体、菌類であり病気であります。みなさんは非の打ちどころない、優秀な規格品でしょう。しかし規格はずれがなくては、あなたがたは生きていくことはできないのです。(中略)敗残者や無能力者がいなかったら、だれが発明するでしょう? わたしたちのような欠陥人間がいなかったら、あなたがたはどうするでしょう? みなさんの練り粉をだれがふくらますのでしょうか?」
「もちろん、わたしは不健康です。いままでもずっとそうでした」
「でなければ、わたしがみなさんのお役にたつはずがないでしょう? 皆さんの理想は、万人が健康で、環境に順応していることです。これはとんでもないまちがいです! わたしたちみんなが環境に順応していたら、わたしたちは定型化し、死んでしまうでしょう。世界は、不健康な精神がそのなかにまじっているからこそ健康なのです。人間が作った最初の道具は、石斧でも石のナイフでもありません。それは松葉杖であり、健康な人間には作ることができないものです」



「病気のカキ」以下は、なんかよくわからないけどとてもすごい知的な賞をもらってしまったアルバートの受賞スピーチからの引用ですが、これはチャップリンの「独裁者」の演説のラファティ版といってよいです。

ラファティはこの「素顔のユリーマ」(Eurema's Dam)で、1973年度ヒューゴー賞(短篇小説部門)を受賞しました。

そういうわけで本書は、まだ全部よんでないですが、今年よんだ本のなかで最も共感できる本でした。


























プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

※心の傷、胸焼け、劣等感等ある場合が御座いますが概ね良好な状態になります。

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