阿部謹也・網野善彦・石井進・樺山紘一 『中世の風景』 (中公新書) 全二冊

網野 それはね、魚を抱えちゃう。抱くわけですよ。抱くと魚は動かなくなる。そういう技能があるわけです。」
(『中世の風景 (上)』 より)


阿部謹也 
網野善彦 
石井進 
樺山紘一 
『中世の風景 
(上)』
 
中公新書 608 

中央公論社
昭和56年4月25日 初版
昭和62年5月10日 9版
x 246p
新書判 並装 
ビニールカバー
定価580円 
装幀: 白井晟一



阿部謹也
網野善彦
石井進
樺山紘一 
『中世の風景 
(下)』 

中公新書 613 

中央公論社
昭和56年5月15日 印刷
昭和56年5月25日 発行
iv 272p
新書判 並装 
ビニールカバー
定価480円
装幀: 白井晟一


「本書は、四人の中世史研究者が、それぞれあらかじめ用意した二~三のテーマを順次話題として提供する形で進められた討議の記録を編集したものである。最初の顔合わせは昭和五十四年四月で、実際の討議は同年七月と九月、および五十五年五月の三回にわたって行なわれ、延べ五日間二十時間をこえるものとなった。本書の各章は、下巻での若干の入替えを除き、おおむね討議の進行にそっている。」



図版(モノクロ)計20点。


阿部謹也ほか 中世の風景


上巻 帯文:

「斬新な視点と豊富な話題で鮮やかに浮び上る東西二つの中世」


上巻 帯裏:

「長く私たちは、中世の具体像を結びえなかった。だが近年のめざましい歴史研究の動向は、驚くほど新しい中世の諸相を垣間見させてくれる。本書は、四人の中世史家が、東西の中世について交わした活発な討論であり、その熱気のなかから瞭然と浮び上ってくる一つの時代の風景である。上巻は、「海・山・川」などの縁辺に暮らす民の文化、社会に独自の地位をしめはじめる「職人」、中世の主要な脇役「馬」、そして「都市」がテーマとなる。」


下巻 帯文:

「歴史研究の成果を最大限にもりこんで彫上げた新しい中世像」


下巻 帯裏:

「長い緩慢な時の流れを想わせる中世。しかしここで論じられ露わになってゆく中世は、およそそうしたものではない。日本とヨーロッパにとって、それはうねりのような大転換期にあたっていた。あるいは人の心をも含む社会の全領域にわたっての、新旧の壮大な葛藤といってよい。下巻は、歴史学に聴覚の世界を導入した「音と時」、徳政を待望する庶民の意識を掘起す「売買・所有と法・裁判」ほか、「農業」「家」「自由」「異端」がテーマとなる。」


上巻 目次:

紋章と中世――まえがきにかえて (樺山紘一)

1 海・山・川
 ある越後の伝説
 川は誰のものか
 川の民の血筋
 ヨーロッパの川と日本の川
 海民と根拠地
 活発だった日本海交通
 原始一向宗の担い手
 鎌倉七口の構造
 ヴァイキングから見た歴史は可能か
 アニミズム日本
 遊手浮食の輩と境の民
 山野河海の性格

2 職人
 東西の職人絵
 職人絵はなぜ作られた
 自分を区別する標識
 道々の輩
 ヨーロッパの職能意識
 「西洋職人づくし」と女性
 女性の地位の変動期
 石工の特権
 太子信仰と守護聖人
 天皇と職人
 動く唐人集団
 驚くべき人的交流
 宗教者と技術

3 馬
 中世にケンタウロスはいない
 馬文明の衝撃力
 馬と戦さ
 豆・麦・馬と農業革命
 牛の文化と馬の文化
 家畜と人間の距離
 馬に乗る人乗らぬ人

4 都市
 中世ヨーロッパ自由都市論への疑問
 都市たるの要件
 にもかかわらず都市と感ずる
 人の動き・物の動き
 文書主義の再検討
 都市以前の集落
 センターとしての修道院
 都市が成立する場
 無主・無縁の地とは何か
 領主支配と公界意識
 ヨーロッパの王権と天皇の権力



下巻 目次:

5 音と時
 中世はいかなる音に充ちていたか
 人びとと鐘の音
 音の支配
 音声と口上
 触役とその身分
 拍子木・銅鑼・鈴
 夜の世界・昼の世界
 黄昏時の不安
 時の計測
 暦を管掌すること

6 農業
 南北ヨーロッパの二つの農業
 南欧の農閑期
 米を作らないとき何をするか
 東国の年貢
 水田中心史観再考
 条里制と度量衡
 文化複合という視点
 労働・生産・自然

7 売買・所有と法・裁判
 日本歴史のなかの徳政
 土地と人間の生きた関係
 聞耳と保証人
 「一段と発展し」の中身
 売買行為の集団性
 訴訟と裁判の場
 ローマ法圏とゲルマン法圏
 商人と外国語
 帳簿と利子について
 「古き良き法」と復活
 動産の所有をめぐって

8 家
 二つの家
 屋敷と在家
 アジール概念の範囲
 「平和団体」という捉え方
 家支配と開発領主
 フロイスの見た日本の家長
 家の自立性・代父制・相続
 ヨーロッパ社会史の鍵

9 自由
 津田左右吉の考察
 自由と保護の系譜
 身分の高いものほど自由である
 「恥ある者」という身分
 遍歴民の自由と定住者の自由
 「無縁」概念をめぐって

10 異端
 乞食、托鉢者の中から
 日本における正統の弱さ
 異端運動の下層にあるもの
 千年王国の思想
 聖界と俗界
 日本社会の複合性

あとがきにかえて
 「贈与」をめぐって (阿部謹也)
 歴史学と感性 (網野善彦)
 徳政の鐘 (石井進)




◆本書より◆


上巻より:


「1 海・山・川」より:

石井 越後の岩船郡といえば、新潟県の最も北の地方で、(中略)この地方の三面川(みおもて)川の流域一帯には、古くから雲上(くものうえ)公という貴人についての伝説が語り伝えられてきました。」
「――昔、この地方は治安が乱れ、強盗などがはびこって人びとは大変苦しんだ。そこで朝廷に願い出て、時の後白河天皇の第三皇子である雲上公を支配者に迎えることになった。雲上公は十二人の親類縁者、多勢の部下をひきつれて船で下向し、岩船郡内の御所で政治をとったので、国もよく治まるようになった。
 ところが雲上公や親類縁者たちは、川狩りが大好きで、そのうち毎日のように三面川に船を泛かべては魚とりに精を出し、酒盛りを楽しんでばかりいるようになった。酒盛りの最中に、沖合はるかを航行する日本海航路の船があれば、やおら扇をとり出し、扇で下からあおげば船がひっくり返る、扇をまわせば船はくるくると回転する、あおぎかえせばもと来た方向へ吹きもどされる。これを見て雲上公は大喜び、天気さえよければいつも三面川の河口まで出て、このいたずらをするのが常だった。一部の家臣のいさめを受けて一度はやめたものの、まもなくまた始めるようになる。思いあまった親類や家臣たちは、ある日、川狩りに余念のない雲上公の油断を見すましてヤスで突き殺してしまう。川下へと流れていく雲上公の死骸を付近の村人たちが拾い上げ、これを火葬にしようとする。ところが首だけがどうしても焼けない。火中からとび上がっては笑い、眼をいからしてにらみつけるので、見る人はみな身の毛もよだつほどだった。なんとか焼いてしまおうというので、漆の木とか、村じゅうの雪隠(せっちん)の踏み板を集めて焼いてみてもだめ、とうとう山中に住む真言の僧、つまり修験者、山伏ですね、この僧をたのむと、臭水(くそうず)(石油の原油)を竹筒につめてきて、まるでポンプのように四方からふりかけ、呪文を唱え、般若心経をよんで、やっとのことで生首を焼くことができた。
 さて、このことが都に聞こえまして、討手が下ることになる。雲上公の二人の子をはじめ親類縁者、家臣たちは、負けてちりぢりに逃げる途中、ごくわずかを残して、みな三面川流域の各地で討ちとられてしまった。ただ少数の残党が山奥や川のほとりに隠れ住んでこの伝説を伝えた。その後この地方の人びとは、雲上公はじめ討ちとられた子息・親類縁者たちを川内(かわのうち)大明神として祀ることになった。」

石井 河原者というのは主に京都。都市の中の問題でしょうね。
網野 われわれのイメージのなかで一番強いのはそれですね。町の中の賀茂川の特異なああいうケースですね。賀茂川にけがれを流すという意味も含めてね。」
「私は、京都だけではなくて、淀だとかそのほか各地にそうした河原があって、京都と同じ問題があったとは思うんですが、奈良や鎌倉の場合には、河原というより、(中略)坂の問題ですね。奈良の奈良坂、鎌倉の極楽寺坂……。」
「だから普遍的な問題として捉えれば、川なり坂なりというのは、農業民から見れば境だけれども、実際に河原を含めてそこに生きた人びとがいる、そちらのほうから見たらどうなるかということでしょう。
 境で非常にはっきり問題が出てくるのは、やはり国の境ですね。摂津国と播磨国の境を荘園の境としている山田荘と淡河荘という荘園がありましてね。もう十世紀から境のことが問題になっている。最初に問題になるのは、その間を「不善の輩」が往来して困る、何とか治安を維持してほしいということが、荘園の側から出るんですね。」
「農業民のほうから見ればたしかに境になるんだけれども、「不善の輩」の側から見れば、境それ自体が一つの世界である。(中略)そういう場のもっている特異性を十分に考える必要がある。」
「それとともにこれを「特異」「非日常」ということでかたづけてしまうのではなくて、むしろそちらのほうを日常の、あたりまえの生活の舞台にしている人から見たら、世界や歴史のあり方がぜんぜんちがって見えてくるんではないでしょうかね。」



下巻より:


「音と時」より:

阿部 なぜ鐘を鳴らすかというと、森の中にはいろいろな音がある。この音は野獣の声であったり、あるいは梢を渡る風の音であったりするんですが、非常に怖いんですね。それに対抗して人間が自ら鋳造した鐘を鳴らすのだという解釈をどこかで読んだことがある。」
「大都会の夜に聞こえるウワーンという音に当たるような音が森の中にもあって、それは理解できない恐ろしいもの。それに対して鐘をガンガン鳴らすことで打ち消す。鐘は、本来、浄化する作用をもつとされておりましたからね。鐘をめぐる民俗みたいなことを言い出せば、これはきりがないんです。」

網野 夜と昼ということでは、確実に音に関係する何かがあると思いますね。
阿部 夜に対する恐怖ということですね。中世のヨーロッパでは、とにかく八時、九時になると夜の世界が玄関まで来てしまう、そういうふうな感じがあったんじゃないかと思うんです。ですから、夜、外で騒ぐということは禁じられてしまう。夜の霊の支配する空間になってしまうということがあるんだろうと思うんです。
網野 犯罪で、夜に特有というのがありますね。たとえば泥棒とか。
石井 夜盗?
阿部 夜討ちというのはいつごろからですか。
石井 それはもう中世の初期からしばしば出てまいりますね。討入りは夜が多いんじゃないでしょうか。あるいは暗殺も。
阿部 そういう点はすごく先進的な気がするんですけどね。(笑)
樺山 ヨーロッパじゃ夜討ちというのはないですね、本当に。
阿部 夜は戦争なんかしないんです。
石井 平和なる時間だな。
樺山 市の門を閉めちゃいますからね。」

樺山 日本に黄昏時(たそがれどき)という言葉がありますね。夜でも昼でもない夕方。朝でもそうですけれども、なにか曖昧な時間というのがごくわずかあって、これに対する恐怖というのあがるんだということを、民俗学の方がたはおっしゃる。神隠しもその時間ですね。夜でもなければ昼でもない、(中略)黄昏という曖昧な仕切りの時間ということになりますね。それはたしかに怖い時間で、夜よりはむしろそちらのほうが怖いんだというわけですね。ヨーロッパには、どうもその黄昏時間というのがないようなんですよ。」
阿部 これはトワイライトの時間ですね。
樺山 太陽と月との二つの光という意味ですね。ヨーロッパにも、そういう、あるものからあるほかのものに行く仕切りの時間、あるいは場所に対する恐怖というのがあるといいます。窓とか敷居とか、あるいは新年とかに対する恐れですね。けれどもいまの一日の中での時間に関すること、とくに昼と夜に関するところを考えますと、どうも彼らの間にトワイライトに対する恐怖というのがあるようには思えないんですがね。単純に夜が怖い。」

樺山 ヨーロッパでは、あんな広いところで、度量衡制度がいいかげんで普遍的な換算率もないのに、いっぽう時間については、教会によって均質的に管掌されてるわけですね。一日の中の時間もそうですし、暦という意味での時間もそうです。それから、一年中サイクルがあって、どの日は何の祭日であってどういう日である、というのが、全部教会暦の中に組み込まれています。完全に、ほぼ確実に時間をおさえてしまったわけですね。
 たんに一日の時間だけじゃなくて、一年のサイクル、あるいはその年が紀元何年であるか、これも基本的には教会の時間に関係してます。イエスの生誕から何年経過したかと計算する。何々世紀という言い方も、そんなに早いことではないですけれども、言うならば教会の時間支配の思想から生まれてきたことになりますね。」
「ユリウス暦とグレゴリー暦という暦法がありますが、グレゴリー暦の場合は(中略)教皇グレゴリウス十三世が一五八二年ですか、十日間の補正をしたわけですね。ああいうことが現実に教皇の権威下に可能だった。しかしこれは後日談がありまして、カトリック圏外にあった北の世界はこれに倣わなかったために、十何日かズレが出来てしまったんですね。(中略)セルバンテスとシェイクスピアは死んだ日が同じだと言われてますね。あれはちがうんですよ。一六一六年四月二三日の同じ日付に死んだんですけど、シェイクスピアのイギリスではグレゴリー暦をとってませんので、じつはちがう日だった。(笑)
阿部 採用に二百年ぐらい前後の差があるんです。」
「ドイツでも、新教のところとカトリックのところでは採用の年月日がちがうんです。」



「自由」より:

樺山 ヨーロッパに「アナーキズム」という言葉がありますね。アナーキーというのは、アルケーがないということで、アルケーというギリシア語はもともと力とか根源という意味です。後になって政治的支配というものも含むようになります。ところがアナーキズムというのを、日本で「無政府主義」と大正の人たちが訳しましたので、印象がずいぶん変わってしまった。(中略)たとえば先ほど出ましたリベルタン、リベルティナージュというフランス語がありますが、これは「自由放縦」という意味です。自由を放縦に享受して、かつルールにのっとっているんだという主張なんです。これもある意味でアナーキズムなんですね。アナーキズムというのは、そういう考え方をも引きながら、十九世紀から今世紀にかけて、一種の主体的な思想の系譜をもっている。それは爆弾を投げてテロリズムを行なうというアナーキズムとはかなりちがう思想形態なわけですね。(中略)であるからこそアナーキズムの思想家たちというのは、リバティー、あるいはリベルテという言葉に固執するんですね。この自由は必ずしも政府がないということではなくて、ある特定の自前のルールなり原理なりに従おうとするときに、自分の思想を表明する言葉として長くつかわれてきているところがあるんですね。これは無縁とはもちろん言いませんけれども……。」
網野 「無縁」と並行的に比較はできないと思うけれども、ちょっと似たところはあるかもしれませんですね。
樺山 もしヨーロッパと比較の観点から議論ができるとすると、そのへんから考えたほうが適当かもしれないという気がするんですよ。
網野 網野はアナーキストだと言った人もいるそうですよ。(笑)
樺山 そうでしょうね(笑)。ぼくも聞いたことがある。
網野 自分では日本語流のアナーキストとは思っていないんですけれどもね。」






この本をよんだ人はこんな本もよんでいます:

武田雅哉 『桃源郷の機械学』





























































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網野善彦 『東と西の語る日本の歴史』 (講談社学術文庫)

「とすれば、さきの通説のような水田中心史観にそのまま従っていることは、おのずから支配者中心の史観に導かれざるをえないであろうし、さらに畿内(きない)中心史観に陥る危険をもつといわなくてはならない。」
(網野善彦 『東と西の語る日本の歴史』 より)


網野善彦 
『東と西の語る
日本の歴史』
 
講談社学術文庫 1343 

講談社
1998年9月10日 第1刷発行
340p
文庫判 並装 カバー
定価960円(税別)
カバーデザイン: 蟹江征治
後三年合戦絵詞(東京国立博物館蔵)



「学術文庫版まえがき」より:

「「そしえて」から本書を刊行して以来、すでに十五年以上の年月が経過しようとしている。」
「この機会に、かなり前から御指摘をうけていた明白な誤り(中略)については訂正し、文章の不自然なところや文字の誤りなどを直したほか、この文庫の編集慣習に従って、漢字を仮名に改め、(中略)多くのルビを付するなどの手を加えたが、基本的な叙述、論旨については全く変更していない。」



本文中「図」29点、「表」5点。
本書はまだよんでいなかったので日本の古本屋サイトで注文しておいたのが届いたのでよんでみました。400円(4,000円以上購入で送料無料)でした。


網野善彦 東と西の語る日本の歴史


カバー裏文:

「日本人は同じ言語・人種からなるという単一民族説にとらわれすぎていないか。本書は、日本列島の東と西に生きた人々の生活や文化に見られる差異が歴史にどんな作用を及ぼしてきたかを考察し、考古学をはじめ社会・民俗・文化人類等の諸学に拠りながら、通説化した日本史像を根本から見直した野心的な論考である。魅力的な中世像を提示して日本の歴史学界に新風を吹き込んだ網野史学の代表作の一つ。」


目次:

学術文庫版まえがき
一 はじめに
 くらしのなかの東と西
 単一民族説への疑問
 ゆがめられた日本史像
 地域への視点
二 「ことば」と民俗―東と西の社会の相違―
 二大方言の対立
 人口の移動
 習俗の相違
 イエとムラ
三 考古学からみた東と西
 石器の語る東と西
 縄文(じょうもん)の地域差
 弥生(やよい)の東進と縄文の抵抗
 古墳の拡大
四 古代の東国と西国(さいごく)
 大和と西日本
 大和と東国―統合と自立―
 「通説」への疑問
 古代東国の役割
 西の海と船、東の弓と馬
 東国と東北の「蝦夷(えみし)」
五 「僦馬(しゅうば)の党」と「海賊」
 「海賊的武者」と西日本
 「弓射騎兵型武者」と東日本
 東国の製鉄
六 東の将門(まさかど)、西の純友(すみとも)
 「東国の乱」
 西国の海賊
 「本天皇」と新皇将門・海賊純友
 東国人の二つの道―自立への志向―
七 源氏と平氏――東北・東国戦争と西海の制覇――
 「鼓を打ち、金を叩いて」
 「亡弊の国」―東国の叛乱―
 東北の国家―東北人の二つの道―
 東北・東国戦争―東の源氏と東北の藤原氏―
 「海賊的武者」の主―西の平氏―
八 東国国家と西国国家
 平氏と西国国家への道
 西国国家の基盤―海の道―
 海民の世界
 西国国家の海洋的性格
 源氏と東国自立路線
 西国国家機構創出の試み
 義仲と「北国政権」
 東国国家の「日本国」支配
九 荘園(しょうえん)・公領(こうりょう)の東と西
 「おやもうたれよ子もうたれよ」
 荘園・公領の単位と規模
 年貢(ねんぐ)―東の絹布、西の米―
 東の畠作、西の水田
十 イエ的社会とムラ的社会
 東の豪族的武士と西の中小武士
 人間・社会の関係―タテの論理とヨコの論理―
 西の「職能国家」と東の「主従制的国家」
十一 系図にみる東西
 女系系図の世界
 男系系図の世界
 東西、婚姻のかたち―結合と拒否―
十二 東は東、西は西
 東国自立への模索
 東国の勝利と御成敗式目(ごせいばいしきもく)
 二つの国家、二つの都
 モンゴル襲来と東西関係
十三 東と西を結ぶもの
 東と西の交流
 海の道
 陸の道と山の道
 東国武士の西国移住
 諸地域の対立と連合―東国・九州と西国・東北―
 東アジアのなかで
十四 東国と九州、西国と東北
 飛礫(つぶて)と騎馬武者
 東国・尊氏(たかうじ)・九州―西国・後醍醐・東北
 直義と尊氏。師直(もろなお)の対立
 諸地域の出現―中国と四国―
 山の民、海の民
 日本海沿海地域と「倭寇(わこう)」
 東西の結びつきと対立
十五 東の文化と西の文化
 東国国家と日光
 元号(げんごう)と叙位任官
 祭祀・年中行事の体系
 花押(かおう)の東西
 「関東八州国家」と後北条氏
 印判と書状の様式
 東西の里制
 東西、都市の形成―渡・津・泊・市・宿―
 「職人」と地域の意識―東の馬・西の船―
 天皇と頼朝―「由緒」と特権―

 九州の「職人」と頼朝
 西国と朝鮮半島
 東国・西国戦争―関ヶ原から「鎖国(さこく)」へ―
 江戸時代の東と西
 日本史学の二潮流
 現代の東と西―新たな日本人像を求めて―
あとがき(原本)
解説 (山折哲雄)
索引




◆本書より◆


「三 考古学からみた東と西」より:

「日本の文化が縄文(じょうもん)時代からはじまるなどといわれていたのは、もう昔話で、いまでは大陸の一部であった日本列島上で人類の活動がみられはじめるのは、少なくとも三万年よりもはるかに以前の前期旧石器時代からはじまっていたことが確実といわれるほどになっている。芹沢長介(せりざわちょうすけ)氏はそれから一万三千年前ごろまでを後期旧石器時代と規定しているが、東日本と西日本の違いはすでに、二万―一万五千年前のころから明らかになっているというのである。」

「こうした考古学や民族学・民俗学、さらに農学・生態学などの研究をふまえて、佐々木高明(ささきこうめい)氏は、自然の豊かな東日本では、定着的な「成熟せる採集・漁撈(ぎょろう)民社会」が発展したのに対し、資源の貧困な西日本には、縄文後期・晩期になると、雑穀(ざっこく)・イモ類を主作物とする焼畑農耕(やきはたのうこう)を中心に、採集・狩猟活動によってその経済を補う、いわゆる「初期的農耕社会」が、照葉樹林帯を中心に成立したと考えている(中略)。」
「縄文時代に入ると、さきの旧石器時代の東日本と西日本の違いはさらに深化し、鮮明の度を加えただけでなく、そこに一種の「先進地域」と「後進地域」ともいうべき地域差の関係――その場合、東日本が明らかに「先進地域」である――が見いだされるようになってきた点に、注目しておかなくてはならない。しかしよく知られているように、水稲耕作(すいとうこうさく)を基礎とし、鉄器(てっき)・青銅器(せいどうき)などの金属器製作とも結びついた弥生(やよい)文化が、縄文晩期の北九州に流入するに及んで、この状況は一転する。」
「そしてさきの「先進」と「後進」の関係は、ここにいたって完全に逆転し、それがその後の歴史をさまざまなところで規定していくことになるのである。」
「一方、すでに縄文晩期、一つの文化圏となりつつあった北海道は完全にこの文化の外にあって続縄文文化といわれる状況にとどまった。東北の北端部がその中に入るか否(いな)か、なお両説あるといわれているが、東日本の北部と南部―東北と東国の地域差も、ここに萌(きざ)しはじめる。そして沖縄には弥生文化との交流をもちつつ、すでに固有の「南島文化」が生まれており、日本列島の主要な諸地域は、ほぼこの時期に形を成(な)すにいたったのである。」



「六 東の将門、西の純友」より:

「この海賊が伊予(いよ)国日振(ひぶり)島を本拠とする、千余艘(そう)にもおよぶ大集団であったことは、承平(じょうへい)六年(九三六)にいたって明らかになってくる。もともと海賊追捕(ついぶ)の命をうけて伊予国警固使(けいごし)として現地に下(くだ)った伊予掾(いよのじょう)藤原純友(ふじわらのすみとも)は、このとき伊予守(いよのかみ)となった紀淑人(きのよしと)とともに懐柔(かいじゅう)政策をもってこれに対し、衣服を与え、種子を下して田地の耕作に当たらせ、海民の農民化をはかったので、多くの海賊はいったん帰伏(きふく)したといわれているが、それはまったく一時のことでしかなかった。なにより、警固使であった純友自身が、やがて海賊の首領(しゅりょう)として立ち現れるのである(中略)。」
「東国ではその前の年から平将門(たいらのまさかど)が一族との何回かの私戦を通じてその武威をふるっていた。よく知られているように、「侘人(わびにん)を済(すく)ひて気を述べ、便なき者を顧(かへり)みて力を託せり」――たより所のない人や世にいれられない人に力をかしてやるといわれた将門は、頼ってくるものをたすけつつ武蔵介源経基(むさしのすけみなもとのつねもと)を追い、天慶(てんぎょう)二年(九三九)十一月、常陸国府(ひたちこくふ)を襲って国守(こくしゅ)を追放、ついで下野・上野の国府を占拠し、従者たちの歓呼(かんこ)のなかで、新皇(しんのう)の地位についたのである。(中略)東国の新国家がこのときはじめて呱々(ここ)の声をあげたことは確実といわなくてはならない。」
「これよりさき、九〇七年、中国大陸では長年にわたって絶大な勢威をふるった唐(とう)帝国が滅び、五代十国の争乱期がはじまり、朝鮮半島でも新羅(しらぎ)が分裂、九一八年に王建が高麗(こうらい)を建国し、将門(まさかど)・純友(すみとも)の乱が最高潮を迎えようとしていた九三六年、新羅にかわって半島を統一した。
 東アジアの世界はここに大きな転換期を迎えたのであるが、この中国大陸、朝鮮半島、日本列島における動乱は、単に一般的な動揺というだけでなく、もっと深いところでの関連があり、おそらくはさきに新羅の海賊と瀬戸内の海賊についてみたような、多少とも具体的なつながりがその間にあったのではあるまいか。」
「たとえわずか三ヵ月の短期間であったとはいえ、畿内の天皇による統治が分断され、東国において自立した国家が誕生した意義は、はかりしれないものがあるといわなくてはならない。なによりも東国人にとってみれば、それははじめて畿内の統治からの自立を多少とも現実的な方向として模索するうえに、はっきりとした道をひらいたのである。
 もちろん、畿内の朝廷に結びつき、天皇、摂関(せっかん)家などに屈従しつつ、みすからの実力を現地で養う道―将門(まさかど)の国家を崩壊させた藤原秀郷(ふじわらのひでさと)や平貞盛(たいらのさだもり)の選択した道のほうが、はるかに「現実的」であったことは間違いない。とはいえ、巨大な圧力に抗し、それ以外の自立の道を選んだ人が現にあり、小さくともその方向が、ごく一時的にせよ、はっきりとした実を結んだという事実が、そうした「現実的」な道を決定的に相対化させた点にこそ、ことの重要さがある。
 それゆえ、これ以後長く、東国人の進路の前には、つねにこの二つの道―西につながる路線と東国自立路線との岐路(きろ)があり、東国人の指導者、支配者たちは、しばしばそのいずれを選択するかに悩み、また相互に対立しなくてはならなかったのであるが、しかしそうした選択の余地をはっきりとつくり出したのが、この内乱であったことを知らなくてはならない。
 そして将門自身は、伝承の世界のなかで、東国人にとっての英雄となっていった。」



「八 東国国家と西国国家」より:

「西国―京都と東北とが、九州とつながる東国に対抗して結びつく。(中略)この形はこれ以後、中世の政治過程のなかで、しばしば現れる。」































































網野善彦 『日本中世の非農民と天皇』

「そして、こうした非難と賤視、さらには禁圧を一方の世界から加えられつつも、賤視によって心を曇らされることなく、非人たちをも含む「職人」たちの世界は、鎌倉・南北朝期、なお広く独自な世界を保持していたのである。とすれば、一方の世界からの観点のみで、この時期の社会の全体像がとらええないことは、もはや自明のことなのではあるまいか。」
(網野善彦 『日本中世の非農民と天皇』 より)


網野善彦 
『日本中世の非農民と天皇』
 

岩波書店 
1984年2月28日 第1刷発行
1989年7月15日 第8刷発行
xiii 591p 索引29p
A5判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価6,000円(本体5,825円)



本書「まえがき」より:

「本書は、中世の非農民及び天皇をめぐって、これまで発表してきた論文・研究ノートなどの旧稿の一部を中心として、新たに編成し直したものである。
 旧稿の最も古いものは一九五六年にまで遡り、いずれも思いつくままに、また必要に応じてまとめたものであるため、そのままでは全く形が整わず、その後、多少考えの変った点もあるので、第二部第五章二節の本文を除き、すべてに修正・削除・補足を加えてある。また旧稿に対するさまざまな批判については、関連する箇所の注で言及したほか、付論3を付した。序章Ⅰ・Ⅱ1・2・Ⅲ、付論2、第二部第四章、終章Ⅰ・Ⅱは本書を編するに当って新たに書き加えたものである。
 こうして一応、第一部を非農業民と天皇、第二部・第三部を非農業民の存在形態としてまとめてみたが、寄せ集めの弱点は、やはりおおうべくもない。」



網野善彦 日本中世の非農民と天皇


目次:

まえがき

序章
 Ⅰ 津田左右吉と石母田正
 Ⅱ 戦後の中世天皇制論
 Ⅲ 非農業民について

第一部 非農業民と天皇
 第一章 天皇の支配権と供御人・作手
  序
  一 中村直勝の所説をめぐって
  二 蔵人所発給文書について
  三 各種の供御人・作手について
  四 供御人の特質
  五 天皇支配権と供御人
  結
 第二章 中世文書に現われる「古代」の天皇――供御人関係文書を中心に
  序
  一 南北朝期以前について
  二 天皇の伝説化と文書の偽作
  結
 第三章 中世前期の「散所」と給免田――召次・雑色・駕輿丁を中心に
  序
  一 散所召次について
  二 散所雑色について
  三 駕輿丁について
  四 その他の「散所」について
  五 給免田制について
  結
 付論1 「惣官」について
 付論2 蔵人所斤について
 付論3 脇田晴子の所論について

第二部 海民と鵜飼――非農業民の存在形態(上)
 第一章 海民の諸身分とその様相
  序
  一 中世海民の諸身分について
  二 浪人的海民
  三 職人的海民
  四 下人・所従的海民
  五 平民的海民
  結
 第二章 若狭の海民
  一 「浦」の成立
  二 漁場の成立
 第三章 近江の海民
  序
  一 神社と簗漁業について――『近江国野洲川簗漁業史資料』をめぐって
  二 堅田とその湖上特権について――『江州堅田漁業史料』をめぐって
 第四章 宇治川の網代
  一 古代の網代
  二 真木島村君と供祭人
  三 楽人狛氏と真木島長者
 第五章 常陸・下総の海民
  一 中世の霞ヶ浦・北浦
  二 霞ヶ浦四十八津と「御留川」
 第六章 鵜飼と桂女
  序
  一 諸国の鵜飼とその存在形態
  二 桂御厨と桂供御人
  三 桂女
  結

第三部 鋳物師――非農業民の存在形態(下)
 第一章 中世初期の存在形態
  序
  一 燈炉供御人の成立
  二 東大寺鋳物師の成立
  三 燈炉供御人の実態
  結
 第二章 中世中期の存在形態
  序
  一 惣官中原光氏と左方作手の発展
  二 供御人組織の矛盾とその展開
  三 供御人組織の変質
  結
 第三章 偽文書の成立と効用
  序
  一 職人の偽文書
  二 鋳物師の偽文書と真継久直
  三 偽文書と由緒書
  結
 付論4 豊田武の「鋳物師の有する偽文書について」

終章 
 Ⅰ 「職人」について
 付論5 「外財」について
  序
  一 中世後期以降の「ゲザイ」
  二 中世前期における用例
  三 「外財」の語義
  結
 Ⅱ 「社会構成史的次元」と「民族史的次元」について

あとがき
収録及び関係論文
索引
 事項索引
 地名索引




◆本書より◆


「序章 Ⅲ 非農業民について」より:

「ここで非農業民というのは、農業以外の生業に主として携わり、山野河海、市・津・泊、道などの場を生活の舞台としている人々、海民・山民をはじめ、商工民・芸能民等々をさしている。」

「農業民と非農業民の区別は、ごく自然に考えただけでも明らかといえるが、この両者の差異はより根本的には、山野河海、市・津・泊、道等々の場に対する関わり方の違いに求めるべきである。」

「それはまた「有主」と「無主」の対立の一面ももっていた。文字通り「無主」の山野河海が前近代には、まだまだ広大であったことは認められてよかろう。本来、耕地のひらかれた大地についてもいえることであるが、「山や川はだれのものでもない」という見方は、庶民の中に深く根づいた思想とみなくてはならない。そして市・津・泊や道・辻も、より意識的に「無主」「無縁」と性格づけられた場であった。」

「現在の人類の直面している状況からみて、生産力の発展こそが人類進歩の根本とする見方が、そのままでは通らなくなっていることは、公害あるいは「核」の問題一つをとってみても、もはや明白といってよい。(中略)山野河海はもとより、耕地の広がる大地そのものの汚染と荒廃は、「生産力の発達」とともに、確実に進行しつつあり、それは日本列島に生活する人類――「日本民族」のみならず地球上の人類の生活の根底を脅かしつつあるのである。人類の真の意味での「進歩」、発展とはいかなることなのかが、いまや正面から問われているのであり、人間の叡智のすべてを注ぐことなしに、この危機を突破することはできないであろう。そしてこの課題に応えうる新たな思想は、これまで衰え滅びゆくものとして捨てて顧りみられなかった人々の生活そのものの中に生きる知恵をもくみつくさなくては、創出することはできない、と私は考える。」



「第1部 第1章 天皇の支配権と供御人・作手」より:

「偽文書をそれとして直ちにすて去ることなく、その作為された理由、それがよって立っている根拠にまで遡ってその作成の動機を明らかにしなくてはならぬという、(中略)主張は、全く正当であり、すぐれて学問的な観点ということができる。」


「第1部 第3章 中世前期の「散所」と給免田」より:

「そして、こうした非難と賤視、さらには禁圧を一方の世界から加えられつつも、賤視によって心を曇らされることなく、非人たちをも含む「職人」たちの世界は、鎌倉・南北朝期、なお広く独自な世界を保持していたのである。とすれば、一方の世界からの観点のみで、この時期の社会の全体像がとらええないことは、もはや自明のことなのではあるまいか。」


「第2部 第1章 海民の諸身分とその様相」より:

「そのような状況の中で、海民に関心を持ちつづけた人も決していなかったわけではないが、その開拓者の一人に、生物・人類・考古等の諸学から経済学にいたる広い視野の下で、漁業史を解明することに一生を捧げ、一九六九年、物故した羽原又吉をまずあげることは、異論の余地ないことであろう。広汎な調査と豊富な文献を基礎に進められた氏の研究は二本の太い柱に支えられていた。その一は、日本の漁業の根底に「海人族」を想定する点、他は、漁民の共同体の占取する漁場を、その「総有」と主張する点である。十冊に及ぶ大著のなかで、羽原はこの二つの主張をたえず強く押し出したのであった。この主張に対しては、すでに種々の批判が加えられている。」
「たしかに羽原の主張を、これらの批判をのりこえてそのままの形で承認することは困難であろう。しかしこの主張が、二つながら、その基底に、農業民のつくりなす世界と異なる海民独自の世界を考え、その生産と生活に則した法則を探究しようとする強烈な意欲をひめていたこと、この観点が日本民族史を明らかにするうえに絶対必要なものであるとする確信にねざすものであったことを思いおこしてみる必要があろう。そしてそれは海民の世界を通して、アイヌ民族、さらに朝鮮・中国から南アジアにまでおよぶ世界を、ひろく視野のうちにいれていたのである。(中略)私はこの観点を、依然として正当な、継承されるべき貴重なものと考える。」

「農民はいつでも村落に子々孫々定住しているもの、ときめこむことは、それ自体支配者の志向に影響された、とくに近世以降の農民のあり方に基づいてつくり出された、観念の産物なのではなかろうか。まして海民にそれをあてはめようとすることは、不自然というほかない。すべてがそうであったというつもりは決してないが、「逃亡」は移動であり、「浮浪」は移動途上の状態を示す、被支配者にとってはあたりまえな日常生活の一齣である場合が、南北朝期以前にはまだひろくありえたのではなかろうか。」



「第2部 第6章 鵜飼と桂女」より:

「しかしこれまでのべてきたように、この桂女の遊行の真の淵源は、室町期をこえてはるかに古く遡りうる。それは鮎鮨を入れた桶を、白布を巻いた頭上にいただいて諸国を経廻した鵜飼の女性――桂供御人、桂贄人のかわりはてた姿だったのである。もとよりこのような室町期以降の桂女の果した役割に、鵜飼そのものにまつわる一種呪術的な性格の残影を見出すことはできよう。権門に寿詞を捧げる桂女に、鮎を神や天皇に贄として捧げた遠古の素朴な彼女たちの姿を読みとることも、また不可能ではない。そして、神功皇后にその起源を求める由緒書の奥底には、かつて天皇に近侍していた時代の鵜飼の記憶がひそんでいるとも考えられよう。
 しかし鎌倉期、悪党と結んで庁下部を追い、ときに院に群参して、摂政の背後から高声で訴訟をした、あのたくましい桂女の姿はもはやここにはない。」

「鵜飼と桂女が大きな変貌をとげた時期――それは南北朝内乱期であった。その変貌の背景に、鵜飼の全分業体系内での位置の低下、それ自体のもつ呪術的意味の稀薄化があったことについては前にのべた。もとよりこれは日本の社会の否応のない発展がもたらした事態であり、近世以降の日本がそこにひらけてくることはいうまでもない。しかしこの発展が、里人に打殺される鵜飼、遊女・女郎として特殊視――賤視される桂女をうみ出し、これらの人々を差別する社会構造を決定的につくりだした一面をもつことも、決して見落すべきではなかろう。
 しかもこの変貌が、鵜飼の贄=供御をうけとっていた天皇、彼等の特権を保証していた天皇の支配権の決定的な弱化と深く関連していることも、間違いない事実であろう。その意味で差別の問題はそのまま天皇制の問題に直結する。室町期以降の鵜飼と桂女の姿の対極には、政治的実権を失った天皇が存在するのである。
 これまで近世の差別・賤視を、直ちに古代にまでひきあげ、すべての山海民・商工民を賤民的な角度から考えようとする見方が、かなり広く行われてきた。しかしそれでは、日本の民族的な構成そのものに大きな歴史的変化があり、それが社会的分業のあり方の転換と結びついている事実を、結局は見落してしまうことになろう。それはある意味では、天皇の存在を日本民族固有のものとする見方と表裏をなすとすらいってよかろう。
 実際、鎌倉期までの鵜飼は決して単純に賤視されてなどいない。その一部は供御人・神人として特権をもっていたのであり、女性もまた、たくましくも堂々と生きているのである。たしかに殺生と結びついたその生業が彼等自身を苦しめ、またそれを生業とせざるをえない彼等に対して、一種の畏怖を覚えた人々があったことは事実であろう。巨視的にみてそれが後年の差別・賤視につながることは考えられるとはいえ、この時期までは差別・賤視の観点ではとらええない問題がたしかに存在しているのである。」



「序章 Ⅱ 戦後の中世天皇論」の「注」より:

「そして、現代にいたるまでの天皇の存続というこの事実を、歯がみをする無念さをもって認めることなしには、「日本民族」といわれてきたわれわれ日本人の集団が、実態はいかに薄っぺらな結びつきしかもってこなかったかを自覚することは不可能であるし、戦死者に対する鎮魂を、いまなお靖国神社に対する「参拝」の形で行事化するような動き、天皇の死を「没」あるいは「なくなる」といわせるような教科書検定の横行を本当の意味で克服することはできないであろう。それとともに、『看聞日記』をそれが歴史的名辞であるとして『看聞御記』(引用者注: 「御」に傍点)としてしまう迂闊さ――あえていえば鈍感さを払拭することもできないと思う。かくいう私自身、佐藤進一の厳しい指摘によってこのことにはじめて思いいたったのであり、『花園天皇日記』を『花園天皇宸記』(引用者注: 「宸」に傍点)と記したことのあるのを、深く恥じている。この鈍感さを持ちつづけるならば、それが歴史的用語であることを理由に、天皇の「没」をさらに「崩御」にかえさせる動きに、真に抵抗することはできないと私は考える。
 もとより、侵略を「進出」にかえさせる検定をともかくも許してしまったことにも、さきの「日本民族」の底の浅さからくる恥知らずな一面が端的に現われているので、もしも、さきの事実の持つ苦渋を本当に呑みこむ決意を固めることがおくれるならば、われわれは何度でも世界の諸民族の人々から「恥知らず」といわれることは疑いない、と私は思う。」

























































































網野善彦 『増補 無縁・公界・楽』 (平凡社選書)

「原始のかなたから生きつづけてきた、「無縁」の原理、その世界の生命力は、まさしく「雑草」のように強靭であり、また「幼な子の魂」の如く、永遠である。「有主」の激しい大波に洗われ、瀕死の状況にたちいたったと思われても、それはまた青々とした芽ぶきをみせるのである。(中略)「無縁」の思想、「有主」の世界を克服し、吸収しつくしてやまぬ「無所有」の思想は、失うべきものは「有主」の鉄鎖しかもたない、現代の「無縁」の人々によって、そこから必ず創造されるであろう。」
(網野善彦 「人類と「無縁」の原理」 より)


網野善彦 
『増補 無縁・公界・楽
― 日本中世の自由と平和』

平凡社選書 58 

平凡社 
1978年6月21日 初版第1刷発行
1987年5月8日 増補版第1刷発行
1988年8月20日 増補版第3刷発行
376p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,200円



本書「増補に当って」より:

「本書が発刊されてから、早くも九年の年月が経過した。」
「欠陥の多い本書に対して寄せられた批判は多岐にわたり、到底そのすべてにふれることはできないが、補注を付すことによって誤りを正しつつ、できるだけ批判にお答えし、現在の私の考えを補足するとともに、既発表のものの中から本書の主題に関係する若干の文章を補論として加え、あらためて増補版として世に問うこととした。」



網野善彦 無縁 公界 楽


カバー文:

「成立期はもとより、中世全体を通じて、領主の私的な支配の貫徹に抵抗し、その私的な所有下におかれた下人・所従になることを拒否する力が、平民百姓そのものの中に生きつづけていた。私的隷属から、まさしく「無縁」であろうとするこの志向こそ、原始・未開以来の「自由」の流れをくむ人々の否応のない動きであった。」


カバー裏文:

「遍歴漂泊する職人・芸能民・勧進聖など、中世に生きた「遊手浮食の輩」と呼ばれる人々に注目し、歴史の表舞台に登場しないこの無名の人々のとり結ぶ、世俗の人間関係とは「無縁」な関係を追究する。一方で古代社会のアジールまでさかのぼり、他方では現代のなにげない子供の遊びにも影を落す、この「無縁」の原理は、中世の一揆・惣・自治都市の規約のうちに、その自覚的な表現を見ることができる。
「無主」「無縁」の原理を担った人々の力こそ、真に歴史を動かしてきた弱者の力であるという著者の主張は、従来の日本史像の一面性を拒否するとともに、人類共同体のあり方について、すぐれて普遍的な問題を提起する。
発売以来9年、大反響をよび、中世史ブームを巻きおこした問題作に補注・補論を加え、増補決定版とする。」



カバーそで文:

「歴史における「公」は、決してすべてが事実として「幻想」であり、「欺瞞」であるとはいえない。たとえそれが支配者の狡知によって、自らをしばる軛になったとしても、支配者をして否応なしに「公」の形をとらざるをえなくさせた力は、やはり、社会の深部、人民生活そのものの中に生き、そこからわきでてきた力といわなくてはならない。そしてそれは、原始・太古の人民の本源的な「自由」に深い根をもっている。
それだけではない。同じ「公」でも、「公界」が決して「公権力」にならなかったことを考えてみなくてはならない。「無縁(むえん)」「公界(くがい)」「楽(らく)」が、この「自由」の、人民による自覚的・意識的表現であるというのは、その意味からで、そこには、天皇の影もないのである。」



目次:

まえがき
一 「エンガチョ」
二 江戸時代の縁切寺
三 若狭の駈込寺――万徳寺の寺法
四 周防の「無縁所」
五 京の「無縁所」
六 無縁所と氏寺
七 公界所と公界者
八 自治都市
九 一揆と惣
一〇 十楽の津と楽市楽座
一一 無縁・公界・楽
一二 山林
一三 市と宿
一四 墓所と禅律僧・時衆
一五 関渡津泊、橋と勧進上人
一六 倉庫、金融と聖
一七 遍歴する「職人」
一八 女性の無縁性
一九 寺社と「不入」
二〇 「アジール」としての家
二一 「自由」な平民
二二 未開社会のアジール
二三 人類と「無縁」の原理
あとがき

補注
補論
 都市のできる場――中洲・河原・浜
 市の立つ場――平和と自治
 初穂・出挙・関料
 植田信廣氏の「中世前期の「無縁」について」をめぐって
増補に当って
補論初出一覧




◆本書より◆


「無縁・公界・楽」より:

「以上、無縁・公界・楽の場、及び人の特徴をまとめてみたが、このすべての点がそのままに実現されたとすれば、これは驚くべき理想的な世界といわなくてはならない。俗権力も介入できず、諸役は免許、自由な通行が保証され、私的隷属や貸借関係から自由、世俗の争い・戦争に関わりなく平和で、相互に平等な場、あるいは集団。まさしくこれは「理想郷」であり、中国風にいえば「桃源郷」に当る世界とすらいうことができよう。
 もとより、戦国、織豊期の現実はきびしく、このような理想郷がそのまま存在したわけではない。しばしばふれてきたように、俗権力は無縁・公界・楽の場や集団を、極力狭く限定し、枠をはめ、包みこもうとしており、その圧力は、深刻な内部の矛盾をよびおこしていた。それだけではない、こうした世界の一部は体制から排除され、差別の中に閉じこめられようとしていたのである。餓死・野たれ死と、自由な境涯とは、背中合せの現実であった。
 とはいえ、宣教師が堺の町の自由と平和に、驚歎の眼をみはったのも、また厳然たる事実である。さきの諸特徴を現実化し、理想郷をつくり出そうとする強靭な志向は、「有主」の原理の否応のない浸透と、そこに基礎をおく強大な権力の圧力にも屈することなく、自らを必死で貫徹しようとしていた。それは、こうした場を、当時の人々が、「楽」「公界」と名付けたという事実そのものに、端的に現われている。
 「楽」が「十楽」を意味していたことは、前述した通りであるが、「十楽」はもともと仏典の言葉であった。(中略)「十楽」とは、まさしく極楽そのものであり、理想の世界の「楽」であった。」
「「公界」も「十楽」と同じく仏教用語であるが、これはもともと中国の禅院で使われた言葉に源をもっていたのではないかと推測され、(中略)俗界の縁をたち切って修行を行なう場をさしていたように思われる。」
「いかにも、自力の宗教禅宗からでた言葉らしく、「公界」は「楽」に比べて、自立的なきびしさをもった言葉であり、私的な縁の一切を断ち切る強い意志を秘めている。「理想郷」をめざす志向に抑圧を加えようとする力に対し、これを断乎拒否する姿勢を示す表現として「公界」は最も適当だったといえよう。
 とはいえ、「公界往来人」という言葉の示しているように、「公界」には、ある孤独な暗さがつきまとっている。(中略)「無縁」の場合は、「公界」以上に、孤独な印象を与える言葉といえよう。
 もとよりこれも仏教用語であり、「原因、条件、対象のないこと」を意味し、「無縁の慈」といえば、「相手のいかんを問わず、一切平等に救う慈悲心」の意であった。その意味で、これもまた、一つの理想の境地をそこに託した言葉といわなくてはならない。それ故、「楽」「公界」とともに、この語はさきのような場や人のあり方を表現する言葉になりえたのであるが、しかし「公界」「楽」よりもはるかに以前から広く使われたこの言葉は、「縁」という語の多義性に応じて、さまざまな意味をもつようおになり、「貧道無縁」「無縁非人」などの用法にみられる如く、中世前期から、多少とも、貧・飢・賤と結びついた暗いイメージを伴っていた。」
「しかし、これらの仏教語が、日本の民衆生活そのものの底からわきおこってくる、自由・平和・平等の理想への本源的な希求を表現する言葉となりえた、という事実を通じて、われわれは真の意味での仏教の大衆化、日本化の一端を知ることができる。(中略)これこそが日本の社会の中に、脈々と流れる原始以来の無主・無所有の原思想(原無縁)を、精一杯自覚的・積極的にあらわした「日本的」な表現にほかならないことを、われわれは知らなくてはならない。
 こうした積極性は、織豊期から江戸期に入るとともに、これらの言葉自体から急速に失われていく。「楽」は信長、秀吉によって牙を抜かれてとりこまれ、生命力を大規模に浪費させられて、消え去り、「公界」は「苦界」に転化し、「無縁」は「無縁仏」のように淋しく暗い世界にふさわしい言葉になっていく。」



「山林」より:

「私は、中世前期には、山林そのものが――もとよりそのすべてというわけではないが――アジールであり、寺院が駈込寺としての機能をもっているのも、もともとの根源は、山林のアジール性、聖地性に求められる、と考える。」


「市と宿」より:

「実際、信濃の諏訪社の祭礼に、南北朝期、「道々の輩」をはじめ、「白拍子、御子、田楽、呪師、猿楽、乞食、非人、盲聾病痾の類ひ」が「稲麻竹葦」の如く集ったといわれ、鎌倉末期、播磨国蓑寺は、「九品念仏、管弦連歌、田楽、猿楽、呪師、クセ舞ヒ、乞食、非人」が近隣諸国から集り、たちまち大寺が建立された、と伝えられているのである。
 寺社の門前の特質は、このようなところに、鮮やかに現われている。それはやはり、(中略)神仏の支配する「無主」の場であり、「無縁」の原理を潜在させた空間であった。それ故、ここには市が立ち、諸国を往反・遍歴する「無縁」の輩が集ったのである。」



「墓所と禅律僧・時衆」より:

「このように「無縁」であるが故に、禅律僧は宮廷や幕府の奥深くに出入りし、政治に口入することができたのであるが、それだけではない。一四世紀初頭、論敵から「乞食非人」「道路乞者」「放埓」などの激しい非難を浴びながら、山伏厳増は東寺執行の地位に度々補任され、「仏法の怨敵」「邪見放逸不当の法師」と罵倒されつつ、禅僧恵観は伊勢の光明寺を中心に、大きな勢力をもつにいたっている。鎌倉末~南北朝期、禅律僧・時衆など、「無縁」の上人・聖たちの社会的活動は、(中略)きわめて広範かつ活発だった。
 「乞食非人」をも含むこうした世界は、次第にその一部は権力の網の目に組織されつつあったとはいえ、全体としては、なお野性にみちた強力な生命力を、社会のいたるところで発揮し、それを「差別」の中に封じこめようとする動きに、決して圧倒されてはいない。われわれはこのこともあわせて、確認しておかなくてはならない。」



「補注」より:

「自然を人間と対立するものと見て、それを「所有」し、支配・管理することのみに人間の本質を見出し、人間が自然の一部であることを見失ったときに、人間は破滅の道に進まざるをえない、と私は考える。」
「人間がその長い歴史の中で、自然を自らと対立するものとだけ見てきたわけでは決してないことは、さきにものべたように、人間による家、土地の所有が、まずそこを「無所有」とすることによって、はじめてその実現の端緒をとらええた、という事実だけをとってみても、明らかといってよかろう。そのような自然に対する人間の畏敬をこめた謙虚、敬虔な姿勢、自らがその一部であることを否応なしに知らされている時期の人間のあり方が、土地の共有をふくむ共同体的な所有、共同体的な社会関係の根底にあり、「原始の自由」もまた、まさしくそれによって支えられてきた、と私は考える。」
「恐らく哲学の根本に関わるこのような問題について、これはまことに幼稚な議論といわれるであろうが、自らの内なる自然をふくめて、自然を支配しつくそうとする現代における自然科学の異常なまでの発展、それによって人間が自らを滅ぼしうる力を確実に自らの手中にした現在の事態を前にしたとき、われわれは人間の本質について、ただそれが「所有する動物」であるというだけにとどまってはならないことは明らかなのではあるまいか。そしてそうした認識の上に立って、自然と人間との関わり方を人間社会の歴史の中で明らかにしていくことは、われわれにとっての緊急な課題と私は考えている。
 さきに家、土地に対する「所有」のあり方についてふれたが、そこでものべたように、山本幸司氏の表現をかりれば、これは「限定された空間」であり、「開放された空間」―山野河海、道、河原等に対する人間の関わり方は、これとは異質なものがあると考えなくてはならない。(中略)中沢新一氏は、後者を「計量化不能な「なめらかな空間」」として、前者の「仕切られた空間」と区別し、それぞれの「空間」に住み、活動する人間の異質さ、「空間」自体の特質について言及している。
 こうした「開放された」「なめらかな」空間は、実態としても「無所有」であるか、あるいは「限定され」「仕切られた」空間の「所有」と鋭く対立する特質を持つ。そして人間は、山野河海、河原、道などで狩猟・漁撈・採集などを行い、交通、交易等の活動を営むだけでなく、「無所有」の自然―太陽や月、山や海等に即しても、そこに神を見出して、宗教的な関係を相互にとり結んできたのである。
 国家の成立とともに、支配者はさまざまな呪術的、宗教的な手段をも用いつつ、この「空間」をも自らの支配権の下に置き、「領有」しようと試みるが、「無所有」の実態はたえずこれに反逆し、その「空間」は支配者にとって、つねにきわめて危険な「空間」とならざるをえないのである。」



















































































































網野善彦 『異形の王権』 (イメージ・リーディング叢書)

「このように、鎌倉末・南北朝期には、悪党・悪僧的、非人的な武力として、飛礫はサイ棒・走木などとともに歴史の本舞台で縦横に飛んでいたのである。それは(中略)一揆・打ちこわしの飛礫につながるゲリラ的な武器であった。そして、近世の百姓たちが非人の衣裳を身につけ、非人的な武器である飛礫をもって一揆したことに、われわれは注目しておかなくてはならない。被抑圧身分である非人の姿をし、礫をその手に握ったとき、彼等は人の意志をこえた力を自らのうちに感じとり、それを抑圧者に向って打ったのではなかろうか。」
(網野善彦 「中世の飛礫について」 より)


網野善彦 
『異形の王権』
 
イメージ・リーディング叢書

平凡社 
1986年8月18日 初版第1刷
1992年11月25日 初版第12刷
217p 口絵(カラー)4p
A5判 並装 カバー
定価2,100円(本体2,039円)
装幀: 菊地信義



本書「あとがき」より:

「本書は、南北朝の動乱を境としておこった、日本列島の社会の大きな転換の諸相をめぐって、すでに発表したいくつかの小論に修正、補足を加え、一編の新稿を付してまとめたものである。」


二段組。本文中図版(モノクロ)多数。


網野善彦 異形の王権 01


目次 (初出):

第一部 異形の風景
 摺衣と婆娑羅――『標注 洛中洛外屏風 上杉本』によせて (「文学」第52巻3号 1984年3月)
 童形・鹿杖・門前――再刊『絵引』によせて (『新版絵巻物による日本常民生活絵引』解説 1984年8月)
 扇の骨の間から見る (「民具マンスリー」第17巻3号 1984年6月)

第二部 異形の力
 蓑笠と柿帷――一揆の衣裳 (「is」特別号「色」 1982年6月)
 飛礫覚書 (『日本思想体系』第21巻「中世政治社会思想」上 月報 1972年12月)
 中世の飛礫について (「民衆史研究」第23号 1982年11月)

第三部 異形の王権――後醍醐・文観・兼光 (新稿)

あとがき

所蔵一覧
初出一覧



網野善彦 異形の王権 03



◆本書より◆


「蓑笠と柿帷」より:

「元文四年(一七三九)、美作国勝北郡で「非人騒動」といわれた百姓一揆がおこっている。困窮した百姓たちが大挙して富家を襲い、飯米を要求したのであるが、そのさい二、三百人に及ぶ百姓たちは、みな、「古笠、古みのを着し、荷俵をせなにおひ、俵の内に牛のつな一筋づゝ」を入れていた。この服装は「非人拵」――非人の姿だったのであり、百姓たちは自ら「我らは当日の凌もならざる非人どもにて候」と名のり、一人につき一斗の米の貸与を求めている。この百姓たちが「天狗状」といわれる廻文によっておのずと集まり、取鎮めようとした庄屋たちに「石礫」を打って悪口し、追い払ったことも興味深いが、なにより、一揆した百姓たちが蓑・笠をつけ、俵を背負い、非人の姿をして行動をおこした事実に、ここでは注目しなくてはならない。」

「「無縁」の人々の衣裳、しかもすでに抑圧され、差別される人々の服装を自ら意識して、一斉に身につけることによって、百姓や馬借はその行動の「自由」と、抑圧者と闘う不退の決意を自覚的に表明したのではあるまいか。それが江戸時代を通じて、まさしく「一揆の衣裳」として普遍化していくところに、私は近代社会の地底に脈々として進行する「無縁」の思想の自覚化の過程を見出すことができると思うのである。」

「かつて日本の社会をゆるがした自由民権運動(中略)は、まさしく「蓑笠を楯に……莚旗を立て……」というスローガンの下に、全国に燎原の火のごとくひろがっていった。」
「恐らくは、象徴的な意味において、失うものはなに一つ持たぬ抑圧された非人・乞食の衣裳を自ら身につけることによって、不退転の決意をもって権力と立向うことを、このスローガンを通じて、民権家たちは人々にひろくよびかけたのであろう。もしも民権家がそこまで意識していなかったとしても、このスローガン自体が、民衆にそうした心をよびさますものをもっていたのではなかろうか。
 日本の社会と民俗の中から生れた、自覚的な「無縁」の思想の萌芽を、私はそこにはっきりと見ることができると思う。民権運動からわれわれのうけつぐべき最も大切なものの一つが、そこに姿をみせているのではなかろうか。」



「中世の飛礫について」より:

「このように、鎌倉末・南北朝期には、悪党・悪僧的、非人的な武力として、飛礫はサイ棒・走木などとともに歴史の本舞台で縦横に飛んでいたのである。それは後年、戦国大名に組織され、その武力として駆使された飛礫よりも、むしろ一揆・打ちこわしの飛礫につながるゲリラ的な武器であった。そして、近世の百姓たちが非人の衣裳を身につけ、非人的な武器である飛礫をもって一揆したことに、われわれは注目しておかなくてはならない。被抑圧身分である非人の姿をし、礫をその手に握ったとき、彼等は人の意志をこえた力を自らのうちに感じとり、それを抑圧者に向って打ったのではなかろうか。」


「異形の王権」より:

「極言すれば、後醍醐はここで人間の深奥の自然―セックスそのものの力を、自らの王権の力としようとしていた、ということもできるのではなかろうか。たしかに後醍醐は「異類異形」の人々の中心たるにふさわしい天皇であったといえよう。
 しかし非人の軍事力としての動員とこうした祈祷、「異類」の僧正への傾倒と「異形の輩」の内裏への出入。このような「異形」の王権はなぜここに現出したのか。この時期、非人はなお差別の枠に押しこめられ、「周縁」に追いやられ切ってはいない、と私は考えるが、その方向に向う力は強く働いていた。「性」についても、(中略)われわれはそれを暗闇に押しこめようとする動きが著しくなっていたことを知ることができるが、反面、そうした動向に対する野性的な反発も、またきわめて強力であった。後醍醐はそうした反発力を王権の強化のために最大限に利用し、社会と人間の奥底にひそむ力を表にひき出すことによってその立場を保とうとしたのである。」

「古代以来、少くとも鎌倉期までの天皇に多少ともうかがわれた「聖なる存在」としての実質は南北朝動乱を通じてほとんど失われ、大きく変質したといってよかろう。そして後醍醐によって実現された「異形の王権」の倒壊がその決定的な契機であったことは間違いない。」
「こうした「聖なるもの」―天皇・神仏の権威の低落は、それに結びつき、その「奴婢」となることを通して、自ら平民と区別された「聖」なる集団としての特権を保持していた供御人、神人、寄人などの立場に、甚大な影響を与えたことはいうまでもない。」
「それ故、多くの商工民、芸能民はそれぞれに世俗的な権力――将軍、守護大名、戦国大名などにそれまでの特権の保証を求める一方、(中略)分化してきた職能を通して実利を追求し、富の力によって「有徳」になる道をひらいていった。自治的な都市はこうした人々によって形成されていく。
 しかしその職能の性質から、天皇・神仏の「聖性」に依存するところより大きく、このような実利の道に進みえなかった一部の芸能民、海民、さらには非人、河原者などの場合、職能自体の「穢」との関わりなども加わって、ここに決定的な社会的賤視の下に置かれることとなった。「聖なる異人」としての平民との区別は、差別に転化し、「異類異形」は差別語として定着する。まさしくこれは、聖から賤への転換にほかならない。遊女についても同様なことがいいうる。鎌倉期までは「公庭」に所属するものとして、また神仏に仕える女性として、天皇家・貴族との婚姻も普通のことであった遊女は、南北朝期以降、社会的な賤視の下にさらされはじめる。(中略)遊女もまた、ここに聖から賤に転落したのである。
 やがて江戸時代にかけて、こうした賤視、差別は体制化・固定化され、被差別部落。遊郭として場所的にも固定されていくことになるが、さほど遠からぬ過去において、実際に天皇・神仏に直属していた事実の記憶は、これらの被差別民や遊女をはじめ、鋳物師、木地屋、薬売などの商工民、当道等々の芸能民の心中に強く刻印されており、伝説化した天皇や神仏と、その職能、出自との関わりを物語る、説教節などの芸能の作品をはじめ、さまざまな由緒書、縁起、偽文書として、こうした人々の世界に生きつづけ、社会に無視し難い影響を与えていった。後醍醐の執念をうけつぎ、「聖地」吉野に細々とその命脈を保った南朝の天皇が、伝説の世界にしばしば登場するのも、この動きと無関係ではあるまい。」



網野義彦 異形の王権 02

































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

※心の傷、胸焼け、劣等感等ある場合が御座いますが概ね良好な状態になります。

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