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谷崎潤一郎 『吉野葛・蘆刈』 (岩波文庫)

「けれどもわたしは雄大でも奇抜でもないこういう凡山凡水に対する方がかえって甘い空想に誘われていつまでもそこに立ちつくしていたいような気持にさせられる。(中略)殊(こと)にうらさびしいゆうぐれは遠くから手まねきしているようなあの川上の薄靄(うすもや)の中へ吸い込まれてゆきたくなる。」
(谷崎潤一郎 「蘆刈」 より)


谷崎潤一郎 
『吉野葛・蘆刈』
 
岩波文庫 緑/31-055-3 


岩波書店 
1950年8月30日 第1刷発行
1986年6月16日 第12刷改版発行
172p 編集付記1p 
「岩波文庫(緑帯)の表記について」1p
文庫判 並装
定価200円
「吉野葛」写真: 北尾鐐之助
「蘆刈」挿画: 北野恒富



新字・新かな。
「吉野葛」の初出は「中央公論」昭和6年1・2月号、「蘆刈」は「改造」昭和7年11・12月号、付載の水上滝太郎「『吉野葛』を読て感あり」は「三田文学」昭和6年6月号。
巻頭に著者肖像(モノクロ)1点。「吉野葛」に写真図版(モノクロ)19点、その他図版2点。「蘆刈」に挿絵図版6点。

でてきたのでひさしぶりによんでみました。



谷崎潤一郎 吉野葛・蘆刈 01



帯文:

「永遠の理想の女性たる母への思慕をテーマに卓抜な構想力で描いた傑作2篇。創元社版の写真・挿絵を併収。《解説=千葉俊二》(改版)」


目次:

吉野葛
 その一 自天王
 その二 妹背山
 その三 初音の鼓
 その四 狐噲
 その五 国栖
 その六 入の波

蘆刈

『吉野葛』を読て感あり (水上滝太郎)
解説 (千葉俊二)




谷崎潤一郎 吉野葛・蘆刈 02



◆本書より◆


「吉野葛」より:

「私が大和(やまと)の吉野の奥に遊んだのは、既に二十年ほどまえ、明治の末か大正の初め頃のことであるが、(中略)――この話は先(ま)ずその因縁から説く必要がある。
 読者のうちには多分御承知の方もあろうが、昔からあの地方、十津川(とつがわ)、北山、川上の荘(しょう)あたりでは、今も土民に依(よ)って「南朝様(なんちょうさま)」あるいは「自天王様(じてんのうさま)」と呼ばれている南帝の後裔(こうえい)に関する伝説がある。」

「いったい吉野の山奥から熊野へかけた地方には、交通の不便なために古い伝説や由緒(ゆいしょ)ある家筋の長く存続しているものが珍しくない。たとえば後醍醐天皇が一時行在所(あんざいしょ)にお充(あ)てになった穴生(あのう)の堀氏の館(やかた)など、昔のままの建物の一部が現存するばかりでなく、子孫が今にその家に住んでいるという。それから『太平記』の大塔宮熊野落(だいとうのみやくまのお)ちの条下に出て来る竹原八郎の一族、――宮はこの家に暫(しばら)く御滞在になり、同家の娘との間に王子(みこ)をさえ儲(もう)けていらっしゃるのだが、その竹原氏の子孫も栄えているのである。その外更(さら)に古いところでは大台ケ原の山中にある五鬼継(ごきつぐ)の部落、――土地の人はあれは鬼の子孫だといって、決してその部落とは婚姻を結ばず、彼らの方でも自分の部落以外とは結ぶことを欲しない。そして自分たちは役(えん)の行者(ぎょうじゃ)の前鬼(ぜんき)の後裔(こうえい)だと称している。」
「私の知り得たこういういろいろの資料は、かねてから考えていた歴史小説の計劃に熱度を加えずにはいなかった。南朝、――花の吉野、――山奥の神秘境、――十八歳になり給ううら若き自天王、――楠二郎正秀、――岩窟の奥に隠されたる神璽、――雪中より血を噴き上げる王の御首(みしるし)、――と、こう並べてみただけでも、これほど絶好な題材はない。」

「「くず」という地名は、吉野川の沿岸附近に二カ所ある。下流の方のは「葛(くず)」の字を充(あ)て、上流の方のは「国栖」の字を充てて、あの飛鳥浄見原天皇(あすかのきよみはらのすめらみこと)、――天武(てんむ)天皇にゆかりのある謡曲で有名なのは後者の方である。しかし葛も国栖も吉野の名物である葛粉(くずこ)の生産地という訳ではない。葛は知らないが、国栖の方では、村人の多くが紙を作って生活している。それも今時(いまどき)に珍しい原始的な方法で、吉野川の水に楮(こうぞ)の繊維を晒(さら)しては、手ずきの紙を製するのである。」

「もともと地唄の文句には辻褄(つじつま)の合わぬところや、語法の滅茶苦茶(めちゃくちゃ)なところが多くて、殊更(ことさら)意味を晦渋(かいじゅう)にしたのかと思われるものが沢山ある。それに謡曲や浄瑠璃の故事を蹈(ふ)まえているのなぞは、その典拠を知らないでは尚更(なおさら)解釈に苦しむ訳で、「狐噲(こんかい)」の曲も大方別に基づくところがあるのであろう。しかし「いたはしや母上は花の姿に引き替へて」といい、「母も招けばうしろみ返りて、さらばと云(い)はぬばかりにて」といい、逃げて行く母を恋い慕う少年の悲しみの籠(こも)っていることが、当時の幼(いとけな)い自分にも何とはなしに感ぜられたと見える。その上「野越え山越え里打ち過ぎて」といい、「あの山越えて此の山越えて」という詞には、何処か子守唄(こもりうた)に似た調子もある。そしてどういう連想の作用か、「狐噲」という文字も意味も分るはずはなかったのに、そののち幾たびかこの曲を耳にするに随(したが)って、それが狐に関係のあるらしいことを、おぼろげながら悟ようになった。
 これは多分、しばしば祖母に連れられて文楽座や堀江座の人形芝居へ行ったものだから、そんな時に見た葛(くず)の葉(は)の子別れの場が頭に沁(し)み込んでいたせいであろう。あの、母狐が秋の夕ぐれに障子の中で機(はた)を織っている、とんからり、とんからり(引用者注:「とんからり」「とんからり」に傍点)という筬(おさ)の音。それから寝ている我が子に名残(なご)りを惜しみつつ「恋ひしくば訪(たず)ね来てみよ和泉(いずみ)なる――」と障子へ記すあの歌。――ああいう場面が母を知らない少年の胸に訴える力は、その境遇の人でなければ恐らく想像も及ぶまい。自分は子供ながらも、「我が住む森に帰らん」という句、「我が思ふ/\心のうちは白菊岩隠れ蔦がくれ、篠の細道掻(か)き分け行けば」などという唄(うた)のふしのうちに、色とりどりな秋の小径(こみち)を森の古巣へ走って行く一匹の白狐(びゃっこ)の後影を認め、その跡を慕うて追いかける童子の身の上を自分に引きくらべて、ひとしお母恋いしさの思いに責められたのであろう。」

「自分の母を恋うる気持は唯漠然(ばくぜん)たる「未知の女性」に対する憧憬(どうけい)、――つまり少年期の恋愛の萌芽(ほうが)と関係がありはしないか。なぜなら自分の場合には、過去に母であった人も、将来妻となるべき人も、等しく「未知の女性」であって、それが眼に見えぬ因縁の糸で自分に繋(つな)がっていることは、どちらも同じなのである。けだしこういう心理は、自分のような境遇でなくとも、誰にも幾分か潜んでいるだろう。その証拠にはあの狐噲(こんかい)の唄の文句なども、子が母を慕うようでもあるが、「来るは誰故ぞ、様故」といい、「君は帰るか恨めしやなうやれ」といい、相愛の男女の哀別離苦をうたっているようでもある。恐らくこの唄の作者は両方の意味に取れるようにわざと歌詞を曖昧(あいまい)にぼかしたのではないか。」

「徳川時代の狂言作者は、案外ずるく頭が働いて、観客の意識の底に潜在している微妙な心理に媚(こ)びることが巧みであったのかも知れない。(中略)この場合、母が狐であるという仕組みは、一層見る人の空想を甘くする。自分はいつも、もしあの芝居のように自分の母が狐であってくれたらばと思って、どんなに安倍(あべ)の童子を羨(うらや)んだか知れない。なぜなら母が人間であったら、もうこの世で会える望みはないけれども、狐が人間に化けたのであるなら、いつか再び母の姿を仮りて現れない限りもない。」

「有りていにいうと、彼の青春期は母への思慕で過ぐされたといってよい。行きずりに遇(あ)う町の女、令嬢、芸者、女優、――などに、淡い好奇心を感じたこともないではないが、いつでも彼の眼に止まる相手は、写真で見る母の俤(おもかげ)に何処か共通な感じのある顔の主(ぬし)であった。」




谷崎潤一郎 吉野葛・蘆刈 03



「蘆刈」より:

「むかしわたしは始めて『増鏡』を読んだときからこの水無瀬のみやのことがいつもあたまの中にあった。見わたせばやまもとかすむ水無瀬川ゆふべは秋となにおもひけむ、わたしは院のこの御歌がすきであった。あの「霧に漕(こ)ぎ入るあまのつり舟」という明石(あかし)の浦(うら)の御歌や「われこそは新島守(にいしまもり)よ」という隠岐(おき)のしまの御歌などいんのおよみになったものにはどれもこれもこころをひかれて記憶にとどまっているのが多いがわけてこの御うたを読むと、みなせがわの川上をみわたしたけしきのさまがあわれにもまたあたたかみのあるなつかしいもののようにうかんでくる。」

「わたしはやしろの境内を出るとかいどうの裏側を小径(こみち)づたいにふたたびみなせ川の川のほとりへ引き返して堤の上にあがってみた。(中略)それは峨々(がが)たる峭壁(しょうへき)があったり岩を嚙(か)む奔湍(ほんたん)があったりするいわゆる奇勝とか絶景とかの称にあたいする山水ではない。なだらかな丘と、おだやかな流れと、それらのものを一層やんわりぼやけさせている夕もやと、つまり、いかにも大和絵(やまとえ)にありそうな温雅で平和な眺望なのである。なべて自然の風物というものは見る人のこころごころであるからこんな所は一顧(いっこ)のねうちもないように感ずる者もあるであろう。けれどもわたしは雄大でも奇抜でもないこういう凡山凡水に対する方がかえって甘い空想に誘われていつまでもそこに立ちつくしていたいような気持にさせられる。(中略)ちょっと見ただけではなんでもないが長く立ち止まっているとあたたかい慈母のふところに抱かれたようなやさしい情愛にほだされる。殊(こと)にうらさびしいゆうぐれは遠くから手まねきしているようなあの川上の薄靄(うすもや)の中へ吸い込まれてゆきたくなる。」

「わたしはいまおぼろげな記憶の底をさぐってそれらの文章のところどころをきれぎれにおもいうかべながら冴(さ)えわたる月のひかりの下を音もなくながれてゆく淋しい水の面をみつめた。人には誰にでも懐古の情があるであろう。が、よわい五十に近くなるとただでも秋のうらがなしさが若いころには想像もしなかった不思議な力で迫ってきて葛(くず)の葉の風にそよぐのを見てさえ身にしみじみとこたえるものがあるのをどうにも振りおとしきれないのに、ましてこういう晩にこういう場所にうずくまっていると人間のいとなみのあとかたもなく消えてしまう果敢(はか)なさをあわれみ過ぎ去った花やかな世をあこがれる心地(ここち)がつのるのである。『遊女記』の中には、観音、如意(にょい)、香爐、孔雀(くじゃく)などという名高い遊女のいたことが記してあり、そのほかにも小観音、薬師、熊野(くまの)、鳴渡(なると)などという名が伝わっているがそれらの水の上の女どもの多くは何処へ行ってしまったのであろうか。かのおんなどもがその芸名に仏くさい名前をつけていたのは婬(いん)をひさぐことを一種の菩薩行(ぼさつぎょう)のように信じたからであるというが、おのれを生身(しょうじん)の普賢(ふげん)になぞらえまたあるときは貴(とうと)い上人(しょうにん)にさえ礼拝されたという女どものすがたをふたたびこの流れのうえにしばしうたかたの結ぼれるが如く浮かべることは出来ないであろうか。(中略)その女どもは今は弥陀(みだ)の国に生れていつの世にも変らぬものは人間のあさましさであることを憫笑(びんしょう)しているのであろうか。」

「と、そのとき近くの葦(あし)の葉がざわざわとゆれるけはいがしたのでそのおとの方を振り向くと、そこに、やはり葦のあいだに、ちょうどわたしの影法師のようにうずくまっている男があった。こちらはおどろかされたので、一瞬間、すこし無躾(ぶしつけ)なくらいにまじまじと風態(ふうてい)を見すえるとその男はべつにたじろぐ気色(けしき)もなくよい月でござりますなとさわやかなこえで挨拶(あいさつ)して、いや、御風流なことでござります、じつはわたくしも先刻から此処におりましたなれども御清境のおさまたげをしてはと存じてさしひかえておりましたがただいま琵琶行をおうたいなされましたのを拝聴しまして自分もなにかひとくさり唸(うな)ってみたくなりました、御迷惑でござりましょうがしばらくお耳を汚させてくださいませぬかという。」

「時に、と、こんどはわたしが尋ねた、あなたは大阪のお方であればこのへんの地理や歴史にお委(くわ)しいことと存じます、とすると、お伺いしたいのはいまわたしどもがこうしているこの洲のあたりにもむかしは江口の君のような遊女どもが舟を浮かべていたのではないでしょうか、この月に対してわたしの眼前にほうふつと現れてくるものは何よりもその女どものまぼろしなのです、わたしはさっきからそのまぼろしを追うこころを歌にしようとしていたのですけれどうまいぐあいに纏(まと)まらないので困っていたのです。されば、誰しも人のおもうところは似たようなものでござりますなとその男は感に堪(た)えたようにいって、いまわたくしもそれと同じようなことをかんがえておりました。わたくしもまたこの月を見まして過ぎ去った世のまぼろしをえがいていたのでござりますとしみじみとそういうのである。(中略)人間はとしをとるにつれて、一種のあきらめ、自然の理法にしたがって滅んでゆくのをたのしむといった風な心境がひらけてきて、しずかな、平均のとれた生活を欲するようになるのですね、ですから花やかなけしきを眺めるよりも淋(さび)しい風物に接する方が慰められ現実の逸楽をむさぼるかわりに過去の逸楽の思い出にふけるのがちょうど相応するようになるのではありますまいか、つまり、往時をしたう心持は若い人には現在と何のかんけいもない空想にすぎませんけれども老人にとってはそれ以外に現在を生きてゆくみちがないわけです。」




谷崎潤一郎 吉野葛・蘆刈 04















































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『谷崎潤一郎文庫 第二巻』 (新装版)

「ある物の影――ちょうど真暗(まっくら)な夜路(よみち)などを歩いている時に向うの闇(やみ)からお化(ば)けのようなものが近づいて来るのを、あれはお化けではない、人間だ人間だと思っているうちにずうッと傍(そば)へやって来たのを見るとやっぱり恐ろしいお化けだったりするような薄気味の悪い物の影――」
(谷崎潤一郎 「ある少年の怯れ」 より)


『谷崎潤一郎
文庫 
第二巻』



六興出版 
昭和53年6月5日 発行
435p 
B6判 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー
定価980円
装幀: 栃折久美子
装画: 森川章二



谷崎松子・野村尚吾監修。元版(函入)は1973年刊、本書はその新装版です。
二段組。新字・新かな。


谷崎潤一郎文庫 02 01


帯文:

「絢爛たる想像力のほとばしる、美しく妖しい文章で創造された華麗にして豊饒な文学宇宙。谷崎文学をテーマ別に集成する新しい小説全集! 失われたロマンがここによみがえる!」


目次 (初出):

恐怖時代 (「中央公論」 大正5年3月号)
病蓐の幻想 (「中央公論」 大正5年11月号)
人魚の嘆き (「中央公論」 大正6年1月号)
魔術師 (「新小説」 大正6年1月号)
天鵞絨の夢 (「大阪朝日新聞」 大正8年11月―12月)
鶴唳 (「中央公論」 大正10年7月号)
白日夢 (「中央公論」 大正15年9月号)
既婚者と離婚者 (「大阪朝日新聞」 大正6年1月)
呪われた戯曲 (「中央公論」 大正8年5月号)
ある少年の怯れ (「中央公論」 大正8年9月号)
アヴェ・マリア (「中央公論」 大正12年1月号)
青塚氏の話 (「改造」 大正15年8・9・11・12月号)

注解
解説 (野村尚吾)



谷崎潤一郎文庫 02 02



◆本書より◆


「恐怖時代」より:

「お由良 ちょいと、もう一遍待って下さんせ。証拠(しょうこ)の品を一つも持たずに逃げて行くのも残念な、何かよい手がかりはないものか知らん。………おお、そうじゃ、そうじゃ、いつも梅野さまの枕許(まくらもと)に置いてある、厳重な鍵(かぎ)のかかった蒔絵(まきえ)の手箱、あの箱の中は何か曰(いわ)くがありそうじゃが、ひょっとして証拠の品が這入(はい)っていようも知れぬゆえ、ついでに盗んで行くとしよう。
珍斎 これ! 馬鹿なことをしてはならぬ。
   お由良、珍斎の手を振り切って蚊帳の中に這入る。すぐにきゃっという悲鳴が起こる。夜目にも真白な綸子(りんず)の蚊帳(かや)の面(おもて)へ、ザッザッと二度ばかり恐ろしく多量な血潮がはねかかって、花火のようにバッとひろがって流れ落ちる。同時に真赤な、奇怪な、化け物のような容貌(ようぼう)を持った物体が仰向けに蚊帳の外へ転がり出す。それがお由良の死骸である。
   一刀の下(もと)に眉間(みけん)を割られたらしく、熱に溶(とろ)けた飴(あめ)のように顔の輪廓がことごとく破壊されて眼球と歯と舌だけがはっきり飛び出ている。わずかに鮮血が着物の肩から胸の辺りを染めただけで、衣紋(えもん)は少しも乱れていない。足袋(たび)にも皺(しわ)は寄っていない。虚空(こくう)を摑(つか)んだ両の拳(こぶし)もわりあいに生々しく綺麗(きれい)である。顔と髪の毛を除く外は、すべてが生きていた時の若々しい愛らしさを保っている。
梅野 (蚊帳の中から血刀を提げて現われる、彼(か)の女(じょ)の方がより多く血を浴びて、殊に両手が鶏(とり)の砂胆(すなぎも)のように粘(ねば)り光っている)これ珍斎、其方(そち)の娘の死にざまを見や。妾(わらわ)に裏切りする奴(やつ)は、誰であろうがこの通りじゃ。わかったかえ。
珍斎 へ、へーえ。(と云ったまま、腰を抜かしてぺったりと据わる)
   舞台が廻って、再び第一場のお銀(ぎん)の方(かた)の居間(いま)になる。

      第三場

   お銀の方が玄沢の死骸(しがい)の傍(そば)にうずくまって煙草(たばこ)を吸っている。屍骸(しがい)は悶死(もんし)した形のまま薄い夜着(よぎ)が被(かぶ)せられて、頭の頂と両手の握り拳(こぶし)がわずかに端から見えている。その他は第一場の通り。
   梅野が左の襖(ふすま)を開けて独(ひと)りで這入(はい)って来る。衣服を改めて体の血潮をすっかり拭(ぬぐ)ってしまった様子。
梅野 もし、薬の利(き)き目はいかがでござりました。
お銀の方 ほんに首尾よう行ったわいの。世にも物凄(ものすご)い毒薬じゃと、自分で効能を述べた通り、あの杯を一つ二つ重ねるうちに、見る見る顔の色が変って、手足を悶(もだ)え苦しんで、話に聞いたと寸分(すんぶん)違(たが)わぬ死に方をしてしもうたぞえ。まあこの姿を見やいのう。
   そう云いながらお銀の方が死骸の夜着を払い除(の)ける。玄沢は仰向けになって、膝(ひざ)を上げ、両腕を伸ばし、ほとんど裸体と云ってもよいくらいに着物の襟(えり)を掻(か)きひろげ、肩先から胸板から両股(りょうもも)を露出して倒れている。総身が極度の紫色に変色し、眼と鼻孔(びこう)と唇(くちびる)の周囲に吐血の痕跡(こんせき)を留(とど)めている。
梅野 ても恐ろしい薬の利(き)き目、まあ人間というものは、脆(もろ)いものでござんする。」



「天鵞絨の夢」より:

「私はいくつの歳(とし)からあの琅玕洞(ろうかんどう)の中に住むようになったのでしょうか、自分にはまるきり覚えがありません。私は多分あの部屋の中で生れたのではないのだろうかと、そう思っていたくらいでした。そうして、あの部屋の外にこのような広い世界があることは、つい近頃まで夢にも考えたことはなかったのです。私はほんとうに長い間、たった独(ひと)りであの部屋の中に朝夕を暮らしました。ですから自分が温という人の奴隷であるとは知りもしなかったし、今まで一度もそんな人に会ったことはありませんでした。私が知っているのは日に三度ずついろいろの旨(うま)い喰物を私に持って来てくれた番人の男と、それからあの美しい女王と、たった二人ぎりでした。私は温という人の奴隷でなく、あの女王の奴隷だったのに違いありません。
その部屋の四方には壁があって、その壁はただ真白(まっしろ)に平らでした。壁には一つの出口が付いていましたけれど、それには重い板の扉(とびら)が閉(し)めてあり、その外には高い所に小さな息抜きの煙突の穴があっただけで、窓は一つもありませんでした。外の明りは何処から這入(はい)って来るのかというと、それはただ天井(てんじょう)から射(さ)して来るばかりだったのです。私は明け暮れその天井をじっと視詰(みつ)めては、いろいろなことを考えました。どうしてあの天井はあんなに青く明るいのかしら? あれは大きな翡翠(ひすい)か琅玕(ろうかん)でできているのではないのだろうか? しかし、なるほど色は琅玕のように透(す)き徹(とお)って真青(まっさお)だけれど、琅玕にしては光があまりはっきりと明る過ぎる。――その青くほのぼのとした明るさは四方の壁へ夢のように柔らかに光線を反射して、部屋の中を甘く朦朧(もうろう)と照らしていました。(中略)一体何からあの天井はできているのか、どういう訳で彼処(あすこ)があんなに明るいのか――それは長い間私の疑問になっていました。そうしてある時その疑問を例の番人に尋ねたところが、番人はいかにも憐(あわ)れむような眼つきをして私の顔を見ながら、その天井は底が硝子(ガラス)でできている池だということ、私の住んでいる部屋はその池の下にあるのだということを教えてくれました。彼処があんなに真青に透き徹っているのは、硝子の上に清らかな水が湛(たた)えられているからで、水の上には太陽という非常に明るいものがあって、その光線が水を潜(くぐ)ってこの部屋の中までとどくのだということを、私はその時始めて番人から聞かされたのです。そう云われて見ると、なるほどそれは水と硝子とでできるのだということが、私にもだんだんと頷(うなず)かれるようになって来ました。なぜかというのに、硝子の上の青い青い水の中には、おりおり名も知れぬ紅(あか)い美しい魚の影が金色の鱗(うろこ)の腹を光らせて游(およ)いでいるのを見ることがあったからです。魚は、どうかすると天井の硝子に近くひらひらと身を飜(ひるが)えして降りて来たり、またある時は濃く藍色(あいいろ)の水の間にちらりと尾鰭(おびれ)を閃(ひら)めかして、掻(か)き消(け)すように上の方へ昇(のぼ)って行ってしまったり、今に見えるかと思いながら楽しみにして待っていると、日が暮れるまでとうとう一匹も姿を現わさなかったりするのでした。
しかし私は、其処には多勢(おおぜい)の魚がいることを知っていました。それは女王が阿片(アヘン)を吸いにやって来ると、彼女が仰向(あおむ)けに寝ている寝台の真上の所へ、きっと無数に寄り集まって来たからです。」

「すると、ある日のことでした。いつものように女王は静かに其処に眠り、七宝の香炉からは紫の煙がゆらゆらと立ち、天井には例の如く無数の魚が寄り集まっていましたが、どういう訳かその魚の影は暫らくするとにわかに散り散りに掻(か)き乱されて真紅(まっか)な塊(かたまり)は夕焼け雲が崩(くず)れるように動き始め、やがて一匹も見えなくなってしまいました。それと同時に、今までの紅(あか)い可愛らしい小魚とは似ても似つかない一匹の大きな魚が、忽然(こつぜん)として其処へ游(およ)いで降りて来たのを認めたのです。その魚は体中(からだじゅう)が豚の脂身(あぶらみ)のように白く、一枚の鱗(うろこ)をも生(は)やしていない肌(はだ)の木目(きめ)は瑠璃(るり)のように細やかにつやつやしく、そうしてその全身のしなしなとした敏捷(びんしょう)さは魚よりもむしろ蛇(へび)に近い生物(いきもの)のように思われました。が、よく見ると、それは魚でもなく蛇でもなく、私よりももっと年が若いらしい一人の少女だったのです。彼女はやはりあの魚どもと同じように水中を游(およ)ぎ廻りながら、女王の睡(ねむ)る寝台の上をなつかしそうに往(い)ったり来たりするかと思うと、果ては水底(みなぞこ)へ身を俯伏(うつぶ)しにひれ伏して、女王の口へ接吻(せっぷん)を贈ろうとしてでもいるかの如くその唇(くちびる)をガラスの板へ吸い着けるのです。」



「鶴唳」より:

「当主の靖之助(やすのすけ)は、――それがあの支那服を着た男なのです、――父が早く亡(な)くなったために、そのお爺さんと母親の手で育てられました。一人息子(ひとりむすこ)で、非常にわがままな子だったそうですが、彼の中学時代にお爺さんが亡くなってからというものは、母親と二人きりで淋しく暮らしたせいか、だんだん性質が陰鬱(いんうつ)になって来て、やがてはその陰鬱を紛らすために酒を飲んだり芸者買いをしたりして、始終(しじゅう)母親に心配の種を蒔(ま)いたのでした。彼が東京の帝大の文科を出たのは三十七八年頃のことで、その時分は放蕩生活(ほうとうせいかつ)がますます募るばかりだったのです。文学士になっても職業を求めるではなし、仕事らしい仕事もせずに、金さえあれば幾日でも東京へ遊びに行ったきりで、たまに帰って来ると例の梅崖荘へ引き籠(こも)ったまま、お爺さんの遺(のこ)して行った漢籍を読み耽(ふけ)っている。」
「母親は伜(せがれ)の身を堅めさせようといろいろ気を揉(も)みましたが、何分当人がそんな風で、とても結婚する意志なぞはないらしく、手の附けようがなかったのです。道楽をするにも別に惚(ほ)れた女がある訳ではなく、ただ焼(や)け糞(くそ)に茶屋酒を飲んで、家におれば一日ムッツリと鬱(ふさ)ぎ込んでいる、そうして為(な)すこともなくブラブラと日を送るより外に、彼には何の楽しみもないようでした。その頃の話ですが、靖之助はよく、「日本はつまらない、何処か外国へ行ってしまいたい」と、口癖のように云っていたそうです。(中略)然(しか)るに、その変り者の靖之助が、どういう風の吹き廻しか、ふいと母親の頼みを聞き入れる気になって、極(ご)くあり来たりの方法で嫁を迎えたのは、彼が二十七の歳(とし)でした。」

「靖之助は彼女に対して不平を云ったり、叱(しか)ったりしたことはないのですが、無言の裡(うち)にだんだん余所余所(よそよそ)しい素振りを見せるようになりました。彼女は、良人(おっと)が終日一と言も口をきいてくれなかったり、飯もロクに喰わなかったり、家庭の空気を厭(いと)うようにコソコソと梅崖荘へ逃げ込んだきり、昼も夜も出て来なかったりするのを、大人(おとな)しく、じっと堪(た)えていなければなりませんでした。「お気遣いなことがあるなら、仰(おっ)しゃって下さい。」と、たまにそう云って尋ねても、「いや、お前に云ったところでしようがない、お前には何も悪いことはないのだから安心するがいい。」と、良人はただそう云うのです。そして、「日本はつまらない、日本の国にいたくない。」と結局はそれを云い出します。彼の様子は、妻に限らず、この町のすべての人に、――事によると人生全体に、強い反感を抱(いだ)いているようでした。」



「白日夢」より:

「日中の往来。
大阪心斎橋筋(しんさいばしすじ)のような、静かで人通りの賑(にぎ)やかな街路。
上手より下手へ、半襟屋(はんえりや)、書籍店、西洋雑貨店、食料品店が櫛比(しっぴ)している。関西風の華やかな店飾り。軒に日蔽(ひおお)いを渡してあるが、午後の日光が強烈にその上へ照りつけてい、アスファルトの路面がガラスの箱へでも這入(はい)ったように、カッキリと明るい。ところどころ、太陽が日蔽いの隙間(すきま)を洩(も)れて、地上と家とに金色の亀裂(きれつ)を作る。
街路の中に令嬢の屍骸(しがい)が仰向けに臥(ね)ている。屍骸は第一場と同じ服装をし、髪を振り乱し、襟をはだけ、片膝(かたひざ)を立て、足袋(たび)が半分脱(ぬ)げかかり、両手は握(にぎ)り拳(こぶし)を作って、左右に伸びている。襟元と手頸(てくび)に血痕(けっこん)があるが、顔には苦痛の跡方(あとかた)もなく、安らかに眠っているかのよう。皮膚は光沢を失った純白。豚の白味を連想させる。
半襟屋で、店先に吊(つ)るされた半襟をいじっている女がある。書店で雑誌の立ち読みをしている学生がある。ハイカラな紳士が西洋雑貨店の飾り窓を覗き、中へ這入る。食料品店から小僧が自転車へ乗って出て行く。が、通行人は誰も令嬢の屍骸を顧みない。彼等にはそれが眼に入らないのか、あるいは屍骸のあることを当然と思っているようである。そして何人も何人も平気で街路を通り過ぎたり、商店から出たり這入ったりする。
やや長き間(ま)通行人の往来頻繁(ひんぱん)。
上手より刑事巡査、青年の腕を捉(つかま)えて引(ひ)き擦(ず)って来る。青年の服装前と同じ。髪の毛が掻(か)き毮(むし)られ、カラやワイシャツが滅茶滅茶になり、袖やズボンが綻(ほころ)び、手に血の附いた短刀を持っている。ほとんど歩行に堪えぬように刑事に凭(よ)りかかる。
刑事、屍骸の前で青年を突き放す。
青年、台地へ臀餅(しりもち)をつき、短刀を捨て、はっはっと喘(あえ)ぎながら両手で激しく髪の毛を摑(つか)む。

刑事  貴様、なぜこの女を殺したんだ。」



「ある少年の怯れ」より:

「ある物の影――ちょうど真暗(まっくら)な夜路(よみち)などを歩いている時に向うの闇(やみ)からお化(ば)けのようなものが近づいて来るのを、あれはお化けではない、人間だ人間だと思っているうちにずうッと傍(そば)へやって来たのを見るとやっぱり恐ろしいお化けだったりするような薄気味の悪い物の影――が、とうとう芳雄に追い着いて来てそれをなるたけ見ないように見ないようにとすればするほど見ずにはいられないような気分に誘われて行くのだった。」


「アヴェ・マリア」より:

「私はこの頃、はげしい神経衰弱になった。
もちろん以前からだって多少その気(け)があったんだけれど、近頃は特に甚(はなは)だしい。この間も独りで風呂に這入っていたら、何だか眼の前に猫(ねこ)がいるような気がした。暫らくの間、私は湯殿に猫がいるのを別に不思議とも感じなかったらしく、
「ははあ、猫だな。」
と思いながら平気で体を洗っていた。それからどうしたはずみだったか、ふいと気が付いて、
「おや。」
と思ってあたりを見廻したが、そんな所に猫なぞいるはずはない。だんだん考えると、流しに流していたシャボンの泡(あわ)のかたまりが眼に映って、それがあたかも猫のような幻覚を起こさせたのだ。これはほんの一例だけで昨今の私には珍しいことでも何でもない。ほとんど始終(しじゅう)こんなことばかり繰り返している。」



「青塚氏の話」より:

「それから彼はまた「実体」の哲学を持ち出して、プラトンだのワイニンゲルだのとむずかしい名前を並べ始めたが、私はそんなくだくだしい理窟(りくつ)を覚えてもいないし、一々書き留める根気もない。要するにお前、――「由良子」というものは、昔から宇宙の「心」の中に住んでいる、そうして神様がその型に従って、この世の中へある一定の女たちを作り出し、またその女たちに対してのみ唯一(ゆいつ)の美を感ずるところの男たちを作り出す。私と彼とはその男たちの仲間であって、われわれの心の中にもやはり「お前」が住んでいると云うのだ。この世がすでにまぼろし(引用者注:「まぼろし」に傍点、以下同)であるから、人間のお前もフィルムの中のお前もまぼろしであるに変りはない。まだしもフィルムのまぼろしの方が、人間よりも永続きがするし、最も若く美しい時のいろいろな姿を留(とど)めているだけ、この地上にあるものの中では一番実体に近いものだ。人間というまぼろしを心の中へ還元する過程にあるものだと云うのだ。……」

「こう書いて来れば、その寝台の中に寝ていた者が何であるかは、無論お前にも分っただろう。私も実はそれが人形だろうということは、もうさっきからの彼の口ぶりで予想しないではなかったのだが、ここにまことに気味のわるいのは、それがお前に生き写しであるばかりでなく、彼はそういう人形を、――彼のいわゆる「由良子の実体」なるものを、――幾体(いくたい)となく持っているのだ。(中略)私が見たのは十五六だったが、彼の言葉に従うと、「うちには由良子が三十人もいる」と云うのだ。」



谷崎潤一郎文庫 02 03




こちらもご参照ください:

谷崎潤一郎 『人魚の嘆き・魔術師』 (中公文庫)







































































『谷崎潤一郎 犯罪小説集』 (集英社文庫)

「夢だ、夢だ、きっと夢に違いないんだと、僕は思いました。(中略)夢ならば覚めないでいてくれろ、もっと夢らしい不思議な光景を見せてくれろ、もっと面白い、もっと途方もない夢になってくれろ、そう云う風に僕は心に念じました。夢ならば覚めよと祈るのが人情ですけれど、僕の場合は反対でした。僕はそれほど夢と云うものに価値をおき、信頼を繋(つな)いでいる人間なんです。極端に云えば現実よりも夢を土台にして生活している男なんです。」
(谷崎潤一郎 「柳湯の事件」 より)


『谷崎潤一郎 
犯罪小説集』
 
集英社文庫 た-28-1 


集英社 
1991年8月25日 第1刷
1991年9月30日 第2刷
206p 
文庫判 並装 カバー
定価380円(本体369円)
装画: 林浩一
AD・中村慎太郎


「本書は中央公論社版「谷崎潤一郎全集」を底本として使用しました。」



新字・新かな。大正七~十年に発表された短篇三篇と中篇一篇が収録されています。


谷崎潤一郎 犯罪小説集


カバー裏文:

「「仏陀の死する夜、デイアナの死する時、ネプチューンの北に一片の鱗(うろこ)あり、……」偶然手にした奇妙な暗号文を解いた園村は、その晩、必ず殺人事件が起こると断言するが……古き良き東京を背景に展開する「白昼鬼語」など、独自の美意識で構築したミステリー四編を収録。」


目次:

柳湯(やなぎゆ)の事件
途上

白昼鬼語(はくちゅうきご)

解説――「犯罪」としての話法 (渡部直己)




◆本書より◆


「柳湯の事件」より:

「「僕はただ、自分には気違いの血統があると云うことと、十七、八の時分からかなり激しい神経衰弱に罹(かか)り通して来たことと、現在では油絵を職業にしてはいるものの、(中略)極めて貧乏な生活を営んでいることとを、簡単に申し述べておきましょう。」」

「「僕に取っては、精神の憂鬱(ゆううつ)と肉体の不潔とは全く一つの感覚でした。心が沈んでいる時は、体中に垢(あか)が溜(たま)って悪臭を放(はな)っているように感ぜられました。そうして、心の沈み方の激しい折は、いくら湯へ這入って洗っても、その垢と悪臭とが容易に落ちないような気がするのです。こう云うと何だか年中湯へばかり這入っている、潔癖な人間のように聞えますけれど、実は大概湯へ這入る元気がないほど沈滞しきっている時の方が多かったのです。長い間、精神の憂鬱に慣れきってしまった結果、肉体の不潔をも寧(むし)ろ楽しむような心持、――何とも云えないだらけ(引用者注:「だらけ」に傍点)た、不精(ぶしょう)な、溝泥(どぶどろ)のように濁った心持、――その心持に対して、僕は一種の懐(なつか)しみさえ感じていたくらいだったのです。」」

「「ここで僕は、僕の異常な性癖の一端を白状しなければなりませんが、どう云う訳か僕は生来ぬらぬらした物質に触(さわ)られることが大好きなのです。
 たとえばあの蒟蒻(こんにゃく)ですね、僕は子供の時分から馬鹿に蒟蒻が好きでしたが、それは必ずしも味がうまいからではありませんでした。僕は蒟蒻を口へ入れないでも、ただ手で触ってみるだけでも、或(あるい)は単にあのブルブルと顫(ふる)える工合(ぐあい)を眺めるだけでも、それが一つの快感だったのです。それから心太(ところてん)、水飴(みずあめ)、チューブ入りの煉歯磨(ねりはみがき)、蛇、水銀、蛞蝓(なめくじ)、とろろ、肥えた女の肉体、――それらはすべて、喰い物であろうが何であろうが、皆一様に僕の快感を挑発せずには措(お)かなかったものです。僕が絵が好きになったのも、恐らくはそう云う物質に対する愛着の念が、次第に昂(こう)じて来た結果だろうと思います。僕の画(か)いた静物を見ればお分りになるだろうと思いますが、何でも溝泥(どぶどろ)のようにどろどろ(引用者注:「どろどろ」に傍点)した物体や、飴のようにぬらぬら(引用者注:「ぬらぬら」に傍点)した物体を画くことだけが非常に上手で、そのために友達からヌラヌラ派と云う名称をさえ貰(もら)っているくらいなんです。(中略)ですからその晩も、その薄穢(うすぎた)ないヌラヌラした湯に漬かって、ヌラヌラした湯船の底に足を触れていることが、寧(むし)ろ一種の快感を覚えさせたのです。」」

「「そのゴムに似た物体の表面は、一面に痰(たん)のような粘液に包まれていて、力まかせに蹈んづけようとしても、ツルリと滑ってしまいます。それでも構わずに蹈んづけていくと、もくもくとした物は一層高く膨れ上がり、ところどころにぽくんと凹んだ部分があって、それから又もくもくと持ち上り始め、何でも一間(いっけん)ぐらいな長さにうねうねとのたうちながら、湯水の底にどんより漂うているのです。あまり様子が変なので、僕は手でもってその物体を引き上げてみようと思いましたが、その一刹那(せつな)、突然、ある物凄(ものすご)い連想がふいと脳裡(のうり)を掠(かす)めたので、覚えず慄然(ぞっ)として手を引っ込めてしまいました。ひょっとしたら、僕の脛に絡み着いている藻のような物体は、女の髪の毛ではあるまいかと云う考えが、急にその時僕の胸に閃(ひら)めいたのです。」」
「「僕は当然、自分は今夢を見ているのじゃないだろうかと思いました。夢でなければこんな不思議なことがある筈(はず)はない。自分は今何処(どこ)にいるのだろう、布団を被(かぶ)って寝ているのじゃないかしらん。そう考えて周囲を見廻(みまわ)すと、其処(そこ)には相変らず湯気が濛々(もうもう)と立(た)ち罩(こ)め、ガヤガヤと云う人声がうるさく聞えて、自分の前後には二、三の浴客の輪郭が、ボウッと霞(かす)んで幻のごとく浮かんでいます。そのもやもやした湯気の世界が、ぼんやりと淡くかすれている工合(ぐあい)は、全く夢のようにしか思われませんでした。夢だ、夢だ、きっと夢に違いないんだと、僕は思いました。(中略)夢ならば覚めないでいてくれろ、もっと夢らしい不思議な光景を見せてくれろ、もっと面白い、もっと途方もない夢になってくれろ、そう云う風に僕は心に念じました。夢ならば覚めよと祈るのが人情ですけれど、僕の場合は反対でした。僕はそれほど夢と云うものに価値をおき、信頼を繋(つな)いでいる人間なんです。極端に云えば現実よりも夢を土台にして生活している男なんです。(中略)夢を見ることは、うまい物を食ったり、いい着物を着たりするのと同じような、或(あ)る現実の快楽なのです。」」



「私」より:

「私と彼とはやはり人種が違っているのだ。彼が虚心坦懐(きょしんたんかい)な態度で私を信ずれば信ずるほど、私はいよいよ彼に遠ざかるのを感ずる。親しもうとすればするほど、――うわべはいかにも打ち解けたらしく冗談を云い、しゃべり合い笑い合うほど、ますます彼と私との距離が隔たるのに心づく。その気持は我ながら奈何(いかん)ともすることができない。」

「夕ぐれのことで、グラウンドの四方には淡い靄(もや)がかかって、それが海のようにひろびろと見えた。向うの路(みち)を、たまに二、三人の学生が打ち連れて、チラリと私の方を見ては通って行った。
 「もうあの人たちも知っているのだ、みんなが己(おれ)を爪弾(つまはじ)きしているのだ」
 そう思うと、云いようのない淋(さび)しさがひしひし(引用者注:「ひしひし」に傍点)と私の胸を襲った。」

「「しかし君、そこはぬすッと(引用者注:「ぬすッと」に傍点、以下同)たる僕の身になって考えてもくれたまえ。(中略)こんなことを云うと、いかにもヒネクレた厭味(いやみ)を云ってるようだけれども、そんな積りは少しもないんだから、何卒(どうぞ)真面目(まじめ)に聞いてくれたまえ。それほど正直を欲するならなぜぬすッとを止めないのかと、君らは云うだろう。だがその質問は僕が答える責任はないんだよ。僕がぬすッととして生れて来たのは事実(引用者注:「事実」に傍点、以下同)なんだよ。だから僕はその事実が許す範囲で、できるだけの誠意をもって君らと付き合おうと努めたんだ。」」



「白昼鬼語」より:

「精神病の遺伝があると自(みずか)ら称している園村が、いかに気紛(きまぐ)れな、いかに常軌を逸した、そうしていかに我(わ)が儘(まま)な人間であるかと云うことは、私も前から知り抜いているし、十分に覚悟して付き合っているのであった。けれどもあの朝、あの電話が園村から懸(かか)って来た時は、私は全く驚かずにはいられなかった。てっきり園村は発狂したに相違ない。一年中で、精神病の患者が最も多く発生すると云う今の季節――この鬱陶(うっとう)しい、六月の青葉の蒸し蒸しした陽気が、きっと彼の脳髄に異状を起させたのに相違ない。さもなければあんな電話をかける筈(はず)がないと、私は思った。いや思ったどころではない、私は固くそう信じてしまったのである。」
「金と暇とのあるに任せて、常に廃頽(はいたい)した生活を送っていた園村は、この頃は普通の道楽にも飽きてしまって、活動写真と探偵小説とを溺愛(できあい)し、日がな一日、不思議な空想にばかり耽(ふけ)っていたようであるから、その空想がだんだん募(つの)って来た結果、遂に発狂したのであろう。そう考えると私はほんとうに身の毛が竦(よだ)った。私より外(ほか)には友達らしい友達もなく、両親も妻子もなく、数万の資産を擁して孤独な月日を過している彼が、実際発狂したのだとすれば、私を措(お)いて彼の面倒をみてやる者はないのである。」





この本をよんだ人は、こんな本もよんでいます:

江戸川乱歩 著/棟方志功 版画 『犯罪幻想』 復刻版
武田百合子 『日日雑記』 (中公文庫)
『マルセル・シュオッブ全集』
『Alastair Drawings & Illustrations』 (Dover)

































































谷崎潤一郎 『陰翳礼讃』 (中公文庫)

「私は、われわれが既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。」
(谷崎潤一郎 「陰翳礼讃」 より)


谷崎潤一郎 
『陰翳礼讃』
 
中公文庫 A1-9 

中央公論社
昭和50年10月10日 初版
昭和57年9月25日 10版
169p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価240円
表紙・扉: 白井晟一
カバー画: 司修



新字・新かな。


谷崎潤一郎 陰翳礼讃


カバー裏文:

「人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。(本文より)――西洋との本質的な相違に眼を配り、かげや隅の内に日本的な美の本質を見る。」


目次 (初出):

陰翳礼讃 (「経済往来」 昭和8年12月号・9年1月号)
懶惰の説 (「中央公論」 昭和5年5月号)
恋愛及び色情 (「婦人公論」 昭和6年4月号―6月号)
客ぎらい (「文学の世界」 昭和23年10月号)
旅のいろいろ (「文藝春秋」 昭和10年7月号)
厠のいろいろ (「経済往来」 昭和10年8月号)

解説 (吉行淳之介)



※「懶惰の説」の「懶」は原文では「忄(りっしんべん)+頼」です。



◆本書より◆


「陰翳礼讃」より:

「つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代りに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった、そこからいろいろな故障や不便が起っていると思われる。尤もわれわれを放っておいたら、五百年前も今日も物質的には大した進展をしていなかったかも知れない。現に支那や印度(インド)の田舎へ行けば、お釈迦様や孔子様の時代とあまり変らない生活をしているでもあろう。だがそれにしても自分たちの性に合った方向だけは取っていたであろう。そして緩慢にではあるが、いくらかずつの進歩をつゞけて、いつかは今日の電車や飛行機やラジオに代るもの、それは他人の借り物でない、ほんとうに自分たちに都合のいゝ文明の利器を発見する日が来なかったとは限るまい。」

「事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。派手な蒔絵(まきえ)などを施したピカピカ光る蠟塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蠟燭のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。古えの工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、必ずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光りの中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび出る工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。つまり金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しずつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情を催すのである。そして、あのピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおりおり風のおとずれのあることを教えて、そゞろに人を瞑想に誘い込む。」

「美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、たゞ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないと云う風に感じるのは、彼等としてはいかさま尤もであるけれども、それは陰翳の謎を解しないからである。われわれは、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。われわれは、この力のない、わびしい、果敢(はか)ない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。(中略)われ等は何処までも、見るからにおぼつかなげな外光が、黄昏色の壁の面に取り着いて辛くも餘命を保っている、あの繊細な明るさを楽しむ。我等に取ってはこの壁の上の明るさ或はほのぐらさが何物の装飾にも優るのであり、しみじみと見飽きがしないのである。」

「われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。「掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり」と云う古歌があるが、われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。」

「私は、われわれが既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。」



「懶惰の説」より:

「諸葛孔明が玄徳に三度も草廬を驚かされて、仕方なしにその重い腰を持ち上げたのは三国誌でお馴染みの話である。われわれは、もし孔明が玄徳に引っ張り出されるまでもなく、もっと早くから世に出て活動していたとしたら、それもまた結構な事だと思うが、いくら玄徳に懇請されても逃げ隠れして現れずにしまい、閑雲野鶴を友として世を終ったら、その心持にもなかなか同情出来るのである。」

「「寝てばかりいては毒だ」と云うが、同時に食物の量を減らし、種類を減らせば、それだけ伝染病などの危険を冒す度も少い。カロリーだのヴィタミンだのとやかましく云って時間や神経を使う隙に、何もしないで寝ころんでいる方が賢いと云う考え方もある。世の中には「怠け者の哲学」があるように、「怠け者の養生法」もあることを忘れてはならない。」



「客ぎらい」より:

「たしか寺田寅彦氏の随筆に、猫のしっぽのことを書いたものがあって、猫にあゝ云うしっぽがあるのは何の用をなすのか分らない、全くあれは無用の長物のように見える、人間の体にあんな邪魔物が附いていないのは仕合せだ、と云うようなことが書いてあるのを読んだことがあるが、私はそれと反対で、自分にもあゝ云う便利なものがあったならば、と思うことがしばしばである。猫好きの人は誰でも知っているように、猫は飼主から名を呼ばれた時、ニャアと啼いて返事をするのが億劫(おっくう)であると、黙って、ちょっと尻尾の端を振って見せるのである。(中略)人はその尾が動くのを見て、猫がまだ眠っていないことを知るのであるが、事に依ると猫自身はもう半分眠っていて、尾だけが反射的に動いているのかも知れない。何にしてもその尾を以てする返事の仕方には一種微妙な表現が籠っていて、声を出すのは面倒だけれども黙っているのもあまり無愛想であるから、ちょっとこんな方法で挨拶して置こう、と云ったような、そして又、呼んでくれるのは有難いが実は己は今眠いんだから堪忍してくれないかな、と云ったような、横着なような如才ないような複雑な気持が、その簡単な動作に依っていとも巧みに示されるのであるが、尾を持たない人間には、こんな場合にとてもこんな器用な真似は出来ない。」


「厠のいろいろ」より:

「志賀君が故芥川龍之介から聞いたと云って話された話に、倪雲林(げいうんりん)の厠の故事がある。雲林と云う人は支那人には珍しい潔癖家であったと見えて、蛾の翅を沢山集めて壺の中へ入れ、それを厠の床下へ置いて、その上へ糞をたれた。つまり砂の代りに翅を敷いたフンシのようなものだと思えば間違いはないが、蛾の翅と云えば非常に軽いフワフワした物質であるから、落ちて来た牡丹餅をたちまち中へ埋めてしまって見えないようにする仕掛けなのである。けだし、厠の設備として古来このくらい贅沢なものはあるまい。」
































































『谷崎潤一郎全集 第二十巻 武州公秘話 聞書抄 他』 (新書判)

「それで先生布団をかぶつて半病人のやうにうつらうつらしながら、日が暮れると云ふと、ああ、今夜あたりは狐が迎ひに来やしないかな、今にきつと来やしないかなと、心待ちに待たれるやうな、妙にそれが楽しみのやうな気持ちでゐると、案の定夜になつてから友達のやうな男が三人ばかり表へやつて来て、「さあ、行こら」「さあ、行こら」と誘ふんださうです。」
(谷崎潤一郎 「紀伊國狐憑漆掻語」 より)


『谷崎潤一郎全集 第二十巻』 
武州公秘話 聞書抄
 
三人法師 紀伊國狐憑漆掻語 覺海上人天狗になる事

中央公論社 昭和33年9月1日印刷/同10日発行
301p 口絵i 新書判 布装薄表紙 貼函 定価180円
装釘: 棟方志功
正字・正かな/ニ段組

附録 14: 4p
「武州公秘話」を脚色した時のこと(圓地文子)/聞書抄插畫に因みて(菅楯彦)/図版「〈武州公秘話〉舞臺」



歴史小説集。


谷崎潤一郎全集20-1

口絵は「聞書抄」挿画(管楯彦)。


目次:

武州公秘話 (「新青年」 昭和6年10、11月号、7年1、2、4~11月号)
聞書抄 (「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」昭和10年1~6月)
三人法師 (「中央公論」 昭和4年10~11月号)
紀伊國狐憑漆掻語 (「改造」 昭和6年9月号)
覺海上人天狗になる事 (原題「天狗の骨」/「犯罪公論」 昭和6年10月号)

解説 (伊藤整)



谷崎潤一郎全集20-2



◆本書より◆


「武州公秘話」より:

「老女は聲をひそめて云つた。そして法師丸にこんなことを話した。と云ふのは、近頃毎晩のやうに、自分たちの仲間から五六人の女が選ばれて行つて、討ち取つた敵の首級を、首帳(くびちやう)と引き合はせたり、首札を附け替へたり、血痕を洗ひ落したり、そんな役目を勤めてゐる。首と云ふものは、名もない雜兵(ざふひやう)のものなら知らぬこと、一廉(ひとかど)の勇士の首であつたら皆さう云ふ風に綺麗に汚れを除いてから、大將の實檢に供へるのである。だから見苦しいことのないやうに、髪の亂れたのは結ひ直してやり、齒を染めてゐたのは染め直してやり、稀には薄化粧をしてやるやうな首もある。要するに、なるべくその人が生きてゐた時の風貌や血色と違はぬやうにするのである。此のことを首に裝束をすると云つて、女の仕事になつてゐるのだが、此の城では婦人の手が不足なために、人質の中の女共が云ひ付かるやうになつた。だからそこで働いてゐるのは、みんな老女の心やすい者ばかりなので、そんな所でも宜しかつたら、内證で見せて上げませうと云ふのであつた。」

「人數はちやうど五人ゐた。そのうちの三人がめいめい一つづゝ首を自分の前に据ゑて、あとの二人は助手の役をしてゐた。一人の女は、半挿(はんざふ)の湯を盥(たらひ)に注(つ)いで、助手に手傳はせながら首を洗つてゐた。洗つてしまふとそれを首板の上へ載せて次へ廻す。もう一人の女がそれを受け取つて髪を結ひ直す。三人目の女が、今度はそれに札を附ける。仕事はさう云ふ順序を以て運ばれてゐた。最後にそれらの首は三人の女のうしろにある長い大きな板の上へ一列に並べられた。首がすべり落ちないやうに、その板の表面には釘が出てゐて、それへ首をぎゆつと突き刺す仕掛けになつてゐた。
作業の都合上、三人の女の間に燈火(ともしび)が二つ据ゑてあり、部屋は可なり明るくしてあつた。それに、立つと頭が梁(うつばり)につかへさうな屋根裏なのだから、法師丸にはその室内の光景が一つ殘らず眼に映つた。彼は、首そのものからは強い印象を受けなかつたけれども、首と三人の女との對照に、不思議な興味をそゝられたのであつた。と云ふのは、その首をいろいろに扱つてゐる女の手や指が、生氣を失つた首の皮膚の色と比較される場合、異樣に生き生きと、白く、なまめかしく見えた。彼女たちはそれらの首を動かすのに、髻(もとどり)を掴(つか)んで引き起したり引き倒したりするのであつたが、首は女の力では相當に重いものなので、髪の毛をくるくると幾重にも手頸(てくび)に巻き付ける。さう云ふ時にその手がへんに美しさを増した。のみならず、顔もその手と同じやうに美しかつた。もうその仕事に馴れ切つて、無表情に、事務的に働いてゐるその女たちの容貌は、石のやうに冷めたく冴えてゐて、殆ど何等の感覺もないやうに見えながら、死人の首の無感覺さとは無感覺の工合が違ふ。一方は醜惡で、一方は崇高である。そしてその女たちは、死者に對する尊敬の意を失はないやうに、どんな時でも決して荒々しい扱ひをしない。出來るだけ鄭重に、愼(つゝ)ましやかに、しとやかな作法を以て動いてゐるのである。
法師丸は全然豫想もしなかつた恍惚郷(くわうこつきやう)に入れられて、暫く我を忘れてゐた。」
「彼は三人の女たちの仕業を、代る代る見守つた。一番右の端にゐる女は、木の札に紐をつけて、それを首の髻に結ひつけてゐるのだが、たまたま髪の生えてゐない首、――「入道首」が廻つて來ると、錐(きり)で耳へ穴を開けて、紐を通してゐた。その穴を開ける時の彼女の樣子は、彼の心を甚だしく喜ばせた。が、最も彼を陶醉させたのは、まん中に座を占めて、髪を洗つてゐる女であつた。彼女は三人のうちで一番年が若く、十六か七くらゐに思へた。顔も圓顔の、無表情な中にも自然と愛嬌のある面立(おもだ)ちをしてゐた。彼女が少年を惹きつけたのは、ときどきじつと首を視入る時に、無意識に頬にたゝへられる仄(ほの)かな微笑のためだつた。その瞬間、彼女の顔には何かしら無邪氣な殘酷さとでも云ふべきものが浮かぶのである。そしてその髪を結つてやる手の運動が外の誰よりもしなやかで、優美である。彼女はをりをり、傍の机の上から香爐を取つて、それで髪の毛を薰きしめる。それから、髪を結ひ上げて、元結(もとゆひ)を結んでしまふと、それが一つの作法だと見えて、櫛の峰の方で、首の頂邊(てつぺん)をコツコツと輕く叩くのである。法師丸はさう云ふ彼女をたまらなく美しいと感じた。」

「今迄の彼は、自分が心の主(あるじ)であり、心の働きはどうでも思ひ通りに支配することが出來たのだが、その心の奧底に、全く自分の意力の及ばない別な構造の深い深い井戸のやうなものがあつて、それが俄(には)かに蓋(ふた)を開けたのである。彼はその井戸の縁(ふち)へ手をかけ、まつくらな中を覗(のぞ)いてみて、測り知られぬ深さに怯(おび)えた。自分は達者な人間だと信じてゐた男が、思ひがけぬ惡性の病氣があることを發見したのと同じやうな氣持だつた。法師丸にはその病源の由つて來たる所はよく分らない。しかしながら、自分の胸の中にある秘密の井戸から滾々(こんこん)と湧き上つて來る快感が、少くとも病的の性質のものであることは、おぼろげながら氣がついたに違ひない。」



「三人法師」より:

「それから又暫くたつて一丁ばかり上の方から、何とも云へない香(かう)が薰(くん)じて來ましたので、さあ、今度こそは餘程の人が來ると見える、我が身の運も盡きないのだと思つて、その時の嬉しさと云つたら、ぞくぞくしながら待ち構へてゐましたら、それがあたりもかゞやく程の上臈の、きらきらしい衣(きぬ)をさやさやと鳴らして通るのではありませんか。召使ひの女を二人つれて、一人を先に立て、一人を後に、上刺袋(うはざしぶくろ)を持たせて、私のゐるのを見ないやうにして通り過ぎようとなさるのを、わざとやり過しておいてから跡を追ひかけますと、前に立つてゐた女房はあれと云つたなり忽ち姿が見えなくなり、後にゐたのも袋を捨てゝ、助けてくれと云ふより早く逃げ失せてしまひましたけれども、その上臈は別に騒がれるけしきもなく、聲もたてずにいらつしやるので、太刀をはきそばめて詰め寄つて行き、なさけ容赦もなく衣裳を剥ぎ取つて、しまひに肌小袖を取らうとしました時でした。まあ、なんとする、肌小袖ばかりは女の耻だから許して下さい、その代り此れを上げますからと仰つしやつて、おん守りを取つて投げ出されましたが、無道の者の悲しさには、なかなかそれを聽き入れようとも思ひませなんだ。いゝえ、これだけでは叶ひませぬ、是非ともおん肌小袖を戴かせて下さいまし、と、さう云ひますと、肌着を脱がされては生きてゐられぬ、そのくらゐならいつそ命を取つてほしいと云ふ仰せに、よろしうございます、それこそ望むところですとお答へ申して、たゞ一刀に刺し殺して、血を附けてはなりませんから慌てゝ小袖を剥ぎ取りました。それからほつと一と息して、さつき召使ひが捨てゝ行つた袋を拾つて、やれやれ、これだけあつたら女子供も嘸(さぞ)かしよろこぶことだらうと獨りごとを云ひながら、急いで我が家へ立ち歸つて表の戸をたゝきますと、こんなに早く戻つて來たのは今夜も仕事がなかつたんですかと、中から妻が叱言を云ひますので、なんでもよいから戸を開けろと申して袋を内へ投げ込んでやりましたら、おや、いつの間に稼いだんですと云ひ云ひ、袋の口をあけるのももどかしく連鎖(つがり)の組緒(くみを)を引きちぎつたところが、それはそれはおびたゞしい異香が薰じて、出て來たのは十二單衣(ひとへ)の御裝束なのです。こうくわりよくえふのおん衣(ぞ)、くれなゐの袴、その一つ一つに滿ち滿ちてゐる匂ひと云ふものは、小路を行く人もあやしんで立ち止り、隣りあたりの家までも花のやうにかをつたくらゐで、女子供の喜びかたと云つたら、申すまでもありません。妻は勿體なくも、おん肌着などゝ云ふものを見るのは生れてこのかた始めてゞすから、これほどの裝束を召していらつしやる方だつたら、年もお若かつたでせう、いくつぐらゐに見えましたかと尋ねますので、やはり女は女同士、私のやうな者の妻でもやさしい心根はあるものよと思つて、夜目に見たのだからはつきりしないが、よもやまだ二十二三にはおなりになるまい、十八九ぐらゐな方(かた)だつたと申しますと、きつとさうですねと云つたなり物をも云はず飛び出して行くのです。何の用事で出かけたのかしら、と、さう思つてゐましたら、程へて歸つて來まして、まあ、呆れた、そなたは大名の氣でゐるのですか、とても罪を作る程なら少しでも得(とく)のあるやうにと心がけて下さればよいものを、わたしは現在屍骸の傍へ行つて髪を切り取つて來たのです、こんなにふさふさしてゐるから鬘(かつら)(註、こゝに云ふ鬘は髢(かもじ)のこと)にひねつたらどんなに見事になるでせう、常日頃(つねひごろ)から髪がうすくつて困つてゐましたのに、ほんたうによいものが手に入りました、小袖どころではありませんと云つて、茶碗に湯をうめてその髪に振りそゝぎ、竿にかけて乾したりして、踊り跳ねてうれしがるのでした。」


「紀伊國狐憑漆掻語」より:

「此の男は遠くへ出稼ぎをするのでなく、村の近所の山へ這入つてはうるしを採つてくらしてゐましたが、或る夏の日に、その漆かきが一と仕事してから山の中でひるねをしてゐますと、夕立ちが來たもんですからふつと眼をさましました。そしてそのときに、ハテな、己はひよつとすると寝てゐた間に狐に憑(つ)かれやしなかつたかなと、さう思つたと云ふんです。それが別にどうと云ふ理由があるんではないんですけれど、淋しい所をひとりで歩いてゐるときなんぞに憑かれることがよくあるんで、ただ何んとなくさういふ感じがしたんでせうな。で、まあ、家へ歸つてもそれが氣になつて仕方がない、どうも狐がついたやうだから明神さまへお參りをして來てくれろとお袋(ふくろ)に賴んだりして、友だちなんかにもそんなことを云つてゐましたが、そのうちにとうとう床について、飯も食はないやうになつたんです。それで先生布團をかぶつて半病人のやうにうつらうつらしながら、日が暮れると云ふと、ああ、今夜あたりは狐が迎ひに來やしないかな、今にきつと來やしないかなと、心待ちに待たれるやうな、妙にそれが樂しみのやうな氣持ちでゐると、案の定夜になつてから友達のやうな男が三人ばかり表へやつて來て、「さあ、行(い)こら」「さあ、行こら」と誘ふんださうです。尤も友達と云つたつて見おぼえのある男ではないんで、みんなせいが三尺か四尺ぐらゐの小男で、法被(はつぴ)を着て、木や竹の杖をついてゐて、何か非常に面白さうに「行こら行こら」と云ふんですが、それを聞くと行きたくつて行きたくつてたまらなくなるんださうです。けれどもアレは狐だから行くんではないぞ、あんな者に誘あhれてはならないぞと思つてじつと我慢してゐると、友だち共は仕方がなしに歸つてしまふ。するとその後ろ姿に尻尾(しつぽ)のやうなものがチラチラ見えるやうなんで、ああやつぱり行かないでいい事をしたと、そのときはさう思ひながら、又あくる日のゆふがたになると、今夜も誘ひに來やしないかなと心待ちに待つやうになる。さうするうちに果たしてやつて來て、「行こら行こら」と誘ふんですが、それがもう、さも面白さうなんで、ついうかうかと行きたくなるんださうですな。しかしその晩も一生懸命に我慢してしまつたところが、三日目の晩の九時頃に、家の前に庭があつて、庭の下が六尺ばかりの崖(がけ)になつてゐて、崖から向うは一面に麻の畑でした。それが夏のことですから麻が高く伸びてゐて、ちやうどその庭と畑とが同じ平面に見える。で、その畑の方へ例の小男が三人連れ立つてやつて來て、「さあ行こら」「さあ行こら」と云ふんださうです。よくよく見るとその男たちの着てゐる法被に何か圓い紋がついてゐたさうですけれども、どんな紋だつたか、そこんところはハツキリ覺えてゐないんださうで、いつもの通りめいめいが杖をついてゐて、しきりにさう云つて誘ふもんですから、とうとうその晩は我慢しきれなくなつてしまつた。」


「覺海上人天狗になる事」より:

「兎に角「人體ハ吉シ雜類異形ハ惡シト偏執スルハ悟リ無キ故也、相續の依身ハイカナリトモ苦シカラズ、臨終ニ何ナル印ヲ結ブトモ思ハズ、思フヤウニ四威儀ニ住ス可シ、動作何レカ三昧ニ非ザラン、念念聲聲ハ悉地ノ觀念眞言也」と云ふのが南勝房法語の建て前であつて、上人が天狗になつたことは、上人自身としてはその信念を實行に移した迄である。」



こちらもご参照下さい:
中村通夫・湯沢幸吉郎 校訂 『雑兵物語・おあむ物語 (附)おきく物語』 (岩波文庫)

























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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