『没後40年 熊谷守一 生きるよろこび』 (2017年)
『没後40年
熊谷守一
生きるよろこび』
Kumagai Morikazu: The Joy of Life
編集: 東京国立近代美術館、日本経済新聞社文化事業部
発行: 日本経済新聞社
2017年
359p
21.3×17.3cm
丸背紙装上製本(薄表紙)
デザイン: 菊地敦己、森裕美子
東京展
2017年12月1日―2018年3月21日
東京国立近代美術館
愛媛展
2018年4月14日―6月17日
愛媛県美術館
「凡例」より:
「出品作品は油彩(200点)、水墨(8点)、書(7点)、彫刻(3点)、スケッチ(47点)、資料(13点)、特別出品(長谷川利行[熊谷守一像])に大別される。」
「書および水墨の作品解説は鈴川宏美(中略)が担当した。それ以外の章解説、略年譜、コラム、作品解説はすべて蔵屋美香(中略)が担当した。」
「英訳担当者は以下の通りである。
喜安嶺「野間仁根からみた熊谷守一」: 小川紀久子
上記以外: クリストファー・スティーヴンス」
本書はヤフオクで新品が2,450円(+送料450円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。
会場では2,500円(税込)で売られていたようです。
画文集などでは仙人的な生き方が強調されがちな熊谷守一ですが、本書は展覧会図録なので、キュレーターの人が技術的・美術史的に解説しています。コラム「海外作家にまねぶ」ではマティス(「ダンス」「生きる喜び」)やドラン、ゴーギャン、セリュジエからの影響が検証されていて興味深いです。わたしとしてはクレーからの影響が気になるのですが、そのへんのことは書いてなかったです。

寸足らずのカバーというか、幅広の帯が付いています。
内容:
ごあいさつ (主催者)
Foreword (The Organizers)
いろいろな熊谷守一 (蔵屋美香)
凡例
図版
1 闇の守一: 1900―10年代
守一の謎①: 《轢死》を回す
2 守一を探す守一: 1920―50年代
守一の謎②: 赤い線を引く
守一の謎③: 海外作家にまねぶ
守一の謎④: たくさん作る
3 守一になった守一: 1950―70年代
守一の謎⑤: 動く絵
野間仁根からみた熊谷守一 (喜安嶺)
A Variety of Kumagais (Kuraya Mika)
Section Texts and Chronologies
1. Kumagai in the Dark: 1900s-1910s
2. Kumagai Searches for Himself: 1920s-1950s
3. Kumagai Becomes Kumagai: 1950s-1970s
Columns
The Enigma of Kumagai (1): Rotating *Roadkill*
The Enigma of Kumagai (2): Red Outlines
The Enigma of Kumagai (3): Learning from Foreign Artists
The Enigma of Kumagai (4): Making Lots of Paintings
The Enigma of Kumagai (5): Moving Pictures
Descriptions of Works
Kumagai Morikazu in the Eyes of Noma Hitone (Kiyasu Rei)
熊谷守一の言葉
年譜
主要参考文献
作品リスト
フォト・クレジット
◆本書より◆

「守一の謎①」より:
「1903(明治36)年5月のある夜、熊谷は東京美術学校近くの御隠殿坂(ごいんでんざか)の踏切(中略)で女性の飛び込み自殺に遭遇します。5年後の1908(明治41)年、熊谷はこの経験をもとに《轢死》(中略)を描き、10月の第2回文部省美術展覧会に出品しようとします。しかし主題の不穏さから拒否され、結局発表は2年後の白馬会第13回展となりました。現在《轢死》は経年による暗色化が進み、絵柄を確認することは困難です。」
「この作品には事件時の1903年と、《轢死》制作時の1908年の二つのスケッチが残されています。1903年のスケッチ(中略)は、はだけた上半身や脱げた草履などが生々しい印象です。(中略)いよいよ《轢死》を描くにあたっては、夜の光を作るため昼間から下宿の雨戸を閉めて制作したと言います。」
「横たわる女性像はこの後熊谷にとって重要なテーマとなりました。」

「裸婦」(1930―40年)。

「稚魚」(1958年)。

「彼岸花」(1959年)。
◆感想◆
後期の作品にみられる「赤い線」(赤茶色の輪郭線)について、本書では理論的なむずかしい説明がされていますが、あの赤茶色は、光の方を向いて目を閉じると瞼のうらが赤っぽく見える、あの色を表現しているのではないでしょうか。つまり光と闇が身体において弁証法的に止揚されるとあの赤茶色の線になるのではなかろうか。
熊谷守一
生きるよろこび』
Kumagai Morikazu: The Joy of Life
編集: 東京国立近代美術館、日本経済新聞社文化事業部
発行: 日本経済新聞社
2017年
359p
21.3×17.3cm
丸背紙装上製本(薄表紙)
デザイン: 菊地敦己、森裕美子
東京展
2017年12月1日―2018年3月21日
東京国立近代美術館
愛媛展
2018年4月14日―6月17日
愛媛県美術館
「凡例」より:
「出品作品は油彩(200点)、水墨(8点)、書(7点)、彫刻(3点)、スケッチ(47点)、資料(13点)、特別出品(長谷川利行[熊谷守一像])に大別される。」
「書および水墨の作品解説は鈴川宏美(中略)が担当した。それ以外の章解説、略年譜、コラム、作品解説はすべて蔵屋美香(中略)が担当した。」
「英訳担当者は以下の通りである。
喜安嶺「野間仁根からみた熊谷守一」: 小川紀久子
上記以外: クリストファー・スティーヴンス」
本書はヤフオクで新品が2,450円(+送料450円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。
会場では2,500円(税込)で売られていたようです。
画文集などでは仙人的な生き方が強調されがちな熊谷守一ですが、本書は展覧会図録なので、キュレーターの人が技術的・美術史的に解説しています。コラム「海外作家にまねぶ」ではマティス(「ダンス」「生きる喜び」)やドラン、ゴーギャン、セリュジエからの影響が検証されていて興味深いです。わたしとしてはクレーからの影響が気になるのですが、そのへんのことは書いてなかったです。

寸足らずのカバーというか、幅広の帯が付いています。
内容:
ごあいさつ (主催者)
Foreword (The Organizers)
いろいろな熊谷守一 (蔵屋美香)
凡例
図版
1 闇の守一: 1900―10年代
守一の謎①: 《轢死》を回す
2 守一を探す守一: 1920―50年代
守一の謎②: 赤い線を引く
守一の謎③: 海外作家にまねぶ
守一の謎④: たくさん作る
3 守一になった守一: 1950―70年代
守一の謎⑤: 動く絵
野間仁根からみた熊谷守一 (喜安嶺)
A Variety of Kumagais (Kuraya Mika)
Section Texts and Chronologies
1. Kumagai in the Dark: 1900s-1910s
2. Kumagai Searches for Himself: 1920s-1950s
3. Kumagai Becomes Kumagai: 1950s-1970s
Columns
The Enigma of Kumagai (1): Rotating *Roadkill*
The Enigma of Kumagai (2): Red Outlines
The Enigma of Kumagai (3): Learning from Foreign Artists
The Enigma of Kumagai (4): Making Lots of Paintings
The Enigma of Kumagai (5): Moving Pictures
Descriptions of Works
Kumagai Morikazu in the Eyes of Noma Hitone (Kiyasu Rei)
熊谷守一の言葉
年譜
主要参考文献
作品リスト
フォト・クレジット
◆本書より◆

「守一の謎①」より:
「1903(明治36)年5月のある夜、熊谷は東京美術学校近くの御隠殿坂(ごいんでんざか)の踏切(中略)で女性の飛び込み自殺に遭遇します。5年後の1908(明治41)年、熊谷はこの経験をもとに《轢死》(中略)を描き、10月の第2回文部省美術展覧会に出品しようとします。しかし主題の不穏さから拒否され、結局発表は2年後の白馬会第13回展となりました。現在《轢死》は経年による暗色化が進み、絵柄を確認することは困難です。」
「この作品には事件時の1903年と、《轢死》制作時の1908年の二つのスケッチが残されています。1903年のスケッチ(中略)は、はだけた上半身や脱げた草履などが生々しい印象です。(中略)いよいよ《轢死》を描くにあたっては、夜の光を作るため昼間から下宿の雨戸を閉めて制作したと言います。」
「横たわる女性像はこの後熊谷にとって重要なテーマとなりました。」

「裸婦」(1930―40年)。

「稚魚」(1958年)。

「彼岸花」(1959年)。
◆感想◆
後期の作品にみられる「赤い線」(赤茶色の輪郭線)について、本書では理論的なむずかしい説明がされていますが、あの赤茶色は、光の方を向いて目を閉じると瞼のうらが赤っぽく見える、あの色を表現しているのではないでしょうか。つまり光と闇が身体において弁証法的に止揚されるとあの赤茶色の線になるのではなかろうか。
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