堀口大学 『水かがみ』

「コクトーはよく誤解される男だ。彼が何か書いたり言ったりすれば、必ず誤解されるときまっていると言っても言い過ぎではないほどだ。」
(堀口大學 「ジャン・コクトー」 より)


堀口大學 
『水かがみ』


昭和出版 
1977年6月20日初版発行
349p 口絵(モノクロ)4p 
21.6×14.6cm 
丸背紙装上製本 貼函 
定価2,400円
装本: 中島かほる
装画: ジャン・コクトー

付: 「水かがみ 栞」 (12p)
堀口大學の若々しさ(佐藤朔)/堀口大學の詩業(安藤元雄)/堀口大學とシュペルヴィエルの短篇小説(飯島耕一)/大學先生点描・『水かがみ』ノート(平田文也)



本書「あとがき」より:

「昭和出版からの話があって、あなたの自画像風な作品、つまり、短歌と詩と散文の集を、一冊まとめてみないかとのことだった。今年八十四歳、也有の〈目は遠山のかすみ棚引き、耳には鳥虫の声もうとく〉、というほどではないが、やはり歳月の荷重は争いがたく、記憶の脱落も否みがたい。このような折からとて、旧作を陳列展覧に供するだけの労で、メランジュ一冊が出してもらえるとは、まことに有難い幸せ、早速応諾に及んだ次第。」
「さて、表題は、と相談されて、咄嗟に、『水かがみ』と答えてしまったが、それがそのまま受入れられ、決定してしまったが、あとで落着いて考えると、水仙に変身したという、かのナーシサスの神話があったりして、これは嗤うべき自己陶酔の有頂天ぶりを言い表わす言葉ながら、ガラスに水銀の裏づけをした鏡とちがい、欠落して映さぬ部分のまるでない、あまさぬ姿を正直に映し出す鏡としての、水の機能をよろこんでいただきましょうか。」



堀口大学 水かがみ 01


「題詩 史書大小

大鏡
増鏡
水かがみ」



目次 (初出):

随想篇
 水かがみ
  小さな自叙伝 (『季節と詩心』 昭和10年8月)
  最初の記憶 (同上)
  おそ夏はや秋 (同上)
  年寄りの冷水――銷夏報告 (「新潮」 昭和31年10月号)
  念慈歌 (「風景」 昭和39年2月号)
  浄瑠璃寺の秋 (「群像」 昭和39年1月号)
 師友・文学
  与謝野晶子 (『詩と詩人』 昭和23年10月)
  永井荷風 (『日本現代文学全集』月報20 講談社 昭和37年5月 原題「恩師」)
  佐藤春夫 (『詩と詩人』)
  萩原朔太郎 (同上)
  二詩人の死――春夫と達治 (「新潮社・カタローグ17」 昭和37年6月 原題「二詩人の死」
  ルミ・ド・グールモン (『詩と詩人』)
  ポール・モーラン (「新潮」 昭和4年6月号 原題「モオランとの会談」)
  マリー・ローランサン (「芸術新潮」 昭和31年8月号 原題「ローランサンの想い出」)
  ジャン・コクトー (『詩と詩人』)
  『月下の一群』の頃 (同上)
  波すれすれに (「朝日新聞」 昭和42年7月15日)
  ジュネを訳して (『ジャン・ジュネ全集』付録2 新潮社 昭和42年6月)
  「三田文学」の思い出 (「三田文学」 昭和51年10月号)
 外遊・紀行
  わが半生の記――最初の外遊前後 (「新潮」 昭和28年9月号)
  わが半生の記――ブリュッセルにいた頃 (「群像」 昭和29年2月号)
  悲劇週間 (『白い花束』 昭和23年2月 原題「悲劇週間・その一)
 断想録(アフォリズム)
  危険な株 (『詩と詩人』)
  驪人漫語 (『季節と詩心』)
 エロス
  裸体のエステチック (同上)
  詩に於けるエロスの領分 (「批評」 昭和42年夏季増大号)

座談会
 詩人の軌跡――堀口大學の世界 (堀口大學・林房雄・吉田精一・佐藤朔・島田謹二)(「浪曼」 昭和49年1月号 原題「堀口大學――エロスの世界」より)

自選短歌篇
 『パンの笛』抄 (大正8年1月)
 『男ごころ』抄 (昭和4年6月)
 場合の歌

自選詩篇
 自画像 (『夕の虹』 昭和32年7月)
 母の声 (『人間の歌』 昭和22年5月)
 老いたカマキリ (『月かげの虹』 昭和46年8月)
 紫陽花 (同上)
 越びとに (同上)
 秋の小径 (同上)
 人生 (同上)
 老いてすこやか (同上)
 野分の風が見て来たもの (同上)
 或る誕生日に (同上)
 詩の友 (同上)
 わが山 (同上)
 美の復讐 (同上)
 自嘲 (同上)
 初夢 (同上)
 蝶も詩人も (同上)
 中国名陶百選展 (同上)
 月の裏側 (同上)
 わが詩碑に題す (同上)
 日記 (同上)
 仏家と詩人 (同上)
 段違い平行棒 (同上)
 わが時点 (同上)
 近況 (同上)
 余生 (『沖に立つ虹』 昭和49年12月)
 僕と明治 (同上)
 石ころの歌 (同上)
 家紋 (同上)
 三位一体 (同上)
 温胎の時間 (同上)
 わが詩法 (『月かげの虹』)
 魂よ (『人間の歌』)
 雪につぶやく (『夕の虹』)
 一壺天 (同上)
 古梅 (同上)
 ある序詩 (同上)
 火打石 (同上)
 白と黒 (同上)
 関川の里 (同上)
 自らに (『白い花束』)
 歴史 (同上)
 老雪 (『夕の虹』)
 こころ (同上)
 高田に残す (同上)
 橋 (同上)
 詩人 又 (同上)
 車中偶成 (同上)
 病身 又 (同上)

堀口大學年表 (平田文也編)

あとがき

初稿発表等覚書



堀口大学 水かがみ 02


「念慈歌」より:

「慢性小児病というのだそうだ。白痴とは別ものだが、患者の精神と肉体の双方が、いつまでも成熟し切らないのが、この病気の特徴だという。他にこれといって目立つほどの異状はないが「時間」に置去られるのか、(中略)精神も小児のままいつまでも頑是ないのだという。老後も童顔で、頭髪なぞも、ふさふさしているそうだ。芸術家、特に画家と詩人に、しばしばこの慢性病の顕著な例が見られるという。以上は四十年ほど前、あるあちらの雑誌の「医学時評」欄で読んだ記事のあらましだ。」


「萩原朔太郎」より:

「詩人のエッセンスのような萩原君の人柄は、昔からそうだったが、近年ことに、何事も窮屈になってゆくこの世に、行き難きを嘆き、在り難きをかこっているように見えて、僕には気の毒で仕方がなかった。繁雑な時間と空間の交叉するポイントを継ぎ合わせて成立している実際生活のこんぐらがりが、君には非常に厭わしく、また難儀らしかった。
 会合なぞの場合にも、定められた日の定められた時刻に、定められた場所へ出席するということ自体が、君にはかなり困難だったらしい。三、四年前に一度、こんなことがあった。「文芸汎論詩集賞」の銓衡会が、銀座の京花で行われたことがあった。行ってみると審査員も岩佐、城、両君もみんな集っているが、萩原君だけがまだ見えていない。
 ――萩原君は?」
と訊ねると、
 ――今夜はお見えになりません。昨晩おいでになって下さったんです。これです」
と言いながら、困ったらしい、申しわけのなさそうな顔になって、岩佐君が差出す一枚の半紙を受取ってみると、それには紙いっぱいに、大きな太い鉛筆の走り書きで神経質に、「雪の中を出かけて来てみたが、会合は明晩だと判った。明日もう一度出直すのはいやだから、これこれの詩集を推薦して帰る」との意味がしたためてあった。萩原君の詩には、どの一篇にもこの人独特の声がひそんでいて、それがいつも僕の心を強く打つのだが、そして僕の心を痛ませるのだが、あの晩、僕は萩原君のあの置手紙を読んで、彼の詩の奥にひそむあの悲痛な声を聞くような気がして目がしらを熱くした。それは萩原君の魂が生き難い現世をかこちまどうて発するS・O・Sのサインであった。君の如き詩人は、人生の荒海に、最初から難破船として生れてきているのかも知れない。そして一生の間、救いのないS・O・Sを叫び続ける。それが君の詩であり、作品であるのかも知れない。」



「ジャン・コクトー」より:

「生れた時からすでに、コクトーは虚弱で神経質だったそうだ。少年時代から交感神経に故障があって、ずっと悩みつづけてきたらしい。あの病身らしい様子も、あの極度の内気さも、そこに原因しているらしい。
 ものを書くとあんなに勇敢に極端な自説を堂々と言ってのけるコクトーを、内気だの、はにかみ屋だのといっても信じない人があるかも知れないが、彼のティミディテは実に病的なものがある。そのため彼は人に会うとひどく疲れるので、フランスにいても、殆ど誰にも会わずに生活しているのだと言っていた。」

「――僕らの国の画家は、自然を描く場合にも絶えず自己を主張しつづけるので、その気持が画面にまで現われて、どんな風景の中にも、画家の『おれが!』『おれが!』と叫ぶ声が残っていてうるさくってしかたがない。これらの日本画を見ると、画家は全然自然の中に没入していて、画面には自然そのものだけが現われているので気持がよい」と言った。」

「滞京中、彼は一度も新聞を読もうとしないので、不思議に思って訊ねてみた。するとコクトーは、一九一七年以来、一度も新聞を手にしたことがないと答えて僕を驚かした。自分はあまりにも新聞に悪口を書かれてきたので、果ては、新聞を見ただけでも気持がわるくなるのだ、と言っていた。それでは世界の出来事なぞが判らなくなって困るだろうと言うと、そんな心配は絶対にない、と言うのだ。どうして判るのか知らないが、僕にはなんでも判る、と言うのだ。不審の眼を僕が秘書のキル君の方に向けると、その通りだ、と答える。ジャンはなんでもちゃんと知っている、然も誰よりもよく知っている、と彼は答える。するとコクトーが、「それは当り前のことさ、僕は詩人なのだもの」と疑うところのない様子だ。コクトーにあっては、詩人という言葉は、僕らが普通に考えている意味よりはよほど高い意味、神性に近いものを意味している。」

「帝国ホテルに同宿の一アメリカ婦人がコクトーにくつわ虫を一匹贈った。彼はことのほかよろこんで、子供のように有頂天な気持で虫にものを言っては遊んでいる。一秒毎に大きくなると言っては、籠を振ってよろこんでいた。粗末な竹のきりぎりす籠を、その形からアクロポリスに見立ててよろこんだりした。またくつわ虫の形が、急に大きくなった黴菌(ミクローブ)としか見えないというのでミクロビュスと呼んで可愛がった。横浜へ行く自動車の中でもニュー・グランドから船へ行く途中でも、他人には渡さず絶えず自分でこの籠を持ち歩いた。自分の好物の苺をぜひ食べさせたいというので、餌の生瓜と並べて、苺を入れてやったが、ミクロビュスはいっこう食べようとはしないので、残念がった。貰った晩は、くつわ虫が鳴きつづけて一睡もできなかった。その間に彼は、どうしてこのくつわ虫が中国の或る皇帝からジャン・コクトーへ贈られたかという長い長いお伽噺を夢とうつつのあいだに思いつづけていたらしく、翌朝目が覚めるといきなり僕に語ってきかせるのであった。」

「僕は子供の時から算数がまるで分らなかったと言っていた。今でも分らない。無理に数えようとするといよいよ分らなくなり、必ずまちがってしまう。金は全部秘書のキル君に任せきりで、自分では一文も持っていなかった。彼はまた名刺というものを持ったことがないと言っていた。」

「僕ら詩人の仕事は無為である、そして必要な場合に必要なことをなし得る用意を絶えずしていることにある。
 この状態を始終保ちつづけるために、僕は世間のことには一切交渉を持たないようにしている。」
「僕は自分の力と才能の全部を自分の芸術に捧げたいのだ。ほかのことなんかはどうでもいい。世間の誤解を是正したりしている時間や労力があったら、僕は一行でも自分のポエジーに加えたいのだ。
 幸いに、阿片が僕と世間との間を隔てる壁になってくれる。阿片は僕の世間的な行動を一切不可能にする。阿片は僕にとってはアスピリンのようなものである。阿片が、幼少の頃から病気の僕の交感神経に均整を与えてくれるのだ。阿片が僕に与えるよい効果を知ったなら、僕が阿片を飲むと言って責める人々も、跪いて詫びるだろう。阿片は、堀口君、地球の上で、最も美しい物質だよ。」
「詩人はいつも貧しい。僕も財産らしいものは何一つ持たない。取れば取っただけ使うその日その日の暮しをしている。キルは僕が老後を考えないと言って責めるが、僕には老いさらばえて生活に苦しんでいる自分を想像することはできないのだ。ここでも僕は天慮(プロヴィダンス)を信じる。僕を富ますことができなかったら、天は、老いない前に僕の生命を奪ってくれるはずだ。」

「コクトーはよく誤解される男だ。彼が何か書いたり言ったりすれば、必ず誤解されるときまっていると言っても言い過ぎではないほどだ。誤解の一部の責めは、コクトー自身が負わなければならないのではないかと思われるような場合がないでもないことに、今度僕は気がついた。それはコクトーの言葉に対する好みに原因している。しかもこの好みはコクトーにあっては、運命的なもので、今さらどうにも変えようのないものなのである。
 例えば、今度の滞京中にも、日本に対する感想を求められると、彼は、
 ――日本は極めて religieux な国だ」
と答えていたが、これを聞いて、コクトーが「日本を宗教的な国だ」と観ているのだと大抵の人は思うだろうが(中略)、しかし、それはコクトーの真意ではないのであって、彼が言おうとする意味は、「日本は、生真面目な、厳粛な国だ」と言いたいのである。」



「詩人の軌跡――堀口大學の世界」より:

堀口 それはもう敵の多い人間でねえ、僕は。
 日夏耿之介さんの名前が出ますけれども……。
堀口 (中略)「共同便所の落書にも劣る」と。
 あの人の『明治大正詩史』にも出てるんだ。
堀口 書き換えたんです、あそこを。それで彼は非常に人望を落しちゃったの。あれは最初「中央公論」に連載したものなんだ。そのころは僕とまだ絶交していなかったころで、非常にほめそやして、今晩のあなた方みたいにほめて書いてくれた。それがひとたび本にする時になったら、その間に絶交ということがありましたから、書き換えてあるんですよ。それだもんだから知ってる人は怒っちゃって、川路柳虹君なんていうのは正義感の強い人だから黙ってられないで、また憎まれることも承知でしょうね、「読売新聞」に三回にわたってそれを書いてくれた。
 私は敬老派ですからね、堀口先生も含めて偶然日夏先生とも、久保田万太郎先生ともずっとお付合い願ったんですよ。僕の家に来てお酒飲んだりしてさ。しかし、「共同便所の落書」のことからぼくが怒っちゃってね。日夏先生と遠ざかったんですよ。(中略)
堀口 (中略)彼はやっぱり日本の詩の歴史家として、詩の批評家として、りっぱでした。あれだけのものを作り上げたのは、たいへんなことですよ。ただあすこを書き換えたのだけが、これは私の真情ですけれども、本当に残念だと思ってます。
 ただ、あの人がいろんな意味で、いい友だちだったと私が今も言うのはね、ここが大事なところなのよね、本当に日夏を、兄として、父として、師として慕ってたんですよね。それがああいうことになって、もうそれは「捨て子」ですよ、「みなしご」ですよ。コイン・ロッカーに捨てられたような状態ですよ。三十七歳の時ですかな。もうそこらじゅう、どこを見ても敵ばっかりなのよ、今は言わないけれど。そんな際に、杖とも柱とも頼っていた日夏にあんなに書かれちまったのでは、こいつは大きいなと思ったね。これからどうしたらよいかと、実は思い悩みましたよ。
吉田 書き直すような何か理由があったんですか。
堀口 私が腹を立てて彼と絶交したんです。それは、私どもの間に共通の弟子があるでしょう。そういう連中の中には絶えず日夏の所の様子を僕の所に告げにくる悪いのがいるんだ。もっとも無理ないんですよ。「パンテオン」という雑誌をね、三人でやってた、日夏と西条八十と僕と。それでみんながパートを持っていた。ぼくは「エロスの領分」というパートを持っていたんですね。何かが癇に障ったんでしょう、僕に言ってくれないで、集る人にだけ言うんだねえ、弟子どもに。それが僕の耳に入って来て、これはいかんと思ったんだ。自分の詩集の扉に、「この書汝によりてあり」と書くほど、慕っているのにさ。こんなことじゃ、われわれの友情は意味ないと思って言ったの、「日夏君、こういうことを君は言ってるそうだけれども、なぜそれを僕にじかに言ってくれないか」と。つまりこういうことなんです。日夏君は「パンテオン」が来ると「エロスの領分」は油紙で密封して、それから開く、とね。これじゃあ意味ないと思ってさ、われわれの友情の。それで「それ事実か」て言ったのよ、私が。そしたら「ああ」、「なぜそれを僕にじかに言ってくれないか。僕はそんな時、君からそういう忠告を得たいために、君を大事にして来た。君も知っているじゃないか」、ところが「言えなかった」と言うんです。「そうか、今後も言えないか」、「言えない」と言うんですね。「それじゃ、しょうがないわ。ぼくの思い違いだった。これで交わりを断とう。ただ交わりを断っても、君と僕との友情は世間で非常に尊ばれているものだ。めずらしいもので、美しいものとされているものだ。それの手前もあるし、どうか往来で会ったら帽子を脱いで挨拶をしよう。会合の席で会ったら手を握ろう」と言ったら、「うん」と言ってくれた。それで、さよならと言って帰って来たわけだ。そしたらまるで違うんだね。大學攻撃ののろしをあげて、とうとうあの書き換えをしたんです。
島田 戦後に日夏さんにお目にかかった時、日夏さんの口から「林房雄論」を聞いたことがあります。非常に高い評価でしたね。人柄として、大へん親近感を抱いていた。それから、かりにどんな非難があなたの上にあろうとも、最後まで自分は助けるという心意気でしたね。それが爽快だった。あの一言をうかがったために、日夏さんという人は、いろいろ誤解されるような点のあった方と思うのですが、私はやっぱり立派な見識の方だったという印象をいまだに持っています。
 それは立派でしょう。『明治大正詩史』は名著だし。
吉田 『明治大正詩史』は非常な名著ですが、公私を混同するところがありましたね、あの人は。
堀口 そうそう、うまいことをおっしゃる。実際そうでしたね。
 それで、さっきのところへまた話をもどしますが、私はもうどうしたらいいか分らなかった。途方に暮れましたよ。孤立無援でしょう。日夏にああまで叩きのめされたら、もう立つ瀬がなかったの。それでじっと考えまして、これは日夏の共同便所説が誤りだということを立証するような仕事をするより他にしようがないと思いましたね。その意味で、彼は僕にいい鞭を当ててくれたわけなの。」



堀口大学 水かがみ 03

口絵(左)と、扉ページ裏のコクトーによるデッサン(右)。献辞は「この似ていない肖像画をニコに。ジャン☆」(拙訳)。コクトーは堀口を「ニコ(Nico)」と呼んでいたようです。



◆参考◆


日夏耿之介『明治大正詩史』(『日夏耿之介全集』第三巻)より:

「輓近の「新しき小径」は、一切の古きものから去って全く新らしい九折の山径に彳んでゐる。彼を筆者は「六号活字で書くべきものを二号活字で書く事を否まない」男とかつて評したが、佳品も些かあれば拙作も夥しく、一集毎に、殉情曲から象徴派から未来派から立体派から等、等、等と無限に変化してゆくのが、彼の詩程であつた。堀口のこの変化性は、かれのフレクシビリティーをあらはし、受感性を示すものであり、同時に又、齢を加ふるに連れて重積しなければならぬ経験が、一向に彼の精神生活の深刻性と個性の鮮かなるものとを将来する能はざる「魂の未熟」を暴露し、詩家としてのスケイルの浅薄を裏書きし、更に、その人間性の輪郭の狭小を雄弁に物語るものに外ならぬ。彼の輓近に及んで、特色づけられたその色情詩は、何等人間生活の本能的桎梏にまつはる痛烈深刻の体験に根ざさざる、遊戯的淫慾の文字上小技巧の小産物にすぎざる点に於て、共同後架の不良的楽書きにも如(し)かざる、風俗史上の興味を牽く程度の価値あるものにすぎない。堀口大學は、爰に於て夙くも徒らに詩齢老いたる全き永久の小未成品たるにすぎないのである。」













































































































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堀口大學 『月下の一群』 (第一書房版 複刻)

「日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは殘る」

(ギイヨオム・アポリネエル 「ミラボオ橋」 より)


堀口大學 訳 
『月下の一群』 
第一書房版 (複刻)

名著複刻 詩歌文学館 〈連翹セット〉

刊行: 日本近代文学館
発売: ほるぷ 
昭和55年3月20日印刷
昭和55年4月1日発行 (初刷)
749p 序3p 口絵i 別丁図版16葉 
21×17cm 
丸背紙装(背革)上製本 貼函



堀口大學訳詩集『月下の一群』(初版)復刻本。


堀口大学 月下の一群 01


函の表と背に題箋(銀に緑のデザイン)が貼付されています。


堀口大学 月下の一群 02


初版奥付より:

「大正十四年九月十一日印刷納本
大正十四年九月十七日第一刷發行
譯詩集月下の一群(自一―至一二〇〇)
定價四圓八拾錢
著作者 堀口大學
發行者 長谷川巳之吉
發行所 第一書房」



堀口大學「『月下の一群』の頃」(『水かがみ』所収)より:

「当時としてはじつに稀に見る美本だった。ノート用の上質フールス紙大判七百五十ページの本文に、十六葉の別刷の挿絵の肖像入りという、ものを惜しまぬ造本だった。金唐草模様の表紙に、金箔押しの背革の装幀は、長谷川君の意匠になる見事なものだった。定価も従って高く、四円八十銭になったので、売れ行きのほどが案ぜられたが、案外よく売れて、初版千二百部は数カ月で品切れになってしまった。」


堀口大学 月下の一群 03


口絵「長谷川潔畫伯自刻木板/木板手刷安藤友次郎」。


目次:



ポオル・ヴアレリイ
 蜂
 風神
 慇懃
 失はれた美酒
 眠る女
 假死女
ポオル・クロオデル
 眞晝の聖母
 斷章
ギイヨオム・アポリネエル
 毛蟲
 蝗
 孔雀
 蛸
 蛇
 野兎
 二十日鼠
 象
 蚤
 海猪
 海月
 海老
 鯉
 人魚
 鳩
 ミラボオ橋
 サロメ
 雪
 一九〇九年
 秋
 69
 村娘
 出發
 鐘
 病める秋
 獄中歌
 小鳥が歌ふ
 變化
 末來
 消えゆく韻致
 露營のともし灯
 狩の角笛
 昨日
 思ひ出
 刺殺された鳩と噴水
シヤルル・ヴヰルドラツク
 兵卒の歌
 酒を飲んでゐる二人の男
 訪問
アンドレ・サルモン
 土耳古うた
 川
 夏の死
 桃色の受領書
 ダンス
ジユウル・ロオメエン
 戀は巴里の色
マツクス・ジヤコブ
 石を前に歌へる
 火事
 地平線
 牧歌
 ナポリの女乞食
 強者の秘傳
レエモン・ラジゲ
 昆蟲あみ
 ドミノ
 木像崇拝
 軍服
 窓硝子
 屏風
 頭文字
 新聞
 軍帽
 ばらの花
 柘榴水
 貯金箱
ジヤン・コクトオ
 シヤボン玉
 犬は近くで吠え
 手風琴
 甲冑
 グレコ
 偶作
 バツトリイ
 三十歳になつた詩人
 耳
 踊り子
ポオル・モオラン
 戀慕流し
ジヤツク・バロン
 黒つぐみ
 人生萬歳
ロオヂエ・アラアル
 クラリス
 懶惰
 吝嗇
 淫佚
 慢心
 ロオラ
ヂオルヂ・ガボリイ
 酔つた小鳥
 海景
 海洋
 ハムレツトの影
 落葉の上に書く
 同じ落葉の上に書く
 造花
 オペラ・コミツク
フイリツプ・スウポオル
 生きてる友の墓誌銘
 ほのほ
フランシス・ピカビア
 黒奴
イヴアン・ゴオル
 太陽
 時計塔
 日ごと
 出發
フランシス・カルコ
 ああ!私は
 嘆き
 ロマンチツク
 ヴエルレエヌぶり
 身振狂言
 女たち
ギイ・シヤルル・クロス
 男ごころ
 レキサンブルグ公園で
 十一月
 黄昏
 河岸で
 昨夜私は飲み過ぎたらしい
 雨がふつてゐる
 五月の夕
 遺書の代りに
 光が空に消える
 沈黙が
 さびしさ
 かの女が云ふ
 小唄
 リイド
 五月の朝
 後にまで
 流れ
 さわやかな春夜
畫家マリイ・ロオランサン
 鎮静剤
 馬
 虎
 小鳥
畫家モオリス・ヴラマンク
 踊り場
 詩
 冬
ヴアンサン・ミユズリ
 白鳥
 河流
 去り行く夏
 蛇
アンドレ・スピイル
 公園へ
 私の犬
 聯想
 催眠歌
 人間、あまりに人間
 朝
 頬白鳥
 太陽
 春
 雨
 鴉
 夕暮だ
トリスタン・クリングソオル
 野ばら
 ボヘミヤ歌
 窓かけ
 鴉
 鵲
 死んだ薔薇
アンリイ・ド・レニエ
 思ひ出
 唄(野山の上に)
 唄(暗い林の)
 唄(お前は思ひ出すか)
 唄(明日はやがて)
 唄(それは只の)
 唄(かしこ聲高き)
 唄(若しも私が)
 唄(歌ひ乍ら流れる)
 唄(私は何も持たない)
 黄色い月
エミル・ヴエルアアレン
 風車
 今日の人に
ジヤン・モレアス
 われ身を比ぶ
 また秋の來て
 小唄
 ねがひ
ジユウル・ラフオルグ
 新月の連禱
 最後の一つ手前の言葉
 ピエロの言葉
 五分間冩生
ボオドレエル
 秋の歌
 幽靈
ヴエルレエン
 秋の歌
 われの心に涙ふる
 暗く果なき死のねむり
 風
 若い哀れな牧人
 青空
 あかつきの星
 哀歌
 倫敦ブリツヂ
フイリツプ・ヴアンデルピル
 死人の彌撒
 プロロオグ
 アリエツト
 途上の歌
ルミ・ド・グウルモン
 微笑
 反歌
 ブロンドの林
 毛
 柊
 霧
 雲
 落葉
 果樹園
 庭
 水車
 寺
 秋の歌
 秋の女
 レダ
 あらしの薔薇
 黄昏
 手
 鎖
 首環
 腕環
 指環
 時計
 女騎士への歌
 十月の薔薇花
 白薔薇を歌へる
ポオル・フオル
 地上禮讃
 この娘
 やさしい歌
 佛蘭西
 輪踊り
 幸福
 夜明の歌
 わが肖像
 私は青い花を持つてゐる
 巴里橋づくし
 人の一生
 見かけ
 ルミ・ド・グウルモン
 行つておいで
 空の色さへ
 エブリンのわれ等が茅屋
 宵の歌
 聖ドオニの頭
 雨
 何故にわれ等の子等は
 巴里の一室
 舟
フランシス・ジヤム
 サマンに送る哀歌
 哀歌(第七)
 哀歌(第十四)
 哀歌(第十七)
 去年のものが
 私に彼等が云ふた
 ブリユウジ市
 他人が幸福である為の祈り
 星を得る為の祈り
 兒の死なぬ為の祈り
 苦痛を愛する為の祈り
 驢馬と連れ立つて天國へ
 家は薔薇の花で
 私は驢馬を好きだ
 古びた村
 その頃
 緑の水の岸
 少女
 人は云ふ
 哀憐が私を殺す
 雲が一線に
 樹脂が流れる(その一)
 樹脂が流れる(その二)
 正午の村
 お前は書いてよこした
 雪のふる
 聞け
 雨の一滴が
 人の云ふことを信ずる勿
 私を慰めて呉れるな
 爐ばたに足を投げ出して
アルベエル・サマン
 水上奏樂
 相伴
 池畔逍遥
 秋
 涙
 好愛
 われは夢む
 クレオパトラ
 夕暮(その一)
 夕暮(その二)
 夕暮(その三)
 死市
 眞晝
 村景
 港の朝
 小市夜景
 秋
ルネ・ヂオルヂヤン
 水邊悲歌
シヤルル・ゲエラン
 圓き月
 夕暮の戸口
 心
 形と影
 詩家の嘆き
シヤルル・ヴアン・レルベルグ
 夕暮の時が來ると
 輪踊
 私は君たちであり
フイリツプ・シヤヴアネエ
 田舎
 小曲
ルネ・シヤリユ
 ロマノフ大佐
ルヴエル・レニエ
 私は苦しむ
ピエル・ルヴエルヂイ
 旅人とその影
カンタキユゼエン
 人の一生
 碑銘
ガブリエル・ムウレイ
 熱の枕
 病の日
アドルフ・レツテ
 夜曲
ルヰ・マンダン
 女性
 秋の夕暮の黎明
 抒情發生
 音樂と舞踏
ジヨセフ・リヴイエエル
 私は一人ぽつち
フエルヂナン・エロル
 雪
エプレエム・ミカエル
 雨の薄暮
レオン・ヂエルス
 新月
ル・ラツスウル・ド・ロンゼエ
 お月さま
アンリ・ド・ボルニエ
 風景
ジヤンヌ・カチウル・メンデス
 螢
ロオラン・タイラツド
 尼の如に青ざめて
ピエエル・ルヰス
 最後の戀人(ビリチス)
 朝の雨(ビリチス)
ジユリアン・ボカンス
 徘體小詩
エドモン・ロスタン
 失題
ノワイユ夫人
 幻影
 若さ
ヂヨオルヂ・ヂユアメエル
 介在の王國
ジヤン・ラオオル
 さびしき小唄
 月の中の漂泊人
ジヤン・マルク・ベルナアル
 今宵また(カイヤム)
モオリス・マグル
 詩集のはじめに
ポオル・ヂエラルデイ
 二元論
アンドレ・ミレ
 音樂
ギイ・ロベエル・ロスタル
 衝立
フエルナン・グレツヒ
 解脱
 午後の月
マラルメ
 フオオヌの午後斷章
 幽靈
 ためいき

挿繪目次
 ポオル・ヴアレリイ
 ポオル・クロオデル
 ギイヨオム・アポリネエル
 アンドレ・サルモン
 ジユウル・ロオメエン
 マツクス・ジヤコブ
 ジヤン・コクトオ
 ヂオルヂ・ガボリイ
 フランシス・カルコ
 マリイ・ロオランサン
 アンリイ・ド・レニエ
 エミル・ヴエルアアレン
 ヴエルレエン
 グウルモン
 ポオル・フオル
 フランシス・ジヤム




◆本書より◆


「序」:

「最近十年間の私の譯詩の稿の中から、ほぼその一半に相當する佛蘭西近代の詩人六十六家の長短の作品三百四十篇を選んでこの集を作つた。
 最初私はこの集を見本帖と云ふ表題で世に問ふつもりであつた。と云ふ理由(わけ)は、たまたま此集が佛蘭西近代詩の好箇の見本帖であつたからである。即ち佛國に於ける近代詩の黎明とも云ふ可き、ボオドレエルから、ヴエルレエン、マラルメを經て近く大戰後の今日に到る最近半世紀の佛蘭西詩歌の大道に現れた詩人及びその作品を、私の詩眼で評價し選擇して作られたのがこの集である。
 讀者の見らるるとほり、私がこの集の譯に用ひた日本語の文體には、或は文語體があり、或は口語體があり、硬軟新古、實にあらゆる格調がある。然しそのいづれの場合にあつても、私が希(ねが)つたことは、常に原作のイリユジヨンを最も適切に與へ、原作者の氣禀を最も直接に傳へ得る日本語を選びたいと云ふ一事であつた。
 後世或は、語に明に詩に厚き、高雅な閑人があつて、原作と對比してこの集を讀んで呉れるかも知れぬ。彼の温情ある賞讃の微笑を、私は地下に感ずるであらうか?
     千九百二十五年四月
                     堀口大學」


「失はれた美酒 ポオル・ヴアレリイ

一と日われ海を旅して
(いづこの空の下なりけん、今は覺えず)
美酒(びしゆ)少し海へ流しぬ
「虚無」にする供物(くもつ)の爲に。

おお酒よ、誰か汝(な)が消失(せうしつ)を欲したる?
あるはわれ易占に從ひたるか?
あるはまた酒流しつつ血を思ふ
わが胸の秘密の爲にせしなるか?

つかのまは薔薇いろの煙(けむり)たちしが
たちまちに常の如(ごと)すきとほり
清げにも海はのこりぬ……

この酒を空(むな)しと云ふや?……波は醉ひたり!
われは見き潮風(しほかぜ)のうちにさかまく
いと深きものの姿を!」


「病める秋 ギイヨオム・アポリネエル

病んで金(きん)いろをした秋よ
お前は死ぬだらう 柳川原に嵐が荒(すさ)ぶ頃
果樹園の中に
雪がふりつもる頃

哀れな秋よ
死ね 雪の白さと
熟した果實の豊かさの中で
空の奧には
鷂(このり)が舞つてゐる
戀をしたことのない
短い緑の髪(かみのけ)を持つた松の木の上に

遠くの森のふちで
鹿が鳴いた

私は好きだ 季節よ お前のもの音(をと)を
誰も摘まぬのに落ちて來る果物(くだもの)と
啜泣く風と林と
落ちて來る涙 秋の落葉よ
踏みにじられる落葉よ
走り行く
汽車よ
流れ去る
生命(いのち)よ」


「耳 ジヤン・コクトオ

私の耳は貝のから
海の響をなつかしむ」



堀口大学 月下の一群 04


アポリネール。


堀口大学 月下の一群 05


ジャン・コクトー。


堀口大学 月下の一群 06


アンリ・ド・レニエ。


堀口大学 月下の一群 07


ポール・フォール。












































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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