澤田瑞穂 『中国の民間信仰』

「一塊の石にも神霊が宿ると、水には沈むはずの石が、常識を超えて水に浮き漂うことがあると信ぜられていた。
 むかし陽羨県(江蘇宜興県)の小吏 呉龕(ごがん)というもの、ある日のこと舟に乗って水上をゆく。五色の石が浮いてきた。これを取り帰って牀頭に置いたところ、夜になって一女子に化し、自ら河伯の女であるといった。夜が明けてみると依然として石であった。後またこれを谷川に投じた(『幽明録』および『述異記』)。河伯とは黄河の水神である。」

(澤田瑞穂 「漂着神考」 より)


澤田瑞穂 
『中国の民間信仰』


工作舎 1982年7月5日第1刷/1991年10月10日第3刷発行
579p 口絵(カラー)4p 折込(カラー)1葉
A5判 丸背布装上製本 貼函 
定価8,500円
エディトリアル・ディレクション: 松岡正剛
エディトリアル・デザイン: 木村久美子



「中国妖異考の四部作」その三。
本文中図版(モノクロ)多数。折込カラー図版は「天地三界十八仏諸神」。


澤田瑞穂 中国の民間信仰1


帯文:

「中国研究に必読の好著
早稲田大学名誉教授/日本道教学会名誉会長 福井康順
 怪力乱神を語らず、とは孔子のこと。本書は逆にそれに立ち入っての研究で、中国人の信奉する孫悟空神・龍の母などの鬼神怪異の実態が学的に解明されている。
 著者は斯界の権威で『地獄変』『鬼趣談義』など名著が多く、本書巻頭の「民間信仰と道教」にもその学識の高さが示されている。
 本書はひろく文献を捜訪、しかも徴証に溺れず伝承に迷わず、現状をも観察した稀れな労作である。中国の宗教を検討する時、必読すべき好著。」



帯背:

「失なわれた
神々の発掘
秘蔵文献・図像多数収録」



目次 (初出):

序にかえて 民間信仰と道教 (昭和五十二年十一月二十六日、第一回道教談話会口述/「東方宗教」第五十二号「道教の基礎的問題」 昭和五十三年十月)

第一章 生きる神々
 中国民間の太陽信仰とその経典 (「天理大学学報」第五十九輯 昭和四十三年十一月)
 蟠桃宮の神々 (「東方宗教」第二十六号 昭和四十年十月)
 二つの二郎廟――信仰と環境 (北京・東方民俗研究会「東俗叢」第二号 昭和十九年十二月)
 土地神賭妻 (未刊稿)
 焼頭香の話 (未刊稿)

第二章 異神の源流
 孫悟空神 (「中国文学研究」第五期 昭和五十四年十二月)
 黒神源流 (未刊稿)
 駆蝗神 (「東方宗教」第五十一号 昭和五十三年六月)
 草鞋大王のこと (「二松学舎大学人文論叢」第十七輯 昭和五十五年三月)
 漂着神考 (国学院大学「漢文学会々報」第二十六輯(創立五十周年記念号) 昭和五十五年十一月)

第三章 龍母伝説
 龍の母 (「早稲田大学大学院文学研究科紀要」第二十三輯 昭和五十三年三月)
 龍木篇 (「天理大学学報」第六十五輯 昭和四十五年三月)
 龍宮伝書――水神に手紙を届ける話 (未刊稿)

第四章 神子誕生
 神婚伝説 (「中国文学研究」第一期 昭和五十年十二月)
 神女送子のこと (「中文研究」第十三号 昭和四十七年十二月)
 霊山の性禁忌 (未刊稿)
 泰山香税考 (「福井博士頌寿記念東洋文化論集」 昭和四十四年十二月)
 借寿考 (未刊稿)

第五章 殺人祭鬼
 殺人祭鬼 (「天理大学学報」第四十三輯 昭和三十九年三月)
 殺人祭鬼・証補 (「中文研究」第五号 昭和四十年一月)
 殺人祭鬼・再補 (未刊稿)
 メタモルフォーシスと変鬼譚 (「昔話―研究と資料」第二号 昭和四十八年六月)

第六章 魂帰る
 魂帰る (「道教研究」第二冊 昭和四十二年三月刊)
 魂帰る・再補 (未刊稿)

第七章 神との遭遇
 口碑と風水信仰 (未刊稿)
 神との遭遇 (未刊稿)
 庚申史料雑鈔 (原題「庚申補録」 庚申懇話会「庚申」第三十三号原載 昭和三十八年八月/昭和五十三年十二月、同朋舎刊「庚申」では編者により「中国の雑書にみる庚申信仰」と題して収録)

第八章 虫獣・情魂の神
 虫獣神威を顕わす (未刊稿)
 異形の神 (未刊稿)
 情魂神に祀られる (未刊稿)
 賊徒また神を祀る (未刊稿)
 花神二題 (未刊稿)
 廃物に神宿る (未刊稿)

第九章 清末の祀典問題
 清末の祀典問題 (「東方宗教」第二十三号 昭和三十九年三月)

あとがき

事項索引
書名索引
地図
初出誌一覧
著者紹介



澤田瑞穂 中国の民間信仰3



◆本書より◆


「龍宮伝書」より:

「ある魚売りの男が鮮魚を積んだ手車を推して山麓を通る。天気も暑かったので、車を停めて路傍の樹下に休息していると、ふと一道士が竹林から出てきた。見たこともない道士だが、懐中から一通の手紙を取出して、「ご苦労だが、これを……」といって渡す。封書には一字も書いてなく、どこへ届けてよいやらわからぬままに受取る。「そなたは帰りに南丈崖を通るであろう。そこまでいったら、崖を叩いて、南丈崖、労山捎得書子来(南丈崖よ、労山から手紙を送ってきたよ)といえば、誰かが出て受取るはず。気をつけてな。わしはちと急用があるで……」といって道士は山に去った。魚売りは大切に手紙を懐に納めた。郭村までいって高原にある一軒の飯屋の亭主に車を預け、自分は近くの南丈崖まで出かけた。高い絶壁で人家もなく洞穴もない。彼は崖を叩いて例の労山捎得書子来の文句を唱えると、顔前に門が開いて一老人が現われた。奥の客室に案内されてゆくと、そこには年若い先生がいて、棋を囲んでまだ一局が終らない様子。老人は魚売りに一杯の茶をついでやると、またもやその先生と棋を続ける。彼はそれを無心に見ていた。ふと窓外に目をやると、中庭の黄楊樹の葉が黄ばんで落ち、ついで青くなり黄ばみ落葉し……と瞬くうちに変化する。老人と先生とは男のことは忘れたように囲棋に耽っている。彼は腹もへったので、地上に落ちていた棗(なつめ)の核(たね)を拾って口に入れ、また吐き出したが、異常に甘い。やがて棋が終ったのを機に彼は別れを告げる。老人は引留めもせず、軽く礼をいっただけで送り出した。門を出たかと思うと、そこは依然として絶壁であった。彼が郭村に帰ってみると、そこには城壁も人家もなく、ただ一面の水。水辺の高処に幾十軒かの人家があり、建物は見覚えがあるような気もするが、みなふるびて破れている。人家のあるところへいって郭村への路を尋ねても誰も知らない。最後に日向ぼっこの白髪の老婆に問うと、「あの村は、とっくの昔に洪水で沈んでしもうた。洪水の前には、わしの実家もあの村にあったのじゃが」という。それでは何というところかと問うと、「漿魚店というてな、三百余年も前にはここには人家がなく、宿屋が一軒あっただけじゃが、ある日、一人の魚売りが魚を積んだ車を推してその宿屋に預け、南丈崖に潜りこんでしまったのを見かけた人があったげな。いくら待っても戻って来ない。到頭、魚は腐って水になったのに、まだ戻らん。この噂を聞いた人がみな宿屋まで見にいったそうな。大水が過ぎてから、近所の人がここにきて住みつき、村の名を漿魚店とよぶことにしたのじゃよ。」魚売りは聞いて夢から醒めたように、あの黄楊の葉が芽を吹き落葉したのは、それが一年だったことを悟ったという(林蘭『瓜王』所収「漿魚店」)。
 この昔話には文使いと仙郷淹留譚と洪水説話との三要素が連続して語られている。発端の文使いに対して、老人が囲棋に熱中していたとは例の爛柯山の故事の借用。また老人はお茶一杯しか出さなかったが、無心に拾って嘗めた棗の核が神仙の長命果であり、かつ洪水に遭って覆没することを防いでくれたので、これは仙人の大なる報謝であった。」



「殺人祭鬼」より:

「宋の時代に、湖北・湖南などの一部僻遠の地方には、人を殺して鬼神を祭ることを秘義とする殺人教ともいうべき外道(げどう)の邪法が伝習されていた。」

「殺人供犠の功徳によって己も神になり、極楽浄土に転生できるという信仰も、さほど奇異なものでなく、古代人や未開人にもこの例は少くない。もしそれが教義的に組織されると、兇暴無惨な殺人教と化するのである。」



「殺人祭鬼・証補」より:

「湖南沅州の役人李侁の子息、十歳。郡の士人覃先生の私塾に通学する。自宅との距離は一里、朝がた家を出て、毎日の弁当は下男の蔡宣が運ぶ。ところが、この下男が大の博奕(ばくち)ずきで、いつも市中の汪二という男に代りを頼んで運ばせていた。やがて汪は覃先生とも顔見知りになり、少年が帰宅するときには汪二に伴をさせるようになった。ある日、伴をして途中まで帰ると、一人の男が現われて、蔡の旦那は忙しいので、代りに坊っちゃんをお連れしに参りましたという。汪二は信用して、その男の名もきかずに少年をわたした。その晩、李氏の奥さんは息子の帰宅を待ちわびて下男の蔡宣に訊く。下男は覃先生の塾に飛んでゆく。とっくに汪二が伴をして帰ったとの先生の返事に下男は蒼くなり、城内を一晩さがし廻った。夜明けを待って城外に出て捜索する。五里離れた僻処の森に、鴉や鳶が群れさわいでいる。念のための小径をたどってゆくと、少年の屍体が横っていた。すでに腹部は剖かれて内臓がなくなっており、代りに米餌(米または米飯か)が詰めてある。けだし悪徒が殺して鬼を祭ったのである。飛んで帰って奥さんに告げ、検分してもらうと坊っちゃんに相違ない。州の役所に訴え出る。長官は覃先生・蔡宣・汪二の三名を拘引し、懸賞つきで犯人を探索したが、結局は迷宮入りになった。汪二は獄中で死亡。時に淳熙七年(一一八〇)の春であった……。」


「メタモルフォーシスと変鬼譚」より:

「唐の汴(べん)州の西の板橋店。店とは旅人を泊める旅籠屋(はたごや)のことで、そこの女主人の三娘子、来歴不明の寡婦で年齢三十あまり。子も身寄りもない一人暮しだが、姐御肌(あねごはだ)で、評判も悪くない。内証も裕福とみえて、多くの家畜を有している。
 唐の元和年中、河南許州の趙季和というもの、洛陽に赴く途中でここに宿る。先客が六七人。深夜に酒食が出されて諸客は酔い潰れたが、季和だけは酒は嗜まなかった。二更に至って女主人の三娘子も自室に帰る。壁を隔ててゴソゴソと物音がし、また動物の声らしいものも聞える。隙間から覗くと、女主人は燭をつけ、箱の中から鋤と、それぞれ六七寸ばかりの一木牛・一木偶人を取出して竈の前におき、水を口に含んで噴きかけると、二物ともに動き始めた。小人は牛を牽き鋤をつけて牀前の地を耕す。女はまた蕎麦の種子一握りを取出して小人に与えて蒔かせる。やがて芽をふき花ひらき蕎麦が熟すると、小人にこれを刈らせて七八升を穫た。また小さな磨子(うす)を置いて粉に碾かせ、木人を箱に納める。それから粉で焼餅(シャオピン)数個をつくる。雞が鳴いて客が出発しようとするころ、女は先に起きて灯を点じ、焼餅を卓にならべて客に供する。趙季和が戸外で窺っていると、諸客は焼餅を食い終らぬうちに地に倒れて驢馬になった。女はこれらを内に追い入れ、客の荷物は悉く奪い取った……。」



澤田瑞穂 中国の民間伝承4











































































































































































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澤田瑞穂 『鬼趣談義』 (中公文庫)

「ある日、その女の霊魂が若者の耳の中に潜りこみ、癢(かゆ)くて物音が聞えない。これより毎夜のように耳中の女の霊と語り合う。三年余を経て女の霊は若者に結婚をすすめる。それは山陽の某紳士の家の一女十七歳で、昨夜急死したが、それを活(い)き返らせるから、女の口と鼻の間に耳を附けなさい、そうすればわたしは借軀復生してあなたと永く添い遂げましょうという。若者はそのとおりにして妻を得、耳の病もまた癒(い)えたと。」
(澤田瑞穂 『鬼趣談義』 より)


澤田瑞穂 
『鬼趣談義
― 中国幽鬼の世界』


中公文庫 さ-42-1
中央公論社 1998年8月3日印刷/同18日発行
494p 文庫判 並装 カバー 
定価1,143円+税
カバー: 南伸坊



「中国妖異考の四部作」その二。
初版は1976年9月、国書刊行会刊。修訂版は1990年9月、平河出版社刊。本書はその文庫版です。


澤田瑞穂 鬼趣談義


帯文:

「中国の幽鬼・妖怪の世界を説き明かす博引旁証の大著」


カバー裏文:

「筆記・随筆・地誌類など汗牛充棟の文献世界を渉猟し、中国の幽鬼妖怪の種々相を暢達な筆致で説き明かす。“怪力乱神”を語り、中国古来の霊魂観、幽鬼妖怪観を探究する、碩学による博引旁証の大著。巻末に事項・書名索引を付す。」


目次:

鬼趣談義
墓中育児譚
亡霊嫉妬の事
髪梳き幽霊
鬼卜――亡霊の助言によって吉凶を占う事
再説・借屍還魂
鬼求代
鬼索債
泡と蝦蟇
関羽に扮して亡霊の訴えを聞く話
柩の宿
鬼買棺異聞
産婆・狐・幽霊
墓畔の楽人
鬼市考
偽幽霊出現
僵屍変
棺蓋鬼話
旱魃とミイラ
野ざらし物語
石の妖怪
土偶妖異記
芭蕉の葉と美女

あとがき
修訂版後語

解説 (稲畑耕一郎)

書名索引
事項索引




◆本書より◆


「髪梳き幽霊」より:

「北京阜城門内の某胡同に幽霊屋敷があった。護軍の永某という胆力自慢の男が友人と賭(か)けをして単身その屋敷に泊る。眠りかけると足音がする。ひそかに戸の隙間から窺うと、燈下に一無頭の婦人が坐しており、片手に頭を膝の上におき、片手に櫛を持ってその髪を梳く。両眼は炯々(けいけい)として戸の隙間の方を睨(にら)む。彼は驚いて身動きもできない。やがて女は髪を梳き終ると、両手で耳をつかんで上に載せ、すっと立ち上ると、戸をあけて外へ出ようとする。彼は一散に逃げ出した。」


「再説・借屍還魂」より:

「乾隆元年か二年のころ、戸部員外郎の長泰に下僕あり、その女房が二十余歳で急死した。翌日納棺しようとすると、手足が動いて屈伸しはじめ、俄かに起き上ってここはどこだと問う。譫言(うわごと)かと思っていると、やがて室内を見廻し、ハッと思い当ったように嘆息すること再三、黙々として語なし。これより病は癒(い)えたものの、その語音歩行を察するにみな男子のようで、それに化粧のこともできない。夫を見ても見識らぬ様子。どうも変だと思って問いつめると、やはり男で、数日前に死んで魂が冥府に赴(おもむ)いたところ、寿命がまだ残っているが、女身に謫せられるというので、この女房の屍を借りての再生を命ぜられ、夢から醒めたかと思えば、己は寝台に横たわっていたと。姓名本籍を問うても言いたがらない。事ここに至っては、いまさら前世の辱(はじ)をさらすまでもないと答えるだけ。ついに深くは追及しないことにした。はじめは夫とは同寝しようとしなかったが、後には断りようもなくて、渋々ながら従った。しかし交わるたびに夜明けまで忍び泣きするのであった。」

「浙江平湖の董(とう)という二十余歳の若者、路上で一美女に遇い、跡をつけて城外の小屋でその女と交歓した。一人の野菜売りが通りかかる。見ると若者が棺に抱きついて交媾の状をなしている。幽霊に憑(つ)かれたものとみて助けてつれ帰る。ある日、その女の霊魂が若者の耳の中に潜りこみ、癢(かゆ)くて物音が聞えない。これより毎夜のように耳中の女の霊と語り合う。三年余を経て女の霊は若者に結婚をすすめる。それは山陽の某紳士の家の一女十七歳で、昨夜急死したが、それを活(い)き返らせるから、女の口と鼻の間に耳を附けなさい、そうすればわたしは借軀復生してあなたと永く添い遂げましょうという。若者はそのとおりにして妻を得、耳の病もまた癒(い)えたと。」

「風化店の張家の娘、十五歳。流行病で数日臥(ふ)したまま起きられない。咽喉が乾いたが、たまたま室内には人がいなかったので、無理して寝台から下り、水を取りにゆく。しかし病体で思うに任せず、ついに昏倒した。家人が見つけて驚き、寝台に抱き上げると、やがて気がつき、目をあけて見る。自分を取りまいて様子を窺っている人々はみな識らない人ばかりなので、不思議そうに、「あたしはどうしてここに来たのかしら」という。家人は病中の譫言(うわごと)だろうと思っていると、娘は起きて外へ出ようとする。家人が引き留めると、「あたしは家に帰るんです。どうして留めるんですか」という。「ここがお前の家なんだよ。ほかにどこへ帰るというの」と家人がいえば、「あたしは劉家のものです」と娘がいうので、衆みな不思議がる。そのとき劉家にも娘がいたが、病死したばかり。その父母がこのことを聞いて駈けつける。娘は見るなり「お父さんお母さんだ」といった。」



「鬼求代」より:

「幽霊人口ということばがある。仮空の住民登録をして、実数はそれ以下という場合に用いる。これは現実の人間界での話である。ところが、冥途には冥籍(めいせき)という戸籍簿があって、これに登録せられた亡者は幽鬼とよばれ、所定の人口いや鬼口を保つことになっているらしいから、これこそ、ことばの真の意味での幽霊人口である。
 地球上の人類は刻々に増加してゆく。将来は土地も食糧も不足するであろうことは国際連合か何かでも問題になっているとおりである。しかし従来この人口増加を抑制してきたのは、産児制限や嬰児殺しのほか、人間の病死・老衰死・自殺および天災や人災による事故死あるいは戦争による大量の戦死で、つまり人間には死というものがあって新陳代謝するから、ある程度は増加の速度が抑えられているのである。
 ところが冥籍に入った亡者(もうじゃ)には、もはや人間のような死亡というものはないはずである。すると、幾千万年来の人類史から考えると、冥界の幽霊人口は莫大なものになっているわけで、宇宙に遍満しているに違いないと思われる。だが実際はそうではないらしい。亡者には死がないかわりに、受生(じゅしょう)とか転生とか託生とかよばれる第二、第三の新生の途があって、冥府の審判の結果、その亡者は再び人間なり畜生なりに投胎して生まれ代る。いわゆる六道(ろくどう)輪廻の循環理論である。だから冥界の幽霊人口は我々が想像するほど密度が高いものではなく、転生による人口減で、一定の額を保っている。こちら人間界に新しく嬰児が出生したといっても、それは実は再生品なので、幽顕両世界の相互流通からいうと、絶対的人口増ではないのである。」



「鬼市考」より:

「翰林官の裴択之(はいたくし)という人、河南陽武県の人であるが、六、七歳のころ、父に抱かれて馬で東北の村に出かけた。城外の濠(ほり)のところまでゆくと、城門の南北に市が立っているのを見た。人物はみな二尺ばかりで、男女老幼・吏卒僧道みな往来し、商人の売買取り引きから、荷物をかつぐもの、驢馬に背負わせたもの、車に積んだもの、なんでもある。そのことを父に告げると、父はそんなバカなことといって信用しなかった。しかし三度四度もそこへいったが、いつもそれが見られたという。」

「唐・鄭熊『番禺雑記』に、「海辺には時に鬼市あり、半夜に集まり、鶏が鳴いて散る。人これに従って多く異物を得る」とあって、鬼市の称はすでに唐代からおこなわれたことはわかるが、ただその鬼市の実態が、伝説上の幽鬼の市なのか、それとも人間による夜陰の交易であったのか判然しない。「人多く異物を得る」とは、あるいは「夷人蕃民」との交易を暗示するとも解せられる。」
「清代の記録であるが、異民族の居住する雲南剣川県にも夜市のあったこと、清・張泓(ちょうおう)の『滇南(てんなん)新語』に記載されている。剣川は雲南でも西北の地で、チベットに入る門戸となっており、土着民はすべて異民族。漢人といえば客籍・軍籍のものだけであった。日が暮れると、河原などに市が立ち、百貨が集まる。村民は手に炬火(たいまつ)を持ち、高低遠近より蛍のごとく燐のごとくやってきて売買をする。また地面に蓆を敷いて群飲し、和歌跳舞しあるいは泥酔して喧嘩を始めるものもある。二更になると、酔ったやつを扶(たす)けて次第に散ってゆく。筆者の張氏はこの地に長官として赴任してから、夜市を弊風陋習の甚だしいものとして厳禁したところ、翌月には夜市はなくなり、みな日中に市が立つようになった、と誇らしげに記している。つまり、夜市は日用品交易のためばかりでなく、また一種娯楽交歓の場でもあった。それを、「風化」を重んずる漢人出身長官のために、一方の娯楽は弊風陋習として一片の禁令により奪われてしまったわけである。」



「芭蕉の葉と美女」より:

「蘇州(中略)に一書生が住んでいた。庭前には植木が多い。夏の夕方、入浴後に書斎で涼を納れていると、緑色の上着に翠色の裳という服装の女が窓際に佇(たたず)む。声をかけると女は挨拶して、わたしは焦(しょう)氏と申しますといって、室内に入ってきた。ほっそりした美人である。立ち上って捉えようとすると、女はあわてて衣服の一端を書生の手に遺したまま逃げた。それは裾の一角であった。翌朝みると芭蕉の葉である。書生は以前に隣りの寺で勉強をしたことがあって、その芭蕉の一株を乞うて庭に移植したのである。葉の裂けたところと、手に遺ったのとを較べてみると、ぴたりと一致した。」




















































澤田瑞穂 『修訂 中国の呪法』

「天津西関内の民家に時おり怪異を見かけた。ある月明の夜に、中庭でゴロゴロと音がする。見ると、大きな甕(かめ)の中に人が逆立ちして両足を上にし、転がりつづけている。犬が吠えながら追う。これを見かけた者は、その住居に住むのを苦にして幾人も住人が替る。夏某という者、この家に住み、部屋を改造するとき、大門の梁のあいだで一個の木箱を見つけた。中には数寸ばかりの小さな泥塑(でいそ)の壺が収められてあり、その中では一個の小さな泥人形が逆立ちしており、以前に見たのとそっくりである。」
(澤田瑞穂 『修訂 中国の呪法』 より)


澤田瑞穂 
『修訂 中国の呪法』
 

平河出版社 1984年12月20日初刷発行/1995年6月30日7刷修訂版3刷
536p 目次iv 索引24p 口絵(カラー)2p
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価3,000円(本体2,913円)
装丁: [中垣デザイン事務所] 奥りゑ



本書「あとがき」より:

「扱った題材が超能力の類であるため、どうしても「怪・力・乱・神」に渉らざるを得なくなる。また伝承のすべてが実事であったという保証も立てられない。むしろ誕妄の虚説が多きを占めるといってもよいだろう。ありていにいえば、筆者自身も、実はそっちの怪を語る方に興味がある。その意味では、前著『鬼趣談義』や『中国の民間信仰』と出入する部分も多く、中国怪異の技術編というところ。前二書と併せて、どうやら中国妖異考の三部作になった。これに、早いころ出した『地獄変』を加えると妖異四部作ということにもなろうか。」


「修訂版追記」より:

「今回、ルビを多くしたほか、あらたに事項および引用書名の索引を附した。」


本文中図版(モノクロ)。


澤田瑞穂 中国の呪法1


帯文: 

「修験道・民間呪術の源流!
運命の予知・病気治し・富貴になる法から
はては黒巫術・紅巫術まで、
呪術の中に込められた人間の悲喜こもごもとした諸相を、
文献資料をもって広く紹介する。
新たに事項・書名索引を付す。」



帯背:

「呪術の百科」


目次:

口絵
 羅両峯「鬼趣図」

第一輯 見鬼
 見鬼考
 劾鬼考
 禁術考
 避瘧考
 隠淪考

第二輯 呪詛
 嘯の源流
 返魂・摂魂
 呪詛史
 工匠魘魅旧聞抄
 替身と替僧

第三輯 蠱毒
 妖異金蚕記
 蜈蚣蠱
 挑生術小考
 猫鬼神のこと
 夷堅妖巫志
 南法異聞
 摩臍考
 登刀梯
 呉巫雑記

第四輯 雑卜
 響卜考
 雑占小記
 火の呪法
 種まきの呪法
 紅い呪術
 祈子呪法類考
 悪夢追放
 風邪を売る

第五輯 厭勝
 掃晴娘のことなど
 家宅厭勝のいろいろ
 宋代の神呪信仰――『夷堅志』の説話を中心として
 道家青精飯考

あとがき
修訂版追記

書名索引
事項索引



澤田瑞穂 中国の呪法2



◆本書より◆


「見鬼考」より:

「葛洪いう、「見鬼者は、男にありては覡(げき)となし、女にありては巫(ふ)となす。まさにおのづから然るべきものにして、学びて得べきものにあらず」(『抱朴子』論仙篇)。またいう、「術士あるひは偶々体を受くることおのづから然りて、鬼神を見る」(同書、袪惑篇)。」
「たしかに視鬼・見鬼は、ともに禁邪の方術というよりも、むしろその前段階として、ある人のもつ異常な霊視の力をいうものであったが、転じてはその超能力を具えた巫覡(ふげき)・術士等の人にも用いられ、これを視鬼者とか見鬼人とか見鬼師とか称した。またその人の通称のようにも用いて、たとえば李姓の人ならば李見鬼などとよんだ。
 近世また浄眼の称があった。見鬼の能力をもつ人は、俗に眼の眸子(ひとみ)が青いという。」

「青陽庵の僧の語ったところによれば、同庵の僧某、まだ出家しなかったころ、こんなことを聞いた――新死人の頭辺飯(まくらめし)を盗み、左手を返して少量を取り、人には見られないようにして食する。これを七回すれば、日中にも鬼を視ることができるようになると。某これを信じて実行したところ、はたして毎日家にいても市に出ても無数の幽鬼を見るようになり、闇夜でも同様であった。鬼と人とは相半ばして雑(まじ)わり、形状一ならず、はなはだ畏るべし。およそ生人が路をゆくに、鬼これを見て側に避けるようなれば、その人は無事。もし避けないようなれば、その人は多病。もし鬼がすぐ背後につき、かつ戯弄(ぎろう)するようなれば、その人はきっと死亡する。某は次第に厭気がさし、かつ怖くなって狂人のようになった。人に勧められて張真人府(ちょうしんじんふ)(道教天師道の本山)にゆき、符水を求めて治療したところ、目は幽鬼が見えなくなったものの、精神はすでに痴呆になっていた。ついに剃髪して僧になったと(清・東軒主人『述異記』巻中「視鬼」)。
 呉小南家の下僕陸祥(りくしょう)の子で阿昭という少年、十余歳になるのが、目中に双眸子(二重ひとみ)あり、よく鬼を見る。小児が病気になると、阿昭に外から小児の魂をつれ帰らせると病が癒る。あるとき呉小南の長子が病気になったので、魂を尋ねさせると、坊ちゃんはベッドにいて、自分の腹の上に坐しているという。一日おいて枕のところにいるという。また一日おいてベッドの辺にいる、窓のところにいるという。最後に、坊ちゃんは外へ出ていって、引張っても帰ろうとしないと急報した。室に入ってみると、すでに息は絶えていた。(中略)(清・諸聯『明斎小識』巻五「双眸子」)。
 清の王端履氏の族人樸存(ぼくそん)という人は、眼よく鬼を見ることができ、闇夜の往来にも燈火を必要としなかった。道光二十一年(一八四一)三月、蕭山県の東部の村々に瘟疫(おんえき)が流行した。樸存氏によれば、すべて鬼はみな牆壁(しょうへき)に附いて進み、何もないところをゆくことはできない。疫鬼も同様である。牆壁(しょうへき)に遇えば蚯蚓(みみず)のようにあとずさりして進み、壁に入りこむ。通常の鬼は一団の黒気のごとく、顔かたちを識別できない。顔かたちがあって何もないところでも進めるのは厲鬼(れいき)であるから、急ぎ避けなければならない。疫病の家に見舞にゆくときには牆壁にはもたれず、立ったままでいなければならない。決してそこの湯茶を飲んではならない。毒はみな水に仕込んであるからだと。(中略)(王端履『重論文斎筆録』巻二)。」
「袁枚いう、羅両峯はみずからもよく鬼を見るという。日が暮れると満路みな鬼となり、富貴の家に旁行斜立(ぼうこうしゃりつ)し、呢々として絮語(じょご)する。気暖く人の旺(さかん)なるところを好み、集まって居ること水草を逐うもののごとし。また鬼は牆壁(しょうへき)窓板(そうばん)に遇えば、みな直穿(ちょくせん)して過ぎ、障礙(しょうがい)はないらしい。人とは無関係で、なんら妨げるところはない。面目のわかるのは冤(えん)を報じ祟をなさんとする鬼である。貧苦の家には鬼の往来するものが少ないのは、その気衰え地も寒いからで、鬼もまたその冷淡に耐えられないからであろうと。両峯またいう、鬼が人を避けること、人が煙を避けるがごとし。それが人であることを知って避けるわけではなく、その気を厭って避けるのである。しかし往々にして急ぎ足の人に突きあてられると、散じて数団となり、もとの一鬼に復するまでには、かなりの時間を要すると。
 銭泳いう、羅両峯はみずから浄眼と称し、よく鬼物を見た。そのいうところによると、夜間ばかりでなく、毎日の午(うま)の刻を除く他の時刻にはみな鬼がある。あるいは街市中に隠躍(いんやく)し、あるいは衆人の内に雑処し、千態万状、枚挙に耐えないと。」



「嘯の源流」より:

「各種の事例を並べてみると、周漢時代の古い嘯は、単なる音声の技芸だったのではなく、元来は巫祝または術士が、霊魂・役鬼・精霊・鳥獣・風雲・雷雨などの異類異物を召集する呪法の一種だったと考えられる。嘯の声気は合図のためというよりも、むしろその音波曲線に乗せて異類を招き寄せるものだったようである。」


「呪詛史」より:

「木を刻して人形とすることは古代からあったが、後には藁でつくったワラ人形の草人や、竹の骨に紙を貼った張子人形または厚紙を剪ってつくった紙人形も用いられた。人形のほかに狐・犬・猫・虎などの畜類に見せかけて、これを妖術で操って使役することもあった。
 木人は主として特定の個人を呪うために用いられたこと、文献資料からみても疑いがないが、草人・紙人の類になると、特定の個人を標的としたものではなく、むしろ不特定多数の世人を騒がす動機不明の邪法のように考えられた。しかし実態不詳のままに歴代これが通り魔のように市井に出現し、流言(デマ)となって一時的にせよ地方民にパニックを起させた例も少なくない。」
「明・周元暐(しゅうげんい)『涇林続記(けいりんぞくき)』によれば、蘇州地方にはもと狐はいなかったのであるが、明の嘉靖三十六年(一五五七)、民間では狐の祟りという訛伝(デマ)がおこなわれた。日暮れになると出現し、これに出遇う者があると夢にうなされたように、胸または咽喉を押さえられて声も出せない。ひどいのになると、顔面を噛まれたり皮膚を爪で引き掻かれたりする。ただし生命には別条はない。」
「一説では、この術を使う者は江西人で、(中略)隣人が塀の隙間から覗くと、その人は風呂敷包から紙を取り出して無数の鳥獣の形に剪(き)り、それを二階の床板に並べる。髪を被(かぶ)り刀を持ち、禹歩(うほ)して呪を誦し終ると、水を噴きかける。すると諸物が動きだして悉く二階の窓から飛んでいった。まもなく、近隣の騒ぐ声が聞えた。その人は正坐して待ち、五更になると、またもや禹歩(うほ)して呪を誦するに、諸物は元のごとく飛び返って下に落ち、もとの紙に復する。それを風呂敷に包んで寝た。これを覗いた隣人は驚いて、狐の怪はこれに違いないと、夜明けに亭主に告げ、かつ警察に届け出ようとしたが、亭主は巻添えになることを恐れて、ほんの少しばかり洩らしたため、その人は逃亡し、怪もまたやんだという。」









































































































































澤田瑞穂 『修訂 地獄変』

「人間に想像力というものがあるかぎり、その内容は荒唐無稽でも、想像するという精神作用を疑うことはできない。陰司に入って地獄を見たという話だって、その内容たる地獄は客観的には実在しないにしても、地獄を幻視する特殊な能力を具えた人があり、その人の観念の中では一時的にせよ地獄は実在したのである。」
(澤田瑞穂 『修訂 地獄変』 より)


澤田瑞穂 
『修訂 地獄変
― 中国の冥界説』


平河出版社 1991年7月15日初刷発行
299p 序ii 索引20p 口絵(カラー)2p 
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価2,500円(本体2,427円)
装丁: [中垣デザイン事務所] 奥りゑ



澤田瑞穂(さわだ・みずほ)は1912年生、中国文学。本書は著者による「中国妖異考の四部作」の一。
『地獄変』初版は、昭和43年3月、法蔵館「アジアの宗教文化」シリーズ巻三として刊行、本書はその修訂新版。
本文中図版(モノクロ)多数。


本書「序」より:

「地獄説は仏教だけのものではなく、道教の経典にも説かれているうえに、さらに中国の各種の宗教・思想・習俗・文芸のうちにも複雑に根をはっており、異様な冥界文化ともいうべき一体系をなしているのであるから、仏説の紹介だけで終るものではない。
 本書は(中略)仏典解説のような仏教専門の研究としてではなく、多くは道書・随筆・雑著および俗文学の資料に現われた習俗や説話に関する記事を用いて、むしろ民俗史的研究ともいうべき立場で、題名どおり地獄冥界説の変相を整理し展望することにつとめた。」



本書「後語」より:

「本文は、ほとんど原著のままにとどめ、ただ若干の誤植を校訂するほか、難読の字にはなるべく多くのルビを施し、言い足りない辞句には最少限度の補足を加え、あるいは削るなどの文辞上の修訂はしたけれども、新資料や新知見などの内容上の増添はしないことにした。(中略)その代り、本文の補充資料として、その後に書いた二篇の論考を加えて補編とし、「修訂」の名に副(そ)うよう配慮した。」


澤田瑞穂 地獄変1


目次 (初出):

口絵
 道教の冥途路引
 麒麟送子の新年版画 



一 地獄の経典
二 冥府とその神々
三 入冥譚
四 地蔵と目連
五 地獄文学
六 現世と冥界 (以上 『地獄変』 法蔵館 昭和四十三年、所収)
補編一 地獄めぐり譚 (講座・敦煌 第九巻 『敦煌の文学文献』 大東出版社 平成二年、所収)
補編二 泰山信仰 (世界の聖域 別巻一 『中国の泰山』 講談社 昭和五十七年、所収の「霊魂の山」「生育の山」の項)

修訂版『地獄変』後語

参考文献
初出一覧、図版・写真協力

書名索引
事項索引



澤田瑞穂 地獄変2



◆本書より◆


「序」より:

「世に地獄極楽のことを説いた書物は少なくない。(中略)ただその反面に、仏典の説――主として古代インドの地獄説――から一跳びに海を越えて日本に渡り、平安朝以来の地獄信仰を叙するというように、中間の中国大陸におけるこの信仰の種々相については、やや疎略であることをまぬがれない。しかし地獄説は仏教だけのものではなく、道教の経典にも説かれているうえに、さらに中国の各種の宗教・思想・習俗・文芸のうちにも複雑に根をはっており、異様な冥界文化ともいうべき一体系をなしているのであるから、仏説の紹介だけで終るものではない。
 本書はこの見地から、仏典解説のような仏教専門の研究としてではなく、多くは道書・随筆・雑著および俗文学の資料に現われた習俗や説話に関する記事を用いて、むしろ民俗史的研究というべき立場で、題名どおり地獄冥界説の変相を整理し展望することにつとめた。地獄説のように、合理主義の知識人からは荒唐無稽として排斥されてきたものについては、こうした一見雑駁な俚俗(りぞく)の伝承を通じてのみ、はじめてよくその実相が理解できると考えたからである。」



「一 地獄の経典」より:

「本来の閻羅王は、これほどの高い地位と権威をもつ王者であったのだが、中国に伝えられてからの閻羅王は、その王宮もせいぜい中都市の府城か、高官の邸宅くらいのものと考えられるようになり、王自身も法廷で直接に亡者を審判する法官とみなされるようになった。(中略)人々は、閻王が世人の所業を調べて容赦なく断罪するところから、現実世界の裁判官を連想し、やがてその姿態服装までも中国の法官に擬したのである。すべて地獄の規模も閻王の地位も、仏典に説かれるような誇張された空想的なものから、小規模の現実的なものへと後退している。」

「ある宗教の冥界説が、地獄をも含めて完備したものになるためには、次の三つの要件を具(そな)えなければならない。一は冥界の主宰者と官曹、二は業報(ごうほう)と死後裁判、三は牢獄と刑罰である。道教が右の三要素を具備した冥界説を所有するまでには、仏教の地獄説を次々に摂取したことはいうまでもないが、道教で、かなり早くから進められていたのは、主として冥界の官僚組織に関する方面であった。」

「仏教の地獄は上下無数の層をなして重なると考えられているが、道教では新趣向として五行の方位に配した九方の地獄を説く、これを九幽地獄という。『太上九真妙戒金籙度命抜罪妙経』によれば、北帝の支配する鄷都冥司には、東方風雷之獄・南方 火翳(かえい)之獄・西方金剛之獄・北方 溟冷(めいれい)之獄・中央普掠(ふりゃく)之獄・東南方銅柱之獄・西南方屠割之獄・西北方火車之獄・東北方鑊湯之獄がある。『太上消滅地獄 昇陟天堂懺(しょうちょくてんどうさん)』でも、南方を烽輪之獄とするのを除くと、他の八方は同じであるが、さらに八万四千重の鬼獄ありとして無数の地獄名を列挙する。刀山劔樹脱落地獄・鑊湯鑪炭焼煮(かくとうろたんしょうしゃ)地獄・鉄牀(てっしょう)銅柱焦然地獄・刀輪火車 霹靂(へきれき)地獄・抜舌耕犂楚痛(ばつぜつこうりそつう)地獄・釘身鋸解断截(ていしんきょかいだんせつ)地獄・鉄網肢節分離(てつもうしせつぶんり)地獄・火坑炮炙猛然(かこうほうしゃもうぜん)地獄・刀兵 爪距搏撮(そうきょはくせつ)地獄・虎狼鷹犬残害(ころうようけんざんがい)地獄・呑噉鉄丸消爛(どんかんてつがんしょうらん)地獄・暗黒肉山斬剉(あんこくにくざんざんざ)地獄・洋銅飲鉄爛潰(ようどういんてつらんかい)地獄・鹹水 寒氷坼裂(かんぴょうたくれつ)地獄・大鉄囲山門地獄・鉄馬鉄牛地獄・鉄驢鉄鳥(てつろうてっちょう)地獄・鉄山鉄屋(てつざんてつおく)地獄・鉄車鉄衣地獄・飛刀掣電(ひとうせいでん)地獄・解身爪頭(かいしんそうとう)地獄・八寒八極地獄・両舌両石地獄・然手焼脚(ねんしゅしょうきゃく)地獄・剥皮飲血(はくひいんけつ)地獄・糞尿地獄・鱠肉(かいにく)地獄・〓(漢字: 金+疾)〓(漢字: 金+梨)(しつり)地獄・崩埋(ほうまい)地獄・阿波波地獄・阿婆婆地獄・阿吒吒(あたた)地獄・阿羅羅地獄。(中略)こういう地獄を次々に考え出した人は、もはや悪人を畏怖させるという程度をこえて、残虐な刑罰法そのものを愉しむ変態趣味に陥っているようだ。」



「三 入冥譚」より:

「ある人が夢の中で、あるいは一旦死んで冥府に拘引され、幸に無罪放免になる。ついでに地獄を案内されたのちに蘇生し、その見聞を世人に語って勧善戒悪の資とする――この型の説話を入冥譚と名づける。いわゆる地獄めぐりの物語である。」
「夢というのは虚構を語るのに最も好都合な設定であるが、ただの便宜のためだけに夢を持ち出すのではない。神に祈願してわが未来や過去を知りたいと希(ねが)う者は、夜をこめて神殿に参籠し、仮睡の状態で積極的に夢を求める。夢の中でこの神魂は冥府に導かれ、そこで過去や未来を告げられる。神仏の啓示は夢の中に現われるから、夢をみることこそ重要な占卜法であった。」
「入冥譚の主人公は、冥府から放免されて帰り、地獄の実相を伝えるというのが初めからの約束なのだから、善人ではないまでも、動きのとれない罪過があっては困る。ところが、善人や常人が理由もなく冥府に召喚されるというのはおかしい。だが召喚されなければ物語にならない。この矛盾を調和するために、入冥譚ではよく「錯名誤追(さくめいごつい)」という苦肉の策を用いる。発音上では同姓同名だが、名の一字が違う別人だったとか、同姓同名でも本籍・住所・職業が違っていたとか、とにかく使者の早合点で人違い逮捕をしたことにするのである。吏に命じて原簿と照合すると、なるほど別人であったことが判明する。使者はただちに問責され、改めて本物の罪人の逮捕が命ぜられる。」
「さて人違いされた彼は、罪人どころか、平素から『金剛経』を読誦するなどの功徳を修しており、長官を感心させる。かつは人違い逮捕についてのお詫びの意味もかねて、彼は原簿に記された自分の寿命を教えられる。うまくゆくと寿命を幾年分か延ばしてくれることもある。いよいよ放免されるにあたり、案内の冥吏がつけられて、話に聞く地獄というものを見学する。」



「補編一 地獄めぐり譚」より:

「各時代の地獄文献を概観すると、唐以前は地獄紹介の漢訳経典、唐五代は『目連変文』に代表される変文文学、元から明清時代は『香山宝巻』に代表される宝巻文学であった。しかし清代では宝巻と並行して総合的な地獄解説の通俗勧善書も普及した。その代表が『玉暦鈔伝(ぎょくれきしょうでん)』である。」

「欣求浄土(ごんぐじょうど)とは古来あまりにも使いふるされた法語である。それほど渇仰された天堂仏国の荘厳世界ではあるが、いかに宝楼台閣が彩雲に入り、諸仏菩薩が妙法を説き、耳には迦陵頻伽(かりょうびんが)の微妙声(みみょうしょう)と、天女の奏する天楽を聴くとしても、すべて世は事もなく、永劫に蓮台に坐していなければならないとすれば、在世中に日夜営々と辛苦して働き通した亡者にとっては、その浄土の無為の歳月が、あまりにも退屈で、かえって大きな苦痛となりはしないか。
 そこへいくと、冥府は一殿から十殿まであり、趣向を凝らした刑罰を施す無数の大小地獄と、業報を受ける幾千万の亡者なかまがいて、その変化に富み熱気に溢れることは平穏無事な天堂の比ではない。亡者はその生前の善悪により六道に分れて転生するが、冥界にいるあいだは殺されても二度と死ぬことはない。牛頭馬面の鬼卒によって無残な刑罰を受け、身は推磨(ひきうす)で粉砕されようとも、それが終ると、どこからともなく一陣の清風が吹いてきて元の亡者の姿に復し、次の審判に移されて別の刑罰を受けるというから、地獄説はすこぶる巧妙に辻褄を合わせている。
 地獄遍歴の文学が各時代を通じてあんなにも繁栄したのはなぜだろう。それは世人を勧化して正道に入らしめるという目的から出たことはいうまでもないが、その根源には、世人がそれを聴きたがること、すなわち必ずしも無為の平和を希求せず、かえって残虐な刺激を欲する人間性が潜在するからではなかろうか。平和を招来するためという名分のもとに、平和(天堂)との対極にあるもの――擾乱・闘争・掠奪・姦淫・殺戮の地獄相が、いつの世にも現出するのをみればわかる。
 清末の作家李伯元に『活地獄』と題する小説がある。それは清末の官界における最大の暗黒面である地方官庁の刑獄の諸相を記述したもので、虚構も誇張も加わっているだろうが、これを読むと、まさしく題名どおり活(い)きた地獄を見る思いがする。贈収賄によって有罪も無罪となり、無罪も有罪となるばかりでなく、囚人に対する刑吏の暴行は、いわゆる拷問の域を越えて、まさに残虐な殺戮そのものである。李伯元はこれを現実に存在する地獄として活写したもので、かの『玉暦鈔伝』の虚構も決して虚構ではないような気になる。近き世の『玉暦鈔伝』の読者も、おそらく彼らの見聞した官府の刑獄と重ねあわせて、冥界の地獄刑罰を事実と錯覚したに相違ない。
 この意味での地獄は現代只今でも実在し進行中である。どこかの国での戦闘と大量の人民虐殺あるいは難民掠奪、それは訛伝(かでん)も誤報もまじりながら刻々と報道されており、それはさながらの地獄である。ただその実況を報道するレポーターが、昔は宗教や道徳の宣布者であったのが、今は新聞記者やカメラマンなどの現代的な職業人に変っただけである。」






























































































































































































































































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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