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白川静 『中国古代の民俗』 (講談社学術文庫)

「足が直接に地にふれるということが、地霊との交渉を可能にする。そしてそのことばが律動をもつように、足の動きも舞踊的となる。(中略)これが舞うことの起源であった。」
(白川静 『中国古代の民俗』 より)


白川静 
『中国古代の民俗』

講談社学術文庫 484

講談社 
1980年5月10日 第1刷発行
2008年7月18日 第25刷発行
301p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,000円+税
装幀: 蟹江征治
カバーデザイン: 粟津潔



本書「あとがき」より:

「この書は、さきの『中国古代の文化』につづいて、中国古代の民俗の問題を考えようとしたものである。」
「私はこの書で、三つの方法を試みようとした。それは古代文字の構造を通じて考えられる古代人の生活と思惟、古代歌謡としての詩篇の発想と表現とを通じてみられる生活習俗のありかた、そして第三には、それによってえられたところのものを、わが国の古代の民俗的な事実と対応させながら、比較して考えるという方法である。」
「第一章「民俗学の方法」では、(中略)民俗学の方法をまず問題とした。わが国の民俗学は、はじめ柳田氏の方法を主流として展開してきたが、いまではその関連する諸文化科学との関係が強く反省され、また一国民俗学的な閉鎖性を脱しようとする努力も試みられている。ことに民族のもつ固有にして純粋な原体験を求める立場からは、民俗語彙や習俗的伝承に依拠するだけでは、十分な成果を期待することはむつかしい。しかし中国の古代文字は、その構造と用義において、一挙にその原点に近づきうる、もっとも有力な資料である。その一例として、文字資料による鳥形霊観念の復原を試みた。
 第二章「古代歌謡と民俗」は、古代歌謡における発想法と民俗の関係について考えた。歌謡の原質は呪歌的なものであり、その意味で『万葉集』と『詩経』との間には共通する問題がある。枕詞が地霊へのよびかけの意味をもつように、詩篇において興とよばれる発想法は、その字義において地霊への鎮めの意味をもつ。その発想法は同じ次元にあるものであり、相似た民俗的事実を背景としている。
 第三章「言霊の思想」は、呪的歌謡が言霊の観念を基盤とするものであり、それは古代文字の構造の上からも、またその古代文字の展開の上からも、あとづけることができるものであることを論じた。
 第四章「詩経民俗学」は、詩篇における発想と表現、およびその展開のうちに、『万葉』におけるものと同質のものがみられることに注意した。古代文字がそれ自身の体系をもつ民俗資料であるとすれば、詩篇もまたその生活において、一の民俗的世界をなしている。
 第五章「卜辞の世界」は、古代文字が、その原義性において用いられている卜辞の例によって、当時の自然観と、その生活を規定する諸観念の復原を試みた。それらはいずれも、原初の神信仰と深く結びついたものである。
 第六章「語部と巡遊者」は、古代文字の展開の一面を、説話と民謡とを通じて考えようとした。その担持者は、いずれも古代の巫史の零落した巡遊者たちである。古代文学の最初の伝承者たちがそのような巡遊者であったという事実は、その展開の姿相をも含めて、わが国の古代文学にも認めることができる。
 第七章「月令と歳時記」は、民俗行事の重要な部分を占める歳時、すなわち年中行事と、通過儀礼の問題をあつかった。いずれも消長と持続、断絶と循環の論理に立つものであるが、中国では歳時は「月令」のように陰陽五行的自然観として組織され、通過儀礼は『儀礼』のように礼経化されて、民俗的なものの思想化、制度化の傾向が著しい。古い民俗伝承が、そのためにいわゆる常民的基盤から引き離されてゆくことが多かったようである。
 このことからいえば、中国の民俗学は、その失なわれた古代的なものを、その本来の姿に復原することが、とりあえずその出発点を回復する方法であり、またそれによって、比較民俗学的な対象としての条件をもつこととなろう。ここにはなお未開拓に近い豊沃な分野がある。その分野に対して一の展望を与えようとすることが、この書の意図するところである。」



本文中図版(モノクロ)多数。


白川静 中国古代の民俗


カバー裏文:

「魯迅の弟、周作人に始まる中国の民俗学研究の歴史は浅く、研究方法もいまだ摸索の段階にある。本書は「古代文字の構造を通じて考えられる古代人の生活と思惟、古代歌謡としての詩篇の発想と表現とを通じてみられる生活習俗のありかた、そしてそれによってえられたところのものをわが国の古代の民俗的な事実と対応させながら比較」考察するという三つの方法をもって、未開拓の中国民俗学研究という分野に正面から取組んだ労作である。」


目次:

第一章 民俗学の方法
 〈1〉 わが国の民俗学
   石神問答
   遠野物語
   十三塚と河童
 〈2〉 中国の民俗学
   中国民俗学の出発
   民俗語彙と古代語
   古代語としての漢字
 〈3〉 古代文字と民俗学
   鳥形の霊
   奪と奮
   辟雍の制

第二章 古代歌謡と民俗
 〈1〉 万葉集と民俗学
   その先駆的研究
   折口の古代研究
   歌謡の原質
 〈2〉 詩経と民俗学
   詩経の学
   グラネーの方法
   興の問題
 〈3〉 発想の問題
   興の原義
   諺と枕詞
   地霊の鎮め

第三章 言霊の思想
 〈1〉 祈りについて
   神のことば
   攻撃と防禦
   神の音ない
 〈2〉 興的発想の展開
   詩篇と自然
   定型と反興
   樹木の興
 〈3〉 巫祝と文学
   呪誦と文学
   楚辞文学の展開
   賦の原質

第四章 詩経民俗学
 〈1〉 草摘みについて
   巻耳の詩
   神事と予祝
   草摘み歌の展開
 〈2〉 祝頌の詩
   祝頌の形式
   祝頌と思慕
   恋愛詩の成立
 〈3〉 恋愛詩の諸相
   揚之水三篇
   投果と衣食
   象徴の手法

第五章 卜辞の世界
 〈1〉 自然のいぶき
   水を飲む虹
   龍の話
   巫女と媚獣
   夢と死
 〈2〉 人間のありかた
   出生について
   往来について
   死葬について
 〈3〉 社会の生活
   農業について
   狩猟について
   戦争について

第六章 語部と巡遊者
 〈1〉 語部の文学
   貴種流離譚
   巫史の学
   志怪の書
 〈2〉 桑摘みの女
   生命の木
   桑中の会
   陌上桑
 〈3〉 巡遊者の文学
   邯鄲の倡
   秦氏の女
   孟姜女説話

第七章 月令と歳時記
 〈1〉 月令の組織
   豳風(ひんぷう)七月篇
   夏小正と国語
   月令とその形式
 〈2〉 農事暦と歳時記
   后稷の法と四民月令
   荊楚歳時記
   セチの日
 〈3〉 通過儀礼について
   産屋の礼
   結婚の礼式
   万舞の人

終章 民俗学の方向
   民俗学の方向
   古代民俗の復原
   民俗の本質
   民俗と習俗

あとがき




◆本書より◆

「漢字を古代語の資料とし、民俗語彙資料として用いるときの、第一の利点は、その成立の同時性ということにある。象形・指事・会意のような基本文字は、ほとんどすでにこのときに成立している。のちに形声の字が多く作られ、漢字の数は四万を超えるに至ったが、本来の基本字はその五パーセント、二千字程度のものであり、その大部分は、甲骨文・金文のうちにあらわれている。
 第二の利点としては、その文字構造の原理が、その時代の観念や思惟の方法を示しているということである。同時性とあわせて、同質性というべき特徴をもっている。語義がそののちにどのように変化し、多義化していったとしても、文字の原義は、その構造のうちに顕著に残されている。「新」が新しい死者の位牌であり、「廷」が廟前の降神のところであるという字の原義は、のちにはむしろ忘れられ、その転義において多く用いられているものであるが、その文字構造と、古代における用義法の上から、容易に原義を復原することができる。」

「巫蠱(ふこ)のことは、また媚蠱(びこ)ともいう。(中略)人を呪詛する方法はすべて媚蠱であるが、蠱とはそのうち、虫を用いる方法である。」
「その法は苗族(びょうぞく)の間にはのちまでも行なわれた。それは五月五日の節供の日をえらんで、毒ある虫、大なるものは蛇より、小なるものは蝨に至るまで、百種を集めて、これを一器の中に入れる。虫はたがいに噉(か)み合って、最後に一虫だけ残ったものが、すぐれた呪能をもつものとされた。これを地下に埋めて呪詛するのを、埋蠱(まいこ)という。人を殺すときには、ひそかにこれを人に食べさせて腹中に入れる。これを「腹中虫」という。一定の期間中にこれを用いなければ、その呪霊はかえってその用意者である主家に禍するものとされた。」

「夢という字も、その上部は媚の形である。それは媚の外魂が、夜中に人を襲って、種々の衒惑(げんわく)を行なうものとされたのであろう。衒惑の衒も、のちに作られた玄の形声字であるらしく、そのもとの字と考えられるものは、行の間に媚女を梟磔した姿をかいたものがそれであろう。道路において、人を衒惑する呪術を行なうことを、意味する字であったと思われる。
 卜辞には畏夢(いむ)のことをいうものが多く、それは人が牀上でうなされている姿にかかれている。(中略)いわゆる夢魔 nightmare である。」
「吉夢を献じ、悪夢を堂贈の法によって祓い、媚蠱から守るための儀礼が怠りなく行なわれるにかかわらず、悪夢によって命をおとすことがある。それを薨(こう)という。(中略)夢といえば、いまの語感では楽しいものを予想させる。しかしおそるべき媚蠱(びこ)の世界に住んでいた古代の人びとには、それは死への予感でさえあった。自然界はかれらにとって、あまりにも神秘にみちていたからである。」

























































































































白川静 『中国古代の文化』 (講談社学術文庫)

「共餐によって、人はその構成員となる。それでもし死者が死者としての食事、すなわち「黄泉戸喫(よもつへぐひ)」をすると、再び現(うつ)し世に帰ることは許されなくなる。」
(白川静 『中国古代の文化』 より)


白川静 
『中国古代の文化』
 
講談社学術文庫 441

講談社 
1979年10月10日 第1刷発行
2007年5月18日 第21刷発行
311p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,000円+税
装幀: 蟹江征治
カバーデザイン: 粟津潔



本書「あとがき」より:

「東アジアの古代文化圏のなかで、わが国の古代を考えるということは、いうまでもなく比較文化論的・比較文学的な作業である。そのためには、その文化圏のいわば原点をなす中国の古代について、ともかくもその全体を展望しうるような構図が、まず用意される必要がある。それでこのさい、私自身への今後の指標とすべきものをも含めて、中国古代の諸問題に、いちおうの構図を与えることを、試みることにした。」
「本書はその第一部であり、あわせて総論的な意味をも、もつものである。」
「この書でとりあげる問題は、いわば民族のもつ基礎的体験の世界である。存在と秩序の根拠とされるもっとも基本的な問題について、その原初に遡って考察することを試みようとした。第一章では、「文の理念」を論じた。文はもと加入と聖化の儀礼である文身を意味する字である。文身は東アジアの文化圏において、その沿海民族のほとんどがもつ習俗であったが、そのような文を人文の極致としての、理念的なものにまで高めた思惟のうちに、この民族のもつ創造的な力が、秘められているように思われる。
 第二章の「考古の世界」では、青銅器文化の原質について考えた。それは異民族を圧服するための、荘厳なる呪器であった。江南の大鐃(どう)に象徴されるこの聖器の性格は、南方苗(びょう)系諸族のもつ銅鼓、わが国の銅鐸の機能を考えるとき、示唆するものがあるはずである。
 第三章の「秩序の原理」は、古代的共同体のもつ組織原理についてふれた。守護霊を中心とする盟誓が、組織の方法であり、その拡大の上に国家の形成が考えられる。すべて宗教的なものが、その原理としてはたらいている。
 第四章「原始法の問題」は、原始法の観念が、共同体の組織原理に反するものを、贖(しょく)罪として追放し、祓い清めることに起源することを述べた。わが国の大祓(おおはらい)も、まったく同じ観念にもとづいている。
 第五章「巫祝の伝統」は、王権と聖職者との関係について、古くは王が巫祝王として神権的な存在であり、のちその分離によって、祭政もまた分離することを述べた。巫祝の伝統のありかたは、それぞれの民族の文化に、多様な賦彩を与えており、芸能の起源も、おおむね神事のうちに求められる。
 第六章「歌舞と芸能」は、そのような巫祝の伝統のなかで生まれた、文学や芸能の問題にふれた。いずれも本来は呪的な性格のものから、芸能的なものに展開してゆく。これはわが国に、もっともゆたかな遺存がある。
 第七章「文字と古代文化」は、文字の成立と思惟のしかたとの関係について考えた。文字の創造とは、文字の形象とその構造とを通じて、文字による世界像を構成することにほかならない。中国の文化が、たとえば文身の文を理念的な意味のものに、あるいは首祭りの字である道を、道徳や実在の意味にまで高めることができたのは、概念を文字に定着し、それによって、概念の深化を行なうことができたからにほかならない。そのようにして文字は、古代文化のもっとも有力な推進者となった。
 第八章は「古代文化の展開」と題するが、以上に述べた問題のいわば総括である。」
「すべてこれらのことは、そのままわが国の古代を考えるときに、比較の対象となりうるものである。私はすでに『詩経』と『万葉集』について、比較文学的な試論を試みたことがあるが、そのような方法は、歴史と文化の全領域にわたって、適用しうるものであろう。」



本文中図版(モノクロ)多数。


白川静 中国古代の文化


カバー裏文:

「日本の古代を知るためには、東アジア古代文化の源流をなす中国の古代について、その全体を展望しうる構図が、まず確立されねばならない。本書は、かかる問題意識の上に、中国の古代を、文化・民俗・社会・政治・思想の五部に分ち、その諸問題を明らかにせんとする、画期的な作業の第一部である。中国古代学の泰斗による、この比較文化論的な試みにより、われわれはいま、東アジア的古代世界の全く新しい姿をここに見ることができる。」


目次:

第一章 文の理念
 〈1〉 文の字形
   文とは何か
   文の字形
   文と寧
 〈2〉 聖化と加入の儀礼
   屍体聖化
   文の系列字
   アヤツコの説
 〈3〉 文の理念
   文と武
   文の徳
   斯文と天命
   天文と人文
   文の意義
   文身文化圏
   文の歴史

第二章 考古の世界
 〈1〉 偏枯の神
   洪水説話
   彩陶土器と禹の神像
   偏枯の神
 〈2〉 埋もれた聖器
   人面文の器
   人面文の意味するもの
   山中の聖器
   南人の故郷
 〈3〉 望の儀礼
   江南の大鐃
   異族への呪儀
   山上の祭祀
   壺と銅鐸

第三章 秩序の原理
 〈1〉 家族と氏族
   原始の秩序
   家の字形
   家と室
   氏族について
   氏人のちかい
 〈2〉 盟誓の方法
   誓いの形式
   血の盟い
   誓と哲
   自己詛盟
 〈3〉 社稷について
   社の起源
   稷と畯
   諸侯の盟誓
   宗廟と社稷

第四章 原始法の問題
 〈1〉 神判について
   聖と俗
   羊神判
   亡命の法
   大祓の詞
 〈2〉 刑罰の形式
   罪と罰
   自由刑について
   伝棄の法
 〈3〉 法の起源
   異族の神
   伯夷と共工
   四凶放竄

第五章 巫祝の伝統
 〈1〉 巫祝王
   守護神と悪神
   殺される王
   焚巫の俗
 〈2〉 神巫と聖職者
   巫咸の国
   巫系の文化
   医と筮と鼓
 〈3〉 聖職の人
   巫と祝
   霊の授与者
   彭咸の遺則
第六章 歌舞と芸能
 〈1〉 歌舞について
   巫俗の地
   歌謡のおこり
   舞楽のおこり
 〈2〉 遊戯について
   遊行する神
   戦争と遊戯
   遊部と歌舞
 〈3〉 道術について
   方相氏
   道と術
   芸能の起源

第七章 文字と古代文化
 〈1〉 文字の成立
   群形象と意味系列
   犬の形象
   「うつ」の意味系列
 〈2〉 社会と生活
   婦人の地位
   臣と妾
   死喪の礼
 〈3〉 文字の背景
   自然観について
   存在と真
   漢字と思惟

第八章 古代文化の展開
 〈1〉 具体と抽象
   鳳と風
   道徳と道術
   数について
 〈2〉 呪術と儀礼
   軍礼について
   裁判について
   青銅器の文化
 〈3〉 神話と経典
   禹と墨家
   堯舜と儒家
   神話と思想

あとがき



本書より:

「大鐃(だいどう)の出土地が、すべて江南の、しかも異族に接する辺境であるということは、この器のもつ目的が、その異族にたいする呪的機能にあることをすでに示すものであるが、その器がまた、すべて眺望に適した高所に埋められていることから、その呪的方法は、この高所から外族にたいして行なわれる形式のものであることを、推測することができる。そのような呪儀として行なわれるものが、「望(ぼう)」である。わが国で国見(くにみ)といわれるものであるが、中国における望の歴史はきわめて古く、またそれはのちに王朝の重要な国家的儀礼として典礼化された。」
「望という字は、遠くを望み見る呪儀を示す象形字である。それは見るという眼の呪力に訴える行為であった。見ることは、その対象にはたらきかけるという力があると、考えられていたのである。」

「眉人というのは、眉に呪飾を加えた巫女(みこ)のことで、眉人とは媚女(びじょ)のことである。媚は呪術を行なう巫女が、呪飾を加えている姿である。戦争のときには、この媚女たちが軍の先頭に立ち、あるいは鼓を鳴らして、敵に呪的な攻撃を加えた。(中略)それで戦争が終ると、敗れた方の媚女たちは、その魔術的な力を失わせるために、すべて殺された。それが、軽蔑(けいべつ)というときの蔑である。」

「祖祭には犠牲を供して祭り、祭りののちにはその祭肉を分け合い、同族のものが集まって会食する儀礼が行なわれた。これを共餐(きょうさん)という。(中略)共餐によって祖神と同族者とが結合される。それは共同体としての関係を確かめる行為である。
 共餐によって、人はその構成員となる。それでもし死者が死者としての食事、すなわち「黄泉戸喫(よもつへぐひ)」をすると、再び現(うつ)し世に帰ることは許されなくなる。」

「古く横穴式、あるいは半地下形式の住居であった時代に、光を受ける窓は限られており、そこが神を迎えるところであった。それで神明という語がある。明とは神の臨むところである。その神明の臨むところで血をすすり合うことが、盟約の形式であった。器中の血をすすり合うことは、氏族の共餐の儀礼と同じく、一体化の意味をもつものである。」









































































































































白川静 『中国の古代文学 (二)』 (中公文庫 BIBLIO)

「しかし嵆康は、(中略)強烈な自己主張をやめなかった。」
(白川静 『中国の古代文学 (二)』 より)


白川静 
『中国の古代文学 (二) 
史記から陶淵明へ』
 
中公文庫 BIBLIO B-20-8

中央公論新社 
1981年2月10日 初版発行
2003年7月25日 改版発行
464p 
文庫判 並装 カバー
定価1,190円+税


「『白川静著作集 8 古代の文学』平凡社、二〇〇〇年四月刊
(初出は『中国の古代文学(二)』中央公論社、一九七六年一一月刊)」



本文中図版(モノクロ)多数。


白川静 中国の古代文学 二


カバーそで文:

「古い国家の羈絆から解き放たれ、自らの運命に生きはじめた孤独な生活者たち。彼ら「士人」は体制への埋没を拒否し、自然の情感に沿って天の道に合しようとした。
「天道是なるか非なるか」と厳しく問うことによる文学精神の成立から、現実を避けて桃源郷を求める創作詩にまでいたる、文化の道筋を探る。」



目次:

第一章 『史記』の世界
 一 運命について
 二 司馬遷父子
 三 『史記』の文章
 四 失われた本紀

第二章 辞賦文学
 一 辞と賦
 二 悲歌の系譜
 三 宮廷の賦
 四 政治と文学

第三章 楽府と古詩
 一 歌謡復興
 二 民衆の歌謡
 三 楽府の展開
 四 『古詩十九首』

第四章 創作詩の胎動
 一 前漢の故事と歌謡
 二 由縁ある歌
 三 悲憤詩と胡笳十八拍

第五章 建安の文学
 一 建安の時代
 二 三曹の文学
 三 七子の徒

第六章 正始と太康
 一 清談の風
 二 阮籍の詠懐詩
 三 嵆康と七賢
 四 太康の文学

第七章 陶淵明と謝霊運
 一 江南の地
 二 帰去来の人
 三 桃花源の記
 四 謝霊運と山水詩

第八章 士人と文学
 一 客と士
 二 文学史的な諸問題
 三 比較文学的な諸問題

参考文献
図版解説
あとがき




◆本書より◆


「第一章 『史記』の世界」より:

「中国における古代的共同体の解体は、最終的には、春秋戦国期以後に急激に進行する。人びとは古い共同体の羈絆から解き放されるとともに、みずからの運命に生きるべき孤独な生活者となる。」


「第六章 正始と太康」より:

「籍(引用者注: 阮籍)は容貌すぐれ、志気宏放、もと済世の志があったが、魏晋の際に天下にこと多く、名士の性命を全うする者少きをみて世事を棄て、酣飲をこととした。酒は忘憂のものといわれるが、かれにとってはそれは世事を絶つ隔壁であり、別に壺中の天地を求めることであった。仕官を避けていたかれが、府中に酒があると聞いて歩兵校尉の職を志願したというのも、ふざけた話であるが、このふざけがかれの身を守る方法であった。かつて晋の武帝が通婚を求めたが、籍は酔うこと六十日、使者は口上を述べることもできずに引きあげた。酒はまた礼俗に反逆し、世事を罵倒する方法であった。かつて母を喪ったが、そのとき人と棊を囲んでいてやめず、局が終ると酒を飲むこと二斗(斗は酒器の名)、ひとたび号呼し、血を吐くこと数升。人の弔うものあるも散髪箕踞、酔うて直視し、嵆喜が弔問にきたときには白眼でこれをみたが、琴酒を携えてきた弟の嵆康に対しては、青眼を以て迎えた。
 かれの奇矯反俗の行為は、その本伝や『世説新語』などに多く伝えられている。書を読めば数か月も門を出ることがなく、山に入っては数日反らず、老荘を好んでときに身の在ることを忘れるので、時人はかれを痴と称した。心に憂のあるときは、駕を命じて途の窮まるところに至り、号哭して反った。」
「世俗的な礼法に対して、これほどの倨傲を示したかれも、人間関係については極度に慎重であった。かれはすでに「人はともに儔(たぐひ)を為すべからず。木石と隣を為すに如かず」といい、「禽生獣死」(「大人先生伝」)することを願って、時事についてはすべて沈黙を守った。」
「おそらく「木石と隣を為す」という荒涼たる孤独と、すべての価値規範を否定する「禽生獣死」の自然態のうちに、かれは生の本源的なものを求めていたのであろう。そのようなかれの心象を示すのが、「詠懐詩」八十二首である。」

「詠懐詩」は、その一首一首が完成された詩とはいえない。(中略)その表現には類想が多く、類句が多く、卒然として詠をなしたとみられるもののみである。その心象は一首の定型のうちに形象化しうるという性質のものではない。それは茫々として覩ることなき寥廓の世界に向って、中夜にひとり放たれる慟哭の詩である。かれの「窮途の哭」が、詩の形をかりて歌われたものにすぎない。しかしその意味で、これほど全的な自己表現の方法も、かつてなかった。「詠懐詩」が群作の形式をとることを必然としたのは、それが十分な意味で思想詩であったからである。」






















































































































白川静 『中国の古代文学 (一)』 (中公文庫 BIBLIO)

「そこにあるものは、滅びゆくものの美しさである。」
(白川静 『中国の古代文学 (一)』 より)


白川静 
『中国の古代文学 (一) 
神話から楚辞へ』
 
中公文庫 BIBLIO B-20-7

中央公論新社 
1980年9月10日 初版発行
2003年7月25日 改版発行
423p 
文庫判 並装 カバー
定価1,143円+税


「『白川静著作集 8 古代の文学』平凡社、二〇〇〇年四月刊
(初出は『中国の古代文学(一)』中央公論社、一九七六年四月刊)」



本文中図版(モノクロ)多数。


白川静 中国の古代文学 一


カバーそで文:

「中国文学の原点である『詩経』と『楚辞』の成立、発想、表現を、『記紀万葉』と対比し考察する。
古代共同体的な生活が破壊され、封建制が根付いたとき、人々はそれぞれの運命におそれを抱き、そこに古代歌謡が生まれた。
この巻でとり扱った時期は、古代中国人が神を発見し、また失う過程を示すものである。」



目次:

第一章 文学史の方法
 一 東アジア世界
 二 二つの文学史
 三 古代文学の問題
 

第二章 神話と経典
 一 偏枯の神
 二 啓母石
 三 神話と思想
 四 神話と経典

第三章 発想と表現
 一 あまがけるもの
 二 水と草
 三 祭礼と歌垣

第四章 古代歌謡の展開
 一 歌謡原始
 二 建国の詩
 三 君子讃頌
 四 二雅詩篇の展開

第五章 詩篇の諸相
 一 民衆の生活
 二 挽歌について
 三 物語の歌

第六章 物語について
 一 悲劇の聖者
 二 貴種流離譚
 三 『左伝』と『国語』
 四 伍子胥の神

第七章 思想と文学
 一 天の思想
 二 儒墨の学
 三 寓言と寓話
 四 馬王堆帛書

第八章 楚辞文学
 一 祭祀歌謡「九歌」
 二 離騒の文学
 三 「九章」について
 四 巫祝者の文学
 五 屈原の徒

参考文献
図版解説




◆本書より◆


「第一章 文学史の方法」より:

「私のこの書では、主として『詩』と『楚辞』とをとり扱う。それは古代社会的な世界観と諸制度との、成立より解体に至る時期にあたっている。そしてその原体験の上に成立した文学は、中国の文学の原型ともいうべきものを生んだ。そのことを、文学史的事実そのものによって語らせようとするのが、私の意図しているところである。」


「第二章 神話と経典」より:

「古代文学の叙述を神話からはじめることは、最もふさわしいことのように思われる。多くの民族にとって、神話はその文学の母胎であり、またときにはすぐれた文学そのものであった。」
「中国には、そのような意味での神話はなかった。それはほとんど語られることのない神話であった。神話の伝承は、画像などの形象の中に、とじこめられていたようである。」
「中国の神話は、殷の滅亡によって早くからその実修的伝承の主体を失い、神話としての発展もそのためにはばまれた。そして神話は次第に、古代の聖王に関する政治的、道徳的な規範の物語に変形する。すなわち神話は経典化されてゆくのである。神話は文学として展開することなく、古代聖王の治績とその教義を示すものとして、経典のうちに埋没する。」

「一九五四年の秋、西安東方の半坡(はんぱ)村の遺址が発見され、五七年春までに、五回にわたる調査が行なわれた。」
「遺址から出土した多数の彩陶土器のうち、従来のものにもみられる幾何文様の器のほかに、人面魚身、魚形、鳥獣、草花文などの文様をもつものがあり、そのうち人面魚身のものが七器残されている。人面は円形で、その左右に魚をあしらっており、明らかに何らかの図像であると思われるが、それが何を示すものであるのか、その解釈はまだ試みられていない。私はこの人面魚身の文様こそ、最古の神話的図像であり、魚婦とよばれている洪水神ではないかと思う。すなわち洪水神禹(う)の原型をなすものではないかと考える。」
「中国の神話的伝承を多くしるしている『山海経(せんがいきょう)』の「大荒西経」に、魚婦とよばれる偏枯の神の話がみえる。その互(氐(てい))人の国の条に、「魚あり、偏枯、名づけて魚婦といふ。顓頊(せんぎょく)(古神名)死して即ちまた蘇る。風道、北より来たるときは、天乃(すなは)ち大いに水泉あり、蛇乃ち化して魚となる。これを魚婦と為す。顓頊死して即ちまた蘇る」という記述がある。また同じく「海内南経」に「氐人国は建木の西に在り。その人たるや、人面にして魚身、足無し」という。この「人面にして魚身、足無し」といわれる偏枯の神は、まさにこの土器の人面魚身の図像にあたるものであろう。」
「それは死してまた蘇る神、蛇とも魚とも変化する神であり、すなわち洪水神であった。」



「第四章 古代歌謡の展開」より:

「古代の人びとが何らか神的なものの存在を感じて、それにはたらきかける行為をはじめたとき、すでに歌謡の胎生があった。神的なものに対しては、呪的な言語を必要とするが、歌謡はその呪的な言語から起ったものである。」
「原始の歌謡が呪詞に発するものであり、また何らかの行為や所作を伴うものであるとすれば、自然とのかかわりを呪的行為として示すところに、古代歌謡の原生の地盤を見出すことができよう。」



「第七章 思想と文学」より:

「荘子の思想は、一種の絶対論である。具体的に存在するものは、すべて絶対的なものである。その間に高下貴賤の差があるはずはない。その差があると考えるのは、すべて相対的な認識にすぎない。そのゆえに、道は螻蟻(けらむし)の中に在り、稊稗(いぬびえ)の中に在り、瓦甓(がへき)の中に在り、屎溺(しにょう)の中にある(「知北遊」篇)。八千歳を以て春となし、八千歳を以て秋となす大椿(ちん)(巨木の名)も(「逍遥遊」篇)、朝に生まれて夕に死する蜉蝣(かげろう)も、永遠の時間に関与する点において同じ。物には死生あるも、道は終始するところがない。「生を以て死を生とせず、死を以て生を死とせず。死と生と、待つことあらんや、みな一体たる」(「知北遊」篇)ものである。このような思想は、ただ論理によって説明しうるものではない。言は是非の間にかくれる。すなわち言は概念に規定されて、根源的なものそのものには達しがたいものである。ゆえに魚を捕(と)っては筌(うえ)を忘れ、兔をえては蹄(わな)を忘れ、意を得ては言を忘れる(「外物」篇)。ことばは手段にすぎない。しかしその手段にすぎないことばをはなれて、道を説くことができるであろうか。無限定なる道を説くには、概念の限定をこえなければならない。その概念を拒否する表現の手段が、寓言である。虚のみが、実をあらわしうるのである。」
「『荘子』の文章が、古代の典礼文の形式であり、祭祀者のそれであることについては、かつて『孔子伝』に述べたことがある。(中略)この絶対論的な形而上学は、明らかに古代神話の系譜から出ており、その思想的展開と見なしてよい。神話はこのとき、すでに枯れたる神話であり、死したる神話であった。神話はその本来の祭式の中に伝承されることはなく、ただ『楚辞』の「天問」や漢代の画像石から推測されるように、画図として伝えられていた。荘子はおそらく祭司者として、この滅びゆく神話の世界に、しずかな観想を寄せていたのであろう。」
「古代の神話に表象された世界は、すでに滅びている。しかしその神話的構想に示された世界は、かつて霊活な生命のいぶきをもつものであった。神話は永遠の生命を欲している。しかし戦国の刻薄を極めた社会、人間性が極度にまで否定され無視されている時代にあっては、その歴史的生命を持続しがたいであろう。神話は寓言の中に生きるほかない。その寓言の象徴性のうちに、荘子は永遠なるものを示そうとした。」
「絶対の世界は、論理的には神の世界でなければならない。しかし荘子は、これを神とよばなかった。それは非人格的なことばで、道とよばれている。(中略)この非人格的な究極者の設定は、神話の否定に連なる。荘子の思想は神秘論から出て、神秘論に回帰することをえなかったものであり、その意味で憂愁の哲学である。「人の生まるるや、固(もと)よりかくの若く芒(ぼう)たるか。それ我ひとり芒として、人もまた芒たらざるものあるか」(「斉物論」篇)という憂愁が、かれにはつきまとう。この根源的な問いにこたえうるものは、おそらく宗教のみであろう。しかし中国の神話は、そこから宗教を生まなかった。そして荘子において、憂愁の哲学となった。現実的なものは、そこではすべて拒否されている。」



「第八章 楚辞文学」より:

「「離騒」の世界は、明らかに巫祝者の世界である。楚巫の伝統が、合従連衡のはげしく揺れ動く国際政治の流れと正面から激突し、敗北し、衰落してゆく過程の中で、この作品は生まれた。この長篇を支えるものは、一人の運命への歎きではない。崩壊してゆく社会的勢力としての古代的宗教者の、敗北の記録であり、悲歌である。しかしその中で、宗教者としての情熱ははげしく燃焼し、幻想が生まれ、神話的世界がその想念の場となる。「離騒」とは「牢騒(らうさう)に離(あ)ふ」、無限の寂寥にとらえられることである。」
「そこにあるものは、滅びゆくものの美しさである。」

「しかしこの西方への志向は、より根源的には宗教的なものであり、特に崑崙への関心を示す天路の旅が、夕日の入るところにある永遠の女性への思慕の表現であることも、疑いえない。それはのちに、仙女西王母の観念として展開するものである。ヨーロッパにおけるパラダイスの追求と、同質の思念に立つものといえよう。それは特に巫祝者的な、宗教的な感情に支えられている。それでその表現にも、多く神話的な表象が用いられている。」
「この長篇の作者は、特定の人格というよりも、巫祝者の伝統から生まれた集団の性格を代表する。その集団は、いわゆる古代的氏族制的社会に深く依存するがゆえに、それを超えて国家主義に移行しようとする現実の政治勢力とはげしく衝突し、排除されたのであった。(中略)かれらの宗教的基盤は、最も原始的な自然宗教そのままであった。」











































































































































白川静 『漢字の世界』 全二冊 (平凡社ライブラリー)

「人はその氏族神の守護する、その産土(うぶすな)神の住む地を離れると、たちまちあらゆる異神邪霊と相対するのである。郷土の外は、邪霊の遍満する世界とされていたのである。」
(白川静 『漢字の世界』 より)


白川静 
『漢字の世界
― 中国文化の原点 1』
 
平凡社ライブラリー 470/し-2-3

平凡社 
2003年6月10日 初版第1刷発行
313p
B6変型判 並装 カバー
定価1,200円+税
装幀: 中垣信夫



白川静 
『漢字の世界
― 中国文化の原点 2』
 
平凡社ライブラリー 474/し-2-4

平凡社 
2003年7月10日 初版第1刷発行
354p
B6変型判 並装 カバー
定価1,200円+税
装幀: 中垣信夫



「平凡社ライブラリー版 あとがき」より:

「『漢字の世界』は、『字統』において一字ごとに解説した文字を、いわば問題史的に部類を分ち、その系列に従って解説を試みたものであり、その総論的なものである。全書を十二章に分って、その生活の体系に従って基本の観念を概説することを主意としたものであるから、各字について字説として深く立入ることはないが、全体的な統貫は却って得易いのではないかと思う。」


『漢字の世界』は1976年、平凡社「東洋文庫」として刊行され、『白川静著作集』第二巻『漢字Ⅱ』(平凡社、2000年)に収録されました。本書はそのライブラリー版です。
本文中図版(モノクロ)多数。


白川静 漢字の世界


「1」 カバー裏文:

「漢字はどのようにして生まれたのか。
甲骨文字・金文資料を駆使して、
「神話」「呪詛」「戦争」「宗教」「歌舞」などの
主題ごとに、漢字のもつ意味を体系的に語る。
古代人の思考に深くわけ入り、
漢字誕生のプロセスを鮮やかに描出した、
白川文字学の真骨頂。」



「2」 カバーうら文:

「象形文字である漢字は、中国古代人の
目に映る「世界」の象徴的表現であった。
『字統』において詳説された漢字の意味を、
本書は系統的・問題史的に語ってゆく。
博識と明快な論理で、単なる字形の解釈を越え、
ことばの始原に行きつく、
無類の「ことば」「ことがら」典。」



「1」 目次:

第一章 文字原始
 漢字の起原
 六書と文字学
 文字事始
 字と名
 
第二章 融即の原理
 神の杖
 左右考
 巫祝王
 祝告と呪詛
 隠された祈り
 みこともち

第三章 神話と背景
 帝の使者
 天上の世界
 河神と岳神
 四凶の地

第四章 異神の怖れ
 断首祭梟
 道路の呪詛
 玉桙の道
 
第五章 戦争について
 鼓うつもの
 〓(漢字: 「阜」-「十」)の字系
 師と学
 虜囚の歌

第六章 原始宗教
 アニミズムの世界
 シャーマニズム
 歌舞の起原
 楽神虁について

図版解説



「2」 目次:

第七章 言霊の信仰
 言語について
 言部雑説
 祝禱の文学
 金匱の書

第八章 原始法の問題
 法の原義
 古代の裁判
 刑罰について
 修祓の儀礼

第九章 聖地と祀所
 高木の神
 社の形態
 奠基について
 宗廟の儀礼
 斎める季女

第十章 生産と技術
 生産の形態
 農耕儀礼
 都邑の造営
 職能者について

第十一章 世に在りて
 家族関係
 感情と表現
 人体の文字
 医術について

第十二章 生命の思想
 寄物陳思
 衣に寄せて
 死者の書
 眞と僊

図版解説
参考文献
あとがき (昭和51年)
平凡社ライブラリー版 あとがき (平成15年)
事項索引




◆本書より◆


「文字原始」より:

「中国には、わが国のアヤツコのような初生の際の儀礼を伝えていない。しかしかつてその俗があったことは、産・彦・顔などの字形によってこれを確かめることができる。初生のときだけでなく、成人の際にも死喪のときにも凶礼のときにも、文身を施す儀礼があった。文身の俗はのち失われ、中国人は断髪文身を異俗とし未開としたが、文関係の文字の形象は、かれらもかつて文身族であったことを示している。」
「文字の発明によって、人類は未開から文明に進んだ。しかし文明を開いた文字は、その背後に長い未開の世界を負うている。象形文字である漢字は、いわば文明以前の、長い集積の上に成り立つものであった。伝承の上でも記録の上でも、のちには失われた遠い過去の世界が、そこに残映をとどめている。それは化石のようにみずから語ることをしないが、われわれはそこから、古代文字の背景にある古代を発掘することができよう。また古代文字成立の基盤をなす、その社会の実態を確かめることができる。この書は、そのことを試みようとするのである。」



「異神の怖れ」より:

「四凶放竄の説話は、このようにして悪神を四裔に放ち、これを辺境に呪禁として封ずる古代の儀礼を説話化したもので、これによって現実の秩序が維持されるのである。」
「四凶放竄の説話にみえる追放の諸儀礼は、すべて境域における邪霊の呵禁、すなわち呪禁の法に関しており、四凶放竄の説話は、その実修方法の典型を示す神話である。それはひとり境界において行なわれるのみでなく、境界に通ずる道路、邑里の外はみな邪神のおそれのあるところであり、その呪禁が行なわれた。人はその氏族神の守護する、その産土(うぶすな)神の住む地を離れると、たちまちあらゆる異神邪霊と相対するのである。郷土の外は、邪霊の遍満する世界とされていたのである。」



「原始宗教」より:

「古代の文化の究極するところは音楽にあった。孔子はかつて斉に遊んで古楽の詔(しょう)を聞き、「三月、肉の味を知らず」([論語]述而篇)というほど心酔した。(中略)シャーマンの喧噪を極める楽鈴の音から、善と美を尽くすと賛歎される古楽章の洋々たる楽音に至る楽の展開のうちに、中国古代の文化の発展の姿をみることができよう。」


「聖地と祀所」より:

「わが国には、(中略)水の女の伝承が、式部説話の形で広く分布する。泉のわくところは聖所とされ、これを守る巫女があった。中国の古代にも、そのような水の女の説話はあったであろう。六朝期の説話集である[捜神後記(そうしんこうき)]に、姑舒泉(こじょせん)の話がみえている。臨城県の南四十里に蓋(がい)山があり、登ること百歩ばかりのところに姑舒泉がある。むかし舒の娘が父と薪をとりに来てそのまま動かなくなり、おどろいた父が家に急を告げに帰るうちに、娘の姿はみえなくなってしまう。母は、娘が音楽を好んだというので、試みに泉の前で弦歌を奏すると、湛(たん)然たる清泉の中から一双の朱鯉があらわれた。いまも弦歌の声を聞くと、泉の水がわきあがってくるというのである。おそらく、水の女の系列に属すべき説話であろう。[太平御覧](巻一八九)に引く[白沢(はくたく)図]に、「井の神を吹簫(すいしょう)女子といふ」とあり、井泉の神は女子とされていたようである。」



















































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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