白川静 『詩経 ― 中国の古代歌謡』 (中公新書)

「ただかれらの抵抗は、(中略)逃亡がその手段であった。」
「しかしその地を去って、果たしてかれらは楽土をえたであろうか。地上のどこにそのような楽園があろう。」
「この鬱々として解きがたい憂愁は、住むべき地を失った漂泊者のものでなければならぬ。(中略)すでに故郷の地を去って、かれらはどこに安住の地を求めようとするのであろう。わが真情を知らぬ人は、何を求めてさまようぞという。ただ少数の人びとが、漂泊の旅をつづけるわが心の憂いを知るのみである。」

(白川静 『詩経』 より)


白川静 
『詩経
― 中国の古代歌謡』

中公新書 220

中央公論社
1970年6月25日 初版
1994年6月30日 12版
ii 266p 
新書判 並装 カバー
定価740円(本体718円)



白川静 詩経


カバーそで文:

「『詩経』は溌剌たる古代人の精神と豊かな生命の胎動を伝える中国最古の詩歌集である。にもかかわらず、儒教の聖典の一つとして特殊な解釈の上に早くから古典化し、詩歌本来の姿が見失われて久しい。この古代歌謡の世界を回復するため、その発想基盤の類似性をわが『万葉集』に求め、比較民俗学的な立場から古代人の風俗と生活感情に即しつつ、哀歓をこめて歌い上げられた民謡や貴族社会の詩のうちにある生命と感動を蘇らせる。」


目次:

序章

第一章 古代歌謡の世界
 古代歌謡の時代
 歌謡の起源
 発想の様式
 揚之水三篇
 草摘みの唄
 登高飲酒
 表現の問題

第二章 山川の歌謡
 南について
 遊女の追跡
 白駒の客
 鷺羽の舞
 歌垣のうた
 季女の歎き

第三章 詩篇の展開と恋愛詩
 宗廟のまつり
 君子讃頌
 恋愛詩の成立
 愛情の表現
 誘引と戯弄

第四章 社会と生活
 結婚のうた
 棄婦の歎き
 貧窮問答
 曠野の漂泊
 流離の詩
 蜉蝣の羽

第五章 貴族社会の繁栄と衰落
 詩篇の時代
 貴族社会の繁栄
 十月之交
 喪乱の詩
 危機意識と詩篇
 宮廷詩人尹吉甫
 西周の挽歌

第六章 詩篇の伝承と詩経学
 入楽の詩
 楽師伝承の時代
 賦詩断章
 詩篇と説話
 詩経学の展開
 詩篇の特質

あとがき・参考書
周王朝系譜
地図
春秋期略年表
詩篇索引




◆本書より◆


「第一章 古代歌謡の世界」より:

「ことばの呪能を託された歌は、すでに動かしがたい存在の意味を荷(にな)うものとして、客体化された。ことばは歌として形成されたとき、すでに呪能をもってみずから活動する存在となる。(中略)原始の歌謡は、本来呪歌であった。」

「歌謡は神にはたらきかけ、神に祈ることばに起源している。そのころ、人びとはなお自由に神と交通することができた。そして神との間を媒介するものとして、ことばのもつ呪能が信じられていたのである。ことだまの信仰はそういう時代に生まれた。
 神々との交渉は、神が人とともにある時代にあっては、ことば以外にもその行為のすべてを通じて行なうことができた。たとえば、神がその願いをかなえてくれるかどうかを、無意的な人のことばによって占(うらな)うこともあった。門(かど)べに立って、ゆきずりの人のことばをそのまま神託とみなす夕占(ゆうけ)や、一定の距離を歩いてその歩数で卜(うらな)う足占(あうら)などは、日常のことであった。神にそなえた初柴(はつしば)の一枝を水に流して、そのいざようさまで卜(ぼく)する水占(みなうら)は柴刈りの行事と関連して行なわれた。旅の無事を祈って、野草を摘み、草を結ぶなどの行為が、そのまま予祝の意味をもつとされた。」
「神霊はあらゆるところに遍在しており、その姿もさまざまであった。「草木すら言問(ことと)ふ」というとき、草木にもまた神が宿ると信じられていたのである。大きな樹は特に神聖であった。鉾杉(ほこすぎ)や蔦(つた)かずら・寄生木(やどりぎ)のある大木には、必ず神が住むとされた。青山のたたずまい、たぎつ川瀬も、みな霊的なもののあらわれである。その姿をながめているだけでも、そこにある霊的な力、自然のもつ神秘な力が人の魂をゆるがし、生命力をゆたかにした。ましてや、樹(こ)の間にたちさわぐ鳥の声、季節的にわたりくる鳥のふしぎな生態は、人びとに霊の実在を信じさせた。鳥形霊の観念は、わが国の古代のみならず、ひろく行なわれていた古代的信仰であった。
 『万葉集』にみえるこのような汎神論的な世界観とそれに基づく種々の呪的意味をもつ民俗が、それらの歌の発想の基盤をなしていることは、多くの研究者によってすでに指摘されていることであり、古代歌謡の解釈にこのような事実を無視しえないkとおは、いまでは常識といってよい。『万葉集』におけるあのつつましいまでの自然へのおそれと没入とは、近代短歌の立場から試みられた『万葉』の再解釈と実は無縁のものであった。古代歌謡のこのような古代的な性格を無視して、その文学を正しく位置づけることは不可能である。
 『詩経』の詩篇が、『万葉』とその絶対年代ははるかに異なるとしても、同じような歴史的条件の時期に成立したものであることは、さきに述べたとおりである。したがって詩篇の発想にもまた、『万葉』のような発想と同様の基盤に立つものがあると考えてよい。詩篇には、自然の景象や草摘み、采薪などの行為が多く歌われている。それらはおそらく『万葉』と同じように、呪歌的発想をもつものであろう。
 詩の興(きょう)とよばれる発想法は、その主題とのかかわり合いが明らかにされないために、詩の理解を困難にし、歪めていることが多い。従来の詩篇解釈に多くみられる説話的な附会は、そのために生まれた。後にくわしく述べるように、結婚の祝頌に、どうして束薪や魚などが歌われているのか。祭祀や征旅の詩に、どうして鳥や獣の生態がしばしばあらわれているのか。誘引の詩に果物を投げる行為が歌われ、哀傷の詩に衣裳のことがみえるのはなぜか。すべてこれらのことは、単なる比喩ではなく、それを歌うことに深い意味のあることが、十分に知られていなかったのである。
 詩篇のそのような興的発想は、わが国の序詞や枕詞のような定着のしかたを示さなかったけれども、本質的にはそれと同様に、神霊との交渉をもつための発想であり、表現であった。暗示的な発想といわれる「興」の本質は、歌謡が古く呪歌として機能していたころのなごりをとどめているものなのである。そしてそれは、当時の民衆の生活と直接に連なるものであった。人びとが、かれらを神々に強く隷属させていたその古代的な氏族制のきずなから解放されて、自由にその感情を表現しうる時代が訪れたのちにも、その呪縛は古代歌謡の発想法のうちに、その思惟の様式を規定する古代的な観念として、なお濃厚に遺存した。このことを把握するのでなくては、詩篇をその当時のあり方において理解することは困難である。『万葉』の研究が、従来の注釈学的、あるいは印象批評的な解釈から脱して、その発想の場を古代人の生活と心意のうちに追求し、その表現を一つの時代的様式としてとらえようとする民俗学的な方法の導入によって、急速な展開をみせたように、詩篇の研究にもその方法の適用はきわめて有効であろう。私はこの書の中で、詩篇をそのような立場から新しく見直してみたいと思うのである。」

























































































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白川静 『孔子伝』 (中公文庫)

「儒家に対するきびしい批判者とされる荘子は、その精神的系譜からいえば、むしろ孔子晩年の思想の直系者であり、孟子は正統外の人である。」
(白川静 『孔子伝』 より)


白川静 『孔子伝』 
中公文庫 し-20-9

中央公論新社 1991年2月10日初版発行
2003年1月25日改版発行/2010年4月5日改版9刷発行
317p 
文庫判 並装 カバー 
定価895円+税
カバーデザイン: 山影麻奈

「『孔子伝』 一九七二年一一月 中央公論社刊」



本文中図版(モノクロ)多数。

巻懐(ひきこもり)の圏外(アウトサイダー)哲人(オカルティスト)孔子、その反体制的・「狂」的負け犬人生。本書は著者随一の名著なので、よむとよいです。

「内外すべて、ノモス的な幻影が世をおおうている。多分孔子も、このような時代に生きたのであろう。哲人孔子は、どのようにしてその社会に生きたのか。孔子はその力とどのように戦ったのか。そして現実に敗れながら、どうして百世の師となることができたのであろうか。私はそのような孔子を、かきたいと思った。」
「孔子は最も狂者を愛した人である。「狂者は進みて取る」ものであり、「直なる者」である。邪悪なるものと闘うためには、一種の異常さを必要とするので、狂気こそが変革の原動力でありうる。そしてそれは、精神史的にもたしかに実証しうることである。(中略)あらゆる分野で、ノモス的なものに対抗しうるものは、この「狂」のほかにはないように思う。」

(本書「文庫版あとがき」より)

それではその「邪悪なるもの」である「ノモス」とは何かというと、

「具体的には道徳や法律がそれである。(中略)ノモスは個人に対して先在するもの、個人を包む歴史的社会的一般者である。それは集団そのもののもつ権威の上に成り立つものであるから、個人的契機を含みがたい」(本書より)


白川静 孔子伝


カバー裏文:

「理想を追って、挫折と漂泊のうちに生きた孔子。中国の偉大な哲人の残した言行は、『論語』として現在も全世界に生き続ける。史実と後世の恣意的粉飾を峻別し、その思想に肉薄する、画期的孔子伝。」


目次:

第一章 東西南北の人
 伝記について
 聖人ののち
 陽虎の叛
 出国記
 亡命記
 夢と影と

第二章 儒の源流
 伝統について
 大儒と小儒
 巫史の学
 天の理想
 古典について
 儒教の成立

第三章 孔子の立場
 体制について
 群不逞の徒
 奴隷制説
 孔子教団
 巻懐の人

第四章 儒教の批判者
 批判について
 ギルド的集団
 儒墨の弁
 盗跖の論理
 孔子問礼
 稷下の学

第五章 『論語』について
 文体論
 儒家八流
 弟子群像
 『論語』の成立
 大なるかな孔子

文庫版あとがき
解説 (加地伸行)




◆本書より◆


「東西南北の人」より:

「孔子はとくに卑賤の出身であった。父のことも明らかでなく、私は巫児の庶生子ではないかと思う。晩年にはさすがに一代の師表として、尊敬を受けたであろうが、亡命中のある時期には、「夫子を殺すもの罪なく、夫子を藉(しの)ぐもの禁なし」〔荘子・譲王篇〕という、引き受け人のない亡命者、いわゆる外盗の扱いであった。」

「体制の理論とされる儒教も、その出発点においては、やはり反体制の理論であった。そのことは、孔子の行動がよく示しているところである。しかし反体制の理論は、その目的とする社会が実現したとき、ただちに体制の理論に転化する。それが弁証法的運動というものであろう。儒教的な思惟になお生命があるとすれば、それはまたやがて、新しい反体制の理論を生み出してくるかも知れない。」

「孔子の世系についての『史記』などにしるす物語は、すべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として、早く孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。思想は富貴の身分から生まれるものではない。」

「孔子が、一躍にして世人の注目をあびるようになるのは、魯に内乱的な状態が突発したときである。(中略)陽虎は孔子を招聘することに熱心であったし、公山弗擾も、いよいよクーデターを実行するとき、孔子を招いた。孔子のもつ影響力は、おそらく巫祝社会を中心として、祭司者の知識社会全体に及んでいたであろう。孔子も行動を起そうとする。しかしそれはたちまち挫折するのである。しかしその挫折は孔子を救ったと私は考える。政治的な成功は、一般に堕落をもたらす以外の何ものでもない。」

「従うものは、子路以下、顔淵など少数の主だった弟子たちであった。こうして十四年にわたる亡命生活がはじまる。(中略)この亡命生活は、かれらの間に強い運命共同体的な意識をうえつけ、(中略)思索を深める機会をも与えたであろう。それは使徒たちを伴って彷徨をつづけるナザレびとの姿に似ている。」

「しかし事実は必ずしも真実ではない。事実の意味するところのものが真実なのである。孔子を大聖として書くことは、むしろやさしい。(中略)しかし事実の意味を解くことは、実は容易ではない。意識の底によどむあるものにも、照明を当てなければならぬからである。ソクラテスがダイモンのささやきを語るとき、それは何を意味するのか。(中略)聖者といわれる人には、そういう不可解な面があるものなのだ。(中略)孔子の言動には、人が夢みるときのような、何か美しいものを感じさせるときがある。あるいはまた、何かの幻影に怖れおののくような姿がある。」

「孔子は巫女の子であった。父の名も知られぬ庶生子であった。尼山に祈って生まれたというのも、世の常のことではなさそうである。あのナザレびとのように、神は好んでそういう子をえらぶ。孔子はえらばれた人であった。それゆえに世にあらわれるまでは、誰もその前半生を知らないのが当然である。神はみずからを託したものに、深い苦しみと悩みを与えて、それを自覚させようとする。それを自覚しえたものが、聖者となるのである。
 孔子は、一生夢をみつづけた。夢に出てくるのはいつも周公であった。」
「孔子には、もう一つ幻影があった。それはダイモンのように識られざる神の声ではなく、現実の人物として行動する。しかし孔子は、おそらくその人物のうちに、ダイモンのようなふしぎな何ものかの影を感じ、これを怖れ、ときには反撥し、ときには憎悪を抱いていた。少なくとも私には、そのように、思われる。それは陽虎という男であった。」



「儒の源流」より:

「焚かれたのは巫祝であった。祝は巫に対して男巫をいい、髪を断つことをもいう語である。焚巫に用いるものは、大てい巫祝の中の異常者であった。わが国の一つ目や一本足の妖怪が、そういう古代の人身御供(ひとみごくう)から生まれた語であるように、中国では侏儒などがそれに使われたのである。儒はおそらく、もと雨請いに犠牲とされる巫祝をいう語であったと思われる。その語がのちには一般化されて、巫祝中の特定者を儒とよんだのであろう。それはもと、巫祝のうちでも下層者であったはずである。かれらはおそらく、儒家の成立する以前から儒とよばれ、儒家が成立してからもなお儒とよばれていたのであろう。」

「巫とともに、神事に従うものに史があった。巫史・祝史のようによばれていることが多い。巫史の起源は、遠い原始の時代に発している。それは人類が、何らかの意味で霊的なものの存在を意識し、それとの交渉を試みようとしたとき、すなわち人々が原始的な宗教感情をいだきはじめたときから起っている。霊的なものには、霊的な方法で対処しなければならない。そういう呪的な行為をするものが、巫史であった。」

「儒教は、中国における古代的な意識形態のすべてを含んで、その上に成立した。伝統は過去のすべてを包み、しかも新しい歴史の可能性を生み出す場であるから、それはいわば多の統一の上になり立つ。儒の源流として考えられる古代的な伝承は、まことに雑多である。その精神的な系譜は、おそらくこの民族の、過去の体験のすべてに通じていよう。孔子は、このような諸伝承のもつ意味を、その極限にまで追求しようとした。詩において、楽において、また礼において、その追求が試みられたことは、すでにみてきた通りである。そしてその統一の場として、仁を見出したのである。過去のあらゆる精神的な遺産は、ここにおいて規範的なものにまで高められる。しかも孔子は、そのすべてを伝統の創始者としての周公に帰した。そして孔子自身は、みずからを「述べて作らざる」ものと規定する。孔子は、そのような伝統の価値体系である「文」の、祖述者たることに甘んじようとする。しかし実は、このように無主体的な主体の自覚のうちにこそ、創造の秘密があったのである。伝統は運動をもつものでなければならない。運動は、原点への回帰を通じて、その歴史的可能性を確かめる。その回帰と創造の限りない運動の上に、伝統は生きてゆくのである。儒教はそののち二千数百年にわたって、この国の伝統を形成した。そしていくたびか新しい自己運動を展開したが、そのような運動の方式は、すでに孔子において設定されていたものであった。孔子が不朽であるのは、このような伝統の樹立者としてである。」



「孔子の立場」より:

「人はみな、所与の世界に生きる。何びとも、その与えられた条件を超えることはできない。その与えられた条件を、もし体制とよぶとすれば、人はその体制の中に生きるのである。体制に随順して生きることによって、充足がえられるならば、人は幸福であるかも知れない。しかし体制が、人間の可能性を抑圧する力としてはたらくとき、人はその体制を超えようとする。そこに変革を求める。思想は、何らかの意味で変革を意図するところに生まれるものであるから、変革者は必ず思想家でなくてはならない。またその行為者でなければならない。しかしそのような思想や行動が、体制の中にある人に、受け容れられるはずはない。それで思想家は、しばしば反体制者となる。少なくとも、反体制者として扱われる。孔子は、そのような意味で反体制者であった。孔子が、その生涯の最も重要な時期を、亡命と漂泊のうちに過ごしたのは、そのためである。孔子はその意味では、圏外の人であった。」

「人は所与の世界に生きるものであるが、所与はその圏外に去ることによって変りうるものである。また同時に、主体としての所与への関与のしかたによっても、変りうる。むしろ厳密にいえば、所与を規定するものは、主体そのものに外ならないともいえよう。殊に亡命生活のような、体制の圏外にある場合に、主体はむしろその自由を回復する。体制の中では反体制としてのみ措定される可能性が、ここでは自由である。可能性は限りなく高められ、純粋化される。(中略)所与の限界性を破りうるものは、天であった。孔子が天命を自覚したというのも、おそらくそのときであろう。」

「思えば、この亡命ということも、また天命であったのかも知れない。孔子は、この亡命によって、人間としての可能性を窮める機会をえたのである。(中略)もっとも孔子は、この亡命中を、「夢と影」の中でくらした。理想と現実との相克の中に身をおいたが、しかしすべてのものは、そのようなきびしい矛盾の克服を通じてのみ、成就しうるのである。」

「孔門には狂簡の徒が多かった。(中略)狂簡の士とは、「進みて取り」、「爲さざるところある」〔子路〕ものとされた。孔子はそのゆえに、深く狂簡の徒を愛した。
 孔子は最も「固を疾(にく)」〔憲問〕み、教条主義者を度しがたいものとした。次に郷原(きょうげん)を悪んだ。(中略)郷原とは、見せかけだけの形式主義者である。この種の人間よりは、狂簡の徒の方がはるかに上等である。しかし狂にも古今の別があって、「古の狂や肆(し)、今の狂や蕩」〔陽貨〕という。肆とは自由にして闊達の意であるが、蕩とは自己抑制のないことをいう。」



「儒教の批判者」より:

「批判は異質の世界に起るものではない。共通する連帯の中にありながら、その立場を異にし、目的を異にするところに、その自己諒解の独自性の主張として生まれるのである。」

「孔子のいう仁は、もとより「人を愛す」〔顔淵〕という一面もあるが、仁は孔子においては「一日己れに克ち禮に復らば、天下仁に歸す」〔同〕という、人間存在の根拠に関する絶対の自覚をいう語であった。」

「孔子の時代には、この民族のもつゆたかな伝統がなお生きつづけていた。神のことばを伝える聖人たちの教えがあった。そのことばの意味を明らかにすることが、孔子の使命であった。そして孔子はそれを、仁においてみごとに結晶させた。それは心のうちに深く求められたロゴスの世界であった。」

「ノモスは、分配を語源とするものといわれている。それは公共性の原理であった。具体的には道徳や法律がそれである。(中略)ノモスは個人に対して先在するもの、個人を包む歴史的社会的一般者である。それは集団そのもののもつ権威の上に成り立つものであるから、個人的契機を含みがたい。」

「真の実在とはカオスであり、実在の亀裂を示すものであり、渾沌(こんとん)たるものである。渾沌には目鼻があってはならない。北海の帝である忽と、南海の帝である儵(しゅく)とが、中央の帝である渾沌のところで世話になった。お礼のしるしとして、目鼻のない渾沌に、人並みの目鼻をつけてあげようということになった。七日がかりで七つの竅(あな)をうがち終ったとき、渾沌は死んだ。(中略)儵・忽とは時間的限定をいう。実在は時間や運動のように、分割することを許さないものである。分割は死を意味する。人はなぜ存在を存在として、道を道として、そのままに把握しようとしないのか。矛盾にみちたこの現実を、どうすることができるというのか。あるものはただ、己れだけではないか。存在とともにあるところの、己れだけではないか。そこに自己の存在根拠としての、荘子の本体論が生まれ、認識論が展開される。」

「儒家に対するきびしい批判者とされる荘子は、その精神的系譜からいえば、むしろ孔子晩年の思想の直系者であり、孟子は正統外の人である。」

「坐忘とは、知覚的なもの、理性的なものの放棄をいう。いわば直観である。それはノモス的な原理としての仁儀礼楽を棄てたところに生まれる。孔子において明らかにされたイデア的な世界は、やがて儒墨の徒によって、ノモス的な社会的一般者に転化された。それは集団のもつ規範性に、すべての人が服従しなければならぬ世界である。(中略)しかしそのような一般者は、その集団の超越性のゆえに、主体的な生の自由に息づくことを許さない。生の衝迫は極度に抑圧される。従ってノモス的な世界の否定は、個の主体性の回復の主張となり、より根源的な生の解放の主張となる。生の哲学、実存の哲学とよばれるものが生まれるのは、おおむねそのような思想的要求からである。荘周の思想が、しばしば生の哲学、実存の哲学とされるのもまた、その意味においてである。」

「老荘の思想を郭氏は封建的地主階級のイデオロギーであり、二千年来の土豪劣紳の哲学であるというが、それにしては、その思想は高尚にすぎるようである。先秦の文献においても、『荘子』ほどみごとな思想的文章はない。そしてまた、これほど高踏的で、政治への無関心を示したものはない。占卜の神亀として、死して廟堂の上におかれるよりも、生きて尾を泥中に曳くことを理想とする〔荘子・秋水〕。徹底的な反社会的な態度であり、生の主張である。このような独善主義、個人主義が、支配者や封建的勢力の思想、ノモス的世界のイデオロギーであるはずはない。それは脱ノモスの思想である。敗北者の思想であり、基本的には敗北の哲学である。そしてその敗北主義は、『老子』に至ってはなはだ明確な形をとる。」

「老荘の思想というが、『老子』の書は『荘子』より後に成立したものと考えられる。(中略)荘子は蒙の人であるという。その地は当時、宋に属していたらしい。」
「おそらくかれらは、亡殷の後である宋の人であろう。宋は時勢おくれの国であった。古い伝統を、愚直なほど守りつづけようとした地である。宋人といえば、切り株で兎が首を折るのを待って耕すのをやめる「待ちぼうけ」の話や、苗の生長を早めたいと思って引き抜いてしまう「助長」の話のように、間の抜けたことばかりする男である。それは、その国の国王からしてそうであった。「宋襄の仁」ということばがあるように、襄公は仁義の軍を行なうと称して奇襲策をしりぞけ、そのため大敗を喫して、ようやく成就しようとした覇業を失ったりする。また饑饉のときに、景公は、その遠祖の湯王が行なったように、積薪の上に坐して、自らを焚いて雨を祈ろうとした。(中略)宋襄の仁」は後までも世の笑い草となったが、『史記』「宋世家」の論賛には、礼譲ある行為として、君子の賞賛をえたとしるしている。この君子とは、おそらく宋の古い氏族や郷党の長老たちのことであろう。かれらは「我は愚人の心なるかな」「我獨り頑(かたく)なにして鄙(いや)しきに似たり」〔老子、二十章〕とし、しかもそれを真の生きかたであるとして肯定し、主張してやまないのである。
 宋はそういう国がらであるから、当時のノモス的世界からとり残された、特殊な地域であった。おそらく古い制度や習慣が、その氏族的なもののうちに多く保たれていたのであろうと思われる。」
「おそらく列国期の宋人も、他からは違和的な人びととみられていたのであろう。「國の垢(はぢ)を受くる、これを社稷(国)の主といふ。國の不祥を受くる、これを天下の王と爲す」〔老子、七十八章〕というような敗北の倫理は、そこから生まれる。そのような思想を生み出したものは、亡殷の余裔として長い屈辱に堪え、ノモスの世界からもはみ出している、この地の特殊な歴史地理的風土を考えなければならぬであろう。かれらは斉物棄知説や全性説を受け容れるのに、最も適した条件をもっていたのである。」
「思想は本来、敗北から生まれてくるもののようである。」



「『論語』について」より:

「『荘子』の文は、思想的文章としてはほとんど空前にして絶後である。その文は、稷下諸学士の精緻な理論を駆使し、奔放にして博大を極めた修辞を以て、超越者の自在な精神的世界を表現した。この超人は、孔子ののちに失われたロゴスを、またよびかえした。ことばはその自在な活力を回復する。」

「荘子のこのような神秘主義的な思想については、おそらく宋・楚の地をはじめとして各地に残された古い氏族や郷党の伝統を重んずる長老や祭式の関係者たちが、深い共感を寄せ、あるいはその思想の宣布に努めるものもあったであろう。かれらもまた当時のノモス的な社会のなかで、その生きかたを問われている人びとである。長老たちは同時に司祭者でもあった。その伝統をどのようにして保ちつづけるか。巨大化していよいよ暴威をほしいままにするノモス的世界から、その生活を守らなければならない。(中略)古くは「戸を出でずして天下を知る」〔老子、四十七章〕という、無事の時代であった。(中略)淳朴の時代であった。その淳朴の世に帰らなければならない。」
「それはなお、文字のない時代である。約束ごとは、縄を結んでしるしとした。それで違約のおそれはなかった。土俗の生活が疑うこともなく伝承される。そのような社会にこそ、人の真実の生活がある。しかし社会の巨大化が、すべての真実を奪うのである。長老たちは、かつての氏族社会、郷党の生活を、ノモス的社会の反極にある理想的なものとし、ユートピアとして追想する。」

「儒教のノモス化は、孟子によって促進され、荀子によって成就された。それはもはや儒家ではない。少なくとも孔子の精神を伝えるものではないと思う。儒教の精神は、孔子の死によってすでに終っている。そして顔回の死によって、その後継を絶たれている。イデアは伝えられるものではない。残された弟子たちは、ノモス化してゆく社会のなかに、むなしく浮沈したにすぎない。」

「孔子の時代は、中国の文化の伝統が、なお深く息づいていたときである。孔子はそれを象徴的に、周公の姿として夢にみることができた。孔子は「己れに克ち、禮に復る」〔顔淵〕こと、すなわち主観を捨ててその伝統の意味に参入することによって、イデアがその体認において実現される場所としての、仁を見出した。」
「ただそれは、孔子においては、具体的な形象において、実現されることはなかった。現実の上では、孔子はつねに敗北者であった。しかし現実の敗北者となることによって、孔子はそのイデアに近づくことができたのではないかと思う。社会的な成功は、一般にその可能性を限定し、ときには拒否するものである。思想が本来、敗北者のものであるというのは、その意味である。
 孔子は、ノモス化しようとする社会のなかで、仁を説いた。しかしもはやイデアへの福音が受け容れられる時代ではなかった。(中略)孔子は、ノモスの外に立とうとした。」

「孔子は晩年、巻懐の人であった。そしてそのような巻懐者としての孔子に近づこうとしたのが、「微子篇」の伝承者たちであった。かれらはおそらく南方の儒であり、荘周の学派とも交渉をもつものであろう。かれらは完全に政治を否定する。ノモス的な社会を否定するのである。そしてその立場から、孔子の政治的彷徨を批判するが、それは孔子のそのような生きかたを否定するというよりも、むしろその彷徨の果てに、巻懐者となっていった孔子に対する、共感を伴うものであった。そのゆえにそれは、『論語』の一篇として録されているのである。
 しかし孔子のこの政治的彷徨は、孔子の精神を樹立させるために、絶対に必要であった。はじめからの巻懐者というものは、ありえないからである。その極限的な状況のなかで積み重ねられてゆく内面の葛藤を通じて、人は成長する。偉大ともなるのである。(中略)孔門の晩年の高弟たちが、孔子の高い精神に容易に近づきえなかったのは、かれらが亡命の漂泊の苦しみを知らず、はじめから順調に仕官して、社会的にも尊敬される地位にあったからであろう。高い教養をもつかれらは、ノモス的な社会の指導者となった。」

「ノモス的社会といえば、今日ほど巨大な社会、物量化された社会は、かつてなかった。そして今日ほど、ノモスが社会的超越者として、おそるべき支配力と破壊力を示している時代はない。数千万の、ときには数億の民衆が、ただ一つの規範に服している。人は完全にノモスの支配下にある。しかもノモスは、いよいよみずからを巨大にするために、巨大都市を作り、巨大国家を作る。人は巨大都市が文化の破滅につらなることをおそれるが、巨大国家が人間の生きかたと、どのように関与するかを問わない。「子、九夷に居らんと欲す」〔子罕〕と孔子が脱出を望んだ圏外の世界は、次第に失われつつある。空間的な世界のことだけではない。精神の世界において、それはいっそう深刻である。」







































































白川静 『中国の神話』 (中公文庫)

「中国の濶大な天地には、かつて多くの種族がそれぞれの神話をもち、その守護神を擁して相争った。東夷、南蛮、北狄、西戎といわれる諸種族が中原をめぐって角逐し、(中略)その闘争の過程は、神話的表象として展開した。敗れた神々は悪神として辺裔に放竄せられ、勝者の神々はまたその序列を争った。」
(白川静 『中国の神話』 より)


白川静 『中国の神話』 
中公文庫 し-20-1

中央公論新社 1980年2月10日初版/2001年1月25日7版
310p 
文庫判 並装 カバー 
定価686円+税



初版単行本は昭和50年、中央公論社より刊行。本書はその文庫版。
本文中図版(モノクロ)多数。


白川静 中国の神話1


カバー裏文:

「神話なき国とされ、従来、ほとんど知られることのなかった中国の神話・伝説を底知れぬ学識と豊富な資料で発掘し、その成立=消失過程を体系的に論ずる。日本神話理解のためにも必読の書。」


目次:

第一章 中国神話学の方法
 一 第三の神話
 二 『楚辞』「天問篇」
 三 文化領域
 四 古代の王朝
 五 隠された神話

第二章 創世の神話
 一 文化の黎明
 二 夷夏東西説
 三 洪水神の葛藤
 四 伏羲と女媧

第三章 南人の異郷
 一 南方の楽
 二 銅鼓文化圏
 三 饕餮の国
 四 石寨山の文化

第四章 西方の人
 一 岳神の裔
 二 牧羊人の行方
 三 伯夷降典
 四 皐陶の謨
 五 秦の祖神

第五章 殷王朝の神話
 一 夷羿の説話
 二 河伯の祭祀
 三 玄鳥説話
 四 舜の説話
 五 太陽神とその御者
 六 光明と暗黒
 七 自然神の系譜
 八 神話の構成

第六章 ペーガニズムの流れ
 一 漢の游女
 二 江南の賦
 三 崑崙と西王母
 四 西方のパラダイス

第七章 古帝王の系譜
 一 歳星と分野説
 二 黄帝と五行説
 三 列国の説話と姓組織
 四 華夏について

第八章 神話と伝統
 一 神話と祭儀
 二 顧命と大嘗会
 三 神話と伝統

参考文献
図版解説
あとがき



白川静 中国の神話2



◆本書より◆


「古代王朝としての殷は、その古代的な文化の様相からも知られるように、多くの神話をもっていたはずである。しかし殷の神話は、殷周の革命による殷の滅亡のために、挫折する。西北系の周は、すでに農耕的段階に達するものであったが、本来は牧畜族であった。滅び去った殷の子孫である宋の国は、周的な天下の中では異質のものとして、つねに軽侮の対象となった。戦国期の文献に「宋の人」といえば、たとえば切り株に兎がふれて死ぬのを待つ待ちぼうけの話のように、間の抜けたものばかりである。かれらの神話は、継承されなかった。大体神話は、継承される性質のものではない。国が滅びると、神話は滅びるのである。神話を失った宋の地では、のち荘子の哲学が起った。神話的な思惟の方法は、その寓話のなかに生かされる。神話は思想のなかに隠されるのである。」

「中国の濶大な天地には、かつて多くの種族がそれぞれの神話をもち、その守護神を擁して相争った。東夷、南蛮、北狄、西戎といわれる諸種族が中原をめぐって角逐し、それぞれの適地を求めて漁労、遊牧、牧畜、農耕の生活をつづけたが、そのような自然条件と生活のなかから、それぞれ異質の神話が生まれ、その闘争の過程は、神話的表象として展開した。敗れた神々は悪神として辺裔に放竄せられ、勝者の神々はまたその序列を争った。そして西方の影響を受けながら五行思想が成立するころ、戦国期の列国対峙の関係の上に、天下的世界観が形成され、神話もまた天下的世界観に対応するものとして組織される。五行の配当において中央を占める黄帝が、その組織の中心にすえられた。しかしそのときすでに、神話構成の主体となるべき王朝はなかった。五帝のような古帝王の系譜が、空間的にも、また時間的にも、この天下的世界を整序する組織の原理とされた。そこには国家神話の成立する機縁はなかった。国家神話の形成は、殷王朝の発展のなかで進められつつあったが、その古代王朝の崩壊とともに伝承を失った。そして祖祭の体系として伝えられた王統譜のみが残り、神話的系譜は、おそらく戦国期の五行的思考の上に再組織されたものが、「殷本紀」に加えられた。卜辞にみえる河・岳のような自然神の祭祀は、その高祖化の定着しないうちに滅びるのである。そしてこれに代った制服王朝である周は、ほとんど何らの神話体系をもたなかった。(中略)このもと西方牧畜的な種族は、このときすでに完全な農耕民族であったが、現実的な征服国家にとって、被征服者の古い神話はもはや摂受しがたいものであり、また不必要でもあった。そのため天の思想が、その国家理念として成立するのである。殷の人格神的な上帝に代って、人格神的形象をもたない天が一般者とされた。それがいわば、かれらの国家神話であった。それで周王朝の衰退した東周期には、列国間の秩序はすなわち天下の秩序に外ならぬという政治的関係となる。神話はそのような天下的な世界の観念的な整合と統一を志向する。黄帝を中心とする古帝王の系譜は、秦、楚のような独自の伝承をもつ異質な国家をも、その体系のうちに包摂する。それは道徳的原理として道統説となり、五行の運旋の理法を示すものとして五帝徳説となり、さらには革命の理論とさえなる。それはもはや神話ではなく、政治的主題をもつ思想であり、神話としては観念の虚構にすぎない。それが中国を神話なき国と規定させた最も大きな理由であった。(中略)神話が、本来はその神意の実現を永遠にわたって求めつづけるものであるとすれば、革命の理論に転化されるような神話の体系は、神話としての自己否定であるともいえよう。」
















































白川静 『中国古代の民俗』 (講談社学術文庫)

「足が直接に地にふれるということが、地霊との交渉を可能にする。そしてそのことばが律動をもつように、足の動きも舞踊的となる。(中略)これが舞うことの起源であった。」
(白川静 『中国古代の民俗』 より)


白川静 
『中国古代の民俗』

講談社学術文庫 484

講談社 1980年5月10日第1刷発行/2008年7月18日第25刷発行
301p 文庫判 並装 カバー 定価1,000円+税
装幀: 蟹江征治
カバーデザイン: 粟津潔



本文中図版(モノクロ)多数。


本書「あとがき」より:

「この書は、さきの『中国古代の文化』につづいて、中国古代の民俗の問題を考えようとしたものである。」
「私はこの書で、三つの方法を試みようとした。それは古代文字の構造を通じて考えられる古代人の生活と思惟、古代歌謡としての詩篇の発想と表現とを通じてみられる生活習俗のありかた、そして第三には、それによってえられたところのものを、わが国の古代の民俗的な事実と対応させながら、比較して考えるという方法である。」
「第一章「民俗学の方法」では、(中略)民俗学の方法をまず問題とした。わが国の民俗学は、はじめ柳田氏の方法を主流として展開してきたが、いまではその関連する諸文化科学との関係が強く反省され、また一国民俗学的な閉鎖性を脱しようとする努力も試みられている。ことに民族のもつ固有にして純粋な原体験を求める立場からは、民俗語彙や習俗的伝承に依拠するだけでは、十分な成果を期待することはむつかしい。しかし中国の古代文字は、その構造と用義において、一挙にその原点に近づきうる、もっとも有力な資料である。その一例として、文字資料による鳥形霊観念の復原を試みた。
 第二章「古代歌謡と民俗」は、古代歌謡における発想法と民俗の関係について考えた。歌謡の原質は呪歌的なものであり、その意味で『万葉集』と『詩経』との間には共通する問題がある。枕詞が地霊へのよびかけの意味をもつように、詩篇において興とよばれる発想法は、その字義において地霊への鎮めの意味をもつ。その発想法は同じ次元にあるものであり、相似た民俗的事実を背景としている。
 第三章「言霊の思想」は、呪的歌謡が言霊の観念を基盤とするものであり、それは古代文字の構造の上からも、またその古代文字の展開の上からも、あとづけることができるものであることを論じた。
 第四章「詩経民俗学」は、詩篇における発想と表現、およびその展開のうちに、『万葉』におけるものと同質のものがみられることに注意した。古代文字がそれ自身の体系をもつ民俗資料であるとすれば、詩篇もまたその生活において、一の民俗的世界をなしている。
 第五章「卜辞の世界」は、古代文字が、その原義性において用いられている卜辞の例によって、当時の自然観と、その生活を規定する諸観念の復原を試みた。それらはいずれも、原初の神信仰と深く結びついたものである。
 第六章「語部と巡遊者」は、古代文字の展開の一面を、説話と民謡とを通じて考えようとした。その担持者は、いずれも古代の巫史の零落した巡遊者たちである。古代文学の最初の伝承者たちがそのような巡遊者であったという事実は、その展開の姿相をも含めて、わが国の古代文学にも認めることができる。
 第七章「月令と歳時記」は、民俗行事の重要な部分を占める歳時、すなわち年中行事と、通過儀礼の問題をあつかった。いずれも消長と持続、断絶と循環の論理に立つものであるが、中国では歳時は「月令」のように陰陽五行的自然観として組織され、通過儀礼は『儀礼』のように礼経化されて、民俗的なものの思想化、制度化の傾向が著しい。古い民俗伝承が、そのためにいわゆる常民的基盤から引き離されてゆくことが多かったようである。
 このことからいえば、中国の民俗学は、その失なわれた古代的なものを、その本来の姿に復原することが、とりあえずその出発点を回復する方法であり、またそれによって、比較民俗学的な対象としての条件をもつこととなろう。ここにはなお未開拓に近い豊沃な分野がある。その分野に対して一の展望を与えようとすることが、この書の意図するところである。」



白川静 古代中国の民俗


カバー裏文:

「魯迅の弟、周作人に始まる中国の民俗学研究の歴史は浅く、研究方法もいまだ摸索の段階にある。本書は「古代文字の構造を通じて考えられる古代人の生活と思惟、古代歌謡としての詩篇の発想と表現とを通じてみられる生活習俗のありかた、そしてそれによってえられたところのものをわが国の古代の民俗的な事実と対応させながら比較」考察するという三つの方法をもって、未開拓の中国民俗学研究という分野に正面から取組んだ労作である。」


目次:

第一章 民俗学の方法
 〈1〉 わが国の民俗学
   石神問答
   遠野物語
   十三塚と河童
 〈2〉 中国の民俗学
   中国民俗学の出発
   民俗語彙と古代語
   古代語としての漢字
 〈3〉 古代文字と民俗学
   鳥形の霊
   奪と奮
   辟雍の制

第二章 古代歌謡と民俗
 〈1〉 万葉集と民俗学
   その先駆的研究
   折口の古代研究
   歌謡の原質
 〈2〉 詩経と民俗学
   詩経の学
   グラネーの方法
   興の問題
 〈3〉 発想の問題
   興の原義
   諺と枕詞
   地霊の鎮め

第三章 言霊の思想
 〈1〉 祈りについて
   神のことば
   攻撃と防禦
   神の音ない
 〈2〉 興的発想の展開
   詩篇と自然
   定型と反興
   樹木の興
 〈3〉 巫祝と文学
   呪誦と文学
   楚辞文学の展開
   賦の原質

第四章 詩経民俗学
 〈1〉 草摘みについて
   巻耳の詩
   神事と予祝
   草摘み歌の展開
 〈2〉 祝頌の詩
   祝頌の形式
   祝頌と思慕
   恋愛詩の成立
 〈3〉 恋愛詩の諸相
   揚之水三篇
   投果と衣食
   象徴の手法

第五章 卜辞の世界
 〈1〉 自然のいぶき
   水を飲む虹
   龍の話
   巫女と媚獣
   夢と死
 〈2〉 人間のありかた
   出生について
   往来について
   死葬について
 〈3〉 社会の生活
   農業について
   狩猟について
   戦争について

第六章 語部と巡遊者
 〈1〉 語部の文学
   貴種流離譚
   巫史の学
   志怪の書
 〈2〉 桑摘みの女
   生命の木
   桑中の会
   陌上桑
 〈3〉 巡遊者の文学
   邯鄲の倡
   秦氏の女
   孟姜女説話

第七章 月令と歳時記
 〈1〉 月令の組織
   豳風(ひんぷう)七月篇
   夏小正と国語
   月令とその形式
 〈2〉 農事暦と歳時記
   后稷の法と四民月令
   荊楚歳時記
   セチの日
 〈3〉 通過儀礼について
   産屋の礼
   結婚の礼式
   万舞の人

終章 民俗学の方向
   民俗学の方向
   古代民俗の復原
   民俗の本質
   民俗と習俗

あとがき




◆本書より◆

「漢字を古代語の資料とし、民俗語彙資料として用いるときの、第一の利点は、その成立の同時性ということにある。象形・指事・会意のような基本文字は、ほとんどすでにこのときに成立している。のちに形声の字が多く作られ、漢字の数は四万を超えるに至ったが、本来の基本字はその五パーセント、二千字程度のものであり、その大部分は、甲骨文・金文のうちにあらわれている。
第二の利点としては、その文字構造の原理が、その時代の観念や思惟の方法を示しているということである。同時性とあわせて、同質性というべき特徴をもっている。語義がそののちにどのように変化し、多義化していったとしても、文字の原義は、その構造のうちに顕著に残されている。「新」が新しい死者の位牌であり、「廷」が廟前の降神のところであるという字の原義は、のちにはむしろ忘れられ、その転義において多く用いられているものであるが、その文字構造と、古代における用義法の上から、容易に原義を復原することができる。」

「巫蠱(ふこ)のことは、また媚蠱(びこ)ともいう。(中略)人を呪詛する方法はすべて媚蠱であるが、蠱とはそのうち、虫を用いる方法である。」
「その法は苗族(びょうぞく)の間にはのちまでも行なわれた。それは五月五日の節供の日をえらんで、毒ある虫、大なるものは蛇より、小なるものは蝨に至るまで、百種を集めて、これを一器の中に入れる。虫はたがいに噉(か)み合って、最後に一虫だけ残ったものが、すぐれた呪能をもつものとされた。これを地下に埋めて呪詛するのを、埋蠱(まいこ)という。人を殺すときには、ひそかにこれを人に食べさせて腹中に入れる。これを「腹中虫」という。一定の期間中にこれを用いなければ、その呪霊はかえってその用意者である主家に禍するものとされた。」

「夢という字も、その上部は媚の形である。それは媚の外魂が、夜中に人を襲って、種々の衒惑(げんわく)を行なうものとされたのであろう。衒惑の衒も、のちに作られた玄の形声字であるらしく、そのもとの字と考えられるものは、行の間に媚女を梟磔した姿をかいたものがそれであろう。道路において、人を衒惑する呪術を行なうことを、意味する字であったと思われる。
卜辞には畏夢(いむ)のことをいうものが多く、それは人が牀上でうなされている姿にかかれている。(中略)いわゆる夢魔 nightmare である。」
「吉夢を献じ、悪夢を堂贈の法によって祓い、媚蠱から守るための儀礼が怠りなく行なわれるにかかわらず、悪夢によって命をおとすことがある。それを薨(こう)という。(中略)夢といえば、いまの語感では楽しいものを予想させる。しかしおそるべき媚蠱(びこ)の世界に住んでいた古代の人びとには、それは死への予感でさえあった。自然界はかれらにとって、あまりにも神秘にみちていたからである。」

























































































































白川静 『中国古代の文化』 (講談社学術文庫)

「共餐によって、人はその構成員となる。それでもし死者が死者としての食事、すなわち「黄泉戸喫(よもつへぐひ)」をすると、再び現(うつ)し世に帰ることは許されなくなる。」
(白川静 『中国古代の文化』 より)


白川静 
『中国古代の文化』
 
講談社学術文庫 441

講談社 1979年10月10日第1刷発行/2007年5月18日第21刷発行
311p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,000円+税
装幀: 蟹江征治
カバーデザイン: 粟津潔



本文中図版多数。


本書「あとがき」より:

「東アジアの古代文化圏のなかで、わが国の古代を考えるということは、いうまでもなく比較文化論的・比較文学的な作業である。そのためには、その文化圏のいわば原点をなす中国の古代について、ともかくもその全体を展望しうるような構図が、まず用意される必要がある。それでこのさい、私自身への今後の指標とすべきものをも含めて、中国古代の諸問題に、いちおうの構図を与えることを、試みることにした。」
「本書はその第一部であり、あわせて総論的な意味をも、もつものである。」
「この書でとりあげる問題は、いわば民族のもつ基礎的体験の世界である。存在と秩序の根拠とされるもっとも基本的な問題について、その原初に遡って考察することを試みようとした。第一章では、「文の理念」を論じた。文はもと加入と聖化の儀礼である文身を意味する字である。文身は東アジアの文化圏において、その沿海民族のほとんどがもつ習俗であったが、そのような文を人文の極致としての、理念的なものにまで高めた思惟のうちに、この民族のもつ創造的な力が、秘められているように思われる。
 第二章の「考古の世界」では、青銅器文化の原質について考えた。それは異民族を圧服するための、荘厳なる呪器であった。江南の大鐃(どう)に象徴されるこの聖器の性格は、南方苗(びょう)系諸族のもつ銅鼓、わが国の銅鐸の機能を考えるとき、示唆するものがあるはずである。
 第三章の「秩序の原理」は、古代的共同体のもつ組織原理についてふれた。守護霊を中心とする盟誓が、組織の方法であり、その拡大の上に国家の形成が考えられる。すべて宗教的なものが、その原理としてはたらいている。
 第四章「原始法の問題」は、原始法の観念が、共同体の組織原理に反するものを、贖(しょく)罪として追放し、祓い清めることに起源することを述べた。わが国の大祓(おおはらい)も、まったく同じ観念にもとづいている。
 第五章「巫祝の伝統」は、王権と聖職者との関係について、古くは王が巫祝王として神権的な存在であり、のちその分離によって、祭政もまた分離することを述べた。巫祝の伝統のありかたは、それぞれの民族の文化に、多様な賦彩を与えており、芸能の起源も、おおむね神事のうちに求められる。
 第六章「歌舞と芸能」は、そのような巫祝の伝統のなかで生まれた、文学や芸能の問題にふれた。いずれも本来は呪的な性格のものから、芸能的なものに展開してゆく。これはわが国に、もっともゆたかな遺存がある。
 第七章「文字と古代文化」は、文字の成立と思惟のしかたとの関係について考えた。文字の創造とは、文字の形象とその構造とを通じて、文字による世界像を構成することにほかならない。中国の文化が、たとえば文身の文を理念的な意味のものに、あるいは首祭りの字である道を、道徳や実在の意味にまで高めることができたのは、概念を文字に定着し、それによって、概念の深化を行なうことができたからにほかならない。そのようにして文字は、古代文化のもっとも有力な推進者となった。
 第八章は「古代文化の展開」と題するが、以上に述べた問題のいわば総括である。」
「すべてこれらのことは、そのままわが国の古代を考えるときに、比較の対象となりうるものである。私はすでに『詩経』と『万葉集』について、比較文学的な試論を試みたことがあるが、そのような方法は、歴史と文化の全領域にわたって、適用しうるものであろう。」



白川静 古代中国の文化


カバー裏文:

「日本の古代を知るためには、東アジア古代文化の源流をなす中国の古代について、その全体を展望しうる構図が、まず確立されねばならない。本書は、かかる問題意識の上に、中国の古代を、文化・民俗・社会・政治・思想の五部に分ち、その諸問題を明らかにせんとする、画期的な作業の第一部である。中国古代学の泰斗による、この比較文化論的な試みにより、われわれはいま、東アジア的古代世界の全く新しい姿をここに見ることができる。」


目次:

第一章 文の理念
 〈1〉 文の字形
   文とは何か
   文の字形
   文と寧
 〈2〉 聖化と加入の儀礼
   屍体聖化
   文の系列字
   アヤツコの説
 〈3〉 文の理念
   文と武
   文の徳
   斯文と天命
   天文と人文
   文の意義
   文身文化圏
   文の歴史

第二章 考古の世界
 〈1〉 偏枯の神
   洪水説話
   彩陶土器と禹の神像
   偏枯の神
 〈2〉 埋もれた聖器
   人面文の器
   人面文の意味するもの
   山中の聖器
   南人の故郷
 〈3〉 望の儀礼
   江南の大鐃
   異族への呪儀
   山上の祭祀
   壺と銅鐸

第三章 秩序の原理
 〈1〉 家族と氏族
   原始の秩序
   家の字形
   家と室
   氏族について
   氏人のちかい
 〈2〉 盟誓の方法
   誓いの形式
   血の盟い
   誓と哲
   自己詛盟
 〈3〉 社稷について
   社の起源
   稷と畯
   諸侯の盟誓
   宗廟と社稷

第四章 原始法の問題
 〈1〉 神判について
   聖と俗
   羊神判
   亡命の法
   大祓の詞
 〈2〉 刑罰の形式
   罪と罰
   自由刑について
   伝棄の法
 〈3〉 法の起源
   異族の神
   伯夷と共工
   四凶放竄

第五章 巫祝の伝統
 〈1〉 巫祝王
   守護神と悪神
   殺される王
   焚巫の俗
 〈2〉 神巫と聖職者
   巫咸の国
   巫系の文化
   医と筮と鼓
 〈3〉 聖職の人
   巫と祝
   霊の授与者
   彭咸の遺則
第六章 歌舞と芸能
 〈1〉 歌舞について
   巫俗の地
   歌謡のおこり
   舞楽のおこり
 〈2〉 遊戯について
   遊行する神
   戦争と遊戯
   遊部と歌舞
 〈3〉 道術について
   方相氏
   道と術
   芸能の起源

第七章 文字と古代文化
 〈1〉 文字の成立
   群形象と意味系列
   犬の形象
   「うつ」の意味系列
 〈2〉 社会と生活
   婦人の地位
   臣と妾
   死喪の礼
 〈3〉 文字の背景
   自然観について
   存在と真
   漢字と思惟

第八章 古代文化の展開
 〈1〉 具体と抽象
   鳳と風
   道徳と道術
   数について
 〈2〉 呪術と儀礼
   軍礼について
   裁判について
   青銅器の文化
 〈3〉 神話と経典
   禹と墨家
   堯舜と儒家
   神話と思想

あとがき



本書より:

「大鐃(だいどう)の出土地が、すべて江南の、しかも異族に接する辺境であるということは、この器のもつ目的が、その異族にたいする呪的機能にあることをすでに示すものであるが、その器がまた、すべて眺望に適した高所に埋められていることから、その呪的方法は、この高所から外族にたいして行なわれる形式のものであることを、推測することができる。そのような呪儀として行なわれるものが、「望(ぼう)」である。わが国で国見(くにみ)といわれるものであるが、中国における望の歴史はきわめて古く、またそれはのちに王朝の重要な国家的儀礼として典礼化された。」
「望という字は、遠くを望み見る呪儀を示す象形字である。それは見るという眼の呪力に訴える行為であった。見ることは、その対象にはたらきかけるという力があると、考えられていたのである。」

「眉人というのは、眉に呪飾を加えた巫女(みこ)のことで、眉人とは媚女(びじょ)のことである。媚は呪術を行なう巫女が、呪飾を加えている姿である。戦争のときには、この媚女たちが軍の先頭に立ち、あるいは鼓を鳴らして、敵に呪的な攻撃を加えた。(中略)それで戦争が終ると、敗れた方の媚女たちは、その魔術的な力を失わせるために、すべて殺された。それが、軽蔑(けいべつ)というときの蔑である。」

「祖祭には犠牲を供して祭り、祭りののちにはその祭肉を分け合い、同族のものが集まって会食する儀礼が行なわれた。これを共餐(きょうさん)という。(中略)共餐によって祖神と同族者とが結合される。それは共同体としての関係を確かめる行為である。
 共餐によって、人はその構成員となる。それでもし死者が死者としての食事、すなわち「黄泉戸喫(よもつへぐひ)」をすると、再び現(うつ)し世に帰ることは許されなくなる。」

「古く横穴式、あるいは半地下形式の住居であった時代に、光を受ける窓は限られており、そこが神を迎えるところであった。それで神明という語がある。明とは神の臨むところである。その神明の臨むところで血をすすり合うことが、盟約の形式であった。器中の血をすすり合うことは、氏族の共餐の儀礼と同じく、一体化の意味をもつものである。」









































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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