サミュエル・ベケット 『ワット』 (高橋康也訳)

「・明らかに柔軟性を欠いた、ある一定の、有用性のない生活上の決まりや儀式的行動への固執。
・いつも決まった形で繰り返される習癖的な身体の動き(例えば、手をパタパタさせたり指をひねる、全身の複雑な動き)。
・ものの一部、またはもの自体に、いつまでも没頭する。」
(「DSM-IVによるアスペルガー障害の診断基準」より)


サミュエル・ベケット 『ワット』
高橋康也 訳


白水社 1971年10月25日印刷/1971年11月5日発行
329p 四六判 丸背紙装上製本 貼函 定価1,200円
Samuel Beckett : Watt



「ワットはこの小さな声をどう理解していいのか、それが冗談を言っているのか、それともまじめなのか、わからなかった。」

本書冒頭近くの「原注」に、「本作品においては、《言う》という動詞のあとに来るよけいな再帰代名詞《自分に》を省くことによって、多くの貴重な紙面を節約した」とあります。この「原注」から分かることは、本書の一見「よけいな」もののようにみえる描写には、貴重な紙面を割くだけの価値があるということ、そして本書の登場人物たちの発言は、たとえそれが会話の形をとっていたとしても、すべて「独り言」である、ということです。

本書に頻出するベケット・ギャグは、「オチ」がないので、わからない人には全くわからないとおもいますが、病人だらけの「リンチ家」の話や、寝ているとき以外はずっと食べ続けているメアリーの話、尿瓶ネタ、順列組合せギャグなど、たいへん興味深いです。ベケットは、冗談が冗談として成立するために不可欠な「切上げ時」を無視して、冗談が冗談でなくなるまで冗談に没頭するのです。というか、それはそもそも冗談ではないのです。


ワット1


ワット2


本書より:

「ワットがたとえば真東へ進むときの歩きかたはこうであった。まず上半身をできるだけ北へ向け、同時に右脚をできるだけ南へほうり出す、つぎに上半身をできるだけ南へ向け、同時に左脚をできるだけ南へほうり出し、つぎにふたたび上半身をできるだけ南に向けて、左脚をできるだけ北にほうりだす、といった調子で、何回も何回も、目ざすところに到着して腰をおろすことができるまで、これを繰り返すのである。」


ワット4


本書より:

「ワットが、だいきらいなものが二つあるとすれば、ひとつは月であり、もうひとつは太陽であった。」

「ワットがだいきらいなものが二つあるとすれば、ひとつは大地であり、もうひとつは空であった。」

「やつは実に正直なんだ、嘘をつくことはできない男だよ。」

「あんなにおとなしくて、あんなに害のない人間はまたとないくらいなんだよ、とニクソン氏は言った。やつなら文字どおりもう一方のほっぺたをさし出しかねない男なんです、ほんとうの話、まあやつにはそうする体力がないだけです。」

「ワットは以前に人びとが微笑を浮かべるのを観察したことがあり、どうやればいいのか自分でもわかっているつもりであった。そして確かに、微笑を浮かべたときのワットの顔は、たとえば嘲笑やあくびよりは、どちらかといえば微笑に似ていた。しかしワットの微笑にはなにかが、なにかちょっとしたものが、欠けていて、初めてそれを見るひとは、そしてたいていのひとは初めてそれを見るのだが、正確に言って本人がどういう表情のつもりなのか、判断に迷うのだった。多くのひとには、単に歯をなめているようにしか見えなかった。」

「目的地に背を向けるというワットの好み」

「ワットが自分を見いだした状況たるや、彼がかつて自分を見いだした状況のどれともちがって、言葉によって定式化されることを拒もうとするものであった。たとえば溲瓶(しびん)ないし鍋ないし壺、まあ溲瓶としておこう、ノット氏の溲瓶を見たとする、またはノット氏の溲瓶のことを思い浮かべるとする、しかしいくらワットが、溲瓶、溲瓶と言ってみてもむだであった。まあ、まったくむだではないにしても、ほとんどむだであった。つまりそれは溲瓶ではないのである、見れば見るほど、考えれば考えるほど、彼には確かな気がした、それはまったく溲瓶ではない、と。それは溲瓶に似ていた、それはほとんど溲瓶であった、しかしそれは、溲瓶、溲瓶、と言って、それで心安らかになれるような溲瓶ではなかった。それが、比類のない適切さをもって、溲瓶のあらゆる目的に答え、そのあらゆる機能を果たしたとしても、むだであった、それは溲瓶ではなかった。そして真の溲瓶の本質からこのように髪の毛一本ほどだけ隔たっているということが、ワットを限りなく苦しめるのであった。というのは、もしこれほどに接近していなければ、ワットはこれほど苦しみはしなかったであろう。というのは、その場合には彼は、これは溲瓶であって溲瓶でない、とは言わなかっただろう、そうだ、その場合は彼は、これはおれが名前を知らないなにものかだ、と言ったであろう。そしてワットは概して自分が名前を知らないものごとを扱うほうが(これとても彼には苦しかったが)、そのものの保証つきの名前を知っているがその名前が彼にとってはもはや名前ではない、といった種類のものごとを扱うよりも好きであった。というのは名前を全然知らなかったものごとについては、いつかその名前を知って、それによって心が静まるだろうという希望をいつも抱くことができた。ところが、真の名前が、突如としてあるいは徐々に、ワットにとって真の名前であることをやめてしまったようなものごとの場合は、そういう期待は不可能であった。というのは、溲瓶は、ワット以外のだれにとっても、溲瓶のままであることを、ワットは痛感していたのである。ワットにとってのみ、それはもはや溲瓶ではなかった。」



ワット3


そういうわけで、高機能自閉症(アスペルガー)文学の第一人者ベケットの最もAS(アスペルガー)色の濃い長篇小説『ワット』をよんでみました。
いまでこそ、カフカやベケットや内田百間や牧野信一が「アスペルガー」文学であることが明白になったので、そういうものとして素直に楽しめる時代になりましたが、かつては不条理文学であるとか、ユーモアであるとか、いろいろな珍解釈がなされた時代もありました。
本書の「補遺」に、「象徴ノ意図サレザルトコロニ象徴ヲ見ルモノニ禍アレ」とありますが(原文は「No symbols where none intended」で、たんなる注意書きであって、呪詛の意味はありません)、われわれAS者は普通にしているつもりなのに「なにを怒っているの?」とか言われて当惑することが多いです。ストッキングの触感が好きで撫でていたら変態扱いされたASの人の体験談もあります。普通の人(NT)の世界では、無表情は不機嫌の象徴であり、ストッキングは女性の象徴なのです。
本来「名づけえぬもの」であったわれわれは、いとも簡単に「アスペルガー」などと名づけられてしまいましたが、そうかといってエデンの園の動物たちのように容易く手なずけられるわけにはいきません。われわれには、精神科医が書いたAS本に洗脳されて、普通の人の「感情を表わす表情」のシンボリズムを習得しなければならない義理などこれっぽっちもないのです。


Monty Python's Ministry of Silly Walks (Full Sketch)




































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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