アガサ・ファセット 『バルトーク晩年の悲劇』 野水瑞穂 訳

「バルトークは日常生活において、強い好意、しからずんば強い無関心を示す人であり、その中間ということは知らないのである。」
(アガサ・ファセット 『バルトーク晩年の悲劇』 より)


アガサ・ファセット 
『バルトーク
晩年の悲劇』 
野水瑞穂 訳


みすず書房
1973年4月25日 初版第1刷発行
1987年2月10日 新装版第3刷発行
378p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,000円
カバー写真: ベラ・バルトーク
表紙写真: バルトークの最後の編曲の原稿



Agatha Fassett: The Naked Face of Genius, Béla Bartók's Last Years, 1958
本書はまだよんでいなかったので日本の古本屋サイトで注文しておいたのが届いたのでよんでみました。1,000円(4,000円以上購入で送料無料)でした。


ファセット バルトーク晩年の悲劇 01


カバー裏文:

「この本の発見は私にとって何という感動的な、心に触れて消え去らない経験であったことか!
ユーディ・メニューイン

 ナチ占領下の祖国に止まることを拒否して、ベラ・バルトークは祖国ハンガリーを去り、1940年アメリカに亡命した。著者がブダペストの音楽アカデミーの学生であった頃、バルトーク教授はそこですでに伝説的な偶像であった。著者は20年代の末からニューヨークに住み、ここで亡命したバルトーク夫妻を歓迎し保護し助力することとなる。バルトークは異郷アメリカでで5年後に歿するが、本書はこの期間の天才をえがくヴィヴィドで感動的な物語である。
 バルトークなみの感受能力と感情の深みから書かれたこの書物は、作曲家の背景と卓抜な性格のみならず、創造過程の性質と日常世界との絶え間のない格闘にまで及んでいる。バルトークにとって、たとえば、「ハンガリーの納屋のワラ一本」への一寸した言及が彼の心のうちに呼び覚ます思いは、“一つのよい薫り――それは音に成ろうとしているのだ”ということであって、この激情が感覚の統合力を伴っている点にバルトークの特質がある。ホームシック、ニューヨークでの悲惨、自分自身の緊張した、自己集中的な、複雑な性格の被害者が実に彼だったのである。それらは貧乏や軽視や誤解などでさらに悪化していった。
 著者の描写の劇的な力、深い感情、本質への的確な感覚によって、これは真の文学のもつ普遍性と強さに限りもなく近接しているといえよう。」



内容:

I~XXVII

訳者あとがき



ファセット バルトーク晩年の悲劇 02



◆本書より◆


「I」より:

「「当時のことでもっともはっきりと記憶しているのは、自分がなにか不快な囲みに閉じこめられているという意識だ。そして、これが一時的状態にすぎず、自分の知識の限界からくる障害であり、この囲みを打破して大いなる自由に到達する力は自分のうちにあるのだ、と自ら言いきかせようとどんなに努めたことか……。私はその願望に対するこらえようもないもどかしさでいっぱいになり、もはや身体に苦痛を覚えるまでになったものだ。
 私はこの囲みを自らの手でとり払うことができるという信念をもっていたが、それは当時の私の無知を雄弁にものがたっている。程度の差こそあれ、人間は永遠に閉じ籠められたままであり、人間の認識の翼は常にもがれたものである、とはじめて解ったのはずっと後になってからだったからね。」」



「II」より:

「私は彼の完全な孤絶に深く打たれた。彼はいま、くつろいで親しい友人たちの集いの中にいる。しかし、街路の行きずりの人に対すると同じように、まわりの人びとに溶けこんではいなかった。(中略)その関心は聴き手の上にはなく、自分の手にした一つの物体に集中していた。(中略)一瞬、バルトークと彼が論じているその物体とが、他の人びとと違った次元に孤立して存在するような印象を私は受けた。」

「こうした突然の拒絶反応は何も特別のことではなく、バルトークと話していると、時と人を選ばずよくあることだということはずっと後になってわかったことである。」

「「自然のままの姿を歪曲することを、それがどんなことであってもあの人は憎んでいますのよ。」」



「IV」より:

「「ベラが生来のペシミストだというだけであの人の態度を片づけてしまう人が多いけれど、そうはなさらないでね。だってあの人は少しもペシミストなんかじゃないんですもの、どう説明したらよいかよくは判らないけれど、でも全然違うものなの。あの人には自分の難儀の性格を理解するやり方があるんです。」」
「「彼が期待しているのは、問題がほんの少しずつ変化していくこと、時間の経過とともに生ずる必然的全体的な変化によって、一つ一つの問題がひたすらにゆっくりと解決していく、ということだけなんですわ。ですから、目前に迫っている未来はまったく希望がないわけなんです。」」
「「好評であれ、徹底的に不評であれ、あの人にとっては違いはないんです。あの人の関心事はそうした批評の質なんだわ。(中略)例え評判がよくても、それが内察と理解力を示していなければ何の意味もありませんのよ。」」

「バルトークのオプティミズムははるかに深く埋もれたもので、それを発見するのはなかなかであったが、力強くつねに生きつづけていた。彼がペシミストだと言えるのは、その日その日に遭遇する小さい障害についてだけなのだ。」



「VI」より:

「「金魚のことを思いついて本当によかった! ベラは我を忘れて喜ぶわ。」」
「「あの人が説明書を忠実に守って、どれほど細心に世話をするかおわかりになるわ。鉢に入れてやる餌の数を本当に数えるのよ。一粒も不足しないように、一粒も多くないように。」」

「「汚れがなんだ。清潔のためにはすべてが犠牲にされていいものかね。」」
「「こうしたものは遺品のように扱って、敬意をもって保存しなければいけないよ。汚れといわれるものはそれぞれの辿った歴史の跡なのだから。」」

「バルトークは一心に皿の片側にチキンの骨をつみ重ねていたが、遠く遙かに離れている人のようであった。突然顔を上げると、彼は口を開いた。
 「ディッタ、チキンの骨とジプシーの少女の話をしたことがあったかね。」
 「いいえ、伺っていないと思いますよ。」
 「それじゃ」、と彼は低いひじょうに抑えた声で、ゆっくりと語りはじめた。「まだずっと若い頃、ルーマニアでのことだ。(中略)ある暑い真夏の昼下りだった。森つづきの小さな街はずれにある、荒れ果てた宿屋のごみだらけの庭で弁当をつかっていたんだ。(中略)庭には人影はなく、私ひとりで食べていた。仔猫が一匹やってきて、私の足に身体をこすりつけたり、大声で甘えたりして友だちになったんだ。猫は食べ物が目当てではなくて、ただ仲間になりたかっただけなんだ。とりの骨を皿に入れてやったのに、上品に匂いをかいだだけで行ってしまったところを見るとね。
 そのとき、一人の若いジプシー娘が影のようにひっそりと森から出てくるのにふと気がついた。私には何が何だか判らないでいるうちに、その娘は私の坐っているところへまっすぐ走ってきたかと思うと、茶色の手をすばやく伸ばして、皿の上からとりの骨をつかむが早いか、森の中へ矢のように走り去ったんだ。
 何の考えもなく、私はすぐにとび上って、できるかぎりの力で追いかけた。その娘を慰めてやりたい。何か話しかけてやって、何かを与えてやりたいという切迫した願いが私を強制していたんだ。走ってはいたが、私は悲しみに襲われて心がいっぱいになってしまった。あの娘は骨を盗んだことを罰しようと追いかけていると思うかもしれないし、どんなに懸命に駆けても、追いつける筈もないようだった。その上、娘を力づけてその顔からおびえているけもののような表情をとり去ることはできそうにもなかったからだ。
 私は高く伸びた木々の間をゆっくりと歩いて引き返した。そのときはじめて、足下の地面が凸凹で、一面に木の根がよじれて這っているのに気がついた。昔、洪水があって地表の土が流されてしまったのだろう。そして残ったむき出しの地面にひしとしがみついた古い裸の根だけがとどまっているのだ。この迷路のような道をゆっくりと選びながら歩いていると、丸々と肥えた蝿が頭のまわりをぶんぶんとまわりつづけながら、私についてきたっけ。」」

「ふたたび驚くべき孤独感、周囲にとけこむことのできぬあの姿であった。彼が真底うちとけられる場所はないのだろうか?」
「私は、他人がバルトークにしてあげられることがいかに少ないかを悟りはじめていた。彼の純粋性の必然的帰結として、彼は全面的に信じられるもの以外には溶けこむことを許されないのである。」



「VII」より:

「私が夫妻を訪ねると、バルトークは私を食堂に連れて行き、蔓バラが窓を通って家の中に入りこみ、天井に向って壁伝いに広がっているのを見せてくれた。
 私が感嘆して眺めているとバルトークが言った。「結構なことだよ。しかし、窓を閉めることができなくてね。まだ夜は湿気が多くて肌寒いのに。」私は椅子に乗って、(中略)用心深く茎を窓の外に押し出してやった。バルトークは心配そうに見守っていた。「どんなことをしているかよく弁えてやってくれ給え。健康なこの植物に不治の損傷を与えないようにね。」私が椅子から下りると、彼は外を検べてから細心の注意を払って、葉をはさまぬように窓を閉じた。」



「VIII」より:

「「他にこの辺にはどんな木があるんだい。」
 「楓、橡、たくさんの種類の樺、樫、松の木もずいぶんいろいろありますのよ。」
 バルトークはふたたび腰を下ろすと、かがみこんで足下につもった松の葉を手で掘った。「膝ぐらいまでつもっているな。何百年もかかって堆積されたんだろう。」ひじょうに静かな語り口であるのに、その声は響きわたるようであった。「あんた方ご婦人は、二人ともこういう種類のカーペットを自分の家の床に敷きたいとはあまり思わんだろうな。だが、これがきわめて高価な手織りのカーペットよりずっと時間も労力もかかっていることはわかるだろう。太陽、雨、霜、雪、風が私たちの頭上にあるこの木々にふりそそぎ、季節がめまぐるしく変わる毎に葉や針葉は落ちて死に、それに代って生れるべき無数の新しいもの、こうした生命のために場を整えるんだ。それに昆虫や鳥、毛虫なんかも忘れられないんだ。それぞれのやり方でこの過程を助けているのだから。彼らはみな、この生と死が相半ばしてできているこの刺激臭のあるカーペットの生成に関わっているんだ。」」



「IX」より:

「「音楽もまた生れ故郷を脱け出るときは、その国本来の香が失せてしまうんだ。故郷の人びとの間にあっては、その民族固有の記憶の中で胸に響きわたるこだまをひきおこす音節も、異国の聴衆に同じ効果を期待することなどほとんどできはしないよ。(中略)外国生れの民謡にいかに深く惹かれ感動したとしても、その反応はいわば客観的なものであるというのが実際だろう? 自分の国の民謡を聞くときに経験するもろもろの主観的な感情とはひじょうに違うものなんだ。自国の民謡の一節はその人が生きているかぎり、その人の内に成長しつづけるんだよ。」」

「ディッタは吐息をついた。「(中略)私はあの人と一緒に暮すようになって以来ずっと、皆さんがあの人の行為について不可解な非人間性と考えていらっしゃるものを翻訳しようと努めてきましたの。」
 「不可解ですって?」私は言った。「バルトーク先生が不可解だって感じたことは一度もありませんわ。(中略)あの方が自分自身を表わそうと苦労なさるのは、それはあの方が並なみならず正直でいらっしゃるということですわ。皆が期待するようなことをしたり言ったりなさらないけれど、そのようなことは、別の考え方をすれば、人びとが真の自分の姿を隠すためにすることなんだわ。バルトーク先生はひと言なにか仰言るごとに、無防備に自分の姿をさらけ出していられるんです。」
 「そうおっしゃって下さると嬉しいわ。あの人が日常の会話ってどんなものかまったく判っていないっていうことは、今でも私にとって驚異なのよ。」ディッタは一息入れた。「あの人のあたり構わぬ言葉に恨みをもった人びとに、どれほど私が説明しなければならなかったことか。」
 「説明が本当に役に立つかしら?」私は問うた。「バルトーク先生はその作品と同じで、翻訳することは不可能なのじゃない? そのままの姿で知ってもらうべきなのよ。」
 ディッタは笑った。「むかしあの人の友人の一人が、時々会うときに、唯の一度もご機嫌いかがって聞いてくれないって、バルトークのことを私にこぼしていましたっけ。そのことをベラに注意したら、あの人ったらびっくりして、子どもがいっしょうけんめいになったときのような顔付きで私を見つめて言ったわ。『彼が病気だって誰も教えてくれなかったよ』って。それで、あの人をあの人でないものに変えようとすることがどんなに馬鹿気たことか、私、再確認したのよ。」」

「バルトークの食事はスムースに進むことが稀であった。その食欲は細く、妥協を許さなかった。食物を口に運ぶまであまり長いこと躊躇っている姿を見ると、私はいつも冷水に飛びこむ前に勇気を奮い起こしている水泳選手を思い出すのだった。」

「「病気が彼を幼い頃に連れ戻し、母親の家にまっすぐ導いていたのね。苦痛がいかなるものであろうと、あの人は病気のうちに深い安心感、秘かな満足感を見出していたのよ。あの人はベッドのほの暗い深みに身を隠し、完全に外界のものを消去して病気をやり過ごしたわ。」」



「X」より:

「ごくちびた鉛筆、つまむこともできないほどの小さい消しゴム、さびついた紙クリップ、こうしたものも(中略)念入りに蔵っておくのである。」
「「新しい服を買うんだって!」彼は考えるだに苛立たしげに言った。「九〇歳まで生きるとしても、一生間に合うだけの洋服はもっているんだよ。」」

「「くる年も、くる月も、くる週も、くる日も、あの人の顔も身体も一面にただれに覆われて、お母さんのキスを受けられるような綺麗なところは一個所としてなかったのよ。あの人のお母さん! あの人の世界中でただ一人のひと。あの人といつも共にいて、世話をし、他の家族をさしおいても、いかなる犠牲を払っても、あの人を癒そうと決意したんです。あの人が真底信頼していたのはお母さんだけでした。あの人の姿を見ても厭がらなかったのはお母さんだけ。他の人はすべて疑わしかったんです。あの人は、自分が他人に見られて嫌われるのを常に怖れ苦しんでいたのだわ。おそらく、自分自身も顔を映してそんな感じを受けたのでしょう。あの人は鏡を見ようとはしなかった。自分の姿を見ることを厭いました。そして、夜はベッドに横たわったまま眠れず――このことはあの人が話してくれたことがあるのよ――おそろしい皮膚を脱ぎ捨て、雪のように清らかな皮膚になって、朝になったらお母さんにお早うが言いたい、と夢見たそうです。時折り束の間ただれが消えることがあったそうだけど、でも実際そうなってみると、こんどはただれている時以上の耐え切れぬ恐怖、つまり再びただれるのではないかという恐怖に苛まれたんです。また再発するだろうという予感で胸がいっぱいになり、あの人の夜はそれを待ちつつ一層長いものとなったんです。そしてもちろんのこと、ただれはまた現われました。そこで知らない人に見られるのではないかという恐怖がはじまるのです。あの人は家を出ることさえほとんどなかったのです。あの人は自分と同年齢の子どもたちを最大の敵だと思っていました。その怖れはあの人にとりついて離れず、病気が消えてしまってからも長い間、子どもたちの嘲笑に対する恐怖が残りました。あの人はほかの子どもたちと遊んだ経験がないの。あの人は今日まで、遊ぶっていうことがどういうことなのか知らないのだと思うのよ。」
 ディッタは休息した。
 「あの人は子ども時代を過ごしたことがないのよ。私たちに与えられるような子ども時代をね。(中略)この不幸な人生のはじまりが、あの人に与えた影響を本当に判って下さるかしら。ほんの少しでもあの人を知ろうとするなら、すべてを知らねばならないのです。あまり重要でないような細かいことをたくさんあなたにお話しするのは、そのためなんです。何かお話しようとすれば、あらゆることを言ってしまわなければという気になるの。だから、彼の試練のことも言い忘れることはできないの。あの人にとっては、全面的な真理こそが本当の真理なんです。ささいなこともすべてが、全体にとって重要なのです。」」



「XII」より:

「彼は血のように赤い茸を一つ手にして立ち上った。「もっと深く、もっと湿り気があれば、もっと茸が生えるんだ。科学的というわけではなくて、それが法則なんだね。」彼は手にした茸の折れた茎を見つめていた。「これはひじょうに華奢なつくりだ。(中略)これはもっと大きくなるのかな。それともこれはこれで限度なのかね。君たち二人でもっと大きいのを見つけてくれないかな。なぜぼんやり立っているんだね。」彼は自分が著しく興奮していたので、どうして私たちが彼を一緒になって夢中にならないのかが判らないらしかった。」

「家に戻ると、彼の手やポケットはいつも途中で見つけてきたものでいっぱいで、私たちにそれを全部拡げて見せるのだ。それは彼が全く知らない一連の苔だったり、ある日手の甲にとまらせてきたてんとう虫のように、彼のお馴染みのものであったりした。」



「XIII」より:

「「あらゆる物事が、このように混乱しているのは何と不幸なことか。私たちはエデンの園を追われ、拒まれ、そして私たちの受け継いだものをほとんどすべて忘れてしまったのだ。」」

「バルトークの、明るい気分のあとにかならずやってくる突然の沈黙が、重く彼にのしかかってきた。その前の気分が明るければ明るいほど、それにつづく沈黙は深かったのである。彼は私たちの数歩先を歩いたが、その姿は自分自身の沈黙の厚い霧の中を行くようであった。」



「XIV」より:

「ときにバルトークは散歩から怱怱に帰ってきて、私たちをまた連れ出すことがあった。森の中に見せたいものがある時であった。それがどういうものであろうと、彼は白糸で目印しをつけておいた。白樺のくるくると捲いた数枚の葉っぱにすぎないこともあった。しかし、そこには眠っている毛虫や甲虫がかくれていて、「来春には、立派に着飾った蝶になって出てくる」筈なのであった。」

「彼は再びソファのクッションに凭れて語りつづけた。「私はこの踊りを披露してくれた一組の男女を忘れはしない。二人の演技は完璧だった。踊りの演技の優劣がその民謡の評価に影響するようなことはもちろんないが、類いまれな披露の仕方と類いまれな歌との組合せは、私のうちに永遠にとどまり自分自身の作品の創造にあたってこうした素材を用いる時機が到ると大きなインスピレーションとなるのだ。しかし何よりも大事なことは、その人びとの脈打つ生活の中に入りこんでいくことであり、結婚式、収穫祭、葬式をともに呼吸することであり、こうしたあらゆるつき合いの中から、録音の歌より意味深い何か、音楽や歌詞を超えた何か、つまり心の中に生きる力としてとどまる抽象的な真髄を抜き出し、守りつづけていくことなのだ。」
 彼は極めて自由に自ら進んで話していたので、私ははじめてためらわずに質問することができた。
 「でもそういう人びとにどうやってお会いになるのですか?」
 「そうだね。見知らぬ僻村へ着くと、私はまず学校があれば学校、なければ牧師のところへ行くんだ。(中略)そして、私のしたいことを説明して、この辺りでいちばんの歌い上手を知っているか尋ねるんだ。(中略)一軒の家へ入りこめば、氷を解くのは容易になる。『この辺りでいちばんの歌い上手と伺ってきたのですが。録音機に吹きこんでいただけませんか』というようなことを頼むのだ。もちろん、常時この機械は持ち歩いているのでね。
 しかし、(中略)ときには全然違った進み方になることもあるのだ。こういう僻村に何の予告もなくあらわれると、たいていは、一本の曲りくねった通りだけが全村という程のところだが、そうしたところでは、見知らぬ旅人と彼の担いでいる録音機がすぐにたまらない好奇心の的になるのだ。まず、旅人は疑惑の目で、あるいは恐怖をもってじろじろと見られるのだ。」」
「「しかし、この旅人の望みは歌だけであるという知らせが触れまわられると、あちこちで安堵の笑い声が起こるんだ。(中略)直ちに一種の阿呆と見なされるのだ。(中略)そうなのだ。口を一度も開かないうちに、旅人はすでに怖れられ、敬われ、馬鹿にされ、笑われるのだ。
 そして、ようやく仕事がはじまる。急がずに、辛抱強く、村人たちの信頼を得るようにつとめ、そして都会の人間に生来不信感をもち、都会の人間とともにいることを快く思わない人びとを暖めて歌をひき出すのだ。」」
「「性急にはできるものではない。しかし早晩何とかその気になってくれるものだ。老いた男や女が心もとなく震える声で歌いはじめる。そして、一つの歌が次の歌を呼ぶのだ。そしてやがて、機械のことなど忘れてしまうのだが、その中には大きな宝の収穫がつめこまれていくのだよ。」」
「「しかしなかんずく、他の人びとにぬきんでて、私にとって価値ある歌を明らかにしてくれた女たちのタイプがあった。(中略)生涯を野良で働いてきたのに、最低必要限度のものしかその土地から生み出すことのできなかった女たち。風雨にさらされ、陽焼けし、骨ばった、(中略)取柄のない体格で、その声は体格と同じように無感動で強いものだった。しかし、そうした女たちの深く退行した人間的感情は、何と奥深く、何と真実で、何と現実性のあったことか!」」

「「戦争は現にあるのだ。ちょっと前も、いまこの瞬間にも爆弾は落下しつづけている。どこかで。いつもどこかで。そしてもはやそれを逃れることはできないのだ。」」



「XV」より:

「「ベラの行動はいつも、あの人の流儀で解釈しなければならないのよ。」」


「XVI」より:

「バルトークの感覚では、ありとあらゆるものすべてが、その本来属するその場所になければならないのであった。」

「「地球上遙か遠くの小さな土地が、そのすべての住民ととも全滅するという苦痛は、全世界の滅亡と比べて苦しみに於て劣るかどうか。少数の人間に限られ、一片の土地に限られているからといって、苛酷さが減ずるかどうか。たった一握りの緑の草に覆われた土地だからといって、曲りくねった巣に深くもぐりこんだ小さな虫けらだからといって、厳しさが和らぐかどうか。」」



「XIX」より:

「「何よりも本当に知って貰いたいのは、あの人が自分自身の苦しみよりも、他の人びとの苦しみによって、どれほど動揺し震撼させられるかということなの。(中略)そして自分自身のことを訴えるための小さな語彙なんかほとんど持ち合わせないのよ。」」


「XXI」より:

「バルトークはこの猫が手の届くところにいる限り、いつもそのなめらかな毛並みをやさしく悲しげに愛撫していた。
 「そう、ケムブリッジでも何匹もの猫を見かけたよ。人間たちにまじって、信頼し合った友だちのように歩道をぶらついているのだが、それでも自分たちだけの秘密の目的を意識しているんだ。」
 私たちが微笑んでいるのを見ると、バルトークは首を振って、更に語気を強めた。
 「しかし、自分以外の大地の子どもたちを受け入れる余裕があるということは、真の文明を表わす一つの重要な徴しなんだ。」」




「XXII」より:

「ディッタは悲しそうに言った。「この頃は何でもがこうなってしまうのよ。現実のものはすべて私から逃れてしまって、私は夢のかすみの中に生きている思いなの。」」


「XXIII」より:

「「死の世界からほんの少ししか離れていなくとも、ある朝目が覚める。ラッパの音によってではなく、雨垂れのようにいつも同じ間隔でポトンポトンと分を刻んで落ちる生命あるしずくの音によって目覚めるのだ。固定された時間の巨体が自分の内で崩壊するのを感じるんだ。あらゆる桎梏を逃れて、再び日々の流れとともに活動するのだ。生涯自分を運んできてくれた、あのやすみない、よく慣れたリズムで時々刻々を使い、そして再び生に信頼を寄せるのだ。それが再生の意味だとすれば、この再生の概念が何百年もの間人びとの想像力をあれほど強く捉えていた理由を、私はいまこそ理解したよ。」」

「バルトークは日常生活において、強い好意、しからずんば強い無関心を示す人であり、その中間ということは知らないのである。」



「XXIV」より:

「「創世の時に、何か間違いがあったような気がしばしばするんだ。その時に、私たちと私たち人間より以前からこの世にいた生物たちの間に、埋めようもない間隙を残したのだ。元来私たちはお互いに同胞としてこの地上の生活を頒ち合う筈だったと、私は信じているんだ。もしそうだとしたら、おそらく私たちは今よりも寂しさが和らげられるだろうね。」」


「XXV」より:

「「明け方もまだ早い頃、一本一本の枝から目を覚ました鳥たちのかすかな笛の音が聞こえてくる。それはゆっくりとふくらみ、いっぱいの音量となり、緑の葉の一枚一枚が、(中略)快活で生き生きしたこのコーラスに加わるんだ。この流れるような音色は耳にだけ入るのではなく、五体に浸みこんで、特効薬のような力を及ぼすんだ。
 自然と密接して生活を営んでいる人びと、そしていわゆる文明、医者や病院などといういかがわしい恩恵から遠く離れた人びとが、体を癒すこうした歌の儀式に、自分たちの運命をいまなお委ねていることを、私はその時実際に理解したのだ。アフリカの奥地に住むような、原住民の部族のことを言っているのではない。例えばせいぜい東はルーマニアのひなびた田舎ぐらいの人びとのことを言っているのだよ。彼らの歌を私はこの手でたくさん録音した。(中略)あれほど幸せな気持で身を委ねられるあれ以上の治療法を、私は望み得ないよ。
 病いと闘う歌、旱魃と闘う歌があって、こうした歌はもちろん早晩効きめのあることが判るんだ。」」

「「歌は私をまっすぐ東へと導いた。トルコでさえ、ある夜私はハンガリーのどこかで聴いた筈の歌を老人が唱うのを耳にしたのだ。」」
「「地図上で後退したり前進したりして変る国境線が新しいものであろうと、古いものであろうと、夏には緑に、冬には白い、あの広い土地に花粉や種子を楽々と運びつづけ、何世紀にもわたって歌を送りつづけているあの風に対する防御柵をうちたてることはできなかったのだよ。」」



「XXVI」より:

「「自分の辿るべき道を探す過程で、私は一つのことを信じるに到った。完全に古いものからのみ完全に新しいものが生れる。その両者の間に生じるあらゆる夾雑物は、(中略)行く手に立ちはだかる障害物にすぎないのだ。はじめは混乱しながら踏みだした私は、ついに私の通るべき道を見出した。過去と現在の間に楔となって入りこんだあらゆる成長の形態をやり過ごし、私自身とあの本来矢のように強く真直ぐな根の間にあるあらゆるものを切り払い、ときおりそこから吹き出してくるあらゆる枝を無視して、とうとう見出したのだ。」」




こちらもご参照ください:

ピエール・シトロン 『バルトーク』 北沢方邦・八村美世子訳
Th・W・アドルノ 『アルバン・ベルク』 平野嘉彦 訳 (叢書・ウニベルシタス)












































































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ピエール・シトロン 『バルトーク』 (北沢方邦・八村美世子訳)

「不協和音の帝国、それがわたしの帝国だ」
(バルトーク)


ピエール・シトロン 
『バルトーク』 
北沢方邦・八村美世子 訳

《永遠の音楽家》 8

白水社  
1969年7月10日 印刷
1969年7月21日 発行
262p 
四六判 丸背紙装上製本 
本体ビニールカバー 機械函 
定価950円

Pierre Citron : Bartok, Editions du Seuil, 1963



本書「訳者あとがき」より:

「翻訳は、八村が全体を訳し、北沢がそれに自由に手をいれるという形をとった。」


本文中図版(モノクロ)・譜例多数。


バルトーク 01


白水社新刊ニュース「白水」No. 288 より:

「魅力あるいは正確さにかけて本書に匹敵し得るバルトーク評伝は他に類がない。いまや古典となっているこの天才の諸作品の分析を織り込んで現代の恐怖の世界が課した悲劇的な生涯を描き出していく記述は見事で、全編バルトークへの愛情と理解にあふれている。」


目次:

1 ハンガリーの鋼鉄
2 歌う村人たち
3 青ひげの征服
4 戦争と平和
5 《バルトーク音階》へ向かって
6 栄光と不安
7 亡命の音楽

訳者あとがき (北沢方邦)



バルトーク 02



◆本書より◆


「ベーラは虚弱だった。(中略)他の子供たちと仲間になって遊ぶこともなく、家のなかでひっそりと暮らす。(中略)彼はふつう考えられないほど遅くなってから、やっと歩いたり話したりするようになったのである。(中略)だが音楽の才能はたいへん早くからあらわれる。(中略)彼の音楽的記憶力はおどろくばかりであったという。」

「過敏なまでの非妥協性で、自分の音楽でいかなる妥協もゆるさず、人間関係でも率直さを迎合的にまげることなどありえなかったバルトーク」

「音楽以外に外化することがむずかしく、自己の内奥に、秘密に、他人のまえでの沈黙にまでいたりつく。この点で彼は、またとかく無口で、とくに自分の作品についてそうだったドビュッシーに似ている。(中略)精神的にも道徳的にも彼は鋼鉄のようであった。」

「彼は、目に触れるものすべてに、芸術家的直観だけでなく、学者的厳格さをもって注意を集中する。彼は観察し、分析し、分類する。幼いころの昆虫採集家が、彼のなかに残っていたのである。「感覚的に、おそらく彼は人間よりも物のほうに関心があったのだろう」と、彼の友人ティボール・シェルイはわたしに語っている。(中略)数学が彼を魅惑する。(中略)こと音楽にかんしては、一徹で細心な彼の良心は、なんであれ、事(こと)をすっかり理解し、征服し、自分のものとしてしまわないうちは、打ち切ることを許さない。(中略)はげしい頑固さ、それは彼にだけ豊かなみのりをもたらすが、これには多くの時間が要求される。」

「バルトークの民族主義は、それまでは反オーストリア的であり、音楽ではリスト流の、かなり不純なハンガリー趣味であった。彼は、自己の非妥協性の求める純粋さを、農民の伝統のなかに見いだそうとする。(中略)一九〇三年に、彼は本格的にとはいえないにしても、専門家としていくつかの民謡に関心をもちはじめていた。一九〇四年なると、もっと体系的に採譜をはじめる。しかし、一九〇五年に大きな衝撃が起こる。彼は、数年前から知っている若い音楽家、ゾルタン・コダーイが、すでに類似の調査にとりかかっていることを知ったのである。バルトークよりもずっと科学的教養を身につけたコダーイは、おそらく彼に調査にあたっては、音楽的直観という段階を越えなければならないことと、厳格な方法にもとづいて調査計画を立てなければならないことを感じさせたにちがいない。バルトークにとっては第三の経歴への出発である。つまり彼は、ピアニストであり作曲家であると同時に、音楽民俗誌学者としての経歴をあゆむことになったわけである。」

「彼は自己のもろもろの根源をさがしあて、そこから出発して、自己の中心と自己の深い統一を探りあてようとする。大地に近い農民たちをよぎって、彼は、つねに愛していた自然のすぐそばにいる自己を感じる。控え目、孤独好き、またいささか無骨な陽気さの発作とその生(き)まじめな中断といったバルトークの性格は、都会の社交界では障害となるにしても、まさに田舎の人たちに彼がみいだしたものなのだ。」

「「わたしたちは《生命》にたいする大きな欲望と、実存する宇宙にたいする大きな関心をいだくべきなのです」。この唯物論は行動や外的世界への愛着に通ずる。人間への信頼だろうか? たしかにすべての人間についてではない。バルトークは彼が知っている狭い社会をきらい、そのような社会の価値をほとんど認めず、信用しない。彼はそのような社会にたいして危機感を抱きつづけ、完全に逃げだすにいたる。だれであろうと会うのを拒み、たとえ自作が演奏される音楽会であっても出席しない。しかし、宇宙と調和した農民の人間性は、ある種の学者的懐疑論などまったくないこの人間主義に、栄養物と保証をあたえてくれる。」

「ドビュッシーは不協和音を協和させようとする。バルトークは不協和音を容赦なく、攻撃的にあつかい、不協和にひびかせようとしている。彼はそのころ挑戦的な口調で語っている。「不協和音の帝国、それがわたしの帝国だ」」

「バルトークは、二〇歳から二五歳のあいだに、一、二回した以外には、けっして作曲の授業をしようとはしなかった。ドビュッシーもやはり「音楽とは習うものではない」と考えていた。しかし、ピアノに関しては、バルトークはすぐれた教師である。(中略)しかし、そのとき、技術の細部は、あまり問題にすることはなかった。というのは、そのようなことは、演奏者ひとりひとりの自由に任されるべきことだからである。彼の演奏技術はきわめて個性的であったから、技術についてとやかくいう資格などないと思ったのであろう。」
「音楽院でのバルトークのレッスンは、かなり水準が高かった。しかし、生徒たちにすでに根づいてしまっている欠陥を嘆いたり、また、彼らがよりよく訓練されてくることを願うわけでもないとは、なんという先生だろう? 矯正するよりも、処女地へ導くほうがたやすいことである。そこから(中略)バルトークの教育的作品があらわれる。それらの存在理由は、技術の年期奉公のごときものではない。むしろ、(中略)耳をあらゆる可能性にめざめさせ、また初心者たちが、(中略)束縛から解放され、要するに、常套句から脱出することにあった。バルトークには、自分が、そうしたことのために、低迷の数年を過ごし、さらに、そこから解放されるのに、時間をむだにしたという意識があった。」

「フランシス・プーランクは、サティとオーリックとともに彼を昼食に招待するが、そのときの様子をこう書いている。「おなじ歌をうたわない二羽の鳥のように、バルトークとサティは、互いにうかがいあい、警戒しあい、重苦しい沈黙を守っていました。オーリックはなんとかこの沈黙を破ろうとしたのですが、むだでした」。」

「『カンタータ・プロファーナ』(中略)バルトークはこの作品のなかに彼のもっとも個人的な信仰告白を見たのだろう。(中略)バルトークは(中略)一九一四年の春に採集した、トランシルヴァニアのあるバラードにもとづいて、自分自身で台本をかき下ろす。」「父親は、彼の九人の息子たちに、(中略)ひたすら山々の狩を教えた。(中略)ある日、ふしぎな鹿の群れを追っていくうち、息子たちは道に迷い、鹿の姿に変えられてしまう。老人は弓を手にして彼らをさがしにでかける。ある泉のほとりで、九頭の鹿をみつけ、弓をひこうとするが、そのうちいちばん大きな鹿が叫ぶ。「弓をひかないでください、父上。でないとわたしたちは角(つの)を立てて父上に立ち向かい、崖から崖へ、森から森へと追いかけていくでしょう。父上はきっと鋭い岩の上で押しつぶされ八つ裂きにされるでしょう」。(中略)「息子たちよ、わたしといっしょに苦悩にやつれておまえたちを待っている母のところへ帰ろう(中略)」。だが息子は、孤独な父親を家へと送り返す。「われらの角(つの)は戸口はくぐらず、しげみの中をくぐるのです。われらの肉体はなにものもまとわず、木々の葉のみをまとっているのです。われわれの蹄は床はふまず、草原の草のみふむのです。われらはもはや水差しやコップでは飲まず、より透明な泉のほかにはなにも飲まないのです」」

「母の死によってザーネンから呼びもどされる――彼が世界でもっとも深く愛していた人だと、彼を知る人びとのだれもが言っている。打撃は恐るべきものであった。バルトークは、単に、彼を養い、育てあげただけではなく、音楽を教え、彼の戦いを支持して励まし、彼の感情生活の困難な時期に、精神的にも物質的にも援助してくれたこの母によって、変わることなく支持されていたのだ。彼女は、息子の挫折にも勝利にも、彼の全生涯にわたってかたわらにいたのである。バルトークはハンガリーへもどる。しかし、母の墓へはけっしていかないだろう、死一般への恐怖ではなく、この死を拒否するために。ティボール・シェルイがわたしに確言したところによれば、だれかが、彼の母についても、またその人の母親の死について語ることさえも、彼には耐えられなかった。彼が読み、賛嘆していたプルーストのそれにも似た感受性である。」

「このとき終わろうとしていたのは作曲家としての経歴ではなく、演奏家としてのそれであったのだ。(中略)『二台のピアノと管弦楽の協奏曲』は、一九四三年一月に演奏される。その作曲者が舞台に立つことができた最後の演奏会であった。またこの演奏会では、すでに戦争の直前、ロンドンでも二回ほど発生した奇妙なできごとが起こっている。すなわち、自分のパートを演奏する代わりにバルトークは、共演者ディッタや、指揮をするライナー、それに全管弦楽団の大きな当惑をよそに、作品の途中で即興演奏をはじめたのである。結局は彼は総譜にもどり、自らを抑制する。そのあとで、彼は、打楽器奏者がティンパニの音をまちがえ、すべてをひっくりかえしそうにしたので、最後まで自分で不可抗力的に試みなければならないという想念に駆られたのだと言いわけしている。だが、この説明で十分だろうか? ロンドンでは、ともに演奏していたディッタにまかせ、自分は即興的な和音でソロを抑揚づけていたが、突然彼は切迫した混沌(カオス)の深い感情にとらえられ、その瞬間、世界をよびもどす唯一の手段として即興演奏をする必然性を感じたのだ。悩みにとぎすまされた感受性なのであり、それが彼を、ときどき精神錯乱の縁にみちびくのだ。」

「シゲティやライナーのような友人たちは、彼のために拠金するが、彼の自尊心はたとえ名目をとりつくろったものであろうとも、いかなる施しも受けようとはしない。友人たちは、著作権料という体裁で、彼にその金を受け取らせようとこころみる。「どこの演奏会の?」とバルトークは尋ねる。みなは遠い町の名を告げる。彼は手紙を書いて調べ、そのような演奏会が架空のものであることを知ると、困窮しているにもかかわらず金を送り返す。バルトークを殺したのは、あるいは餓死するがままにしたのはアメリカであるとよく非難されてきた。貧困、栄養失調、苦悩が病いを悪化させ、その結果を早めたのはたしかであろう。はじめにあっては、それはアメリカの指揮者たち、批評家たち、および聴衆の全体的な責任である。しかし、のちにはアメリカの音楽家たちは、バルトークのために彼らにできるあらゆることをしたのであるし、そして、もしバルトークがそうすることを彼らに禁じなかったとしたら、いっそう多くのことをなしとげたにちがいない。」

「自分の芸術的展開は、螺旋のようなものだ。同じ中心的問題をつねにより高められた水準で、つねにより完全に解決すること」
「その傑作によって驚嘆すべき芸術家、あらゆる妥協の否認と絶対的なものへの活力ある要求によって賞賛すべき性格、それらのものが彼を、近寄りがたく、寡黙で、きびしい存在、また同様に彼に接近した人びとが語ったように《苦行者》、《正義の人》、あるいは《聖者》となしたのであるし、また、ほとんどつねに苦悩し、悲惨と異郷のなかで終わった彼の実存の悲劇性によって、彼はわれわれを揺り動かすのである。他の音楽家たちも悲壮な生涯を送ったにはちがいない。しかし、若くして死んだモーツァルト、シューベルト、ショパンは、どちらかといえば偶発的な病いに屈服した。ベートーヴェンの難聴は、その性格や天才に由来するものではない。反対に、バルトークにあっては、彼の不幸を大部分決定したのは、より深いものなのであり、その曲線(カーブ)は、彼の非妥協性や魂の厳格さに直接に結びつけられるものである。」



バルトーク 05

「ベーラとエルジャ」


バルトーク 06

「バルトーク(45歳)」


バルトーク 04

「バルトークの収集した押し葉」



白水社版「《永遠の音楽家》」シリーズ:

1 オカール/高橋英郎 訳 モーツァルト
2 ブークレシュリエフ/西本晃二 訳 ベートーヴェン
3 マルセル/角倉一朗 訳 バッハ
4 ブールニケル/荒木昭太郎 訳 ショパン
5 シヨアン/遠山一行 訳 ストラヴィンスキー
6 シュネデール/海老沢敏・笹淵恭子 訳 ワーグナー
7 バラケ/平島正郎 訳 ドビュッシー
8 シトロン/北沢方邦・八村美世子 訳 バルトーク
■各四六判 本文9ポ一段組 上製箱入 写真・図版多数挿入 (版権取得)




その他の記事:

『没後二十年 西脇順三郎展』 (2002年)










































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

※心の傷、胸焼け、劣等感等ある場合が御座いますが概ね良好な状態になります。

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