高田衛 『江戸の悪霊祓い師』

「累が、たんに自己の殺害者である、夫の与右衛門への怨念によってのみ、出現の契機を得ようとしているのではなく、この殺害事件を黙過した、羽生村共同体へのタタル死霊として、機能していることは、さきにみたとおりである。」
(高田衛 『江戸の悪霊祓い師』 より)


高田衛 
『江戸の悪霊祓い師』


筑摩書房 1991年1月10日初版第1刷発行/同年3月25日初版第3刷発行
6p+329p 著者紹介1p 
20.5×15.5cm 角背紙装上製本 カバー 
定価3,400円(本体3,301円)
装丁: 鈴木一誌



「江戸のエクソシスト」。本文中図版(モノクロ)多数。
本書はのちに、ちくま学芸文庫『新編 江戸の悪霊祓い師』として再刊されています。

本書が出た当時は江戸ブームで、そしてまた小松和彦『悪霊論』などで悪霊ブームでもあったので、江戸の悪霊がでてくる本書はだいぶ売れたようです。


高田衛 江戸の悪霊祓い師1


「BOOK」データベースより:

「今から300年まえ、鬼怒川ぞいの小村にひとりの悪霊祓い師が現れ、14歳の若妻の憑き物をおとす。絶大な人気をもって市井の人々に迎えられたこのエクソシスト、祐天上人とは何者か? 彼の呪術を最も支持した、江戸城大奥の女たちの心底に澱む不安とは? ついには、浄土宗教団のトップにまで登り詰めた一悪霊祓い師の虚像と実像。」


目次 (初出):

序章 「口ばしり」の伝承 (『'89江戸文学年誌』 ぺりかん社 1989年5月/原題「憑依伝承の虚構と愉楽――『死霊解脱物語聞書』考」)

第一部 霊媒伝承
 第一章 羽生村事件 (序章と同じ)
 第二章 悪霊祓いの伝説 (「季刊江戸文学」1号 ぺりかん社 1989年11月/原題「憑霊伝説――つくられた宗教英雄」)
 第三章 隠された幼児殺し (「季刊江戸文学」3号 ぺりかん社 1990年6月/原題「祐天説話の原型――憑霊伝説・続編」)
 第四章 因果の図式 (「国立歴史民俗博物館報告」第14集 1987年3月/原題「羽生村事件と江戸」を大きく改稿)

第二部 江戸の悪霊祓い師
 第一章 聖者の伝説 (「朝日ジャーナル」 1987年9月25日号/原題「江戸の悪霊除祓師」を大きく改稿)
 第二章 女の霊力信仰 (「人文学報」第225号/原題「元禄聖者譚」を改稿)
 第三章 水子と捨子 (新稿)
 第四章 虚像と実像 (新稿)

第三部 霊媒伝承をめぐる付論
 付論その一 累怪談『桜小町』考 (「月刊百科」 1990年3・4月号/原題「土佐浄瑠璃『桜小町』考」上・下)
 付論その二 南北・馬琴の試行錯誤 (『因果と輪廻』(『大乗仏教と日本人』4) 春秋社 1986年/原題「因果の理法と勧善懲悪」を大きく改稿)
 付論その三 怪談の寺 (新稿)


あとがき
初出一覧



高田衛 江戸の悪霊祓い師2



◆本書より◆


「あとがき」より:

「この本でとりあげた、『死霊解脱物語聞書』という本は、一六九〇年に江戸で刊行された。ことし一九九〇年の、ちょうど三百年前のことになる。つまり今から三百年前に、ひとりの悪霊祓い師が、みずから信ずる自己の聖なる使命にもとづいて、悪霊祓い師である自己の存在を宣言したのであった。
 その人は、すぐに多くの人々に支持され、やがて絶大な人気を得た。そのために彼はいったん所属する浄土宗教団を退かなければならなかった。ところが今度は、桂昌院をトップとする、元禄期の江戸城大奥の積極的な帰依をうけるようになった。こうして、ひとりの悪霊祓い師は、彼じしんの意図を超えて、あるいは意図に反して、とにかく浄土宗教団のトップになってしまったのである。
 荻生徂徠は、この人を「人の帰伏したる僧なれども、無学にして……」と酷評している。しかし、民衆的な人気は、荻生徂徠など比較にならないほど、圧倒的にこの人にあったのである。それは没後において、さらにいやました。没後、彼を開創とする寺院が、目黒につくられ、その寺に彼の名をとって「祐天寺」と命名したのは、時の将軍家であったのである。
 また講釈や実録小説の主人公として、幕末・明治にいたるまで、この人の名はあまりにも著名であったのである。
 この本は、その人のことを中心に書いている。しかし、いまは無名となったこの人を、興味本位にとりあげたり、または新しい伝記をこころみようとして書いたわけではない。この人にからむ、さまざまな伝説は、近世文学の世界に、多くの幽霊譚や怪異譚をもたらしたが、その本質が、いわゆる悪霊とその除霊をめぐる伝説であることをつきとめ、またそれが、霊媒をめぐる伝承など、さまざまな説話を派生してゆくかたちを、捉えうるならばとらえ、考えうるならば考えようとしたのである。」



「第一部 霊媒伝承」より:

「しかし祐天はためらわずにはいられない。浄土宗は、天台、真言、日蓮の諸宗と異なって、悪霊退散などの呪術的加持祈祷を、旨とはしない宗門的立場をとっている。(中略)当時、憑霊現象に対処するのは、梓巫女や里修験などの民間呪術宗教者の役割であった。公儀の体制に奉仕すべき儒教・仏教の教学の立場では、それら民間呪術を「左道」「巫蠱」「姦巫(はとのかい)」などと称し、これを邪術視し、嫌忌する。」

「まさに獅子吼と言うべきではなかろうか。祐天は天空のあなたの阿弥陀仏に向って、仏教の諸人救済の願意ははたして実か、虚言かと弾劾するのである。本当に仏がいますものならば、ただちにこの大事の場で、現証をあらわせ。自分に間違いがあれば、自分を蹴殺すがよい。さもなくば自分は仏教を棄てるのみか、外道の法を学んで仏教を破滅させてやるぞ、とまで言うのである。
 なんという激しい言葉であることか。これはまさに天を恐れぬ所業であり、なんらの奇蹟もあらわさぬ仏をなじり、問いつめて、そしてその奇蹟を引きだそうとする、生命をかけた、おたけびと言うべきである。」
「ここまでくると、祐天はもはやカトリック的エクソシストの域を超えている。祐天は呪術儀礼を超え、自己の信念をかけて、天空の彼方からカミホトケの怒りの力を引き出そうとしている。
 この激しいおたけびが、『聞書』に記録されることによって、一介の所化祐天はいちはやく英雄化することになったのであった。」



「第二部 江戸の悪霊祓い師」より:

「闇から闇へほうむりさられ、しかもその被害のイタミの表向の方法を持てないものこそが、いわば絶対的な怨霊の心性を自己の立場とすることができる。」
「祐天の呪術の根底的な立場が、ここに示唆されている。すなわち声なきものの声を、ふしぎなほどの敏感さで感じとる、新しい宗教者という――。」

「祐天を伝説的聖者たらしめる事蹟が、(中略)女や子どもの救済を示すものであったことは先に述べた。宗教者祐天の魅力は、みずから標榜することこそなかったが、江戸期、江戸という都市を中心に、社会的な弱者である、女や子どもに宗教的な救済を施そうとする趣旨において一貫していたことである。」

「ここまで見てきて、『御伝記』の文脈から透いて見えるのは、親も伯父もが見はなし、捨てた子どもとしての祐天というモチーフである。」
「そのことは、後年の悪霊祓い師としての祐天の救済の対象が、水子や捨子、親に見はなされ、過酷な生を常に死の影におびえて生きなければならない、いわば社会的にもっとも無力な、子どもたちに向けられていたという事実と、あざやかに対応してくるのである。〈地蔵菩薩の再来〉とまで称され、民俗の思惟のなかでは、賽の河原にいて誰の保護もなく、ひたすら石を積んでいる子どもたちの、唯一無二の保護者地蔵菩薩に見立てられた祐天その人が、じつは彼自身よるべない、きわどい生を生きた捨子という前身を持っていた――」

「親はすでに祐天が生来の愚昧であることを知っていたのだ。それゆえ祐天を捨てたのだ。」
「師の檀通もまたついにたまりかねて、祐天を勘当してしまうという次第である。たしかに七十日あまり、昼夜我慢をかさねて三部経を教えつづけ、一字も覚えないというのでは、我慢の緒もきれよう。」
「祐天が知能がひくく、記憶力がまったくなかったことが、かりに事実として、それは祐天のツミであろうか。この地上のどこに自ら好んで、バカに生れてくるものがいるであろうか。周囲がどんなに督励しても、知能の低いという事実を、作りかえることなどできはしない。檀通(引用者注: 祐天の師)はあらゆる努力をつくし、忍耐したのであろうが、祐天という人間の、個性を作りかえることはできなかった。そこで檀通は、別な生き方、寺男としての生活の道を用意してやったのだが、それは師として弟子を「勘当」することでしかなかった。つまり祐天をひとりの徒弟、人間として否定したわけで、これは相当に残酷な処置なのである。祐天は自死を決意して、幸か不幸かその試みは失敗に終ったのだが、祐天がもしそこで死んでいたならば、檀通は(そして親、伯父久派は)教育的処置という名目で、祐天という少年を死に追いつめたことになる。江戸の昔から、教育という名目が、その名目において人を死に追いつめるという、残酷さをもっていたことは、わたしたちの教訓的風景として、記憶しておいていいのではないか。」
「祐天の味方になったのは、寺男の八助であり、年長の徒弟である善長という所化であった。はみ出し者の味方になるのは、はみ出し者なのである。」

「増上寺開山上人は熊野権現の化身であり、「昔より此山にて無学の者は、此開山堂に断食して知恵を授かり、名僧となる事あり」という伝説である。祐天少年はこの言葉によって、死へ追いつめられた自己の立場を、別な局面に向けることができた。ただちに祐天は増上寺の開山堂にこもり、断食しておのれの愚昧から脱する事を祈願したのである。
 『御伝記』によれば、祐天の少年時代の特徴は、並の人にさえなることができないという生来の愚昧性である。けっして英才児ではなく、人を超える何ものも持っていない、愚昧な少年であったことを、熱っぽく語っている。しかも捨子同然の身の上であった。いわばひと一倍救済の必要な子どもが、祐天であった。こんな子どもにとってこそ、カミやホトケがいなければならないのに、現実にはそう簡単にカミやホトケが立ちあらわれるものではない。
 祐天が自己の救済を祈って、十二歳の身で断食して開山堂へこもるという部分は、ゆえなくして追いつめられた弱者が、丹誠をこめて神仏に祈願するわけで、中世の昔から語り物に多い趣向である。中世の語り物の例として、『山椒大夫』のような物語を念頭におくとよい。山椒大夫に迫害された安寿が、身をすてて弟の厨子王丸を逃がし、おのれは山椒大夫の焼きごての責めにあうが、安寿の捨身の行為によってホトケの霊験の示現をみるにいたる。『御伝記』も語り物であって、その本質面では中世の語り物と同じく、徹底した弱者のメシア待望の、心情によって語られているのだが、ただひとつ大きな違いがあるとすれば、その断食修行に、期せずして祐天という少年の生身(なまみ)が、霊能力を開発してゆく過程という一面を、読みとることが可能な点であろう。
 先に述べたように、この語り物では、祐天少年は愚昧であり、捨子であり、すでに自己の生命を放棄しており、生きつづけるためにカミ・ホトケを必要としていた。つまり、カミ・ホトケなどこの世にいるわけがないからには、かりにみずからが創りだしてでも、カミ・ホトケ、あるいはそれらしきものの存在が、絶対的に必要だったという状況がここに語られていた。祐天はしらずしらず、愚昧という条件によって、みずからカミ・ホトケを創りだしかねなかった。」



高田衛 江戸の悪霊祓い師3


「たけ一丈にあまる火焔につつまれた不動明王の出現、そして長・短のニ剣を示し、汝智恵を授からんとならば、剣を呑んでいったん死ねという激しい告示、そしてニ剣のいずれかを択べ、という命にたいして、少年祐天の「是非長剣を」という思いきった返答、同時に不動明王が剣をふるって、口から串刺しに刺す処刑! 血を吐いて死ぬ祐天……。
もちろんすべて幻影である。」
「ともあれ、ここでは成田不動剣難霊験譚を、もじどおりに神仏のきびしい試練にたえぬいた、一種の奇蹟として、素朴に受けとめておく立場にかえろう。
 そしてそのような立場で読むとき、この物語は心神耗弱状態となり、譫妄状態となった少年祐天が、そのエクスタシーのなかでの、カミ・ホトケとの絶対的な一体化をはたしたという側面が見えてくる。祐天は溷濁した意識のなかで、不動明王に憑依されるというショックを体験した、という読み方である。端的にいえば長剣を口から串刺しに突きさされるという幻想によって、エリアーデの用語を(わたくし流に)用いるならば「神体示現(テオファニー)」のドラマが、ここに語られたのである。それは少年個人のレベルでは、精神的なショック療法に相当し、同時に霊的体験による変身となる。いままで眠っていた、彼の内部のある種の霊能が、チカラとなって噴出するわけである。暗愚であった彼の素質が、逆にこの霊能の自己開発の条件となった、といってしまえば、強弁になろうが、この霊験譚の語りがそれを示唆していることは疑えない。わかりやすくいえば、祐天はここでカミがかった。いわばカリスマ的条件を、いっきにその内面につくりあげた。」






























































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高田衛 『女と蛇』

「考えなければならぬ一つは、ふだんわれわれがなにげなく接している伝承的説話には、その流布過程において、時の社会的制度と癒着して、新しい〈差別〉を再生産するという、加害的側面があるということだ。」
(高田衛 「清姫の角――近世文化の聖と穢」 より)


高田衛 
『女と蛇
― 表徴の江戸文学誌』


筑摩書房 1999年1月10日初版第1刷発行
337p 口絵(カラー)i 
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価4,800円+税



高田衛 女と蛇1


帯文:

「女はなぜ蛇になるのか
近世文学にあって、〈女と蛇〉というシンボリックな観念連合は、
奇怪さ、薄気味の悪さだけではない、
絢爛たる色彩を帯びた強烈な光を放っていた。
グロテスクな美意識、デモニッシュな想像力に肉薄し、
江戸人の心性を抉出する。」



帯背:

「江戸の精神の地平へ」


目次 (初出):

I
「蛇性の婬」の系譜――秋成・鏡花・中上健次 (原題: 「『蛇性の婬』の後裔たち――秋成・鏡花・中上健次」/「シンポシオン」3号 平成10年3月)
蛇の追放と消去――近代文学の風景 (原題: 「蛇のいない風景」/「文学界」 昭和56年12月号)
蛇女の説話と民俗――近世を泳ぎ超える女たち (原題: 「近世淫女説話の一展開」/「文学」 昭和60年7月号)

II
地獄絵の中の〈女〉と〈蛇〉――近世的通念における否定的なるもの (書き下ろし)
伝奇主題としての〈女〉と〈蛇〉 (原題: 「伝奇主題の類型学草稿――京伝・種彦・馬琴の読本の展開に沿って」/「日本文学」 昭和52年10月号)
戯作者たちの〈女〉と〈蛇〉 (原題: 「伝奇主題の類型学草稿続編――京伝・種彦・馬琴の読本の展開に沿って」/「日本文学」 昭和53年2月号)
江戸読本の〈女〉と〈蛇〉――『霜夜星』と『勧善常世物語』 (「文学・語学」第150号 平成8年3月刊/執筆は昭和53年12月)

III
怪奇物語の〈女〉と〈蛇〉――振鷺亭の『千代嚢媛七変化物語』 (書き下ろし)
異形の愛――江戸の奇異な話 (「ライフサイエンス」 昭和63年7月号)
女妖白蛇抄――少年と性愛と (「幻想文学」15号 昭和61年7月)
清姫の角――近世文化の聖と穢 (「伝統と現代」40号 昭和51年7月)
山姫幻想の系譜――鏡花への私注 (原題: 「夢と山姫幻想の系譜――鏡花への私注」/「文学」 昭和58年6月号)
「異界」としての想像力――江戸期伝奇ロマンの濫觴 (「幻想文学」5号 昭和58年11月)

あとがき
初出一覧



高田衛 女と蛇2



◆本書より◆


「あとがき」より:

「江戸時代の文学の美意識は、近代の読者のそれとは違っているがゆえに、我ら近現代の読者がこれを読むときは、文体やことばの違いとともに、何らかの違和感を余儀なくされることが多い。
 随筆・考証のたぐいを読むときは、さほどでもないのに、いざ文学、たとえば京伝の読本などを読んでいると、やはりその物語や文体の様式性の実体に、一種グロテスクなものを感じ、時には激しく打たれ、時には嫌悪の念を感ずることがある。(中略)若い頃は、そういう物語のなかに、〈蛇〉や〈蝦蟇〉や〈蜘蛛〉や、そういう動物がうごめいていて、一種アレゴリカルなシンボリズムを作中に結実している例を多く見て、このような世界を創るドロドロした想像力そのものの論理を、きちんとおさえておく必要をつよく感じたものだった。
 その代表が〈女〉と〈蛇〉であった。
 当時は、これらの類例を説話類型に帰納し、一種の類型学の試みによって、追究できはしないかと思っていた。だがこの線での試みはうまくゆかなかった。無雑作に〈女〉といい、〈蛇〉というが、近世文学の世界では、〈女〉という語は、たんなる性別をさすのではなく、また妻女、老婆、嬶、奥方、妾、下女、娘、腰元、風呂女など、日常性につながる女性の在り様をさすのでもなく、それらと異なる一種異様なものの全体をさす語でさえあったのである。つまり日常とちがう文芸の世界では、〈女〉という語には、デモニッシュな意味合いさえ漂っているのだった。
 はじめは判らなかった、そういう〈女〉なり〈蛇〉なりの、アレゴリカルなシンボリズム的機能が見えはじめてくると、この研究主題の難しさは、一介の国文学者であるわたしを打ちのめし、このような研究主題を抱えこんだ自分に、つよい自己嫌悪を感じたことも一再ではなかった。だいたい、わたしは親譲りで、蛇は大嫌いなのだ。わたしのもっとも恐れる悪夢は、蛇の穴へ落ちる夢である。そのとき、わたしは「気死」(近世文学での語)する。」
「いま、本書の上梓にあたって、わたしには内心忸怩たるものを感じないではいられない。ここに集めた論には、二十数年前に書いたものがある。それもニ、三にとどまらない。一方では、近時書き下したものもある。体調をこわしてしまい、やけっぱちで書いたものである。ほんらい、もっときめ細かく厳正に仕上げて世に問うべきであるのに、今のわたしの体調は、ここまでまとめるのが、せい一杯なのである。
 しかしここに提示した問題は、無類におもしろいはずである。〈女〉と〈蛇〉という文学主題は、私見では世界的レベルにおいて通時的なもので、聖書には聖書のそれがあり、日本でも神話伝説レベルなど、古代には古代の〈女〉と〈蛇〉の主題があり、中世には中世のそれがあった。本書は、近世文学における〈女〉と〈蛇〉という文学主題をとりあげているが、こういう形で、文学史を裁断することは今まであまり許されていなかったことのように思われる。それだけに、あえて本書を上梓することに、なにかの禁忌を犯すような快感を感じないでもない。」



「蛇女の説話と民俗」より:

「ふだん私たちが何気なく接している説話や伝承でも、それがその当時の社会的通念にのっとって語られているがゆえに、人間社会の差別成立のさまざまな契機と深くかかわる話柄はけっして少なくなかった。「はなし」を産みだす母胎が、それなりの宗教的、地域的、階層的、あるいは血縁的な共同体である場合、その共同体の外側で、疎外されるグループや個が、差別の対象となって、日本の説話伝承史のなかに、奇怪で哀切な幻像を残すということが少なくなかったのである。
 柳田国男が常民とよび、この列島のどこかで生れ、大地に汗してはたらき、けっして列島の支配者となることなく、またそれぞれの故郷を離れることもなく、死んで再びもとの大地に帰っていった、無名の、多くは貧しくかつ善良な、私たちの先祖たちといえども、時には加害者となって被疎外者に対峙し、加害者としての伝承を産みだし、再生産していったことも少なくなかったのであるが、それにもまして、同じ共同体の内側でも、さまざまな葛藤のあげくに創られていった、不可解な説話伝承の類もまた少なしとはしないのであった。」



「「蛇性の婬」の系譜――秋成・鏡花・中上健次」より:

「「蛇性の婬」では、真女子は蛇の化身としての美女である。異類婚姻譚の話型に枠どられているがゆえに、真女子は異類にして同時に美女であるという幻想のなかの女として考えられがちであった。中上の理解は、真女子の異類の本性のうえに、実際の法・制度の中の被差別民の姿をダブらせていることになるのである。これは鋭く強烈な「蛇性の婬」の新しい読解であった。異類婚姻譚を民話的な幻想の域にとどめるのではなく、現世の法や制度下の現実へ反転させるからである。人間でありながら異類にかぞえられる者たちが、〈身分差別〉という物語を織りあげているからである。」
「「蛇性の婬」の真女児は、はじめは美女として、そして次第に蛇の化身として、豊雄の肉体と心の全的所有をはかろうとする。誘惑される豊雄には、はじめに恍惚があり、ついで快楽があり、それは耽溺になった。だが相手の女の異類としての本性があからさまになったとき、その不可解さや妖怪性に対して、豊雄はどんなに非力であってもこれを排除せざるをえないという、人間的決断のぎりぎりの立場に立たされる。人間的決断といったのは、なにも近代的な人間観をいうのではなくて、大宅家の父や母や兄、あるいは庄司家の富子や義父の側に立つ唯一の道理という意味である。
 異類の本性をあらわにした真女子の要求はきわめてはっきりしている。豊雄を全的に所有することである。(中略)そのおそろしい真女子を排除する方法がすべて無効となったとき、豊雄もまたこれを諒解し、「富子が命ひとつたすけよかし。然(さて)我をいづくにも連(つれ)ゆけ」と応じたのであった。最後に庄司家のゆかりで道成寺の法海和尚が出馬したことは、豊雄を人間の立場にひき止めるきわどい仕かけであった。豊雄が法海和尚の芥子の香のしみた袈裟を圧しかぶせることで、自ら真女子の鎮圧の手先になったことにこそ重要な意味があった。それこそは豊雄が異類を排除する人間の立場を、心づよくも恢復したことの象徴だからである。」
「つまり、「蛇性の婬」は蛇の化身をかくも苦心して鎮める物語なのであった。かくして豊雄は生き残った。大宅家の父母や兄、また庄司家の義父と同じ立場にたって、真女子を殺したとまでいえないが、まあ殺したようなものだった。
 「蛇淫」(引用者注: 「蛇淫」は中上健次の小説)はそこを逆転している。豊雄に相当する余計者、はみだし者は、ここでは順という不良上りである。この順が殺したのは、蛇の化身かもしれないケイではなかった。その反対で、ケイの排除をはかる順の親たちなのである。」
「順は、豊雄とちがって両親の側に付かず、真女児の側、ここではケイの側に付くことを選んだのである。(中略)順は、ケイと同じように〈蛇〉になったといってもよい。あるいは蛇淫というセクシャリズムの共有があったとも。その意味でこそ「蛇淫」は「蛇性の婬」の話をあざやかに転倒させていた。
 このように見とってゆくと、「蛇淫」の「蛇性の婬」に対するパロディ的関係は、すなわち中上の「蛇性の婬」に対する、つよい批評に根ざしていることがわかる。」
「豊雄がついに妖怪としての真女子との同行(これが彼の自己投棄である)をはたさず、その逆に真女子を圧殺するのは、豊雄がれっきとした〈制度〉として人格化したことでしかないだろう。人として成長することと〈制度〉受容者として完成することとの一致、その邪悪さを中上は秋成のなかに読んだのではないだろうか。」



「蛇の追放と消去――近代文学の風景」より:

「「オレの小屋のまわりはジメジメした草むらで無数の蛇の棲み家だから、小屋の中にも蛇は遠慮なくもぐりこんできたが、オレはそれをひッさいて生き血をのんだ。そして蛇の死体を天井から吊した。蛇の怨霊がオレにのりうつり、また仕事にものりうつれとオレは念じた。
 オレは心のひるむたびに草むらにでて蛇をとり、ひッさいて生き血をしぼり、一息に呷って、のこるのを造りかけのモノノケの像にしたたらせた。
 日に七匹、また十匹ととったから、一夏を終らぬうちに、小屋のまわりの草むらの蛇は絶えてしまった。オレは山に入って日に一袋の蛇をとった。
 小屋の天井は吊した蛇の死体で一パイになった。ウジがたかり、ムンムンと臭気がたちこめ、風にゆれ、冬がくるとカサカサと風に鳴った。
 吊した蛇がいッせいに襲いかかってくるような幻を見ると、オレはかえって力がわいた。蛇の怨霊がオレにこもって、オレが蛇の化身となって生れ変った気がしたからだ。そして、こうしなければ、オレは仕事をつづけることができなかったのだ。」」
「これは坂口安吾の『夜長姫と耳男』の一節である。」
「文中の「オレ」とあるのが、馬のような顔をして兎のように長い耳をもった、無器用で無愛想で、ただやたらに彫刻をするしか能のない奴隷的職人である。それしか能がないから「オレ」は天才なのである。そして「仕事」というのは「オレ」の女主人である「ヒメ」(夜長姫)の命令によっておそろしいモノノケの像を彫ることであった。」
「「ヒメ」は「オレ」の絶対的な専制君主であって、ことごとに「オレ」を意地悪くさいなみながら、人一倍「オレ」の芸術をかっている。その冷酷さは人間ばなれしているが、そのゆえにこの世ならぬ美しさ、ミロクのような微笑さえ悪意をこめてふりまく女だ。「ヒメ」と「オレ」の敵対的な関係のなかに男と女の奇妙な憎悪とエロスがからみ合っている。その意味で、この作もまた「蛇性の婬」の系譜の下に置いてもよい。
 蛇をひッさきひッさき、その生血を啜ってその怨念を一身に浴びてモノノケの像に阿修羅のようにとりくむ「オレ」。そこにあるのはただの狂気ではないだろう。ここにあるのは発狂願望に託した蛇願望である。
 蛇願望ということばは辞書にはない。しかし「オレ」は、蛇になることがどういう意味かを知らないまま、蛇となり、引き裂かれ、生血を啜られ、死体を天井から吊られ、冬になったら「カサカサと風に鳴」ることをあきらかに望んでいるのであるから、蛇願望とここではいっておく。」
「このファンタスティックな蛇殺しは、『雁』(引用者注: 『雁』は森鴎外の小説)の蛇退治とはまったく異質なものだ。「オレ」は蛇にかぶりついて自己の内なる蛇のおぞましい狂熱の復活を祈る敬虔な男なのだ。「オレ」が生血を飲んだ蛇は、すべて「オレ」の中で生きはじめるのである。」

「この小説がおしひらいた次のような蛇の幻想に対抗しうるのは、ある種の江戸小説だけである。

  オレが天井を見上げると、風の吹き渡る高楼だから、何十本もの蛇の死体が調子をそろえてゆるやかにゆれ、隙間からキレイな青空が見えた。閉めきったオレの小屋では、こんなことは見かけることができなかったが、ぶらさがった蛇の死体までがこんなに美しいということは、なんということだろうとオレは思った。

 松田修がいうことには日本人が愛した唐草模様というのは、あれ蛇の紋様化じゃないかね、と。蛇の死体を天井から吊るすなどという趣向は、私にはダモクレスの剣よりおっかないが、ぶらさがった「何十本の蛇の死体が」ゆらゆらゆれて、もし彎曲しはじめたら唐草模様になるにちがいない。その隙間から青空が見えたとしたら、これは縄文的な美とでもいうよりないだろう。
 『日本文化私観』を書いた安吾は、このような幻想を書くなかで、はやく大正時代にニコライ・ネフスキイが宮古島方言をよりどころにして、「虹」とは天の蛇であると論じたことを想起していたかもしれない。(中略)またラジカルなまでに逆説家であった彼は、天井に吊るされた蛇の死体のうつろな眼から地上を見るならば、地表を歩くところの人間群が、地表という逆天井から宙に向って逆さ吊りになっている倒立動物に他ならぬことを見ぬいていたかも知れない。」



「異形の愛――江戸の奇異な話」より:

「異形の愛――それは人倫の中で、あってはならない禁じられた、愛の「異界性」を語りつづけるものであった。日本では、三輪明神神婚譚、葛の葉狐怪婚譚のような神話伝説の時代から、さまざまなパタンで、それは語りつづけられていた。その中の愛の「異界性」は、タブー(禁断)の中に置かれて、しかし逆にもっとも純粋で悲しい、ヒトの「愛」のありようを示唆している。
 道成寺伝説が、いつまでも日本人の心に残るのは、そのグロテスクな異形の愛のおぞましさからではなく、ヒトを異形化させる「愛」という精神の反社会的な本質と、その反面の純粋さ(聖性)という、心の深層を暗示するからである。」



「「異界」としての想像力」より:

「その虫が、男のぼんのくぼを刺した時、彼は無雑作にその虫を払い落し、うなじを指でかきながら別に気にもとめなかった。ところが後になって、刺された場所があまりに癬(かゆ)いので、ひっきりなしにかいているうちに、そこが猛烈に腫れあがってきた。それでも癬いのでボリボリやっているうちに、腫れた場所が爛れはじめ、腫物状になって、やがてとめどもなく膿汁が出てきた。ひどいことになったなと、その部分を合せ鏡でのぞいてみると、腫物の上の方が赤く潰れており、小指の先が入るほどの穴があいていた。しかもその穴の中で、何かが蠢めいているように見える。暫く見ていると、薄紅色の虫のようなものがチラリと顔を出した。よくよく見ると形は蚯蚓(みみず)のように小さいながら、ちゃんとした蛇であった。思わず男は絶叫し、失神した。
 文化三年(一八〇六)刊の、曲亭馬琴の読本『勧善常世物語(かんぜんつねよものがたり)』の一節である。この話は、これから先がちょっとすごい。
 男は何とかして、我がぼんのくぼに巣食った小蛇をとり除こうとした。自分の首の穴に蛇を飼うなどというのは体裁が悪すぎる。だいいち、その蛇が薄紅色をしているなどというのは、どう考えてもいやらしいではないか。だが何とかしてその蛇を掘り出そうとすると、小蛇はぼんのくぼの穴の奥深く、どうやら我が脳髄のあたりまで潜りこんでしまって動かないのである。男は半狂乱になったが、どうすることもできないでいるうちに、なぜか次第に不思議な快感を感じはじめたのである。四、五日もして、蛇は大きくなってきた。男が油断していると、首の穴から半身をのり出して、男の顔面を舐めるのである。気づいて掴えようとすると、すいと穴の中に身をひそめるのである。だが、男は蛇の舌に舐められることが、途方もなく甘美な感覚をもたらすことを知った。男はまもなく小蛇の思うように顔を舐めさせるようになった。
 ところで、小蛇の舐めた後の皮膚はへんにざらざらして爛れはじめ、やがて瘡(かさぶた)が生じた。男は天性の美貌で世に知られた若者であったが、その美しい顔が、紫色に爛れて、瘡だらけになり、目も鼻も瘡に埋れて、わずかに口のあたりが開いている状態になった。ところが薄紅色の小蛇は、今度はその瘡を喰い破り、流れ出る膿血(うみち)を吸い始めた。その間、男はひたすらに快感に酔いしれていたのである。蛇はやがて膿血を吸いつくし、瘡もろともに顔面の肉を啖(くら)いはじめた。蛇が肉を啖いはじめると、いつも快感は絶頂に達し、男は熟睡するのだった。この時点で、男はもう体内に巣喰う蛇に、自分が啖い殺されることを知ったかもしれない。
 蛇は、やがて男の耳たぶを喰いつくし、さらに鼻を喰いつくした。男の顔面がどんな状態になりつつあったかは、容易に想像できるというものである。男の口とおぼしきあたりから、苦痛とも、よがり声ともつかない、小さな呻き声が洩れていたという。そうして、ある日、すっかり大きくなった蛇は、男のうなじの穴からほとんど全身をあらわし、男の首を一巻きニ巻きして、徐々に締めつけながら右の眼玉を掘り出して、ゆっくり呑み込み、さらに左の眼玉を掘り出したところで、男はようやく絶命したという。」



高田衛 女と蛇3

本書口絵「武久家本『熊野観心十界曼陀羅』」。



こちらもご参照ください:

吉野裕子 『蛇――日本人の蛇信仰』
山中智恵子 『三輪山伝承』

















































































高田衛 『江戸幻想文学誌』 (平凡社選書)

「少女の切願は、青年が永遠に悟りをひらかず迷い抜くことにある。いいかえれば煩悩への徹底であり解脱(げだつ)という救済の拒否であった。」
(高田衛 『江戸幻想文学誌』 より)


高田衛 
『江戸幻想文学誌』
 
平凡社選書 106

平凡社 1987年4月10日初版第1刷発行
258p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,000円



本文中図版(モノクロ)11点。
本書はのちに増補改訂版が ちくま学芸文庫から『新編 江戸幻想文学誌』として刊行(2000年6月)されています。


高田衛 江戸幻想文学誌1


カバー文:

「百物語の法式化は、近世町人によって点ぜられた開化の火が、闇のなかの自然霊を克服してゆく儀式であった。しかし、その法式では一話ごとに蝋燭の火は一つずつ消されてゆく。すなわち、一つには禁忌の〈犯し〉の方法によって、近世人たちが自分たちの〈夜〉をとりもどす――〈闇〉はまた聖なる世界でもあった――儀式でもあった。」


カバー裏文:

「なまじの現実よりも
夢であることによっていっそう
生き生きとした
物語世界の存在。
開化してゆく人間の意識と
零落してゆく自然霊の怨念との
交錯と対比。
〈王化〉の力学に対する
〈化外〉〈異界〉の蜂起と反攻。
現世と幽界の交錯する
雨と月の刻(とき)。
聖なるケガレによって開示される
ハレの空間。
……………
都賀庭鐘、建部綾足、上田秋成、
山東京伝、滝沢馬琴らの
豊饒なる文学言語が
いま、あざやかに
読み解かれる――」



カバーそで文:

「寛政十一年己未春三月十七日、馬琴は冥土へ行った夢を見た。いま流にいえば三月十八日あけがたのことである。ふしぎにその夢は目がさめてからもはっきり覚えていた。筆まめな彼はそれを克明にノートした。「夢に冥土」という題で、それが『烹雑の記』に載っている。……そこに、おどろおどろしい地獄図があったわけではない。亡友を打擲するのは荒唐なる牛鬼・馬鬼どもではなく、「六尺あまりなる」盲法師であった。外姑は、とある屋敷の門前に筵をしいて糸くりをしていた。非日常というにはあまりに日常的な、そのくせ唐突な冥府の夢の光景ではあった。そして、それゆえにかえって、馬琴は、この夢にまがう方なき「冥府」を実感したようである。……
「三月十八日は決して普通の日の一日ではなかった」(柳田国男)。生涯にただ一度の馬琴の夢野冥府訪問が、盆の精霊会でもなく、ましてただの日でもなく、さまよえる精霊たちの復活の日、そして闇の語り手たちの目ざめる日、三月十八日以外のどの日でもなかったという事実は強烈にすぎる。」



目次 (初出):

怪談の論理――文学史の個から (「國文學」 昭和49年8月号)
 三月十八日の夢
 闇の語り手たち
 闇・夢・そして怪異文学の成立
 禁忌と犯し――怪談の論理

幻語の構造――雨と月への私注 (「別冊現代詩手帖 上田秋成」 昭和47年10月)
 宗貞の韜晦
 二重な心性の中のことば
 「わやく」の両義性と『雨月物語』の言語
 幻語――その表層と深層
 「恨みの秋」
 連鎖の物語・水の秩序
 キイワードとしての「雨」と「月」
 雨月の夜の光と影
 幻語の方法

奇談作者と夢語り――秋成・庭鐘・綾足たちの世界 (「文学」 昭和50年6~7月号/原題「奇談作者と夢語――秋成・庭鐘・綾足をめぐって」)
 夢みる老人
 庭鐘の「紀の関守」の物語
 夢託の思想
 「愛」という主題の出現
 夢語りの構図
 夢現象とその表現
 宣長の「夢」理解
 綾足の「よみの巻」
 深草という闇の空間
 境界――夢語りの必然性として
 冥婚の幻想
 綾足、この夢想家の論理
 喜多村金吾の恋

狂蕩の夢想者――上田秋成 (「伝統と現代」第16号 昭和47年7月/原題「上田秋成の狂蕩」)
 余斎乞食
 三余斎から天罰七十余斎へ
 故郷喪失の論理
 「狂蕩」――聖と俗のはざまにて

亡命、そして蜂起へ向かう物語――『本朝水滸伝』を読む(I) (「文学」 昭和59年4月号)
 東宮出奔
 反勧懲小説としての『本朝水滸伝』
 古代中央政権と亡命者たち
 連帯する異族王たち
 大納言姫君の密通
 過激なる虚構
 山中他界の神々の蜂起

遊行、そしてまつろわぬ人々の物語――『本朝水滸伝』を読む(II) (書きおろし)
 作者と国家――綾足の父について
 異説の中の津軽校尉
 鼻彦軍談
 闇の物語としての「正史」
 〈倭建命〉モチーフの問題
 浮び上る遊行の伝統

怪異の江戸文学――世の中は地獄の上の花見かな(一茶) (「日本文学」 昭和53年4月号/原題「化政期の文学的原質をもとめて」)
 江戸文学と「悪」
 「地獄」と「花見」
 一茶の〈人鬼〉認識
 京伝の「美少年」と「女侠」
 『桜姫全伝曙草紙』の世界
 松平定信の「怪異」事件
 怨念の構図とその現実的根拠
 アニミズムの復権
 京伝の骸骨モチーフ
 化政期江戸文学の原質をめぐって

稗史と美少年――馬琴の童子神信仰 (「夜想」第15号 昭和60年4月/原題「稗史美少年録――馬琴の童子神信仰」)
 『近世説美少年録』のこと
 馬琴の「美童」論
 美少年――終末論的世界として
 『封神演義』と『八犬伝』

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「奇談作者と夢語り」より:

「「よみの巻」の夢語りの趣向は、そういう綾足の「夢想の世界」一般と重なりつつ、もう一歩踏みこんだ段階にあるようだ。
 青年の「夢の女」である、少女亡霊は次のように、願いをのべる。

  もしいつまでもかく逢ひみむと思(おぼ)さば、かならず仏(ほとけ)の道にいりて、悟心(さとりごころ)にな帰(かへ)したまひそ。たとへ御身を墨染になしたまふとも、御心だに晴れやらずば、恋しとも思(おぼ)す御心につきて、幾度もまぼろしの中に、在(あ)りし姿を見せ奉らむ。

 また重ねていう。

  かへすがへす吾を愛(め)ぐしと思(おぼ)さば、御心の悟りを開きたまふな。又御心の悟りだちたまふときは、我かへり来べきたよりなし。さる時ぞながき御わかれと知りたまへ。」

「少女の切願は、青年が永遠に悟りをひらかず迷い抜くことにある。いいかえれば煩悩への徹底であり解脱(げだつ)という救済の拒否であった。ここには当時の通念を二重に逆転するものがある。
 一般に死者回向とは、第一に生者の死者に対する追福行為であり、第二に死者煩悩の解脱による冥福を祈る儀式であった。その二つながら、ここでは逆転されている。第一に、ここでは死者が生者に切望するのであり、第二にその内容は、先のごとく解脱の拒否、つまり堕獄の意志であった。
 つまり、死者の成仏という仏教の基本図式は、まことにラジカルに無視されてしまっているわけである。ここに、「愛」について、重大で、決定的な撰択がなされているのではないだろうか。
 愛は、その本質において、鎮魂による死か、地獄に堕つる生かという二者択一を迫られるという問題がここに提起されているし、「よみの巻」はここで、鎮魂の静謐よりは地獄の業火をえらぶという愛のかたちを書いて、そのエロス的本質を決定したのである。」
「地獄の業火の中への同行――。少女の亡霊がそれを望んだわけではない。彼女が望んだのは「恋しとも思(おぼ)す御心」の永続であった。現世の忘却の論理を意識し、それにたいする愛の永遠への「わりなきねがひ」であった。(中略)成仏せず、中有(ちゅうう)に迷うことが、わが中世以来、現世来世を通じて最大の苦患(くげん)と解されていたとき、彼女の「わりなきねがひ」は、みずからその苦患の火に焼かれ、迷い抜くことを撰んだのである。このような選択は、わが国文学史の中でもはじめて見られるものでなかったか。
 近松すら書くことをしなかった、このような情熱と溶け合う道は男にとってひとつしかないだろう。青年は、小オルフェウスとなって地獄に下り、彼女を焼く炎に、ともに焼かれるしかなかったのである。そういうかたちでしか、彼女を奪還する道はなかった。そして、夢は覚める――。」



「狂蕩の夢想者――上田秋成」より:

「昭和初期の頃まで、京都南禅寺のあたりでは「余斎(よさい)さん」といういかつく怖ろしい老人のことが語られていたと、岩橋小彌太さんがどこかで書いていた。といっても、その内容はけっして秋成にとって名誉なものではない。この辺の土地の人たちは、子供がむずがったり泣いたりすると、「余斎さんが来るぞ」とおどかし、どんなにむずがる子供でも、その名を聞くとピタリと泣き止むというのである。(中略)それと似たような話を、わたしも晩年の秋成がしばしば漂泊の足だまりとした地、河内国日下(くさか)村を訪ねたときに土地の故老から聞いた。秋成がどこからともなく、この土地にやってくるとき、彼はうす汚い襤褸(ぼろ)をまとい、帯のかわりに縄を腰のあたりに巻きつけ、垢だらけであたりに異臭を漂わせていたから、村人は「余斎乞食」と呼んだというのである。乞食とは、晩年の彼がみずから称していたことであり、漂泊・放浪・寄食の生活は、彼の晩年にとってはむしろ正常ななりわいでさえあったから、村人の言には嘘も誇大表現もなかったであろう。」
「こうした他愛ない口碑から浮びあがってくるのは、貧寒で孤独でいささか偏屈な老いたる風狂者の外貌である。(中略)そして、そのような外貌こそ彼が望んだみてくれであったかもしれない。

  老て友なきには茶の酔泣して、いよよ人にうとまるる事をもとむるなれ。 

 と書いたのは七十四歳のときであるが、嫌人癖がいやましにつのり、秋成の自称「癇癖(かんぺき)の病(やまい)」がしばしば暴発して、「物狂ハシクナリテ、スズロ言(ゴト)シアルキ、弟子ナドハサラシ、サラヌ人ヲモ心ニ叶ハヌ事アレバ杖ニテ打タタキナドシテ、ボケタルガゴトキニナリシ」(伴信友)などといった類の悪評が絶えなかったことを、しいて否定する必要はないからだ。
 その外貌からは、彼の悲痛な真実、たとえば、
 
  老懶今年六十七、今度下阪ニツキテ何処ニ終リ候ヤハカリガタク候故、檀寺ノ送券書ヲ首ニカケウカレ出申候。若(モシ)落命ト御耳ニ入候ハバ、イツニテモ十五日ヲ忌日ニ御祭シタマハルベク… (実法院あて書簡)

 行路病死(ゆきだおれ)を予期して、「檀寺ノ送券書」(死体を檀那寺へ送り届けてほしいという依頼状と金子)を懐中にしていた覚悟などは、誰にもうかがいようがなかったであろう。行路死を予期しつつ「ウカレ出」と自嘲し、そしてこのことは「必ズ人々ニカタリテ恥ヲアタヘタマフベカラズ」と秘密を依頼するこの書簡から、たんなる強情っぱりの心的構造がみられるだけではない。所詮、人は人を理解し得ず、自己が他者に理解されることの不可能性を知ってしまった者の、こわばった外貌の裏側の生理が見えるであろう。
 『雨月物語』を秋成が書いたのは三十五歳の時である。そのなかに「夢応の鯉魚」という短編がある。これは、興義という画僧が鯉になった話で、佐藤春夫・三島由紀夫などの文人たちは、そこに人間という拘束を脱した、いささか老荘風な自由な遊戯的世界への夢想のロマンチシズムや美を見出してたのしんだ様子だが、(中略)しかし秋成がいいたいことは、じつはそのような自由な世界への夢想と欲求であると同時に、その反面に自由の夢想に迫られるきびしい現実ではなかったか。鯉になった僧はおもう存分に自由をたのしんだが、飢えを避けることはできなかった。空腹のあまり、知合いであるがゆえに許されることだろうと、漁師某の釣針の餌を呑んで釣り上げられる。そして、既知のだれかれの前に持ちだされ、「鯉はわたしだ、興義だ、許してくれ」と、呼べど叫べど鯉の叫びが人に聞えようはずがなく、無残、なますにされてしまうのである。
 「自由」を得たとたんに、その声はもはや現実界に疎通し得ないという凄惨な事実が、ここに語られているように思えてならないのである。それだけではない。自由を得ることは、すなわち日常生活の現実的論理のまないたにのせられて切りきざまれ、殺されるという帰結しかないことをまで、この話は暗示しているようだ。現実から脱出することは、現実に殺されることに他ならぬという「自由」夢想の二律背反――考えてみれば、それは秋成が若い日からそうであった〈浮浪子(のらもの)〉、社会的はみだし者の宿命的な生意識でもあったようだ。「夢応の鯉魚」は美しくたのしい綺譚にすぎぬ。現実の上田秋成は、生涯このような主題にこだわり抜いた人であった。「余斎さん」という鬼、「余斎乞食」という老風狂者は、いわば秋成が得た「自由」の、うすぎたなくもしたたかな外貌でなければならぬ。」
「秋成は世間なみな生活人としての規格にのっとった、平凡な日常生活を平凡に送ることへの熱望がありながら、それと逆に、まったく心外な風狂の生き方に押し流されていったという意識を最後まで持ちつづけた人であった。」



高田衛 江戸幻想文学誌2


「馬琴の稗史は大いなる幻影の世界でもある。図は『美少年録』発端部の挿絵で、宙いっぱいに飛びかう霊蛇と鳥類の闘諍を描いている。」






























































高田衛 『完本 八犬伝の世界』 (ちくま学芸文庫)

「犬士、つまり犬人は、人に似て非なるものであった。」
「八犬士は(中略)神々の子として地上に降臨したものたちであった。」
「文字どおり「神」と「犬」の間を生きるもの、不当なる差別にたいする反撃者としての、地上における戦士が八犬士であった。」

(高田衛 『完本 八犬伝の世界』 より)


高田衛 
『完本 八犬伝の世界』

ちくま学芸文庫 タ-10-3

筑摩書房 2005年11月10日第1刷発行/同年12月10日第2刷発行
572p
文庫判 並装 カバー
定価1,500円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 間村俊一

「本書は一九八〇年十一月刊行の中公新書をもとに章立てを改め、大幅に加筆増補したものである。」



本文中図版(モノクロ)多数。


高田衛 八犬伝の世界1


カバー裏文:

「構想の雄渾、趣向の巧緻、文体の華麗、人物造型の玄妙、考証の厳密、エピソードの耽美・古怪。この長大な物語には欠けるものがない。豊富に付された口絵や挿絵もまた、本文と同等の工夫をもって配されているから、画文渾然、伏線は錯綜し、仕掛けは曲折して、作品全体がいわば一個の巨大な図解宇宙誌の観を呈する。謎は多く、秘密は深い。読者に最高度の学識と想像力を要求するこの種の作品を堪能するには、手練の周到な読みを俟つにしくはない。稀有の伝奇ロマンの魅力を、徹底的な細部へのこだわりと構想全体への目配りをもって論じ尽くす、著者積年の研究の集大成。図版多数、改訂増補決定版。」


目次:

謎とき『八犬伝』口上
第一章 伏姫曼荼羅
第二章 八大童子の幻影
第三章 唐獅子牡丹の系譜
第四章 漂泊の七人
第五章 悪女と怪物
第六章 母子神の物語――『八犬伝』第三部
第七章 曲亭馬琴 最後の戦い
第八章 星の秘儀空間
回外冗筆――「あとがき」を兼ねて

主要引照文献一覧



高田衛 八犬伝の世界2

「伏姫神女(右)と手束(左)」


高田衛 八犬伝の世界4

「文観筆「八字文殊像」



◆本書より◆


「わが国の多くの八字文殊菩薩画像のうちのもっとも迫力ある作は、(中略)南北朝動乱期に一方の立役者として活躍した、後醍醐帝の側近の怪僧文観(もんかん)の筆になるそれであろう。仮にこの図によって「八字文殊」のイメージを把握してみよう。巨大な唐獅子(獅子王)の背中に坐した女体の文殊は、妖しいまでに美しい。左手に青蓮華を持つが、右手には剣を持って、女身ながら両性具有を表している。青蓮華を慈愛のシンボルとするならば、剣はまた戦闘と智恵のシンボルであり、「戦う女神」的神格を表してもいるわけだ。頭頂部は八髻(やつふさ)に結い、「八智尊」を表している。
 その周囲に描かれている九人の幼童子に注意したい。あたかも慈母を慕う幼な児のように、唐獅子騎乗の文殊菩薩のまわりに散って、讃嘆と慕情をこめて仰ぎ見上げている童子たちは、いうまでもなく文殊八大童子と文殊侍者の善財童子である。これこそ、聖なる父母聖像としての伏姫・八房の合体像と、八犬士の関係をあらわす原基的なイメージではないだろうか。」

「じつは牡丹花型の聖痕の答えは「唐獅子」なのである。(中略)八房聖像「唐獅子」の連語である「牡丹」を隠された父性イメージの象徴としてとりあげ、これを八犬士固有の聖痕として文身化した、これが正答なのであった。すなわち牡丹の聖痕は、犬士たちの「犬」―「唐獅子」の聖性の象徴であったのだ。」

「馬琴の伝奇幻想を志向する小説方法として、典拠を変容してゆく、新しい神話的想像力の作動のレールがあることを具体的に見てきた。それは、江戸人に所与のシンクレティズム、たとえば神仏混淆に、さらに中国神話、日本神話、道教的神話、民間呪術神話を錯綜させてゆく知的営為であり、文学的行為としてのシンクレティズムの方法化であった。方法としてのシンクレティズムの目標は、既成の霊的世界体系を自己の想像力と知的営為によって再編成することである。別なことばで言えば、言語を媒介にした多層的想像力によって創られる「異次元」そのものの世界である。
 八字文殊曼荼羅を原基イメージ的に想化することによって、まがりなりにも馬琴のシンクレティズムの方法は、その底辺を固めた。そして、この図式を底辺とする方法としてのシンクレティズムは、稗史の構想の中で、一種のシステムとしてはたらき、以下の犬士列伝を陰に陽に支配してゆくのである。
 それを一言で言うならば、八犬士は、はじめから「犬」性(戦闘性と忠実性と卑賤性)と「神」性(超越性と清浄性)の両義を具有する半人半神的設定におかれていたということになろう。」

「獅子については、誰もが知っている育児論的挿話があった。すなわち、親獅子は子獅子が乳離れすると同時に、非情にも千仞の谷底に蹴落す。この試練に耐えて、苦闘して自力で断崖を這い上った子獅子のみを、はじめてわが子として認めるという話である。
 「若獅子」幻影によって美的イメージと武勇的イメージに粉飾された、『八犬伝』世界の中の八犬士たちは、同時に、谷底の闇(穢土としての現世が寓意される)に突き落されるという試練をも課されているのである。八犬士たちに与えられたのは、まずきわめて苛酷な「生」の状況なのである。」
「それは、まず「孤児」という共通した状況で示される。
 棄て児であったり、親の自殺、横死があったり、ディテールはさまざまでも、彼らのことごとくは、肉の父母を失った孤児であった。」
「孤児とは、血縁共同体と社会から疎外される者たちであり、保護者を持たず、常に周囲を敵に包囲される者の謂(いい)である。彼らはまず自立に向かって、立ち上らねばならない。他者との連帯があるとしてもその後のことである。孤児とはまた、永遠なる幻の母性を求めて漂泊する者たちの謂でもある。」

「無実の人間を罪人に陥れる権力の仕組みがあばかれているわけで、これは『八犬伝』が措定した室町時代にかぎったことではなくて、馬琴の生きた時代であっても、農民や貧窮町人の中には圧政による無実の刑死者の噂は絶えなかった。」
「犬川荘介の死刑執行のどたん場で、三犬士は弓撃と斬りこみで彼を救い出す。刑場襲撃は、言うまでもなく法を犯す逆罪である。しかし、その法がもはや正義どころではなく、不正や悪の根拠となっていることを、馬琴は丁寧にあばきあげていることに注意したい。」
「犬士たちの「侠」は、体制の悪に対立する心情として、また行動力として書かれた。」


 
 












































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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